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仮想通貨とブロックチェーンの歴史的意義を見誤ってはいけない

(第881回 放送日 2018年2月24日 PART1:49分 PART2:48分)
ゲスト:野口悠紀雄氏(早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問)

 仮想通貨取引所のコインチェックから約580億円相当の仮想通貨「NEM(ネム)」が不正に引き出された事件は、仮想通貨のリスクにあらためて注目を集める結果となった。2014年にもマウントゴックスという取引所で約470億円分のビットコインが消失した事件に続く今回の事件を見て、「やっぱり仮想通貨は危ない」との印象を強くした人も多かったにちがいない。
 確かに今回の事件の教訓として、取引所の管理体制やセキュリティの強化は急務だ。コインチェック以外にも杜撰なセキュリティ体制を放置している取引所が残っている可能性は否めない。また、仮想通貨の保有者は、通貨を取引所に預けっぱなしにしておくことに一定のリスクがあることも、この機会に知っておくべきだろう。
 しかし、この事件が仮想通貨やそれを支える「ブロックチェーン」という技術そのものに対する不信感や不安を生んでいるとすれば、それは残念なことだ。ブロックチェーンに詳しい野口悠紀雄氏は、今回の事件はコインチェックという一取引所の杜撰な管理体制が引き起こした問題に過ぎず、仮想通貨の信頼性は何ら揺らいでいないことを強調する。
 「現金輸送車が強盗に遭ったからといって、日銀券の信頼が揺るがないのと同じだ」と野口氏は語る。
 実際、仮想通貨NEMの規格を管理するNEM財団のロン・ウォン氏は、今回580億円分のNEMを流出させた取引所のコインチェックが、NEM財団が推奨しているマルチ・シグネチャ方式のセキュリティを採用していなかったことを指摘した上で、今回の事件でNEMのシステムは何ら影響を受けていないことを強調する。
 野口氏は仮想通貨は、インターネットの登場に匹敵する影響を社会に与える可能性があると語る。野口氏によると、インターネットは世界中のどこにでも瞬時に無料で情報を送ることを可能にしたことで、人類の情報伝達に革命的な影響を与えたが、2つの大きな壁があった。それは情報の信頼性と経済的な価値を送ることが難しいという2つだった。
 インターネット上で何かを買う際に、聞いたことのないサイトであれば、誰もが送金をすることを躊躇うはずだ。また、ネット経由で送られてきたメールなどの情報にも、なりすましの可能性など、常に信用の問題がつきまとう。それはそのサイトの信頼性をインターネットが保証できないからにほかならない。信頼性を担保させる方法としてSSL認証などの仕組みがあるが、その認証を得るためには高い費用がかかる。結果的に、Amazonのような既に信頼性が確立されている有名なサイトは多くの人に利用されるが、そうでないサイトは万人の信頼性を得ることが容易ではなかった。
 「これは世界がまだ本当の意味ではフラットにはなっていなかったということだ」と野口氏は言う。
 そして、そのインターネットの2つの弱点を克服する技術が、仮想通貨に使われているブロックチェーンという新しい技術なのだ。
 ブロックチェーンは一言で言えば「電子的な情報を記録する仕組み」ということだが、記録の改ざんが事実上不可能という特性を持つ。記録が改変されないようにするために、ハッシュ関数という方法を使ってそこまでのすべての取り引きが記録され、それがP2Pというコンピューターのネットワークを通じて、その取り引きに関係したすべての人に共有されている。その過程で一ヵ所でも記録が変更されれば、ハッシュ関数はまるで違う文字列を形成してしまうため、改ざんされたことが一目瞭然になるというわけだ。
 ブロックチェーンによってインターネットの限界だった「信用」と「経済的価値の移転」が可能になると、新しい可能性が無限に広がってくる。それは単に情報伝達手段のみならず、会社の経営の方法や家電のIoTにも多大な影響を与えることになるだろうと野口氏は言う。
 それほどの可能性を秘めた仮想通貨やブロックチェーンという画期的な技術の進歩を、一取引所の杜撰な管理が原因で起きた事件のために遅らせるようなことがあってはならないと語る野口氏と、仮想通貨やブロックチェーンの可能性と、それがわれわれの社会に与える影響について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

あの大惨事の教訓はどこへ行ったのか

(第882回 放送日 2018年3月3日 PART1:46分 PART2:46分)
ゲスト:柳田邦男氏(ノンフィクション作家)

 7年前の東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン事故は、放射能汚染によって多くの住民から故郷を奪った。避難指示区域は当初よりは縮小されたが、依然として帰還困難地域も多く残されている。また、除染が進んだことなどを理由に避難指示が解除された地域でも、政府が帰還を推進するのとは裏腹に、十分な社会インフラが回復していないなどの理由から、いまだに避難生活を余儀なくされている人も多い。事故から7年が経った今も、以前の姿に戻ったとはとてもいい難い状況が続いている。
 ノンフィクション作家で震災後、繰り返し被災地に足を運んでいる柳田邦男氏は、102歳で自ら命を絶った福島県飯舘村の男性を例に、生活の基盤を奪われた住民一人ひとりの人生に思いをいたすことの大切さを強調する。災害はとかく被害の規模が数値化されがちだが、その背後には数字だけでは測りしれない一人ひとりの物語がある。
 政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の委員もつとめた柳田氏は、その最終報告にある9つの論点のほとんどが、事故から7年が経った今も、積み残しになったままだと指摘する。特に「被害者の視点からの欠陥分析」の重要性が忘れられており、原発の安全基準でも専門家による技術的なことに重点がおかれたまま再稼働が認められていることに強い危惧を感じているという。数値化されるものしか考慮しなかった“想定外”ということ自体が誤りであったことを教訓としなくてはならないはずなのだ。
 原発事故が実際どれだけ多くの人に「人間の被害」を引き起こしたのか、その全容はいまだに明らかになっていない。事故当時小学校1年生だった子供は、仮設住宅からバスで1時間もかけて遠くの小学校に通い続け、そのまま卒業した。慣れ親しんだ自然豊かな故郷から切り離された子供時代を送らなければならなかったこの子供の受けた被害は無論、被害者の統計上の数値には反映されていない。
 あの悲惨な事故の教訓をわれわれは活かせているのか。事故の教訓を風化させないために今、われわれは何を考えなければならないのか。これまで多くの事故や災害の取材・検証に携わってきた柳田氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。

原子力規制委の安全基準は信頼できるのか

(第883回 放送日 2018年3月10日 PART1:45分 PART2:42分)
ゲスト:新藤宗幸氏(千葉大学名誉教授)

 この3月11日、日本は原発事故から7年目を迎える。
 放射能漏れの報を受け、着の身着のままで自宅から緊急避難したまま、未だ故郷に戻れない人の数は7万人を超え、事故を起こした福島第一原発の事故処理も依然として先が見えない手探りの状態が続く一方で、安倍政権は原発を貴重なベースロード電源と位置づけた上で、2030年のエネルギー需要に占める原発の割合を20~22%と規定し、原発の再稼働を着々と進めている。
 福島第一の事故原因も100%究明できたとは言えない状態の中で、原発の再稼働にお墨付きを与えているのが、事故後、「独立した立場」から原発の安全性を評価するために設置された、原子力規制委員会と呼ばれる行政機関だ。法的には環境省の外局という位置づけにあるため、完全に独立した行政機関とは言えないが、とは言え国家行政組織法3条に基づく、いわゆる3条委員会であり、政府からの一定の独立性が保障されていることになっている。
 そもそも原子力規制委員会は、事故前の原発の安全性が「原子力安全・保安院」と呼ばれる経済産業省の一部局によって審査されていたことの反省の上に設立されている。経産省は安全・保安院を通じて原発の安全性を審査する一方で、エネルギー産業を所掌し、原発を推進する官庁でもあった。一つの組織がアクセルとブレーキの両方の機能を任されるという、本来はあり得ない体制の上に日本の原発は運営されていたために、結果的に、絶対に事故を起こしてはならないはずの原発の安全基準が、極めて杜撰なものとなり、人類史上最悪の原発事故を引き起こしてしまったというのが、その反省の中身だった。
 その反省を受けて、事故後の原発行政の最大の課題は、いかにして政府から独立した中立的な機関によって、原発の安全性が審査される体制を作るかにあった。
 原子力規制委員会は国家行政組織法3条に基づく3条委員会として一定の独立性と中立性が担保されているという触れ込みで発足していた。しかし、5人の委員から成る委員会の委員の人選において、原子力産業の受益者は本来、委員になる資格がないことが法律に明記されているにもかかわらず、当時の野田政権は別途ガイドラインなるものを作成し、5人のうち3人の委員について、原子力業界に深く関連した組織に所属していた人物を採用してしまった。
 しかも、野田政権を引き継いだ安倍政権は、原子力産業と縁の薄い残る2人の委員を僅か2年で交代させ、代わりに原子力産業の重鎮を新たに委員に任命するなど、委員会は当初の「独立」や「中立性」とはほど遠いものへと変質していってしまった。
 当初、活断層の上に設置された原発の再稼働は認められないと主張し、原発の再稼働に厳しい立場を取った地震学者の島崎邦彦氏も、そうして交代させられた委員の一人だった。
 行政学が専門の新藤宗幸千葉大名誉教授は、原子力規制委員会の独立性は名ばかりで、実際は政府の原発継続にお墨付きを与えるだけの御用委員会になっていると指摘する。
 実際、安倍政権が掲げる、2030年のエネルギーの20~22%を原発で賄う計画を実現するためには、原発30基の再稼働が不可欠となる上、12基程度の原発は、規制委が自ら設定した40年の耐用年数を60年に延長しなければ実現ができない。
 新藤氏は、規制委は一見、中立的な立場から技術論を展開しているように見えるが、最初から結論ありきの議論をしているに過ぎないと考えるべきだと語る。
 現在の安全基準の中に避難計画の評価が含まれていないことも、免震重要棟など今回の事故で重要性が明らかになった施設の設置については5年間の猶予を与えたことも、いずれも「最初から結論ありき」から来ているものだと言う。そうしなければ、原発の再稼働はできないし、20~22%のベースロードも実現が不可能になるからだ。
 なぜ日本は政治から真に「中立」で「独立」したチェック機能を持った独立行政委員会を作ることができないのか。どうすれば、日本でも国民の信頼に足る規制機関を作ることができるのか。政府から独立、中立的とは言えない原子力規制委員会がお墨付きを与えた原発の再稼働を、われわれはどう受け止めるべきか。行政のあり方に厳しい意見を投げかけ続けてきた新藤氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

政治をお笑いネタにして何が悪い

(第884回 放送日 2018年3月17日 PART1:1時間12分 PART2:45分)
ゲスト:村本大輔氏(ウーマンラッシュアワー)

 「日本では国のことを話す時、みんな人が変わるんですよ。そんなに揺るがされることが怖いんでしょうか。」
 そう語るのは、昨年末にフジテレビの演芸番組『THE MANZAI 2017』に登場し、漫才のネタの中に、原発や沖縄の米軍基地問題といったデリケートな政治問題を真正面から取り上げて大きな話題を呼んだお笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔氏だ。
 村本氏は話題となったTHE MANZAI 2017の出演後も、元旦に放送されたテレビ朝日の朝まで生テレビに出演し、「殺されるくらいなら、尖閣諸島なんて中国にあげてしまえばいい」などと発言して、物議を醸し続けている。
 いわゆる識者や政治の専門家たちは、そういう村本氏の発言を「勉強不足」だの「非常識」だのと揶揄する人が多い。しかし、その一方で村本氏の疑問が国際政治や日本社会が抱えるもっとも基本的な矛盾点を突いているため、答えに窮した識者たちが逃げ口上として上から目線の反応を示している面も少なからずある。村本氏のあまりに基本的な問題意識は、日頃われわれが知らず知らずのうちに「所与のもの」としている「前提」を揺るがしていることもまた事実なのだ。
 それが村本氏の冒頭の発言につながっている。村本氏は朝まで生テレビの中である識者から「小学校から学び直せ」とまでバカにされ、罵倒されたと苦笑する。
 とはいえ日本では長らく、お笑いの世界で政治ネタや時事ネタはタブーとされてきたことも事実だ。要するに、政治や時事問題に関わるネタは「重くて笑えない」というのが定説のようだ。実際、芸能人が下手に現行の政権やその政策を批判などをしようものなら、「干される」のは必至だと考えられ、実際に干された人も少なからずいる。
 一方、海外ではコメディアンたちが毎晩のように政治をネタにした番組が流され、人気を博している。コメディアンたちが政治問題や社会問題を面白おかしく切ってくれるおかげで、あまり時事問題に興味がない人たちも、世の中で何が起きているかを知ることができている面が多分にある。
 大統領選挙のたびに著名な俳優たちはこぞって支持表明をする。先の大統領選挙におけるロバート・デニーロやメリル・ストリープらのトランプ批判は世界中の注目を集めた。
 日本の芸能界でなぜ政治ネタが強く忌避されるのかについては、きちんと考えてみる必要があるだろう。しかし、理由は何にせよ、政治ネタが嫌がられる日本のお笑いの世界にあって、村本氏はあえてその領域に切り込むことを選んでいる。そして当然の結果として、その動きはこれまで、政治意識は高いがお笑いにはそれほど関心がなかった人々からの強い支持を得る一方で、一部からは強い反発も生んでいる。
 ところが村本氏が反発を生んだり叩かれてまで漫才のネタに政治を取り入れる理由は、意外なものだった。
 「僕自身は正直、日本のためとかはどうでもいいと思ってるんです。福井県で最下位だった高校中退の僕が、お笑いの世界で頑張って、今や石破茂さんまでが、僕と話したいと言ってくれるようになった。僕が頑張れば周囲はそれを見てくれる。僕はそれでいいんです。」
 村本氏の口からは、正義感だの市民意識だのといった大仰な言葉は決して出てこない。例えば原発ネタについても、自身が原発の街、福井県大飯町出身の村本氏は、子どもの頃から感じていた「この電気はどこに行ってるんだ」という素朴な疑問をネタにしただけだという。沖縄の基地問題にしても自衛隊にしても日米関係にしても、普通の人が普通に話を聞いたら「変だ」と感じることを、やや皮肉を込めてネタにしているだけで、それ以上でもそれ以下でもないと村本氏は言う。
 これからは人種問題やテロの問題、国際紛争なども新たにネタに組み込んでいきたいと抱負を語る村本氏は、同時に活動の場を海外にも求めていくことを計画している。実際、今年に入ってから1ヶ月間休みを取り、ロサンゼルスの英語学校の集中英語講座に通い、帰国したばかりだ。
 ロスでは英語学校に通う合間に現地のスタンドアップコメディ・シアターに通い、帰国間際に自ら飛び入りで英語の一人漫才に挑戦している。番組の中でその時の映像も見たが、英語発音には苦労しながらも、鉄板のアジア人下ネタを披露し、しっかり現地の人々の笑いを取っている。
 この先、日本で村本氏の政治ネタ漫才が支持を拡げるか、ウーマンラッシュアワーに続く時事ネタ芸人が登場するかどうかはわからない。また、村本氏のアメリカ進出が成功するかどうかも、現時点では未知数だ。しかし、少なくとも村本氏が芸人としてこれまで日本では長年タブーとされてきた分野に真正面から切り込むことで、日本のお笑いや芸能界のあり方に一石を投じていることだけは間違いない。
 日本ではお笑いや芸能人として一定の成功を収めた人は、テレビのCMに出ることで大きな収入を得るのが、定番になっている。芸能の世界で得た名声を、特定の企業や商品の売り上げのために切り売りすることは恥ずかしいことではないが、それを政治の意見表明のために使った瞬間に芸能界では「干される」のが日本だ。欧米では、著名な芸能人が幅広い社会問題について政治的な意見表明をするのが当然視される一方で、CMに出るようでは芸能人としては終わり、とされている欧米のとは対照的だ。
 村本氏のやや型破りな挑戦が、これから先、日本のやや特異なショービジネス文化にどのような影響を与えるかは、今後も注目していきたい。
 アメリカから帰国したての村本氏に、政治ネタに挑み続ける理由や、アメリカで見てきたものなどについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

なぜ官僚はそこまでやるのか

(第885回 放送日 2018年3月24日 PART1:55分 PART2:52分)
ゲスト:中野雅至氏(元厚労省官僚・神戸学院大学教授)

 昨年来国会を紛糾させてきた森友学園問題が、ここに来て官僚制度、ひいては日本の民主主義の根幹を揺るがす重大な事態に発展している。財務省が決裁後に改竄された嘘の文書を国会に提出していたことが明らかになったからだ。来週には当時の責任者だった財務官僚の証人喚問が予定され、麻生財務相の辞任も時間の問題と見られるなど、大政局の様相を呈し始めている。
 しかし、それにしても、当初は大阪の一学校法人に対する国有地の不透明な廉売問題だったはずのこの問題がなぜ、ここまで大きな政治問題となってしまったのか。その根本原因は、森友学園に対する明らかに特例的な国有地の払い下げについて、政府が明確な説明ができなかったところにある。
 この問題は既に一年以上にわたり、国会やメディア上で取り上げられてきたが、今日にいたるまで、破格の条件で国有地が払い下げされた本当の理由は、ほとんど何も明らかになっていない。安倍首相夫人が建設予定の小学校の名誉校長を務めていることを知った官僚が、独自の判断で特例的な割引を行ったとする「忖度説」が取り沙汰されることが多いが、実際に首相サイドから秘書官などを通じて何らかの打診が行われていた可能性も否定できない。官邸で首相夫人付の職にあった経産省の谷査恵子氏と森友学園の籠池泰典理事長、財務省理財局との間で土地の払い下げの条件を巡るファックスのやりとりがあったことまでは明らかになっているからだ。
 誰かが勝手に忖度したのであれば、誰がどの段階で何のために忖度をしたのかを明らかにすればいいだけの話だ。また、実際に何らかの指示や口利きがあったのであれば、それを究明すればいい。しかし、安倍首相は自らの関与が無かったと言い張るだけで、政府として事実関係の調査をしようとしないため、いつまで経っても疑惑は疑惑のまま燻り続けてしまうのだ。
 結局、事の真相は今後の国会の証人喚問や検察の捜査を通じて明らかになることを期待するしかない。しかし、いずれのシナリオにおいても、一つ大きな疑問が残る。それは、なぜ天下のエリート官僚たちが、不正を働いてまで不正な土地取引に手を貸し、嘘の証言を行い、挙げ句の果てにそれを糊塗するために文書の改竄まで行ってしまうのかということだ。
 首相官邸側から明確な指示や打診があったのであれば、それに従うのはやむを得ないことかもしれない。しかし、もしそれが事実だったのであれば、なぜ官僚たちは嘘をついてまで政権を庇おうとするのか。また、官邸から指示がなく、単なる忖度の結果だったのであれば、なぜそれを認めることができないのか。いや、そもそもなぜ、何のために、そのような忖度をするのか。それは忠誠心のなせる業なのか。あるいは、どこかで何か別の原理が働いているのか。
 一般的には内閣人事局制度などで政権に人事を握られたことで、官僚、特に幹部官僚たちは官邸の意向には逆らえなくなっていると指摘されることが多い。そのような要素が多少なりともあったことは否定できないだろう。
 しかし、元厚生労働省の官僚で、その後大学教授に転身して官僚制度に関する研究を続けている神戸学院大学の中野雅至教授は、内閣人事局制度が導入される以前から、「いかに政治にうまく胡麻をするか」が官僚に求められる基本的な能力だったと指摘する。もっとも、かつて官僚が政治に胡麻をするのは「省益」のためだったが、内閣人事局制度などが導入され、政治の優位性が顕著になってからは、省益を度外視してでも政治の意向に従わざるを得なくなっていると、中野氏は言う。
 最近の官僚の国会答弁についても中野氏は、「官僚に余裕がなくなっている。昔はもっとしたたかに処理していた。省益にこだわっている場合ではなくなっているのだろう」と見る。
 古くはロッキード事件やリクルート事件に端を発する「政治とカネ」の問題や、大蔵省ノーパンしゃぶしゃぶスキャンダルなどを経る中で、われわれは「政治家個人から政党へ」そして「官僚から首相官邸へ」と、意図的に権力をシフトさせてきた。内閣人事局制度の他にも、政党助成金や小選挙区制の導入、内閣府という強大な権力を作った省庁再編、党や官僚の頭越しに首相官邸が予算や重要政策の枠組みを決定する経済財政諮問会議や規制改革推進会議、NSCの創設等々、これまで官僚機構や党や党の族議員の間に分散していた莫大な権力を、何年もかけて首相官邸に集中させてきたのが過去30年の日本の政治の歴史だった。
 その流れの中で官僚の立場や行動原理も大きく変わった。森友事件で財務官僚が取った一連の行動の中には、正義感や使命感といった倫理観はもとより、国家観や省益を守ろうとする意思すら感じ取れない。名門大学を卒業し、優秀な成績で国家公務員の職に就いた官僚たちが、その能力を政治への忖度や胡麻すりのためにすり減らしているとすれば、何とも勿体ない。少なくとも現在の官僚制度のあり方が国益に資するものになっているとは、とても言えないのではないだろうか。
 森友問題で露わになった官僚の不可解な行動の背景について、自身が官僚出身の中野氏に、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の西田亮介が聞いた。

5金スペシャル
「真実の瞬間」への備えはできているか

(第886回 放送日 2018年3月31日 PART1:1時間3分 PART2:1時間18分)

 マル激では恒例となった、その月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。今回は映画特集として「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」、「ザ・シークレットマン」、「15時17分、パリ行き」の3本の洋画を取り上げた。
 日本では今週公開された「ペンタゴン・ペーパーズ」は、言わずと知れた1970年代初頭の機密文書流出事件を、巨匠スピルバーグが描いた作品。舞台となるワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハム役をメリル・ストリープが、ベン・ブラッドリー編集主幹役をトム・ハンクスの2人の大御所が務めている。
 映画では、内部告発者からベトナム戦争が大義無き戦争であることを露わにする機密文書「ペンタゴン・ペーパー」を入手したワシントン・ポスト紙の社主や経営陣、編集幹部らが、国家機密漏洩の罪に問われ、場合によっては社を倒産に追い込む恐れがある中で、報道機関として国民の知る権利に応え、記事を掲載すべきかどうかの葛藤に激しく揺さぶられる様がビビッドに描かれている。
 この事件は結果的に、記事の掲載に踏み切ったワシントン・ポストは罪に問われることはなく、内部告発したダニエル・エルスバーグ博士も、政権側の失態によって刑事罰を逃れたハッピーエンドで終わっている。また、この文書の内容が報道され、歴代の政権の嘘が露わになったことで、ベトナム戦争に対する国民の反戦機運が一気に高まり、その後ほどなくアメリカはベトナムからの撤退を余儀なくされている。その引き金となったのが、このペンタゴン・ペーパーだった。
 実は流出したペンタゴン・ペーパーの中身が最初に報道された1971年6月、時を同じくして日本でも政府の機密が報道される事件が起きていた。毎日新聞の西山太吉記者による沖縄密約報道だ。これは沖縄返還に際し、米軍が撤退した跡地の原状回復費を実際は日本側が負担することで米政府と合意しておきながら、当時の佐藤栄作政権は国民や国会にはアメリカ側が負担していると嘘をついていたことをすっぱ抜いたものだった。国家機密の流出によって、時の最高権力者の嘘や政権ぐるみの陰謀を暴いたという意味では、この報道もペンタゴン・ペーパーに勝るとも劣らない大スクープだった。
 ところが日本では、西山氏に機密文書を渡した外務省の女性事務官と、それを元に記事を書いた西山氏が、国家公務員の守秘義務違反で逮捕されてしまった。しかも、西山記者に対する起訴状の中で検察は、西山氏が女性事務官と男女の関係にあったことを殊更に強調したために、その瞬間にこの事件は「政府が国民を騙した国家犯罪」から、ケチな下半身スキャンダルへと様変わりをしてしまった。
 事件のスキャンダラスな報道がワイドショーや週刊誌で連日報じられ、西山氏や毎日新聞に対する世論の風当たりが強まるにつれ、政府の嘘を批判する報道はメディアから姿を消していった。結果的にこの事件では西山氏と事務官の女性が有罪判決を受け、西山氏は毎日新聞からの退職に追い込まれているのに対し、国会や国民に嘘をついていた佐藤首相や福田赳夫外相らは何の罪にも問われていない。そればかりか、佐藤氏はその後ノーベル平和賞を受賞し、福田氏はちゃっかり首相の地位にまで登り詰めている。
 映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を見ると、日米でほぼ同時期に起きた機密文書の流出事件とメディアによる国家陰謀のすっぱ抜きが、なぜかくも異なる経過を辿ることになったのか、その理由を考えずにはいられない。
 映画「ザ・シークレットマン」はジャーナリスト出身で最近では「パークランド」「コンカッション」などの社会派映画で知られるピーター・ランデスマン監督による、ウォーターゲート事件の内幕を描いた作品。
 ワシントンのウォーターゲートビル内にある民主党全国委員会本部に、盗聴器を仕掛けるために不法侵入した5人組が逮捕されたことに端を発するウォーターゲート事件が、最終的にアメリカ史上初の大統領の辞任にまで繋がった背景に、ワシントン・ポストの報道があったことはつとに有名だが、その報道の情報源だった人物が、この映画の主人公で当時FBIの副長官だったマーク・フェルトだった。
 ワシントン・ポストのウッドワード、バーンスタインの2人の記者は、情報源となった「ディープ・スロート」の名前は、その人物が死亡するまで明かさないと約束していると主張し、公表を控えていたが、フェルト自身が亡くなる3年前の2005年に、自分が情報源だったことを名乗り出ていた。
 この映画ではFBIに生涯の忠誠を誓う典型的な組織人のフェルトが、フーバー長官の死後、FBIをニクソン政権の介入から守るために戦う中で、最後の手段としてワシントン・ポストに捜査情報を流した様が克明に描かれている。結果的にフェルトの意図した通りニクソンは失脚に追い込まれ、FBIはニクソン政権の介入を防ぐことに成功したわけたが、これを政治と官僚の権力闘争において、官僚が官僚として知り得た特権的な情報を使って政権の追い落としに成功した事例だったと考えると、フェルトの行動を手放しに讃えていいかどうかについても一考が必要になるだろう。
 恐らくこれは現在の日本の政治状況にも通じる問題だ。官僚は常に組織防衛を最優先するがゆえに、官僚にとっては予算の獲得と人事が常に最大の関心事となる。マックス・ウェーバーも指摘するように、官僚がそのように動く生き物であることは、最初から分かっていることだ。しかし問題は、官僚がそのように動くことによって、結果的にシステムが国民の利益に繋がるようなアーキテクチャー(制度設計)ができているかにある。
 フェルトは個人的には、必ずしも正義感や公共心からではなく、FBIという組織を守りたい一心から捜査情報をワシントン・ポストにリークしたが、その行為によって結果的に大統領の犯罪をあぶり出すなど正義が貫徹され、国民の多くが、最高権力による犯罪に対する備えが不十分だったことを理解するなど、多くの公共的な利益を生み出している。しかし、もしも制度設計がしっかりしていなければ、それぞれの官僚が利己的な組織防衛に動くことが、国民全体に大きな災禍をもたらす可能性もある。
 今回の3本目は「15時17分、パリ行き」。マル激の5金映画特集で何度も取り上げてきたクリント・イーストウッド監督による最新作だ。
 これは実際に起きた事件の当事者の3人が主役を務めるという珍しいキャスティングの映画だが、社会の中で必ずしも勝ち組とは呼べない素朴な人生を生きてきた3人の若者が、無邪気にヨーロッパ旅行を楽しむ中で、たまたま乗車した列車が無差別テロの標的にされるという実話に基づいている。ちょっとナイーブな普通の若者がたまたま遭遇した「真実の瞬間」にどのような行動を取ったかを描くために、その若者たちのその日に至る人生の歩みが、生い立ちから延々と描かれている。
 何をやってもうまくいかなかった主人公のスペンサーが、テロリストに銃口を向けられた瞬間にとった咄嗟の行動が、実はそれまでの人生が回り道をした部分も含めすべて、その瞬間のためにあったと思わずにはいられない、そんな映画だ。「運命」と置き換えてもいいのかもしれない。
 それは「ペンタゴン・ペーパーズ」でワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハムが、機密情報の記事を掲載するかどうかのギリギリの決断を迫られた瞬間や、「ザ・シークレットマン」でFBI副長官のマーク・フェルトが、ニクソンからウォーターゲート事件の捜査の打ち切りを命じられた「真実の瞬間」、彼らが何を考えどう行動したかと通じるものがあるように思えてならない。
 この3本の映画を見て感じたことや考えたことを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

