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【5金スペシャル映画特集】どれだけ社会が壊れても、やっぱり答は「愛」だった

(第921回 放送日 2018年12月1日 PART1:1時間17分 PART2:1時間19分)

 月の5回目の金曜日に無料で特別企画をお届けする5金スペシャル。今回は映画特集をお送りする。
 今回取り上げた映画は『ア・ゴースト・ストーリー』、『ブリグズビー・ベア』、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』、『愛しのアイリーン』、『教誨師』の5作品。5作品に共通するテーマは「本物の愛」と「『われわれ』と『彼ら』の境界線とは何か」だ。
 『ア・ゴースト・ストーリー』は10万ドル(約1100万円)という超低予算の作品ながら、深い感動を与える秀作。交通事故で死亡した男性が幽霊となって妻を見守る様子を描いた、切ないラブストーリーだ。シーツを被っただけの、小学校の学芸会を彷彿とさせるようなゴーストが、時空を越えて愛を完結させていくというもの。
 『ブリグズビー・ベア』も『ア・ゴースト・ストーリー』に劣らないほど強く心を揺さぶる作品だ。赤ん坊の時に誘拐され隔離された環境で、着ぐるみの熊「ブリグズビー」が実在の正義の味方だと信じ込まされて育った主人公のジェームスが、25歳にして普通の世界に引き戻された時、そこで生じるさまざまな軋轢や摩擦を半分冗談のようで実は大真面目に描いた作品。誘拐されたまま世界から隔絶されて育った、本来であれば悲劇の主人公になるはずのジェームスの澄み切った純粋な心が、周囲に感染していく様が清々しい。
 『ザ・スクエア 思いやりの聖域』は2017年のカンヌで最高賞のパルムドールに輝いたスウェーデン映画。現代美術館でキュレーターとして働くクリスティアンが、すべての人が平等の権利を持ち公平に扱われる正方形「ザ・スクエア」を地面に描いて展示する企画を考案するが、同時進行で展開する事件が、実はそのクリスティアン自身が強い差別意識の持ち主だったことを露わにしていく。「平等」や「公平」という言葉が持つ意味を深く考えさせられる作品だ。
 『愛しのアイリーン』は嫁のなり手がいない日本の農村で、フィリピン人の妻を迎えた42歳のダメ男が、異国から来た幼い妻と、息子を溺愛する母親や村社会との狭間で翻弄される様を描く。愛のない結婚として始まった夫婦関係が、時間を経る中で本物の愛に変わっていく過程を通じて、真実の愛とは何かを問う。
 『教誨師』は大杉漣の遺作となった作品。大杉が演じるプロテスタントの牧師・佐伯保が、教誨師として刑務所で6人の死刑囚と対話を重ねながら聖書の言葉を伝えるうちに、死刑囚の心に変化が生じ、自らの罪と向き合い始めるというもの。
 優に年100本を越える映画を見る隠れ映画ファンでジャーナリストの神保哲生と、映画批評家を自任する社会学者の宮台真司が、5つの作品が描く世界と議論した。

外国人材拡大に日本の医療のセーフティーネットは大丈夫か

(第922回 放送日 2018年12月8日 PART1:45分 PART2:50分)
ゲスト:沢田貴志氏(医師・港町診療所所長)

日本に、急増する外国人材を受け入れる態勢は整っているのか。
 多くの課題が積み残されたまま、12月8日の未明、改正出入国管理法(入管法)が成立した。来年4月から、新たな在留資格で外国人労働者の受け入れが始まることになる。政府は年内に総合的な対応策を決めるとしているが、具体的な中身についてはまだ何一つ決まっていない。
 受け入れる外国人労働者の人数も、首相が国会で5年間で34万人を上限とすると答弁したかと思えば、ただちに法務大臣がそれを否定してみせるなど、実際は今後何が起きるかは誰にもわからない状況だ。
 その一方で、法案採決の直前になって、外国人技能実習生たちの悲惨な実態が明らかになった。年間5000人前後の失踪者がいることは伝えられていたが、法務省の聞き取り調査の内容を野党議員たちが精査した結果、最低賃金以下で働いていた実習生が67%、10%は過労死ラインをこえて働いていた。さらには、2015年から2017年までに69人が、脳出血、急性心筋梗塞、自殺、溺死といった原因で亡くなっていたこともわかった。
 外国人医療に取り組んできた医師の沢田貴志氏は、外国人労働者が急増した1990年代、ビザなしの不法滞在の外国人が重症になって医療機関に担ぎ込まれてくることが多かったが、今後、同じようなことが頻発するのではないかと危惧する。今の技能実習生やアルバイト目的の留学生たちが置かれた状況では、病気になっても、解雇を怖れて医者にかかろうとしない人が多い。また、そもそも長時間労働で病院に行く時間がない人もいる。
 現行制度の下では技能実習生も、3カ月を超える在留資格をもつ留学生も、一応日本の健康保険でカバーされることになっているが、自己負担が大きかったり、保険料を滞納すると使えないなどの理由から、セーフティーネットとして機能しているとは言いがたい。無論、失踪してしまえば、健康保険そのものから外れてしまう。
 沢田氏によれば、外国人労働者の不法滞在が社会問題化し、ビザの整備など外国人の受け入れ態勢が進んだ結果、2000年代初頭には、日本にも多文化共生社会が生まれるのではないかとの期待が持てた時期もあったそうだ。ところが、2006年頃から、技能実習生やアルバイト目的の留学生などが急増したため、既存の制度では対応が追いつかなくなってきた。それまで横ばいだった外国人の結核患者が増え始めたのも同じ頃だった。結核は早く見つけてきちんと薬を飲めば治る病気だ。また、感染初期には他人に感染しないが、対応が遅れると職場全体に感染を広げることにもなりかねない。医療の問題は社会全体で取り組む必要がある。
 神奈川県では、NPOと県と医療団体が連携して医療通訳派遣の仕組みを作っているが、年間の派遣件数は7000件を超えている。通訳ボランティアの対象言語も英語、中国語、タイ語、ベトナム語など13言語にのぼる。医療機関側も言葉が通じれば、早く確実に診断ができる。そのようなちょっとした術がわかれば大きな問題にならない。外国人の受け入れ拡大を決める前に、まずそうした現場の取り組みから議論を始めるべきではなかったか、と沢田氏は語る。
 2020年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催され、多くの外国人が日本を訪問することが予想される。しかし、ここにも危惧すべき問題があると沢田氏は言う。政府は今、五輪開催をにらみ、インバウンドの外国人診療における医療通訳養成の事業に力を入れ始めている。外国人医療全体の底上げになればよいが、旅行保険でカバーされる裕福な外国人のための通訳が中心となって、日本在住の外国人患者への対応が置き去りにされることになりかねない。医療ツーリズムなど成長戦略の一環として医療をビジネスとしてとらえる流れに抗うのは容易ではない、と沢田氏はいう。
 外国人材の受け入れが決まった今、日本が整備しなければならない受け入れ態勢とはどのようなものか。何が政府・国会の議論に欠けていたのか。30年間外国人医療に取り組んできた医師の沢田貴志氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。

フェイクニュースの加害者にならないために

(第923回 放送日 2018年12月15日 PART1:58分 PART2:53分)
ゲスト:笹原和俊氏(名古屋大学大学院情報学研究科講師)

 今週は、あおり運転で停車させられた車が後続のトラックに追突され、子どもたちの目の前で両親が死亡した事故の被告に、懲役18年の判決が下されたことが大きなニュースになったが、実はその事件でも、事件発生の直後に大変なフェイクニュース被害が起きていた。
 自動車運転死傷行為処罰法違反で昨年6月に逮捕された容疑者の苗字と同じ名前の建設会社が、容疑者の親族が経営する会社だとの偽情報がネット上で大々的に拡散されたために、その会社は1日100件を越える嫌がらせや中傷の電話に晒され、一時は業務継続が困難な状態に追い込まれていたことは記憶に新しいはずだ。
 何か大きな事件やニュースで取り上げられるような注目のイベントなどがあると、必ずといっていいほどどこからともなくフェイクニュースが現れ、それが猛スピードで拡散していくことが、今や日常茶飯事となっている。
 その最たるものが、2016年の大統領選挙だった。あの選挙では、ヒラリー・クリントン候補を中傷する根も葉もないフェイクニュースが無数にSNS上に投稿され、それを信じた人たちによって拡散されていった。中には情報の真偽にかかわらず、ヒラリー候補を落としたい一心で、フェイクニュースを拡散した人もいたにちがいない。フェイクニュースが広がる速度は、事実の裏付けのある本物のニュースよりも遙かに速いため、大統領選挙の結果に大きな影響を与えたと考えられている。しかも、そのフェイクニュースのかなりの部分が、実はロシア政府の管理下にあるトロール部隊が、トランプ候補を勝たせる目的で意図的に流していたものだったことが判明するというおまけまでついている。ことほど左様にフェイクニュースの影響はとどまるところを知らない勢いだ。
 実際、このまま放っておけば、世界はフェイクニュースに飲み込まれ、社会は何を信じればいいのかがわからないような状態に陥ってしまいかねないと言っても、決して過言ではないだろう。
 計算社会科学が専門の笹原和俊・名古屋大学大学院情報学研究科講師は、もともと人間は「見たいものだけを見る」、「似た人とつながり影響し合う」という傾向を持っており、それがSNSの特性と合わさって、フェイクニュースに勢いを与えていると指摘する。こうした人間の特性は「認知バイアス」や「社会的影響」と呼ばれるもので、本来それ自体は悪いものではなく、人間が生存するために必要な情報のフィルターだった。どんな時代でも人間には、目や耳から入ってくる情報のすべてを受け入れるキャパシティは持ち合わせていないからだ。
 しかしインターネットやSNSの普及によって、社会全体に極度に情報過多な状況が生まれると、そこにフィルターをかけるSNSのアルゴリズムが、そうした認知バイアスや社会的影響の負の側面を一気に増幅するように作用し始める。SNSのアルゴリズムはクリック数やシェア数などの広告収入につながるものを高く評価するように書かれているため、その法則に則ると、実は正しいニュースよりも、怖れや怒り、悲しみ、嫌悪、不安といった人間の感情に訴えかける情報の方が、より人々の関心を引きやすい。要するに、その方がクリックを誘発しやすいため、より拡散されやすいのだ。その際、ことの真偽はほとんど問題にならない。
 人間がアナログ時代に「見たいものだけを見て」、「知り合いの影響をより強く受け」ていた時に比べ、そのような人間の特性を逆手にとって利益をあげられるSNSというビジネスが、世界規模で展開されるようになってしまった結果、フェイクニュースというものが大手を振って行き交うようになってしまった。
 事実に拘束されることなく、情報をより人の感情に強く訴えるように面白おかしく加工されたフェイクニュースは、事実よりも遠く、深く、早く、幅広く拡散される。実際、誤情報がリツイートされる確立は事実よりも70%高いことがわかっている。仮にどんなに立派な訂正情報が後に発信されても、それは「事実」であるがために、誤情報の拡散スピードにはまったく追いつかない。
 しかもフェイクニュースの中には、単にクリック率を上げてお金儲けを目的とするものばかりではない。中には、政治やビジネスなどで優位に立つために、特定の個人や勢力を陥れるような誤情報を拡散する、悪意に満ちたフェイクニュースもある。
 人間が元々持っている情報に対する特性に依拠して増長しているフェイクニュースに対抗するのは、決して容易ではない。しかし、社会制度やテクノロジーによってフェイクニュースを発信する動機をくじいたり、SNSユーザー全般のリテラシーを上げることで、無責任なリツイートなどによってフェイクニュースが安易に拡散していくことをある程度防ぐことは可能だ。特に、情報源が不確かな情報は、信じてはいけないのみならず、それを拡散することで、知らぬ間に自分がフェイクニュースの加害者になってしまっている可能性があることは、認識される必要があるだろう。
 また、世界各国でNPOなどによるファクトチェックの活動も広がっている。こうした活動に参加したり、サポートしたりするのも、社会がフェイクニュースに乗っ取られることを防ぐ一助になるはずだ。
 今週は計算社会科学の観点からフェイクニュースの発生原因や対策を研究している笹原氏と、フェイクニュースとの向き合い方について、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

年末恒例マル激ライブ
コモンセンスを取り戻すために

(第924回 放送日 2018年12月22日 PART1:49分 PART2:48分)

 年末恒例となった公開マル激。
 今年は日産のゴーン元会長の再々逮捕で長引く勾留が海外から批判を受けている日本の刑事司法制度の問題を入り口に、社会がコモンセンスを取り戻すための可能性や処方箋を考えた。
 ゴーン氏の事件については、有価証券報告書の虚偽記載や、今回の再々逮捕の要件となった特別背任にどの程度の犯罪性があったのかが争点となるが、検察や日産側からのリーク情報が流れてくるばかりで、一向に実態がわからないため、今のところはなんともいえない。
 しかし、原発事業の損失を隠蔽するためにはるかに大規模な粉飾を繰り返した東芝に、指一本出そうとしなかった東京地検特捜部が、大きな外交問題になりかねないこのような微妙な事件を独断で仕掛けられるとはとても思えない。
 当然、法務省、並びに官邸の承認は得ているだろう。
 そこで気になるのは、フランスのマクロン大統領が欧州軍の創設をめぐり、アメリカのトランプ大統領と強い緊張関係にあることだ。これはアメリカにとってヨーロッパの覇権にも関わる重要な安全保障問題だ。アメリカがみすみす覇権を明け渡すはずがない。
 実際、マクロンは今、経済政策をめぐり国内で苦境に立たされており、欧州軍どころではない。そのマクロンにとってルノーと日産を経営統合させ、フランス国内に日産の工場を招致できるかどうかは、政権の命運に関わる大問題だ。
 具体的にアメリカが何をどう動かしたのかは今のところ知るよしもないが、この事件の背後には何かとてつもない大きな力が働いていると考えるのは、うがち過ぎだろうか。
 アメリカが同盟国を使って邪魔者を排除しようと試みたという意味で、カナダによる、ファーウェイの創業者の娘で副会長のCFOを務める孟晩舟氏の逮捕とゴーン氏の事件には共通点が多い。
 ファーウェイ問題では日本がイギリス、カナダ、オーストラリアなどとともに、アメリカ陣営につくことが自明のことのように受け止められているが、果たして本当にそれでいいのか。これは何をめぐる争いなのかを、長期的な視点に立って考えてみる必要があるだろう。
 アメリカはファーウェイが5G時代のネットワークの覇権を握れば、あらゆる情報が中国政府に筒抜けになる危険性があると主張する。しかし、そもそもエドワード・スノーデンが告発したように、アメリカ政府も通信事業者やネット事業者を通じて、あらゆる情報を抜いていたことは周知の事実だ。
 また、市場原理の名の下でマネタイゼーションのために最適化されたSNSのアルゴリズムは、必ずしも人々を幸せにしないばかりか、社会の分断を加速する。共産党による一党独裁が続く中国は中国でいろいろ問題はあるが、そろそろ日本も盲目的にアメリカの後を追随するだけでいいのかを真剣に考えた始めた方がいいだろう。
 一番気になるのは、そうした国の社会のあり方に関する基本的な問題についての議論が、年々聞かれなくなっていることだ。フェイクニュースの蔓延や政府や企業による情報操作を問題にする人は多いが、そもそも人々は真面目で面倒くさい情報そのものから目を背け始めている。正しさだけで通用した時代は終わってしまったのだ。
 しかし、共通善としてのコモンセンスを失い、各人が自分の利益の最大化にしか関心を持てなくなってしまった社会は、必ずや滅びる。かつて何がコモンセンスかが自明だった時代があったが、残念ながらそれは古きよき時代だ。困難だが自明ではないコモンセンスを取り戻すための努力を地道に続けていくしかない。
 ジャーナリスト神保哲生と社会学者宮台真司が、2018年を振り返りながら、劣化が止まらない社会の中でコモンセンスを取り戻すための可能性や条件を議論した。

米のオピオイド危機は対岸の火事なのか

(第925回 放送日 [2018年12月29日 PART1:41分 PART2:39分)
ゲスト:山口重樹氏(獨協医科大学医学部教授)

 アメリカでは近年希に見る重大な危機が現在進行中だ。オピオイド危機と呼ばれる麻薬問題だ。
 今日、アメリカではオピオイド中毒で毎日115人、年間では5万人もの人々が亡くなっている。死者の数は過去20年で700万人にも及ぶ。最近で言えば、ミュージシャンのプリンスやトム・ペティもオピオイドの過剰摂取が原因で死亡している。3年前にトヨタ自動車の役員を務めるアメリカ人女性が麻薬取締法違反で逮捕されるという事件があったが、彼女が個人輸入しようとしたのもオピオイドだった。
 上記の死者に加え、既に依存症に罹っている患者が少なくとも200万人を越えると見られている。依存性が強いこの薬から独力で抜け出すことはほぼ不可能なことから、オピオイド危機のピークはまだまだまだこれからだとする見方が有力だ。
 今回のオピオイド危機はさまざまな理由から、特にアメリカの白人男性の間で広く蔓延しているという特徴がある。その結果、薬物中毒死は今や自殺や交通事故を抜いて、アメリカ人白人男性の死因のトップに躍り出ている。そのせいもあって、世界中の先進国の平均寿命が軒並み右肩上がりの伸びを見せる中、アメリカの白人男性の平均寿命だけが唯一低落傾向にあるほどだ。
 危機の発端は1996年にパデュー・ファーマという名のコネチカット州の製薬会社が認可を受け販売を開始したオキシコンチンという名の鎮痛薬だった。この薬はモルヒネやヘロインと同様に、人体のオピオイド受容体と結合して体内に取り込まれ、鎮痛作用を発揮する「オピオイド」の一種だが、モルヒネなど既存の鎮痛薬よりも強い効果がある上、その効果が長時間持続するという特徴を持っていた。オキシコンチンは、がんをはじめ様々な痛みを抱える患者が、夜中に傷みで目を覚ますことなく朝までぐっすり眠れるという触れ込みで大々的に売り出され、瞬く間に最も多く処方される鎮痛薬として、全米に広がっていった。
 ところが、オキシコンチンは錠剤表面の特殊なコーティングによって、持続的に有効成分が放出される「徐放性」に特徴があるが、効果が長時間持続するということは、それだけ多くの鎮痛成分、つまり「オピオイド」が含まれていることを意味する。結果的に、医師から処方された容量以上に服用したり、ひいては錠剤を砕いて取り出した麻薬部分を粉末状にして鼻から吸ってみたり、水に溶かして静脈に注射したりすることで、強力な陶酔感を得られることが知られるようになり、麻薬として愛用されるようになっていった。
 アメリカでは過去に何度か麻薬が社会的な問題になったことがある。南北戦争の後、当時何の規制もなかったモルヒネが一般社会に蔓延し、多くの中毒患者を出したことがあった。また、60年~70年代にはベトナム帰還兵を中心に、再びモルヒネ中毒が急増し、ニクソン大統領が「麻薬との戦争」宣言をしたこともあった。また、80年代~90年代にも、クラックと呼ばれるコカインの結晶の蔓延が、大きな社会問題になった。
 しかし、過去にどんなにひどい麻薬問題が起きても、麻薬に起因する年間の死者数が5,000人を超えることはなかった。それが今回は既に5万人を越える死者が出ているというのだ。これを危機と呼ばずに何と呼ぼう。
 トランプ政権は2017年11月26日、オピオイド危機に対する「非常事態宣言」を発し、処方箋を乱発した医師や、違法な取引に関わったディーラーに対する処罰を厳しくするなど、いろいろな手を尽くしてはきている。しかし、必ずしも効果はあがっていないし、死者の増加ペースも一向に衰えを見せないばかりか、むしろ加速している。
 今回の麻薬危機は過去のものと比べても、明らかに別次元の深刻さを抱えていた。それは、危機が処方薬、つまり医師によって正当に処方された薬に起因するものだったからだ。過去の麻薬問題のように原因が違法ドラッグであれば、それを禁止したり、製造元を押さえ込んだりすることができる。しかし、今回は、この薬のおかげで、長年悩まされた疼痛から解放され、平穏な日常生活を取り戻している患者が大勢いる。そのような薬を、乱用する者がいるからといって、違法化したり流通を止めることができないのは当然のことだった。
 一方、日本でもオキシコンチンや他の強力なオピオイドが販売されている。アメリカのこの状況を、日本に住むわれわれは、対岸の火事として眺めていて大丈夫なのだろうか。
 オピオイド問題に詳しい麻酔医の山口重樹・獨協医大教授は、日本では製造メーカーも処方箋を出せる医師も、対象となる症状も、薬を販売する薬局や薬剤師も、いずれも厳しく管理され、何重にもチェックされる仕組みが存在するため、今のところ日本でアメリカのようなオピオイドが乱用され、危機を招くような恐れはないだろうと語る。
 しかし、アメリカでは今、初期にオピオイド危機の主役だった処方薬のオキシコンチンに代わり、中国やメキシコから入ってきたフェンタニルという新たなオピオイドがネット上や闇市場で大量に取引されるようになっている。フェンタニルの効果はモルヒネの50~100倍、ヘロインの25~50倍も強力とされている。仮に処方薬を押さえ込むことに成功していたとしても、いつフェンタニルの闇市場が日本で形成されてもおかしくはないだろう。
 オピオイドはその離脱症状(禁断症状・退薬症状)のあまりの激しさと辛さ故に、一度依存症に陥った患者はどんな手を使ってでも薬を入手しようとする。そのためには、違法な個人輸入はおろか、窃盗や殺人さえも厭わないという状況が、実際にアメリカでは起きている。しかも、その大元の原因は処方薬として正規に流通している薬だ。どれだけ厳しい規制を設けても、容易に闇市場が形成されてしまうのだ。そして最後には、離脱症状の最たるものとしての呼吸困難に襲われ、死亡してしまう。それほどオピオイドは強力であり、その依存症は恐ろしいものだ。
 そこで年内最後となる今週のマル激では、そもそもオピオイドとは何なのか、オピオイドをめぐりアメリカで何が起きているのか、本当に日本は大丈夫なのかなどについて、麻酔医として20年以上オピオイド問題を研究してきた獨協医大の山口教授と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

平成時代の終わりを新しい物語を始める契機に

(第926回 放送日 2019年1月5日 PART1:1時間8分 PART2:59分)

 平成最後の年が始まった。普段は元号などあまり意識しない人も、今年の正月だけはさまざまな感慨を持って迎えているのではないだろうか。
 巷にも「平成とは何だったのか」的なメディア企画が多く流れている。しかし、マル激ではむしろ過去を振り返るよりも、次の時代がどんな時代になるのかを展望してみたいと考えた。しかし、次の時代を展望するためには、どうしても平成とはどういう時代だったのかの総括が必要になる。そして、意外にも平成を総括するためには、さらに時代を遡り、昭和が何だったのかを考える必要があることが今回の議論でわかった。
 著書『<平成>の正体 なぜこの社会は機能不全に陥ったのか』の著者で政治思想研究者の藤井達夫氏は、平成を「もっぱら昭和の時代に作られた制度や規範を壊した時代」だったと定義する。
 戦後の日本が農業人口を工業に移転する「工業化」の過程で形成された終身雇用や社会保障など数々のセーフティネットが、経済の主役が工業からサービス業に移る「ポスト工業化」にシフトする中で次々と破壊され、ケインズ的な大きな政府・再分配政策から、ネオリベ(新自由主義)政策へ大きく舵が切られたのが平成だった。昭和から平成への改元が行われた1989年の2年後にはバブルが崩壊し、「日本は失われた10年」と呼ばれる時代に突入していくが、それは正に工業化に支えられた大きな政府=再分配政策=福祉国家が行き詰まっていたにもかかわらず、政治も経済も社会も、そして国民生活も、痛みの伴う制度改革を受け入れることができず、もがき苦しんだ10年だった。
 そして、2000年代に入り小泉政権が誕生したあたりから、待ったなしの財政危機の下、日本は遅れてきた新自由主義的な政策を積極的に取り入れ、規制緩和を一気に加速させることになる。
 一方、対外的には平成は冷戦の終結とほぼ時を一にする。平成元年にイラクがクウェートに侵攻し、翌年の1月に湾岸戦争が勃発する。冷戦が終わり、アメリカとの同盟関係の再定義を求められていた日本は、憲法上の制約から湾岸戦争に兵力を提供することができず、焦りを覚える。それ以来、自衛隊の海外派遣が日本にとって安全保障上の最大の懸案となった。冷戦の終結はアメリカ主導のグローバル化を推し進め、当初はグローバル化に慎重だった日本も、次第に国内的にも対外的にも規制緩和を推し進めざるを得なくなった。
 また、平成は元年に、前年に勃発したリクルート事件とその年の4月に導入された消費税の不人気などから、自民党が参院選で過半数割れに追い込まれ、政治の流動化が始まった。一連の「政治改革」のプロセスが始まるきっかけとなったのが、平成元年の参院選だった。つまり、平成時代とは、日本が小選挙区制の導入や政党交付金、省庁再編にNSCや内閣人事局制度の導入などを通じて、政治家個人から政党へ政党から首相官邸へと権限の委譲・集中を進めた30年でもあった。しかし、平成の日本は、集中した権力が暴走するリスクを明らかに甘く見積もってしまったと藤井氏は語る。
 藤井氏はまた、平成の時代にはポスト工業化とネオリベへの政策転換により、日本は昭和の時代に築いた規範や制度を徹底的に壊したが、その壊し方には偏りがあったと指摘する。
 1970年代に入り戦後の高度経済成長が終焉を迎えた時、大きな政府による福祉国家の道を継続していくことはもはや不可能だった。小さな政府への転換は不可欠だったと言っていいだろう。しかし、日本の新自由主義へのシフトでは、明らかに財界の意向が強く反映された結果、労働法制の改正などを通じて労働者のセーフティネットが排除されるなど、より多くの痛みが弱者に集まる規制緩和が実行された。その結果が、格差社会化であり社会の分断だったと藤井氏は語る。
 平成のポスト工業化社会では規制緩和と同時に個々人の自由も増大した。これは画一的で規律的な慣行からの解放という側面もあったが、同時にあらゆることを自分自身で選択・決定し、その結果、自己責任を問われることも意味していた。それは一人ひとりを不安に陥れ、他者に対する不信感を増大させた。
 不安の中を行き抜く方法として、われわれには3つの選択肢があると藤井氏は言う。それは、1)その状況を引き受けてより良い未来を信じて手探りで選択をしていく、2)威勢のいい政治家や偽られた伝統、歴史への依存など、フェイクでも何でも構わないので今の不安を取り除いてくれるものに依存する、3)無関心になる、の3つだという。しかし、2)から3)の至る過程が、正に物語の終焉であり、共同体の崩壊であり、社会の分断であることは論を待たない。
 今われわれが問われているのは、昭和を壊すことに費やされた30余年の平成の時代が終わった時、それに代わる新しい物語を作ることができるかどうかではないか。
 平成時代を「ポスト工業化」、「ネオリベ」、「格差社会」、「ポスト冷戦とグローバル化」、「五五年体制の終焉」、「日常の政治」の6つのキーワードで説明する藤井氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

医療基本法から始まる修復的正義のすすめ

(第927回 放送日 2019年1月12日 PART1:51分 PART2:47分)
ゲスト:鈴木利廣氏(弁護士)

 1999年は自衛隊や日米安保体制のあり方を再定義した周辺事態法のほか、盗聴法や国旗・国家法など、一連の「ガイドライン法制」が成立した年として、後の日本の政治や社会の針路に大きな影響を与えた年だった。日本の歴史における一つの分水嶺といっても過言ではないだろう。
 実は1999年は医療の世界でも、歴史的に大きな意味を持つ年だと考えられている。
 その年は横浜市立大患者取り違え事件、都立広尾病院消毒薬誤注射事件と、高度な医療を行っていると思われた病院で起きたケアレスミスによる深刻な医療事故が相次いで起き、大きな社会問題となった。その後、安全な医療を提供する体制作りや患者の権利などが確立されていく、医療においても一つの大きな分水嶺となった年で、医療安全元年ともよばれる。
 その医療安全元年からこの1月でちょうど20年が経つ。
 その間、厚労省に医療安全推進室が設置されたほか、医療法が改正されて医療機関に安全管理体制の整備が義務付けられ、3年前には医療事故調査制度が起ち上がるなど、より安全な医療が提供される体制の整備が進み、少しずつではあるが患者の権利が尊重されるようになってきた。
 数々の医療事故や薬害エイズ訴訟・薬害肝炎訴訟など、過去40年あまり多くの医療訴訟に患者側弁護士として関わってきた鈴木利廣弁護士は、20年前の2つの医療事故以降、世界的な流れから少し遅れながら、患者が安全な医療を受ける権利や自己決定権、学習権といった基本的な患者の権利が認識されるところまで辿り着いたと、感慨深げに語る。
 そして今、安全な医療と患者の権利を確立する上で重要な到達点となると鈴木氏が位置づけるのが、医療基本法だ。今年2月には超党派の議連が発足することになっており、早ければ年内の制定が期待されている。
 医療基本法は日本国憲法が保障する基本的人権としての患者の権利の確立と、あらゆるステークホルダーの責任と権限を明示するもの。具体的には憲法の理念に沿って、その行政分野の政策理念と基本方針を示すと同時に、その方針に沿った措置を講じることを求める。基本法は医療過誤事件や薬害事件が発生するたびに制定され強化されてきた医療関連の個別法の親法に位置づけられるため、個別法に基本法と矛盾する点があれば、国会にはそれを是正する義務が生じる。
 医療事故や薬害の被害者の弁護人として長年、医師や医療機関を相手どり訴訟を起こしてきた鈴木氏は、医療基本法の制定によって、患者と医師が対立する立場からぞれぞれが正義を主張する「正義の取り合い」の関係から、両者が互いに信頼し協力しながらより安全な医療を実現していく修復的正義の実現へと移行していくことに期待を寄せる。
 これまでは医療事故が起きた時、刑事訴追を怖れる医師や病院側は積極的に情報を出そうとせず、結果的に被害者側は刑事告訴をする以外に事故の真相や原因を究明する手立てがない状態に追い込まれることが多かった。
 しかし、応報的・懲罰的な正義を目指す従来の刑事司法的なアプローチでは、真の和解や癒やしが得られにくいことに加え、医師の側にも真の贖罪意識が芽生えにくかったり、被害者の側も、仮に裁判に勝っても納得できないことが多い。応報的正義では真の和解や癒やしは得がたいことがわかってきたのだ。
 被害者と医師の対立を前提とせず、コミュニティを巻き込んだ対話の中から被害者には補償と癒やしを、医師側には責任と贖罪意識を促し、社会復帰をサポートすることを目指す修復的正義の追求は、医師と患者とコミュニティの三者が一体となって、より効果的に医療の安全を促進できる可能性がある。
 また、医療分野で修復的正義が実現すれば、他の司法分野にもその効果が波及することが期待できる。もともと修復的正義の考え方が司法制度の中に組み込まれ実践されているニュージーランドやカナダは、先住民と後から入植してきた白人の間の和解に修復的司法が大きな役割を果たした。現在では多くの犯罪で、被害者と加害者、そしてコミュニティの和解や癒やしに、修復的司法が貢献しているという。
 不幸な医療事故を受けて始まった、国をあげての医療安全確立への取り組みから20年目を迎える平成最後の年に、鈴木氏と医療安全の現状と修復的正義の可能性などを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

フェイクニュースにはファクトチェックで太刀打ちする

(第928回 放送日 2019年1月19日 PART1:54分 PART2:53分)
ゲスト:楊井人文氏(ファクトチェック・イニシアチブ事務局長・弁護士)

 厚生労働省の毎月勤労統計調査に法律で定められた方法とは異なる「手抜き」があり、日本人の賃金が実際よりも低い数値が公表されていたことがわかった。一次データが不正確だったということになると、それを元に算出したGDPなどの二次統計も間違っていたことになる。日本の国際的な信頼の低下が避けられない深刻な事態だ。
 しかし、よくよく考えてみれば、このようなデタラメがまかり通るのも無理はないところがある。これは日本に限ったことではないが、政府のトップや大臣が自分たちに都合のいいデータだけを恣意的に出したり、時には平然とフェイクニュースを吹聴している国で、同じ政府が発表する末端の調査データには全幅の信頼が置けるほどの精度を期待するのは、元々無理があったのかもしれない。アクトン卿の言葉を借りるまでもなく、権力は頂点から腐っていく。それにしてもフェイクニュースの蔓延が問題となる中で、政府の一次情報までがフェイクだったとは。
 昨今よく耳にするようになった「フェイクニュース」という言葉は、元々は広告収入を得る目的で作られた、一見ニュースサイトに見えるようなサイトやそこに掲載された偽情報のことを意味していたが、2016年の米大統領選挙でクリントン候補に対する無数の虚偽情報がSNSで拡散されたのを機に、政治的な目的で発信される虚偽情報もフェイクニュースと呼ばれるようになった。そして、2017年のトランプ政権誕生後、トランプ大統領が事あるごとにニューヨーク・タイムズやCNNなど自らに批判的なメディア報道を「あんなものはフェイクニュースだ!」として一蹴するようになったことで、今日、フェイクニュースはネット上に溢れる虚偽情報全般を意味する言葉になっている。その中には従来の広告目的の意図的な偽情報もあるが、政治的な意図のあるものや単なる勘違い、デマや陰謀論の類いまでが幅広く含まれる。
 フェイクニュースが蔓延する原因は、インターネットの普及でかつて一握りのマスメディアが独占していた伝送路が開放され、誰もが発信できるようになったことが大きいことは言うまでもない。しかし、ここに来て偽情報がSNSによって拡散されることで、情報の内容次第ではかつてのマスメディア以上に大きな影響を社会に与えるようになっている。
 厚労省の一次データが不正確だったことで、他の膨大なデータまでが影響を受ける可能性があるのと同様に、事実関係が歪められたり捏造されたフェイクニュースが蔓延したまま放置されれば、あらゆる政治的対話が成り立たなくなる。意味のある議論は事実関係に対する認識が共有されていることが前提になるからだ。
 しかし、言論の自由が保障された民主主義の国で、フェイクニュースの拡散を止めることは容易ではない。罰則を強化したとしても、大抵の場合、フェイクニュースの最初の発信者はネットの匿名のフェイクアカウントから情報を発信されている。拡散が始まったのを確認した上でアカウントを削除して逃げてしまうことが可能だ。
 そうした中で、フェイクニュースに真正面から対峙する試みが、広がりを見せ始めている。それが「ファクトチェック」と呼ばれるものだ。
 ファクトチェックは、公開された情報のうち、客観的に検証が可能な情報の事実関係を第三者が確認し、その結果を発表するというもの。チェックの対象に意見や論評、論説は含まれない。あくまで事実関係のみがファクトチェックの対象となる。また、チェックをする者も、自らの政治信条や党派性を持ち込まないのが原則だ。
 数年前から、NPOやネットメディアなどが独自にファクトチェックを始めていたが、2017年に「ファクトチェック・イニシアチブ(FIJ)」というNPO法人が設立され、賛同するネットメディアや個人の協力の下、国際的に確立されたガイドラインに基づくファクトチェックが行われるようになった。
 最近では昨年9月に実施された沖縄県知事選挙で、当選した玉城デニー候補を中傷する組織的とも思えるフェイクニュースが拡散されたのを受け、ファクトチェック・イニシアチブの協力者たちが情報の真偽を確認してその結果を公表している。その結果、現職の国会議員までがツイッターでフェイクニュースの拡散に手を貸していたこともわかった。当選後の記者会見で玉城氏は「自分に関してネット上で拡散された情報の9割はフェイクニュースだった」と語っている。
 また、数的には玉城候補を中傷するフェイクニュースが大半を占める一方で、安室奈美恵さんが玉城氏への支持を表明したというフェイクニュースを玉城候補の支持者が発信していたというようなケースもあったという。
 ファクトチェック・イニシアチブの事務局長を務める楊井人文弁護士は、フェイクニュースの氾濫を野放しにしておけば、言論の自由に制限を加える口実を政府に与えてしまう恐れがあるとして、ファクトチェックの重要性を強調する。フェイクニュースの負の影響が制御不能なほど大きくなれば、言論の自由に対する多少の制限はやむを得ないと考える人が増えてくることは十分にあり得るだろう。
 そのような事態を避けるためにも、ようやく日本でもファクトチェックの組織的な動きが出てきたことになる。ただ、一定のガイドラインに基づいて市民が情報の真偽を確認しその結果を公表するファクトチェック・イニシアチブのような動きは、かなり前から世界規模で始まっており、日本はむしろ後発だと楊井氏は指摘する。
 インターネットとSNSの普及によって、新たな社会問題として浮上したフェイクニュースについては、技術の進歩に解決を期待する向きも多い。また、市民ひとりひとりのネットリテラシーが向上してくることで、真偽や出所が不明の情報を無責任に拡散させない習慣が根付いてくることも必要だろう。しかし、無数に流れてくる情報の真偽を一市民が瞬時に判断するのは容易なことではない。ファクトチェックが広がってくれば、一般の市民が今よりも容易に情報の真偽を確認することが可能になるはずだ。
 今週はファクトチェック運動の旗振り役として活動してきた楊井氏と、なぜ今ファクトチェックが必要なのか、ファクトチェックを通じて見えてきたフェイクニュースの特徴や背景とは何かなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本が統計を軽んじてきたことの大きな代償

(第929回 放送日 2019年1月26日 PART1:44分 PART2:42分)
ゲスト:鈴木卓実氏(たくみ総合研究所代表)

 厚生労働省の毎月勤労統計の手抜き問題が泥沼の様相を呈する中で、他のあらゆる統計の大元として政府が発表している56の「基幹統計」と呼ばれる調査のうち、22の調査に何らかの問題があったことが明らかになり、突如として日本の統計のデタラメぶりが国内外に衝撃を与えている。基幹統計は日本が世銀、IMF、OECDなどの国際機関に報告しているGDPなどの諸統計にも影響を与えるため、日本がそうした国際機関に過った情報を提供していたことになる可能性もあり、まだまだ波紋は広がりそうだ。
 われわれは中国を始めとする専制国家や発展途上国の経済統計には政府の意図が反映されている可能性があるので信用ができないという話をこれまでたびたび耳にしてきた。しかし、今回の件を見る限り、日本の統計もそう大差がなかったようだ。いや、むしろ日本の事態の方がより深刻かもしれない。非民主主義の国では多くの場合、独裁権力による確信犯的な統計操作が行われているが、それはある程度予想がつくものだ。しかし、今回の日本の統計不正は、官僚の杜撰さと保身、そして政治への忖度といった、語るに落ちた恥ずかしい諸原因の産物だった可能性がありそうなのだ。
 日銀で調査・統計畑を歩み、統計に詳しいエコノミストの鈴木卓実氏は、日本の統計軽視の風潮は今に始まったことではないが、今回の事件はその鈴木氏をしても「ここまでひどかったのか」との思いを禁じ得ないほど、ひどいものだったという。
 確かに日本の統計軽視は今に始まったことではない。日本政府の統計職員の数は国民一人あたりに換算するとカナダの10分の1、フランスの6分の1しかいない。小さな政府を標榜し、近年統計職員を大幅に削減してきたイギリスやアメリカでさえ、日本の3~4倍の統計職員がいる。むしろ、これまで日本の統計が信用されていたことの方が不思議だと思えるくらいだ。
 鈴木氏によると、かつて日本では一般の市民が真面目に政府の統計調査に応じてくれていたので、それほどのマンパワーが必要なかったと言う。しかし、今日、その状況は変わっている。にもかかわらず、統計職員の数は少ないままで、「人手が足りないことは明らか」と鈴木氏は指摘するが、実は日本の場合もっと重大な問題がある。
 元々少ない人数で回しきた日本の統計調査を担当する職員数が、今回、勤労統計の不正が始まった2000年代の前半から、急激に減っているのだ。鈴木氏が指摘するように、伝統的な共同体が存在し、主婦や祖父母が常に在宅する家庭が多く、しかもその多くが真面目に調査に協力してくれていた時代から、日本も欧米各国のように調査により多くのコストを要するような社会構造に変わってきている。にもかかわらず、日本は元々少ない統計職員の数を、更に減らし続けているのだ。
 人数の多寡と並んで、中身の問題も指摘されている。2004年の小泉政権下で閣議決定された「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2004」は首相の私的諮問機関である経済財政諮問会議などが中心となってまとめた、いわゆる「骨太方針」を呼ばれるものだが、その中には行政改革の一環として、「農林水産統計などに偏った要員配置等を含めて、既存の統計を抜本的に見直す。一方、真に必要な分野を重点的に整備し、統計精度を充実させる」と書かれている。
 後段の「充実させる」の部分は、今回の毎月勤労統計の実態を見る限りは、全く空理空論だったことになるが、むしろ問題は前段にある統計職員の配置を官邸主導で特定分野にシフトさせることが謳われている点だ。2009年から2018年の間の統計職員の省庁別の増減を見ると、この骨太で謳われている通り、農水関連の統計職員数が一気に4分の1以下に減らされたほか、厚労相、経産省、国交省、文科相などでも統計職員数が軒並み減らされているのに対し、内閣府と警察庁、総務省の統計職員数だけは増加に転じている。
 これは現時点ではあくまで仮説の域を出ないが、一連の官邸への権限集中の流れの中で、各省庁からあがってきたデータを使って政治主導の政策立案をする機能や権限が官邸や内閣府に移される一方で、各省庁が長年続けてきた統計調査だけは、より少ない人数で継続しなければならない状態に追い込まれていた可能性がある。
 しかし、こうした経緯から見えてくることは、明らかに日本が一貫して統計を軽視してきたことだ。統計はすべての政策判断の元になっている。また、民間においても事業計画や投資・採用計画に政府が発表する様々な基礎統計が大きな影響を与えてるいことは言うまでもない。原因が杜撰さであろうが、何らかの政治的な意図が含まれていたのであろうが、いずれにしても政府が発表する基礎データが信用できないということになれば、これまでの政府の政策判断が間違っていたものだった可能性すら出てきてしまうのだ。
 伝統的に統計を軽視する日本は70余年前、国力を示す統計を見れば明らかに無謀とも言えるアメリカとの戦争に突入し、国全体が焼け野原になった。鈴木氏によると戦後、吉田茂の命を受け、マルクス経済学者の大内兵衛が現在の統計法の基礎を作ったそうだが、駐英大使を務めた吉田茂は、統計を通じて自国の国力を正確に把握しているイギリスの様を目の当たりにする中で、日本が先進国の仲間入りを果たすためには統計を充実させる必要性があることを強く感じたのは当然のことだった。しかし、残念ながら吉田のその思いは、今日まで引き継がれていなかったと言わざるを得ない。
 なぜ日本は統計を重視できないのか。統計を軽視する国が滅びるのはなぜか。日本が政府統計への信頼を取り戻す方法はあるのか。日銀で統計を担ってきた鈴木氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

ゴーン逮捕とJOC贈賄疑惑とファーウェイCFO逮捕の接点

(第930回 放送日 2019年2月2日 PART1:1時間5分 PART2:1時間5分)
ゲスト:北島純氏(経営倫理実践研究センター主任研究員)

 昨年11月19日に日産のゴーン会長が逮捕され、長期の勾留に対してフランス政府が懸念を表明する中、今後はフランスの当局が12月10日に2020年の東京五輪招致を巡る贈収賄疑惑で、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長を事情聴取していたことが明らかになった。既に予審判事が、贈賄の疑いで竹田会長に対する捜査に着手しているという。
 その一方で、米政府の意向を受けたカナダの検察が、中国の通信機器大手ファーウェイの孟晩舟副会長兼最高財務責任者(CFO)を1月3日に逮捕すると、今度は中国当局が相次いで13人のカナダ人を拘束。1月14日には中国の裁判所が一審で懲役15年の判決を受けていたカナダ人男性に対して控訴審で死刑を言い渡すなど、一見、報復合戦とも思えるような司法権力を使った国家間の衝突が激化している。
 確かに司法権力は国家にとっては軍隊に次ぐ「実力組織」であり「暴力装置」でもある。軍隊を使った戦争の代わりに、司法権を使って競争に勝とうとするのが、グローバル化時代の覇権と経済利権をめぐる新しい戦いの形なのだろうか。
 外国公務員の贈賄罪に詳しい経営倫理実践研究センター主任研究員の北島純氏は、東京五輪の招致委員会の贈賄疑惑に対する捜査自体は2016年から始まっているものなので、今回の竹田JOC会長に対する捜査がそのような政治的な意図を持った報復と考えるのは無理があると指摘する。また、東京五輪の招致委員会が五輪招致を勝ち取るために、シンガポールのコンサルタントを通じてIOCの理事やその親族に賄賂を支払ったとする疑惑自体が、もともとはロシアのドーピング問題に対する調査報告に端を発するものだったことから、そこに日本に対する何らかの政治的な意図があったとは考えにくいというのが、北島氏の見立てだ。
 ロシアのドーピング疑惑を調査した報告書には、ロシアによる政府ぐるみのドーピングの実態が露わにする一方で、ドーピングのもみ消しの嫌疑を掛けられたトルコが、2020年の五輪を招致するために必要とされる400万~500万ドルの賄賂を払わなかったためにイスタンブールへの五輪招致に失敗した一方で、東京はそれを払ったために招致に成功したとの記載が含まれていた。それが今回のフランス当局による捜査の発端となったことは間違いないようだ。
 日本では贈収賄罪はもっぱら公務員や政治家だけが対象だが、フランスでは民間同士の取り引きでも賄賂が罪になる。実はアメリカやイギリスを始めとする一部の先進国では近年、民間同士の取り引きにも贈収賄を禁じる法律が作られ始めているそうだ。五輪やFIFAの委員は公務員ではないが、それを買収する行為は高潔さをウリにするスポーツの根幹を毀損するというのが、その理由だと北島氏は言う。また、民民取り引きであっても、市場の公正さを損ねる行為を罰することには一定の合理性があるとも言える。
 東京五輪の招致委員会が、2020年の五輪を東京に招致するためにIOCの理事に賄賂を渡す行為は、仮にそれが賄賂性を持ったものだったとしても日本では罪にはならないが、フランスでは罪になる。今回、贈賄の嫌疑をかけられ、IOCの委員に強い影響力を持つとされるセネガル人で国際陸連のラミン・ディアク前会長が、パリを本拠に活動をしていることが、フランスがこの事件の管轄権を主張できる根拠になっているという。
 今回、竹田会長にかけられている疑惑では、招致委員会がシンガポールのコンサルタントにコンサルタント料の名目で支払った2億3000万円が、その後、IOCの委員やその親族を買収するための賄賂として使われたのではないかというもの。日本側が「コンサルティング料が賄賂として使われる認識はなかった」というだけの説明で罪を免れられるかどうかは微妙なところかもしれない。ただし、シンガポールのコンサルタントが、ロシアのドーピングもみ消しに関与していたことが明らかになったのは、日本がコンサルティング契約を結んだ後のことなので、日本の招致委員会が賄賂となる可能性を予見していなかったとしても、時系列的には不思議ではない。
 そんな理由から、今回のゴーン元会長に対する逮捕と竹田会長に対する捜査の着手を結びつける根拠には乏しいようだが、とは言え不自然な点が多いのも事実だ。例えば、ゴーン会長に対する逮捕の容疑にしても、7年も前から行われていた行為をなぜ今になって急に逮捕に至ったのかなど、不可解な点は多い。
 日産の43%の株を支配するルノーの筆頭株主はフランス政府だ。経済的に苦境に陥っているフランスが、日産の株を買い増すことで日産を子会社化し、より自国の経済にメリットをもたらすために利用しようとしたとしても、それほど不思議な話ではない。その一方で、日産にとってもまた日本政府にとっても、年間売り上げにして約11兆円、グループ全体で約14万人に雇用を提供している日産を他国に奪われることは、是が非でも避けなければならない。日産の社内に蔓延するゴーンのワンマン体制やルノーとの不平等な取り引き関係に対する不満と、日産の国外流出を避けたい政府の意向が、ルノーによる植民地支配のシンボルだったゴーン氏の排除で一致した結果が、日産による内部告発であり、恐らく政府も承認している日産と検察の司法取引という形で結実した可能性が高いのではないか。
 他方、もしそのような政治的な意図が一切無ければ、有価証券報告書の虚偽記載疑惑だの自らの投資損失の穴埋め目的でサウジアラビア人ビジネスマンに対する不正支出した疑惑だのといった十分に争う余地がありそうな微妙な罪で、世界の自動車産業界の大物で国際的にも著名なゴーン氏をいきなり日本の検察が逮捕して勾留し続けるというのは、少々無理筋のように思える。
 特に日本は昨年6月から司法取引が可能になり、検察の裁量が大幅に拡大している。北島氏は司法取引によって「コンプライアンス・クーデター」が容易になったと指摘するが、どんな企業でも、あるいは個人でも、大なり小なりコンプライアンス上不都合なことの一つや二つはあるだろう。特定の企業や個人を狙い撃ちにして、その側近に司法取引を持ちかけて標的についての不利な証言を引き出せば、もはや日本には検察が逮捕できない相手などいないのではないかとさえ思える。仮に何年後かに裁判で無罪になったとしても、ゴーン氏の例にも見られるように、特捜部に逮捕され長期にわたり勾留された時点で、政治的、経済的、社会的にはすべてを失う。裁判の結果など後の祭だ。そもそも相手を失脚させること自体が目的だったとすれば、それで十二分に事足りることになる。
 実はファーウェイの孟晩舟CFOの逮捕も、当初はイランに対する制裁違反という重大な嫌疑が取り沙汰されていたが、最終的には今回の起訴では取引銀行のHSBCにイランとの取り引きについて虚偽の情報を提供したという金融詐欺や資金洗浄、司法妨害にとどまっている。起訴内容に肝心の対イラン制裁違反は含まれていないのだ。ファーウェイが次世代の通信ネットワーク5Gを巡る米中の覇権争いの犠牲になったという見立てが正しいかどうかはさておき、この逮捕・起訴にも何らかの政治的な意図の介在があったと見るのが妥当だろうと北島氏は語る。
 グローバル化が進むところまで進んだ今、やや遅れながら、国の司法権が国外にまで及ぶことが当たり前になる時代が到来する気配だ。既にほとんどの国が、外国の公務員に対する賄賂を違法化する法制度を整備している。実は日本の司法取引第一号はタイの火力発電所検察を巡りMHPS(三菱日立パワーシステムズ)の社員がタイの港湾当局者に賄賂を渡したことをめぐり、MHPSが検察と司法取引をして自らの罪を不問に伏してもらうことの引き換えに3人の社員を差し出すという、外国公務員に対する贈賄の罪だった。ちなみにゴーン氏逮捕は司法取引の2例目だ。
 今回の東京五輪招致委に対する贈賄の嫌疑は、それがいよいよ民民取り引きにまで及ぶ先駆けとなるかどうかが注目される点だが、その事件も、また他の事件を見ても、どうもその背後には高潔や公正さの維持のためというよりも、国と国の国益をめぐるエゴのぶつかり合いが先行しているように見えるところが気になる。
 世界は国家間の司法権力がぶつかり合う時代に突入したのか。そうした中にあって、日本で導入された司法取引やフランスや米英で導入されている民民取り引きにまで贈収賄の枠を拡げるような、より大きな裁量を捜査当局に持たせることにリスクはないのかなどについて、外国公務員の贈賄罪に詳しい北島氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.91(911~920回収録)

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「最悪」の英語教育改革が始まろうとしている

(第911回 放送日 2018年9月22日 PART1:50分 PART2:49分)
ゲスト:阿部公彦氏(東京大学大学院人文社会系研究科教授)

