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vol.82(821~830回収録)

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5金スペシャル
年末恒例マル激ライブ 「トランプ時代を生き抜くために」

(第821回 放送日 2016年12月31日 PART1:49分 PART2:52分)

 恒例となった年末のマル激ライブ。今年はいつもの新宿ライブハウスとは趣向を変えて、12月26日(月)に東京・永田町の憲政記念館ホールで開催され、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が2016年を振り返った。
 今年もさまざまなニュースがあったが、中でも6月のイギリスのEU離脱を問う国民投票で離脱派が勝利したことに続き、11月にはアメリカの大統領選挙で大方の予想を裏切って公職に就いた経験が皆無の不動産王ドナルド・トランプ氏が、大本命のヒラリー・クリントンを破ったことで、世界の歴史の流れが大きな転換期に差し掛かっていることが、あらためて再確認されたことが、2016年の大きなできごとだった。
 ブレグジットやトランプの当選は何を意味しているのか。歴史の流れが変わったと言われるが、それは何から何へと変わったことを意味しているのだろうか。
 グローバル化によって世界規模でカネやヒト、モノの自由な移動が加速すれば、先進国の国内にも格差が広がり、民主主義が不安定化することは、以前から指摘されてきたことだった。そして、2016年、その流れが明らかに新たな次元に突入したかに見える。
 ブレグジットやトランプ現象は、これまで先進国が金科玉条のごとく掲げてきた「自由」「平等」「民主主義」といった理念が、実は実態を伴わないきれい事に過ぎないことに、世界が気づいてしまったことから起きていると考えていいだろう。確かに先進国は第二次世界大戦後のある期間、とても物質的に豊かになった。そして、先進国が世界の資源を独占する限り経済は成長し、国家が個々人の豊かさを保障することが可能だった。
 そうした特殊な状況を維持するために、世界、とりわけ先進国は、自分たちの体制を正当化するための「美しい理念」を必要としていた。
 ところがグローバル化が進み、先進国が世界の資源を独占することが難しくなると、経済成長は止まり、先進国と言えども政府が個々人の豊かさを保障することが難しくなってしまった。どれだけ美しい理念を唱えても、国民を豊かにできない政府が国民から支持されることはない。
 そうした中にあって、今世界は、既存の秩序を破壊してでも強いリーダーシップを発揮し、何とか再び国民に豊かさをもたらしてくれそうな強いリーダーの出現を待望する流れと、古いシステムと決別し新たな社会システムを模索する流れが交錯しているように見える。前者の典型がロシアのプーチンやハンガリーのオルバーン、フィリピンのドゥテルテなどであり、どうやらトランプの選出でアメリカもその仲間入りを果たしてしまったようだ。そして後者の典型が米大統領選でクリントンと民主党候補の座を最後まで争ったバーニー・サンダースなどだ。
 今後世界が、どちらの流れに収斂していくことになるかはわからない。しかし、一つはっきりしていることは、国家に依存せずとも豊かさに生きる術を身につけるためには、個々人が国家とは異なる独自の共同体に埋め込まれ、そこで守られている状態を作ることが必須となることだ。
 とはいえ、一度壊れた共同体を再構築する作業は決して容易ではない。2017年が、より混沌の深みへと嵌まっていく一年となるか、新しいシステムの萌芽が見えてくる1年となるか。ポスト・トゥルース(ポスト真実)などと呼ばれるこの時代を生き抜くために、われわれは何をしなければならないのか。神保哲生と宮台真司が議論した。

座席争いからの離脱のすすめ

(822回 放送日 2017年01月07日 PART1:56分 PART2:55分)
ゲスト:内山節氏(哲学者)

 2017年の最初のマル激はゲストに哲学者の内山節氏をお招きし、ブレグジットやトランプ旋風に揺れた2016年を振り返るとともに、ますます生きにくくなってきたこの時代を如何に生き抜くかについて、神保哲生と宮台真司が議論した。
 高校を卒業後、独学で哲学を学びつつ、群馬の山村に移り住み、地域社会と関わりながら独自の世界観を開拓してきた内山氏は、まず国家が人々の幸福を保障できる時代がとうの昔に終わっていることを認識することが重要であると語る。
 先進国が、かつて植民していた途上国からただ同然で資源を調達できたことに加え、工業生産による利益を自分たちだけで独占できた時代は、先進国の政府が国民に対してある程度の豊かさを保障することが可能だった。しかし、そのような時代が長く続くはずがなかった。グローバル化の進展で、先進国から新興国へ、そして途上国へと富の移転が進むにつれ、先進国は軒並み、これ以上大きな経済成長が期待できない状況に陥っている。閉塞を打破するためのイノベーションが叫ばれて久しいが、そのような弥縫策で乗り切れるほど、この停滞は単純なものではない。昨今の先進国の経済停滞が構造的なものであることは明らかで、そうした中で無理に成長を実現しようとすれば、弱いセクターを次々と切り捨てていくしかない。当然、格差は広がり、共同体は空洞化し、社会は不安定化する。
 内山氏はむしろ、これまでの考え方を根本から変える必要性を強調する。国家に依存することに一定の合理性が認められた時代は、国家が提唱する価値基準を受け入れ、学歴や出世のために頑張って競争することにも意味はあったかもしれない。しかし、国家がわれわれを幸せにすることができないことが明らかになった今、この際つまらない座席争いからは離脱し、自らの足で立ち、自ら何かを作る作業に携わってみてはどうかと、内山氏は語る。それは単なる「物作り」とか「手に職を」といった類いのものだけではなく、例えば共同体を作るといった作業も含まれる。
 これまでの方法で国家が人々を幸せにできなくなった時、人々は2つの選択肢に頼るようになる。一つは、これまでのルールや価値観を曲げてでも、より強いリーダーシップを発揮できる指導者を待望することで、ロシアのプーチンやハンガリーのオルバーン、フィリピンのドゥテルテなどにその兆候は顕著だったが、ここにきて遂にアメリカまでトランプ大統領を誕生させるに至った。もう一つが、新たな枠組みを模索する動きだ。アメリカ大統領選でもサンダース候補を支持する若者の間にその萌芽が見えたが、実際は世界中で新たな社会のかたちを模索する動きが始まっていると内山氏は指摘する。
 その2つの動きのうち、今後、どちらが優勢になるかはわからない。しかし、これまでの民主的な政府にはもはや寄りかかれそうもないので、より強権的な指導者を待望するというのは、少々危ういように思えてならない。どうせやるのなら、新しい時代を切り開くムーブメントに自分なりの方法で参加してみてはどうだろうか。
 内山氏とともに考えた。

そして世界は中世に戻る

(第823回 放送日 2017年01月14日 PART1:45分 PART2:54分)
ゲスト:水野和夫氏(法政大学法学部教授)

 2016年はイギリスのブレグジットやアメリカ大統領選のトランプ勝利に世界が大いに揺れた1年だった。今年も世界の主要国で重要な国政選挙が相次ぐが、世界の歴史が大きな転換点を迎えていることは、もはや誰もが感じているところではないだろうか。
 しかし、それは世界が何から何に転換しているということなのだろうか。
 エコノミストで法政大学法学部教授の水野和夫氏は、金利の水準から判断して、今世界はイギリス・アメリカなどの「海の国」が世界を支配した近代から、かつてイタリアやスペインなどの「陸の国」が君臨した中世に戻りつつあると説く。
 16世紀にイギリスがアルマダでスペインの無敵艦隊を破り、地中海の制海権を獲得して以来、世界はパクス・ブリタニカ、そしてパクス・アメリカーナの時代が約500年続いた。この時代は「海の国」が世界を支配する中で、国際交易が盛んに行われ、世界経済が大きく成長した時代でもあった。経済成長と並行して世界の人口は増え続け、同時に金利も高い水準が維持されていた。
 しかし、その成長は米英を始めとする先進国が、途上国からただ同然で石油やその他の天然資源を獲得できることを前提としたものだった。しかし、経済成長の恩恵が世界の隅々まで及ぶようになると、途上国が資源ナショナリズムに覚醒し、これまでのような資源の搾取が次第に難しくなった結果、世界、とりわけこれまで繁栄を独占してきた先進国は、未曾有の低成長に喘いでいる。金利も中世以来という低金利が続いている。
 実は近代に先立つ中世の時代、世界は1000年近くもの間、経済はほとんどゼロ成長が続き、人口もほとんど増えなかった。むしろ、「海の国」が牽引した近代の500年の方が、世界史的には異例の時代だったと見ることができると、水野氏は言う。
 昨年のブレグジットやトランプ政権によるアメリカ第一主義は、近代を牽引してきたイギリスやアメリカには、もはや世界を率いていく余力も、そしてその気概もなくなっていることを示していると見ることができる。パクス・アメリカーナの終焉は「海の国」の支配から「陸の国」の支配への転換を意味し、それは同時に近代から中世への回帰を意味していると水野氏は語る。
 しかし、われわれ人類は、民主主義や自由と平等、基本的人権など、多くの貴重な価値規範を近代に確立している。経済が中世のような低金利・ゼロ成長の時代に回帰した時、われわれが近代とともに築いてきたそうした価値基準も崩れる宿命にあるのか。それともわれわれは、近代に確立した価値を維持しながら、低成長の中で新たな時代を切り開くことができるのか。
 ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、エコノミストの水野氏と考えた。

オバマの8年間に見るトランプ政権誕生の背景

(第824回 放送日 2017年01月21日 PART1:1時間5分 PART2:55分)
ゲスト:古矢旬氏(北海商科大学教授)

 トランプ政権が発足し、オバマの8年間が終わった。
 初のアフリカ系アメリカ人大統領として、多くの期待を背負って発足したオバマ政権は、積極的な財政出動によってリーマンショック後の金融危機を未然に防いだほか、2000万人の無保険者に新たに医療保険の加入を可能にしたオバマケアを実現するなど、好調な出だしを飾った。オバマ自身も「核なき世界」を提唱することでノーベル平和賞を受賞するなど、期待に違わぬ存在感を示した。
 しかし、発足当初こそ60%を超える高支持率を誇ったオバマ政権の支持率は、その後低迷を続け、支持率と不支持率がほぼ均衡する状態が続いた。結果的にそれが、オバマ政権下での議会選挙での民主党の敗北につながり、オバマ政権の選択肢を奪っていた。
 初の黒人大統領を選んだ時、既にアメリカ社会はオバマ一人の力ではどうにもならないほど、大きく分断されていた。オバマ政権の最大の功績ともいうべきオバマケアでさえ、反対派にとってはオバマ政権が許せない最大の理由になっていた。
 とかく理念主導と批判されることの多いオバマ政権だが、その実績は決して歴代の政権に見劣りするものではない。にもかかわらず、人種的マイノリティーで市民運動や人権を重んじたオバマ政権の後に、全く対称的なトランプ政権が誕生したのはなぜだったのか。
 アメリカ政治の専門家で希代のオバマウォッチャーでもある古矢旬氏とオバマ政権の8年を振り返るとともに、トランプ政権誕生に道を開くきっかけを作ったアメリカ社会の分断について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本でネット炎上が後を絶たない理由が見えてきた

(第825回 放送日 2017年01月28日 PART1:42分 PART2:42分)
ゲスト:山口真一氏(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター専任講師)

 今週のマル激のテーマはネット炎上。これまで何度か取り上げてきたテーマだが、その勢いは強まりこそすれ、弱まる気配を一向に見せていない。最近では毎日何らかのネタがどこかで炎上していると言っても過言ではなさそうだ。
 今回マル激ではネット炎上に参加している人たちの属性を調査した国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)専任講師の山口真一氏をゲストに招き、調査で明らかになったネット炎上に参加している人の性別、所得、家族構成、メディアとの関わり方、価値観などから何が見えてくるかを考えた。
 ネット炎上とは、ある人物や企業が発信した内容や行った行為について、ソーシャルメディアや掲示板などに批判的なコメントが殺到する現象のことを言う。その内容は、著名人による不倫疑惑から、様々な不正、汚職、スキャンダル、暴言、食品偽装等々、実に多岐に渡る。炎上したからこそ不正が明るみに出るような場合もあるが、多くの場合では特定の個人や企業の社会的地位を破壊したり、あまりにも多くの経済的損失を生む一方で、そもそも何が問題だったのかが議論できなくなるなど、行き過ぎた場合の弊害も大きい。
 今回の調査では多くの意外なことが明らかになった。その中でも、もっとも意外だったのは、実際に過去1年の間に炎上に参加した人はネットユーザーの0.5%に過ぎないことがわかったことだった。その瞬間は日本中が「〇×叩き」に参加しているかのように見えて、実際は炎上事案の参加者が、ネットユーザーの0.5%に過ぎなかったというのは正直驚くべきデータだった。ネットユーザーの99.5%は炎上に参加したことがないということだ。
 また、炎上に参加したことがある人のうち、多くが正義感から書き込みを行っていたこともわかった。誰かの反社会的行為や不正、暴言などを目の当たりにして、「許せない」との思いから批判的な書き込みを始めた人が、なんと炎上参加者全体の7割にものぼることがわかったという。
 山口氏の調査では、炎上に参加した人としない人を比較した時、炎上参加者には男性の方が女性より多く、若年層の方が年配者よりも多く、子供がいる人の方がいない人よりも多く、年収が高い人の方が低い人よりも多いなどの属性が浮き彫りになったという。
 さらに、炎上に参加する人はテレビの視聴時間は比較的短い一方で、ある程度の時間をかけて新聞を読み、ラジオの聴取時間も長い人が多いこともわかったという。
 要するに、比較的裕福で家庭生活も充実している上に、社会の出来事にある程度コミットしている人が、より炎上に参加する傾向があるということだが、これは何を意味しているのか。また、諸外国と比べても特に発生頻度が高いとされる日本のネット炎上と、われわれはどう向き合うべきなのか。山口氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

裁判所がおかしな判決を連発する本当の理由

(第826回 放送日 2017年02月04日 PART1:1時間4分 PART2:1時間19分)
ゲスト:瀬木比呂志氏(元裁判官・明治大学法科大学院教授)

 これまでマル激では数多くの裁判を扱ってきた。以前から首を傾げたくなるような不可解な判決は少なからずあったが、ここに来て特におかしな判決が多くなっているようだ。今、裁判所に何が起きているのか。
 元エリート裁判官の瀬木比呂志氏は、裁判官の政治へのおもねりや自身の保身を優先する裁判官の基本的な習性は以前から大きくは変わっていないが、特に近年は裁判官の劣化が激しくなっているという。
 劣化が露骨に顕れるのが、日米安保や原発のような国策を巡る裁判だ。こうした裁判では裁判所はよほどのことが無い限り国側に有利な判決を出すのが常だが、最近はそれを正当化する判決文すらまともに書けなくなっている。先の辺野古の埋め立て承認を巡り国と沖縄県の間で争われた行政訴訟でも、裁判所は沖縄県側の主張には見向きもせずに一方的に国側勝訴の判決を書いているが、その論理はあまりにもお粗末だ。以前であれば国側に勝たせるために必死でその理屈を考えたものだが、今やその能力も気概も失われてしまったように見える。
 原発判決にしても、裁判官にとっては原発の稼働を止めたり、原発政策に転換を迫ることにつながる判決を書くことが禁忌とされていることは不変なので、ほとんどが最初に結論ありきの判決になるが、そこには未曾有の原発事故などなかったかのような文言が平然と並ぶ。稀に原発を止める判決を書いた勇気ある裁判官は、相変わらず左遷されたり冷遇されるなど、大勢に従わない裁判官に対する人事面での報復もいまだに健在だ。
 裁判所の劣化の根底には、現行制度の下では裁判所に対して外部からのチェックが一切入らない仕組みになっているという問題がある。そのため裁判官たちは自分たちだけで小さな村を形成し、その中の特異な掟に沿った判断しかできなくなっている。
 とは言え、裁判所は司法の中心にあり、司法は国の根幹を成す。司法の健全化なくして、国の民主主義は正常に機能しない。裁判所に何が起きているのか。裁判所を適切に機能するために何ができるのかなどを、元裁判官の瀬木氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が考えた。

トランプ政権を操るオルタナ右翼の正体

(第827回 放送日 2017年02月11日 PART1:1時間6分 PART2:1時間7分)
ゲスト:石川敬史氏(東京理科大学基礎工学部准教授)

 今週末は安倍首相が訪米し、トランプ大統領との間で首脳会談やゴルフなどを通じて、日米同盟の緊密さを再確認したことなどが大きなニュースとなっている。国防や安全保障を全面的にアメリカに依存してきた日本、とりわけその官僚機構にとっては、就任以来、既存の秩序を物ともせずに我が道を突き進むトランプ政権の暴れっぷりを目の当たりして、狼狽するのも無理からぬことだろう。トランプ政権の人権や既存の秩序を軽視する姿勢に対して、世界の主要国首脳の大半が苦言を呈する中、日本としてはなり振り構わずトランプの懐に飛び込む以外に選択肢はないと考えての深謀遠慮なのだろう。しかし、それにしても、何が起きようともとにかくアメリカに抱きつくしかないという現在の日本状況は、日本がアメリカ依存一辺倒で来たことのリスクを露呈させる結果ともなっている。日本既定の外交路線の妥当性を再検証するいい機会なのではないか。
 さて、そのトランプ政権だが、1月20日の発足以来、衝撃的な大統領令を連発し、既存のアメリカの政策・外交路線から一気に離脱する構えを見せている。そればかりか、これまでアメリカが国際社会で担ってきた役割についても、問答無用で放棄するつもりのようだ。選挙向けの大言壮語と思われていた数々の暴論に近い選挙公約も、どうやら本気だったことがここに来て鮮明になってきている。
 しかし、それにしてもトランプ政権は一体、どのような思想や理念、政治信条に基づいて、そこまで大胆な路線変更を行っているのだろうか。大統領自身は『Make America Great Again』や『America First』などのスローガンを繰り返すばかりで、その発言からは政治理念などは一向に見えてこない。
 現在、トランプ政権の理念的支柱の役割を果たしているのが、大統領の主席戦略官兼上級顧問を務めるスティーブ・バノンだ。そして、そのバノンはオルトライト(オルタナ右翼)と呼ばれる思想の持ち主であることを自認している。
 オルトライト自体は昨年あたりから突如として表舞台に出てきた保守・右翼思想のいち流派で、NPI(National Policy Institute=国家政策研究所)なるモンタナ州の正体不明のシンクタンクを主宰するリチャード・スペンサーという人物が、自らをそう名乗ったことが端緒となっている一派だ。果たして思想と呼べるだけの理論体系が整っているかどうかも定かではないが、問題はその主張する内容が、人種、ジェンダー、宗教を問わずあらゆる差別を推奨し、白人至上主義を自認してやまないという、どう見ても危険な思想であることだ。
 今のところ大統領自身がどこまでその思想に染まっているかは不明だが、トランプ自身はこれまでどちらかというと思想や政治信条とは縁遠い人生を生きてきたと考えられているだけに、ハーバード卒、ゴールドマンサックス出身で高い知的能力を有するといわれるバノンが主導するオルトライト思想に、政権が容易に操られてしまうことが懸念されている。いや、バノンがトランプの選挙運動の責任者を務めたトランプ政権誕生の立役者だったことを考えると、トランプ政権は少なくとも政策面では、発足前からオルトライトに牛耳られていたと考える方が自然だろう。
 実際、トランプは当選後の最初の人事でバノンの主席戦略官兼上級顧問への就任を発表しているし、政権発足直後には、政権の安全保障政策を企画、立案する最高意思決定機関の国家安全保障会議(NSC)の常任委員にバノンを昇格させると同時に、軍関係者を同会議から降格させるなど、バノンの重用ぶりを隠そうともしていない。
 オルトライトとはどのような思想なのか。それはアメリカ、そして世界をどこに導こうとしているのか。アメリカ思想史に詳しい石川敬史氏とともに、アメリカの建国以来の政治思想の流れを再確認した上で、今オルトライトなる思想が前面に出てきた背景を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が探った。

何があっても日本はアメリカについていくしかないのか

(第828回 放送日2017年02月18日 PART1:50分 PART2:41分)
ゲスト:松竹伸幸氏(自衛隊を活かす会事務局長)

 先週末の安倍首相の訪米は、トランプ大統領と安倍首相の間の親密ぶりを世界に見せつけることで、問題山積で国内的にも国際的にも孤立状態にあったトランプ大統領を、一時的とは言え窮状から救う結果となった。しかし、それは日米の同盟関係の強固さと同時に、異様にさえ見える日本のアメリカ一辺倒の外交姿勢を世界に強く印象づけた。
 中国や北朝鮮など東アジア周辺に安全保障上の不安を抱える現在の日本にとって、アメリカとの同盟関係の重要さは論を俟たない。しかし、それにしても今のアメリカはトランプ大統領の誕生によって、建国以来守ってきたこれまでの基本的な価値を根本から転換しかねない大きな変革期を迎えているようにも見える。今後アメリカがどうなっても日本はどこまでもアメリカに無条件でついていくことが、本当に日本の国益に適うのかどうかは、そろそろ真剣に議論を始めるべき時期に来ているのではないか。
 新刊「対米従属の謎」の著者で、防衛庁OBで国際地政学研究所理事長の柳澤協二氏や伊勢崎賢治東京外大教授、加藤朗桜美林大学教授らと立ち上げた「自衛隊を活かす会」の事務局長を務める松竹伸幸氏は、世界でも他に例をみない日本のアメリカへの過度の従属ぶりは、第二次世界大戦後のアメリカ進駐軍による日本統治の形態の特異性に端を発すると指摘する。
 日本と同様、戦争に負け、外国政府の統治下に置かれたドイツが、地政学的な理由や歴史的な経緯から常に戦勝4か国の共同統治だったのに対し、日本は専らアメリカ一国の支配下に置かれた。GHQによる日本の占領期間もドイツより長く、占領終了後はドイツがNATOの集団安全保障体制下に置かれたのに対し、日本はほぼ自動的にアメリカの対ソ戦略の中に組み込まれる形で日米安保体制へと移行していった。戦後70余年が経った今も、その流れは基本的には変わっていない。
 それにしても今なお日本が対米従属を続ける背景には、他の選択肢も考慮に入れた上で、対米従属が最も得策との判断に基づいているのだろうか。70年もの間アメリカ追従が大前提の体制下に置かれた結果、単なる思考停止に陥ってはいないか。今後、アメリカという国が大きく変質しても、日本はもっぱらそのアメリカについていくのが本当に得策なのか。プランB(他の選択肢)を用意しておかなくていいのか。
 トランプの誕生でアメリカが大きな変革期を迎え、アメリカ一辺倒できた日本もこれまでの安全保障政策を再考せざるを得なくなった今、改めてアメリカ追従の是非を考えた上で、何が日本の自立を阻んでいるのか、日本の外交・安全保障の基本的なスタンスはどうあるべきかなどを、松竹氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

アメ車が日本で売れないワケ

(第829回 放送日 2017年02月25日 PART1:45分 PART2:44分)
ゲスト:国沢光宏氏(モータージャーナリスト)

 「アメリカでは日本車が山ほど走っているのに、東京でシボレーを見たことがない」
 選挙戦当初から日本に対してこのような発言を繰り返してきたトランプ大統領が、1月23日の財界人との会合であらためて日本の自動車市場の閉鎖性をやり玉にあげたことで、日本では日米自動車摩擦の再燃が懸念される事態となっている。
 日本の政府や経済界は、日本は輸入自動車に関税をかけていないことなどを理由に、日本の自動車市場は完全に開放されており、アメ車が売れないのは日本側の問題ではないと主張している。
 しかし、日本の自動車市場は本当に開放されているのだろうか。だとするとなぜ日本でアメ車は売れないのだろうか。これはアメリカ側だけの問題なのか。
 モータージャーナリストの国沢光宏氏はアメリカ側にも問題は多いが、日本側にも問題はあると指摘する。
 特に国沢氏は、日本の大排気量の自動車に対する懲罰的な課税が非関税障壁となり、アメ車の普及の足枷になっていると語る。もともとこの制度は、日本の自動車産業がまだ十分に成熟していない時代に、国内の自動車産業を守り育成するために、アメリカ車の輸入を制限する目的で導入されたものだったが、その制度はパワフルな大排気量が魅力のアメ車の立場を不利にしていると国沢氏は指摘する。
 実際、日本の自動車は現地生産分も含めるとアメリカの自動車市場全体の37%を占める一方で、アメリカ車は日本市場のシェアは0.3%にも満たないという有様だ。しかも、アメリカの自動車市場は外国車が55%のシェアを持つのに対し、日本の輸入車のシェアは6%に過ぎない。「日本でアメ車は売れていないがドイツ車は売れているではないか」と指摘する向きもあるようだが、それもあくまで程度問題で、実際のところ日本の自動車市場における輸入車のシェアはアメリカのそれとは比べものにならないほど小さい。これだけを見ると、日本の自動車市場が無条件にオープンとは言いにくい根拠もあるようだ。
 確かに日本の自動車メーカーが米国の消費者の嗜好に合うようにデザインや性能を改良するなど、涙ぐましい営業努力を続けてきた一方で、アメリカの自動車メーカーは日本で本気で車を売ろうとしているようには見えないところも多分にある。
 しかし、その一方で、実際は上記の税制の他にも、アメ車を日本に持ってこようとすると、日本独自の安全基準や環境基準に適合させるために大きなコストがかかってしまうなど、様々な障壁が残っていることも事実だ。そうした制度を残したままでは痛くない腹を探られ、結果的に数値目標などの無理難題を押し付けられるのがオチだ。特にトランプ大統領との親密ぶりを隠さない安倍政権としては、トランプ政権からの求めはそう簡単にノーとはいえそうにない。
 アメ車が日本で売れないのはなぜか。日米間では車に対する考え方にどのような違いがあるのか。国沢氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

東日本大震災6年後もなお山積する課題

(第830回 放送日 2017年03月04日 PART1:37分 PART2:35分)
ゲスト:室崎益輝氏(神戸大学名誉教授)

 マル激では震災から6年目を迎える3月4日、11日に、2週続けて東日本大震災と福島第一原発事故をテーマに番組をお送りする。
 1回目は日本災害復興学会の初代会長を務めた室崎益輝・神戸大学名誉教授に、復興の現状課題を聞いた。
 マル激では東日本大震災からの復興の成否が、今の日本の民主主義国家としての実力のバロメーターになると指摘してきた。 そして震災から6年。政府は復興は順調に進んでいると主張するが、実際は多くの課題が残されたままだ。
 いまだに10万人近い被災者が、仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らすことを余儀なくされている。大規模な堤防の建設や高台への移転などに遅れが生じているからだ。原発事故の影響で強制的に避難させられた人々の帰還も進んでいない。去年、避難指示が解除された市町村でも、帰還した人の割合は葛尾村で8.0%、南相馬市小高区が13.6%と、帰還が順調に進んでいるとは言い難い状況だ。
 阪神大震災の被災者でもあり、防災の専門家でもある室崎氏は、復興を考える際に大事な視点として、4つの「生」を指摘する。「生命」、「生活」、「生業」、「生態」の4つである。
 その観点から見た時に、復興は順調と言えるのだろうか。震災直後、一刻も早い復興を目指そうと、しきりとスピード感が強調されたが、逆にそれが復興の足をひっぱったかもしれないと室崎氏は話す。4つの「生」を実現するためには、移転や工事などを拙速に進めるだけでなく、どんな町作りを目指すべきかを行政と住民がじっくりと議論し、考える時間が必要だったのではないかというのだ。
 その土地で暮らし、生業を営み、自然の恩恵を受けながら暮らしてきた人たちが、元の生活に戻れた時、初めて復興は成就する。4つの「生」のどれかが欠けたままでは、真の復興とはならない。
 無論、最初から理想的状況はそう簡単には実現しないだろう。しかし、順調か失敗の二項対立ではなく、復興を息の長いプロセスと捉え、理想に近づけていくために今からでもできることは何かを考え、少しずつでも状況を改善していく姿勢が、真の復興には不可欠となる。
 これは東北だけの問題ではない。日本全体の問題であり、日本の民主主義の質が問われる問題でもある。月日が経つにつれ、われわれは被災地の惨状を見て見ぬふりをして、切り捨てるつもりなのだろうか。震災から6年、復興の現状と課題について、室崎氏とともに社会学者・宮台真司とジャーナリスト迫田朋子が議論した。

 

vol.81(811~820回収録)

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ロドリゴ・ドゥテルテとは何者なのか

(第811回 放送日 2016年10月22日 PART1:46分 PART2:52分)
ゲスト:日下渉氏(名古屋大学大学院国際開発研究科准教授)

 フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が、10月25日から、国賓として日本にやってくる。安倍首相との首脳会談に加え、天皇陛下との会見も予定されているという。
 日本に先立ち中国を訪問したドゥテルテは、中国の首脳らを前に唐突に、「フィリピンはアメリカと決別する」と宣言をするなど、突如として中国寄りの姿勢を鮮明に打ち出している。日本の安全保障にも影響を及ぼす事態だけに、首脳会談に臨む安倍首相の外交手腕の真価が問われる。
 しかし、それにしてもこのロドリゴ・ドゥテルテという政治家は一体何者なのか。
 今年6月の大統領就任から、僅か4か月の間に3500人もの麻薬犯罪の容疑者を裁判にかけることなく処刑したかと思えば、強姦やジャーナリストの殺害を容認する発言を繰り返す。かと思えば、フィリピンの人権状況に懸念を表明したアメリカのオバマ大統領を、「Go to hell(地獄へ堕ちろ)」だの「Son of a bitch(畜生野郎)」などとこき下ろし、予定されていた首脳会談をキャンセルされると、今度はアメリカを袖にして中国に付くと言い出す。とにかく、やりたい放題、言いたい放題なのだ。
 ところがそのドゥテルテのフィリピン国内の支持率が、なんと9割にも達するのだという。
 フィリピン研究が専門で名古屋大学大学院国際開発研究科准教授の日下渉氏は、この「ドゥテルテ現象」を、発展途上国にありがちな、必ずしも情報を十分に得ていない貧しい国民が、バラマキによって貧者・弱者の味方を自称するポピュリストに熱狂している一過性のものと考えるのは間違いだと指摘する。
 それはドゥテルテが、フィリピン国民に対して痛みの伴う政策の実施を公言する一方で、麻薬や汚職が蔓延して機能不全に陥っているフィリピン社会の「規律」の回復を標榜すると同時に、社会の基盤を成す「家父長の道徳と秩序」の再興を訴えているところにヒントがあると日下氏は言う。
 毎年7%前後の順調な経済成長を続けてきた結果、安定した中間層が形成されるようになり、フィリピンという国は途上国モデルから新興国モデルに変貌しつつある。しかし、麻薬や汚職に浸食された脆弱な社会インフラは、相変わらず途上国の時のままだ。フィリピン国民の多くが、目先のバラマキによって得られる快楽よりも、規律や社会の秩序が回復されることによる長期的な安定を優先し始めた。そのタイミングにその期待を担って登場したのが、ドゥテルテというキャラの立った稀有な魅力を持った政治家だった。
 暴言を繰り返すドゥテルテの下を熱狂的に支持するフィリピンに今、何が起きているのか。ドゥテルテ現象とアメリカのトランプ現象に共通点はあるのか。ドゥテルテ来日を前に、日下氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

亀井静香が政治生命を賭してまで死刑の廃止を訴え続ける理由

(第812回 放送日 2016年10月29日 PART1:51分 PART2:51分)
ゲスト:亀井静香氏(衆議院議員)

 先進国の中で死刑制度を維持している国は、もはや日本とアメリカくらいしか残っていないし、日本の死刑制度は国連や国際人権団体などからも、繰り返し批判を受けている。しかし、日本では死刑制度は依然として8割もの高い国民の支持を受けている。
 2016年10月7日、日本弁護士連合会が2020年までに死刑制度の廃止を目指す宣言を行った。しかし、宣言の採択に対して、日弁連の中からも反対意見があがり、期せずしてこの問題の難しさが浮き彫りになった。
 世論調査などを見る限り、国民は圧倒的に死刑制度を支持しているが、そうした中にあって、死刑制度の廃止に政治生命を賭けると公言して憚らないベテラン政治家がいる。他ならぬ亀井静香衆議院議員だ。
 国会内に設けられた超党派の死刑廃止を推進する議員連盟の会長を発足時より務めるなど、一貫して死刑の廃止を訴えてきた亀井氏は、死刑存置派が、凶悪犯罪の犠牲になった被害者や遺族の感情の回復の必要性を主張しているのに対し、人を殺す以外の方法で感情の回復を図る方法を探るべきだと語る。犯人を殺すことだけが、感情の回復を図る方法とは限らないのではないかというのが亀井氏の考えだ。
 また、亀井氏は警察官僚時代の自らの経験を元に、現在の刑事制度の下では冤罪が避けられないことも、死刑に反対する理由にあげる。長期間、外部から遮断された被疑者は「拘禁ノイローゼ」状態に陥り、取り調べ官に誘導されて虚偽の供述をしてしまう場合がある。しかし、後に冤罪の疑いが表面化しても、被疑者が処刑されてしまえば、もはや取り返しがつかないと亀井氏は言う。
 確かに、死刑については終身刑の導入の是非を含め、議論しなければならない論点は多いが、亀井氏の主張にじっくりと耳を傾けると、氏の主張が死刑にとどまらず、伝統的な真正の保守政治家のそれであることに気づかされる。
 国民新党代表として民主党政権で連立を組んでいた亀井氏は、連立を離脱してまで消費税増税に強く反対している。低所得層により重い負担を強いることになる消費増税には今も反対だ。地方へ富を再配分する公共事業とそれを支える国債の発行は支持する一方で、日本の農業を破壊するTPPや原発、外国人参政権、そして集団的自衛権の行使を可能にする憲法9条の改正には強く反対している。また、取り調べの全面可視化や、夫婦別姓、天皇の生前退位は絶対に認められないという立場を取る。
 政治学では政治的立場を分類する際に、経済軸と社会軸もしくは政治軸で4事象に分けて分類する場合が多いが、亀井氏は経済的にも社会的にも保守の立場を貫いているという点で、今日絶滅危惧種になりつつある真正の保守政治家と言えるだろう。
 逆の見方をすると、今日の保守政治家の多くは政治的・社会的には保守的立場をとっていても、経済的には市場原理を重視する新自由主義的な立場の政治家が多い。亀井氏はこの「新自由主義」を厳しく批判して止まない。
 被害者感情に理解を示しつつも死刑制度の廃止を強く訴える亀井氏に、自身の政治的信条や安倍政権に対する評価、野党連携の見通しなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

貧困問題の根っこにある老人の貧困という難題

(第813回 放送日 2016年11月05日 PART1:51分 PART2:50分)
ゲスト:藤田孝典氏(NPO法人ホットプラス代表理事)

 若者の貧困や子供の貧困が取り沙汰される時、決まって「悠々自適な年金生活を送る老人たちが、社会保障財源を食いつぶしている」ことにその原因の一端があると指摘されることが多い。
 しかし、現実には老人の貧困が、深刻の度合いを増しているという。
 今日本の65歳以上の人口は約3400万人。少なくともその2割に当たる約700万人が、生活保護水準以下の貧困状態にあるという。貧困老人の数は実際は1000万を超えるとの推計もある。
 生活保護基準は首都圏では1か月あたりの収入が概ね13万円以下を意味するが、国民年金からは満額でも6万5000円程度しか支給されないため、老後を国民年金のみに依存する独り暮らしの老人の多くが、この所得水準がクリアできていないのだという。
 昨年、著書「下流老人」を著わしたNPO法人ホットプラス代表理事の藤田孝典氏は「下流老人」に共通する条件として3つの「ない」が存在すると指摘する。それは「収入が少ない」「貯蓄がない」「つながりがない」の3つの「ない」だ。
 年金のみに依存している老人の多くは収入が少なく、貯蓄を削って生活するしかない。しかし、平均寿命が男女ともに80歳を超える今日、貯蓄はいずれ底を突くことは目に見えている。しかも貧困老人の多くは、家族や地域とのつながりを失って孤立している場合が多いという。
 埼玉県で困窮支援のNPOを運営する藤田氏の下にも、毎年500人を超える人々が貧困の相談に訪れるが、その約半数が高齢者だという。
 老人が貧困に陥る原因は様々だが、中には現役時代に大企業に勤務し、十分な蓄えと年金がありながら、自身の病気や子供の引きこもりなど、想定外の原因で貧困に陥るケースも少なくないという。その意味で、いつ誰が「下流老人」に陥ってもおかしくないのだと藤田氏は言う。
 また、高齢者の中には所得が生活保護以下の水準にありながら、生活保護だけは受けたくないという人が多いと藤田氏は言う。生活保護を受けている事実を親類に知られたくないことを理由にする人も多いが、生活保護を受けることを無条件で否定的に捉える傾向も、老人ほど強いのだという。そのため藤田氏のNPOを訪れる老人の多くは、既に健康を害していたり住むところも失うなど、もうどうにもならない状態になった人が多いのだと言う。
 「もう少し早い段階で来てくれれば、他に選択肢もあるのですが」という藤田氏は、相談に来た人をまず、藤田氏の団体が運営するシェルターに入れ、生活保護の申請を手伝うところから始めなければならない場合が多いと語る。
 これまで日本は社会保障の多くを、退職金や企業年金、社宅といった企業の福利厚生や、家族の相互扶助に依存してきた。そのセーフティネットが破れた今日、公的社会保障の弱さのツケが多くの高齢者に回ってきている。しかし、高齢者の貧困が手当てされなければ、高齢者から若年層への所得移転も実現しない。結果的に若者や子供の貧困も解決されないという意味で、老人の貧困はすべての貧困問題の根っこに横たわる問題となっている。
 既に貧困に喘ぐ高齢者に対しては、住宅や医療、介護などの付加的な社会保障が不可欠だ。しかし、社会保障を持続可能なものにするためには、高齢者が簡単に貧困に陥ることがないような制度設計が必要だ。それはちょうど、健康を維持するためのコストの方が、病気になった場合の医療コストよりも遥かに安あがりなのと同様に、貧困を放置すればするほど、社会の負担がより大きくなることが、さまざまな調査で明らかになっているからだ。
 藤田氏は「日本人の多くが、困っている人を見ても助ける必要性を感じなくなっている」ところに、貧困対策が進まない原因があるのではないかと指摘するが、実際、この問題は根深く、その解決も容易ではなさそうだ。
 自らが主宰するNPOで日夜、生活困窮者を支援する活動に従事している藤田氏に、深刻化する高齢者の貧困の実態と解決のための可能性を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

トランプ政権への期待とリスク

(第814回 放送日 2016年11月12日 PART1:1時間3分 PART2:56分)
ゲスト:西山隆行氏(成蹊大学法学部教授)

 大方の予想を裏切ってドナルド・トランプが2016年のアメリカ大統領選挙を制した。
 公職経験も軍歴も皆無の、まったくのワシントンのアウトサイダーであり政治の素人でもある大穴の候補が、これ以上ないというほどワシントンでの華々しい経歴を誇る大本命のヒラリー・クリントンを破っての、まさかの勝利だった。
 これまで暴言を繰り返してきた異色の候補の勝利には、ことごとく予想が外れたアメリカの専門家たちもさることながら、世界中が驚きをもって受け止めている。何かとてつもない大変化がアメリカを襲おうとしているとの指摘は後を絶たない。
 確かに、トランプ政権がアメリカをどう変えるかについては今のところまったくの未知数であり、リスク要因も多い。しかし、選挙の結果を見る限り、アメリカに大きな地殻変動が起きたというよりも、クリントンの明確な戦略ミスがトランプの当選を許したという側面が大きいと言わざるを得ない。今回の選挙ではオバマが勝利した前回の選挙と比べた時、実際に動いたのはほんの一部の、しかし鍵となる州の、ごく僅かな票に過ぎなかったからだ。
 クリントンが一般投票の総数ではトランプを上回る票を得ながら、選挙人の獲得数で大きく差をつけられた最大の原因は、これまで伝統的に民主党が押さえてきた人口の多い、よって選挙人の割り当ても比較的多い「ラストベルト」の諸州をことごとく落としたことに尽きる。現職で民主党のオバマが共和党のロムニーに勝利した2012年の大統領選の結果と比べても、それは明らかだ。今回、クリントンは伝統的な民主党の票田であり2008、2012年とオバマが押さえたウイスコンシン(選挙人10人)ミシガン(16人)、ペンシルバニア(20人)の3州をいずれも僅差で落としている。勝負に「たられば」は禁物と言われるが、この3州を普通に押さえていれば、仮にフロリダ(29人)とオハイオ(18人)を落としても、ヒラリーは楽に勝っていた。
 とは言え、クリントン陣営がなぜラストベルトの有権者の動向を見誤ったかについては、マイケル・ムーアが指摘するような「没落したアメリカ中間層の怒り」の激しさを過少評価していたことは明らかだ。かつて鉄鋼業や自動車産業が栄え、それが廃れた後、鉄が錆付いたことを意味するラスト(錆)ベルト(地帯)と名付けられた中西部の五大湖周辺地域では、かつて世界が羨む豊かさを享受する中間層を形成してきた労働者たちが、工場の海外移転と外国からの安い製品の流入とで、塗炭の苦しみを味わっているとムーアは指摘する。その怒りは、これまで彼らの苦境を放置してきたワシントンの既存の政治体制に向けられ、クリントンはその象徴のような存在になっていた。本来は伝統的な民主党支持者である彼らの不安や不満を汲み上げられなかったクリントン陣営の戦略ミスが、結局は命取りになった。
 一方、トランプはそんなクリントンの戦略ミスを尻目に、見事な選挙戦を戦い抜いた。すべてが戦略的な意図に基づくものではなかったかもしれないが、数々の暴言や下半身にまつわるスキャンダルなどメディアが泣いて喜びそうなネタをコンスタントに提供することで、メディアのエアタイム(放送時間=露出)を確保し、有権者の注目を自分だけに集中させつつ、党の予備選で左派のバーニー・サンダースの攻勢に晒されたクリントンが左に引っ張られることで、大きく空いた中間層に訴える政策をしっかりと用意するなど、一見粗野に見える言動や行動とは対照的とも言える緻密な選挙戦を展開した。
 前例の無い新しいタイプの大統領となるトランプが、既成の常識にとらわれない破壊力で、閉塞状態に陥ったワシントンの政治を根っこから変えてくれるかもしれないという期待がある一方で、すべてが未知数のトランプ政権にはリスクも大きい。過去に公職に就いた経験が皆無のトランプだ。誰が閣僚になるかによってトランプ政権の方向性は大きく左右されそうだが、全くのワシントンアウトサイダーであり政治のアウトサイダーでもあるトランプ政権では、今のところ誰が閣僚になるかさえ全く予想がつかない状態だ。
 また、仮にそれが注目を集めるための戦略だったとしても、選挙戦でトランプが煽ってきた差別や偏見は一旦火が点けばそう簡単には収まらない。今後、これがアメリカ社会にどのような影を落としていくことになるかについては、注意が必要だろう。
 しかし、数あるトランプリスクの中でも、トランプ政権下のアメリカでもっとも大きな影響を受ける可能性があるのは移民政策になるだろうと、アメリカの移民政策に詳しい西山隆行成蹊大学教授は指摘する。選挙戦でトランプは、移民によってアメリカの職が奪われているとして、メキシコ国境に万里の長城を建てると公言した。また、イスラム教信者の入国を禁止するとも公言している。そもそもトランプを支持したプアホワイトと呼ばれる白人の低所得層は、アメリカにおける白人の割合がヒスパニックやアジア系に押され少数派に転落することに危機感を抱いている人々だ。
 彼らの不安や不満に訴えることで当選を果たしたトランプ政権は移民政策に何らかの変更を加えないわけにはいかない。これは先進国が軒並み少子化と人口減少に見舞われる中で、移民を受け入れることで経済的な力を維持してきたアメリカという国の性格、ひいては国のあり方を根本から変える可能性があると西山氏は言う。
 トランプはなぜ勝てたのか。トランプ政権はどのような政権になるのか。トランプの下でアメリカは移民国家の旗を下ろすのか。西山氏とともに、大統領選挙の結果とトランプの公約を検証しつつ、今後のアメリカの方向性をジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ドナルド・トランプという男

(第815回 放送日 2016年11月19日 PART1:1時間4分 PART2:40分)
ゲスト:佐藤伸行氏(追手門学院大学経済学部教授)

 世界の目がたった一人の男に注がれている。
 ドナルド・J・トランプ。この男は果たして希代の戦略家なのか、はたまた単なるナルシストの山師なのか。
 大方の予想に反してドナルド・トランプの勝利に終わった大統領選挙から一週間が過ぎ、目下、世界は選挙戦中にトランプが語った数々の暴論に満ちた政策を本気が実行するかどうかを見極めようと、彼の一挙手一投足を固唾をのんで見守っているようだ。
 トランプ政権下でメキシコ国境の壁の建設をはじめ、イスラム教徒の入国禁止などの移民政策の変更、同盟国に対する防衛負担の増額要求、保護主義の復活などの政策が実際に実行されれば、世界に大きな影響を与えることは必至だからだ。
 目下、世界はトランプ政権の閣僚人事に注目しているようだ。それがトランプ政権の政策を占う上で重大なヒントを与えてくれると思われるからだ。
 しかし、もう一つトランプ政権の行く末を占う上で重要な示唆を与える視点がある。それがドナルド・トランプという人間、そしてその一族の出自や彼自身の生い立ちなどを知ることだ。
 そこで今週のマル激では近著『ドナルド・トランプ 劇画化するアメリカと世界の悪夢』でトランプの出自を詳しく紹介した追手門学院大学経済学部の佐藤伸行教授に、トランプの人物像について聞いた。
 大統領候補としては移民に対する厳しいスタンスを見せたトランプだが、実は彼自身が父方では移民3世、母方では移民2世にあたる。父方は祖父がドイツの貧農の出で、ゴールドラッシュに沸く19世紀後半のアメリカにその他大勢のドイツ移民の一人としてニューヨークに移民してきた理髪師のフリードリッヒが、アメリカに於けるトランプ家の1代目に当たる。母方はスコットランドから移民してきたメアリーがトランプの実母だ。
 アメリカ到着後、ドイツ名のフリードリッヒをアメリカ風のフレデリックに変え、床屋で生計を立てていたトランプの祖父は、ゴールドラッシュの最中、ご多分に漏れず、一攫千金を夢見て西海岸に渡り、ホテル業で一代にして財を成す。そして、ゴールドラッシュが終わると、ニューヨークに引き上げてきたが、当時流行りのスペイン風邪のために49歳の若さで他界している。
 後を継いだトランプの父親のフレッドは、ニューヨークをベースに当時人口が急増していたクイーンズ地区に庶民のための低価格の住宅を供給する手堅い建設業を営み、一定の財を成した。しかし、トランプ自身は父親のような地道な事業を嫌い、大規模な開発プロジェクトや著名なホテルやビルの建設に邁進し成功を収める。とはいえ、その成功の陰には物心両面で父親からの強い援助があったという。
 地道な商売で財を成したトランプの父は、ドイツ系の伝統を踏襲し、トランプを厳しくしつけた。当初ニューヨーク市内の地元の中学に通っていたトランプが学校で問題を起こすと、父はニューヨークの郊外にある規律の厳しいことで知られる全寮制のミリタリー・アカデミーにトランプを送り込んでいる。今もトランプの言動やノリに時折顔を見せるやや暴力的な側面は、生徒を力や暴力で抑え込むミリタリー・アカデミー時代に培われたものではないかと、佐藤氏は指摘する。
 ミリタリー・アカデミーを卒業後、当初ニューヨークの地元のフォーダム大学に通ったトランプは、大学3年時にアイビーリーグの名門ペンシルベニア大学のウォートン校に編入する。ところが、トランプの大学時代のエピソードというものが、ほとんど出てこない。アメリカでも多くのジャーナリストが取材を試みたが、大学時代のトランプを知る人がほとんど見つからないというのだ。トランプ自身は大学時代は父親の仕事を手伝っていたので忙しかったと説明しているそうだ。
 不動産事業者としては、1973年のマンハッタンの鉄道操作場跡地の再開発プロジェクトの成功を皮切りに、1980年のグランドハイヤット・ホテルの改築、そして1983年に5番街に立てたトランプタワーなどでニューヨークの大型プロジェクトで次々と成功を収め、時の人に登りつめていく。しかし、不動産業以外で手を出した数多くのビジネスではことごとく失敗しているのも、ビジネスマンとしてのトランプの大きな特徴の一つだ。手を出しながら破産したり、数年のうちに撤退を余儀なくされたビジネスは、カジノやリゾート開発からトランプ・エアライン(航空)、トランプ大学、トランプ・ウオッカ(酒)、トランプ・ステーキ(食品)、トランプ・アイス(氷)、NJゼネラルズ(プロフットボール)と実に多岐に渡る。不動産で大儲けした分の相当部分を他のビジネスの失敗で擂っているという感じだ。それでも不動産事業成功の儲けは莫大なようで、フォーブス誌などによると、現在の保有資産は日本円にして数千億はくだらないだろうという。
 トランプの政治スタイルについて佐藤氏は、意識的に劇画の主人公を演じているのではないかと言う。常に鏡を見ながら仕事をするナルシストの顔を持つトランプが、意識的にレーガン元大統領を模倣していることはよく知られている。選挙スローガンのMake America Great Againもほぼ丸ごとレーガンのパクリだ。
 元俳優のレーガンも大統領選挙への出馬当初はメディアからことごとく馬鹿にされていた。しかし、いざ大統領になると強いリーダーシップを発揮し、歴史に残る名大統領になっている。
 果たしてトランプがレーガンのように大化けする可能性はあるのか。それとも、大統領就任後も誇大妄想のナルシストぶりを発揮し、アメリカのみならず世界を大混乱に陥れることになるのか。トランプの家系や生い立ちに詳しい佐藤氏と、トランプの人物像とトランプ政権の行方について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

何とかして自衛隊に銃を撃たせたい人たちがいるようだ

(第816回 放送日 2016年11月26日 PART1:59分 PART2:53分)
ゲスト:伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院教授)

 自衛隊員たちは一体何のためにこれだけのリスクを負わされているのだろう。
 政府は11月15日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊に新たに「駆け付け警護」任務を加えることを閣議決定し、20日には部隊の先発隊が、青森空港を出発した。
 内戦など政情が不安定な国での国連平和維持軍(PKF)に参加した日本の自衛隊が、派遣先の近くで国連職員やNGOのスタッフが武装勢力によって危険な状態に陥った時、必要となる武力を行使した上でこれを救出するための権限を与えるのが、いわゆる「駆け付け警護」と呼ばれるものだ。
 たまたま困った民間人の近くに武装した自衛隊がいるのだから、助けるのは当然だと政府は説明しているが、紛争国の実情に詳しい東京外語大の伊勢崎賢治教授は、それは現在の国連PKOの実態をあまりにも知らない人の議論だと指摘する。
 かつて国連PKOはその名の通り、内戦や政情不安に喘ぐ国々が平和を維持するための手助けをすることだった。しかし、現在の国連PKOは住民の保護が主な任務となっている。民族間対立に発展した1994年のルワンダ内戦で、国連から平和維持軍(PKF)が派遣されていたにもかかわらず、武力を行使する権限を与えられていなかったために何もできないまま、80万からの市民が虐殺されるという悲劇が起きた。国連PKFの部隊は自分たちが撤退すれば80万ものツチ族の市民が対立するフツ族の民兵らによって皆殺しにされることを知りながら、これを見殺しにして撤退した。その時のPKFには武力行使の権限が与えられていなかったため、撤退せざるを得なかったのだ。
 その「見殺し行為」がその後、国際社会から強い批判を浴び、以来、国連PKOは武力を行使してでも住民を保護することが優先的なミッションと位置づけられるようになったと伊勢崎氏は言う。少なくとも今のPKOが負っている任務は、紛争地域には行かないことなどを定めた日本政府のPKO参加5原則の時代とは、大きく様変わりし、住民保護のためであれば武力を行使して紛争の当事者となることも辞さないという立場を取るようになった。
 そもそも憲法上の制約から、国内的には軍隊とは認められていない自衛隊が国連PKOに参加すること自体に、もともと無理があったが、国連PKOのミッションが停戦や平和維持から住民保護にシフトした今、その矛盾はこれまでになく大きなものになっている。
 国際貢献は重要だが、法的に軍隊として認められていない以上、武力行使には厳しい制約が課されることになる。結果的に日本のPKOはできる限り安全で治安の良い地域に施設部隊を送り、道路や橋を建設したり井戸を掘ったりする兵站に専念するしかない。それがこれまでの日本の国連PKOの実態だった。
 その間、自衛隊自身も武器の使用に対して強い規律を守ってきたために、これまで日本の自衛隊は武力衝突に巻き込まれずに済んできた。巻き込まれるのが怖いのではなく、巻き込まれたときに自衛隊の隊員たちを守るための法的な枠組みが日本には用意されていないのだ。万が一武力衝突に巻き込まれた時、自衛隊が武力を使って相手を殲滅すれば、憲法に違反する行為が行われたことになり、法的にも深刻な問題が生じる。しかし、その一方で、武力の使用を躊躇することで自衛隊員が殺傷されるようなことになれば、たちまち日本国内では、「憲法の制約があったから自衛隊員は殺された。二度とこんな不幸なことが起きないよう、憲法の制約を取り除くべきだ」という議論が沸騰することになるだろう。
 結局、日本が合法的に国連PKOに参加するためには、憲法を改正して自衛隊を正規の軍隊として認定するか、国連PKF(国連平和維持軍)への参加はあきらめ、国連文民警察、国連軍事監視団など他の分野の国連PKOに参加するかの、いずれかしかない。
 しかし、歴代政権はその無理筋を、何とかして自衛隊が武力を行使しないで済む状態を死守し、自衛隊員にも犠牲が出ないような綱渡りを繰り返すことで、何とか日本のPKFへの参加を続けてきた。
 これに対して従前より伊勢崎氏は、「撃ちにくい銃」を持たされている日本の自衛隊は、何らかの武力衝突に巻き込まれた場合のリスクが大きすぎるとして、日本のPKO参加のあり方を批判してきた。
 しかし、今回「駆け付け警護」なる新たな任務を与えられたことで、「撃ちにくい銃」が、少なくともこれまでよりは「撃ちやすく」なることを伊勢崎氏は懸念していると言う。
 武装した相手に一発でも発砲すれば、当然相手も発砲してくるので、交戦状態になる。そのような事態になれば、自衛隊員に死傷者が出なかったとしても、これまでの「自衛隊は軍隊ではない」という前提が崩れることは必至だ。撃たなければ自衛隊員に死傷者が出る可能性が増し、撃てば憲法上の問題が生じる。
 伊勢崎氏は今回の「駆け付け警護」について、建前では「国際貢献」を謳いながら、本当の意図は自衛隊が元々抱えていた問題をより顕在化しやすくするという、隠れた目的があるのではないかと訝る。
 実際、防衛省は駆け付け警護の権限が付与されることで、現在南スーダンに派遣されている自衛隊の警備小隊が、国連PKFの指揮官から歩兵部隊同然に扱われることを恐れ、部隊の引き上げを検討していたことが、毎日新聞のスクープで明らかになっている。国際貢献の美名のもとで着々と進む、憲法改正へ向けた政治ゲームが生み出すリスクのすべてを抱え込むことになるのが自衛隊であることを、当事者となる防衛省は嫌というほど知っているのだ。
 国連PKOの現場を知る伊勢崎氏も、何かの事故が起きるのは時間の問題だと言う。伊勢崎氏自身は新憲法9条を提唱するなど、自身も憲法改正には前向きだが、とは言え、事故で世論が沸騰し、その勢いで憲法改正議論に突入するような、そんな憲法改正は嫌だと言う。
 新たに付与された駆け付け警護任務によって自衛隊が抱えることになるリスクと、自衛隊員の銃をより撃ちやすくしたい人たちの狙いなどを、伊勢崎氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

美濃加茂の逆転有罪判決と米大統領選再集計問題を掘り下げる

(第817回 放送日 2016年12月3日 PART1:1時間8分 PART2:52分
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部教授)