公文書隠して国滅びる

(第887回 放送日 2018年4月7日 PART1:53分 PART2:43分)
ゲスト:瀬畑源氏(長野県短期大学准教授)

 森友学園問題や加計学園問題は大きな政治問題となり、安倍政権の支持率の急落をもたらすなど、今後の政局に大きな影響を与えている。憲法改正の発議だの安倍3選だのといった、一度は既定路線のように語られていた政治日程は、根本から見直しを強いられているといっていいだろう。
 しかし、これが、権力がいかに行使されたかを検証するための公文書がきちんと保存されていなかったという国家の根幹にかかわる大問題であり、例えば安倍政権が退陣すればいいというような一政権だけの問題ではないことは、いま一度確認が必要だろう。
 言うまでも無く日本は民主国家であり、国民が主権者だ。その国民が選挙を通じて政治に政府の運営を負託し、国民から政府を運営するための権限(権力)を負託された政治は、きちんと官僚をコントロールして正しく政府を運営する責任を国民に対して負っている。
 政府がどのように運営され、その過程で国民が政治に負託した権力がどのように行使されたかが、後世にも検証可能な形で記録されているのが、他でもない公文書だ。国民は公文書だけが、政府が正統に運営され、権力が正しく行使されているかどうかを確認するための手段となる。
 今回はたまたま、森友学園という大阪の学校法人に対して小学校設立のための国有地の払い下げの過程で、通常では考えにくい値引きが行われていたことが明らかになり、特に首相夫人がその学校の名誉校長を務めていたことなどから、不当な政治権力が行使された疑いが持たれることになった。
 本来であれば、この疑惑を晴らすのはいたって簡単なことのはずだった。国有地払い下げの過程でどのような交渉が行われ、誰がどのような理由で8億円もの値引きを決裁したのかを説明する公文書がきちんと保存されていれば、それを参照すればいいだけの話だったのだ。
 ところが、単に一学校法人に対する国有地の払い下げが正当なものだったことを裏付ける公文書が、一向に出てこなかったのだ。当然、疑惑は深まる。国会での野党の追及も厳しくなる。また、そうこうしている間に、本来は存在しないはずの文書が、リークなどによってボロボロと出てくる。その過程で野党の追及に辟易とした首相が、「自分や妻が関わっていれば総理も議員も辞める」などと言い放ってしまったから、さあ大変。払い下げの当事者となった財務省は、ついに決裁文書の改竄という、最悪の禁じ手にまで手を染めることになってしまった。
 今回は問題が表面化してからの政府の対応があまりにも杜撰で、話がどんどん膨らんでいってしまったために、そもそもどこに問題があったのかが見えにくくなってしまった。公文書が改竄されるに至っては、改竄の事実の方が問題の中心になってしまった感さえある。そもそもこれはどういう問題で、どこに本質的な問題があるのかをしっかりと押さえておかないと、今後も国会の政治劇やメディアのニュース娯楽劇に翻弄されてしまいかねない。
 日本は2011年4月1日から施行されている公文書管理法という立派な法律がある。まだまだ細かい点で改善を必要としているが、「行政機関の職員が職務上作成し、組織的に用いられている文書はすべて公文書として保存されなければならないようになっている。また、日本には2001年に施行された情報公開法という立派な法律もある。それらがしっかりと守られていれば、国有地の払い下げや学校の認可のような癒着や腐敗が起きやすい意思決定は、すべて記録が保存されていなければおかしい。
 公文書問題に詳しい長野県短期大学の瀬畑源准教授は、政府内では公文書管理法が骨抜きにされていると言う。なぜならば、各省が独自に公文書管理のガイドラインを勝手に設け、法律の条文を恣意的に狭く解釈するなどによって、無数の抜け穴を作っているからだ。
 例えば森友学園への国有地の払い下げの場合、財務省は「引受決議書」や「売払決議書」は30年の保存期間を定めている。しかし、それはあくまで最終的な決定文書だけが対象で、そこに至る交渉過程などは「歴史的に重要ではない」との理由から、原則1年未満で処分することが、財務省自身が作成した細則で定められているのだ。
 これは、国有地の売却問題では政治家の口利きが日常的に行われていて、財務省はガイドラインや細則といった自ら決定したルールに則りながら、不適切な払い下げの証拠抹殺をルーティンワークにしていた可能性の存在を示唆していると瀬畑氏は指摘する。このような杜撰で恣意的な公文書管理体制の下では、森友学園問題は巨大な氷山の一角だった可能性が高いのだ。
 公文書は単に不正が行われていないことを確認するためだけにあるのではない。ある時点での政策決定や権力行使の過程を、歴史上のできごととして後世に検証したり研究するためには、公文書が正しく保存されていることが必須だ。恣意的な判断で公文書が廃棄されている現状のままでは、日本の歴史にぽっかりと大きな穴が開いてしまったも同然だ。
 日本は数々の疑獄事件や官僚の不祥事などを経る中で、「政治改革」の名の下に、政府、とりわけ首相への権力の集中を進めてきた。小選挙区制や政党助成金、内閣人事局制度などは、いずれも首相に権力を集中させることを目的としていた。そうして自民党の派閥や大ボス、族議員、官僚の影響力を削ぐことで、首相がリーダーシップを発揮しやすい環境を作り、激動する世界情勢によりスピーディーに対応することが可能になる、という話だった。
 確かに権力の集中は行われたが、どうやらわれわれは集中した権力をチェックする機能を強化する作業を怠ってきたようだ。肥大化した権力は、官僚の中の官僚と言われ、エリートの名を欲しいままにしてきたあの財務省が、首相を守るためには公文書の改竄などという犯罪行為に手を染めることさえ厭わないほど、強く怖い存在になっていた。
 肥大化した権力に対するチェック機能を回復させるためには、まず一丁目一番地として、厳格な公文書管理と情報公開が不可欠だ。それが各省の内規によって簡単に抜け穴が作られたり歪められ、官僚が公文書管理法や情報公開法に違反をしても罰則がないというような現状では、真っ当なチェック機能が働くわけがないではないか。
 政治の質が低いと公文書管理や情報公開が杜撰になるというが、本来その話は逆だ。罰則を厳しくしたり外部監査を導入するなどして、政府が公文書管理や情報公開を徹底せざるを得ない状況を作れば、政府はそれに見合ったレベルの政治を行わざるを得なくなる。
 「大山鳴動して政権一つが倒れる」だけでは、何の解決にもならない。今こそ、問題の根っこにある公文書管理の問題点を再検証すべく、日本で数少ない公文書の専門家の瀬畑氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

観察映画に描かれた日本とアメリカの今とこれから

(第888回 放送日2018年4月14日 PART1:1時間16分 PART2:1時間11分)
ゲスト:想田和弘氏(映画監督)

 「観察映画」というジャンルがあるのをご存じだろうか。
 実在する人物が登場するという意味ではドキュメンタリー映画の一種だが、通常のドキュメンタリーと異なり、「事前のリサーチなし」「打ち合わせなし」「台本なし」のないないづくしに加え、撮影や編集も監督自身が一人で行うというのが、「観察映画」の基本だという。
 この独特の手法で『選挙』、『精神』、『Peace』、『牡蠣工場』などの作品を世に問うてきたのが、ニューヨーク在住の映画監督、想田和弘氏だ。
 6月9日に日本で公開予定の『ザ・ビッグハウス』は想田監督の最新作で、アメリカの大学のフットボールを扱った作品だ。タイトルの『ザ・ビッグハウス』というのは、多くのスポーツの分野で全米屈指のリーグを形成している「ビッグ10」の強豪ミシガン大学が本拠を置くフットボール場『ミシガン・スタジアム』の愛称だ。
 アメリカン・フットボールを取り上げた作品ではあるが、『ザ・ビッグハウス』にはフットボールの試合は全くと言っていいほど出てこない。この映画は毎週10万人を超える観衆が集まるこのスタジアムで何が繰り広げられているかを、17台のカメラでスタジアムの隅々まで徹底的に追いかけ、記録している。そこには、準備に追われる警備員や夥しい量の食材を扱う厨房、出番まで待機する何百人ものマーチング・バンドやチアリーダーたちの舞台裏の緊張した表情、試合で傷ついたヘルメットの一つひとつにペイントを塗り直すロッカールームの裏方などなど、フットボールの試合以外の全てが記録されている。
 トランプ大統領を生んだ2016年大統領選挙の直前となる10月末に撮影されたこの作品には、地元の大学のフットボールチームの成績に一喜一憂する人々が無数に登場する。彼らは一見、トランプの躍進に揺れる激動の政治情勢やその背景にあるアメリカの深刻な問題とは無縁の存在のように見える。しかし、一つひとつの場面をより注意深く「観察」してみると、そこには人種問題や貧富の差、飲酒問題、現状に不満を持つ白人層の存在などが、しっかりと捉えられている。そもそも大統領選挙直前のこの時期に、市の人口を上回る数の人が、全身全霊を懸けて大学フットボールに熱狂している様は、アメリカの地方都市特有の豊かさと同時に、アメリカの病理を反映していると見ることができる。
 一方、現在公開中の『港町』は、想田氏自身が岡山県の小さな漁村に泊まり込みながら、その地の人々との触れ合いを描いた作品だ。全てがスーパーサイズだった『ザ・ビッグハウス』とは対照的に、過疎の村でゆっくりとした時間が流れる。これもまた、よく観察眼を凝らして映像を見ると、一見、過疎の村の素朴な人々との触れ合いを描いているように見えて、そこには崩れゆく日本の伝統的な共同体の様や、長い時間をかけて形成された生産(漁業)と生活の持続可能なサイクルの崩壊が、見事なまでに映し出されている。
 一つひとつのカットが長く、ナレーションもテロップ(字幕)もBGMもない想田氏の観察映画は、制作者側の視点や価値観を押しつけてはこない。しかし、その映像は否が応にも見る者に多くのことを考えさせる。
 「選挙」、「牡蠣工場」などの観察映画で知られる想田氏が『ザ・ビッグハウス』『港町』を通じて描こうとしたものは何だったのか。観察映画の制作者の目には、現在のアメリカや日本の政治・社会状況はどのように映っているのか。ニューヨークから一時帰国中の想田氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、想田映画に描かれた日本とアメリカの現状と未来について議論した。

金正恩の外交攻勢の真意を探る

(第889回 放送日 2018年4月21日 PART1:55分 PART2:56分)
ゲスト:宮本悟氏(聖学院大学政治経済学部教授)

 今日のテーマは今、国際論壇で話題となっている「シャープパワー」。
 北朝鮮の外交攻勢が止まらない。
 ついこの間まで国際社会を挑発するかのように核実験やミサイル発射実験を繰り返し、アメリカとの間で一触即発の緊張状態にあった金正恩が、平昌五輪への参加を機に態度を軟化させ、トランプ大統領と朝鮮半島の「非核化」について話し合う意向まで示している。4月21日には一方的に核実験とICBMの発射実験の中止を発表するなど、ついこの間までトランプ大統領と罵り合いを繰り広げていたことが、まるで嘘のようだ。
 北朝鮮の内情に詳しい聖学院大学の宮本悟教授は、北朝鮮が対話路線に転じたこと自体は、さほど驚くことではないと指摘する。金正恩委員長は2015年から「新年辞」と呼ばれる新年の政策方針で、韓国との話し合いの意向を示してきたからだ。
 とはいえ、北朝鮮が南北首脳会談のみならず、米朝首脳会談まで受け入れた背景には、韓国の文在寅政権の役割が大きいと宮本氏は言う。北朝鮮が核やICBMの開発を続ければ、いずれ米国との間で軍事衝突に発展することが避けられない。その場合、韓国にも甚大な被害が及ぶため、韓国としてはそれだけは何としても避けたい。文在寅政権は韓国が独自に北朝鮮に「非核化」を受け入れさせることは困難であるという現実を受け入れ、米朝の話し合いを仲介する道を選んだ。
 一連の外交攻勢の結果、来週の南北首脳会談に続き、5月から6月初旬には史上初の米朝首脳会談が予定され、朝鮮半島の「非核化」が本格的に話し合われることになる。米朝の首脳がサシで会い朝鮮半島の「非核化」を議論することが本当に実現すれば、正に歴史的なイベントになるが、この「非核化」が何を意味するのかについては、依然として不透明な部分も多い。北朝鮮は在韓米軍の撤退までは求めない意向を明らかにしているが、かといって北朝鮮が一方的に核やミサイルを放棄することは考えにくい。
 金正恩の真の狙いはどこにあるのか。もし首脳会談で米朝関係が好転すれば、朝鮮半島の統一は進むのか。北朝鮮の真意や今後の見通しを、気鋭の朝鮮半島ウオッチャーの宮本氏にジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

なぜフェイスブックがここまで叩かれるのか

(第890回 放送日 2018年4月28日 PART1:1時間 PART2:56分)
ゲスト:塚越健司氏(社会学者、拓殖大学非常勤講師)

 世界最大のSNSサイト、フェイスブック(Facebook)が激しい批判に晒されている。
 フェイスブックについては昨年来、トランプが勝利した2016年の大統領選挙でフェイクニュースの拡散に悪用されるのを防げなかったことなどが批判を招いていたが、ここに来て大量の個人情報の流出が発覚したことで、今やマスメディアを遙かにしのぐ世界最強の情報インフラの地位を獲得したフェイスブックのあり方が、ついに政治問題化するに至っている。4月10日、11日の両日、マーク・ザッカーバーグCEOが議会の公聴会に呼ばれ、上下両院議員から厳しい追及を受けた。
 著名人の間でもフェイスブックのアカウントを削除する動きが活発化しており、SNS上ではフェイスブックのアカウント削除を呼びかける「#DeleteFacebook」のハッシュタグが飛び交っている。
 こうした状況を受けて、個人情報流出が報道されて以降の同社の価値は一時株価にして15%、時価総額では800億ドル(8兆5千億円)あまり急落した。
 日本ではそれほど爆発的な支持を得ていないので今ひとつ実感が湧かないかもしれないが、世界で月間ユーザー数22億人、1日のユーザー数も12億人を超えるなど、もはや世界一の巨大な情報インフラとなったフェイスブックから個人情報が流出した事件は確かに深刻だ。しかも今回の情報流出が8700万人という膨大な量になった理由は、「This is your digital life」と呼ばれる心理テストのアプリを利用した30万人の個人情報に加え、そのユーザーが友達登録している人の個人情報まで一緒に流出していたためだった。ユーザー自身が全くうかがい知れないところで、フェイスブック上の友達が何かにひっかかれば、自分の個人情報まで流出してしまう。これは「お友達のネットワーク」というフェイスブックが最大のウリにしている機能が仇となったという意味で、フェイスブックのビジネスモデルの根幹に触れる問題でもあった。
 確かに、月間ユーザー数で世界の3人に一人が利用するフェイスブックは、類を見ない巨大なサービスに成長した。しかし、とは言え、所詮は数あるSNSサービスの一つに過ぎないフェイスブックの問題が、なぜワシントンで政治問題化するまで深刻に受け止められているのだろうか。
 SNSやハッキングなどネット社会の問題に詳しい社会学者の塚越健司氏は、今回の情報流出にはフェイスブック側の過失もあったことを指摘した上で、今フェイスブックへの風当たりがここまで強くなっている背景には、単なる情報流出とは別次元の要素があると指摘する。
 そもそも今回フェイスブックから流出した情報も、フェイスブックが集めている個人情報も、すべてユーザー自らがフェイスブック側に提供している情報だった。ユーザーはフェイスブックにアカウントを作成する際やアプリをダウンロードする際に、そうした項目に同意している。プライバシー・アグリーメントなどと呼ばれるものだ。また、お友達の情報を第三者に提供するかどうかについても、各ユーザーに選択肢は委ねられている。
 しかし、小さな字で事細かくさまざまな条件が書かれたプライバシー・アグリーメントや、フェイスブックのサイトの様々な機能や設定を各ユーザーが読み解き、完全に理解することはほとんど不可能だ。
 結果的に気がつけば膨大な量の自身の個人情報のみならず、友達の情報まで自覚のないままフェイスブックや第三者に提供している可能性があるが、ユーザーはどれだけの個人情報が事業者側に蓄積されているかを確認することもできない。
 議会公聴会で必ずしもSNSやインターネットに詳しくない高齢の議員が、ザッカーバーグCEOに対し「今後こういうことができるようにしてもらえますか」と問い質したのに対し、ザッカーバーグCEOが「それは最初からできるようになっています」と答えるようなやりとりが、何度も繰り返された。ユーザーが「その気になればできる」かどうかと、現実的に誰もがその機能を「使いこなせる」ようになっているどうかは、別次元の問題なのだ。
 しかし、今回のフェイスブックの情報流出を機に、SNSと個人情報の問題にあらためて社会の関心が集まったことで、新たに色々なことがわかってきた。どうやらフェイスブック問題は、単なる情報流出やユーザーが細かいプライバシー・アグリーメントを読み切れない問題よりも、ずっと深刻なことになっているようだ。
 例えば、ザッカーバーグCEOは議会公聴会の議員とのやりとりの中で、フェイスブックがフェイスブック・ユーザー以外の情報も集めていることを認めている。これは、フェイスブックの「いいね」ボタンが設置されているサイトを閲覧すると、「いいね」をクリックしなくても閲覧に使ったパソコンやスマホに残る履歴などがフェイスブックのサーバーに自動送信される仕組みのことだ。フェイスブックは無自覚に個人情報をあげているユーザーやユーザーの友達のみならず、フェイスブックを利用していない人の情報まで様々な形で収集していたのだ。
 今、アメリカではフェイスブックが顔認識ソフトを使って投稿された写真から個人名を特定し、それを集積した他の個人情報と合体させることで、更なるターゲッティング広告の有効化に結びつけようとする動きが問題視されている。仮にアカウントを匿名にしていても、顔写真は名前以上に個人を特定する有効な手段となり得る。「インスタ映え」などと言って無防備に顔写真をネットにあげていると、知らないうちに膨大な量の個人情報が蓄積されてしまっている可能性がある。ちなみに日本で人気のインスタグラムもフェイスブックが保有するサービスだ。
 そして、こうした問題は決してフェイスブックに限ったことではない。ネット上ではサイト運営者によってユーザー側の情報が集められ、それが広告目的で利用されていることはもはや常識となっている。この「シャドー・プロファイル」は5年以上前から問題として指摘されているが、今のところ何の規制もなく野放しになっている。そして、そこで集められた情報が単なる広告・宣伝目的にとどまらず、個人の政治信条や投票行動にまで影響を与えていたことが指摘されているのが、2016年の大統領選挙だった。
 今回のフェイスブックの情報流出によって、期せずして社会から再認識されるようになったネット事業者の個人情報の収集とその再利用を、このまま放置しておいていいのか。その一方で、それを法律などによって制限することによって、これまで通りの利便性が享受できなくなることに、われわれは果たして耐えられるのか。ユーザー側の無防備さと、フェイスブック、グーグル、アマゾンなどほんの一握りの事業者が世界の人口の大半の個人情報を握ることの危険性などについて、新進気鋭の社会学者の塚越氏とジャーナリスト神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.87(871~880回収録)

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東京五輪を持続可能な大会にするために

(第871回 放送日 2017年12月16日 PART1:44分 PART2:47分)
ゲスト:花岡和佳男氏(シーフードレガシー代表)

 オリンピック・パラリンピックが単なるスポーツの祭典だと思っていたら大間違いだ。
 確かに、世界最高のアスリートたちが最高のパフォーマンスを競い合うオリンピックやパラリンピック(以下東京2020)は、スポーツイベントとしても世界中の人々を魅了するに十分なものがある。しかし、オリンピック憲章はその第1章で、「スポーツ」、「文化」と並び「環境」を「オリンピック・ムーブメント」の3つの柱の一つに据えている。オリンピック・パラリンピックは決して、単なるスポーツイベントではない。
 東京2020が世界から成功した大会として認められるためには、ロンドン大会以来守られてきた環境基準、とりわけ持続可能な資源調達の基準を守り、より高い水準に高めていくことが不可欠となる。
 ところが日本では、毎日のように五輪ネタがメディアを賑わせている割には、3本柱の一つである「環境」がとんと話題にのぼらない。五輪の招致委員会は五輪を招致するにあたり、わざわざ「環境を優先した東京大会」を掲げていた。しかし、現時点での東京2020の環境基準は、過去の大会と比べて大きく見劣りしているのが実情なのだ。
 五輪の持続可能性は4つの分野における資源の調達基準という形で評価を受ける。「水産物」と「農産物」、「畜産物」、「木材」の4分野だ。それに加えて紙とパーム油の2分野でも現在調達基準策定のための検討が進んでいるという。具体的には東京2020の組織委員会が各分野で調達の基準を定めた「調達コード」というものを策定し、そのルールに則って大会で使われる資源の調達が行なわれる。その基準を満たしていない事業者や物資は、東京2020で使うことができないことになる。
 調達コードがある4分野のうち「木材」以外は基本的に食材ということになるが、選手だけで約200ヶ国、約1万5,000人が集まる世界最大のイベントであり、オリンピック・パラリンピック大会期間中に約1,500万食(選手村だけで約200万食)以上の食料を調達しなければならないことを考えると、そこで作られた基準が今後のオリンピックのみならず、その後の世界の食料調達基準に与える影響は計り知れない。逆の見方をすれば、東京2020でこれまで守られてきた基準を壊してしまえば、東京大会は資源の持続可能性を破壊する悪しき伝統の起点という歴史上、不名誉な名を残すことにもなりかねない。東京2020の国際的な責任はいたって重大なのだ。
 4分野の一つ「水産物」で積極的な働きかけを行っているシーフードレガシー代表の花岡和佳男氏は、東京2020の大会組織委員会が定めた「持続可能性に配慮した水産物の調達基準」は、FAO(国連食糧農業機関)のガイドラインに準拠しない日本独自の認証方式(エコラベル)が認められたり、トレーサビリティの追求が甘かったりするなど、ロンドンやリオ大会が培ってきた国際基準から大きく後退していると残念がる。
 しかし、花岡氏は同時に、もし組織委がロンドン・リオと同水準の国際的に通用する調達基準を定めてしまえば、少なくとも水産物に関しては東京2020で調達される食材から国産の食材が一切排除されてしまいかねないと指摘する。要するに、日頃の日本国内の資源管理が、国際的に通用するものになっていないため、五輪だからといって急に国際基準を導入しようものなら、到底遵守できないようなものになってしまうというのだ。そのため組織委が定めた調達基準は、日本の実情に合わせて基準を下げているのが実情だという。
 東京で五輪が開催されるとなると、五輪関係者ならずとも、お寿司や新鮮な魚を楽しみにしてくる人も多いに違いない。ところが、もし今の日本でまともな国際調達基準など定めようものなら、五輪で提供される水産物のほとんどが輸入食材になってしまうというのでは、確かに洒落にならない。
 花岡氏は日本政府が日頃から水産資源の資源管理を蔑ろにしてきたことのツケが、いざ五輪開催となった時に大きく回ってきた形だと指摘するが、同時に無理なものは無理なので、高望みをするよりも、五輪を機に少しでも日本の資源管理のあり方を国際的に通用する基準に近づけていくことが重要だと語る。
 実際、日本政府は資源管理を各地域の漁協に任せてきたこともあり、日本の水産資源管理は持続性を確保できていない場合が多い。背景には地域漁協の自治という日本独特の伝統や、補助金とリンクした政治的にデリケートな問題があるのも事実だろう。しかし、そうこう言っているうちに、日本の漁獲量は最盛期の3分の1以下にまで減り、漁業大国のはずだった日本は水産資源の多くを、大きく輸入に依存しなければならなくなっている。水産資源の持続性を確保することは、東京2020を超えて、日本にとっても喫緊の課題なのだ。
 日本は水産物以外の分野にも、持続性や環境基準などがクリアできていない分野が多い。また、以前にこの番組でもお伝えしているが、バリアフリー化や分煙化も、まだまだ日本が遅れている分野の一つだ。もちろんその一つ一つは単なる怠慢の産物とは限らず、それぞれに諸事情があってのことだろう。しかし、国内的にはそれで通用しても、国際的には「日本固有の事情」はなかなか通用しない。また、輸入に頼っていたり、今後輸出を期待するのであれば、国際標準のクリアは避けて通れない。
 東京2020は日頃、国内の様々な利害関係によってなかなか進展しなかった各分野での持続性や環境基準などを一気に前に進める絶好の機会となるはずだ。残念ながら、こと水産物については、日本が2020年までに国際基準を一気に満たすのは難しそうだが、五輪を機にその方向に向けて大きな一歩を踏み出すことができれば、東京2020は「成功」だったと世界に胸を張って言えるのではないか。
 オリンピック・パラリンピックという世界最大のイベントを、様々な障害にぶつかりなかなか自力だけでは進まない改革を前進させる奇貨とするために、今われわれがやらなければならないこと、考えなければならないことは何なのか。花岡氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