 市場原理の導入や民間委託も、大概にしておいた方がいい。
2020年度から大学の英語入試の方式が大幅に変更になるそうだ。しかもその内容が、英検やTOEFLなどの民間の検定試験をセンター試験の代わりに利用するというものだという。
 文科省の説明では「読む・聞く・書く・話す」の4つの技能の重視を謳う高校学習指導要領に則り、その4技能を測ることが新しい制度の目的だということだ。ところが、それを提言した有識者会議の議事録などをよく読んでみると、早い話が「日本人は英語が話せないのが問題だ→その元凶は学校の英語教育にある→だから英語教育を変えなければならない→そのためには入試制度を変えることが一番効果的だ」という、一見もっともらしいが、実は至って短絡的な理由がその背景にあるようなのだ。
 確かに日本では中学1年から高校卒業まで最低でも6年間、週4時間程度、英語を勉強している。2011年からは小学校5年生から英語の授業が始まっているし、大学でも英語が必須のところは多い。にもかかわらず、日本人は得てして英語を不得意と感じている人が多い。特に英会話については、5年も10年も勉強したのに「ペラペラ」になれていないのはおかしいと感じている人が多いのも事実だろう。
 英語教育の関係者は、そのような疑問や不満を真摯に受け止める必要があるだろう。しかし、だからといって英検やTOEFLやTOEICを入試に導入することで、問題が解決するのだろうか。
 入試への民間試験の導入に強く反対している英文学が専門の阿部公彦東京大学大学院教授は、そもそも日本人が他の国の人と比べて英語ができないという仮説に疑問を呈する必要があると指摘する。
 確かに日本人はパーティなどで話題の中に入っていくのが不得手だ。欧米文化圏では多少文法的に怪しくても、自分から進んで話をする国の人の方が早く友人もできるだろうし、現地の文化により早く馴染めるという面があるのも事実だろう。外国人から英語で話しかけられた時、まともに受け答えができず、気まずい思いをした経験がある日本人も多いに違いない。
 しかし、日本人が英会話を苦手とする理由は、単に英語のスピーキング訓練が足りていないからだけなのだろうか。阿部氏は日本語特有の論理構成の思考が英語とは異なるために、英語のテンポで会話に入って行きにくいことなど、日本人が英語を不得手とする理由については、単に「もっとスピーキングの勉強をしましょう」というよりも、もう少し精緻な検証と議論が必要なのではないかと指摘する。
 そもそもわれわれが英語を勉強してきたのは、パーティでうまく立ち回るとか、道を聞かれた時にうまく答えるためだったのかどうかも、考えてみる必要がある。学校教育で基礎的な英語力をつけているからこそ、将来、専門分野に進んだ時に、教材や論文を理解するための素地ができているという面もあるだろう。それに、そもそも話すべきネタを持っていなければ、英語ができようができなかろうが、そもそも会話の輪の中に入っていくことはできないのも事実だ。
 今回の民間テストの入試への導入は、それを提言した有識者会議に当の検定試験を実施している団体の幹部や、英語教育への参入を画策する経営者などが大勢含まれており、利益相反の謗りも免れない。現在、日本の語学教育の市場規模は年間8000億円超。そのうち英語教育が3000億円超を占めるが、これまでは英会話が主流だったのに対し、今年あたりから4年後の入試改革を視野に入れた検定試験の受験対策を提供する学校の市場規模が急拡大しているという。
 もともと英会話市場自体が、「ペラペラ神話」を強調することで成り立っていた面が多分にある。「この学校に通えば、この教材を買えば、英語がペラペラになりますよ」という、いつものやつだ。ちょっとダイエット市場にも似ているところがある。ところが、遂にそれが入試にまで浸食してきてしまった。いざ入試に採用されるとなれば、それは事実上、強制の意味を持ってくる。意味じくも文科省が強調するように、入試が変われば、高校の英語教育もそれを視野に入れたものに変わってくるのは必然だ。受験対策主導の英語教育になってしまっては、スピーキング力も含め、日本人の英語力が上がってくるとは到底思えない。
 既に阿部氏が所属する東京大学では、民間の英語検定を入試の一部に採用する制度の導入に反対する意見が出始めている。改革の中身はその経緯が周知されるにつれ、今後、新制度拒否の流れが拡がる可能性も十分にある。
 この改革は始まる前から失敗することが目に見えていると断ずる阿部氏と、日本人は英語ができないという「ペラペラ神話」の根拠や英語教育のあり方について、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

トランプ政権下で起きている2つの異常事態の意味するもの

(第912回 放送日 2018年9月29日 PART1:49分 PART2:51分)
ゲスト:前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)

 これを異常と呼ばずに何と呼ぼうか。
 かねてより前例のない異例続きだったトランプ政権だが、11月の中間選挙を前に、いよいよその異常さに拍車が掛かっている。
 今回の異常事態は最高裁判事候補の性的暴行疑惑と、司法省高官による政府転覆の2つだ。
 トランプ大統領が最高裁の判事に指名したブレット・カバノー氏は、輝かしい経歴に加え、上院で過半数を占める与党共和党の手厚い支持を受け、難なく承認される見通しだった。
 ところが、承認の直前になって、突如としてそのカバノー氏に36年前の性的暴行疑惑が持ち上がった。被害を名乗り出たクリスティン・ブラジー・フォード氏はカリフォルニア州の大学で心理学の教授を務める女性だが、今になって36年前の事件を告発した理由を、最高裁判事になろうとしている男性がどのような人物であるかを世に知らせることが自分の「市民的責務」だと考えてのこと、と説明した。9月27日にはブラジー・フォード氏が上院司法委員会の公聴会に証人として呼ばれ、36年前の暴行を受けた際の状況を生々しく説明すると、彼女と入れ替わりで証言台に座ったカバノー氏が、涙ながらに自らの潔白を訴えるという、映画さながらの劇的なシーンが展開され、その模様の一部始終がテレビやネットで全世界に向けて生中継された。
 27年前にも、現在も最高裁判事を務めるクラレンス・トーマス氏が、承認過程で氏の元部下だったアニタ・ヒル氏からセクハラを告発され、司法委員会の公聴会という厳粛な場で「巨乳」「巨根」「獣姦」などといった言葉が飛び交うという事態に発展したが、今回のブラジー・フォード氏による生々しい性的暴行シーンの描写と、涙を流して告発内容を否定するカバノー氏の証言の様子は、アメリカの政治史に残る歴史的なできごとになってしまった。
 今回の最高裁人事は、唯一の中道派として最高裁で長年キャスティング・ボートを握っていたケネディ判事の引退を受けたもので、保守派のカバノー氏が承認されると、向こう30年にわたり保守派が最高裁の多数派を握ることになる。これによって、アメリカでは長年大きな政治的争点だった人工妊娠中絶の違法化や銃規制の更なる緩和など、大きな路線転換が起きることが必至とみられていたために、最終局面で出てきたまさかの「性的暴行疑惑」の行方には、厭が応にも注目が集まっている状況だ。トランプ大統領が全幅の信頼を寄せるカバノー氏の承認が頓挫するようなことがあれば、政権の大きな失速原因となるばかりか、11月6日の中間選挙への影響も避けられないだろう。
 もう一つの異常事態は先週、司法省のナンバー2で、同省でトランプ大統領の「ロシア疑惑」を指揮する最高責任者を務めるロッド・ローゼンスタイン司法副長官が昨年5月、大統領の解任要件を定めた憲法第25修正条項に則り、トランプ大統領の解任を企てていたというスクープ記事がニューヨーク・タイムズに掲載されたことを受けたもの。
 ローゼンスタイン氏は昨年5月にコミー長官が事実上罷免された後、トランプが大統領に不適格であることを証明するために、大統領との会話を盗聴することなどを政権幹部に提案したとされる。コミー長官が解任された時、FBIは2016年の大統領選挙でトランプ陣営がロシア政府と共謀して選挙に介入したとされる「ロシア疑惑」を捜査中だった。
 今のところローゼンスタイン氏は、ニューヨーク・タイムズの記事は不正確としながらも、記事の趣旨は全否定していない。
 普通であれば、もし報道内容が概ね事実だとすれば、政権幹部が事実上のクーデターを企てたに等しく、トランプ大統領は直ちにローゼンスタイン氏を解任したいところだろう。しかし、ローゼンスタイン氏がトランプ大統領を捜査する立場にあるため、これを解任することが「司法妨害」にあたる可能性があり、事はそう簡単にいきそうもない。現在、トランプのロシア疑惑を捜査しているミュラー特別検察官はローゼンスタイン氏によって指名されており、その捜査自体もローゼンスタイン氏が事実上の後ろ盾となっている。
 9月6日には同じくニューヨーク・タイムズが一面トップで、「トランプ政権の中にはトランプの施策を無力化するための抵抗勢力が存在し、私もその一人だ」とする、トランプ政権の「上級幹部」による匿名の論説記事を掲載しているが、ワシントンではこの匿名の「上級幹部」がローゼンスタイン氏だったのではないかとの観測で持ちきりだ。トランプ政権を支える立場にある議会共和党の中には、「クーデター未遂」記事の事実関係を確かめるためにローゼンスタイン氏を議会に証人として呼ぶべきだとの声も上がっているが、そこでトランプ大統領の解任に値するような「不適格」で「衝動的」な行為の数々が露わになることで、かえってやぶ蛇になる怖れもあるという懸念もあり、この異常事態にどう対応すべきか、誰もが当惑している状態だ。
 トランプ政権は満を持して指名した保守派の判事の承認を得ることに失敗する可能性が濃厚になってきた上に、政権内には抵抗勢力やクーデター未遂をした幹部が、トランプ政権の命脈を左右する疑惑を捜査しているというこの異常事態を、われわれはどう捉えればいいか。日本はそのような状態にあるアメリカと、新たな自由貿易交渉など始めて大丈夫なのか。これもまた民主主義の新しい形なのかなどを、希代のアメリカウオッチャーである前嶋氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

日本の大学が人材を育てられない理由がわかってきた

(第913回 放送日 2018年10月6日 PART1:1時間 PART2:47分)
ゲスト:溝上慎一氏(桐蔭学園理事長代理)

 日本の大学生があまり勉強しないことは昔からよく知られている。
 最近ではひと頃のように授業をサボって雀荘やゲーセンに入り浸る学生はほとんどいないようだが、それでもあまり勉強をしないところは、今も昔とほとんど変わっていないようだ。
 2007年から3年ごとに全国の大学生約2,000人に「大学生のキャリア意識調査」を実施し、その結果をこのほど『2018年大学生白書』にまとめた溝上慎一氏によると、日本の学生は平均すると授業時間以外に週5時間足らずしか勉強をしていないのだという。アメリカでは日本の短大に当たるコミュニティ・カレッジでも平均で週12時間程度、アイビーリーグの名門校など上位校になると授業以外に週30~40時間は勉強をしなければ授業についていけないのが当たり前だというから、日本の学生が勉強しない説は、かなりデータによっても裏付けられていると言わざるを得ない。
 無論、ただ勉強時間が長ければいいという話ではない。実は日本では大学生活においてリーダーシップ力やコミュニケーション力、問題解決力などの能力がどの程度身についたかを大学生自身に質問した結果、大半の学生が、特にそうした能力が向上したとは感じていないことが明らかになっている。しかも、その数値は2007年からほとんど変化していない。
 この調査結果が深刻なのは、実はこの10年、日本では様々な大学の改革が行われてきたにもかかわらず、成果が上がっていないことを示しているからだ。
 実際、日本では1991年の大学設置基準の大綱化を受けて、2004年の国立大学の独法化や大学の認証評価の導入など、数多くの改革が実施されてきた。特にこの10年は、2008年の「学士課程答申」を皮切りに2012年の「質的転換答申」、2014年の「高大接続答申」といった、重要な改革が実施されるなど、一連の大学改革の「仕上げの期間」だったと溝上氏は言う。しかし、学生の学習時間はほとんど延びず、自己評価を見る限り学生も大学から受けた恩恵は少ないと感じていることが、明らかになってしまった。
 まだまだ日本では大学は学問を探究する場所ではなく、就職するための踏み台程度にしか考えていない人が多いのが現実なのかもしれない。しかし、もしそうであれば、せめて大学で、将来自分が何をしたいかを見つけて欲しいと願う親は多いにちがいない。ところが、実はその点でも日本の大学はむしろ後退している。大学生に「自分の将来について見通しを持っているか」を聞いたところ、見通しがあり、何をすべきか理解し、実行していると答えた人は2010年の28.4%から2016年には22.7%に下がっている。全体的に日本の大学は学生の能力を伸ばせていないし、社会や時代に立ち向かう自立性や社会性といった意識を育てることもできていない。
 溝上氏は、このデータからは、「今の大学教育では日本の学生は変えられない」との結論を導き出さざるを得ないと語る。
 実は溝上氏はこの9月、長年在籍した京都大学を去り桐蔭学園に転身した。神奈川県横浜市にある私立の中高6年一貫校だ。その理由が、大学だけをあれこれ変えてみても学生は変わらないことを痛感したからだという。中学、高校時代にある程度学生の基礎的な資質を育てておかなければ、どんなに大学で制度改革を行おうが教育の成果はあがらないだろうと、溝上氏は語る。
 桐蔭といえば野球やラグビーが全国的に有名だが、かつて1990年代には100人を超える東大合格者を出し「文武両道」などと持て囃されたこともある、名だたる受験校だった。ところがその桐蔭が今、東大合格者も10人に届くかどうかと言ったところまで低迷している。受験競争に過剰に適応した結果、その後学校として進むべき方向性を見失っていた桐蔭だからこそ、これまでの日本の中学や高校にはなかった新機軸を打ち出すチャンスがあると語る溝上氏は、中学から積極的にアクティブ・ラーニングのクラスなどを取り入れていく方針を打ち出している。
 「大学生のキャリア意識調査」を実施した溝上氏と、調査の結果明らかになった日本の大学生の実態や、そこから見てきた日本の大学教育の問題点、そしてその処方箋などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

トミー・ジョン手術の多発を進化と倫理の視点から考える

(第914回 放送日 2018年10月13日 PART1:41分 PART2:49分)
ゲスト:山崎哲也氏(横浜南共済病院スポーツ整形外科部長)

 今週のテーマは野球。しかし、野球というスポーツの話というよりも、どちらかというと人類の進化の話であり、ビジネス倫理の話になる。
 野球、とりわけその頂点にあるアメリカのMLB(メジャーリーグ・ベースボール)は目下、空前の繁栄を謳歌している。この瞬間もMLBでは、世界一を決めるワールドシリーズの前哨戦となるリーグ優勝決定戦で盛り上がっているが、MLBは今や年間興行収入が100億ドル(1兆円)を超え、1年あたりの契約金が30億円を超える選手がゾロゾロいる、巨大ビジネスだ。
 しかし、その繁栄の陰で、とんでもない医学的かつ倫理的な問題が生じている。それはMLBの投手の約3割が、キャリア中に最低一度はトミー・ジョン手術と呼ばれる肘の靱帯の移植手術を受けなければならない状態に追い込まれているということだ。MLBという巨大ビジネスが、一握りの恵まれたアスリートの肘の靱帯の犠牲の上に成り立っている状態、と言っても過言ではないかもしれない。
 MLBには現在、日本でいうところの「1軍選手」(40人ロースター+故障者リスト)の中に729人の投手がいるが、何とそのうち220人が一度はトミー・ジョン手術を受けている。手術後の回復が思わしくないために引退に追い込まれたり、MLBの選手登録を外され下部リーグや海外でのプレーを余儀なくされた投手も少なからずいるので、正確な数値を割り出すことは容易ではないが、単純計算でもMLBの投手の約30%はキャリア中に一度はその手術を受けている計算になる。中には2度、3度と手術を受けている選手もいる。
 この手術は正式には「肘内側側副靱帯再建術」と呼ばれ、最初の成功例となったスター選手の名前を冠して「トミー・ジョン手術」の愛称で呼ばれているが、その実は全身麻酔の上、断裂した肘の靱帯を取り除き、代わりに手首などから除去しても影響がないとされる腱を取ってきて、肘の骨にドリルで穴を開けて縫い付けるという、大がかりな外科手術だ。医療技術が進歩したおかげで、1年から1年半のリハビリに耐えれば、9割の人が元通りのピッチングができるようになるというが、それでも1割の選手は選手生命を失う危険な手術でもある。
 松坂大輔、ダルビッシュ有、藤川球児、和田毅ら、日本のプロ野球から鳴り物入りでアメリカに渡った、謂わば「日本野球界の宝」も、渡米後数年以内に肘の靱帯の断裂を起こし、この手術を受けている。田中将大と前田健太は今のところトミージョンは回避してプレーを続けているが、いずれも肘の靱帯に断裂が見つかっている。そして、10月1日には投手と打者の二刀流で日本中の話題をさらった大谷翔平も、そのリストに名を連ねることになってしまった。
 スピードガンで表示される「160キロの剛速球」は、今や野球の最大の魅力の一つとなっているが、人間がこのような速い球を投げるためには、肘にかなりの無理がかかる。肩関節を大きく外旋させ肘関節を強く手前に引いた上で、肘の関節が反発する力を利用して、腕を強く前方に振り抜くことによって、剛速球は生まれる。肘の関節が最も伸びきった状態を「コッキング後期」と呼ぶが、そこから前腕を前方に加速させる直前に強大な外反ストレスが、一球ごとに肘の内側側副靱帯に加わることになる。
 スポーツ整形が専門でNPB(日本プロ野球)球団横浜DeNAベイスターズのチームドクターを務める山崎哲也・横浜南共済病院整形外科部長は、そもそも人間の肘の靱帯はそれだけの衝撃に耐えられるようにはできていないため、このような運動を繰り返すたびに、肘の靱帯に小さな断裂が起きるのだという。その断裂が微細なもののうちは、一定期間休ませれば、切れた靱帯はある程度まで再生されるが、十分な休息を取らないと大きな断裂につながる。大きな断裂が起きると、靱帯はもはや自力では再生されない。そしてそれを繰り返せば、最後は肘の靱帯が完全に切断されて肘が固定されていない状態になってしまう。部分断裂の状態でも痛みや腫れが出る場合が多く、完全断裂まで症状が悪化されるまで放置されるのは希だ。特にアメリカでは選手生命などを考慮に入れた上で、部分断裂の段階で手術に踏み切る選手が多い。
 数ある動物の中で、肩の関節がここまで大きく回るのは人間だけだ。これは人間が進化の過程で獲得した特別な能力といっていい。それによって人間は槍や銛などの武器を使って獲物を狩ることが可能になり、そうして確保した大量のタンパク源のおかげで、他の動物よりも大きな脳を持つようになったとされる。そして、20世紀後半以降の栄養学やウエイトトレーニング理論の発達などによって、人間は遂に160キロの剛速球を投げるために必要な筋肉で全身を纏うことが可能になった。
 しかし、人間の肘は、円周9インチ、重さ5オンスの硬式野球のボールを160キロで投げる際に加わる衝撃に耐えられるようにはできていない。山崎氏によると、トレーニングによって肘の靱帯周辺の筋肉を鍛えることは可能だが、靱帯そのものを鍛えることはできないのだと言う。
 MLBの年間のトミー・ジョン手術の施術数は毎年上昇傾向にあり、そのカーブは投手の速球の平均速度の上昇カーブとほぼ比例している。このままでは、類い希な優れた身体能力を持って生まれ、野球選手としては最高峰のプロ投手に登り詰めた「選ばれし若者」の大半が、肘にトミー・ジョン手術の手術痕をつけているというような、異様な状況になりかねない。いや、既にそのような状態になりつつある。
 今月25日、日本ではプロ野球のドラフト会議が開かれる。その最大の目玉とされるのが金足農業の吉田輝星投手だが、日本の野球界はその「球界の宝」に、甲子園で13日間で881球の球を投げることを強いた。あえて「強いた」という表現を用いたのは、指導者から「まだいけるか」と言われて、「もうダメです」と言える選手がほとんどいないのは、特に子どもの場合、常識だと考えるからだ。吉田投手は一試合平均で約140球、県予選も含めるとこの夏の公式戦だけで何と1,517球もの球を投げている。特に8月17日の甲子園3回戦から8月21日の決勝戦までの6日間はほぼ連投で570球も投げているのだ。吉田投手の場合、幸いにも今のところ故障の話は出ていないようだが、彼は高校生だ。本人が何と言おうが、ある程度以上は投げられないルールを作るか、指導者が無理矢理やめさせる必要があったのではないか。
 トミー・ジョンの多発に衝撃を受けたアメリカでは、リトルリーグから大学まで、一人のピッチャーが1日に投げていい球数や、何球以上投げた場合は、最低何日は空けなければならないなど細かい投球制限がルール化されるようになっている。日本でもリトルリーグやシニアリーグにはその基準があるが、なぜか高校野球だけは投球制限の導入を頑なに拒んでいる。
 夏の風物詩となった甲子園に憧れて、多くの子どもたちが野球を始める。また、甲子園はメディアにとっても視聴率や売り上げを稼げるドル箱興行だ。確かに、準決勝で完投した剛速球のエースが翌日の決勝では投げられないようなことになれば、興行としての甲子園の盛り上がりに水を差すことになるかもしれない。しかし、高校生に投球数の制限を設けずに投げさせている今の状態は異常としかいいようがない。
 山崎氏は今後、トミー・ジョン手術が増え続けるような状態に陥るのを避けるためには、投球フォームの改善や怪我を防止するトレーニングの研究、投球数に応じて必要となる休息の期間、球種による肘の靱帯への負担の違いの解析等々、まだまだやるべきことはいろいろあるが、まずは練習段階から投球制限を設定し、それが遵守される体制を作る必要があるのではないかと語る。肘の疲労の蓄積が、靱帯の断裂の原因になっていることだけは間違いないからだ。
 アメリカではプロフットボールでも、引退後の選手が後遺症に苦しんだり若くして死亡したことなどを受けて、選手の脳震盪が大きな問題となり、新たなルールが導入されている。野球についても、一部のアスリートが文字通り「身を削りながら」支えている現在の状態を放置していいのだろうか。また、こうした構造的な問題に対して、野球界やスポーツ界、またそこから大きな恩恵を受けているメディアに自浄能力は期待できるのだろうか。山崎氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

日本が「ハーフ」にとって生きづらい国だって知ってました?

(第915回 放送日 [2018年10月20日 PART1:59分 PART2:50分)
ゲスト:サンドラ・ヘフェリン氏(コラムニスト)

 テレビや広告では見ない日はないといっていいほど、日本人と外国人の両親を持つ、いわゆる「ハーフ」が頻繁にメディアに登場する昨今。タレントやモデルは言うに及ばず、最近はテレビ局のアナウンサーや世界で活躍するアスリートに至るまで、ハーフ全盛時代を思わせる勢いだ。日本人と外国人の間に生まれる子どもの数が、毎年概ね2%程度に過ぎないことを考えると、確かに日本のメディアにおけるハーフの露出度は異常に高いと言えるだろう。
 しかも、テレビに出ているハーフの多くが、得てして美男、美女でバイリンガルでお金持ちという話になっていることもあり、日本ではハーフに対してそういう先入観を持つ人が多い。
 しかし、「ハーフが美人なんて妄想ですから」の著者で自身も日本人とドイツ人を両親に持つコラムニストのサンドラ・ヘフェリン氏は、ハーフは誰もが美人でバイリンガルという先入観が、多くのハーフを苦しめているという。ヘフェリン氏はハーフといっても多種多様であり、男女を問わず、一様に日本人が考えるところの「美人」ではないし、日本生まれ、日本育ちだったり、逆に外国生まれ、外国育ちの人も多いので、決して誰もがバイリンガルとは限らないと語る。
 ヘフェリン氏は著書の中で、批判を覚悟の上で、あるマトリックスを作成して紹介している。それは、美人度と語学力を縦軸と横軸に取り、ハーフを4象限に分けた上で、美人でバイリンガルのハーフを「理想ハーフ」、美人だがバイリンガルではないハーフを「顔だけハーフ」、言葉はできるが美人ではないハーフを「語学だけハーフ」、美人度も低く語学もできないハーフを「残念ハーフ」と名付けたものだ。
 その上でヘフェリン氏は、メディアに出ているハーフのほとんどが「理想ハーフ」のカテゴリーに入るため、純ジャパ(純粋ジャパニーズ。ハーフではない日本人の意)はハーフといえば皆美人で外国語ができるという思い込みがあるが、実際のハーフの大半は、その象限には入らないのだと指摘する。つまり、いわゆる美男、美女ではなく、言葉も日本語しかできないハーフの方が、実際は遙かに多いということだ。
 そのため、外国語、とりわけ英語が喋れなかったり、日本人の目には必ずしも美男、美女とは映らないタイプのハーフは、日本社会で逆に大きなハンディを背負わされることになるとヘフェリン氏は言う。もし日本人の多くが、「ハーフはみんなきれいで外国語もできてお金持ちで羨ましい」なんて考えているとしたら、実情はかなり違っているようなのだ。
 例えば就職でも、純ジャパにとっては外国語を喋れることは大きなプラスの評価対象になるのに、ハーフは外国語が喋れて当然と思われているため、逆に外国語が喋れないハーフは「ハーフなのに外国語ができない」ということで、むしろマイナス評価になる場合が多いのだという。それ以外にも、外見がハーフというだけで、初対面の人に親の国籍だの両親の馴れ初めだの、自分は親のどっちに似ているかなどのプライベートな事をあれこれ聞かれるのが定番になっている。英語ができないハーフが、レストランやファーストフード店で英語のメニューを見せられて当惑する事も日常茶飯事だそうだ。
 実際は日本生まれ、日本育ちのハーフの多くが、自分はただの日本人だと思っている。にもかかわらず、そのような特別な扱いを受けることで、日本を自分の「故郷」とは思いにくい。しかし、かといって、もう一つの母国には住んだこともないし、言葉もできなければ、友達もいない。そんな国を自分の故郷と思うことは難しい。日本生まれ、日本育ちで、日本語しかできなくでも、外国人の血が混じっているというだけで、普通の日本人として扱ってもらえない疎外感を感じているハーフは多いのだという。
 日本で「混血児」の問題が表面化したのは、戦後、GHQが日本に進駐した際に、米兵と日本人女性の間に多くの子どもが生まれた時だった。米兵の多くは妻と子どもを日本に残し帰国してしまったため、「混血児」の多くがシングルマザーで経済的にも苦しい家庭で育つことになる場合が多かった。当時、日本ではハーフという言葉もなく、「混血」という言葉は差別意識を含んだ言葉だった。
 しかし、1980年代のバブルの頃から、メディアで活躍する「格好いい」ハーフタレントが登場し始める。その頃から徐々にハーフという言葉も、現在の「美人でバイリンガル」の理想ハーフのイメージが強調されるようになっていった。それは「混血児」時代と比べるとハーフに対する差別意識の解消には寄与したかもしれないが、逆に「ハーフ=理想ハーフ」という極端なイメージを生むことにつながったのかもしれない。
 しかし、近年、日本人とアフリカ系アメリカ人で長崎生まれのハーフの宮本エリアナさんが、2015年のミス・ユニバース日本代表に選ばれたり、日本人とハイチ系アメリカ人で大阪生まれのハーフの大阪ナオミ選手が今年のUSオープンで優勝したほか、スポーツ界では陸上のケンブリッジ飛鳥やハキーム・サニー・ブラウン、バスケットの八村塁が、芸能界ではフィリピン人と日本人のハーフの秋元才加やバングラディシュと日本人のハーフのローラが活躍するなど、これまで日本人のハーフのイメージを独占していた西洋人と日本人のハーフではない新しいタイプのハーフの活躍が目立つようになり、日本人のハーフに対するイメージも変わってきている。
 結局のところハーフの生きにくさの問題は、日本人が「何が日本人なのか」と考えているかの問題に帰結すると語るヘフェリン氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が、ハーフの視点から見た日本人論を議論した。

カショギ殺害事件に投影された中東政治力学の変動と歴史の終わり

(第916回 放送日 2018年10月27日 PART1:37分 PART2:43分)

 現在の世界地図の原型が形成された第一次世界大戦の終戦からちょうど100年目に当たる今年、中東を発火点として新しい世界史が始まりそうな予感を感じさせる事態が起きている。
 直接のきっかけは、トルコを拠点に政府批判を展開していたサウジアラビア人ジャーナリストのジャマル・カショギ氏が、婚姻届を出すために訪れたイスタンブール市内のサウジアラビア総領事館内でサウジアラビア政府関係者の手で殺害されたことだった。
 確かにカショギ氏は祖父がサウジアラビア初代国王アブドルアジーズ・イブン・サウードの侍医を務めるほどの、サウジアラビアでは有数の有力者の一族ではある。しかし、カショギ氏の殺害自体が、第一次世界大戦の発端となったセルビア皇太子の暗殺に匹敵するような大きな歴史的な意味を持っているわけではない。むしろこの事件は、現在、サウジアラビアの実権を握り、女性に自動車の運転を認めたり、新しいビジネスの誘致を推進するなど改革派のイメージで売り出し中だったムハンマド・ビン・サルマン(MBS)皇太子が、自分に刃向かう者はジャーナリストであろうが何であろうが、暗殺チームを海外にまで派遣して有無も言わせずに殺害することを厭わない、前時代的な人権感覚しか持ち合わせていない粗野な人物であり、そのような人物がサウジアラビアという国家の実権を握っているという事実が満天下に晒されたことに大きな意味がある。
 実際、生産量・埋蔵量ともに世界有数の石油資源国であるサウジアラビアは、オイルマネーにものを言わせながら、世界で一定の存在感を獲得してきた。しかし、その実は収入の8割をオイルマネーに依存したまま、産業の振興も文化の発展もほとんど実現できていない二等国に過ぎない。輸入原油の4割をサウジアラビアに依存している日本では、サウジアラビアがアラブの盟主のように扱われることが多いが、トルコの情報当局が小出しにリークしてくるカショギ氏殺害の情報戦に無為無策のまま翻弄されるサウジアラビアの姿は、明らかにアラブの盟主とはほど遠いものだった。
 第一次世界大戦でオスマン帝国が滅んだ後、中東の主導権を握ったイギリスとアメリカは、最初はイラン、そしてその次はイラクと、自己都合で中東の警察官役を選び、その後ろ盾となることで、中東の石油利権を守ってきた。イランが1979年の「反米」イスラム原理主義革命で反米に転じたとみると、イラクのサダム・フセインに入れ込むことでイランを牽制し、そのフセインがクウェートに侵攻するなどしてアメリカの言うことを聞かなくなると、今度はイラクを攻めて親米政権の樹立を試みるなど、あり得ないほど身勝手な外交政策を展開し続けた。
 オバマはイスラム原理主義革命以来、関係が悪化していた中東の大国イランと和解し、イランが核開発を放棄することの引き換えに経済制裁を解除する核合意を締結した。イスラム教シーア派が圧倒的多数を占めるイランとアメリカの最接近に焦りを感じたスンニ派主導のサウジアラビアは、近年、アメリカからの武器輸入額を倍増させるなど、アメリカとの同盟関係の維持に躍起になっていた。
 一方で、今回、カショギ氏の動向はもとよりサウジアラビア領事館を完全に監視下に置き、早い段階からカショギ氏殺害の事実を掴んだ上で、情報戦でサウジを翻弄し続けたトルコは、オスマン帝国の正統な継承者に名乗りをあげたといっても過言ではないほど、高度な外交力を見せつけた。2016年のクーデター未遂に関与した容疑者をアメリカが引き渡さないことの報復として、アメリカ人牧師を拘束するなど、アメリカとの関係が悪化していたトルコにとって、この事件でサウジアラビアの信頼を失墜させると同時に、アメリカとの関係改善を図れれば、一石二鳥ということになる。
 中東に詳しい国際政治学者の高橋和夫・放送大学名誉教授は、カショギ氏の殺害がこれだけ大きく報じられた事で、サウジアラビアの他の悪行が注目され、サウジアラビアの国際社会における地位が更に低下する可能性があると指摘する。他の悪行にはイエメンへの軍事介入や国内の人権弾圧などが含まれる。
 高橋氏は、長期的にはサウジアラビアが現在のような王政を維持できなくなる可能性が高いと指摘する。サウジアラビアの王政が倒れれば、それを後ろ盾としているバーレーンやアラブ首長国連邦など周辺の王国も崩壊するのは必至だ。
 ところが、第一次大戦から100年が経ち、戦勝国のイギリスやアメリカがご都合主義的に支えてきた中東の王政が終わりに近づいた今、もう一方の西側諸国では、民主主義が崩壊の縁にある。ロシアは形式的には民主的な選挙を実施しているが、政権に逆らうビジネスマンやジャーナリストは当たり前のように殺害されたり失脚させられている。中国は未だに共産党の一党独裁だ。そして、肝心のアメリカでは、トランプ大統領が民主主義を否定するような発言や行動を繰り返している。
 カショギ氏の殺害を機に露わになった中東の政治力学の変化と、100年前と比べた時、明らかに民主主義が衰退している世界の現状と今後について、高橋氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

平成の大合併で低下した防災力を取り戻せ

(第917回 放送日 2018年11月3日 PART1:42分 PART2:42分)
ゲスト:幸田雅治氏(神奈川大学法学部教授)

 何のための「大合併」だったのかを、今一度確認する必要がありそうだ。
 東日本大震災、西日本豪雨などの被災地では、平成の大合併によって併合された地域の防災能力の低下が、災害対応や復旧・復興の遅れの原因になっていることが指摘されている。
 平成の大合併は、主に国の財政負担を減らすことを目的に中央主導・政治主導で推し進められた。総務省が財政力の弱い市町村を半ば強引に合併させたことで、それまで3,232あった市町村数が、2010年3月末の時点で約半分の1,727に減った。しかし財政負担の軽減ありきで推し進められた合併は、地域的な一体感のない自治体を無理矢理くっつけることになり、結果的に住民サービスの低下をもたらすなどの弊害がかねてより指摘されてきた。その弊害が顕著に現われたのが災害への対応だったと、総務省の元官僚でもある神奈川大学法学部教授の幸田雅治氏は語る。
 東日本大震災で大きな被害を受けた石巻市は、「大合併」で旧石巻市と周辺の6つの町が合併していたが、河川や地形などによって地理的に分断された地域同士の合併で、産業構造が異なる地域を一つの自治体として括ることには、元々無理があった。そのため、震災時には、新たに併合された地域に十分な情報が伝達されなかったり、復旧段階でも生活支援が遅れるなどの問題が出ていた。大きな市に併合される形となった周辺の市町村では、何をするにも遠くなった本庁におうかがいをたてなくてはならず、時間的なロスも多く発生した。幸田氏は、特に復旧・復興段階で、地域の自己決定力の喪失が大きな問題だったと指摘する。
 「財政負担を軽減する目的での合併はうまくいくはずがなかった」、と幸田氏は語るが、いつ襲ってくるかわからない災害への対応は待ったなしだ。今後の災害に備えて市町村合併の弊害をどう克服したらよいのだろうか。
 幸田氏は、総合支所や分庁舎に地域をよく知る職員を置き、災害時を含めてある程度地域に権限を委譲するなどの方策を考える必要があるだろう。そして何より、住民の意見を聞き、協働してゆく仕組みを作ることが重要だという。
 自治体合併の影響は防災だけにとどまらず、教育、福祉、医療など他のサービスにも及んでいる。財政負担の削減は重要だが、住民にとっては死活問題となる基本的な公共サービスが低下してしまっては、何のための大合併だったのかと言わざるを得ない。
 基礎自治体の規模はどのくらいが望ましいのか。日本の地方自治はどうあるべきか。「平成の大合併」は住民不在の理念なき合併だったと指摘する幸田雅治氏に、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が聞いた。

トランプ現象は着実に進行していた

(第918回 放送日 2018年11月10 PART1:1時間10分 PART2:1時間8分)
ゲスト:吉見俊哉氏(東京大学大学院情報学環教授)

 トランプ現象。昨今の社会情勢と民主制度の下では、差別発言などの暴論や嘘や中傷の限りを尽くしても、絶え間なくメディアに対して話題性を提供しつつ自らの正統性を声高に主張しポピュリズムに徹すれば、政治的には過半数を押さえることができる。
 期せずしてこの中間選挙では、トランプ現象が決して一過性のものではないことが証明された。
 中間選挙では結果的には上院で共和党が議席を伸ばしたものの、下院では民主党が過半数を奪還し、知事選挙でも民主党の躍進が目立ったことなどから、2年前にホワイトハウスと上下両院を共和党に奪われて完全に力を失っていた民主党が、一連のトランプ攻勢にようやく一矢を報いた形にはなっている。
 確かに選挙結果だけを見ると、僅かながら民主党が党勢を拡大しているし、女性や少数民族、性的マイノリティ候補の当選などもあり、アメリカの政治の潮流に変化の兆候が出てきたようにも見える。
 しかし、元々中間選挙は2年前の大統領選挙で躍進した与党側が大きく負けるのが、100年来のアメリカの伝統だ。過去50年の選挙結果を見ても、中間選挙で与党が議席を大きく失わなかったのは2001年の9・11直後のブッシュ政権下での2002年の中間選挙くらいのもので、クリントンやオバマにいたっては最初の中間選挙で50以上も下院の議席を失い、いずれも過半数割れに追い込まれている。
 本稿執筆の時点ではまだ下院の全議席が確定していないが、最終的な共和党から民主党への議席の移動は30議席前後にとどまるものとみられ、上院では共和党が過半数を維持したばかりか、むしろ議席を上積みする結果となった。今回の中間選挙は、とても「痛み分け」などと呼べるものではない、トランプとその支持者にとっては、上々の結果だったと受け止めるべきだろう。
 実際、選挙の大勢が判明した6日未明には、トランプ自身がツイッターで「今夜は大成功だった」と、事実上の勝利宣言をしている。その段階で既に下院の過半数割れが明らかになっていたにもかかわらずだ。
 この2年間、トランプ政権はまさにやりたい放題やってきた。自分は公約を果たしているだけだとトランプは言うが、そもそも2016年の大統領選挙では、まさかトランプが当選すると本気では考えていない人が多かったので、2年前にトランプに投票した有権者が「メキシコ国境沿いの壁」や「NAFTAからの離脱」や「移民排斥」などといった、かなり法外な選挙公約のすべてを真に受けているかどうかは、定かではないところが多分にあった。しかし、実際にトランプはその公約の多くを実行に移した。
 そうして迎えた今回の中間選挙は、2年前の選挙が単なるフロックだったかどうかの試金石という意味で、とても重要な意味を持っていた。
 そして、選挙結果は、トランプ支持は実際に根強いものがあり、2年後のトランプ再選の可能性にも十分な現実味があることを示していた。
 昨年9月からアメリカのハーバード大学に客員教授として赴任し、10ヶ月間、実際にトランプのアメリカで暮らしてきた吉見教授は、アメリカでは民主党支持者と共和党支持者の分断が猛スピードで進んでいて、両者の間ではむしろ議論さえ成り立たなくなっていることや、とはいえトランプ支持者も反トランプの人たちも、常にトランプの動きからは目が離せなくなっている状態を目の当たりにして、非常に驚いたという。実際、熱烈にトランプを支持するフォックス・ニュースも、反トランプの急先鋒として知られるCNNやニューヨーク・タイムズも、トランプのおかげで売り上げを伸ばしており、実際はどちらもトランプの手の上で踊らされている感が少なからずある。
 吉見氏はトランプ政治の最大の特徴は「分断」にあるという。アメリカを分断することで、国中をトランプの敵と味方にくっきりと分け、味方となった3~4割の支持層を徹底的に固めていく。そうすれば、元々投票率の低いアメリカでは、仮に4割を割る支持率しかなくても、支持の濃さによっては、大統領選挙に勝利することが十分可能になっているのだ。反トランプ運動の盛り上がりさえもが、「トランプ現象」という政治現象の一部になっていると言っても過言ではないだろう。
 実はトランプ政権はトランプという特異なキャラを持った大統領が、暴論と思いつきだけで動いているデタラメな政権運営をしてきたようにも見えるが、一方で、暴論やスキャンダルを通じたメディア露出で常にアメリカ国民の目をトランプに釘付けにした上で、あえてアメリカ社会を分断する政策や発言を繰り返すことで、その支持基盤を確実に固めてきた。
 その成果が今回の中間選挙の結果にも、如実に顕れている。これはアメリカに限ったことではないが、どうやら現行の民主政治やメディア制度の下では、われわれはトランプ現象という政治現象や政治手法に真っ向から抗うことは難しいようだ。
 それでは、このまま社会の分断は進み、われわれは暴論と中傷と嘘に満ちた社会への道をひた走るしかないのか。
 吉見氏は希望もあると説く。今回、吉見氏が見たアメリカでは、メディアを通じて日々トランプやその支持者たちによる嘘や暴論や中傷を見せつけられる現在の状況に、もうこれ以上耐えられないと感じている人が増えているという。
 実際、トランプの戦略は同時に、分断の材料にされた女性やマイノリティ・グループの強い危機感を呼び起こし、結果的に記録的な数の女性議員やヒスパニックなど少数派の議員が誕生した。この2年間、トランプが自身の支持基盤を固める一方で、トランプ的な政治や社会を拒絶し、新たな社会像を作り上げようとする人たちの陣営も活気づいていることは確かだ。
 アメリカから帰国した吉見氏と、アメリカで今、トランプ現象がどこまで進行しているのか、それに抗うためにはどのような選択肢が残されているのかなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

これが国会をつまらなくしているカラクリだ

(第919回 放送日 2018年11月17日 PART1:1時間2分 PART2:58分)
ゲスト:田中信一郎氏(千葉商科大学特別客員准教授)

 何だか騙された気分だ。
 このところ国会では、片山さつき地方創生担当相だの桜田義孝五輪相だのが、やり玉に挙げられている。
 また、外国人労働者を大量に増やすことを目的とした入国管理法の改正案をめぐっても、杜撰な法案の中身や元となるデータの不備などが表面化し、久しぶりに国会が紛糾している。
 国会が賑やかなのはいいことだが、やっぱり何か物足りない。
 結局、日本の国会では与党政治家のスキャンダルや不規則発言などが、一番盛り上がる。また、法案関連では、法案の元になるデータの不備や法案自体に矛盾や問題があれば、一時的に野党が攻勢を強める時もあるが、結局最後は与党が数で押し切れば、大抵の法案は通ってしまう。優先順位の低い法案が継続審議になることはあっても、与党が閣法として提出した法案が廃案になることは滅多にない。
 これが議会制民主主義というものなのか。
 われわれは学校で、日本は国民が直接大統領を選ぶアメリカと異なり、国民は国会議員を選び、その国会が内閣総理大臣を指名する「議院内閣制」の国なので、第一義的には内閣は国会が監視することになっていると習ったはずだが、少数派の野党が与党に絡みつくことはあっても、「国会が内閣を監視する」ところは、おおよそ見た記憶がない。
 議院内閣制の基本中の基本ともいうべき、国会による内閣の監視が日本で機能していないのは、機能しないようにする仕組みが意図的に作られているからだと、政治学者の田中信一郎氏は指摘する。
 そもそも国会の最大の機能は立法、つまり法律の制定だが、日本で可決する法律の大半を占める閣法(内閣が提出する法案)は基本的に与党の事前審査を通ったものに限られる。与党は国会の外に置かれた党の部会や政務調査会などで法案を十分に「審議」し、最終的には与党の総意として合意された法案が閣法として国会に提出されている。その段階で、法案の実質的な審議は終わっており、あとはのらりくらりとした答弁を繰り返しながら野党の追及をかわし、一定の審議時間をかければ、その法案は難なく与党の賛成多数で可決することになる。野党は国会審議の限られた時間内で法案の問題点を追求し、しかもその問題点を有権者に理解してもらわなければならないので、いきおい有権者が理解しやすくメディア受けしやすい論点ばかりが前面に出てくる傾向がある。当然、議論の実質は法案の本質的な問題よりも、表層的な部分に焦点が当たることが多くなる。
 法案が国会に提出される前段階で、部会や政調会やその他の水面下で交わされる熱い議論は、どれも基本的に非公開で、国民も野党も蚊帳の外だ。その議論が国会の公開の場で行われれば、この法律にはどういう利害衝突があり、どういう論点があるのかが国民に明らかになるところが、もっとも重要な議論は密室や水面下で行われてしまう。最終段階で法案が国会に上がってきた後、限られた時間の中で野党がどれほど得点を稼げるかというゲームになっているわけだ。
 国会の多数派を握る与党にとっては、長い法案策定プロセスの中の最終段階となる国会はいわばセレモニーのようなものなので、野党の追及をのらりくらりとかわし、何十時間の審議をしましたというアリバイさえ作れれば、後は数の論理でどんな法律でも成立することができてしまうのだ。
 あまりにもできの悪い法案や、これまでの政策路線を大きく転換する法案などを無理矢理通そうとすれば、有権者の怒りを買うリスクはあるが、それとて与党側が「ここは一旦引いておいた方がよさそうだ」と判断して初めて継続審議や廃案になるのであって、あくまで与党次第であることに変わりはない。少数派の野党ができることは、実は非常に限られている。最終手段として審議拒否というものがあるが、審議拒否も長引けば「国会が仕事をしていない」として、野党に対する風当たりが強くなるため、いつまでも拒否ばかりしていられるわけではない。また、野党が審議拒否をしようが何をしようが、最後は国会の過半数を持つ与党はどんな法案でも単独で通すことが可能なのだ。
 結局、党内で法案を事前審査した上で、党の総意として内閣から法案を提出し、採決では党議拘束をかけて数の論理で法案を通すというプロセスがまかり通る政治文化がある限り、どんなに真面目に審議をやっているように見えても、結局のところ国会はセレモニーの場でしかないことになってしまう。つまり、われわれは最初からほぼほぼ勝敗が決まっている試合を見せられていることになる。
 要するに、現在の日本のように与党と内閣が完全に一致してしまえば、議院内閣制はまともに機能しない。与党も一度は内閣総理大臣を選んでも、その内閣が国民との約束を果たしているかどうかを常に監視し、もし果たしていないと判断すれば、直ちに内閣総理大臣を交代させ、新しい内閣を作るのが、国会の、とりわけ国会の多数派の重要な機能であり責任のはずなのだが、現実がそうなっていないことは誰の目にも明らかだ。
 しかも、そもそも内閣は「国民の多数派」の支持を受けた国会議員が選ぶことになっているが、実際は選挙制度上の問題や野党陣営が分裂していることなどから、「多数派」の支持を受けていない自民党が国会の6割以上の議席を独占し、内閣総理大臣を選んでいる。自民党の絶対得票率は有権者の約2割強、投票率を勘案した相対投票率でも5割を割っている。
 今さらこれを言ってどうなるものでもないが、どこの政党を支持しているにしても、政治権力を独占している自民党に投票しなかった有権者が7割強、実際に投票した人の間でも半分以上は自民党に投票していないにもかかわらず、その自民党が法律の制定過程も、行政の政策立案過程も独占している状態は、当然、有権者にとっては不満の材料となる。要するにそんな国会は、そんな政治が面白くないのは当然なのだ。
 他にも多様な人材の立候補を妨げている、世界一高額な供託金制度や、人海戦術を前提とする大組織に圧倒的に有利な選挙制度、選挙が近づくと突然選挙関連の報道が規制される公職選挙法の報道規制など、政治が出来レースだと感じてしまう材料が、日本ほど豊富に揃っている国は、恐らく先進国の中には他にないだろう。
 昨今、自民党は何やら独自の国会改革案なるものを用意しているらしいが、現在のような制度の中から出てきたいかなる改革案も、誰もまともに受け止めないのは当然のことだ。まずは、誰が見てもおかしい点から改革すべきではないか。
 民意が大きくデフォルメされてしまう現在の国会や選挙の制度の下では、まともに民主主義は機能しないし、国民が政治に関心を持ちにくい理由もそこにあると語る田中氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

平和条約をめぐる日ロ両国の思惑と日本として譲れない一線

(第920回 放送日 2018年11月24 PART1:56分 PART2:54分)
ゲスト:小泉悠氏(軍事アナリスト)

 日露両国が平和条約締結に向けて、北方領土問題の決着に手を着け始めたようだ。
 安倍首相はプーチン大統領が提案してきた「1956年の日ソ共同宣言を基礎とする」ことに同意しているようなので、北方領土問題に関して日本はこれまで貫いてきた4島一括返還路線を放棄し、2島返還、もしくは2島+アルファに舵を切ったとみられる。
 さまざまな歴史的経緯があるとはいえ、日露は隣国だ。その隣国同士が、北の果ての島の領有権をめぐり70年以上も対立を続け、法律上は戦争状態さえ終結できていないというのは異常なことだ。いい加減、ここいらで決着をつけるべきだと感じている人は少なくないだろう。
 しかし、2島返還は日本にとってはこれまでの主張からの大きな譲歩になる。また、ロシアにとっては実効支配を続け、それなりに投資も行ってきた領土を日本に明け渡す以上、何らかの皮算用があるはずだ。
 軍事アナリストでロシアの政治・軍事情報に詳しい小泉悠氏は、領土問題を解決し、日本との平和条約締結を実現することのロシアにとっての最大のメリットは、それがアメリカに対する牽制になることだと分析する。
 トランプ大統領が「おれはプーチンという男が好きだ」などと語るなど、首脳間では仲がよいかのような印象を受けるアメリカとロシアの両国だが、実際は現在の米ロ関係は最悪の状態にあると小泉氏は言う。特にヨーロッパ側では、拡大したNATOとロシアの国境には双方ともに軍備を集結させており、その様は冷戦期を彷彿とさせるほどだ。
 そのロシアにとって、アメリカ陣営の最も弱いリンクが日本なのだと小泉氏は言う。クリミア半島への侵攻に対する国際的な制裁についても、米欧諸国が厳しい制裁を科しているのに対し、日本の対露制裁は遙かに弱いものにとどまっている。また、あまり一般には知られていないことだが、実は日本とロシアの軍事交流も盛んに行われている。日本がアジアにおけるアメリカの最大の同盟国であり大規模な米軍が駐留している割には、安倍首相とプーチン大統領との首脳関係も良好だ。
 ロシアと日本が領土問題を解決し平和条約を結ぶなどして、2国間関係がより緊密化すれば、ロシアにとってそれはアメリカの支配網に楔を打ち込む意味を持つとロシア側が考えている可能性が高いと、小泉氏はいう。
 また、ロシアは日本との関係をより緊密にすることで、中国を牽制する効果も期待していると小泉氏はいう。ロシアは依然として強い大国意識を持っており、中国がロシアを差し置いて世界の超大国になっていくことに、少なからず不快感を覚えている。米中の覇権争いが激化する中、両国の間でバランスに腐心することが必至な日本との関係を改善しておけば、東アジアにおけるロシアの存在感は自ずと大きくなる。
 しかし、その一方で、日本と平和条約を結ぶことが、直ちにロシアに何らかの大きなメリットをもたらすわけではないことは、ロシア側も十二分に理解しているはずだと小泉氏は指摘する。経済協力や投資についても、日露間に平和条約がないことがその足枷になっているとは思えないところがある。実際、平和条約がなくても、日本の企業はロシアに投資することは自由だ。それがあまり広がらない理由は、ロシアに投資してもあまり儲かりそうもないからであり、平和条約の存在がその状況を大きく変えるとは思えないと小泉氏は言う。
 そもそもロシアはソ連崩壊後の一時期は、経済的に苦境に陥ったが、その後、石油の輸出などで経済は息を吹き返し、少なくともかつてほど日本の経済力に依存する必要性はなくなっている。
 しかも、日本がこれまで「4島は日本固有の領土」で国内世論をまとめてきたのと同様に、ロシアはロシアで、4島ともロシアが正当に獲得した領土との立場を取り、実際に北方領土には多くのロシア人が入植している。たとえ面積で4島全体の7%に過ぎない色丹島と歯舞群島の2島だけとは言え、ロシアの領土を日本に返すことはロシア国内でも決してポピュラーではないと小泉氏は言う。実は2島返還の「引き分け」は、プーチン大統領にとっても一定のリスクがあることなのだ。
 だとすると、そこは要注意だ。プーチン大統領が突如として「無条件で平和条約交渉を進めよう」と言ってきている背後には、何か別の計算なり、皮算用がある可能性が高いからだ。
 一方の安倍首相は、最後の任期を迎え、このロシアとの平和条約締結に、かなり前のめりな印象を受ける。実際、右派からの支持の強い安倍政権でなければ、2島返還で妥結することは難しいのも事実だろう。しかし、ロシア側の事情を見る限り、たとえ2島とはいえ、何の条件もなくすんなり返してもくれるとは到底思えないところがある。
 平和条約攻勢に出たプーチンは何を取ろうとしているのか。ロシアが何か条件を出してきた時、日本にとって譲れない一線とはどこなのか。ロシア情勢に詳しく、9月19日から23日に掛けて内閣府が主催した北方領土ビザなし訪問団の一員として国後島と択捉島を訪問してきた小泉氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

vol.90(901~910回収録)

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水道民営化法案とかやってる場合ですか

(第901回 放送日 2018年7月14日 PART1:53分 PART2:53分)
ゲスト:橋本淳司氏(水ジャーナリスト)