 今週はその週のニュースを深掘りするニュースマル激。
 今週のテーマは、(1)美濃加茂市長収賄事件の逆転有罪判決の疑問点とその影響、(2)保守派ほど天皇陛下の生前退位に反対する理由、(3)米大統領選挙・ウィスコンシン州の再集計が露わにする電子投票の問題点の3つのニュースを、憲法学者の木村草太氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が掘り下げた。
 美濃加茂市長収賄事件は、大方の予想に反して藤井浩人市長に逆転有罪の判決が下った。判決自体も多くの疑問が残るものだったが、より深刻なのがその影響だ。
 市民からの声を吸い上げ、それを実現すべく尽力した政治家が、後にその市民から「カネを渡した」と一方的に言われ、贈賄罪に問われたのがこの事件だった。実際、藤井氏は名古屋の会社社長から災害時に学校のプールに貯めた水を浄化して生活用水に利用することを可能にする浄水システムを紹介され、もともと震災対策に強い関心を持っていたことから、その導入のために尽力していた。後にその社長が別の詐欺事件で逮捕され、警察との取り調べの中で一方的に「藤井にカネを渡した」と証言したために、藤井氏は現職の市長のまま逮捕されていた。
 この裁判では、藤井氏が会社社長から現金を受け取っていたことを裏付ける物証は何も出ていないため、カネを渡したという会社社長の言い分と、もらっていないという藤井氏側の言い分のどちらがより信用できるかが、唯一の争点となった。
 これが有罪になるようでは、政治家は業者や市民からの提案を受け、その実現のために積極的に動くことが大変なリスクとなってしまう。その市民が後に「カネを渡した」と言い出した時、実際にカネを受け取っていないことを証明することは容易ではない。提案を実現するために尽力している以上、収賄罪を構成する「請託」と「受託及び政治権限の行使」があったことは容易に証明できてしまうからだ。
 また、今回の事件は贈賄側の会社社長と検察の間に、事実上の司法取引が行われていた疑いが持たれていた。4億円近い金融詐欺で逮捕された会社社長が実際には2000万円分しか起訴されず、その取り調べの中で突如として藤井氏への贈賄の話が出てきたことから、会社社長が検察から「藤井への贈賄を認めれば、金融詐欺の方は軽くしてやる」などと取引を持ち掛けられていた可能性を、弁護側は強く追及していた。実際、会社社長自身が、逮捕勾留中、拘置所で隣の房に勾留されていた別の事件の被疑者に、検察との取引内容を打ち明けていたことも、裁判の過程で明らかになっていた。
 検察にとってはケチな金融詐欺よりも現職の市長を巻き込んだ汚職事件の方が、事件としての価値は遥かに高い。検察幹部や担当検事にとって、より大きな手柄になるということだ。一方、詐欺事件で逮捕されている会社社長も、刑が減刑されるのであれば、その取引に乗らない手はない。
 当事者の証言のみで、そのような裏取引までが疑われた事件で、現職市長に逆転有罪判決が下ったことの影響は計り知れない。
 先の国会で刑事訴訟法が改正され、日本にも正式に司法取引が導入された。これにより、一つの事件の立証につながる証言をすれば、別の事件での求刑を軽減したり、不問に付すなどの取引を、検察は堂々と持ちかけられるようになった。
 それが実際にどのように運用されるかはまだ未知数だが、美濃加茂市長の事件は現在の日本における司法取引の危うさを再認識させるのに十分なものだった。
 次に、天皇陛下が生前退位の意向を示されたことを受けて、政府がその対応を検討している問題では、有識者会議が16人の専門家から相次いでヒアリングを行い、その結果が今週出揃った。様々な意見が出された中で、今回のマル激では、なぜ日頃から天皇への尊崇の念を強く表明している保守派の論客ほど、陛下ご自身の意向を無視するかのような意見を表明しているのかに注目した。
 実際、保守派の論客として知られる渡部昇一上智大学名誉教授、大原康男国学院大学名誉教授、八木秀次麗澤大学教授、ジャーナリストの櫻井よし子氏らはいずれも陛下の生前退位に反対するのみならず、陛下ご自身の意思での退位を認めるべきではないとの考えを示すなど、陛下の思いや人権を無視したかに見える発言を繰り返しているのはなぜか。
 最後は米大統領選挙の再集計問題。現在ウィスコンシン州で再集計が行われており、ミシガン州とペンシルベニア州でも再集計の請求が出されている。この3州は11月8日の本選ではいずれも僅差でトランプが勝利しており、その選挙人数を合計すると36となる。もし再集計の結果、3州全てでクリントンが逆転すれば、大統領選挙の結果がひっくり返る計算となる。
 今回の再集計は大統領候補の一人だった緑の党のジル・スタイン氏からの請求を受けたものだが、スタイン氏は再集計を請求した理由として、ミシガン大学のアレックス・ハルダーマン教授らのグループが、今回の選挙で電子投票に使われたコンピューターがハッキングなどによって操作されていた可能性があることを指摘したことを受けたものであることを明らかにしている。
 ウィスコンシン州の再集計の結果が、当初の投票結果と大きく異なるものになった場合、ハッキングの疑いが濃厚となり、他の州でも再集計を求める動きが出る可能性がある。その意味で、ウィスコンシン州の再集計は重大な影響を与える可能性がある。

今さらカジノなんてやめておけ

(第818回 放送日2016年12月10日 PART1:54分 PART2:41分
ゲスト:鳥畑与一氏(静岡大学人文社会科学部教授)

 日本ではお隣りの韓国の政治やアメリカのトランプ大統領の動向により多くの関心が集まっているようだが、その間も、日本の国会では重要な法案が次々と審議され、成立している。
 12月6日にはカジノの設置を謳うIR法案が衆院を通過し、14日の今国会会期末までに成立する見通しだ。
 しかし、このIR法案は実に多くの問題を抱えている。
 カジノを中核とするIR(統合型リゾート)の設置の推進を謳うこの法案では、日本にも大規模なカジノの導入が想定されている。賭博を禁止している刑法に、例外的な条件を設けようというものだ。
 そもそも今回の法案が想定している大規模なカジノが採算をとるためには、外国人観光客の誘致だけではとても追いつかない。かなりの数の日本人に、カジノでお金を落としてもらう必要がある。
 しかし、実は日本は既にギャンブル大国だ。公式の数値では日本には競馬、競輪などの公営ギャンブルしかないことになっているが、実際はパチンコという立派な20兆円ギャンブル産業を抱える。日本のギャンブルの市場規模は5兆円余りとなっているが、パチンコの売り上げ23兆円を加えると、日本は29兆円のギャンブル市場を抱える世界に冠たるギャンブル大国なのだ。
 その分、日本ではギャンブル依存症も非常に深刻だ。厚労省の調査では人口の4.8%、実に500万人以上がギャンブル依存症の状態にあるという。
 脳の機能にまで異常をきたすギャンブル依存症は立派な疾病だが、日本ではギャンブル依存症に対する理解が進んでいないため、依存症になっても実際に治療を受ける人は少ない。また、実際に患者を適切に診断できる医師の数も非常に限られている。
 500万人のギャンブル依存症を抱え、その対策もまともにできていない日本に、新たに大規模なカジノが導入されたらどうなるか。
 経済効果ももう少し慎重な精査が必要だし、依存症対策もまず新たにカジノを始める前に、既存の依存症患者の対策が先決ではないか。
 カジノ法案に批判的な鳥畑教授とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

トランプ政権を甘く見てはいけない

(第819回 放送日 2016年12月17日 PART1:1時間 PART2:59分)
ゲスト:春名幹男氏(早稲田大学大学院客員教授)

 アメリカではトランプ政権の閣僚候補がほぼ出揃い、1月の新政権発足を待つばかりとなった。
 ウィスコンシン州で行われていた投票の再集計の結果、トランプの勝利は変わらないことが確定した。また、ミシガン州とペンシルベニア州の再集計請求も、州の裁判所によって退けられた。
 オバマ政権がロシアによるハッキングを通じた選挙への介入を公表した後だけに、各州で投票の集計に使われたコンピューターシステムに対するフォレンジック(デジタル鑑識)作業が行われなかったことは残念なことではあったが、アメリカの現行法が集計システムへのハッキングを通じた選挙への介入を想定していないため、フォレンジックを行う法的な根拠が見いだせないという裁判所の苦渋の判断だった。
 いずれにしても、12月19日の選挙人投票で一波乱起きる可能性は残されているが、来年1月から日本が、不動産王ドナルド・トランプ率いるアメリカ政府を相手にしなければならないことは、ほぼ確実な情勢となった。
 トランプ政権については様々な観測が流れているが、一言でいえば「予測不可能」というのが、衆目の一致するところのようだ。確かにトランプ自身が行政経験や公職経験が皆無な上、閣僚にも国務長官に内定しているティラーソン・エクソンモービルCEOを筆頭に、政治的にはほとんど未知数のワシントンアウトサイダーが名を連ねる。しかも、その多くは、政権の政策に対して個人的な利害を抱える利害当事者ばかりだ。これで政権の方向性を予想しろというのが、無理な相談かもしれない。
 トランプは先の選挙戦で、数々の奇天烈とも荒唐無稽とも言われる法外な政策をぶちあげてきた。その多くはあまりにも非現実的なため、「実際に大統領になれば、もう少し普通になるだろう」とする祈りのような予想をする専門家は多い。
 しかし、トランプ政権を甘くみてはいけない。日本のメディアではトランプが選挙戦中、メキシコや中国やイスラム教徒を目の敵にした発言が、多く報道された。しかし、トランプは明らかに日本も対峙する対象として視野に入れている。トランプの出馬表明演説やその後のメディアとのインタビューの全文を見ると、トランプの世界観では中国やメキシコと並んで、日本も「アメリカの市場の食い荒らし、アメリカから雇用と富を奪う存在」であると見ていることに疑いの余地はない。日米安保の片務性や日本の防衛力の強化、ひいては日本の核武装容認にまで言及したのも、自分たちがいいようにしてやられている日本に対して、アメリカが一方的に防衛義務を負っているのはおかしいではないかという考え方が根底にある。
 トランプの日本観が2000年代以前の日米貿易摩擦時代の、やや時代遅れのものであることは確かだ。しかし、アメリカ第一主義を徹底し、戦後一貫してアメリカが担ってきた世界の警察官役を放棄し、経済的にもアメリカに雇用の取り戻すことを最優先課題に掲げて当選してきたトランプが、今後どのような要求を日本に仕掛けてくるかは全く未知数だ。
 今後、トランプ政権から飛び出してくるかもしれない予想外の要求は、これまで日本が採用してきた日米安保を基軸とする軽武装・経済優先の政策路線にも大きな転換を強いることになる可能性がある。そうなれば日本の民主主義の強靭さが改めて問われる局面も出てくるかもしれない。
 ロシアのクリミア併合や中国の南シナ海での埋め立て、そしてブレグジットにトランプ政権の誕生と、明らかに世界は新しい時代に突入している。アメリカと協力して第二次大戦後の秩序の維持を図っていきたいと考えていた日本も、肝心のアメリカに既存の秩序を否定する政権が誕生してしまった以上、それなりの覚悟が必要になるだろう。
 共同通信ワシントン支局長などを歴任し、長年日米関係を取材してきた春名氏と、トランプ政権の見通しと日本への影響について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本の根本問題から逃げ回る最高裁とこの国のかたち

(第820回 放送日 2016年12月24日 PART1:1時間30分 PART2:1時間37分)
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部教授)

 今回は首都大の木村草太氏をゲストに、前半は「ニュースマル激」を、後半は「映画マル激」の2部構成でお送りする。前半のニュースマル激では「『生前退位は特例法で』で本当にいいのか」、「沖縄の基地問題から逃げ続ける最高裁」、「元国立市長への個人賠償請求は妥当か」の3つをテーマに、そして後半の映画マル激では「君の名は。」「この世界の片隅に」「聲の形」の今話題の3つのアニメ作品を取り上げた。
 「『生前退位は特例法で』で本当にいいのか」は、高齢を理由に生前退位の意向を示した今上天皇のお気持ちに応える形で、政府の有識者会議が特例法方式で退位を可能にする提言をまとめる線で固まったことが報じられていることを受け、1)それで陛下の問題提起に応えていると言えるのか、2)皇位の継承は皇室典範で決めることを明確に定めている憲法2条に抵触する恐れはないのか、の2点を中心に議論した。
 特に今上天皇が自身の健康上の不安のみならず、象徴天皇としての役割を果たして行く上で現行制度には不備があることを間接的な表現で指摘しているにもかかわらず、有識者会議や政府がこれを今上天皇だけの個人的な問題として処理することで、本質的な問題から逃げようとしている点を問題視した。
 また憲法問題については、仮に特例法方式に憲法違反の疑いがあったとしても、天皇が違憲訴訟を提起することはできないため、それが最高裁で違憲と判断されることはない点を重視。憲法審査の対象にはなり得ないからこそ「万が一にも違憲の誹りを受けるようなことがあってはならない」との視点から、天皇制に関わる立法を行う際は憲法との整合性により厳しく拘る必要性を議論した。
 「沖縄の基地問題から逃げ続ける最高裁」では仲井真前沖縄知事が承認した埋め立て承認を翁長現知事が取り消した決定を巡り、政府が提訴していた問題で、最高裁が12月20日、取り消しを違法とする決定を下したことの根拠の妥当性を議論した。
 最高裁は翁長氏の承認取り消しの正当性を論じることは避け、「仲井真前知事の埋め立て承認が合理的であれば、それを取り消した翁長知事の決定は違法になる」との論理展開で、前知事の承認に瑕疵はなかったため、よって翁長氏の取り消しは違法との結論を捻り出している。しかし、この裁判は翁長氏の承認取り消しの合法・違法性を裁判であることを考えると、そのような間接的な論理展開には大いに違和感があると言わざるを得ない。
 なぜ最高裁はそのような変化球とも抜け道とも受け取られかねない論理展開を行ったのか。そこには翁長氏の承認取り消しを真正面から扱うと非常に不都合なことが起きるという事情があった。結局、最高裁はこの裁判では国を勝たせなければならないという大前提の下、どうすれば国を勝たせる判決が書けるかを逆算し、このような形で真の争点を迂回した論理構成を採用せざるを得なかったのだろう。最高裁には最初から米軍基地をめぐる問題で、沖縄を勝たせるつもりはなかったのだ。
 また、最高裁はこの裁判で沖縄県が主張していた憲法92条をめぐる論点も、恐らくは社会から注目されることを避ける目的で、その判断だけを判決の8日前の12月12日に別途、紙切れ一枚で公表していた。判決と同時に憲法判断を示せば、その論点もメディアに大きく報じられ、最高裁が重要な憲法判断から逃げたことが白日の下に晒されることになるからだ。実際、最高裁のこの決定を紙面を割いて報じたのは、地元沖縄のメディアだけだった。
 「元国立市長への個人賠償請求は妥当か」では、上原公子元国立市長個人が市長当時の行為をめぐり国立市から賠償請求を受けていた裁判で、12月13日、最高裁が上原氏側の上告を棄却し、上原氏に賠償の支払いを命じる高裁判決が確定したというもの。
 不動産デベロッパーの明和地所が、国立駅前の大学通り沿いに18階建(後に14階建に変更)の高層マンションの建築を計画していたことに対し、景観重視を訴える当時の上原市長が、これを阻止するために行った様々な妨害行為の中に違法なものがあったと判断され、国立市は2008年に明和地所に約3120万円の賠償金を支払っていた。
 この裁判は国立市の4人の市民が、この損害の弁済を上原氏個人に求めるよう国立市を提訴し、その裁判で勝訴したことを受けて、国立市が上原氏に損害額と同額の支払いを請求していたというもの。
 当時市長だった上原氏が、景観保護を理由にマンション建設を阻止するために行った数々の行為の中には、問題があるものがあったとは言え、それによって生じた事業者の損害を元市長個人が賠償しなければならなくなったことで、今後、自治体の長の政治活動に萎縮効果が生じることが懸念されている。
 確かに、上原氏が行った行為の中には、市長として知り得た高層マンションの建設計画を市民に漏らすことで反対運動を誘発したり、「水道を止める」と威嚇するなど、市長の権力を使った圧力とも受け取れる発言を行うなど、市長として行き過ぎの面があったことは否めない。しかし、それはあくまで市長が、国立の大学通りの景観維持という公益的な政治目的のために行ったことであり、市長自身が私服を肥やしたり政敵を潰すなど、誰が見ても不適切な目的のためではなかった。にもかからわず、利子を含めると4000万円を超える請求を市長個人にするというのは適切な判断と言えるだろうか。
 この判決で国立市が上原氏個人に対する求償権を認める根拠となった、国家賠償法が定めるところの市長の「重大な過失」とは何だったのか。首長はどのようなことをやれば個人で損害賠償の義務を負うことになり、どこまでならば「政治目的」や「公益的」として違法性が阻却されるのか。築地市場の豊洲への移転を独断で延期したことで、事業者に対して補償の責任を負うことになる東京都の小池都知事は大丈夫なのか。浜岡原発を止めた菅直人首相が、個人賠償を追及されることはないのか。今後、自治体首長の一つの行動指針となる可能性がある最高裁判決を検証した。
 その他、「君の名は。」「この世界の片隅に」「聲の形」で描かれていたものと、描かれていなかったものは何かなどを、木村氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.80(801~810回収録)

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ニュートリノの謎が解明されれば本当に宇宙の起源がわかるのですか

(第801回 放送日 2016年08月13日 PART1:51分 PART2:49分)
ゲスト:多田将氏(高エネルギー加速器研究機構准教授)

 物質の最小単位となる素粒子の謎が解ければ、宇宙の起源がわかる。そう言われて、一体どれだけの人がピンとくるだろうか。
 物質をとことん細かく砕き、これ以上ないところまで小さくした時にできる素粒子のニュートリノが、宇宙誕生の鍵を握っている。そして、そう信ずる最先端の物理学者たちが、世界中でニュートリノ研究に鎬を削っている。
 茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構などの国際研究チームが、8月6日、「ニュートリノ」の「粒子」と「反粒子」の変化に違いがある「CP対称性の破れ」の兆候を初めて捉えたと、米・シカゴで開かれていた国際学会で発表した。まだ、「兆候を捉えた」段階に過ぎないが、これが確認されれば、宇宙の起源の解明にもつながる人類史に残る大発見になるのだという。無論、ノーベル賞候補だ。
 われわれの目の前で人類史に残るほどの大発見が現在進行形で起きているかもしれないのに、そのすごさが理解できないのはちょっと悔しいし勿体なくもある。そこで今週のマル激では、正に今回の実験を行った高エネルギー加速器研究機構の准教授で「金髪の素粒子物理学者」の多田将氏に、典型的文系脳の神保哲生と宮台真司が「今さら聞けないニュートリノと宇宙の起源の関係」を聞いた。
 そもそもニュートリノというのは中性を意味するneutralとイタリア語で小さな粒子を意味するinoを組み合わせた言葉。物質は小さく刻んでいくと分子→原子となり、原子は原子核と電子から成ることは、かつてわれわれも高校の物理の授業で習った覚えがある。更にその原子核は陽子と中性子から成り、陽子と中性子はいずれもクォークと呼ばれる粒子からできている。現在の人類の英知と技術ではクォークが最も小さい物質の単位となっているため、これを素粒子と呼んでいる。ちなみにクォークのサイズは10の-18乗メートル程度だとされる。
 クォークには電荷の違いなどから6種類のクォークがあり、それぞれに名前がついている。また、素粒子にはクォークの他にレプトンと呼ばれる種類の素粒子が6種類あり、両者を合わせた12種類の物質が現時点で人類が解明できている物質の最小単位「素粒子」となる。この世に存在する全ての物質という物質が、この12種類の素粒子のいずれかからできているということだ。
 ところが、素粒子にはもう一組、この12種類の素粒子と全く対の関係にある「反粒子」あるいは「反物質」と呼ばれる一群が存在する。これは12種類の素粒子の全く正反対の性格を持つ素粒子で、ちょうど実物とそれが鏡に映った姿の関係にある。そして、対になる素粒子同士が合わさると両者は消滅する。
 この「反粒子」とか「反物質」と呼ばれるものが、素人にはなかなか曲者だ。しかし、宇宙の起源を考える時、この概念は不可欠となる。物理学的には、何もないところから何かができるとは考えられない。今、宇宙に様々な物質がある以上、それがどこから来たかを考える上で、反粒子の存在は無くてはならない。物理学では宇宙には最初に「物質」と「反物質」がほぼ同数存在していたが、何らかの理由で物質の量が反物質を上回る「対称性の破れ」が生じたために、物質が残り、それが現在に至っていると考える。
 そしてこの「物質」と「反物質」の「対称性の破れ」の兆しをとらえたのが、今回ニュースになった実験の成果だった。
 今回の実験では東海村にあるJ-PARC(大強度陽子加速器施設)から295キロ離れた岐阜県神岡町にあるスーパーカミオカンデに向かってニュートリノの「粒子」と「反粒子」を発射したところ、両者の変化に違いがあることが確認できたのだという。本来全く正反対でなければならないはずの粒子と反粒子が、異なる変化を見せたことで、「対称性の破れ」の兆しが見えたのだという。
 実際にこの実験に携わったゲストの 多田将氏は、今回の実験によってCP対称性の破れが90%程度証明されたと考えていいのではないかと言う。しかし、物理学的にこれが「確認された」と言えるようになるためには、99.9999%の精度の証明が必要になる。今回の実験はあくまでその第一歩を位置付けるべきものだという。
 今後、世界中でこの仮説を確認する実験が実施され、これが確認された時、人類は宇宙の起源の解明に手が届くことになるのだという。多田氏は2020年代の中頃には、それが証明される可能性があると言う。
 20世紀に目覚ましい発展を遂げた物理学は、今なおその発展を遂げている。特に実験装置が発達したことで、かつては仮説でしかなかった数々の学説が、実験によって裏付けられるようになってきている。しかし、物質を素粒子の次元まで解き明かし、更に宇宙の起源にまで迫ろうかというところまで来ている物理学は、その先に何を見ているのか。今日の最先端の物理学もそう遠くない将来、いたって原始的で牧歌的なレベルに過ぎないものだったと言われる時が来るのだろうか。
 盛夏の折、最先端の素粒子物理学が明らかにするこの世で最も小さな話と、宇宙の起源というこの世で最も大きな話、そして両者の関係について考えた。

五輪で盛り上がる今こそドーピング問題に目を向けよう

(第802回 放送日 2016年08月20日 PART1:49分 PART2:49分)
ゲスト:高橋正人氏(医師・十文字学園女子大学教授)

 柔道、体操、卓球、バドミントン、レスリング、そして陸上等々。リオ五輪での日本選手団の大活躍ぶりには目を見張るものがある。しかし、五輪への国民的関心が高まっている今こそ、スポーツを底辺から蝕むドーピングの問題と向き合い、これを根絶する手だてを真剣に考えるべき時だ。その意味で、日本人選手の活躍ぶりが大きく報じられる中で、ドーピング問題をめぐる報道が極端に少ないことが気になる。
 リオ五輪は大会前にロシアによる国ぐるみのドーピングの実態が露わになり、ロシア人選手の大半が五輪への参加資格を失うなど、ドーピング問題が暗い影を落とす中で開催された大会だった。逆の見方をすれば、リオはドーピングに対する世界の疑念や疑惑を一掃し、スポーツが本来のフェアな精神と信頼を取り戻す絶好の機会となるべき大会でもあった。
 しかし、実際にはここまで報道されているだけでも、既に8人の選手がドーピング検査で陽性反応を示し、失格になっている。その中にはカヌーの銅メダリスト(モルドバ)や重量挙げの銅メダリスト(キルギスタン)も含まれていて、いずれもメダルを剥奪されている。また競泳女子100メートルバタフライで4位だった中国の陳欣怡がドーピング違反で失格となったことで、同種目6位だった池江璃花子が5位に繰り上がるなど、日本人選手にも影響が出ている。
 加えて、今回の五輪に参加している選手の中には、過去にドーピング検査にひっかかり、出場停止などの処分を受けたことのある選手が大勢含まれている。今大会で男子競泳400メートル自由形で金メダルを獲得したマット・ホートン(オーストラリア)が、過去にドーピング歴がある中国の孫楊について「薬物使用の詐欺師」と批判したことが大きく報じられると、史上最多となる22個の金メダルを獲得したマイケル・フェルプス(アメリカ)がホートンへの支持を表明するなど、白熱した競技の陰でトップレベルの選手間にもドーピングを巡る軋轢が生じていた。
 フェルプスは「スポーツはクリーンであるべきだし、公平な舞台で行われるべき。ドーピング検査で二度も陽性を示した選手が、まだ五輪に出場できているということは非常に悲しいことだ。誰か何とかしてくれることを願っている」などと話している。他にも、多くの選手たちが、ドーピング歴のある選手と同じ土俵で競争することへの違和感や嫌悪感を表明するなど、リオ五輪ではあらゆる局面でドーピングが大きな争点となっていると言っていいだろう。
 実際、ドーピングの歴史は古く、19世紀の競泳大会などで興奮剤が使われていたことが知られている。しかし、近年まではドーピングと言えばカフェインやアンフェタミンなどの興奮剤や覚醒剤が主に使われていた程度だった。
 しかし、1950年代頃から本格的なドーピングの時代を迎える。単なる興奮剤だけではなく、筋肉や骨を強化する男性ホルモン製剤のテストステロンやタンパク同化ステロイドなどが使われ始めたのはこの頃からだった。男性と見紛うばかりにまで大きく発達した身体で女子水泳界を席捲した東ドイツが、国家ぐるみでドーピングを行っていたことはよく知られている。また、1988年のソウル五輪の陸上男子100メートル決勝で、別人のように筋骨隆々な身体に変身したベン・ジョンソン(カナダ)が、当時無敵を誇ったカール・ルイスを大差で破る大番狂わせを演じた後、筋肉増強剤のスタノゾロールを使用していたことが発覚し、メダルを剥奪されたことは記憶に新しい。
 その後、ドーピングの技術は更に進化を遂げ、ヒト成長ホルモンやB2刺激薬、抗エストロゲン作用剤、遺伝子組み替えエリスロポエチンなどが登場する。同時に、ドーピングが五輪競技のみならず、自転車や野球、サッカー、テニスにまで蔓延していった。新たなドーピング技術が登場すると、少し遅れてそれを検出する技術が開発され、逃げ遅れたアスリートが摘発される、まさにイタチごっこの連続だった。
 そして、今や時代は、予め保存しておいた自分の血液を競技の直前に再輸血する血液ドーピングや選手自身の遺伝子を組み換える遺伝子ドーピングへとシフトしつつあるという。これは、従来の検査方法では検出が困難なことから、選手の血液や尿のデータを継続的にモニターし、異常な変化があった時にそれを検知する「生体パスポート」制度の導入などが計画されているという。まだしばらくの間は、ドーピングを巡るイタチごっこは続きそうだ。
 ドーピングが重大な問題なのは、それが選手自身に深刻な副作用や健康被害を与える可能性があるのと同時に、スポーツが体現しているフェアネスや鍛錬といったスポーツの本質的な価値を根本から棄損してしまう可能性があるからだ。フェルプスの言葉を借りるまでもなく、すごい記録が出るたびに「ドーピングではないのか」などと疑いの目を向けられるようでは、厳しい練習を積み重ねてきた選手たちは堪らない。
 また、金メダルを取ることや世界記録を出すことから得られる経済的な報酬があまりにも莫大になっているため、そのリスクを十分承知していてもドーピングに手を出してしまう選手が後を絶たないという、スポーツの行き過ぎた商業主義の問題もある。
 泣いても笑っても4年後には東京五輪がやってくる。われわれはスポーツの価値の根幹を揺るがしていると言っても過言ではないドーピング問題に、どう向き合おうとしているのか。ドーピングを根絶することができるのか。ドーピング問題に詳しい医師の高橋正人氏とドーピングの現状とこれからを議論した。

子宮頸がんワクチン提訴に見る薬害の連鎖が止まらないわけ

(第803回 放送日 2016年08月27日 PART1:47分 PART2:43分)
ゲスト:花井十伍氏(全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人)

 薬害の連鎖が止まらない。スモン、サリドマイド、薬害エイズ、薬害肝炎・・・。そしてこのたび、子宮頸がんワクチンが、新たに薬害裁判の歴史に加わることとなった。
 2016年7月27日、子宮頸がんワクチンの接種を受けた15歳から22歳の63人の女性たちが、国と製薬会社を相手に訴訟を提起した。 問題となっている子宮頸がんワクチンは正式にはHPV(ヒトパピロマウィルス)ワクチンと呼ばれるもので、これまで10代の女性を中心に340万人がワクチンの接種を受けている。
 子宮頸がんは、厚生労働省のホームページによると、今、若い女性の間で増えていて、一年間で新たに約1万人が発症し、毎年約3000人が亡くなっているという。性交渉によって感染し、すでに感染している人には効果がないとされるため、性交渉を経験する前の10代の少女たちへの接種が、2010年頃から、公費の助成などによって積極的に実施されてきた。
 ところが、ワクチンの接種を受けた少女たちの中から、副反応と思われる症状を訴える人が出始めた。多くが手足や身体に痛みを訴え、失神、歩行障害、記憶障害などで学校に行けなくなったり、車椅子での生活を強いられるようになった。進学を断念した人たちも多い。
 ワクチンと副反応の因果関係については、正確なことはわかっていないことから、これが「薬害」だと決まったわけではない。しかし、自身が薬害エイズの被害者で、現在、薬害被害者団体の代表を務める花井十伍氏は、HPVワクチンをめぐるここまでの経緯は、日本が過去に経験してきたさまざまな薬害の構造と酷似している点を強調する。被害者が薬害を訴え出ても、科学的に証明されていないという理由から国にも製薬会社にも相手にされず、やむなく訴訟となり、随分と時間が経ってから、ようやく被害者たちが救済されるという、一連の薬害の構造のことだ。
 8月24日に行われた薬害根絶デーでは、厚生労働省の正面玄関脇にある「薬害根絶 誓いの碑」の前で、花井氏から塩崎厚生労働大臣に、薬害根絶についての要望書が手渡されたが、その中には今月、新たに薬被連(全国薬害被害者団体連絡協議会)に加わったHPVワクチン薬害訴訟全国原告団の名前も含まれていた。
 当初、薬被連はHPVワクチンの副反応被害の実態把握や被害者救済を政府に対して訴えることで、裁判に訴えることなく問題が解決されることを望んでいた。 薬害の被害者としての役割を担うことの重荷を自ら厭というほど経験してきた、花井氏を始めとする薬害の被害者たちには、10代の少女たちを裁判の当事者にはしたくないとの強い思いがあったからだと、花井氏は言う。
 副反応の被害が伝えられるなか、HPVワクチンの定期接種は2013年6月、「積極的接種勧奨」が一時的に中止になった。しかし、原因の究明も、被害者たちの救済も一向に進まなかった。医療機関からは副反応のはずがないと言われたり、「詐病」と言われてバッシングを受け、治療の対象として扱ってもらえない場合も多いことから、この度、裁判に踏み切らざるを得ないと判断するに至ったという。
 しかし、HPVワクチン被害は過去の薬害と酷似している面が多い一方で、その多くと異なる点がある。それは薬害の対象が、病気を直すためのいわゆる「薬」ではなく、病気を防ぐための「ワクチン」だったことだ。
 薬には、常に副作用のリスクが伴う。その薬に「有用性」があるかどうかは、薬の「有効性」と副作用の「危険性」のバランスで考えるべきものだ。既にある疾病を治療するためであれば、副作用もある程度は受け入れなければならない場合もあるだろう。
 しかし、予防接種は健康な人に接種するものであり、元々は伝染病などの蔓延を防ぐという社会防衛的な目的のために行われる。接種を受けさせることに社会としての有用性があることを前提に、稀に起こる副反応被害は社会で救済するというのが、予防接種の原則だった。しかし、HPVワクチンは個人防衛的な意味合いが強く、そもそも定期接種する必要があったのかについては疑問がある。
 HPVワクチンはグラクソ・スミスクラインとMSDの2社が製造販売する。いずれも世界的な製薬会社、いわゆるビッグファーマだ。このワクチンは今も全世界で使われており、WHO(世界保健機構)も使用を勧めている。副反応と言われる症状には、科学的根拠がないと指摘する医療関係者もいる。確かにまだ、究明されていない点は多い。しかし、副反応を訴え、実際に苦しむ少女たちが大勢いることもまちがいない。既に罹患した病気を治すための薬ではなく、将来、発症するかもしれない病気を予防するために行われる予防接種こそ、「危険性」が証明される前に「予防原則」が適用されるべきではないかと、花井氏は訴える。
 日本ではなぜ薬害が繰り返されてきたのか。その歴史の中で、今回のHPVワクチン問題は、どのような位置づけになるのか。薬害根絶のために何を考えなくてはならないのか。子宮頸がんワクチンの副反応被害に対する訴訟が起こされた今、薬害エイズの当事者で薬害の歴史や薬事行政に詳しいゲストの花井十伍氏とともに、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。

間違いだらけの2020年東京五輪

(第804回 放送日 2016年09月03日 PART1:59分 PART2:52分)
ゲスト:小川勝氏(スポーツライター)

 リオ五輪が終わり、いよいよ4年後、東京にオリンピックがやってくる。
 52年前の東京五輪で日本は、先の大戦からの復興と国際社会への復帰を世界に印象づけた。2020年の五輪で日本はどのようなメッセージを発するつもりなのだろうか。
 実は安倍政権にとって2020年東京五輪の位置づけは明確に示されている。それが昨年11月に政府が閣議決定した「2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会の準備及び運営に関する施策の推進を図るための基本方針」(以下基本方針)だ。
 この文書には2020年東京五輪で政府が何を目指しているかが明確に書かれているのだが、五輪取材経験が豊富なスポーツライターの小川勝氏は、どうも政府は五輪をホストすることの意味を根本からはき違えているようだと指摘する。なぜならば、政府の基本方針には「海外に日本の力を見せる」「過去最高の金メダル数獲得を目指す」などホスト国の日本が享受すべきメリットばかりが強調されており、それは五輪の本義、つまりオリンピア精神の推進とはかけ離れたものになっているからだ。
 オリンピック憲章はその冒頭で精神と肉体のバランス、平和主義、差別の撤廃などを謳っている。それがオリンピズムとは何かを明文化したものだ。そうした考え方に賛同を示し、それを更に発展させることに一役買う覚悟のある都市だけが、五輪のホスト国になる資格を有する。
 確かに開催地として多額の経済的負担を引き受ける以上、何らかのリターンを期待したくなる気持ちもわからなくはない。しかし、小川氏は自らのメリットのために五輪をホストする国にはホスト国になる資格がないと一蹴する。
 小川氏によると、五輪の目的は以下の4つの「ない」によってあらわすことができるという。それは1) 開催国のためのものではない、2) 国同士の争いではない、3) 経済効果を求めてはならない、4)勝つことが目的ではない、の4つだ。
 五輪のホスト国は自らの利益は度外視した上で、オリンピック憲章に則ったオリンピズムの精神への支持を明確にし、持ち出しになることを前提に五輪を開催する。それがホスト国の務めだと小川氏は言う。
 これから4年間、政府が閣議決定に沿って五輪の準備を進めた場合、もしかすると日本は、これから公共事業によって建築される近代的な設備や都市インフラによって世界にその経済力や技術力の先進性を印象づけることができるかもしれない。そして、今後、メダルが期待できる選手や競技に大量の強化費をつぎ込むことによって、リオを上回るメダルを獲得し、世界から祝福されるかもしれない。それこそが政府が閣議決定した目標に他ならない。
 しかし、本当にそれでいいのだろうか。それが今我々が世界に発信したい「日本」なのだろうか。また、そもそも今の日本にそのような経済力が本当に残っているのだろうか。
 小川氏は日本が東京五輪で、過度な商業主義が横行する昨今の五輪にあって、いたずらにその規模を膨らませないことで費用をかけず、結果的に企業に大きく依存しない五輪を開催することができれば、それが東京大会以降の五輪のモデルケースになり、世界から称賛を浴びることになるだろうと指摘する。そして、日本にはそれを実現するだけの力があるはずだと小川氏は言う。
 メダル競争についても、五輪でメダルを取れるようなエリートアスリートの育成自体は否定しないが、その国におけるスポーツの発展の度合いはメダル獲得数によって測られるべきものではない。スポーツ大国とメダル大国は違う。どんなに多くのメダルを取ったとしても、国内でそのスポーツが普及し、国内リーグが整備され、競技人口が増え、そのスポーツを愛する人が増えていかなければ、結局は政府に後押しされたメダル大国止まりだ。
 確かに五輪は政治利用され続けてきた。また、ここまで膨れ上がった五輪が、スポンサーからの巨額のサポートや放送局からの放映権料無しには成り立たなくなっているのも事実だろう。しかし、そうした中にあってもオリンピックの精神はまだ生きていると小川氏は言う。
 例えば、五輪の会場には一切スポンサーのロゴは出せない。五輪では選手のユニフォームにも広告は載せられない。五輪のトップスポンサーが、ロゴを出すこともできない五輪に100億円もの大金を支払う理由は、そこに名を連ねることに他の手段では代えがたい特別な価値があると考えているからに他ならない。
 オリンピズムの精神は簒奪され捻じ曲げられ続けてきたが、その物語はまだ生きているのだ。2020年の東京大会はそれを生かす大会となるのか、それを殺す大会となるのかが問われている。
 リオ五輪が終わり日本が2020年の東京大会に向けて動き始める今、五輪ホスト国に相応しい基本的な姿勢と考え方とは何かを訴える小川氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

第三者「御用」委員会が後を絶たないのはなぜか

(第805回 放送日 2016年09月10日 PART1:1時間4分 PART2:49分)
ゲスト:久保利英明氏(弁護士・第三者委員会報告書格付け委員会委員長)

 どうもわれわれ日本人は、自らの失敗を顧みることがとても苦手なようだ。
 最近、第三者委員会という言葉をよく聞く。独立調査委員会や外部委員会などと呼ばれることもあるが、企業や組織に不祥事が起きた時、組織から独立した委員たちが事実関係を検証した上で、その責任の所在や原因を究明したり改善策を提言する委員会のことだ。
 ところがこの第三者委員会が、ほとんど機能していない。機能していないばかりか、第三者委員会の大半は御用委員会と化し、大甘の調査報告書を出してお茶を濁す程度で終わっている。その結果、企業では更なる信頼の失墜につながったり、公職者の場合、辞任に追い込まれたりするなど、かえって状況が悪くなるケースが続出しているが、それでも御用委員会は後を絶たない。
 企業では東芝の不正会計の調査委員会が、その代表例だ。朝日新聞の従軍慰安婦報道の調査委員会のように、あれこれ辛口なことは言いながら、結果的に何ら有効な提言をできず、企業の信頼回復に寄与できなかった委員会も多い。個人レベルでは不適切な公金の流用が疑われた舛添要一元都知事も、元特捜検事が行った大甘な調査の結果、辞任に追い込まれている。
 直近では東京五輪招致をめぐる不正な支出疑惑を調査したJOCの調査委員会が、ほとんどろくな調査もせずに「問題なし」の結論を出したことで、かえって疑惑が深まる結果を生んでいる。
 それでも、御用委員会は一向に後を絶たない。
 思い起こせば、日本は先の大戦すら総括できていないと指摘されて久しい。勝者が敗者を裁いただけの東京裁判では真相の究明などおぼつかないし、それを批判する声もよく聞くが、では独自に自らの歴史を検証し、失敗の原因や責任の所在を具体的に指摘したという話は、ほとんど聞こえてこない。小泉政権によるイラク戦争支持にしても然り、福島原発事故についても然りだ。
 福島原発事故では政府、国会、民間の3つの異なる調査委員会が組織され、それぞれ独自の調査を行っているが、未だに事故の原因が、もっぱら津波だったのか、地震もその一因だったのかといった基本的な疑問にさえ決着が付いていない。責任の所在も曖昧なため、あれだけの大事故を起こしておきながら、5年後にはほとんど事故前の状態に戻っているという有り様だ。
 企業の第三者委員会の報告書を評価する「格付け委員会」を主宰する弁護士の久保利英明氏は、第三者委員会の多くが御用委員会と化す理由について、日本では第三者委員会の委員に選ばれた弁護士や有識者たちが、調査の依頼主の方を向いているところに原因があると指摘する。第三者委員会を設置する本来の目的は、当事者だけでは厳しい調査や検証ができないため、外部から委員を招いている。ところが、いざ調査が始まると、第三者委員会もが内集団の一部になってしまうというのだ。
 ところが企業のステークホルダー(利害当事者)は経営陣や社員だけではない。顧客は言うに及ばず、株主、市場、地球環境、地域社会、消費者など、企業の影響は社会全体に及ぶ。第三者委員会がそのステークホルダー全体に対して説明責任を負っているという認識が、日本ではまだ希薄だと久保利氏は指摘する。
 特にその発想が社長にないところが、日本企業の弱点であり遅れているところだと、久保利氏は言う。
 しかし、その発想が欠けているのは企業ばかりではない。本来はステークホルダーのはずの社会の側も、必ずしもそこまで厳しい調査や検証を求めていないところがある。実際、第三者委員会によるいい加減な調査だけでお茶を濁したまま、経営陣が役職にとどまっている企業や、公職にとどまっている政治家は多い。社会の側にそれを容認する余地があるからこそ、御用委員会が後を絶たないのだ。
 しかし、こんなことを続けていると、社会が持たない。企業は市場から見放され、政治不信は高まるばかりだ。日本や所属組織という内集団の掟だけに縛られ、それを守っている限り、後は全てなあなあで済まされた時代は、とうの昔に終わっている。
 なぜわれわれは自らを顧みることが、こうまで苦手なのか。その最も身近な例であり、その試金石ともなる第三者委員会を機能させるために今、われわれは何をしなければならないのか。第三者委員会を機能させることが、日本社会を正しい方向に導くことにつながると語る久保利弁護士と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

象徴天皇制と天皇の人権が両立するための条件

(第806回 放送日 2016年09月17日 PART1:43分 PART2:45分)
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部教授)

 天皇陛下がご高齢や健康上の理由から象徴天皇としての責務を果たせなくなることに不安を抱いていることを、自らの言葉で語られるビデオが公表された。間接的、かつ非常に慎重な言い回しではあったが、皇太子に天皇の地位を譲る「生前退位」の意思表示だったことは明らかだ。
 世論調査などを見ると、国民の圧倒的多数は陛下の生前退位を認めるべきと考えている。しかも、大半の国民は一過的な対応ではなく、恒久的な制度にすべきだと考えていることも明らかになっている。国会の召集や外国来賓の接受に加え、被災地の慰問や戦災地の慰霊など、報道を通じて陛下の多忙さを知っている国民の多くは、齢80を過ぎた今上天皇の、そろそろ引退させて欲しいとの思いに、理解を示しているということだろう。
 しかし、天皇のあり方を規定する皇室典範という法律には、天皇が崩御した時に皇太子が天皇の地位を継ぐことが定められているだけで、生前退位に関する規定がない。だから、今上天皇の思いを実現するためには、皇室典範を改正する必要がある。
 ビデオメッセージの公表を受け、今月26日に召集される秋の臨時国会では、皇室典範の改正を含めた対応を議論することが予定されている。しかし、今のところ永田町界隈では、皇室典範の改正までは踏み込まず、特別措置法などで特例的に退位を認める一過性の対応で、切り抜けようという意見が、大勢を占めているようだ。
 皇室典範はその呼称こそ戦前のものを引き継いではいるが、民主憲法下にある戦後の日本では一つの法律に過ぎない。他の法律と同様、国会の多数決の議決によって改正ができる。圧倒的多数の国民が天皇の生前退位を支持しているのだから、単に皇室典範にその規定を書き込めばいいではないかという気もするが、事はそう簡単ではないらしい。
 そもそも天皇は憲法で政治権力の行使が禁じられているので、陛下の「お気持ち」の表明を受けて直ちに法改正に乗り出すこと自体が、天皇の政治権力の行使を認めることになる可能性があり、問題なのだという。
 しかも、一部の識者たちは、天皇の生前退位を認めること自体に強く反対している。いやしくも天皇という地位は、個人の意思でそこに就いたり就かなかったりするべきものではないと考えているからだ。だから、自らの意思による退位など、許されないのだという。そのような形で退位を認めてしまうと、将来、皇太子が即位を拒否するような事態も起きかねず、悪しき先例になることを懸念する人もいる。
 また、逆に天皇が退位した後、上皇や法王の地位に就いて院政を敷き、裏から天皇を操ることで隠然たる政治力を行使する可能性に道を開くことを心配する向きもある。
 いずれも直ちには考えにくい話ばかりのようにも聞こえるが、悠久の歴史を誇る天皇という制度に変更を加える以上、何百年、何千年の長いスパンでものを考えるべきだという主張もわからなくはない。
 ただ、不思議なのは、これまで天皇への尊崇の念を声高に説いてきた右派の人ほど、陛下自身の人権を無視するかのような発言を繰り返していることだ。天皇は恐れ多い存在であり、一個人の意思でその地位に就いたり辞めたりできるものではないということのようだが、それは見方を変えれば、この際、天皇という個人の意思などどうでもいいと言っているようにも聞こえるし、天皇には人権など存在しないと言っているようにも聞こえる。
 基本的な人権の尊重を謳う日本国憲法下で、国民統合の象徴とされる天皇に職業選択の自由や移動の自由、婚姻の自由といった基本的な人権が認められていないことに加え、高齢や健康を理由に退位する自由さえ認められていない今日の事態を、われわれはどう考えればいいのだろうか。
 現在の象徴天皇制が規定されてから約70年、日本人は象徴天皇制という名の下で、統合の象徴たる天皇の存在を享受してきた。しかし、その一方で、その制度が、天皇および天皇家という人々の犠牲の上に成り立っているという現実からは、目を背けてきた。そして、今上天皇がご高齢となり、健康にも不安を覚えるようになった今、われわれは否が応にもその問題に向き合わなければならなくなった。
 天皇の発言を受けて法改正をするのは、天皇が政治権力を行使したことになるため、憲法に抵触する恐れがあるとの指摘もあるようだが、そもそも天皇陛下ご自身が、自ら制度変更の必要性を訴え出なければならないほどに事態が切迫するまで、この問題を放置してきたのはわれわれ日本人自身に他ならない。今こそ、象徴天皇という制度と天皇の人権をいかに両立させるかについての議論を始め、合意形成を図るべきではないか。
 戦後のあり方そのものを問い直すことにもつながる象徴天皇制の現状と天皇の人権問題、そして民主憲法との整合性などを、憲法学者の木村草太氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

遂に核兵器保有国となった北朝鮮とどう向き合うか

(第807回 放送日 2016年09月24日 PART1:54分 PART2:52分
ゲスト:武貞秀士氏(拓殖大学海外事情研究所・国際協力学研究科特任教授)

 遂に北朝鮮が本格的な核兵器の保有国になってしまった。
 というよりも、公然と核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対し、国際社会はみすみす核武装を許してしまったと言った方が、より正確かもしれない。われわれはどこで政策選択を誤ったのか。
 今年に入ってから北朝鮮は確認されているだけで、21発のミサイルを発射し、2回の核実験に成功している。8月3日にはノドン2発を日本のEEZ内に着弾し、8月24日にはSLBM(潜水艦発射ミサイル)も発射したほか、9月9日には5回目の核実験にも成功した。一般的には核実験を5回成功させれば、核兵器をミサイルに搭載できるレベルまで小型・軽量化が可能になっていると考えられている。
 早い話が、既に北朝鮮の核ミサイルは優に日本を射程内に収め、アメリカ本土にも届こうかというところまで来てしまったのだ。
 これが東アジアの安全保障の不安定要因となるばかりか、そのパワーバランスにも大きな影響を与えることは論を俟たない。日米を含む国際社会の対北朝鮮政策が、失敗だったことを認めないわけにはいかないだろう。
 そもそもなぜ日本を始めとする国際社会は北朝鮮の核武装をみすみす認めるようなことになったのか。元防衛研究所の教官で朝鮮半島情勢を長年ウォッチしてきた武貞秀士・拓殖大学特任教授は、北朝鮮はいずれ崩壊するに決まっているという国際社会側の決めつけが、北朝鮮に核武装の隙を与えたと強調する。
 確かに北朝鮮の国家体制は民主主義国のわれわれから見ると、いろいろと無理な点が目に付くことは確かだ。北朝鮮は度々食料不足に見舞われ、国民を満足に食べさせることもできていないという。かと思えば、政府の主要幹部が態度が悪いというだけで次々と処刑されたりしている。そんな国家がいつまでも持つわけがないと考えるのも無理はない。しかし、北朝鮮崩壊説に確たる根拠が示されているのを一度も見たことがないと、武貞氏は言う。
 北朝鮮という国や民族に対する蔑視や、国営放送局のニュース映像などから見えてくる全体主義の滑稽さなどによって、われわれは明らかに北朝鮮という国を過小評価していると、武貞氏は長年に渡り指摘してきた。しかし、専門家も政治家もその主張に耳を傾けようとはしなかった。そればかりか、北朝鮮という国を評価するかのような武貞氏の発言は、本気にされないばかりか、学会や論壇、メディア上などで、むしろ叩かれてきた。
 日本から見ると北朝鮮は世界から孤立しているように見えるが、実際は北朝鮮はヨーロッパやアフリカ、中東の国々と国交があり、貿易も行われている。アントニオ猪木氏らとこの9月に北朝鮮を訪れた武貞氏によると、ピョンヤンには多くのタクシーが走り、観光客の誘致に熱心で、実際観光地では外国観光客の姿が目立ったという。
 武貞氏は特に中国が北朝鮮の体制を崩壊させない強い意思を持っているほか、ロシアも経済協力に熱心だという。核実験やミサイルを発射するたびに制裁が議論される国連安保理の常任理事国2国が北朝鮮を支えているような状態では、制裁が効かないのも無理はない。
 また、確かに北朝鮮はまだ貧しく、食糧さえ不足しているが、独裁政権の下で国富を核・ミサイル開発に集中させれば、それが実現可能であることは、パキスタンやリビアなどが実証している。
 問題は、北朝鮮が核武装してしまった今、その状況に日本はどう対応すべきかだ。
 武貞氏は北朝鮮の核武装は、アメリカに対する交渉力を得ることが最大の目的で、核を持つことでアメリカに、北朝鮮は簡単に捻り潰せる相手ではないと認識してもらうためだという。しかし、北朝鮮の真意は、アメリカが朝鮮半島から手を引けば、北朝鮮主導で朝鮮半島の統一が可能になるというもので、それは日本にとっても受け入れがたい状況だ。
 朝鮮半島から地政学的にも至近距離にあり、北朝鮮との間に拉致問題を抱える日本は、この状況にどう対応すべきか。希代の朝鮮半島ウォッチャーの武貞氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
映画が映し出すメディアの変質

(第808回 放送日2016年10月01日 PART1:45分 PART2:56分

 月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお届けする5金スペシャル。今回は映画がメディアの変遷をどのように描いてきたか取り上げた。
 今回取り上げた映画は、最新作「ニュースの真相」のほか、「スポットライト 世紀のスクープ」、「グッドナイト&グッドラック」、「大統領の陰謀」、「ニュースの天才」、「マネーモンスター」、そして番外編として「プロミスト・ランド」と「ハドソン川の奇跡」の8作。
 かつては政治権力や大企業の腐敗と戦う「勧善懲悪」の主人公だったメディアが、最近ではメディア自身が悪事を働いたり、逆に権力に利用され腐敗の片棒を担がされたりするストーリーが多い。メディアが社会問題を解決するのではなく、むしろメディア自身が社会問題の一部として描かれるようになっている。
 確かに、グローバル化やインターネットの登場によって、既存のメディアの役割は大きく変わってきている。しかし、その一方で、新たに表舞台に躍り出たネットメディアは、これまで既存のメディアが果たしてきた権力の監視機能や共同体の意見を集約する機能は果たせていない。そうした状況の下で、政治の劣化や社会の分断は進む一方だ。
 映画に色濃く映し出されたメディアの変質から、われわれは何を読み取るべきか。このままメディアは伝統的な公共性を失ってしまうのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

2020年は東京が世界一のバリアフリー都市になるチャンスだ

(第809回 放送日 2016年10月08日 PART1:46分 PART2:28分
ゲスト:佐藤聡氏(障害者インターナショナル日本会議事務局長)

 1964年の東京オリンピックを機に政府は新幹線や首都高速などの交通インフラや国立競技場、代々木体育館などの公共施設の建設を進め、都内の公共インフラ整備が一気に進んだことはよく知られている。
 しかし、1964年に日本がやり残したことがある。そしてそれを実行するチャンスが、2020年に再び回ってくる。
 実は、1964年の東京ではアジア初のオリンピックが開催されたのと同時に、世界で最初のパラリンピックが開催されていたことは意外と知られていない。しかし、1964年の段階で日本にはまだ、都市インフラのバリアフリー化を進めるだけの余裕はなかった。
 それから半世紀が過ぎた。その間、世界各国では都市インフラのバリアフリー化やユニバーサルデザイン化が進み、気が付けば日本はバリアフリー後進国になっていた。
 2006年に国連で採択された障害者権利条約では、「合理的配慮がないこと」を差別としており日本も2年前に同条約を批准、今年4月に施行された障害者差別解消法も当然その考えをとっている。しかし、今の日本の建物や公共交通機関のバリアフリー基準は、2006年の「(新)バリアフリー法」に基づくもので、とても遅れたものとなっている。
 例えば、東京の地下鉄ではまだエレベーターすら完備されていない駅が、多く残っている。ホームに転落防止柵が完備されていない駅も多く、視覚障害者が線路に転落する事故が後を絶たない。エレベーターが設置されている駅でも、車椅子利用者は一旦地上に出て横断歩道を渡り、反対側のエレベーターに乗り直さなければ、乗り換えさえできないところが多い。しかも、エレベーターが設置されている駅でも1基しかないところがほとんどで、それを高齢者やベビーカーの利用者などが共有しているため、いつも長時間待たされる覚悟をしなければならない。
 2020年のオリパラの会場となる日本武道館やその他の施設も、車椅子利用者にとってはさまざまなハードルがあり、まだまだ決して高齢者や障害者に優しい施設とは言えない状態にある。
 自身が車椅子ユーザーで障害者インターナショナル(DPI)日本会議の事務局長を務める佐藤聡氏は、アメリカを視察した際に衝撃を受ける経験をしたという。
 ニューヨークでヤンキースタジアムを訪れた時のことだ。日本でも野球場に車椅子用のスペースは用意されているが、数が少ない上、健常者とは別扱いになるため、友人と一緒に試合を観戦することができない。ところが、ヤンキースタジアムには球場を取り囲むように大きな車椅子用のスペースが確保されていた。そこで一緒に来た健常者と試合を観戦することができる。そして、何よりもヤンキースタジアムは、前の人が立ち上がっても車椅子利用者の視線が遮られないように設計されていた。これをサイトライン(視線)と呼ぶが、前列の観客が立ち上がって、いつも試合の決定的なシーンを見ることができず悔しい思いをしてきた野球好きの佐藤氏は、その徹底ぶりに感動すら覚えたという。
 実はこれはヤンキースタジアムに限ったことではない。アメリカでは野球場のような公共の施設は、ADA(Americans with Disabilities Act。 1990年に制定されたアメリカの障害者差別を禁止する法律)のガイドラインに準拠しなければならないことが、法律によって定められている。そこにはサイトラインの確保は言うに及ばず、エレベーターのサイズから通路や出入り口の間口のサイズ、トイレの仕様に至るまで、図入りで厳しい基準が定められている。これは法律による縛りなので、それを守っていない施設があれば、公共施設であろうが民間の施設であろうが、すぐに訴訟を起こされてしまう。このガイドラインはそういう形で強い強制力を持っている。
 アメリカのADAから遅れること26年、2016年にようやく障害者差別解消法が施行された日本にも、一応バリアフリー化のガイドラインは存在する。しかし、これはADAガイドラインとは比べようがないほど基準が緩く、しかも民間に対してはあくまで努力目標にとどまっているため、ほとんど徹底されていないのが実情だ。
 もう一つ佐藤氏がアメリカで感じたことがある。それは心のバリアフリー化だ。日本では障害者というととかく特別扱いされがちだが、アメリカでは障害者も健常者も「共に生きる」という考えが当たり前のように浸透しているのを感じたという。心のバリアフリーを達成するために佐藤氏は、インクルーシブ教育の重要性を強調する。
 何にしても、そんな日本の首都東京に4年後、2度目のオリンピック・パラリンピックがやってくる。2020年を目指してさまざまなインフラ整備が予定される中、バリアフリー化の予算も例年より大幅に増額されている。小池新都知事も所信表明演説で「高齢者や障害者に優しいユニバーサルデザインのまちづくりも推し進め」ると明言した。折しも今年4月に障害者差別解消法が施行されたこととも併せて、東京は今、世界一のバリアフリー都市に生まれ変わるための、千載一遇のチャンスを迎えていると言っていいだろう。
 佐藤氏は2年前から積極的にオリパラ組織委員会のガイドライン策定に働きかけを行ってきたところ、当事者が参加して意見を言うことで、だいぶ状況は変わってきたと感じているという。すったもんだの末に決まった新国立競技場も、ことバリアーフリー化については国際標準を達成できる見通しが立ってきているそうだ。
 なぜ日本のバリアフリーは遅れているのか。2020年オリパラを機に、日本は世界一のバリアーフリー都市に生まれ変わることができるのか。その前に立ちはだかるものは何か。障害者インターナショナル日本会議事務局長の佐藤聡氏と、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。

トランプが負けてもトランプ現象は終わらない

(第810回 放送日 2016年10月15日 PART1:50分 PART2:53分)
ゲスト:渡辺靖氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)