教育無償化のあるべき姿を考える

(第872回 放送日 2017年12月23日 PART1:55分 PART2:54分)
ゲスト:神野直彦氏(東京大学名誉教授)

 教育の無償化が、政策課題として大きくクローズアップされている。
 安倍政権は旧民主党が主張する教育無償化には一貫して反対の姿勢を示してきたが、先の衆院選前に突如としてこれを公約に掲げていた。
 それを受けて政府は12月8日、「人づくり革命」と「生産性革命」を主眼とする「新しい経済政策パッケージ」を閣議決定。2兆円をかけて幼児教育と高等教育の無償化に加え、待機児童の解消などにも取り組む方針を打ち出した。財源としては、2019年10月に予定される消費税の引き上げ分から1.7兆円を拠出し、残る3000億円は企業負担で賄うとしている。
 教育の無償化については、これを歓迎する意見がある一方で、実現の見通しや財源への懸念などが指摘されている。しかし、それ以前の問題として、教育を無償化することの意味や、その背景にある理念については、まだほとんど議論が交わされていない状態だ。
 現在、有償で提供されている幼児教育や高等教育が無償化されるということは、各人が私的に負担している教育が、税金によって公的に賄われる「社会の共同事業」となることを意味している。結局のところ国民が負担することに変わりはないが、私的負担から公的負担への変更にどんな意味があるのかを、この際、しっかりと議論しておく必要があるのではないか。
 財政学が専門で、「教育再生の条件」などの著書がある神野直彦・東京大学名誉教授は、ここに来て突然、安倍政権が教育無償化を言い出した理由は、これまで金融政策に重点をおいてきた経済政策を修正せざるをえなくなっているからではないかと指摘する。戦後二番目の好景気などと囃されながらも実質の給与は上がらず、社会の経済格差は広がる一方だ。また、失業率が下がっているが、低賃金の仕事では相変わらず人手不足が続いている。先進各国では産業構造が大きく変わり、すでに知識を基盤とする社会に移行しているのに、物づくりにこだわる日本はその流れに大きく出遅れている。
 日本の公財政教育支出の対GDP比は3.2%、OECD諸国のなかでも最下位にランクする。神野氏は、物づくりから人づくりへシフトするために、政府が教育支出を増やす方向に舵を切ったことについては一定の評価をするものの、現在の無償化案が本当の意味での人づくりを志向したものになっているかどうかについては、疑問を呈する。
 意欲はあっても経済的な理由で十分な教育が受けられない人への公的支援は必要だが、教育支出を増やすに当たっては、そもそも何のために教育があるのかを認識する必要がある。産業構造が変化するなかで知識社会を確立するためには、単に幼児教育や高等教育を無償化するだけでなく、「誰でもいつでもどこでもただ」で教育を受けられるような制度設計が必要ではないかと神野氏は語る。
 教育を社会の共同事業と考えるか、あるいは個人の損得の上に成り立つものと考えるのか。教育の無償化の大前提となる理念とは何かなどについて、神野直彦氏と、社会学者・宮台真司とジャーナリスト・迫田朋子が議論した。

5金スペシャル
年末恒例マル激ライブ 「ポスト・トゥルースをぶっとばせ!」

(第873回 放送日 2017年12月30日 PART1:43分 PART2:47分)

 2017年が終わろうとしている。
 2017年のマル激は、年初に哲学者の内山節氏を招き「座席争いからの離脱のすすめ」を議論したのを皮切りに、トランプ現象に代表されるナショナリズムやオルタナ右翼の台頭、日米同盟と北朝鮮情勢、格差問題、憲法、アベノミクスや働き方改革など安倍政権の諸政策、共謀罪、種子法、解散と衆議院選挙、司法制度や教育無償化等々、多くの問題を多角的に議論してきた。
 一連の議論から見えてきたものは、グローバル化の進展やインターネットによる情報革命によって機能不全に陥った民主制度を立て直していくことの困難さと、そうした中で個々人が日々感じている生きづらさに手当をしていくことの重要性だった。
 確かに状況はあまり思わしくない。これは日本に限ったことではないが、われわれがこれまで当たり前のように享受してきた民主的な社会の規範や制度が崩れ、それに取って代わることができる新しい理念が見えてこない状況の下で、多くの人が社会のあり方や将来に不安を覚えながら、どうすればいいかがわからずにいるのが現状ではないか。
 しかし、何でもありのポスト・トゥルース(脱真実)の時代を乗り越えるためには、まず一つ一つのトゥルースを直視することから始めるしか方法はないというのが、マル激で議論を積み重ねてきた末の結論だった。
 まずわれわれはこれまで長らく当たり前と考えてきた世界の秩序が、実は幸運な偶然の積み重ねの結果だったり、途上国や社会の中の特定の弱者からの搾取によってのみ成り立っていた不完全かつ不条理なものだったことを、認識する必要がある。その上で、豊かな社会を築いていくための必要条件を人為的に再構築していくことが、遠回りのように見えて、実はもっとも現実的な処方箋なのだ。
 ポスト・トゥルースは、本当の問題から目を背けたまま、便宜的な建前に過ぎない制度や理念を当たり前のものとして、それにただ乗りしてきたことのつけが回ってきたものと見ることができる。
 民主的な制度や習慣が前提としていた条件が崩れた中で、それを再構築することは決して容易なことではないだろう。しかし、逆風の中でこそ、長い歴史の中でわれわれが培ってきた「自由」や「平等」などの普遍的な価値の真価が問われる。
 年末の恒例となったマル激ライブでは、2017年に起きた様々なニュースを通じて見えてきた世界と日本の現実と、そこで露わになった問題を乗り越えて前へ進むための2018年の課題を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

2018年のテーマは「関係性の豊かさ」

(第874回 放送日 2018年1月6日 PART1:47分 PART2:48分)
ゲスト:中野佳裕氏(国際基督教大学非常勤講師)

 マル激は毎年、1月初旬に、その年に通底する大きなテーマを選んで番組化している。2018年はずばり「関係性の豊かさ」をテーマに据えた。
 国際基督教大学(ICU)非常勤講師で社会哲学や開発学が専門の中野佳裕氏は、物質的な豊かさを求めるあまり、かつて人間が当たり前のように持ち合わせていた精神性と関係性の豊かさが失われているところに、現代社会の根源的な病理があると指摘し、「関係性の豊かさ」を取り戻すことの重要性を強調する。
 中野氏はかつて「富」や「貧困」という言葉が、必ずしも経済的な豊かさや欠乏を意味するものではなかったことを指摘した上で、近代ヨーロッパで資本主義経済が台頭した結果、簡素な生活の中に見出せる精神的な自由や、限られた資源や富を分かち合って暮らす自立共生的な生活倫理が忘れ去られてしまったと語る。その結果、本来well-being(福祉)とhealth(健康)を組み合わせた意味を持っていたwealth(富)が、単に経済的な量を意味する言葉になってしまい、あらゆる豊かさの大前提だった人と自然や、人と人の関係性に対する価値観が失われてしまった。
 中野氏は人類が経済的な富の際限なき追求を卒業し、関係性の豊かさを求める人間本来の生き方を取り戻すためには、近代文明が否定してきた「共通善」の思想を未来社会の礎として肯定する必要があると言う。
 無論、グローバル化が進み社会が極限まで流動化した今日、人類共通の共通善や、国、あるいは地域社会の共通善を見つけていく作業は決して容易ではないだろう。しかし、何が事実なのかさえ合意できなくなったポスト・トゥルース時代をこのまま突き進めば、その先には断絶や対立しか待ち受けていないことは明らかだ。誰かがどこかで何かから手を付け始めなければ、何も始まらない。
 2018年最初のマル激は「関係性の豊かさ」の重要性といかにそれを回復するかについて、中野氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ポスト・トゥルース時代のメディアに何ができるか

(第875回 放送日 2018年1月13日 PART1:1時間3分 PART2:1時間17分)
ゲスト:水島宏明氏(上智大学文学部教授)

 「今さらメディアの話かい」などと訝られるかもしれないが、今年、マル激ではあらためてメディア問題を積極的に取り上げようと考えている。
 マル激は2000年の番組発足当初から、メディア問題を中心的な課題の一つに据えてきた。番組内容を一冊の著書にまとめた「マル激本」の第1弾は、メディアと政治の関わりを徹底的に深堀りした「漂流するメディア政治」(2002年)だった。その中でわれわれは当時、メディアではほとんど取り上げられていなかった記者クラブ問題や再販価格制度やクロスオーナーシップなど日本メディア固有の構造的な問題を多角的に議論し、それが日本の政治や社会にどれだけ大きな影響を与えているかなどを考察してきた。
 あれからはや、15年以上の月日が流れ、最近マル激ではあまりメディア問題を多く取り上げなくなっていた。社会の劣化が急激に進み、今さらメディアを批判してどうこうなるような次元の話ではなくなってしまったというのもその理由の一つだが、15年以上経っても、ほとんど何も改善されないメディアの状況に、ある種の絶望感を抱いていたことも事実だった。
 しかし、どんなに劣化が進んだとしても、メディアが民主主義の砦であることに変わりはない。これを軽視すると、民主主義が機能不全に陥るばかりか、われわれの社会がどのような問題に直面しているかについての共通認識すら持つことが困難になってしまう。問題の所在さえわからないのに、問題が解決されるはずがない。
 そうこうしているうちに、当分揺らぎそうもないように見えた新聞・テレビを中核とする既存のメディア企業体の経営基盤は弱体化の一途を辿り、世代によってはほとんど新聞やテレビを見ない人が多数を占めるような時代になった。もはや通り一遍の新聞・テレビ批判だけでは何の意味もなさなくなっている。
 しかし、既存メディアの牙城を突き崩し始めているネットメディア、とりわけFacebookやTwitterに代表されるSNSは、一見、ユーザー側が自分が求める情報に自由にアクセスしているように見えて、何億人という全世界のユーザーから日々収集している膨大なビッグデータを元に、巧みな広告誘導や情報操作が行われていることや、それが消費行動のみならず、選挙結果や政治思想に大きな影響を与えていることが、次第に明らかになってきている。
 かつてはマスメディアの問題に過ぎなかったわれわれの「メディア問題」は、マスメディアの凋落によって解決したのではなく、実際はより複雑で深刻化していると考えた方がいいだろう。そのような状況の下では、まずメディアに何が起きているかをきちんと踏まえた上で、それを多角的に考察し、われわれ自身のリテラシーを上げていくことが必要になる。
 今週はその取っかかりとして、テレビ局に長年勤務し、現在、上智大学の教授を務める水島宏明氏に、今、テレビに何が起きているかを聞いた上で、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司とともに、ポスト・トゥルース時代にメディアに求められる役割とは何かを議論した。

性暴力被害者に寄り添う社会を作るために

(第876回 放送日 2018年1月20日 PART1:1時間9分 PART2:56分)
ゲスト:後藤弘子氏(千葉大学大学院教授)

 性暴力被害やセクハラが、世界的に社会の大きな争点として浮上している。
 去年10月、ハリウッドの超大物プロデューサーのセクハラ疑惑が明るみに出て、映画界から追放となった。その後、被害にあった有名女優らの呼びかけもあり、世界中で女性たちが次々と性暴力やセクハラ被害を訴える「#me too(ミートゥー)」が大きな運動に発展した。これまで泣き寝入りを余儀なくされていた性暴力やセクハラ被害の実態が明るみに出る一方で、一方的な告発によって加害者とされた男性を社会から抹殺するような動きを問題視する向きも出てきている。また、今月になってフランスの女優たちが、行き過ぎた告発が性的自由を奪う恐れがあると反論するなど、セクハラや性被害を巡る論争は世界的に大きな広がりを見せている。
 一方、日本ではジャーナリストの女性が、著名な男性ジャーナリストによる性暴力被害を実名で訴え出たことで、性暴力被害の問題や被害者救済のあり方が関心を集めている。
 その女性は、性暴力を受けた時の状況を克明に男性警察官に説明しなければならなかった時の精神的な苦痛や、男性警察官から被害届けの提出を思いとどまるよう促された経験などを証言し、性暴力に対する警察や検察の捜査が「ブラックボックス」状態にあると訴え続けている。しかし、欧米諸国と比べて日本では、セクハラや性被害を訴え出る女性に対する社会の偏見が根強く残っていることもあり、依然として性被害を告発することが女性に取って大きなリスクになっている面があることは否めない。
 内閣府のデータでは日本で過去に無理矢理に性交された経験のある人の割合は6~7%。しかし、その中には、本当は嫌だけどしょうがないと受け止めているケースは含まれていないのではないかと、千葉大学大学院教授の後藤弘子教授は指摘する。また、セカンドレイプを恐れて泣き寝入りする被害者の数も相当な数にのぼると考えられている。
 実際、性暴力は上司や学校の先生、親・兄弟など知っている人からの被害が多くを占めている。被害にあいながら誰にも相談しなかったと答えた人の割合も7割近くにのぼる。また、誰かに相談しても「早く忘れなさい」、「あなたにも非がある」と言われたり、被害自体を認めてもらえないことが大きな心の傷となっている場合も多い。
 昨年、刑法の性犯罪に適用される条文の改正が110年ぶりに行われた。強姦罪は強制性交等罪と呼称が変わり、それまで女性のみに適用されていた性犯罪の規定が、男性にも適用されることになった。刑の下限も懲役3年から懲役5年に引き上げられ、被害者の告訴を必要としない非親告罪化も行われるなど、性犯罪被害者に寄り添う社会の実現に向けて少しずつ前進はしているように見える。しかし、刑法には「暴行または脅迫」の事実を立証しなければならない規定は残り、刑事告発のために被害者の協力が不可欠なことに依然、変わりはない。密室のなかで行われることが多い性犯罪で、同意の有無を立証することは容易ではない。
 後藤氏は、被害者救済の仕組みは、以前よりは整ってきてはいるが、まだ本当に被害者の立場に立ったシステムにはなっていないとした上で、制度の設計者や法律の立案者たちが、被害者のニーズを受け止められていないところにその原因があると指摘する。
 セクハラや性暴力被害者に寄り添う社会を作るためには何が必要なのか。被害者救済や支援の仕組み、性教育の在り方、社会として性の問題をどう語るのかなども含めて、刑事法とジェンダーが専門の後藤弘子氏と、社会学者・宮台真司、ジャーナリスト・迫田朋子が議論した。

史上最大の防衛費は日本の安全に役立っているのか

(第877回 放送日 2018年1月27日 PART1:51分 PART2:43分)
ゲスト:半田滋氏(東京新聞論説兼編集委員)

 高額兵器と攻撃的兵器。これが今年度の防衛予算の特徴のようだ。
 1月22日に開会した通常国会では主に来年度予算案が審議されるが、中でもとりわけ過去最高となる5兆円を突破した防衛関係費(防衛予算)が大きな争点となる。
 確かに北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射実験を繰り返し、中国の軍備拡大も続くなど、東アジアの安全保障は新たなアプローチが必要な情勢ではある。しかし、そうした中で打ち出された史上最高額の5兆1911億円の防衛予算の内訳を見ていくと、必ずしも緊迫の度合いを増す東アジア情勢に対応した装備が計上されているようには見えない。
 端的に言えば、F-35A戦闘機やV-22オスプレイ、イージス・アショアなど必ずしも日本のニーズに合致するとは思えない高額の兵器を次々とアメリカから買わされている一方で、現行憲法の枠を超える弾道ミサイルのような攻撃的兵器の研究費が、十分な議論もないまま計上されているのだ。
 安倍首相は国会で「専守防衛の精神にいささかの変更もない」と述べる一方で、「従来の延長線上ではなく国民を守るために真に必要な防衛力のあるべき姿を見定めていく」と語り、日本の防衛政策の基本方針を定めた防衛大綱を見直す意向を表明するなど、日本の防衛政策が大きな転換点を迎えていることは間違いなさそうだ。
 防衛政策に詳しい東京新聞論説・編集委員の半田滋氏は、安倍政権は憲法改正を念頭に置いた防衛装備の整備を進めていると指摘するが、憲法改正をめぐる議論はまだ何も始まってもいない。そうした状況の下で日本が敵基地攻撃能力を持てば、当然周辺国はそれに対応した防衛体制を整えてくる。果たしてそれが日本の真の安全保障に資するかどうかについては、慎重な判断が必要だ。
 史上最高額となった来年度の防衛予算とその中身の妥当性について半田氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

トランプ政権の1年はアメリカと世界をどう変えたのか

(第878回 放送日2018年2月3日 PART1:52分 PART2:55分)
ゲスト:西山隆行氏(成蹊大学法学部教授)

 トランプ政権の誕生から1年が過ぎた。
 いざ大統領になれば多少は大統領らしく振る舞ってくれるにちがいないとの淡い期待を背負って船出したトランプ政権だったが、発足直後からイスラム移民の排斥やメキシコ国境の壁建設を命ずる大統領令を乱発したのを皮切りに、とりわけ人種や人権、環境面では選挙戦中にも増した過激な言動や行動に揺れた1年だった。
 1月31日のトランプの一般教書演説は、過去の大統領の演説と比べると、ほとんどアメリカの理想が語られていない上に具体性にも欠けるなど、至って凡庸かつ拙劣な演説だったが、もはやトランプの十八番となった不規則発言や暴論の類が無かったというだけの理由から、「これまでにない出来映えだった」などと高い評価をされる始末だ。
 気がついてみればトランプ政権は最初の1年で、TPPやパリ協定や国連のユネスコから離脱し、NAFTA(北米自由貿易協定)も再交渉を始めるなど、かつての国際社会の秩序の守護神からその破壊者へと立場を180度変えてしまった。エルサレムをイスラエルの首都と認定したことも、中東和平の仲介者の役割を事実上放棄するものだった。国内的にも長い年月をかけてアメリカが適応してきた環境規制を一気に緩和したり撤廃するなど、アメリカの時計の針を少なくとも20年~30年分は巻き戻すような政策を次々と実施している。
 こうした政策選択は一部の有権者には受けがよく、短期的にはアメリカに利益をもたらす可能性もある。しかし、長期的には国際社会におけるアメリカの地位を低下させ、アメリカの国力の衰退をもたらすことになりかねない、危ないものばかりだ。
 また、その間、大統領選挙戦中にトランプの陣営がロシア政府と共謀して選挙に介入を試みたとされる、いわゆる「ロシア疑惑」も、ウォーターゲート事件を凌ぐアメリカ政治史上最悪のスキャンダルに発展する可能性が依然、否定できない。現時点でロシア疑惑は、特別検察官が任命され大統領の側近が相次いで起訴される中、トランプ自身は自らの関与は否定しているが、近々、大統領自身への事情聴取が取り沙汰されるなど、今後の政権運営にも大きな影響を及ぼす可能性がある。また、仮にトランプはロシアとの共謀に関与していなくても、その捜査に介入した「司法妨害」が成り立つ可能性もある。
 11月に中間選挙が予定される2018年は、怖い物見たさ半分で様子を窺っていた有権者もそろそろ本気でトランプ政権の成果を見極めようとするだろうし、現在進行形のロシア疑惑捜査の行方がどうなるかも未知数だが、いずれにしてもこれまでのような出たとこ勝負の政権運営には早晩限界が来るだろう。そうなった時にトランプ政権がどこに向かうのかは、まったく予断を許さない。より現実的かつ穏健路線に転じる可能性もある一方で、3割といわれる過激な鉄板支持層を堅持するために、より過激な方向に向かう可能性もある。
 トランプ政権の存在は、とりわけ人種や人権面でアメリカ社会に大きな影響を与え始めている。アメリカの大統領には究極のロールモデルとしての役割が少なからずあるからだ。特に子どもたちにとって大統領の言動は、今のアメリカで何は許され、何は許されないのかを判断するための重要な規範になる。歯に衣着せぬ本音トークと言えば聞こえがいいが、人種、宗教、人権などでアメリカがこれまで守ってきた一線が大統領自身の手によって次々と壊されてきたことの影響は、アメリカ社会のみならず世界に大きく波及している。
 日本でもかつて、例えば選挙制度や情報公開やNPO法のような、民主主義の制度改革が争点になるたびに、アメリカを参照点にするのが常だったが、今は何ごとにおいてもアメリカを模範とすることが難しくなっている。下手をするとアメリカが悪い見本の典型ように語られることも少なくない。困ったことに「これでも日本の方がアメリカよりまし」などと、現状肯定の言い訳に使われることも珍しくない。
 腐ってもアメリカはアメリカなのだ。
 トランプ政権の誕生はアメリカや世界をどう変えようとしているのか。アメリカはこのまま衰退してしまうのか。そもそもトランプ政権はどこまで持つのかなどについて、アメリカ政治、とりわけ移民政策に詳しい西山氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

民主国家はシャープパワーに太刀打ちできるのか

(第879回 放送日 2018年2月10日 PART1:1時間 PART2:36分)
ゲスト:西田亮介氏(東京工業大学准教授)

 今日のテーマは今、国際論壇で話題となっている「シャープパワー」。
 「シャープパワー」とはアメリカの政府系シンクタンクが昨年末にまとめた報告書で初めて使われた言葉で、民主国家を弱体化させるために、民主国家が重視する言論の自由や経済活動の自由を逆手に取るかたちで様々な工作を行う専制国家を意味している。当初は中国台頭のアメリカに対する脅威を表現するために使われた概念だったが、ロシアが2016年の大統領選挙に様々な形で介入していた事実が明らかになるにつれ、中国に加えてロシアもその対象と考えられるようになった。また、中国やロシアを手本に、そのような手法を真似て民主主義を操ろうとする国が南米や東欧にまで拡がり始めているという。
 元々、国の軍事力を裏付けに影響力を行使する伝統的な「ハードパワー」に対し、20世紀末頃からハーバード大学のジョセフ・ナイらが唱えた、崇高な価値観や倫理観を通じて影響力を行使する「ソフトパワー」が重視されてきた。しかし、その崇高な価値基準を逆手に取ることで民主国家を分断したり弱体化させる専制国家の「シャープパワー」が今、台頭してきている。「ソフトパワー」の脆弱で柔らかい部分に、鋭い(シャープ)な刃先を突き刺すという意味が込められているという。
 国が外交上の目的を達するために他国に対して様々な工作を行うことは、何も新しいことではないが、「シャープパワー」の特徴は、民主国家が本来の強みとしてきた民主主義の自由や開放性、経済活動の自由度などを逆手に取って様々な工作を行っている点だ。特にその中でも、ソーシャルメディア(SNS)を使った世論操作や社会分断、選挙への介入は、先のアメリカ大統領選挙や昨年のドイツの総選挙で大きな成果を上げた可能性があり、民主国家にとってはその根幹を揺るがしかねない重大な脅威となっている。
 先のアメリカ大統領選挙ではロシア政府系企業IRA(Internet Research Agency)がFacebookを使い、470個以上のフェイクアカウントを通して80,000件以上のフェイク情報を投稿し、1億2,600万人のアメリカ人がその投稿を閲覧していたことが、アメリカ議会の調査で明らかになっている。それらのフェイクアカウントはいずれももっともらしい政治団体や政治運動のような名前を冠したもので、投稿内容はほぼすべてヒラリー・クリントンを中傷する性格のものだった。他にもIRAは大統領選挙中、ツイッターでも2,700以上のフェイクアカウントを使って13万件以上のフェイクニュースを投稿していた。
 これらのネット工作が大統領選挙の結果にどの程度の影響を与えたかは定かではないが、こうした工作の実態はロシアや中国が行っているソフトパワー工作の氷山の一角に過ぎないと考えられている。また、シャープパワーは対象国の社会的分断や世論操作のために、企業への投資や教育機関への寄付、インフルエンサー(オピニオンリーダー)の取り込みやメディアへの広告出稿なども駆使しているという。いずれも民主国家の多くでは自由が保障されている活動だ。
 フェイクニュースの蔓延やネットを使った中傷や炎上マーケティングは以前から問題になっていたが、言わばネット社会化した民主国家の弱点を突く形で国家目的を達成したり、潜在的な敵国を弱体化させる外国勢力の活動の存在が明らかになった今、SNSのあり方があらためて問われることは避けられない。
 ネットと民主主義の関わりに詳しい東京工業大学の西田亮介准教授は、それでも民主主義の利点である言論の自由を制限するような法的な規制を設けるべきではないとの立場を取るが、かといって現在のように、世論が外国勢力に乗っ取られかねない状態を放置するのではなく、「共同規制」と呼ばれる業界団体による自主規制導入の必要性を強調する。
 民主主義はシャープパワーの脅威に太刀打ちできるのか。民主国家が民主主義の最大の果実である表現の自由や経済活動の自由を失わずに、専制国家に太刀打ちすることができるのか。社会がネット依存の度合いを強める中での必然な帰結とも言えるシャープパワーの台頭から、民主主義のあるべき姿を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、西田氏と議論した。

馬脚を現し始めた安倍政権「働き方改革」の正体

(第880回 放送日 2018年2月17日 PART1:47分 PART2:44分)
ゲスト:上西充子氏(法政大学キャリアデザイン学部教授)