 200人を超える人命を奪った西日本豪雨では、27万戸を超える世帯が断水に見舞われた。1週間が経った今も、20万を超える世帯で水道が復旧しておらず、復旧・復興の足を引っ張っている。
 今回は未曾有の大雨のため、取水施設や浄水場が水没したことによる断水もところどころで起きているが、とは言え断水の最大の原因は水道管の破断によるものだ。久しく言われていることだが、1960年~70年代の高度経済成長期に一気に日本中で敷設された水道管の多くが今、耐用年数を過ぎ老朽化している。実際、災害時でなくても、古くなった水道管の破断に起因する断水や事故が毎年約2万5000件も起きているという。
 老朽化した水道管は脆く、地震などの災害に対しても脆弱だ。大雨の場合も、土砂崩れや河川の氾濫によって道路が寸断される際に水道管が破断すると、そこから水が漏れ続けてしまうため、その系統上にある水道を全て止めざるを得なくなってしまう。これが断水の主たる原因になっている。
 しかし、日本はこれまで水道事業は基本的に自治体が運営する公営事業であり、国際的に見ても水道料金が割安に抑えられてきたため、老朽化した水道管を更新するための予算が積み立てられていない。無論、地方自治体も地方交付税に依存している中、水道管の交換に自治体予算を回す余裕はない。
 そこで政府が考えたのが、水道事業を民営化することだった。民営化の是非については、賛否両論があるだろうし、そのメリット、ディメリットがきちんと精査される必要があるだろう。しかし、実は水道民営化を推進する前提となる水道法の改正案が、実は今国会で既に先週衆院で可決し、終盤を迎えた国会で一気に成立してしまうところまで来ているのだ。
 水は人間が生きるための基本財中の基本財だ。その水を供給する水道事業者には、災害や有事の際も水を提供する責任が伴う。水道事業を丸ごと民営化してしまうと、事業者には重い公共責任が伴うため、民間企業にとってはリスクが大きすぎる。
 そこで今回政府が推進している「民営化」は、施設の所有権は現在のまま自治体に残しつつ、水道事業の運営権を民間企業に譲渡する「コンセッション方式」と呼ばれるものだ。
 こうすることで、運営権を買い取った事業者は、経営を効率化し、より広域で水道事業が営むことも可能になるため、サービスの向上や雇用の創出などが期待できるというのが、コンセッション方式のメリットとして強調されている。
 しかし、水問題に詳しい橋本淳司氏はコンセッション方式であろうが、他の形態であろうが、民営化では水道事業の公共性を守ることはできないと指摘する。
 実は水道事業の民営化は欧米ではかなり以前から実施されている。しかし、実際はパリ、ベルリン、アトランタ、インディアナポリス、ブエノスアイレス、ヨハネスブルグなど多くの都市で、一度は民営化した水道事業を公営に戻している。そして、その主な理由は、民営化された都市のほとんどで水道料金が大幅に値上げされたことと、民間事業者を監督することの困難さだという。
 電気などと異なり水道事業は地域独占となるため、値上げをされても住民はそれを拒否することができない。当然、値上げが正当化できるかどうかの外部監査・監督が必要になるが、運営権を取得した企業はあくまで民間事業者なので、情報公開にも限界がある。
 パリ市の元副市長で再公営化当時の水道局長だったアン・ヌ・ストラ氏によると、パリ市は25年間の民営化の後に水道事業を再び公営に戻したところ、事業者が公表してたものよりも遙かに大きな利ざやを稼いでいたことが明らかになったという。民営化されている間にパリの水道料金は2倍近くに引き上げられていたそうだ。
 水道事業は自治体が運営する公営事業のままでは、料金の引き上げに議会の承認などが必要となるため、値上げは容易ではない。しかし、民営化されれば、仮に契約時に一定の縛りをかけたとしても、基本的に民間企業の裁量となるため、料金の引き上げがやりやすくなる。しかも、住民は他に選択肢がないため、泣く泣く値上げを受け入れざるを得ない。
 橋本氏は、コンセッション方式では、企業は利益が上げやすい大都市圏の大規模な水道事業にしか関心を示さないだろうから、利益が出にくい小さな自治体が切り捨てになる怖れがあると指摘する。実際、災害に見舞われる地域の多くは、地方の人口が少ない自治体の場合が多い。
 とは言え、日本の水道インフラの老朽化が待ったなしの状態にあることも間違いない。今国会で政府が通そうとしている法案を通じて政府が主導しようとしている民営化には問題が多いとしても、水道事業をこのまま放置しておくこともできない。厚労省によると、現在日本には耐用年数の40年を超えた水道管の割合は14.8%(2016年度末時点)にも及ぶが、現在そのうち毎年0.75%ずつしか更新されていないそうだ。このペースでは全て更新するのに130年以上かかる計算になり、現実的ではない。
 蛇口を捻れば美味しくて清潔な水がいつでも飲める国というのは、実はそれほど多くはない。日本はこれまで非常に水に恵まれた国だった。しかし、長年にわたり水道施設の更新を怠ってきたことで、日本の水道事業は大きな曲がり角に差し掛かっている。
 今ここで周回遅れの民営化という安直な責任逃れを許すのか、水という国民の安全保障にも関わる重大な問題を真剣に議論し、いかにして水道事業を維持していくかについて国民的なコンセンサスを得るための努力を始めるのか。水道民営化法案の問題点と、先行事例としての海外の民営化事情などについて、橋本氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

それでも私が内閣総理大臣を目指す理由

(第902回 放送日 2018年7月21日 PART1:34分 PART2:45分)
ゲスト:石破茂氏(衆議院議員)

 通常国会が閉幕し、9月の自民党総裁選に向けた政局が本格化する。
 自民党の総裁選は事実上、日本の首相を選ぶ選挙となることから、一政党の代表者を選ぶ以上の大きな意味を持つことは言うまでもない。
 今のところ安倍首相の優位が伝えられているが、2年前に閣外に転じて以来、総裁を目指して着々と準備を進めてきた石破茂衆院議員の周辺も俄然、慌ただしくなってきた。
 マル激は7月18日、そんな石破氏を国会の事務所に訪ねた。
 石破氏は正式な出馬表明は今国会が閉幕してからとしながらも、ここに来て総裁選出馬を前提とした動きを活発に見せている。
 9月20日に投開票される今年の自民党総裁選挙は、党員票と国会議員票が同数となることから、2012年の総裁選で党員から圧倒的な支持を集めながら、国会議員票で安倍氏に敗れた石破氏が、台風の目となる可能性は十分にある。
 石破氏に勝算を尋ねると、「勝負はやってみなければわからない」と、満更でもないといった表情を見せる。
 しかし、仮に石破氏が総裁選で安倍首相に勝利したとしても、所詮は自民党政権であることに変わりはない。石破政権は安倍政権とどこがどう違うのか。
 この質問に対して石破氏は、経済政策、外交政策、社会政策などすべての分野で、独自色を出す強い意向を表明した。
 経済政策では株高や企業収益の改善を実現したという意味でアベノミクスの成果には一定の評価を与えながらも、「今さえよければいい」という考えを排し、持続的に日本が経済的に繁栄していくためには、痛みを伴う改革も必要になるとの考えを示した。金融緩和と公共事業一辺倒のアベノミクスでは、持続的な成長は期待できないと石破氏は判断しているようだ。また、石破氏はアベノミクスの下で更に広がったとされる経済格差を是正する必要性も訴える。
 外交面では日米同盟が日本外交の基軸であることに変わりはないとしつつも、「このままアメリカ一辺倒でいいのか」と、安倍政権による極端なトランプ政権へのすり寄りに懸念を隠さない。むしろ、日中関係や日韓関係を改善することが、より健全な日米関係の構築に寄与するというのが、石破氏の考え方だ。
 社会政策については、人口減少と少子高齢化の中で、世界に冠たる日本の社会保障を維持していくためには、日本人一人ひとりが「稼ぐ力」を上げていかなければならないとして、そのためには格差を是正するとともに、地方の潜在的な力を伸ばしていく施策が必要になると語る。
 石破氏は地方創生相を務めて以来、日本各地を回る中で、経済が上手く回っている自治体と、そうでない自治体の差が開いていることを痛感したそうだ。ところが、上手く回っている自治体の情報が、必ずしも他の自治体と広く共有されていない点も改善が必要だと石破氏は言う。
 また、憲法改正については、安倍政権が提唱する9条の条文を現状のまま維持した上で、自衛隊の存在だけを加筆するという案に対しては、否定的な立場を取る。日本が憲法9条で放棄している交戦権や自衛権の存在を認めた上で、安全保障基本法のような形でしっかりと歯止めをかけていくべきだというのが、憲法改正に対する石破氏のかねてからの持論だ。
 いずれにしても、少子高齢化が加速することで、日本は財政的にもますます厳しくなっていくことが避けられない状況にある。そうした中で、国民から不人気になりかねない「痛みの伴う政策」を実行する茨の道をあえて選ぶ理由を問われた石破氏は、自身のクリスチャンとしての信念にも触れた。
 「人間の知恵とか力を超えたことがこの世界にあるということを疑ったことは一度もない。そういう人間のいろんな思いを超えた存在がどう決めるか。そして、人間にできる限りのことをしたうえで、そういう計画に従うっていうことだと思う」と石破氏は語った。
 総裁選出馬を事実上表明した石破氏に、石破政権の目指すところを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

だから新聞は生き残れない

(第903回 放送日2018年7月28日 PART1:47分 PART2:45分)
ゲスト:畑尾一知氏(元朝日新聞社販売管理部長)

 新聞やテレビなどの既存のメディアの不振が伝えられるようになって久しい。しかし、ここに来て、いよいよ新聞がやばそうだ。
 朝日新聞で長年販売を担当してきた畑尾一知元販売管理部長は、この10年間で新聞の読者が25%も減っていることを指摘した上で、今後10年間で更に30%も減るとの見通しを示す。このままでは全国紙を含め、既存の新聞の中には経営が立ち行かなくなるところが早晩出てくることが必至な状況となっている。
 新聞が苦境に陥っている理由として、畑尾氏は特に若者の新聞離れが顕著になってきていることを指摘する。
 実際、NHKの調査では新聞を読んでいる人の割合が10代で3.5%、20代でも5.5%まで落ち込んでいる。若者の間ではもはや20人に1人も新聞を読んでいないのだ。全体でもこの20年で新聞を読む人の数は52%から33%まで低下しており、半数以上の人が新聞を読んでいると答えた世代は60代と70代だけだ。早い話が、今でも熱心に新聞を読んでいる人は社会の中でも少数派、いやむしろ珍しい存在になりつつあると言っても過言ではないだろう。
 なぜ新聞がこうも読まれなくなったのかについて畑尾氏は、値段の高さ、記事の劣化、新聞社に対する反感の3つを主な原因としてあげる。
 朝日新聞を例に取ると、1970年代に700円台だった月極の購読料はその後、高騰を続け、1980年代には2000円台、1990年代には3000円台まで値上げされている。これは紙代の上昇などをそのまま反映したものだそうだが、その間、新聞社は人件費やその他のコストを削るなどの経営努力をほとんど何もしてこなかったと畑尾氏は言う。
 それでも新聞が情報発信を独占できている間は、やむなく新聞を取っている人が多かったが、インターネットが登場し、新聞に頼らないでも必要最低限の情報が入手できるようになると、毎月4000円近くもする新聞の購読料の割高感が際だつようになってしまった。
 畑尾氏はそれでも、紙の新聞には一定のニーズがあるとの見方を示す。新聞社が社員を半分に削り、紙面も半分以下にしてスリム化を図れば、新聞社は生き残ることが可能かもしれない。しかし、既存の新聞社には、それはできないだろうと畑尾氏は言う。要するに、破綻しているのは新聞社のビジネスモデルではなく、新聞社の経営体質の方なのだ。
 朝日新聞の平均給与は1200万円にのぼるという。再販制度に守られ、記者クラブなどの情報利権を独占しながら、高給を食む若い記者たちが臆面もなく取材現場にハイヤーで乗り付けるような新聞社の体質が根本から変わらない限り、既存の新聞社に未来はないことは明らかだ。
 実際、新聞を読む人の数はものすごい勢いで減っているにもかかわらず、日本新聞協会が毎年発表する新聞の発行部数は、そこまでは落ち込んでいない。そのギャップはいわゆる「押し紙」として、販売店に押しつけられているのが実情だと畑尾氏は語る。
 新聞社から出資先の地方の放送局などへの天下りも、常態化している。一体、いつまで新聞社はこのようなことを続けるつもりなのだろうか。
 ただ、新聞社に忘れて欲しくないことは、これまで新聞社の中にプールされてきた職業としてのジャーナリズムのノウハウは、再販など数々の特権を容認することで市民社会が新聞社の経営を支えたことによって確立され維持されてきた、いわば公共的財産だ。堕落した経営体質故に新聞社が消えてなくなるのは自業自得としか言いようがないが、公共財産としてのジャーナリズムまで道連れにされては困る。
 朝日新聞の販売管理部長を務めた畑尾氏、新聞社経営の現状とその体質、生き残りの可能性などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

米中貿易戦争と「Q Anon」とトランプ政権の行方

(第904回 放送日 2018年8月4日 PART1:58分 PART2:50分)
ゲスト:吉崎達彦氏(双日総合研究所チーフエコノミスト)

 トランプ政権周辺がここに来ていよいよ喧しい。
 就任以来30%台に低迷していた政権の支持率は、6月の歴史的な米朝首脳会談で一時回復基調に転じたが、その後7月に入って米ロ首脳会談後の記者会見で、2016年の大統領選挙への介入容疑で捜査が続くロシアのサイバー工作について、トランプがプーチンの言い分を全面的に受け入れるシーンが世界中に流れてしまった。さすがにこれには身内の共和党からも厳しい批判があがり、トランプ政権の支持率が再び低迷する原因となっている。
 また、トランプが独断で始めた中国に対する関税の引き上げも、中国との間で関税の報復合戦に発展してしまった。世界の2大経済大国間の関税報復合戦の世界経済への影響については、アメリカ国内はおろか世界が懸念を持ち始めている。
 政権発足から1年半でトランプ政権の主要閣僚が次々と入れ替わった結果、今やトランプ政権は基本的にイエスマンで固められた専政状態にある。その結果、世界はトランプリスク全開の状態に陥っていると言っていいだろう。
 しかも、ここにきてトランプの謎の行動が一部で問題視され始めている。それは今年に入ってからトランプの支持者集会などで目立ち始めていたアルファベットの「Q」の文字が書かれたプラカードを持った人々とトランプの関係だ。「Q」はネット上でじわじわと拡がってきた陰謀論を信じる人々の集まりで、正式には「Q Anon」(キュー・アノン)と呼ばれているグループのことだ。Q AnonのAnonは匿名を意味するAnonymousを省略したものだそうだが、基本的にかなり過激な陰謀論を展開しながら、SNS上で自然発生的に拡がってきた運動体のようだ。
 ところが、なんとトランプ大統領が講演などでこの団体に、秘密のシグナルを送っているようなのだ。
 7月31日のフロリダ州タンパの支持者集会でも、トランプは前後の脈略と関係なくスピーチの合間に突如として「17」という数字をたびたび口にしている。これは「Q」がアルファベットの17番目の文字ということで、Q Anon支持者の間では17が聖なる数字とされていることを受けたものと見られている。
 スピーチの中でトランプは「私は生涯でワシントンに多分17回くらい来たことがある。そう17回だ」などと、前後の文脈と全く無関係に17という数字を繰り返し口にしている。翌日のホワイトハウスの記者会見でその点を問われたサンダース報道官は「大統領はいかなる暴力にも反対しています」などと意味不明の回答を繰り返すなど、どうみても普通ではないやりとりが続いている。
 要するに17を連呼することでトランプはQ Anonに対して、「あなたたちの主張はちゃんと理解していますよ」というサインを送っているというのだ。
 トランプが何をやっても今さら誰も驚かないかもしれないが、Q Anonにしても関税の報復合戦にしても、ロシアへの全面的な歩み寄り(アメリカでは「ひざまづき」とか「ロシアの軍門に降る屈辱」などと表現されている)にしても、政策としては何の正統性もないものばかりだ。対中関税はトランプ支持者が多く選挙のカギを握るラストベルトの白人層を意識した、多分にPR的な色彩の濃い政策だし、Q Anonは元々トランプ支持層に多い陰謀論者の中でも、もっともコアなグループと目されている。何のことはない、一連のトランプの行動は、3ヶ月後の中間選挙や2年後には大統領選挙を意識した選挙運動に世界中を巻き込んでいるだけのことなのだ。
 このままトランプの暴走が続くと、アメリカは、そして世界はどうなるのか。特に中国との貿易戦争が続いた場合、世界経済にどのような影響を与えるのか。希代のアメリカ・ウォッチャーでエコノミストの吉崎氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

安倍政権がもう3年続くと日本はどうなるか

(第905回 放送日 2018年8月11日 PART1:54分 PART2:52分)
ゲスト:金子勝氏(立教大学大学院特任教授)

 事実上の首相選びとなる9月の自民党総裁選は、党内反主流派の立場から安倍政権を批判してきた石破茂氏が8月10日に出馬表明をしたものの、自民党の党内力学で既に勝敗は決したかのような観測が大勢を占めている。
 確かに、首相、あるいは自民党の総裁が持つ人事権やその他の権限は絶大だ。そんな絶対権力者に下手に挑んで負けようものなら、その後の人事で冷遇されるばかりか、この先、どのような災いが身の上に降ってくるかもわからない。政治家でなくとも、長いものに巻かれたくなる誘惑はわからなくはない。
 しかし、仮に党内力学や永田町の政治力学がそういうものだったとしても、市場や国際社会はそんなことにはお構いなしで、日本を巻き込んでいく。また、市民生活も永田町の論理に沿って回っているわけではない。
 野党の自爆にも助けられながら、アベノミクスを旗印にここまで長期政権を築いてきた安倍政権だが、日銀の「異次元緩和」による景気誘導や株、国債の買い支えにも限界が来ていることは明らかだ。日銀の政策決定会合を受けた7月31日の黒田東彦日銀総裁の会見の後も、債権市場は乱高下といってもいいような激しい動きを見せ、市場のアベノミクスへの評価が揺らいでいることを印象づけた。
 経済学者の金子勝氏は、2020年の東京五輪の前にアベノミクスのツケが回ってくる可能性が高いと指摘する。現時点では2020年の五輪に向けて、公共事業を始めとする活発な経済活動が行われているが、人口が減り続け高齢化も進む日本で、五輪後に大きな需要拡大が見込める要素は見当たらない。土地でも株でも、五輪後に落ちると分かっていれば、その前に売っておきたいと考えるのが投資家の心理だと、金子氏は語る。
 経済面での「アベノリスク」に加え、安倍政権がもう3年続けば、森友・加計問題で露呈した日本政府のガバナンスの機能不全も、一層進むだろう。官邸官僚の専横は一層進み、官邸に人事を握られた霞ヶ関全体で忖度政治が拡がることは避けられそうにない。
 かつてのように政権が一年ごとに目まぐるしく変わるようでは、しっかりと腰を据えた政策が実行できないのは事実だが、政権が長期化すれば、権力は必ず腐敗し、民主主義の根幹が蝕まれていく。特に現在の日本は「政治改革」の名の下に意図的に首相官邸に権限を集中させてきた経緯がある。権限を集中させたのはいいが、それに見合ったチェック機能を整備してこなかったことのツケが、ここに来てもろに回ってきている。
 もし安倍政権がもう3年続いた場合に、日本に何が起きるかを金子氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

移民はいないことになっている世界4位の移民大国日本

(第906回 放送日 2018年8月18日 PART1:44分 PART2:48分)

 日本が今や、世界第4位の移民大国であることを、ご存じだろうか。
 OECDによると、2015年の外国人移住者統計で、日本に移住した外国人の数は前年比約5万5千人増の約39万人となり、前年の5位から韓国を抜いて4位に上昇したという。ちなみに2015年のトップ3は1位がドイツ(約201万6千人)、2位が米国(約105万1千人)、3位が英国(47万9千人)だった。日本はこれに次ぐ世界第4位の移民大国なのだ。
 しかし、ちょっと待って欲しい。日本は基本的に移民の受け入れをしていないはずではなかったか?
 実は国連やOECDでは「移民」の定義は、その国に1年以上住んでいる人ということだ。観光ビザで入国している観光客や短期の滞在者以外は、その国に居住している立派な住民であり、定義上はすべて移民となる。現在日本には約250万人の外国人が住んでいるが、そのうち少なくとも26万人は就業を目的とした外国人実習生だ。また、海外からの留学生約26万7千人のうち、実際は出稼ぎ目的の「学生」もかなりの比率を占めているという。
 人口減少と少子高齢化に瀕した日本は今や人手不足が深刻で、外国人労働者に頼らなければもはや日本経済は回らない状態にある。しかし、日本は移民を認めていないし、定住に繋がるとの理由から、基本的には外国人の労働者を受け入れていない。そのため、現在日本で働く外国人のほとんどが、名目上は国際貢献を目的とする「外国人技能実習生」や週28時間まではアルバイトが認められる「留学生」という制度を利用して、事実上の出稼ぎに来ている状態なのだ。
 特に最近外国人の店員を見かけることが特に多くなった職種の中にコンビニがあるが、近著「コンビニ外国人」が好評を博しているライターの芹澤健介氏によると、コンビニで働く外国人は基本的には全て留学生なのだそうだ。芹澤さんが取材をしたコンビニの中には、自給1000円でアルバイトを募集しても、1年以上も日本人の応募が一人もなかったところもあるという。そうした人手不足を外国人留学生に埋めもらうことで何とか回っているコンビニは多い。
 芹澤氏によると、コンビニは日本に来て日が浅い外国人には比較的人気のあるアルバイト先だそうで、その大きな理由が、日本語ができなくても店番が務まるのと同時に、とは言えある程度、客との接点があるため、日本語の勉強にもなるからだという。取材した留学生の中には、コンビニで働くことで日本人の食生活や文化がよく理解できるようになったと答えた人もいたという。
 しかし、外国人留学生も日本への滞在日数が長くなり、日本語もマスターしてくると、忙しい割には給料が安いコンビニは必ずしも割のいい仕事ではなくなってくるそうで、留学生もコンビニを卒業して、もっと割のいい仕事へと移っている人が多いと芹澤氏は語る。
 働く目的で来ている外国人が127万人を超える一方で、日本は単純労働者を受け入れず、技能実習生だの留学生だのといって、本来の目的とは異なる形で外国人の受け入れを続けていることで、様々な問題も起きている。
 外国人技能実習生を支援する「外国人技能実習生問題弁護士連絡会」の共同代表を務める指宿昭一弁護士によると、外国人技能実習生に対するパワハラ、セクハラや、低賃金で長時間働かせる違法な労働の強要などが増えているという。実習生の多くは日本に来るために多額の手数料をブローカーに支払っている場合が多く、その返済に追われる身のため、たとえ人権を無視したような扱いを受けても、仕事を辞めることができない。それをいいことに、安い賃金で外国人実習生をこき使おうとする受け入れ事業者が後を絶たないと、指宿氏は指摘する。
 また、留学生についても、学業が本業のため、アルバイトは本来は週28時間以内というルールがあるが、複数の職場を掛け持ちすることで、ほとんどの時間をアルバイトに費やし、勉強どころではない学生も少なくないという。要するに、彼らの多くが実際は日本に出稼ぎに来ているのに、日本では普通には働けないので、留学生という制度を利用しているということのようだ。
 要するに、実際は日本が外国人労働者無しでは回らなくなっていることが明らかなのに、実習生だの留学生だのといった虚構を使って外国人の労働力を確保し続けているために、外国人労働者の身分はいつまでたっても不安定なままなのだ。このような状態を続ければ、「日本に働きに行くと酷い目にあうぞ」といった悪評が外国人の間に拡がり、近い将来、外国人が日本に働きに来てもらえなくなることが懸念され始めている。
 外国人無しでもやっていけるというのなら結構だが、そうでないのなら、今のうちに外国人が働きやすい制度や環境をきちんと整備することが、将来の日本にとってもプラスになるはずだ。いや、それこそこれは日本にとって死活問題になるかもしれない。
 コンビニで働く留学生のアルバイトや外国人労働者の実態について、この問題を取材してきた芹澤氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

地球温暖化が異常気象を加速させている

(第907回 放送日 2018年8月25日 PART1:53分 PART2:32分)
ゲスト:江守正多氏(国立環境研地球環境研究センター副センター長)

 地球温暖化による気候変動が、遂に世界的に災害を引き起こし始めた。
 元々地球温暖化は激しい気候変動を繰り返しながら、徐々に気温が上がっていく現象だが、平均気温の上昇以前に、熱波や大雨、干ばつなどの異常気象が地球の方々で実害を生み始めている。
 日本でも7月23日に埼玉県熊谷市で国内の最高気温となる41.1度を記録するなど未曾有の猛暑が続き、熱中症により、7月は過去最多となる5万4220人が救急搬送され、うち133人が死亡している。かと思えば、西日本豪雨ではこれまた観測史上例のない規模の集中豪雨で多くの河川が氾濫し、200人を超える犠牲者を出した。この夏の天気予報は、猛暑による熱中症か大雨による災害への注意が喚起されていない日が珍しいと言っても過言ではないほどで、遂に異常気象が正常になってしまったようだ。
 異常気象は世界的な現象で、この夏、ヨーロッパやアメリカでは熱波で死者が出たり、方々で森林火災が起きたりしている。7月24日、世界気象機関は、世界各地で記録的な猛暑が広がっていると発表、極端な異常気象はしばらく続くと警戒をよびかけた。
 異常気象の原因には、そもそも大気や海流の影響で起きる内部変動と、外部からの要因が考えられる。原因が内部変動だけなら長期的には平均化されるが、日本国内の雨量の変化をみても、世界の平均気温をみても、明らかに上昇傾向にある。外的な要因としては人間活動による温室効果ガス排出を考え合わせないと異常気象は説明がつかないと、気象学者で国立環境研究所地球環境研究センターの副センター長を務める江守正多氏は指摘する。
 地球温暖化の問題は100年単位で地球全体の平均気温が何度上がるというレベルの話が多く、今ひとつピンと来なかった人も多いかもしれない。しかし、平均気温の上昇に伴って、激しい気候変動や異常気象による災害が頻発することは、以前から警告されていた。それがいよいよ現実のものとなっている可能性が高い。
 もしわれわれが地球温暖化の問題に真剣に取り組まなければ、この先地球はどうなるのだろうか。環境省が発表した2100年の未来天気予報では、真夏のある一日の最高気温が東京で44度、札幌で41度と予測されている。そんなことになれば、もはや「熱中症に注意」だなどと言っている場合ではなさそうだ。
 2015年に採択されたパリ協定では、2100年の世界の平均気温の上昇を2度以内に抑えることを決定したほか、努力目標として1.5度以内という数字を打ち出し、そのために、二酸化炭素の排出をゼロにすることを宣言している。
 確かに野心的な目標だが、パリ協定の採択によって地球温暖化に対する世界の向き合い方が変わってきたと江守氏は語る。それまでは実現が困難と見られ、悲観的な見方が多かった「脱炭素」への動きが、パリ協定を機に世界各国で加速し始めているという。
 一方、日本ではまだ「脱炭素」の動きは鈍い。他国と比べ日本では、地球温暖化対策が経済や生活にマイナスなものとして受け止められている傾向が強いため、メディアも含め地球温暖化の話題を避けようとする傾向があることは否めない。
 6月に成立した気候変動適応法の意義も合わせて、地球温暖化と異常気象の関係について、気象学者の江守正多氏と社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。

5金スペシャル
20世紀の知の巨人・チョムスキーとの対話

(第908回 放送日2018年9月1日 PART1:71分 PART2:54分)

 5回目の金曜日に特別企画を無料放送でお届けする5金スペシャル。
 今週はジャーナリストの神保哲生が、「20世紀の知の巨人」として知られる言語学者のノーム・チョムスキー教授をアメリカに訪ね、ロングインタビューを敢行。その内容をスタジオで社会学者の宮台真司とともに徹底解説・議論した。
 チョムスキー教授はトランプ政権の誕生を「予想外だった」としながらも、「アメリカ政治においては、メディアから支援され、富裕層や権力者の利益を守ると公言した億万長者が大統領選に勝利すること自体は、それほど驚くべきことではない」として、トランプの本質は既存の秩序の破壊者のような顔をしながら、その実は既得権益を守るだけの扇動家・誇大妄想家に過ぎないと喝破する。
 また、トランプ政権の誕生やブレグジットに代表される右傾化やポピュリズムの台頭については、「40年にわたる新自由主義の台頭によって民主主義が繰り返し攻撃を受けてきたことに対する市民社会の反動」との見方を示した上で、今こそ真の民主主義の実現のために力を尽くすべき時だと語った。
 チョムスキー教授はまた、核兵器の大量保有や温室効果ガスの大量排出によって人類が自らを含む地球の運命を左右するまでの力を持つようになった時代が、地質学上の「人新世」と呼ばれるようになっていることを重視した上で、「人新世」の人類の責任についても警鐘を鳴らした。

障害者を雇うことがなぜ社会にとって重要なのか
社会を壊さないために何ができるかを、あらためて考えてみた

(第909回 放送日 2018年9月8日 PART1:40分 PART2:34分)

 そもそもこの人たちは、障害者を雇うことがなぜ社会にとって重要なことなのかを本当に理解しているのだろうか。
 中央省庁の8割が、雇用している障害者の数を水増ししていたという。
 去年の段階で、国の行政機関の障害者雇用率は法律で定められた2.3%をクリアしているとされていた。しかし、厚生労働省は8月28日、去年6月1日時点で国の33行政機関の障害者雇用率が実際は1.19%にとどまっていたことを公表した。実際に雇っている障害者の数が、法律が要求している数よりも3,396人分不足していたことになる。水増しは地方自治体、立法府、司法にまで拡がっていた。
 42年前に障害者の法定雇用率が定められてから、民間企業は雇用率を達成するために努力を続けてきた。制度が導入された当初の雇用率は1.5%だったが、去年の実雇用率は1.97%まであがってきていた。一定の規模を超える民間企業に対しては、法定雇用率が達成できない場合、不足分に対して「障害者雇用納付金」の名で一人あたり5万円のペナルティまで課されているが、行政機関については、性善説が前提にあるため、ペナルティは設けられていなかった。そもそも率先して障害者雇用を推進する立場にある行政機関で不正が行われていたことは想定外のことであり、障害者たちは一様に大きな衝撃を受けている。
 日本障害者協議会代表で自らも視覚障害がある藤井克徳氏は、中央省庁が水増しをしてきたことで、障害者の雇用機会が奪われてきた現実があると指摘する。実際、公務員試験で上位の成績を修めながら採用されなかった障害者もいる。
 藤井氏はまた、政府がこのような不正を行っていると、政府が発表するデータが信用されなくなることも懸念する。結果的にここまでの日本の障害者の雇用をめぐる政策は、水増しされたデータを元に実行されてきたことになり、その正統性さえ揺らぎかねない。また、民間企業を指導する立場である省庁がこのようなことをしていては、民間企業も本気で障害者雇用を進めようとしなくなることが危惧されると、藤井氏は語る。
 今年4月から、障害者の法定雇用率は民間企業2.2%、国・地方公共団体等は2.5%に引き上げられた。しかしこの数字は現在、日本の人口全体に占める障害者の割合が7.4%であることを念頭に置くと、依然としてかなり低い水準にとどまっていると言わざるを得ない。藤井氏はその背景には、効率や生産性を理由に障害者を排除する考えが根強く残っていると指摘する。
 障害者雇用は、障害者にとっての安定した収入の場を保証するだけではなく、職場環境をより働きやすいものに変え、仕事の内容に豊かさと幅を持たせる効果がある。障害者が生きやすい社会は当然、健常者にとっても生きやすい社会になるからだ。ことに政策を立案する立場にある政府機関では、政策決定過程に当初から当事者である障害者が参画していることが、実効性のある政策を作成する上でとても重要になる。
 障害者がともに働くことにどういう意味があるのか。なぜ、障害者を雇うことが社会にとって重要なことなのか。障害者問題に長年取り組んできた藤井氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。

自民党総裁選へのえも言われぬ違和感の正体

(第910回 放送日 2018年9月15日 PART1:46時間 PART2:40分)
ゲスト:秋山訓子氏(朝日新聞編集委員)

 来週の木曜日に自民党の総裁選挙が行われ、自民党の次期総裁が決まる。第一党にして国会の過半数の議席を持つ自民党の総裁が、内閣総理大臣を兼ねることは言うまでもない。その意味で、20日に行われる自民党総裁選は日本の総理大臣を選ぶ選挙ということになる。
 しかし、一国の最高権力者を選ぶ選挙の割には、何とも盛り上がりに欠ける。早くから国会議員票の8割以上を押さえた安倍首相の三選が確実視され、今となっては、石破氏が党員票をどの程度集めるかのみに興味の焦点が移っている。日本の首相を選ぶ選挙が、これで本当にいいのだろうか。
 過去四半世紀にわたり日本は、個々の政治家から政党へ、官僚から首相へと、政治権力の集中を進めてきた。中選挙区制の下、派閥や族議員が跋扈していた時代は、ロッキード事件やリクルート事件などで金権政治が批判され、個々の政治家が集めることができる政治資金に厳しい制限が課せられる一方で、政策論争を喚起するとの触れ込みで、小選挙区制や政党交付金などが導入されてきた。
 また、バブルの崩壊や住専、薬害エイズや大蔵官僚のノーパンしゃぶしゃぶ接待など、官僚による失政や不祥事が相次いだことで、官僚主導の政権運営が批判を受け、政治権力を首相官邸に集中させる「改革」が相次いで打ち出された。
 今や首相は、官邸官僚と呼ばれる省庁の中でも最も大きな権限を持つ独自の手勢を持ち、内閣人事局や日本版NSC(国家安全保障局)、経済財政諮問会議などを通じて、官僚の人事から予算編成、外交・防衛にいたるまで、ほとんど全ての分野で絶大な権力を行使できるようになっている。官邸の人事権は裁判所や捜査機関にまで及ぶこともあり、未だかつて無いほど、首相の権力をチェックしたり制御することが難しくなっていると言っても過言ではないだろう。
 そのような状況の下で、自民党内は安倍首相が有利と見るや、各派閥は雪崩を打って安倍支持を表明。自民党の国会議員405人のうち、ここまで分かっているだけでも、約350人が安倍支持で固まってしまった。絶大な権力を持つ首相を敵に回しても、何の得にもならないという判断が働くのは、権力に人一番敏感な政治家であれば、無理からぬことなのかもしれない。
 しかし、果たして現在のこの状況は日本にとって好ましい状況なのだろうか。われわれは権力の集中を図る一方で、それをチェックしたり制御するための仕組み作りを怠ってきたのではないか。一度権力を手にした者が、自らその権力を手放すことは考えにくい。当然その権力を使って、更なる権力の拡大やその永続化を図るのが、権力の常であることは、多くの先達たちが警告してくれているはずだ。
 政策的に、あるいは人間的に安倍首相に親近感を覚え、これを政治的に支持すること自体には、何ら問題はない。しかし、われわれが委譲した権力が公正に行使されているのか、またそれは然るべきチェックを受けているかどうかは、それとは別次元の問題だ。また、絶対権力の前で、ジャーナリズムがきちんと機能していると言えるかどうかも、問われる必要がある。
 自民党総裁選から見えてくる今の日本の政治の現状を、政治やNPOを長年ウオッチしてきた秋山氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.89(891~900回収録)

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われわれが「匂い」をとても気にするようになった訳とその功罪

(第891回 放送日 2018年5月5日 PART1:47分 PART2:40分)
ゲスト:平山令明氏(東海大学先進生命科学研究所長)

 人類と「香り」の付き合いは決して新しいものではない。古くは3000年以上も前のエジプトで、ミイラ作りのために防腐効果のある種々の香料が使われていたことがわかっている。聖書にはイエス・キリストの誕生を祝福するために東方からやってきた3人の博士が、乳香(にゅうこう)と没薬(もつやく)などの香料を捧げ物として持参したことが記されている。
 このように人類が太古の時代から様々な形で活用してきた香料ではあるが、匂いは遺跡や土器や絵画、文字のような「もの」としての形を残さないため、その実態を検証することが困難だったこともあり、人類史研究の中ではそれほど主要な地位を占めてこなかった。また、他の動物に対して高度に視覚が発達した人類にとって、嗅覚は必ずしも生存する上で決定的な重要性を持っていなかったこともあり、他の5感の中でも視覚や聴覚などと比べて嗅覚に関する科学的研究は大きく遅れをとってきた。
 しかし、近代に入り人間の嗅覚の仕組みや匂いが脳に伝わるメカニズムが解明されると同時に、19世紀になって有機化学が急速に発展したことで、香料の世界が大きく拡がった。当初は主に香水や化粧品に利用されていた香料が近年、加工食品はもとよりトイレの芳香剤や洗濯時の柔軟剤など生活の隅々にまで浸透するようになっている。
 元来、香料というものはほとんどが植物から抽出した天然由来のものだったが、植物から香料成分を取り出す作業は手間も時間もかかる。そこで今日、香料の元となる物質は、人工的に作られた化学物質が代替するようなっている。どのような化学物質をどんな割合で調合すれば、人間はそれを何の匂いと認識するかについてのノウハウも、かなり高度なレベルまで判明しているのだそうだ。
 嗅覚は視覚や聴覚などとは異なり、大脳新皮質を経ずに、記憶を支配する海馬領域や感情を支配する扁桃体に直接伝わるという特質を持っている。何かが匂ってきた時、それが何かを頭であれこれ論理的に考えて理解する間もなく、鼻の穴から入ってきた匂いの元となる化学物質の「匂い」情報はたちどころに脳に直接届く。そのため、ある匂いを嗅いだ瞬間に、その匂いとセットになっていた記憶が蘇る「フラッシュバック」のような症状を示すことがある。
 匂いはその特性故に、特定の香りを嗅ぐだけでリラックス効果を得たり、気分を明るくするなど様々な効果が期待できるなど、医療分野やQOL向上に今後も「香り」が果たす役割は大きくなっている。認知症やアルツハイマー病の症状の改善にも香りを使った治療が効果を上げているという報告もある。
 しかし、その一方で、特に近年、洗濯の柔軟剤などに強い芳香剤が使われているものが人気を博するようになった結果、その匂いを不快に感じる人が増えている。いわゆる「スメハラ」(スメル・ハラスメント=匂いで相手を不快にさせる行為)という言葉や、化学物質に敏感な人が芳香剤の匂いによって様々なアレルギー反応に苦しむような「香害」の事例が相次いで報告されている。特に、化学物質過敏症や特定の香料の原料にアレルギー反応を示す人々にとって、学校の教室や職場などの狭い空間や、飛行機や電車など乗り物のような密閉されて逃げ場のない空間の中で、近くに強い香りを発する香水や化粧品、柔軟剤などを着けた人と隣り合わせになることは、単なる苦痛を超えた死活問題となる。
 食品と違い芳香剤は一見、物質を体の中に入れているようには見えないが、香りの元となっている「化学物質」が鼻から体内に取り込まれていることに変わりはない。科学物質の中には天然由来か人工的に作られた物かにかかわりなく、アレルギー反応を起こすものもあるし、これまで無害と考えられてきた物質の中にも、後に有害性が判明するものが出てくる可能性も十分にある。
 「香り」の科学に詳しい東海大学先進生命科学研究所の平山令明特任教授は、日本人は元々、遺伝子的に体臭が少ない人種に属するため、欧米人に比べて匂いに対する耐性が低い傾向にあるという。その日本で欧米並みに強い匂いを放つ柔軟剤や洗剤や化粧品などが普及すれば、匂いに敏感な人々の間に公害の被害が出ることは当然予想できることだ。しかし、現状では匂いについては、業界が独自に定めた自主基準しか存在しない。食品並の成分表示義務もないため、表示を見てアレルギー物質を避けることも難しいのが実情だ。
 匂いについてはまだわからないことも多いので、常にその影響を注視しながら、問題があれば改善をしていく姿勢が必要だと平山氏は語る。
 それしても、なぜわれわれはここに来て急に、匂いを気にするようになったのだろうか。匂いの効果を最大限に利用しつつ、その弊害を最小化するためには、どのような制度が求められるのか。消費者としてわれわれは何を意識しなければならないかなどを、平山氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

食品ロスを減らすためにできること

(第892回 放送日 2018年5月12日 PART1:43分 PART2:50分)
ゲスト:井出留美氏(食品ロス問題専門家)

 現在、地球には世界の全人口にあたる74億人のお腹を満たすのに十分な食料が生産されている。しかし、国連WFP(世界食糧計画)によると、今でも世界では8億人あまりの人々が、飢えに苦しんでいるという。その大きな悪因となっているのが、世界の食料生産の総量の約3割にあたる13億トンの食料が毎年廃棄されているという「食品ロス」問題だ。
 特に先進国では莫大な量の食品が捨てられたり、食べ過ぎによって生活習慣病や成人病に苦しむ人が急増する一方で、途上国では9人に一人が飢えに苦しみ、3人に1人が慢性的な栄養不良の状態に置かれている。単純に対比できるものでもないかもしれないが、奇しくもアメリカでは肥満の人の割合が人口の3分の1を超えている。
 また、途上国では先進国とは異なり、飽食による食品ロスは少ないが、冷蔵設備や道路の未整備など貧弱なインフラなどが原因で、大量の食料が生産段階で廃棄されているという現実もある。
 日本でも食品ロスの問題が叫ばれるようになって久しい。余った食品を必要な人に届けるフードバンクなどの試みがメディアに取り上げられる事も多くなった。2008年には農水省内に「食品ロスの削減に向けた検討会」が設置され、様々な施策が模索されている。しかし、実際には日本の食品ロスはあまり改善されていない。
 現在、日本は年間約646万トンの食品を廃棄している。これは全世界の食糧援助の総量を遙かに凌ぐほどの量だ。お米に換算すると、日本の全国民が毎日ご飯をご飯茶碗1杯分ずつ廃棄している計算になる。
 それにしても、「まだ食べられる食品を捨てる」などという、経済面から見ても倫理面から見ても、どこからどう見ても正当化できない食品ロスを、なぜわれわれは減らすことができないのだろうか。
 日本の食品ロスの内訳を見ると、家庭からの廃棄が289万トン、製造や流通、小売など事業者による廃棄が357万トンと、家庭系と事業系がほぼ半分ずつを占め、先進国の中では相対的に家庭の食品ロスが多い。
 事業系のロスは、豊作の年に生産調整のために農産物を廃棄するケースや、サイズや色が基準と違っていたり、傷が付いているものなど、規格外の商品が廃棄されるケースや、売れ残りによってメーカーに返品された商品、パッケージの印刷ミスなどを原因とする規格外品が廃棄されている。外食店での食べ残しや、需要予測を誤って材料を仕入れ過ぎたことによる廃棄も、決して少なくない。
 一方、家庭系では単に買い過ぎによる廃棄や、賞味期限切れのほか、食べ残し、知識不足や技術不足から本来は食べられる部位を捨ててしまうケースなど、やはり原因は多岐にわたる。
 また、事業者と家庭に共通した原因もある。それが賞味期限問題だ。牛乳パックを僅かでも日付が新しい奥の方から取ろうとする買い物客の姿を見かけることが多いが、日本では特に消費者が商品の賞味期限を過剰に意識するため、賞味期限が1日でも過ぎた物は簡単に廃棄されてしまう傾向にある。消費期限と異なり、賞味期限はその日までに食べなければ危険という意味ではないが、その違いが必ずしも周知されていないのだ。食品によっては必ずしも新しい方がいいというものばかりではないことも、もう少し認識される必要があるかもしれない。
 消費者の過剰な賞味期限へのこだわりは、事業者サイドにも大きな影響を与えている。『賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか』の著者で食品ロスの問題に詳しい井出留美氏によると、日本の食品業界には消費者の敏感な賞味期限意識に対応するために、「3分の1ルール」なる不文律があるのだという。これは卸売業者はメーカーから賞味期限全体の最初の3分の1を過ぎたものは買わないし、小売店は賞味期限の3分の2を過ぎた商品は卸から買わないというものだそうだ。
 つまり、賞味期限が6ヶ月あるお菓子は、メーカーから卸には必ず最初の2ヶ月以内に卸されなければならず、それを過ぎれば卸売業者は商品を受け付けないので、廃棄するしかなくなる。同じく、小売店は賞味期限が2ヶ月以上残っている商品しか卸売業者から買わない。そのような業界内ルールによって、まだ賞味期限が大幅に残っている食品が流通の過程で大量に廃棄されているのだという。
 3分の1ルールによって、卸からメーカーに返品される食品の総額は年間821億円にものぼるという。同じく小売が3分の1ルールを理由に卸に返品する商品の総額も432億円だというから、1200億円分の食品が、あまり意味のわからない不文律によって廃棄されていることになる。ここで生じた経済的ロスは、最終的には消費者が何らかの形で負担することになるのは言うまでもない。
 事業系にしても家庭にしても、食べられる食品を廃棄してもいいことは何もない。また、そもそも事業系の厳しい廃棄基準が、一体誰のためのものなのかも今ひとつ不明だ。家庭においても、賞味期限と消費期限の違いを知ることで、賞味期限が絶対的なものではないことを理解するなど、まだまだできることは山ほどありそうだ。
 長年食品ロス問題に取り組んできた井出氏とともに、食品ロスが減らない生産、流通、消費の構造的問題や、フードバンクのような余った食品を必要としている人たちのために活かす活動について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

AIは恐れず備えよ

(第893回 放送日 2018年5月19日 PART1:1時間3分 PART2:1時間7分)
ゲスト:新井紀子氏(国立情報学研究所教授)

 AIがちょっとしたブームだ。
 巷では人間と人工知能の能力が逆転する「シンギュラリティ(技術特異点)」が実現するのが、もはや時間の問題であるかのような言説が、真しやかに語られている。人工知能が自分自身よりも優れた知能を作り出すことができるようになれば、理論的にはその能力は天井知らずになり、人間の能力を凌ぐことなど容易なことになるのだという。
 しかし、『AI vs 教科書を読めない子どもたち』の著者で数理論理学者の新井紀子氏は、AIがどんなに進歩しても、それが数学的な計算をする装置である以上、人間の能力を超えることなどあり得ないと言い切る。そもそもそこで言うところの「人間の能力」が何を意味しているのかさえ、人類は正確にはわからないのが実情なのだ。
 「ロボットは東大に入れるか」(通称:東ロボ)で人工知能による東京大学の入学試験の突破を試みた新井氏は、どれだけAIの性能があがっても、東大には入れないだろうと言う。その理由として新井氏は、東ロボが東大に受かるためには常識の壁が立ちはだかるからだという。
 東ロボを通じて見えてきたことは、AIには得意なことと苦手なことがあり、それは計算機の計算能力とは別次元の事だと新井氏は指摘する。その辺のパソコンで解けない問題は、そもそもAIには解けないタイプの問題なので、仮にスーパーコンピューターや量子コンピューターを持ってきても解けないことに変わりはないのだそうだ。
 この先どんなにAIが進歩しても、人間にしかできない仕事は残ると聞けば、安心する人も多いかもしれない。しかし、新井氏はAIが人間を上回ることはないが、今日人間が行っている仕事の多くがAIに取って代わられることは避けられないという。今、人間が行っている仕事には人間にしかできない仕事ではないものが多いからだ。
 新井氏は東ロボのプロジェクトを進める過程で、東ロボが解けない問題を解けない子どもたちが多くいることにも気付いた。それは端的に言えば、文章を読み解くための読解力を必要とする問題だ。AIがどんなに進歩しても、人間にしかできない仕事は残るが、今の教育は人間にしかできない仕事に就くために必要とされる能力を子どもたちに与えられていないのではないかと、新井氏は危機感をあらわにする。
 AIが進歩することによって、今人間が行っている仕事の何がAIに取って代わられることになるのか。その時、人間にしかできないこととは、どのような仕事なのか。その仕事をできるようになるために、われわれは今の子どもたちにどのような教育を提供する必要があるのか。もしかするとわれわれは、AIに簡単に取って代わられる分野の能力を身につけることに躍起になってはいないか等々、新井氏の問題提起から考えさせられることは多い。
 AIを東大に入れるためのプロジェクトを通じて明らかになった、AIが得意なことと苦手なことは何か、人間にしかできないことは何か、AIに簡単に取って代わられてしまう能力とは何かなどについて、新井氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

日本版司法取引は大量の冤罪を生むことになる

(第894回 放送日 2018年5月26日 PART1:1時間 PART2:1時間1分)
ゲスト:森炎氏(弁護士)

 来る6月1日、日本の刑事司法史上では初となる、司法取引制度が導入される。
 これは2年前の2016年5月24日に可決成立した刑事訴訟法の改正案の施行に伴うもの。刑訴法の改正案は裁判員裁判事件と特捜事件に限って取り調べの録音録画を義務化することと引きかえに、盗聴権限の拡大や司法取引など検察の捜査権限を大幅に強化する施策が盛り込まれていた。
 この刑事訴訟法の改正は、検察による証拠の捏造などによって村木厚子厚労次官を不当に逮捕、起訴した冤罪事件をきっかけに、検察改革の必要性が叫ばれたことを受け、有識者たちが4年以上の年月をかけて検察改革のあり方を議論してきたことの集大成とも言うべきもの。事件への反省から、いかに冤罪を無くすかが有識者会議での議論の主眼となるはずだったものが、取り調べの可視化については、全事件の約3%にあたる特捜事件と裁判員裁判対象事件のみに限定される一方で、盗聴権限は対象犯罪が大幅に拡大されたほか、検察は司法取引という新たな捜査権限を手にすることとなった。
 果たして司法取引は冤罪の減少に寄与するのだろうか。
 残念ながら答えはノーだ。
 裁判官出身で、その後、弁護士として活動するかたわら著書を通じて日本の刑事司法制度の問題点に警鐘を鳴らしてきた森炎氏は、司法取引は冤罪を無くすどころか、むしろ冤罪が増えることを前提としている制度だと指摘する。
 司法取引には自らの罪を認めることで刑を軽くして貰う「自己負罪型」と、自分が罪を犯した時、共犯者に対する捜査に協力することの引き換えに罪を軽減してもらう「捜査公判協力型」の2種類がある。アメリカでは司法の効率化のために全事件の95%が「自己負罪型」の司法取引によって実際には裁判を経ずに刑罰が決定されている。「自己負罪型」の司法取引も、裁判を通じて証拠を確認するプロセスが省かれるため、冤罪や身代わりのリスクはあるが、同時にその経済効果は絶大だ。警察や検察は軽微な事件の大半を自己負罪型の司法取引で処理することで、重大事件の捜査により多くの資源を投入することが可能になるというメリットがある。
 ところが今回日本で導入される司法取引は「捜査公判協力型」だけだ。これは、「仲間(共犯者)を裏切ってその犯罪行為を証言すれば、あなたの刑は軽くしてあげます」というもの。
 また、司法取引の対象犯罪も、今回は死刑になるような重い犯罪は除かれ、組織犯罪がらみや談合、脱税、インサイダーなどの経済犯罪に限定されている。
 検察が、処罰の軽減をエサに情報提供を求めることができれば、組織的な犯罪などでより大物の主犯格や大ボスの立件に寄与することはあるだろう。また、会社ぐるみの経済犯罪などで、末端の社員が全ての罪を被らせられる「トカゲの尻尾切り」なども難しくなるかもしれない。
 しかし、そのようなメリットを想定したとしても、司法取引が導入されれば、冤罪のリスクが大きくなることは明白だ。それは自らの罪を軽くしたい一心で、嘘の証言をする人が出てくることが避けられないからだ。
 今回の法改正では虚偽供述を罰する条文も盛り込まれたが、明らかに嘘とわかる証言でない限り、証言の虚偽性を暴くことは容易ではない。そもそも検察が司法取引を持ちかける理由は、共犯者からの証言以外の証拠が得られないからだ。他に十分な証拠があれば、共犯者の罪を軽くしてまで司法取引などする必要がないはずだ。
 つまり、日本版司法取引というのは、取引きの当人は「嘘で他人を陥れてでも自分の罪を軽くしたい」という明白な利益相反の立場にあり、にもかかわらず、その証言は共犯者の犯行の唯一の裏付けとなる場合が多いという、いたって不安定な制度なのだ。
 藤井浩人美濃加茂市長の贈収賄事件では、藤井氏に30万円を渡したと主張する贈賄側の会社社長は、3億円を超える別の金融犯罪で逮捕されていた。その取り調べの中で、「藤井にカネを渡した」と供述したことが事件の発端となった。ところが、この社長は3億を超える金融詐欺を働いていながら、当初2100万円分でしか起訴されていなかった。藤井氏の弁護人の郷原信郎弁護士は「藤井の贈収賄の捜査に協力すれば、金融詐欺の方の罪は軽くしてやる」というような、「事実上の司法取引」があったとしか思えないと主張した。
 そこで言う「司法取引があったとしか思えない」という主張は、「だから会社社長が藤井氏にカネを渡したとする証言は信用できない」という意味を含んでいる。つまり、藤井氏を陥れるために、本来あってはならないような取引きが行われていた疑いがある、という意味だ。しかし、6月1日に司法取引が正式に導入されれば、もはや司法取引は「あってはならない取引き」ではなくなる。藤井氏のような事件でも堂々と司法取引を行うことが可能になるのだ。そして、その時、被告人の弁護士は「司法取引があったからその証言は怪しい」と主張することが事実上不可能になる。
 司法取引の導入によって日本の刑事司法はどう変わるのか。なぜ検察不祥事に端を発する検察改革論争の末、検察の捜査権限を強化するような法律ができてしまうのか。実は日本人は多少の冤罪はやむなしと考えているのか。司法取引が導入されることの影響とそのリスクについて、森氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

東京五輪をタバコ五輪にしてはいけない

(第895回 放送日 2018年6月2日 PART1:49分 PART2:49分)
ゲスト:原田隆之氏(筑波大学人間系教授)