 オクトーバー・サプライズ。
 アメリカの大統領選挙は投票日直前の10月に、予想外の展開を見せることが多い。ここで候補者の過去のスキャンダルが浮上したり、ちょっとした失言などがあると、11月上旬の投票日までに失地を挽回する時間がないため、結果的にそれが命取りになるからだ。
 予備選挙から一貫して今年のアメリカ大統領選挙の根幹を揺るがしてきた「トランプ旋風」が、ここに来て大きな節目を迎えている。どうやら2016年の大統領選のオクトーバー・サプライズは1本の猥褻ビデオだったということになりそうだ。
 猥褻ビデオと言っても、何か衝撃的な映像が映っていたわけではない。その中身は共和党の大統領候補ドナルド・トランプが、テレビ番組のロケバスの中で女を口説き損ねた武勇伝や自分の女癖についてスタッフと軽口を叩いている音声が収録されているだけのビデオだ。
 しかし、このビデオが今回は決定打となった。これまで数々の暴言や差別発言を繰り返し、女性に対しても典型的な性差別的態度を隠さずに来たトランプだったが、ここまでの発言は計算があってのことだろうと思っている人も多かった。あえて暴言を吐くことで、メディアに話題を提供しつつ不満層に訴えるトランプの戦略を、評価する声すらあった。
 ところが、10年前に録画されたという1本のプライベートなビデオによって、トランプの一連の暴言がどうやら彼の本音だったらしいことが、白日の下に晒されることとなった。少なくとも、これまで恐る恐るトランプを支持してきた消極的な共和党のトランプ支持者の多くは、そう受け取ったようだ。
 9月に長年所得税を払っていなかった疑いが取り沙汰されて以来、翳りを見せていたトランプの支持率は、ビデオが公表されてから更に落下し、クリントンとの差が10%を超える世論調査も出てきた。投票日まで一か月を切ったこの段階での10%の差は、よほどのことがない限り決定的に見える。
 しかも、ビデオが公表されて以降、自分がトランプからセクハラを受けたとか、無理やりキスされた、体に触られたといった告発をする女性たちが、雨後の筍のように方々で出てきている。
 そうしたことを念頭に置くと、もはや大統領選挙自体は決したかに見える。
 本来であればそれは、アメリカの歴史上初の女性大統領の誕生を意味し、もう少し盛り上がりを見せてもいいはずだが、そうした雰囲気はほとんど感じられない。
 まず、民主党のヒラリー・クリントン候補も実に多くの問題を抱えているからだ。今回は敵失で漁夫の利を得た形になるクリントンだが、メール問題や健康問題など、通常の大統領選挙では十二分に致命的になり得る問題がいくつも浮上していた。党内の予備選でも身内の後押しで辛うじてバーニー・サンダース候補を下したことを含め、もう少しまともな対立候補が出ていれば、どうなっていたかもわからない薄氷を踏む選挙戦だった。
 しかも、クリントン対トランプの選挙戦が、表層的なスキャンダルネタでお互いを罵り合うネガティブ・キャンペーンに終始したため、クリントンの政策が十分有権者に浸透したとは言えない状態だ。それがクリントンの大統領就任後のリーダーシップにどう影響するかについても不安は多い。
 そして何よりも、トランプ現象が終わりそうにないことだ。今回の猥褻ビデオで共和党の重鎮から批判されたトランプは、むしろ態度を硬化させ、今までは党に配慮して大人しくしてきたが、これからは自分のやり方で選挙戦を戦うと宣言している。実際に、ビデオ問題が発覚して以降、トランプは「自分が大統領になったらクリントンを刑務所に送ってやる」とか、メディアが報じている自分のスキャンダルは全てデマで陰謀だなどと、持ち前の陰謀論を全開させるなど、何でもありモードに入っているように見える。
 アメリカウォッチャーで慶應大学教授の渡辺靖氏は、ビデオ問題が浮上して以降、トランプは自分の支持層を拡げるのを諦める一方で、コアな支持者を固める戦略に出ていると指摘する。それはトランプが大統領選挙後も、トランプ現象を率いていく覚悟を決めたことを意味している。
 実際トランプは選挙後、自らの選対チームを中心とするに、新しい保守系のメディアビジネスを立ち上げる構想が取り沙汰されている。クリントン政権にとっては選挙が終わった後も、トランプが率いる一大勢力が最大のリスクファクターになる可能性が否定できない。
 渡辺氏はトランプの影響力がどの程度温存されるかは、選挙戦でトランプがどの程度の支持を集められるかにかかっていると言う。確かに選挙で惨敗すれば、トランプの勢いにも一時的にブレーキがかかるかもしれない。しかし、一説には何があってもトランプを支える支持者が全米で1400万人はいるという。今回の大統領選挙でトランプの下に結集した、現状に不満を抱える保守的な一大勢力は、今後、アメリカの政治地図を根幹から塗り替える存在になっていく可能性は否定できない。
 トランプ現象のその後と、選挙後のアメリカ政治の見通しについて、渡辺氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.79(791~800回収録)

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ビジネスに乗っ取られた五輪が破壊するスポーツの醍醐味

(第791回 放送日 2016年06月04日 PART1:1時間29分 PART2:55分)
ゲスト:今福龍太氏(東京外国語大学大学院教授・文化人類学者)

 東京オリンピックの招致に少なくとも2億円の裏金がコンサルティング料の名目で使われていたことが、英・ガーディアン紙のスクープで明らかになった。ところが、当時の招致委員会の理事長だった竹田恒和現JOC会長は国会で、「極めて一般的なこと」と、裏金に対する批判を一蹴した。
 招致に億単位の裏金が飛び交うのが当たり前という五輪というのは、一体どういう世界なのだろうか。
 2020年の東京オリンピックをめぐっては、新国立競技場の建設問題や大会のロゴ盗用疑惑、杜撰な大会運営費の見積りなど、次から次へと問題が露わになっている。明らかに杜撰なガバナンスとずるずるの銭勘定が当たり前のように横行している。そして、極め付けは裏金疑惑まで噴出する始末だ。ガーディアンの報道によるとフランスの検察が贈収賄の疑いで捜査に着手したという。
 IOC(国際オリンピック委員会)では、過去にも大会の招致をめぐり過剰な接待や裏金による不正が行われてきたことが批判を受けてきた。何億、何十億という裏金を使い、場合によっては贈収賄など法律に触れる危険を犯してでも招致する価値があるほど、五輪は一部の人たちにとっては旨味のあるビジネスになっているようだ。
 東京外国語大学大学院教授で、文化人類学者の今福龍太氏は、オリンピックが商業主義に乗っ取られる原因の一つとして、オリンピックという存在やその仕組みが、もはや21世紀の社会構造に合わなくなってきていると指摘する。
 20世紀、国家の代表が国際舞台で競い、世界中に興奮をもたらすことで国威発揚にフルに利用されたオリンピックは、冷戦や大国間のイデオロギー対立が消滅した今日、過剰なまでの商業化によって、巨大な利権が動く一大ビジネスの舞台となっている。
 電通などを媒介してメディアと一体化することで、今日のスポーツは一旦、五輪に採用されれば巨万の富を生むメジャースポーツとなるが、五輪から外れるとたちまちマイナースポーツ化してしまう。メディア側の都合で多くのスポーツのルールがテレビ中継に適したフォーマットに変更させられてきた。
 しかし、過剰な商業化の最大の弊害は、それがスポーツ本来の身体的な神秘性や競技の持つカオティック(無秩序)な一面を排除する方向に向かっていることだろうと、今福氏は言う。類稀なる身体能力を持ったアスリートたちが、瞬間的に見せる超人的な美技に、人は人類が文明の進化の過程で失ってしまった肉体性や野生を見る。それが本来のスポーツの醍醐味だった。ところが、商業化が進むと、超人的な要素はビジネスが最も忌避する偶発性に依存しているが故に、スポーツから排除される方向にあると今福氏は言う。
 試合時間はテレビの放映時間内に収まる必要があり、個々の超人的なプレーよりも国旗を背負ったナショナルチームの勝利が何よりも優先される。単なる勝敗よりも美技や超人的な肉体性が見たいダイ・ハードなファンは存在するが、大衆の動員が不可欠となるビッグビジネスでは、そのような少数派マニアの要求に応えている暇はない。そうした理由からバレーボールはラリーポイント制に変更され、サッカーはユニフォームの下にGPS装置などが入ったデジタルブラジャーを纏った選手たちが、コンピューター解析によるビッグデータで管理されるようになってしまった。それはより確実なビジネスチャンスを提供する一方で、スポーツの死を意味すると今福氏は言う。
 商業化を突き進むことで真の醍醐味を切り捨ててきたスポーツの行き着く先には何が待ち受けているのか。それでもなおわれわれは、スポーツに熱狂し続けることができるのか。商業化抜きでもスポーツは持続可能なものなのか。東京オリンピックの招致活動をめぐる一連の不祥事が、われわれに突きつけたスポーツの裏の顔について、広告代理店やメディアの影響などを参照しながら、ゲストの今福龍太氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

米大統領選で右も左も大混乱なわけ

(第792回 放送日 2016年06月11日 PART1:56分 PART2:51分)
ゲスト:会田弘継氏(青山学院大学教授・ジャーナリスト)

 アメリカ大統領選はヒラリー・クリントンが民主党の候補者に指名されることが確実となり、11月の本戦で共和党候補のドナルド・トランプと大統領の座をかけて争うことが事実上決まった。
 それにしてもアメリカの政治は前代未聞の異常事態に陥っている。共和党では政治経験など皆無の不動産王が、暴言を繰り返しながら、名だたる党のエスタブリッシュメント候補を完膚なきまでに打ち破ってしまった。もう一方の民主党も、知名度も経歴も非の打ち所の無いと思われた大本命が、民主社会主義者を自任し、昨日まで民主党員でもなかった老政治家に、ぎりぎりのところまで追い込まれた。これまでアメリカの政治を担ってきた二大政党が同時に、崩壊の縁に立たされているといっても過言ではない。
 アメリカに何が起きているのか。
 アメリカの思想史を長年ウォッチしてきたジャーナリストで青山学院大学教授の会田弘継氏は、トランプやサンダース躍進の背景にアメリカ社会に鬱積した不満や不安の存在を指摘する。グローバル化が進む中でアメリカの豊かさの代名詞だった「分厚い中間層」が崩壊し、その多くは、低所得層へと没落した。彼らの多くは既存の政治勢力に強い絶望感を抱いている。中でもプアホワイトと呼ばれる白人の低所得層は怒りの矛先を移民や少数民族に仕向けるトランプの支持に回り、多額の学費ローンを抱え、満足な仕事に就くことができない若者はウォールストリートや富裕層批判を強めるサンダースの下に参集した。そうした政治的変動が、今回の大統領選挙の予備選で既成政党に対する反発と反体制派候補への支持という形で顕著になったのだという。
 元々アメリカでは伝統的に共和党は保守陣営をまとめ上げ、民主党がリベラル層を束ねることで、長年にわたり二大政党制を維持してきた。しかし、アメリカではもはや保守派が社会を保守できず、リベラル派は再分配を通じた公平の実現が困難になっている。そしてそれは、決してアメリカに限ったことではない。
 アメリカの大統領選挙の異常事態は、保守とリベラルという従来の政治的な棲み分けが、世界的に困難になっていることの反映と見ることができる。安定的な経済成長が期待できることを前提に、分厚い中間層に支えられた政治環境の下で、保守とリベラルの間でチェック・アンド・バランスを繰り返してきた民主主義体制そのものが、成り立たなくなっているのだ。
 アメリカの大統領選で表面化した政治的な混乱は何を意味しているのか。保守とリベラルという伝統的な仕分けが成り立たなくなった世界で、何が新たな対立軸となり得るのか。大統領選におけるトランプ、サンダース躍進から見えてくる世界の新たな政治的潮流の正体を、ゲストの会田弘継氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

18歳選挙権で試される日本の成熟度

(第793回 放送日 2016年06月18日 PART1:58分 PART2:46分)
ゲスト:斎藤環氏(精神科医・筑波大学医学医療系教授)

 精神科医の斎藤環氏は、選挙年齢の18歳への引き下げに反対している。大勢の引きこもりの若者を診てきた経験から、日本社会に若者の成熟や自立を支える準備ができていないと考えているからだ。
 6月19日に改正公職選挙法が施行され、選挙権を与えられる年齢が18歳に引き下げられる。7月10日に投票が見込まれている参議院議員選挙は、18歳選挙権が実施される初の国政選挙となり、自民党は、若者票を当て込んで比例区の候補者に元アイドルグループのメンバーを擁立する一方、民進党は給付型奨学金制度の創設を謳うなど、与野党とも若者に対するアピールに余念がない。今回の引き下げで、全有権者の約2%に相当する約240万人の若者が新たに選挙権を手にすることになる。
 世の大人たちは、選挙年齢の引き下げによって若者の政治への参加意識が高まり、責任感も増すのではないかと、おおむね肯定的のようだ。また、欧米諸国で18歳から投票権を与えていることも、今回の制度改正を支持する理由になっている。
 しかし、若者の自立や成熟を支援する制度を強化することなく、単に選挙年齢を下げれば自動的に若者の自立や政治参加が進むと考えるのは、「根拠がない」と斎藤氏は言う。
 選挙年齢を下げれば、次は成人年齢を18歳に引き下げようという議論になることは必至だ。それは現行制度の下では子供として保護の対象となっている18歳、19歳の若者を大人として扱い、年金や社会保障費や刑事罰で大人と同等の義務や責任を負わせることを意味する。
 そもそも今回の18歳への選挙年齢の引き下げは、憲法改正のための国民投票の対象年齢を18歳としたことに合わせるためだった。国民投票年齢を18歳とした背景には、憲法改正を目指す自民党が、若年層が憲法改正に前向きであることを意識したためであると考えられている。
 選挙年齢がそのような「不純な動機」で引き下げられる一方で、若者の引きこもりは深刻の度合いを増していると斎藤氏は言う。多くの若者が、携帯電話やSNSによって繋がる友人関係から外れまいと、必死にキャラを演じながら、過剰なプレッシャーに耐えている。そのプレッシャーに耐えられなかったり、そこから外れてしまった若者の多くが、不登校や引きこもりなどの手段によって自己防衛に走る。その数は正確にはわからないが、人口の5%~10%に及ぶとの推計もあると、斎藤氏は言う。
 このような引きこもりの問題も解決できない日本が、選挙年齢を引き下げて18歳の若者を成人として扱い、一人前の責任を求めるようになれば、今以上に多くの若者が社会から隔絶されてしまう恐れがある。今日本が優先的に考えなければならないことは、若者の責任を増やすことではなく、若者の自立を支援する体制を強化することではないかと斎藤氏は語る。
 選挙年齢の引き下げは妥当なのか。18歳に選挙権を与え、これを大人として扱うだけの体制が日本の社会にできているのか。成人年齢の引き下げ論議や、社会的弱者としての若者対策の現状などを参照しながら、ゲストの斎藤環氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本会議は日本をどうしたいのか

(第794回 放送日 2016年06月25日 PART1:1時間08分 PART2:50分)
ゲスト:鈴木邦男氏(一水会元会長・作家)

 来たる参院選の争点は本当にアベノミクスだけでいいのか。
 安倍首相は過去の選挙と同様に、この選挙をアベノミクス選挙と位置づけ、しきりとその継続を訴えているが、その一方で、依然として憲法改正に対する強い意欲を表明することも忘れていない。憲法改正は党の選挙公約にこそ入っていないが、首相自身が一連の党首討論会などで、「自民党は立党以来、憲法改正を掲げている。そう考えている人が集まっているのが自民党だから、(改正を目指すのは)当たり前だ」と、実際、憲法改正が安倍政権の究極の目標であることを明かしている。
 1955年に自由党と旧民主党が合併して成立した自民党が、旧民主党が掲げる自主憲法の制定を党是に頂いていることは事実だ。しかし、少なくともここまで明確に憲法改正を政治目標として掲げて政権を維持できた政権は、安倍政権以前には存在しなかった。
 実際、各紙の世論調査によると、6月22日に公示された参議院選挙で、与党自民党・公明党を中心とする改憲勢力が、憲法改正に必要な参院の3分の2を押さえる勢いだという。第二次安倍政権が成立して3年。アベノミクスに目を奪われている間に、日本では右派の長年の野望だった憲法改正が、いよいよ手の届くところまで来ていると言っていいだろう。
 これは憲法改正に限ったことではないが、安倍政権発足以来、自民党の右傾化が顕著になっている。特に第二次安倍政権は選挙のたびに有権者にアベノミクスの是非を問いながら、選挙に勝利すると、秘密保護法、安保法など、歴代の政権が実現できなかった重大な法案を相次いで成立させている。ちなみに道徳教育を義務付け、愛国精神を重んじることを謳った教育基本法の改正も、第一次安倍政権の下で実現したものだった。
 そうした安倍政権の右傾化路線の背後に、日本会議というロビー団体の影響力が働いていることが、次第に明らかになってきている。現に、第三次安倍改造内閣19人の閣僚のうち、日本会議国会議員懇談会のメンバーが12人いたことは既に知られている。もちろん安倍首相もそのメンバーだ。また、日本会議と関係の深い神道政治連盟国会議員懇談会にいたっては、馳浩文科相と島尻安伊子沖縄北方担当相、公明党の石井啓一国交相を除く17人がメンバーとも報じられている。
 日本会議は、その前身の日本を守る国民会議と日本を守る会が統合して、1997年に設立された、いわゆる草の根保守の運動団体だ。関係する組織には神社本庁や明治神宮、靖国神社といった宗教関係の団体が多く、宗教右派に位置付けられる存在だが、関係団体の動員力や資金力をてこに、長年にわたって政治への働きかけを行ってきている。宗教団体を中心に保守勢力を束ねているが、その中核を担う事務総局は、かつて宗教法人生長の家で政治活動に関わっていたメンバーが取り仕切っているとされる。
 では、日本会議は日本をどうしたいのか。彼らの目的は、皇室中心の日本、新憲法制定、そして伝統的家族観の実現や国防の充実、誤った歴史観の修正など、いずれも保守的であり復古主義的なものが多い。
 そして、その性格は近年の自民党の右傾化路線とほぼ丸々重なっている。特に今回の参院選では、憲法改正を実現する1000万人ネットワークなる運動を展開していて、神社本庁などの組織力と動員力を背景に、ここまで改憲に賛同する署名を700万以上も集めたなどとも報じられるなど、ここに来て日本会議の国政への影響力が、顕著に目立つようになってきている。
 政治団体一水会の元顧問で、かつて生長の家で現在の日本会議のメンバーらと活動を共にした経験を持つゲストの鈴木邦男氏は、日本会議の中心メンバーには有能な人物が多く、過去の経験から大衆運動のノウハウを心得ていると指摘する。それが日本会議の勢力の拡大につながっていると鈴木氏は言う。
 しかし、日本会議の主張は歴史修正主義的な色彩が強く、近代民主主義の理念や前提と矛盾するものも多い。選択的夫婦別姓には強く反対し、国家や天皇を中心とする国体のためには個人の自由や権利を制限することも厭わない。その内容の過激さ故に、現在の日本会議の中心メンバーの多くが所属していた生長の家でさえ、「彼らを説得できなかった責任を感じる」との声明を出し、彼らの国政への影響力が大きくなることに懸念を表明しているほどだ。
 日本会議とは何者なのか。そこまで国政に影響力を持つようになった日本会議は、一体日本をどうしたいのか。安倍政権の下で着々と進む右傾化の背後にある日本会議という団体の実態と、彼らがそれだけ影響力を持つに至った歴史的な経緯や背景などを、日本会議の内情や日本の宗教右派の歴史に詳しい鈴木邦男氏と、日本会議を取材してきたジャーナリストの青木理、社会学者の宮台真司が議論した。

イギリスのEU離脱で世界はこう変わる

(第795回 放送日 2016年7月2日 PART1:52分 PART2:46分)
ゲスト:遠藤乾氏(北海道大学大学院教授)

 イギリスの国民投票によるEU離脱は、世界の民主主義の在り方を根底から変えるかもしれない。
 イギリスは6月23日に行われた国民投票で、EU(欧州連合)からの離脱を選んだ。予想外の事態に、直後から市場はパニックに陥り、世界経済への長期的な影響は計り知れないとの指摘が根強い。
 世界5位の経済規模を持つイギリスが、長い歴史を経てようやく統合を果たしたEU市場から離脱することの市場への影響や経済的な損失は当然大きい。また、それがEUの将来に暗雲を投げかけていることも確かだろう。
 しかし、もしかすると今回のイギリスのEU離脱、とりわけ国民投票という直接民主主義による意思決定は、これから世界の民主主義が根底から変質していく上での大きな分水嶺として、歴史に刻まれることになるかもしれない。
 人、モノ、カネが国境を越えて自由に交錯するグローバル化が進み、世界中で貧富の差が拡がる中、これまで民主主義と一体になって進んできた資本主義の原則を優先する政治に不満を持つ人の数が増えている。グローバル化は総体としては世界をより豊かにしたが、その過程で中間層を没落させ、われわれの社会を一握りの富裕層と巨大な貧困層に分断した。そのプロセスは今も続いている。
 そのような状況の下で国民投票のような直接民主主義的な意見集約を行えば、数に勝る貧困層の意見が優勢になるのは時間の問題だった。そして、それがグローバル化によって現出した現状に対する強烈な拒絶反応になることも。
 EUやイギリスの政治史に詳しく、今回の国民投票を現地で調査してきた国際政治学者の遠藤乾・北海道大学大学院教授は、EUに主権を握られていることに対するイギリス国民の不満が予想した以上に強かったと指摘する。今回の国民投票結果の背後には移民に対する不満があることは広く指摘されているが、これは現在のイギリス政府が好き好んで積極的に移民を受け入れているのではない。EUに加盟している以上、域内の人の移動の自由を保障しなければならないというEU縛りがあるのだ。国民の多くが不満を持つ移民受け入れ政策に対して、イギリス政府は事実上、自国の政策を選択する主権を有していない。EU本部が置かれたベルギーのブリュッセルで決められた政策に縛られ、その影響を受けることを理不尽に感じるイギリス国民が多いのは当然のことだった。
 元々EUは発足当初から、加盟国の主権を部分的に制限してでも、統一した市場を維持することが、アメリカや他の地域に対してヨーロッパ諸国が優位に立つことを可能にし、結果的にそれが各国の利益に繋がるという前提があった。しかし、その後、旧東欧諸国の多くがEUに加わり、今やその数は28カ国にまで拡大している。加盟国間の格差は広がり、イギリスの場合もポーランドやリトアニアなどの旧共産圏の国から大量の移民が流れ込むようになった。ピューリサーチによる世論調査でも、旧東欧圏の新たに加盟した貧困国ではEUに対して好意的な意見が多い一方で、イギリスやフランスなどその負担を背負う側の国では、EUへの支持が年々低下していた。
 アメリカでは、メキシコ移民に対する不満をぶちまけることで白人労働者層の支持を集めた不動産王のドナルド・トランプが、共和党の大統領候補になることが確定しているが、その支持層は今回のイギリスの国民投票でEU離脱を選んだ層と多くの点で共通している。イギリスの国民投票の結果についてトランプはすかさず、「イギリス国民は政府を取り戻した」と、これを讃える声明を出している。
 今回のイギリスの選択は、近代国家を支えてきた民主主義と国家主権、そして資本主義のトリアーデ(3つの組み合わせ)が、同時に成立しなくなっていることを示しているのではないか。イギリスでは資本主義的な利益を度外視してでも、主権を取り戻すことが重要と考える人が過半数を超えた。今後、格差が拡がりつつある日本でも、イギリスやアメリカで起きている現象とは無縁ではいられないだろう。日本でその矛盾がどういう形で顕在化するかについては、今後注視していく必要がある。
 イギリスのEU離脱という選択がわれわれに突きつける課題について、イギリスの国内事情やEUの歴史などを参照しながら、ゲストの遠藤乾氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

この参院選で問われなければならないこと

(第796回 放送日 2016年7月9日 PART1:57分 PART2:53分)
ゲスト:中北浩爾氏(一橋大学大学院社会学研究科教授)

 日本は明日、3度目のアベノミクス選挙を迎える。
 2012年の安倍政権成立から3年半の間に、2度の国政選挙が行われているが、安倍首相はそのいずれもアベノミクスを問う選挙と位置付けてきた。今回も安倍首相は「アベノミクスのエンジンを2段3段と吹かしていかなければならない」と言い放っている。
 しかし、過去2度の選挙では一旦選挙が終わると、安倍政権はアベノミクス選挙の勝利で得た数を使って、秘密保護法や安保法制といった選挙公約とは異なる政治課題の実現にその力を集中させ、それを数の論理で強硬に成立させてきた。
 そしてまた、3度目のアベノミクス選挙である。
 憲法改正がどうだの、大型補正予算がどうだのと色々と取り沙汰はされているが、選挙後に何が出てくるかを予想しても、鬼に笑われるだけだろう。しかし、政権への信任投票を行う以上、信任するにせよ、不信任票を投ずるにせよ、少なくともこの3年間に安倍政権が行ってきた政策の中身をきちんと精査し、その評価を下した上で、一票を投じる必要がある。
 そこで今週のマル激では、恒例となった選挙直前の「マル激的選挙の争点」を考えてみたい。
 今週のゲストで政治学者の中北浩爾・一橋大学大学院教授は、今回の参院選で安倍政権は、巧みな争点隠しを行っていると指摘する。経済政策や社会保障など国民の関心が高い分野で、野党の主張に重なるような政策を掲げることで、対立の構造を見え難くしているというのだ。与野党の対立が鮮明にならない限り、与党有利、現職有利は揺るがないからだ。
 確かに選挙戦に入ってからの自民党は、所得の再分配やワークライフ・バランスなどこれまで民進党が主張していた論点を、しきりと口にするようになっている。それが実態を伴うものかどうかは定かではないが、少なくとも選挙の争点隠しには功を奏していると言っていいだろう。
 しかし、争点隠しには野党も協力していると言わざるを得ない。そもそも安倍首相はこの選挙で「消費税増税延期の信を問う」としてきた。ところがこの選挙では、野党を含む全政党が消費税増税の延期には賛成している。これでは有権者から争点が見えなくなるのも無理はないというものだ。
 では安倍政権が隠したい、この選挙の真の争点とは何か。中北氏はずばり憲法改正だと言う。今回の選挙では与党に改憲に前向きな改憲勢力を合わせて、憲法改正案の発議に必要な参議院の3分の2の議席を獲得できるかどうかが、大きなポイントになると見られている。改憲勢力は既に衆議院では3分の2の議席を確保しているため、この選挙で改憲勢力が合わせて78議席以上を確保すれば、恐らく戦後初めて憲法改正案の発議が可能となる。
 「この千載一遇のチャンスを安倍首相がみすみす見逃すとは考えにくい」と中北氏は指摘する。経済状況もかなり悪化してきており、アベノミクスの神通力がいつまで持つかは不透明な状況だ。このチャンスを逃せば、次の選挙でも改憲勢力が3分の2を維持できる保証は全くない。
 今のところ公明党が憲法9条の改正には慎重な姿勢を見せているため、仮に改憲の発議があったとしても、憲法9条を変更するかどうかは不透明な状況だが、党是に自主憲法制定を掲げる安倍自民党には、とにかく憲法を変えたいという強い野望を持つ議員が少なからずいる。9条にこだわらなければ、意外とすんなり憲法改正の発議が行われるのではないかというのが、中北氏の見立てだ。
 他にも安倍政権が隠そうとしている争点は多い。安倍政権が実施した法律や制度の中でも、特に今回の選挙は安保法制が強行採決されてから最初の国政選挙となる。また、安保法制と並んで、日本は外交、安全保障面でいくつかの大きな政策転換をしている。特に、アメリカと足並みを揃えるために、中東において多くの犠牲を払ってきた。
 東京外国語大学の伊勢崎賢治教授は、安倍政権下で日本は「多くの敵を作ってしまった。中国との関係を考えて一層アメリカ寄りになったが、マイナスばかりだ」と、安倍政権の安保、外交政策については厳しい評価を下す。
 一方、安倍政権はこの選挙をアベノミクスという経済政策を問う選挙と位置づけているにもかかわらず、社会保障や雇用の実態は悪化の一途を辿っている。東京大学の大沢真理教授は、どれだけアベノミクスのエンジンを吹かしても、労働者の実質賃金が下がり、非正規雇用が増え、貧困率が上昇している実態を覆い隠すことはできないと指摘する。
 慶応義塾大学の土井丈朗教授は、アベノミクスのエンジンを吹かし続けることによって、財政赤字が膨れ上がることへの懸念を表明する。金融緩和の効果が弱まる中、安倍政権は年内に10兆円規模の大型補正を計画しているとされている。消費増税を延期した上に、大型の補正予算を組めば、政府が目標にしている2020年までのプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化は更に遠のくという。
 このように、一見争点が見えないように見えて、一皮めくれば、この選挙でわれわれは日本の行く末に大きな影響を与えかねない重大な選択を下そうとしている。選挙後に「こんなはずじゃなかった」と思わないで済むようにするためにも、ここはひとつ有権者一人ひとりが、自分が今、何を選択しようとしているのかをよく考えたい。
 かつてアメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンは「十分に情報を得た市民は民主主義の基盤である」と語っている。明日の参院選でわれわれは何を選択しようとしているのかについて、各分野の識者へのインタビューを交えながら、ゲストの中北浩爾氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

参院選でわれわれが選んだもの

(第797回 放送日 2016年7月16日 PART1:56分 PART2:45分
ゲスト:小林良彰氏(慶応義塾大学法学部教授)

  この選挙で日本の有権者が選んだものは、ただの「現状維持」だったのか。
 参議院選挙は与党勝利で幕を閉じた。自民党は6議席を上積みし、追加公認などを加えると参院で121人の単独過半数を得ることとなった。自民党が参議院で単独過半数を得るのは、消費税導入直後の1989年に宇野政権下の参院選で過半数割れして以来、27年ぶりのこととなる。公明党も5議席上乗せし、おおさか維新の会などのいわゆる改憲勢力としては戦後初めて、衆参両院で憲法改正の発議に必要な全議席の3分の2を超える結果となった。
 一方の野党陣営は、一人区での統一候補擁立が功を奏し、全体としては善戦したが、最大野党の民進党が前回選挙から14議席減らして、更に勢力を縮小させたことで、与野党の力の差は更に拡がる結果となった。
 与党、とりわけ自民党の勝因について、2000人を超える有権者を独自に世論調査した政治学者の小林良彰・慶應義塾大学教授によると、圧倒的に多くの有権者が景気対策や年金、社会保障問題などの経済問題を優先課題にあげていたという。
 野党が与党の攻撃材料として強く前面に押し出してきた安保法制や憲法改正の問題は、関心がないわけではないが、日々の生活の苦しさや将来不安の方が有権者にとっては遥かに優先課題だったことがうかがえる。
 その点、経済政策については、自民党は野党の訴える政策を巧みに取り入れ、経済政策で差別化を図ろうとする野党の戦略を無力化することに成功した。結果的に有権者からは、優先課題の経済政策で自民党と野党の政策の区別がつきにくくなり、「ならばよりリスクの小さい与党に」という結果になったと見られると小林氏は言う。
 自民党がメディア報道にもあれこれ注文を付けたり、選挙期間中に党首討論や記者会見を避けたことも、争点隠しの成功に貢献したとみられる。
 しかし、中身のある政策論議まで行き着かなかった最大の責任は野党、とりわけ民進党にあると小林氏は指摘する。各党ともあれこれ公約や政策を打ち出してはいるが、有権者の関心とはずれていた。また、選挙公約にいい言葉が並んでいても、財源の裏付けがないものが多いなど、有権者が現実に期待できる政策を提案できていた政党は皆無だった。それでは「アベノミクス」という強力なキーワードに対抗することはできない。
 民進党の岡田代表は記者会見で、今回、議席は減らしたものの、3年前の参院選よりも民進党に対する支持が回復してきたとして、これを党勢回復のきっかけにしたいと、やや楽観的な抱負を語っていた。しかし、民進党の比例区の当選者はほぼ労働組合関係者に独占されているほか、比例区の得票数で自民党が大幅に得票を伸ばす一方で、民進党はその半分程度にとどまるなど、依然として民進党に対する不信感が根強いことも浮き彫りになった。
 小林氏は民主党の政策を見ても、自民党と大きな差異が見つけられないところに敗因があったと指摘する。安倍政権が民進党の政策を真似したなどと文句を言っているが、それは民進党の政策が自民党と大差がないものだったことの証左でもあった。与党がとても真似できないような強いアピールを持った政策を打ち出せなければ、本当の意味での野党への支持は回復しないだろう。
 結果的にこの選挙によって自民党は参院でも単独過半数を獲得し、改憲勢力も両院の3分の2を超えた。選挙後の記者会見で安倍首相はアベノミクスの継続が信任を得たとして、今後アベノミクスを加速させていくことを宣言し、手始めに年内にも実施される予定の大型の経済対策の検討に入ったという。政府内では10兆円規模の補正予算が取りざたされているという。ここ当分の間、日本は金融緩和の継続と公共事業の拡大を両輪として、経済を回していくことになりそうだ。
 また、安倍首相は憲法改正についても、憲法審査会での議論を前進させていくことに強い意欲を見せている。どうも安倍首相は、選挙で勝った以上、安倍政権の政策が全面的に国民の信任を得たと受け止めているようにも見える。
 しかし、小林氏は選挙の勝利が白紙委任を意味するわけではないと、警鐘を鳴らす。安倍首相がそれを見誤れば、リスク回避目的で今のところ自民党に集まっている消極的な支持が、一気に雲散霧消する可能性もある。また、同じく有権者側も白紙委任状を渡したわけではないことを認識し、引き続き辛抱強く政治を監視していく姿勢が求められる。
 与党が圧勝し、野党陣営でも組織選挙が目立った参院選だったが、新しい政治参加の形が見えてきた選挙でもあった。上智大学の三浦まり教授によると、この選挙ではこれまで政治に積極的に参加してこなかった市民層の多くが、独自に政治との回路を開拓していたと指摘する。利益団体だけでなく、こうした一般市民層の政治参加が進み、とりわけ野党がその勢力との合流に成功すれば、政治に健全な競争が生まれ、政治に緊張感が戻ることが期待されるところだ。
 今回の参院選でわれわれが選択したものは何だったのか。与党に勝利をもたらした有権者の投票行動は、われわれのどのような政治的意思を反映したのか。また、野党には何が欠けていたのか。今回の選挙における有権者の行動分析や各党の政策と選挙結果などを参照しながら、ゲストの小林良彰氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

病院がなくなったら市民が健康になった夕張から学ぶべきこと

(第798回 放送日2016年7月23日 PART1:45分 PART2:39分
ゲスト:森田洋之氏(内科医・南日本ヘルスリサーチラボ代表)

  医療の行き過ぎが、財政負担の増大を招くばかりか、かえって市民の健康にマイナスになっている可能性があるという。
 財政が破綻した夕張市では各種の公共サービスの大幅縮小を強いられてきたが、医療も決して例外ではなかった。171床あった市立病院は廃止され、19床の診療所と40床の介護老人保健施設に再編された。救急車の応答時間も破綻前の2倍近くかかるようになっていた。当初、これは医療崩壊が避けられないもの考えられていた。
 ところが、医療崩壊に直面した夕張市は、逆に市民の福祉を向上させることに成功した。医療を失った結果、市民がかえって健康になったというのだ。
 財政破綻後の夕張市立診療所の所長を務め、地域医療を担ってきた内科医の森田洋之氏は、医療サービスを縮小せざるを得なくなった夕張では、かえって医療や健康に対する市民の意識が変わり、結果的に心疾患や肺炎で亡くなる人の割合が減ったと指摘する。また、病院が減ったために、医師が患者宅を往診する在宅医療に比重が移ったことで、高齢者一人当たりの診察費が抑制され、病院ではなく自宅で亡くなる人の割合が大幅に増えたという。
 医療サービスの縮小は、当然、市民に不便を強いているはずだ。病床数は減り、救急車の応答時間も1時間を超えた。しかし、森田氏は、医療体制の縮小や削減が原因で、夕張市民の死亡率や死者数が増えたということはないと話す。むしろ、高齢者にとっては、病院ではなく、自宅や特別養護老人ホームなど、終の棲家で天寿を全うし、最期の時を迎えることができるようになったことが、重要な意味を持つと森田氏は指摘する。
 日本では、1951年には8割以上の人が自宅で最期を迎えていたが、現在は75.6%の人が病院で亡くなるようになった。多くの人が自宅など終の棲家で最期を迎えたいと考えているが、実際は家族が最後まで面倒を見ることは難しいのが実情だ。しかし、夕張では医療崩壊によって終末医療を病院に任せられなくなった結果、在宅で療養する患者を隣近所が協力して面倒を見るようになり、地域の繋がりが強まる効果も生んだ。結果的に自宅で死を迎えられる人が増えたと、森田氏は言う。
 森田氏はまた、医療が高度化すると、過剰な医療サービスが提供されるようになり、不必要に医療費が膨れ上がる傾向があると指摘する。人口10万人に対する病床数が日本で最も少ない神奈川県の一人当たりの入院医療費が8万6,046円であるのに対し、病床数が2479床と日本で最多の高知県では、一人当たりの入院医療費が19万70円にものぼっている。
 下手に医療体制が充実すると、市民の医療への依存意識が強くなり、個々の健康に対する意識はかえって希薄になる。とりあえず病院に行けばいいだろうと考える住民が増えるため、医療費がいたずらに膨れ上がる。ところが、夕張のように簡単に病院に行けなくなると、市民が健康を意識し、予防医療を実践せざるを得なくなる。
 夕張では財政破綻という最悪の理由から、市民は否が応にも医療サービスの大幅な低下を受け入れざるを得なかった。しかし、その結果、市民の健康に対する意識が上がり、かえって市民が元気になるという、予期せぬ効果が生まれた。
 現在、急ピッチで高齢化が進む日本では、医療費も年々増加の一途を辿り、国の財政を逼迫させている。しかし、夕張市の経験は、医療費を増やせば自動的に市民の福祉や健康が増すとは限らないことを物語っている。
 財政が逼迫し、医療サービスを縮小せざるを得ないという宿命を抱える日本は、夕張市の実例に何を学ぶべきか。ゲストの森田洋之氏とともに、マル激初登場、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。

【5金スペシャル】マル激放送800回記念トークライブ 「何でもあり」への抗いのすすめ

(第799回 放送日 2016年7月30日 PART1:55分 PART2:53分)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。マル激は2001年2月16日の第1回放送以来、間もなく第800回の放送を迎えるにあたり、7月24日に東京・渋谷のロフト9でトークイベントを開催した。今回の5金は、このイベントの模様をお送りする。
 マル激がスタートした2001年2月、日本は自民党の森喜朗政権。首相の度重なる問題発言や失政で内閣の支持率が一桁台に落ちる中、記念すべき第1回放送でマル激は、青少年社会環境対策基本法を通じた政府による表現規制と記者クラブに代表されるメディアの構造問題を中心に議論をしている。
 第1回放送の2001年2月16日から米・同時テロがあった2001年9月11日までの間、マル激は27回の番組を放送しているが、そこでは、手を変え品を変え繰り出される政府による表現規制の企てや、記者クラブに代表されるメディアの構造問題、小泉政権の発足による政治保守から経済保守への権力の移行、靖国参拝問題と歴史修正主義、狂牛病に代表される地球環境と食の安全問題などが議論されていた。その多くは、依然として今も解決されていない。
 ところが2001年9月の同時テロによって、世界の流れが大きく変わった。それがマル激の番組のラインナップからもはっきりと見て取れる。
 同時テロとその後に始まったアメリカによる「テロとの戦い」の名のもとに行われた報復戦争によって、それまでマル激が扱おうとしていた世界や日本が抱えていた問題の多くが、一旦は優先順位が下げられ、水面下に潜ってしまい、テロや安全といった目先の問題への対応が優先されることになった。同時に日本は、憲法上の制約と対テロ戦争における自衛隊の担うべき役割についての終わりなき論争に明け暮れることになる。
 第800回放送を迎えるにあたり、改めて今日の日本や世界を俯瞰した時、マル激が2001年の第1回放送から2001年9月の第27回放送までの間に議論したテーマが、何一つとして解決していないことには驚きを禁じ得ない。同時テロはそれまで日本や世界が抱えていた問題に一旦蓋をしてしまった。そして、今、それから15年が過ぎ、テロがややもすると常態化するようになった今、改めて世界を再点検してみると、そもそもテロを生む遠因にもなっていた世界の諸問題が、実は何一つとして解決できていなかったことが明らかになる。
 問題は問題として直視し、解決していくしかない。しかし、15年にわたるテロとの戦いによって疲弊した世界の市民社会は、もはや15年前の状況とは大きく異なっている。その間、格差は拡大し、中間層は解体され、メディアの堕落は進行するなど、社会全体が大きく劣化してしまった。市民社会は問題に対峙するための多くのツールを失っている。15年前のようにナイーブに一つ一つの問題に真正面から取り組むだけでは、おおよそ問題の解決は望めそうにない。
 実際、市民社会は何度となく問題を解決すべく努力はしてきた。しかし、そのたびに徒労感だけが残った。努力すればするほど、問題の解決が容易でないことをより痛感させられる経験を経て、市民社会全体がやや諦めの境地に入っていることも否めない。
 しかし、ここで「何でもあり」のモードに身を委ねてしまえば、世界は堕ちるところまで堕ちることになる。
 15年前われわれはまだ、理想的な世界の実現を夢見ていた。いくつか問題はあるが、努力をすれば問題は解決できるし、そうすれば世界は理想的とまでは言わないまでも、素晴らしいものにできると考えていた。
 その考え方自体が間違っていたわけではない。しかし、世界は理想とは程遠い状態にあり、それは実は15年前も同じだった。社会が内包している様々な問題が可視化されていなかっただけだった。
 同時テロ以降の15年間で、社会はメッキが剥がれ、元々内包されていながらそれまで可視化されていなかった問題が一気に噴き出した。
 もはや、「あの素晴らしい世界をもう一度」などというスローガンは通用しそうにない。いつかは争いも貧困もない完璧な世界が実現するなどという幻想は早く捨てた方がいいのかもしれない。しかし、そんな「クソのような世界」が、これまで何とか回っていたのは、市民一人ひとりの不断の努力の賜物だった。「クソのような」と「クソ」には大きな違いがある。その努力をやめた時、世界は本当に「クソ」になってしまう。
 20世紀の人類の発展を支えた民主主義と資本主義、そしてそこから派生した様々な思想や法制度、社会制度などのセーフティネットやツールが、今大きな岐路に差し掛かっていることはまちがいない。これまでのような20世紀の幻想を前提とする発想では到底解決できない困難な選択が、われわれを待ち受けている。しかし、それはわれわれのこれまでの理想が間違っていたのではなく、いよいよその真価が問われる局面を迎えているということではないか。
 今回、800回という節目を迎えるにあたり、東京・渋谷のLOFT9 Shibuyaの新規開店に合わせて行われたトークライブでは、15年前の第1回の放送から、何が変わり何が変わっていないのかを検証した上で、なぜ今、われわれの当初の問題意識の再確認が重要な意味を持つのかを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

人権問題としての象徴天皇制を考えるべき時にきている

(第800回 放送日 2016年8月6日 PART1:49分 PART2:22分)
ゲスト:御厨貴氏(青山学院大学特任教授)

 天皇陛下の生前退位のご意向が7月13日に報じられて以来、天皇制のあり方をめぐる議論が盛んに交わされている。
 来週月曜(8月8日)には、陛下ご自身がビデオを通じて「お気持ち」を表明することが発表されているが、マル激ではそれに先立って、この問題で日本人一人ひとりが考えなければならない論点は何かについて、政治学者で天皇制についても造詣が深い御厨貴氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
 そもそも今上天皇が非公式ながら生前退位の意向を示したことについて御厨氏は、象徴天皇制のあるべき姿を生涯考え続けてきた今上陛下の深謀遠慮があってのことだろうと語る。御厨氏によると、現在の象徴天皇像はもっぱら今上天皇が作り上げてきたもので、その集大成ともいうべき問題が生前退位問題だった。
 言うまでもなく現行憲法の下での「象徴天皇制」は、大きな矛盾を孕んでいる。それは天皇という地位に「世襲」「男系男子」「万世一系」など戦前から続く一定の神性(カリスマ)を求めながら、あくまで天皇は一切の政治的権限を持たない象徴に過ぎず、政府が決めたことに唯々諾々と従いながら「ご公務」と呼ばれる国事行為を執り行うだけの存在に押し込んできたからだった。カリスマ性は利用したいが、権利は与えないということだ。そして、戦後70年間、日本人はその矛盾と向き合うことのないまま、天皇のカリスマを災害時の被災地訪問や歴史的な祭典などで最大限に利用してきた。
 しかし、それは天皇や皇族の方々に、職業選択の自由も無く、世襲で強制的に天皇という地位に就かされた上に、その地位から離脱する自由もなく、死ぬまで公務を全うし続けなければならないという、あまりにも理不尽で犠牲の多い地位に甘んじていただくことを意味していた。天皇家の人々は結婚ですら政府の承認を必要としていて、自分だけの意思で決めることができない。
 そもそもこの矛盾は第二次大戦後に日本に進駐してきたGHQが、半ば意図的に残したものと考えられている。大戦後、当時のアメリカ国内には、天皇の戦争責任を問う声が強かったが、GHQは戦後の日本の統治を効率的に行い、同時に日本の共産化を防ぐための防波堤として、むしろ天皇の権威を利用することを考えた。しかし、天皇の権威を維持するためには、戦前から続く天皇の神性が残存していることが不可欠だった。そこでGHQは憲法の中で天皇の世襲を維持するなどして、天皇という地位を事実上憲法の枠外に置き、戦前から続くカリスマ性を維持する一方で、再び日本が天皇の権威の下で軍事大国化することがないように、天皇を一切の政治権限を有さない「象徴」という地位に押し込んだ。そうすることで、天皇の権威だけは利用できるが、それが暴走するリスクは抑え込むことができると考えた。
 慶応大学の笠原英彦教授は著書「象徴天皇制と皇位継承」の中で、GHQでマッカーサー元帥の副官だったボナー・フェラーズ准将の「15年、20年先に日本に天皇制があろうがあるまいが、また天皇個人としてどうなっておられようが、関心は持たない」という言葉を紹介しながら、GHQが当面の自分たちの利益だけを考えて現在の象徴天皇制なる制度を作ったことは明らかだと説明している。
 結果的に、日本における象徴天皇とは、カリスマを維持するために世襲や男系男子などの戦前からの風習には縛られつつ、自分たちの身の振り方を含む一切の発言権を封じられた存在となり、70年間、それが続くことになった。
 2000年代の初頭に皇太子並びに秋篠宮に男の子供が生まれなかったため、皇統を継承する男子がいなくなる、所謂「お世継ぎ問題」が浮上した。小泉政権下で有識者会議が開かれ、女性天皇を認めるなど皇室典範の改正が議論されたが、実際の法改正に至る前に秋篠宮に男の子が生まれたため、結局その時は何の改正も行われないままに終わっていた。
 今回の生前退位問題は、本来であればとうの昔に考えておかなければならなかったにもかかわらず70年間放置されてきた「天皇及び天皇家の人権問題」が、改めて浮上したものと考えるべきだろう。
 基本的人権や法の前の平等、男女同権を保障している日本国憲法は、第一章から八章までを天皇についての条文に割き、その中で、明らかに他の憲法の原則とことごとく矛盾したことを定めている。われわれも本音部分ではGHQと同じで、天皇にはカリスマを持った存在でいてくれなければ困るが、同時にそのカリスマを根拠に政治権力を発揮されるのは困ると考えていたのではないか。しかし、その結果として、天皇に基本的人権を認めず、表面的には敬うような態度をとりながら、実際には差別をしているとの誹りは免れない。
 御厨氏は理論、行政、政治の3つの観点からこの問題に対する議論を始めるべき時が来ていると指摘する。ただし、その議論は、小泉政権下の有識者会議のような、天皇制の専門家たちによるものに限定すべきではないと言う。なぜなら、天皇がどうあるべきかは、専門家が決めることではなく、日本人一人ひとりが何を望んでいるかによるべきだと考えるからだ。
 日本国憲法は第一条で天皇を日本国と日本国民統合の象徴とした上で、それが日本国民の総意の上に成り立つことを明記している。現在のような制度が本当に日本国民が天皇に望んでいることなのかを、今こそわれわれは議論すべきではないか。

 

vol.78(781~790回収録)

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電力自由化はエネルギーデモクラシー実現の一里塚となるか

(第781回 放送日 2016年03月26日 PART1:53分 PART2:59分)
ゲスト:飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)

 4月から電力小売りが自由化され、消費者は電力会社を選べるようになる。異業種から新規参入する新電力(PPS)各社は、あの手この手のキャンペーンで顧客の争奪戦を展開している。大手電力会社からの乗り換えが可能な新電力は、ガス会社、石油会社を始めとするエネルギー関係の他、携帯電話会社や大手コンビニ、鉄道会社、また地方自治体が設立したものなど、選択肢は実に多様だ。その多くが、従来よりも電気料金が安くなることをウリにしているようで、一見、長年にわたり地域独占が続いていた電力市場にも、競争の波が押し寄せてきたかのようにも見える。
 果たして、今回の電力自由化は本物なのか。
 確かに、消費者の選択肢が増えることはいいことだ。しかし、環境エネルギー政策研究所の代表でエネルギー政策に詳しい飯田哲也氏は、今回の電力小売りの自由化にはとても手放しで「全面自由化」とは呼べない多くのカラクリが潜んでいると指摘する。実際に電力の販売は自由化されるが、現実には参入障壁が多く、新規参入は市場の数パーセントにとどまる可能性が高いというのだ。
 今回の電力自由化によってこれまで大手電力の独占だった家庭への電力の販売が、他の事業者に開放される。しかし、実は法人向けの大口の電力市場は既に2000年から段階的に自由化されていて、その割合は電力市場全体の6割に及んでいるが、新規参入のシェアは市場の3%程度にとどまっている。
 毎回「自由化」がまやかしに終わってしまう理由として、飯田氏は電力市場のうち「送電部分」が相変わらず大手電力に支配されている点に問題があると指摘する。家庭用電力販売の自由化によって大手電力会社は発電部門で新規参入してくる新電力と競争することになるが、依然として送電や配電部分は独占的に支配しているため、送電網を利用するためにべらぼうに高い託送料を課すなどして、容易に新規参入を妨げることができる。実際は競争環境が全くといっていいほど整備されないなかでの「全面自由化」なのだ。
 送電網を一手に握る大手電力会社がその気になれば、電気の託送料などいくらでもつり上げることができる。高額な託送料は新電力の命運を左右する大問題だが、大手電力会社にとっては、グループ内で資金が移動するだけなので、どんなにそれが高額になっても痛くも痒くもない。送電網を握る大手電力会社に同じ企業グループ内で発電事業も続けることを許している限りは、大手の独壇場が続くのは当然なのだ。結局のところ、本当の意味で発送電を分離させない限り、真の競争市場など生まれるはずがない。
 しかも、消費者が電力を選べるとといっても、今回の自由化では電源種の明記が義務付けられていない上、再生可能エネルギーの使用を明記することが、禁じられている。再生可能エネルギーの導入コストは再エネ賦課金という名目で毎月の電気料金に上乗せされる形で、日本中の全世帯が負担をしているのだから、それを販売する事業者だけが、再エネの商業上のメリットを受けることがあってはならないというのがその理由だそうだが、結果的に、再エネ電力を選びたいと考える消費者がいたとしても、そのような選択ができないようになっている。同様に、原発は嫌だと思う消費者がいても、原発を使った電力を調達している会社は電源種を明示しない可能性が高いため、それもわからないようになっている。
 今回の「全面自由化」については、「既得権益に守られた大手電力会社の手の平の上で新規参入組を遊ばせるようなもの」と、飯田氏は酷評する。
 とは言え、とりあえず小売りが自由化されることで、これまで空気のような存在だったエネルギーに対する消費者の意識が変化し、それが長期的にはそしてエネルギーデモクラシーの実現へとつながる可能性は十分にある。国民生活の根幹を成すエネルギー供給が、原発に代表される中央集中型から、再エネを中心とする地域分散型にシフトしていけば、日本の政治、経済、そして社会の在り方も大きく変わってくるだろうと、飯田氏は期待を込めて語る。
 4月から始まる電力小売りの全面自由化の本物度を、ゲストの飯田哲也氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

10年目を迎えた夕張破綻の教訓

(第782回 放送日 2016年04月02日 PART1:47分 PART2:48分)
ゲスト:鈴木直道氏(夕張市長)

 今年は夕張市の財政破綻から10年となる。
 2006年に約353億円の財政赤字が発覚して財政破綻した夕張市は、この10年間、増税を含む住民の負担増と、行政サービスの廃止・縮小による歳出削減による極度の緊縮財政政策のもと、地道に財政再建の道を歩んできた。2015年度末までに約117億円の返済が済む見通しだが、それでもまだ200億円以上の債務が残っている。
 夕張市民は市民税や軽自動車税などの増税のほか、公共施設やサービスの利用料の値上げなどを受入れてきた。自治体によるゴミの収集料金も全国で最高水準になった。市長は給与の70%をカットし月給約26万円に、市議会議員の報酬も減額されて毎月20万円に満たないことろまで削り込んだ。職員数が破綻前の半分以下に減った市役所の職員の給与も全国最低水準だ。市内に9校あった公立小中学校は、今や小中それぞれ一校づつに統廃合された。市役所の出先機関も本庁以外に1ヵ所に集約されるなど、住民は大きな不便益に耐えている。
 そんな夕張で2011年から財政再建の先頭に立つ35歳の鈴木直道市長は、元々東京都庁からの応援で夕張に派遣され、そのまま居ついて市長になった変わり種だ。破綻から10年目を迎えた夕張市の現状について鈴木市長は、債務返済の過酷さとともに、将来に向けた政策が一切打てないことに危機感を示す。
 夕張市は財政破綻後、市民の流出が止まらず、破綻当時に約1万3千人あった人口が、現在は9千人を割るところまで減少してしまっている。炭鉱が全盛だった1960年代には12万人近くもあった人口が、その10分の1以下まで減ってしまっている。しかも、65歳以上の高齢化率が5割近い。夕張を出て行ってもやっていける人は皆去ってしまい、出るに出られない高齢者や、地元で商売を営む商店主だけが取り残された状態にあると言っても過言ではない。
 かといって、夕張市は定住促進策や子育て政策などの新規事業を一切打つことが出来ない。財政再建途上にあるため、歳出を伴う新規事業が許されていないからだ。債務返済は必要だが、このままでは地域経済も市民も疲弊してしまい、仮に借金を完済しても地域が死んでしまいかねない危機感を持っていると鈴木市長は語る。
 そこで鈴木市長は破綻から10年の節目に当たって、これまで財政再建一辺倒だった政策を見直して、債務を返済しつつ同時に地域再生も目指すという方向に舵を切ることを政治決断したという。安倍政権が進める地方創生策と連携して、夕張市を持続可能な地方に生まれ変わらせるために、今夏までに将来を見据えた夕張再生プランを取りまとめる予定だという。
 夕張市の現状は日本全体にとって決して他人事ではない。日本も膨大な財政赤字を抱えながら、本気でこれを解決しようとしないまま、赤字の垂れ流しを続けている。夕張の財政破綻後、市長に就いた鈴木氏は、夕張も破綻する前に手を打っていれば、多くの選択肢があったと残念がる。逆の見方をすれば、破綻をしてからの選択肢は非常に限られているということだ。
 破綻から10年を迎えた夕張は今どんな状態にあるのか。極度の緊縮財政の下で、市民生活はどのような影響を受けるのか。そうした中でも再生に向けた強い意思を見せる市民の力はどこからくるのかなどを、ゲストの鈴木直道夕張市長とともに、社会学者の中澤秀雄とジャーナリストの神保哲生が議論した。

猛威を振るう新手のコンピューターウイルスとその対策

(第783回 放送日 2016年04月09日 PART1:54分 PART2:54分)
ゲスト:守屋英一氏(明治大学ビジネス情報倫理研究所客員研究員)

 新手のコンピューターウイルスが猛威を振るっている。
 今回拡散しているウイルスはランサムウエア(Ransomware)と呼ばれるもので、ウイルスに感染したユーザーのパソコンに保存されているファイルを勝手に暗号化し、開けなくしてしまう機能を持っている。そして、ファイルを開くための復号キーと引き換えに金銭を要求するというもの。データを人質に取って身代金を要求してくるところが、ランサム(身代金)ウエアと呼ばれる所以だ。
 既に世界的に猛威を振るっているこのランサムウェアが、日本でも流行の兆しを見せている。今、流行しているランサムウエアは従来のウイルスが標的としてきたウインドウズ搭載のパソコン以外にも、マックOS搭載パソコンやアンドロイドのスマホまでを標的にしている。また、メールの添付ファイルを開く場合以外にも、セキュリティの甘いウェブサイトに勝手にウイルスを埋め込み、そのページを閲覧したユーザーを感染させてしまうタイプのものもあるという。
 トレンドマイクロ社の統計によれば、世界の法人利用者におけるランサムウェアの検出台数は、2014年の1万4400件から2015年に3万1900件と約2.2倍となっていて、病院や学校などの被害も相次いでいるという。また国内法人の被害報告数は、2015年は650件にのぼり、2014年と比較して約16.2倍に急増している。3月18日には、愛知県警がスマホへの被害を全国の警察として初めて確認している。
 明治大学ビジネス情報倫理研究所の客員研究員で内閣サイバーセキュリティセンターの上席サイバーセキュリティ分析官を務めるゲストの守屋英一氏は、今回のランサムウェアの流行は、コンピューターウイルスが新たな次元に入ったことを示唆しているという。それは従来のウイルスが、金融機関やクレジットカードなどから資金を引き出すことを意図していたのに対し、ランサムウエアが個人を対象に、犯人と被害者の間で直接資金のやりとりをする方式をとっているからだ。
 金融機関からの送金は、資金を引き出す段階で足が付きやすい。また、金融機関やクレジットカード会社側も不正に対して様々な対策をとるようになり、ハードルが上がっていた。しかし、ランサムウエアは無防備な個人を標的として、身代金の支払いをビットコイン(BTC)やiTunesカードなどの匿名性が高い決済方法を使うことによって、容易に捜査の網を掻い潜ることができるのだという。
 しかも、今回のランサムウエアの被害者の中には、実際に身代金を払えば解除キーが送られてきて、データが復号されるケースもあるという。そのため、思い出の写真や仕事で使うファイルなど、大切なファイルを復元するためであれば、2~3万円と言われる身代金を払ってしまう人も多いのだという。
 守屋氏によると、ネット上ではランサムウェアを製作するアプリケーションが10ドル程度で販売されていて、誰でもランサムウエアビジネスに参入できる状態にあるというから、今後、その猛威がさらに拡大していく可能性は高い。
 守屋氏は、こうした不正に対する防衛策の重要性を強調すると同時に、フェイスブックやLINE(ライン)といったSNS上から個人情報が収集されて偽装に悪用されていることにも注意を払うべきと指摘する。
 SNSを利用する多くの人が、無防備に自分や自分の家族、友人の情報を全世界に向けて公開しているが、公開された情報は必ず第三者によって利用されていると考えなければならないと守屋氏は言う。
 フェイスブックの個人データや過去の投稿を遡ってチェックすれば、家族構成や交友関係、勤務先から趣味、食の嗜好、飼っているペットまで、個人に関するほとんどすべての情報が手に取るようにわかってしまう人も少なくない。また、友達の友達までが見える情報もあるため、素性の定かではない相手を無防備に友達として承認することは、自分や自分の家族のみならず、他の友達を危険に晒すことにもなりかねない。
 SNSから抽出した情報を悪用すれば、友人や会社の同僚、取引先などを装ってメールを送りつけることは容易い。今回のランサムウェアがこうした個人情報を悪用して被害を拡大させている可能性は高いと守屋氏は言う。
 利便性につられて無防備にコンピューターやインターネットの利用を拡大してきたわれわれだが、ランサムウェアの登場でネットセキュリティへに対する認識を根本的に再考する必要があるのかもしれない。
 ランサムウェアの流行状況やコンピューターウイルスの歴史などを振り返りながら、ウイルスの脅威やネット上に溢れる個人情報のリスク、そしてその対処法などについて、ゲストの守屋英一氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