 安倍政権が目指す「働き方改革」の危険性については、この番組でもかねがね指摘してきた。(マル激トーク・オン・ディマンド第843回(2017年6月3日)『安倍政権の「働き方改革」が危険な理由』ゲスト:竹信三恵子氏(和光大学現代人間学部教授))
 安倍政権は一貫して労働者を保護するための労働法制の規制緩和を目指してきた。2015年にも「高度プロフェッショナル制度」の導入や「裁量労働制」の拡大などを目指して法案を提出したが、野党から「残業ゼロ法案」と叩かれ、世論の反発を受けるなどしたため、成立を断念している。
 しかし、今国会に提出された「働き方改革」関連法案は、過去に実現を目指しながら挫折してきた労働者保護法制の規制緩和はそのまま踏襲しておきながら、労働側の長年の「悲願」ともいうべき残業時間の上限規制という「アメ」を含んでいるため、過去の「残業ゼロ法案」や「ホワイトカラー・エグゼンプション」のような一方的な規制緩和という批判を巧みにかわすような立て付けになっている。
 実際、安倍首相も今国会を「働き方改革国会」と位置づけた上で、所信表明演説で、「戦後の労働基準法制定以来、70年ぶりの大改革」、「我が国に染みついた長時間労働の慣行を打ち破る」などと大見得を切っている。
 確かに今回一括審議されている8法案の中には、残業時間の上限を設ける労働基準法改正が含まれている。現行の労働基準法にも残業の上限は設けられてはいるが、労使で合意した上で、いわゆる「36(サブロク)協定」を結べば上限を引き上げることができる抜け穴があるほか、サービス残業による長時間労働が常態化していることも否めない。
 しかし、労働法制に詳しい法政大学の上西充子教授は、「上限規制」という言葉に騙されてはならないと警鐘を鳴らす。
 確かに今回の法改正には残業について罰則つきの上限が設けられているが、残業の上限を基本的には月45時間と定めておきながら、例外的に月100時間までの残業が認められ、年間の残業時間の上限も720時間まで認められる。月100時間の残業をするためには、毎日平均して5時間残業することになる。抜け穴が多いとされる現行法でも、残業が年360時間を超える場合には36協定が必要とされていることを考えると、毎日最低でも5時間の残業を前提とするこの上限値で長時間労働の打破と言えるかどうかも、よく考える必要があるだろう。
 しかし、今回の法改正の最大の問題点は「残業時間に上限を設ける」ことで労働側に一定の配慮を見せるかのような体を繕いながら、実際は「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」の導入や「裁量労働制」の対象拡大によって、事実上、残業時間の上限自体を無力化させる制度変更が含まれている点だと上西氏は指摘する。高プロや裁量労働は、事実上勤務時間自体に定めがないため、残業が無制限に許容される恐れがある。この対象が拡大されれば、労働基準法上の残業の上限規制など何の意味も持たなくなる。
 しかも、今回、労働組合側は長年の悲願だった「上限規制」が導入されることと引き換えに、事実上の上限規制の抜け穴となる高プロの導入や裁量労働の拡大を含む法改正に同意してしまっている。
 他にも、今回の働き方改革は「同一労働同一賃金」「働き方に左右されない税制」などの文字が並ぶが、その中身は「同一労働同一賃金」の方は非正規雇用者の雇用条件の改善よりも正規雇用者の待遇の低下を、「働き方に左右されない税制」はサラリーマンの所得控除の縮小を意味しているなど、見出しと内実がかみ合わない両義性を含んでいることを、上西氏は指摘する。
 正社員と非正規労働者の待遇に不合理な格差があったり、過労死自殺が後を絶たないような現在の日本の労働環境に改革は必須だ。しかし、その問題意識を逆手に取るような形で、一見労働者の側に立っているかのようなスローガンを掲げながら、実際は労働者の待遇をより厳しいものに変えていこうとする現在の政権のやり方には問題が多い。目くらましのための「アメ」をまぶすことで、その実態を意図的に見えにくくしているようにさえ見える。
 そもそも首相が戦後の大改革と胸を張る「働き方改革」は誰のための改革なのか。今国会の審議で明らかになってきた安倍政権の「働き方改革」の実態と、それが働く者にとってどんな意味を持つのかなどについて、上西氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.86(861~870回収録)

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枝野はなぜ立ったのか

(第861回 放送日 2017年10月7日 PART1:1時間5分)
ゲスト:枝野幸男氏(立憲民主党代表)

 安倍首相による「国難突破解散」からわずか1週間の間に、複数の新党が林立する事態になろうとは、一体誰が予想しただろうか。
 これは二大政党の一極として、一度は政権まで担った最大野党の民進党が自らを解体し、小池新党ならぬ希望の党への合流を決めたことがきっかけだった。党の解体という大きな決断を下した今回の政局の仕掛け人の一人である民進党の前原誠司代表は、10月3日の会見で、すべては自分や希望の党の小池百合子党首が想定した通りに進んでいると豪語した。
 しかし、当初無所属で出馬し、頃合いを見て希望に合流する予定だった民進党幹部の一人であり、前原氏にとっては24年間政治行動を共にしてきた盟友と言っても過言ではない枝野幸男代表代行による新党の立ち上げだけは、恐らく前原氏にとっても小池氏にとっても、想定外の事態だったにちがいない。
 これにより当初想定していた「自民対希望」の1対1の対決構図が崩れた上、リベラル路線を標榜する立憲民主党の登場で、「改革する保守」を謳う希望の党と自民党の違いが有権者から見えにくくなる可能性があるからだ。
 枝野氏は民進党が丸ごと小池新党に飲み込まれることにより、政治の座標軸上でリベラルと呼ばれる陣営が空っぽになってしまうことに危機感を覚えたことが、結党の動機だったと語る。
 小池新党といっても国会議員の大半は民進党からの合流組が占めることになる。ある程度小池氏の意思を尊重しながら、事実上、民進党が希望を乗っ取ってしまうという選択肢もあったかもしれない。しかし、希望の党の政策や理念が明らかになるにつれ、枝野氏は「合流は難しい」と感じるようになっていったという。
 それでも枝野氏には無所属議員として活動を続けるという選択肢もあった。枝野氏自身は「その方が楽だったかもしれない」と本音を漏らす。
 しかし、民主、民進時代を通じて20年以上も積み上げてきた政策や、政権から転落した後の逆風の中、民進党を支えてきた同志や地方議員たちの声を聞いた時、その声に応えるためには自分が立つ以外の選択肢はないことを痛感し、覚悟を決めたと枝野氏は言う。
 民主党、民進党で積み上げてきた理念や政策と、政権からの転落という大きな失敗の経験を糧に、新党を日本の二大政党制の一極を担える勢力に育てていきたいと語る枝野氏と、日本の政治におけるリベラルの役割などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

アベノミクスこそがこの選挙の最大の争点だ

(第862回 放送日 2017年10月14日 PART1:50分 PART2:1時間2分)
ゲスト:河村小百合氏(日本総研上席主任研究員)

 安倍政権は2012年に政権奪回以降、国政選挙のたびにアベノミクスの継続を選挙の争点に掲げ、毎回勝利を収めてきた。ところが今回の総選挙では消費税の使い道と北朝鮮を選挙の争点に自ら設定し、アベノミクスを選挙の争点にすることをあえて回避している。アベノミクスの最大の眼目である「異次元」の金融緩和が今も継続中であるにもかかわらずだ。
 安倍首相は10月8日に日本記者クラブで行われた8党党首討論会で、アベノミクスの成果で日本の雇用は改善し、GDPの伸びや株高などが実現していることを強調している。大きな成果があがっていると胸を張るのであれば、なぜ首相はこの選挙でアベノミクスの継続の是非を問わなかったのだろうか。
アベノミクスの果実が大企業や富裕層に偏り、経済格差を拡大させているとの批判は根強いが、とはいえ首相が指摘するように、安倍政権発足後、企業収益やGDP値が伸びていることは事実だ。
 しかし、それは大変な犠牲の上に成り立っていると、中央銀行の政策に詳しい日本総研上席主任研究員の河村小百合氏は指摘する。それは単なる格差の拡大にとどまらず、近い将来、国民に膨大なツケが回ってくるリスクが日に日に大きくなっていると河村氏は言う。
 黒田バズーガと呼ばれる未曾有の金融緩和に続いて、マイナス金利まで導入して経済を刺激しても、2%おろか僅かなインフレすら起こせない事態に業を煮やした日銀は今、年間80兆円にものぼる国債や株式の買い付けを行うことで市場に膨大な資金を投入している。しかし、これが日銀のバランスシートの異常な肥大化を生み、日銀が支え切れる能力を超えているために、破綻のリスクが現実味を帯び始めていると河村氏は警鐘を鳴らす。
 また、日銀が事実上の財政ファイナンスによって人為的に株価を釣り上げているため、株価市場は20年ぶりの高値に沸いている。しかし、日銀の買い支えによって釣り上げられたこの株価は、企業の現実の経営実態を反映させたものとは到底言えない。企業努力をしないでも高い株価が維持できると、企業側に経営努力や合理化のインセンティブが働きにくくなり、ガバナンス欠如による数々の不祥事の遠因になっていると見ることもできる。
 欧州諸国やアメリカもリーマンショックから立ち直る過程で金融緩和政策を採用してきたが、彼らが常に出口を意識しながらコントロールされた金融緩和を行ってきたのに対し、日本の金融緩和は一度走り出したら止まらない暴走列車の様相を呈していると河村氏は言う。その姿に河村氏は先の大戦の失敗がダブって見えると嘆くが、あとさきのことを考えずに暴走すれば、河村氏が指摘するような「経済敗戦」が現実味を帯びてくる恐れもある。
 日本がこのままアベノミクスを継続するとどうなるのか。日銀はこれまでどこの国も経験したことのないサイズにまで肥大化した巨大なバランスシートを支え切れるのか。アベノミクスに安全な出口シナリオなるものは存在するのか。最後にそのツケが回ってきた時、国民はどれだけの負担を強いられることになるのか。
 そもそもアベノミクスによる量的にも時間的にも異常なまでの金融緩和は、金融の実務を理解していない安倍政権が、人事権を盾に本来は日銀の専権事項であるはずの金融政策に手を突っ込んだことから生じた歪んだ政策だったと指摘する河村氏に、アベノミクスの現状と膨れ続けるリスク、そして近い将来予想される影響を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

選挙特番・総選挙と最高裁国民審査で問われるもの

(第863回 放送日 2017年10月21日 PART1:47分 PART2:43分)
ゲスト:角谷浩一氏(政治ジャーナリスト)

 総選挙の投票日がいよいよ明日に迫った。同時に最高裁判所の裁判官の国民審査も行われる。
 衆議院選挙では当初、内閣支持率の低下から大幅に議席を減らすと見られていた自民・公明の与党だが、解散後の目まぐるしい政局で最大野党の民進党が2つに分裂する嬉しい誤算にも助けられ、選挙自体は与党が優に過半数を超えそうな情勢だ。
 選挙自体は民進党の分裂によって野党4党による共闘体制が崩れ、それが与党の有利に働いたことは否めない。しかし、一時は政権交代を実現しながら、その後、路線対立や党内のガバナンスの不備などから自民党に対抗し得る勢力に脱皮できずにきた民進党が保守派の希望の党とリベラル派の立憲民主党に分裂したことで、選挙後の日本の政治がより有権者からわかりやすいものになる可能性が出てきた。
 選挙後の日本の政治の方向性を占うという意味でも、この選挙には注目したい。
 また、最高裁判所の裁判官の国民審査については、憲法学者の木村草太氏と「2015年参院選の一票の格差」、「2014年衆院選の一票の格差」、「民法の夫婦同姓規定」、「民法の6か月の再婚禁止期間」、「令状なしのGPS捜査」、「厚木基地騒音飛行差止請求」、「森友学園問題の電子データ保全請求」、「辺野古埋め立て承認取り消し」などの8つの判決を取り上げたニュース・コメンタリーの内容を参照しつつ、主に「2015年参院選の一票の格差」、「辺野古埋め立て承認取り消し」の2つの判決で、今回の審査対象となっている裁判官の立場を明らかした。

与党大勝の総選挙で明らかになった本当の民意とは

(第864回 放送日 2017年10月28日 PART1:43分 PART2:46分)
ゲスト:小林良彰氏(慶應義塾大学法学部教授)

 安倍首相が「国難突破」選挙と位置付けた総選挙が10月22日に行われ、自民・公明の連立与党がほぼ現有議席を維持して勝利した。
 今回の選挙は最大野党の民進党が事実上解党し、選挙の直前になってバタバタと新党が立ち上がる異例の選挙となった。戦後初の政権交代となった1993年の「政治改革」選挙でも選挙直前に相次いで新党が立ち上がる政局があったが、その時は自民党が分裂した結果の新党ブームだったのに対し、今回は野党の分裂が原因だった。
 現行の小選挙区を主体とする選挙制度の下では、政党が細かく分かれれば分かれるほど死票が多くなり不利になる。この選挙でも、比例区の野党の総得票数は自民党を大きく上回っていたが、議席は自民党が全体の74%を獲得している。
 参考までに各小選挙区の与野党の陣営別の総得票数を集計してみると、野党候補の総得票数が与党候補を上回りながら、与党候補が勝利した選挙区が全267選挙区中少なくとも68あった。日本維新の会や希望の党が共産党との共闘を受け入れることは考えにくいので、与野党の総得票数の単純な比較にどれだけの意味があるかについては議論のあるところだが、比例区の野党の獲得議席数が与党を上回っていたことも考え合わせると、もし全選挙区で野党共闘が実現していれば、政権交代が実現した可能性が十分にあった計算になる。
 結果的に選挙で大勝したにもかかわらず、安倍首相を始めとする自民党の重鎮たちの選挙後の表情が一様に重々しかったのは、選挙結果には反映されない自党の党勢の低迷に対する危機感があったからだった。
 投票行動の分析で定評のある政治学者の小林良彰・慶應義塾大学法学部教授は、比例区での野党の総得票数が与党のそれを上回っていたことも重要だが、より注目すべきは自民党の絶対得票率が長期低迷傾向だと指摘する。自民党が大敗し民主党に政権を明け渡した09年の総選挙で、自民党2730万票を得ているが、その後の選挙では自民党は議席数こそ毎回過半数を大きく超えるものの、得票数は一度も大敗した09年選挙を超えることができていない。
別の見方をすると、野党が低迷し投票率が下がったために、より少ない得票で自民党の獲得議席が増えているというのが実情なのだ。ちなみに民主党が政権を奪取した09年の総選挙の投票率は69%を超えていた。今回は53.6%。前回は史上最低の52.6%だ。
 実際、自民党の得票率は毎回5割を割っている。つまり、得票数では野党が自民党を上回っているのだ。自民党の今回の得票率の48%に、全体の投票率の53.60%を掛け合わせた「絶対得票率」は約25%にとどまる。これが日本の全有権者のうち、実際に自民党に投票した人の割合だ。
 これは、自民党が過去5年にわたり政権を維持できているのは、国民の過半から支持を受けているからではないし、また自民党への支持が野党に対する支持を上回っているからでもないことを示している。野党がお家騒動や分裂を繰り返したことで、自民党が選挙制度上の漁夫の利を得た結果であることを、このデータは示している。
 これまで何度も指摘されてきたように、現行の選挙制度の下で民意をより正確に反映させるためには、野党陣営が一つにまとまるしかない。しかし、今回の希望の党のような政策や理念を無視した離合集散に対しては、国民の間に強い拒否反応があることもまた、この選挙で明らかになっている。
 今後は野党第一党となった立憲民主党が、野党を一つにまとめられる大きな翼を広げることができるかに注目が集まるが、自民党よりも保守色の強い議員が多い希望の党や維新の会から共産党までがひとつにまとまるのは容易ではなさそうだ。しかし、それが実現しない限り、自民党が有権者の4分の1の支持で国会の4分の3を支配する状態が続くだろう。
 選挙直前の有権者に対する調査データをもとに詳しく分析した小林氏とともに、この選挙が明らかにした民意の中身と現行選挙制度の問題点などを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

トランプが変えたアメリカと世界の今

(第865回 放送日 2017年11月4日 PART1:52分 PART2:1時間)
ゲスト:前嶋和弘氏(上智大学総合グローバル学部教授)

 トランプ大統領が来日する。
 昨年の11月8日の世界に衝撃を与えたあの大統領選の勝利から約1年。人類史は「トランプ前」と「トランプ後」に分類されるようになるだろうと言われるほど、トランプ政権の誕生とその後の政権運営は、アメリカのみならず、世界の民主主義に対する見方に大きく影響を与えている。
 インターネット全盛の21世紀、自由や民主主義の行き過ぎがトランプのような指導者の台頭を生んでしまうのだとしたら、われわれはこれまで無条件に尊いものと考えられてきた自由や民主主義を、もう少し制限すべきではないかという議論まで、真剣に交わされるようになっている。
 予想通りと言えば予想通りかもしれないが、トランプ政権の10か月は、アメリカ史のみならず世界の民主主義の歴史の中でも、いまだかつて経験したことがないような異常な10か月だった。選挙戦では暴言を繰り返すことで人気を博してきたトランプだったが、いざ大統領になればもう少し大人しくなるだろうという玄人筋の期待を見事に裏切り、トランプ政権は発足当初から数々の波乱に揺れまくった。
 ホワイトハウスの側近は、選挙戦でのロシアとの不適切な接触などが取り沙汰され、次々と辞任した。今やトランプ政権は無条件の忠誠心が期待できる親族と、どんなに不満があっても規律を守ろうとする軍人によって、辛うじてその機能を維持しているような状態だ。
 また、トランプ政権は議会との調整能力の乏しさゆえに、法案らしい法案は何一つ通せていない。しかし、この間トランプは、議会の承認を必要としない大統領令を連発することで、選挙戦での公約のいくつかを実行に移している。その中には移民や難民の流入制限やTPPからの離脱、NAFTAの再交渉、パリ協定からの離脱、イラン核合意の破棄、ユネスコからの脱退など、国際社会に影響の大きいものが多く含まれている。
 また、国内向けには、オバマ前大統領が作った医療保険改革「オバマケア」の廃止に躍起になるものの、なかなか代替案を提示できず右往左往してきたが、その間も、人種差別や白人至上主義に寛容な姿勢を示すなど、トランプに対して多くの識者たちが抱いていた懸念は、ほぼ丸ごと的中してしまった。
 既存の政治システムに対する未曾有の不信感が、トランプ政権を生んだと説明されることが多いし、恐らくそれはそれで正しい分析なのだろう。しかし、トランプが既存の政治秩序を次々と破壊する中、その代わりにどのような理念に基いたどのような政治体制が立ち上がってきているのかが、依然として見えてこないところが気になる。
 また、各国の首脳がトランプの言動に苦言を呈する中、日本の安倍首相だけがトランプとツーカーの関係を維持していることにも注意が必要だ。人種差別や性差別を容認し、人権を軽視すると見られている大統領と仲睦まじくゴルフに興じる日本の首相の姿が世界に報道される時、日本という国の品位や人権感覚にまで世界から疑いの目が向けられる恐れは十分にある。
 トランプ政権の誕生でアメリカの社会や世界とアメリカの関係はどう変質したのか。日本はこのままトランプ政権と一蓮托生の道を歩んでいて本当に大丈夫なのか。アメリカ政治が専門の前嶋氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

外国人技能実習制度の「適正化」で問われる日本社会のカタチ

(第866回 放送日 2017年11月11日 PART1:49分 PART2:53分)
ゲスト:安里和晃氏(京都大学文学研究科文化越境専攻准教授)

 外国人技能実習制度の対象職種に「介護」を加える新たな法律が11月1日に施行された。
 外国人技能実習は外国人が働きながら日本の技術を学ぶという触れ込みで農業や製造業を対象に1993年に始まった制度。現在もおよそ23万人がこの制度の下で、技能実習を受けている。建前上は日本の技術移転を目的とする国際貢献の一環となっているが、実態としては単純労働者を受け入れない政府の方針の抜け穴として、主に低賃金分野の人手不足の解消に寄与してきたという現実がある。
 11月から施行される「技能実習適正化法」では、かねてより人手不足が深刻化していた介護の分野まで技能実習の対象を広げる一方で、実習生を劣悪な条件で採用する人権侵害に対して罰則を設け、監視を強化することなどが定められている。また、実習の期間も条件付きながら、現在の3年から最長で5年に延長される。介護分野は技能実習の対象分野としては初の「人へのサービス」となる。
 外国人技能実習制度をめぐっては、建前の「実習生」と実態の「労働力」というダブルスタンダードの下で、賃金の未払いや不当な雇用契約など数々の問題が表面化していた。事実上、単純労働者の受け入れ制度として機能してきた面があるが、それは日本と対象国の間に経済格差があることを前提としている。実際、この制度の下で日本に技術を学びに来た外国人が、本国でそれを活かせていないケースも多いとされ、制度的には果たして今回の微修正で本質的な問題解決につながるかどうかは疑問も多い。
 この問題は最終的には、今後も少子高齢化が進む日本が、どういう社会を作っていきたいのかという問いにぶつかる。外国人労働者を利用すべき労働力としてしか捉えないような制度を続けていけば、本来の目的と実態が益々乖離していくことが避けられないだろう。
 技術移転そのものを否定しないが、労働力確保という意味では、日本は技能実習のような弥縫策に頼らずに、移民の受け入れを含めた日本の労働市場のあり方全般について、日頃から議論を積み重ねていく必要があるだろう。また、ひいては日本の社会をより多様性に富んだ社会にしていくことの是非についても、より活発な議論が必要だろう。
 技能実習制度の制度改正を機に、外国人労働者の受け入れのあり方や、日本が今後、目指すべき社会像などについて、社会福祉や移民問題が専門で外国人技能実習制度にも詳しい京都大学の安里和晃氏と、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。

トランプのアジア歴訪に見るパクス・アメリカーナの終焉

(第867回 放送日 2017年11月18日 PART1:57分 PART2:28分)
ゲスト:渡辺靖氏(慶應義塾大学教授)

 「パクス・アメリカーナ」が、いよいよ終焉を迎えつつあるようだ。しかし、そこに一帯一路を掲げて台頭する習近平の中国は、一体どのようなオルタナティブな価値を提示しようとしているのだろうか。
 先のトランプ大統領の初来日では、植民地と宗主国の関係を彷彿とさせるような日本の異様なまでの歓待ぶりが目立ったが、実はあの時、大統領は日本を皮切りに12日間にわたりアジア諸国を歴訪していた。トランプにとっては大統領就任以来最長の外国歴訪であり、最大の外交舞台だった。
 しかも、その中には今や世界の2大覇権国となりつつある米中の首脳外交も含まれており、世界はトランプ外交の行方とともに、米中関係の変化が今後の世界秩序にどのような影響を及ぼすかを固唾をのんで注目していた。
 しかし、結論から言えば、外交の舞台に出ても、はるばるアジアまでやってきても、やっぱりトランプはトランプだった。
 トランプ大統領は超大国アメリカの国家元首として、行く先々で盛大な歓迎を受けたが、その一方で、アメリカ側から今後国際社会の中でどのような役割を果たしていく用意があるかについての意志表明は、ほぼ皆無だった。また、トランプは安全保障やその他のデリケートな外交問題も、ほぼ例外なくビジネスディール(取引)の感覚で受け止めていることを隠そうともしなかった。
 これは選挙戦当初からアメリカ第一主義を掲げ、全てをディール(取引)と位置付けてきた不動産王のトランプとしては、至極当然のスタンスだったのかもしれない。
 しかし、アジア諸国を歴訪中に、例えば中国やフィリッピンでは人権の問題に全く触れず、行く先々でどれだけのビジネス取引を成立させたかばかりを勝ち誇るトランプの姿からは、アメリカという国がもはや自由主義陣営の盟主の座はおろか、その普遍的な価値を守っていく気概さえも失ってしまったことを感じ取らずにはいられない。
 一方の中国は、これまでアメリカを始めとする欧米の自由主義陣営の国々から、民主主義や人権の分野での遅れを常に指摘されてきた。しかし、今回、アメリカからそのような問題提起がなかったことに加え、むしろ欧米諸国の政治が軒並み機能不全に陥っている様を横目に、民主主義に対する懐疑的な考え方にむしろ自信を深めているようだ。
 ちょうど共産党大会とトランプ訪中のタイミングに1か月あまり北京大学に滞在していた慶応大学の渡辺靖教授は、中国の共産党エリートのみならず、中間層の間にも、欧米が主張するような民主主義に対する懐疑的な見方が広がっているとの印象を受けたと語る。それは現在の中国の共産党による支配体制に対する自信にもつながり、中国には中国の独自の国家モデルがあり、何も欧米のモデルを真似する必要はないじゃないかという風潮が強まっていると渡辺氏は言う。
 古くはローマ帝国から、元、オスマントルコ、大英帝国等々、これまで世界には覇権を握る超大国が一つ存在し、その国を中心に国際秩序が形成されてきた。として、少なくとも20世紀以降は、自由、人権、民主主義などの普遍的価値をベースに圧倒的な経済力と軍事力でアメリカが世界の覇権を握ってきた。
 アメリカは経済規模や軍事力では依然として世界で群を抜く超大国だが、一方で、そのモラルオーソリティ(道義的権威)はトランプ政権の発足以後、大きく傷ついている。このアジア歴訪でそれがいよいよ決定的になったとの見方もある。これは、1世紀ぶりに世界が新たな秩序の模索を始めたことを意味するが、その中で中国がどのような役割は果たすようになるのかは、依然として未知数だ。
 また、そうした新たな世界秩序の下で、日本の唯一の外交戦略は今のところ「何があってもアメリカについていく」以上のものが見えてこないが、それで本当にいいのか、そこにどんなリスクが潜んでいるのかも気になる。
 希代のアメリカウオッチャーとして知られる渡辺氏の目に、トランプを迎える中国はどう映ったのか。アメリカが覇権を失った世界の秩序は、どう推移していくのか。中国から帰国したばかりの渡辺氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

独立を強行したカタルーニャは何を求めているのか

(第868回 放送日2017年11月25日 PART1:53分 PART2:49分
ゲスト:田澤耕氏(法政大学国際文化学部教授)