 安倍政権が本気で岩盤規制にドリルで風穴を開けたいのなら、獣医学部新設も結構だが、まずこれを何とかしたらどうだろう。他でもない、タバコ利権だ。
 国会では来週から受動喫煙を防止するための措置を含む健康増進法改正案の審議が始まる。しかし、今国会に提出されている受動喫煙防止法案は、店内を全面禁煙としなければならない対象から床面積100㎡以下の飲食店と、資本金5000万円以下の事業者を除外する、まったくのザル法だ。現にこの法案では、全体の45%の飲食店しか、禁煙措置の対象とはならない。ファミレスなど一部の大型店舗を除く大半の飲食店では、これまで通り自由に喫煙が可能になる。このままでは2008年の北京五輪から実現してきたスモークフリー五輪の伝統が、2020年の東京大会で途切れてしまう。
 先進国では常識レベルの禁煙・分煙措置を義務づけられない国政の体たらくを見て、東京都の小池百合子知事は、従業員を雇う全ての飲食店に禁煙・分煙措置を義務づける独自の受動喫煙防止条例を、今月中に都議会に提出する意向を明らかにしている。今のところ都議会の都民ファーストと共産党がこの条例案に賛成の意思を表明しているので、可決する可能性が高い。この条例ができれば、少なくとも五輪の大半の競技の舞台となる東京都内において、84%の飲食店が禁煙の対象となるので、辛うじてスモークフリー五輪の伝統は守れそうな状況だが、まだ予断は許さない。
 しかし、それにしてもなぜ日本はタバコ規制にこんなにも弱腰なのか。タバコの健康被害については、もはや疑いを挟む余地はない。喫煙がCOPD(慢性閉塞性肺疾患)やバージャー病(閉塞性血栓性血管炎)、肺がんや口腔がん、咽頭がんなど様々ながんのほか、数々の心疾患や脳疾患、糖尿病、うつ病などの主要因となっていることは、もはや医学界の常識となっており、喫煙に起因する医療費も年間1兆4900億円にのぼるという。
 しかも、喫煙は本人だけでなく、周囲の人間も巻き込む。厚労省によると、喫煙によって生じる主たる有害物質であるニコチン、タール、一酸化炭素の含有量は、主流煙(喫煙者自身が吸引する分)より副流煙の方が3倍以上も高いのだという。結果的に、年間1万5000人が受動喫煙が原因で死亡していると推計されている。
 五輪が来る来ないに関わらず、受動喫煙の防止は待ったなしの状態にあると言っていいだろう。
 ところが、その最中に出てきた政府の法案が、大甘のザル法だった。なぜ日本は、ここまで被害が明確なタバコの受動喫煙を法律で規制することができないのだろうか。
 その最大の理由はタバコがタバコ利権という、日本最大にして最強の利権構造によって支えられているからだ。そもそもタバコの主管官庁は財務省だ。多くの国では健康被害が深刻なタバコは日本の厚労省にあたる、厚生行政を司る官庁の管理下にあるが、日本ではタバコは明治初期にタバコ税が国にとって貴重な税の財源だったことの名残で、未だに財務省が握っている。元々、財務省は国民の健康の心配をする役割を担う官庁ではない。
 明治時代に当時の大蔵省専売局がタバコの一元管理を始め、後にそれが専売公社に引き継がれた。1985年に専売公社が民営化された後も、財務省はJTの33%強の株を保有し、JTから2兆円を超えるタバコ税や700億円にのぼるJT株の配当などを上納させる一方で、JTの独占体制を維持し、これを保護している。また、政治家はJTの他、タバコ農家やタバコ小売店、喫煙可能な状態を続けたい飲食店の業界団体などから政治献金や選挙応援を受ける見返りに、葉タバコ買い上げ価格を維持するなどして、これを保護している。今回のような厳しい受動喫煙防止法を潰すのも、その見返り保護の一環だ。無論、国会議員は地元選挙区への予算配分などで財務省にはお世話になっている立場で、誰も財務省を敵に回したくない。
 財務省とJT、族議員と葉タバコ農家、タバコ小売店、飲食店の4者が互いに持ちつ持たれつの関係の中で強固な利権を守っている。タバコ三法と言われるたばこ事業法、日本たばこ産業株式会社法(JT法)、たばこ耕作組合法のタバコをめぐる法的な枠組みは、この強固な利権構造によって維持され、誰も手出しをすることができないようになっている。
 しかし、である。今や喫煙者の割合は2割を切っている。また、喫煙による健康被害の実態も、十分にデータで裏付けられている。毒性が分かった上で本人が吸うのはやむを得ないとしても、せめて受動喫煙の被害を軽減するために規制を強化しようとすると、明治維新から続く伝統だの、族議員だの、予算を握る財務省の権力だのといったものがゾロゾロと出てきて、まともな規制ができないというのでは、民主主義国家の体をなしていないではないか。
 実はこのような旧態依然たる利権が温存されているシークレットが一つある。それはメディアが軒並みタバコ利権に浸食されていることだ。JTは毎年200億円を超える広告を出稿している。一番このようなテーマを取り上げてくれそうなテレビ朝日の報道ステーションも、TBSのニュース23も、しっかりJTがスポンサーに入っている。そもそも独占企業で競争する必要がないJTが、毎年CMに200億円も使う理由は、タバコに対する否定的な報道を押さえること以外に何があるのか。結果的にメディアが、タバコ利権の最後の守護神のような役回りを演じる格好になっている。
 実際、この番組の中で紹介されているタバコの健康被害に関する様々なデータやタバコ利権の構造は、それなりに時間を割いてネットを掘り下げれば出てくるが、主要なマスメディアにそれが取り上げられることはほとんど皆無に近い。それがタバコ利権のタバコ神話への格上げに一役買っていることは明らかだ。
 臨床心理学、犯罪心理学が専門で薬物の依存症に詳しい筑波大学の原田隆之教授は、タバコには一つもメリットがないことを強調する。健康に有害なことがわかっていてもタバコをやめられないのは、ニコチンに強度の依存性があるからだ。原田氏によると、ニコチンは最も毒性や依存性が強いとされる麻薬のヘロインと、毒性においても依存性においても同程度だと指摘する。
 原田氏によると、独力で禁煙を試みた場合の成功率は5%と低いが、そこにカウンセリングを加えることで、成功率を30%程度まで引き上げられるそうだ。
 タバコを吸うとリラックスできるというのも、医学的には根拠がなく、喫煙によってニコチン依存症の禁断症状から解放されることを「リラックス」と勘違いしているに過ぎないのだと原田氏はいう。ニコチンは本来、「中枢神経刺激剤」であり、リラックスとは逆の効果を持つ。
 ことほど左様に、タバコについては情報が不足し、誤謬が蔓延っている。依存症の視点からタバコの問題に取り組んできた原田氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

不祥事続きの今こそ考えたいスポーツ本来の存在意義

(第896回 放送日 2018年6月9日 PART1:47分 PART2:46分)

 スポーツ界の不祥事が止まらない。
 日大アメリカン・フットボール部の選手による悪質な反則タックルは、大きな社会問題にまで発展した。思えば、柔道、相撲、カヌー、バドミントン、レスリング、水泳等々、スポーツ界では大きな問題を起こしていない競技を見つけるのが難しいと言っても過言ではないほど、不祥事が続いている。内容もセクハラからパワハラ、ドーピングや賭博など、深刻、かつ構造的なものが多い。
 なぜスポーツでこれほどまで不祥事が続くのか。
 スポーツマンシップ論やスポーツマネージメントが専門の千葉商科大学中村聡宏専任講師は、勝つことだけが重視され結果のみで判断される勝利至上主義が蔓延し、スポーツの本質的な価値が見失われていると指摘する。中村氏は、スポーツマンシップ指導者育成会を立ち上げた故広瀬一郎氏とスポーツマンシップの重要性を訴え続けてきた。その中村氏は、スポーツの大原則は自主的に取り組むことであり、義務、命令で行うものではないことを強調する。
 日大のアメリカンフットボール部で反則タックルをした選手は謝罪の記者会見で、大学で部活を続けるなかで「アメフトが好きでなくなった」という発言をしている。スポーツを楽しむ心を奪ってしまった指導者側の責任はとても大きいと中村氏は言う。
 スポーツは「運動を通して競争を楽しむ真剣な遊び」だと中村氏はいう。その際、ルール、相手、審判を尊重することが求められる。勝つことを追求するのは当然ではあるが、そのプロセスが重要だ。監督、コーチの命令に従う、言われた通りにこなす、あるいは忖度する、ことのみが求められている現状はないか。それでは、自主的な判断、リーダーシップはうまれない。スポーツ界の課題は、今の日本社会がかかえる問題と相似形にも見える。
 そもそもスポーツは、紳士を育成する場として、イギリスの「パブリックスクール」と呼ばれる名門私立高校で確立したものだ。そこではスポーツは勇気、自制心、決断力など、道徳や人格の形成に役立つものとして考えられてきた。翻って、日本では、明治時代に国民教育に必要なものとして導入された「知育」「徳育」と並ぶ、「体育」の領域をスポーツが担ってきた。日本のスポーツ文化には、富国強兵の一貫として優秀な兵隊を育成しようとしていた時代の考え方が、まだ色濃く残っているのではないだろうか。
   スポーツの真の価値はスポーツの精神、つまりスポーツマンシップにある、と中村氏は語る。レスリングの伊調馨選手は中村氏のインタビューに対して「負けたときのほうが、勝ったときに比べて学ぶことが多い」「だからこそ、女子レスリング全体のレベルが上がっている」と語ったという。優れたアスリートの言動は多くの人々の感動を呼ぶ。「新しいスポーツマンシップの教科書」(広瀬一郎著)には、スポーツマンシップとは、「自ら考え」「他者を尊重し」「勇気を持って」「誠実に行動する」精神のことだと書かれている。これはスポーツだけに限ったことではないのではないか。
 現在の日本のスポーツ界がつきつけられている様々な課題から、ビジネスとしてのスポーツのあり方まで、スポーツマネジメントスクールなどにもかかわってきた中村聡宏氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。

朝鮮半島統一の可能性と日本の地政学的課題

(第897回 放送日 2018年6月16日 PART1:56分 PART2:52分)
ゲスト:木宮正史氏(東京大学大学院教授)

 米朝首脳による歴史的な会談が実現した。
 北朝鮮の核・ミサイル開発をきっかけに、一時は「斬首作戦」だの「鼻血作戦」だのといった物騒な話が飛び交い、一触即発の事態にまでエスカレートしていた両国の関係が、ひとまずこれで沈静化することは間違いなさそうだ。
 首脳会談に続いて両首脳が署名した共同声明については、具体性に欠けた曖昧な表現が多いなどの厳しい評価も聞かれる。また、北朝鮮があれだけ苦労して獲得した核兵器を簡単に手放すはずがないとの指摘も根強い。しかし、その一方で、北朝鮮の一連の外交攻勢は明らかに過去のものとは一線を画しており、金正恩が核の放棄と引き換えに北朝鮮の経済発展を真剣に考えているのではないかと指摘する識者も多い。
 朝鮮半島情勢が専門の木宮正史・東京大学大学院教授は、金正恩は核を持ち続けることで国際社会から経済制裁を受け、このまま極貧な状態を続けるか、核を放棄することで経済発展を実現するかの二者択一の中で、後者を真剣に考えている可能性が高いとの見方を示す。北朝鮮は一貫して朝鮮半島の統一を訴え続けているが、20倍を超える現在の北朝鮮と韓国の経済格差がある限り、仮に統一が実現することになっても、北朝鮮主導の統一など望むべくもないことを、金正恩はよく理解できていると思われるからだ。
 ことごとく国際合意を反故にしてきた北朝鮮のこれまでの実績を見る限り楽観論は禁物だが、もし北朝鮮が本気で核の放棄に乗り出し、その引き換えに経済発展に舵を切った場合、直ちに統一国家の出現にまでは至らないとしても、東アジアの地政学的バランスは大きな影響を受けることになるだろう。
 これまで外交的にはアメリカ一辺倒で来た日本にとっても、人口7600万人(北朝鮮が2500万人、韓国が5100万人)を抱え、インフラを含めあらゆる面で開発が遅れている新たな隣国が出現することの影響は大きい。
 また、会談後の記者会見でトランプ大統領は、コストを理由に米韓軍事演習の中止にまで踏み込んでいる。今後、在韓米軍の縮小や撤退が議論されることになる可能性も出てきたが、そういうことになれば、在日米軍のあり方や日本の安全保障体制への影響も必至だ。
 首脳会談の実現によって、朝鮮戦争以来60年以上続く米朝の敵対関係の解消、ひいては朝鮮半島の統一の可能性は見えてきたのか。それは日本にとってどのような意味を持つのか。米朝首脳会談の和解ムードが東アジアにもたらす長期的な影響について、木宮氏にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

ゲノム編集が変える「人間の領域」

(第898回 放送日2018年6月23日 PART1:44分 PART2:47分)
ゲスト:小林雅一氏(KDDI総合研究所リサーチフェロー)

 クリスパーと呼ばれる新しいゲノム編集技術の登場で、あらゆる生物の遺伝子を意のままに書き換えることが可能になってきた。この技術はさまざまな生物学現象の解明や食料生産、遺伝性の病気の治療などへの応用が期待される一方で、デザイナーベイビーやスーパーヒューマンの登場も現実味を帯びてきていることから、これまで神の領域とされていた遺伝子情報を人間が自由に操作することの是非が、今後倫理面でも議論を呼ぶことは必至だ。
 クリスパーは英語でCRISPR (clustered regularly interspaced short palindromic repeatの頭文字を取ったもので)直訳すると「クラスター化され、規則的に間隔があいた短い回文構造の繰り返し」となる。これは遺伝子情報DNAには規則的に同じ配列が現出することを、大阪大学微生物病研究所の石野良純氏(現九州大学大学院農学研究院教授)らが1993年に発見したことに端を発する技術で、その配列の繰り返し自体は、太古の昔に細菌がつくりあげたウイルスの侵入に対する防衛機構であることが解明されていた。その防衛機構を人為的に操作することで、狙った特定の遺伝子の書き換えに利用する技術が、2013年にアメリカとフランスの研究者によって開発されたCRISPR-CAS9(クリスパー・キャスナイン)と呼ばれる技術だ。
 1970年代に登場した遺伝子組換え技術は主に食料生産に多く利用されてきたが、従来の遺伝子組み換え技術では、外来遺伝子をゲノムの中の特定の位置に入れることが難しく、効率も悪かった。しかし、クリスパーによって、狙ったDNAの書き換えを低コストで短時間のうちに行うことが可能になった。しかも、その難易度も大幅に低くなり、「高校生が学校の課題でできるレベル」(小林氏)なのだという。
 クリスパーによって遺伝子編集のハードルが劇的に低下し、様々な遺伝子編集の実験がこれまでの常識では考えられないほど容易になったことで、遺伝子編集研究の裾野が大幅に広がることはメリットも多い。医学や食料生産などの分野では、多くの成果が期待できるだろう。しかし、これまで一部の研究機関に限られていた遺伝子の組み換えが、「誰でも容易にできる技術」になってしまうことで、新たに多くの問題が沸き上がってくることは必至だ。
 病気の治療に適用されているうちはまだいいが、遺伝性疾患の予防に有効だとして、クリスパーの技術を受精卵に用いることが認められれば、特定の身体能力を伸ばすような遺伝子操作を行う誘惑に、おそらく人類は勝てないのではないか。また、そこら中で遺伝子をいじるアマチュア科学者が出てくれば、例えば遺伝子を改変された微生物を下水に流してしまうなどして、生態系に予想不能な危害を及ぼしてしまうかもしれない。
 生命医学や食品の分野での遺伝子操作の是非をめぐる倫理面や安全面からの論争は以前から続いているが、クリスパーの登場で誰もが簡単に遺伝子の改変ができるようになった今、いかにその技術をコントロールしていくかは人類全体にとっての大きな課題となっていると言っても過言ではないだろう。「何ができるか」と「何はやっていいか」を明確に識別していく知恵が求められている。
 『ゲノム編集とは何か』、『ゲノム編集からはじまる新世界』などの著者・小林雅一氏と、クリスパーが拓く人類の未来の可能性と危険性などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル マル激放送900回記念トークライブ
社会を壊さないために何ができるかを、あらためて考えてみた

(第899回 放送日 2018年6月30日 PART1:52分 PART2:55分)

 その月の5回目の金曜日に、異色の企画を無料でお届けする5金スペシャル。
 今回の5金は、マル激が来週、第900回放送を迎えるのを記念して、6月30日に外国特派員協会で行われた神保・宮台による公開ライブの模様をお届けする。
 2001年4月の放送開始以来、マル激はジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司のコンビが、世界の政治、経済、社会、メディアなどの諸問題に加えて、社会のあり方や個人の幸せなどについても、多くのゲストを招き、いろいろな角度から議論を積み重ねてきた。
 第900回放送を迎えるにあたり過去の放送を振り返ってみると、17年前の番組開始時に取り上げたさまざまな課題が、依然として今日、われわれの前に大きく立ちはだかっていることに、驚きを覚える。問題の処方箋はおろか、問題そのものを認識することが、ますます難しくなってきているという印象だ。いや、むしろ、誰もが処方箋はわかっているが、それを実行するための痛みにとても耐えられそうもないために、ずるずると流されているうちに、多くのことが手遅れになってきていると言った方が、より正確かもしれない。
 しかし、誰のためにその痛みを甘受しているのかがわからなければ、誰も自分が損をするようなことはしたくないのは当然だ。また、その対象がわかっていても、それが自分たちの「仲間」だと認識できなければ、やはり痛みなど誰も引き受けようとはしない。
 要するに、民主主義が機能していないのではなく、民主主義が機能する前提が機能していないのだ。
 マル激ではこれまでその「前提」とは何で、どうすればそれが再構築できるかを、時間をかけて考えてきた。今回、第900回記念ライブでは、その中身をあらためて振り返り、この先、われわれが目指すべき新しいモデルを展望した。

世界がこれだけサッカーに熱狂するわけ

(第900回 放送日 2018年7月7日 PART1:44時間 PART2:39分)
ゲスト:吉田文久氏(日本福祉大学スポーツ科学部教授)

 実際、ワールドカップの人気は凄まじい。今大会はまだベスト4が出揃っていない段階だが、既に前回大会を上回る関心が集まっているそうだ。前回のブラジル大会では、全試合のテレビの延べ視聴者数が世界207カ国で260億人に達した。これは平均すると毎試合10億人以上が視聴している計算になる。
 それにしてもなぜ、世界中のこれだけ多くの人々が、サッカーにこうまで熱狂できるのだろうか。
 サッカーの起源と言われる「民族フットボール」に詳しい日本福祉大学スポーツ科学部の吉田文久教授は、サッカーは極端に点が入りにくいルールにしたことが、世界的に人気を博している理由であると同時に、サッカーを退屈だと感じる人が多い原因にもなっていると指摘する。
 確かにサッカーほど点が入らないスポーツは、他に例を見ないかもしれない。得点シーンを期待している人にとっては、90分テレビにかじりついていても、せいぜい2~3回しか得点シーンを見ることができないのがサッカーだ。無論、だからこそ、点が入った時の喜びは大きいし、点を取られた時の絶望も大きくなる。
 吉田氏によると、サッカーが点が入りにくいスポーツになっていることには、歴史的な経緯も関係しているという。イギリスには今日のサッカーの原型と言われ、街全体を舞台に街中が参加して行われる「民族フットボール」が、今も多くの地域に残っているが、その多くは、どちらかが点を取った段階で勝者が決まるサドンデス方式なのだそうだ。
 また、民族フットボールが1863年のFA(フットボール協会)設立とともに競技に変遷していく過程でも、途中で枝分かれしたラグビーやアメリカン・フットボールが、ボールを手で抱えて前に進むことを認めたのに対し、アソシエーション・フットボール(サッカー)だけは、一切手を使えないルールを採用するなど、難易度を高くすることで、結果的に点が入り難いスポーツになっていった。サッカーの前身となったフットボールでは、ボールを持って走ることは認められていなかったが、手でボールをキャッチすることは許されていた。
 アイルランドに今も残るサッカーの原型の一つ「ゲーリック・フットボール」はラグビーのようにボールを持って前進することが許されているが、フィールドもラグビーと同じようなゴールポストのクロスバーの下の部分にサッカーゴールのネットが張られていて、ゴールキーパーもいる。ボールがネットの部分に蹴り込まれれば3点、バーの上を超えれば1点が与えられるという、今日のサッカーとラグビーを足して2で割ったようなスポーツだが、当然この方が得点機会はサッカーよりも多くなる。
 実はサッカーに後から加えられたオフサイド・ルールだけは、点がより入りやすくするための措置だったというのが意外だ。オフサイドは攻撃側にとって大きな制約になっているように見えるが、実は伝統的なフットボールではボールを持った選手の前にいる選手は全員がオフサイド扱いだったそうだ。つまりボールを持った選手は、自分より前にいる選手にパスをすることができないため、ボールを前に進めるためには自分自身がドリブルで前進するしかなかった。
 今もラグビーはボールホルダーよりも前にいる選手は全員オフサイドでプレーができないが、一切手を使えず、ゴールは狭く、しかもゴール前には自由に手が使えるゴールキーパーがいるサッカーは、多少オフサイドのルールが緩和されても、最も点が入り難いスポーツであることに変わりはない。
 また、一切手を使えなくしたことで、ラグビーのように身体的に大きな民族が必ずしも優位にならない点も、サッカーが多くの国で盛んになった理由に数えられるかもしれない。ルールが単純で誰にもわかりやすく、ボール一つあれば誰もがプレーでき、体が小さくでも大選手になる夢を持つことができる。
 そう考えてみると、民族フットボールから枝分かれした数々のフットボールの中でも、サッカーはもっとも多くの人に受け入れられるルールを採用したと言っていいのかもしれない。
 これから佳境に入るW杯を横目に、民族フットボールから生まれたサッカーがいかにして現在のような世界で最も人気のあるスポーツに成長していったのかなどについて、数ある民族フットボールの中でも最も伝統的なシュローブタイド・フットボールを現地で取材してきた吉田氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

 

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仮想通貨とブロックチェーンの歴史的意義を見誤ってはいけない

(第881回 放送日 2018年2月24日 PART1:49分 PART2:48分)
ゲスト:野口悠紀雄氏(早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問)

 仮想通貨取引所のコインチェックから約580億円相当の仮想通貨「NEM(ネム)」が不正に引き出された事件は、仮想通貨のリスクにあらためて注目を集める結果となった。2014年にもマウントゴックスという取引所で約470億円分のビットコインが消失した事件に続く今回の事件を見て、「やっぱり仮想通貨は危ない」との印象を強くした人も多かったにちがいない。
 確かに今回の事件の教訓として、取引所の管理体制やセキュリティの強化は急務だ。コインチェック以外にも杜撰なセキュリティ体制を放置している取引所が残っている可能性は否めない。また、仮想通貨の保有者は、通貨を取引所に預けっぱなしにしておくことに一定のリスクがあることも、この機会に知っておくべきだろう。
 しかし、この事件が仮想通貨やそれを支える「ブロックチェーン」という技術そのものに対する不信感や不安を生んでいるとすれば、それは残念なことだ。ブロックチェーンに詳しい野口悠紀雄氏は、今回の事件はコインチェックという一取引所の杜撰な管理体制が引き起こした問題に過ぎず、仮想通貨の信頼性は何ら揺らいでいないことを強調する。
 「現金輸送車が強盗に遭ったからといって、日銀券の信頼が揺るがないのと同じだ」と野口氏は語る。
 実際、仮想通貨NEMの規格を管理するNEM財団のロン・ウォン氏は、今回580億円分のNEMを流出させた取引所のコインチェックが、NEM財団が推奨しているマルチ・シグネチャ方式のセキュリティを採用していなかったことを指摘した上で、今回の事件でNEMのシステムは何ら影響を受けていないことを強調する。
 野口氏は仮想通貨は、インターネットの登場に匹敵する影響を社会に与える可能性があると語る。野口氏によると、インターネットは世界中のどこにでも瞬時に無料で情報を送ることを可能にしたことで、人類の情報伝達に革命的な影響を与えたが、2つの大きな壁があった。それは情報の信頼性と経済的な価値を送ることが難しいという2つだった。
 インターネット上で何かを買う際に、聞いたことのないサイトであれば、誰もが送金をすることを躊躇うはずだ。また、ネット経由で送られてきたメールなどの情報にも、なりすましの可能性など、常に信用の問題がつきまとう。それはそのサイトの信頼性をインターネットが保証できないからにほかならない。信頼性を担保させる方法としてSSL認証などの仕組みがあるが、その認証を得るためには高い費用がかかる。結果的に、Amazonのような既に信頼性が確立されている有名なサイトは多くの人に利用されるが、そうでないサイトは万人の信頼性を得ることが容易ではなかった。
 「これは世界がまだ本当の意味ではフラットにはなっていなかったということだ」と野口氏は言う。
 そして、そのインターネットの2つの弱点を克服する技術が、仮想通貨に使われているブロックチェーンという新しい技術なのだ。
 ブロックチェーンは一言で言えば「電子的な情報を記録する仕組み」ということだが、記録の改ざんが事実上不可能という特性を持つ。記録が改変されないようにするために、ハッシュ関数という方法を使ってそこまでのすべての取り引きが記録され、それがP2Pというコンピューターのネットワークを通じて、その取り引きに関係したすべての人に共有されている。その過程で一ヵ所でも記録が変更されれば、ハッシュ関数はまるで違う文字列を形成してしまうため、改ざんされたことが一目瞭然になるというわけだ。
 ブロックチェーンによってインターネットの限界だった「信用」と「経済的価値の移転」が可能になると、新しい可能性が無限に広がってくる。それは単に情報伝達手段のみならず、会社の経営の方法や家電のIoTにも多大な影響を与えることになるだろうと野口氏は言う。
 それほどの可能性を秘めた仮想通貨やブロックチェーンという画期的な技術の進歩を、一取引所の杜撰な管理が原因で起きた事件のために遅らせるようなことがあってはならないと語る野口氏と、仮想通貨やブロックチェーンの可能性と、それがわれわれの社会に与える影響について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

あの大惨事の教訓はどこへ行ったのか

(第882回 放送日 2018年3月3日 PART1:46分 PART2:46分)
ゲスト:柳田邦男氏(ノンフィクション作家)

 7年前の東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン事故は、放射能汚染によって多くの住民から故郷を奪った。避難指示区域は当初よりは縮小されたが、依然として帰還困難地域も多く残されている。また、除染が進んだことなどを理由に避難指示が解除された地域でも、政府が帰還を推進するのとは裏腹に、十分な社会インフラが回復していないなどの理由から、いまだに避難生活を余儀なくされている人も多い。事故から7年が経った今も、以前の姿に戻ったとはとてもいい難い状況が続いている。
 ノンフィクション作家で震災後、繰り返し被災地に足を運んでいる柳田邦男氏は、102歳で自ら命を絶った福島県飯舘村の男性を例に、生活の基盤を奪われた住民一人ひとりの人生に思いをいたすことの大切さを強調する。災害はとかく被害の規模が数値化されがちだが、その背後には数字だけでは測りしれない一人ひとりの物語がある。
 政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の委員もつとめた柳田氏は、その最終報告にある9つの論点のほとんどが、事故から7年が経った今も、積み残しになったままだと指摘する。特に「被害者の視点からの欠陥分析」の重要性が忘れられており、原発の安全基準でも専門家による技術的なことに重点がおかれたまま再稼働が認められていることに強い危惧を感じているという。数値化されるものしか考慮しなかった“想定外”ということ自体が誤りであったことを教訓としなくてはならないはずなのだ。
 原発事故が実際どれだけ多くの人に「人間の被害」を引き起こしたのか、その全容はいまだに明らかになっていない。事故当時小学校1年生だった子供は、仮設住宅からバスで1時間もかけて遠くの小学校に通い続け、そのまま卒業した。慣れ親しんだ自然豊かな故郷から切り離された子供時代を送らなければならなかったこの子供の受けた被害は無論、被害者の統計上の数値には反映されていない。
 あの悲惨な事故の教訓をわれわれは活かせているのか。事故の教訓を風化させないために今、われわれは何を考えなければならないのか。これまで多くの事故や災害の取材・検証に携わってきた柳田氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。

原子力規制委の安全基準は信頼できるのか

(第883回 放送日 2018年3月10日 PART1:45分 PART2:42分)
ゲスト:新藤宗幸氏(千葉大学名誉教授)

 この3月11日、日本は原発事故から7年目を迎える。
 放射能漏れの報を受け、着の身着のままで自宅から緊急避難したまま、未だ故郷に戻れない人の数は7万人を超え、事故を起こした福島第一原発の事故処理も依然として先が見えない手探りの状態が続く一方で、安倍政権は原発を貴重なベースロード電源と位置づけた上で、2030年のエネルギー需要に占める原発の割合を20~22%と規定し、原発の再稼働を着々と進めている。
 福島第一の事故原因も100%究明できたとは言えない状態の中で、原発の再稼働にお墨付きを与えているのが、事故後、「独立した立場」から原発の安全性を評価するために設置された、原子力規制委員会と呼ばれる行政機関だ。法的には環境省の外局という位置づけにあるため、完全に独立した行政機関とは言えないが、とは言え国家行政組織法3条に基づく、いわゆる3条委員会であり、政府からの一定の独立性が保障されていることになっている。
 そもそも原子力規制委員会は、事故前の原発の安全性が「原子力安全・保安院」と呼ばれる経済産業省の一部局によって審査されていたことの反省の上に設立されている。経産省は安全・保安院を通じて原発の安全性を審査する一方で、エネルギー産業を所掌し、原発を推進する官庁でもあった。一つの組織がアクセルとブレーキの両方の機能を任されるという、本来はあり得ない体制の上に日本の原発は運営されていたために、結果的に、絶対に事故を起こしてはならないはずの原発の安全基準が、極めて杜撰なものとなり、人類史上最悪の原発事故を引き起こしてしまったというのが、その反省の中身だった。
 その反省を受けて、事故後の原発行政の最大の課題は、いかにして政府から独立した中立的な機関によって、原発の安全性が審査される体制を作るかにあった。
 原子力規制委員会は国家行政組織法3条に基づく3条委員会として一定の独立性と中立性が担保されているという触れ込みで発足していた。しかし、5人の委員から成る委員会の委員の人選において、原子力産業の受益者は本来、委員になる資格がないことが法律に明記されているにもかかわらず、当時の野田政権は別途ガイドラインなるものを作成し、5人のうち3人の委員について、原子力業界に深く関連した組織に所属していた人物を採用してしまった。
 しかも、野田政権を引き継いだ安倍政権は、原子力産業と縁の薄い残る2人の委員を僅か2年で交代させ、代わりに原子力産業の重鎮を新たに委員に任命するなど、委員会は当初の「独立」や「中立性」とはほど遠いものへと変質していってしまった。
 当初、活断層の上に設置された原発の再稼働は認められないと主張し、原発の再稼働に厳しい立場を取った地震学者の島崎邦彦氏も、そうして交代させられた委員の一人だった。
 行政学が専門の新藤宗幸千葉大名誉教授は、原子力規制委員会の独立性は名ばかりで、実際は政府の原発継続にお墨付きを与えるだけの御用委員会になっていると指摘する。
 実際、安倍政権が掲げる、2030年のエネルギーの20~22%を原発で賄う計画を実現するためには、原発30基の再稼働が不可欠となる上、12基程度の原発は、規制委が自ら設定した40年の耐用年数を60年に延長しなければ実現ができない。
 新藤氏は、規制委は一見、中立的な立場から技術論を展開しているように見えるが、最初から結論ありきの議論をしているに過ぎないと考えるべきだと語る。
 現在の安全基準の中に避難計画の評価が含まれていないことも、免震重要棟など今回の事故で重要性が明らかになった施設の設置については5年間の猶予を与えたことも、いずれも「最初から結論ありき」から来ているものだと言う。そうしなければ、原発の再稼働はできないし、20~22%のベースロードも実現が不可能になるからだ。
 なぜ日本は政治から真に「中立」で「独立」したチェック機能を持った独立行政委員会を作ることができないのか。どうすれば、日本でも国民の信頼に足る規制機関を作ることができるのか。政府から独立、中立的とは言えない原子力規制委員会がお墨付きを与えた原発の再稼働を、われわれはどう受け止めるべきか。行政のあり方に厳しい意見を投げかけ続けてきた新藤氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

政治をお笑いネタにして何が悪い

(第884回 放送日 2018年3月17日 PART1:1時間12分 PART2:45分)
ゲスト:村本大輔氏(ウーマンラッシュアワー)

 「日本では国のことを話す時、みんな人が変わるんですよ。そんなに揺るがされることが怖いんでしょうか。」
 そう語るのは、昨年末にフジテレビの演芸番組『THE MANZAI 2017』に登場し、漫才のネタの中に、原発や沖縄の米軍基地問題といったデリケートな政治問題を真正面から取り上げて大きな話題を呼んだお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏だ。
 村本氏は話題となったTHE MANZAI 2017の出演後も、元旦に放送されたテレビ朝日の朝まで生テレビに出演し、「殺されるくらいなら、尖閣諸島なんて中国にあげてしまえばいい」などと発言して、物議を醸し続けている。
 いわゆる識者や政治の専門家たちは、そういう村本氏の発言を「勉強不足」だの「非常識」だのと揶揄する人が多い。しかし、その一方で村本氏の疑問が国際政治や日本社会が抱えるもっとも基本的な矛盾点を突いているため、答えに窮した識者たちが逃げ口上として上から目線の反応を示している面も少なからずある。村本氏のあまりに基本的な問題意識は、日頃われわれが知らず知らずのうちに「所与のもの」としている「前提」を揺るがしていることもまた事実なのだ。
 それが村本氏の冒頭の発言につながっている。村本氏は朝まで生テレビの中である識者から「小学校から学び直せ」とまでバカにされ、罵倒されたと苦笑する。
 とはいえ日本では長らく、お笑いの世界で政治ネタや時事ネタはタブーとされてきたことも事実だ。要するに、政治や時事問題に関わるネタは「重くて笑えない」というのが定説のようだ。実際、芸能人が下手に現行の政権やその政策を批判などをしようものなら、「干される」のは必至だと考えられ、実際に干された人も少なからずいる。
 一方、海外ではコメディアンたちが毎晩のように政治をネタにした番組が流され、人気を博している。コメディアンたちが政治問題や社会問題を面白おかしく切ってくれるおかげで、あまり時事問題に興味がない人たちも、世の中で何が起きているかを知ることができている面が多分にある。
 大統領選挙のたびに著名な俳優たちはこぞって支持表明をする。先の大統領選挙におけるロバート・デニーロやメリル・ストリープらのトランプ批判は世界中の注目を集めた。
 日本の芸能界でなぜ政治ネタが強く忌避されるのかについては、きちんと考えてみる必要があるだろう。しかし、理由は何にせよ、政治ネタが嫌がられる日本のお笑いの世界にあって、村本氏はあえてその領域に切り込むことを選んでいる。そして当然の結果として、その動きはこれまで、政治意識は高いがお笑いにはそれほど関心がなかった人々からの強い支持を得る一方で、一部からは強い反発も生んでいる。
 ところが村本氏が反発を生んだり叩かれてまで漫才のネタに政治を取り入れる理由は、意外なものだった。
 「僕自身は正直、日本のためとかはどうでもいいと思ってるんです。福井県で最下位だった高校中退の僕が、お笑いの世界で頑張って、今や石破茂さんまでが、僕と話したいと言ってくれるようになった。僕が頑張れば周囲はそれを見てくれる。僕はそれでいいんです。」
 村本氏の口からは、正義感だの市民意識だのといった大仰な言葉は決して出てこない。例えば原発ネタについても、自身が原発の街、福井県大飯町出身の村本氏は、子どもの頃から感じていた「この電気はどこに行ってるんだ」という素朴な疑問をネタにしただけだという。沖縄の基地問題にしても自衛隊にしても日米関係にしても、普通の人が普通に話を聞いたら「変だ」と感じることを、やや皮肉を込めてネタにしているだけで、それ以上でもそれ以下でもないと村本氏は言う。
 これからは人種問題やテロの問題、国際紛争なども新たにネタに組み込んでいきたいと抱負を語る村本氏は、同時に活動の場を海外にも求めていくことを計画している。実際、今年に入ってから1ヶ月間休みを取り、ロサンゼルスの英語学校の集中英語講座に通い、帰国したばかりだ。
 ロスでは英語学校に通う合間に現地のスタンドアップコメディ・シアターに通い、帰国間際に自ら飛び入りで英語の一人漫才に挑戦している。番組の中でその時の映像も見たが、英語発音には苦労しながらも、鉄板のアジア人下ネタを披露し、しっかり現地の人々の笑いを取っている。
 この先、日本で村本氏の政治ネタ漫才が支持を拡げるか、ウーマンラッシュアワーに続く時事ネタ芸人が登場するかどうかはわからない。また、村本氏のアメリカ進出が成功するかどうかも、現時点では未知数だ。しかし、少なくとも村本氏が芸人としてこれまで日本では長年タブーとされてきた分野に真正面から切り込むことで、日本のお笑いや芸能界のあり方に一石を投じていることだけは間違いない。
 日本ではお笑いや芸能人として一定の成功を収めた人は、テレビのCMに出ることで大きな収入を得るのが、定番になっている。芸能の世界で得た名声を、特定の企業や商品の売り上げのために切り売りすることは恥ずかしいことではないが、それを政治の意見表明のために使った瞬間に芸能界では「干される」のが日本だ。欧米では、著名な芸能人が幅広い社会問題について政治的な意見表明をするのが当然視される一方で、CMに出るようでは芸能人としては終わり、とされている欧米のとは対照的だ。
 村本氏のやや型破りな挑戦が、これから先、日本のやや特異なショービジネス文化にどのような影響を与えるかは、今後も注目していきたい。
 アメリカから帰国したての村本氏に、政治ネタに挑み続ける理由や、アメリカで見てきたものなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

なぜ官僚はそこまでやるのか

(第885回 放送日 2018年3月24日 PART1:55分 PART2:52分)
ゲスト:中野雅至氏(元厚労省官僚・神戸学院大学教授)

 昨年来国会を紛糾させてきた森友学園問題が、ここに来て官僚制度、ひいては日本の民主主義の根幹を揺るがす重大な事態に発展している。財務省が決裁後に改竄された嘘の文書を国会に提出していたことが明らかになったからだ。来週には当時の責任者だった財務官僚の証人喚問が予定され、麻生財務相の辞任も時間の問題と見られるなど、大政局の様相を呈し始めている。
 しかし、それにしても、当初は大阪の一学校法人に対する国有地の不透明な廉売問題だったはずのこの問題がなぜ、ここまで大きな政治問題となってしまったのか。その根本原因は、森友学園に対する明らかに特例的な国有地の払い下げについて、政府が明確な説明ができなかったところにある。
 この問題は既に一年以上にわたり、国会やメディア上で取り上げられてきたが、今日にいたるまで、破格の条件で国有地が払い下げされた本当の理由は、ほとんど何も明らかになっていない。安倍首相夫人が建設予定の小学校の名誉校長を務めていることを知った官僚が、独自の判断で特例的な割引を行ったとする「忖度説」が取り沙汰されることが多いが、実際に首相サイドから秘書官などを通じて何らかの打診が行われていた可能性も否定できない。官邸で首相夫人付の職にあった経産省の谷査恵子氏と森友学園の籠池泰典理事長、財務省理財局との間で土地の払い下げの条件を巡るファックスのやりとりがあったことまでは明らかになっているからだ。
 誰かが勝手に忖度したのであれば、誰がどの段階で何のために忖度をしたのかを明らかにすればいいだけの話だ。また、実際に何らかの指示や口利きがあったのであれば、それを究明すればいい。しかし、安倍首相は自らの関与が無かったと言い張るだけで、政府として事実関係の調査をしようとしないため、いつまで経っても疑惑は疑惑のまま燻り続けてしまうのだ。
 結局、事の真相は今後の国会の証人喚問や検察の捜査を通じて明らかになることを期待するしかない。しかし、いずれのシナリオにおいても、一つ大きな疑問が残る。それは、なぜ天下のエリート官僚たちが、不正を働いてまで不正な土地取引に手を貸し、嘘の証言を行い、挙げ句の果てにそれを糊塗するために文書の改竄まで行ってしまうのかということだ。
 首相官邸側から明確な指示や打診があったのであれば、それに従うのはやむを得ないことかもしれない。しかし、もしそれが事実だったのであれば、なぜ官僚たちは嘘をついてまで政権を庇おうとするのか。また、官邸から指示がなく、単なる忖度の結果だったのであれば、なぜそれを認めることができないのか。いや、そもそもなぜ、何のために、そのような忖度をするのか。それは忠誠心のなせる業なのか。あるいは、どこかで何か別の原理が働いているのか。
 一般的には内閣人事局制度などで政権に人事を握られたことで、官僚、特に幹部官僚たちは官邸の意向には逆らえなくなっていると指摘されることが多い。そのような要素が多少なりともあったことは否定できないだろう。
 しかし、元厚生労働省の官僚で、その後大学教授に転身して官僚制度に関する研究を続けている神戸学院大学の中野雅至教授は、内閣人事局制度が導入される以前から、「いかに政治にうまく胡麻をするか」が官僚に求められる基本的な能力だったと指摘する。もっとも、かつて官僚が政治に胡麻をするのは「省益」のためだったが、内閣人事局制度などが導入され、政治の優位性が顕著になってからは、省益を度外視してでも政治の意向に従わざるを得なくなっていると、中野氏は言う。
 最近の官僚の国会答弁についても中野氏は、「官僚に余裕がなくなっている。昔はもっとしたたかに処理していた。省益にこだわっている場合ではなくなっているのだろう」と見る。
 古くはロッキード事件やリクルート事件に端を発する「政治とカネ」の問題や、大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶスキャンダルなどを経る中で、われわれは「政治家個人から政党へ」そして「官僚から首相官邸へ」と、意図的に権力をシフトさせてきた。内閣人事局制度の他にも、政党助成金や小選挙区制の導入、内閣府という強大な権力を作った省庁再編、党や官僚の頭越しに首相官邸が予算や重要政策の枠組みを決定する経済財政諮問会議や規制改革推進会議、NSCの創設等々、これまで官僚機構や党や党の族議員の間に分散していた莫大な権力を、何年もかけて首相官邸に集中させてきたのが過去30年の日本の政治の歴史だった。
 その流れの中で官僚の立場や行動原理も大きく変わった。森友事件で財務官僚が取った一連の行動の中には、正義感や使命感といった倫理観はもとより、国家観や省益を守ろうとする意思すら感じ取れない。名門大学を卒業し、優秀な成績で国家公務員の職に就いた官僚たちが、その能力を政治への忖度や胡麻すりのためにすり減らしているとすれば、何とも勿体ない。少なくとも現在の官僚制度のあり方が国益に資するものになっているとは、とても言えないのではないだろうか。
 森友問題で露わになった官僚の不可解な行動の背景について、自身が官僚出身の中野氏に、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の西田亮介が聞いた。

5金スペシャル
「真実の瞬間」への備えはできているか

(第886回 放送日 2018年3月31日 PART1:1時間3分 PART2:1時間18分)

 マル激では恒例となった、その月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。今回は映画特集として「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」、「ザ・シークレットマン」、「15時17分、パリ行き」の3本の洋画を取り上げた。
 日本では今週公開された「ペンタゴン・ペーパーズ」は、言わずと知れた1970年代初頭の機密文書流出事件を、巨匠スピルバーグが描いた作品。舞台となるワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハム役をメリル・ストリープが、ベン・ブラッドリー編集主幹役をトム・ハンクスの2人の大御所が務めている。
 映画では、内部告発者からベトナム戦争が大義無き戦争であることを露わにする機密文書「ペンタゴン・ペーパー」を入手したワシントン・ポスト紙の社主や経営陣、編集幹部らが、国家機密漏洩の罪に問われ、場合によっては社を倒産に追い込む恐れがある中で、報道機関として国民の知る権利に応え、記事を掲載すべきかどうかの葛藤に激しく揺さぶられる様がビビッドに描かれている。
 この事件は結果的に、記事の掲載に踏み切ったワシントン・ポストは罪に問われることはなく、内部告発したダニエル・エルスバーグ博士も、政権側の失態によって刑事罰を逃れたハッピーエンドで終わっている。また、この文書の内容が報道され、歴代の政権の嘘が露わになったことで、ベトナム戦争に対する国民の反戦機運が一気に高まり、その後ほどなくアメリカはベトナムからの撤退を余儀なくされている。その引き金となったのが、このペンタゴン・ペーパーだった。
 実は流出したペンタゴン・ペーパーの中身が最初に報道された1971年6月、時を同じくして日本でも政府の機密が報道される事件が起きていた。毎日新聞の西山太吉記者による沖縄密約報道だ。これは沖縄返還に際し、米軍が撤退した跡地の原状回復費を実際は日本側が負担することで米政府と合意しておきながら、当時の佐藤栄作政権は国民や国会にはアメリカ側が負担していると嘘をついていたことをすっぱ抜いたものだった。国家機密の流出によって、時の最高権力者の嘘や政権ぐるみの陰謀を暴いたという意味では、この報道もペンタゴン・ペーパーに勝るとも劣らない大スクープだった。
 ところが日本では、西山氏に機密文書を渡した外務省の女性事務官と、それを元に記事を書いた西山氏が、国家公務員の守秘義務違反で逮捕されてしまった。しかも、西山記者に対する起訴状の中で検察は、西山氏が女性事務官と男女の関係にあったことを殊更に強調したために、その瞬間にこの事件は「政府が国民を騙した国家犯罪」から、ケチな下半身スキャンダルへと様変わりをしてしまった。
 事件のスキャンダラスな報道がワイドショーや週刊誌で連日報じられ、西山氏や毎日新聞に対する世論の風当たりが強まるにつれ、政府の嘘を批判する報道はメディアから姿を消していった。結果的にこの事件では西山氏と事務官の女性が有罪判決を受け、西山氏は毎日新聞からの退職に追い込まれているのに対し、国会や国民に嘘をついていた佐藤首相や福田赳夫外相らは何の罪にも問われていない。そればかりか、佐藤氏はその後ノーベル平和賞を受賞し、福田氏はちゃっかり首相の地位にまで登り詰めている。
 映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を見ると、日米でほぼ同時期に起きた機密文書の流出事件とメディアによる国家陰謀のすっぱ抜きが、なぜかくも異なる経過を辿ることになったのか、その理由を考えずにはいられない。
 映画「ザ・シークレットマン」はジャーナリスト出身で最近では「パークランド」「コンカッション」などの社会派映画で知られるピーター・ランデスマン監督による、ウォーターゲート事件の内幕を描いた作品。
 ワシントンのウォーターゲートビル内にある民主党全国委員会本部に、盗聴器を仕掛けるために不法侵入した5人組が逮捕されたことに端を発するウォーターゲート事件が、最終的にアメリカ史上初の大統領の辞任にまで繋がった背景に、ワシントン・ポストの報道があったことはつとに有名だが、その報道の情報源だった人物が、この映画の主人公で当時FBIの副長官だったマーク・フェルトだった。
 ワシントン・ポストのウッドワード、バーンスタインの2人の記者は、情報源となった「ディープ・スロート」の名前は、その人物が死亡するまで明かさないと約束していると主張し、公表を控えていたが、フェルト自身が亡くなる3年前の2005年に、自分が情報源だったことを名乗り出ていた。
 この映画ではFBIに生涯の忠誠を誓う典型的な組織人のフェルトが、フーバー長官の死後、FBIをニクソン政権の介入から守るために戦う中で、最後の手段としてワシントン・ポストに捜査情報を流した様が克明に描かれている。結果的にフェルトの意図した通りニクソンは失脚に追い込まれ、FBIはニクソン政権の介入を防ぐことに成功したわけたが、これを政治と官僚の権力闘争において、官僚が官僚として知り得た特権的な情報を使って政権の追い落としに成功した事例だったと考えると、フェルトの行動を手放しに讃えていいかどうかについても一考が必要になるだろう。
 恐らくこれは現在の日本の政治状況にも通じる問題だ。官僚は常に組織防衛を最優先するがゆえに、官僚にとっては予算の獲得と人事が常に最大の関心事となる。マックス・ウェーバーも指摘するように、官僚がそのように動く生き物であることは、最初から分かっていることだ。しかし問題は、官僚がそのように動くことによって、結果的にシステムが国民の利益に繋がるようなアーキテクチャー(制度設計)ができているかにある。
 フェルトは個人的には、必ずしも正義感や公共心からではなく、FBIという組織を守りたい一心から捜査情報をワシントン・ポストにリークしたが、その行為によって結果的に大統領の犯罪をあぶり出すなど正義が貫徹され、国民の多くが、最高権力による犯罪に対する備えが不十分だったことを理解するなど、多くの公共的な利益を生み出している。しかし、もしも制度設計がしっかりしていなければ、それぞれの官僚が利己的な組織防衛に動くことが、国民全体に大きな災禍をもたらす可能性もある。
 今回の3本目は「15時17分、パリ行き」。マル激の5金映画特集で何度も取り上げてきたクリント・イーストウッド監督による最新作だ。
 これは実際に起きた事件の当事者の3人が主役を務めるという珍しいキャスティングの映画だが、社会の中で必ずしも勝ち組とは呼べない素朴な人生を生きてきた3人の若者が、無邪気にヨーロッパ旅行を楽しむ中で、たまたま乗車した列車が無差別テロの標的にされるという実話に基づいている。ちょっとナイーブな普通の若者がたまたま遭遇した「真実の瞬間」にどのような行動を取ったかを描くために、その若者たちのその日に至る人生の歩みが、生い立ちから延々と描かれている。
 何をやってもうまくいかなかった主人公のスペンサーが、テロリストに銃口を向けられた瞬間にとった咄嗟の行動が、実はそれまでの人生が回り道をした部分も含めすべて、その瞬間のためにあったと思わずにはいられない、そんな映画だ。「運命」と置き換えてもいいのかもしれない。
 それは「ペンタゴン・ペーパーズ」でワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハムが、機密情報の記事を掲載するかどうかのギリギリの決断を迫られた瞬間や、「ザ・シークレットマン」でFBI副長官のマーク・フェルトが、ニクソンからウォーターゲート事件の捜査の打ち切りを命じられた「真実の瞬間」、彼らが何を考えどう行動したかと通じるものがあるように思えてならない。
 この3本の映画を見て感じたことや考えたことを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

公文書隠して国滅びる

(第887回 放送日 2018年4月7日 PART1:53分 PART2:43分)
ゲスト:瀬畑源氏(長野県短期大学准教授)

 森友学園問題や加計学園問題は大きな政治問題となり、安倍政権の支持率の急落をもたらすなど、今後の政局に大きな影響を与えている。憲法改正の発議だの安倍3選だのといった、一度は既定路線のように語られていた政治日程は、根本から見直しを強いられているといっていいだろう。
 しかし、これが、権力がいかに行使されたかを検証するための公文書がきちんと保存されていなかったという国家の根幹にかかわる大問題であり、例えば安倍政権が退陣すればいいというような一政権だけの問題ではないことは、いま一度確認が必要だろう。
 言うまでも無く日本は民主国家であり、国民が主権者だ。その国民が選挙を通じて政治に政府の運営を負託し、国民から政府を運営するための権限(権力)を負託された政治は、きちんと官僚をコントロールして正しく政府を運営する責任を国民に対して負っている。
 政府がどのように運営され、その過程で国民が政治に負託した権力がどのように行使されたかが、後世にも検証可能な形で記録されているのが、他でもない公文書だ。国民は公文書だけが、政府が正統に運営され、権力が正しく行使されているかどうかを確認するための手段となる。
 今回はたまたま、森友学園という大阪の学校法人に対して小学校設立のための国有地の払い下げの過程で、通常では考えにくい値引きが行われていたことが明らかになり、特に首相夫人がその学校の名誉校長を務めていたことなどから、不当な政治権力が行使された疑いが持たれることになった。
 本来であれば、この疑惑を晴らすのはいたって簡単なことのはずだった。国有地払い下げの過程でどのような交渉が行われ、誰がどのような理由で8億円もの値引きを決裁したのかを説明する公文書がきちんと保存されていれば、それを参照すればいいだけの話だったのだ。
 ところが、単に一学校法人に対する国有地の払い下げが正当なものだったことを裏付ける公文書が、一向に出てこなかったのだ。当然、疑惑は深まる。国会での野党の追及も厳しくなる。また、そうこうしている間に、本来は存在しないはずの文書が、リークなどによってボロボロと出てくる。その過程で野党の追及に辟易とした首相が、「自分や妻が関わっていれば総理も議員も辞める」などと言い放ってしまったから、さあ大変。払い下げの当事者となった財務省は、ついに決裁文書の改竄という、最悪の禁じ手にまで手を染めることになってしまった。
 今回は問題が表面化してからの政府の対応があまりにも杜撰で、話がどんどん膨らんでいってしまったために、そもそもどこに問題があったのかが見えにくくなってしまった。公文書が改竄されるに至っては、改竄の事実の方が問題の中心になってしまった感さえある。そもそもこれはどういう問題で、どこに本質的な問題があるのかをしっかりと押さえておかないと、今後も国会の政治劇やメディアのニュース娯楽劇に翻弄されてしまいかねない。
 日本は2011年4月1日から施行されている公文書管理法という立派な法律がある。まだまだ細かい点で改善を必要としているが、「行政機関の職員が職務上作成し、組織的に用いられている文書はすべて公文書として保存されなければならないようになっている。また、日本には2001年に施行された情報公開法という立派な法律もある。それらがしっかりと守られていれば、国有地の払い下げや学校の認可のような癒着や腐敗が起きやすい意思決定は、すべて記録が保存されていなければおかしい。
 公文書問題に詳しい長野県短期大学の瀬畑源准教授は、政府内では公文書管理法が骨抜きにされていると言う。なぜならば、各省が独自に公文書管理のガイドラインを勝手に設け、法律の条文を恣意的に狭く解釈するなどによって、無数の抜け穴を作っているからだ。
 例えば森友学園への国有地の払い下げの場合、財務省は「引受決議書」や「売払決議書」は30年の保存期間を定めている。しかし、それはあくまで最終的な決定文書だけが対象で、そこに至る交渉過程などは「歴史的に重要ではない」との理由から、原則1年未満で処分することが、財務省自身が作成した細則で定められているのだ。
 これは、国有地の売却問題では政治家の口利きが日常的に行われていて、財務省はガイドラインや細則といった自ら決定したルールに則りながら、不適切な払い下げの証拠抹殺をルーティンワークにしていた可能性の存在を示唆していると瀬畑氏は指摘する。このような杜撰で恣意的な公文書管理体制の下では、森友学園問題は巨大な氷山の一角だった可能性が高いのだ。
 公文書は単に不正が行われていないことを確認するためだけにあるのではない。ある時点での政策決定や権力行使の過程を、歴史上のできごととして後世に検証したり研究するためには、公文書が正しく保存されていることが必須だ。恣意的な判断で公文書が廃棄されている現状のままでは、日本の歴史にぽっかりと大きな穴が開いてしまったも同然だ。
 日本は数々の疑獄事件や官僚の不祥事などを経る中で、「政治改革」の名の下に、政府、とりわけ首相への権力の集中を進めてきた。小選挙区制や政党助成金、内閣人事局制度などは、いずれも首相に権力を集中させることを目的としていた。そうして自民党の派閥や大ボス、族議員、官僚の影響力を削ぐことで、首相がリーダーシップを発揮しやすい環境を作り、激動する世界情勢によりスピーディーに対応することが可能になる、という話だった。
 確かに権力の集中は行われたが、どうやらわれわれは集中した権力をチェックする機能を強化する作業を怠ってきたようだ。肥大化した権力は、官僚の中の官僚と言われ、エリートの名を欲しいままにしてきたあの財務省が、首相を守るためには公文書の改竄などという犯罪行為に手を染めることさえ厭わないほど、強く怖い存在になっていた。
 肥大化した権力に対するチェック機能を回復させるためには、まず一丁目一番地として、厳格な公文書管理と情報公開が不可欠だ。それが各省の内規によって簡単に抜け穴が作られたり歪められ、官僚が公文書管理法や情報公開法に違反をしても罰則がないというような現状では、真っ当なチェック機能が働くわけがないではないか。
 政治の質が低いと公文書管理や情報公開が杜撰になるというが、本来その話は逆だ。罰則を厳しくしたり外部監査を導入するなどして、政府が公文書管理や情報公開を徹底せざるを得ない状況を作れば、政府はそれに見合ったレベルの政治を行わざるを得なくなる。
 「大山鳴動して政権一つが倒れる」だけでは、何の解決にもならない。今こそ、問題の根っこにある公文書管理の問題点を再検証すべく、日本で数少ない公文書の専門家の瀬畑氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