パナマ文書がわれわれに突きつけている歴史的課題とは

(第784回 放送日 2016年04月16日 PART1:50分 PART2:55分)
ゲスト:上村雄彦氏(横浜市立大学国際総合科学部教授)

 いつから税は貧しい者から取るものになってしまったのか。
 パナマの法律事務所から流出したとされる文書によって、世界の富裕層や政治指導者らの多くが、タックスヘイブン(租税回避地)を使って税逃れをしている実態が白日の下に晒された。
 今回流出した顧客リストは氷山の一角に過ぎないと考えられているが、それでもロシアのプーチン大統領の友人や中国の習近平国家主席ら指導部の親族らの他、イギリスのキャメロン首相の父親やアイスランドのグンロイグソン首相、シリアのアサド大統領やエジプトのムバラク元大統領の息子など、世界の有力者や独裁者、およびその周辺の人物らが軒並み名を連ねていた。世界規模で各国の富裕層がタックスヘイブンで税逃れを図っている試算の総額は20兆ドル(約2200兆円)とも30兆ドル(約3300兆円)ともいわれている。
 経済成長の鈍化で税収が落ち込む中、世界各国は軒並み中間層や貧困層に対する課税を強化している。その中で富裕層だけがまんまと税を回避している現状が放置されれば、各国政府の正統性を揺るがしかねない。
 また、富裕層の税逃れは、既に大きく拡がった貧富の差をさらに拡大する。貧しい者が税負担を強いられより貧しくなる一方で、税を逃れた富裕層は更にその富を再投資することで、更に多くの富を蓄積していくことが可能になる。
 横浜市立大学教授で、グローバル・タックス(国際連帯税)など国際課税の問題に詳しいゲストの上村雄彦氏は、パナマ文書の流出で富裕層やグローバル企業が、世界の富を独占している実態が露わになったことで、今後、その富を再配分させていく仕組みの必要性が議論されることに期待を寄せる。
 「21世紀の資本」で有名な経済学者トマ・ピケティも資産に対する国際的な累進課税を提唱している。さらに近年ではトービン税をより発展させ、通貨や金融商品の取引に課税する金融取引税など、新しい国際連帯税としてのグローバル・タックス導入へ向けた議論が始まっている。
 それにしても、なぜタックスヘイブンなるものが未だに存在し、億万長者やグローバル企業による税逃れなどが可能になっているのか。実態が露わになったタックスヘイブンを放置すれば、世界やわれわれの社会はどうなっていくのか。パナマ文書が明らかにした社会的不正義と、タックスヘイブンによる租税回避の実態などを検証しながら、グローバルタックスの可能性などについてゲストの上村雄彦氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本の地層に何が起きているのか

(第785回 放送日 2016年04月23日 PART1:45分 PART2:47分)
ゲスト:立石雅昭氏(新潟大学名誉教授)

 今回の地震はどうもおかしい。
 震度7を2回も記録した大きな地震だったことはまちがいない。熊本市や周辺の町村では多くの家屋が倒壊し、既に48人の犠牲者を出している。依然として行方不明者の捜索も続く中、9万人以上が避難生活を強いられている。
 しかし、これまでとは何かが違う。震度7だった最初の「前震」から1週間以上が過ぎた今も、依然として震度3~4クラスの余震がひっきりなしに続き、一向に収束の様子を見せないのだ。既に震度7が2回、震度6弱以上の揺れも7回記録されている。震度3以上では300回近くにのぼり、震度1以上となると830回を超えている。しかも、震源が熊本から阿蘇、大分へと拡大し、行ったり来たりの移動を続けているのだ。
 一体、日本の地層に今、何が起きているのか。
 新潟大学名誉教授で、活断層の問題や地震のメカニズムなどに詳しい地質学者の立石雅昭氏は、今回の地震はこれまで日本で発生した地震とは大きく性格が異なり、今後の見通しについては専門家でさえ頭を抱えている状態だという。
 過去にも大きな本震の後にしばらく余震が続いた地震はあった。しかし、今回は2度の震度7を含め「余震」が800回を超えている上に、震源が九州を横断するように熊本から大分にまで及んでいる。これだけ広い地域でこれほど大きな地震が頻発することはかつてなかったと立石氏は指摘する。そのため専門家にも、今地層で何が起きているのかや、今後、揺れがどう収束していくのかなどが見通せないというのが正直なところだという。気象庁も今後どの程度の期間、「余震」が続くかわからないが、当面1週間程度は大きな揺れに警戒するように呼び掛けるのが、精一杯のようだ。
 元々、熊本市周辺には布田川・日奈久断層帯という大きな活断層の存在が確認されていた。一方で、大分県南部にも別府・万年山断層帯などの大きな断層があることは知られていた。国土地理院の断層地図を見ると、2つの断層帯は阿蘇山付近で一旦途切れるように見える。しかし、立石氏によると、その付近は活断層が確認されていないだけで、実際は多くの断層が分布している可能性が高いのだという。分厚い火山灰が堆積している阿蘇山周辺は調査が難しく、これまで十分な調査が行われなかったために、たまたま活断層が見つかっていない。そのため、地図には断層が書き込まれていないということなのだそうだ。
 地図に活断層が書き込まれていない場合、そこには活断層が存在しないことを意味するのではなく、まだ断層が見つかっていないと理解すべきだと立石氏は言う。今後の調査で、大分の別府・万年山断層帯と熊本の布田川・日奈久断層帯が実は続いていることが確認される可能性も否定できないのだ。
 同じことが、四国の北部を横断する中央構造線断層帯についても言える。国土地理院の断層地図では中央構造線断層帯は豊後水道で一旦切れていることになっている。しかし、これも実際は海底の断層を調べ切れていないだけで、これが大分の別府・万年山断層帯、そして熊本の布田川・日奈久断層帯へと繋がっている可能性は十分にあり得ると立石氏は言う。
 要するに、地震や地層、活断層などについては、まだ未知な部分が多いのだ。地震活動期に入った日本は、いつどこで大きな地震が起きてもおかしくないと考えるべき状態にあると立石氏は警鐘を鳴らす。
 震災の被害を抑える目的で活断層を示した断層地図や地震ハザードナップといったものが政府の手で作られているが、特に地震に関してはまだ未解明な部分も多いため、そうした情報を過信すべきではないと指摘する専門家は多い。現に、阪神淡路大震災や東日本大震災の震源地は、ハザードマップでそれほど危険とはされていなかった。今回の震源地となった熊本も特に危険性が高いとは見られていなかったため、住宅の耐震化率が全国平均よりも低くとどまるなど、地震に対する備えが必ずしも十分ではなかった面があったことは否めない。
 今回インタビューした東京大学のロバート・ゲラー教授も、ハザードマップや断層地図を過信して、危険とされた地域に過度な地震対策を行う一方で、危険性が低いとされた地域は地震対策や防災対策が疎かになっている日本の現状に懸念を表明している。
 今回、熊本で専門家の誰もが予想しなかったような揺れが続いている原因については、現時点では誰も確定的なことは言えそうにない。しかし、今回の地震が、これまでのわれわれの地震に対する常識を覆すものであるという事実は、地震や地球の地殻変動というものに関して、まだまだ現代の科学の力では解明できないことが多く残されていることを露わにしたと言えるだろう。
 ここまでの科学の知見で本当にわかっていることと、実はわかっていないことは何かを、今、あらためて整理した上で、現在のわれわれの地震に対する備えは十分と言えるのか、今回の地震の震源地から100キロ以内にあり、周辺の活断層の調査が十分に行われたとは言えない川内原発を今も稼働させておくことにどんなリスクがあるのかなどを、被災地を取材してきたジャーナリスト神保哲生の取材映像や専門家のインタビューを交えながら、地質学者の立石雅昭氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
誰が何に対してそんなに怒っているのだろう

(第786回 放送日 2016年04月30日 PART1:54分 PART2:1時間03分)
ゲスト:岩波明氏(昭和大学医学部教授・精神科医)

 次は誰が叩かれるのだろう。
 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では昭和大学医学部教授で精神科医の岩波明氏をゲストに迎え、蔓延する「不謹慎叩き」と、その背景にある日本社会の不寛容化の原因を議論した。
 ここのところ日本では、常に誰かが叩かれている。原因は不倫だったり、生意気な態度だったり、不適切な発言だったりとさまざまだが、どうも理由は何だっていいようにも見える。社会が常に叩く対象を探していて、いたるところに罠が仕掛けられている。そして獲物が罠にかかると、一斉にバッシングが始まる。
 最近は熊本地震と関連して、被災した女性タレントのブログの記事が炎上したり、義援金を送ったことをSNSに報告したタレントが売名行為だなどとして叩かれたりしている。また、食品メーカーが不倫騒動を起こしたことのあるタレントをCMに起用したところ、抗議が殺到して放送中止に追い込まれたりもしている。
 対象はタレントや有名人だけではない。ちょっとした接客上のミスをネット上で告発されたことがきっかけで、店が閉店に追い込まれたかと思うと、逆に失礼な接客態度を批判した客の書き込みが「偉そうだ」と批判され炎上するなど、今や状況は一般人をも巻き込んだ大バッシング合戦の様相を呈している。
 不正を働いた公人に怒りを覚えることは必ずしも悪いことではないが、「不謹慎」だの「生意気」だのといった理由で、一般の企業や一般人までが次々と吊し上げに遭っている状況は、やや常軌を逸しているようにも見える。われわれは一体何にそんなに怒っているのだろうか。
 精神科医で『他人を非難してばかりいる人たち バッシング・いじめ・ネット私刑』などの著書のある岩波明氏は、ネット上で横行するバッシングに加担している人たちは、実際に何かに怒っているのではなく、他者を叩くことを自分が社会から受けているストレスのはけ口にしている場合が多いのではないかと指摘する。
 以前から他者に対する非難や陰口をストレスに対するはけ口にすることは誰にでもあった。しかし、通常それは井戸端会議や知人間の会話のような、限られた範囲内での出来事だった。ところがSNSなどの登場で、誰もが公に向けて容易に情報を発信できるようになったことで、井戸端会議の陰口が、全世界に向けて拡散されるようになってしまった。
 ネット上のバッシング情報は、マスメディアにとっては格好のネタとなる。早晩テレビや週刊誌がこれを取り上げ、バッシングは社会現象の様相を呈するようになる。これまでもそうしたネタがテレビや雑誌に持ち込まれ、取り上げられることはあったが、今やマスメディアの側が、常にネット上でネタを探し回っている状況だ。
 また、精神科医として今も多くの患者を診ている岩波氏は、そもそも他者を攻撃せずにはいられない人が増えている原因として、われわれが日々社会から受けているストレスが、量的にも質的にも変質してきていることを指摘する。今や、行く先々で「コンプライアンス」が叫ばれ、会社でも大学でも、常に規範性やガバナンスの徹底を強制されるようになった。コンプライアンスを遵守するために、常に煩雑な手続きや細かなルールが決められ、誰もが窮屈な思いをしながら生きなければならなくなっている。その生き辛さは、精神疾患のような形で表面化することも多いが、異常なまでに他者を叩くことに執着する人が増えているところにも、その片鱗を見ることができると岩波氏は言う。
 われわれは一体いつからこんなに不寛容になってしまったのか。事あるごとに大勢の人間が寄ってたかって特定の個人や団体を叩いて溜飲を下げる社会が、健全な社会と言えるのか。日本特有の原因があるとすれば、それは何なのか。常に誰かを叩かずにはいられなくなっている日本の現状とその背景について、精神科医の岩波明氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

男の生き方が変わらなければ日本は何も変わらない

(第787回 放送日 2016年05月07日 PART1:55分 PART2:57分
ゲスト:田中俊之氏(武蔵大学社会学部助教・社会学者)

 結局日本は男が変わらないと何も変わらないってことか。
 このゴールデンウィークもメディアは相変わらずの出国、帰国ラッシュに賑わう空港の様子や、50キロ大渋滞の高速道路といった定番のシーンを取り上げている。あたかも日本中がバケーションモードに入っているような感覚を受ける。ところが、あるアンケートでは今年のゴールデンウィークが10連休だったと答えた人は6%程度。3分の1はカレンダー通りに出勤していたそうだ。
 かつては「24時間戦えますか」などとCMががなり立てていた時期もあった日本が、経済停滞期に入って20年が経った。年間の総労働時間は多少短くなっているが、その一方で、一日あたりの労働時間は逆に増えている。こんな働き方をしていてはダメだと言われて久しいが、景気が良くても悪くても、日本人の働き方はさして変わっていないし、このままでは一向に変わりそうにない。
 社会学者で男性学を専門に研究している武蔵大学助教の田中俊之氏は、日本人の働き方が変わらないことの原因が、男が変われないところにあると指摘する。日本の男性中心の労働環境や労働慣行が変わらない限り、働き方のみならず、われわれの生き方もなかなか変わることができない。このままでは日本の前途は暗いと田中氏は警鐘を鳴らす。
 近年、働き方や価値観が変わったと言われるが、日本人男性が一家の家計を支えることが全ての前提になっている点はほとんど変わっていない。イクメンだの何だのと言っても、男性が主体的に働いていることが全ての前提にある。しかも、日本では男性が40年間フルタイムで働き続けることを前提に、職場も家計も成り立っている。
 しかし、これは経済成長が見込める時代に人為的に作られた制度であり前提だ。人口が減少し、かつてのような経済成長が見込めない今日、前提が変わっているのに働き方を変えられない男性が抱える矛盾は大きくなる一方だ。
 男性が40年間フルタイムで働いて家計を支えることを当然視し、それができない人を蔑視するような考え方や、長時間労働こそが会社への忠誠の証であり能力の証明とするような風習をいつまでも続けていては、男性の生きづらさは解消されず、女性が社会で活躍するための前提となる男性の家事への参加も期待できない。
 「男が働かない、いいじゃないか!」などの著書のある田中氏によると、日本の男性は物心ついたときから競争に勝つことを要求されてきた結果、理不尽な慣習や制度でも競争の一環と捉え、それに順応してしまう傾向が強い。また、常に回りの人間を競争の対象と捉える傾向があるため、女性のように新しい友人のネットワークを作ることが不得手だ。結果的に、友達もできず趣味も見つからず、仕事に没頭することが男性の生き方そのものになってしまう場合が多い。
 最近、1998年から続いていた年間3万人を超える自殺者数がようやく2万5000人まで減ったことが報じられているが、そのうち3分の2に当たる1万7000人強を男性が占めていることが何を意味しているかを、われわれはもう少し真剣に考える必要があるだろう。
 なぜ日本の男はこうも生きづらいのか。それが社会にどのような影響を与えているのか。男が変わるためにまず何が必要なのか。日本が抱える諸問題の根っこにある日本の男の問題を、田中俊之氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

なぜ日本にはチェルノブイリ法が作れないのか

(第788回 放送日2016年05月14日 PART1:1時間02分 PART2:1時間14分
ゲスト:尾松亮氏(関西学院大学災害復興制度研究所研究員)

 ロシアやウクライナにできたことが、なぜ日本にはできないだろうか。
 史上最悪の原発カタストロフィと呼ばれたチェルノブイリ原発事故から今年で30年になるが、チェルノブイリ原発があるウクライナとその周辺のロシア、ベラルーシにはチェルノブイリ法という法律が存在する。そして、各国政府はそのチェルノブイリ法に則って、事故によって健康被害を受けた可能性のある人々や、避難や移住を強いられた人々の補償にあたってきた。
 3ヵ国ともに決して経済状況が良好とは言えないため、全ての補償や支援が約束通りに実施されているとは言えない状況だが、少なくともチェルノブイリ法は原発事故の責任主体が国家であることを明記し、年間被曝量が1ミリシーベルトを超える地域に住むすべての人を無条件で補償や支援の対象とする画期的なものだった。同法によって被害者や被災地の線引きが明確になったため、健康被害についても、チェルノブイリの被害者は原因が原発事故だったかどうかの証明を求められることはない。
 翻って、今日本では原発事故の被害者への救済や支援はどうなっているか。チェルノブイリ事故と同じレベル7に区分される福島原発事故では、事故直後に20キロ圏を強制的な避難指示区域に指定した上で、その後も年間20ミリシーベルトを超える被曝が想定される地域を避難の対象地域としたため、最大で16万5千人近くが故郷を追われることとなった。そして、現在も約10万人が避難生活を送っている。
 しかし、日本では事故の第一義的な責任は東京電力が負うことになったため、強制的に避難させられた被害者への賠償は東電が行っている。そして、政府は除染作業を進めることで、年間被曝量が20ミリシーベルトの基準を下回った区域から順に帰還を進めている。避難指示が解除され、避難が強制的ではなくなった区域の住民から順次賠償は打ち切られることになるため、5年に渡る避難を強いられた被害者は被曝のリスクを覚悟の上で、まだところどころホットスポットが残る故郷へ戻るか、賠償の支払いが止まることを前提に、故郷へは帰らないことを選択するかの、二者択一を迫られることになる。
 健康被害についても、日本では福島県民を対象に、毎年、健康調査が無償で行われているが、甲状腺がんや甲状腺の悪性腫瘍の発生率が明らかに原発事故前と比べて急増しているにもかかわらず、政府は様々な理由をあげて、原発が原因だとは断定できないとの立場を取り続けている。
 日本とチェルノブイリのこの違いは何なのか。ロシアにしてもウクライナにしても決して裕福な国ではない。しかも、事故が起きた1986年4月、チェルノブイリ原発は共産主義国だったソビエト連邦のウクライナ共和国にあった。しかし、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの3ヵ国は事故後5年目にあたる1991年までに、現在の日本よりも遥かに踏み込んだ賠償や支援策を国が保障する法律を制定しているのだ。
 われわれ日本人は、なぜ旧共産主義国のロシアやウクライナが、そこまで徹底して国家が事故の責任を負った上で、人権を尊重する法律を作れたのかを不思議がる前に、なぜ日本が現在のような対応しか出来ない状態でも平気でいられるのかを真剣に考える必要がありそうだ。
 それまで普通の生活を送っていた何の罪もない何十万人という人々が、地震や津波とともに突如として襲ってきた原発事故によって放射能被曝を受けた上に、強制的に故郷を追われ、流浪の民のような生活を強いられた。それを、一通り除染を行ったのでそろそろ戻ってください。戻らないのであれば、それはそちらの自己都合なので賠償は打ち切ります、というのは、あまりにも酷いのではないか。
 ロシアの研究者でチェルノブイリ法に詳しい関西学院大学災害復興制度研究所研究員の尾松亮氏は、チェルノブイリ事故と福島事故の決定的な違いが、国家が補償の責任主体とした点と、避難を必要とする放射能汚染の基準にあったと指摘する。チェルノブイリ法では、原発からの距離に関係なくICRP基準の年間被曝量が1ミリシーベルト以上の地域に住む人が、避難のための移住や健康被害に対する支援の対象とされ、国が「世代を超えて補償を続ける」ことが定められた。
 一方、福島では1ミリシーベルトの被曝基準は2011年3月11日の原子力緊急事態宣言の発令によって一時的に20ミリシーベルトに引き上げられ、それがそのまま現在の基準となっている。政府が進める帰還政策も、年間20ミリを下回った区域から順次行われている。
 健康被害に対する補償についても、県民健康調査でこれまでに見つかった甲状腺異常は原発が原因とは言い切れないとの理由から、事実上、補償や賠償は行われていない状態にある。チェルノブイリ法が年間1ミリを基準として、原発事故が健康被害の原因の可能性があればすべて補償しているのとは対照的だ。
 実はロシアでもチェルノブイリ原発事故直後から、補償対象の基準被曝量をICRP勧告の年間1ミリから大幅に引き上げようとする動きがあったと尾松氏は言う。実際、一時は年間100ミリまで基準が引き上げられたこともあったそうだ。しかし、事故から5年後の1991年、ロシア、ウクライナ、ベラルーシはICRP勧告通りの年間1ミリ基準を守り、それを超えた場合は移住も健康被害も全て国が責任を負うことを定める法律を作った。一方、日本は事故から5年経った今も、基準は20ミリのまま、賠償責任は事実上の破たん企業と言っていい東電に負わせ、健康被害についてはいまだに因果関係をめぐる議論に終始している有様だ。
 なぜロシアやウクライナはチェルノブイリ法を制定することができたのか。そして、なぜ日本にはそれができないのか。その結果、原発事故の被害者たちは今、どのような状態に置かれているのか。チェルノブイリ法の仕組みや背景と日本の現状をゲストの尾松亮氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本の独自防衛をシミュレーションしてみた

(第789回 放送日 2016年05月21日 PART1:52分 PART2:53分)
ゲスト:栗崎周平氏(早稲田大学政治経済学術院准教授)

 「日本は自国防衛のコストを負担していない。米軍の駐留費を支払うか、さもなくば自力で防衛しろ。」
 他でもない、アメリカ大統領選挙で共和党候補としての指名が確実視されているドナルド・トランプが何度も繰り返し主張している、いわば彼の自論だ。
 トランプが現実に大統領に選出される可能性がどれぐらいあるのは、わからない。専門家の多くがそんなことはあり得ないと言うが、そもそも専門家の中にトランプが共和党の候補に選出されることを予測できた者は誰一人としていなかったことを考えると、何が起きても不思議ではないという気もする。
 しかし、トランプ大統領誕生の可能性がどうあれ、暴論が売り物のトランプが、日米間で長らく封印されてきたパンドラの箱を開けたことは間違いないだろう。
 現在の日本の防衛は日米安保を基軸としている。基軸というよりも在日米軍に依存しているといった方がより正確だろう。日本は、思いやり予算や米軍のグアム移転費用の負担なども合わせて、2016年度予算で6303億円を在日米軍関係の費用として負担しているが、在日米軍に関してはアメリカが年間約6050億円(約55億ドル)を支出しているので、日本の負担分は在日米軍駐留コストの約半分ということになる。
 トランプの主張は日米安保の下ではアメリカは日本を守る義務があるが、日本は米国を守る義務はないので、在日米軍のコストは全額日本が負担して然るべきだ、ということのようだ。毎年6050億円というのは決して小さな金額ではないが、一方で、もし日本が日米同盟を解消し、自力で国防を担うことになった場合、仮に他の条件が現状と同等だとすると、そのコストは毎年23兆円を超えると、防衛大学の武田康裕教授らは試算している。
 早稲田大学政治経済学術院准教授で国際政治学者の栗崎周平氏は、日本にとって日米同盟は独自防衛よりもはるかに安価で効率的な仕組みだと指摘する。つまり、現在の日米関係が日本にとって有利な、米国にとっては過度な負担を強いられたものになっているというトランプの指摘は、まんざら間違っているわけではないようだ。
 戦後の日本が、日米同盟に依存することで軍事負担を免れ、その分、経済活動に専念したことで今日の経済的繁栄を手にしたことは言を俟たない。しかし、戦後の日本がそのような幸運な立場を享受できたのは、東西冷戦など国際政治上の条件が、たまたま日本にとって有利なものになっていたからだ。そして今、冷戦が終結し、中国が台頭する中で、アメリカの外交政策も大きく変化している。戦後長らく、アメリカの軍事力に依存してきた日本の「戦後レジューム」が、見直しを迫られることは必至だった。
 21世紀の地政学の下で、日本にはどのような選択肢があるのか。このまま日米同盟一辺倒でいくことが、日本にとって本当に得策なのか。トランプが主張するようにアメリカが日本に国防の応分負担を求め、これまで安上りだった日米同盟が今より割高なものになった時、それでも日本はアメリカ一辺倒でいくべきなのか。
 日米同盟の真のコストと、日本が独自防衛をした場合のコスト、そしてその際に生じるリスクなどについて、紛争発生のモデルケースやゲーム理論などを参照しながら、ゲストの栗崎周平氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

「核なき世界」の実現を阻むもの

(第790回 放送日 2016年05月28日 PART1:1時間25分 PART2:40分)
ゲスト:高原孝生氏(明治学院大学国際学部教授)

 なぜ「核なき世界」の実現が、そんなにも難しいのだろうか。
 アメリカのオバマ大統領が、現職の大統領として初めて被爆地の広島を訪問して、改めて「核なき世界」の実現を訴えた。人類史上初めて核兵器を使用した国の指導者による被爆地の訪問は、歴史的な出来事として、世界に向けて大きく報じられた。
 しかし、「核なき世界」への歩みは遅々として進んでいない。オバマは大統領就任直後の2009年4月5日、チェコのプラハで、「核なき世界」の実現を訴え、その年のノーベル平和賞まで受賞しているが、その後、核廃絶へ向けた具体的な施策はほとんど実施されていない。
 今回のオバマの広島訪問について、明治学院大学国際学部教授で軍縮問題に詳しいゲストの高原孝生氏は、世界で唯一核兵器を使用したアメリカの大統領が公式に訪問した意義を評価しつつも、プラハ演説以降、オバマ政権は核廃絶に向けてほとんど何もしていないと、厳しい見方を示す。
 世界には依然として1万5000発以上の核弾頭が存在し、その9割以上をアメリカとロシアが保有している。冷戦期の1980年代には6万発以上あったことを考えると、多少は削減が進んでいるようにも見えるが、何度も地球を破滅させることが出来る「オーバー・キル」の状態にあることには変わりはない。プラハ演説以来、アメリカが核なき世界に向けた具体的な行動を取る機会はいくらでもあったが、医療保険改革やイラク戦争の後処理を抱えたオバマ政権では、核廃絶が必ずしも優先順位の高い政策とは位置づけられていなかったと高原氏は残念がる。
 アメリカは圧倒的な通常兵器を保有するため、保有する核兵器を一方的に削減しても、安全保障上の問題が生じない唯一の国と言っても過言ではない。そのアメリカが率先して核兵器の削減を行わない限り、他国に対して核の削減を訴えることは難しい。実際、アメリカは包括的核実験禁止条約(CTBT)すら、いまだに批准していないなど、世界における核兵器廃絶のリーダーとは到底言えない状態だ。更にアメリカは冷戦時代に拡大した核兵器が一斉に耐用年数を迎えるため、今後30年で総額1兆ドルもの予算を割いて、核システムを最新鋭化する予定だという。現実はオバマの掲げる理想とは正反対の方向に向かっていると言わざるを得ない。
 一方で、高原氏は大国間の核保有競争と別次元で、核のリスクが高まっていると指摘する。それが、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮の核だ。世界には核不拡散条約(NPT)で核保有が認められている米、露、英、仏、中の5か国の他に、上記の4か国が既に核兵器を保有していることが明らかになっている。特にカシミールの領土紛争などで今も緊張関係にあるインドとパキスタンは互いに相手国に対する核攻撃計画を持っていて、偶発的な核戦争が勃発する危険性が付きまとう。中東においても、イスラエルが核兵器を持ったことで、緊張関係にあるサウジアラビアやイランなどが核武装に踏み切る可能性がある。
 世界では核兵器禁止条約の制定に向けた地道な努力も続いているが、既に120カ国以上が同条約に賛成の立場を表明しているものの、核保有国は議論にも参加してないために、条約発効の目途は立っていない。そうした中にあって、唯一の被爆国である日本は、世界の核廃絶運動を牽引していると思いたいところだが、残念ながらアメリカの核の傘に依存しているため、まったく指導的な役割は果たせていない。核保有国の核に守られてずる賢く立ち回る国を「イタチ国家」と呼ぶのだそうだが、残念ながら日本はその代表格と位置付けられているのが現状だと、高原氏は言う。
 唯一の核兵器使用国の指導者が、被爆地を訪問して、犠牲者を追悼するとともに核なき世界の実現を訴えたことには大きな歴史的意味があった。しかし、オバマもそして日本も、現実の行動がまったく伴っていない。なぜ核兵器の廃止は一向に進まないのか。核廃絶が進まないことで、世界にはどのようなリスクが生じているのか。オバマの広島訪問を機に、世界の核兵器の現状や廃絶に向けた取り組みを参照しながら、アメリカの責任や日本の対応など、「核なき世界」の実現の前に立ちはだかる諸課題について、ゲストの高原孝生氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.77(771~780回収録)

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(第771回 放送日 2016年1月16日 PART1:56分 PART2:56分)
ゲスト:上村達男氏(早稲田大学法学部教授・元NHK経営委員)

 NHKがおかしい。
 1月10日には現役のアナウンサーが、危険ドラッグ所持で逮捕され、新年早々、籾井勝人会長が衆院予算委員会で陳謝する事態となった。既に今年に入ってから子会社「NHKアイテック」で架空発注による500万円の着服が明らかになっているが、昨年同社ではカラ出張や架空発注などで2億円を超える着服が発覚したばかりだった。そう書いている最中にも、今度はNHKさいたま放送局の記者による100万円を超えるタクシーチケットの私的流用が報道されている。昨年、クローズアップ現代のヤラセ問題で報道機関としても大きく信用を傷つけた矢先のことだった。
 インターネットの登場で既存のメディアが軒並み苦戦を強いられる中、潤沢な受信料収入で独り勝ち状態にあるわれわれの公共放送局に、今、一体何が起きているのか。
 コーポレートガバナンスの専門家で、昨年2月までNHK経営委員会の委員長代行としてNHKの経営に関わってきた早稲田大学法学部教授の上村達男氏は、NHKはトップにある会長が問題発言や不祥事を起こしても責任を取らないために、組織としてガバナンスの危機に陥っていると指摘する。そうした中で社員の綱紀粛正が緩むのは、避けられない状態だ。
 籾井会長については2014年1月の就任会見の場で、「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」「(従軍慰安婦は)どこの国にもあった」などと公言して大きな政治問題となったが、その発言は今でも撤回されていない。さらに会長就任初日に理事全員に辞表を提出させることで自身への絶対的な忠誠を誓わせたり、私用のゴルフに社用のハイヤーを使ったことが国会でやり玉に挙げられるなど、日本を代表する公共放送局のトップとしては目を覆いたくなるような発言や行動が繰り返し指摘されてきた。しかし、現在のNHKの人事のシステムの下では、会長が会長の座に居座ることが可能になっているのだという。そのような組織でガバナンスが崩壊するのは当然のことだった。
 「ガバナンス」という言葉は、社内における不正行為の防止や収益力の強化など、企業経営のあり方の一環として理解されることが多い。社員の危険ドラッグ逮捕を受けて国会に呼ばれた籾井会長も「ガバナンスの強化」の必要性を訴えていた。
 しかし、上村氏によると、そもそもガバナンスとは組織の正当性を意味する言葉で、突き詰めていけば社内に向けてトップが権力を行使する際の正統性の有無を意味している。要するに「トップをどう統治するか」が本旨であり、「組織をどう統治するか」ではないのだ。明らかにそれをはき違えている人物が、NHKのトップの座に居座っていることが、不祥事が起きやすい体質を生んでいると上村氏は指摘する。
 しかし、なぜこのような事態に至ったのかを検証していくと、現在NHKが置かれた立場の問題点や矛盾点が見えてくる。やや皮肉な言い方になるが、籾井会長の存在が現在のNHKが置かれたシステムの欠陥を露にしてくれたということもできそうだ。
 そもそも籾井会長は政治主導で会長に就いたといっても過言ではない。政治と一定の距離を置き、不偏不党を貫くことに腐心した松本正之前会長(元JR東海社長)の任期の末期に、政府は経営委員会の委員に政権に近い人物を4人送り込んできた。経営委員は政府が任命し国会の同意を必要とする、いわゆる「同意人事」の一つだった。「同意人事」の意味は、政治的中立性が求められるポストなので党派性を排除し、国会の全会一致の同意を必要とするというのが長年の不文律だった。
 ところが安倍政権が送り込んできた経営委員は、政権に近い人物であると同時に、「同意人事」でありながら、野党が反対する中で、与党主導の国会の過半数の賛成で送り込まれてきていた。当然、政権与党の意向を反映することになる。
 そうした状況の中で、前会長が続投を辞退し、そして推薦されてきたのが籾井会長だった。しかも、NHK会長の選任手続きは、それなりに社会で名声を得た著名な人物を選ぶことになるという理由から、複数の候補者を面接してその中から一人を選ぶという方法は採られていない。社会的な地位や名声のある人物を落選扱いするのが、失礼にあたるという判断のようだ。そのためNHKの会長はまず書類ベースで一人に絞った上で、一度だけ面接をして決める仕組みになっているとのだと、上村氏は言う。
 経営委員たちの目には、三井物産の副会長や外資系IT企業の社長を歴任してきた籾井氏は、ペーパー上の履歴を見る限り、申し分のない候補に見えたのだという。そして、いざ面接をする段階で、当日の朝に読売新聞が一面トップで籾井氏がNHKの新会長に決まったことを報じるなど、すでに籾井会長は既定路線になっていた。面接後の、経営委員の中には籾井氏の会長としての適性に疑問を持つ人はいたそうだが、他に候補もいない中、もはやその流れに抗うことができる状況ではなかったという。
 特殊法人であるNHKは、予算と人事が国会の承認案件であることから、政治家にはめっぽう弱いとされるが、その一方で、株式会社のような監査権や株主代表訴訟など組織を監視するような機能が備わっていないため、企業としては会長が絶対的な権力を持つという歪な特徴を持つ。つまり、政権与党の意を受けて送り込まれ、政治を恐れる必要がなくなった会長は、もはや専制君主のような絶対的な存在になってしまうということだ。
 また、会長に権力が集中する一方で、内部統制は甘い制度になっている。また、これだけ影響力のある企業には、通常、監督官庁にも一定の監督権限が与えられているが、NHKは言論機関であるという理由から他の産業のような官庁と比べてその権限は限定的だ。そのためいざトップが暴走を始めたり内部統制が崩れると、それを修正する機能が働きにくいという構造上の欠陥がある。
 そのような欠陥を内包しながらも、これまでは国会が全会一致の原則を守り、社員一人ひとりの自律的な公共意識もある程度機能していたため、NHKは何とか公共放送としての一定の信頼と評価を得ることができていた。しかし、安倍政権の下で、数々の不文律が破られた上、その結果として深刻な資質上の問題を抱える会長が相次ぐ不祥事にもかかわらず会長の座に居座り、権勢を振るい続けるという異常事態となり、ついに内部統制が崩壊する事態に至ってしまった。
 この問題を解決するのは容易ではない。これはNHK問題に限ったことではないが、日本の現在の政治や社会のシステムの多くが、個々人の公共意識によって支えられてきた不文律が破られないことを前提にして成り立っている。しかし、今、日本では様々理由から、その不文律が次々と突破されている。直近の例では、内閣法制局が中立的な立場から憲法や過去の法律との整合性を厳しくチェックしているから、明らかに前例と矛盾するような法案は出てこないという不文律も、内閣法制局長官に政権の意思に沿った憲法解釈をする人物を就けるという禁じ手によって、突破されてしまった。かつて「それをやったらお仕舞よ」と考えられてきた不文律破りが、日常茶飯事となっているのだ。
 個々の公共意識や倫理意識を取り戻すための不断の努力は必要だ。しかし、それが短期的な処方箋にはなり得ない以上、社会がこのまま壊れていくのを指をくわえて静観しているわけにもいかない。NHKについても、悪意をもって運用をされても公共放送の価値が大きく棄損されないような厳格な制度を確立するしかない。
 NHK問題を通じて見えてくる公共放送のあり方や、そこから見えてくる日本の現状について、ゲストの上村達男氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

軽減税率なんてやってる場合ですか

(第772回 放送日 2016年01月23日 PART1:62分 PART2:50分)
ゲスト:小黒一正氏(法政大学経済学部教授)

 日本は軽減税率とかやっている場合なのだろうか。
 今週、甘利明・経済財政担当相の金銭スキャンダルが表面化するまで、国会の予算委員会では軽減税率に膨大な審議時間が割かれていた。そして、1月12日に可決・成立した今年度の補正予算では、中小企業が軽減税率に対応するための相談窓口設置などの費用として170億円が計上されている。
 さらに安倍首相は1月22日の施政方針演説で、2017年4月の消費税率の10%への引き上げと、その際に酒類と外食を除く食品については増税の対象とはしない意向を明言している。
 どうやら政府は本気で軽減税率を導入する気のようだ。
 元々、消費税の増税に際して一部の商品に税率の据え置きを認める「軽減税率」が導入されることの根拠は、消費税の逆進性の緩和だった。すべての消費に均等に課税される消費税は、低所得層の負担が相対的に大きくなる性格を持つため、そこに何らかの手当てをすることが、税制の公平性を担保するためには必要となる。
 しかし、法政大学教授で経済学者の小黒一正氏は、軽減税率では消費税の逆進性は緩和されないと指摘する。特に食品に対する税率の据え置きでは、むしろ低所得者より高所得者を利することになり、低所得層救済の目的とは逆行するという。
 しかも、軽減税率によって、税収が毎年1兆円減る。元々今回の2%の税率の上昇で期待される税収の増加が4.5-5兆円程度とされているので、軽減税率によって消費税増税分はおよそ2割の減収となる。しかも、軽減税率の導入によって2種類の税率が並立することになり、事務負担が大きくなり、脱税も容易になる。さらに、政府が食品と非食品(もしくは外食と非外食)の線引きの裁量を持つことになるため、官僚や政治の権益が大きく膨れるという、マイナス効果も大きい。
 小黒氏は低所得層対策なら、このような複雑怪奇な制度にはせず、単に低所得層を対象に現金給付付き控除をすれば済む話だと語る。
 そもそも日本の財政は、軽減税率などと言っている場合ではない。今週内閣府が発表した「中長期の経済財政に関する試算」では、政府が目指す2020年の基礎的財政収支(プライマリーバランス=借金の元利払い分を除いた財政収支)は、軽減税率の導入によって当初予定を3000億円上回り、6.5兆円の赤字となるという。しかも、これは安倍政権が目指す実質2%以上の経済成長が続き、税収が大幅に増えることを前提としたバラ色シナリオを前提とした試算だ。
 2016年度予算案でも、総額96兆7218億円のうち税収で賄えているのは57兆6040億円に過ぎない。不足分の34兆4320億円は国債、つまり借金によって手当てをしている。国と地方を合わせた日本の長期債務残高は1035兆円に達する見込みで、対GDP比205%は国際的にも例を見ない異常な財政状態となっている。
 これだけの異常な財政状態にありながら、ここまでは1600兆円とも言われる個人金融資産を持つ日本人が国債を買い支えてきたために、まだ日本は危機的な状況には陥らずに済んでいる。しかし小黒氏は、現在のペースで借金が増え続ければ、単純計算でも10年程度で政府の借金が日本人の金融資産を上回り、国債の買い手がつかなくなる可能性が高いという。
 財政赤字から抜け出すためには、歳入を増やすか歳出を減らすしかない。しかし、歳出については、増加分はほとんど社会保障が占めているため、大幅な削減は期待できない。
 一方で、歳入を増やすためには経済成長による税収の自然増を実現するか、増税しかない。経済成長を目指して努力をすることは重要だが、成熟して人口減少局面に入った日本経済を大きく成長させることは難しい。少なくとも大きな経済成長を期待して、税金を下げるようなdeficit gamble(赤字ギャンブル)は、経済成長しなかった時に壊滅的な影響が出るため、無責任な政策だと小黒氏は指摘する。
 無論、増税は誰でも嫌だ。しかし、現在の日本の財政では、国民が受けている公共サービスの水準と、そのための負担とが明らかに釣り合っていないことは認識しておく必要がある。実際、日本の国民皆保険や皆年金など社会保障は世界的に見て「中福祉」以上のレベルにあるが、その対価として国民が支払っている国民負担率は、先進国中最低水準だ。小黒氏は、現在の日本の負担と給付のバランスは「低負担・中福祉」、もしくは「超低負担・中福祉」となっているため、赤字が増えるのは当然だと言う。
 北欧諸国のように医療や大学が無料の一方で、消費税率を25%以上にしている「高負担・高福祉」もある。また、アメリカのように福祉のかなりの部分を民間に委ねることで政府レベルでは「低負担・低福祉」を実現している国もある。さしずめ、北欧モデルとアメリカモデルの間に位置するイギリスやフランスでも消費税率は20%程度にまで引き上げられており、そのあたりが「中負担・中福祉」のバランスとなっているのが、現在の先進国の現状だ。
 現実には今の日本は、現在の中福祉を維持するために国民負担を増やすか、低負担を維持する代わりに、これまでの中福祉を諦めるかの、二者択一が迫られていると言っていいだろう。
 しかし、現在の日本の政治状況では、負担増も福祉の削減も非常に難しい。それは過去の日本の政治が、高度成長の果実を国民にばらまくことで「ポリティカル・キャピタル(=政治的資産)」を稼ぎながら、少しずつ国民に不人気な政策を受け入れさせるというバーター取引の形態をとってきたからだと小黒氏は言う。
 バーター取引の材料だった成長の果実がなくなった今、政府は未来に借金を付け回すことでポリティカル・キャピタルを稼ぎ、それを安保法制や憲法改正といった必ずしも絶大な支持を受けていない政策の実現のために消費している状態と見ることができる。安倍政権が増税にポリティカル・キャピタルを消費してしまえば、長年の野望である憲法改正のための資産が足りなくなってしまうことから、安倍首相は本音では増税を避けたいと考えているに違いない。
 われわれはいつまで未来世代に借金のつけ回すことで、政権による政治資産稼ぎを許すのか。そこで稼いだ政治資産を一体何に使わせているのか。軽減税率導入の問題を入り口に、日本の財政の危機的状況や各国の国民負担の現状、未来世代へのつけ回しで問われる現役世代のモラルの問題を、ゲストの小黒一正氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

映画が描く人工知能と人間のこれからの関係

(第773回 放送日 2016年01月30日 PART1:73分 PART2:61分)
ゲスト:栗原聡氏(電気通信大学大学院教授)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回は「人工知能」をテーマにした映画を取り上げながら、急速に進歩する人工知能(AI)がわれわれ人間の未来にどのような影響を与えるかを考えた。
 今回取り上げた作品は、日本では今春公開される『オートマタ』、2014年公開の『トランセンデンス』、同じく2014年公開で『her 世界でひとつの彼女』の3本。いずれも人工知能の進歩によって、人間の社会や日々の生活が大きく影響を受けている様子を描いている作品だ。
 2044年の未来を舞台に、人工知能と人類のサバイバルを賭けた戦いを描いたアントニオ・バンデラス主演の『オートマタ』は、人工知能ロボット「オートマタ」の製造時に、「人間への危害を加えないこと、ロボットを改造しないことの2条件をプログラムに組み込むことで、ロボットが自らを進化させ、やがては人間に歯向かうような事態は避けられるはずだった。そのおかげで、人工知能が人間の仕事の多くを代替するようになり、一見、人間とロボットの平和な共存が確立されているように見えた。
 しかし、自らを改造する能力を持ったロボットが出現し、物語はその改造主が誰かを突き止めていくというストーリーに沿って展開する。
 ロボットが人間にとって脅威とならないことを確実なものにするためには、ロボットのプログラムに組み込む2条件のセキュリティを、決して人間の力では破られないような強固なものにしなければならない。そのために人間はどうしてもロボットの力を借りる必要があった。そこに大きな落とし穴があった。
 『トランセンデンス』はジョニー・デップ演じる天才科学者が、自らの死に際して自身の脳内情報をコンピュータにアップロードし、コンピュータの中で生き続けるようになることで、数々の予期しない事態が展開されるというストーリー。コンピュータにアップロードされた天才の知能が、ネットワーク上のビッグデータと結びつくことで劇的な進化を遂げ、やがてそれは全知全能の神のような力を持つまでになる。人間よりも遥かに高度な知能を有する人工知能が、人間と合体して自らの意志を持ったとき、どのような事態が起こり得るのか。人間とは何かという根源的な問いを突きつける。
 一方、『her 世界でひとつの彼女』は人工知能を主題とする映画だが、そこにはロボットは登場しない。ホアキン・フェニックス演じる離婚協議中の主人公は、ふとしたことから対話型の人工知能オペレーションシステム(OS)と日常を共有し始める。リアルライフでの人間関係がうまくいかない中、当初、人工知能「サマンサ」は完璧な恋人に見えた。しかし、その恋愛がより真剣になるにつれて、数々の矛盾が噴き出し始める。この映画もまた、人間の根源的な価値と言っても過言ではない「愛」を、果たして人工知能が代替できるのかを問う。
 現在、人工知能の研究は第3のブームを迎えていると言われ、急速な進歩を見せている。今週も人工知能が囲碁のプロに初めて勝利したことが話題となった。チェスや将棋はすでに人工知能が人間を凌駕していたが、遥かに複雑な囲碁は人工知能では人間には勝てないとされてきたので、これでまた人工知能が一つ壁の超えた格好だ。
 しかし、今回の人工知能ブームには過去のそれとは大きな違いがある。それは研究開発が、巨額の研究開発費と豊富な人材を抱える資本力を持ったグーグルやフェースブックなど米のIT企業がその担い手となっている点だ。今回プロの囲碁棋士に初めて勝利した人工知能も、グーグルが買収したベンチャー企業が開発したものだった。
 電気通信大学大学院教授で人工知能の研究に携わる栗原聡氏は、今回の人工知能ブームのキーワードは「ビッグデータ」と「コンピュータのパワー」だという。人工知能の関する基本的な技術や理論は、第二のブームと言われた1990年代にほぼ出揃っていたという。しかし、人工知能が知識を集積し、「ディープ・ラーニング」という手法を通じてよりスマートになっていくためには、ビッグデータへのアクセスが必要で、更にそれを支える強力な処理能力が不可欠となる。それを持っているのが、グーグルなどの米IT企業だというわけだ。
 しかし、多くの映画に描かれているように、人類の未来に影響を及ぼす可能性の高い人工知能の技術が、一握りの私企業の手に握られることに問題はないのか。人工知能研究の世界は、倫理面での基準もまだ整備されているとは言い難い。ここまでのところ、いずれも人間の善意を前提にして研究開発は進められてきたが、それが今後も維持されるという保証はどこにもない。
 人工知能の進歩は人間の社会をどのように変えるのか。人間よりも優れたロボットの登場で、人間らしさの意味は変わるのか。人工知能をテーマに描かれた『オートマタ』、『トランセンデンス』、『her 世界でひとつの彼女』の他、『2001年宇宙の旅』、『Lucy』なども参照しつつ、ゲストの栗原聡氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

米大統領選に見る米国内に鬱積する不満の正体

(第774回 放送日 2016年02月06日 PART1:63分 PART2:49分)
ゲスト:前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)

 米大統領選挙が2月1日、アイオワ州の党員集会を皮切りに本格的にスタートした。これから毎週のように各州で予備選や党員集会が開催され、民主、共和両党はそれぞれ7月の党大会に向けて党の正式な大統領候補者選びを進める。そうして選ばれた候補者の間で11月8日、大統領選の本選挙が行われ、オバマ大統領の後任となる第45代大統領が選ばれることになる。
 しかし、今回の大統領選挙は少なくとも前哨戦の段階では、前代未聞の異例な事態に見舞われている。8年ぶりのホワイトハウス奪還を狙う共和党では、不動産王にしてテレビタレントのドナルド・トランプ候補が、行政経験ゼロの上にこれまで信じ難いような暴論や問題発言を繰り返しながら、支持率でまさかの首位を独走している。かと思うと、民主党の方も、公認確実と見られていた本命中の本命のヒラリー・クリントン元国務長官が、社民主義者を自任し、当初は泡沫候補扱いさえされていた74歳のバーニー・サンダース上院議員の猛追を許し、州によっては支持率で逆転されている。
 当初、トランプ、サンダース両「ダークホース」候補の躍進はあくまで一時的な現象であり、いざ選挙戦が始まれば、両党とも妥当な候補者に落ち着くだろうとの見方が強かった。しかし、両候補の支持は時とともに勢いを増すばかりで、そのまま本格的な選挙戦に突入することとなった。
 その緒戦となったアイオワ州の党員集会では、共和党では保守勢力のティーパーティ系からの支持が厚いテッド・クルーズ上院議員が27.6%の支持を集めてトップとなり、トランプは24.3%で2位に甘んじた。一方の民主党も大本命のクリントンが49.9%で勝利したものの、サンダースも49.6%の支持を集め、事実上、引き分けと言っていい結果だった。
 アイオワの結果は一見、いざ選挙戦となれば本命候補が抜け出してくるだろうとの見方を支持しているようにも見えるかもしれない。しかし、長年、大統領選をウォッチしている上智大学の前嶋和弘教授は、むしろアイオワの結果から、トランプやサンダースの支持が本物であることが証明されたとみるべきだと解説する。
 これまでトランプ、サンダース両候補の支持はあくまで世論調査という人気投票の結果であり、果たして実際の選挙戦でどの程度の人が2人に実際に投票するかは未知数だった。ところが、アイオワでは実際の投票でも世論調査に近い結果が示された形となった。現に、翌週予定されるニューハンプシャー州の予備選挙では、事前調査などの結果、トランプ、サンダース両候補がトップに躍り出る可能性が高いと見られている。
 前嶋氏は、ダークスースの2候補にここまで支持が集まる理由として、米国内に鬱積する不満の存在を指摘する。急激に経済格差を拡げてきたアメリカにあって、移民や人種的少数派の台頭を脅威に感じている白人のワーキングプアが、圧倒的にトランプを支持している。また、その一方で、過重な学費ローンを抱えた上に安定的な職に就くことが難しく将来不安を抱える学生や若年世代が、サンダースの熱狂的な支持母体となっているのだという。
 そのため、常識的には暴論にしか聞こえないトランプの移民排斥発言やイスラム教徒の入国拒否発言などが、そうした不満層の琴線に触れている。また、サンダースが提唱する対富裕層増税や公立大学の無償化、金融業に対する規制強化なども、不平等感を募らせる若年世代から、ようやく自分たちの代弁者が現れたと受け止められる理由となっている。
 前嶋氏は現段階でトランプやサンダースが主張している政策は、実際にはほとんどが実現が困難なものだと指摘する。また、現時点では彼らの発言は米国民の不満を代弁した形になっているが、選挙戦が進むにつれてより現実的な政策にシフトしていく可能性が高いと予想する。選挙戦が深まり、トランプやサンダースの主張する政策がより現実的なものにトーンダウンした時、果たして現在の高い支持率を維持できるかどうかは未知数だ。
 しかし、前嶋氏は彼らが最後まで高い支持を得続け、両党の候補者選びが党大会まで縺れる可能性は十分にあると言う。それはアメリカで格差の拡大を容認する政策が続いた結果、もはやアメリカ社会では中間層が空洞化し、一握りの富裕層と巨大な貧困層が形成されつづあるからだ。トランプやサンダースがその貧困層にアピールする政策を掲げる以上、彼らに対する支持はそう簡単には弱まることはない。しかも、そうした不満層は、過去の大統領選挙でたびたび有力候補の命取りになったちょっとした失言や過去のスキャンダル程度のことでは簡単には動じない性格を持つ。
 いよいよ本格的に始まった大統領選挙を通して、ダークホース候補の大躍進の背後にある現在のアメリカ社会に鬱積する不満の正体について、ゲストの前嶋和弘氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本では政治家に放送の政治的公平性を判断させるのか

(第775回 放送日 2016年02月13日 PART1:56分 PART2:46分)
ゲスト:鈴木秀美氏(慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所教授)

 日本は他の民主主義の国々と同様に、憲法で表現の自由を保障している。だから、代表的な言論機関の一つである放送にも、政府や政治権力が介入することは憲法違反であり、あってはならない。しかし、かといって、世論に絶大な影響力を持つ放送事業者に、好き勝手にやらせておくわけにもいかない。そこには真実性や公平性、公共性に対する一定の縛りがあって然るべきだろう。そこで他の先進国では、まずは放送事業者に自律的に自らの放送内容の真実性や公平性に責任を持たせた上で、それに対して市民が不断の監視を行える仕組みを工夫して作っている。
 しかし、日本はそのような制度を作ることができていない。結果として、放送は政府の監督下に置かれている。そして、安倍政権になって、いよいよ放送への介入が強まっている。
 今週は高市早苗総務相が、条件付きながら「停波」にまで踏み込んだ発言を行い、それを受けて政府は単一の番組の中で一定の中立性が保たれなければならないとする統一見解を打ち出した。安倍政権の放送への介入姿勢が、また一段ステップアップしたと見ていいだろう。
 2月10日の衆議院予算委員会では安倍首相自身が、2014年11月にTBSのニュース23クロスに出演した際に、番組の編集方針に注文を付けたことについて堂々と、一出演者として注文を付けてはいけないと言うほうがおかしいと主張している。
 「私の考えを述べるのはまさに言論の自由だ」首相は昨年3月の予算委員会でもこう語り、首相が放送の編集に注文を付ける行為が、憲法や放送法が禁じる違法行為に当たるとの認識は一切持ち合わせていないことを明らかにしている。
 今、直ちに放送局が政治的公平性を理由に停波の処分を受けるようなことは考えにくいが、こうした一連の発言が放送局に有形無形の圧力となり、大きな萎縮効果を与えることは避けられない。首相自身は過去にも「本当に萎縮しているのであれば報道機関にとって恥ずかしいこと」などと語っており、そこには放送局にとっても反省すべき点があるのも事実だが、それは絶大な政治権力を持つ内閣総理大臣自身が言うべき言葉ではない。
 そもそも安倍政権による一連の放送への介入の背景には、放送法の解釈に対する根本的な誤解があるようだ。
 言うまでもなく、日本は憲法第21条で表現の自由を保障している。それは何を言ってもいいという意味ではなく、政府が個人の表現の自由を犯すような法律を作ったり、そのような権力の行使をしてはならないことが定められているということだ。
 そして、その憲法の下に放送法が存在する。それが、放送法第1条の「放送の不偏不党」が放送局に党派色のある報道を禁じているのではなく、放送への特定の政治勢力の介入を許してはならないと解される所以だ。同じく放送法の1条は放送の自律を保障し、同3条は「何人からも干渉され、又は規律されることがない」ことを定めている。憲法21条は言うに及ばず、放送法の1条と3条は、放送局に対する法律というよりも、政府の行動を律する法律と解されている。
 全ての法律が憲法に則っている以上当然のことではあるが、放送法の1条と3条を読む限り、政治権力は放送には介入できず、放送局が自らを律することによって真実性や政治的中立性が担保されるというのが、放送法の精神であり、少なくともそれが伝統的な解釈だった。論理的には、安倍政権の放送法の解釈が間違っているか、それが正しければ放送法が憲法違反かの、いずれかの可能性しかありえないのだ。
 ところが、放送法には第4条に「政治的に公平であること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などの記述がある。これを憲法第21条や放送法の1条、3条を前提に読めば、それが放送局が自律的に担保しなければならない「倫理規定」であることは明白だが、憲法やそれ以前の条文の存在を無視して、4条だけを単独で読めば、放送局には政治的な公平性が求められており、政府はそれを前提に放送局に対して一定の強制力を持つと解することができると、政府は主張する。そして、そのような理由から、政府は放送局に対して行政指導を行う権限があり、違反行為が繰り返される場合は停波、つまり放送を止める権限もあるというのが、今回の高市発言の根拠となっている。
 慶應義塾大学教授で、放送法などメディア法に詳しいゲストの鈴木秀美氏によると、放送法4条は法律の制定当初からつい最近までは倫理規定と解されていた。実際、放送法が制定された1950年の国会で、当時の網島毅電波監理長官が法案の提案理由説明の中で、放送法は表現の自由を根本原則として掲げたもので、「政府は放送番組に対する検閲、監督等は一切行わない」と明言している。そのため、4条に定められた番組基準も、あくまで放送局自身が自律的に担保すべき倫理規定と解されてきた。
 しかし、世論に対するテレビの影響力が強くなるのに呼応して、1990年代になってから、特にテレビ朝日の「椿発言」などを契機に、郵政省(現総務省)は放送法4条には法規範性、つまり強制力があるとする解釈を打ち出すようになり、実際にそのような解釈に基づいて、放送局に対する行政指導が行われるようになった。そうした解釈は違憲の疑いが強いが、行政指導を受けた放送局が指導に唯々諾々と従うばかりで、裁判に訴えたりしないため、この解釈の合憲性をめぐる司法判断はまだ示されていない。現状では総務省が一方的にそのような解釈を打ち出し、それに基づいて権力行使が行われている状態だ。その一方的な解釈に基づいて、今回、総務大臣がいよいよ究極的な権力の行使ともいうべき「停波」にまで踏み込んだことになる。
 しかし、政府が放送内容に介入する行為は、そもそも放送法第1条で保障された「不偏不党」や「自律」の原則に反する。政府こそが最大の政治権力であり、その介入はいかような判断であっても、多分に党派性を帯びたものになるからだ。政治家に放送の政治的な中立性を判断する権限を許し、政府による一方的な法解釈に基づいて行政権力を振るう愚を、今、われわれは放置しているのだ。
 そもそも日本は放送免許を政府が直接付与する、先進国の中では異常な放送行政の制度を採用している。戦前の大本営発表に対する反省から、GHQは電波監理委員会という独立行政組織を設け、そこに政府から独立した形で放送行政を監理させることで、特定の政治勢力による放送への介入を阻止する制度を積極的に構築した。しかし、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が施政権を回復すると、吉田茂内閣はただちに電波監理委員会を廃止して、放送免許は戦前と同様に、政府管理の下に置かれた。
 放送免許という生殺与奪を握られた放送局は、最後は政府の意向を無視することができない。政府による一方的な放送法の解釈がまかり通るのも、不当な介入に対して放送局が裁判に訴えるなどして本気で戦うことができないのも、免許という命綱を握られているからだ。政府が免許権限を握っているからこそ、「停波」などという話がでてくるのだ。
 まずは、先進国としては異常な現在の放送免許の制度を正常化し、国民の知る権利を担保する民主主義の重要なツールである放送に対して、政治が有形無形の介入をできないような制度に改革する必要がある。それがない限り、一旦、政治権力を握った勢力が、放送という強力な宣伝ツールを自らの政治目的のために最大限活用しようとするのは当然のことであり、避けられないことだ。放送をめぐる現在の状況は、起こるべくして起きていると言わざるを得ないだろう。
 その一方で、放送局の側にも問題は多い。多くの特権を享受し、政府と持ちつもたれつの関係に甘んじる中で、美味しい汁を啜ってきた。いざ権力が牙をむき出しにしてきた時、ぬるま湯体質にどっぷりと漬かった放送局には、権力と真向から喧嘩をする気概も力量もないというのが現状だろう。
 しかし、電波はそもそも国民共有の資産であり政府の所有物ではない。また、その貴重にして希少な資産を使って行われる放送事業は、国民の公共の利益に資する目的で営まれるべきであり、放送事業者という個々の私企業の利益のためでもなければ、ましてや特定の政治権力のために使われていいはずがない。
 高市発言によってより鮮明になった政権の放送への介入問題と、公平な放送をいかに実現していくべきかなどについて、ゲストの鈴木秀美氏とともにジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