 世界ではイギリスのスコットランドやイラクのクルド人自治州など、ざっと見たたけでも40~50の地域で何らかの独立運動が起きているが、実際に独立宣言まで強行するケースはほとんどない。
 その意味で、スペイン北東部のカタルーニャ自治州がスペイン政府の反対を押し切って今年の10月1日に独立を問う国民投票を行い、圧倒的な賛成多数を受けて独立宣言にまで踏み切ったことは、近年では希なケースとして特筆されるだろう。
 イギリスのブレグジットやアメリカのトランプ政権の発足の背景には、行き過ぎたグローバル化への反乱としてのナショナリズムの高揚があると言われている。実際、国境を越えたモノ、カネ、ヒトの流れの自由化によって不利益を被った各国の中間層や低所得層が、国家主権の回復を求め始めていることは、各国の選挙でナショナリスト政党が躍進していることなどによって裏付けられている。
 とは言え、その機運がナショナリズムという国家レベルの主権回復運動にとどまる保証はどこにもない。日本のように千年以上にわたり一つの国としての形を維持してきた国は世界ではむしろ少数派で、多くの国は国民国家としてはせいぜい数百年の歴史しか持たない人為的な国だからだ。
 しかし、特定の地域で独立機運が高まった時、中央政府との間に大きな摩擦が生じる。憲法で、一部の州や地域の独立を認めている国は恐らく世界には一つも存在しないだろう。そもそも憲法というものは、国を一つにまとめるために存在するものだからだ。
 ということは、どんな国でも独立宣言=(イコール)憲法違反ということになる。
 また世界では多くの国が同様の火種を抱えているため、州や地域の独立は国際社会からの支持も得にくい。
 実際、連邦政府の反対を押し切って今年10月1日に独立を問う住民投票を行い、圧倒的な支持を得て共和国としての独立宣言に踏み切ったスペインのカタルーニャ州は、スペインの憲法裁判所から住民投票自体を違法と判断され、独立宣言を行ったプチデモン自治州首相以下州政府の指導者たちは国家反逆罪で訴追される身となり、現在国外に逃亡中だ。
 しかも、あくまでカタルーニャの独立を認めないスペインのラホイ首相の方針を、EUやアメリカまで支持している。独立が住民投票で圧倒的な支持を得ていることに加え、スペインの中央政府が治安警察を派遣して、丸腰の住民を押さえつけたり、ゴム弾や催眠ガスを使って、力で独立運動の阻止に乗り出しているにもかかわらずだ。
 現在カタルーニャ州は独立宣言以前に持っていた自治権も停止され、中央政府の直接管理下に置かれている。まさに独立を強行することのリスクがもろに顕在化した形だが、それにしてもカタルーニャはなぜそれだけのリスクを冒してまで、独立にこだわったのだろうか。
 地中海に面し、フランス国境にそびえるピレネー山脈の通り道に位置するカタルーニャは、フランスとの交流も深く、独自の伝統と文化を築いてきた地域だ。建築家ガウディや画家ダリなど多くの著名人を輩出してきたほか、17の自治州のなかで最も経済規模が大きく、全人口の16%のカタルーニャ州がスペインのGDPの20%を占める、スペインのなかでも最も富める自治州だ。
 歴史的には15世紀にスペイン王国の一部となったが、独自の言語と独自の文化を持ち、住民たちの間にも元々スペイン人としての意識が希薄な地域だった。しかも、一般的なスペイン人と比べると勤勉で、芸術などの面でも優れた人材を多く輩出し、経済的に繁栄していることもあり、むしろカタルーニャ人はスペインに対して優越感を持っていたと、カタルーニャ文化に詳しい法政大学国際文化学部の田澤耕教授は語る。
 19世紀のナポレオンによる占領をきっかけに、カタルーニャの独立を求める動きが活発化したが、今回の独立騒動の直接のきっかけは、2006年にカタルーニャ州議会が自治憲章に「カタルーニャは民族的に独自な存在」の一語を加える改正を行ったことだった。これはスペイン議会でも一度は認められたが、スペイン議会でフランコ将軍の流れをくむ国民党が、これを違憲としてスペイン憲法裁判所に提訴し、2010年に違憲判決が出てしまった。それに反発したカタルーニャ州で独立機運が高まり、2012年には150万規模のデモが起きるまでの大規模な運動に発展していた。
 また、リーマンショック以降、スペインのGDPの2割を占めるカタルーニャが、インフラ整備などの公共支出で他の州よりも不利な扱いを受けているという不満が募っていたことも、独立機運に寄与したと田澤氏は言う。
 カタルーニャを自らの管理下に置いたスペイン政府は、12月21日に自治州の議会選挙を行うことを発表している。しかし、世論調査によると現時点では独立推進派が僅かに優勢だという。当面はこの選挙の成り行きが注目されるが、カタルーニャの独立問題が解決するまでにはまだしばらく時間が必要になりそうだ。
 元々、相当の自治を認められていたカタルーニャが、ここに来てあえて独立宣言に踏み切ったことに、どのような意味があるのか。これはウエストファリア体制として知られる国民国家の時代の終わりの始まりなのか。世界の他の地域へはどんな影響があるのか。田澤氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

過剰コンプライアンスが生む日本企業の不正ドミノ

(第869回 放送日 2017年12月2日 PART1:52分 PART2:46分)
ゲスト:郷原信郎氏(弁護士)

 神戸製鋼に続き、東レの子会社や三菱マテリアル子会社など日本を代表する素材メーカーで製品検査データによる改ざんが発覚し、衝撃が広がっている。
 不正が発覚した会社ではいずれも「安全性に問題はない」と説明しているが、不正を行った東レ子会社の東レハイブリッドコードと三菱マテリアル子会社の三菱電線ではいずれも社長が更迭されているし、そもそも長年にわたる不正が発覚した以上、その言葉に疑義が生じるのは避けられない。相次ぐ老舗企業による不正の発覚に、日本ブランドの信用の失墜につながることを懸念する声も上がり始めている。
 なぜここに来て日本の有名企業の不正発覚が相次いでいるのか。そもそもそれは本当に「不正」だったのか。
 企業コンプライアンスに詳しい弁護士の郷原信郎氏は、一連のデータ改ざんは問題だとしながらも、商品の安全性に直結するレベルの不正と、安全性には影響しないが、取引企業間の取り決めからは逸脱していたというレベルの形式的不正は区別して考える必要があると指摘する。そして、経産省が企業間の取り決めから逸脱したレベルの不正についても、積極的に社会に向けて公表するよう指導するようになったため、これまでは表沙汰にならなかった形式的な不正までがメディアに大きく取り上げられ、あたかも安全性に問題があるかのような不安を煽る形になっていることには問題があると言う。
 日本の企業文化には顧客が要求した品質は満たしていないが不良品とまではいえない製品については、特採(特別採用)として一時的に出荷を容認する慣習がある。納期や数量を勘案すれば、誤差の範囲として取り扱ったほうが得策だということで、これまで企業間で例外として処理されてきたものだった。特採は最終製品の品質に影響を与えないことを前提とする一時的な措置であることが前提だったが、一流メーカーの中には自社ブランドに対する信頼に胡坐をかき、特採レベルの「誤差」についてはデータを改ざんする慣習が常態化していたところも少なからずあった。それがここに来て、一気に露呈しているのだ。
 郷原氏はこうした一連の「不正」や「データの改ざん」に問題がないと言っているわけではない。しかし、最終製品に安全上の問題が生じないことを前提に、あくまでB to B(企業間)の契約上処理されるべき問題が、本質的な安全問題として社会問題化すれば、企業側に過剰コンプライアンス心理が働き、結果的に形式的不正を生む構造がますます覆い隠されることになりかねないと郷原氏は言う。内容やレベルに関係なく「不正」や「改ざん」といった言葉が一律に使われることで、構造的な不正が修正される方向ではなく、隠蔽される方向に向かってしまう可能性が高いというのだ。
 素材メーカー3社のデータ改ざんの合間に、日産やスバルなどの自動車メーカーによる無資格者の検査問題というものも浮上しているが、それも新車を一台一台検査する必要があるのかというそもそも論を横に置いたままの「不正」論争になっている点に、疑問があると郷原氏は指摘する。そもそも検査員の資格は社内的なものであり、実際の検査の内容も資格を要するような難易度の高いものではなかったのだ。
 これは日本に限ったことではないかもしれないが、日本のとりわけ製造業の現場では長年、職人気質の技術者の「経験や勘」に頼った品質管理が行われてきた。しかし、国際化が進み、コンプライアンスが叫ばれるようになった結果、そうした明文化されないノウハウに頼った品質管理ではなく、より明文化された客観基準による管理が必要になった。管理職は対外的な必要性からそうした基準の制定を進めるが、現実を反映しない基準や守れるわけがないような基準を押し付けられた現場では、そうした基準が空文化しているケースも多い。
 そもそも企業間の取り決めに基づく特採の公表を求める経産省の判断が妥当なものなのか。一連の「不正」をメディアは正しく報道し、それは社会に正しく理解されているのか。法令の安全基準に現場の声を反映させ、より現実的で遵守が可能な製品基準をつくらなければ、今後も形式的な不正はなくならないだろうと指摘する郷原氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ポスト・トゥルース時代の保守とリベラルの役割

(第870回 放送日 2017年12月9日 PART1:58分 PART2:1時間1分)
ゲスト:中島岳志氏(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)

 先の総選挙では選挙直前に民進党が分裂するなど野党陣営の足並みが乱れ、結果的に自公連立与党の大勝に終わった。
 また、その分裂劇のさなかで、希望の党の小池百合子代表は分裂した旧民進党の「リベラル勢力」に対して明確な排除の意志を表明する一方で、リベラル勢力の受け皿として急ごしらえで結党された立憲民主党の枝野幸男代表は自らを「保守」と位置付けるなど、日本の政治で「リベラル」の行き場がなくなりつつあるような政治状況が続いている。
 一方、世界に目を転じると、アメリカの大統領選や上下両院選挙で民主党に共和党が勝利するなど、先進諸国でナショナリスト勢力が躍進する中、いわゆる左派政党の衰退が目立っている。
 リベラルの時代は終わったのか。
 政治思想が専門で「リベラル保守宣言」などの著書のある東京工業大学の中島岳志教授は、リベラルにはまだ重要な役割があると指摘した上で、枝野氏が立憲民主党の結党記者会見で語った「リベラルと保守は対立概念ではない」という言葉に、今後のリベラルと保守の関係を示す重要なヒントが隠されていると指摘する。
 日本では「リベラル」が革新や左派勢力を意味するように使われているが、枝野氏が指摘するようにそれは明らかな誤謬だと中島氏は言う。革新と呼ばれていた勢力が冷戦終了後に自らをリベラルと名乗るようになったために混同されがちだが、リベラルと左派は全く別物だ。
 もともとリベラルは17世紀のカトリックとプロテスタントの激しい宗教戦争への反省から、徹底的に戦い合うことを避けるために、個人の思想や信仰の自由を保障する「自由主義」(リベラリズム)に起源があると中島氏は指摘する。そこからリベラリズムには、国家が個人に介入しないことを求める「消極的自由」と、個人の自由を保障するためには国家の一定の介入が必要と考える「積極的自由」の2つの流れが生まれ、現在に至る。リベラルはあくまで個人の自由を尊重する考え方なのだ。
 その一方で、フランス革命を支えた啓蒙主義に対する批判としてエドモンド・バークらによって提唱された保守主義は、人間の理性や知性の限界を受け入れ、急進的な合理主義に対して懐疑的な立場を取る。歴史的に受け継がれてきた暗黙知を尊重することこそが、個人の自由が守られるとの立場を取るのが保守主義だ。
 枝野氏が指摘するように保守とリベラルは対立する概念ではなく、リベラルが主張する積極的自由と消極的自由のバランスを重視するのが保守主義者の立場だと中島氏は語る。例えば、政治思想を示す座標軸に市場主義と再配分主義があるが、市場主義は消極的自由が前提にあり、再配分主義は積極的自由に基づく。そして、どちらの行き過ぎも警戒し、両者のバランスを重視するのが保守の立場ということになる。
 元々日本ではリベラルと左翼や革新が混同されているため、そこは整理が必要だが、問題は本来の意味でもリベラルが世界的に危機に瀕していることだ。そしてその理由は、旧来の消極的自由と積極的自由のバランスだけでは、個人の自由を保障することが難しくなっているからだ。
 しかし、「リベラル保守」を自認する中島氏は、リベラルにはまだ重要な役割が残っているし、その役割を果たすことが可能だと語る。
 トランプ米大統領誕生に代表されるポスト・トゥルースが猛威を振るう21世紀の世界におけるリベラルの役割とは何なのか。自民党は保守政党なのか。日本におけるリベラルと保守の存在意義は何なのかなどについて、中島氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

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国際政治学者だから気づいた間違いだらけの憲法解釈

(第851回 放送日 2017年7月29日 PART1:54分 PART2:47分)
ゲスト:篠田英朗氏(東京外国語大学教授)

 東京外大の篠田英朗教授は、平和構築が専門の国際政治学者だ。その国際政治学者の目で見た時、今、日本で大勢を占めている日本国憲法の読み方はおかしいと、篠田氏は言う。それはもっぱら内向きな議論に終始し、現在の国際情勢や国際政治の歴史からあまりにも乖離しているからだ。
 そもそも現在の日本国憲法は憲法学者、とりわけほんの一握りの著名な東京大学法学部出身の憲法学者による学説がそのまま定説として扱われているきらいがある。例えば、憲法9条も、何があっても平和を追求する姿勢を国民に求めているものと解釈されているが、篠田氏は9条を普通に読めば、その目的は「正義と秩序を基調とする国際平和の樹立」にあり、あくまでその手段として交戦権の放棄や軍事力の不保持が謳われていると読むのがより自然だと指摘する。
 そもそも日本国憲法の3大原理として、われわれが小学校の教科書で教わる国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の3つの柱は、誰がそれを日本国憲法の3大原理だと決めたのかも不明だ。憲法自体には3大原理などという言葉はどこにも出てこないからだ。
 篠田氏は日本国憲法を普通に読めば、その最優先の原理が「国民の信託」にあることは明白だと言う。憲法はその前文で「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し・・・」と記している。前文に明記されている大原則を無視して、誰かの解釈による3大原理なるものが一人歩きをしているのではないか。
 早い話が現在の日本の憲法解釈やその定説と言われるものには、一部の憲法学者たちの価値判断が強く反映されており、われわれ一般国民はそれをやや無批判にファクトとして受け止めてきたのではないかというのが、篠田氏の基本的な疑問だ。
 悲惨な戦争を経験した日本にとって、戦後間もない時期にそのような解釈が強く前面に押し出されたことには、一定の正当性があったかもしれない。また、世界における日本の存在が小さいうちは、国民がこぞって専門家まかせの憲法解釈に乗っかることも許されたのかもしれない。しかし、戦後復興を経て今や日本は世界有数の大国になり、国際情勢も憲法制定時の70年前とは激変している。
 そうした中でもし日本がこれから本気で憲法改正の議論を始めるのであれば、まず憲法が長らく引きずってきた様々な予断や、強引で無理のある解釈をいったん横に置き、当時の時代背景などを念頭に置いた上で、あらためて日本国憲法のありのままの中身を再確認することには、重要な意味があるのではないか。
 とりわけ、現行憲法は英語の原文を見ることで、憲法の原案を起草した当時のアメリカがどのような意図でそのような条文を書き込んだのかが、より鮮明になると篠田氏は指摘する。押し付け憲法論やそれをベースとする自主憲法制定論も結構だが、まずは現行憲法が何を謳っているかを正しく理解しなければ、議論の進めようがない。
 平和構築が専門の篠田氏は、特に日本国憲法3大原理のうち、平和主義がそこに含まれていることに不満を隠さない。平和というものはあくまで目的でなければならず、それ自体が原理ではあり得ない。平和を原理として掲げ、平和主義のお題目を繰り返せば自動的に平和が実現するのであれば、世界は何も苦労などしない。
 憲法の一大原理である国民と政府との間の「信託」によって、日本国民は政府に対し平和を最優先の目的として掲げるよう求めている。ということは、政府はその目的を達成するために、どのような手段を選択するかが常に問われていることになる。平和を実現するために本来は他にすべきことがあるが、憲法の平和主義原理のために「あれはできない、これはできない」などという話になるのは、全くもって本末転倒ではないか。
 憲法の専門家ではない国際政治学者だからこそ見える日本国憲法をめぐる解釈や学説の不自然さや、憲法の歴史的な背景とその後の国際情勢の変化を念頭に置いた時、今日、日本国憲法はどう読まれるべきか、だとすれば、どのような憲法改正があり得るかなどについて、篠田氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

北朝鮮問題に落としどころはあるのか

(第852回 放送日 2017年8月5日 PART1:51分 PART2:49分)
ゲスト:武貞秀士氏(拓殖大学特任教授)

 国際社会が恐れていた事態が、いよいよ現実のものとなりつつある。核兵器を手にした北朝鮮が、それを地球の裏側まで飛ばすことを可能にする大陸間弾道ミサイル(ICBM)を手にするのが、もはや時間の問題となっているのだ。
 北朝鮮が核実験やミサイル発射実験を重ねるたびに、アメリカはこれを糾弾し、空母を朝鮮半島沖に派遣したり米韓軍事演習を行うなど、示威行動を繰り返してきた。しかし、アメリカが実際の軍事行動に出る気配は感じられず、「ICBMがレッドライン」との見方が支配的になっていた。北朝鮮が何をやっても、一般のアメリカ国民にはほとんど影響は無いが、ICBMが実践配備されれば、アメリア本土が北朝鮮の核の脅威に晒されることになるからだ。
 しかし、北朝鮮が7月4日、28日と二度にわたるICBMの発射実験を行った後も、アメリカが強硬手段に出そうな気配は見られない。そればかりか、ティラーソン国務長官などは、北朝鮮の脅威が増すにつれて、むしろ対話を模索する言動が目立ってきている。
 早ければ2018年中にも北朝鮮がアメリア本土にも届くICBMの開発に成功する可能性が取り沙汰される中、北朝鮮と直接対立関係にある日米韓の3か国にはどのような選択肢が残されているのだろうか。
 防衛研究所時代から希代の朝鮮半島ウォッチャーとして知られる武貞秀士・拓殖大学特任教授は、そもそも事態がこのような切羽詰まった状況に陥る遥か以前から、今日のこの状況を予想し、「北朝鮮問題は対話を通じて解決するしかない」と主張してきた。そんな武貞氏の主張は、拉致問題を抱え対北朝鮮強硬論が根強い日本では「弱腰」との批判を受けてきたが、ここに来て事態は氏の主張した通りになってきている。
 北朝鮮と交渉すべきという主張は、2つの楽観論を前提とする強硬論にかき消されてきた。一つ目の楽観論は、強く出ていれば北朝鮮はいずれ時間の問題で崩壊するだろうという希望的観測、そしてもう一つは、いざとなればアメリアは黙っていないはずだという他力本願の楽観論だった。
 また、事態がここまで来てしまった背景には、北朝鮮が開発を急ぐ核やミサイルが、周辺国やアメリカにとって現実の脅威となるまでには、まだしばらく時間がかかるにちがいないという油断もあった。今となっては、これも多分に希望的観測だったと言わねばならないだろう。
 しかし、こうした希望的観測はことごとく外れ、北朝鮮が現実に核兵器を保有し、弾道弾ミサイルも手にしようとしている。それでも武貞氏は、やはり対話を通じて核兵器やミサイルの脅威を押さえ込んでいくしかないと、これまでの主張を繰り返す。
 「トランプ大統領」という誰にも予想がつかない不確定要素はあるものの、アメリカの軍事行動に対する北朝鮮の報復は、同盟国である韓国や日本に莫大な被害をもたらす可能性が高いため、例え限定的なsurgical strikeであっても現実的ではない。既に日本は全土がノドンミサイルの射程圏内に入っていることも忘れてはならない。
 一方、交渉はあくまで相互的なものなので、北朝鮮側の主張を全面的に受け入れる必要はない。北朝鮮が求めるものを小出しに与えつつ、核やミサイルの脅威のレベルを低減させていくことが、交渉の目的となる。
 それが本当に可能かどうかはわからない。しかし、他に現実的な選択肢がないことも事実だろう。
 そもそも北朝鮮はアメリカと戦争がしたいわけではない。北朝鮮は1948年の建国以来、朝鮮半島の統一を国家目標としており、国連軍の名前で韓国に駐留する在韓米軍がその妨げになっているというのが北朝鮮側の立場だ。無論アメリカにとっては、中国と同盟関係にある北朝鮮による朝鮮半島の統一は容認できないが、一方の中国も、北朝鮮が崩壊し、米軍が中朝国境まで迫ってくるような事態は受け入れられない。
 また、統一の際の直接の当事者となる韓国は韓国で、北主導の統一は到底受け入れられないにしても、冷戦によって国が分断されたままの状態を解消したいとの思いは国民の間で根強く共有されている。
 このように入り組んだ地政学的パズルの中では、いたずらに対立を煽っても何ら解決にはつながらない。交渉が行われない限り、北朝鮮はこれまで通り核・ミサイル開発を続け、それを国際社会に見せつけることで、自らの力を誇示し続けるだけだろう。そして、時間の問題で地球の裏側まで核を届かせる手段も手にするだろう。そうなってから話し合いを始めるのと、今話し合いを始めるのとでは、どちらが得なのかは、冷静になって考える必要がある。そうでなくとも、時間が経てば経つほど、交渉は北朝鮮にとって有利なものになっているのが現実だ。
 アメリカの軍事行動はあり得るのか。中国はなぜ本気で北朝鮮を止めようとしないのか。北朝鮮はどこまでやるつもりなのか。武貞氏に北朝鮮問題に落としどころを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

「日本人は格差を望んでいる」は本当か

(第853回 放送日 2017年8月12日 PART1:50分 PART2:46分)
ゲスト:橘木俊詔氏(京都大学名誉教授)

 「日本のピケティ」との異名を取る京大名誉教授の橘木俊詔氏は、1998年に「日本の経済格差」を著し、一億総中流と言われていた日本経済が急速にアメリカ型の格差社会に向かっていることに対して、最初に警鐘を鳴らした経済学者の一人だった。しかし、その後、日本は橘木氏の予想した通り、一気に格差社会への道を突き進んでいった。
 今回は橘木氏との議論を通じ、現在の日本の「格差社会」や「貧困化」の状態が、日本人がそのような社会となることを自覚的に選択した結果だったのかどうかを考えてみた。つまり、われわれ日本人があえて格差が広がり貧困が放置されるような社会を望み、その前提となる税制や社会制度を選んだのか。それとも、無自覚のうちにそのような選択をしていただけであり、それはこれから修正される余地があるものなのかどうか、だ。
 それにしても今や日本は、アメリカと並ぶ世界有数の格差大国となっている。6人に一人が貧困線以下の生活を強いられ、貧困者の割合を示す相対的貧困率でも、富の偏在を示すジニ係数でも、日本はアメリカと並び世界で最も貧富の差が大きく、貧困層が放置されている国であることが、データによって裏付けられている。それもそのはずで、再分配の前提となる国民負担率(租税負担率+社会保障負担率)でも、日本はアメリカと並び先進国では最低水準にある。何らかの形で富める人たちから税や社会保障費の形で富を集め、それを貧しい人たちに分配しなければ、貧富の差が広がり、貧困が放置されるのは当然の帰結だった。
 17世紀以降、ヨーロッパの開拓者たちによって国の礎が作られたアメリカが、伝統的に個人に対する政府の介入を嫌い、自助の精神を重んじる国であることは、広く知られている。そのアメリカができる限り税負担を軽くし、社会保障も公的負担を避け、自助に任せようとする傾向があることは、ある程度説明がつく。無論、そのシステムから漏れた医療保険を持たない非正規雇用労働者や失業者などの貧困層に対する最低限の手当ては必要だが、医療保険を持たない貧困層を救済するためにオバマ大統領の肝いりで導入された「オバマケア」でさえ、いまだに反対意見が根強く、方々で違憲訴訟が提起されるほどだ。
 しかし、今や日本の租税負担率はそのアメリカよりも低い。日本には義務的な年金と医療保険があるため、租税負担率に社会保障負担率を加えた「国民負担率」ではまだアメリカを少し上回っているが、それでも先進国中最低水準の41.6%(2015年度。租税負担率=24.1%。社会保障負担率=17.5%)にとどまる。ちなみに、アメリカの国民負担率が先進国中最低の32.5%(租税負担率=24.2% 社会保障負担率=8.3%)なのに対し、イギリスは46.5%、ドイツは52.6%、フランスは67.6%だ。(国民負担率が95.5%のルクセンブルグを例外とすると)先進国中、国民負担率が最も高いデンマークでは、所得の68.4%が税金と社会保障費として持っていかれるが、それと引き換えに医療や教育などほとんどの公共サービスが無料で受けられるし、失業保険や介護保険なども当然、日本では考えられないほど充実している。
 所得税の最高税率をあげたり、税率の累進性を高めると、労働意欲が削がれるとの説明がなされることが多いが、実際に税率が高い国で人々が真面目に働かなくなることを示すデータは見たことがないと橘木氏は言う。低い所得税率はむしろ、政府の信用度の低さと、国民の再分配に対する否定的な姿勢を反映している。
 実際、アメリカや日本に代表される、税負担が低く抑えられている国では、得てして国民が再分配に積極的ではない傾向が強いと橘木氏は言う。一億総中流などが叫ばれ、お上意識も強い日本人ではあるが、実はその本性はアメリカ型の自助社会を志向しているというのが、格差問題を研究してきた橘木氏の見立てだ。
 この番組では何度もご紹介しているが、2007年のピューリサーチによる国際世論調査で、「自力で生活できない人を政府が助ける必要はあるか」の問いに対し、日本は先進国中ダントツとなる38%もの人が「助けるべきではない」と回答している。何とこれは28%が「ノー」と答えたアメリカはもとより、中国や貧困に喘ぐアフリカの発展途上国よりも大幅に高いショッキングなデータだったが、実際に今、日本社会に起きている現象は、残念ながらこの調査結果と符合していると言わざるを得ない。
 その裏付けとなるかどうかは議論のあるところだが、日本では相変わらず生活保護の捕捉率が2割を割っている。つまり実際に生活保護を受けられるほどの困窮状態にありながら、様々な理由から生活保護を受給できていない世帯が、8割以上もあるということだ。8割の貧困家庭が放置される一方で、実際は全体の0.3~0.4%程度に過ぎない生活保護の不正受給に対しては、メディアも含めて凄まじいバッシングが行われる。
 とは言え、もし橘木氏が指摘するように、実は日本人の本性が「助け合い」ではなく「自助」にあるのだとすれば、今日の日本の問題はとても根深いものとなる。なぜならば、困っている他人を助けるために一肌脱ぐことには否定的な一方で、精神的にも実態面でも行政への依存度が非常に高く、何かあればすぐに「お上」に頼る傾向が強いのが日本人だとすれば、日本の財政の帳尻が合わなくなるのは目に見えているからだ。
 実際、今の日本に、社会保障に頼らない老後の見通しが立っている人が、どれほどいるだろうか。結果的に日本の社会保障制度は北欧並みの高福祉ではないにしても、公的医療保険や公的年金のないアメリカや発展途上国に比べれば、中福祉程度の水準は維持しているし、恐らくそれが国民の期待するところなのだろう。ところが、実際日本人はアメリカ並みに自助を重んじ、他人を助けることに否定的であるが故に、高い税金による再分配を望んでいないという。もしそうだとすると、負担はしたくないが給付だけは一定水準を要求する国民ということになってしまう。結果的に、高負担・高福祉の北欧型、低負担・低福祉のアメリカ型に対し、現在の日本は低負担・中福祉になっているのではないか。それでは財政が持たないのは当然のことだ。
 既に財政的には大きな赤字を抱える日本が今後、少子高齢化を迎える中、消費税率を最低でも25%~30%程度まで上げなければ、現在の「中福祉」の給付水準を維持することはできないとの試算がいろいろなところから出されている。しかし、どうも今日の日本人の国民性は、給付を維持しながら負担水準を上げることで帳尻を合わせるのではなく、むしろ給付を削ってでも負担を下げる方を選ぶのではないかというのが、今回の橘木氏との議論から見えてきた方向性だった。それが貧富の差を更に拡げ、貧困人口を増やすことを意味していることは言うまでもない。
 戦後の急速な工業化によって伝統的な農村共同体が崩壊し、一時期それに取って代わる機能を果たしてきた企業共同体もほぼ消滅した日本には、もはや地域共同体というものがほとんど何も残っていない。社会の基礎を成す共同体が崩壊した社会では、「仲間」のために自分が余分な負担を負うことに意義を見いだせなくなることは、避けられないことなのかもしれない。共同体がない社会では、そもそも「仲間」というのが誰のことなのかが自明ではなくなるからだ。しかし、その一方で、われわれ日本人は、アメリカのような自助を前提とする弱肉強食社会に耐えていくだけの、精神的なタフさを本当に持ち合わせているのだろうか。そもそもトランプ現象などを見るにつけ、アメリカ「自助」社会というものが今、ちゃんと回っているのだろうか。
 ここは一旦立ち止まり、今われわれが突き進んでいる道が本当に自分たちが選んだ正しい道なのかどうかについて、一考してみる価値はありそうだ。
 経済学者の橘木氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