観察映画に描かれた日本とアメリカの今とこれから

(第888回 放送日2018年4月14日 PART1:1時間16分 PART2:1時間11分)
ゲスト:想田和弘氏(映画監督)

 「観察映画」というジャンルがあるのをご存じだろうか。
 実在する人物が登場するという意味ではドキュメンタリー映画の一種だが、通常のドキュメンタリーと異なり、「事前のリサーチなし」「打ち合わせなし」「台本なし」のないないづくしに加え、撮影や編集も監督自身が一人で行うというのが、「観察映画」の基本だという。
 この独特の手法で『選挙』、『精神』、『Peace』、『牡蠣工場』などの作品を世に問うてきたのが、ニューヨーク在住の映画監督、想田和弘氏だ。
 6月9日に日本で公開予定の『ザ・ビッグハウス』は想田監督の最新作で、アメリカの大学のフットボールを扱った作品だ。タイトルの『ザ・ビッグハウス』というのは、多くのスポーツの分野で全米屈指のリーグを形成している「ビッグ10」の強豪ミシガン大学が本拠を置くフットボール場『ミシガン・スタジアム』の愛称だ。
 アメリカン・フットボールを取り上げた作品ではあるが、『ザ・ビッグハウス』にはフットボールの試合は全くと言っていいほど出てこない。この映画は毎週10万人を超える観衆が集まるこのスタジアムで何が繰り広げられているかを、17台のカメラでスタジアムの隅々まで徹底的に追いかけ、記録している。そこには、準備に追われる警備員や夥しい量の食材を扱う厨房、出番まで待機する何百人ものマーチング・バンドやチアリーダーたちの舞台裏の緊張した表情、試合で傷ついたヘルメットの一つひとつにペイントを塗り直すロッカールームの裏方などなど、フットボールの試合以外の全てが記録されている。
 トランプ大統領を生んだ2016年大統領選挙の直前となる10月末に撮影されたこの作品には、地元の大学のフットボールチームの成績に一喜一憂する人々が無数に登場する。彼らは一見、トランプの躍進に揺れる激動の政治情勢やその背景にあるアメリカの深刻な問題とは無縁の存在のように見える。しかし、一つひとつの場面をより注意深く「観察」してみると、そこには人種問題や貧富の差、飲酒問題、現状に不満を持つ白人層の存在などが、しっかりと捉えられている。そもそも大統領選挙直前のこの時期に、市の人口を上回る数の人が、全身全霊を懸けて大学フットボールに熱狂している様は、アメリカの地方都市特有の豊かさと同時に、アメリカの病理を反映していると見ることができる。
 一方、現在公開中の『港町』は、想田氏自身が岡山県の小さな漁村に泊まり込みながら、その地の人々との触れ合いを描いた作品だ。全てがスーパーサイズだった『ザ・ビッグハウス』とは対照的に、過疎の村でゆっくりとした時間が流れる。これもまた、よく観察眼を凝らして映像を見ると、一見、過疎の村の素朴な人々との触れ合いを描いているように見えて、そこには崩れゆく日本の伝統的な共同体の様や、長い時間をかけて形成された生産(漁業)と生活の持続可能なサイクルの崩壊が、見事なまでに映し出されている。
 一つひとつのカットが長く、ナレーションもテロップ(字幕)もBGMもない想田氏の観察映画は、制作者側の視点や価値観を押しつけてはこない。しかし、その映像は否が応にも見る者に多くのことを考えさせる。
 「選挙」、「牡蠣工場」などの観察映画で知られる想田氏が『ザ・ビッグハウス』『港町』を通じて描こうとしたものは何だったのか。観察映画の制作者の目には、現在のアメリカや日本の政治・社会状況はどのように映っているのか。ニューヨークから一時帰国中の想田氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、想田映画に描かれた日本とアメリカの現状と未来について議論した。

金正恩の外交攻勢の真意を探る

(第889回 放送日 2018年4月21日 PART1:55分 PART2:56分)
ゲスト:宮本悟氏(聖学院大学政治経済学部教授)

 今日のテーマは今、国際論壇で話題となっている「シャープパワー」。
 北朝鮮の外交攻勢が止まらない。
 ついこの間まで国際社会を挑発するかのように核実験やミサイル発射実験を繰り返し、アメリカとの間で一触即発の緊張状態にあった金正恩が、平昌五輪への参加を機に態度を軟化させ、トランプ大統領と朝鮮半島の「非核化」について話し合う意向まで示している。4月21日には一方的に核実験とICBMの発射実験の中止を発表するなど、ついこの間までトランプ大統領と罵り合いを繰り広げていたことが、まるで嘘のようだ。
 北朝鮮の内情に詳しい聖学院大学の宮本悟教授は、北朝鮮が対話路線に転じたこと自体は、さほど驚くことではないと指摘する。金正恩委員長は2015年から「新年辞」と呼ばれる新年の政策方針で、韓国との話し合いの意向を示してきたからだ。
 とはいえ、北朝鮮が南北首脳会談のみならず、米朝首脳会談まで受け入れた背景には、韓国の文在寅政権の役割が大きいと宮本氏は言う。北朝鮮が核やICBMの開発を続ければ、いずれ米国との間で軍事衝突に発展することが避けられない。その場合、韓国にも甚大な被害が及ぶため、韓国としてはそれだけは何としても避けたい。文在寅政権は韓国が独自に北朝鮮に「非核化」を受け入れさせることは困難であるという現実を受け入れ、米朝の話し合いを仲介する道を選んだ。
 一連の外交攻勢の結果、来週の南北首脳会談に続き、5月から6月初旬には史上初の米朝首脳会談が予定され、朝鮮半島の「非核化」が本格的に話し合われることになる。米朝の首脳がサシで会い朝鮮半島の「非核化」を議論することが本当に実現すれば、正に歴史的なイベントになるが、この「非核化」が何を意味するのかについては、依然として不透明な部分も多い。北朝鮮は在韓米軍の撤退までは求めない意向を明らかにしているが、かといって北朝鮮が一方的に核やミサイルを放棄することは考えにくい。
 金正恩の真の狙いはどこにあるのか。もし首脳会談で米朝関係が好転すれば、朝鮮半島の統一は進むのか。北朝鮮の真意や今後の見通しを、気鋭の朝鮮半島ウオッチャーの宮本氏にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

なぜフェイスブックがここまで叩かれるのか

(第890回 放送日 2018年4月28日 PART1:1時間 PART2:56分)
ゲスト:塚越健司氏(社会学者、拓殖大学非常勤講師)

 世界最大のSNSサイト、フェイスブック(Facebook)が激しい批判に晒されている。
 フェイスブックについては昨年来、トランプが勝利した2016年の大統領選挙でフェイクニュースの拡散に悪用されるのを防げなかったことなどが批判を招いていたが、ここに来て大量の個人情報の流出が発覚したことで、今やマスメディアを遙かにしのぐ世界最強の情報インフラの地位を獲得したフェイスブックのあり方が、ついに政治問題化するに至っている。4月10日、11日の両日、マーク・ザッカーバーグCEOが議会の公聴会に呼ばれ、上下両院議員から厳しい追及を受けた。
 著名人の間でもフェイスブックのアカウントを削除する動きが活発化しており、SNS上ではフェイスブックのアカウント削除を呼びかける「#DeleteFacebook」のハッシュタグが飛び交っている。
 こうした状況を受けて、個人情報流出が報道されて以降の同社の価値は一時株価にして15%、時価総額では800億ドル(8兆5千億円)あまり急落した。
 日本ではそれほど爆発的な支持を得ていないので今ひとつ実感が湧かないかもしれないが、世界で月間ユーザー数22億人、1日のユーザー数も12億人を超えるなど、もはや世界一の巨大な情報インフラとなったフェイスブックから個人情報が流出した事件は確かに深刻だ。しかも今回の情報流出が8700万人という膨大な量になった理由は、「This is your digital life」と呼ばれる心理テストのアプリを利用した30万人の個人情報に加え、そのユーザーが友達登録している人の個人情報まで一緒に流出していたためだった。ユーザー自身が全くうかがい知れないところで、フェイスブック上の友達が何かにひっかかれば、自分の個人情報まで流出してしまう。これは「お友達のネットワーク」というフェイスブックが最大のウリにしている機能が仇となったという意味で、フェイスブックのビジネスモデルの根幹に触れる問題でもあった。
 確かに、月間ユーザー数で世界の3人に一人が利用するフェイスブックは、類を見ない巨大なサービスに成長した。しかし、とは言え、所詮は数あるSNSサービスの一つに過ぎないフェイスブックの問題が、なぜワシントンで政治問題化するまで深刻に受け止められているのだろうか。
 SNSやハッキングなどネット社会の問題に詳しい社会学者の塚越健司氏は、今回の情報流出にはフェイスブック側の過失もあったことを指摘した上で、今フェイスブックへの風当たりがここまで強くなっている背景には、単なる情報流出とは別次元の要素があると指摘する。
 そもそも今回フェイスブックから流出した情報も、フェイスブックが集めている個人情報も、すべてユーザー自らがフェイスブック側に提供している情報だった。ユーザーはフェイスブックにアカウントを作成する際やアプリをダウンロードする際に、そうした項目に同意している。プライバシー・アグリーメントなどと呼ばれるものだ。また、お友達の情報を第三者に提供するかどうかについても、各ユーザーに選択肢は委ねられている。
 しかし、小さな字で事細かくさまざまな条件が書かれたプライバシー・アグリーメントや、フェイスブックのサイトの様々な機能や設定を各ユーザーが読み解き、完全に理解することはほとんど不可能だ。
 結果的に気がつけば膨大な量の自身の個人情報のみならず、友達の情報まで自覚のないままフェイスブックや第三者に提供している可能性があるが、ユーザーはどれだけの個人情報が事業者側に蓄積されているかを確認することもできない。
 議会公聴会で必ずしもSNSやインターネットに詳しくない高齢の議員が、ザッカーバーグCEOに対し「今後こういうことができるようにしてもらえますか」と問い質したのに対し、ザッカーバーグCEOが「それは最初からできるようになっています」と答えるようなやりとりが、何度も繰り返された。ユーザーが「その気になればできる」かどうかと、現実的に誰もがその機能を「使いこなせる」ようになっているどうかは、別次元の問題なのだ。
 しかし、今回のフェイスブックの情報流出を機に、SNSと個人情報の問題にあらためて社会の関心が集まったことで、新たに色々なことがわかってきた。どうやらフェイスブック問題は、単なる情報流出やユーザーが細かいプライバシー・アグリーメントを読み切れない問題よりも、ずっと深刻なことになっているようだ。
 例えば、ザッカーバーグCEOは議会公聴会の議員とのやりとりの中で、フェイスブックがフェイスブック・ユーザー以外の情報も集めていることを認めている。これは、フェイスブックの「いいね」ボタンが設置されているサイトを閲覧すると、「いいね」をクリックしなくても閲覧に使ったパソコンやスマホに残る履歴などがフェイスブックのサーバーに自動送信される仕組みのことだ。フェイスブックは無自覚に個人情報をあげているユーザーやユーザーの友達のみならず、フェイスブックを利用していない人の情報まで様々な形で収集していたのだ。
 今、アメリカではフェイスブックが顔認識ソフトを使って投稿された写真から個人名を特定し、それを集積した他の個人情報と合体させることで、更なるターゲッティング広告の有効化に結びつけようとする動きが問題視されている。仮にアカウントを匿名にしていても、顔写真は名前以上に個人を特定する有効な手段となり得る。「インスタ映え」などと言って無防備に顔写真をネットにあげていると、知らないうちに膨大な量の個人情報が蓄積されてしまっている可能性がある。ちなみに日本で人気のインスタグラムもフェイスブックが保有するサービスだ。
 そして、こうした問題は決してフェイスブックに限ったことではない。ネット上ではサイト運営者によってユーザー側の情報が集められ、それが広告目的で利用されていることはもはや常識となっている。この「シャドー・プロファイル」は5年以上前から問題として指摘されているが、今のところ何の規制もなく野放しになっている。そして、そこで集められた情報が単なる広告・宣伝目的にとどまらず、個人の政治信条や投票行動にまで影響を与えていたことが指摘されているのが、2016年の大統領選挙だった。
 今回のフェイスブックの情報流出によって、期せずして社会から再認識されるようになったネット事業者の個人情報の収集とその再利用を、このまま放置しておいていいのか。その一方で、それを法律などによって制限することによって、これまで通りの利便性が享受できなくなることに、われわれは果たして耐えられるのか。ユーザー側の無防備さと、フェイスブック、グーグル、アマゾンなどほんの一握りの事業者が世界の人口の大半の個人情報を握ることの危険性などについて、新進気鋭の社会学者の塚越氏とジャーナリスト神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.87(871~880回収録)

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東京五輪を持続可能な大会にするために

(第871回 放送日 2017年12月16日 PART1:44分 PART2:47分)
ゲスト:花岡和佳男氏(シーフードレガシー代表)

 オリンピック・パラリンピックが単なるスポーツの祭典だと思っていたら大間違いだ。
 確かに、世界最高のアスリートたちが最高のパフォーマンスを競い合うオリンピックやパラリンピック(以下東京2020)は、スポーツイベントとしても世界中の人々を魅了するに十分なものがある。しかし、オリンピック憲章はその第1章で、「スポーツ」、「文化」と並び「環境」を「オリンピック・ムーブメント」の3つの柱の一つに据えている。オリンピック・パラリンピックは決して、単なるスポーツイベントではない。
 東京2020が世界から成功した大会として認められるためには、ロンドン大会以来守られてきた環境基準、とりわけ持続可能な資源調達の基準を守り、より高い水準に高めていくことが不可欠となる。
 ところが日本では、毎日のように五輪ネタがメディアを賑わせている割には、3本柱の一つである「環境」がとんと話題にのぼらない。五輪の招致委員会は五輪を招致するにあたり、わざわざ「環境を優先した東京大会」を掲げていた。しかし、現時点での東京2020の環境基準は、過去の大会と比べて大きく見劣りしているのが実情なのだ。
 五輪の持続可能性は4つの分野における資源の調達基準という形で評価を受ける。「水産物」と「農産物」、「畜産物」、「木材」の4分野だ。それに加えて紙とパーム油の2分野でも現在調達基準策定のための検討が進んでいるという。具体的には東京2020の組織委員会が各分野で調達の基準を定めた「調達コード」というものを策定し、そのルールに則って大会で使われる資源の調達が行なわれる。その基準を満たしていない事業者や物資は、東京2020で使うことができないことになる。
 調達コードがある4分野のうち「木材」以外は基本的に食材ということになるが、選手だけで約200ヶ国、約1万5,000人が集まる世界最大のイベントであり、オリンピック・パラリンピック大会期間中に約1,500万食(選手村だけで約200万食)以上の食料を調達しなければならないことを考えると、そこで作られた基準が今後のオリンピックのみならず、その後の世界の食料調達基準に与える影響は計り知れない。逆の見方をすれば、東京2020でこれまで守られてきた基準を壊してしまえば、東京大会は資源の持続可能性を破壊する悪しき伝統の起点という歴史上、不名誉な名を残すことにもなりかねない。東京2020の国際的な責任はいたって重大なのだ。
 4分野の一つ「水産物」で積極的な働きかけを行っているシーフードレガシー代表の花岡和佳男氏は、東京2020の大会組織委員会が定めた「持続可能性に配慮した水産物の調達基準」は、FAO(国連食糧農業機関)のガイドラインに準拠しない日本独自の認証方式(エコラベル)が認められたり、トレーサビリティの追求が甘かったりするなど、ロンドンやリオ大会が培ってきた国際基準から大きく後退していると残念がる。
 しかし、花岡氏は同時に、もし組織委がロンドン・リオと同水準の国際的に通用する調達基準を定めてしまえば、少なくとも水産物に関しては東京2020で調達される食材から国産の食材が一切排除されてしまいかねないと指摘する。要するに、日頃の日本国内の資源管理が、国際的に通用するものになっていないため、五輪だからといって急に国際基準を導入しようものなら、到底遵守できないようなものになってしまうというのだ。そのため組織委が定めた調達基準は、日本の実情に合わせて基準を下げているのが実情だという。
 東京で五輪が開催されるとなると、五輪関係者ならずとも、お寿司や新鮮な魚を楽しみにしてくる人も多いに違いない。ところが、もし今の日本でまともな国際調達基準など定めようものなら、五輪で提供される水産物のほとんどが輸入食材になってしまうというのでは、確かに洒落にならない。
 花岡氏は日本政府が日頃から水産資源の資源管理を蔑ろにしてきたことのツケが、いざ五輪開催となった時に大きく回ってきた形だと指摘するが、同時に無理なものは無理なので、高望みをするよりも、五輪を機に少しでも日本の資源管理のあり方を国際的に通用する基準に近づけていくことが重要だと語る。
 実際、日本政府は資源管理を各地域の漁協に任せてきたこともあり、日本の水産資源管理は持続性を確保できていない場合が多い。背景には地域漁協の自治という日本独特の伝統や、補助金とリンクした政治的にデリケートな問題があるのも事実だろう。しかし、そうこう言っているうちに、日本の漁獲量は最盛期の3分の1以下にまで減り、漁業大国のはずだった日本は水産資源の多くを、大きく輸入に依存しなければならなくなっている。水産資源の持続性を確保することは、東京2020を超えて、日本にとっても喫緊の課題なのだ。
 日本は水産物以外の分野にも、持続性や環境基準などがクリアできていない分野が多い。また、以前にこの番組でもお伝えしているが、バリアフリー化や分煙化も、まだまだ日本が遅れている分野の一つだ。もちろんその一つ一つは単なる怠慢の産物とは限らず、それぞれに諸事情があってのことだろう。しかし、国内的にはそれで通用しても、国際的には「日本固有の事情」はなかなか通用しない。また、輸入に頼っていたり、今後輸出を期待するのであれば、国際標準のクリアは避けて通れない。
 東京2020は日頃、国内の様々な利害関係によってなかなか進展しなかった各分野での持続性や環境基準などを一気に前に進める絶好の機会となるはずだ。残念ながら、こと水産物については、日本が2020年までに国際基準を一気に満たすのは難しそうだが、五輪を機にその方向に向けて大きな一歩を踏み出すことができれば、東京2020は「成功」だったと世界に胸を張って言えるのではないか。
 オリンピック・パラリンピックという世界最大のイベントを、様々な障害にぶつかりなかなか自力だけでは進まない改革を前進させる奇貨とするために、今われわれがやらなければならないこと、考えなければならないことは何なのか。花岡氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

教育無償化のあるべき姿を考える

(第872回 放送日 2017年12月23日 PART1:55分 PART2:54分)
ゲスト:神野直彦氏(東京大学名誉教授)

 教育の無償化が、政策課題として大きくクローズアップされている。
 安倍政権は旧民主党が主張する教育無償化には一貫して反対の姿勢を示してきたが、先の衆院選前に突如としてこれを公約に掲げていた。
 それを受けて政府は12月8日、「人づくり革命」と「生産性革命」を主眼とする「新しい経済政策パッケージ」を閣議決定。2兆円をかけて幼児教育と高等教育の無償化に加え、待機児童の解消などにも取り組む方針を打ち出した。財源としては、2019年10月に予定される消費税の引き上げ分から1.7兆円を拠出し、残る3000億円は企業負担で賄うとしている。
 教育の無償化については、これを歓迎する意見がある一方で、実現の見通しや財源への懸念などが指摘されている。しかし、それ以前の問題として、教育を無償化することの意味や、その背景にある理念については、まだほとんど議論が交わされていない状態だ。
 現在、有償で提供されている幼児教育や高等教育が無償化されるということは、各人が私的に負担している教育が、税金によって公的に賄われる「社会の共同事業」となることを意味している。結局のところ国民が負担することに変わりはないが、私的負担から公的負担への変更にどんな意味があるのかを、この際、しっかりと議論しておく必要があるのではないか。
 財政学が専門で、「教育再生の条件」などの著書がある神野直彦・東京大学名誉教授は、ここに来て突然、安倍政権が教育無償化を言い出した理由は、これまで金融政策に重点をおいてきた経済政策を修正せざるをえなくなっているからではないかと指摘する。戦後二番目の好景気などと囃されながらも実質の給与は上がらず、社会の経済格差は広がる一方だ。また、失業率が下がっているが、低賃金の仕事では相変わらず人手不足が続いている。先進各国では産業構造が大きく変わり、すでに知識を基盤とする社会に移行しているのに、物づくりにこだわる日本はその流れに大きく出遅れている。
 日本の公財政教育支出の対GDP比は3.2%、OECD諸国のなかでも最下位にランクする。神野氏は、物づくりから人づくりへシフトするために、政府が教育支出を増やす方向に舵を切ったことについては一定の評価をするものの、現在の無償化案が本当の意味での人づくりを志向したものになっているかどうかについては、疑問を呈する。
 意欲はあっても経済的な理由で十分な教育が受けられない人への公的支援は必要だが、教育支出を増やすに当たっては、そもそも何のために教育があるのかを認識する必要がある。産業構造が変化するなかで知識社会を確立するためには、単に幼児教育や高等教育を無償化するだけでなく、「誰でもいつでもどこでもただ」で教育を受けられるような制度設計が必要ではないかと神野氏は語る。
 教育を社会の共同事業と考えるか、あるいは個人の損得の上に成り立つものと考えるのか。教育の無償化の大前提となる理念とは何かなどについて、神野直彦氏と、社会学者・宮台真司とジャーナリスト・迫田朋子が議論した。

5金スペシャル
年末恒例マル激ライブ 「ポスト・トゥルースをぶっとばせ!」

(第873回 放送日 2017年12月30日 PART1:43分 PART2:47分)

 2017年が終わろうとしている。
 2017年のマル激は、年初に哲学者の内山節氏を招き「座席争いからの離脱のすすめ」を議論したのを皮切りに、トランプ現象に代表されるナショナリズムやオルタナ右翼の台頭、日米同盟と北朝鮮情勢、格差問題、憲法、アベノミクスや働き方改革など安倍政権の諸政策、共謀罪、種子法、解散と衆議院選挙、司法制度や教育無償化等々、多くの問題を多角的に議論してきた。
 一連の議論から見えてきたものは、グローバル化の進展やインターネットによる情報革命によって機能不全に陥った民主制度を立て直していくことの困難さと、そうした中で個々人が日々感じている生きづらさに手当をしていくことの重要性だった。
 確かに状況はあまり思わしくない。これは日本に限ったことではないが、われわれがこれまで当たり前のように享受してきた民主的な社会の規範や制度が崩れ、それに取って代わることができる新しい理念が見えてこない状況の下で、多くの人が社会のあり方や将来に不安を覚えながら、どうすればいいかがわからずにいるのが現状ではないか。
 しかし、何でもありのポスト・トゥルース(脱真実)の時代を乗り越えるためには、まず一つ一つのトゥルースを直視することから始めるしか方法はないというのが、マル激で議論を積み重ねてきた末の結論だった。
 まずわれわれはこれまで長らく当たり前と考えてきた世界の秩序が、実は幸運な偶然の積み重ねの結果だったり、途上国や社会の中の特定の弱者からの搾取によってのみ成り立っていた不完全かつ不条理なものだったことを、認識する必要がある。その上で、豊かな社会を築いていくための必要条件を人為的に再構築していくことが、遠回りのように見えて、実はもっとも現実的な処方箋なのだ。
 ポスト・トゥルースは、本当の問題から目を背けたまま、便宜的な建前に過ぎない制度や理念を当たり前のものとして、それにただ乗りしてきたことのつけが回ってきたものと見ることができる。
 民主的な制度や習慣が前提としていた条件が崩れた中で、それを再構築することは決して容易なことではないだろう。しかし、逆風の中でこそ、長い歴史の中でわれわれが培ってきた「自由」や「平等」などの普遍的な価値の真価が問われる。
 年末の恒例となったマル激ライブでは、2017年に起きた様々なニュースを通じて見えてきた世界と日本の現実と、そこで露わになった問題を乗り越えて前へ進むための2018年の課題を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

2018年のテーマは「関係性の豊かさ」

(第874回 放送日 2018年1月6日 PART1:47分 PART2:48分)
ゲスト:中野佳裕氏(国際基督教大学非常勤講師)

 マル激は毎年、1月初旬に、その年に通底する大きなテーマを選んで番組化している。2018年はずばり「関係性の豊かさ」をテーマに据えた。
 国際基督教大学(ICU)非常勤講師で社会哲学や開発学が専門の中野佳裕氏は、物質的な豊かさを求めるあまり、かつて人間が当たり前のように持ち合わせていた精神性と関係性の豊かさが失われているところに、現代社会の根源的な病理があると指摘し、「関係性の豊かさ」を取り戻すことの重要性を強調する。
 中野氏はかつて「富」や「貧困」という言葉が、必ずしも経済的な豊かさや欠乏を意味するものではなかったことを指摘した上で、近代ヨーロッパで資本主義経済が台頭した結果、簡素な生活の中に見出せる精神的な自由や、限られた資源や富を分かち合って暮らす自立共生的な生活倫理が忘れ去られてしまったと語る。その結果、本来well-being(福祉)とhealth(健康)を組み合わせた意味を持っていたwealth(富)が、単に経済的な量を意味する言葉になってしまい、あらゆる豊かさの大前提だった人と自然や、人と人の関係性に対する価値観が失われてしまった。
 中野氏は人類が経済的な富の際限なき追求を卒業し、関係性の豊かさを求める人間本来の生き方を取り戻すためには、近代文明が否定してきた「共通善」の思想を未来社会の礎として肯定する必要があると言う。
 無論、グローバル化が進み社会が極限まで流動化した今日、人類共通の共通善や、国、あるいは地域社会の共通善を見つけていく作業は決して容易ではないだろう。しかし、何が事実なのかさえ合意できなくなったポスト・トゥルース時代をこのまま突き進めば、その先には断絶や対立しか待ち受けていないことは明らかだ。誰かがどこかで何かから手を付け始めなければ、何も始まらない。
 2018年最初のマル激は「関係性の豊かさ」の重要性といかにそれを回復するかについて、中野氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ポスト・トゥルース時代のメディアに何ができるか

(第875回 放送日 2018年1月13日 PART1:1時間3分 PART2:1時間17分)
ゲスト:水島宏明氏(上智大学文学部教授)

 「今さらメディアの話かい」などと訝られるかもしれないが、今年、マル激ではあらためてメディア問題を積極的に取り上げようと考えている。
 マル激は2000年の番組発足当初から、メディア問題を中心的な課題の一つに据えてきた。番組内容を一冊の著書にまとめた「マル激本」の第1弾は、メディアと政治の関わりを徹底的に深堀りした「漂流するメディア政治」(2002年)だった。その中でわれわれは当時、メディアではほとんど取り上げられていなかった記者クラブ問題や再販価格制度やクロスオーナーシップなど日本メディア固有の構造的な問題を多角的に議論し、それが日本の政治や社会にどれだけ大きな影響を与えているかなどを考察してきた。
 あれからはや、15年以上の月日が流れ、最近マル激ではあまりメディア問題を多く取り上げなくなっていた。社会の劣化が急激に進み、今さらメディアを批判してどうこうなるような次元の話ではなくなってしまったというのもその理由の一つだが、15年以上経っても、ほとんど何も改善されないメディアの状況に、ある種の絶望感を抱いていたことも事実だった。
 しかし、どんなに劣化が進んだとしても、メディアが民主主義の砦であることに変わりはない。これを軽視すると、民主主義が機能不全に陥るばかりか、われわれの社会がどのような問題に直面しているかについての共通認識すら持つことが困難になってしまう。問題の所在さえわからないのに、問題が解決されるはずがない。
 そうこうしているうちに、当分揺らぎそうもないように見えた新聞・テレビを中核とする既存のメディア企業体の経営基盤は弱体化の一途を辿り、世代によってはほとんど新聞やテレビを見ない人が多数を占めるような時代になった。もはや通り一遍の新聞・テレビ批判だけでは何の意味もなさなくなっている。
 しかし、既存メディアの牙城を突き崩し始めているネットメディア、とりわけFacebookやTwitterに代表されるSNSは、一見、ユーザー側が自分が求める情報に自由にアクセスしているように見えて、何億人という全世界のユーザーから日々収集している膨大なビッグデータを元に、巧みな広告誘導や情報操作が行われていることや、それが消費行動のみならず、選挙結果や政治思想に大きな影響を与えていることが、次第に明らかになってきている。
 かつてはマスメディアの問題に過ぎなかったわれわれの「メディア問題」は、マスメディアの凋落によって解決したのではなく、実際はより複雑で深刻化していると考えた方がいいだろう。そのような状況の下では、まずメディアに何が起きているかをきちんと踏まえた上で、それを多角的に考察し、われわれ自身のリテラシーを上げていくことが必要になる。
 今週はその取っかかりとして、テレビ局に長年勤務し、現在、上智大学の教授を務める水島宏明氏に、今、テレビに何が起きているかを聞いた上で、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司とともに、ポスト・トゥルース時代にメディアに求められる役割とは何かを議論した。

性暴力被害者に寄り添う社会を作るために

(第876回 放送日 2018年1月20日 PART1:1時間9分 PART2:56分)
ゲスト:後藤弘子氏(千葉大学大学院教授)

 性暴力被害やセクハラが、世界的に社会の大きな争点として浮上している。
 去年10月、ハリウッドの超大物プロデューサーのセクハラ疑惑が明るみに出て、映画界から追放となった。その後、被害にあった有名女優らの呼びかけもあり、世界中で女性たちが次々と性暴力やセクハラ被害を訴える「#me too(ミートゥー)」が大きな運動に発展した。これまで泣き寝入りを余儀なくされていた性暴力やセクハラ被害の実態が明るみに出る一方で、一方的な告発によって加害者とされた男性を社会から抹殺するような動きを問題視する向きも出てきている。また、今月になってフランスの女優たちが、行き過ぎた告発が性的自由を奪う恐れがあると反論するなど、セクハラや性被害を巡る論争は世界的に大きな広がりを見せている。
 一方、日本ではジャーナリストの女性が、著名な男性ジャーナリストによる性暴力被害を実名で訴え出たことで、性暴力被害の問題や被害者救済のあり方が関心を集めている。
 その女性は、性暴力を受けた時の状況を克明に男性警察官に説明しなければならなかった時の精神的な苦痛や、男性警察官から被害届けの提出を思いとどまるよう促された経験などを証言し、性暴力に対する警察や検察の捜査が「ブラックボックス」状態にあると訴え続けている。しかし、欧米諸国と比べて日本では、セクハラや性被害を訴え出る女性に対する社会の偏見が根強く残っていることもあり、依然として性被害を告発することが女性に取って大きなリスクになっている面があることは否めない。
 内閣府のデータでは日本で過去に無理矢理に性交された経験のある人の割合は6~7%。しかし、その中には、本当は嫌だけどしょうがないと受け止めているケースは含まれていないのではないかと、千葉大学大学院教授の後藤弘子教授は指摘する。また、セカンドレイプを恐れて泣き寝入りする被害者の数も相当な数にのぼると考えられている。
 実際、性暴力は上司や学校の先生、親・兄弟など知っている人からの被害が多くを占めている。被害にあいながら誰にも相談しなかったと答えた人の割合も7割近くにのぼる。また、誰かに相談しても「早く忘れなさい」、「あなたにも非がある」と言われたり、被害自体を認めてもらえないことが大きな心の傷となっている場合も多い。
 昨年、刑法の性犯罪に適用される条文の改正が110年ぶりに行われた。強姦罪は強制性交等罪と呼称が変わり、それまで女性のみに適用されていた性犯罪の規定が、男性にも適用されることになった。刑の下限も懲役3年から懲役5年に引き上げられ、被害者の告訴を必要としない非親告罪化も行われるなど、性犯罪被害者に寄り添う社会の実現に向けて少しずつ前進はしているように見える。しかし、刑法には「暴行または脅迫」の事実を立証しなければならない規定は残り、刑事告発のために被害者の協力が不可欠なことに依然、変わりはない。密室のなかで行われることが多い性犯罪で、同意の有無を立証することは容易ではない。
 後藤氏は、被害者救済の仕組みは、以前よりは整ってきてはいるが、まだ本当に被害者の立場に立ったシステムにはなっていないとした上で、制度の設計者や法律の立案者たちが、被害者のニーズを受け止められていないところにその原因があると指摘する。
 セクハラや性暴力被害者に寄り添う社会を作るためには何が必要なのか。被害者救済や支援の仕組み、性教育の在り方、社会として性の問題をどう語るのかなども含めて、刑事法とジェンダーが専門の後藤弘子氏と、社会学者・宮台真司、ジャーナリスト・迫田朋子が議論した。

史上最大の防衛費は日本の安全に役立っているのか

(第877回 放送日 2018年1月27日 PART1:51分 PART2:43分)
ゲスト:半田滋氏(東京新聞論説兼編集委員)

 高額兵器と攻撃的兵器。これが今年度の防衛予算の特徴のようだ。
 1月22日に開会した通常国会では主に来年度予算案が審議されるが、中でもとりわけ過去最高となる5兆円を突破した防衛関係費(防衛予算)が大きな争点となる。
 確かに北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射実験を繰り返し、中国の軍備拡大も続くなど、東アジアの安全保障は新たなアプローチが必要な情勢ではある。しかし、そうした中で打ち出された史上最高額の5兆1911億円の防衛予算の内訳を見ていくと、必ずしも緊迫の度合いを増す東アジア情勢に対応した装備が計上されているようには見えない。
 端的に言えば、F-35A戦闘機やV-22オスプレイ、イージス・アショアなど必ずしも日本のニーズに合致するとは思えない高額の兵器を次々とアメリカから買わされている一方で、現行憲法の枠を超える弾道ミサイルのような攻撃的兵器の研究費が、十分な議論もないまま計上されているのだ。
 安倍首相は国会で「専守防衛の精神にいささかの変更もない」と述べる一方で、「従来の延長線上ではなく国民を守るために真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めていく」と語り、日本の防衛政策の基本方針を定めた防衛大綱を見直す意向を表明するなど、日本の防衛政策が大きな転換点を迎えていることは間違いなさそうだ。
 防衛政策に詳しい東京新聞論説・編集委員の半田滋氏は、安倍政権は憲法改正を念頭に置いた防衛装備の整備を進めていると指摘するが、憲法改正をめぐる議論はまだ何も始まってもいない。そうした状況の下で日本が敵基地攻撃能力を持てば、当然周辺国はそれに対応した防衛体制を整えてくる。果たしてそれが日本の真の安全保障に資するかどうかについては、慎重な判断が必要だ。
 史上最高額となった来年度の防衛予算とその中身の妥当性について半田氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

トランプ政権の1年はアメリカと世界をどう変えたのか

(第878回 放送日2018年2月3日 PART1:52分 PART2:55分)
ゲスト:西山隆行氏(成蹊大学法学部教授)

 トランプ政権の誕生から1年が過ぎた。
 いざ大統領になれば多少は大統領らしく振る舞ってくれるにちがいないとの淡い期待を背負って船出したトランプ政権だったが、発足直後からイスラム移民の排斥やメキシコ国境の壁建設を命ずる大統領令を乱発したのを皮切りに、とりわけ人種や人権、環境面では選挙戦中にも増した過激な言動や行動に揺れた1年だった。
 1月31日のトランプの一般教書演説は、過去の大統領の演説と比べると、ほとんどアメリカの理想が語られていない上に具体性にも欠けるなど、至って凡庸かつ拙劣な演説だったが、もはやトランプの十八番となった不規則発言や暴論の類が無かったというだけの理由から、「これまでにない出来映えだった」などと高い評価をされる始末だ。
 気がついてみればトランプ政権は最初の1年で、TPPやパリ協定や国連のユネスコから離脱し、NAFTA(北米自由貿易協定)も再交渉を始めるなど、かつての国際社会の秩序の守護神からその破壊者へと立場を180度変えてしまった。エルサレムをイスラエルの首都と認定したことも、中東和平の仲介者の役割を事実上放棄するものだった。国内的にも長い年月をかけてアメリカが適応してきた環境規制を一気に緩和したり撤廃するなど、アメリカの時計の針を少なくとも20年~30年分は巻き戻すような政策を次々と実施している。
 こうした政策選択は一部の有権者には受けがよく、短期的にはアメリカに利益をもたらす可能性もある。しかし、長期的には国際社会におけるアメリカの地位を低下させ、アメリカの国力の衰退をもたらすことになりかねない、危ないものばかりだ。
 また、その間、大統領選挙戦中にトランプの陣営がロシア政府と共謀して選挙に介入を試みたとされる、いわゆる「ロシア疑惑」も、ウォーターゲート事件を凌ぐアメリカ政治史上最悪のスキャンダルに発展する可能性が依然、否定できない。現時点でロシア疑惑は、特別検察官が任命され大統領の側近が相次いで起訴される中、トランプ自身は自らの関与は否定しているが、近々、大統領自身への事情聴取が取り沙汰されるなど、今後の政権運営にも大きな影響を及ぼす可能性がある。また、仮にトランプはロシアとの共謀に関与していなくても、その捜査に介入した「司法妨害」が成り立つ可能性もある。
 11月に中間選挙が予定される2018年は、怖い物見たさ半分で様子を窺っていた有権者もそろそろ本気でトランプ政権の成果を見極めようとするだろうし、現在進行形のロシア疑惑捜査の行方がどうなるかも未知数だが、いずれにしてもこれまでのような出たとこ勝負の政権運営には早晩限界が来るだろう。そうなった時にトランプ政権がどこに向かうのかは、まったく予断を許さない。より現実的かつ穏健路線に転じる可能性もある一方で、3割といわれる過激な鉄板支持層を堅持するために、より過激な方向に向かう可能性もある。
 トランプ政権の存在は、とりわけ人種や人権面でアメリカ社会に大きな影響を与え始めている。アメリカの大統領には究極のロールモデルとしての役割が少なからずあるからだ。特に子どもたちにとって大統領の言動は、今のアメリカで何は許され、何は許されないのかを判断するための重要な規範になる。歯に衣着せぬ本音トークと言えば聞こえがいいが、人種、宗教、人権などでアメリカがこれまで守ってきた一線が大統領自身の手によって次々と壊されてきたことの影響は、アメリカ社会のみならず世界に大きく波及している。
 日本でもかつて、例えば選挙制度や情報公開やNPO法のような、民主主義の制度改革が争点になるたびに、アメリカを参照点にするのが常だったが、今は何ごとにおいてもアメリカを模範とすることが難しくなっている。下手をするとアメリカが悪い見本の典型ように語られることも少なくない。困ったことに「これでも日本の方がアメリカよりまし」などと、現状肯定の言い訳に使われることも珍しくない。
 腐ってもアメリカはアメリカなのだ。
 トランプ政権の誕生はアメリカや世界をどう変えようとしているのか。アメリカはこのまま衰退してしまうのか。そもそもトランプ政権はどこまで持つのかなどについて、アメリカ政治、とりわけ移民政策に詳しい西山氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

民主国家はシャープパワーに太刀打ちできるのか

(第879回 放送日 2018年2月10日 PART1:1時間 PART2:36分)
ゲスト:西田亮介氏(東京工業大学准教授)

 今日のテーマは今、国際論壇で話題となっている「シャープパワー」。
 「シャープパワー」とはアメリカの政府系シンクタンクが昨年末にまとめた報告書で初めて使われた言葉で、民主国家を弱体化させるために、民主国家が重視する言論の自由や経済活動の自由を逆手に取るかたちで様々な工作を行う専制国家を意味している。当初は中国台頭のアメリカに対する脅威を表現するために使われた概念だったが、ロシアが2016年の大統領選挙に様々な形で介入していた事実が明らかになるにつれ、中国に加えてロシアもその対象と考えられるようになった。また、中国やロシアを手本に、そのような手法を真似て民主主義を操ろうとする国が南米や東欧にまで拡がり始めているという。
 元々、国の軍事力を裏付けに影響力を行使する伝統的な「ハードパワー」に対し、20世紀末頃からハーバード大学のジョセフ・ナイらが唱えた、崇高な価値観や倫理観を通じて影響力を行使する「ソフトパワー」が重視されてきた。しかし、その崇高な価値基準を逆手に取ることで民主国家を分断したり弱体化させる専制国家の「シャープパワー」が今、台頭してきている。「ソフトパワー」の脆弱で柔らかい部分に、鋭い(シャープ)な刃先を突き刺すという意味が込められているという。
 国が外交上の目的を達するために他国に対して様々な工作を行うことは、何も新しいことではないが、「シャープパワー」の特徴は、民主国家が本来の強みとしてきた民主主義の自由や開放性、経済活動の自由度などを逆手に取って様々な工作を行っている点だ。特にその中でも、ソーシャルメディア(SNS)を使った世論操作や社会分断、選挙への介入は、先のアメリカ大統領選挙や昨年のドイツの総選挙で大きな成果を上げた可能性があり、民主国家にとってはその根幹を揺るがしかねない重大な脅威となっている。
 先のアメリカ大統領選挙ではロシア政府系企業IRA(Internet Research Agency)がFacebookを使い、470個以上のフェイクアカウントを通して80,000件以上のフェイク情報を投稿し、1億2,600万人のアメリカ人がその投稿を閲覧していたことが、アメリカ議会の調査で明らかになっている。それらのフェイクアカウントはいずれももっともらしい政治団体や政治運動のような名前を冠したもので、投稿内容はほぼすべてヒラリー・クリントンを中傷する性格のものだった。他にもIRAは大統領選挙中、ツイッターでも2,700以上のフェイクアカウントを使って13万件以上のフェイクニュースを投稿していた。
 これらのネット工作が大統領選挙の結果にどの程度の影響を与えたかは定かではないが、こうした工作の実態はロシアや中国が行っているソフトパワー工作の氷山の一角に過ぎないと考えられている。また、シャープパワーは対象国の社会的分断や世論操作のために、企業への投資や教育機関への寄付、インフルエンサー(オピニオンリーダー)の取り込みやメディアへの広告出稿なども駆使しているという。いずれも民主国家の多くでは自由が保障されている活動だ。
 フェイクニュースの蔓延やネットを使った中傷や炎上マーケティングは以前から問題になっていたが、言わばネット社会化した民主国家の弱点を突く形で国家目的を達成したり、潜在的な敵国を弱体化させる外国勢力の活動の存在が明らかになった今、SNSのあり方があらためて問われることは避けられない。
 ネットと民主主義の関わりに詳しい東京工業大学の西田亮介准教授は、それでも民主主義の利点である言論の自由を制限するような法的な規制を設けるべきではないとの立場を取るが、かといって現在のように、世論が外国勢力に乗っ取られかねない状態を放置するのではなく、「共同規制」と呼ばれる業界団体による自主規制導入の必要性を強調する。
 民主主義はシャープパワーの脅威に太刀打ちできるのか。民主国家が民主主義の最大の果実である表現の自由や経済活動の自由を失わずに、専制国家に太刀打ちすることができるのか。社会がネット依存の度合いを強める中での必然な帰結とも言えるシャープパワーの台頭から、民主主義のあるべき姿を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、西田氏と議論した。

馬脚を現し始めた安倍政権「働き方改革」の正体

(第880回 放送日 2018年2月17日 PART1:47分 PART2:44分)
ゲスト:上西充子氏(法政大学キャリアデザイン学部教授)

 安倍政権が目指す「働き方改革」の危険性については、この番組でもかねがね指摘してきた。(マル激トーク・オン・ディマンド第843回(2017年6月3日)『安倍政権の「働き方改革」が危険な理由』ゲスト:竹信三恵子氏(和光大学現代人間学部教授))
 安倍政権は一貫して労働者を保護するための労働法制の規制緩和を目指してきた。2015年にも「高度プロフェッショナル制度」の導入や「裁量労働制」の拡大などを目指して法案を提出したが、野党から「残業ゼロ法案」と叩かれ、世論の反発を受けるなどしたため、成立を断念している。
 しかし、今国会に提出された「働き方改革」関連法案は、過去に実現を目指しながら挫折してきた労働者保護法制の規制緩和はそのまま踏襲しておきながら、労働側の長年の「悲願」ともいうべき残業時間の上限規制という「アメ」を含んでいるため、過去の「残業ゼロ法案」や「ホワイトカラー・エグゼンプション」のような一方的な規制緩和という批判を巧みにかわすような立て付けになっている。
 実際、安倍首相も今国会を「働き方改革国会」と位置づけた上で、所信表明演説で、「戦後の労働基準法制定以来、70年ぶりの大改革」、「我が国に染みついた長時間労働の慣行を打ち破る」などと大見得を切っている。
 確かに今回一括審議されている8法案の中には、残業時間の上限を設ける労働基準法改正が含まれている。現行の労働基準法にも残業の上限は設けられてはいるが、労使で合意した上で、いわゆる「36(サブロク)協定」を結べば上限を引き上げることができる抜け穴があるほか、サービス残業による長時間労働が常態化していることも否めない。
 しかし、労働法制に詳しい法政大学の上西充子教授は、「上限規制」という言葉に騙されてはならないと警鐘を鳴らす。
 確かに今回の法改正には残業について罰則つきの上限が設けられているが、残業の上限を基本的には月45時間と定めておきながら、例外的に月100時間までの残業が認められ、年間の残業時間の上限も720時間まで認められる。月100時間の残業をするためには、毎日平均して5時間残業することになる。抜け穴が多いとされる現行法でも、残業が年360時間を超える場合には36協定が必要とされていることを考えると、毎日最低でも5時間の残業を前提とするこの上限値で長時間労働の打破と言えるかどうかも、よく考える必要があるだろう。
 しかし、今回の法改正の最大の問題点は「残業時間に上限を設ける」ことで労働側に一定の配慮を見せるかのような体を繕いながら、実際は「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」の導入や「裁量労働制」の対象拡大によって、事実上、残業時間の上限自体を無力化させる制度変更が含まれている点だと上西氏は指摘する。高プロや裁量労働は、事実上勤務時間自体に定めがないため、残業が無制限に許容される恐れがある。この対象が拡大されれば、労働基準法上の残業の上限規制など何の意味も持たなくなる。
 しかも、今回、労働組合側は長年の悲願だった「上限規制」が導入されることと引き換えに、事実上の上限規制の抜け穴となる高プロの導入や裁量労働の拡大を含む法改正に同意してしまっている。
 他にも、今回の働き方改革は「同一労働同一賃金」「働き方に左右されない税制」などの文字が並ぶが、その中身は「同一労働同一賃金」の方は非正規雇用者の雇用条件の改善よりも正規雇用者の待遇の低下を、「働き方に左右されない税制」はサラリーマンの所得控除の縮小を意味しているなど、見出しと内実がかみ合わない両義性を含んでいることを、上西氏は指摘する。
 正社員と非正規労働者の待遇に不合理な格差があったり、過労死自殺が後を絶たないような現在の日本の労働環境に改革は必須だ。しかし、その問題意識を逆手に取るような形で、一見労働者の側に立っているかのようなスローガンを掲げながら、実際は労働者の待遇をより厳しいものに変えていこうとする現在の政権のやり方には問題が多い。目くらましのための「アメ」をまぶすことで、その実態を意図的に見えにくくしているようにさえ見える。
 そもそも首相が戦後の大改革と胸を張る「働き方改革」は誰のための改革なのか。今国会の審議で明らかになってきた安倍政権の「働き方改革」の実態と、それが働く者にとってどんな意味を持つのかなどについて、上西氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.86(861~870回収録)

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枝野はなぜ立ったのか

(第861回 放送日 2017年10月7日 PART1:1時間5分)
ゲスト:枝野幸男氏(立憲民主党代表)

 安倍首相による「国難突破解散」からわずか1週間の間に、複数の新党が林立する事態になろうとは、一体誰が予想しただろうか。
 これは二大政党の一極として、一度は政権まで担った最大野党の民進党が自らを解体し、小池新党ならぬ希望の党への合流を決めたことがきっかけだった。党の解体という大きな決断を下した今回の政局の仕掛け人の一人である民進党の前原誠司代表は、10月3日の会見で、すべては自分や希望の党の小池百合子党首が想定した通りに進んでいると豪語した。
 しかし、当初無所属で出馬し、頃合いを見て希望に合流する予定だった民進党幹部の一人であり、前原氏にとっては24年間政治行動を共にしてきた盟友と言っても過言ではない枝野幸男代表代行による新党の立ち上げだけは、恐らく前原氏にとっても小池氏にとっても、想定外の事態だったにちがいない。
 これにより当初想定していた「自民対希望」の1対1の対決構図が崩れた上、リベラル路線を標榜する立憲民主党の登場で、「改革する保守」を謳う希望の党と自民党の違いが有権者から見えにくくなる可能性があるからだ。
 枝野氏は民進党が丸ごと小池新党に飲み込まれることにより、政治の座標軸上でリベラルと呼ばれる陣営が空っぽになってしまうことに危機感を覚えたことが、結党の動機だったと語る。
 小池新党といっても国会議員の大半は民進党からの合流組が占めることになる。ある程度小池氏の意思を尊重しながら、事実上、民進党が希望を乗っ取ってしまうという選択肢もあったかもしれない。しかし、希望の党の政策や理念が明らかになるにつれ、枝野氏は「合流は難しい」と感じるようになっていったという。
 それでも枝野氏には無所属議員として活動を続けるという選択肢もあった。枝野氏自身は「その方が楽だったかもしれない」と本音を漏らす。
 しかし、民主、民進時代を通じて20年以上も積み上げてきた政策や、政権から転落した後の逆風の中、民進党を支えてきた同志や地方議員たちの声を聞いた時、その声に応えるためには自分が立つ以外の選択肢はないことを痛感し、覚悟を決めたと枝野氏は言う。
 民主党、民進党で積み上げてきた理念や政策と、政権からの転落という大きな失敗の経験を糧に、新党を日本の二大政党制の一極を担える勢力に育てていきたいと語る枝野氏と、日本の政治におけるリベラルの役割などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

アベノミクスこそがこの選挙の最大の争点だ

(第862回 放送日 2017年10月14日 PART1:50分 PART2:1時間2分)
ゲスト:河村小百合氏(日本総研上席主任研究員)