安倍政権ウーマノミクスの本物度

(第776回 放送日 2016年02月20日 PART1:72分 PART2:49分)
ゲスト:杉之原真子氏(フェリス女学院大学国際交流学部准教授)

 現在、日本が抱える最も深刻な問題は何かと問われれば、多くの人が人口減少の問題を挙げるにちがいない。財政赤字、経済成長、社会の空洞化、そして移民政策の是非等々、いずれもその背後には人口減少問題がある。政府は現在の出生率が続けば、日本の人口は現在の1億2千万人から、2060年には8,674万人まで落ち込むと予想している。それはそのまま国力の低下につながると言っても過言ではない。
 そして、その元凶としてやり玉に挙げられているのが、低迷を続ける出生率と、その原因として、女性が安心して子供を産んで育てられる環境整備が進んでいないことだ。
 総理になる前の2000年代前半には、男女共同参画運動やジェンダーフリー教育を保守の立場から批判し、第一次政権でも「女性政策」には見向きもしなかった安倍政権が、今回の第二次政権では打って変わって女性政策を最前面に打ち出している。
 安倍政権は小泉政権が2003年に掲げた、2020年までに指導的地位における女性の割合を30%に引き上げるという目標をアベノミクス成長戦略の中核に据えたかと思えば、今度は「1億総活躍」のスローガンの一環として「女性が輝く社会」を掲げるなど、その突然の変貌ぶりには驚くばかりだ。
 しかし、女性政策とは言え、そのアプローチはあくまで経済政策の一環という色彩が強く、従来の女性運動が大切にしてきた女性の権利や理念がなおざりになっているのではないかとの批判は根強い。
 共著書『「戦後保守」は終わったのか 自民党政治の危機』の中で戦後の女性政策や少子化対策を検証したフェリス女学院大学の杉之原真子准教授は、安倍政権の「ウーマノミクス」がもっぱら経済政策、とりわけ人口減少に伴う労働力の減少に対応するために、女性の労働力を活用することに政策の力点が置かれている点に懸念を表す。女性が働きやすい環境作りが進むこと自体はいいことだが、女性の権利という根本的な理念が置き去りになると、結果的にこれからの女性は男性並みに働かされた上に、家事や子育てもこれまで通り女性が担わなければならないというような、理不尽な立場に追い込まれることになりかねないからだ。
 とは言え、現在、日本の女性の社会進出が、世界の潮流から完全に取り残されていることは確かだ。国会の女性議員が占める割合は衆参合わせて11.6%、列国議会同盟(IPU)が世界ランキングの対象としている衆議院では9.5%にとどまり、何と世界の153位に低迷している。また官界、経済界に目を転じても、国家公務員の課長級で3.5%、企業の女性社長は7.5%、上場企業の女性役員に至ってはわずか2.8%という状況で、政権が掲げる「2020年に指導的地位における女性の割合を30%」という目標は、今や夢物語でしかない。実際、政府が昨年12月に閣議決定した「第4次男女共同参画基本計画」では、女性の進出度を分野ごとにより現実的な数値目標を設定し直した結果、30%には遠く及ばないことが明らかになり、事実上「2020年30%」目標は断念された形になっている。
 日本における女性の社会進出が、欧米先進国は言うに及ばず、新興国や発展途上国にも水を開けられるまで遅れているのは、なぜなのか。杉之原氏は、戦後の政治を担ってきた自民党保守政治の構造とその性格に根本的原因があると指摘する。
 戦後、日本の政治の担い手は、戦前からの政治家と官僚、そして2世、3世議員に大きく偏っていた。しかも、その大半は高齢の男性だった。今もその傾向は変わっていない。彼らのようなある意味で特権階級出身の高齢男性にとっては、育児や家事、介護などをもっぱら女性が担うことは、ごくごく当たり前のことだった。そのため戦後の日本では一貫して、そうした性別固定的で保守的な価値観や家族観を元に法律や社会制度が整備されていった。
 現在の日本社会における女性の地位を固定化する大きな転機となったものに、1979年に当時の大平内閣が決定した「新経済社会七か年計画」がある。日本が高度経済成長を経て福祉社会を迎えるにあたって打ち出されたこの計画では、稼ぎ主としての男性と、家事・育児などを担う主婦から成る標準家庭が、これからの日本の福祉の担うことが想定され、以後、そのモデルに基づいた社会制度の整備が進められてきた。それが1980年代になって、専業主婦らを優遇する年金の第三号被保険者制度や税制上の配偶者控除制度などの設立につながり、現在の男女の役割分業的な世界観が、制度面からも固定化されていった。
 「新経済社会七か年計画」に代表される、日本のおける女性政策の多くが、いずれも経済政策としての色彩を色濃く持っていたことは認識しておく必要がある。女性の権利や人権に根差した女性政策というよりも、福祉、介護のようにその時々に求められる社会的な機能の担い手として女性を活用することが、経済的にも財政的にも合理的だと考えられ、それが女性政策の名の下で実施される一方で、理念的な女性政策は多分にスローガン的なものにとどまっていた。
 現在の安倍政権による女性政策も「ウーマノミクス」の異名を取る通り、経済合理性の観点から推進されていることは明らかだ。確かに、人口の半分を占める女性の活躍が阻害されることの経済的損失は大きい。女性の就業率を男性並みに引き上げることで、日本のGDPを10数%押し上げる効果があるという民間の試算もあるように、能力も意欲のある女性が社会の中で思う存分活躍できる環境を整備することには、経済的にも大きな意味があることは言うまでもない。
 しかし、そこに根本的な理念が欠けていると、大きな弊害が伴う恐れが出てくる。自民党の日本国憲法改正草案には保守的な家族観や道徳観が数多く書き込まれているように、このままウーマノミクスと安倍政権の保守路線が同時進行で進めば、女性はそうした家族観にそった伝統的な役割を全うしつつ、もう一方で、経済プレーヤーとして男性と伍して競争していかなければならない立場に置かれるようなことになりかねない。それを避けるためには、女性の生き方や家族モデルに多様性を認め、男性の側に対しても
、家事や育児への積極的な関与をサポートする仕組みが必要となるが、これは伝統を理由に選択的夫婦別姓にさえ同意できない現在の安倍政権の伝統的な価値観とは相容れないところがある。
 杉之原氏は、今後、安倍政権のウーマノミクスの本物度を占う試金石となるのが、第三号被保険者制度と配偶者控除制度を廃止できるかどうかだという。これらの専業主婦を優遇する制度は、いずれも導入当時、農村部からの支持に陰りが出てきた自民党が、男性稼ぎ主による標準家庭からの支持を得ようとして打ち出した、場当たり的な選挙対策に過ぎなかった。ところがこれが現在まで思わぬ副作用を持ち続け、女性の社会進出の足枷なってきた。第三号被保険者という特権を享受するために、女性は家庭に縛り付けられ、配偶者控除によって働き方の多様性も奪われている。ここにメスを入れられなければ、安倍政権のウーマノミクスも所詮は掛け声だけの選挙対策であり、イメージ戦略の域を出るものではなかったと断じざるを得ないだろう。
 なぜ日本では女性の社会進出が一向に進まないのか。安倍ウーマノミクスでそれが変わることが期待できるのか。戦後の日本の政治構造が女性政策に与えてきた影響を検証しつつ、安倍ウーマノミクスの本物度を、ゲストの杉之原真子氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

イランの国際舞台復帰で変わる中東の勢力図

(第777回 放送日 2016年02月27日 PART1:62分 PART2:52分
ゲスト:高橋和夫氏(放送大学教授・国際政治学者)

 中東でイランの存在感が増している。
 昨年7月に核開発をめぐりイランがアメリカなどとの間で合意したことを受けて、長年同国を苦しめてきた制裁が解除され、イランの国際舞台への復帰がいよいよ本格化してきた。特にアメリカとの関係改善がイランの中東における発言力の高まりに大きく影響し始めている。
 イランとアメリカは長年、対立関係にあった。1950年代からアメリカはイランの内政に干渉を続け、イランに対して様々な工作を行ってきた。1953年にはCIAが中心となって、クーデターを起こさせ、民主的な選挙で選ばれたモサデク政権を倒した上で、傀儡政権を打ち立てている。
 こうした過剰な干渉がイラン国民の反発を招き、1979年、イランではイスラム原理主義革命が起こる。パーレビ王政の下で苦しめられてきた反体制勢力はテヘランのアメリカ大使館を、大使館員を人質に取った上で占拠し、それ以降、イランとアメリカの関係悪化は決定的となった。アメリカはその後、幾度となくイランに対する経済制裁を発動したため、イランは長年に渡り、国際社会から孤立させられた上に、経済的にも苦境を味わってきた。イランを牽制するために、アメリカは隣国イラクのサダム・フセインを支援し、間接的にイラン・イラク戦争まで仕掛けている。
 一方、国際的な孤立を余儀なくされたイランが、その後、核開発に着手したことで、イランは北朝鮮、イラクと並びブッシュ大統領から「悪の枢軸」とまで罵られるようになった。
 放送大学教授でイラン情勢に詳しい高橋和夫氏は、イラン側にはアメリカが仕掛けたクーデターによって自分たちが選んだ政権が潰されたことへの恨みが染みついている一方で、アメリカは大使館を占拠されたことで覇権国としてのプライドをずたずたにされた経験が尾を引き、両国の和解はこれまで一向に実現しなかったという。途中、アメリカが対イランで雪解けムードになると、イラン側に強硬な政権ができ、逆にイランに穏健な政権ができると、アメリカが強硬的だったりと、両国の間で歯車が合わなかったことも、関係改善が遅れた一因だったと高橋氏は指摘する。
 それがここに来て、イラン側では、強硬路線だったアフマディネジャド前大統領に代わって穏健派のロウハニー氏が大統領に就任し、アメリカ側も「悪の枢軸」演説をしたブッシュ大統領に代わり、オバマ政権が誕生したことで、ようやく関係改善の環境が整った。1979年の大使館占拠をリアルタイムで知らない世代が、アメリカで人口の多数を占めるようになったことも、関係改善の一助となった。
 しかし、国土、人口、石油資源、そして歴史とプライドと、あらゆる面で中東の盟主の条件を兼ね備えたイランが、制裁解除によって国際舞台に復帰すると、中東の勢力図に大きな変化が起きることが避けられない。特に、米・イラン関係の悪化を後目に、親米国として中東の盟主の地位を享受してきたサウジアラビアへの影響は大きい。親米スタンスを維持することと引き換えに、王政の維持を許され、原油輸出で王室が莫大な富を独占してきたサウジアラビアは、昨今の原油価格の下落も相まって、かつてない苦境に陥っている。
 イランの台頭によって中東の勢力図はどう塗り変わるのか。アメリカの後ろ盾で強権的な王政を維持してきたサウジアラビアには、これからも現体制を維持できるのか。混乱するシリア情勢や中東の歴史などを参照しながら、ゲストの高橋和夫氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

偏見と憎悪に支えられたトランプ現象の危険度

(第778回 放送日2016年03月05日 PART1:44分 PART2:43分
ゲスト:渡辺靖氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)

 トランプ旋風が止まらない。
 米大統領選の民主、共和両党の候補指名争いは最大のヤマ場となる「スーパーチューズデー」で、民主党は前国務長官のヒラリー・クリントンが、共和党は不動産王のドナルド・トランプが、それぞれ圧勝し、指名獲得に大きく近づいた。
 共和党の指名争いでは、トランプが7州で勝利を収めたのに対し、対立候補のテッド・クルーズ上院議員は地元テキサス州など3州で、マルコ・ルビオ上院議員はミネソタ州の1州で勝利するにとどまった。今回の勝利で、トランプが7月の共和党全国大会にトップで突入する可能性が非常に高くなり、残るは果たしてトランプが投票権を持つ代議員の過半数の支持を得られるかどうかに移っているとの見方もある。
 今年の大統領選挙の候補指名争いは、民主・共和両党ともに、当初は泡沫候補に終わると見られていた候補が予想外の善戦を続けている。民主党で民主社会主義者を自任するバーニー・サンダース上院議員が、大本命のクリントンを猛追する一方で、共和党では行政経験ゼロの億万長者トランプが、他の有力候補を圧倒して序盤から大きくリードするなど、これまでの常識が通用しない異例の状態が続いている。
 一般的にはこの現象は、硬直化した旧態依然たるワシントン政治に辟易とした有権者が、異色の候補者に惹かれた結果だと説明されているし、おそらくそれは大筋では正しい評価だろう。
 しかし、トランプの下に集まる熱狂的な支持には注意が必要だ。なぜならば、それはトランプの支持者たちの多くが、彼の主張する政策そのものよりも、そのスタイル、とりわけ人種や宗教、性別に対する偏見(bigot)や憎悪(hate)を剥き出しにした発言を口にすることを憚らないトランプの演説スタイルに惹きつけられていることが、明らかになってきたからだ。
 反ワシントン政治という意味では、共和党の中でも最右翼と目され、ティーパーティから支持を受けているクルーズの方が、トランプよりもよほど反体制的なスタンスを取っている。トランプが主張するメキシコとの間に壁を建てるとか、イスラム教徒の入国を禁止するなど、一部の暴論とも思える極端な政策を除けば、政策的にはむしろトランプの方がクルーズよりもリベラル色が強いと言っても過言ではない。
 しかし、トランプにはクルーズも、他のどの候補も持たない特徴がある。それは彼が人種的、宗教的、性的な偏見を平然と口にし、これまでのアメリカ政治の基準では許容されないとされてきたヘイトスピーチ的な言説を憚らないことだ。そして、トランプのそのスタイルが、むしろ大胆不敵(bold)、率直(straight)、強いリーダーシップなどと持て囃され、彼こそが再び強いアメリカを取り戻してくれる真のリーダーだと一部の、とりわけプアホワイトと呼ばれる現状に不満を抱く白人の低所得層に、崇拝にも近い形で崇められているのだ。
 実際、トランプ支持者の集会では、他人種や他宗教、女性や性的マイノリティーを蔑んだり揶揄したりする言葉が当たり前のように乱れ飛び、そうした主張に批判の声をあげる反対派の市民が、会場から力づくで追い出されるシーンが繰り返し目撃されている。
 アメリカ政治が専門の渡辺靖慶応義塾大学環境情報学部教授は、アメリカの有権者の間に燻る既存の政治に対する不満が高まっていることは当初から認識されていたが、少数派に対する憎悪や偏見に支えられたトランプ現象を目の当たりにして、それがここまで悪化しているとは専門家たちも予想できていなかったと語る。
 過去30年あまりの間、新自由主義的な政策によってアメリカ社会に格差が広がり、多くの白人が中間層から貧困層に転落した。と同時に、アメリカにおける白人の比率も減り続け、近い将来白人人口が全体の50%を割ることは必至の状況だ。独立以来アメリカの歴史を牽引してきた白人が、間もなくマイノリティに落ちようとしている。そうした状況に不満や危機感を抱くプアホワイトたちが、トランプ人気を支えていると渡辺氏は言う。
 とどまるところを知らないトランプ旋風にようやく危機感を持った共和党の指導部やメディアは、ここにきてトランプ批判を強めている。共和党にとっても、明らかに自分たちが主張してきた政策とは異なる主張を持つ候補を選ばなければならなくなると、党のアイデンティティが危機に陥る恐れもある。また、既存のメディアも、ここまではトランプ旋風を、いずれ失速するだろうという前提で、面白半分で伝えてきたところがあったが、ここにきて批判の手を強めている。
 しかし、ワシントン・インサイダーと見られる共和党の指導層や既存のメディアがトランプを叩けば叩くほど、トランプ支持者が増えるという皮肉な現象が起きている。実際、来る日も来る日もメディアがトランプの一挙手一投足を報じてくれるため、トランプは他の候補と比べてほとんどテレビCMを流さないでも、高い支持率を維持できている。しかも、億万長者である。いざとなればいくらでも自己資金から選挙資金は出せる立場にある。
 今やトランプがこのまま共和党の候補に指名される可能性が現実のものとなっている。そればかりか、トランプ旋風なるものにこのまま勢いがつけば、11月の本選でトランプが大統領に選出されることも十分にあり得る状況となっている。しかし、これだけ偏見や憎悪を振りまくことで支持を広げてきた候補者が、世界一の超大国アメリカの大統領になった時、アメリカ社会のみならず世界に与える影響は計り知れない。
 トランプ旋風を支えるヘイト(憎悪)やビゴット(偏見)の正体とその背景を、希代のアメリカウオッチャー渡辺靖氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

大震災でも変われない日本が存続するための処方箋

(第779回 放送日 2016年3月12日 PART1:58分 PART2:46分)
ゲスト:橋爪大三郎氏(東京工業大学名誉教授)

  東日本大震災から5年が経過した。地震、津波、そして原発事故が重なる未曾有の大惨事ではあったが、それから5年が経った今も、依然として17万人以上が避難生活を続け、原発事故は収束の目途すら立っていない。原子力非常事態宣言さえ解除できない状態のまま、政府は原発の再稼働に突き進んでいる。
 こんなことをやっていて、日本は本当に大丈夫なのだろうか。そろそろ日本のサバイバルを真剣に考え始める必要があるのではないか。震災から5年目の節目に、2週にわたり、日本が生き残るために何が必要かを考えてみたい。
 まず今週は、東京工業大学名誉教授で社会学者の橋爪大三郎氏をゲストに、日本存続のための処方箋を議論した。
 橋爪氏は、5年前の震災は建物や人命に対する損害の甚大さもさることながら、日本の統治機構の根底を大きく揺さぶったと指摘する。政官業の鉄のトライアングルの下、優秀な高級官僚が経済成長を実現し、政治がその利益配分を調整する戦後の日本の統治システムが、もはや完全に機能不全に陥っていることは、誰の目にも明らかだった。
 にもかかわらず震災後の日本は、その根本的な問題と向き合うことさえできていない。向き合うどころか、その後の復興は防潮堤や土地のかさ上げ工事など、旧態依然たる公共事業に頼り、事故の原因究明が不十分なまま、原発の再稼働を優先してしまっている体たらくだ。
 国家の根幹を支える統治システムの機能不全が浮き彫りになっているにもかかわらず、それを手当てすることができないような国に未来はない。
 日本の未来に危機感を覚えた橋爪氏は近著『日本逆植民地計画』の中で、日本を救うための8つの処方箋を提示している。いずれも財源を必要とせず、法律や制度などのソフトを整備するだけで日本の活性化が期待できるという、これまで誰も考えなかった破天荒なアイデアばかりだ。
 橋爪氏の提案は災害に弱い東京への政治・経済の一極集中を緩和し、迫り来る人口減少社会には全く新しい方法で対応していくなど、既存の枠組みに捉われない新しい考え方に基づいたものが並ぶ。その全てが実現可能かどうかはわからないが、従来の官僚機構による原状維持の殻を破り、新しい価値体系を切り開くためには、それくらいの大胆な改革が必要だと橋爪氏は言う。
 あれだけの大災害を経験し、統治システムの機能不全を嫌というほど思い知らされながら、これまでのやり方を変えられないのはなぜなのか。日本が存続するために、われわれは何をしなければならないのか。震災5周年の節目にあたり、ゲストの橋爪大三郎氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本が生き残るための処方箋

(第780回 放送日 2016年3月19日 PART1:64分 PART2:64分)
ゲスト:月尾嘉男氏(東京大学名誉教授)

 「そんなことをやってたら、国が滅びるぞ。」
 何かおかしなことが起きた時に発せられるこんなセリフは、少なくともこれまでは半分冗談で語られてきたものだった。国が本当に滅びることなんて、ありっこない。われわれの多くが、そう考えていたに違いない。だからこそ、冗談でこんなセリフを吐くことができた。
 しかし、東日本大震災から5年。未曾有の被害と最悪の原発メルトダウンに見舞われた日本という国の統治機能が、根本的な問題を抱えていることが明らかになっている。にもかかわらず、その後の5年間、われわれはそれらの問題を何一つ解決することができていない。いや、そもそも問題と向き合うことさえ、できていない。その結果、依然として17万を超える震災避難者を横目に、震災の復興に対しては旧態依然たる公共事業を中心としたハード対策に執着し、原発についても、責任の所在が不明確なまま再稼働を急いだ挙句、裁判所から差し止め処分を受ける体たらくだ。
 しかも、その間、少子化に伴う人口減少や都市への一極集中、財政破綻に突き進む赤字体質、既得権の抵抗に遭い一向に進まない産業構造改革等々、国家の屋台骨に関わる本質的な問題は、何一つといっていいほど解決に向かっていない。
 そろそろわれわれはこの国の生存を真剣に心配しなければならないところまで来ているのではないか。そのような問題意識の上に、マル激では震災5周年を機に、2週にわたって、日本が存続するための条件を真剣に考える番組をシリーズで企画した。
 その2回目となる今週は、著書『日本が世界地図から消滅しないための戦略』などを通じて、日本の存続に対する危機感を表明してきた東京大学名誉教授の月尾嘉男氏と、現在の日本が置かれた危機的状況と、日本が世界地図から消えてしまわないために何をしなければならないかを議論した。
 月尾氏は現在日本は世界で最も長く存続している国だが、それが故に、現在の日本に住むわれわれは、国家が消滅する可能性を現実のものとして受け入れていないと指摘する。しかし、実際には第二次世界大戦後だけですでに183の国が消滅している。戦後だけで、現在世界に存在する国と同じくらいの数の国が消滅しているのが、世界の現実なのだ。
 実際日本という極東の小国が、記録に残っているだけでも1500年以上続いてきたことは、ある意味では奇跡に近い。途中、白村江の戦いや元寇など、何度か危機的な状況に瀕したが、たまたま海という要塞に囲まれていたこともあり、運も味方してこれを乗り切った。欧州諸国が世界を植民化した中世には、日本は徳川幕府による鎖国中だった。そして、欧米帝国主義の手が中国から東アジアに伸びた19世紀、日本は急ピッチで明治維新後の富国強兵に成功し、日清、日露戦争を経て、欧米列強の仲間入りに成功する。こうして日本は、ベネチア共和国や東ローマ帝国を抜いて、世界で最も長く存続する国家となった。
 しかし、日本がこれだけ長きにわたり存続できた背後には、地政学的な幸運と、先人たちの卓越したビジョンがあった。明治維新以後、日本は国ぐるみで中央集権化と工業化を進めたが、これがいずれも功を奏した。
 ところが、かつて日本に未曾有の成功をもたらした権力の集中や大規模化、工業化といった一連の政策が、今日本の足を引っ張っている。月尾氏が「逆転潮流」と呼ぶ現象が起きているにもかかわらず、過去の成功体験故に日本は時代の変化に対応できていない。
 月尾氏は現在の日本の姿が、ローマ帝国に滅ぼされるまでのカルタゴや、7世紀から18世紀まで続いたベネチアといった、一時は世界に冠たる繁栄を謳歌しながら、時代の潮流に乗り遅れたために没落し、最後は消滅にいたった国々と酷似していると警鐘を鳴らす。
 しかし、まだ日本にもチャンスはあると、月尾氏は言う。日本が近代以後推進してきた諸政策は、むしろ日本の伝統に反するものが多かった。近代化を実現するために、日本は身の丈に合わない西洋的な価値を無理やり日本に移植してきた面が多分にある。今、その西洋的な価値に逆転潮流が起きているのだとすれば、日本はむしろ自分たちが本来得意とする伝統的な路線に立ち戻ればいいだけではないか。近代化のために捨ててきた日本的な価値を今一度見直し、再興することが、日本が逆転潮流に乗り、再浮上するチャンスを与えてくる可能性があると月尾氏は言う。
 そうした中で今後の日本の浮沈の鍵を握るのが、「文化」だと月尾氏は言う。物質的な豊かさを追求することで、経済大国にはなったが、その間、われわれが置き去りにしてきた精神的な豊かさが、これからの世界の変化にも沿った新たな魅力になり得るというのだ。事実、日本の伝統や文化は国際的にも高い評価を受けている。多くの外国人がアニメや日本食などを目当てに日本に来日し、今も残る豊かな自然に感嘆して帰っていく。これまで物質的な豊かさをもたらしてきた経済力や工業力を、今後はより内面的・精神的な豊かさが実感できる文化や自然のソフトパワーに置き換えていくことが、日本が再浮上するきっかけを与えてくれるはずだと月尾氏は語る。
 そもそも文化がない国は、存続するに値しないと言い換えることもできる。地球規模で考えた時、工業力や物質的な繁栄であれば、どこに国が残っていても大差はない。しかし、日本独自の文化は日本が生き残らなければ、存続させることができない。存続するためには、まず存続に値する文化を誇れる国にならなければならないということだ。
 もちろん、変革は容易ではない。改革を嫌う既得権益は根深く強固だ。しかし、このままでは日本は逆転潮流に乗り遅れた結果、人口は減り続け、経済的にも没落した、貧しいアジアの小国として生き残る道しか残されていない。いや、隣国に100年計画で世界支配を目論む国があることを考えると、日本もカルタゴやベネチアのように、消滅の道を辿ることになるかもしれない。消滅国家の教訓と日本の現状を対比しつつ、これからも日本が生き残るための処方箋を、ゲストの月尾嘉男氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.76(761~770回収録)

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安保法制が露にした日本の国防の根本的矛盾

(第761回 放送日 2015年11月7日 PART1:53分 PART2:46分)
ゲスト:伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院教授)

 安保法制の成立によって日本の戦後の安全保障政策の大転換が図られたとの見方がある。限定的とはいえ長年にわたり憲法で禁じられていると解されてきた集団的自衛権の行使を可能にしたという意味で、政策的には大きな飛躍があったことはまちがいない。
 しかし、国際紛争や武装解除が専門の伊勢崎賢治・東京外国語大学大学院教授は、安保法制に大きな問題があったことを認めた上で、日本の国防政策には安保法制以前に根本的な矛盾があり、一連の安保法制をめぐる国会審議や論争でも、その根本的な問題が顧みられることはなかったと残念がる。
 戦後、日本の国防は日米同盟を基軸としながら、専守防衛に徹する自衛隊がその任に当たってきた。しかし、日本国憲法が一切の武力の保持を禁じているため自衛隊はあくまで軍隊ではないと解釈され、現在に至っている。また、同じく日本国憲法は明確に国の交戦権を否定しているので、自衛隊は軍隊ではない上に、交戦もできない。
 伊勢崎氏は専守防衛であろうが何であろうが、国を守るためには軍事力の行使は不可欠で、また、そこでは必ず交戦状態が生じる。しかし、日本ではそれは禁止されていると解され続けているため、その矛盾をすべて自衛隊が引き受けることになっていると伊勢崎氏は言う。
 今回、安保法制によって自衛隊の役割がさらに大きくなったが、依然として自衛隊は軍隊ではなく、交戦権も持たないままだ。当然のことながら、その矛盾はさらに大きくなってしまった。いい加減にそのような子供でも分かる、詭弁と呼んでもいいような明確な矛盾を抱えたままの国防政策とは決別しなければ、自衛隊へのしわ寄せは大きくなるばかりだ。それを見て、政治も国民もメディアも平気でいられるのかと、伊勢崎氏は怒りを隠さない。
 安保法制以前から、自衛隊は国連PKO(平和維持活動)などで海外に派遣されてきた。実際、規律を守り真面目に仕事をする自衛隊は国連PKOを通じて海外からも高い評価を受けている。
 しかし、あくまで軍隊ではなく、交戦権も持たない自衛隊は他国の軍隊とは異なり、本来紛争地帯に派遣される軍隊や兵士が当然持っていなければならないような基本的な権利や権限が与えられていない。そのため、例えば自衛隊員が現地で人を殺傷してしまったり、自衛隊員自体がとらえられてしまった場合、彼らには本来、正規軍やその兵士が与えられている権限がないため、例えば刑事罰の対象になってしまったり、ジュネーブ条約で認められている捕虜の権利などが主張できないと伊勢崎氏は言う。
 要するに、明らかに軍事力を持った軍隊を憲法上の理由からあくまで軍隊ではないと言い続けてきたことに、本質的な矛盾があった。それはとうの昔に限界に来ていたが、国連PKOなどで自衛隊が海外に派遣されるようになると、その矛盾はさらに拡大し、自国が攻撃されていないにもかかわらず同盟国と共同で軍事行動を実施する権限を認めた今回の安保法制で、その矛盾はいよいよ決定的なものとなってしまったということだ。
 今回の安保法制では、自衛隊の武器使用権限などが拡大され、自衛隊員のリスクも格段に高まっている。しかし、依然として自衛隊は軍隊ではなく、交戦権は持たないという憲法上の建前は有効なため、リスクの拡大に伴う自衛隊員の法的地位の保護は全くといっていいほど、整備されていない。
 安保法制で政治や国民の目が国防に向けられことで、この日本の国防政策の根本的な欺瞞にもようやく目が向けられるかとの期待もあったが、結局、推進する政府・与党と反対する野党の間の大論争で、この問題に焦点が当たることはなかった。
 伊勢崎氏は、日本の国防政策の根本的な矛盾であり欺瞞でもある、自衛隊は軍隊ではなく、よって交戦権も持たないとする詭弁を卒業するための方策として、私案で憲法9条に代わる「新9条」を提案している。それは自衛隊を軍隊と認め、交戦権も認める一方で、専守防衛に徹し、その軍事力は自国を防衛するための個別的自衛権を行使する目的でしか使えないことを明記するというものだ。
 安倍政権が安保法制という政策転換を強行してくれたおかげで、これまで護憲の名の下に覆い隠されてきた自衛隊と憲法9条との間にある深い矛盾が、逆に一気に露呈することとなった。そもそも軍隊でもない自衛隊が、他国の正規軍と一緒になって日本国外で軍事行動を実施することなど、あり得ないからだ。
 安保法制が露にした日本の国防政策の根本的な矛盾と、それが自衛隊や一人ひとりの自衛官に与えている大きなしわ寄せの中身について、ゲストの伊勢崎賢治氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

福島の甲状腺がんの異常発生をどう見るか

(第762回 放送日 2015年11月14日 PART1:47分 PART2:53分)
ゲスト:津田敏秀氏(岡山大学大学院環境生命科学研究科教授)

 福島で子どもの甲状腺がんが増えている。
 通常、子どもが甲状腺がんを発症する割合は、100万人に1人ないし2人とされている。しかし、福島第一原発事故の後、福島県が全県民を対象に行っている「県民健康調査」で甲状腺がんと認定された子どもの数は、2012年から2014年初頭の間の調査で明らかになったたけでも、その水準をはるかに上回っている。福島県の検討委員会は2015年8月31日の時点で、事故当時18歳までの子ども367,685人のうち、既に104人が甲状腺がんと認定されたことを公表している。
 疫学が専門で医学博士の津田敏秀岡山大学大学院教授は10月、福島県が公表したデータを元に、福島の子どもの甲状腺がんの発症数が異常に高いとする論文を学会誌に発表した。津田氏の分析によると、福島では日本の平均的な発症率の20倍~50倍の高い確率で、子どもの甲状腺がんが発生しているという。
 津田氏は、福島の子どもの甲状腺がんの発生が異常に高いことは明らかなので、それを前提とした様々な施策がとられるべき段階に来ていると主張する。しかし、県の検討委員会は福島で甲状腺がんが多く見つかった理由は、全県民を対象に調査を実施したために、通常であれば見つかるはずのない症例までが表面化する、いわゆる「スクリーニング効果」が主な要因であるとして、現時点ではこれが原発事故の影響とは考えにくいとする見解を示して、静観する構えを見せている。
 甲状腺がんは、詳細な検査を行えば、通常ではがんとは診断されないものまでが表面化することはあり得るため、一定のスクリーニング効果があることは否定できない。県の検討委員会も、福島の子どもの間の異常発生は、スクリーニング効果によるものか、放射線被曝によるものかの、いずれかしか考えられないことは認めているが、現状のデータだけで被曝の影響と断定するのは時期尚早だとしている。しかし、疫学が専門の津田氏は、福島の発生状況は「スクリーニング効果では説明できない。統計学的な誤差の範囲もはるかに超えている」として、異常発生の事実を認め、直ちに対策を取ろうとしないしない国や県の姿勢を批判する。
 チェルノブイリ原発事故後、ベラルーシやウクライナでは事故後5年目から子どもの甲状腺がんの異常発生が確認されている。そのため、日本では放射線被曝による甲状腺がんの発症には少なくとも4年はかかるとされてきた。今回のデータの元となっている健康調査は2012年から2014年にかけて実施されたものであることから、国や県や多の専門家は、福島の異常発生は時期が早すぎると考え、放射線被曝が原因とは考えられないとの立場をとっている。
 しかし津田氏は、アメリカのCDC(アメリカ疾病予防管理センター)が、甲状腺がんの最短潜伏期間が大人で2.5年、子どもは1年と報告していることを示した上で、チェルノブイリの周辺で事故後5年目から甲状腺がんが激増したことは事実だが、実際には事故の1年後から甲状腺がんの増加が始まっていたことを、データをもって指摘する。その上で津田氏は、現時点での福島での甲状腺がんの発生状況は、チェルノブイリ事故後の4年間に起きたパターンと酷似しており、日本でも5~6年目から甲状腺がんが急増の恐れがあるとして、早急にその対策を進めるべきだと主張している。
 津田氏の論文に対しては、特にネット上で、これを批判する声が多くあがっている。津田氏はデータを示した上で津田氏の論文を反証していものは見たことがないとして、これを一笑に付すが、日本国内では甲状腺がんに限らず、被曝の健康への影響を指摘すると、必ずといっていいほどこれを批判する声が多くあがり、ネット上では半ば炎上状態になる。
 津田氏は、日本には公衆衛生を正当に評価できる疫学者の数が圧倒的に少ない上、日本の保健医療政策は「立ち話、噂話、陰口、井戸端会議で決まっている」(津田氏)ため、正しいタイミングで妥当な政策を決定することが難しいという。そのため、常に公衆衛生に関する重要な意思決定が先延ばしになり、結果的に被害の拡大を許してきた。その例は水俣病や四日市ぜんそくなど、枚挙に暇がない。しかも、どういうわけが直接の利害関係を有さない一般の世論も、何もしない方の選択、つまり「決定をしないという決定」を支持する傾向がある。
 またマスメディアも、こうした世論の動向に迎合するかのように、困難な問題と向き合うことを避けるところが多い。津田氏の今回の論文も、権威ある疫学の国際的な学会誌で査読を受けた論文として掲載されたものだったことから、海外のメディアでは大きく取り上げられているが、日本国内の扱いはいたって小さい。
 いたずらに不安を煽ったり、根拠もなく問題を過大視するようなことがあってはならないことは言うまでもない。しかし、今日の日本は、専門家が十分な根拠を示した上である指摘を行っていても、特に根拠を示すこともなくそれを否定するような乱暴な言説が当たりまえのように横行し、それが増幅してしまう不健康な社会になってはいないか。その結果として、事実が歪められ、問題への対応が遅れたり被害者が増えるようなことは、なんとしても避けなければならない。
 データが明確に示している福島での甲状腺がんの異常発生を単にスクリーニング効果として片づけ放置することが、現時点での妥当な政策決定と言えるのか。なぜわれわれは判断を下すことがこんなにも苦手で、判断をしないという判断だけは、こんなにも得意なのだろうか。津田氏の論文が指摘する問題点やそれに対する反論、チェルノブイリ事故による甲状腺がんの異常発生に関するデータなどを参照しながら、ゲストの津田敏秀氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

沖縄をこれ以上追い詰めてはならない

(第763回 放送日 2015年11月21日 PART1:40分 PART2:44分)
ゲスト:松元剛氏(琉球新報編集局次長)

 安倍政権は政府が強権を発動し続ければ、いずれ沖縄が力の前に屈服するとでも思っているのだろうか。
 
 米軍普天間基地の辺野古移設をめぐり、政府と沖縄県の対立が退っ引きならない状態に陥っている。
 政府は11月17日、沖縄県の翁長雄志知事を相手取り、ついに法廷闘争に打って出た。知事が辺野古沿岸域の埋め立て承認を取り消したのに対抗し、これを代執行によって撤回するための提訴だった。政府は既に、埋め立て工事を所管する国土交通省に対し、翁長知事の決定に対する不服審査を求め、国土交通相が知事の決定が効力を失ったとする決定を10月27日に発表している。また、基地建設に反対し、基地前で座り込みなどを行っている反対派住民を排除するために、「鬼の4機」として知られる警視庁第4機動隊を沖縄に派遣するなどして、徹底した対決姿勢を見せてきた。しかし、今回はいよいよ行政府としては究極の強権発動となる「代執行」にまで訴えたことで、もはや沖縄を抑え込むために安倍政権は手段を選ばない姿勢を鮮明にした形だ。
 沖縄の県紙「琉球新報」の松元剛編集局次長は、翁長知事に会おうともしなかった安倍首相の反応を見て、政府と沖縄県の全面対決は避けられないと当初から見ていたというが、その一方で、これほど早く政府側が強権を発動してくるとまでは予想していなかったという。その上で松元氏は、安倍政権が力で押さえつけようとすればするほど、沖縄の反発は強くなる一方であることを、政権側が理解できないことを不思議がる。
 しかし、今回、性急に法廷闘争に打って出たことで、安倍政権は更に多くの沖縄県民を敵に回したばかりか、辺野古での新基地の建設が、安全保障上の理由からの必然ではなく、単なる沖縄に対する差別意識に根差したものであることを、多くの人に気づかせてしまった可能性がある。安全保障上、どうしても沖縄に作らなければならないというのであれば、ここまで明確に新基地建設に反対している沖縄側の言い分にもう少し耳を貸し、何らかの妥協を探る姿勢があってしかるべきだからだ。しかし、今回の提訴で安倍政権は、沖縄の民意を一顧だにしない姿勢を鮮明にしてしまった。松元氏は沖縄の人々の多くが、その根底に沖縄に対する差別意識が存在することを確信し始めているという。
 そうした中、妥協点を探る動きも出てきている。米ジョージ・ワシントン大学教授で米・民主党政権に近い知日派のマイク・モチヅキ教授と桜美林大学大学院の橋本晃和特任教授は「沖縄ソリューション」と呼ばれる妥協案を提唱している。これはアメリカ側の軍事的必要性を満たしつつ沖縄の立場にも配慮した現実的な妥協案と言えるものだ。具体的にはキャンプ・シュワブ内に小規模なヘリポートを建設した上で、オスプレイを本土の別の基地に移駐させることで、普天間基地の閉鎖を可能にするというものだ。これによって米軍が沖縄に求めている機能と役割を維持しつつ、本土もオスプレイを引き受けることで沖縄の人々の負担を軽減することが出来るのではないかとモチヅキ教授はいう。
 モチヅキ教授はアメリカ政府は日本側から現実的な代替案が示され、それが米側の軍事的なニーズを満たすものであれば、柔軟に対応する用意があるとの見方を示す。モチヅキ教授はまた、米政府内にも沖縄の民意を全く無視する形で新しい基地が作られることに不安を抱き始めている人がいるとも指摘する。
 しかし、それが実現するための大きな障害は安倍政権だ。安倍政権は辺野古以外はありえないとの立場を崩していない。また、モチヅキ教授らのソリューションを実現するためには、沖縄県外にオスプレイの駐機基地を見つけなければならない。沖縄に対しては強権を発動してでも新基地やオスプレイを押し付けることを辞さない安倍政権だが、果たして沖縄県外にその受け入れ先を見つけられるかどうか、また、そもそも安倍政権にそれだけの政治的な意思(political will)があるかどうかも疑問だ。
 松元氏はキャンプ・シュワブ内に新たなヘリポートを作る案は、ヘリポートの規模によっては山を削るなどの大規模な工事が必要となるため、環境負荷を理由に沖縄が難色を示す可能性があることを指摘しながらも、モチヅキ氏のような米政権に近い知日派の有力者から現実的な妥協案が出てきたことは歓迎すべきことだと語る。
 しかし、松元氏はまた、沖縄の状況はかなり切羽詰まっており、そう悠長なことを言ってもいられないとして、沖縄問題がこれ以上拗れた場合、日米関係にも深刻な打撃を与えるような事態に陥りかねない空気が沖縄県内に燻っていることへの警鐘を鳴らす。それは政府の非情な強権発動に対する沖縄の怒りが爆発した時、沖縄の民意が単に辺野古の基地建設への反対運動では収まらなくなる恐れが、現実的なものとして出てきているからだ。松元氏は現実的な脅威として、東アジアの安全保障上の要塞としての機能を持つ嘉手納基地に対しても、沖縄の人々が反対の声を上げ始めかねない状態にあるという。
 「沖縄ソリューション」を提唱している橋本氏も、これ以上、沖縄県民を追い詰めると、怒りの矛先が嘉手納基地の全面返還要求や、米軍そのものに対する反対運動に向かいかねないと指摘する。
 これ以上沖縄を追い詰めることは日本全体にとっても得策なのか。そもそも安倍政権の沖縄の民意との全面闘争に勝算はあるのか。米軍普天間基地の移設をめぐる辺野古の状況や、今回の政府と沖縄県の対立を沖縄の人々がどう見ているのかなどについて、ゲストの松元剛氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

TPPで日本の農業は安楽死する

(第764回 放送日 2015年11月28日 PART1:68分 PART2:61分)
ゲスト:山下一仁氏(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)

 TPPに反対する人たちの多くは、関税が引き下げられることによって日本の農業が壊滅的な打撃を受けることを懸念しているという。
 しかし、元農水省の交渉担当官で農業貿易に詳しい山下一仁氏は、それはまったく杞憂で、TPPそのものは日本の農業にほとんど影響を与えないと言い切る。それはTPP交渉を担当した甘利明経済財政相をはじめとする日本政府の交渉官がうまく交渉を進めた結果と見ることもできるが、同時に山下氏はそのことで、日本の農業は絶好の改革の機会を逃してしまったと残念がる。
 TPPは日本の農業にとって、世界と競争できる農業に脱皮するための千載一遇のチャンスだった。しかし、おそらくアメリカを含むTPPの交渉参加国は日本の複雑な農業保護の仕組みを十分に理解できていなかった可能性があると山下氏は言う。そのため、TPPの合意文書の文言を見る限り、一見関税の引き下げなどに同意しているように見えるが、実質的には日本の農業の保護体質、しかも零細な兼業農家を保護することで競争力を落としている体質は、そのまま温存されることになった。また、コメに代表されるように、実際に市場を開放した部分については、様々な形で政府や政府系の機関が税金を投入して市場に介入し、現在の市場価格を維持する仕組みも温存された。
 その結果、これからも日本の農業人口も農地面積も減り続け、このままでは日本の農業は安楽死の道を歩むことになるというのが、山下氏の指摘するところだ。
 実は山下氏は元々TPP賛成派だった。TPPによって日本の農業を幾重にも保護している複雑な障壁が取り払われれば、日本の農業が世界で戦う農業に脱皮できる可能性が広がる。また、これまで政治的な理由から変革が困難だった日本の農業の構造的な問題が一掃されれば、米価をはじめとする食料価格も下がり、消費者も大きな恩恵を享受することができる。TPPという外圧によって長年日本の農業の成長を妨げてきた国内問題の解決が図られることに、山下氏は多少なりとも期待を抱いていたという。
 結局、自民党政権は来年に参院選を控え、JAを始めとする農業票離れが怖かったのだ。しかも、さらにたちの悪いことに、TPP自体は日本の農業にはほとんど影響を与えないにもかかわらず、自民党政権はTPP対策と称して、様々な予算措置を講じる構えを見せている。1990年代のガット・ウルグアイラウンドでも、同じことが起きた。実際にウルグアイラウンドの交渉官だった山下氏は、自民党は日本に全く影響の出ない合意を勝ち取ったことを知りながら、総額で6兆円を超えるウルグアイラウンド対策費なる予算を計上し、それを選挙用のばら撒きに使った。本来の建前だった農業の基盤整備では予算が消化しきれず、その多くが事実上の公共事業に転用されたという。
 TPPで僅かに市場開放が進んだ部分については税金を投入することで非効率な零細兼業農家が守られる。そして、現在の農産物の高い市場価格は維持される。その上にその「対策費」と称して、多額の税金が使われる。これでは市民は3重苦を負わされるだけだ。しかも、そのために日本の農家は衰退の一途を辿ることになり、究極的には国民の食料安全保障も脅かされることになるというのだから、4重苦と言っていい。
 こうした問題への山下氏の処方箋は明快だ。まずは関税や障壁を取り払い、世界で戦える農業を目指す。それでもどうしても競争できず、影響を受ける分野に対しては、農業の特殊性に配慮し、政府の直接支払いによる所得補償を行う。競争力のある分野を伸ばしつつ、農業という食料安全保障にもかかわる産業の特殊性に鑑みて、守るべき部分は守ることによって、全体として農産物の価格は下がり、消費者も恩恵を受ける。
 この対策が政治的に難しい理由はただ一つ、選挙だ。選挙を抱えた政治家は、少数を対象とする農業対策ではなく、不特定多数の農業票を集めやすいバラマキに傾き易い。もちろんその時は、対策の効果などは度外視される。農水省の役人は族議員に嫌われてしまえば役人としての将来がないため、政治には従順にならざるを得ない。マスコミも何に遠慮しているのか定かではないが、日本の国家100年の計にもかかわる重大なこの問題を、厳しく追及する姿勢は見えない。そのため、踏んだり蹴ったりの扱いを受けている一般市民にはなかなかそのことが知らされない。
 TPPで日本の農業はどう変わるのか、あるいは変わらないのか。日本の農業が抱える構造的な問題を解決するためにどうすればいいのかなどを、ゲストの山下一仁氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本の国防政策は誰から何を守っているのか

(第765回 放送日 2015年12月5日 PART1:54分 PART2:55分)
ゲスト: 田岡俊次氏(軍事ジャーナリスト

 安保法制が成立したことで日本は従来の専守防衛政策から一歩踏み出し、世界地図の上でより大きな軍事的役割を担うこととなったとされる。
 4か月にも及んだ安保法制の国会の審議では、法案の中身やその合憲性をめぐる議論に長い時間が割かれた。しかし、そもそも日本の自衛隊に、そのような役割を担うだけの実力や装備が備わっているかどうかについては、ほとんど検証が行われてこなかったのではないか。
 そこで今週のマル激では、日本の自衛隊の本当の実力と、現在進行中の「防衛計画の大綱」(大綱)「中期防衛力整備計画」(中期防)の下で進む自衛隊の武器や兵器の装備の実態を、軍事ジャーナリストの田岡俊次氏に聞いた。
 冷戦の終結とともに一貫して下がってきた日本の防衛費は安倍政権の発足以降、一転して上昇をはじめ、来年度には初めて5兆円の大台に乗る見通しだという。これは対GDP比では約1%と、先進国の中でも最も低い水準ではあるが、金額としては円安でドル換算の数字が目減りしてもなお、世界で9位につけている。平和憲法を持ち、軍事的には在日米軍に依存しているといわれる日本だが、こと防衛予算を見る限り、世界で有数の軍事大国と言っても過言ではない。
 安保法制を受けて、日本の自衛隊がこれまで以上の役割を担う能力を有しているかどうかについて田岡氏は、憲法の制約がある日本は攻撃的な兵器を持たないため、現実的には難しいとの見方を示す。
 現在、大綱や中期防の下で整備が進められている防衛装備の強化は、抑止力の向上を前面に掲げている。しかし、そもそも抑止力とは、攻撃した場合にそれ以上の反撃を受ける恐れがあるために、相手に攻撃を思いとどまらせる能力のことだ。日本の自衛隊にそれだけの反撃能力が備わっていない以上、これは根本的に誤った発想だと田岡氏は言う。また、アメリカとより緊密な連携を図ることで、在日米軍が抑止力になってくれるとの希望的な考え方も、米中がまずます緊密の度合いを強める中で、無人島をめぐる紛争で、核兵器を大量に持つ中国に対してアメリカが本気で軍事介入するなどということはありえないと田岡氏は言う。
 更に、日本は中国の脅威を意識した島嶼防衛の強化のために、日本版海兵隊とも呼ぶべき「水陸機動団」の創設や水陸両用艇やオスプレイの導入などを進める方針だが、その効果についても田岡氏は、中国の空軍力に対して絶対的な劣勢に立つ自衛隊には制空権を押さえる力が決定的に欠けているため、いずれも現実的ではないと否定的だ。
 どうも、抑止力の強化と日米間のより緊密な連携、そして中国を意識した島嶼防衛能力の強化といった現在日本が進める防衛計画そのものが、かなりピンボケなものというのが田岡氏の評価だ。
 兵器のハイテク化などを受けて、世界各国が大幅に兵員数を削減する中で、日本だけは今後陸上自衛隊を5千人も増員する予定だということを見ても、日本の防衛力の整備は、自衛隊の予算獲得のために中国脅威論が使われている面があるというのが、田岡氏の見立てだ。
 
 田岡氏は1機で何百億円もする高価なおもちゃを揃えて悦に入る前に、日本はまず国防と安全保障についての基本的な議論をすべきだと主張する。いたずらに危機を煽れば、本来は存在しないはずの脅威が現実のものとなりかねない。「安全保障の要諦は敵を作らないこと」を前提に、日本の国防を考えるべきだと田岡氏は言う。
 日本の自衛隊の実力と、目下、防衛予算を増額しながら安倍政権が進める最新式防衛装備の評価、そして日本の国防の真の課題などについて、ゲストの田岡俊次氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

中間層が没落した国は衰退する運命にある

(第746回 放送日 2015年12月12日 PART1:55分 PART2:51分)
ゲスト:中原圭介氏(経済アナリスト)

 世界の歴史を振り返った時、空前の繁栄を享受した帝国がほどなく崩壊した背景には、必ずといっていいほど共通した出来事があった。中間層の没落である。古代ギリシャの民主政、ローマ帝国、唐王朝等々、いずれも中間層を没落させたことが衰退、そして滅亡の引き金になった。
 経済を理解するためには歴史的視点が重要と語るエコノミストの中原圭介氏は、1980年代以降、アメリカが新自由主義的な政策に傾倒したことで、長らくアメリカの豊かさの象徴だった中間層の没落が始まり、もはやアメリカにはほとんど中間層が残っていないところまで状況は来ているという。そして、今、アメリカには上位1%が富を独占し、99%はほとんど豊かさを享受することができない究極の格差社会が現出している。
 翻って日本はどうか。「アベノミクス」と銘打った政策で空前の金融緩和を図り、5割近い円安を実現したが、今のところその果実は大企業のみに集中し、国民の実質賃金は逓減傾向が続いている。これではGDPが多少増えたところで、大半の国民が豊かさを実感できないのも当然のことだ。日本でもアベノミクスの恩恵は、一部の大企業や金融資産を保有する富裕層に限られ、中間層はむしろ生活が苦しくなっているのだ。
 中原氏は日本では格差や中間層の没落がアメリカほどは進んでいないため、今ならまだ間に合うと指摘する。そして日本経済を立て直すためには、果実が中間層まで回ってこない金融緩和や、財政の悪化を招く公共事業に依存する現在の経済政策から脱却し、成長が期待される分野に投資を集中させるしかないだろうという。
 かつての帝国と同様に、中間層が没落したアメリカはこのまま転落していくことになるのか。日本もその轍を踏み続けるつもりなのか。日本が選択すべき道を、ゲストの中原圭介氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

われわれはテロとの戦い方を間違えていないか

(第767回 放送日 2015年12月19日 PART1:57分 PART2:54分
ゲスト:臼杵陽氏(日本女子大学教授)

パリの同時多発テロに米カリフォルニア州の福祉施設における銃乱射事件と、イスラム国もしくはそのシンパによると見られるテロが相次いだことで、イスラム国が掲げる「グローバルジハード」や、先進国の住民がある日突然テロリストと化す「ホームグロウン・テロリスト(home-grown terrorist)」の脅威が、にわかに現実味を増してきている。確かにイスラム国はテロの戦法を変えたように見えるし、テロの形態も多様化しながら進化しているように見える。世界は先進国に住むわれわれも、常にテロの恐怖に怯えなければならない時代に入ったのだろうか。
 中東情勢やイスラム教に詳しい日本女子大学教授の臼杵陽氏は、現在のアメリカを中心とするいわゆる「対テロ戦争」の方法は、まったく間違っていると指摘する。イスラム過激派勢力によるテロがここまで大きな脅威となった背景には、1979年以降にアメリカが採用してきたイスラム圏に対する外交政策の破たんがある。その政策的な失敗のつけをイスラム諸国側に負わせ続けた結果、これまでイスラム諸国側では戦乱に次ぐ戦乱の中で未曾有の犠牲者を出し、しかも現在イスラム圏は底なしの混乱状態に陥っている。
 こうした怨念の中から生じているテロという行為を、単に軍事力によって抑え込むことができないのは自明だ。なぜならば、テロは軍事的に戦っても敵わない相手に対する弱者側の唯一の報復手段だからだ。

 欧米諸国は自分たちの国益のために中東地域に勝手な国境線を引き、民族的なまとまりや宗派的なまとまりを無視して、イスラム教徒たちを欧米の概念である「国民国家」の枠内にはめ込もうとした。
 特にアメリカは1979年にイランで発生したイスラム原理主義革命の拡散を恐れ、隣国イラクのサダム・フセインを支援することで、イランを抑え込もうとした。アメリカの支援を受けたフセイン政権は宿敵イランとの戦争状態に入り、この政策はイランの勢力拡大を抑え込むことには一定の効果はあった。
 しかし、早晩、フセインが暴走をはじめ、隣国のクウェイトに侵攻するまでになった。するとアメリカは今度は、湾岸戦争、イラク戦争の2度の戦争でイラクのフセイン政権を倒し、傀儡政権を設置してイラクの間接統治を試みようとした。しかし、過去の政策的な失敗を顧みないまま行う間接統治が、まともに機能するはずもなく、イラクは未曾有の混乱状態に陥った。
 また、その過程でアメリカが主導する空爆や掃討作戦などによって、一般市民の間におびただしい数の犠牲者を出すこととなり、これが一般市民の間にまでアメリカに対する激しい怨念を蓄積させる結果となった。
 そのようなイラク国内の混乱に乗じる形で登場したのが、現在のイスラム国だった。その意味で、イスラム国はアメリカの外交政策の矛盾の産物と言っても過言ではないかもしれない。
 しかし、アメリカも他の欧米諸国も、今のところイスラム国やそこから派生するテロを、また力で押さえ込もうとしている。アメリカの軍事力を以てすれば、イスラム国を抑え込むことは可能かもしれないが、それではまた新たな怨念を生み出すだけで、テロの無限連鎖が続くことは避けられない。
 この問題を解決するためには、アメリカをはじめとする欧米諸国は自らの外交政策の失敗を顧みた上で、拗れに拗れた中東との関係を根本から解きほぐすような政策転換を図る必要がある。
 しかし、それを妨げているものがいくつかあると臼杵氏は言う。それは、先進国の国内政治と、欧米諸国側に根付いてしまったイスラムに対する誤解と偏見だ。アメリカの大統領選挙の共和党の候補者選びで暴論とも思える強硬論を唱えるトランプ氏がリードしているように、欧米諸国ではイスラムに対する強硬策を唱える勢力が軒並み支持を伸ばしている。自分たちで蒔いた種とは言え、売られた喧嘩を買わないでどうするといった空気が、欧米諸国内には根強い。
 イスラムとテロを同一視するようなイスラム教自体に対する誤解や、これを蔑視する風潮も、事態の収拾を困難にしている。
 そして、更に欧米諸国には、対テロ戦争によって利益を得る勢力がある。近年、欧米諸国は軒並み軍事費を減らす傾向にあるが、どこの国でもテロ対策の予算は従来の軍事費とは別枠で大幅に増額している。テロの恐怖が高まれば高まるほど利益を得る、「軍事産業」ならぬ「対テロ産業」が隆盛してきていることを指摘する識者も多い。
 実際、テロの脅威は明らかに誇張されている面もある。アメリカではヘイトクライムの一重に野党が分裂しているためだと中北氏は指摘する。
 自民党がこのまま右寄り路線を突っ走ることになるか、交互のリベラル色の強い政権が誕生するかどうかは、民主党が再生できるかどうかにかかっていると中北氏は言う。民主党が党勢を挽回できなければ、自民党は無理に右に寄る必要はなくなるため、合間合間にかつてのようなリベラル穏健派の政権が誕生することもあるかもしれない。しかし、もしまた民主党や、リベラル路線を掲げる別の野党勢力が台頭してきた場合、自民党が右に寄るのは必然の帰結となる。
 安倍首相の下での自民党の2つの変質について、自民党政治の歴史を参照しながらゲストの中北浩爾氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