これでいいのか日本の大学

(第854回 放送日 2017年8月19日 PART1:1時間3分 PART2:1時間1分)
ゲスト:吉見俊哉氏(東京大学大学院教授)

 森友学園・加計学園と、相次いで教育と行政の関わりが問題になっているが、教育、中でもとりわけ日本の大学が、危機的な状況に瀕している。
 実際、18歳の人口が年々減少しているにもかかわらず、次々と新しい大学が作られたために、今や私立大学の4割以上が定員割れに陥っているという。その多くは中国などからの留学生で穴を埋めている状態だそうだが、定員割れの大学は事実上誰でも入れるため、逆に入学後、授業についていけずにドロップアウトする学生が半分以上にのぼる大学も少なくないという。
 かと思えば、文部科学省は国立大学への「運営交付金」を毎年1%ずつ削減するほか、国立大学の人文系学部の規模を縮小し、最終的には統廃合するよう通知したことが報じられている。
 大学に今、何が起きているのか。
 『「文系学部廃止」の衝撃』や『大学とは何か』などの著書のある東京大学の吉見俊哉教授は、文科省が国立大学の人文系学部の統廃合を通告したとされる報道はメディアの誇大報道だったことを指摘しながらも、実際、日本の国立大学では一貫して理系学部を優先する政策が採用されてきたことを問題視する。その偏りが日本という国の針路の偏りにつながっている可能性があるからだ。
 実際、日本は20世紀初頭に始まった戦時体制の下で、軍事力強化の目的で理工系の研究所が次々と建設され、理工系学生が重用されたのを手始めに、戦後も経済復興・成長に貢献できる理工系大学の優遇という形で、一貫して理系重視の政策が継承されてきた。
 2004年の大学の独法化に際して、大学は政府から支給される運営交付金が削減され、科学研究費などの「競争的資金」への依存度が増したことで、理工系優位がますます顕著になった。
 理工系の研究が軍事力の強化や企業の競争力強化に有効なことは言うまでもない。しかし、例えば戦前に「アメリカに勝つための科学力」を強化するために理系が重視されたことについて吉見氏は、アメリカに勝つという目的の是非が問われなかったのは、日本が人文系の学問を軽視してきたことの大きな落とし穴がそこにあったと考えるべきだと語る。
 実際に今日、遺伝子操作や出生前診断などに代表される生命科学や、情報通信やAIといったコンピューター技術の重要性が強調され、ますます理系重視の傾向に拍車が掛かっているが、生命倫理や循環型社会のあり方などを考察し、価値判断を下す人文系の視点が後手に回っている感は否めない。
 そもそも大学という機関が何のためにできたのか、その起源や成り立ちを見ていくと、昨今の近視眼的な理系重視の政策の問題点が浮き彫りになる。理系は「役に立つ」からが優遇されるのが当然だと言われることが多いが、そもそも何が「役に立つ」かは、何を目的に設定するかによって変わってくる。その目的が単に国力の強化や企業の競争力だけであっていいのかどうか。その価値評価や価値判断こそが、哲学や政治学、倫理学などの人文系の学問的な英知を必要としているものなのではないか。
 そもそも日本は公的な教育支出が先進国中、最低の水準にある。その日本で支援の対象が理系に偏れば、人文系の英知が隅に追いやられるのは目に見えている。そのことのツケは思った以上に大きいかもしれない。
 何のために大学に行くのかとの問いに対し、「学歴のため」と「みんなが行くから」と答える学生が圧倒的多数を占める日本で、現在の大学のあり方や求められる改革などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が吉見氏と議論した。

異常気象を日常としないために

(第855回 放送日 2017年8月26日 PART1:44分 PART2:41分)
ゲスト:三上岳彦氏(首都大学東京名誉教授)

 35度を超える猛暑で、各地で熱中症による死者が出たかと思えば、翌日にはスコールのようなゲリラ豪雨で川が氾濫し、また多くの死傷者を出す。
 いつのまにかこんなことが繰り返されるようになった。
 日本もさることながら、世界に目をやると、干ばつや豪雨、熱波や寒波、大雪に台風に大洪水など、今やどこかで何らかの「異常気象」が起きていない日は一日もないといっても過言ではないだろう。
 ついこの間まで、さんざ「異常」「異常」と言われていたこんな気象現象が、もはや異常ではなくなっている。少なくともそれが、われわれの日常になりつつある。しかし、つい最近までこんなことは滅多になかった。あってもそれは一時的な「異常」事態だと考えられていた。
 いつからこんな異常気象が、日常になってしまったのか。
 気象学が専門でヒートアイランド現象に起因する都市のゲリラ豪雨に詳しい首都大学東京の三上岳彦名誉教授は、異常な高温や豪雨といった異常な気象現象というのは昔から起きていたが、ここに来てその頻度が増していることは間違いないと指摘する。
 異常が日常化していることはわれわれの皮膚感覚でも十分に感じられるが、それはデータによっても裏付けられている。
 一日の最高気温が35度を超える猛暑日の発生日数は近年、日本全体で急激に増えているし、1日の最低気温が25度を下らない熱帯夜も同じようなペースで増加している。
 例えば、1930年代までは東京で年に10数回しかなかった熱帯夜が、2000年代に入ると年間50~60日近くに上っている。これは実質上7~8月の2か月間、最低気温が25度以下まで下がった日が一日もなったことを意味している。
 一方、大雨の発生数も確実に増えている。全国で1年間に1時間あたり80ミリを超える豪雨が発生した回数は、1975年~95年頃までは5~15回程度だったのに対し、98年以降は毎年のように15回を超え、今も年々更に増え続けている。1時間80ミリ以上というのは、気象庁の表現を借りると「息苦しくなるような圧迫感があり、恐怖を感ずる。車の運転は危険」という、正に尋常ではない異常豪雨のことだ。
 高温の増加傾向は、特にヒートアイランド現象が起きやすい都市部に顕著に見られ、中でも東京の猛暑日数は、1940年頃までは年間2、3日程度だったのに対し、ここ数年は10日を超えるようになっている。
 三上氏はこの「異常気象」の背景には、長期的には地球温暖化などによる大気や海水の温度の上昇があるが、特に都市部の高温や豪雨は、それとは別に、都市の空調、工場、自動車などからの排熱や、地面がコンクリートに覆われたことで、太陽熱が地中に閉じ込められることによって発生する都市部のヒートアイランド現象など、人為的な影響が大きいという。
 実際、梅雨前線など気圧配置の影響で生じる雨や台風も、温暖化により海水温が上昇すれば自ずと強大化することになるが、最近、都市部に見られる局地的な雷雨やゲリラ豪雨と呼ばれる現象は、前線の配置とは関係なくいつ起きてもおかしくないため、事前に予想するのが難しいとされている。
 例えば、東京の練馬や杉並、世田谷などの環状八号線沿いでゲリラ豪雨が多く発生している原因は、ヒートアイランド現象で熱くなった東京の空気に流れ込んでくる相模湾、東京湾、鹿島灘からの湿った海風がちょうどそのあたりでぶつかり合い、そこに局地的な積乱雲が発生して起きているものと考えられているそうだ。だから二子玉川が滝のような豪雨や雷、雹に襲われているのに、少し都心に入った六本木では一粒も雨が降らなかったなんてことが起きることもある。
 しかし、都市部、山間部を問わず、このような異常気象が続けば、毎年、災害による被害の発生が避けられない。長期的な解決方法としては地球温暖化を止めるしかないが、少なくとも人為的要因による異常気象については、災害に強いインフラ強化ももちろん大切だが、その原因部分を手当することも考えるべきだろう。
 三上氏は都市部で高温と豪雨の原因となっているヒートアイランド現象を和らげる最も効果的な方法は、「地面に熱が閉じ込められないようにすること」と「海から入ってくる風の通り道を作ること」の2つだという。前者は、例えば、コンクリートで覆われていない緑地などを増やすことによって実現が可能だし、後者は高層ビルを建てる際に風が抜けるようなデザインにすることを建築条件に加えるなど、まだまだ工夫の余地はあると三上氏は指摘する。
 「異常気象」は気象庁の定義では30年に1度起きる気象現象のことだそうだが、どんなに異常なことでも、日常的にそれを見ていれば、もはや異常と感じなくなってしまうのは確かだ。しかし、それだけでは茹でガエルと変わらない。今一度、昨今の気象がいかに異常な状態にあるかを再確認するとともに、それを日常の一部としてしまう前に、気がついたら茹で上がってしまわないようにするために、今われわれに何ができるかを、三上氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ビットコインが変えようとしているもの

(第856回 放送日 2017年9月2日 PART1:1時間6分 PART2:1時間3分)
ゲスト:岩村充氏(早稲田大学大学院教授)

 何やらビットコイン周辺が喧しくなってきた。
 仮想通貨「ビットコインの価格が急騰しているそうだ。システムの変更をめぐる事業者間の対立が分裂騒動に発展し、一時は20万円近くまで値下がりしていたビットコインだが、その後、大きな混乱がなかったことから取り引きが急増。最大手の取引所「ビットフライヤー」での取引価格が8月30日には1BTC(BTCはビットコインの単位)あたり50万円を超えて最高値を更新したという。
 一方、ビットコインを支払いに使える店舗も徐々に増えてきている。中国の観光客の利用を当て込んで日本では、ビックカメラやメガネスーパー、DMM.comなどがビットコインによる支払いの取り扱いを始めたことがニュースになった。
 中国を中心に世界で利用が進んでいるビットコインだが、日本では2014年にビットコイン取引所「マウントゴックス」が破綻して、利用者に大きな被害が出たこともあり、まだ不安を持つ人が多いのではないか。
 ビットコインは一般に「仮想通貨」とか「暗号通貨」と呼ばれるが、その仕組みはわれわれの従来の「通貨」の概念を覆すもので、やや謎に満ちている。なぜならば、ドルや円などの既存の通貨と異なり、この通貨はバーチャル(仮想)であると同時に、どこか特定の国に属さず、参加者自身が作ったルールによって運用されているものだからだ。
 『中央銀行が終わる日 ビットコインと通貨の未来』などの著書のある早稲田大学大学院の岩村充教授は、野球やサッカーと同じように、ビットコインは参加者たちが決めたルールによって運用されているもので、最初に集まった少人数の人々が決めたルールに則って普及していったので、特定の国の政府や企業のコントロールを受けないのが特徴だそうだ。
 とは言えビットコインも通貨だ。他の通貨が通貨としての価値を持つのは、発行した政府の信用の裏付けがあるからだ。ビットコインの価値は何によって裏付けられているのか。
 実はビットコインには独特な、そして素人目にはやや謎めいたカラクリがある。ビットコインは10分ごとに数式の問題が発生し、それを最初に解いた人に12.5BTCが発行されることで、新たなビットコインが市場に投入される仕組みになっている。その問題を解く能力は保有するコンピュータの処理能力に依存し、より多くのCPUを稼働させた人が最初に問題の解を見つけられる可能性がより高くなるように設計されている。その解を見つけるためにかかる手間をPOW(Proof of Work=手間の証明)と呼び、手間をかけたことの対価としてビットコインが与えられるというのだが、岩村氏によると、そこで言う「手間」というのは要するに、それだけのコンピュータを動かすことによって発生する電気代のことなのだそうだ。
 これはかつての金鉱山の採掘と似ている。金の価値は金を採掘するコストに裏打ちされている。需給関係によって金の価値が上昇すれば、ある程度の採掘コストをかけてでも金を掘り出す価値が出てくるが、金の価格が安くなり採掘コストが金の価格を上回るようになると、わざわざ損をするために金を採掘する人はいなくなり、金の流通量が増えなくなるので、再び需給関係が調整される。ビットコインを獲得するために10分ごとに発生する数式を解いてビットコインを掘り当てようとする作業をマイニング(採掘)、それを行う人をマイナー(採掘人)と呼んでいるのはそのためだ。
 ビットコインのマイニングのために出される数式問題は「ハッシュ関数」を使った、一般人には意味不明な数字とアルファベットの羅列だが、岩村氏によるとこれは数学的にはそれほど難解なものではなく、時間さえかければ誰にでも解ける問題なのだそうだ。解を順番に当てはめていけばいつかは見つかる問題なので、コンピュータの処理速度が早い方が他の人よりも先に解に辿り着く可能性が高くなる。より多くのCPUを動員した人が、より早く解を見つけられる可能性が高くなるわけだ。
 このような方法で、現時点では10分ごとに12.5BTCのビットコインが新たに発行されているが、この発行ペースもほぼ4年毎に半分になっていくようにルールが設定されている。これはちょうどオリンピックイヤーごとに半分になっていく計算で、東京五輪が開かれる2020年にはマイナーが問題を解くことで得られるビットコインは現在の半分の6.25BTCになる。この方法で行くと2141年には、金の埋蔵量が枯渇するのと同じように、計算上は新たなビットコインが発行されなくなる。
 ビットコインのこのようなルールも、将来は変わっていく可能性はある。結局のところビットコインのルールは運用者たちが決めていることだからだ。また、今のところ「ビットコイン」という特定の仮想通貨に多くの注目が集まっているが、世界には既に1000種類以上の仮想通貨が存在する。ビットコインの欠点を改良した新たな仮想通貨が登場し、ビットコインに取って代わり主役の座に座ることも十分にあり得る。
 将来、何が仮想通貨のディファクト・スタンダードとなるかはわからないが、ビットコインには既存の通貨になる多くのメリットがあることは事実だ。また、その値動きの激しさ故に、投資・投機が目的でビットコインを売買している人も増えている。そこがビットコインの魅力でもあるわけだが、あまりにも投機目的での利用が主流になってしまうと、当局の規制が入るなどして、ビットコインの画期性が損なわれてしまう恐れもある。
 ビットコインは何を変えようとしているのか。国家の専権事項だった貨幣発行の独占権が揺らぐことはあるのか。そもそも通貨とは何なのかという基本的な問いにも触れるビットコインについて、岩村教授とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

北朝鮮核ミサイル危機と中国の本音

(第857回 放送日 2017年9月9日 PART1:40分 PART2:40分)
ゲスト:小原凡司氏(笹川平和財団特任研究員)

 北朝鮮情勢がのっぴきならない状況に陥っている。
 北朝鮮の絶対的指導者である金正恩労働党委員長が、北朝鮮の生存が核武装とICBM(大陸間弾道弾)の開発にかかっていると確信している以上、もはや自主的にこれを放棄させることは不可能と言わざるを得ない。
 現在、石油の禁輸措置を含む厳しい制裁が国連安保理で話し合われているが、中国がやや制裁に前向きな姿勢に転じているものの、今度はその分ロシアが反対姿勢を明確にするなど、アメリカが提案する制裁が実施される見通しは明るくない。中国が専門で国際的な軍事情勢にも詳しい小原凡司氏は、中国はロシアが拒否権を発動することで制裁が実現しないことを前提に、制裁案を容認する姿勢を示しているだけなので、いざ制裁が通りそうになれば、中国は反対する可能性が高いと指摘する。
 つまり、北朝鮮の命綱とも呼ぶべき石油の9割を提供している中国とロシアが、いずれも厳しい制裁は支持していないということのようだ。これでは金正恩に核ミサイルの開発を断念させることなど、できようはずがない。
 となると、アメリカにとっての出口シナリオは、北朝鮮の核とミサイルを容認、もしくは黙認した上で、交渉によってアメリカにとっての危険性を最小化している融和路線と、軍事力で北朝鮮の核やミサイルを無力化する軍事オプションの二つに一つしかないことになる。
 小原氏は、現時点でアメリカは7割の可能性で軍事オプションを取らざるを得なくなるだろうとの見通しを明らかにする。しかし、何を対象にどの程度の規模の軍事介入を行うのかについては、難しい選択を迫られることになるだろうと語る。
 そもそも北朝鮮の暴走は中国が抑えてくれるはずではなかったのか。なぜ中国は事態がここまで切迫していても、何もしようとしないのか。
 実際、金正恩体制になってから北朝鮮と中国の関係は決して良好とは言えない。2011年に父親の金正日が死亡し、息子の正恩が北朝鮮の実権を掌握して以来、正恩は北京を一度も訪問していない。最大の貿易国にして、建国以来の後見人である中国に一度も挨拶にすら行かないというのは、かなり異常なことだ。中朝の高官レベルの交流も2015年に中国の劉雲山政治局常務委員が平壌を訪れて以来、止まっている。
 小原氏によると、金正恩は北京に行けば自分は暗殺されるだろうと考えるほど、北京政府に対する強い不信感を持っているそうだ。しかし、そこまで両国の関係は冷え込んでいるにもかかわらず、中国が対北朝鮮で制裁に踏み切れないのはなぜなのだろうか。
 中国はアメリカによる軍事力行使の可能性も十分視野に入れていると小原氏は指摘する。中国にとっては金正恩政権の存続自体はどうでもいいが、北朝鮮という緩衝国が存在し続けることが重要だ。最終的に米軍が北朝鮮の核やミサイルシステムに対する大規模な空爆にまで踏み切るか、いわゆる斬首作戦のような形で金正恩を排除し、別の指導者を押し立てることで、北朝鮮という国を維持しつつ、今よりも改革開放路線寄りの体制に変えていくかは、今後中国とアメリカの間で息をのむような駆け引きが繰り広げられることになるだろう。いや、もしかすると両者の間では、話がついているのかもしれない。
 中国はまったく中国の言うことを聞かない金正恩には、ほとほと手を焼いている。しかし、北朝鮮が崩壊し、そこに親米国家ができたり、韓国主導で韓国と統一されるなどして、米軍が鴨緑江の対岸まで迫ってくるような事態は到底看過できない。それはロシアも同じ立場だ。
 中国としては米軍が軍事介入し、金正恩とその核やミサイルを無力化するところまでは容認できるが、それ以上米軍が入ってくれば、それは中国自身の安全保障にとって脅威となる。
 小原氏は現時点で一番可能性が高いシナリオは、まずある段階で米軍が空爆と特殊部隊で核やミサイル施設を破壊し、金正恩を暗殺する。その上で少しタイミングをずらして、中国の人民解放軍が国境を越えて北朝鮮に侵入し、北朝鮮という国全体が大混乱に陥らないようにするために必要な措置を取る、というものになるだろうと語る。
 金正恩が核とミサイル開発に固執し、中国もそれを阻止するつもりがない、あるいはそもそもそれを阻止する手段がない以上、アメリカはワシントンまで届く北の核ミサイルを容認するか、力でそれを排除するかの二つに一つしかない。中国は、もし今中国が北朝鮮への石油輸出を完全に止めれば、ほどなく北朝鮮という国が崩壊し、大量の難民が川を渡って中国に流入するなどの問題が起きることが避けられないことを知っている。また、北朝鮮は石油を止められても約1年分の備蓄はあるとされていることから、追い詰められた北朝鮮が破れかぶれの行動に出ないとも限らない。そうなった場合、実際、中国にミサイルを撃ち込んでくる可能性も否定できない。
 そのようなリスクを冒すくらいなら、核ミサイルや金正恩の処理はアメリカにやらせておいて、自分たちは緩衝国家としての北朝鮮の温存に注力することが中国にとっては得策になると考えている、というのが中国をよく知る小原氏の見立てだ。
 ただし、アメリカが北朝鮮に対して何らかの軍事行動に出た場合、方々に分散している北朝鮮のミサイルを完全に抑え込むことは不可能に近い。隣国の韓国は無論のこと、250基はあると言われるノドンでも十分に射程圏内に入っている日本にも、複数のミサイルが飛んでくる可能性は十分にあると小原氏は言う。
 アメリカ、中国、ロシアという3つの大国の利害が、小国ながら無謀な核開発やミサイル開発を躊躇しない北朝鮮という国をめぐって、複雑にうごめいている。しかし、日本にもミサイルが飛んでくる可能性がある以上、北朝鮮問題が日本としてはどうなることが望ましいのかは、しっかりと国内で議論をしておく必要がある。少なくとも傍観者として高みの見物気分でいては、後で大変な付けが回ってくる可能性が高い。
 なぜ中国は北朝鮮を抑え込まないのか、アメリカの軍事行動の可能性とその場合に予想される中国の動き、そして日本が今、やらなければならないことは何なのかなどを、小原氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

首都大水害への備えはできているか

(第858回 放送日2017年9月16日 PART1:55分 PART2:52分
ゲスト:土屋信行氏(公益財団法人リバーフロント研究所技術参与)

 東京が世界一災害に弱い都市であることをご存じだろうか。ミュンヘン再保険会社による世界各都市の自然災害危険度指数のランキングで、東京・横浜は他の都市を大きく引き離してダントツの1位にランクされている。
 この自然災害危険度指数というのは、災害に見舞われるリスク(hazard)と脆弱性(vulnerability)と経済価値(exposed value)の3項目を掛け合わせた数値だが、実は東京はリスク、経済価値と並び、脆弱性でも最も高い都市のひとつにあげられている。自然災害に見舞われ大きな損害を出す可能性が高いばかりか、災害に対する備えができていないというのだ。
 人口が密集する東京の地震リスクが高いことはわかるが、実は東京は水害への備えでも大きく後れを取っている。内閣総理大臣を長とする中央防災会議が2010年に作成した「大規模水害対策に関する専門調査会報告」(副題 首都圏水没)によると、利根川が氾濫した場合、2600人の死者と110万人の孤立者が、荒川が氾濫した場合も2000人の死者と86万人の孤立者を出すことが予想されている。
 元々、東京は徳川家康が江戸に幕府を開いて以来、水害と戦ってきた。氾濫を繰り返す利根川に悩まされた幕府は、元々東京湾に流れ込んでいた利根川の流れを変え、千葉県の銚子から太平洋に流れ出るようにする「利根川東遷」を敢行するなど、治水事業に力を注いだ。その後、明治43年の東京大水害で大きな被害を出した東京は、荒川放水路の整備など、数々の治水事業を行ってきた。
 しかし、東京都庁で災害対策に取り組んできた土屋信行氏は東京の防災対策、とりわけ水害対策はまったく不十分だと語る。
 東京の下町は過度な地下水の汲み上げによる地盤沈下がひどく、標高が海面以下の「ゼロメートル地帯」が広範に広がっている。しかも、東京の都心部には地下鉄や地下街、共同溝など地下に多くの水の通り道を作ってしまったため、東京湾や荒川の堤防が一か所でも決壊すれば、水は瞬く間に東京中に広がっていく。しかも、その地域は人口が密集しているため、すべての住民を避難させることは不可能だ。
 地下鉄も水の侵入を防ぐ止水板がすべての駅に設置されていないため、どこか一か所でも堤防が決壊すれば、地下鉄の構内に水が流れ込み、より低い路線から満水となる。荒川の堤防が一か所決壊した場合、17路線、97駅が浸水することを中央防災会議は想定している。赤羽あたりで荒川が一か所でも決壊すれば、最も低い場所にある日比谷駅や銀座駅あたりから、大量の水が吹き出すことになるだろうと土屋氏は言う。
 これまでも日本は多くの水害に見舞われてきた。毎年といってもいいほど、洪水による死者が出ている。にもかかわらず、われわれの水害に対する意識は低く、行政の対応も遅れがちだ。土屋氏は、地震は誰に起きてもおかしくない災害だが、水害は海沿いや川沿いの地域だけの問題だと思われていることが、水害対策を後手に回る結果を生んでいる一因だと指摘する。確かに、高台に住む人の多くは、水害とは直接は無縁かもしれない。しかし、水害によって発生する経済的損失が決して地震にも劣らないことは、ミュンヘン再保険会社のリスク計算を見ても明らかだ。
 マル激トーク・オン・ディマンド 第855回(2017年8月26日) 「異常気象を日常としないために」でお伝えしたように、東京や他の大都市では人為的な原因によるゲリラ豪雨が多発するようになっている。また、地球温暖化による台風の強大化も顕著になってきている。長期的には海面の上昇も避けられない。このまま水害対策を怠れば、時間の問題で東京が水没する大水害に見舞われることが避けられない。そしてそれは東京に限らず、大阪や名古屋など他の大都市にも共通した問題だと土屋氏は言う。
 東京は大水害への備えができているのか。東京が抱える水害リスクとは何なのか。このまま水害対策を怠れば、どんな帰結が待ち受けているのか。日本の大都市が抱える水害リスクについて、土屋氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
他、「北朝鮮ミサイル発射報道の足りないところ」、など。