 安倍政権は2012年に政権奪回以降、国政選挙のたびにアベノミクスの継続を選挙の争点に掲げ、毎回勝利を収めてきた。ところが今回の総選挙では消費税の使い道と北朝鮮を選挙の争点に自ら設定し、アベノミクスを選挙の争点にすることをあえて回避している。アベノミクスの最大の眼目である「異次元」の金融緩和が今も継続中であるにもかかわらずだ。
 安倍首相は10月8日に日本記者クラブで行われた8党党首討論会で、アベノミクスの成果で日本の雇用は改善し、GDPの伸びや株高などが実現していることを強調している。大きな成果があがっていると胸を張るのであれば、なぜ首相はこの選挙でアベノミクスの継続の是非を問わなかったのだろうか。
アベノミクスの果実が大企業や富裕層に偏り、経済格差を拡大させているとの批判は根強いが、とはいえ首相が指摘するように、安倍政権発足後、企業収益やGDP値が伸びていることは事実だ。
 しかし、それは大変な犠牲の上に成り立っていると、中央銀行の政策に詳しい日本総研上席主任研究員の河村小百合氏は指摘する。それは単なる格差の拡大にとどまらず、近い将来、国民に膨大なツケが回ってくるリスクが日に日に大きくなっていると河村氏は言う。
 黒田バズーガと呼ばれる未曾有の金融緩和に続いて、マイナス金利まで導入して経済を刺激しても、2%おろか僅かなインフレすら起こせない事態に業を煮やした日銀は今、年間80兆円にものぼる国債や株式の買い付けを行うことで市場に膨大な資金を投入している。しかし、これが日銀のバランスシートの異常な肥大化を生み、日銀が支え切れる能力を超えているために、破綻のリスクが現実味を帯び始めていると河村氏は警鐘を鳴らす。
 また、日銀が事実上の財政ファイナンスによって人為的に株価を釣り上げているため、株価市場は20年ぶりの高値に沸いている。しかし、日銀の買い支えによって釣り上げられたこの株価は、企業の現実の経営実態を反映させたものとは到底言えない。企業努力をしないでも高い株価が維持できると、企業側に経営努力や合理化のインセンティブが働きにくくなり、ガバナンス欠如による数々の不祥事の遠因になっていると見ることもできる。
 欧州諸国やアメリカもリーマンショックから立ち直る過程で金融緩和政策を採用してきたが、彼らが常に出口を意識しながらコントロールされた金融緩和を行ってきたのに対し、日本の金融緩和は一度走り出したら止まらない暴走列車の様相を呈していると河村氏は言う。その姿に河村氏は先の大戦の失敗がダブって見えると嘆くが、あとさきのことを考えずに暴走すれば、河村氏が指摘するような「経済敗戦」が現実味を帯びてくる恐れもある。
 日本がこのままアベノミクスを継続するとどうなるのか。日銀はこれまでどこの国も経験したことのないサイズにまで肥大化した巨大なバランスシートを支え切れるのか。アベノミクスに安全な出口シナリオなるものは存在するのか。最後にそのツケが回ってきた時、国民はどれだけの負担を強いられることになるのか。
 そもそもアベノミクスによる量的にも時間的にも異常なまでの金融緩和は、金融の実務を理解していない安倍政権が、人事権を盾に本来は日銀の専権事項であるはずの金融政策に手を突っ込んだことから生じた歪んだ政策だったと指摘する河村氏に、アベノミクスの現状と膨れ続けるリスク、そして近い将来予想される影響を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

選挙特番・総選挙と最高裁国民審査で問われるもの

(第863回 放送日 2017年10月21日 PART1:47分 PART2:43分)
ゲスト:角谷浩一氏(政治ジャーナリスト)

 総選挙の投票日がいよいよ明日に迫った。同時に最高裁判所の裁判官の国民審査も行われる。
 衆議院選挙では当初、内閣支持率の低下から大幅に議席を減らすと見られていた自民・公明の与党だが、解散後の目まぐるしい政局で最大野党の民進党が2つに分裂する嬉しい誤算にも助けられ、選挙自体は与党が優に過半数を超えそうな情勢だ。
 選挙自体は民進党の分裂によって野党4党による共闘体制が崩れ、それが与党の有利に働いたことは否めない。しかし、一時は政権交代を実現しながら、その後、路線対立や党内のガバナンスの不備などから自民党に対抗し得る勢力に脱皮できずにきた民進党が保守派の希望の党とリベラル派の立憲民主党に分裂したことで、選挙後の日本の政治がより有権者からわかりやすいものになる可能性が出てきた。
 選挙後の日本の政治の方向性を占うという意味でも、この選挙には注目したい。
 また、最高裁判所の裁判官の国民審査については、憲法学者の木村草太氏と「2015年参院選の一票の格差」、「2014年衆院選の一票の格差」、「民法の夫婦同姓規定」、「民法の6か月の再婚禁止期間」、「令状なしのGPS捜査」、「厚木基地騒音飛行差止請求」、「森友学園問題の電子データ保全請求」、「辺野古埋め立て承認取り消し」などの8つの判決を取り上げたニュース・コメンタリーの内容を参照しつつ、主に「2015年参院選の一票の格差」、「辺野古埋め立て承認取り消し」の2つの判決で、今回の審査対象となっている裁判官の立場を明らかした。

与党大勝の総選挙で明らかになった本当の民意とは

(第864回 放送日 2017年10月28日 PART1:43分 PART2:46分)
ゲスト:小林良彰氏(慶應義塾大学法学部教授)

 安倍首相が「国難突破」選挙と位置付けた総選挙が10月22日に行われ、自民・公明の連立与党がほぼ現有議席を維持して勝利した。
 今回の選挙は最大野党の民進党が事実上解党し、選挙の直前になってバタバタと新党が立ち上がる異例の選挙となった。戦後初の政権交代となった1993年の「政治改革」選挙でも選挙直前に相次いで新党が立ち上がる政局があったが、その時は自民党が分裂した結果の新党ブームだったのに対し、今回は野党の分裂が原因だった。
 現行の小選挙区を主体とする選挙制度の下では、政党が細かく分かれれば分かれるほど死票が多くなり不利になる。この選挙でも、比例区の野党の総得票数は自民党を大きく上回っていたが、議席は自民党が全体の74%を獲得している。
 参考までに各小選挙区の与野党の陣営別の総得票数を集計してみると、野党候補の総得票数が与党候補を上回りながら、与党候補が勝利した選挙区が全267選挙区中少なくとも68あった。日本維新の会や希望の党が共産党との共闘を受け入れることは考えにくいので、与野党の総得票数の単純な比較にどれだけの意味があるかについては議論のあるところだが、比例区の野党の獲得議席数が与党を上回っていたことも考え合わせると、もし全選挙区で野党共闘が実現していれば、政権交代が実現した可能性が十分にあった計算になる。
 結果的に選挙で大勝したにもかかわらず、安倍首相を始めとする自民党の重鎮たちの選挙後の表情が一様に重々しかったのは、選挙結果には反映されない自党の党勢の低迷に対する危機感があったからだった。
 投票行動の分析で定評のある政治学者の小林良彰・慶應義塾大学法学部教授は、比例区での野党の総得票数が与党のそれを上回っていたことも重要だが、より注目すべきは自民党の絶対得票率が長期低迷傾向だと指摘する。自民党が大敗し民主党に政権を明け渡した09年の総選挙で、自民党2730万票を得ているが、その後の選挙では自民党は議席数こそ毎回過半数を大きく超えるものの、得票数は一度も大敗した09年選挙を超えることができていない。
別の見方をすると、野党が低迷し投票率が下がったために、より少ない得票で自民党の獲得議席が増えているというのが実情なのだ。ちなみに民主党が政権を奪取した09年の総選挙の投票率は69%を超えていた。今回は53.6%。前回は史上最低の52.6%だ。
 実際、自民党の得票率は毎回5割を割っている。つまり、得票数では野党が自民党を上回っているのだ。自民党の今回の得票率の48%に、全体の投票率の53.60%を掛け合わせた「絶対得票率」は約25%にとどまる。これが日本の全有権者のうち、実際に自民党に投票した人の割合だ。
 これは、自民党が過去5年にわたり政権を維持できているのは、国民の過半から支持を受けているからではないし、また自民党への支持が野党に対する支持を上回っているからでもないことを示している。野党がお家騒動や分裂を繰り返したことで、自民党が選挙制度上の漁夫の利を得た結果であることを、このデータは示している。
 これまで何度も指摘されてきたように、現行の選挙制度の下で民意をより正確に反映させるためには、野党陣営が一つにまとまるしかない。しかし、今回の希望の党のような政策や理念を無視した離合集散に対しては、国民の間に強い拒否反応があることもまた、この選挙で明らかになっている。
 今後は野党第一党となった立憲民主党が、野党を一つにまとめられる大きな翼を広げることができるかに注目が集まるが、自民党よりも保守色の強い議員が多い希望の党や維新の会から共産党までがひとつにまとまるのは容易ではなさそうだ。しかし、それが実現しない限り、自民党が有権者の4分の1の支持で国会の4分の3を支配する状態が続くだろう。
 選挙直前の有権者に対する調査データをもとに詳しく分析した小林氏とともに、この選挙が明らかにした民意の中身と現行選挙制度の問題点などを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

トランプが変えたアメリカと世界の今

(第865回 放送日 2017年11月4日 PART1:52分 PART2:1時間)
ゲスト:前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)

 トランプ大統領が来日する。
 昨年の11月8日の世界に衝撃を与えたあの大統領選の勝利から約1年。人類史は「トランプ前」と「トランプ後」に分類されるようになるだろうと言われるほど、トランプ政権の誕生とその後の政権運営は、アメリカのみならず、世界の民主主義に対する見方に大きく影響を与えている。
 インターネット全盛の21世紀、自由や民主主義の行き過ぎがトランプのような指導者の台頭を生んでしまうのだとしたら、われわれはこれまで無条件に尊いものと考えられてきた自由や民主主義を、もう少し制限すべきではないかという議論まで、真剣に交わされるようになっている。
 予想通りと言えば予想通りかもしれないが、トランプ政権の10か月は、アメリカ史のみならず世界の民主主義の歴史の中でも、いまだかつて経験したことがないような異常な10か月だった。選挙戦では暴言を繰り返すことで人気を博してきたトランプだったが、いざ大統領になればもう少し大人しくなるだろうという玄人筋の期待を見事に裏切り、トランプ政権は発足当初から数々の波乱に揺れまくった。
 ホワイトハウスの側近は、選挙戦でのロシアとの不適切な接触などが取り沙汰され、次々と辞任した。今やトランプ政権は無条件の忠誠心が期待できる親族と、どんなに不満があっても規律を守ろうとする軍人によって、辛うじてその機能を維持しているような状態だ。
 また、トランプ政権は議会との調整能力の乏しさゆえに、法案らしい法案は何一つ通せていない。しかし、この間トランプは、議会の承認を必要としない大統領令を連発することで、選挙戦での公約のいくつかを実行に移している。その中には移民や難民の流入制限やTPPからの離脱、NAFTAの再交渉、パリ協定からの離脱、イラン核合意の破棄、ユネスコからの脱退など、国際社会に影響の大きいものが多く含まれている。
 また、国内向けには、オバマ前大統領が作った医療保険改革「オバマケア」の廃止に躍起になるものの、なかなか代替案を提示できず右往左往してきたが、その間も、人種差別や白人至上主義に寛容な姿勢を示すなど、トランプに対して多くの識者たちが抱いていた懸念は、ほぼ丸ごと的中してしまった。
 既存の政治システムに対する未曾有の不信感が、トランプ政権を生んだと説明されることが多いし、恐らくそれはそれで正しい分析なのだろう。しかし、トランプが既存の政治秩序を次々と破壊する中、その代わりにどのような理念に基いたどのような政治体制が立ち上がってきているのかが、依然として見えてこないところが気になる。
 また、各国の首脳がトランプの言動に苦言を呈する中、日本の安倍首相だけがトランプとツーカーの関係を維持していることにも注意が必要だ。人種差別や性差別を容認し、人権を軽視すると見られている大統領と仲睦まじくゴルフに興じる日本の首相の姿が世界に報道される時、日本という国の品位や人権感覚にまで世界から疑いの目が向けられる恐れは十分にある。
 トランプ政権の誕生でアメリカの社会や世界とアメリカの関係はどう変質したのか。日本はこのままトランプ政権と一蓮托生の道を歩んでいて本当に大丈夫なのか。アメリカ政治が専門の前嶋氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

外国人技能実習制度の「適正化」で問われる日本社会のカタチ

(第866回 放送日 2017年11月11日 PART1:49分 PART2:53分)
ゲスト:安里和晃氏(京都大学文学研究科文化越境専攻准教授)

 外国人技能実習制度の対象職種に「介護」を加える新たな法律が11月1日に施行された。
 外国人技能実習は外国人が働きながら日本の技術を学ぶという触れ込みで農業や製造業を対象に1993年に始まった制度。現在もおよそ23万人がこの制度の下で、技能実習を受けている。建前上は日本の技術移転を目的とする国際貢献の一環となっているが、実態としては単純労働者を受け入れない政府の方針の抜け穴として、主に低賃金分野の人手不足の解消に寄与してきたという現実がある。
 11月から施行される「技能実習適正化法」では、かねてより人手不足が深刻化していた介護の分野まで技能実習の対象を広げる一方で、実習生を劣悪な条件で採用する人権侵害に対して罰則を設け、監視を強化することなどが定められている。また、実習の期間も条件付きながら、現在の3年から最長で5年に延長される。介護分野は技能実習の対象分野としては初の「人へのサービス」となる。
 外国人技能実習制度をめぐっては、建前の「実習生」と実態の「労働力」というダブルスタンダードの下で、賃金の未払いや不当な雇用契約など数々の問題が表面化していた。事実上、単純労働者の受け入れ制度として機能してきた面があるが、それは日本と対象国の間に経済格差があることを前提としている。実際、この制度の下で日本に技術を学びに来た外国人が、本国でそれを活かせていないケースも多いとされ、制度的には果たして今回の微修正で本質的な問題解決につながるかどうかは疑問も多い。
 この問題は最終的には、今後も少子高齢化が進む日本が、どういう社会を作っていきたいのかという問いにぶつかる。外国人労働者を利用すべき労働力としてしか捉えないような制度を続けていけば、本来の目的と実態が益々乖離していくことが避けられないだろう。
 技術移転そのものを否定しないが、労働力確保という意味では、日本は技能実習のような弥縫策に頼らずに、移民の受け入れを含めた日本の労働市場のあり方全般について、日頃から議論を積み重ねていく必要があるだろう。また、ひいては日本の社会をより多様性に富んだ社会にしていくことの是非についても、より活発な議論が必要だろう。
 技能実習制度の制度改正を機に、外国人労働者の受け入れのあり方や、日本が今後、目指すべき社会像などについて、社会福祉や移民問題が専門で外国人技能実習制度にも詳しい京都大学の安里和晃氏と、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。

トランプのアジア歴訪に見るパクス・アメリカーナの終焉

(第867回 放送日 2017年11月18日 PART1:57分 PART2:28分)
ゲスト:渡辺靖氏(慶應義塾大学教授)

 「パクス・アメリカーナ」が、いよいよ終焉を迎えつつあるようだ。しかし、そこに一帯一路を掲げて台頭する習近平の中国は、一体どのようなオルタナティブな価値を提示しようとしているのだろうか。
 先のトランプ大統領の初来日では、植民地と宗主国の関係を彷彿とさせるような日本の異様なまでの歓待ぶりが目立ったが、実はあの時、大統領は日本を皮切りに12日間にわたりアジア諸国を歴訪していた。トランプにとっては大統領就任以来最長の外国歴訪であり、最大の外交舞台だった。
 しかも、その中には今や世界の2大覇権国となりつつある米中の首脳外交も含まれており、世界はトランプ外交の行方とともに、米中関係の変化が今後の世界秩序にどのような影響を及ぼすかを固唾をのんで注目していた。
 しかし、結論から言えば、外交の舞台に出ても、はるばるアジアまでやってきても、やっぱりトランプはトランプだった。
 トランプ大統領は超大国アメリカの国家元首として、行く先々で盛大な歓迎を受けたが、その一方で、アメリカ側から今後国際社会の中でどのような役割を果たしていく用意があるかについての意志表明は、ほぼ皆無だった。また、トランプは安全保障やその他のデリケートな外交問題も、ほぼ例外なくビジネスディール(取引)の感覚で受け止めていることを隠そうともしなかった。
 これは選挙戦当初からアメリカ第一主義を掲げ、全てをディール(取引)と位置付けてきた不動産王のトランプとしては、至極当然のスタンスだったのかもしれない。
 しかし、アジア諸国を歴訪中に、例えば中国やフィリッピンでは人権の問題に全く触れず、行く先々でどれだけのビジネス取引を成立させたかばかりを勝ち誇るトランプの姿からは、アメリカという国がもはや自由主義陣営の盟主の座はおろか、その普遍的な価値を守っていく気概さえも失ってしまったことを感じ取らずにはいられない。
 一方の中国は、これまでアメリカを始めとする欧米の自由主義陣営の国々から、民主主義や人権の分野での遅れを常に指摘されてきた。しかし、今回、アメリカからそのような問題提起がなかったことに加え、むしろ欧米諸国の政治が軒並み機能不全に陥っている様を横目に、民主主義に対する懐疑的な考え方にむしろ自信を深めているようだ。
 ちょうど共産党大会とトランプ訪中のタイミングに1か月あまり北京大学に滞在していた慶応大学の渡辺靖教授は、中国の共産党エリートのみならず、中間層の間にも、欧米が主張するような民主主義に対する懐疑的な見方が広がっているとの印象を受けたと語る。それは現在の中国の共産党による支配体制に対する自信にもつながり、中国には中国の独自の国家モデルがあり、何も欧米のモデルを真似する必要はないじゃないかという風潮が強まっていると渡辺氏は言う。
 古くはローマ帝国から、元、オスマントルコ、大英帝国等々、これまで世界には覇権を握る超大国が一つ存在し、その国を中心に国際秩序が形成されてきた。として、少なくとも20世紀以降は、自由、人権、民主主義などの普遍的価値をベースに圧倒的な経済力と軍事力でアメリカが世界の覇権を握ってきた。
 アメリカは経済規模や軍事力では依然として世界で群を抜く超大国だが、一方で、そのモラルオーソリティ(道義的権威)はトランプ政権の発足以後、大きく傷ついている。このアジア歴訪でそれがいよいよ決定的になったとの見方もある。これは、1世紀ぶりに世界が新たな秩序の模索を始めたことを意味するが、その中で中国がどのような役割は果たすようになるのかは、依然として未知数だ。
 また、そうした新たな世界秩序の下で、日本の唯一の外交戦略は今のところ「何があってもアメリカについていく」以上のものが見えてこないが、それで本当にいいのか、そこにどんなリスクが潜んでいるのかも気になる。
 希代のアメリカウオッチャーとして知られる渡辺氏の目に、トランプを迎える中国はどう映ったのか。アメリカが覇権を失った世界の秩序は、どう推移していくのか。中国から帰国したばかりの渡辺氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

独立を強行したカタルーニャは何を求めているのか

(第868回 放送日2017年11月25日 PART1:53分 PART2:49分
ゲスト:田澤耕氏(法政大学国際文化学部教授)

 世界ではイギリスのスコットランドやイラクのクルド人自治州など、ざっと見たたけでも40~50の地域で何らかの独立運動が起きているが、実際に独立宣言まで強行するケースはほとんどない。
 その意味で、スペイン北東部のカタルーニャ自治州がスペイン政府の反対を押し切って今年の10月1日に独立を問う国民投票を行い、圧倒的な賛成多数を受けて独立宣言にまで踏み切ったことは、近年では希なケースとして特筆されるだろう。
 イギリスのブレグジットやアメリカのトランプ政権の発足の背景には、行き過ぎたグローバル化への反乱としてのナショナリズムの高揚があると言われている。実際、国境を越えたモノ、カネ、ヒトの流れの自由化によって不利益を被った各国の中間層や低所得層が、国家主権の回復を求め始めていることは、各国の選挙でナショナリスト政党が躍進していることなどによって裏付けられている。
 とは言え、その機運がナショナリズムという国家レベルの主権回復運動にとどまる保証はどこにもない。日本のように千年以上にわたり一つの国としての形を維持してきた国は世界ではむしろ少数派で、多くの国は国民国家としてはせいぜい数百年の歴史しか持たない人為的な国だからだ。
 しかし、特定の地域で独立機運が高まった時、中央政府との間に大きな摩擦が生じる。憲法で、一部の州や地域の独立を認めている国は恐らく世界には一つも存在しないだろう。そもそも憲法というものは、国を一つにまとめるために存在するものだからだ。
 ということは、どんな国でも独立宣言=(イコール)憲法違反ということになる。
 また世界では多くの国が同様の火種を抱えているため、州や地域の独立は国際社会からの支持も得にくい。
 実際、連邦政府の反対を押し切って今年10月1日に独立を問う住民投票を行い、圧倒的な支持を得て共和国としての独立宣言に踏み切ったスペインのカタルーニャ州は、スペインの憲法裁判所から住民投票自体を違法と判断され、独立宣言を行ったプチデモン自治州首相以下州政府の指導者たちは国家反逆罪で訴追される身となり、現在国外に逃亡中だ。
 しかも、あくまでカタルーニャの独立を認めないスペインのラホイ首相の方針を、EUやアメリカまで支持している。独立が住民投票で圧倒的な支持を得ていることに加え、スペインの中央政府が治安警察を派遣して、丸腰の住民を押さえつけたり、ゴム弾や催眠ガスを使って、力で独立運動の阻止に乗り出しているにもかかわらずだ。
 現在カタルーニャ州は独立宣言以前に持っていた自治権も停止され、中央政府の直接管理下に置かれている。まさに独立を強行することのリスクがもろに顕在化した形だが、それにしてもカタルーニャはなぜそれだけのリスクを冒してまで、独立にこだわったのだろうか。
 地中海に面し、フランス国境にそびえるピレネー山脈の通り道に位置するカタルーニャは、フランスとの交流も深く、独自の伝統と文化を築いてきた地域だ。建築家ガウディや画家ダリなど多くの著名人を輩出してきたほか、17の自治州のなかで最も経済規模が大きく、全人口の16%のカタルーニャ州がスペインのGDPの20%を占める、スペインのなかでも最も富める自治州だ。
 歴史的には15世紀にスペイン王国の一部となったが、独自の言語と独自の文化を持ち、住民たちの間にも元々スペイン人としての意識が希薄な地域だった。しかも、一般的なスペイン人と比べると勤勉で、芸術などの面でも優れた人材を多く輩出し、経済的に繁栄していることもあり、むしろカタルーニャ人はスペインに対して優越感を持っていたと、カタルーニャ文化に詳しい法政大学国際文化学部の田澤耕教授は語る。
 19世紀のナポレオンによる占領をきっかけに、カタルーニャの独立を求める動きが活発化したが、今回の独立騒動の直接のきっかけは、2006年にカタルーニャ州議会が自治憲章に「カタルーニャは民族的に独自な存在」の一語を加える改正を行ったことだった。これはスペイン議会でも一度は認められたが、スペイン議会でフランコ将軍の流れをくむ国民党が、これを違憲としてスペイン憲法裁判所に提訴し、2010年に違憲判決が出てしまった。それに反発したカタルーニャ州で独立機運が高まり、2012年には150万規模のデモが起きるまでの大規模な運動に発展していた。
 また、リーマンショック以降、スペインのGDPの2割を占めるカタルーニャが、インフラ整備などの公共支出で他の州よりも不利な扱いを受けているという不満が募っていたことも、独立機運に寄与したと田澤氏は言う。
 カタルーニャを自らの管理下に置いたスペイン政府は、12月21日に自治州の議会選挙を行うことを発表している。しかし、世論調査によると現時点では独立推進派が僅かに優勢だという。当面はこの選挙の成り行きが注目されるが、カタルーニャの独立問題が解決するまでにはまだしばらく時間が必要になりそうだ。
 元々、相当の自治を認められていたカタルーニャが、ここに来てあえて独立宣言に踏み切ったことに、どのような意味があるのか。これはウエストファリア体制として知られる国民国家の時代の終わりの始まりなのか。世界の他の地域へはどんな影響があるのか。田澤氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

過剰コンプライアンスが生む日本企業の不正ドミノ

(第869回 放送日 2017年12月2日 PART1:52分 PART2:46分)
ゲスト:郷原信郎氏(弁護士)

 神戸製鋼に続き、東レの子会社や三菱マテリアル子会社など日本を代表する素材メーカーで製品検査データによる改ざんが発覚し、衝撃が広がっている。
 不正が発覚した会社ではいずれも「安全性に問題はない」と説明しているが、不正を行った東レ子会社の東レハイブリッドコードと三菱マテリアル子会社の三菱電線ではいずれも社長が更迭されているし、そもそも長年にわたる不正が発覚した以上、その言葉に疑義が生じるのは避けられない。相次ぐ老舗企業による不正の発覚に、日本ブランドの信用の失墜につながることを懸念する声も上がり始めている。
 なぜここに来て日本の有名企業の不正発覚が相次いでいるのか。そもそもそれは本当に「不正」だったのか。
 企業コンプライアンスに詳しい弁護士の郷原信郎氏は、一連のデータ改ざんは問題だとしながらも、商品の安全性に直結するレベルの不正と、安全性には影響しないが、取引企業間の取り決めからは逸脱していたというレベルの形式的不正は区別して考える必要があると指摘する。そして、経産省が企業間の取り決めから逸脱したレベルの不正についても、積極的に社会に向けて公表するよう指導するようになったため、これまでは表沙汰にならなかった形式的な不正までがメディアに大きく取り上げられ、あたかも安全性に問題があるかのような不安を煽る形になっていることには問題があると言う。
 日本の企業文化には顧客が要求した品質は満たしていないが不良品とまではいえない製品については、特採(特別採用)として一時的に出荷を容認する慣習がある。納期や数量を勘案すれば、誤差の範囲として取り扱ったほうが得策だということで、これまで企業間で例外として処理されてきたものだった。特採は最終製品の品質に影響を与えないことを前提とする一時的な措置であることが前提だったが、一流メーカーの中には自社ブランドに対する信頼に胡坐をかき、特採レベルの「誤差」についてはデータを改ざんする慣習が常態化していたところも少なからずあった。それがここに来て、一気に露呈しているのだ。
 郷原氏はこうした一連の「不正」や「データの改ざん」に問題がないと言っているわけではない。しかし、最終製品に安全上の問題が生じないことを前提に、あくまでB to B(企業間)の契約上処理されるべき問題が、本質的な安全問題として社会問題化すれば、企業側に過剰コンプライアンス心理が働き、結果的に形式的不正を生む構造がますます覆い隠されることになりかねないと郷原氏は言う。内容やレベルに関係なく「不正」や「改ざん」といった言葉が一律に使われることで、構造的な不正が修正される方向ではなく、隠蔽される方向に向かってしまう可能性が高いというのだ。
 素材メーカー3社のデータ改ざんの合間に、日産やスバルなどの自動車メーカーによる無資格者の検査問題というものも浮上しているが、それも新車を一台一台検査する必要があるのかというそもそも論を横に置いたままの「不正」論争になっている点に、疑問があると郷原氏は指摘する。そもそも検査員の資格は社内的なものであり、実際の検査の内容も資格を要するような難易度の高いものではなかったのだ。
 これは日本に限ったことではないかもしれないが、日本のとりわけ製造業の現場では長年、職人気質の技術者の「経験や勘」に頼った品質管理が行われてきた。しかし、国際化が進み、コンプライアンスが叫ばれるようになった結果、そうした明文化されないノウハウに頼った品質管理ではなく、より明文化された客観基準による管理が必要になった。管理職は対外的な必要性からそうした基準の制定を進めるが、現実を反映しない基準や守れるわけがないような基準を押し付けられた現場では、そうした基準が空文化しているケースも多い。
 そもそも企業間の取り決めに基づく特採の公表を求める経産省の判断が妥当なものなのか。一連の「不正」をメディアは正しく報道し、それは社会に正しく理解されているのか。法令の安全基準に現場の声を反映させ、より現実的で遵守が可能な製品基準をつくらなければ、今後も形式的な不正はなくならないだろうと指摘する郷原氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ポスト・トゥルース時代の保守とリベラルの役割

(第870回 放送日 2017年12月9日 PART1:58分 PART2:1時間1分)
ゲスト:中島岳志氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)

 先の総選挙では選挙直前に民進党が分裂するなど野党陣営の足並みが乱れ、結果的に自公連立与党の大勝に終わった。
 また、その分裂劇のさなかで、希望の党の小池百合子代表は分裂した旧民進党の「リベラル勢力」に対して明確な排除の意志を表明する一方で、リベラル勢力の受け皿として急ごしらえで結党された立憲民主党の枝野幸男代表は自らを「保守」と位置付けるなど、日本の政治で「リベラル」の行き場がなくなりつつあるような政治状況が続いている。
 一方、世界に目を転じると、アメリカの大統領選や上下両院選挙で民主党に共和党が勝利するなど、先進諸国でナショナリスト勢力が躍進する中、いわゆる左派政党の衰退が目立っている。
 リベラルの時代は終わったのか。
 政治思想が専門で「リベラル保守宣言」などの著書のある東京工業大学の中島岳志教授は、リベラルにはまだ重要な役割があると指摘した上で、枝野氏が立憲民主党の結党記者会見で語った「リベラルと保守は対立概念ではない」という言葉に、今後のリベラルと保守の関係を示す重要なヒントが隠されていると指摘する。
 日本では「リベラル」が革新や左派勢力を意味するように使われているが、枝野氏が指摘するようにそれは明らかな誤謬だと中島氏は言う。革新と呼ばれていた勢力が冷戦終了後に自らをリベラルと名乗るようになったために混同されがちだが、リベラルと左派は全く別物だ。
 もともとリベラルは17世紀のカトリックとプロテスタントの激しい宗教戦争への反省から、徹底的に戦い合うことを避けるために、個人の思想や信仰の自由を保障する「自由主義」(リベラリズム)に起源があると中島氏は指摘する。そこからリベラリズムには、国家が個人に介入しないことを求める「消極的自由」と、個人の自由を保障するためには国家の一定の介入が必要と考える「積極的自由」の2つの流れが生まれ、現在に至る。リベラルはあくまで個人の自由を尊重する考え方なのだ。
 その一方で、フランス革命を支えた啓蒙主義に対する批判としてエドモンド・バークらによって提唱された保守主義は、人間の理性や知性の限界を受け入れ、急進的な合理主義に対して懐疑的な立場を取る。歴史的に受け継がれてきた暗黙知を尊重することこそが、個人の自由が守られるとの立場を取るのが保守主義だ。
 枝野氏が指摘するように保守とリベラルは対立する概念ではなく、リベラルが主張する積極的自由と消極的自由のバランスを重視するのが保守主義者の立場だと中島氏は語る。例えば、政治思想を示す座標軸に市場主義と再配分主義があるが、市場主義は消極的自由が前提にあり、再配分主義は積極的自由に基づく。そして、どちらの行き過ぎも警戒し、両者のバランスを重視するのが保守の立場ということになる。
 元々日本ではリベラルと左翼や革新が混同されているため、そこは整理が必要だが、問題は本来の意味でもリベラルが世界的に危機に瀕していることだ。そしてその理由は、旧来の消極的自由と積極的自由のバランスだけでは、個人の自由を保障することが難しくなっているからだ。
 しかし、「リベラル保守」を自認する中島氏は、リベラルにはまだ重要な役割が残っているし、その役割を果たすことが可能だと語る。
 トランプ米大統領誕生に代表されるポスト・トゥルースが猛威を振るう21世紀の世界におけるリベラルの役割とは何なのか。自民党は保守政党なのか。日本におけるリベラルと保守の存在意義は何なのかなどについて、中島氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.85(851~860回収録)

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国際政治学者だから気づいた間違いだらけの憲法解釈

(第851回 放送日 2017年7月29日 PART1:54分 PART2:47分)
ゲスト:篠田英朗氏(東京外国語大学教授)

 東京外大の篠田英朗教授は、平和構築が専門の国際政治学者だ。その国際政治学者の目で見た時、今、日本で大勢を占めている日本国憲法の読み方はおかしいと、篠田氏は言う。それはもっぱら内向きな議論に終始し、現在の国際情勢や国際政治の歴史からあまりにも乖離しているからだ。
 そもそも現在の日本国憲法は憲法学者、とりわけほんの一握りの著名な東京大学法学部出身の憲法学者による学説がそのまま定説として扱われているきらいがある。例えば、憲法9条も、何があっても平和を追求する姿勢を国民に求めているものと解釈されているが、篠田氏は9条を普通に読めば、その目的は「正義と秩序を基調とする国際平和の樹立」にあり、あくまでその手段として交戦権の放棄や軍事力の不保持が謳われていると読むのがより自然だと指摘する。
 そもそも日本国憲法の3大原理として、われわれが小学校の教科書で教わる国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの柱は、誰がそれを日本国憲法の3大原理だと決めたのかも不明だ。憲法自体には3大原理などという言葉はどこにも出てこないからだ。
 篠田氏は日本国憲法を普通に読めば、その最優先の原理が「国民の信託」にあることは明白だと言う。憲法はその前文で「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し・・・」と記している。前文に明記されている大原則を無視して、誰かの解釈による3大原理なるものが一人歩きをしているのではないか。
 早い話が現在の日本の憲法解釈やその定説と言われるものには、一部の憲法学者たちの価値判断が強く反映されており、われわれ一般国民はそれをやや無批判にファクトとして受け止めてきたのではないかというのが、篠田氏の基本的な疑問だ。
 悲惨な戦争を経験した日本にとって、戦後間もない時期にそのような解釈が強く前面に押し出されたことには、一定の正当性があったかもしれない。また、世界における日本の存在が小さいうちは、国民がこぞって専門家まかせの憲法解釈に乗っかることも許されたのかもしれない。しかし、戦後復興を経て今や日本は世界有数の大国になり、国際情勢も憲法制定時の70年前とは激変している。
 そうした中でもし日本がこれから本気で憲法改正の議論を始めるのであれば、まず憲法が長らく引きずってきた様々な予断や、強引で無理のある解釈をいったん横に置き、当時の時代背景などを念頭に置いた上で、あらためて日本国憲法のありのままの中身を再確認することには、重要な意味があるのではないか。
 とりわけ、現行憲法は英語の原文を見ることで、憲法の原案を起草した当時のアメリカがどのような意図でそのような条文を書き込んだのかが、より鮮明になると篠田氏は指摘する。押し付け憲法論やそれをベースとする自主憲法制定論も結構だが、まずは現行憲法が何を謳っているかを正しく理解しなければ、議論の進めようがない。
 平和構築が専門の篠田氏は、特に日本国憲法3大原理のうち、平和主義がそこに含まれていることに不満を隠さない。平和というものはあくまで目的でなければならず、それ自体が原理ではあり得ない。平和を原理として掲げ、平和主義のお題目を繰り返せば自動的に平和が実現するのであれば、世界は何も苦労などしない。
 憲法の一大原理である国民と政府との間の「信託」によって、日本国民は政府に対し平和を最優先の目的として掲げるよう求めている。ということは、政府はその目的を達成するために、どのような手段を選択するかが常に問われていることになる。平和を実現するために本来は他にすべきことがあるが、憲法の平和主義原理のために「あれはできない、これはできない」などという話になるのは、全くもって本末転倒ではないか。
 憲法の専門家ではない国際政治学者だからこそ見える日本国憲法をめぐる解釈や学説の不自然さや、憲法の歴史的な背景とその後の国際情勢の変化を念頭に置いた時、今日、日本国憲法はどう読まれるべきか、だとすれば、どのような憲法改正があり得るかなどについて、篠田氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

北朝鮮問題に落としどころはあるのか

(第852回 放送日 2017年8月5日 PART1:51分 PART2:49分)
ゲスト:武貞秀士氏(拓殖大学特任教授)

 国際社会が恐れていた事態が、いよいよ現実のものとなりつつある。核兵器を手にした北朝鮮が、それを地球の裏側まで飛ばすことを可能にする大陸間弾道ミサイル(ICBM)を手にするのが、もはや時間の問題となっているのだ。
 北朝鮮が核実験やミサイル発射実験を重ねるたびに、アメリカはこれを糾弾し、空母を朝鮮半島沖に派遣したり米韓軍事演習を行うなど、示威行動を繰り返してきた。しかし、アメリカが実際の軍事行動に出る気配は感じられず、「ICBMがレッドライン」との見方が支配的になっていた。北朝鮮が何をやっても、一般のアメリカ国民にはほとんど影響は無いが、ICBMが実践配備されれば、アメリア本土が北朝鮮の核の脅威に晒されることになるからだ。
 しかし、北朝鮮が7月4日、28日と二度にわたるICBMの発射実験を行った後も、アメリカが強硬手段に出そうな気配は見られない。そればかりか、ティラーソン国務長官などは、北朝鮮の脅威が増すにつれて、むしろ対話を模索する言動が目立ってきている。
 早ければ2018年中にも北朝鮮がアメリア本土にも届くICBMの開発に成功する可能性が取り沙汰される中、北朝鮮と直接対立関係にある日米韓の3か国にはどのような選択肢が残されているのだろうか。
 防衛研究所時代から希代の朝鮮半島ウォッチャーとして知られる武貞秀士・拓殖大学特任教授は、そもそも事態がこのような切羽詰まった状況に陥る遥か以前から、今日のこの状況を予想し、「北朝鮮問題は対話を通じて解決するしかない」と主張してきた。そんな武貞氏の主張は、拉致問題を抱え対北朝鮮強硬論が根強い日本では「弱腰」との批判を受けてきたが、ここに来て事態は氏の主張した通りになってきている。
 北朝鮮と交渉すべきという主張は、2つの楽観論を前提とする強硬論にかき消されてきた。一つ目の楽観論は、強く出ていれば北朝鮮はいずれ時間の問題で崩壊するだろうという希望的観測、そしてもう一つは、いざとなればアメリアは黙っていないはずだという他力本願の楽観論だった。
 また、事態がここまで来てしまった背景には、北朝鮮が開発を急ぐ核やミサイルが、周辺国やアメリカにとって現実の脅威となるまでには、まだしばらく時間がかかるにちがいないという油断もあった。今となっては、これも多分に希望的観測だったと言わねばならないだろう。
 しかし、こうした希望的観測はことごとく外れ、北朝鮮が現実に核兵器を保有し、弾道弾ミサイルも手にしようとしている。それでも武貞氏は、やはり対話を通じて核兵器やミサイルの脅威を押さえ込んでいくしかないと、これまでの主張を繰り返す。
 「トランプ大統領」という誰にも予想がつかない不確定要素はあるものの、アメリカの軍事行動に対する北朝鮮の報復は、同盟国である韓国や日本に莫大な被害をもたらす可能性が高いため、例え限定的なsurgical strikeであっても現実的ではない。既に日本は全土がノドンミサイルの射程圏内に入っていることも忘れてはならない。
 一方、交渉はあくまで相互的なものなので、北朝鮮側の主張を全面的に受け入れる必要はない。北朝鮮が求めるものを小出しに与えつつ、核やミサイルの脅威のレベルを低減させていくことが、交渉の目的となる。
 それが本当に可能かどうかはわからない。しかし、他に現実的な選択肢がないことも事実だろう。
 そもそも北朝鮮はアメリカと戦争がしたいわけではない。北朝鮮は1948年の建国以来、朝鮮半島の統一を国家目標としており、国連軍の名前で韓国に駐留する在韓米軍がその妨げになっているというのが北朝鮮側の立場だ。無論アメリカにとっては、中国と同盟関係にある北朝鮮による朝鮮半島の統一は容認できないが、一方の中国も、北朝鮮が崩壊し、米軍が中朝国境まで迫ってくるような事態は受け入れられない。
 また、統一の際の直接の当事者となる韓国は韓国で、北主導の統一は到底受け入れられないにしても、冷戦によって国が分断されたままの状態を解消したいとの思いは国民の間で根強く共有されている。
 このように入り組んだ地政学的パズルの中では、いたずらに対立を煽っても何ら解決にはつながらない。交渉が行われない限り、北朝鮮はこれまで通り核・ミサイル開発を続け、それを国際社会に見せつけることで、自らの力を誇示し続けるだけだろう。そして、時間の問題で地球の裏側まで核を届かせる手段も手にするだろう。そうなってから話し合いを始めるのと、今話し合いを始めるのとでは、どちらが得なのかは、冷静になって考える必要がある。そうでなくとも、時間が経てば経つほど、交渉は北朝鮮にとって有利なものになっているのが現実だ。
 アメリカの軍事行動はあり得るのか。中国はなぜ本気で北朝鮮を止めようとしないのか。北朝鮮はどこまでやるつもりなのか。武貞氏に北朝鮮問題に落としどころを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

「日本人は格差を望んでいる」は本当か

(第853回 放送日 2017年8月12日 PART1:50分 PART2:46分)
ゲスト:橘木俊詔氏(京都大学名誉教授)

 「日本のピケティ」との異名を取る京大名誉教授の橘木俊詔氏は、1998年に「日本の経済格差」を著し、一億総中流と言われていた日本経済が急速にアメリカ型の格差社会に向かっていることに対して、最初に警鐘を鳴らした経済学者の一人だった。しかし、その後、日本は橘木氏の予想した通り、一気に格差社会への道を突き進んでいった。
 今回は橘木氏との議論を通じ、現在の日本の「格差社会」や「貧困化」の状態が、日本人がそのような社会となることを自覚的に選択した結果だったのかどうかを考えてみた。つまり、われわれ日本人があえて格差が広がり貧困が放置されるような社会を望み、その前提となる税制や社会制度を選んだのか。それとも、無自覚のうちにそのような選択をしていただけであり、それはこれから修正される余地があるものなのかどうか、だ。
 それにしても今や日本は、アメリカと並ぶ世界有数の格差大国となっている。6人に一人が貧困線以下の生活を強いられ、貧困者の割合を示す相対的貧困率でも、富の偏在を示すジニ係数でも、日本はアメリカと並び世界で最も貧富の差が大きく、貧困層が放置されている国であることが、データによって裏付けられている。それもそのはずで、再分配の前提となる国民負担率(租税負担率+社会保障負担率)でも、日本はアメリカと並び先進国では最低水準にある。何らかの形で富める人たちから税や社会保障費の形で富を集め、それを貧しい人たちに分配しなければ、貧富の差が広がり、貧困が放置されるのは当然の帰結だった。
 17世紀以降、ヨーロッパの開拓者たちによって国の礎が作られたアメリカが、伝統的に個人に対する政府の介入を嫌い、自助の精神を重んじる国であることは、広く知られている。そのアメリカができる限り税負担を軽くし、社会保障も公的負担を避け、自助に任せようとする傾向があることは、ある程度説明がつく。無論、そのシステムから漏れた医療保険を持たない非正規雇用労働者や失業者などの貧困層に対する最低限の手当ては必要だが、医療保険を持たない貧困層を救済するためにオバマ大統領の肝いりで導入された「オバマケア」でさえ、いまだに反対意見が根強く、方々で違憲訴訟が提起されるほどだ。
 しかし、今や日本の租税負担率はそのアメリカよりも低い。日本には義務的な年金と医療保険があるため、租税負担率に社会保障負担率を加えた「国民負担率」ではまだアメリカを少し上回っているが、それでも先進国中最低水準の41.6%(2015年度。租税負担率=24.1%。社会保障負担率=17.5%)にとどまる。ちなみに、アメリカの国民負担率が先進国中最低の32.5%(租税負担率=24.2% 社会保障負担率=8.3%)なのに対し、イギリスは46.5%、ドイツは52.6%、フランスは67.6%だ。(国民負担率が95.5%のルクセンブルグを例外とすると)先進国中、国民負担率が最も高いデンマークでは、所得の68.4%が税金と社会保障費として持っていかれるが、それと引き換えに医療や教育などほとんどの公共サービスが無料で受けられるし、失業保険や介護保険なども当然、日本では考えられないほど充実している。
 所得税の最高税率をあげたり、税率の累進性を高めると、労働意欲が削がれるとの説明がなされることが多いが、実際に税率が高い国で人々が真面目に働かなくなることを示すデータは見たことがないと橘木氏は言う。低い所得税率はむしろ、政府の信用度の低さと、国民の再分配に対する否定的な姿勢を反映している。
 実際、アメリカや日本に代表される、税負担が低く抑えられている国では、得てして国民が再分配に積極的ではない傾向が強いと橘木氏は言う。一億総中流などが叫ばれ、お上意識も強い日本人ではあるが、実はその本性はアメリカ型の自助社会を志向しているというのが、格差問題を研究してきた橘木氏の見立てだ。
 この番組では何度もご紹介しているが、2007年のピューリサーチによる国際世論調査で、「自力で生活できない人を政府が助ける必要はあるか」の問いに対し、日本は先進国中ダントツとなる38%もの人が「助けるべきではない」と回答している。何とこれは28%が「ノー」と答えたアメリカはもとより、中国や貧困に喘ぐアフリカの発展途上国よりも大幅に高いショッキングなデータだったが、実際に今、日本社会に起きている現象は、残念ながらこの調査結果と符合していると言わざるを得ない。
 その裏付けとなるかどうかは議論のあるところだが、日本では相変わらず生活保護の捕捉率が2割を割っている。つまり実際に生活保護を受けられるほどの困窮状態にありながら、様々な理由から生活保護を受給できていない世帯が、8割以上もあるということだ。8割の貧困家庭が放置される一方で、実際は全体の0.3~0.4%程度に過ぎない生活保護の不正受給に対しては、メディアも含めて凄まじいバッシングが行われる。
 とは言え、もし橘木氏が指摘するように、実は日本人の本性が「助け合い」ではなく「自助」にあるのだとすれば、今日の日本の問題はとても根深いものとなる。なぜならば、困っている他人を助けるために一肌脱ぐことには否定的な一方で、精神的にも実態面でも行政への依存度が非常に高く、何かあればすぐに「お上」に頼る傾向が強いのが日本人だとすれば、日本の財政の帳尻が合わなくなるのは目に見えているからだ。
 実際、今の日本に、社会保障に頼らない老後の見通しが立っている人が、どれほどいるだろうか。結果的に日本の社会保障制度は北欧並みの高福祉ではないにしても、公的医療保険や公的年金のないアメリカや発展途上国に比べれば、中福祉程度の水準は維持しているし、恐らくそれが国民の期待するところなのだろう。ところが、実際日本人はアメリカ並みに自助を重んじ、他人を助けることに否定的であるが故に、高い税金による再分配を望んでいないという。もしそうだとすると、負担はしたくないが給付だけは一定水準を要求する国民ということになってしまう。結果的に、高負担・高福祉の北欧型、低負担・低福祉のアメリカ型に対し、現在の日本は低負担・中福祉になっているのではないか。それでは財政が持たないのは当然のことだ。
 既に財政的には大きな赤字を抱える日本が今後、少子高齢化を迎える中、消費税率を最低でも25%~30%程度まで上げなければ、現在の「中福祉」の給付水準を維持することはできないとの試算がいろいろなところから出されている。しかし、どうも今日の日本人の国民性は、給付を維持しながら負担水準を上げることで帳尻を合わせるのではなく、むしろ給付を削ってでも負担を下げる方を選ぶのではないかというのが、今回の橘木氏との議論から見えてきた方向性だった。それが貧富の差を更に拡げ、貧困人口を増やすことを意味していることは言うまでもない。
 戦後の急速な工業化によって伝統的な農村共同体が崩壊し、一時期それに取って代わる機能を果たしてきた企業共同体もほぼ消滅した日本には、もはや地域共同体というものがほとんど何も残っていない。社会の基礎を成す共同体が崩壊した社会では、「仲間」のために自分が余分な負担を負うことに意義を見いだせなくなることは、避けられないことなのかもしれない。共同体がない社会では、そもそも「仲間」というのが誰のことなのかが自明ではなくなるからだ。しかし、その一方で、われわれ日本人は、アメリカのような自助を前提とする弱肉強食社会に耐えていくだけの、精神的なタフさを本当に持ち合わせているのだろうか。そもそもトランプ現象などを見るにつけ、アメリカ「自助」社会というものが今、ちゃんと回っているのだろうか。
 ここは一旦立ち止まり、今われわれが突き進んでいる道が本当に自分たちが選んだ正しい道なのかどうかについて、一考してみる価値はありそうだ。
 経済学者の橘木氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

これでいいのか日本の大学

(第854回 放送日 2017年8月19日 PART1:1時間3分 PART2:1時間1分)
ゲスト:吉見俊哉氏(東京大学大学院教授)

 森友学園・加計学園と、相次いで教育と行政の関わりが問題になっているが、教育、中でもとりわけ日本の大学が、危機的な状況に瀕している。
 実際、18歳の人口が年々減少しているにもかかわらず、次々と新しい大学が作られたために、今や私立大学の4割以上が定員割れに陥っているという。その多くは中国などからの留学生で穴を埋めている状態だそうだが、定員割れの大学は事実上誰でも入れるため、逆に入学後、授業についていけずにドロップアウトする学生が半分以上にのぼる大学も少なくないという。
 かと思えば、文部科学省は国立大学への「運営交付金」を毎年1%ずつ削減するほか、国立大学の人文系学部の規模を縮小し、最終的には統廃合するよう通知したことが報じられている。
 大学に今、何が起きているのか。
 『「文系学部廃止」の衝撃』や『大学とは何か』などの著書のある東京大学の吉見俊哉教授は、文科省が国立大学の人文系学部の統廃合を通告したとされる報道はメディアの誇大報道だったことを指摘しながらも、実際、日本の国立大学では一貫して理系学部を優先する政策が採用されてきたことを問題視する。その偏りが日本という国の針路の偏りにつながっている可能性があるからだ。
 実際、日本は20世紀初頭に始まった戦時体制の下で、軍事力強化の目的で理工系の研究所が次々と建設され、理工系学生が重用されたのを手始めに、戦後も経済復興・成長に貢献できる理工系大学の優遇という形で、一貫して理系重視の政策が継承されてきた。
 2004年の大学の独法化に際して、大学は政府から支給される運営交付金が削減され、科学研究費などの「競争的資金」への依存度が増したことで、理工系優位がますます顕著になった。
 理工系の研究が軍事力の強化や企業の競争力強化に有効なことは言うまでもない。しかし、例えば戦前に「アメリカに勝つための科学力」を強化するために理系が重視されたことについて吉見氏は、アメリカに勝つという目的の是非が問われなかったのは、日本が人文系の学問を軽視してきたことの大きな落とし穴がそこにあったと考えるべきだと語る。
 実際に今日、遺伝子操作や出生前診断などに代表される生命科学や、情報通信やAIといったコンピューター技術の重要性が強調され、ますます理系重視の傾向に拍車が掛かっているが、生命倫理や循環型社会のあり方などを考察し、価値判断を下す人文系の視点が後手に回っている感は否めない。
 そもそも大学という機関が何のためにできたのか、その起源や成り立ちを見ていくと、昨今の近視眼的な理系重視の政策の問題点が浮き彫りになる。理系は「役に立つ」からが優遇されるのが当然だと言われることが多いが、そもそも何が「役に立つ」かは、何を目的に設定するかによって変わってくる。その目的が単に国力の強化や企業の競争力だけであっていいのかどうか。その価値評価や価値判断こそが、哲学や政治学、倫理学などの人文系の学問的な英知を必要としているものなのではないか。
 そもそも日本は公的な教育支出が先進国中、最低の水準にある。その日本で支援の対象が理系に偏れば、人文系の英知が隅に追いやられるのは目に見えている。そのことのツケは思った以上に大きいかもしれない。
 何のために大学に行くのかとの問いに対し、「学歴のため」と「みんなが行くから」と答える学生が圧倒的多数を占める日本で、現在の大学のあり方や求められる改革などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が吉見氏と議論した。

異常気象を日常としないために

(第855回 放送日 2017年8月26日 PART1:44分 PART2:41分)
ゲスト:三上岳彦氏(首都大学東京名誉教授)