恒例年末神保・宮台トークライブ
社会を回していくために今、必要なこと

(第768回 放送日2015年12月26日 PART1:69分 PART2:57分

 2015年は日本の歴史上、どのような意味を持つことになるのだろうか。
 この年、マル激でも安保法制をはじめ、多くの問題を取り上げてきた。中には答えが簡単に見つからない難しい問題もあったが、大抵の問題は時間をかけて解き明かせば、なぜそのような問題が起きているのかや、どこに問題があり、何をすれば問題の解決が可能になるのかを理解することが可能なものが多かった。
 しかし、その一方で、すべての問題に共通したより大きな問題があることも、わかってきた。問題の所在やその原因、そして処方箋はわかっても、実際にそれを実現するための「経路」が一向に見えてこないのだ。
 今年最後となるマル激では、年末恒例となった新宿ロフト・プラスワンで行われたライブイベントの中で、この「経路」問題を考えた。
 第二次大戦後の世界は、戦争の荒廃から立ち直るためには政府が積極的な役割を果たさざるを得ない状況にあったため、財政面でも産業政策面でも政府主導による経済政策が実施され、それが西側諸国に目覚ましい経済発展をもたらした。戦争で国土が焼野原と化した日本も見事な復興を果たした。その過程で西側の先進国には「分厚い中間層」と呼ばれる、豊かな中流市民社会が形成された。
 分厚い中間層」の存在は、民主主義が機能する上でも大きな役割を果たした。基本的な衣食住が満たされ、将来の不安からも解放された中間層は、民主主義を機能させることに熱心だった。民主主義こそが、自分たちの豊かさの原動力になっていることを知っていたからだ。
 しかし、それは長い人類の歴史の中では、特殊な時代でもあった。特殊な時代はいつまでも続かない。1970年代に入り、肥大化した政府を財政的に支えることが次第に困難になる中、1980年に米英で始まったレーガン・サッチャー政権による新自由主義が世界を覆うようになる。新自由主義への政策転換は財政出動を抑えた小さな政府と規制緩和、そして市場原理の導入が主眼だった。
 これまで分厚い中間層を守る役割を果たしてきた政府の公共支出や数々の規制が撤廃され、市場原理が導入された結果、一握りの富裕層が登場する中で、中間層の多くが貧困層へと転落した。社会は少数の富裕層と多数の貧困層に分断され、分厚く豊かな中間層は過去のものとなった。
 戦後の民主主義が機能する上での原動力だった分厚い中間層が失われた今、これまでと同じようなやり方でやっていたのでは、民主主義を機能させることは難しい。しかし、われわれの多くはなかなかそれに気づくことができなかった。
 アダム・スミスは、市場経済における神の見えざる手は、人々が道徳心による同感力を備えている場合に限って有効に機能すると説いた。これは裏を返せば人々が基本的な倫理観を取り戻さない限り、市場は正常に機能しないことを指摘していると解される。市場原理が機能するためには前提条件がある。それが未整備のままいたずらに市場原理が導入されれば、弊害が大きくなる。市場原理を導入する以上、前提条件が未整備なのであれば、人為的に整備されなければならない。
 民主主義においてもそれが有効に機能するためには前提条件がある。戦後の時代は、たまたま労せずしてその条件が整っていたため、人々は専ら民主主義を実践することに力を傾注することが許された。しかし、その前提条件が崩れた今、単に民主主義を要求するだけでは不十分だ。その前提条件の整備に力を注ぎ、そのための政策を求めていかなければならない。
 近年、顕著になってきた報道に対する政府の介入も、わかりやすい事例と言えるだろう。戦後、報道機関は労せずして言論の自由、報道の自由を享受することができた。日本国憲法とそれを支える分厚い中間層が、報道の自由は何があっても守らなければならないものと考えていたからだ。メディアにとってはその前提条件が自然に整っていた特殊な、そして恵まれた時代だった。
 ところが報道機関の多くはその「恵まれた時代」の上に胡坐をかくようになり、結果的に政治や経済権力との間の緊張感を失い、権力と癒着することを何とも思わなくなってしまった。大手報道機関のみに与えられた記者クラブや再販価格維持制度、クロスオーナーシップなどの特権は、メディア企業に空前の経済的繁栄をもたらしたが、それがここにきてメディアにとってのアキレス腱になっている。民主主義の防波堤の役割を果たしてきた中間層が解体され、権力が報道に対する牙をむき出しにしてきた時、当の報道機関側にそれを跳ね返すだけの抵抗力も気概も備わっていなかったことを、われわれは今、日夜目の当たりにしているのではないか。
 報道の自由が正常に機能するためには、平時からその備えをしておかなければならない。
 平時に政府とべったりの関係になっておいて、いざ政府が言論介入してきた時に慌てて文句を言っても、リバイアサンの力を跳ね返せるはずがない。これまで自動的にその防波堤になっていた分厚い中間層はもはや存在しないのだ。
 では、期せずしてこれまで分厚い中間層が果たしてきた民主主義の前提条件の整備機能を、今後われわれはどう代替していけばいいのか。どうすれば民主主義が本来の機能を回復し、問題を解決するための「経路」を見つけることができるようになるのか。恒例となった年末マル激ライブでは、民主主義を実現するための前提をいかに回復させるかについて、神保哲生と宮台真司が議論した。

2016年、われわれを待ちうけているもの

(第749回 放送日 2016年1月2日 PART1:67分 PART2:63分)
ゲスト:小幡績氏(慶應義塾大学大学院准教授)、萱野稔人氏(津田塾大学学芸学部教授)

  前年から引きずってきた難しい世界の情勢は、今年もますます難しくなりそうだ。

2016年最初のマル激はこの番組ではお馴染みの経済学者・小幡績氏と哲学者・萱野稔人氏を招き、今年1年、日本と世界がどこに向かっていくのかについて考えてみた。

今年2016年はオリンピック・イヤーであり、8月にブラジルのリオでオリンピックが開かれる。オリンピック・イヤーということは、アメリカの大統領選挙の年でもある。今回の大統領選挙はオバマ大統領の2期8年の任期満了を受けての選挙となるため、新しい大統領が誕生する。そして、日本では5月に伊勢志摩サミットが、7月に参院選挙が予定される。政治的には非常に盛りだくさんの年だ。

政治の年ということは、世の中を大きく変えるチャンスの年となるはずだが、実際は重苦しい空気が拭い切れない。安倍政権が2017年4月の実行を公約した消費税増税の凍結を問う形でダブル選挙に打って出て、衆参両院で与党が大勝する可能性が高いからだ。あと半年ちょっとでダブル選挙の可能性が取りざたされているにもかかわらず、野党はいまだに足並みが揃わない。メディアは新聞が軽減税率という餌に食いついてしまったために、増税凍結を批判することが難しい。自分たちは免除される税金を、他の人たちには課すべしとする論陣を張れるわけがない。そんなことから、このままダブル選挙に突入すれば、野党協力もメディアのチェックもないところで、不戦勝に近い形で与党が大勝する可能性が極めて高い。そのようなシナリオを念頭に置きつつ、2016年の政治日程は進んでいくことになるだろう。

 普通、有権者は増税が嫌いだ、増税の凍結を問う形で選挙に打って出れば、与党が大勝するというのが政治の定石だ。しかし、小幡氏は有権者はそれほど甘くはないかもしれないと言う。確かに短期的には増税は痛いが、世論調査などの結果を見ると、財政がここまで悪化した今日、これで消費税増税をやめれば、長期的には自殺行為になることに、多くの有権者が気づき始めているように見えるからだ。

 国外に目を転じると、経済面でも軍事面でもアメリカの影響力の凋落ぶりがより顕著になってきた。当面は中国の、そしていずれはそれにインドが加わる形で、世界の覇権の軸が大きく動き始めていることはもはや否定のしようがない。

 そうした中にあって、日本は今のところ、影響力が低下しているアメリカを軍事的・経済的に補完することで、中国と対峙し、国際社会における自らの地位を確保する外交路線を選択している。これについて萱野氏は、第二次大戦で日本は、ドイツが連合国に勝つと考え、ドイツ側に付いた結果、国民に大変な災禍を招くこととなったことを忘れてはならないと警鐘を鳴らす。
一方で、小幡氏は安倍政権はまた「GDP600兆円」や「1億総活躍」などの日本経済の強化策を打ち出すが、今のところ成長戦略に実効性のあるものは見られないため、2016年はアベノミクスの副作用が顕在化する年になる可能性が高いと指摘する。アベノミクスの主眼である金融緩和によって、長年続いたデフレマインドが正常に戻ったことや、大企業を中心に円安によって潤う企業は出たことには一定の評価を与えるが、実質所得が増えていない大多数の国民は、円安によって原材料の価格が上昇することで生活コストが上がり、一人ひとりの生活はより困難になっていると小幡氏は言う。

 2016年は日本でも更に格差が拡大し、中間層の分解が進む。萱野氏はその副作用として、今後ますます社会の中のヘイト(憎悪)感情が広がる可能性を懸念する。しかも、従来の嫌韓、嫌中といった在日外国人に向けられるものに加え、日本人の世代間のヘイトが強まる恐れがあるという。既に若者を中心に中高年世代に向けたヘイトの傾向が出始めている。

どうも日本がこのまま現在の路線を突き進めば、中間層の分解が進み格差は広がる。ヘイト感情が蔓延することで社会はすさみ、社会の連帯感はますます希薄になる。そのような路線を邁進していることを、われわれは自覚できているだろうか。また、そうだとすれば、それはやむを得ないことなのか。他に答えはないのか。

 2016年、われわれの前に横たわる難問とそれを解決する手段、そしてそこに辿り着く経路を、経済学者の小幡績氏、哲学者の萱野稔人氏とともに、神保哲生と宮台真司が議論した。

経済成長だけでは幸せにはなれない

(第770回 放送日 2016年1月9日 PART1:56分 PART2:31分)
ゲスト:平川克美氏(立教大学大学院特任教授)

 2016年、マル激は「前提を問い直す=why not?」を年間のテーマに据え、社会が回るための前提を継続的に再確認してみたい。
 そして、その第一弾として新年最初の収録では、「小商いのすすめ」や「消費をやめる」などの著作を通じて、成長一辺倒の資本主義の病理を問い続けてきた平川克美氏をゲストに迎え、なぜ先進国では経済成長が真の豊かさをもたらすことができなくなっているのかを議論した。
 ここ数年、日本経済は安倍政権の下、金融緩和と公共事業を両輪とするアベノミクスを通してデフレ脱却を目指してきた。アベノミクスに対する評価は分かれるが、金融緩和による円安効果や原油安の助けもあり、その間、株価は上昇。大手企業の業績も改善を見せるなど、少なくとも数字上アベノミクスは一定の成果をあげてきたと言われる。
 しかし、その一方で、われわれの多くが、景気の上昇はもとより、豊かさや幸福感さえ実感できないでいるのも事実だ。
 平川氏は経済的な円熟期に入り、人口減少が始まっている今日の日本では、経済成長だけでわれわれの生活を豊かにすることはできないと指摘する。それは日本に限らず経済的に成熟した先進国では、もはや経済規模の拡大が自動的に豊かさをもたらす条件ではなくなっているからだ。
 日本は戦後、焼け野原から奇跡的な復興と成長を遂げた。1956年から73年までの高度成長期の日本は、年平均で9.1%という驚異的な経済成長を達成している。復興期の日本経済はまだ物質的にも欠乏状態にあり、経済的な成長がそのまま生活レベルの上昇を意味した。それは経済が成長すれば、自動的に生活が豊かになった時代だった。
 その後、オイルショックを経て74年から90年にかけて、成長のペースは落ちたものの、依然として日本は年平均4.2%の成長を実現し、その間、日本は本当の意味での成長の果実を享受した。家庭には家電製品が次々と導入され、家事に費やす時間は飛躍的に減少したことで、われわれは余暇の時間を持てるようになった。
 平川氏は高度成長期から安定成長期への移行期に日本では大きな価値の転換が起きたと指摘する。「心」から「物」へと主導権が移行したのだ。
高度成長期はわれわれは生きるために働いた。しかし、その報酬としての豊かさを享受したことで、われわれの働く目的が、生きるためのものから、好きなものを買ったり、余暇を楽しんだりする「消費」のためのものへと変わった。生きるための労働が、カネのための労働になり、われわれはより多くの「物」を買うことによって、それまで以上に大きな満足を得ようとするようになった。
 生活と労働が一体だった時代は、生活のモラルがそのまま労働にも持ち込まれた。真面目に働くことが、そのまま真面目に生きていることの証だった。しかし、消費中心の経済の下では、欲望の拡大再生産が必要となる。生活に必要な商品が一通り揃った経済の中でさらなる消費を喚起するためには、企業は消費者の欲望を駆り立てることに腐心し、そうして刺激された際限なき欲望を満たすために、消費者はもっともっと働かなければならなくなる。しかし、物の消費をどれだけ繰り返しても、より大きな豊かさや幸せが得られるわけではない。
 経済を成長させるためには、経済全体の6割を占める消費の拡大が不可欠だ。しかし、消費者の欲望を刺激し、無理やり消費を拡大させたところで、それ自体が豊かさやより大きな幸福感をもたらすわけではない。
 しかし、戦後一貫した追求してきた経済成長が、もはや豊かさをもたらさないとしたら、これからの日本は何を目標にして進んでいけばいいのだろうか。
 平川氏は、日本は経済の規模を無理やり成長させなくても、社会を上手く回して循環させていくことで安定的な豊かさを享受できるような、「定常経済」のモデルを導入すべき時期に来ていると言う。定常状態とは、経済規模自体の拡大を目標とはしないが、世代交代や資本の更新を続けながら、新陳代謝を繰り返しつつ安定的に推移していく経済のことだ。
 有史以来日本は一貫して経済規模を拡大させてきた。経済成長はもはや神話と言っても過言ではない。しかし、経済成長の裏には常に人口の増加という大前提が存在した。歴史上初めて人口の減少局面に直面した今、われわれは成長神話を捨てられるかどうかが迫られているのだと平川氏は言う。
 「物」を中心とする規模の拡大から、倫理や心を重んじる新しい経済システムへ移行するための処方箋を、ゲストの平川克美氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.75(751~760回収録)

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ロフトプラスワン20周年記念ライブ
見えてきた日本の難点の正体

(第751回 放送日 2015年8月29日 PART1:42分 PART2:50分)

20年前の1995年、日本は大きな時代の転換点を迎えていた。
 阪神・淡路大震災に始まったこの年は、地下鉄サリン事件とオウム真理教に対する警察の一斉捜査、村山談話、そして高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩事故など、国の根幹を揺るがすような大きなニュースに明け暮れた。
 この時、日本の何かが確実に壊れ始めていることを、われわれの多くが感じたはずだ。
 その後日本は1997年の山一、拓銀の経営破たん、1999年のガイドライン法制(周辺事態法、盗聴法、国旗・国歌法など)から小泉改革と、もっぱら壊れる方向へと突き進んでいく。
 そして今、安倍政権の下で、壊れた日本を象徴するかのように、憲法をも顧みない安保法案の審議が着々と進められている。そんな今だからこそ、われわれは時代の分岐点となった1995年当時にあらためて立ち返り、あの時掛け違えたボタンを、もう一度掛け直す作業が必要なのではないか。
 思えばこの20年、われわれはずいぶんとデタラメなことをやってきた。
 2000年には病に倒れた小渕恵三首相の病室に5人の自民党幹部が押しかけ、意識不明の危篤状態にあった小渕氏がこれに「頷いた」との理由から、内々で後継首相に森喜朗氏を選出するという、クーデターまがいの信じがたい闇取引が、公然と行われた。
 一方、それと同じ年にアメリカではゴア副大統領とブッシュ・テキサス州知事の間で争われた大統領選でも、最後に残ったフロリダ州の選挙結果が再集計、再々集計と二転三転する中で、ブッシュ候補の実弟がフロリダの州知事を務めていたことから州の選挙管理委員会がブッシュ側に有利な裁定を下し、結果的にブッシュ大統領が誕生するという、これもまた正当性に疑義のある大統領選出が行われてしまった。
 2009年、日本では検察が突如として最大野党にして政権の座に就くことが確実視されていた民主党の小沢一郎代表に対する強制捜査に着手、小沢氏を代表の座から引きずり下ろすという事件が起きた。しかも小沢氏にかけられた嫌疑は誰が見てもそれほど重大なものとは言えないものばかりだった。
 これは一行政機関に過ぎない検察が、政権交代を目前に控えた時点で、首相就任が確実視されている野党党首に、さして重要とも思えない事件で強制捜査を行うことで、政局や選挙に決定的な影響を与えるものだった。しかし、この検察の暴走とも思える行動についても、市民社会はそれほど重要視はしていないようだった。
 他にも例をあげれば枚挙にいとまがないが、どうも、日本でも世界でも、社会を回していく上での基本的なルールとして受け止められてきた民主主義そのものが、危機的な状況に陥っているようだ。そして、民主主義と下支えする市民社会が正常に機能していなければ、社会が正常に回っていくわけがない。
 問題はわれわれがこれまで「よかれ」と思って進めてきた様々な改革が、結果的に市民社会を弱体化させ、結果的に民主主義が正常に機能しないような社会をわれわれ自身の手で作ってきてしまったということではないだろうか。
 一見、計算上はプラスに見えるような施策でも、それを実行した結果、社会の中の重要な機能が壊れれば、GDPなどの数字には出ない形で、社会は衰退し劣化していくことになる。それは目に見えないものの場合が多いし、計測が難しい場合も多い。例えば、社会における治安の低下は、新たにセキュリティ対策などが必要となることから、数字の上ではGDPを押し上げる効果を持つかもしれないが、実際にその中に暮らすわれわれの生活は確実に劣化し、精神的にも荒廃していくことが避けられない。「治安が悪化したからセキュリティを強化する」のではなく、治安が悪化しないようにするために、われわれの社会にビルトインされている様々な機能をいかに維持し強化していくかを、優先して考えなければならないのではないかということだ。
 この20年、われわれは戦後の高度経済成長とバブル時代の栄光を忘れることができず、もっぱら経済のパイを大きくするために様々な改革を推し進めてきた。社会を発展させていくためには、不断の改革は必要だろう。しかし、改革の名のものに時代遅れとなった古い制度や仕組みを捨てていく過程で、われわれは故宇沢弘文教授が言うところの「コモンズ」(社会的共通資本)をも無自覚に流していってしまったのではないか。
 今必要なことは、われわれにとってのコモンズとは何かを確認しながら、それを再構築したり、それに代わる機能を果たす仕組みを新たに作っていくことだろう。
今回、新宿ロフトプラスワンの開店20周年に合わて行われたマル激トークライブでは、時代の分岐点としての1995年からここまでの20年を振り返りながら、その間、日本が失ってきたコモンズとは何かを改めて考え直し、その再構築のために今われわれは何をしなければならないかなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

本庄保険金殺人事件に見る自白偏重捜査の危険性

(第752回 放送日 2015年09月05日 PART1:51分 PART2:52分)
ゲスト:高野隆氏(弁護士・八木茂死刑囚再審弁護団)

 15年ほど前に年にマスコミを大きく騒がせた殺人事件の再審請求が2015年7月31日、東京高裁で却下された。
 この事件は「本庄保険金殺人事件」として知られる殺人事件で、埼玉県本庄市で金融業やスナックを経営する八木茂氏が、自身が経営するスナックのホステスと常連客3人を偽装結婚させた上で、多額の生命保険をかけ、うち2人を殺害、もう1人を殺害未遂をしたとされる事件。主犯とされた八木氏は2008年に最高裁判決で死刑が確定。ホステス3人も懲役12年から無期懲役の有罪が確定していた。
 事件が最初に報道された1999年当時、八木氏は自身が経営するスナックに報道関係者を招き入れ、料金を徴収した上で記者会見を開くなど、その特異な行動が面白おかしくマスコミに取り上げられ、ワイドショーや週刊誌を連日にぎわせた。また、その後、八木氏が3人の常連客に総額で14億円を超える高額な生命保険をかけていたことや、実際に保険金を受け取っていたことなどが明らかになり、メディア上で八木氏を犯人と決めつけるような報道が大勢を占めた。
 しかし、実際には八木氏の犯行を裏付ける物証がなく、いずれの被疑者も一貫して犯行を否認していたため、捜査の方は当初、難航していたが、3人のホステスの1人で共犯者とされた武まゆみ氏が、途中から当初の否認を全面的に覆し、犯行を自供し始めたため、それがきっかけとなり、八木氏および3人のホステスが殺人や殺人未遂などで起訴されいずれも有罪となったのだった。
 しかし、毒殺されたはずの被害者が遺書を書き残していたり、その死因が鑑定によって「溺死」とされているなど、この事件には不審な点が多い。また、別の被害者は風邪薬の大量服用で殺害されたことになっているが、風邪薬の大量服用では人は殺せないことを、風邪薬の製造元の製薬会社の社員が証言していた。しかし、こうした数々の疑問にもかかわらず八木氏の死刑が確定する決め手となったのが、武氏による自白証言だった。
 当初犯行を全面否認していた武氏は、途中から記憶が甦ったとして、トリカブトによる殺害を認めるなど、犯行の自供を始めた。しかし、八木氏の再審弁護団の高野隆弁護士は、武氏の証言は、長期にわたる勾留と昼夜を問わない連日の取り調べを通じて、武氏が検察が描くストーリーを植えつけられ、その「偽りの記憶」を信じ込むようになった結果だった可能性が高いと指摘する。武氏の記憶が変遷していく過程は、武氏自身が取り調べの過程を書き残していた日記帳「武ノート」にも、詳細に記されていると高野氏はいう。
 武ノートには、彼女がどのような取調べを受け、誰からどのような話を聞かされ、その時自分がどう感じたかなどが克明に記されている。それはまさに彼女の記憶が書き換えられていく過程を雄弁に物語っていると高野氏は言う。
 パソコン遠隔操作事件でも、当初、誤認逮捕された4人のうち2人が、実際にはやってもいない犯行を自供しているが、長期の勾留や強圧的な取り調べに耐えかねて、思わずやってもいない犯行を自供してしまうケースは決して少なくない。その多くが、取り調べ段階では勾留の苦しさから逃れたい一心で、不本意ながらやってもいない犯行を認めてしまったが、公判になって我に返り、自供を翻すというパターンを辿る。
 しかし、「武ノート」などを見ると、武氏の場合は、無理やり自供に追い詰められたというよりも、取り調べを担当した検事によって植え付けられたストーリーを心から信じている節があり、実際に武氏の記憶が作り変えられてしまった可能性が高いと高野氏は言う。
 認知心理学や犯罪心理学の分野では、人間の記憶が書き換えられることがあり得ることが明らかになっている。自分では確かな記憶だと思っているものが、実は後から与えられた情報や経験によって変質させられていて、事実とは大きく異なることがあり得るというのだ。
 日本の刑事司法は自白偏重主義と言われ、先進国では考えられないほど長期の勾留が認められ、その間に自白を勝ち取ることが、捜査当局の唯一最大の目標となっている。勾留によって追い詰められた結果、やってもいない犯行を自白をしてしまう危険性は以前から指摘されてきた。しかし、そもそも人間の記憶さえもが書き換えが可能なものだとすると、自白に依存した刑事捜査はより大きな危険性を孕んでいると言わねばならない。
 過去の過ちから何を学んでいるのだろうか。
 今国会では集団的自衛権の行使を可能にする安保法案の裏で、刑事事件全体の3%未満しか可視化をしないにもかかわらず、それと引き換えに盗聴権限の強化や司法取引の導入といった大幅な捜査権限の拡大を謳った刑事訴訟法の改正案が審議されている。可視化がないまま司法取引などが導入されれば、さらに冤罪の温床となる恐れがある。
 国連の委員会で「中世」などと嘲笑を買いながらも、一向に改善が見られない後進的な日本の刑事司法制度の下で、武氏の「途中で変質した記憶」に基づく判決に対する再審は高裁段階では認められなかった。弁護団は8月5日、最高裁に特別抗告をしたので、今はその結果を待たねばならないが、見通しは決して明るいとは言えない。
 元々あやふやで、刷り込みや作り替えさえ可能な「記憶」に基づいた証言や自供に依存した刑事捜査の危険性を、本庄保険金殺人事件の弁護人の高野氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

マイナンバーで最悪のシナリオを避けるために

(第753回 放送日 2015年9月12日 PART1:50分 PART2:46分)
ゲスト:宮下紘氏(中央大学総合政策学部准教授)

 刑務所の中で受刑囚たちは番号によって管理される。それはあえて彼らの尊厳を奪うことを目的に、意図的に行われていることだという。
 しかし、まもなく日本人は全員が、番号で管理されることになる。それがマイナンバーだ。
 いよいよ日本で、マイナンバー制度がスタートする。今年の10月1日から郵便による全国民への番号の通知が始まり、2016年1月から本格的に稼働することが法律で決まっている。
 マイナンバー制度は、国民一人一人に12桁の番号を割り当てて、税の徴収や社会保障の運用などに活用しようというもので、正式には税・社会番号制度と呼ばれる。基本的には国民一人ひとりに固有の番号を振り当てることで、所得を正確に把握し、それを公正な税の徴収や社会保障の給付につなげることを目的としている。そのため、さしあたり来年1月の制度開始にあたっては、行政がマイナンバーを活用できる分野は税と社会保障と災害対策の3つの分野に限定されることになっている。
 そう聞くと、マイナンバーが導入されてもそれほど大きな変化はないように感じるかもしれないが、実際には新たに割り振られる番号には、行政機関がすでに把握している個人情報がすべて統合される。その中には、住民票コードや基礎年金番号、運転免許証番号やパスポート番号などが含まれる。つまり、マイナンバーが導入されることで、これまで各省庁や地方公共団体がバラバラに把握していた個人に関する情報が、一纏めに紐付けされることで、行政としてはそれらの情報を交互に連携せることが可能になる。
 例えば、これまで税務署しか持っていなかった個人の納税情報と、地方自治体が扱っていた生活保護費の受給情報が紐づけされれば、不正受給が困難になるといった具合だ。
 税の公正化が図られることは結構なことだ。政府の広報も基本的にはマイナンバー導入の便益を強調している。しかし、個人に固有の番号があてがわれ、その番号の下に行政が把握するあらゆる情報を集約させていく制度は、あまりにも危険が大きい。
 そもそもマイナンバーは一人の人間が一生使うものだ。人生80年の間に、一人の人間に関して行政が得る情報は膨大なものになる。いくら法律で、当初は「税と社会保障と災害対策の3つの分野」以外には利用できないことを定めても、それだけの情報が行政のデータベースに蓄積され保管されることに変わりはない。問題は番号化そのものにあるのではなく、番号が導入されることによって、番号の下に個人の一生分のあらゆるデータが串刺しされ、蓄積されるところにある。
 まず第一義的には集積された個人情報が漏えいするリスクがある。これは行政の担当者や作業を委託された事業者によって悪意を持って持ち出される場合もあるかもしれないし、ミスや外部からのハッキングによるものの場合もあるかもしれない。いずれにしても集積された1億2000万人分の一生の個人情報は宝の山だ。隙あらば情報を盗み取ろうとする人は後を絶たないだろうし、人間である以上、必ずミスはする。どれだけ万全を期しても情報漏えいの危険性は否定できない。
 しかし、この制度にはもう一つ別のリスクがある。それは法律自体が、今後、マイナンバーの使途を拡大していくことを計画していることだ。表現の自由やプライバシー問題に詳しい中央大学総合政策学部の宮下紘准教授によると、今回可決したマイナンバー法には附則があり、3年後には対象となる使用目的を増やしていくことが検討されることになっているのだという。当初の「税と社会保障と災害対策」の3分野以外にも、適用範囲を広げることが最初から計画されているのだ。
 検討対象の中には、個人情報に医療情報や金融情報を含めるかどうかや、集めた情報を民間に開放するかどうかが含まれているという。宮下氏は特に個人情報の中に病歴などの医療情報を含めることと、民間に個人情報へのアクセスを認めることはリスクが大きいと指摘する。個人の所得が把握できる徴税情報は企業のマーケッティング戦略上、貴重な情報になる。また個人の病歴は保険会社にとっては喉から手が出るほど欲しい情報だろう。
しかし、こうした情報が民間に開示されれば、特定の疾病にかかりやすい病歴の人は保険料が高額になったり、保険そのものを契約できなくなるかもしれない。アメリカでは日本のマイナンバーに該当する「社会保障番号(SSN)」の下に集められた個人情報が民間でも売買され、個人の遺伝子情報までが流通するようになっているという。保険会社は顧客の遺伝子情報まで念頭に置いて保険料を決めているのだという。
 特定の遺伝子が、ガンやアルツハイマーへの罹患率を上げることが分かってきているからだ。
 時代がここまで来た以上、そろそろわれわれもプライバシーに対する基本的なスタンスを決めなければならない時が来ているのかもしれない。今日、世界ではプライバシーに関して、2つの潮流が存在すると宮下氏は言う。欧州型の人間の尊厳を尊重する流れと、アメリカ型の自由を重視する流れだ。
 ナチスやファシズムによる悲惨な過去を持つ欧州では、かつてナチスがプロファイリングによってユダヤ人を追跡し迫害した反省から個人を特定するようなプロファイリングに関わる情報の扱いに特に慎重で、個人情報の活用には、事前同意(オプト・イン)を原則としている。また、ドイツのように個人情報を束ねたり串刺しにすることを禁じていたり、濫用を防ぐために強い権限を持った外部監視機関を設けている場合もある。
 一方、自由を守ることが最優先のアメリカは、個人情報の取り扱いについても基本は自由で、使われたくない人は申し出るという事後離脱(オプト・アウト)を前提としている。そこにはプライバシーは各人が自己責任の下で自身で管理していくものという前提があり、個々人が自分のプライバシーを守ろうとする意識も高い。
 基本的には個人情報へのアクセスを制限し、本人が許可した場合だけ使えるようにしているのが欧州型で、基本的には無制限でアクセスが可能で、どうしても嫌な人はあらかじめ申し出る必要があるというのがアメリカということになる。それぞれに一長一短はあるが、個人の自由や尊厳に関わる最も根源的な価値観の問題である以上、それぞれの国民性が尊重された制度になっている。
 しかし翻って今回導入される日本のマイナンバー制度はどうか。宮下氏は日本にはまだプライバシーに関する確たる哲学が確立されていないため、どっちつかずの制度になっていると指摘する。それは欧州型、アメリカ型の双方から優れた点を転用することで
今後よりよい制度を作っていける可能性があることを意味する一方で、下手をするとどちらの価値も尊重されない最悪の制度になってしまう危険性も孕んでいるということになる。
 つまり、アメリカのように国民一人ひとりがプライバシーに対する強い意識を持つこともできず、かといって個人情報が濫用できない厳しい制度上の制約を設けたり、強い権限を持った監視機関を設置することもできなければ、結果的に行政にも民間にも個人のプライバシーが侵害され放題になってしまうというのが最悪のシナリオだ。
 繰り返しになるが、マイナンバー制度は単に国民に番号をあてがう制度でもなければ、税の社会保障の情報だけをデータベース化する制度でもない。当座の使用目的は税と社会保障などに限定されるとしても、マイナンバーの下に統合される個人情報は、基本的にこれまで行政が蓄積した個々人に関する情報のすべてだと考えていい。そして、そのデータベースへの情報の蓄積、管理は今後も一生涯続くことになる。それが全国民に対して行われるのだ。そのような巨大なビッグデータは管理方法を一歩誤れば、どれだけ大変な問題が生じるかは、想像に難くないはずだ。
 10月から始まるマイナンバー制度の仕組みやその問題点、最悪のシナリオを避けるために、今、われわれに何ができるのかなどついて、ゲストの宮下紘氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

シリア難民問題は対岸の火事でいいのか

(第754回 放送日 2015年9月19日 PART1:44分 PART2:43分)
ゲスト:渡邉彰悟氏(弁護士)

 日本が安保関連法案の国会審議に揺れる中、シリアなど中東の紛争国を脱出してきた大量の難民をどこの国が受け入れるかが、大きな国際問題として表面化している。
 今、最も多くの難民を出しているシリアは2011年に始まった内戦にイスラム国(ISIL)の台頭などが重なり、大半の国民の生活が成り立たない異常事態に陥った。戦闘はシリア全域に広がり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、400万人以上が国外に脱出したほか、760万人が国内で避難生活を強いられているという。約2240万人のシリアの人口の半数以上が国内外で難民化している、まさに異常事態だ。
 難民の大半はトルコ、レバノンなどの周辺国に逃れているが、ここにきて、安全で豊かな生活を求めて欧州、特にEU域内を目指す難民の数が急増し、その受け入れの分担が大きな国際問題になっている。
 シリアの難民危機という新たな緊急事態を受けて、欧米諸国は軒並みシリア難民の受入れ枠の拡大を表明している。ドイツではこれまで年間の難民受け入れ総数が1万1千人程度だったところを、今年だけで80万人にまで緊急拡大し、更に今後数年間は毎年50万人規模を受入れる用意があることを表明している。そのほか、フランスも今後2年間で2万4000人、イギリスも5年で2万人、スウェーデンは今年7万4000人を受け入れると表明している。
 しかし、豊かな先進国の一員である日本は、このような人道上の緊急事態を、明らかに対岸の火事として傍観する姿勢しか見せていない。現在、日本には400人以上のシリア人が暮らしており、このうち60人以上が難民申請を行っているが、難民として認定されたシリア人はなんと3人にとどまっている。日本の難民受け入れ数は他の先進国と比べると、桁が5つ、6つ足りないのだ。
 とにかく日本は難民に冷たい。日本もドイツやフランスと同様に、1951年に合意された「難民の地位に関する条約」の加盟国だが、日本では2014年に5千件の難民申請があったのに対し、認定されたのは11人に過ぎない。安倍首相は軍事面での国際貢献にはとても熱心だが、こと難民受け入れという、現在もっともニーズが高い国際貢献に関しては沈黙したままだ。
 難民申請者を支援している弁護士の渡邉彰悟氏は、日本の難民政策の現状を「難民鎖国の状態」と厳しく批判する。日本では難民が「保護しなければならない対象」と見られていないところに、根本的な原因があると渡邉氏は指摘する。日本も加盟する難民条約が、難民の保護を加盟国の義務として定めていることや難民には保護される権利があることへの認識が弱く、あくまで難民は慈悲や憐みの対象にとどまっているというのだ。
 難民条約には難民の定義が示されており、加盟国はそれに合致する難民は保護しなければならないと定められている。しかし日本では制度的にも難民は入国管理の対象であり、人道的保護の対象になっているとは言い難い。渡邉氏は日本の難民認定制度が、申請を受ける窓口とその可否を判断する部署が別々で、難民認定を希望する人々の窮状や希望が認定判断に反映されていない点にも制度上の問題があると指摘する。それぞれの部署は同じ法務省内の組織だが、難民希望者と実際に面談したこともない担当者が、書類だけでその可否を適切に判断できようはずもない。しかも、日本の制度では難民であることの証明を、申請する希望者の側が果たさなくてはならないという。取るものも取りあえず国外に逃れたような難民に、自国で迫害されていたことを書類などで証明せよなど、普通に考えるとありえないような建前が、日本ではまかり通ってしまっているわけだ。
 また、申請を却下された人が不服を申し立てる異議申し立て制度も、機能していない。不服申し立てを審査するのは有識者からなる難民審査参与員で法曹関係者や行政のOBが多いが、難民法の専門家はごく少数で、難民認定の是非を的確に判断できる体制にはなっていないと渡邉氏は言う。
 国際社会がシリア難民問題を契機に負担の分担を始めた今、日本はいつまで難民鎖国状態を続けることができるのか。日本の難民認定制度の問題について、ゲストの渡邉氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

これが今の自民党の本当の姿なのか

(第745回 放送日 2015年9月26日 PART1:48分 PART2:54分)
ゲスト:中北浩爾氏(一橋大学大学院社会学研究科教授)

 主要野党を力でねじ伏せ、違憲の疑いが濃い安保関連法案を強行に採決。そして、その翌週には、立候補の意思を明確に表明した同僚議員の支持者を切り崩して、総裁選も無投票再選。本来は様々な疑問に答えなければならないはずの総裁再任の記者会見では、記者クラブ側にあらかじめ質問を提出させた上での完全な出来レースの茶番劇を堂々と演じる等々、安倍政権の暴走ぶりがまさに半端ない状態だ。
 そして、そうした安倍政権の政権運営に対して、党内からは異論や批判の類が一向に聞こえてこない。マスコミもことさらに問題視する報道はしていないので、一見平穏に政治が行われているように見えるかもしれないが、それはこうした容赦のない高圧的な政権運営のなせる業でもある。一体、自民党はどうなってしまったのか。これが新しい自民党の姿なのか。
 安倍政権の成立以来、政権の座に返り咲いた自民党には2つの点で大きな変質がみられる。一つ目は政策面での変質、そしてもう一つが体質面での変質だ。
 政策面では、長年にわたり憲法が禁じていると解されてきた集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法制を筆頭に、安倍政権発足後、自民党は武器輸出三原則の緩和や日本版NSC法、特定秘密保護法の制定など、明らかにタカ派色が強い政策を推し進めている
 自民党内には長年にわたりハト派色が強く経済を重視する保守本流の宏池会、利権色が強いが政策的にはハト派の旧田中派の系譜と、タカ派色の強い岸信介の流れを汲む清和会と中曽根派の流れを汲む政科研の、互いに対立する路線が共存し、その両者が絶妙のバランスを保ってきた。そしてそれが、自民党の最大の強みでもあった。
 しかし、ここにきて自民党は安倍首相の下、タカ派路線一色となっている。しかも、そうした路線に対して、党内から一切の異論が消えてしまったかのようだ。安保法制は安倍首相肝いりの法案だったとはいえ、それを首相とともに推進した岸田外相も中谷防衛相も、いずれも宏池会の出身だ。岸田外相は現在、宏池会の領袖の地位にあり、中谷防衛相は現在は無派閥の身だが、もともと宮澤喜一元首相や加藤紘一元幹事長の議員秘書から政治家に転身した、宏池会を本籍に持つ政治家だ。更に言えば、今回、安保法制を理論的に支えた高村正彦副総裁は三木武夫元首相が設立した派閥の領袖を務めた人物だが、これもまた党内では最も穏健派の路線をとってきたグループだった。
 こうして見ていくと、戦後最大の政策転換とも言われる安保法制は、かつてハト派の一翼を担った政治家たちによって成し遂げられたと言っても過言ではなさそうだ。このことの意味をわれわれはどう考えればいいのだろうか。
 今年6月にマル激に出演した自民党の村上誠一郎衆院議員は、小選挙区制と政党助成制度の導入で、政治資金の配分権や選挙での公認権などが党の指導部に移ったことで、個々の政治家は党指導部の方針に公然と反対することが難しくなったと指摘している。しかし、それだけで現在の自民党の変質ぶりが説明できるだろうか。
 一橋大学大学院教授で日本の政治史が専門の中北浩爾氏は、自民党の変質は長い時間をかけて進んだ現象だが、その背景には安倍晋三という政治家個人のキャラクターと民主党の台頭の2つの要素があったと解説する。
 安倍首相は自民党が小沢一郎氏や武村正義氏らの離党によって野党に転落した1993年に初当選している。政治家としての原点が野党だったことに加え、それ以降、自民党の党勢は党員数という面からも、資金力という点からも、確実に衰えるなかで、常に党の再生を考えなければならなかった。2012年の自民党総裁選で総裁に返り咲いた時も、政権は民主党の手中にあった。
 そうした背景から、中北氏は安倍首相の政治家としての思考は、自民党の党勢が衰える中にあって、いかに民主党に太刀打ちするかが常に最大の課題となっていると指摘する。民主党に対抗するため、自民党は自らの理念を点検して新たに綱領を定め、憲法改正草案を取りまとめるなど、新たな路線を模索する必要に駆られた。このとき、リベラル路線をとる民主党に対抗するために何が必要かを考えた時、理に適った選択が、現在のタカ派路線であり右寄り路線だった。民主党こそが現在の安倍政権を生んだ張本人と言っても過言ではないと中北氏は言う。
 しかし、自民党の体質的な変質については、安倍晋三という政治家自身に起因するところが大きいと中北氏は言う。安倍政権はこれまで禁じ手とされてきた領域にも躊躇うことなく手を付けた。それが、NHKの経営委員会の人事であり、内閣法制局長官の人事であり、メディアへの介入であり、強硬な国会運営だった。
 今後、現在の安倍政権の”タカ派・なんでもアリ”路線が、自民党にどの程度安定的な政治基盤を提供できるかは今のところ未知数だ。現に最近の選挙結果を見ても、自民党の得票は決して増えてはいない。それでも自民党が政権与党の座に居続けられるのは、一重に野党が分裂しているためだと中北氏は指摘する。
 自民党がこのまま右寄り路線を突っ走ることになるか、交互のリベラル色の強い政権が誕生するかどうかは、民主党が再生できるかどうかにかかっていると中北氏は言う。民主党が党勢を挽回できなければ、自民党は無理に右に寄る必要はなくなるため、合間合間にかつてのようなリベラル穏健派の政権が誕生することもあるかもしれない。しかし、もしまた民主党や、リベラル路線を掲げる別の野党勢力が台頭してきた場合、自民党が右に寄るのは必然の帰結となる。
 安倍首相の下での自民党の2つの変質について、自民党政治の歴史を参照しながらゲストの中北浩爾氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

創価学会が公明党を見限る日は来るか

(第756回 放送日 2015年10月03日 PART1:54分 PART2:52分)
ゲスト:玉野和志氏(首都大学東京都市教養学部教授)

 平和を最大の理念に掲げる創価学会は、集団的自衛権の片棒まで担いでしまった公明党をどこまで支え続けるつもりなのだろうか。
 先の国会で、違憲の烙印を押されながらも採決を強行して可決した安保関連法は、公明党こそが最大の功労者だったといっても過言ではない。自民党は参院では単独で過半数を持たない。また、参院が採決をしなかった場合に衆院が再議決できる60日ルールを適用した場合も、自民党は公明党の議席を合わせなければ衆議院で3分の2の議席を確保できない。どっちにしても安保関連法は公明党の全面協力なしでは成り立たない法案だった。
 しかし、戦後政策の最大の転換と言っても過言ではない、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更を公明党が率先して行ったことについて、平和を最上級の理念に掲げる創価学会は、どう考えているのだろうか。
 どんなに反対があろうとも、憲法学者からことごとく違憲と断罪されようとも、公明党は安倍政権と一体となって安保法制の可決に向けて邁進してきた。しかし、これに対して支持母体の創価学会の中から、この法制に反対する声が上がり始めた。学会員から法案に反対する署名を9000筆以上集め、公明党に提出した学会員もいた。また、創価学会系列の創価大学・創価女子短期大学の教員らからも、法案を批判する声明が発表になった。最近は安保法制に対する抗議集会やデモの参加者の中に、創価学会の赤、黄、青の三色旗を振る人が見られることも珍しくなくなっている。
 著書『創価学会の研究』の著者で社会学者として創価学会を研究してきた首都大学東京の玉野和志教授は、今回の学会内で安保法制への反対の動きがあることについて、「もっと早く起きていてもおかしくないことだ」と言う。創価学会が、とりわけ婦人部が平和に対する強い思いを持っていることは周知の事実だ。また、創価学会という団体は一枚岩の組織であるという一般のイメージとは異なり、組織内部で上層部への批判などは日常的に行われている体質を持っていると玉野氏は言う。
 しかし、それにしても今回の安保法制は平和を最大の理念に掲げる公明党や創価学会のアイデンティティの根幹に関わる問題ではないのか。
 確かに公明党は平和の理念を掲げ、政策的にも伝統的には中道左派に位置する政党だ。
 しかし、日本の安全保障上重要な意味を持つ政策変更はほとんどすべて、公明党が自民党と連立した1990年代以降、1992年のPKO協力法を皮切りに、周辺事態法もイラク特措法も特定秘密保護法も、いずれも公明党が成立を可能にした法律だった。
 見方によっては、今回の安保法で公明党は平和の旗を完全に降ろしたかのようにも見える。しかし、公明党自身は自民党と連立政権を運営する中で、法制の欠点やタカ派色を薄めるために一定の役割を果たしてきていると考えていて、それこそが今の公明党の使命だと位置づけているようだと玉野氏は指摘する。公明党がいなければもっとひどい法律になっていた可能性があるが、われわれが政権に入っているからこそ、この程度で済んだということのようだ。十分とは言えないかもしれないが、確かに自民党が最初に発案したタカ派色の強い法案が、公明党との協議の中でより柔らかいものに中和されていることも間違いない。
 そうした自負もあり、これまで創価学会員は、多少の不満を抱えながらも選挙で公明党や自民党を支えてきた。自民党は創価学会に支えられた公明党からの支援がなければ、参議院で過半数を持てないだけでなく、選挙でも大半の選挙区で苦戦を強いられることになる。その意味で自民党にとって公明党との連立は政権維持のための絶対条件となっている。
 玉野氏は、公明党は野党時代に自民党が池田大作現名誉会長を国会に証人喚問しようとした時のトラウマがあり、下駄の雪と言われようが、そういう無茶をやりかねない自民党には何が何でもくっついていく基本方針に変わりはないという。仮に自民党が両院が過半数を取り、多数派形成のために公明党との連立が必要なくなっても、選挙で学会の支援は絶対に必要な以上、自民党も公明党を手放すことはないだろう。
 問題はそのような公明党を、創価学会、とりわけ学会員がどこまで熱心に選挙で支え続けるかだ。玉野氏は創価学会の選挙運動の力の入れ方には、その時々によってばらつきがあり、常に学会員が全面的に公明党や自民党の候補者を支えているわけではないと指摘する。学会員の間に公明党の政策に不満が大きい時の選挙では、普段よりも学会員の動きが悪くなり、その分集票力も落ちるそうだ。来年の参議院選挙では、今回の安保法制の影響で、選挙における学会員の動きが悪くなる可能性は十分にあり得るという。また、今回の法案審議の過程で創価学会内から反対の声があがった背景には、法律の性格もさることながら、学会側の構成員の変化も影響している可能性があると玉野氏は言う。
 かつて学会は低所得者層の労働者の受け皿として、特に都市部における疑似共同体の役割を果たしながら会員数を伸ばした。しかし会員数が公称で800万世帯を超えるまで膨らんだ今、玉野氏は創価学会内にも社会的に成功した上層の人たちと、伝統的な下層の人たちの間に政策や理念でも違いが生じてきていると言う。特に社会で成功した学会員の多くは、政策的な方向性がより保守的なものになり今回の安保法制のような政策にも賛成の人が増えているという。
 安保法制をきっかけに表面化した創価学会と公明党の間の微妙な関係は今後どうなっていくのか。創価学会が公明党を見限る日は来るのか。そもそも創価学会の影響力は今後も続いていくのか、創価学会の歴史を参照しながら、創価学会の現在の状況や公明党との関係、自民党の連立政権による功罪などについて、ゲストの玉野和志氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

東芝粉飾問題に見るモノづくり大国日本の終焉

(第757回 放送日 2015年10月10日 PART1:54分 PART2:51分
ゲスト:湯之上隆氏(技術経営コンサルタント)

 日本がモノづくり大国と呼ばれて久しい。しかし、東芝による「不正会計事件」は、モノづくり大国を支える日本の製造業の土台が、すでに過去のものとなっている実態を浮き彫りにしてしまった。
 日本を代表する総合電機メーカーの東芝は、証券取引等監視委員会による検査で、過去7年にわたり業績を不正に会計処理していたことが明らかになった。東芝が設置した第三者委員会の調査によると、不正に操作された利益は2248億円にのぼり、少なくとも3代にわたり歴代のトップが不正に関与していたという。
 東芝を例に見るまでもなく、かつて1970~80年代に世界を席捲した日本の製造業が、苦境に陥っている。海外の電気店では外国製品、とりわけサムスンやLGなどの韓国メーカーの商品が幅を利かせ、日本製のテレビや家電製品は隅の方で埃をかぶっている状態だという。円高などの外的要因もあろうが、それにしてもなぜ日本の製造業はここまで凋落してしまったのだろうか。
 元日立製作所の半導体技術者で、技術経営分野のコンサルタントとして日本の製造業の事情に詳しい、ゲストの湯之上隆氏は、今回の東芝問題の根底に、日本の製造業が直面する問題の本質が潜んでいると指摘する。
 そもそも今回の東芝の粉飾問題は実際には利益が出なくなっていた半導体、パソコン、テレビ、そして電力インフラなどの重電部門などで、帳簿上は利益が出ているように数字を操作するという、典型的な粉飾の一種だった。しかし、しかしこの技術に対する過信と、コストと時間を度外視した高品質主義ゆえに、日本の製造業の現場では売れるあてもないまま不必要なほどハイスペックな製品を作り続けることが当たり前になってしまったと湯之上氏は言う。そこに、日本製と比べれば厳密な意味での品質は劣るかもしれないが、そこそこの品質で低価格な韓国や台湾など海外の製品が登場した時、日本製は必要以上に高品質、高スペックで、そして当然のこととして不必要に高価なために、売れない商品となってしまった。
 結局日本の製品は、その高品質によって一度は世界の市場をリードするものの、その後、市場がより成熟してくると、必要最小限の品質で安価な製品に取って代わられるパターンを繰り返す中で、市場のシェアを確実に落としてきたのだった。そしてその根本には「品質では負けない」「技術では負けていない」という技術に対する過信があった。
 また、日本の技術信奉の背後には、日本のメーカーがマーケティングを軽視したこともあると湯之上氏は言う。その国の消費者がどのような機能を持った、どのくらいの価格の製品を求めているかを無視して、単に作る側の思い込みだけで「高品質」「高価格」な製品を作っても、売れるはずがなかったのだ。

 東芝粉飾事件が露にした日本の製造業の現場の荒廃ぶりと、その背後にあるモノづくり神話の崩壊の原因、そしてそこから脱するために日本がしなければならないことなどを、ゲストの湯之上隆氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

米大統領選でダークホースが台頭する背景

(第758回 放送日2015年10月17日 PART1:46分 PART2:46分
ゲスト:渡辺靖氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)

 来年11月の米大統領選に向けた序盤戦で、ちょっとした異変が起きている。民主・共和両党で、いずれも泡沫、あるいはダークホースと見られていた候補者が大健闘をしているのだ。
 共和党の指名争いでは、アメリカの不動産王として知られる大富豪のドナルド・トランプ氏が、歯に衣着せぬ発言で人気を集め、支持率でトップに躍り出ている。行政経験が皆無なことに加え、人種差別や性差別的な発言を繰り返し、暴論に近い政策論をまき散らしているにもかかわらず、共和党の大本命と見られていたブッシュ前大統領の弟のジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事らを抑えて、目下トップを独走中だ。
 また、共和党では世界的な外科医として有名なベン・カーソン氏が、やはり行政経験はなく、政策も一貫性を欠いているにもかかわらず、支持率でトランプ氏に次ぐ堂々の2位につける予想外の健闘ぶりを見せている。
 一方の民主党でも、選挙戦が始まる前から公認候補となることが確実視されていたヒラリー・クリントン元国務長官が、思わぬ苦戦を強いられている。ファーストレディ、上院議員、国務長官などこれ以上ないほどの華麗な経歴と知名度を誇り、本命中の本命と目されてきたクリントン氏だが、全米の世論調査では辛うじてトップを維持しているものの、自らを民主社会主義者と公言し、富裕層への課税強化などを訴えるバーニー・サンダース上院議員が猛烈な追い上げを見せていて、州によってはサンダース候補の支持率がクリントン候補を上回るところまで出てきている。
 大統領選挙は両党の候補者が指名されるのが来年の7月、本選は11月なので、まだまだ日があるが、序盤戦とはいえ、トランプやカーソンといった政治のずぶの素人が共和党の指名争いでトップに立ったり、サンダースのような全国的な知名度のない候補が大本命のヒラリーを苦しめるといった事態は、異例ずくめのことだ。これは今のアメリカの何を表しているのだろうか。
 トランプ氏やサンダース氏が予想外の高い支持を集めている背景について、アメリカ研究が専門で、大統領選挙の動向にも詳しい慶應義塾大学の渡辺靖教授は、アメリカの有権者たちの間で広がるワシントンの既存の政治に対する幻滅や怒りの存在を指摘する。何かを変えてくれるだろうと期待したオバマ政権は共和党に議会を握られたこともあり、そうした期待に十分応えられていない。また、アメリカは景気が回復しているといわれるが、経済成長の果実は大企業や一部の富裕層に独占され、中流以下のアメリカ人の暮らし向きは一向に良くなっていない。もはや既存の政治には期待できないとの思いが、トランプ氏のようなアウトサイダーへの期待という形で現れていると渡辺氏は言う。
 とはいえ、大統領選挙は長丁場だ。2010年の最高裁判決でスーパーPACと呼ばれる政治団体を通じた無制限の政治献金が可能になったことで、大統領選を勝ち抜くためには最低でも10億ドル(1200億円)の資金が必要になっていると言われている。それを自己資金で賄える大富豪のトランプ氏には資金の問題はないかもしれないが、サンダース氏やその他の候補にとってはこれが今後死活問題となってくる可能性は高い。こと選挙資金集めでは、両党ともに当初から大本命と目されてきたブッシュ、クリントン両候補が、群を抜いて他の候補を引き離している。
 また、次第に選挙戦が本格化してくれば、対立候補やメディアからの攻撃も勢いを増してくるだろう。テレビCMを使ったネガティブキャンペーンも増えてくるはずだ。序盤戦では思わぬ健闘をしたダークホース候補たちが、今後もこのままの調子で支持を広げていくことは決して容易ではないと渡辺氏指摘する。
 むしろ今回の大統領選挙の最大の問題は、これが空前の金権選挙になってしまうことが必至なことかもしれない。それは選挙後、確実にアメリカの政策に影響を与えることになる。誰が大統領に選ばれたとしても、億単位の献金で候補者を支えた大企業や大富豪たちにとって不利な政策を採用することはできないからだ。例えば、ウォールストリートマネーに依存した選挙戦を戦えば、どんなに格差問題が深刻であっても、金融業界や富裕層を厚遇するのは当然のこととなる。
 大統領序盤戦でダークホースが台頭した背景には、アメリカの有権者のどのような政治的意思が反映されているのか。この選挙では何が問われ、それはアメリカの歴史上、どのような意味を持つのか。今後の日米関係への影響も含め、米大統領選の序盤線の戦況について、ゲストの渡辺靖氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

TPP交渉で知財分野は日本の完敗だった

(第759回 放送日 2015年10月24日 PART1:57分 PART2:40分)
ゲスト:福井健策氏(弁護士)