安倍政権の下で国の形が大きく変わっている

(第859回 放送日 2017年9月23日 PART1:1時間9分 PART2:1時間9分)
ゲスト:鈴木邦男氏(一水会元会長)

 緊迫する北朝鮮情勢を横目に、永田町には解散風が吹き荒れている。
 北朝鮮やモリカケ問題は言うに及ばず、景気の先行きも不透明さを増す中で1か月もの政治空白を作ることには批判も多いが、日本人は得てして首相の解散権行使には寛容なようだ。メディアが「解散は首相の専権事項」との言説を当然のように垂れ流しているのは明らかな事実誤認だが、憲法7条に基づく首相の解散権については、1960年の最高裁判例が「政治と国民が決めること」とするにとどめ、判断を避けたままになっている。憲法7条以外に首相の解散権を定義する法律が存在しない以上、最高裁判決はわれわれ有権者がこの解散の正当性を判断しなければならないことを示している。この解散の是非自体が、来たる選挙の大きな争点の一つとして認識されなければならないということだ。
 とは言えいずれにしても総選挙が行われる以上、われわれはそこで何が問われているかをわれわれなりに考え、それぞれが独自の意思決定をしなければならない。
 安倍首相は25日にも記者会見を行い、解散の意向を明らかにするとともに、来たる選挙の争点を表明するとしているが、時の権力者に選挙の争点を一方的に決められては有権者はたまったものではない。無論、選挙の争点は有権者が決めるものだ。
 そこで今回は右翼団体「一水会」の元最高顧問で、最近も天皇制や憲法改正問題などで積極的に発言をしている鈴木邦男氏とともに、安倍政権の5年間を振り返り、安倍政権とは何だったのかをあらためて検証し直すことで、選挙の真の争点とは何かを考えてみた。
 安倍政権は選挙のたびにアベノミクスや消費税増税の延期といった経済政策を前面に掲げて選挙に臨み、すべての選挙で連戦連勝してきた。しかし、その後の政権の実績を見ていくと、経済選挙で勝ち取った過半数を盾に、実際は軍事や警察などの政府権限を大幅に強化する法律や制度の導入を専ら図ってきたことが目につく。具体的には政府の情報秘匿権限を拡大する特定秘密保護法や集団的自衛権の行使を可能にする安保関連法の制定、武器輸出三原則の緩和、盗聴権限や司法取引制度によって警察・検察の権限を大幅に強化する刑事訴訟法の改正、共謀罪を導入する改正組織犯罪処罰法の制定、国家安全保障会議の発足、官邸が幹部官僚の人事権を一手に掌握する内閣人事局の発足などだ。
 また、同時に3条委員会や8条委員会など本来は政府から一定の独立が保障されている行政委員会の人事も、最低でも最大野党からの同意を得るという長年の不文律を破り、与党単独で押し切ってきた。その中には、日銀の総裁や政策委員、NHKの経営委員会やNHK予算、内閣法制局長官、原子力規制委員会の委員などが含まれる。いずれも政府の政策に大きな影響を与える組織だが、安倍政権発足後、かつての不文律や慣習はことごとく破り捨てられ、安倍政権下では独立行政委員会は内閣の一部局のような位置づけになってしまった。
 憲法学者の石川健治東京大学教授はマル激に出演した際に安倍政権による一連の不文律破りを、「民主主義のセーフティネットの突破」「一種のクーデター」と表現し、その危険性に警鐘を鳴らしている。
 ことほど左様に、この5年間で日本という国の形が変わったといっても過言ではないほどの重大な政策・制度変更が行われてきたにもかかわらず、それが必ずしも選挙で問われていないと感じるのは、なぜだろうか。メディアの怠慢だろうか。政治というゲームのルールが変わっていることに、長年お任せの政治に慣れ親しんできた有権者が、とびきり鈍感なのだろうか。
 いずれにしても、安倍政権下で行われてきた選挙では毎回、景気や税といった経済政策ばかりに焦点が当たり、その裏側で着々と進められてきたより大きな変革には十分な関心が払われてこなかった。メディアも有権者も、政権側が設定した政権にとって都合のよい争点に、まんまと乗せられてきた感は否めない。
 本来は右翼活動家として憲法改正を推進し、天皇を尊崇することにかけては誰にも負けないという鈴木氏だが、安倍政権による憲法改正や自民党の憲法改正草案が謳う天皇の国家元首化に反対の立場を取る。自民党の憲法改正案に謳われている愛国や家族を支える義務は、愛国者が自から進んで行うべきものであり、「国によって押し付けられるべきものではない」との考えからだ。また、天皇を国家元首とすることについても、政治利用目的が透けて見えるという理由から、今の政権の下で行うのは危険だと感じると鈴木氏は言う。
 安倍政権が実施してきた政策の中には、一定の効果をあげているものもあるだろう。安倍政権のすべてがダメだと言うつもりはない。しかし、ここに挙げられた政策の数々は、安倍政権の体質を如実に表すと同時に、個別の政策の是非を超えた、政権が変わってからも永続的に日本の針路に影響を与える法律や制度ばかりだ。目先のニンジンに釣られていると、国家100年の計を見誤る可能性があるのではないか。
 衆議院選挙は政権選択選挙と言われる。衆院の議席配分が事実上日本の首相を決定することになるからだ。であるならば、この選挙は単に目先の政策が問われているのではなく、国の行く末が問われていると考える必要がある。
 愛国者の立場から長年日本の政治と関わってきた鈴木氏とともに、この選挙が何を問うているかについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル映画特集
ロクでもない世界の現実を映画はどう描いているか

(第860回 放送日 2017年9月30日 PART1:1時間11分 PART2:1時間44分)

 その月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。6月以来の3か月ぶりとなる今回は、前半で解散総選挙や民進党の事実上の解党に揺れる政局を議論し、後半にこのロクでもない世界を描いた映画を5作品取り上げた。
 前半は民進の希望合流でポッカリと空いた穴は誰が埋めるのかについて議論した。今回は政治の立ち位置を縦軸に自由と再配分を上下に、横軸には市民参加と権威主義を左右に配置したマトリックスを描いた上で、その4象限の上で民進党の希望の党への合流がどこからどこへの移動を意味するかなどについて考えた。
 これは世界的な潮流でもあるが、日本の政治もいよいよ、再配分をしない権威主義、すなわち上記の4象限の右上の象限に政治勢力が固まってきてしまったようだ。問題は元々左下、すなわち再配分と市民による参加主義を謳ってきた民進党が、自民党と同じ右上に位置する希望の党に吸収されることで、左下、すなわち弱者への再配分を主張し、何事も政府主導で決めるのではなく、市民参加を促す象限に位置する政治勢力が事実上いなくなってしまうことだ。辛うじて社民党と自由党がそのような主張をしているが、如何せん政治勢力としては弱小すぎる。
 ちなみに自民党はかつては再分配を謳う権威主義政党だったが、小泉改革以降は小さな政府を謳い再分配に消極的な権威主義という意味で、右下から右上に移動している。また、共産党は再分配は主張するが、横軸では権威主義側に位置付けられる。左上の政府の権威も認めず、再分配も求めない象限はリバタリアンとなる。
 民進党の希望への事実上の吸収合併は、左下のいわゆるリベラル勢力と呼ばれる勢力が日本の政治から消えることを意味する。これは日本の政治にどのような影響を与えることになるかをジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 後半は、ロクでもない世界を独自の視点から描いた「サーミの血」「エル ELLE」「三度目の殺人」「砂上の法廷」「散歩する侵略者」の5つの映画作品を取り上げた。

 

vol.84(841~850回収録)

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安倍政権がやりたい放題できるのはなぜか

(第841回 放送日 2017年5月20日 PART1:45分 PART2:45分)
ゲスト:中北浩爾氏(一橋大学大学院社会学研究科教授)

 かつて自民党の名だたる歴代内閣が何代にもわたって成し遂げられなかった様々な立法や施策を、安倍政権は事もなげに次から次へと実現している。今週は共謀罪が衆院で強行採決された。その前は集団的自衛権を解禁する安保法制を通し、さらにその前は秘密保護法だ。
 それ以外にも武器輸出三原則の緩和や教育基本法の改正など、安倍政権は自民党の長年の課題をことごとくクリアしていると言って過言ではないだろう。
 そして安倍首相は遂に、自民党結党以来の野望とも言うべき憲法9条の改正を明言するまでにいたっている。
 このまま行くと、安倍首相は自民党「中興の祖」とでも呼ぶべき大宰相になりそうな気配さえ漂う。
 しかし、なぜ安倍政権は自民党の歴代政権の中でもそれほど突出して強く、安定した政権になり得たのか。これは単に「野党のふがいなさ」だけで、説明がつく現象なのか。
 一橋大学大学院社会学研究科の中北浩爾教授は、安倍政権の権力の源泉は、1990年代から段階的に続いてきた「政治改革」に請うところが大きいと指摘する。
 かつての自民党政治の下では、中選挙区制度の下、派閥の領袖が権勢を誇り、政策立案や予算編成では族議員が跋扈してきた。しかし、ロッキード事件やリクルート事件などを契機として、「政治とカネ」の問題が社会を揺るがすようになり、1990年代以降、「政治改革」が叫ばれるようになった。
 政治改革は政治家がカネ集めに奔走することなく、政策本位の政治を実践するために、小選挙区制の変更、政治資金規正法の強化と政党助成金の導入などを柱とする施策が相次いで実施された。
 また、少し遅れて、官僚のスキャンダルなどを機に、官僚まかせの政治から脱却した「政治主導」が叫ばれるようになり、首相官邸に権力を集中するために、「経済財政諮問会議」の設置や「内閣人事局」の設立など、数々の改革が実施された。
 いずれも、サービス合戦に終始しがちな中選挙区制の利権政治と決別し、国民から選ばれた政治家が、政権交代が可能な制度の下で官僚主導ではなく政策本位の政治を実現するというのが、その大義名分だった。
 その目的自体は間違っていなかったかもしれない。しかし、制度をいじれば自然に政治がよくなると考えるのは、あまりにもナイーブだった。制度は大きく変わったが、国民の政治に対する向き合い方は、本質的には従来からの「おまかせモード」のままだった。
 結果的に本来の目的とは裏腹に、一連の改革は、党においては小選挙区制の下での生殺与奪を握る公認権や政党助成金の配分権を握る党の執行部に権力を集中させる結果になった。しかも、派閥の影響力が弱まったため、かつての政権と党の間の緊張感は消滅し、首相の留守を預かる党幹事長も、事実上首相の配下に置かれることになった。更にその上に、官邸主導である。
 安倍政権の強みは、「政治改革」後の政治システムが、党内においては異論を挟む余地を与えぬ執行部主導となり、政策立案についても官邸が選んだ有識者会議によって政策の方向性を確定させた上で、その理念に沿って政策立案をする意思のある官僚を登用することが可能になっているところにある。一連の政治改革が、安倍首相の下で、やや予想外の形で実を結んでいるのだ。
 しかも、安倍政権の保守色の強い政策路線は必ずしも現在の自民党の総意を反映しているとは言えないが、リベラル色の強い民進党に対抗するためには、自民党は右に寄らざるを得ないという意識は、下野を経験した自民党の中には広く共有されている。そのため、リベラルな首相よりも、保守色の強い首相の方が、現在の自民党はまとまりやすい。
 それが現在の安倍政権の「やりたい放題」を可能にしているというのが実情ではないか。
 一連の政治改革は自民党内で派閥や族議員の間で密室内で行われていた非公式な政策論争を、むしろ二大政党制の下で政権担当能力を有する野党との間で活発に交わされることが前提にあった。つまり、いざ政権を取れば党に権限が集中することも、官邸主導で政策が遂行されることも、織り込み済みだったが、そこには政権交代可能な野党が存在するという大前提があった。
 政権交代可能な二大政党の間で活発かつオープンな政策論争が交わされ、一定の頻度で政権交代が実現するのであれば、現在の権限集中型「トップダウン」の政治制度は効果的かもしれない。政権交代可能な制度の下では、新たに政権に就いた政党は、できるだけ早い段階で政権交代の成果を見せる必要があるからだ。
 しかし、政権交代の可能性を失った瞬間に、この制度は欠点が前面に出てくる。野党が弱いと国会は政権監視の機能を十分に果たせない。かといって与党内も党執行部に対する異論は出ない。官邸に人事権を握られている高級官僚たちも、政権の意向には唯々諾々と従わざるを得ない。これではどんな政権になっても暴走して当然ではないか。
 とは言え、今さら政治改革を後戻りさせる案は現実的ではない。野党が再び政権担当能力を持つ政党として、自民党にチャレンジできるだけの有権者の信用と信頼を得られるようにならなければ、自民党のやりたい放題は続き、政治改革の本来の効果は裏目に出たままの状態が続くことが避けられない。
 中北氏は野党が自民党に太刀打ちするためには、野党勢力の結集そのものは重要だが、そのような小手先の議論をする前に、民進党や他の野党は、まず個々の議員の政治的な基盤、とりわけ選挙基盤をしっかり固める必要があると語る。実は自民党の真の強みもそこにあるというのが、長年自民党を見てきた中北氏の見立てだ。
 30年来、40年来の政治課題が次々と実現してしまう現在の政治状況を、われわれはどう見るべきなのか。なぜそのような状況が生まれたのか。日本の政治を活気ある民主主義に脱皮させていくために、今、われわれは何をしなければならないかなどを、中北氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

官僚は政治に一方的に押し切られてはダメだ

(第842回 放送日 2017年5月27日 PART1:51分 PART2:55分)
ゲスト:前川喜平氏(前文部科学事務次官)

 一人の元官僚が、権力の頂点に君臨する首相官邸に公然と歯向かっている。そして問題は、なぜ彼がそのようなことをしなければならないかにある。
 先週、ビデオニュース・ドットコムでは、一橋大学大学院の中北浩爾教授と、なぜ安倍政権にこれだけの権力が一極集中するようになったのかについて議論した。小選挙区制や政党助成金の導入など一連の「政治改革」が個々の議員の権限を党に移行させ、内閣人事局制度を始めとする「政治主導」改革が各省庁の権限を首相官邸に集中させた結果、官邸の権力が極度に強大化している現状が指摘された。
 今、まさにそれを象徴するような出来事が、現在進行形で起きている。
 ある大学の獣医学部新設を巡り、首相官邸が各省庁に対して、首相の権限を盾に取りごり押しを行っていた疑惑が表面化している。
 安倍首相の「腹心の友」が代表を務める加計学園が愛媛県今治市で計画している新たな獣医学部の許認可を巡っては、学校の認可権限を持つ文科省のみならず、獣医を管轄する農水省や厚労省までもが、問題が多く許認可基準を満たしていないことを懸念していながら、計画だけは着々と進むという異常な状態が続いていた。
 しかし、そうした中、内閣府が「官邸の最高レベルが言っていること」、「これは総理のご意向」などの文言を使い、許認可権を持つ文科省に認可を急ぐよう催促する働きかけを行っていたことを裏付ける内部文書が流出し、獣医学部の許認可への首相官邸の関与の有無が政局の焦点となる事態にまで発展していた。
 もしこの文書が本物でその中身が事実であれば、「総理のご意向」によって、本来であれば認可されるべきではない獣医学部の新設が、政治の力を背景にごり押しされたことになる。しかも、許認可を申請している運営者側のトップは首相自らが「腹心の友」と呼んで憚らない大親友だ。首相自身が直接これを命じたかどうかはわからないが、少なくとも「総理のご意向」を理由に行政が歪められたことは紛れもない事実となる。特に今回は、土地の取得や助成金などで愛媛県や今治市から133億円の公金が拠出されることが決まっている。しかも、大学は一度認可されれば毎年、私学助成金の名目で多額の税金が投入されることになる。不要の獣医学部が作られたために将来的に獣医の数がだぶつくだけの話では済まされない。詳細な事実関係の解明は必至だ。
 そして、何よりもこれは、一旦「総理のご意向」なるものが示されれば、各省庁が長い歴史の中で蓄積してきた知識や公共的な判断基準が簡単に歪められてしまうほどまでに、首相官邸の権限が肥大化していることの反映に他ならない。
 今年1月に天下り問題の責任を取る形で文科次官を辞任している前川氏は、古巣の文科省が文書の存在を調査した結果、「存在は確認できなかった」と回答したことが、今回、資料の真正を証言しようと決心した直接のきっかけだったと語る。省内の関係者は誰もが件の文書の存在を知っていながら、官邸の意を汲んで虚偽の報告をしていることが明らかだからだ。「あるものをないことにはできない」と言う前川氏は、露骨に行政が歪められているのを黙視することができなかったと言う。
 しかし、前川氏は自分が強大な権力に歯向かうヒーローのように描かれることには抵抗を感じるという。行政官僚というものは表では政治を立てつつ、自分たちに与えられた権限の範囲内で、できる限り国民のためになる政策を実行する「面従腹背」の精神が必要だというのが前川氏の持論だ。後輩官僚たちには、官僚は国民から選挙で選ばれた政治家は尊重しなければならないが、魂までは明け渡してはならないと言いたいと語る。
 元々日本は規制が多く、それが経済や社会の停滞を招いているとして、規制緩和や政治主導が叫ばれてきた。確かに、とかく官僚は過去の事例に捉われやすく、現状を維持しようとする傾向が強い。また、国民よりも業界の方を向いていることが多いとも言われる。国民から選ばれた政治家の権限を強化して、国民のためになる政策をより実行しやすくすることが、政治主導の主眼だったはずだ。しかし、果たして先の森友学園や今回の加計学園に見られるような形の政治の関与が、国民が望んできた真の「政治主導」だったのだろうか。ここは一度立ち止まって考える必要がありそうだ。
 なぜ、官僚のトップに登りつめた前川氏は、ここであえて出る杭となる決心をしたのか。既に始まっている、そしてこれからも予想される官邸からの報復をどう受け止めているのか。後輩の官僚たちに何を残し、何を伝えたいのか。渦中の前川氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

安倍政権の「働き方改革」が危険な理由

(第843回 放送日 2017年6月3日 PART1:44分 PART2:39分)
ゲスト:竹信三恵子氏 (和光大学現代人間学部教授)

 「働き方改革」がどこかおかしい。
「長時間労働の是正」や「非正規という言葉をこの国から一掃する」などと公言する安倍首相の下、新たに設置された働き方改革実現会議で、働き方改革のあり方が議論されてきた。その後、電通の新入社員の過労自殺などもあり、改革に拍車がかかったかに見える。
 確かに、日本の長時間労働は改革が必要だ。日本人の働き方が、なかなか昭和の高度経済成長モデルから抜け出せない中、今や「カロウシ」という言葉は英語でそのまま使われるまでになっている。そうこうしている間に、非正規労働者の比率は4割近くまで増え、正規労働者との賃金格差は拡がる一方だ。労働市場の格差が社会の分断の大きな一因となっていることも明らかだろう。
 しかし、安倍政権が標榜する「働き方改革」には注意が必要だ。なぜならば、これまで労働者の声を代弁する野党が、長時間労働の解消や同一労働・同一賃金などを求めても、経済界の影響を強く受ける過去の自民党政権は一顧だにしてこなかったという歴史があるからだ。特に小泉改革以降の自民党政権では、もっぱら雇用の規制緩和が推進され、現在の格差拡大の要因となっている。
 ポイントは現在の「働き方改革」が、果たして本当に働く人の利益を代弁したものになっているかどうかだ。
 ブラック企業の問題などを働く人の側から取材をしてきた和光大学教授でジャーナリストの竹信三恵子氏は、現在推進されている働き方改革には議論のすり替えがあると指摘する。一見、労働者の利益を代弁しているように見えるが、実際は雇用の規制緩和とセットになっていて、最終的にはむしろ格差を拡げる結果に終わる可能性が大きいというのだ。
 例えば、今年3月28日にまとめられた「働き方改革実行計画」では、残業規制として月100時間未満、2~6カ月の月平均を80時間とした上で、違反企業には罰則を課すことが謳われている。しかし、もしこの数字がそのまま労働基準法に盛り込まれた場合、逆にそこまでなら働かせてよい時間の目安になってしまう恐れがある。そもそも労働時間は現行の労働基準法に定められている1日8時間、1週間40時間が基本のはずだが、上限値を決めることで、かえって全体の労働時間が長くなってしまう可能性さえある。
 同一労働同一賃金にしても、ガイドライン案をみる限り、公正な職務評価の仕組みが確立されていない現状の下では、あまり実効性は期待できそうにない。逆に、それが正社員の給与を下げる言い訳に使われかねないと、竹信氏は危惧する。「多様な正社員」などという理屈で正社員の中にも格差を設ける事で、結果的に正社員全体の給与が引き下げられる恐れがあるというのだ。その結果、企業の思惑通りに働かざるをえない“高拘束の正社員”と、低賃金の非正規の雇用の二極分化がますます進むことになる。
 現在の「働き方改革」は本当に働く人たちのための改革なのか。それが実行に移されると労働市場はどう変わるのか。「正社員消滅」、「ルポ雇用劣化不況」などの著書がある竹信氏と、社会学者宮台真司とジャーナリスト迫田朋子が議論した。

民営化では水道事業は守れない

(第844回 放送日 2017年6月10日 PART1:1時間3分 PART2:56分)
ゲスト:橋本淳司氏(ジャーナリスト)

 「種」の次は「水」なのか。
 この番組では、今国会で森友学園や加計学園問題の裏で、天下の大悪法の数々が、さしたる審議も経ずに次々と成立していることへの警鐘を鳴らしてきた。
 単なる悪法なら、後に法改正して元に戻すことも可能かもしれない。しかし、今国会で審議されている「天下の大悪法」は、種子法改正案や共謀罪に代表されるような、日本社会に不可逆的な影響を与える国家100年の計に関わる法律と言っても過言ではないものが多い。
 水道の民営化を推進する水道法改正案も、そんな法律の一つだ。
 確かに今日の日本の水道行政は多くの問題を抱えている。ちょうど高度成長期に整備された水道網が40年の耐用期限を迎え、今や全国で交換が必要な水道管は8万キロに及ぶという。今も少しずつ更新は行われているが、水問題に詳しいジャーナリストの橋本淳司氏によると、現在のペースで交換していくと、交換に130年かかるそうだ。
 基本的に自治体が運営する公営の水道事業は料金の値上げに地方議会の承認を必要とする。そのため、値上げが容易にできない。おかげで日本は、安い料金で、蛇口を捻ればそのまま飲める良質の水道がいつでも出てくるという、世界が羨む水道サービスを長らく享受できたわけだが、それが逆に水道管更新のための積み立て金不足という形で今、火を吹き始めている。
 今後、人口減少や節水家電の普及により有収水量(水道の利用量)は減っていくことが予想されるため、更なる収益減が避けられない。水道管を引かなければ水を供給出来ない以上、住民が点在し人口密度が低い過疎の地域では、一人あたりの水道サービスのコストは自ずと上がってしまう。日本でもっとも大幅な水道料金の値上げが必要になると考えられている青森県の深浦町は、既に水道料金は全国平均よりも遙かに高い6,000円(20立方M/月)だが、それが2040年には更に3倍近い1万7,000円まで上昇するとの試算が出ている。
 耐用年数を迎えた水道管を更新し、これからも良質な水を提供し続けるためには、料金を大幅に値上げする必要があるが、水道事業を運営する地方自治体も地方議会も、公営水道料金の大幅値上げは住民の不評を買う可能性が高いため、できれば避けたい。
 そこで出てきたのが、水道民営化というウルトラCだ。
 これまでも水道利用量の検診など水道局の業務の一部を民間企業に委託する「部分民営化」は徐々に進んでいた。しかし、今回の法改正によって「コンセッション方式(公共施設等運営権方式)」と呼ばれる、いわば水道事業の「丸投げ」が可能になる。コンセッション方式は、水道施設は自治体が所有したまま、その運営権全体を民間に売却する形をとる。
 法案を担当する厚労省では、民営化によって事業の効率化などが期待できると主張するが、民営化をすれば良質な水道環境を維持できるというシナリオは、「神話」に過ぎないと橋本氏は警鐘を鳴らす。
 水道事業運営のノウハウは、ヴェオリアやスエズなど海外の巨大企業が握っている。民営化することで部分的には今よりも効率化が図られる可能性はあるが、基本的に民間企業は利益が出ない事業はやらない。また、水道網の整備などのコストは、水道料金で回収されることになる。しかも、水道事業は附帯事業がほとんど期待できないため、民営化のメリットは限定的とみられる。
 橋本氏は今回の水道民営化の背景には、日本企業が海外の水ビジネスに参入したい思惑が隠されているとの見方を示す。実際、世界の水ビジネスの市場規模は現在の70兆円から2025年には100兆円になると言われおり、経産省はその6%を取りに行くことを目標にしているという。そのために、まず日本国内で民間企業に水道運営に参入の機会を与え、水ビジネスのノウハウを蓄積させようというのが、今回の水道民営化推進の真の思惑だと橋本氏は指摘する。
 いずれにしても、民営化をすれば国内の水道事業が、これまで通り安くて良質なサービスの継続が自動的に期待できるわけではない。無論、水道インフラの更新には、誰がやろうが一定のコストはかかるが、公営水道の時代に比べて、料金の値上げも容易になる。そればかりか、民営化によって人間の生存に不可欠な水が外国企業によって牛耳られることになる恐れもある。
 橋本氏は地域によっては水道料金が高すぎて人が住めなくなる自治体が続出する可能性もあると言う。また、割高な水道を放棄し、自分たちで独自に雨水や地下水を引いて水源を確保する自治体も出てくる可能性もある。実際に、そのような試みが一部では始まっている。
 雨の降り方や地形はそれぞれ地域特有のものがある。だからこそ水道事業は自治体ごとに分かれて運営されてきた。その水道を「不純な動機」で民営化した場合のメリットとリスクは、法案を通す前に十分に議論され、国民的合意を得る必要がある。水道民営化のリスクに警鐘を鳴らす橋本氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