 35度を超える猛暑で、各地で熱中症による死者が出たかと思えば、翌日にはスコールのようなゲリラ豪雨で川が氾濫し、また多くの死傷者を出す。
 いつのまにかこんなことが繰り返されるようになった。
 日本もさることながら、世界に目をやると、干ばつや豪雨、熱波や寒波、大雪に台風に大洪水など、今やどこかで何らかの「異常気象」が起きていない日は一日もないといっても過言ではないだろう。
 ついこの間まで、さんざ「異常」「異常」と言われていたこんな気象現象が、もはや異常ではなくなっている。少なくともそれが、われわれの日常になりつつある。しかし、つい最近までこんなことは滅多になかった。あってもそれは一時的な「異常」事態だと考えられていた。
 いつからこんな異常気象が、日常になってしまったのか。
 気象学が専門でヒートアイランド現象に起因する都市のゲリラ豪雨に詳しい首都大学東京の三上岳彦名誉教授は、異常な高温や豪雨といった異常な気象現象というのは昔から起きていたが、ここに来てその頻度が増していることは間違いないと指摘する。
 異常が日常化していることはわれわれの皮膚感覚でも十分に感じられるが、それはデータによっても裏付けられている。
 一日の最高気温が35度を超える猛暑日の発生日数は近年、日本全体で急激に増えているし、1日の最低気温が25度を下らない熱帯夜も同じようなペースで増加している。
 例えば、1930年代までは東京で年に10数回しかなかった熱帯夜が、2000年代に入ると年間50~60日近くに上っている。これは実質上7~8月の2か月間、最低気温が25度以下まで下がった日が一日もなったことを意味している。
 一方、大雨の発生数も確実に増えている。全国で1年間に1時間あたり80ミリを超える豪雨が発生した回数は、1975年~95年頃までは5~15回程度だったのに対し、98年以降は毎年のように15回を超え、今も年々更に増え続けている。1時間80ミリ以上というのは、気象庁の表現を借りると「息苦しくなるような圧迫感があり、恐怖を感ずる。車の運転は危険」という、正に尋常ではない異常豪雨のことだ。
 高温の増加傾向は、特にヒートアイランド現象が起きやすい都市部に顕著に見られ、中でも東京の猛暑日数は、1940年頃までは年間2、3日程度だったのに対し、ここ数年は10日を超えるようになっている。
 三上氏はこの「異常気象」の背景には、長期的には地球温暖化などによる大気や海水の温度の上昇があるが、特に都市部の高温や豪雨は、それとは別に、都市の空調、工場、自動車などからの排熱や、地面がコンクリートに覆われたことで、太陽熱が地中に閉じ込められることによって発生する都市部のヒートアイランド現象など、人為的な影響が大きいという。
 実際、梅雨前線など気圧配置の影響で生じる雨や台風も、温暖化により海水温が上昇すれば自ずと強大化することになるが、最近、都市部に見られる局地的な雷雨やゲリラ豪雨と呼ばれる現象は、前線の配置とは関係なくいつ起きてもおかしくないため、事前に予想するのが難しいとされている。
 例えば、東京の練馬や杉並、世田谷などの環状八号線沿いでゲリラ豪雨が多く発生している原因は、ヒートアイランド現象で熱くなった東京の空気に流れ込んでくる相模湾、東京湾、鹿島灘からの湿った海風がちょうどそのあたりでぶつかり合い、そこに局地的な積乱雲が発生して起きているものと考えられているそうだ。だから二子玉川が滝のような豪雨や雷、雹に襲われているのに、少し都心に入った六本木では一粒も雨が降らなかったなんてことが起きることもある。
 しかし、都市部、山間部を問わず、このような異常気象が続けば、毎年、災害による被害の発生が避けられない。長期的な解決方法としては地球温暖化を止めるしかないが、少なくとも人為的要因による異常気象については、災害に強いインフラ強化ももちろん大切だが、その原因部分を手当することも考えるべきだろう。
 三上氏は都市部で高温と豪雨の原因となっているヒートアイランド現象を和らげる最も効果的な方法は、「地面に熱が閉じ込められないようにすること」と「海から入ってくる風の通り道を作ること」の2つだという。前者は、例えば、コンクリートで覆われていない緑地などを増やすことによって実現が可能だし、後者は高層ビルを建てる際に風が抜けるようなデザインにすることを建築条件に加えるなど、まだまだ工夫の余地はあると三上氏は指摘する。
 「異常気象」は気象庁の定義では30年に1度起きる気象現象のことだそうだが、どんなに異常なことでも、日常的にそれを見ていれば、もはや異常と感じなくなってしまうのは確かだ。しかし、それだけでは茹でガエルと変わらない。今一度、昨今の気象がいかに異常な状態にあるかを再確認するとともに、それを日常の一部としてしまう前に、気がついたら茹で上がってしまわないようにするために、今われわれに何ができるかを、三上氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ビットコインが変えようとしているもの

(第856回 放送日 2017年9月2日 PART1:1時間6分 PART2:1時間3分)
ゲスト:岩村充氏(早稲田大学大学院教授)

 何やらビットコイン周辺が喧しくなってきた。
 仮想通貨「ビットコインの価格が急騰しているそうだ。システムの変更をめぐる事業者間の対立が分裂騒動に発展し、一時は20万円近くまで値下がりしていたビットコインだが、その後、大きな混乱がなかったことから取り引きが急増。最大手の取引所「ビットフライヤー」での取引価格が8月30日には1BTC(BTCはビットコインの単位)あたり50万円を超えて最高値を更新したという。
 一方、ビットコインを支払いに使える店舗も徐々に増えてきている。中国の観光客の利用を当て込んで日本では、ビックカメラやメガネスーパー、DMM.comなどがビットコインによる支払いの取り扱いを始めたことがニュースになった。
 中国を中心に世界で利用が進んでいるビットコインだが、日本では2014年にビットコイン取引所「マウントゴックス」が破綻して、利用者に大きな被害が出たこともあり、まだ不安を持つ人が多いのではないか。
 ビットコインは一般に「仮想通貨」とか「暗号通貨」と呼ばれるが、その仕組みはわれわれの従来の「通貨」の概念を覆すもので、やや謎に満ちている。なぜならば、ドルや円などの既存の通貨と異なり、この通貨はバーチャル(仮想)であると同時に、どこか特定の国に属さず、参加者自身が作ったルールによって運用されているものだからだ。
 『中央銀行が終わる日 ビットコインと通貨の未来』などの著書のある早稲田大学大学院の岩村充教授は、野球やサッカーと同じように、ビットコインは参加者たちが決めたルールによって運用されているもので、最初に集まった少人数の人々が決めたルールに則って普及していったので、特定の国の政府や企業のコントロールを受けないのが特徴だそうだ。
 とは言えビットコインも通貨だ。他の通貨が通貨としての価値を持つのは、発行した政府の信用の裏付けがあるからだ。ビットコインの価値は何によって裏付けられているのか。
 実はビットコインには独特な、そして素人目にはやや謎めいたカラクリがある。ビットコインは10分ごとに数式の問題が発生し、それを最初に解いた人に12.5BTCが発行されることで、新たなビットコインが市場に投入される仕組みになっている。その問題を解く能力は保有するコンピュータの処理能力に依存し、より多くのCPUを稼働させた人が最初に問題の解を見つけられる可能性がより高くなるように設計されている。その解を見つけるためにかかる手間をPOW(Proof of Work=手間の証明)と呼び、手間をかけたことの対価としてビットコインが与えられるというのだが、岩村氏によると、そこで言う「手間」というのは要するに、それだけのコンピュータを動かすことによって発生する電気代のことなのだそうだ。
 これはかつての金鉱山の採掘と似ている。金の価値は金を採掘するコストに裏打ちされている。需給関係によって金の価値が上昇すれば、ある程度の採掘コストをかけてでも金を掘り出す価値が出てくるが、金の価格が安くなり採掘コストが金の価格を上回るようになると、わざわざ損をするために金を採掘する人はいなくなり、金の流通量が増えなくなるので、再び需給関係が調整される。ビットコインを獲得するために10分ごとに発生する数式を解いてビットコインを掘り当てようとする作業をマイニング(採掘)、それを行う人をマイナー(採掘人)と呼んでいるのはそのためだ。
 ビットコインのマイニングのために出される数式問題は「ハッシュ関数」を使った、一般人には意味不明な数字とアルファベットの羅列だが、岩村氏によるとこれは数学的にはそれほど難解なものではなく、時間さえかければ誰にでも解ける問題なのだそうだ。解を順番に当てはめていけばいつかは見つかる問題なので、コンピュータの処理速度が早い方が他の人よりも先に解に辿り着く可能性が高くなる。より多くのCPUを動員した人が、より早く解を見つけられる可能性が高くなるわけだ。
 このような方法で、現時点では10分ごとに12.5BTCのビットコインが新たに発行されているが、この発行ペースもほぼ4年毎に半分になっていくようにルールが設定されている。これはちょうどオリンピックイヤーごとに半分になっていく計算で、東京五輪が開かれる2020年にはマイナーが問題を解くことで得られるビットコインは現在の半分の6.25BTCになる。この方法で行くと2141年には、金の埋蔵量が枯渇するのと同じように、計算上は新たなビットコインが発行されなくなる。
 ビットコインのこのようなルールも、将来は変わっていく可能性はある。結局のところビットコインのルールは運用者たちが決めていることだからだ。また、今のところ「ビットコイン」という特定の仮想通貨に多くの注目が集まっているが、世界には既に1000種類以上の仮想通貨が存在する。ビットコインの欠点を改良した新たな仮想通貨が登場し、ビットコインに取って代わり主役の座に座ることも十分にあり得る。
 将来、何が仮想通貨のディファクト・スタンダードとなるかはわからないが、ビットコインには既存の通貨になる多くのメリットがあることは事実だ。また、その値動きの激しさ故に、投資・投機が目的でビットコインを売買している人も増えている。そこがビットコインの魅力でもあるわけだが、あまりにも投機目的での利用が主流になってしまうと、当局の規制が入るなどして、ビットコインの画期性が損なわれてしまう恐れもある。
 ビットコインは何を変えようとしているのか。国家の専権事項だった貨幣発行の独占権が揺らぐことはあるのか。そもそも通貨とは何なのかという基本的な問いにも触れるビットコインについて、岩村教授とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

北朝鮮核ミサイル危機と中国の本音

(第857回 放送日 2017年9月9日 PART1:40分 PART2:40分)
ゲスト:小原凡司氏(笹川平和財団特任研究員)

 北朝鮮情勢がのっぴきならない状況に陥っている。
 北朝鮮の絶対的指導者である金正恩労働党委員長が、北朝鮮の生存が核武装とICBM(大陸間弾道弾)の開発にかかっていると確信している以上、もはや自主的にこれを放棄させることは不可能と言わざるを得ない。
 現在、石油の禁輸措置を含む厳しい制裁が国連安保理で話し合われているが、中国がやや制裁に前向きな姿勢に転じているものの、今度はその分ロシアが反対姿勢を明確にするなど、アメリカが提案する制裁が実施される見通しは明るくない。中国が専門で国際的な軍事情勢にも詳しい小原凡司氏は、中国はロシアが拒否権を発動することで制裁が実現しないことを前提に、制裁案を容認する姿勢を示しているだけなので、いざ制裁が通りそうになれば、中国は反対する可能性が高いと指摘する。
 つまり、北朝鮮の命綱とも呼ぶべき石油の9割を提供している中国とロシアが、いずれも厳しい制裁は支持していないということのようだ。これでは金正恩に核ミサイルの開発を断念させることなど、できようはずがない。
 となると、アメリカにとっての出口シナリオは、北朝鮮の核とミサイルを容認、もしくは黙認した上で、交渉によってアメリカにとっての危険性を最小化している融和路線と、軍事力で北朝鮮の核やミサイルを無力化する軍事オプションの二つに一つしかないことになる。
 小原氏は、現時点でアメリカは7割の可能性で軍事オプションを取らざるを得なくなるだろうとの見通しを明らかにする。しかし、何を対象にどの程度の規模の軍事介入を行うのかについては、難しい選択を迫られることになるだろうと語る。
 そもそも北朝鮮の暴走は中国が抑えてくれるはずではなかったのか。なぜ中国は事態がここまで切迫していても、何もしようとしないのか。
 実際、金正恩体制になってから北朝鮮と中国の関係は決して良好とは言えない。2011年に父親の金正日が死亡し、息子の正恩が北朝鮮の実権を掌握して以来、正恩は北京を一度も訪問していない。最大の貿易国にして、建国以来の後見人である中国に一度も挨拶にすら行かないというのは、かなり異常なことだ。中朝の高官レベルの交流も2015年に中国の劉雲山政治局常務委員が平壌を訪れて以来、止まっている。
 小原氏によると、金正恩は北京に行けば自分は暗殺されるだろうと考えるほど、北京政府に対する強い不信感を持っているそうだ。しかし、そこまで両国の関係は冷え込んでいるにもかかわらず、中国が対北朝鮮で制裁に踏み切れないのはなぜなのだろうか。
 中国はアメリカによる軍事力行使の可能性も十分視野に入れていると小原氏は指摘する。中国にとっては金正恩政権の存続自体はどうでもいいが、北朝鮮という緩衝国が存在し続けることが重要だ。最終的に米軍が北朝鮮の核やミサイルシステムに対する大規模な空爆にまで踏み切るか、いわゆる斬首作戦のような形で金正恩を排除し、別の指導者を押し立てることで、北朝鮮という国を維持しつつ、今よりも改革開放路線寄りの体制に変えていくかは、今後中国とアメリカの間で息をのむような駆け引きが繰り広げられることになるだろう。いや、もしかすると両者の間では、話がついているのかもしれない。
 中国はまったく中国の言うことを聞かない金正恩には、ほとほと手を焼いている。しかし、北朝鮮が崩壊し、そこに親米国家ができたり、韓国主導で韓国と統一されるなどして、米軍が鴨緑江の対岸まで迫ってくるような事態は到底看過できない。それはロシアも同じ立場だ。
 中国としては米軍が軍事介入し、金正恩とその核やミサイルを無力化するところまでは容認できるが、それ以上米軍が入ってくれば、それは中国自身の安全保障にとって脅威となる。
 小原氏は現時点で一番可能性が高いシナリオは、まずある段階で米軍が空爆と特殊部隊で核やミサイル施設を破壊し、金正恩を暗殺する。その上で少しタイミングをずらして、中国の人民解放軍が国境を越えて北朝鮮に侵入し、北朝鮮という国全体が大混乱に陥らないようにするために必要な措置を取る、というものになるだろうと語る。
 金正恩が核とミサイル開発に固執し、中国もそれを阻止するつもりがない、あるいはそもそもそれを阻止する手段がない以上、アメリカはワシントンまで届く北の核ミサイルを容認するか、力でそれを排除するかの二つに一つしかない。中国は、もし今中国が北朝鮮への石油輸出を完全に止めれば、ほどなく北朝鮮という国が崩壊し、大量の難民が川を渡って中国に流入するなどの問題が起きることが避けられないことを知っている。また、北朝鮮は石油を止められても約1年分の備蓄はあるとされていることから、追い詰められた北朝鮮が破れかぶれの行動に出ないとも限らない。そうなった場合、実際、中国にミサイルを撃ち込んでくる可能性も否定できない。
 そのようなリスクを冒すくらいなら、核ミサイルや金正恩の処理はアメリカにやらせておいて、自分たちは緩衝国家としての北朝鮮の温存に注力することが中国にとっては得策になると考えている、というのが中国をよく知る小原氏の見立てだ。
 ただし、アメリカが北朝鮮に対して何らかの軍事行動に出た場合、方々に分散している北朝鮮のミサイルを完全に抑え込むことは不可能に近い。隣国の韓国は無論のこと、250基はあると言われるノドンでも十分に射程圏内に入っている日本にも、複数のミサイルが飛んでくる可能性は十分にあると小原氏は言う。
 アメリカ、中国、ロシアという3つの大国の利害が、小国ながら無謀な核開発やミサイル開発を躊躇しない北朝鮮という国をめぐって、複雑にうごめいている。しかし、日本にもミサイルが飛んでくる可能性がある以上、北朝鮮問題が日本としてはどうなることが望ましいのかは、しっかりと国内で議論をしておく必要がある。少なくとも傍観者として高みの見物気分でいては、後で大変な付けが回ってくる可能性が高い。
 なぜ中国は北朝鮮を抑え込まないのか、アメリカの軍事行動の可能性とその場合に予想される中国の動き、そして日本が今、やらなければならないことは何なのかなどを、小原氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

首都大水害への備えはできているか

(第858回 放送日2017年9月16日 PART1:55分 PART2:52分
ゲスト:土屋信行氏(公益財団法人リバーフロント研究所技術参与)

 東京が世界一災害に弱い都市であることをご存じだろうか。ミュンヘン再保険会社による世界各都市の自然災害危険度指数のランキングで、東京・横浜は他の都市を大きく引き離してダントツの1位にランクされている。
 この自然災害危険度指数というのは、災害に見舞われるリスク(hazard)と脆弱性(vulnerability)と経済価値(exposed value)の3項目を掛け合わせた数値だが、実は東京はリスク、経済価値と並び、脆弱性でも最も高い都市のひとつにあげられている。自然災害に見舞われ大きな損害を出す可能性が高いばかりか、災害に対する備えができていないというのだ。
 人口が密集する東京の地震リスクが高いことはわかるが、実は東京は水害への備えでも大きく後れを取っている。内閣総理大臣を長とする中央防災会議が2010年に作成した「大規模水害対策に関する専門調査会報告」(副題 首都圏水没)によると、利根川が氾濫した場合、2600人の死者と110万人の孤立者が、荒川が氾濫した場合も2000人の死者と86万人の孤立者を出すことが予想されている。
 元々、東京は徳川家康が江戸に幕府を開いて以来、水害と戦ってきた。氾濫を繰り返す利根川に悩まされた幕府は、元々東京湾に流れ込んでいた利根川の流れを変え、千葉県の銚子から太平洋に流れ出るようにする「利根川東遷」を敢行するなど、治水事業に力を注いだ。その後、明治43年の東京大水害で大きな被害を出した東京は、荒川放水路の整備など、数々の治水事業を行ってきた。
 しかし、東京都庁で災害対策に取り組んできた土屋信行氏は東京の防災対策、とりわけ水害対策はまったく不十分だと語る。
 東京の下町は過度な地下水の汲み上げによる地盤沈下がひどく、標高が海面以下の「ゼロメートル地帯」が広範に広がっている。しかも、東京の都心部には地下鉄や地下街、共同溝など地下に多くの水の通り道を作ってしまったため、東京湾や荒川の堤防が一か所でも決壊すれば、水は瞬く間に東京中に広がっていく。しかも、その地域は人口が密集しているため、すべての住民を避難させることは不可能だ。
 地下鉄も水の侵入を防ぐ止水板がすべての駅に設置されていないため、どこか一か所でも堤防が決壊すれば、地下鉄の構内に水が流れ込み、より低い路線から満水となる。荒川の堤防が一か所決壊した場合、17路線、97駅が浸水することを中央防災会議は想定している。赤羽あたりで荒川が一か所でも決壊すれば、最も低い場所にある日比谷駅や銀座駅あたりから、大量の水が吹き出すことになるだろうと土屋氏は言う。
 これまでも日本は多くの水害に見舞われてきた。毎年といってもいいほど、洪水による死者が出ている。にもかかわらず、われわれの水害に対する意識は低く、行政の対応も遅れがちだ。土屋氏は、地震は誰に起きてもおかしくない災害だが、水害は海沿いや川沿いの地域だけの問題だと思われていることが、水害対策を後手に回る結果を生んでいる一因だと指摘する。確かに、高台に住む人の多くは、水害とは直接は無縁かもしれない。しかし、水害によって発生する経済的損失が決して地震にも劣らないことは、ミュンヘン再保険会社のリスク計算を見ても明らかだ。
 マル激トーク・オン・ディマンド 第855回(2017年8月26日) 「異常気象を日常としないために」でお伝えしたように、東京や他の大都市では人為的な原因によるゲリラ豪雨が多発するようになっている。また、地球温暖化による台風の強大化も顕著になってきている。長期的には海面の上昇も避けられない。このまま水害対策を怠れば、時間の問題で東京が水没する大水害に見舞われることが避けられない。そしてそれは東京に限らず、大阪や名古屋など他の大都市にも共通した問題だと土屋氏は言う。
 東京は大水害への備えができているのか。東京が抱える水害リスクとは何なのか。このまま水害対策を怠れば、どんな帰結が待ち受けているのか。日本の大都市が抱える水害リスクについて、土屋氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
他、「北朝鮮ミサイル発射報道の足りないところ」、など。

安倍政権の下で国の形が大きく変わっている

(第859回 放送日 2017年9月23日 PART1:1時間9分 PART2:1時間9分)
ゲスト:鈴木邦男氏(一水会元会長)

 緊迫する北朝鮮情勢を横目に、永田町には解散風が吹き荒れている。
 北朝鮮やモリカケ問題は言うに及ばず、景気の先行きも不透明さを増す中で1か月もの政治空白を作ることには批判も多いが、日本人は得てして首相の解散権行使には寛容なようだ。メディアが「解散は首相の専権事項」との言説を当然のように垂れ流しているのは明らかな事実誤認だが、憲法7条に基づく首相の解散権については、1960年の最高裁判例が「政治と国民が決めること」とするにとどめ、判断を避けたままになっている。憲法7条以外に首相の解散権を定義する法律が存在しない以上、最高裁判決はわれわれ有権者がこの解散の正当性を判断しなければならないことを示している。この解散の是非自体が、来たる選挙の大きな争点の一つとして認識されなければならないということだ。
 とは言えいずれにしても総選挙が行われる以上、われわれはそこで何が問われているかをわれわれなりに考え、それぞれが独自の意思決定をしなければならない。
 安倍首相は25日にも記者会見を行い、解散の意向を明らかにするとともに、来たる選挙の争点を表明するとしているが、時の権力者に選挙の争点を一方的に決められては有権者はたまったものではない。無論、選挙の争点は有権者が決めるものだ。
 そこで今回は右翼団体「一水会」の元最高顧問で、最近も天皇制や憲法改正問題などで積極的に発言をしている鈴木邦男氏とともに、安倍政権の5年間を振り返り、安倍政権とは何だったのかをあらためて検証し直すことで、選挙の真の争点とは何かを考えてみた。
 安倍政権は選挙のたびにアベノミクスや消費税増税の延期といった経済政策を前面に掲げて選挙に臨み、すべての選挙で連戦連勝してきた。しかし、その後の政権の実績を見ていくと、経済選挙で勝ち取った過半数を盾に、実際は軍事や警察などの政府権限を大幅に強化する法律や制度の導入を専ら図ってきたことが目につく。具体的には政府の情報秘匿権限を拡大する特定秘密保護法や集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法の制定、武器輸出三原則の緩和、盗聴権限や司法取引制度によって警察・検察の権限を大幅に強化する刑事訴訟法の改正、共謀罪を導入する改正組織犯罪処罰法の制定、国家安全保障会議の発足、官邸が幹部官僚の人事権を一手に掌握する内閣人事局の発足などだ。
 また、同時に3条委員会や8条委員会など本来は政府から一定の独立が保障されている行政委員会の人事も、最低でも最大野党からの同意を得るという長年の不文律を破り、与党単独で押し切ってきた。その中には、日銀の総裁や政策委員、NHKの経営委員会やNHK予算、内閣法制局長官、原子力規制委員会の委員などが含まれる。いずれも政府の政策に大きな影響を与える組織だが、安倍政権発足後、かつての不文律や慣習はことごとく破り捨てられ、安倍政権下では独立行政委員会は内閣の一部局のような位置づけになってしまった。
 憲法学者の石川健治東京大学教授はマル激に出演した際に安倍政権による一連の不文律破りを、「民主主義のセーフティネットの突破」「一種のクーデター」と表現し、その危険性に警鐘を鳴らしている。
 ことほど左様に、この5年間で日本という国の形が変わったといっても過言ではないほどの重大な政策・制度変更が行われてきたにもかかわらず、それが必ずしも選挙で問われていないと感じるのは、なぜだろうか。メディアの怠慢だろうか。政治というゲームのルールが変わっていることに、長年お任せの政治に慣れ親しんできた有権者が、とびきり鈍感なのだろうか。
 いずれにしても、安倍政権下で行われてきた選挙では毎回、景気や税といった経済政策ばかりに焦点が当たり、その裏側で着々と進められてきたより大きな変革には十分な関心が払われてこなかった。メディアも有権者も、政権側が設定した政権にとって都合のよい争点に、まんまと乗せられてきた感は否めない。
 本来は右翼活動家として憲法改正を推進し、天皇を尊崇することにかけては誰にも負けないという鈴木氏だが、安倍政権による憲法改正や自民党の憲法改正草案が謳う天皇の国家元首化に反対の立場を取る。自民党の憲法改正案に謳われている愛国や家族を支える義務は、愛国者が自から進んで行うべきものであり、「国によって押し付けられるべきものではない」との考えからだ。また、天皇を国家元首とすることについても、政治利用目的が透けて見えるという理由から、今の政権の下で行うのは危険だと感じると鈴木氏は言う。
 安倍政権が実施してきた政策の中には、一定の効果をあげているものもあるだろう。安倍政権のすべてがダメだと言うつもりはない。しかし、ここに挙げられた政策の数々は、安倍政権の体質を如実に表すと同時に、個別の政策の是非を超えた、政権が変わってからも永続的に日本の針路に影響を与える法律や制度ばかりだ。目先のニンジンに釣られていると、国家100年の計を見誤る可能性があるのではないか。
 衆議院選挙は政権選択選挙と言われる。衆院の議席配分が事実上日本の首相を決定することになるからだ。であるならば、この選挙は単に目先の政策が問われているのではなく、国の行く末が問われていると考える必要がある。
 愛国者の立場から長年日本の政治と関わってきた鈴木氏とともに、この選挙が何を問うているかについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル映画特集
ロクでもない世界の現実を映画はどう描いているか

(第860回 放送日 2017年9月30日 PART1:1時間11分 PART2:1時間44分)

 その月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。6月以来の3か月ぶりとなる今回は、前半で解散総選挙や民進党の事実上の解党に揺れる政局を議論し、後半にこのロクでもない世界を描いた映画を5作品取り上げた。
 前半は民進の希望合流でポッカリと空いた穴は誰が埋めるのかについて議論した。今回は政治の立ち位置を縦軸に自由と再配分を上下に、横軸には市民参加と権威主義を左右に配置したマトリックスを描いた上で、その4象限の上で民進党の希望の党への合流がどこからどこへの移動を意味するかなどについて考えた。
 これは世界的な潮流でもあるが、日本の政治もいよいよ、再配分をしない権威主義、すなわち上記の4象限の右上の象限に政治勢力が固まってきてしまったようだ。問題は元々左下、すなわち再配分と市民による参加主義を謳ってきた民進党が、自民党と同じ右上に位置する希望の党に吸収されることで、左下、すなわち弱者への再配分を主張し、何事も政府主導で決めるのではなく、市民参加を促す象限に位置する政治勢力が事実上いなくなってしまうことだ。辛うじて社民党と自由党がそのような主張をしているが、如何せん政治勢力としては弱小すぎる。
 ちなみに自民党はかつては再分配を謳う権威主義政党だったが、小泉改革以降は小さな政府を謳い再分配に消極的な権威主義という意味で、右下から右上に移動している。また、共産党は再分配は主張するが、横軸では権威主義側に位置付けられる。左上の政府の権威も認めず、再分配も求めない象限はリバタリアンとなる。
 民進党の希望への事実上の吸収合併は、左下のいわゆるリベラル勢力と呼ばれる勢力が日本の政治から消えることを意味する。これは日本の政治にどのような影響を与えることになるかをジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 後半は、ロクでもない世界を独自の視点から描いた「サーミの血」「エル ELLE」「三度目の殺人」「砂上の法廷」「散歩する侵略者」の5つの映画作品を取り上げた。

 

vol.84(841~850回収録)

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安倍政権がやりたい放題できるのはなぜか

(第841回 放送日 2017年5月20日 PART1:45分 PART2:45分)
ゲスト:中北浩爾氏(一橋大学大学院社会学研究科教授)

 かつて自民党の名だたる歴代内閣が何代にもわたって成し遂げられなかった様々な立法や施策を、安倍政権は事もなげに次から次へと実現している。今週は共謀罪が衆院で強行採決された。その前は集団的自衛権を解禁する安保法制を通し、さらにその前は秘密保護法だ。
 それ以外にも武器輸出三原則の緩和や教育基本法の改正など、安倍政権は自民党の長年の課題をことごとくクリアしていると言って過言ではないだろう。
 そして安倍首相は遂に、自民党結党以来の野望とも言うべき憲法9条の改正を明言するまでにいたっている。
 このまま行くと、安倍首相は自民党「中興の祖」とでも呼ぶべき大宰相になりそうな気配さえ漂う。
 しかし、なぜ安倍政権は自民党の歴代政権の中でもそれほど突出して強く、安定した政権になり得たのか。これは単に「野党のふがいなさ」だけで、説明がつく現象なのか。
 一橋大学大学院社会学研究科の中北浩爾教授は、安倍政権の権力の源泉は、1990年代から段階的に続いてきた「政治改革」に請うところが大きいと指摘する。
 かつての自民党政治の下では、中選挙区制度の下、派閥の領袖が権勢を誇り、政策立案や予算編成では族議員が跋扈してきた。しかし、ロッキード事件やリクルート事件などを契機として、「政治とカネ」の問題が社会を揺るがすようになり、1990年代以降、「政治改革」が叫ばれるようになった。
 政治改革は政治家がカネ集めに奔走することなく、政策本位の政治を実践するために、小選挙区制の変更、政治資金規正法の強化と政党助成金の導入などを柱とする施策が相次いで実施された。
 また、少し遅れて、官僚のスキャンダルなどを機に、官僚まかせの政治から脱却した「政治主導」が叫ばれるようになり、首相官邸に権力を集中するために、「経済財政諮問会議」の設置や「内閣人事局」の設立など、数々の改革が実施された。
 いずれも、サービス合戦に終始しがちな中選挙区制の利権政治と決別し、国民から選ばれた政治家が、政権交代が可能な制度の下で官僚主導ではなく政策本位の政治を実現するというのが、その大義名分だった。
 その目的自体は間違っていなかったかもしれない。しかし、制度をいじれば自然に政治がよくなると考えるのは、あまりにもナイーブだった。制度は大きく変わったが、国民の政治に対する向き合い方は、本質的には従来からの「おまかせモード」のままだった。
 結果的に本来の目的とは裏腹に、一連の改革は、党においては小選挙区制の下での生殺与奪を握る公認権や政党助成金の配分権を握る党の執行部に権力を集中させる結果になった。しかも、派閥の影響力が弱まったため、かつての政権と党の間の緊張感は消滅し、首相の留守を預かる党幹事長も、事実上首相の配下に置かれることになった。更にその上に、官邸主導である。
 安倍政権の強みは、「政治改革」後の政治システムが、党内においては異論を挟む余地を与えぬ執行部主導となり、政策立案についても官邸が選んだ有識者会議によって政策の方向性を確定させた上で、その理念に沿って政策立案をする意思のある官僚を登用することが可能になっているところにある。一連の政治改革が、安倍首相の下で、やや予想外の形で実を結んでいるのだ。
 しかも、安倍政権の保守色の強い政策路線は必ずしも現在の自民党の総意を反映しているとは言えないが、リベラル色の強い民進党に対抗するためには、自民党は右に寄らざるを得ないという意識は、下野を経験した自民党の中には広く共有されている。そのため、リベラルな首相よりも、保守色の強い首相の方が、現在の自民党はまとまりやすい。
 それが現在の安倍政権の「やりたい放題」を可能にしているというのが実情ではないか。
 一連の政治改革は自民党内で派閥や族議員の間で密室内で行われていた非公式な政策論争を、むしろ二大政党制の下で政権担当能力を有する野党との間で活発に交わされることが前提にあった。つまり、いざ政権を取れば党に権限が集中することも、官邸主導で政策が遂行されることも、織り込み済みだったが、そこには政権交代可能な野党が存在するという大前提があった。
 政権交代可能な二大政党の間で活発かつオープンな政策論争が交わされ、一定の頻度で政権交代が実現するのであれば、現在の権限集中型「トップダウン」の政治制度は効果的かもしれない。政権交代可能な制度の下では、新たに政権に就いた政党は、できるだけ早い段階で政権交代の成果を見せる必要があるからだ。
 しかし、政権交代の可能性を失った瞬間に、この制度は欠点が前面に出てくる。野党が弱いと国会は政権監視の機能を十分に果たせない。かといって与党内も党執行部に対する異論は出ない。官邸に人事権を握られている高級官僚たちも、政権の意向には唯々諾々と従わざるを得ない。これではどんな政権になっても暴走して当然ではないか。
 とは言え、今さら政治改革を後戻りさせる案は現実的ではない。野党が再び政権担当能力を持つ政党として、自民党にチャレンジできるだけの有権者の信用と信頼を得られるようにならなければ、自民党のやりたい放題は続き、政治改革の本来の効果は裏目に出たままの状態が続くことが避けられない。
 中北氏は野党が自民党に太刀打ちするためには、野党勢力の結集そのものは重要だが、そのような小手先の議論をする前に、民進党や他の野党は、まず個々の議員の政治的な基盤、とりわけ選挙基盤をしっかり固める必要があると語る。実は自民党の真の強みもそこにあるというのが、長年自民党を見てきた中北氏の見立てだ。
 30年来、40年来の政治課題が次々と実現してしまう現在の政治状況を、われわれはどう見るべきなのか。なぜそのような状況が生まれたのか。日本の政治を活気ある民主主義に脱皮させていくために、今、われわれは何をしなければならないかなどを、中北氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

官僚は政治に一方的に押し切られてはダメだ

(第842回 放送日 2017年5月27日 PART1:51分 PART2:55分)
ゲスト:前川喜平氏(前文部科学事務次官)

 一人の元官僚が、権力の頂点に君臨する首相官邸に公然と歯向かっている。そして問題は、なぜ彼がそのようなことをしなければならないかにある。
 先週、ビデオニュース・ドットコムでは、一橋大学大学院の中北浩爾教授と、なぜ安倍政権にこれだけの権力が一極集中するようになったのかについて議論した。小選挙区制や政党助成金の導入など一連の「政治改革」が個々の議員の権限を党に移行させ、内閣人事局制度を始めとする「政治主導」改革が各省庁の権限を首相官邸に集中させた結果、官邸の権力が極度に強大化している現状が指摘された。
 今、まさにそれを象徴するような出来事が、現在進行形で起きている。
 ある大学の獣医学部新設を巡り、首相官邸が各省庁に対して、首相の権限を盾に取りごり押しを行っていた疑惑が表面化している。
 安倍首相の「腹心の友」が代表を務める加計学園が愛媛県今治市で計画している新たな獣医学部の許認可を巡っては、学校の認可権限を持つ文科省のみならず、獣医を管轄する農水省や厚労省までもが、問題が多く許認可基準を満たしていないことを懸念していながら、計画だけは着々と進むという異常な状態が続いていた。
 しかし、そうした中、内閣府が「官邸の最高レベルが言っていること」、「これは総理のご意向」などの文言を使い、許認可権を持つ文科省に認可を急ぐよう催促する働きかけを行っていたことを裏付ける内部文書が流出し、獣医学部の許認可への首相官邸の関与の有無が政局の焦点となる事態にまで発展していた。
 もしこの文書が本物でその中身が事実であれば、「総理のご意向」によって、本来であれば認可されるべきではない獣医学部の新設が、政治の力を背景にごり押しされたことになる。しかも、許認可を申請している運営者側のトップは首相自らが「腹心の友」と呼んで憚らない大親友だ。首相自身が直接これを命じたかどうかはわからないが、少なくとも「総理のご意向」を理由に行政が歪められたことは紛れもない事実となる。特に今回は、土地の取得や助成金などで愛媛県や今治市から133億円の公金が拠出されることが決まっている。しかも、大学は一度認可されれば毎年、私学助成金の名目で多額の税金が投入されることになる。不要の獣医学部が作られたために将来的に獣医の数がだぶつくだけの話では済まされない。詳細な事実関係の解明は必至だ。
 そして、何よりもこれは、一旦「総理のご意向」なるものが示されれば、各省庁が長い歴史の中で蓄積してきた知識や公共的な判断基準が簡単に歪められてしまうほどまでに、首相官邸の権限が肥大化していることの反映に他ならない。
 今年1月に天下り問題の責任を取る形で文科次官を辞任している前川氏は、古巣の文科省が文書の存在を調査した結果、「存在は確認できなかった」と回答したことが、今回、資料の真正を証言しようと決心した直接のきっかけだったと語る。省内の関係者は誰もが件の文書の存在を知っていながら、官邸の意を汲んで虚偽の報告をしていることが明らかだからだ。「あるものをないことにはできない」と言う前川氏は、露骨に行政が歪められているのを黙視することができなかったと言う。
 しかし、前川氏は自分が強大な権力に歯向かうヒーローのように描かれることには抵抗を感じるという。行政官僚というものは表では政治を立てつつ、自分たちに与えられた権限の範囲内で、できる限り国民のためになる政策を実行する「面従腹背」の精神が必要だというのが前川氏の持論だ。後輩官僚たちには、官僚は国民から選挙で選ばれた政治家は尊重しなければならないが、魂までは明け渡してはならないと言いたいと語る。
 元々日本は規制が多く、それが経済や社会の停滞を招いているとして、規制緩和や政治主導が叫ばれてきた。確かに、とかく官僚は過去の事例に捉われやすく、現状を維持しようとする傾向が強い。また、国民よりも業界の方を向いていることが多いとも言われる。国民から選ばれた政治家の権限を強化して、国民のためになる政策をより実行しやすくすることが、政治主導の主眼だったはずだ。しかし、果たして先の森友学園や今回の加計学園に見られるような形の政治の関与が、国民が望んできた真の「政治主導」だったのだろうか。ここは一度立ち止まって考える必要がありそうだ。
 なぜ、官僚のトップに登りつめた前川氏は、ここであえて出る杭となる決心をしたのか。既に始まっている、そしてこれからも予想される官邸からの報復をどう受け止めているのか。後輩の官僚たちに何を残し、何を伝えたいのか。渦中の前川氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

安倍政権の「働き方改革」が危険な理由

(第843回 放送日 2017年6月3日 PART1:44分 PART2:39分)
ゲスト:竹信三恵子氏 (和光大学現代人間学部教授)

 「働き方改革」がどこかおかしい。
「長時間労働の是正」や「非正規という言葉をこの国から一掃する」などと公言する安倍首相の下、新たに設置された働き方改革実現会議で、働き方改革のあり方が議論されてきた。その後、電通の新入社員の過労自殺などもあり、改革に拍車がかかったかに見える。
 確かに、日本の長時間労働は改革が必要だ。日本人の働き方が、なかなか昭和の高度経済成長モデルから抜け出せない中、今や「カロウシ」という言葉は英語でそのまま使われるまでになっている。そうこうしている間に、非正規労働者の比率は4割近くまで増え、正規労働者との賃金格差は拡がる一方だ。労働市場の格差が社会の分断の大きな一因となっていることも明らかだろう。
 しかし、安倍政権が標榜する「働き方改革」には注意が必要だ。なぜならば、これまで労働者の声を代弁する野党が、長時間労働の解消や同一労働・同一賃金などを求めても、経済界の影響を強く受ける過去の自民党政権は一顧だにしてこなかったという歴史があるからだ。特に小泉改革以降の自民党政権では、もっぱら雇用の規制緩和が推進され、現在の格差拡大の要因となっている。
 ポイントは現在の「働き方改革」が、果たして本当に働く人の利益を代弁したものになっているかどうかだ。
 ブラック企業の問題などを働く人の側から取材をしてきた和光大学教授でジャーナリストの竹信三恵子氏は、現在推進されている働き方改革には議論のすり替えがあると指摘する。一見、労働者の利益を代弁しているように見えるが、実際は雇用の規制緩和とセットになっていて、最終的にはむしろ格差を拡げる結果に終わる可能性が大きいというのだ。
 例えば、今年3月28日にまとめられた「働き方改革実行計画」では、残業規制として月100時間未満、2~6カ月の月平均を80時間とした上で、違反企業には罰則を課すことが謳われている。しかし、もしこの数字がそのまま労働基準法に盛り込まれた場合、逆にそこまでなら働かせてよい時間の目安になってしまう恐れがある。そもそも労働時間は現行の労働基準法に定められている1日8時間、1週間40時間が基本のはずだが、上限値を決めることで、かえって全体の労働時間が長くなってしまう可能性さえある。
 同一労働同一賃金にしても、ガイドライン案をみる限り、公正な職務評価の仕組みが確立されていない現状の下では、あまり実効性は期待できそうにない。逆に、それが正社員の給与を下げる言い訳に使われかねないと、竹信氏は危惧する。「多様な正社員」などという理屈で正社員の中にも格差を設ける事で、結果的に正社員全体の給与が引き下げられる恐れがあるというのだ。その結果、企業の思惑通りに働かざるをえない“高拘束の正社員”と、低賃金の非正規の雇用の二極分化がますます進むことになる。
 現在の「働き方改革」は本当に働く人たちのための改革なのか。それが実行に移されると労働市場はどう変わるのか。「正社員消滅」、「ルポ雇用劣化不況」などの著書がある竹信氏と、社会学者宮台真司とジャーナリスト迫田朋子が議論した。

民営化では水道事業は守れない

(第844回 放送日 2017年6月10日 PART1:1時間3分 PART2:56分)
ゲスト:橋本淳司氏(ジャーナリスト)

 「種」の次は「水」なのか。
 この番組では、今国会で森友学園や加計学園問題の裏で、天下の大悪法の数々が、さしたる審議も経ずに次々と成立していることへの警鐘を鳴らしてきた。
 単なる悪法なら、後に法改正して元に戻すことも可能かもしれない。しかし、今国会で審議されている「天下の大悪法」は、種子法改正案や共謀罪に代表されるような、日本社会に不可逆的な影響を与える国家100年の計に関わる法律と言っても過言ではないものが多い。
 水道の民営化を推進する水道法改正案も、そんな法律の一つだ。
 確かに今日の日本の水道行政は多くの問題を抱えている。ちょうど高度成長期に整備された水道網が40年の耐用期限を迎え、今や全国で交換が必要な水道管は8万キロに及ぶという。今も少しずつ更新は行われているが、水問題に詳しいジャーナリストの橋本淳司氏によると、現在のペースで交換していくと、交換に130年かかるそうだ。
 基本的に自治体が運営する公営の水道事業は料金の値上げに地方議会の承認を必要とする。そのため、値上げが容易にできない。おかげで日本は、安い料金で、蛇口を捻ればそのまま飲める良質の水道がいつでも出てくるという、世界が羨む水道サービスを長らく享受できたわけだが、それが逆に水道管更新のための積み立て金不足という形で今、火を吹き始めている。
 今後、人口減少や節水家電の普及により有収水量(水道の利用量)は減っていくことが予想されるため、更なる収益減が避けられない。水道管を引かなければ水を供給出来ない以上、住民が点在し人口密度が低い過疎の地域では、一人あたりの水道サービスのコストは自ずと上がってしまう。日本でもっとも大幅な水道料金の値上げが必要になると考えられている青森県の深浦町は、既に水道料金は全国平均よりも遙かに高い6,000円(20立方M/月)だが、それが2040年には更に3倍近い1万7,000円まで上昇するとの試算が出ている。
 耐用年数を迎えた水道管を更新し、これからも良質な水を提供し続けるためには、料金を大幅に値上げする必要があるが、水道事業を運営する地方自治体も地方議会も、公営水道料金の大幅値上げは住民の不評を買う可能性が高いため、できれば避けたい。
 そこで出てきたのが、水道民営化というウルトラCだ。
 これまでも水道利用量の検診など水道局の業務の一部を民間企業に委託する「部分民営化」は徐々に進んでいた。しかし、今回の法改正によって「コンセッション方式(公共施設等運営権方式)」と呼ばれる、いわば水道事業の「丸投げ」が可能になる。コンセッション方式は、水道施設は自治体が所有したまま、その運営権全体を民間に売却する形をとる。
 法案を担当する厚労省では、民営化によって事業の効率化などが期待できると主張するが、民営化をすれば良質な水道環境を維持できるというシナリオは、「神話」に過ぎないと橋本氏は警鐘を鳴らす。
 水道事業運営のノウハウは、ヴェオリアやスエズなど海外の巨大企業が握っている。民営化することで部分的には今よりも効率化が図られる可能性はあるが、基本的に民間企業は利益が出ない事業はやらない。また、水道網の整備などのコストは、水道料金で回収されることになる。しかも、水道事業は附帯事業がほとんど期待できないため、民営化のメリットは限定的とみられる。
 橋本氏は今回の水道民営化の背景には、日本企業が海外の水ビジネスに参入したい思惑が隠されているとの見方を示す。実際、世界の水ビジネスの市場規模は現在の70兆円から2025年には100兆円になると言われおり、経産省はその6%を取りに行くことを目標にしているという。そのために、まず日本国内で民間企業に水道運営に参入の機会を与え、水ビジネスのノウハウを蓄積させようというのが、今回の水道民営化推進の真の思惑だと橋本氏は指摘する。
 いずれにしても、民営化をすれば国内の水道事業が、これまで通り安くて良質なサービスの継続が自動的に期待できるわけではない。無論、水道インフラの更新には、誰がやろうが一定のコストはかかるが、公営水道の時代に比べて、料金の値上げも容易になる。そればかりか、民営化によって人間の生存に不可欠な水が外国企業によって牛耳られることになる恐れもある。
 橋本氏は地域によっては水道料金が高すぎて人が住めなくなる自治体が続出する可能性もあると言う。また、割高な水道を放棄し、自分たちで独自に雨水や地下水を引いて水源を確保する自治体も出てくる可能性もある。実際に、そのような試みが一部では始まっている。
 雨の降り方や地形はそれぞれ地域特有のものがある。だからこそ水道事業は自治体ごとに分かれて運営されてきた。その水道を「不純な動機」で民営化した場合のメリットとリスクは、法案を通す前に十分に議論され、国民的合意を得る必要がある。水道民営化のリスクに警鐘を鳴らす橋本氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

何をやっても安倍政権の支持率が下がらない理由

(第845回 放送日 2017年6月17日 PART1:52分 PART2:1時間6分)
ゲスト:西田亮介氏(東京工業大学准教授)

  何をやっても安倍政権の支持率が下がらないのはなぜなのだろうか。
 濫用の危険性を孕んだ共謀罪法案を委員会採決を省略したまま強行採決したかと思えば、「存在が確認できない」として頑なに再調査を拒んでいた「総理のご意向」文書も、一転して「あった」へと素早い変わり身を見せたまま逃げ切りを図ろうとするなど、かなり強引な政権運営が続く安倍政権。ところがこの政権が、既に秘密保護法、安保法制、武器輸出三原則の緩和等々、政権がいくつ飛んでもおかしくないような国民の間に根強い反対がある難しい政策課題を次々とクリアし、危ういスキャンダルネタも難なく乗り越え、その支持率は常に50%前後の高値安定を続けている。
 確かにライバル民進党の長期低迷という特殊事情もあろうが、なかなかそれだけでは説明がつかないほど、政権の支持基盤は盤石に見える。
 ビデオニュース・ドットコムでは、一橋大学大学院社会学研究科の中北浩爾教授と、過去の一連の「政治改革」が権力を首相官邸に集中させたことが、結果的に安倍一強状態を生んでいることを議論してきた。(マル激トーク・オン・ディマンド 第841回(2017年5月20日)「安倍政権がやりたい放題できるのはなぜか」 )
 しかし、制度や法律の改革によって永田町や霞が関を支配下に収めることができても、自動的に国民の高い支持率を得られるわけではない。安倍政権の高い支持率が続く理由はどこにあるのか。
 政治とメディアの関係に詳しい社会学者で東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授の西田亮介氏は、安倍政権の安定した支持率の背景には自民党の企業型広報戦略の成功と日本社会に横たわる世代間の認識ギャップの2つの側面が存在すると指摘する。
 第二次安倍政権がマスメディアに対して度々介入する姿勢を見せてきたことは、この番組でも何度か問題にしてきたが、それは自民党の新しい広報戦略に基づくメディア対策を着実に実行しているに過ぎないと西田氏は語る。
 支持率の長期低落傾向に危機感を抱いた自民党は、1990年代末頃から企業型のマーケッティングやパブリック・リレーションズ(PR)のノウハウを取り入れた企業型広報戦略の導入を進め、2000年代に入ると、その対象をマスメディアやインターネット対策にまで拡大させてきた。
 特にマスメディア対策は、個々の記者との長期の信頼関係をベースとする従来の「慣れ親しみ」戦略と訣別し、徐々に「対立とコントロール」を基軸とする新たな強面(こわもて)戦略へと移行してきた。その集大成が2012年の第二次安倍政権の発足とともに始まった、対決的なメディアとは対立し、すり寄ってくるメディアにはご褒美を与えるアメとムチのメディア対策だった。
 マスメディアの影響力が相対的に低下する一方で、若年世代はネット、とりわけSNSから情報を得る機会が増えているが、自民党の企業型広報戦略はネット対策も網羅している。西田氏によると、自民党は「T2ルーム」と呼ばれる、ネット対策チームを党内に発足させ、ツイッターの監視や候補者のSNSアカウントの監視、2ちゃんねるの監視などを継続的に行うなどのネット対策も継続的に行っているという。
 こうしたマスメディア・インターネット対策も含め、自民党の企業型広報戦略は、企業の広報担当者が聞けばごく当たり前のことばかりで、言うなれば企業広報の初歩中の初歩を実行しているに過ぎないものだという。しかし、ライバル政党がその「初歩中の初歩」さえできていない上に、マスメディアが「政治のメディア戦略」に対抗する「メディアの政治戦略」を持ち合わせていなかったために、これが予想以上の成果をあげている可能性が高いのだという。
 また、安倍政権の安定した高支持率を支えるもう一つの要素として、西田氏は世代間の認識ギャップの存在を指摘する。
 民放放送局(TBS系列JNN)による最新の世論調査では20代の若者の安倍政権の支持率は68%にも及んでいるそうだ。また、2016年の総選挙の際の朝日新聞の出口調査でも、若い世代ほど自民党の支持率が高いことが明らかになっている。これは、若年世代と年長世代の間で、政治や権力に期待するものが異なっていることを示している可能性が高い。
 自身が34歳の西田氏は、若者ほど政権政党や保守政治に反発することをディフォルトと考えるのは「昭和的な発想」であり、今の若者はそのような昭和的な価値観に違和感を覚えている人が多いと指摘する。実際、「若者は反自民」に代表される昭和的な価値体系を支えてきた「経済成長」「終身雇用」「年功序列」などの経済・社会制度は既に社会から消滅している。にもかかわらず、年長世代から昭和的な経済・社会情勢や制度を前提とした価値規範を当たり前のように強いられることに多くの若者が困惑していると西田氏は言う。
 思えば、かつて時の政権が安全保障や人権に関わる政策でこれまで以上に踏み込んだ施策や制度変更を実行しようとするたびに、強く反発してきたのは主に若者とマスメディアだった。若者とマスメディアの力で、与党の暴走が抑えられてきた面があったと言っても過言ではないだろう。しかし、マスメディアは新たな戦略を手にした政治に対抗できていないし、若者も経済や雇用政策などへの関心が、かつて重視してきた平和や人権といった理念よりも優先するようになっている。
 そうなれば、確かにやり方には強引なところはあるし、格差の拡大も気にはなるが、それでも明確な経済政策を掲げ、ある程度好景気を維持してくれている安倍政権は概ね支持すべき政権となるのは当然のことかもしれない。少なくとも人権や安全保障政策では強い主張を持ちながら、経済政策に不安を抱える他の勢力よりも安倍政権の方がはるかにましということになるのは自然なことなのかもしれない。
 しかし、これはまた、政治に対する従来のチェック機能が働かなくなっていることも意味している。少なくとも、安倍政権に不満を持つ人の割合がより多い年長世代が、頭ごなしの政権批判を繰り返すだけでは状況は変わりそうにない。
 安倍一強の背景を広報戦略と世代間ギャップの観点から、西田氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

内閣官房長官の権力

(第846回 放送日 2017年6月24日 PART1:59分 PART2:57分)
ゲスト:枝野幸男氏(元内閣官房長官)

 菅義偉内閣官房長官に注目が集まっている。
 これまで安倍政権を陰に陽に支え、水一滴漏らさない完璧さを誇ってきた菅官房長官の「危機管理」が、森友・加計問題を機に綻びを見せているからだ。
 ただし、ここで言う「危機管理」とは、有事や自然災害に対応する能力のことを指しているのではない。政権にとって命取りになる恐れのあるスキャンダルや不祥事を、深刻な政治問題になる前に未然に押さえ込む能力のことだ。
 既に佐藤栄作、吉田茂に次ぐ戦後3番目の長期政権となった安倍政権ではあるが、2012年12月の政権発足以来、閣僚や与党議員による問題発言や不祥事は後を絶たない。しかし、菅氏は近年の「政治改革」や「官邸主導」などの相次ぐ制度改革によって官邸に集中した権限をフルに活用し、飴と鞭を巧みに使いながら官僚とメディアを懐柔するなどして、見事に危機を乗り切ってきた。
 安倍首相の昭恵夫人が名誉校長を務める小学校が、土地の払い下げや法人設置認可などであからさまな厚遇を受けたことが明らかになった森友学園問題でも、これが政権にとって致命傷になることを回避することに成功している。
 しかし、森友に続いて加計学園問題が出てきたあたりで、菅氏の対応が後手後手に回ることが多くなった。特に「怪文書のようなもの」と切り捨てた「官邸の最高レベル」などの文言が入った文科省の内部文書が、後に真正なものだったことが明らかになったり、内閣府からの圧力を告発した前川喜平前文科事務次官に対して記者会見の場で激しい人格攻撃をし始めたあたりから、菅氏の危機管理能力に疑問の声が囁かれるようになった。
 内閣官房長官経験のある民進党の枝野幸男衆議院議員は、菅氏の手腕に陰りが見えた理由として「集中力的にも体力的にも、限界に来ているのではないか」と語る。常に臨戦態勢で危機管理に当たることを求められる内閣官房長官の精神的・肉体的な負担はとても重い。安倍政権発足以来、菅氏はその激務を4年以上も一人で背負っていることになる。そろそろ綻びを見せるのは無理からぬことだと枝野氏は言う。
 官房長官は「政権の要」とか「官邸と霞ヶ関の接点」などと呼ばれることも多いが、そもそも官房長官とは何をする人なのか。記者会見での姿を思い浮かべる人は多いだろうが、担当がはっきりしている他の国務大臣と比べて官房長官の実態は意外と知られていない。
 政権が持つか持たないかは官房長官の能力次第と言われて久しいが、なぜ一閣僚に過ぎないはずの官房長官が、それほどの強大な権力を振るうことができるのか。首相官邸に強大な権限を集中させたことは、本当に国民の利益につながっているのか。
 今週は内閣官房長官の仕事とその権力について、官房長官経験者の枝野氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル映画特集
 映画は「時間」をどう描いてきたか