  TPP交渉が、大きな節目を迎えた。
 2010年3月に始まった太平洋にまたがる8億人の自由貿易経済圏を目指したTPP拡大交渉は、13年7月から日本も参加し、難産に難産を重ねた結果、10月5日に大筋で合意に達した。
 これをもって5年半に及んだ交渉は終結し、今後は参加12か国の間で細部を詰めた上で、各国が国内的な批准プロセスを行い、合意内容に沿った形で国内法を整備していくことになる。
 TPP交渉の責任者を務めた甘利明TPP担当相は、10月20日の日本記者クラブの講演の中で、日本がリーダーシップを発揮して大筋合意に漕ぎ着けることができたと自画自賛した上で、交渉結果は日本にとって最善のものとなったとの認識を示している。
 しかし、TPPが対象とする31分野の中でも、最も重要といっても過言ではない知的財産分野、とりわけ著作権の分野では、どうも話はそれほど甘くはなさそうだ。いや、甘くないどころか、著作権分野の交渉では日本は落第点だったと著作権に詳しい弁護士の福井健策氏は厳しい評価を下す。
 著作権分野の重要3点セットと呼ばれ、ここまでの交渉で日本が反対してきた「著作権保護期間の70年への延長」、「非親告罪化」、「法定賠償制度の導入」の3点はいずれも今回の大筋合意に含まれてしまった。福井氏は著作権を含む知的財産分野では、アメリカが求めていたもののほとんどすべてが入っていると指摘する。甘利氏が胸を張る「日本にとっての最善の結果」という評価には、どう考えても首を傾げざるを得ない。
 著作権侵害の非親告罪化については、「収益性に大きな影響を与えない」範囲であれば対象とはしない旨が盛り込まれたことで、今後整備される国内法次第では、日本の独自の文化を形成しているコミケやパロディなどが一方的に警察の捜査対象になることは避けられる可能性がある。とはいえ、何をもって「収益性への大きな影響」と見做すかについては解釈の余地があり、捜査当局のさじ加減では非親告罪化の影響がもろに顕在化する可能性は十分に残っている。
  著作権保護期間も70年で統一することになった。巨大な市場と豊富なコンテンツを抱えるアメリカは、著作権分野だけで年間10兆円以上の貿易黒字を稼ぎ出していて、その源泉は著作権で保護された有名コンテンツの売り上げにある。有名キャラクターの保護期間が迫るたびに延長を繰り返し、ミッキーマウス法などと揶揄されるような著作権保護の仕組みが、TPPでもほぼアメリカの狙い通りに合意されている。
 しかし、福井氏は今回の3点セットの中で、日本に最も大きな影響を及ぼす可能性があるのは法定賠償制度の導入ではないかと言う。これは懲罰的賠償とも呼ばれるもので、著作権侵害に対する損害賠償に巨額な賠償責任を負わせることを可能にする制度だ。これまで日本では著作権侵害に対する損害賠償は実害の範囲を対象にしていた。これに対して、法定賠償制度が導入されれば実害の規模とは関係なく、法律で決められた賠償金が課せられることになる。既にアメリカではこの制度が存在し、著作権侵害に対して軒並み億円単位の損害賠償判決が下されている。この文言が大筋合意に入ったということは、大なり小なり日本もこの制度を導入しなければならないことを意味する。
 結局、TPP交渉における今回の合意内容を見る限り、少なくとも知財分野に関しては、アメリカの仕組みに合わせたルール作りに、日本は大幅に譲ってしまったというのが実情だ。そして、何よりも大きな問題はその結果が、日本にどのような経済的、そして社会的な影響を与えるかが、依然として未知数なところにある。
 また、忘れてはならないのは、現段階で知財分野における日本の譲歩ぶりが露になっているのは、たまたま知財分野の合意文書だけが、ウィキリークスによって公開されたからに他ならない。農業を含む他の分野で日本がどれだけ大きく譲っていたかは、合意内容が発表されていない現状ではわからないのだ。
 自由貿易が島国日本にとって恩恵をもたらす要素が大きいという主張は分からなくはない。しかし、交渉の結果が、明らかに日本に不利な条件であれば、TPPがもたらす恩恵よりも、その損害や悪影響の方が大きくなる恐れも十二分にあり得る。著作権は明らかにその恐れがある分野の一つと言わねばならないだろう。
 甘利担当相が「日本にとって最善」と呼んだTPP大筋合意の知財分野の合意内容を、リークされた合意文書を元に検証し、日本が手にしたものと失ったものを明らかにした上で、今後、国内法の整備に入る際にわれわれが何を注視していかなければならないかなどを、ゲストの福井健策氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
SEALDsが日本社会に投げかけた素朴な疑問

(第760回 放送日 2015年10月31日 PART1:59分 PART2:69分)
ゲスト:奥田愛基氏(SEALDs・明治学院大学4年)、福田和香子氏(SEALDs・和光大学4年)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では安保法制に反対する国会前デモで一躍注目を浴びた学生グループ「SEALDs(シールズ)」の中心メンバーを迎えて、彼らシールズの活動を通じて見えてきた日本の実相への素朴な疑問について、大いに語ってもらった。
 ラップ音楽に乗った「コール」で、安保法制に反対するデモをリードしてきたシールズ(SEALDs:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s = 自由と民主主義のための学 生緊急行動)は、2013年に成立した特定秘密保護法に反対する学生団体サスプル(SASPL: Students Against Secret Protection Law = 特定秘密保護法に反対する学生有志の会)をその前身に持つ。
 東日本大震災と原発事故後の政府の対応や特定秘密保護法、安保法制の制定過程などを通じて、日本の民主主義の在り方に対する根本的な疑問を持つ人が増える中、実際にその影響を最も強く受けることになる若者、とりわけ学生たちにも、その危機感は十二分に共有されていた。しかし、民主主義や民主主義を守るために立ち上がった学生たちと聞くと、従来の学生運動を思い起こす人も多いに違いない。ましてやその中心メンバーとなれば、さぞかし意識の高い若者たちなのだろうと思いきや、その一人、奥田愛基さんは、今回の安保法制への反対運動を始めるまでは、ほとんどデモに参加したこともなく、特に特定の政治問題に対するスタンスを公言したこともなかったという。
 同じく中心メンバーの一人、福田和香子さんも、たまたま国会前で秘密保護法に反対する座り込みをやっていると聞き、独りで出かけてみたことが運動に参加するきっかけだったというが、毎週金曜の夜にデモに行かなければならなくなると、クラブに踊りに行けなくなることを気にかけながら、マイペースで運動に参加していたという。
 しかし、奥田さんにしても福田さんにしても、反対の声をあげる必要があると感じたきっかけは、今の社会や政治に対する素朴な疑問からだった。奥田さんは、末代まで市民社会に大きな影響を与えるような法案が、数の力だけ押し切られてしまう特定秘密保護法の成立過程を見ていて、「議会制民主主義が機能していない」ことに危機感を覚えたという。
 しかし、後にシールズとして注目されることになる彼らが、従来の学生運動と最も大きく異なっていた点は、運動の展開の方法だった。物心がついた時はすでにインターネットが普及していた、いわゆる「インターネットネイティブ世代」の彼らは、ただ反対の声を上げるだけでは意味がないことを、皮膚感覚として持ち合わせていた。ただ、声をあげるだけでは自己満足で終わってしまう。しかし、同じ声を上げるにしても工夫次第で、周囲の多くの人を巻き込むことができる。白黒文字がぎっしり並んだ声明文をどれだけ配っても、ほとんど誰も読んでくれないが、カラフルでグラフィックなフライヤーなら、より多くの人が関心を持ってくれるかもしれない。シールズは誰もか薄々感じてきた社会や政治の在り方に対する素朴な疑問を、単に「表出」させるのではなく、それを「表現」して見せた。そこが彼らの新しいところであり、面白いところであり、多くの人が彼らに新しい草の根運動の息吹を感じたところだった。
 シールズが正式に立ち上がったのは今年5月。毎週金曜日夜の恒例となった国会前のデモでは「コール」と呼ばれるリズムに乗った掛け声で、参加者からの「レスポンス」を求めることで、多くの人の参加意識を刺激することに成功した。また、ビジュアルにも気を配り、ファッション性や音楽などをミックスすることで、若者を中心に、これまでデモや市民運動に参加したことのない多くの人々を惹きつけた。
 しかし、奥田さんらはそうした表層的な側面だけを切り取ってシールズの活動に今風の若者像を重ねようとするメディア報道には違和感を感じるという。実際にそうした広報戦略が功を奏した面があったことは確かだが、それはシールズのほんの一面に過ぎない。
 シールズのメンバーはLINE(ライン)などのSNSを通じてメンバー間の緩やかなネットワークを作り、情報を共有している。そのラインのグループには現在全国で400人前後の学生が関わっていて、イベント情報の共有や班ごとの役割分担の連絡に利用しているという。しかし、シールズのメンバーを繋いでいるのは基本的にそれだけで、メンバーの名簿すら存在しない。シールズの活動にどの程度コミットするかも各人の自由で、例えば、デモとバイトが重なったために、バイトを優先するメンバーがいても、周囲はそれをごく当たり前のように受け入れているという。得意の英語を活かしたコールで、デモでは注目を浴びた福田さんは、シールズの運営面にはほとんど関わらず、普段はダンスや彼氏とのデートに忙しい普通の学生生活を送っていると、平然と言ってのける。
 そんな彼らだが、シールズの活動を通じて見えてきた日本の実相に対する指摘は鋭く、手厳しい。
 福田さんは自分とシールズの関わりが広く報道されたことで、近所の人から「かわいそうに」とか「そっちに行っちゃったのね」などと、自分が変なことをしているかような扱いを受けたと苦笑する。日本では政治的な発言をするだけでも敬遠される傾向があるが、それが若い女性の場合、その風当りはさらに何倍も強いものになることを実感させられたそうだ。また、一見シールズを応援しているかのような発言をする大人の中には、派手目に見える福田さんのファッションに難癖つけてくる人も多いという。他人に自分たちの主張を聞いてもらいたいのであれば、それ相応の服装やスタイルを身につけなさいということだそうだ。まだまだ日本では、出る杭は打たれて当然と考えている人が多いことを、彼らはシールズの活動を通じて痛感したという。
 メディア報道によって有名になったことで、シールズのメンバーがネット上で誹謗中傷に晒されたり、発言の一部が切り取られてネットが炎上するような現象もしばしば起きている。匿名の陰に隠れて誹謗中傷を書き込む卑怯者たちも問題だが、シールズの活動自体には賛同すると言っておきながら、そうした行為を批判もせずに放置しておける日本社会の在り方についても、彼らは強い疑問を抱く。
 シールズのメンバーたちは、自分たちにできることをやるだけやった上で、来年夏の参議院選挙をもって解散すると、あっさりと言ってのける。「シールズは次は何をやるんだ」、とか、「解散はもったいない」などと言われることも多いが、それは旧態依然たる「まかせてブーたれる」おまかせ民主主義の悪弊の反映にすぎない。彼らは普通では到底できないことをやってのけ、既にできることは十二分、いやそれ以上のことを成し遂げている。問題の核心は、彼らが投げ掛けた日本の民主主義に対する素朴な疑問を、われわれ一人ひとりがどのように受け止め、次の行動に移していくかにある。沖縄の翁長知事も同じことを指摘していたが、多くの深刻な問題を抱える日本の現状は、「シールズは次は何をやってくれるの」などと見物人気分で呑気に聞いている場合ではない。
 分からないこと、おかしいと思うことがあれば、声を上げるのが当たり前の社会への第一歩を踏み出す先鞭をつけた学生グループのシールズが、その活動を通じて見たもの、感じたことを、その中心メンバーの奥田愛基さん、福田和香子さんと、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.74(741~750回収録)

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なぜ違憲の安保法制に党内から異論が出ないのか

(第741回 放送日 2015年6月20日 PART1:46分 PART2:42分)
ゲスト:村上誠一郎氏(自民党衆議院議員)

どうも自民党の様子がおかしい。
 もちろん自民党には結党当時から自主憲法の制定を主張する、いわゆる「タカ派」の人々も大勢いた。旧民主党の流れをくむ政治家たちだ。しかし、その一方で、かつての自民党では、党のタカ派色が前面に出過ぎるようになると、いわゆる保守本流と呼ばれる穏健派の政治家たちを中心に極端な右派路線に対する異論が巻き起こり、党はある種の自浄作用を発揮して、極端な路線は修正されてきた。その絶妙なバランスこそが、有権者が安心して自民党に政権を託してきた理由であり、正に自民党が国民政党であり続けてきた最大の理由でもあった。
 ところが、2012年に民主党から政権を奪い返してからの自民党は、武器輸出三原則の緩和、NSCの設置、特定秘密保護法、そして集団的自衛権の行使を可能にする安保政策の転換と、過去のどの政権もが為し得なかった右寄りの重要政策を矢継ぎ早に打ち出し、実際にそれを数の論理で実現してきた。
 政治に決断力や実行力があること自体は決して悪いことではない。しかし、一連の政策の多くは、戦後の日本が培ってきたかけがえのない国際的な評価や、我々日本人の多くが国是として大切に守ってきた価値を根底から覆すようなものを多く含んでおり、慎重にも慎重を尽くす必要があるものばかりだった。それを一内閣がいとも簡単に転換することのリスクは計り知れないほど大きい。
 にもかかわらず、自民党内からこうした一連の政策転換に対する異論は愚か、懸念を表す声さえ、ほとんど聞こえてこないのはなぜだろうか。
 現在、自民党にあって、政府が推進する政策に唯一といってもいい反対の声を公然とあげている村上誠一郎衆院議員は、個人レベルでは安倍政権の方向性を批判したり懸念を表明する議員は多いが、それを公然と口にする人が自分以外は誰もいなくなってしまったことを嘆く。
 村上氏は現在、安倍政権が進める安保法制にも明確に反対し、国会の採決では党議拘束を外すよう求めている。実は村上氏は特定秘密保護法に対しても公然と反対の意を表していた党内で唯一の政治家だった。誰も異論を挟めなくなってしまった現在の自民党にあって、村上氏は絶滅危惧種といっても過言ではない、恐らく唯一の「政権にもの申す」勇気のある政治家なのだ。
 その村上氏は日本が集団的自衛権を行使することは明らかに日本国憲法に違反し、それを他国に対する攻撃によって日本の存立が脅かされるような「存立危機事態」に限って認めようという無理な理屈をつけて憲法の解釈を変更することなど言語道断だという。衆院の憲法調査会に参考人として呼ばれた重鎮の憲法学者がこぞって安保法制は憲法違反だと指摘したことからも明らかなように、存立危機事態などというのは絵空事であり、「あくまでも集団的自衛権を行使したいのであれば、安倍首相は憲法解釈の変更ではなく、憲法改正を目指すべきである」と村上氏は真正面から政権批判を展開している。その主張は明瞭明晰な正論としか言いようがないものだ。
 しかし、にもかかわらず村上氏以外に自民党内から集団的自衛権を含む安保法制への批判は全くといっていいほど聞こえてこない。むしろ国会の場で安保法制が違憲であると指摘した憲法学者らを批判したり揶揄するような発言が、本来執行部の暴走を諫めなければならない立場にあるはずの党の長老の口から、大っぴらに飛び出してくる始末だ。なぜ自民党から真っ当な批判の声が上がらないのだろうか。
 その原因として村上氏は選挙制度や政党助成金などで、党執行部の権限が強大化してことが指摘する。
 小選挙区比例代表並立制の導入によって、選挙区では各候補にとって党の公認を得ることが議員にとって死活問題となる一方で、比例名簿の順位を決める権限も党の執行部に握られるようになり、党の方針に逆らうことが難しくなった。また、民主党に政権を奪われた2009年の総選挙で大敗を喫した現在の自民党には、当選1回、2回の議員が圧倒的に多く、選挙地盤も弱い彼らには公然と執行部を批判する勇気を期待するのは酷な面もあるだろう。
 とは言え、このまま自民党は右路線を突っ走っていくことになるのだろうか。
 村上氏は現在自分は孤軍奮闘の状態にあり、自分の力だけで自民党を変えることは容易ではないが、有権者の多くが現在の自民党の路線の危うさに気がつけば、自民党内部からも声を上げる人が出てくるだろうとの見通しを語る。
 安保法制については、現在国会で野党の追及が行われているが、数を握る与党がその気になれば、いつでも法案を通すことは可能なのが、議員内閣制の現実だ。本当に党内がその考えで一致しているのであればそれもやむを得ないが、実際は多くの異論がありながら、執行部による報復を恐れて誰も声を上げられないというような状態が、民主主義の健全な形であるはずがない。
 自民党はなぜこうも変質してしまったのか。そして、なぜ誰も異論を挟めない政党になってしまったのか。われわれ有権者はそのことをどう受け止めるべきなのか。自民党の変質とその背景などについて、安倍政権と党の執行部に公然と反旗を翻す自民党の村上誠一郎氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

焼け太りの盗聴法改正に待った!

(第742回 放送日 2015年06月27日 PART1:56分 PART2:48分)
ゲスト:足立昌勝氏(関東学院大名誉教授)

 1999年、すったもんだの末に何とか可決に漕ぎ着けた盗聴法という妖怪が、16年の年月を経て、再び永田町、霞ヶ関周辺を跋扈し始めている。
 集団的自衛権をめぐり大きく揺れる国会の陰で、警察の盗聴権限を大幅に拡大する盗聴法の改正案の審議が進んでいるのだ。
 そもそも今国会で審議されている刑事訴訟法の改正案は、村木厚子・厚労省雇用均等・児童家庭局局長(当時・現在は厚労事務次官)に対する証拠改ざん事件や、志布志事件、布川事件、足利事件などの冤罪事件が相次いだことを受けて、警察や検察の取り調べの可視化を進める必要があるとの共通認識の元で議論が始まったものだった。
 民主党政権下で設けられた「検察のあり方検討会」には、元検事の郷原信郎氏やジャーナリストの江川紹子氏らが委員として参加し、取り調べの可視化の必要性を強調する報告書がまとめられていた。ところが、検討会の議論を引き継ぐ形で設置された法相の諮問機関である法制審議会の特別部会には「新時代の刑事司法制度特別部会」などといった名称が与えられ、取り調べの可視化と並行する形で、盗聴法や司法取引といった警察や検察により強い捜査権限を与える施策が議論されるようになった。
 最終的に肝心要の可視化の方は裁判員裁判の対象事件と検察の特捜部が取り扱う事件に限定されることになった。これは刑事事件全体の2~3%程度でしかない。97%の刑事事件では依然として弁護士の立ち会いもない状態の下で密室の取り調べが続くことになった。
 可視化が極度に限定されたものにとどまる一方で、その交換条件のような形で出てきた捜査権限の強化は、盗聴権限の拡大と司法取引の導入がしっかりと刑事訴訟法の改正案に含められ、今国会に提出されている。審議日程上、微妙なところもあるが、1999年の盗聴法導入時と比べ、主要マスコミに法改正の問題点を指摘する報道がほとんど見られないことや、市民社会の目が安保法制の方に向いていることなどから、法案は今国会で可決する可能性が高い。
 刑事訴訟法の改正案が謳う盗聴権限の拡大は、盗聴対象となる犯罪の種類をこれまでの4類型から13類型に増やすことと、これまで警察が令状を得た上で実際に盗聴を行うためには通信事業社に出向いていく必要があったところを、改正案ではネット回線を通じて全国の警察署に居ながらにして、通話の盗聴が可能になる点に集約される。
 具体的にはこれまで薬物犯罪、銃器犯罪、集団密航、組織的殺人の4種類の犯罪のみが盗聴の対象だったところに、窃盗や詐欺など新たに9種類の犯罪を加えるとしている。また、警察署内からの盗聴が可能になることで、これまで盗聴の現場で要求されていた通信事業者の職員の立ち会いが不要になる。警察署の中で、警察官だけが知るところで盗聴を行うことが可能になる。
 形式上は盗聴した通話はすべて録音され、裁判所に提出されなければならないとされている。しかし、盗聴権限の拡大に批判的な関東学院大学名誉教授の足立昌勝氏は、警察が盗聴したすべての通話を録音するかどうかも、また通話を記録したメディア媒体をすべて裁判所に提出する保障がないため、濫用の危険性が排除できないと指摘する。
 そもそも日本における犯罪は2003年以降、全体として減少傾向にあり、今急いで捜査権限を拡大しなければならないような治安状況にあるわけではない。盗聴は、盗聴されていることが分からないから盗聴なのであり、本質的に濫用の危険性を伴う。また、憲法で保障されている通信の自由にも抵触する可能性がある。
 このようにリスクも大きく人権上も問題の多い盗聴権限を、なぜ今急いで拡大する必要があるのか。警察は多発するオレオレ詐欺に対抗するためには盗聴が有効だと説明する。しかし、そもそも組織的な詐欺を働こうという犯罪集団が、犯行に関わる重要な情報を電話でやりとりするとは到底考えにくい。
 一方で、盗聴法の改正によって警察署に設置されることになる盗聴用のPCは、特定電子計算機などと呼ばれ、1台あたり10~30億円のコストが見込まれているという。盗聴件数が増えれば、当然、盗聴作業に従事する捜査官の数も増員が必要となる。これが警察による新たな利権とポスト拡大につながることは想像に難くない。
 警察による盗聴権の拡大はわれわれ市民社会にどういう影響を及ぼすのか。警察権力が肥大化することによって、市民はどのような不利益を受けるのか。そもそもの発端である刑事司法改革が捜査権限の拡大につながってしまっている現状とそこに含まれる盗聴法改正案、新たに導入される司法取引の問題などについて、ゲストの足立昌勝氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

夫婦別姓の前に立ちはだかるもの

(第743回 放送日 2015年7月4日 PART1:54分 PART2:52分)
ゲスト:山口智美氏(モンタナ州立大学社会学・人類学部准教授)

 米連邦最高裁は6月26日、同性婚を合衆国憲法の下の権利であることを認めた。5月22日にカトリック国のアイルランドが国民投票で同性婚を合法と認めたのに続き、アメリカが同性婚に異性間の結婚と同等の権利を認めたことで、世界の同性婚合法化の流れが一気に加速する可能性が高くなっている。
 オバマ大統領も今回の最高裁判決について「アメリカの勝利だ。これで少しだが、アメリカの連帯が完全なものに近づいた」と述べ、ホワイトハウスはレインボーカラーのイルミネーションで判決を祝した。
 翻って夫婦や家族に関する日本の現状はどうだろうか。2013年2月に日本の最高裁は長年差別にさらされてきた非嫡出子の相続格差にようやく違憲の判断を下し、3ヶ月後には民法900条が改正されたことで、明治時代から続く婚外子への差別が115年目にしてようやく解消された。
 そして夫婦別姓についても、今年11月に予定される最高裁大法廷における憲法判断では、法律婚を守る立場から夫婦別姓を認めてこなかった最高裁が、前向きの判断をする可能性が期待されている。
 ところが、最高裁判決を受けて実際に法律を作ることになる政治に目を向けると、どうもこうした流れとは正反対の保守的な傾向が強まっているようだ。
 安倍政権が進める様々な政策には復古主義色の強い保守的なものが目白押しだ。ここまでにも既に教育基本法改正で「愛国心」を教育現場に持ち込み、道徳の教科化を推し進めてきた。夫婦別姓問題でも政権の中枢にいる有力政治家らが、「日本の家族制度を破壊する」などとして反対の立場を公言している人が多い。自民党の憲法改正草案に至っては、前文で「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」、24条の婚姻条項ではわざわざ第1項を新設して「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」などと、ことさらに家族の義務が強調されている。
 政治の右傾化の背景には、農村共同体や会社共同体が崩壊し、経済成長神話も失われた今日、帰属集団を失った人々の間で国や政府、伝統といったものが唯一の「頼れる対象」になっているという面があることは否定できない。しかし、そうした不安につけ込むような形で、日本会議のような、不安を煽り、復古主義的な価値の復活を目論む政治運動が盛り上がりを見せていることも事実だ。
 米・モンタナ州立大学准教授で、フェミニストの立場から日本会議の研究を続けている山口智美氏によると、日本会議は現在、神社本庁を中心とする多くの宗教団体を傘下に抱え、日本の保守運動を統合するような立場にあるといってもいいという。その構成員は人数的には決して多くはないが、報道などによると安倍首相をはじめ、麻生財務相、有村行革担当相ら安倍内閣の多くの閣僚が日本会議国会議員懇談会のメンバーであったり、日本会議からの支援を受けているという。前々回の番組で自民党内で唯一集団的自衛権の行使に反対をしている村上誠一郎衆院議員が指摘する「自民党の保守化、右傾化」の背景に日本会議の存在と、安倍政権と日本会議の近い関係があることはまちがいないと、山口氏は言う。
 そして、こうした日本の保守運動が盛り上がるきっかけとなったできごとが、従軍慰安婦問題と夫婦別姓問題だったと山口氏は指摘する。1996年に当時の法制審議会が選択的夫婦別姓を含む民法改正の提言をまとめた際、これに強い危機感を抱いた保守層が、当時勢いを増していた日本のフェミニズム運動に対する「バックラッシュ」と呼ばれる反撃を開始したことが、一連の保守運動の源泉になっていると山口氏は解説する。
 その背景にあるのは「男女共同参画」の名で始まった女性の社会進出が、保守層の危機感に火をつけた側面があるという。保守派にとって美しい日本と幸せな家族像は一体であり、夫婦別姓もそれを破壊する一因と考えられているのだ。
 とはいえ現在導入が検討されている夫婦別姓案は、あくまで選択的別姓という、別姓を希望する人はそれを選べるというものであり、結婚したすべての人が別姓になるわけではない。また、既に家制度や家父長制度が存在しない今、姓が異なるだけで結婚が破壊されるという考え方はやや極論にも思えるし、別姓になると離婚がより容易になるので好ましくない、という主張にいたっては、実際は別れたいが、姓の変更が大変なので嫌々でも婚姻関係を続けることを強いられることを肯定していると受け取ることもでき、かなり無理がある。
 その一方で、現行の夫婦同姓制度は96%が妻が夫の姓に合わせていることから、事実上、女性が姓を変えることを強いる制度となっている。これはキャリアを積んできた女性にとっては社会的に不利になるばかりか、生まれたときに親から授かった姓名という自身のアイデンティティにも関わる重大な問題でもある。
 アメリカや欧米諸国の多くが、同性婚を含む多様な家族像を受け入れ始める中、日本では国連の人権委員会から繰り返し是正を求められていた婚外子の相続差別がようやく解消されたが、依然として夫婦間の別姓すら受け入れられていない。これはなぜなのか。保守派の主張する「美しい家族」は日本の伝統的な家族観を反映したものなのか。山口智美氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ギリシャの言い分にも耳を傾けてみよう

(第744回 放送日 2015年7月11日 PART1:44分 PART2:46分)
ゲスト:田中素香氏(中央大学経済研究所客員研究員)

 ギリシャの財政危機がひとまず決着に向けて動き出した。
 ギリシャ政府は7月9日(日本時間10日)、EUに対して増税と歳出削減を盛り込んだ新しい緊縮策を提案した。12日のEU首脳会議で支援の可否が判断されるが、承認される可能性が高いと見られている。6月末の債務不履行から7月5日の国民投票と、一時はユーロ離脱も取りざたされるなど混迷を極めたギリシャ危機も、これで一息つける状態になりそうだ。
 ギリシャ危機は2009年にギリシャがユーロの参加基準を大きく上回る13.6%もの巨額の財政赤字を隠蔽していたことが発覚し、ギリシャ国債にデフォルト(債務不履行)の懸念が広がったことに端を発する。国債価格は急落し、大量に保有していた欧州各国の金融機関の経営が悪化、欧州全体の金融機能の低下を招き、EUは危機対応としてECB(欧州中央銀行)やIMF(国際通貨基金)と協力して総額約2,400億ユーロ(約32.4兆円)の金融支援を行ってきた。そしてここに来てギリシャがこの返済に窮した結果、改めて危機が表面化してきたというのが今回の問題に至る経緯だ。
 粉飾に加え54歳から年金が支給されるなど、ギリシャ危機はギリシャ側に問題があるとの報道が大勢を占めているように見える。確かにギリシャ側に問題があることはまちがないだろう。
 しかし、2009年の粉飾の発覚以来、厳しい緊縮財政を強いられてきたギリシャ経済は、6年連続でマイナス成長を記録するなど深刻な不況に陥っている。国民所得は大幅に減少し、失業率も約26%に跳ね上がった。若年層の失業率は50%に達しているとも言われている。この間、GDPは約25%も縮小し、さらに実行されてきた数々の金融支援は、ギリシャ経済を立て直すよりも、ギリシャ国債を大量に保有していた外国の民間資本を救済するために使われた側面が大きい。ギリシャ国民には、ECBが民間金融機関から国債を買い取ってそのツケをギリシャに回しているだけだという根強い不満がある。
 国際金融や欧州経済に詳しいゲストの田中素香氏は、一連のギリシャ問題は一国の財政問題にとどまらず、欧州統合とその根幹をなしているユーロの問題も大きく影響していると指摘する。ユーロによって為替リスクを心配せず、EU域内でビジネスが出来るということは、事実上、EU全体で自由貿易協定を結んでいるのと同じ状況にあるが、貿易自由の下では常に強者が大きな利益をあげる一方で、弱者は搾取されやすい。当然、ユーロ圏内でもドイツのようにユーロの恩恵を受けて富める国と、ギリシャのような搾取される国の間の格差が広がっているという。
 今回、返済が滞っているECBやIMFの債権は、元々民間銀行が行った融資が焦げ付きそうになったものを、ECBなどが買い取ったものだったと田中氏は言う。そして、その融資の多くが、EU域内の外国企業がギリシャにも入り込み、ビジネスとして投資を行った結果生じた損失という側面を持っている。なぜそのような借金をギリシャが負わなければならないのか、という思いがギリシャ国内には強く、その主張にも一理あると田中氏は言う。
 ギリシャのチプラス首相率いる急進左派政権誕生の背景にはこうした国民の不満がある。彼らの主張はEUや、EUが代弁しているグローバル資本の言いなりにはならないというもので、それは一連の支援交渉の過程を見てもはっきりしている。借金の返済ができずに苦しい立場にあるはずのチプラス首相が堂々と融資の継続を要求している背景には、こうしたグローバリズムへの反発が存在する。
 田中氏はまた、財政規律を重視し、「借りたものは返すのが当たり前」とばかりに杓子定規に責任論を振りかざすドイツの頑なな態度にも問題があると批判する。ドイツはEU内の先進国として非常に有利な立場にあり、ドイツ企業もその他の周辺国で好き放題ビジネスを展開し、莫大な利益を上げている。そしてそれを足がかりにEUにとどまらず世界的にビジネスの場を広げている。いわばEUの恩恵を最大限享受していながら、ギリシャのような小国を相手に原理原則を振りかざす姿には、大国としての矜持は見当たらない。
 フランスの経済学者トマ・ピケティ氏やコロンビア大学のジェフリーサックス教授らが連名でドイツのメルケル首相に宛てた手紙の中で、ギリシャに対する緊縮要求を見直すよう要請しているが、それもギリシャの言い分に一定の正当性を認めると同時に、ドイツには富める大国としての自覚を促すものだった。書簡では「(緊縮策が)大量失業と金融システムの崩壊を招き、債務危機を深刻化させた」と指摘し、「ギリシャ政府に対し、自らこめかみに拳銃を突きつけて、発砲するように求めているようなものだ」とドイツが主導する対ギリシャ政策を批判している。
 欧州統合の背景には、2度の大戦の要因にもなったドイツの暴走を押さえるという側面もあり、20世紀における統合の流れでは、ドイツ自身も十分それを認識した上で、細心の注意を払って国際関係を構築していた。しかし、東西冷戦が終結し、東西ドイツが統一された後、21世紀に入ってからのドイツは、欧州をリードするというよりも、むしろこれを支配しようとしているように見えると、田中氏はドイツの変質に警鐘を鳴らす。
 今回のギリシャ問題は、ギリシャ自身の問題もさることながら、グローバリズム下の競争の中で必然的に生じる強者と弱者の問題をどう捉えるかという、より大きな課題をわれわれに突きつけているのではないか。ギリシャの言い分の正当性とドイツが求めるような、画一的に原理原則の徹底を求めることの問題点を、ゲストの田中素香氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

あれは安倍政権によるクーデターだった

(第745回 放送日 2015年7月18日 PART1:1時間6分 PART2:1時間6分)
ゲスト:石川健治氏(東京大学法学部教授)

 あの日、日本でクーデターが起きていた。そんなことを言われても、ほとんどの人が「何をバカな」と取り合わないかもしれない。しかし、残念ながら紛れもなくあれはクーデターだった。そして、それは現在も進行中である。
 安倍政権は7月15日の衆院の委員会で安全保障関連法案の採決を強行し、翌16日には本会議を通過させた。国会の会期が9月27日まで延長されていることから、仮に参院が法案を議決しなくても、衆院通過から60日後には衆院の3分の2の賛成で法案は可決する。衆院では自民、公明を合わせると3分の2以上の議席を得ていることから、16日の衆院の通過を持って、事実上法案の成立は確実になった。
 これは一見、民主主義の正当な手続きを踏んでいるように見えるが、決してそうではない。今回日本の政治に起きたことは、後世にまで禍根を残すことになるだろうと東京大学法学部教授で憲法学者の石川健治氏は言う。
 その理由として石川氏は今回、安倍政権が、憲法を改正しないまま、長年にわたり憲法によって禁じていると解されてきた集団的自衛権を容認する法解釈と法整備を強行したことによって、「法秩序の連続性が切断された」と考えられるからだと説明する。
 元々安倍政権は憲法9条を改正して、日本も軍隊を持ち戦争のできる「普通の国」にしたいという野望を抱き、それを公言して憚らなかった。しかし、それを実現するために必要な国民の支持がないことがわかると、今度は憲法改正を困難にしている憲法96条を改正し、現行の3分の2から国会の2分の1の賛成で憲法改正を発議できるようにしたいと言い出した。
 憲法の条文を改正する手続きを定める憲法96条は、憲法の中では他のすべての条文よりも高い位置にある。それを壊す行為は憲法そのものを転覆させる行為であり、これを法学的には「革命」と呼ぶが、「革命」が成功するためには国民の支持が必要だ。しかし、日本国民は憲法96条の改正を支持しなかったため、「革命」は失敗に終わった。
 ところが安倍政権は今度は、国民を置き去りにしたまま、政府レベルで法秩序の連続性の破壊を図った。内閣法制局長官を集団的自衛権容認論者にすげ替え、集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、政権与党のみで法案を国会を通してしまった。国民から支持を受ける「革命」に対し、国民を置き去りにした状態で法秩序の連続性を破壊する行為を、法学的には「クーデター」と呼ぶのだと、石川氏は言う。
 石川氏は今回日本が失ったものの中で、最も大きかったものは「理屈が突破されたこと」だったという。参考人として呼ばれた3人の憲法学者にことごとく違憲の烙印を押され、憲法学者はもとより世のほとんど学者も、歴代の内閣法制局長官も、こぞってこの集団的自衛権を認めるこの法案は違憲であると主張していた。こうした主張に対する政府・与党側の反論は、集団的自衛権とは何の関係もない砂川事件の最高裁判決で集団的自衛権は禁止されていないという、およそ屁理屈にもならないようなお粗末なものだった。また、今回の法整備によって日本の抑止力が高まるという政府の主張も、根本的な部分に誤謬があることも明らかになった。
 理屈の上では安保法制をめぐる安倍政権の主張は完全に敗北していた。しかし、にもかかわらず論理的に破綻している法案が閣議決定され、7月16日の衆院通過で事実上の成立が決まってしまった。
 理が通らない政策が数の論理によって押し切られてしまったことで、日本が「法秩序」を失ったことの影響は大きい。今後、この法案がもたらすであろう個別の問題を考えただけでも目眩がしそうだが、より高次元で日本の法秩序が破砕されたことの影響は恐らく安全保障分野だけにとどまらないだろう。われわれの多くが、日本という国の政治の頂点で、「理」が「無理」によって押し切られるところを目撃してしまった。これによって戦後われわれが大切に育て、守ってきた「公共」空間が壊されてしまった。
 ここに至るまで安倍政権は、解釈改憲を実現するために内閣法制局長官をすげ替えたほか、アベノミクス実現のための日銀総裁人事にも介入した。また、メディアへの圧力を強める一方で、NHK会長人事にも介入してきた。こうした行為もまた、憲法96条改正の通底するところがある。最終的に法秩序を破壊するような行為を行う上で、まず邪魔になる障害を取り除くために首相の権限をフルに活用する。法律で委ねられた権限を行使しているだけとの見方もあろうが、そもそもそうした権限が内閣に委ねられているのは、そうした個々の機関の暴走を防ぐためであり、首相の権力を私物化するためではない。それを自身の権力や権限の拡大のために利用する行為は、権力の目的外利用であり、権力の濫用に他ならない。
 今回の安保法制の事実上の成立で日本が失ったものとは何なのか。今後その影響はどこで表面化してくるのか。われわれはそれにどう対抗していけばいいのか。知性主義も立憲主義も否定したまま自身の目的達成に向けて突っ走る安倍政権と、われわれはいかに向き合っていけばいいかを、ゲストの石川健治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ドイツが許されて日本が許されない本当の理由

(第746回 放送日 2015年7月25日 PART1:49分 PART2:46分)
ゲスト:石田勇治氏(東京大学大学院教授)

 戦後70年を迎えるにあたり、安倍首相は「戦後70年談話」を発表する意向を示しているが、そこでは相変わらず「謝罪の有無」や「反省の表現のあり方」などが問題となっている。一体、日本はいつまで謝り続けなければならないのだろうとの思いを持つ向きもあるだろう。
 談話の内容を検討している首相の私的諮問機関である21世紀構想懇談会からは、謝罪にこだわるよりも未来志向をなどといった考えが示されているようだが、やはり今度もまた「おわび」の有無をめぐる論争は避けて通れそうもない。
 一方、日本と同じ枢軸国として先の大戦を戦い、暴れるだけ大暴れした挙げ句に無条件降伏をしたドイツは、今年5月に一足早く戦後70年を迎えているが、そこでおわびや反省が問題になったという話はついぞ聞かない。日本とは比較にならないほどの規模で世界を大戦の惨禍に巻き込み、ナチスによるユダヤ人の大虐殺という人類史上類を見ない負の歴史を抱えるドイツは、この70年の間に見事にその過去を克服し、国際社会から信頼を勝ち取ることに成功しているように見える。
 ドイツに過去を克服することができて、なぜ日本にはできないのか。
 ドイツの近現代史やジェノサイド問題に詳しい東京大学教授の石田勇治氏は、ドイツの過去の克服の道程は、決して順風満帆にして平坦なものではなかったという。むしろドイツも日本と似たような、過去に対する反省と忘却や自己正当化の間を揺れ動きながら、様々な紆余曲折を経て、今日の信頼を勝ち得るまでに至ったのだという。そして、その信頼を勝ち得る上でポイントになったものは、ナチズムを全面的に否定するとともに、その被害を補償し、ナチの蛮行に加担した人物を徹底的に司法訴追することによって初めて達成されたものだったと石田氏は指摘する。
 ヒトラー政権の下で世界を戦争に巻き込んだドイツは、日本と同様に一度は、敗戦とともに国際社会からの信頼を完全に失った。その後、ドイツも日本と同様に、連合国によって開かれたニュルンベルク国際軍事裁判で裁かれるが、ドイツ自身の手による責任追及はそれだけで終わらなかった。実はドイツはニュルンベルク裁判の結果を公式には受け入れていない。その代わりに、ドイツはドイツ自身の手で、自国の刑法に従った司法訴追を徹底的に行い、今日にいたるまで9000人以上を刑事訴追している。
 また、被害補償においては2000年に政府と民間企業が共同出資して設立された基金「記憶・責任・未来」によって、戦時中の強制労働の補償として主に東欧在住の167万人もの被害者に対して約5800億円の補償金を支払うなど、積極的にこれに応じる姿勢を見せてきた。戦後長らく分断国家だったために国家賠償が行えなかったという理由はあるにせよ、国家賠償に任せきりだった日本との違いが、そこでも際立っている。
 実はドイツ国内では刑事訴追や補償対象の拡大に対して多様な意見があったが、ドイツでは政治指導者が一貫してこうした取り組みを続けてきた。結局はこうした取り組みが周辺国からの信頼回復につながり、ドイツの今日のヨーロッパにおける指導的立場を支えていると石田氏は言う。
 石田氏はドイツによる「過去の克服」において、主だった補償や刑事訴追が終わった今日、「公的記憶の形成」が重要な意味を持ち始めていると指摘する。これは悲惨な過去を公的な記憶として保存し継承していこうというもので、市民活動の中から様々な取り組みが展開されているという。「つまずきの石(Stolpersteine)」と呼ばれる活動もその一つで、ナチスによって強制送還され殺害されたユダヤ人がかつて居住していた家の前に10センチ四方の真鍮板の碑を埋め込み、往来する人がその史実に気付くような仕掛けになっている。碑にはかつてそこに住んでいたユダヤ人の名前と彼らが戦中にどういう扱いを受けてどこで亡くなったのかなどが記されているという。日常生活の中で常にドイツ戦時下の歴史や記憶を維持していくことが難しくなりつつある中で、いかにして公的な記憶として過去を継承していくか。つまずきの石を設置する際には役所の許可が必要で、時には反対する現在の住人もいるが、それらが全て過去を想起する装置として機能しているという。
 翻って日本の戦後70年間はどうだっただろうか。1971年のドイツ統一百周年に際した演説でハイネマン大統領が「ビスマルクからアウシュビッツ収容所」に至るドイツの近代史を反省的に振り返ったのとほぼ同じ頃、日本では当時の佐藤栄作首相が明治百年奉祝式典で明治以来の日本の歴史を振り返る式辞を述べているが、その中には侵略戦争を反省する言葉は無かったと石田氏は言う。また、戦後40年にあたる1985年には、西ドイツのワイツゼッカー大統領が有名な荒野の40年演説の中で「過去に目を閉ざすものは現在にも盲目となる」と演説して世界から注目を集めたのに対し、日本では同年8月15日に中曽根首相がA級戦犯が合祀されて以来初めて、靖国神社に公式参拝を行っている。ドイツが世界にメッセージを発する一方で、日本は何も発信していなかったのではなく、しっかりと誤ったメッセージを発していたと言わざるを得ない。
 頻発する政治家による過去の侵略や蛮行を正当化するような不規則発言は言うに及ばず、もっぱら東京裁判に戦争責任の追及を委ねることで、独自の戦争責任の追求を怠り、戦後補償についても国家間賠償に任せてそれ以外の補償については消極的な姿勢を続けてきた日本の「過去の克服」のための努力は、ドイツのそれと比べた時に大いに見劣りすることは否めない。ドイツと日本では戦争犯罪のスケールが違い過ぎるとの言い訳も聞かれるが、より大きな負の遺産を背負ったドイツがいかにして過去を克服したかからは、日本も学ぶところは多いはずだ。
 戦後70年を迎えるにあたり、国際的な信用と信頼を勝ち得るために今、日本は何をしなければならないか。ドイツが過去の克服のために経てきた紆余曲折の歴史と、そうした中で最終的に信頼を勝ち得ることができた原因や背景を検証しながら、ゲストの石田勇治氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
もしも共産党が政権の座に就いたなら

(第747回 放送日 2015年8月1日 PART1:43分 PART2:41分
ゲスト:志位和夫氏(衆議院議員・日本共産党委員長)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では日本共産党委員長の志位和夫氏をゲストに迎え、安倍政権による解釈改憲法案の審議が進むなど、戦後70年、日本の政治が大きな節目を迎える中、われわれは今、共産党にどこまで何を期待できるかを議論した。
 安倍政権が推進する集団的自衛権の行使を認める安保法案については、民主、維新、共産、社民、生活の野党5党はここまで、結束して反対の姿勢を貫いている。志位氏は市民の強い反対によって法案を廃案に持ち込むことを目指すと力説するが、実際のところ数に優る政権与党に対抗する具体的な手立てがあるわけではない。
 衆院の総議席の3分の2を握れば60日ルールによっていかなる法案も通すことができるのが、現在の国会の仕組みだ。そして過去2度の総選挙で、自民・公明の与党はいずれも衆院の3分の2を超える議席を獲得しているが、いずれの選挙でも総得票数においては、野党の合計得票数は与党のそれを上回っていた。現在の小選挙区制の下では、投票率が6割にも満たないこともあり、政権与党は有権者全体の2割強の得票で、事実上立法権を完全に掌握することが可能となっている。
 そして、それを許しているのが、常に四分五裂の状態にある野党の不甲斐なさだ。自公の連携に対抗すべく、野党が結束して選挙に臨むことができれば、再び政権交代の望みも出てくるし、少なくとも現在よりも国会により大きな緊張感が生まれることが期待できる。野党が近視眼的な党利党略に走り、与党にとって脅威になり得ないことが、安倍政権が無理筋の法案を次々と可決することを可能にしているのだ。
 野党が力を合わせる上で乗り越えなければならない最大の課題の一つが、共産党と組めるかどうかだ。常に国会内にも一定の勢力を持つ共産党が、他の野党と選挙協力を含め共闘を組むことができない限り、野党が結束して自公に対抗する図式を作ることは難しい。
 かつては暴力的な共産革命を標榜していた共産党も今日、革命は放棄し、民主的な政権獲得を目指す方向に路線展開を図っている。また、自衛隊や天皇制を容認するなど、現実的な政策も打ち出している。過去の共産党を知らない若い世代の目には、共産党はイデオロギー政党というよりも、むしろポピュリズム政党として映っているようだ。
 2000年以来トップに立つ志位氏の人柄などもあり、イメージ的にはソフト路線への転換に成功しているかに見える共産党だが、果たしてその実態はどうなのか。教条主義的で、組織の決定を重視し、統一的な見解の下で活動するという原則に縛られる余り、皆同じことしか話さないなどといった批判に対して志位氏は、改善の必要性を認めているが、果たしてその実態はどうか。
 また、過去の記憶などから多くの人が抵抗を覚える共産党という党名について志位氏は、資本主義が人類の最後にして最良の制度ではないという主張の上に立ち、現在の資本主義がいずれは社会主義、共産主義に発展していく可能性を展望する政党という意味で、現在の党名への強いこだわりを示す。
 共産党のソフト路線は本物なのか。共産党は政権を担える政党になったのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、志位氏に共産党の本物度を問うた。

日航機事故の教訓は活きているか

(第748回 放送日2015年8月08日 PART1:50分 PART2:39分
ゲスト:青木謙知氏(航空ジャーナリスト)

 あれから30年、世界の空はより安全になったのだろうか。
 1985年8月12日、日本航空123便が御巣鷹の尾根に墜落し、乗員乗客520人が亡くなるという単独事故としては航空史上最悪の事故が発生した。
 その後行われた航空機事故調査委員会(事故調)の調査で、123便は1978年の尻もち事故後の機体後部にある圧力隔壁の修理に不備があり、飛行中に隔壁が損壊したことで垂直尾翼や操縦系統が破壊され、操縦不能に陥り墜落したとされた。
 航空機のメカニズムや航空機事故に詳しい航空ジャーナリストの青木謙知氏は、航空機事故の原因を100%正確に掴むことは困難だが、機体の残骸やフライトレコーダーなどの記録をもとに、当時の事故調の調査は妥当なものだったと評価する。しかし、その一方で、相模湾上を飛行中に吹き飛ばされたとされる圧力隔壁の上半分が回収されなかったことから、高い強度を持つよう設計されている垂直尾翼が、いかに破壊されたかについては十分な解明ができているとは言えないなど、30年が過ぎても十分に解明されたとは言えない点が残っていることも事実だ。
 海外の航空機事故の調査では海に落ちた機体の残骸なども回収され、徹底的な原因究明が行われるのが普通だという。この点で当時の日本では政府もメディアも、事故原因やそのメカニズム究明の重要性に対する認識がやや甘かったのではないかと、青木氏は自戒の念を込めて振り返る。また日本の事故調の調査には法的強制力がないため、事故原因の究明につながる証拠をすべて押収することが難しいこともあり、同時進行で刑事責任の追及が行われる場合が多い。それが結果的に、関係者から事故調の調査に対する全面的な協力を取り付けることを困難にするなど、事故原因の究明には制度上の障害もある。30年前の事故当時から指摘されてきた問題だが、今も基本的にこの状況に変わりはない。
 30年前の事故は、仮に原因が事故調の結論通りだとしても、なぜ修理ミスが起きたのか、なぜそれが検査で発見されなかったのかなど、依然としてj不明な点も多い。青木氏は検査の最終確認をする立場にある当時の運輸省(現国土交通省)に航空機の修理を細部まで適正に評価する能力が備わっていないため、修理は事実上日本航空に丸投げの状態にあり、その日本航空も実際の作業はボーイング社のエンジニアに任せっきりだったところに問題があったと指摘する。
 また、昨今の原発問題にも通底する話だが、当時、航空機、とりわけジャンボ機はフェイルセーフが確立されているので決して墜落することはないといった安全神話がしきりと喧伝されていた。そのため、「絶対安全なのだから」という過信が、修理後の厳しいチェック体制の整備を困難にすると同時に、担当者や担当部局の責任回避に繋がっていったという青木氏の指摘は重い。
 とは言え、油圧系統が機体後部で一箇所に集中するという、30年前の事故で露呈した構造上の弱点は、その後ボーイングによって改善が図られるなど、事故後、航空機の安全性が大きく進歩したことはまちがいないと青木氏は言う。また、航空機事故の事故率(100万飛行当たりの事故発生件数)も、1986年の1.73から2013年の0.55まで、3分の1以下まで大きく減少している。総じて航空機の安全性は高まっていると考えてよさそうだ。
 しかし、それでも高速で空を飛ぶ航空機は、一旦事故が起きると、取り返しのつかない重大な事故になることが避けられない。青木氏はハイテクの導入によって航空機の安全性が高まったことは事実だが、その一方で、事故が完全に無くなることはないと指摘する。それは、システムが複雑化すればするほど、常に想定外のトラブルや新たな問題が出てくるからだ。
 また、メカニカルトラブル以外にも航空機の安全を脅かす要素はある。今年3月、乗客乗員150人を乗せたドイツの格安航空会社ジャーマンウィングスの旅客機がフランスで墜落した事故では、副操縦士が、故意に高度を下げる装置を作動させ、墜落させたとみられている。どんなに技術が進歩しても、ヒューマンエラーによる事故や、故意による事故を100%防ぐことは容易ではないだろう。
 日航機墜落事故から30年、果たして世界の空はより安全になったのか。事故が残した教訓や現代の航空技術の進歩、新たに出てきた問題などについて、ゲストの青木謙知氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

70年後、日本は立ち止まれる国になったのか

(第749回 放送日 2015年8月15日 PART1:47分 PART2:49分)
ゲスト:島薗進氏(東京大学名誉教授・宗教学者)

 かつて無謀な戦争に突き進んだ結果、未曾有の惨禍を招いた日本は、70年経った今、立ち止まるべき時に立ち止まれる国になれたのか。
 奇しくも戦後70周年を迎える今週、政府は九州電力の川内原発の再稼働を容認した。原子力非常事態宣言が発令され、福島第一原発事故が未だ収束しない中での原発の再稼働だった。原発の再稼働は進めるべくして進めているものなのだろうか。それとも、止めることができないから、結果的に進んでいるものなのだろうか。
 東京大学名誉教授で宗教や倫理が専門の島薗進氏は、残念ながら止まらない日本は本質的には今も変わっていないと指摘する。
 思えば、新国立競技場も誰が推進主体なのかがはっきりしないまま、「有識者」が選んだ、コストや実現可能性を無視した無謀なデザイン案が推し進められ、結果的に既存の競技場を解体した後になってようやく白紙撤回された。以前にこの番組でもリポートしたが、1949年に計画が作られたまま地元との調整がつかず半世紀の間、工事が中断していた八ッ場ダムは結局、当初建設に強く反対していた地元の「今さら中止されても困る」という強い意向で、4600億円もの税金が投入され、今も建設工事が進んでいる。
 戦後70年にあたって安倍首相は14日、戦後70年談話を発表しているが、その内容は島薗氏が「色んなことを言っているが大事なことは言っていない」と指摘するように、一見、歴史と向き合う姿勢を見せているようでいて、実は過去の災禍の責任主体が不明な表現に終始している。意図的とも思える間接表現を駆使して、確かに不幸な歴史はあったが、誰がどのような形でその責任を負っているのかが、わからない内容になっているのだ。
 誰が責任主体なのかが不明なまま、事態だけが進んでいく。結果的に悲惨な結末を迎えた時、各界の指導者たちは「自分は反対だったが、流れに抗えなかった」と責任逃れをする。この体質から脱皮できない限り、日本は立ち止まるべき時に立ち止まることなどできようはずもない。逆に言えばそれは、進むべき時に進めないことも意味している。
 日本では政府の主だった施策の大半が、審議会や有識者会議によって決定される形をとっている。70年談話でも安倍首相は有識者会議の提言を尊重したと語っているし、原発再稼働も原子力規制委員会の決定を受け入れる形を取っている。しかし、有識者会議のメンバーは実際には官僚によって決められているため、当然、官僚が望む結論を出してくれるメンバーが常に選ばれている。形の上では有識者や国民の代表としての審議会の決定となっていても、実際は官僚の思いのままだ。しかし、あくまで有識者の決定に従っているという体をとれるので、官僚は責任は取らなくいい仕組みになっている。そのような仕組みに代表される「総無責任体制」が、依然としていたるところで温存され、市民社会はそれを十分に監視する術を持っていない。
 しかし、島薗氏は市民社会はまだ不十分ながら、着実に経験を積みながら、権力に対するチェック機能を強化してきていると指摘する。今回の安保法制を巡る議論でも、日本においてここ数年ほど憲法に関心が集まったことはないというほど、市民、とりわけ若者が憲法に関心を持ち、政府に疑問を持った人々が日々国会前、官邸前で抗議行動を行うようになった。憲法が権力を縛るものであるという立憲主義が広く共有されるようになった。
 果たしてこうした動きが「立ち止まれる日本」への第一歩となり得るのか。70年前に暴走を抑えられなかった日本の現状を、宗教と倫理の視点を交えながら、ゲストの島薗進氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

このまま普通に原発を再稼働していって、本当にいいのだろうか

(第750回 放送日 2015年8月22日 PART1:54分 PART2:52分)
ゲスト:吉岡斉氏(九州大学大学院教授)

 九州電力川内原発の1号機が粛々と再稼働された。
 確かに安倍政権は原子力規制委員会が福島原発事故を契機に強化された新規制基準に適合すると判断した原発については再稼働を進めることを、選挙公約に掲げていた。また、不完全とはいえ福島原発事故以降、原発の安全基準が強化されたことも事実だ。
 しかし、何かがおかしい。
 つい4年前に、今まだ収束をみない未曾有の原発大事故を経験した日本が、原発政策の是非をめぐり大論争を繰り広げ、最終的に政治が、やむにやまれる苦渋の決断として原発の再稼働に踏み切ったというのであれば、賛否は分かれるにせよ、まだわからなくはない。しかし、本来であればそれほどの重大な決断でなければならないはずの原発再稼働が、実に粛々と行われてしまったことには、何とも言い得ぬ違和感を禁じ得ないのだ。
 あの再稼働は誰かが主体的に決断をした結果、行われているものなのか。それとも究極のindecision(決断をしないという決定)の成せる技なのか。どうもそこがはっきりとしないのだ。
 安倍政権は原発の安全性の判断を原子力規制委に丸投げしている。それはそれでいい。しかし、その一方で規制委の方は、対象となる原発が新規制基準に適合しているかどうかは判断するが、再稼働の是非を決めるのは自分たちではないとの立場を取る。もう一つの当事者である九州電力は、元々原発への依存度が高かったこともあり、民間企業である以上、利益を最大化するために原発の再稼働が有効だと判断すれば、特に法的に障害がなければ再稼働をするのが当然という立場だ。
 では、誰が最終責任を負っているのか。なんだかつい最近、新国立競技場の建設をめぐり表面化した、我が目を覆いたくなるような底なしの総無責任体制を彷彿とさせるような気がしてならない。
 巷間指摘されているように、川内原発の安全性には多くの疑問点がある。周辺の火山活動について火山学者は口をそろえて大規模噴火の予知はほぼ不可能であり、噴火によって降ってくる火山灰が原発の重要施設にどのような影響を与えるのかも十分に検討されていないと指摘している。また、最も重要な、過酷事故の際の避難計画は自治体に丸投げされたままで、計画の妥当性を判断する機関も存在しない。聞けば、避難路には海沿いの道や片側一車線の狭い道などが指定されているという。先の震災の教訓はどこにいったのだろうか。
 科学技術史や科学技術倫理が専門で、先の原発事故を受けて設置された政府事故調査委員会の委員を務めた吉岡斉九州大学教授は、本当に条件が整っているのであれば再稼働は認めるという立場を取りながら、今回の再稼働はあり得ない決定だったと、これを批判をする。その理由として吉岡氏はもちろん、福島の事故の原因が完全に究明されていないことや、現実的な防災計画が立てられていないことも問題だが、何よりも国民の多数が脱原発の意思表示をした以上、政府はそれに対応して原発を最終的にゼロに持って行くプログラムを示す必要があると指摘する。それが示されないままの再稼働はあり得ないというのが吉岡氏の立場だ。
 かつて原子力は夢のエネルギーともてはやされ、実用化に向けたさまざまな研究が進められたが、結局のところ安全対策やインフラの整備にかかるコストが莫大で、安全性の確保も困難だったことなどから、電力を起こすためだけの、「素性の悪い技術」(吉岡氏)だったことが明らかになっている。合理的な政策判断をすれば、脱原子力を目指すのが妥当なはずだが、一旦ステークホールダー(利害当事者)によって強固な「村」が形成されてしまうと、そう簡単には止まらなくなってしまうのが実情だ。
 しかし、それらはいずれも3・11以前の話だ。あの事故で日本は目を覚ましたはずだったではないか。
 吉岡氏は日本は今も合理性に欠ける原発政策を継続している理由は、安倍政権の姿勢によるところが大きいと話す。これは原発政策に限ったことではないが、安倍政権は国民ではなく、ステークホルダーを見ながら政治を行っていると吉岡氏は指摘する。
 今回の再稼働には批判的な吉岡氏だが、しかし落胆はしていないとも言う。安倍政権の姿勢を考えると、もっと早く原発が再稼働されていてもおかしくなかったと吉岡氏は言う。そして、事故から4年が経っても、ようやく辛うじて1基の原子炉を動かせるようになったところにとどまっている理由は、国会前デモなどによって示された市民の強い意思があったからだと言う。
 今回の再稼働は合理的な政策判断だったのか。日本は「原子力村」というステークホルダーのために、陳腐化した20世紀の遺物とも呼ぶべき原発をこれからも続けていくのか。どこかで政策転換を図るチャンスは訪れるのか。川内原発の再稼動から見えてくる日本の難点を、ゲストの吉岡斉氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.73(731~740回収録)