(第847回 放送日 2017年7月1日 PART1:1時間9分 PART2:54分)

 月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。
 3月以来3か月ぶりの5金となる今回は、映画の中で描かれた「時間」の概念に着目し、社会の変化とともに人間にとっての「時間」の概念が変わりつつあることや、そこから見えてくる、これからの時代を生き抜くためのヒントなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 今回、取り上げた映画は以下の9本。
・メッセージ(2017年アメリカ)
・彷徨える河(2015年コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチン)
・生まれてこなかった男(1963年アメリカ)
・アバウト・タイム~愛おしい時間について~(2013年イギリス・アメリカ)
・スライディング・ドア(1998年イギリス・アメリカ)
・ランダム(2013年アメリカ)
・残響のテロル(2014年日本)
・龍の歯医者(2014年日本)
・魔法少女まどか☆マギカ(2011年日本)
 『マル激トーク・オン・ディマンド』は、ニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』が毎週放送するニュース番組。毎回、各界のキーパーソンをスタジオに招き、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司との間でニュースの核心部分を徹底的に掘り下げるところが最大の特徴。2001年4月の第1回放送より続く長寿番組で、その放送回数はこの7月で850回を数える。『マル激トーク・オン・ディマンド』は通常、毎週金曜に収録し土曜日に更新されているが、金曜が5回ある月に限り「5金スペシャル」と称して特別企画を無料で放送している。

シリーズ・憲法改正を考える1
地位協定で主権を制限された日本に独自の憲法は書けない

(第848回 放送日2017年7月8日 PART1:54分 PART2:45分
ゲスト:伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院教授)

 安倍首相が憲法改正の意志を明確に示して以降、改憲問題が具体的な政治日程に上っている。森友・加計問題や相次ぐ閣僚や議員の失言や不祥事、そして都議選の惨敗と、安倍政権を取り巻く政治状況は不透明になってきているが、安倍首相にとって祖父の遺志でもある憲法改正は最大の政治的野望だ。辞任に追い込まれない限り首相は万難を排しても、憲法改正を仕掛けてくるだろう。
 憲法改正については、まだ議論が生煮えの部分も多い。しかも、首相が憲法9条に関して、現行の条文を残したまま「自衛隊を明記する」などという珍妙な考えを示してしまったため、論理的な整合性も含め、今後更なる議論が必要となることは論を俟たない。
 しかし、その前に日本にはもう一つクリアしなければならない重大な課題がある。それが日米地位協定だ。
 日米地位協定は日本における米軍兵士やその家族(軍属)、軍関連業者などの法的な地位を定めた日米両国間の協定だが、敗戦後間もない1952年に締結された日米行政協定から実質的に一度も改正されていないこともあり、いかにも戦勝国が敗戦国に要求する無理難題が羅列された条文がそのまま残っている。地位協定の下では、米軍関係者には事実上の治外法権が認められ、パスポートもビザもなく日本国内を自由に出入りできるほか、「公務中」の刑事裁判権も日本側にはない。この協定の下では、アメリカは日本の好きなところに好きなだけ基地の提供を要求できるし、日本の広大な空域が米軍によって支配され、民間航空機はその合間を縫うような難しい飛行を強いられる等々、おおよそ現在の国際基準では考えられないような不平等な内容のままになっている。
 2004年、普天間基地に隣接する沖縄国際大学キャンパスに米軍のヘリが墜落した時、武装した米軍兵が普天間基地の柵を乗り越えて勝手に大学のキャンパスに侵入し、大学そのものを封鎖してしまった。その瞬間に、一民間大学に過ぎないはずの沖縄国際大学は日本の警察権も裁判権も及ばないアメリカの施政下に置かれ、日本の報道機関も取材ができない「外国」になってしまうという、衝撃的かつ信じられないような事件があった。普通なら深刻な外交問題に発展するところだが、あれも無条件で米軍に財産権を認めている地位協定に戻づく、いたって合法的な措置だった。
 端的に言えば、日本は第二次大戦の敗戦とその後の占領政策で失った主権国家としての最低限の権利を取り戻せていないのだ。その原因が日米地位協定にあることは明らかだ。驚いたことに日米地位協定の不平等さは、同じく第二次大戦の敗戦国だったイタリアやドイツの地位協定はもとより、フィリピンやイラクやアフガニスタンと米軍との間の地位協定よりも遥かに酷いと、東京外大大学院教授の伊勢崎賢治氏は指摘する。
 ところが、日本では地位協定の改正は政治の争点にものぼらない。そのため、これまで地位協定は一度も改正されていないし、改正を主張する政治家もほとんどいない。これから日本は、実質的に何の意味があるとも思えない、「自衛隊を書き込む」だけの憲法改正に血眼になって突き進むようだが、その間もこれだけ不平等で理不尽な地位協定は全く放置されたままになるようだ。日米合同委員会なる秘密委員会で地位協定の運用は話し合われるのに、どうしても地位協定の改正だけはできないのだ。
 そもそも武力の保持を放棄した憲法9条は日米安保条約と対になった車の両輪だった。日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性をそのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり、自衛隊を合法化した時、そこにどのような矛盾や問題が生じるのかは、十分に検討しておく必要があるだろう。
 なぜ日本は地位協定を改正できないのか。いや、それを言い出すことも、議論することも、改正の可能性を考えることもできないのはなぜなのか。地位協定で主権が制限されたままの状態で憲法が改正されると、何が起きるのか。主権なき憲法改正の危険性に警鐘を鳴らす伊勢崎氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

『森友、加計問題』の本質は情報公開と公文書管理にアリ

(第849回 放送日 2017年7月15日 PART1:58分 PART2:59分)
ゲスト:三木由希子氏(情報公開クリアリングハウス理事長)

 政治の意思決定を速めるために首相の権限を強化したまではよかったが、それをチェックするための情報公開や公文書管理の制度がまったくそれについてこれなかった。それが今回のモリカケ問題の本質だったのではないか。
 加計学園問題は休会中審査が開かれるなど疑惑の追及が続いているが、依然として真相は見えてこない。議論をすればするほど、獣医学部の設置認可の基準や国家戦略特区制度、岩盤規制の是非などに議論が拡散してしまい、そもそも首相の「腹心の友」が代表を務める学校法人に許認可をおろすために、首相やその周辺による不当な介入や権力の濫用があったかどうかという問題の核心部分には、話が一向に進んでいかないからだ。
 森友学園問題の方も、学園側の不正行為に対する大阪地検特捜部の捜査は進んでいるようだが、肝心の土地の払い下げや学校の設置認可をめぐり、首相や財務省に不当な権力の行使があったかどうかについては、結局、有耶無耶になったままだ。
 真相解明に後ろ向きな安倍政権の姿勢に対しては、世論も不満を募らせていると見え、確かに内閣支持率は急落している。しかし、これは単に安倍政権だけの問題ではない。権力が行使され国民の税金が使われた時、その妥当性を国民が確認できないまま見過ごされてしまうようでは、仮に安倍内閣が退陣したとしても、また同じような問題が起きることは目に見えている。
 そもそも今回の森友・加計問題は、通常とは異なる権力の行使が行われ、その結果として普通では降りないはずの許認可が降りたと同時に相当額の税金が投入されているにもかかわらず、その権力行使の正当性を裏付ける記録が何も残っていないところに問題の核心がある。権力行使の妥当性をめぐる議論が交わされているのではなく、そもそもそこで権力が行使されたかどうかが確認できないまま、時間ばかりが過ぎているのだ。
 もし安倍政権が、森友にしても加計にしても、一切不当な政治介入はなかったと主張するのであれば、一連の手続きが適正だったことを示す文書を公開すればいいだけの話だ。しかし、安倍首相やその周辺は、当時の記録は既に「廃棄」され、交渉担当者たちも当時の「記憶」がないの一点張りで逃げ切ろうとしている。それはそれで政治的には大きな問題だが、そもそもその記録が残っていないことや、その保存や情報公開が義務付けられていないことの方がより大きな問題なのだ。
 「国家戦略特区」も「岩盤規制への風穴」も、それはそれで政治的には重要な論点かもしれない。しかし、もし権力が行使されたのであれば、その妥当性を証明する挙証責任は政府側にあり、それを裏付けるための証拠となる文書を保存しておくことは、権力が不正に行使されていないことを証明する上では必須となる。政府や官僚にとっては、その証拠を保存しておくことは、国民に対して自分たちの行為の正当性を証明する上では必要不可欠なものだ。ましてや今回のように、評価額の8分の1の値段で国有地が払い下げられていたり、従来の基準では認められていない新設の獣医学部の設置が特別に認められたのであれば、その決定の正当性の裏付けを残しておくことは、国民に対する説明責任は言うに及ばず、政府にとっても担当の官僚にとっても、身の安全を保障する命綱になるはずだ。繰り返しになるが、それを残していないということは、まずあり得ない。
 「都合が悪いことがあれば、その証拠を捨ててしまった者勝ちになるようなことを許してはならない」、情報公開問題に長年取り組んできた情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長は語る。
 三木氏は特に森友学園と近畿財務局の交渉記録が「契約締結後に破棄した」とされる国会答弁に疑問を呈する。森友学園の土地売却は10年分割払いになっているため、少なくともその間は交渉記録を残しておかなければ、もし分割払いの途中で何か問題が生じた時、説明がつかなくなってしまう。後任者に事細かく引き継ぎを行う慣例のある官僚が、10年先まで続く取引の記録を残していないなどということは常識では考えられない。
 ましてや、現職の総理夫人が名誉校長に名を連ねる学校法人に対して、明らかに異常な割引価格で土地の払い下げが行われながら、当時の交渉記録が一切廃棄されて存在しないなどということは本来はあり得ないし、許されていいはずはない。
 三木氏は土地取引の交渉に関わった財務省近畿財務局や国交省大阪航空局などに対し、協議や打ち合わせの内容がわかる文書の情報公開請求を行ったが、いずれも「文書不存在」を理由に不開示となった。さらに三木氏は、文書を破棄されることを防ぐため証拠保全の申し立てを行ったが、東京地裁に続き、高裁も抗告を棄却している。
 裁判所には裁判所なりの論理があるようだが、それにしても、このような非常識な説明がまかり通る状態は異常としか言いようがない。三木氏の言うように、都合が悪くなれば捨ててしまった者勝ちの状態を認めることになる。
 三木氏は国有地の払い下げをめぐる森友学園と近畿財務局などの交渉記録の情報公開請求訴訟の提起に踏み切り、その第一回目の弁論が7月19日に予定されている。
 この問題の主犯が官邸なのか財務省の本省なのか、はたまた出先の近畿財務局なのかはわからないが、何か彼らにとってよほど都合の悪い、つまり国民に対して正当化できないようなやり取りが記録に残っているのだろう。だからこそその記録は何があっても出せないと判断されたか、もしくは意図的に廃棄されたかのいずれかに違いないというのが、三木氏の見立てだ。
 恐らく同じことが加計学園への獣医学部新設を巡り内閣府についても言えるだろう。
 加計問題はたまたま今回は文科省から不適切な権力行使が行われていたことをうかがわせる文書が流出し、前川喜平前次官が身を挺してこの問題を公の場で証言したために、不自然な権力行使の一端が垣間見えた。しかし、官邸の権威を後ろ盾にして文科省に不当な圧力を掛けたとされる内閣府側からは一切の文書も出ていないため、こちらの方もまだ隔靴掻痒の状態から抜け出せないでいる。
 確かに日本の現行の公文書管理法にも情報公開法には抜け穴が多く、それを埋めていく地道な作業は必要だ。しかし、どんな法にも必ず抜け穴は残る。今回のモリカケ問題は法の抜け穴の有無以前に、そもそも今の日本の政府の中で、公文書管理法や情報公開法の精神が全く蔑ろにされているところに問題がある。そして、その責任の一端はそれを許しているマスコミ、そして国民の側にもある。それを正さない限り、第三、第四のモリカケ問題は必ず起こるだろう。いや恐らく、既に同様の問題は無数に起きており、モリカケ問題はその氷山の一角が顔をのぞかせたものだったに違いない。
 情報公開問題に長年取り組み、今も政府を相手取り数多の情報公開訴訟を抱える三木氏とともに、情報公開と公文書管理の観点からモリカケ問題をジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

石破政権を展望する

(第850回 放送日 2017年7月22日 PART1:43分 PART2:53分)
ゲスト:石破茂氏(衆議院議員)

 安倍政権の支持率が危険水域と言われる30%を割り込む中、自民党の石破茂衆院議員の去就に注目が集まっている。
 ポスト安倍候補の中にあって、政権で枢要な役職に就いている他の候補たちが身動きが取れずにいる中、昨年の内閣改造で入閣を固辞して無役の道を選んだ石破氏だけが、明確に反安倍色を打ち出しているからだ。
 実際、今、石破氏の下には、多くの報道機関から安倍政権への批判的なコメントを求める取材依頼が殺到しているそうだ。
 しかし、石破氏はそのような安易な挑発には乗らないよう気をつけているという。安倍政権の支持率が高かった時は、石破氏がどんなに政権の問題点を指摘しても、それがメディアに取り上げられることはほとんどなかった。それが、支持率が下がり政権が苦境に陥ったかと見ると、手のひらを返したように容赦ない政権批判を繰り広げるメディアの姿勢には疑問を感じるからだという。
 しかし、かといって石破氏が安倍政権と一線を画した路線を提唱していることに変わりはない。
 石破氏は1項2項を残したまま自衛隊を明記するという安倍政権の弥縫策的な憲法9条の改正案には、あくまで批判的だ。憲法を改正するのであれば、世界でも有数の軍事力を誇る自衛隊を日本防衛のための軍隊と規定し、その権利と義務を明確にすべきだと石破氏は主張する。
 その一方で、日本がアメリカの軍事力に全面的に依存する形になっている日米同盟の現状も、より双務的なものに修正していく必要があることを認める。
 しかし、首相の座を狙っているのかと問われれば、石破氏ははっきりとそれを否定する。新人議員の時分に田中角栄元首相から、総理の座は自分から狙って取れるものではないと教えられたからだ。いつ天命が下ってもいいように準備はしておくが、自分から地位を取りに行くような真似はすべきではないというのが石破の美学なのだという。
 ポスト安倍のキーマン石破氏に、憲法観や政策的な主張、今後の展望などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

 

vol.83(831~840回収録)

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なぜわれわれは福島の教訓を活かせないのか

(831回 放送日 2017年03月11日 PART1:54分 PART2:1時間12分)
ゲスト:田辺文也氏(社会技術システム安全研究所所長)

 2017年3月11日、日本はあの震災から6周年を迎えた。
 一部では高台移転や帰還が進んでいるとの報もあるが、依然として避難者は12万人を超え、その7割以上が福島県の避難者だ。
 原発の事故処理の方も、いまだにメルトダウン事故直後の水素爆発によって散らばった瓦礫を取り除く作業が行われている状態で、実際の廃炉までこの先何年かかるかは、見通しすら立っていない。
 福島第一原発のメルトダウン事故については、政府、国会、民間の事故調査委員会がそれぞれ調査報告書を出しているほか、さまざまな検証が行われてきた。これまでの説明では概ね、津波によってステーション・ブラックアウト(全電源喪失)に陥ったことによって原子炉を冷却できなくなったことが、メルトダウンに至った原因とされてきた。一部で地震による原子炉の損傷も指摘されているが、あれだけの地震と津波に同時に襲われ電源がすべて失われるような事態を想定していなかったことが問題視され、安全神話などのそもそも論に関心が集まったのは記憶に新しいところだ。
 しかし、ここに来て、新たに重要な指摘がなされている。それは、そもそも事故直後の対応に大きな問題があったのではないか、というものだ。
 日本原子力研究所(原研)などで原発の安全を長年研究してきた田辺文也・社会技術システム安全研究所所長は、日本の原発には炉心が損傷するシビアアクシデントという最悪の事態までを想定して3段階の事故時運転操作手順書が用意されており、ステーション・ブラックアウトの段階からその手順書に沿った対応が取られていれば、あそこまで大事故になることは避けられた可能性が高いと指摘する。少なくとも2号機、3号機についてはメルトダウン自体を回避できたのではないかと田辺氏は言うのだ。
 事故時運転操作手順書には事故発生と同時に参照する「事象ベース手順書」と、計器などが故障して事象が確認できなくなってから参照する「徴候ベース手順書」、そして、炉心損傷や原子炉の健全性が脅かされた時に参照する「シビアアクシデント手順書」の3つがあり、事故の深刻度の進行に呼応して、手順書を移行していくようになっている。田辺氏は特に今回の事故では停電や故障で計器が作動しなくなり原子炉の状態がわからなくなってから「徴候ベース手順書」に従わなかったことが、結果的に最悪の結果を招いた可能性が高いと指摘する。
 以前からこの「手順書」問題は仮説としては指摘されていたが、ステーションブラックアウトに直面した福島第一原発の現場で実際に手順書がどのように扱われていたのかが不明だったために、それ以上の議論には発展していなかった。
 ところが、朝日新聞による「命令違反」報道を受けて、政府は2014年9月11日にいわゆる吉田調書を含む「政府事故調査委員会ヒアリング記録」を正式に公開。その中で吉田昌郎福島第一原発所長(当時)が政府事故調に対し、「いちいちこういうような手順書間の移行の議論というのは私の頭の中では飛んでいた」と証言していたことが明らかになり、あらためて手順書の問題に焦点が当たるようになった。
 そして、実際に手順書の内容と事故直後に東京電力が取った対応を比較すると、東電の対応は手順書から大きく逸脱していたばかりか、「そもそも手順書の概念や個々の施策の目的や意味が理解できていなかった」(田辺氏)ことが明らかになったのだと言う。
 実際に事故に直面した吉田所長を始めとする福島第一原発のスタッフの混乱ぶりや恐怖は、われわれの想像を絶するものがあったにちがいない。そのような状況で「手順書」がどうのこうの言っている余裕はなかったという思いも十分理解できる。しかし、「だからこそ事故対応手順書が必要なのだ」と田辺氏は強調する。
 現在の事故時運転操作手順書はスリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故の教訓をもとに作られていると田辺氏は言う。2度と同じような失敗を繰り返さないために、高い月謝を払って人類が蓄積してきた原発事故対応のノウハウが凝縮されているのが3段階の事故時運転操作手順書なのだ。
 たとえ手順書通りに対応していても、もしかすると福島の惨事は避けられなかった可能性はある。しかし、少なくともあの福島の事故で、事故後の対応に過去の失敗の教訓が活かされていなかったという事実を、われわれは重く受け止める必要があるだろう。起きてしまった事故は元には戻せないが、少なくともわれわれにはその教訓を未来に活かす義務があるのではないか。
 田辺氏は、今回の事故ではこの手順書の問題がきちんと検証されていないために、新たな安全基準も不完全なものになっている可能性が高いと指摘する。
 どんなにしっかりとした手順書を作っても、その意味を十分に理解した上で、それが非常時でも実行できるような訓練が不可欠と語る田辺氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

迷走する介護保険をどうするか

(832回 放送日 2017年3月18日 PART1:56分 PART2:32分)
ゲスト:小島美里氏(NPO法人暮らしネット・えん代表理事)

 2000年に介護保険制度が導入されて、この4月で17年が経つ。
 当初、介護の社会化がうたわれ、家族の負担を軽減し社会全体で介護を担うための公的保険として大きな期待を集めた介護保険だったが、その後、何度も改正を繰り返すなど迷走を続け、そのたびに利用者も事業者も振り回されてきた。
 そして、今国会にも介護保険法の改正案が提出されている。
 埼玉県新座市で介護事業に取り組む小島美里さんは、既に介護の現場は低所得層のみならず中間層までもが、介護保険の利用ができない深刻な事態に陥っていると指摘する。利用者負担が引き上げられ重度にならないと利用ができないなど、介護保険導入時の「自宅で最期まで」という理念が失われているというのだ。
 背後には介護費用の増大という問題がある。公的介護サービスは利用者の自己負担分(当初1割)を除いた介護保険給付費のうち、5割を40歳以上が負担する介護保険料と残りの5割は国と都道府県・市町村の税金とで賄う仕組みになっている。利用者の増加に伴い、これまで、軽度者のサービスを抑制したり、収入が一定額を超える人の自己負担率を2割に引き上げたりするなど、介護保険給付費を抑えるための措置が取られてきたが、それでも当初3.6兆円規模でスタートした給付費が現在は10兆円を超え、団塊の世代が75歳を迎え後期高齢者となる2025年には20兆円にもなると言われている。
 安倍首相は、来年度の診療報酬/介護報酬の同時改定を、「非常に重要な分水嶺」と国会でも答弁し改革の必要を訴えるが、費用の伸びを抑えるための場当たり的な制度変更を繰り返しても、高齢者が安心できる介護制度となることは期待できない。
 高齢化が進む日本で、老後を安心して過ごすための決め手となるはずの介護保険はどのような変節を経て、今どうなっているのか。介護の現場をよく知る小島美里氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。

朴槿恵大統領罷免に見る民主主義のもう一つの形

(第833回 放送日 2017年3月25日 PART1:43分 PART2:37分)
ゲスト:小此木政夫氏(慶応義塾大学法学部名誉教授)

 お隣韓国の政治が喧しい。
 朴槿恵(パク・クネ)大統領が友人の崔順実(チェ・スンシル)氏と通じて職権を乱用したとされる、所謂「民間人による国政壟断疑惑事件」はついに大統領の罷免と、検察による大統領への長時間の事情聴取へと至り、いつ逮捕状が出てもおかしくない切迫した状況を迎えている。
 日本人の感覚からすると、現職大統領が犯罪の疑いをかけられた上に罷免され逮捕にまで至るという事態は、国家の非常事態としか思えないところがあるが、実は韓国ではこれまでも 元大統領が逮捕・起訴され有罪判決を受けるケースは数多くあった。
 全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)、両元大統領はいずれも有罪判決を受けているし、日本ではよく知られる金大中(キム・デジュン)元大統領も親族がらみの資金疑惑で有罪判決を受けている。最近では盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が、不正資金疑惑をかけられた親族が横領や贈賄容疑で逮捕された上に、本人が検察の事情聴取を受けた直後に岩崖から投身自殺するといった衝撃的な事件も起きている。
 これは韓国の政治はそこまで腐敗しているということを意味しているのか。
 朝鮮半島情勢に詳しい慶応大学の小此木政夫名誉教授(現代韓国朝鮮論)は、大統領が軒並み逮捕される状況を理解するためには、韓国の政治の背後にある特異な行動原理を知る必要があると説く。
 韓国の政治は政治主導者である大統領に忠誠を尽くす私的なネットワークである「制度圏」と、社会正義を実現するために市民、インテリ、学生らが運動を通じて政治に参加する「運動圏」の2つの行動原理で動いており、通常は両者のせめぎ合いの中で微妙なバランスを保っている。「制度圏」は歴代の政権では親族がその役割を果たしていたが、両親を暗殺され家族もいないパク・クネ大統領の場合、親の代から親しくしていたチェ・スンシル氏がそこに入り込んだ。そして、一民間人に過ぎないチェ氏に大統領が演説の原稿を事前に見せていたことが暴かれたことで「制度圏」に対する不信感に火がつき、「運動圏」の怒りが爆発したのだと小此木氏は語る。
 これは韓国の政治が特別に腐敗しているとか民主主義が未熟であるというよりも、単に韓国の政治のスタイルが日本や他の国々と異なっているのだと理解するべきだと、小此木氏は強調する。
 韓国の政治に参加民主主義の要素が非常に強いことは高く評価すべき面がある一方で、それがあまりにも強く働き過ぎると、政治が不安定化する原因にもなり得ることを、今回の朴槿恵の事件は示しているということのようだ。
 とはいえ、北朝鮮の度重なる核実験やミサイル発射などで、東アジア情勢は緊迫の度を高めている。そのような状況で、韓国に政治的空白が生じることは、東アジア全般の不安定要因となる。韓国では5月9日に大統領選挙が予定されているが、小此木氏は金日成の誕生日や北朝鮮人民軍の設立記念日にあたる「建軍節」を控えた4月の中旬から下旬に、北朝鮮が大きな軍事行動に出る危険性が高いと警鐘を鳴らす。今のところ、大陸間弾道弾(ICBM)の発射実験のような、アメリカに対する直接のメッセージとなる行動に打って出る可能性が高いと小此木氏は観測する。
 韓国に今何が起きているのか。現在の政変は韓国経済や東アジアの安全保障にどのような影響を与えるのか。日本はどう対応すべきなのか。朝鮮半島情勢の第一人者の小此木氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
パンドラの箱が開いたトランプのアメリカに行ってきた

(第834回 放送日 2017年4月1日 PART1:1時間18分 PART2:1時間)

 その月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。
 今回は3月上旬から中旬にかけてアメリカを取材してきたジャーナリスト神保哲生の取材映像などをもとに、アメリカ取材の中間報告とその意味するところを神保と社会学者の宮台真司が議論した。
 今回はトランプ政権を裏で操るスティーブ・バノンが自任するオルトライト運動の源流を訪ねて、長年アメリカで白人の立場から人種運動に携わってきた大御所の白人至上主義者や、サッチャー政権の政策立案に携わった伝統的保守主義者らのインタビューなどを通じて、今、アメリカで何が起きているかについて考えた。

ピンボケの家庭教育支援法で安倍政権は何がしたいのか

(第835回 放送日 2017年2017年4月8日 PART1:42分 PART2:41分)
ゲスト:広田照幸氏(日本大学文理学部教授・日本教育学会会長)

 今国会で森友学園問題追求の裏で着々と審議が進んでいる数々の法案の中に、重大な問題を抱えたものがあまりにも多いことを、ビデオニュース・ドットコムでは何度か指摘してきた。
 その一つが、自民党が今国会での成立を目指している「家庭教育支援法案」だ。
 これは保護者が子育ての意義への理解を深め喜びを実感できるように、自治体と地域住民などが連携して社会全体で支援することを謳ったもの。核家族化が進む昨今、国や地域ぐるみで家庭教育を支援することが緊要な課題だという問題意識の上に立ち、自民党を中心に議員立法で法案が作成され、現在は国会提出を待つばかりの状態にある。
 しかし、この法案が何とも噴飯ものなのだ。
 日本教育学会の会長を務める広田照幸・日本大学教授は、そもそも法案が前提としている「核家族化が進み、家庭内での親子関係が希薄になっている」などといった現象はまったく事実に反したもので、「思い込みで今の家庭や子供たちを決めつけて、そのうえで法律を改正しようというのが、現状認識で非常に大きな問題」だと指摘する。
 さらに、これまで各家庭の判断に任されてきた家庭での教育に政府が口を挟むことは、戦前の悪しき伝統の復活につながる恐れがあり、よほど慎重になる必要があるとも語る。
 要するに、そもそも前提が間違っている上に、本来は禁じ手である家庭内の問題に政府が手を突っ込む行為を可能にする法案が、今、堂々と審議されようとしているということだ。
 広田氏は家庭教育支援という意味では、貧困家庭や本当に子供の教育の助けを必要としている家庭の支援は評価するとしている。「支援」の大義名分に紛れて、家庭内の教育のあり方にまで政府が口を挟もうとしている本音が透けて見えるところが、この法案のどうにも気持ち悪いところだ。
 確かに、近年、核家族や共働き世帯の割合は増えている。しかし、これは戦後の高度成長期の一時期に専業主婦が増え、家庭内の役割分業が進んだ時代からの揺り戻しの面が強い。実際、大正時代は核家族の割合が5割を超える一方で、3世代以上の同居家族の割合は3割に過ぎなかったというデータもある。戦後になってからも、高度成長期前の日本女性の就労率は欧米諸国よりも高かったそうだ。
 また、家族の絆が希薄になっているというのも、単なる思い込みの面が強い。世論調査で「一番大切なもの」に家族をあげる人の割合は、近年むしろ右肩上がりで増えている。実際、日本が高度経済成長を経て豊かになる前は、両親は仕事や家事に追われ、家庭内で子供とじっくり話をする時間など、ほとんどなかった。データを見る限り、近年、家族の絆は今までにないほど密になっているというのが実情なのだ。
 広田氏によると、戦後は一貫して家庭教育には国や行政権力が立ち入ってはならないという考え方が維持されてきたが、2006年、第一次安倍政権下で改正された教育基本法の第10条2に、「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」との条文が加わったことで、家庭教育に政府が介入する根拠ができた。今回の家庭教育支援法の文言は、ほぼこの改正教育基本法10条の文言をそのまま踏襲している。
 しかし、そもそも前提とする現象が事実に基づかない単なる思い込みに過ぎないにもかかわらず、これまで禁じ手とされてきた家庭教育に、「支援」の名目で国や自治体が手を突っ込もうとする法律まで作る安倍政権は一体、何がしたいのだろうか。
 安倍政権の目指す教育の形とは何なのか、とは言え国が家庭教育に口出しをするとどういう影響が出るのかなどについて、広田氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本の豊かな食文化を守ってきた種子法を廃止してどうする

(第836回 放送日 2017年4月15日 PART1:44分 PART2:53分)
ゲスト:西川芳昭氏(龍谷大学経済学部教授)

 われわれが食べる食料のほとんどは、必ずといっていいほど、種から作られている。そして、それぞれの国が保有する種には、その国が育んできた食の文化や歴史が凝縮されている。その意味で種は各国の食の根幹を成すものといっても過言ではないだろう。
 ところが安倍政権は、これまで日本の種子市場、とりわけ米、小麦、大豆といった主要農産物の種子市場を法的に保護してきた「主要農作物種子法」を、今国会で廃止しようというのだ。
 戦後の食糧難のさなかにあった1952年に制定された主要農作物種子法は、その後の日本の食料の安定供給に重要な役割を担ってきた法律で、米、麦、大豆などの種を都道府県が管理し、地元の農家に安定的に提供することを義務づけている。この法律に基づいて、日本では国から各都道府県にそのための予算が配分され、地域の農業試験場などがそれぞれの地域の気候や地形、嗜好にあった独自のブランド米を開発し、その種子を地元の農家に安価で供給してきた。
 それは日本に豊かな食文化をもたらし、各都道府県によって種子の管理・供給が保証されているからこそ、地域の農家は安心して穀物の生産に従事することができた。
 ところが政府は種子法が民間の種子市場への参入を妨げているとして、種子法を廃止することで民間の参入を促し、農業の効率化を促進したいとしている。
 種子は農業や食料の根幹を成すものであるからこそ、もし民間の参入によって種子市場がより活性化し、ひいては日本の農業の競争力強化につながるのであれば、そのような施策は歓迎すべきものかもしれない。しかし、こと種子に関しては、保護を撤廃して市場を民間に開放すれば効率化が図れるというのは、種子市場の実情を知らない素人の机上の空論に過ぎないとの指摘が、多くの専門家からあがっている。
 そればかりか種子法を廃止することで、これまで日本人の主食である米や麦、大豆などの種子の安定供給を行ってきた都道府県がその役割を果たせなくなり、結果的に日本の豊かな食文化が失われるばかりか、日本の主要な農作物の生産が、世界規模で事業を転換する多国籍企業の支配下に置かれることにもなりかねないとの懸念まで出ているのだ。
 そもそも種子市場は1986年の種子法改正によって、すでに民間の参入が可能になっている。それでも、これまで民間企業が主要作物の種子市場に参入してこなかったのは、それほど大きな利益が望めないからだったに過ぎないと、龍谷大学経済学部教授で種子問題に詳しい西川芳昭教授は指摘する。
 国土が南北に細長く、地形も山間地や中山間地、平野部など多岐にわたる日本では、異なる気候の下で、あきたこまちやコシヒカリといったブランド米から地域固有の希少米まで、それぞれの地域の気候や嗜好に合った米や麦が開発され、地域で消費されてきた。種子法に基づいてそれを担ってきたのが各都道府県だった。コシヒカリなどの一部の例外を除き、一つひとつのブランド米の市場は決して大きくないため、民間企業にとっては利益が望める市場ではなかったことが、種子市場への民間の参入が進まなかった本当の理由であり、種子法が民間の参入を妨げていたという政府の主張は間違っていると西川氏は言う。
 では、今、種子法の廃止を急ぐ政府の真意は、どこにあるのだろうか。
 実は種子法の廃止法案と並び、今国会では、農業改革法案と称して合計で8つの法案が審議されているが、それらはいずれも「総合的なTPP関連政策大綱」の一環として首相官邸に設置された規制改革推進会議の後押しを受け、TPPありきの改革法案として議論がスタートしたものだ。
 アメリカでトランプ大統領がTPP離脱を表明したことで、TPPそのものは宙に浮いてしまったが、なぜか日本ではTPPの成立を前提として策定された法案や施策が、今も粛々と審議され推進されているという、何とも気持ちの悪い状態が続いているのだ。
 果たして日本はこのままTPPありきの規制改革を進めてしまって、本当に大丈夫なのだろうか。いや、そもそもTPPが消滅しているにもかかわらず、誰がTPPの要求を満たすための法律整備を推し進めているのだろうか。
 「政府は時代状況が変わったので法律を変える」というが、時代の状況が具体的にどのように変わったのかについての十分な議論もないまま、改革が推進されていることに違和感を覚えると西川氏は指摘する。そればかりか、種子法を廃止して外資系企業を入ってくることで、逆に行政が日本の食料安全保障を守る責任を放棄してしまうことにつながる危険性が懸念されているのだ。
 種子法廃止によって日本はどのようなリスクを抱えることになるのか。種子法の廃止によって、そもそも政府が喧伝するようなメリットは本当にあるのか。一体、誰が何のために種子法の廃止を進めようとしているのか。
 「タネは戦略物資であり、軍艦を持っているよりタネをもっている方が強いというくらい大事なもの」と語る種子の専門家の西川氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

誰が何のために共謀罪を作ろうとしているのか

(第837回 放送日 2017年4月22日 (PART1:53分 PART2:47分)
ゲスト:清水勉氏(弁護士)

 この法律を通せなければ、東京五輪・パラリンピックを開けなくなるかもしれない。安倍首相がそうまで言い切った以上、政府は何があっても今国会で共謀罪を成立させるつもりなのだろう。
 実際、共謀罪の審議が4月19日に始まり、政府は5月中旬の成立を目指すとしている。
 しかし、ここまで欺瞞に満ちた法案も珍しい。政府はこの法案をテロ準備罪などと呼ぶことで、あり得ないほどデタラメな法律を何とか正当化することに躍起のようだが、この法律にはそもそもテロを取り締まる条文など一つとして含まれていない。
 にもかかわらずメディアの中には、この法案を政府の要望に沿う形で「テロ準備罪」(読売、産経)だの「テロ等準備罪」(NHK)と呼んで憚らないところがあることも驚きだが、この法律は断じてテロ対策法などではない。いや、そもそもこの法律が必要であると政府が主張する根拠となっている国際組織犯罪防止条約(別名パレルモ条約)は、それ自体がマフィアのマネーロンダリングなどを取り締まるためのもので、テロを念頭に置いた条約ではない。
 では、この法律は何のための法律なのか。今回は珍しくマスメディアの中にも政府の意向に逆らってこの法案を「共謀罪」と呼び続けるところが出てきているが、当たり前のことだ。これは日本の法体系に共謀罪という新たな概念を導入することで、日本の刑事司法制度に根本的な変革をもたらす危険性を秘めた法律だからだ。
 犯罪には突発的に起きるものもあるが、その多くは計画的に行われる。計画的な犯罪の場合、実際に犯行が実施される前段階で、犯罪を計画したり準備する必要がある。近代司法の要諦である罪刑法定主義の下では、基本的には実際の犯罪行為が行われるまで個人を処罰できないが、殺人罪などの重大な犯罪については、計画や準備しただけで処罰が可能なものが例外的にいくつか定められている。ただし、それは殺人のほか、航空機強取等予備罪、私戦予備罪、通貨偽造準備罪など、国家を転覆させるような極めて重大犯罪に限られている。
 共謀とは、準備、計画の更に前段階で、犯罪を犯す意思を確認する行為を指す。これまでは国家を転覆させるような重大犯罪の場合でも、訴追するためには最低でも犯行の準備や計画が行われている必要があったが、共謀罪が導入されれば、それさえも必要としなくなる。しかも、今回は懲役4年以上の犯罪が全て対象となるため、詐欺や著作権法違反、森林法違反、廃棄物処理法違反などの一般的な犯罪を含む277の犯罪がその対象となる。例えば、著作権も対象となっているため、音楽ソフトを違法にコピーしたり、著作権をクリアできていない曲を演奏するライブイベントを構想したり相談するだけで、共謀罪違反で逮捕、訴追が可能になる。
 政府は対象が組織的犯罪集団であることや、具体的な犯行の準備に入っていなければ、訴追対象にはならないと説明している。しかし、法律には何が「組織的犯罪集団」や「準備行為」に当たるのかが明示されていないため、警察にその裁量が委ねられることになり、まったく歯止めはなっていない。
 共謀罪は過去に3度国会に上程されながら、ことごとく廃案になってきた。犯罪行為がないまま個人を罰することを可能にする法律は、個人の思想信条や内面に法が介入につながるものとして、市民社会の強い抵抗に遭ってきたからだ。
 今回の法案もその危険性はまったく除去されていない。しかし、情報問題や警察の捜査活動に詳しい清水勉弁護士は、今回の共謀罪には過去の共謀罪にはなかった新たな危険性が含まれていると指摘する。それは情報技術の急激な進歩に起因するものだ。
 今や誰もがスマホなどの情報端末を利用するようになり、巷には監視カメラなど個人の行動をモニターする機器が溢れている。映像から個人を識別する顔面認識カメラも、導入が間近だと言われている。
 共謀罪が導入され、犯行の事実がなくても逮捕、訴追が可能になれば、警察の裁量で誰もが捜査対象になり得る。集積されたビッグデータを使えば、捜査対象となった個人の行動を過去に遡って詳細に収集、把握することも可能だ。それはまるで全ての国民が24時間公安警察に見張られているような状態と言っても過言ではない。
 本人がどんなに気をつけていても、例えばある個人が所属するSNSグループ内で飲酒運転などちょっとした犯罪行為が議論されていれば、共謀と認定することが可能になる。そのSNSグループに参加しているその人も、「組織的犯罪集団」の一部と強弁することが可能になり、捜査の対象となり得る。早い話が警察のさじ加減次第で誰でも捜査対象となり得るのだ。そして、一度捜査対象となれば、情報は過去に遡って無限に収集されることになる。
 これでは政府に不都合な人間の弱みを握ることなど朝飯前だ。気にくわない他人を陥れることも容易になるだろう。
 21世紀最大の利権は「情報」だと言われて久しい。多くの情報を収集する権限こそが、権力の源泉となる。共謀罪が警察の情報収集権限を無尽蔵に拡大するものであることだけは間違いない。
 とは言え、東京オリンピックを控えた今、日本もテロ対策は万全を期する必要がある。まったくテロ対策を含まない共謀罪なるデタラメな法案の審議にエネルギーを費やす暇があるのなら、過去に日本で起きたテロ事件を念頭に置いた、日本独自のテロ対策を練るべきだと清水氏は言う。日本での大量殺人事件は秋葉原無差別殺傷事件や相模原「津久井やまゆり園」殺傷事件などを見ても、いずれも単独犯で、共謀罪ではまったく取り締まることができないものばかりだ。しかも、日本の治安は今、過去に例がないほどいい状態が保たれている。ことほど左様に、今回の共謀罪はまったく意味不明なのだ。
 テロ対策には全く役に立たない共謀罪を、誰が何のために作ろうとしているのか。政治はその刃が自分たちに向けられていることを認識できているのか。清水氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ビッグデータに支配されないために

(第838回 放送日2017年4月29日 PART1:1時間 PART2:45分)
ゲスト:宮下紘氏(中央大学総合政策学部准教授)

 どうやらわれわれが望むと望まざるとにかかわらず、今やわれわれの個人情報は丸裸にされているらしい。
 アメリカの情報機関職員だったエドワード・スノーデンが、アメリカ政府が外国人のみならずアメリカ国民をも広範に監視対象に置いていたことを内部告発して世界に衝撃を与えたことは記憶に新しいが、今やそれは政府に限った話ではなくなりつつある。いやむしろ、民間のネット事業者などが政府に一般市民の個人情報を提供していたところに根本的な問題があると言った方が、より正確なのかもしれない。
 昨年の大統領選挙で大方の予想に反してドナルド・トランプが大本命のヒラリー・クリントンを破ったが、その大番狂わせの背後にはケンブリッジ・アナリティカというコンサルティング企業のビッグデータ分析の力があったと言われている。同じく昨年の英国のEU離脱の国民投票でも、ブレグジット派(EU離脱派)が同社のデータ分析を活用していたことが明らかになっている。宣伝文句を額面通りに受け止めるべきではないだろうが、同社によるとSNSなどから集めたビッグデータを彼らが独自に開発したアルゴリズムにかければ、どこにどのような情報をどのくらいの量撒けばどれだけの票を動かせるかが、かなりの精度で見通せるのだそうだ。
 民主主義の根幹を成す投票行動でさえビッグデータに支配されているのであれば、われわれの消費活動に影響を及ぼすことなど朝飯前であろうことは想像に難くない。プライバシーや個人情報と言えば個人を特定できる氏名や住所、誕生日などが真っ先に思い浮かぶが、どうやらビッグデータ時代のプライバシーはわれわれの想像を超えるほど広範な個人情報が含まれていると考えておいた方がよさそうだ。
 奇しくも来たる5月30日、日本では改正個人情報保護法が施行される。元々、現行の個人情報保護法は2003年に制定されたもので、ソーシャルメディアやビッグデータなどの存在を前提としていないものだった。そのため、スマホなどの通信端末はもとより、家電までがインターネットにつながるようになった今日の状況にはまったく対応できていないとの指摘が根強かった。
 今回の改正で個人情報の保護が、インターネット時代により適合したものにアップデートされることは歓迎すべきこと。しかし、どうやら時代は更にその先を行っているらしい。
 ビッグデータやプライバシー問題に詳しい中央大学総合政策学部の宮下紘准教授は、ビッグデータ時代の個人情報保護で最も問題となるのが、方々から集めた膨大なデータから個々人の自画像を勝手に作り出すプロファイリングと呼ばれる作業だと指摘する。本来われわれのインターネットの閲覧履歴や商品の購入履歴、クレジットカートやポイントカードを利用した消費履歴などのデータは、いずれも本人の同意がなければ転売や利用ができないことになっている。しかし、実はわれわれの多くがネットサービスやカードなどを利用する際、プライバシー・アグリーメントというものに同意している場合が多い。会員サイトへの登録を申し込む際に、長々とした文言が画面に表示され、最後に「同意する」にチェックをつけるあれだ。しかし、あれに同意した瞬間にわれわれは、自分たちに関する情報の転用や転売に同意してしまっている場合が多い。
 実際、プライバシーアグリーメントをすべて読む人はほとんどいないだろうが、事業者側からすればそこで「オプトアウト」と呼ばれる「離脱する権利」を提供してあり、われわれがそれを放棄した形になっている場合が多い。
 EUとアメリカではそれぞれ異なる立場から、ビッグデータ時代の個人情報の保護の在り方が整備されていると宮下氏は言う。ここで言う個人情報とは、単に氏名や生年月日だけではなく、今や収集が容易になったウェブサイトの閲覧履歴や消費履歴、SNSで「いいね」をクリックした投稿内容など広範にわたるものだが、プライバシーの保護に重点を置くEUでは個人情報の利用を認める明確な意思表示がない限り、事業者による個人情報の利用を禁ずる「オプトイン」方式が採用され、表現の自由やビジネス利用を推進する傾向がより強いアメリカでは、個人があえてノーの意思表示をしない限り情報の商業利用を可能とする「オプトアウト」方式が採用されているという。
 ところが「プライバシー」についての明確な定義が確立されていない日本では、事業者の自主規制・自主管理に委ねられているのが実情だ。
 広範な個人情報が容易に転用されてしまえば、例えば投票行動も消費行動も、われわれは自分で考えて自分で選択をしているつもりでも、実は自分自身に関する膨大な個人情報を蓄積している事業者の思いのままに操られてしまっている可能性が出てくる。アマゾンがいつも自分が欲しかったものをドンピシャで提案してくれると感じる人は、実は自分の過去の購入履歴や閲覧履歴のみならず、SNSの「いいね」履歴や「シェア」履歴、ウェブサイトの閲覧履歴やラインの投稿やメールに頻繁に登場する単語までモニターされ、ビッグデータとして蓄積されていると考えれば、納得がいく人も多いのではないか。
 この問いかけは、そもそも選択とは何なのか、自由意志とは何なのかにも関わってくる重大な問題を孕んでいる。われわれはここらで一度立ち止まって考えないと、取返しのつかない局面を迎えているようにも思える。いや、今、自分がそう考えているのも、何かによってそう仕向けられた結果なのだろうか。ビッグデータに心の中まで支配されないために今、われわれに何ができるかを、気鋭の政治学者宮下紘氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

理想の日本人像を追い求めて

( 第839回 放送日2017年5月6日 PART1:56分 PART2:55分)
ゲスト:辻田真佐憲氏(文筆家・近現代史研究者)

 5月3日の憲法記念日に安倍首相が2020年までの憲法改正の意向を明確に示したことで、今後、戦後初めて憲法改正が具体的な政治日程に上る可能性が出てきた。
 かねてより安倍首相は改憲論者として知られるが、その一方で何のためにどう憲法を変えたいのかについての発言は二転三転しており、やや改憲そのものが目的化しているようにも見える。
 憲法を不磨の大典よろしくアンタッチャブルな存在として祭り上げる必要はないが、とは言え国の根幹を成す最高法規を個人的な趣味で変えられても困る。首相を筆頭に、政府には憲法遵守義務がある以上、やむにやまれぬ事情がない限り軽々に憲法に手を付けるべきではないだろう。
 そこで問題になるのが、憲法のどの条文をどのように変えるのかもさることながら、そもそも何のために憲法を変えなければならないかという問いだ。つまり、「本来日本はこうあるべきだが、現行憲法ではそれができない。だから憲法を変える必要があるのだ」という、説得力のある主張が求められる。
 それはひいては、われわれ国民一人ひとりが、日本はどういう国であるべきだと考えているかに帰結する。われわれが理想とする日本を実現する上でどうしても憲法を変える必要があるのかどうか、という問いだ。
 奇しくも明治維新以来、同じような議論の対象となってきた省庁がある。それが文部省(現在の文科省)だ。
 文筆家で近現代史研究家の辻田真佐憲氏は、文部省にはその時々の統治権力が思い描く「理想の日本人像」が常に投影されてきたと語る。時の権力が、教育を通じてどのような日本人を育てたいと考えるかによって、文部省の役割は目まぐるしく変化してきたのだという。と同時に文部省には、その時代時代に日本が国家として直面する課題が常にのしかかっていた。
 明治維新直後の日本は、何よりも欧米列強に侵略されないことが喫緊の国家課題だったため、当初は欧米に太刀打ちするために、「自由で独立した個人」のような欧米の啓蒙主義的な日本人像が追求された。しかし、そのような悠長なことをやっていては列強の圧力を跳ね退けることはできないとの意見が主流になり、文部行政は一転、国家主義的な方向へと変質する。そうした中で1890年に教育勅語が発布される。
 その後、日本の文部行政は日清・日露戦争の勝利で「大国に相応しい勤勉な産業社会の構成員」が求められたかと思えば、昭和期に入ると国体主義の下での「天皇に無条件で奉仕する臣民」が、そして戦後の民主主義体制の下では「個人の尊厳を重んじ平和を希求する人間」が、高度成長期には「勤労の徳を身につけた自主独立の社会人」などが理想の日本人像として掲げられ、その時々の教育行政に反映されていった。いずれもその時代の国家的な課題と、時の統治権力が志向する国家像を調和させたものになっていたと言えるだろう。
 安倍首相は第一次政権時に教育再生会議を設置した上で、1947年以来、戦後の教育行政の基本的指針として機能してきた教育基本法を60年ぶりに改正するなど、教育行政には熱心に介入してきた。2006年に施行された現在の教育基本法は「真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間」の育成を目指すなどとしているが、これがどういう時代認識に基づき、どのような日本人像を理想としたものなのかがいま一つ見えてこないところが気になる。
 今、日本がどのような課題に直面し、その下でどのような国を志すのか、そしてそれを実現するためにどのような日本人像が求められているかなどの国民的な議論がないままに憲法や教育制度をいじることは、国家百年の大計に大きな禍根を残すことになりかねない。
 新進気鋭の近現代史研究者で、軍歌やプロバガンダにも詳しい辻田氏と、今日の日本が直面する課題とその下で求められる理想の日本人像について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

フランス大統領選で見えてきた民主政の本当の危機

(第840回 放送日 2017年5月13日 PART1:1時間2分 PART2:1時間)
ゲスト:吉田徹氏(北海道大学法学研究科教授)

 結論としては、民主政の危機は続いているということになろうか。
 5月7日に決選投票が行われたフランス大統領は、EU残留を主張するエマニュエル・マクロンが移民排斥やEU離脱など急進的な政策を訴える国民戦線のマリーヌ・ルペンをダブルスコアの大差で破り、39歳にしてフランス史上最も若い大統領に選ばれた。昨年のブレグジット、米大統領選と「サプライズ」な結果が続いていただけに世界が注目した選挙だったが、中道マクロンの勝利で反グローバリズム・ドミノは、とりあえず一息ついた形となった。
 しかし、現実はとても楽観視できる状態ではないと、フランス政治に詳しい政治学者の吉田徹・北海道大学教授は言う。そもそも第一回投票で1位のマクロンの得票が24.01%だったのに対し、2位のルペンは21.3%の票を得ている。決選投票では「ルペンの当選を阻止する」という共通目的のために他の候補の支持票の大半がマクロンに流れた結果、形の上ではマクロンの圧勝となったが、マクロン票の相当部分は必ずしもマクロンの政策を支持しているわけではない同床異夢な消極支持票と考えていい。しかも、ドゴール以来、第五共和政の下でフランスの政治を担ってきた共和派と社会党の候補者がともに決選投票に進むこともできなかった。伝統あるフランスの民主政が大きな曲がり角を迎えていることは間違いない。
 また、来月の11、18日の両日、フランスでは日本の国会にあたる国民議会の選挙が行われる(フランスは大統領選も議会選挙も2回投票制。1度目の投票の1、2位による決選投票が行われる)。既成政党の支持基盤を持たないマクロンも政治団体「前進!」を組織し独自候補の擁立を急ぐなど、議会選挙の準備を進めているが、如何せん急ごしらえの感は否めない。一方、「極右」と言われながらも父親の代から地道に不満層を吸収し、政治的地盤を固めてきた国民戦線は、経済的に取り残されているフランスの東部を中心に577議席中100~150議席を得る勢いだと吉田氏は言う。
 ルペンの急進的な移民排斥やEU離脱を含む反グローバリズムの主張が、アメリカのトランプ現象と同様に、グローバル化によって生活苦に陥っているフランスの没落中間層や失業者から強い支持を受けていることに、もはや疑いの余地はない。一方、マクロンはEUに残留しグローバル化を進めつつ、減税と小さな政府など新自由主義的な政策で経済の停滞を乗り越えようというスタンスだが、そもそも議会で多数派を形成できるかどうかが不透明な上、多分に現状維持の要素が強い政策にどこまで国民がついてくるかも予断を許さない状況だ。
 ファシズムの恐怖を身をもって経験してきたフランスは、アメリカのように過激な主張をする政治家が容易に権力を握れないような仕組みになっていると吉田氏は言う。今回ルペンを阻止する上で機能した2回投票制もその一つだ。しかし、その分、アメリカは大統領が簡単には暴走できないような様々なセーフティネットが用意されているのに対し、フランスはいざそうした勢力が権力を手中に収めると、それを容易には制御できない恐れがあると吉田氏は警鐘を鳴らす。
 今回の大統領選挙ではフランスの有権者は既存の二大政党を見放し、そのどちらにも属さないマクロンを選んだ。しかし、今回マクロンがダメなら、次はルペンに期待するしかないという気運が出てくることが、今後十分考えられると吉田氏は言う。フランスでも、そして他の国々でも、「反グローバリズム」という名のポピュリズムに裏打ちされたナショナリズムの高揚と民主政の行き詰まりは、もはや覆うことができないほど顕著になっている。そして、このトレンドがどこまで続き、最終的にどこに行き着くかは、誰にも予想がつかない。
 昨年のアメリカ大統領選挙と此度のフランス大統領選挙では、何が異なり、何が共通していたのか、今後、フランスを含め、民主政はどのように変化していくのか。他の先進国の政治が流動化する中で、なぜ日本だけが自民党一党による無風状況が続いているのかなどを、吉田氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。