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われわれはどこから来たのか
- 生命宇宙起源説を考える

(第731回 放送日 2015年4月11日 PART1:49分 PART2:52分)
ゲスト:松井孝典氏(千葉工業大学惑星探査研究センター所長)

 地球上の生命体の起源が宇宙にあるという説があるのをご存じだろうか。
 これはパンスペルミア説と呼ばれるもので、地球上の生命は独自に地球上で生まれ、その後進化を遂げてきたものではなく、その起源は隕石やチリなどに付着して宇宙から運ばれてきた生命体にあるとの仮説に基づき、さまざまな研究が行われている。
 宇宙人話となるととかくSFや映画の中のエイリアンのような姿を想像してしまうかもしれないが、パンスペルミア説では、宇宙から地球に最初に運ばれてきた生命体の起源は、細菌やウイルスのような微細生物か、もしくはその元になるような生命体の基礎になるような構造を持ったものだったと考えられている。それが地球上で独自の進化を遂げ、今日に至るというものだ。
 そして今、このパンスペルミア説が現在の宇宙科学の中の、とりわけアストロバイオロジーと呼ばれる分野の研究では、非常に有力な仮説になりつつある。NASA(アメリカ航空宇宙局)のチーフサイエンティストがこの4月7日、10年以内に地球外生命体の有力な兆候がつかめるとの見通しを示すなど、今やNASAの宇宙研究プログラムの最大の目標が地球外生命体の存在を証明することにあると言っても過言ではない。
 アストロバイオロジーの第一人者で、世界的な権威でもある松井孝典氏(東大名誉教授・千葉工業大学惑星探査研究センター所長)は、そんなパンスペルミア説を提唱する科学者の一人だ。そもそも地球上でランダムにタンパク質の合成が進んだ結果、今日のような生命体が偶然組成される可能性は、数学的には10の4万乗分の1程度の確率しかない。地球の誕生から46億年しか経っていないことを考えると、その限られた時間内に10の4万乗分の1の確率でしか起こりえない組み合わせが偶然実現すると考えるには無理がある。しかし、もし宇宙に地球と同じような惑星が無数にあるとすれば、そのどこかの惑星でそれが実現する可能性は十分にあり得ることとなる。
 ただし、生命体が宇宙から飛んできたという仮説を証明するためには、まずバクテリアやウイルスなどが何らかの形で惑星の大気中から宇宙空間に飛び出していく可能性があることを証明する必要がある。その上で、その粒子が宇宙線や光の圧力などによって宇宙を浮遊し、引力や磁界の力で地球に落ちてくるメカニズムが存在することを証明しなくてはならない。
 そして、松井氏は「スリランカの赤い雨」が、その仮説を裏付ける有力な証拠を提供してくれる可能性があるとして、目下、その研究を鋭意進めている。「スリランカの赤い雨」というのは、2012年にスリランカの北中部州からウヴァ州にかけての地域で降った赤色をした雨のことで、松井氏は既に、雨が赤く見える原因を作っている数ミクロンサイズの赤い雨の粒子が、地球由来のシアノバクテリアと同じ遺伝子構造を持つ生命体であることを突き止めている。地球上の最古の生命体を考えられているシアノバクテリアは通常は緑色だが、強い紫外線を浴びると赤色に変色する。これは地球上のシアノバクテリアが何らかの形で宇宙空間に達して生存し続け、そこで強い紫外線を浴びた上で、何らかの形で雨の粒子となって地球に降り注いだことの証左になり得るというのだ。
 それが証明されれば、少なくとも惑星に存在するバクテリアや細菌などの生命体が宇宙空間に飛び出すことがあり得ることの裏付けとなる。一旦宇宙空間に出れば、宇宙空間内を移動するメカニズムは比較的容易に証明できるので、スリランカの赤い雨はパンスペルミア説、すなわち最初に生命体が宇宙から地球に舞い降り、それが地球上で進化を遂げた結果、今日の人間も他の生物も存在するという仮説の有力な裏付けとなり得ると、松井氏は言う。
 今日、アストロバイオロジーの世界では、かつての常識や定説が次々と否定されている。約6550万年前に恐竜が絶滅したのは斉一説に基づく地球の気候変動や火山活動によるものとされていたが、今日それは巨大隕石が地球に衝突したことに引き起こされた気候や生態系激変が原因であるということが、世界中の研究者の間ではすでにコンセンサスとなっている。生命の起源をめぐる議論についても、自然発生説、化学進化説、斉一説と変遷を繰り返しているが、一般社会では必ずしもそれが広く認識されていない。どうやらわれわれ人類は相当強い思い込みに基づいて宇宙や世界や生命を理解してしまう癖から、なかなか抜けられないようだ。
 地球外生命体の存在や生命の起源をめぐるパンスペルミア説も、われわれの思い込みを前提に話を聞くと、非常識や非現実的なものに聞こえるが、科学的な検証を経て、今後それが定説になっていくことは十分にあり得る。もっともそれはこれまでのわれわれの思い込みとはかなりの乖離がある話になるため、それが常識として社会一般に広く受け入れられるまでには、相当のタイムラグが生じることは避けられそうもないが。
 生命はどのようにして始まったのか。そして、それはどこから来たものなのか。もし宇宙に「われわれは独り」ではないのであれば、今、われわれが地球規模で抱える諸問題にはどのような意味が出てくるのか。アストロバイオロジーの第一人者の松井孝典氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

和歌山カレー事件に見る、科学鑑定への誤解が冤罪を生む構図

(第732回 放送日 2015年04月18日 PART1:32分 PART2:40分)
ゲスト:河合潤氏(京都大学大学院工学研究科教授)

 以前に一連の原発問題の議論の中で、われわれの社会において「科学の民主化」と「民主の科学化」がいずれも大きく遅れている問題が指摘されたことがあった。
 「民主の科学化」については一般の市民が科学的な思考をする習慣が身についていないことを、「科学の民主化」では科学者が科学的に正しいことだけに目が行くことで、民主主義にとって何が正しいかの視点が欠けていることが問題になっていることを学んだ。
 そしてそれが、日本が原発問題で一つの方向性を打ち出すことを難しくしているのではないか、という論点だった。
 どうもその問題が司法の世界にも持ち込まれているようだ。そして、それは人を裁きその自由を奪ったり、場合によっては死刑という形で合法的に人の命を奪うこともあり得る司法の場では、取り返しが付かないほど重大な事態に発展しかねない危険性を孕んでいる。
 夏祭りの炊き出しのカレーに猛毒のヒ素が混入し、4人の死者と60人以上の怪我人を出した和歌山カレー事件で、既に死刑が確定している林真須美死刑囚の犯行を裏付ける唯一の物証となっていた科学鑑定の結果に今、重大な疑義が生じている。
 これまでこの番組では事件の捜査や裁判の問題点、林真須美氏の死刑判決の物証となった科学鑑定、いわゆる「中井鑑定」の妥当性の問題などを指摘し、最高裁判決が依拠している科学的な根拠が実は脆弱で、そもそも鑑定に示されている「異同識別」の結果が読み違えられている可能性があることを指摘してきた。
 今週のマル激では死刑判決の根拠となった科学鑑定に最初に異論を唱えた、京都大学大学院教授で蛍光X線分析の専門家の河合潤氏をスタジオに招き、科学鑑定と司法が抱える重大な問題を議論した。
 1998年7月に死者4人負傷者63人を出した和歌山カレー事件をめぐる林真須美氏の裁判は、2009年4月に最高裁が上告を退けたことで死刑が確定している。最高裁は判決の中で、カレー鍋に混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜砒酸が林真須美氏の自宅から発見されたこと、林真須美氏の頭髪からも高濃度のヒ素が検出されていて、付着状況から林真須美氏が亜砒酸を取り扱っていたと推認できることなどを理由に、死刑判決を支持している。
 林真須美氏は黙秘を貫くなどして、一貫して犯行を否認していたが、自白や動機の解明が行われないまま、裁判では、犯行に使われたヒ素の流通経路や組成の同一性が、いわゆる中井鑑定によって裏付けられたことで、真須美氏の犯行であったと断定されている。中井鑑定はかつて真須美氏の夫・健治氏がシロアリ駆除業を営んでいたために林家に残っていたヒ素と、ヒ素をカレーに投げ入れるために使われたとされる、現場のゴミ袋から回収された紙コップに付着していたヒ素が、同一のものだったと結論づけたもので、林真須美氏が犯人だったと断定する上での決定的な証拠となった。
 しかし、京都大学大学院の河合潤教授が中井鑑定の中身を検証した結果、この裁判では中井鑑定に対する大きな誤解があることが判明した。中井鑑定は事件の関係先9箇所から採取したヒ素がいずれも同じ起源であることを示しただけで、それはその地域で流通するヒ素がほぼ同じドラム缶に入って中国から輸入されたものだったために、当然のことだった。
 中井鑑定はむしろ、林家から発見されたヒ素とカレーにヒ素を混入されるために使われた紙コップに付着していたヒ素とは、軽元素の不純物の含有量が一致しておらず、まったくの別物であることを示していた。しかも、林家のヒ素よりも紙コップに付着していたヒ素の方が、3倍から7倍も純度が高いものだったことから、林家にあったヒ素を発見された紙コップを使ってカレーに投入するというストーリーがあり得なかったことを、中井鑑定は示していたのだった。
 河合教授の指摘と、裁判で使われた中井鑑定を実施した東京理科大の中井泉教授の間では、その後、学会誌の誌上などで激しい論争となっている。一見、素人には難解な専門的な論争に見えるが、その中身を詳しく見て見ると、実は非常に初歩的な問題点が議論されていることが分かる。
 要するに中井教授は、検察から依頼された9つのサンプル中に含まれるヒ素の「異同識別」という鑑定嘱託書の意味を、ヒ素の起源が同一だったかどうかを鑑定して欲しいと依頼されたものと理解し、それを行ったまでだった。しかし、その起源が同一であることは、先述の通りむしろ当たり前の結果であり、それではまったく林真須美氏の犯行の裏付けにはならない。しかし、にもかかわらずマスコミはその鑑定結果を「林宅と紙コップのヒ素が一致」と大々的に報じ、特に化学などに特別な素養があるわけではない裁判所も事実上、その報道と同レベルの解釈によって、鑑定結果を林真須美犯人説の裏付けとしてしまったのだった。
 そして、河合教授が弁護側からの依頼で、単純に中井鑑定の結果を「林真須美氏が犯行を犯していない可能性」を裏付けるために再度検証した結果、不純物の組成などから、中井鑑定はむしろ真須美氏が犯行をしていないことを裏付けるデータを提供していたことがわかったのだという。
 林真須美氏が逮捕された当時、捜査機関は夏祭りの炊き出しカレーに猛毒のヒ素が混入し4人が亡くなるという、社会を震撼させるような大事件に直面しながら、容疑者を特定することができずにいた。そうした中、マスコミが、事件が発生した現場のすぐ隣に住む林真須美夫妻が怪しいという報道を始め、真須美氏に対するインタビューなどを報じ始めていた。
 確かに、林夫妻はそれまでに保険金詐欺を働いたことなどがあり、その行動に怪しい点があったのは事実だったが、カレー事件と夫妻を結びつける証拠は見つかっていなかった。そこで林家にあった、夫の健治氏がかつて使用していたシロアリ駆除用のヒ素と、紙コップのヒ素の起源の共通性を調べる鑑定を中井教授に依頼し、その結果をもってとりあえず真須美氏を逮捕した上で、自白を取り付けるというシナリオを描いた。それが9つのヒ素の「異同識別」の鑑定依頼だった。
 ところが、真須美氏が一貫して否認を貫いたため、検察はとりあえず逮捕容疑を裏付けるための口実でしかなかった中井鑑定を、公判の最後まで引っ張らなければならなくなってしまった。そして、マスコミや裁判所の科学鑑定結果に対する無知と無理解ゆえに、それがそのまま死刑判決につながってしまった。
 今、そのような疑いが濃厚になっているのだ。
 「異同識別」だのヒ素の「同一性」などといった、実際には科学的ではない微妙な言い回しが、このような誤解を招き、それが死刑という取り返しの付かない判決に行き着いていることを、果たして検察や鑑定を行った中井教授はどう理解しているだろうか。確かに「自分は起源の同一性の鑑定を頼まれてそれを行っただけ」との釈明は成り立つのかもしれないし、検察も「鑑定の通りにその同一性を主張しただけ」と強弁することは可能なのかもしれない。その場合は、無知な裁判所やマスコミが、勝手に誤解をしたということになるのだろう。
 しかし、これこそが正に「科学の民主化」の問題であり、「司法の民主化」の問題なのではないだろうか。マスコミもこの問題を大きく取り上げにくいのは、事件当時真須美氏を犯人扱いするひどい報道をしてしまった手前、今さらそれに疑義が生じているというようなことが報じ難いことは想像に難くない。しかし、今やそれは人一人の命が懸かった、取り返しのつかない重大な問題になっている。
 河合教授の指摘によって今、ボールはわれわれ市民のコートにある。今こそ、「市民の科学化」が問われている。河合潤教授とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

福島原発事故の原因はまだ判明していない

(第733回 放送日 2015年04月25日 PART1:55分 PART2:49分)
ゲスト:田中三彦氏(元国会事故調委員・科学ジャーナリスト)

 先週、今週と原発再稼働をめぐり、真逆の司法判断が相次いで下った。
 原発再稼働の差し止め請求訴訟で4月14日、福井地裁は高浜原発3、4号機の運転を禁じる仮処分決定を下した。その一方で、4月22日には鹿児島地裁が川内原発1、2号機の差し止め請求を退ける判断を示している。
 両者の判断を分けたものは、原子力規制委員会が策定した原発再稼働のための新規制基準に対する評価だった。福井地裁の樋口英明裁判長は、新規制基準が合理性を欠くと判断したが、その大前提が、現時点ではまだ福島第一原発の事故原因が十分に究明されたとは言えないというものだった。
 福島の原発事故はもっぱら津波による全電源喪失によって引き起こされたものだったのか、それとも津波が到達する前の大地震の地震動によって、原発は既に制御不能な状態に陥っていたのか。その答えによって、現在の原発の新規制基準への評価は180度変わってくる。福井と鹿児島の相矛盾するかに見える司法判断の背後には、事故原因に対する認識のギャップがあった。
 それにしてもわれわれの多くは、福島第一原発の事故は津波によって全電源停止が起きたことが事故の原因だったと理解しているのではないか。だから、津波対策さえ万全にしておけば、再び原発事故が起きる可能性はそれほど心配しなくてもいいもののように思っていないだろうか。
 しかし、実は事故の原因が本当に津波だけだったのか、それとも地震によって既に原発は危機的な状況に陥っていて、そこにとどめを刺すように津波が襲ってきたのかは、未だにはっきりとはわかっていない。
 それをしつこく追求しているのが、今回のゲストで、かつて国会事故調の委員として事故原因の究明に関わった科学ジャーナリストの田中三彦氏だ。元々技術者として福島第一原発4号機の圧力容器の設計に携わった田中氏は現在、新潟県の原子力発電所の安全管理に関する技術委員会の委員として、引き続き福島原発事故の原因究明に取り組んでいる。
 その田中氏が新潟県の技術委員会の委員らとともに今年2月21日、東京電力から許可を得て、福島第一原発の一号機の原子炉建屋の中を視察し、その模様を映像で撮影することに成功した。
 今週のマル激ではその映像を見ながら、福島第一原発の一号機に何が起きていたと思われるかを田中氏に聞いた。
 田中氏は1号機建屋の4階部分がどのような状態にあるかをとりわけ気にしていた。これまで一号機については、原子炉上部から漏れ出した水素が建屋5階で爆発し、建屋上部を吹き飛ばしたために、大量の放射能が外部に漏れ出したと説明されていた。
 そしてその大前提は、津波が押し寄せる前の段階で、地震動よって5階以外で配管の破断などが発生し、そこから水素が漏れ出したというようなことはないということだった。
 しかし、今回、田中氏らが1号機建屋の4階に入ったところ、そこの破壊状況はすさまじいものがあった。また、4階部分の爆風が4階の天井の排気ダクトを押しつぶしていることも確認され、4階部分の破壊が5階の爆発による爆風が4階にまで及んだ結果と考えることには無理があることがわかった。
 また、4階に設置されていた復水器のタンクや周辺の配管にも、無数の水蒸気が付着し滴り落ちた後があった。これは4階部分がサウナのような状態にあったことを示していた。4階部分の温度がそこまで上昇していたとすれば、4階部分で配管の破断があった可能性が非常に高いと田中氏は指摘する。
 4階部分でも爆発があったとすれば、それは地震によって原子炉と外部のタービン建屋などを結ぶ配管が破断し、4階部分にも水素や水蒸気が漏れ出していた結果と考えられる。つまり、福島第一原発事故はもっぱら津浪が引き起こしたものとは言えず、まず地震動によって原子炉と外部を結ぶ配管に重大な破断や損傷が発生し、水素漏れなどが起きていた可能性が否定できないことになる。
 田中氏は新潟県の技術委員会として東電に対し、今回の視察から生じた疑問点を質問し、その回答を待っているところだという。しかし、それにしてもこれは、事故原因に対する根本的な疑問であり、同時にそれは、原発の安全対策を考える上でも、これまでの前提を抜本的に改める必要が出てくる可能性がある重大な問題と考えるべきだろう。
 大量の放射能が外部に漏れ出す直接の原因となった水素爆発についてでさえ、水素が漏れ出した経路から、爆発に至るメカニズムまで、その原因は未だに解明されていないと田中氏は言う。
 ことほどさように原発事故については、事故から4年がたった今も、原因究明すら十分とは言えない状態にある。よくよく聞けば、原子力規制委員会の田中俊一委員長も、「事故の原因は大体大きなところはわかっている。基本的には津波が一番大きな直接的な原因で、地震による一部損壊の可能性を全く否定する訳ではないが。事故の本当の原因を究明するといってもそう簡単にできることではない」などと、意味不明なことを言っている。原因がわかっていないのであれば、なぜ地震の影響は小さかったなどと言えるのだろうか。そして、それを前提に拙速に新規制基準を定め、「世界でもっとも厳しい基準」などと胸を張って言えるのだろうか。
 日本政府は2011年6月に、IAEA(国際原子力k機関)に対して、福島原発事故の原因は津波によるものであり、「原子炉施設の安全上重要な設備や機器については地震による大きな損壊は確認されていない」との報告をあげている。原発事故から3ヶ月しか経っていない段階でのことだ。まだ何もわかっていない段階でこのような報告を出したことは、何とか原発政策を継続したい政府にとって、事故原因に地震が含まれてしまうことがどうしても不都合だと考えていたとしか思えないのではないか。
 津波は防潮堤を高くしたり、バックアップの電源を増やすことで対応が可能かもしれないが、もし地震が原子炉そのものや、原子炉につながる配管を破壊・破断してしまうとすれば、こればかりはどうにも対応できない。
 福島第一原発一号機の4階建屋の映像から見えてくる、原発の事故の地震の影響について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が田中氏に聞いた。

アベノミクスは機能しているか

(第734回 放送日 2015年5月02日 PART1:1時間1分 PART2:36分)
ゲスト:高橋洋一氏(嘉悦大学教授)

 アベノミクスで日本経済は復活に向かっているのか。
 アベノミクスの異次元金融緩和によって市場で流通する資金が増えれば、物価が上昇すると予想する人が増え、消費が刺激される。将来、物価があがるのであれば、今のうちに物を買っておいた方が得だと考える人が増えるからだ。そして、それが企業の収益力を上昇させ、従業員の給与もあがり、再び日本経済は成長軌道に乗ることができる。
 アベノミクスについてわれわれはそんなセオリーを聞かされてきたし、また、それに期待もしてきた。
 ということは、アベノミクスが本当に機能するかどうかは、何をおいても物価があがるかどうかに賭かっていることになる。では、アベノミクスの要諦とも言うべき「インフレ率2%」は本当に達成可能なのか。
 ここまでのところ株高や円安による輸出関連企業の業績回復などもあり、一見日本経済は改善してきているように見える。しかし、肝心の物価は、今年3月の消費者物価指数は前年同月比で2.2%上昇しているものの、消費税増税の影響を差し引くと0.2%にとどまり、本格的な物価上昇に向けて改善しているとは言いがたい。
 4月30日の日銀の金融政策決定会合では、金融政策の継続が決定された。今後も「異次元緩和」が継続するということだ。2%のインフレ目標と達成するために、日銀は2013年4月からいわゆる「異次元緩和」と呼ばれる激的な量的・質的金融緩和策を実施しているが、消費増税などの影響もあり、物価上昇は実現できていない。
 金融政策決定会合後の会見で黒田総裁は、大幅な原油価格の下落によって消費者物価の上昇が当面は0%程度で推移するものの、2016年度前半頃には2%程度を達成できるという希望的な見通しを示している。
 そもそも景気は将来への期待感を前提とするものなので、実際には2%の目標が実現できなくても、日銀総裁としては、いつかは実現すると言い続け、それを市場が信じてくれれば、アベノミクスは効力を発揮し続けることができる。しかし、その期待感がいつまで持つかは誰にもわからないし、市場が期待を裏切られたと判断したときのバックラッシュは簡単なものでは済まされないだろう。
 結局、最後に残る問いはこの一点に凝縮される。
 「アベノミクスで本当にインフレは起きるのか」である。
 伝統的な経済学では、金融政策はあくまでも物価をコントロールする糸のようなもので、物価の過熱を制御することは出来るが、物価を押し上げることは出来ないと言われている。それが、引くことができるが押すことはできない「糸」に喩えられる由縁だ。
 つまり日銀がどれだけ市中の国債を買い上げるなどして市場に資金を供給しようとしても(マネタリーベース)、企業や消費者の側に旺盛な投資・消費マインドが存在しなければ、その資金は設備投資や新たな消費には回らない。それでは実際に流通する総貨幣量(マネーストック)が増えないため、結局、資金を供給しただけでは物価は上がらないし、景気はよくならないという考え方が、従来は支配的だった。
 しかし、この点について嘉悦大学教授でリフレ派の論客、高橋洋一氏は「重要なのはマネタリーベースであり、マネーストックは関係ない」と話す。マネーストックはマネタリーベースが設備投資や消費に回る副次的な作用の結果増えるが、浸透には数年単位の時間がかかり、物価に与える影響としてはさほど重要視しなくていいという。
 また、予想インフレ率が上昇している時にマネタリーベースが上がると、実質金利を引き下げる効果があると高橋氏は説明する。これは経済学のフィッシャー効果「実質金利=名目金利-予想インフレ率」で説明できる考え方で、実質金利が下がると、企業の設備投資などにもつながり、景気回復につながっていくというのだ。そして高橋氏は、現在、日本の経済は景気回復の兆しが既に出始めていることから、この先、インフレ率2%の達成は可能だと見る。
 一方、アベノミクスに懐疑的な姿勢を示す経済学者で慶應義塾大学大学院准教授の小幡績氏は、人々の期待に働きかけて、予想インフレ率を上昇させて物価上昇につなげようというアベノミクスの金融政策は、株式市場などの金融資産市場では資産価格を動かす可能性はあるが、われわれの日常生活に関係するような製品やサービスの取引には影響しないと説く。つまり、アベノミクスのリフレ政策では物価上昇はおろか、予想インフレ率の上昇、つまりインフレ期待も起こせないというのが、小幡氏の主張だ。
 では、現在の日本経済はどういう状況にあるのか。景気は回復しているのか。
 高橋氏は、今の日本経済の問題はデフレ時代から依然として縮まらない「需給ギャップ」にあると指摘する。日本全体の需要を示すGDPから、全ての設備や労働力などを100%稼働させたとして推計される国全体の供給量を差し引いた「需給ギャップ」は、依然として解消されていないと高橋氏は言う。日銀は需給キャップは概ね解消されているとの見方を示しているが、高橋氏は「解消されているのは一部に過ぎず、業種や地域によってはまだまだ弱い」と指摘する。
 需給ギャップが解消されないのは、日銀の黒田総裁は言及していないが、高橋氏によると明らかに消費税増税の影響だという。増税前に駆け込み需要があったものの、その反動による消費停滞の影響がはるかに大きく、現在まで需給ギャップを解消するところにまで回復していないという見方を示す。今後、仮に需給ギャップが解消されれば、労働市場におけるギャップも解消することにつながり、賃金の上昇や非正規から正規への雇用形態の改善なども見込め、また現在一部の地域にとどまっている景気回復の動きが全国に波及することにもつながるという。そのために実質金利を引き下げる圧力として、異次元緩和の継続が必要なのだという。
 マスメディア上などではアベノミクス効果による株高や大企業の賃金上昇などが囃されてはいるが、確かにわれわれ個人の生活レベルで、好景気を実感できる場面は少ないように見える。むしろ円安の影響で輸入製品の価格が上がったために、食料品や日用品の値段はあがっている。これで所得が増えなければ、実質賃金の減少となり、アベノミクスのセオリーとは逆の方向に進みかねない。
 アベノミクスによる物価上昇2%は、今後実現するのだろうか。その結果、日本経済が今後、成長軌道に乗ることが本当に期待できるのか。リフレ派の論客、高橋洋一氏とともに、経済学者の小幡績氏、社会学者の宮台真司が議論した。(神保哲生は取材のためお休みします。)

知っているようで知らない魚の話

(第735回 放送日 2015年5月9日 PART1:39分 PART2:38分)
ゲスト:生田與克氏(築地魚河岸マグロ仲卸「鈴与」三代目)

 日本の魚に大変なことが起きている。
 にもかかわらず、われわれは事の重大さをよく理解しないまま、当たり前のように毎日魚を食べている。
 しかも今や世界的な日本食ブームとやらで、日本は寿司や刺身などの魚料理をしきりと世界市場に売り込んでいるが、それはまるで危機を輸出しているかのようでさえある。
 確かに日本は島国で周囲を海に囲まれていることから、豊富な水産資源に恵まれている。日本が自由に魚を獲ることができるEEZ(排他的経済水域)の面積は世界第6位を誇り、しかもその中に世界3大漁場と呼ばれる魚の宝庫の2つを抱える。こと魚に関する限り、日本は恐らく世界一ラッキーな国なのだ。
 しかし、世界の中で日本の漁業だけが、危機的な状況を迎えているというから不思議だ。
 一体なぜそのようなことになってしまったのか。
 日本は世界で最も多く魚を食べる民族だ。国民一人あたりの魚の消費量は年間51キロにのぼり、人口100万人以上の主要国の中で2位以下の中国、アメリカなどを大きく引き離している。しかし、その一方で、日本の漁獲高の方は1984年の1,282万トンをピークに減少の一途を辿り、2013年にはピーク時の3分の1の479万トンまで落ち込んでいる。その分を輸入で埋めている計算になるが、問題は日本の漁獲高が減っているその理由だ。
 端的に言うと日本では魚が捕れなくなっているのだ。しかも、その原因もほぼはっきりしている。他でもない乱獲だ。
 漁業者の乱獲に対して寛容すぎると批判される水産庁でさえ、水産資源の52魚種のうち半数が「低位」、つまり持続可能性を脅かすレベルにあると判定している。実際はそんな甘いものではないという声も大きい。
 なかでも寿司ネタとして人気の高いクロマグロは、正に危機的状況にある。築地の魚河岸で、マグロ仲卸業を営む生田與克氏は、「しゃれにならない状況」だと話す。大消費国である日本では、なるべく低価格のマグロを手に入れるために、大型の成魚だけではなく、まだ産卵すらしていない幼魚も一網打尽で乱獲されているという。幼魚の段階で大量に捕獲すれば、将来の親魚がいなくなり、その魚種が絶滅してしまうリスクも高まることは自明だ。その結果、漁獲高の伸び悩みはもちろん、サイズが小さくなり、漁業者の利益も小さくなるので、更に乱獲に拍車がかかるという悪循環を繰り返しているのだという。
 これはクロマグロにとどまらず、ホッケなどにも見られてきている。居酒屋などで出されるホッケのサイズが小さくなっているのに気付いた方も多いだろう。サイズが小さくなったのは、漁獲高が減り、まだ成魚になっていない小ぶりな魚にも手を出さざるを得なくなったからに他ならない。かつては丸ごと提供されていた庶民の魚だったホッケが、値段があがったために、最近は切り身で出されるようになっているという。
 解決策ははっきりしている。乱獲をやめることだ。水産資源の持続可能性を維持するには、魚の種類ごとに科学的な知見に基づいた持続可能性を維持できる漁獲量(ABC:生物学的許容漁獲量AllowableBiological Catch)を算出し、 その範囲内に漁獲可能量(TAC:Total AllowableCatch)を制限するしかない。
 世界各国ではABCとTACに基づいて水産資源の維持、回復に取り組むことがいまや常識となっているといっても過言ではない。
 ところが、なぜか漁業大国日本ではこれが一向に進まない。日本もこの制度を導入してはいるが、日本ではABCを決めても、それを大幅に超えた数値がTACとして定められてしまうなど、その運用は「全くデタラメだ」と生田氏は批判する。
 本来、TACを決めることの意味は、資源が枯渇する可能性がある魚種のABCに対して、それを下回るレベルのTACを定めることにある。そうしなければ、漁獲制限の意味をなさないことは子どもでもわかることだ。しかし、日本ではABCと同等か、もしくはそれを超えるTACが認められてしまう。しかも、現在、日本でTACが設定されている魚種は、もともとそれほど危機的な状況にあるわけでもないゴマサバ、スルメイカなどわずか7分類8魚種に過ぎない。これはアメリカの528種、ニュージーランドの98種などと比較しても、あまりにもやる気がない、いい加減なものと言わねばならない。しかも、日本の規制対象の中には乱獲によって既に漁獲高が危機的な状況にまで減少しているホッケや、ほぼ絶滅状態にあるニシン、そして国際的に乱獲が問題となっているマグロなどは指定すらされていない。これでは世界中の魚を食べ尽くしている日本が、世界から後ろ指を指されるのも無理はない。
 震災から間もない2011年9月のこの番組で、漁業資源問題に詳しい三重大学の勝川俊雄准教授(現東京海洋大准教授)は、日本の水産行政にグランドデザインが無いために、日本の漁業が壊滅への道を辿っていると指摘した。「漁協ごとに縄張りを定め、その中で魚を獲りたいだけ獲らせている現在の漁業法の下では、資源が完全に枯渇するまで乱獲はやまない」として、漁業法を改正し漁獲量を制限しなければ、いずれわれわれは魚が食べられなくなることが必至であることを学んだ。しかし、実際にはその後も乱獲は更に激化し、資源の枯渇は悪化に一途を辿っている。
 消費者としてもわれわれは、世界中の魚を食べ尽くすほど魚を食べている割には、魚のことを知らなさすぎたかもしれない。あまりにも豊かな海に囲まれていたことで、感覚が麻痺していたのかもしれない。例えば、今日本人は日本で獲れる魚よりも輸入魚種ばかりを好んで食べている。日本人の魚の消費量の上位を占めるサーモン、マグロ、イカ、エビなどはいずれも、輸入に依存している魚種だ。その一方で、日本で豊富に獲れるサバ、カツオ、ホタテガイなどの消費量はマグロやサーモンに大きく水をあけられている。輸入業者のPR戦略に乗せられている面もあるが、どの魚はいつ旬を迎え、どの魚はもっぱら輸入に依存し、どの魚は大半が養殖なのかくらいは知っておいてもいいだろう。
 行政の無策や漁協の乱獲を批判するのは容易い。しかし、日本の豊かな漁業資源を守るために政治が動かない最大の理由は、世論の無関心にあると生田氏は言う。スーパーで切り身になったパック詰めの魚しか食べなくなれば、その魚がマルの状態でどのくらいの大きさがあったのかを気にすることもなくなるのは当然だし、旬を意識しなくなれば、輸入魚に依存することが当たり前になる。
 海外でブームと言われる寿司は腕利きの寿司職人がいる高級店以外は、ほとんど寿司ネタサイズに切られてパック詰めされた上で冷凍されている寿司ネタを使っているそうだ。寿司屋のやることといえば機械が握ったしゃりの上に解凍しパックから取り出したネタを載せるだけだということになる。日本人が聞くと冗談にように聞こえるかもしれないが、下手をすると本家本元の日本もそれに近づいているのかもしれない。
 まずは我々一人ひとりが、もう少し魚を知ることで、魚への関心を取り戻し、その文化を守り育てていく必要性を感じられるようになること。そこから始めなければ、漁業資源の保護などおぼつかないだろう。築地魚河岸の現場で日本の魚の現状をつぶさに見てきたゲストの生田與克氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本は何のために安保政策を変更するのか

(第736回 放送日 2015年5月16日 PART1:1時間14分 PART2:58分)
ゲスト:青井未帆氏(学習院大学法科大学院教授)

 70年前、日本は不戦の誓いを立てた。だから、これからもアメリカに守ってもらわなければならない。しかし、アメリカに守ってもらえる国であり続けるためには、日本はアメリカと一緒に戦わなければならない。
 そんな論理矛盾を抱えた「安保法制」に関連した11の法案が安倍内閣によって5月14日、閣議決定された。
 安倍首相は直後の会見で、これが日本の抑止力を高め、ひいては地域や世界の平和に寄与するものと確信していると語り、胸を張った。
 今回の安保法制の中身については、マスメディアがこぞって詳しく報じているが、要するに自衛隊の活動範囲をこれまでの「周辺事態」から世界規模に拡大し、憲法上、自国が攻撃された時のみ許されると解されてきた武力行使を、日本と関係の深い国が攻撃を受けた場合にでも可能にするというものだ。(当初アメリカだけを念頭に置き、「同盟国」という表現が使われる予定だったが、南沙諸島情勢やペルシャ湾での活動などを念頭に、オーストラリアなど他の国も支援の対象に入れる必要があると判断し、「日本と関係の深い国」という言い回しになっている。)
 日本が憲法の精神を曲げてまでアメリカとの同盟に貢献する意思を見せることで、アメリカは日本に感謝し、日米同盟がより強固なものとなる。結果的に日本の抑止力は高まるという。また、日本が自国が攻撃されていない場合でも武力を行使できるようになることで、自衛隊の活動範囲が世界規模に広がるため、日本の国際貢献の幅も広がり、日本は世界から感謝されるという。
 その通りになれば結構な話だが、いくつか重大な問題がある。まず、これまでの専守防衛の理念の下で、自国が攻撃された時のみ可能と解されてきた武力行使の幅が広がることで、歴代内閣が憲法によって禁じられているとされてきた集団的自衛権の行使が可能となり、事実上、自国が攻撃を受けていない戦争に参加することが可能となるという点だ。憲法9条が「自然権としての自衛権」まで否定するものではないという解釈から、大きく踏み出すことになることは否めない。
 改憲論者を自認して止まない小林節慶応大学名誉教授を含む多くの憲法学者らが、憲法を改正しないまま集団的自衛権の行使を可能にすることに強く反対している理由は、それによって法の精神が決定的に傷つけられることが明らかだからだ。
 しかし、仮に100歩譲って、憲法の精神や理念を一旦横に置いたとしても、果たして今回の安保法制の制定によって、日本がより安全になり、世界がより平和になるという前提には根拠があるのだろうか。
 安保法制が成立すれば、日米同盟がより強固なものとなり、ひいてはそれが日本の抑止力を高めるという論理建てのようだが、4月28日に日米両国の外交・防衛担当閣僚の間で承認された「新たな日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」を見ても、今回の安保法制によってアメリカの日本に対するコミットメントの度合いが高まると読むことは難しい。
 どうしても、「日本がそこまでしてアメリカに尽くしているのだから、いざというときアメリカは日本を見捨てたりはしないろう」という精神論やお情けの域を出ないとの印象が拭えない。そして、その仮定は現在の国際政治情勢の下ではあまりにもナイーブかつ、子供じみてはいないだろうか。
 一方で、日本の自衛隊が世界中でアメリカの戦争に協力することが法的に可能になった時、アメリカからの協力要請を日本は断ることができるのか。吉田茂以降、アメリカが無体な要求をしてきても、歴代政権は憲法を理由に断ることができた。しかし、その縛りがなくなれば、日本はアメリカに対して政策判断として「今回はやめておきます」と言わなければならなくなる。しかし、それは考えにくい。だとすると、安保法制が整備されれば、日本の集団的自衛権行使の如何は、事実上アメリカに委ねられることになってしまわないか。
 しかも、超大国として自国の権益の保護に強い執着を見せ、しかもその背後に強烈なイデオロギー的、かつ宗教的な動機付けを持つアメリカは、日本が考えられないような戦争をしかけることも多々ある。その戦争に日本が参加することになれば、日本は交戦国から敵国と見なされることは必至だ。自衛隊員の命が危険に晒されることはもとより、日本国民もテロの標的になったり、日本のNGOによる人道的な活動が危険に晒されることは避けられない。
 要するに、憲法を蔑ろにし、法の権威を地に貶めてまでどうしても実現したいという割には、今回の「安保法制」は実益の部分でもあまりに疑問が多いと言わねばならない。
 記者会見での話しぶりを見る限り、安倍首相自身はこれで日本の安全保障が強化されると心底信じているようにも見える。しかし、実際に今回の法整備を裏で主導する外務官僚や一部の防衛官僚も本当にそれを信じているのだろうか。それとも実はそこには別の動機付けが働いているのだろうか。
 いずれにしても1つの新法案と10の改正案から成る「安保法制」は閣議決定され、これから国会審議に移る。国会があまり機能しない上、メディアのチェック機能も大幅に低下する中、今や日本における歯止めの頼みの綱は市民社会しかない。市民社会がどれだけ厳しく政治を監視し、問題がある時はあらゆる手段を使ってその意思を表明しなければ、法的にもあり得ず、しかも実質的なメリットもよくわからない一方で、リスクだけは確実に大きくなるような、そして日本が戦後大切にしてきた価値や理念を場合によってはドブに捨ててしまうような法改正をやってしまいかねないところまで、事態は来てしまった。
 安倍首相自身の記者会見での発言とともに、阪田雅裕元内閣法制局長官、国際人道支援NGO「難民を助ける会」の長有紀枝理事長、安全保障や国際関係論が専門の植木千可子早稲田大学教授、元防衛官僚で官房長、防衛研究所長などを歴任した柳澤協二元内閣官房副長官補、憲法学者の小林節慶應義塾大学名誉教授、弁護士の伊藤真氏らのコメントを参照しつつ、ゲストの青井未帆学習院大学教授とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

これが火山国日本の生きる道

(第737回 放送日 2015年5月23日 PART1:42分 PART2:39分
ゲスト:高橋正樹氏(日本大学文理学部教授)

 日本は世界でも有数の火山国だ。しかし、これまでわれわれは、火山噴火のリスクに対しては、あまり現実的な脅威とは見なしてこなかった。
 ところが、昨年9月に岐阜県と長野県の県境にある御嶽山が水蒸気爆発を起こし57人が亡くなったのに続き、今年の4月下旬からは首都東京からほど近い神奈川県の箱根山で火山性の地震が頻発し、危険な地域への立入が禁止されるようになるなど、火山の活動が現実的な脅威となってきた。更にここにきて群馬県と長野県にまたがる浅間山でも火山性地震が増加したり、鹿児島県の口永良部島で火山性地震が頻発し始めるなどしたことで、日本中で火山の動きが活発になっているかに見える。
 箱根山は東京に一番近い活火山で、火山学者で日本大学文理学部地球システム科学科教授の高橋正樹氏によると、約6万年前の大噴火では神奈川県のほぼ全域が火砕流堆積物で覆われたという。
 もし今日、箱根山で6万年前と同じような大噴火が起きれば、神奈川県が全滅し800万人以上の犠牲者が出るほどの大被害が起きることになるが、高橋教授は今回の箱根山の火山活動では、震源の浅い地震を繰り返しながら、水蒸気爆発やマグマ噴出などのいわゆる噴火までには至らず、緩やかに収束していく可能性が高いという。ただし、巨大噴火ほどではないにせよ、水蒸気爆発、マグマ噴出が発生した場合、カルデラに囲まれた芦ノ湖を含む箱根一帯は、火砕流による被害も想定され、観光地としては大きな打撃を受ける可能性は否定できないという。箱根といえば温泉が有名だが、箱根山は過去23万万年の間に11回の巨大噴火を起こしてきた、日本有数の活火山なのだ。
 こうした火山の大規模な噴火活動、いわゆる「巨大噴火」や「破局噴火」は、何も箱根山に限った話ではない。むしろ、日本のカルデラで起きた過去の巨大噴火と比べると、6万年前の箱根山噴火は規模、被害範囲とも小さいものだと高橋氏は言う。
 日本で最も新しい巨大噴火は約7300年前に鹿児島県の薩摩半島の先の海中にある「鬼界カルデラ」で起きた巨大噴火で、この噴火で当時南九州に存在していた縄文期の貝殻文系土器文化や塞ノ神式土器文化が滅亡したといわれている。他にも南九州では約2万9000年前に「姶良カルデラ」で、約9万年前には「阿蘇カルデラ」でそれぞれ超巨大噴火が起きている。姶良カルデラの超巨大噴火によって南九州のシラス台地が形成され、日本列島全体が数センチ以上の火山灰で覆われたと推測されるという。
 巨大噴火、破局噴火に分類される火山活動は過去12万年間に日本で17回、およそ7000年の周期で発生している。直近の破局噴火が7300年前の鬼界カルデラ噴火であることを考えると、現在日本列島でいつ巨大噴火が起きてもおかしくないとも言えるが、巨大噴火を予知することは不可能だと高橋教授はいう。
 むしろ日本の問題は予知の如何にかかわらず、万が一の事態に備えるだけの実効性のある防災計画が整備されていないことにあると高橋氏は指摘する。
 火山の大噴火は数千年から数万年の周期で起きるもののため、次の大噴火がいつ起きるかはわからない。しかし、われわれが日本という火山国に住む以上、いつかは必ず大噴火に直面することになる。また大噴火まで至らない場合でも、小規模、中規模な噴火はいつあってもおかしくない。
 その現実を直視し、万が一の時に備えた防災意識と防災対策を行うことが肝要となるが、残念ながら現在の日本では、東日本大震災でも露呈した行政まかせの防災意識が依然として横行している。御嶽山の噴火の時にも指摘されたことだが、歴史上大噴火を繰り返してきた箱根山周辺の観光地には、コンクリート製のシェルターさえ整備されていない。また、姶良カルデラの噴火とその影響を想定した川内原発の緊急対応も不十分だと高橋氏は指摘する。
 地震、津波、台風、土砂崩れ等々、数多くの災害と隣り合わせに生きているわれわれ日本人は、火山リスクとはどう向き合えばいいのか。火山学者で過去の破局噴火とそのメカニズムにも詳しいゲストの高橋正樹氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
映画が描く沖縄基地問題と日本の選択

(第738回 放送日2015年5月30日 PART1:50分 PART2:1時間3分
ゲスト:ジャン・ユンカーマン氏(映画監督・ジャーナリスト)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金ではエミー賞受賞監督のジャン・ユンカーマン氏をゲストに迎え、第二次大戦から現在に至る沖縄を描いた同氏の最新ドキュメンタリー映画『沖縄 うりずんの 雨』を取り上げながら、戦後70年経った今も日本が解決することができていない「沖縄の米軍基地問題」とわれわれがどう向き合うべきかを議論した。
 沖縄には、日本にある米軍基地や関連施設の約74%が集中し、沖縄本島の18%が戦後米軍によって接収されたままの状態にある。ユンカーマン氏は、沖縄の基地問題を「日本のみならずアメリカの問題でもある」との認識の下で、『沖縄 うりずんの雨』を製作したという。そのため、この映画では沖縄戦の歴史やその後のアメリカによる占領統治、日本への返還、そして現在の米軍基地問題につながる沖縄の戦後史が網羅されているが、沖縄の視点と並行して、常にアメリカ側の視点が描かれているところに、この作品の大きな特徴がある。
 ユンカーマン氏はアメリカの沖縄に対する姿勢の背後には、覇権国特有の、力で勝ち取ったものは自分たちの好きにしていいとの認識が根強く残っていると指摘する。その意味ではアメリカにとって沖縄は「戦利品」に過ぎない。
 しかし、日本政府が沖縄に対し米軍基地負担の74%を押しつけ、日米地位協定なる取り決めの下でそこに住む人々が蹂躙されるのを指をくわえて見ている裏には、本土の人間の沖縄に対する差別意識があることも強調する。
 映画には1995年に沖縄で起きた少女暴行事件の犯人のインタビューが収められている。この事件によって、戦利品としての扱いを強いられてきた沖縄の怒りが頂点に達し、事件そのものやその後の大規模な県民集会は日本にとどまらず、広く世界に報じられることとなった。
 しかし、沖縄の問題は、アメリカでは広く認知されているとは言い難いとユンカーマン氏は言う。アメリカの安全保障政策によって沖縄がどれほどの犠牲を強いられているか、米軍という暴力装置によって沖縄県民がどれほどの被害を被っているか、日米地位協定によって守られている米兵が沖縄で問題を起こしても不問に付され続けているという事実などは、アメリカではほとんど知られていない。映画では沖縄に対する暴力の歴史とともに、米軍による暴力の背景にある、米軍内における女性兵士への性暴力の問題にも触れて、併せて警鐘が鳴らされている。
 沖縄県の翁長雄志知事は、5月27日から訪米し、在沖縄米海兵隊の再編にともなってその受け入れ先となっているハワイの州知事や米政府関係者との会談を通じて、沖縄の主張を直接アメリカに届けようとしている。ユンカーマン氏は、これまでは抗議だった沖縄の声は、いまや主張になっていると指摘する。辺野古沖に基地は作らせない、沖縄に基地はいらないという沖縄の人々の強い思いが主張となって、安全保障政策を推し進める日本政府、そしてその背後にいるアメリカと真っ向からぶつかっている状態だという。
 映画のタイトルにある「うりずん」とは、沖縄で草木が芽吹く3月頃から梅雨入りする5月頃までの時期を指す、沖縄の言葉だという。70年前のうりずんの時期、日本は激しい地上戦を沖縄で戦い、2万8000人の日本兵はもとより、10万人もの沖縄市民が犠牲となった。沖縄ではこの時期になると当時の凄惨な記憶が蘇り、体調を崩す人も多いという。しかし、ユンカーマン氏はうりずんという言葉に、実りある季節の準備期間として希望の意味も込めたと話す。
 果たして沖縄の希望は実るのか。沖縄の覚醒は日本に何をもたらすのか。沖縄戦から現在に至る歴史や現在の米軍基地の辺野古沖への移設問題、日米の安全保障政策の歪みと今後に向けた課題などを、ゲストのジャン・ユンカーマン氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 番組ではまた辺野古の反対運動をドキュメントした三上智恵監督による「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」、芥川賞作家目取真俊氏の小説を東陽一監督が映画化した「風音(ふうおん)」を取り上げた。

なぜ「安保法制」は間違っているのか

(第739回 放送日 2015年6月6日 PART1:37分 PART2:45分)
ゲスト:柳澤協二氏(国際地政学研究所理事長)

 リスクは確実に高まるのに、メリットが見えない。
 それが安倍政権が成立を目指す安全保障関連法案をめぐる国会論争でここまで明らかになったことだ。
 憲法9条を変更しないまま集団的自衛権の行使を可能にする法改正を行うことは論理的に不可能との指摘が、多くの憲法学者や国防の専門家から行われているが、政府はのらりくらりとした答弁で国会審議を乗り越え、数の論理で法案の成立を押し切れると考えているようだ。
 国家の「存立危機事態」という新たな概念を作り、その場合に限って、自国が攻撃を受けていない場合でも他国を攻撃できるとするのが「安保法制」の肝だが、野党側が繰り返し「存立危機事態」とはどのような事態を指すのかを質しても「政府が総合的に判断する」とした答弁しか返ってこないのだから話にならない。ここまでの国会などでの議論を聞く限り、政府が武力攻撃をしたい時にできるようにする法律を作ろうとしていると言わざるを得ない。
 いわゆる「安保法制」と呼ばれる一連の議論は2つの大きな問題を抱えている。一つは、日本自身が攻撃を受けていない状態で他国に対して武力行使を行うことが、憲法9条に違反する可能性が高いことだ。そもそも憲法9条は国の交戦権を認めていないが、歴史的な経緯の中でぎりぎりの線として、自国が攻撃を受けた時、その攻撃を排除するために必要な最小限の武力を行使することだけは認めるとする解釈が、1972年の政府見解以来、維持され、国民の多くもこれを支持してきた。
 しかし、今回の法改正ではその線から大きく踏み出して、政府が「存立危機事態」だと判断すれば、自国が攻撃を受けていなくても、日本と関係の深い国が他国が攻撃を受けただけで、日本は武力攻撃ができるとしている。
 それが憲法上許されていないという解釈は、6月4日に国会に参考人として呼ばれた3人の高名な憲法学者が口を揃えて、「違憲」と言い切ったことからも明らかだ。憲法を蔑ろにする行為こそが、国の存立を危うくする行為に他ならず、その意味でも今回の法改正は国家100年の計を過つ行為を言わねばならないだろう。
 それだけでも安保法制を廃案にすべき理由としては十分過ぎるほど十分なものだが、とはいえ憲法論争では反対する側にも一定の弱点があることも事実だ。かつて自衛隊の創設時にはその存在自体が違憲であると主張する憲法学者も少なからずいた。また、その後、PKOへの参加のために自衛隊を海外に派遣することになった際も、周辺事態法やイラク特措法、対テロ特措法などで自衛隊の活動範囲を拡げたり、機能を強化することになった際にも、憲法との整合性が大きな問題になり、国を挙げての大論争になった。しかし、そのたびに憲法を拡大解釈することで、「違憲ではない」と強弁し続けてきたのが、現状の日本の安保法制であることは紛れもない事実だ。
 そうした経験を通じてわれわれの多くは、既に現時点で自衛隊の現状が当初の憲法が想定していた状態を大きく踏み越えた、解釈改憲の状態にあると感じている。今回の法改正は武力行使の要件の変更に当たるので、過去の解釈の変更とは次元が違うと主張することも可能かもしれないが、いずれにしても憲法違反であることだけを理由に安保法制への反対論を展開しても、「これまでも同じようなことを散々やってきたではないか」と言われてしまえば反論が難しいという面があることもまた事実だ。
 しかし、それでも今回の法改正には大きな問題がある。それはこの法改正を行い、日本がある特定の条件の下で集団的自衛権を行使できるようにしたとして、それがどのような形で日本の安全保障に寄与するかが、まるで見えてこない点だ。今回の法改正を適用し、日本が自国を攻撃していない国に武力攻撃を行ったり、存立危機事態と並ぶもう一つの新要件である「重要影響事態」を理由に、アメリカの戦争に兵站を提供した場合、日本の自衛隊が攻撃を受けるリスクはもとより、敵国とみなされた日本人が海外で殺害されたり誘拐されたりするリスクや、日本の国土が武力攻撃を受けるリスクが増すことは明らかだ。しかし、その一方で、そのリスクと引き替えに日本がどのようなメリットを享受できるのかが、さっぱり見えてこないのだ。
 安倍首相は集団的自衛権が行使できるようになれば日本の抑止力が強化されるため、むしろ日本にとってのリスクは低減すると主張する。しかし、なぜ日本が集団的自衛権を行使できるようになると、日本の抑止力が高まるかについては、どこからもはっきりとした説明がなされていない。論理的にどのような可能性があるかを考えてみても、日本が集団的自衛権を行使してまでアメリカに尽くす意思を見せれば、万が一中国が攻めてきた時に、アメリカが日本を助けてくれる可能性がより高まるというようなものしか考えられない。しかし、常に自国の国益を最優先するアメリカに、そのようなナイーブな論理が通用するとは到底思えないのだ。
 なぜ今、集団的自衛権に踏み出す必要があるのか。その場合のリスクとメリットはどのような関係にあるのか。この法律が成立すれば日本の防衛政策は根本的に変質し、これまで70年間かけて日本が世界に築いてきた平和ブランドが深く傷ついてしまうことへの強い危機感を募らせる東京外国語大学教授の伊勢崎賢治氏とジャーナリストの神保哲生が、元防衛官僚で第1次安倍内閣で内閣官房副長官補を務めた柳澤協二氏と議論した。

国立競技場は設計段階からやり直すしかない

(第740回 放送日 2015年6月13日 PART1:44分 PART2:43分)
ゲスト:森山高至氏(建築家・建築エコノミスト)

 東京オリンピックの目玉プロジェクトの一つとされる新国立競技場の建設が暗礁に乗り上げている。いや暗礁に乗り上げているというよりも、一度も船出ができないまま、下手をするとお蔵入りになる可能性すら出てきていると言った方がより正確かもしれない。
 しかし、何にしても決断を急がなければ、このままでは国立競技場の建設が2019年のラグビーワールドカップはおろか、2020年の東京オリンピックにも間に合わなくなりかねない深刻な事態に陥っている。
 報道レベルでは下村文科相が東京都に新競技場の建設費として500億円を負担するよう求め、舛添東京都知事がこれを一蹴したことが報じられているが、問題の本質はそんなことではない。新国立競技場の建設に伴う様々な問題を指摘し続けている建築エコノミストの森山高至氏によると、現状は、そもそも国際コンペで決定した当初の計画通りに競技場を建設することが本当に可能なのかどうかすら定かではなく、また仮に可能だったとしてもコストがどこまで膨れあがるかがおよそ見当がつかないといった状態にあると指摘する。そのため、旧競技場の解体がほぼ完了している現段階でも、本体工事の受注業者さえ決まらない状態が続いているのだ。
 ここに来て、オリンピックには屋根無しで臨むという話や、8万人収容の計画を5万人規模にまで縮小する案などが乱れ飛んでいるのも、当初計画のままでは実現可能性が見えてこないことが背景にあると森山氏は言う。
 新国立競技場は東京オリンピックの招致が決まる前の2012年に国際コンペを実施し、話題性に富んだド派手で近未来的なデザインを提案したイラク出身の英国人建築家ザハ・ハディド氏の案が選ばれた。しかし、「脱構築」で有名なザハ氏の近未来的なデザインは、実際の建築物に落とし込むのが容易ではなく、いまもって総工費が幾らになるのか、そもそも東京霞ヶ丘の旧国立競技場の跡地にそれを建てることが可能なのかすら、明確な見通しが立っているわけではない。既に旧競技場は解体してしまったのに、である。
 もともと新国立競技場の建設は1300億円の予算が見積もられていた。これはロンドンオリンピックのオリンピック・スタジアムの700億円、北京オリンピックの北京国家体育場の600億円と比較しても、当初から破格の予算だった。ところが、ザハ案をそのまま実現しようとすると3000億円を超えるとの見通しも囁かれるなど、ドタバタが続き、未だに受注業者すら決められない状態が続いている。どの建設会社がいくらであればザハ案を実現できのかについては、現状では大成建設と竹中工務店との間で調査契約を結び、調査を行っている段階であり、まだ全く見通しは立っていないのが現状だと森山氏は言う。
 前回の番組でも森山氏が指摘しているが、そもそもザハ案は日本の消防法との整合性に問題があり、またキールアーチと呼ばれるザハ特有の構造が、予定地の条件と合わないなど、建築設計上無理があることもわかってきた。それを無理矢理建てようとすれば、膨大なコストがかかる上にどれだけ時間がかかるかも定かではないということのようだ。
 ここは誰かがリーダーシップを取り、ザハ案を破棄し、より現実的な計画への転換を図ることが最も現実的だと森山氏は言う。通常のスタジアムの建設であれば、まだ時間は十分に間に合うし、コストも従来のスタジアム並で済む。そもそもオリンピックの招致は決まっているわけだし、IOCのトーマス・バッハ会長もスタジアムのデザインにはこだわらないと助け船を出してくれているのだ。
 ところが、この現実的な選択肢を選ぼうとすると、コンペを実施して有識者に選んで貰ったザハ案を破棄するという決断を下せる人が誰もいないという、ガバナンスの問題が立ちはだかる。直接の監督官庁は文部科学省になるが、文科省は数億、数十億円規模の教育施設の建設は扱ったことはあるが、1000億円単位のプロジェクトとなるとお手上げなのだという。
 今回、日本がオリンピックの招致に成功した背景には、日本人の勤勉さがもたらす技術レベルの高さやプロジェクトの緻密さなどへの評価があったと言われている。ところが、その日本で、オリンピックのメインスタジアムの建設が間に合わなかったり、国際コンペまで行って一度決めたデザインが宙に浮いたままになっているという状態は、日本の信用にかかわりかねない重大な問題と言わねばならない。
 行政官僚が、一度決まったことは何があっても推し進める「暴走列車」的な習性を持っていることは、数々の無駄な公共事業がごり押しされる場面でわれわれはこれまでも繰り返し見てきた。それを仕切れるのは政治しかない。
 ザハ氏は優れたデザイナーかもしれないが、元々、明治神宮の風致地区でも神宮の杜には、ザハ氏の巨大な脱構造的建築物は似つかわしくないとの異論が根強かった。そして、それが構造的にもコスト的にも、そして何よりも時間的に難しいことがわかった以上、政府は一度下した決定に固執せずに、ここで設計変更の英断を下すべきだと森山氏は言う。それができなければ、本当に2019年のラグビーワールドカップや2020年のオリンピックまでに間に合わないなどの最悪の事態も覚悟しなければならないところまで事態は来ている。
 新国立競技場問題の現状と今後の見通し、そしてそのドタバタから透けて見える「日本国の問題」について、森山高至氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。