何をやっても安倍政権の支持率が下がらない理由

(第845回 放送日 2017年6月17日 PART1:52分 PART2:1時間6分)
ゲスト:西田亮介氏(東京工業大学准教授)

  何をやっても安倍政権の支持率が下がらないのはなぜなのだろうか。
 濫用の危険性を孕んだ共謀罪法案を委員会採決を省略したまま強行採決したかと思えば、「存在が確認できない」として頑なに再調査を拒んでいた「総理のご意向」文書も、一転して「あった」へと素早い変わり身を見せたまま逃げ切りを図ろうとするなど、かなり強引な政権運営が続く安倍政権。ところがこの政権が、既に秘密保護法、安保法制、武器輸出三原則の緩和等々、政権がいくつ飛んでもおかしくないような国民の間に根強い反対がある難しい政策課題を次々とクリアし、危ういスキャンダルネタも難なく乗り越え、その支持率は常に50%前後の高値安定を続けている。
 確かにライバル民進党の長期低迷という特殊事情もあろうが、なかなかそれだけでは説明がつかないほど、政権の支持基盤は盤石に見える。
 ビデオニュース・ドットコムでは、一橋大学大学院社会学研究科の中北浩爾教授と、過去の一連の「政治改革」が権力を首相官邸に集中させたことが、結果的に安倍一強状態を生んでいることを議論してきた。(マル激トーク・オン・ディマンド 第841回(2017年5月20日)「安倍政権がやりたい放題できるのはなぜか」 )
 しかし、制度や法律の改革によって永田町や霞が関を支配下に収めることができても、自動的に国民の高い支持率を得られるわけではない。安倍政権の高い支持率が続く理由はどこにあるのか。
 政治とメディアの関係に詳しい社会学者で東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授の西田亮介氏は、安倍政権の安定した支持率の背景には自民党の企業型広報戦略の成功と日本社会に横たわる世代間の認識ギャップの2つの側面が存在すると指摘する。
 第二次安倍政権がマスメディアに対して度々介入する姿勢を見せてきたことは、この番組でも何度か問題にしてきたが、それは自民党の新しい広報戦略に基づくメディア対策を着実に実行しているに過ぎないと西田氏は語る。
 支持率の長期低落傾向に危機感を抱いた自民党は、1990年代末頃から企業型のマーケッティングやパブリック・リレーションズ(PR)のノウハウを取り入れた企業型広報戦略の導入を進め、2000年代に入ると、その対象をマスメディアやインターネット対策にまで拡大させてきた。
 特にマスメディア対策は、個々の記者との長期の信頼関係をベースとする従来の「慣れ親しみ」戦略と訣別し、徐々に「対立とコントロール」を基軸とする新たな強面(こわもて)戦略へと移行してきた。その集大成が2012年の第二次安倍政権の発足とともに始まった、対決的なメディアとは対立し、すり寄ってくるメディアにはご褒美を与えるアメとムチのメディア対策だった。
 マスメディアの影響力が相対的に低下する一方で、若年世代はネット、とりわけSNSから情報を得る機会が増えているが、自民党の企業型広報戦略はネット対策も網羅している。西田氏によると、自民党は「T2ルーム」と呼ばれる、ネット対策チームを党内に発足させ、ツイッターの監視や候補者のSNSアカウントの監視、2ちゃんねるの監視などを継続的に行うなどのネット対策も継続的に行っているという。
 こうしたマスメディア・インターネット対策も含め、自民党の企業型広報戦略は、企業の広報担当者が聞けばごく当たり前のことばかりで、言うなれば企業広報の初歩中の初歩を実行しているに過ぎないものだという。しかし、ライバル政党がその「初歩中の初歩」さえできていない上に、マスメディアが「政治のメディア戦略」に対抗する「メディアの政治戦略」を持ち合わせていなかったために、これが予想以上の成果をあげている可能性が高いのだという。
 また、安倍政権の安定した高支持率を支えるもう一つの要素として、西田氏は世代間の認識ギャップの存在を指摘する。
 民放放送局(TBS系列JNN)による最新の世論調査では20代の若者の安倍政権の支持率は68%にも及んでいるそうだ。また、2016年の総選挙の際の朝日新聞の出口調査でも、若い世代ほど自民党の支持率が高いことが明らかになっている。これは、若年世代と年長世代の間で、政治や権力に期待するものが異なっていることを示している可能性が高い。
 自身が34歳の西田氏は、若者ほど政権政党や保守政治に反発することをディフォルトと考えるのは「昭和的な発想」であり、今の若者はそのような昭和的な価値観に違和感を覚えている人が多いと指摘する。実際、「若者は反自民」に代表される昭和的な価値体系を支えてきた「経済成長」「終身雇用」「年功序列」などの経済・社会制度は既に社会から消滅している。にもかかわらず、年長世代から昭和的な経済・社会情勢や制度を前提とした価値規範を当たり前のように強いられることに多くの若者が困惑していると西田氏は言う。
 思えば、かつて時の政権が安全保障や人権に関わる政策でこれまで以上に踏み込んだ施策や制度変更を実行しようとするたびに、強く反発してきたのは主に若者とマスメディアだった。若者とマスメディアの力で、与党の暴走が抑えられてきた面があったと言っても過言ではないだろう。しかし、マスメディアは新たな戦略を手にした政治に対抗できていないし、若者も経済や雇用政策などへの関心が、かつて重視してきた平和や人権といった理念よりも優先するようになっている。
 そうなれば、確かにやり方には強引なところはあるし、格差の拡大も気にはなるが、それでも明確な経済政策を掲げ、ある程度好景気を維持してくれている安倍政権は概ね支持すべき政権となるのは当然のことかもしれない。少なくとも人権や安全保障政策では強い主張を持ちながら、経済政策に不安を抱える他の勢力よりも安倍政権の方がはるかにましということになるのは自然なことなのかもしれない。
 しかし、これはまた、政治に対する従来のチェック機能が働かなくなっていることも意味している。少なくとも、安倍政権に不満を持つ人の割合がより多い年長世代が、頭ごなしの政権批判を繰り返すだけでは状況は変わりそうにない。
 安倍一強の背景を広報戦略と世代間ギャップの観点から、西田氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

内閣官房長官の権力

(第846回 放送日 2017年6月24日 PART1:59分 PART2:57分)
ゲスト:枝野幸男氏(元内閣官房長官)

 菅義偉内閣官房長官に注目が集まっている。
 これまで安倍政権を陰に陽に支え、水一滴漏らさない完璧さを誇ってきた菅官房長官の「危機管理」が、森友・加計問題を機に綻びを見せているからだ。
 ただし、ここで言う「危機管理」とは、有事や自然災害に対応する能力のことを指しているのではない。政権にとって命取りになる恐れのあるスキャンダルや不祥事を、深刻な政治問題になる前に未然に押さえ込む能力のことだ。
 既に佐藤栄作、吉田茂に次ぐ戦後3番目の長期政権となった安倍政権ではあるが、2012年12月の政権発足以来、閣僚や与党議員による問題発言や不祥事は後を絶たない。しかし、菅氏は近年の「政治改革」や「官邸主導」などの相次ぐ制度改革によって官邸に集中した権限をフルに活用し、飴と鞭を巧みに使いながら官僚とメディアを懐柔するなどして、見事に危機を乗り切ってきた。
 安倍首相の昭恵夫人が名誉校長を務める小学校が、土地の払い下げや法人設置認可などであからさまな厚遇を受けたことが明らかになった森友学園問題でも、これが政権にとって致命傷になることを回避することに成功している。
 しかし、森友に続いて加計学園問題が出てきたあたりで、菅氏の対応が後手後手に回ることが多くなった。特に「怪文書のようなもの」と切り捨てた「官邸の最高レベル」などの文言が入った文科省の内部文書が、後に真正なものだったことが明らかになったり、内閣府からの圧力を告発した前川喜平前文科事務次官に対して記者会見の場で激しい人格攻撃をし始めたあたりから、菅氏の危機管理能力に疑問の声が囁かれるようになった。
 内閣官房長官経験のある民進党の枝野幸男衆議院議員は、菅氏の手腕に陰りが見えた理由として「集中力的にも体力的にも、限界に来ているのではないか」と語る。常に臨戦態勢で危機管理に当たることを求められる内閣官房長官の精神的・肉体的な負担はとても重い。安倍政権発足以来、菅氏はその激務を4年以上も一人で背負っていることになる。そろそろ綻びを見せるのは無理からぬことだと枝野氏は言う。
 官房長官は「政権の要」とか「官邸と霞ヶ関の接点」などと呼ばれることも多いが、そもそも官房長官とは何をする人なのか。記者会見での姿を思い浮かべる人は多いだろうが、担当がはっきりしている他の国務大臣と比べて官房長官の実態は意外と知られていない。
 政権が持つか持たないかは官房長官の能力次第と言われて久しいが、なぜ一閣僚に過ぎないはずの官房長官が、それほどの強大な権力を振るうことができるのか。首相官邸に強大な権限を集中させたことは、本当に国民の利益につながっているのか。
 今週は内閣官房長官の仕事とその権力について、官房長官経験者の枝野氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル映画特集
 映画は「時間」をどう描いてきたか

(第847回 放送日 2017年7月1日 PART1:1時間9分 PART2:54分)

 月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。
 3月以来3か月ぶりの5金となる今回は、映画の中で描かれた「時間」の概念に着目し、社会の変化とともに人間にとっての「時間」の概念が変わりつつあることや、そこから見えてくる、これからの時代を生き抜くためのヒントなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
 今回、取り上げた映画は以下の9本。
・メッセージ(2017年アメリカ)
・彷徨える河(2015年コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチン)
・生まれてこなかった男(1963年アメリカ)
・アバウト・タイム~愛おしい時間について~(2013年イギリス・アメリカ)
・スライディング・ドア(1998年イギリス・アメリカ)
・ランダム(2013年アメリカ)
・残響のテロル(2014年日本)
・龍の歯医者(2014年日本)
・魔法少女まどか☆マギカ(2011年日本)
 『マル激トーク・オン・ディマンド』は、ニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』が毎週放送するニュース番組。毎回、各界のキーパーソンをスタジオに招き、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司との間でニュースの核心部分を徹底的に掘り下げるところが最大の特徴。2001年4月の第1回放送より続く長寿番組で、その放送回数はこの7月で850回を数える。『マル激トーク・オン・ディマンド』は通常、毎週金曜に収録し土曜日に更新されているが、金曜が5回ある月に限り「5金スペシャル」と称して特別企画を無料で放送している。

シリーズ・憲法改正を考える1
地位協定で主権を制限された日本に独自の憲法は書けない

(第848回 放送日2017年7月8日 PART1:54分 PART2:45分
ゲスト:伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院教授)

 安倍首相が憲法改正の意志を明確に示して以降、改憲問題が具体的な政治日程に上っている。森友・加計問題や相次ぐ閣僚や議員の失言や不祥事、そして都議選の惨敗と、安倍政権を取り巻く政治状況は不透明になってきているが、安倍首相にとって祖父の遺志でもある憲法改正は最大の政治的野望だ。辞任に追い込まれない限り首相は万難を排しても、憲法改正を仕掛けてくるだろう。
 憲法改正については、まだ議論が生煮えの部分も多い。しかも、首相が憲法9条に関して、現行の条文を残したまま「自衛隊を明記する」などという珍妙な考えを示してしまったため、論理的な整合性も含め、今後更なる議論が必要となることは論を俟たない。
 しかし、その前に日本にはもう一つクリアしなければならない重大な課題がある。それが日米地位協定だ。
 日米地位協定は日本における米軍兵士やその家族(軍属)、軍関連業者などの法的な地位を定めた日米両国間の協定だが、敗戦後間もない1952年に締結された日米行政協定から実質的に一度も改正されていないこともあり、いかにも戦勝国が敗戦国に要求する無理難題が羅列された条文がそのまま残っている。地位協定の下では、米軍関係者には事実上の治外法権が認められ、パスポートもビザもなく日本国内を自由に出入りできるほか、「公務中」の刑事裁判権も日本側にはない。この協定の下では、アメリカは日本の好きなところに好きなだけ基地の提供を要求できるし、日本の広大な空域が米軍によって支配され、民間航空機はその合間を縫うような難しい飛行を強いられる等々、おおよそ現在の国際基準では考えられないような不平等な内容のままになっている。
 2004年、普天間基地に隣接する沖縄国際大学キャンパスに米軍のヘリが墜落した時、武装した米軍兵が普天間基地の柵を乗り越えて勝手に大学のキャンパスに侵入し、大学そのものを封鎖してしまった。その瞬間に、一民間大学に過ぎないはずの沖縄国際大学は日本の警察権も裁判権も及ばないアメリカの施政下に置かれ、日本の報道機関も取材ができない「外国」になってしまうという、衝撃的かつ信じられないような事件があった。普通なら深刻な外交問題に発展するところだが、あれも無条件で米軍に財産権を認めている地位協定に戻づく、いたって合法的な措置だった。
 端的に言えば、日本は第二次大戦の敗戦とその後の占領政策で失った主権国家としての最低限の権利を取り戻せていないのだ。その原因が日米地位協定にあることは明らかだ。驚いたことに日米地位協定の不平等さは、同じく第二次大戦の敗戦国だったイタリアやドイツの地位協定はもとより、フィリピンやイラクやアフガニスタンと米軍との間の地位協定よりも遥かに酷いと、東京外大大学院教授の伊勢崎賢治氏は指摘する。
 ところが、日本では地位協定の改正は政治の争点にものぼらない。そのため、これまで地位協定は一度も改正されていないし、改正を主張する政治家もほとんどいない。これから日本は、実質的に何の意味があるとも思えない、「自衛隊を書き込む」だけの憲法改正に血眼になって突き進むようだが、その間もこれだけ不平等で理不尽な地位協定は全く放置されたままになるようだ。日米合同委員会なる秘密委員会で地位協定の運用は話し合われるのに、どうしても地位協定の改正だけはできないのだ。
 そもそも武力の保持を放棄した憲法9条は日米安保条約と対になった車の両輪だった。日米安保の根幹を成す地位協定の不平等性をそのままにしておいて、もう一方の9条だけをいじり、自衛隊を合法化した時、そこにどのような矛盾や問題が生じるのかは、十分に検討しておく必要があるだろう。
 なぜ日本は地位協定を改正できないのか。いや、それを言い出すことも、議論することも、改正の可能性を考えることもできないのはなぜなのか。地位協定で主権が制限されたままの状態で憲法が改正されると、何が起きるのか。主権なき憲法改正の危険性に警鐘を鳴らす伊勢崎氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

『森友、加計問題』の本質は情報公開と公文書管理にアリ

(第849回 放送日 2017年7月15日 PART1:58分 PART2:59分)
ゲスト:三木由希子氏(情報公開クリアリングハウス理事長)

 政治の意思決定を速めるために首相の権限を強化したまではよかったが、それをチェックするための情報公開や公文書管理の制度がまったくそれについてこれなかった。それが今回のモリカケ問題の本質だったのではないか。
 加計学園問題は休会中審査が開かれるなど疑惑の追及が続いているが、依然として真相は見えてこない。議論をすればするほど、獣医学部の設置認可の基準や国家戦略特区制度、岩盤規制の是非などに議論が拡散してしまい、そもそも首相の「腹心の友」が代表を務める学校法人に許認可をおろすために、首相やその周辺による不当な介入や権力の濫用があったかどうかという問題の核心部分には、話が一向に進んでいかないからだ。
 森友学園問題の方も、学園側の不正行為に対する大阪地検特捜部の捜査は進んでいるようだが、肝心の土地の払い下げや学校の設置認可をめぐり、首相や財務省に不当な権力の行使があったかどうかについては、結局、有耶無耶になったままだ。
 真相解明に後ろ向きな安倍政権の姿勢に対しては、世論も不満を募らせていると見え、確かに内閣支持率は急落している。しかし、これは単に安倍政権だけの問題ではない。権力が行使され国民の税金が使われた時、その妥当性を国民が確認できないまま見過ごされてしまうようでは、仮に安倍内閣が退陣したとしても、また同じような問題が起きることは目に見えている。
 そもそも今回の森友・加計問題は、通常とは異なる権力の行使が行われ、その結果として普通では降りないはずの許認可が降りたと同時に相当額の税金が投入されているにもかかわらず、その権力行使の正当性を裏付ける記録が何も残っていないところに問題の核心がある。権力行使の妥当性をめぐる議論が交わされているのではなく、そもそもそこで権力が行使されたかどうかが確認できないまま、時間ばかりが過ぎているのだ。
 もし安倍政権が、森友にしても加計にしても、一切不当な政治介入はなかったと主張するのであれば、一連の手続きが適正だったことを示す文書を公開すればいいだけの話だ。しかし、安倍首相やその周辺は、当時の記録は既に「廃棄」され、交渉担当者たちも当時の「記憶」がないの一点張りで逃げ切ろうとしている。それはそれで政治的には大きな問題だが、そもそもその記録が残っていないことや、その保存や情報公開が義務付けられていないことの方がより大きな問題なのだ。
 「国家戦略特区」も「岩盤規制への風穴」も、それはそれで政治的には重要な論点かもしれない。しかし、もし権力が行使されたのであれば、その妥当性を証明する挙証責任は政府側にあり、それを裏付けるための証拠となる文書を保存しておくことは、権力が不正に行使されていないことを証明する上では必須となる。政府や官僚にとっては、その証拠を保存しておくことは、国民に対して自分たちの行為の正当性を証明する上では必要不可欠なものだ。ましてや今回のように、評価額の8分の1の値段で国有地が払い下げられていたり、従来の基準では認められていない新設の獣医学部の設置が特別に認められたのであれば、その決定の正当性の裏付けを残しておくことは、国民に対する説明責任は言うに及ばず、政府にとっても担当の官僚にとっても、身の安全を保障する命綱になるはずだ。繰り返しになるが、それを残していないということは、まずあり得ない。
 「都合が悪いことがあれば、その証拠を捨ててしまった者勝ちになるようなことを許してはならない」、情報公開問題に長年取り組んできた情報公開クリアリングハウスの三木由希子理事長は語る。
 三木氏は特に森友学園と近畿財務局の交渉記録が「契約締結後に破棄した」とされる国会答弁に疑問を呈する。森友学園の土地売却は10年分割払いになっているため、少なくともその間は交渉記録を残しておかなければ、もし分割払いの途中で何か問題が生じた時、説明がつかなくなってしまう。後任者に事細かく引き継ぎを行う慣例のある官僚が、10年先まで続く取引の記録を残していないなどということは常識では考えられない。
 ましてや、現職の総理夫人が名誉校長に名を連ねる学校法人に対して、明らかに異常な割引価格で土地の払い下げが行われながら、当時の交渉記録が一切廃棄されて存在しないなどということは本来はあり得ないし、許されていいはずはない。
 三木氏は土地取引の交渉に関わった財務省近畿財務局や国交省大阪航空局などに対し、協議や打ち合わせの内容がわかる文書の情報公開請求を行ったが、いずれも「文書不存在」を理由に不開示となった。さらに三木氏は、文書を破棄されることを防ぐため証拠保全の申し立てを行ったが、東京地裁に続き、高裁も抗告を棄却している。
 裁判所には裁判所なりの論理があるようだが、それにしても、このような非常識な説明がまかり通る状態は異常としか言いようがない。三木氏の言うように、都合が悪くなれば捨ててしまった者勝ちの状態を認めることになる。
 三木氏は国有地の払い下げをめぐる森友学園と近畿財務局などの交渉記録の情報公開請求訴訟の提起に踏み切り、その第一回目の弁論が7月19日に予定されている。
 この問題の主犯が官邸なのか財務省の本省なのか、はたまた出先の近畿財務局なのかはわからないが、何か彼らにとってよほど都合の悪い、つまり国民に対して正当化できないようなやり取りが記録に残っているのだろう。だからこそその記録は何があっても出せないと判断されたか、もしくは意図的に廃棄されたかのいずれかに違いないというのが、三木氏の見立てだ。
 恐らく同じことが加計学園への獣医学部新設を巡り内閣府についても言えるだろう。
 加計問題はたまたま今回は文科省から不適切な権力行使が行われていたことをうかがわせる文書が流出し、前川喜平前次官が身を挺してこの問題を公の場で証言したために、不自然な権力行使の一端が垣間見えた。しかし、官邸の権威を後ろ盾にして文科省に不当な圧力を掛けたとされる内閣府側からは一切の文書も出ていないため、こちらの方もまだ隔靴掻痒の状態から抜け出せないでいる。
 確かに日本の現行の公文書管理法にも情報公開法には抜け穴が多く、それを埋めていく地道な作業は必要だ。しかし、どんな法にも必ず抜け穴は残る。今回のモリカケ問題は法の抜け穴の有無以前に、そもそも今の日本の政府の中で、公文書管理法や情報公開法の精神が全く蔑ろにされているところに問題がある。そして、その責任の一端はそれを許しているマスコミ、そして国民の側にもある。それを正さない限り、第三、第四のモリカケ問題は必ず起こるだろう。いや恐らく、既に同様の問題は無数に起きており、モリカケ問題はその氷山の一角が顔をのぞかせたものだったに違いない。
 情報公開問題に長年取り組み、今も政府を相手取り数多の情報公開訴訟を抱える三木氏とともに、情報公開と公文書管理の観点からモリカケ問題をジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

石破政権を展望する

(第850回 放送日 2017年7月22日 PART1:43分 PART2:53分)
ゲスト:石破茂氏(衆議院議員)

 安倍政権の支持率が危険水域と言われる30%を割り込む中、自民党の石破茂衆院議員の去就に注目が集まっている。
 ポスト安倍候補の中にあって、政権で枢要な役職に就いている他の候補たちが身動きが取れずにいる中、昨年の内閣改造で入閣を固辞して無役の道を選んだ石破氏だけが、明確に反安倍色を打ち出しているからだ。
 実際、今、石破氏の下には、多くの報道機関から安倍政権への批判的なコメントを求める取材依頼が殺到しているそうだ。
 しかし、石破氏はそのような安易な挑発には乗らないよう気をつけているという。安倍政権の支持率が高かった時は、石破氏がどんなに政権の問題点を指摘しても、それがメディアに取り上げられることはほとんどなかった。それが、支持率が下がり政権が苦境に陥ったかと見ると、手のひらを返したように容赦ない政権批判を繰り広げるメディアの姿勢には疑問を感じるからだという。
 しかし、かといって石破氏が安倍政権と一線を画した路線を提唱していることに変わりはない。
 石破氏は1項2項を残したまま自衛隊を明記するという安倍政権の弥縫策的な憲法9条の改正案には、あくまで批判的だ。憲法を改正するのであれば、世界でも有数の軍事力を誇る自衛隊を日本防衛のための軍隊と規定し、その権利と義務を明確にすべきだと石破氏は主張する。
 その一方で、日本がアメリカの軍事力に全面的に依存する形になっている日米同盟の現状も、より双務的なものに修正していく必要があることを認める。
 しかし、首相の座を狙っているのかと問われれば、石破氏ははっきりとそれを否定する。新人議員の時分に田中角栄元首相から、総理の座は自分から狙って取れるものではないと教えられたからだ。いつ天命が下ってもいいように準備はしておくが、自分から地位を取りに行くような真似はすべきではないというのが石破の美学なのだという。
 ポスト安倍のキーマン石破氏に、憲法観や政策的な主張、今後の展望などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

 

vol.83(831~840回収録)

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なぜわれわれは福島の教訓を活かせないのか

(831回 放送日 2017年03月11日 PART1:54分 PART2:1時間12分)
ゲスト:田辺文也氏(社会技術システム安全研究所所長)

 2017年3月11日、日本はあの震災から6周年を迎えた。
 一部では高台移転や帰還が進んでいるとの報もあるが、依然として避難者は12万人を超え、その7割以上が福島県の避難者だ。
 原発の事故処理の方も、いまだにメルトダウン事故直後の水素爆発によって散らばった瓦礫を取り除く作業が行われている状態で、実際の廃炉までこの先何年かかるかは、見通しすら立っていない。
 福島第一原発のメルトダウン事故については、政府、国会、民間の事故調査委員会がそれぞれ調査報告書を出しているほか、さまざまな検証が行われてきた。これまでの説明では概ね、津波によってステーション・ブラックアウト(全電源喪失)に陥ったことによって原子炉を冷却できなくなったことが、メルトダウンに至った原因とされてきた。一部で地震による原子炉の損傷も指摘されているが、あれだけの地震と津波に同時に襲われ電源がすべて失われるような事態を想定していなかったことが問題視され、安全神話などのそもそも論に関心が集まったのは記憶に新しいところだ。
 しかし、ここに来て、新たに重要な指摘がなされている。それは、そもそも事故直後の対応に大きな問題があったのではないか、というものだ。
 日本原子力研究所(原研)などで原発の安全を長年研究してきた田辺文也・社会技術システム安全研究所所長は、日本の原発には炉心が損傷するシビアアクシデントという最悪の事態までを想定して3段階の事故時運転操作手順書が用意されており、ステーション・ブラックアウトの段階からその手順書に沿った対応が取られていれば、あそこまで大事故になることは避けられた可能性が高いと指摘する。少なくとも2号機、3号機についてはメルトダウン自体を回避できたのではないかと田辺氏は言うのだ。
 事故時運転操作手順書には事故発生と同時に参照する「事象ベース手順書」と、計器などが故障して事象が確認できなくなってから参照する「徴候ベース手順書」、そして、炉心損傷や原子炉の健全性が脅かされた時に参照する「シビアアクシデント手順書」の3つがあり、事故の深刻度の進行に呼応して、手順書を移行していくようになっている。田辺氏は特に今回の事故では停電や故障で計器が作動しなくなり原子炉の状態がわからなくなってから「徴候ベース手順書」に従わなかったことが、結果的に最悪の結果を招いた可能性が高いと指摘する。
 以前からこの「手順書」問題は仮説としては指摘されていたが、ステーションブラックアウトに直面した福島第一原発の現場で実際に手順書がどのように扱われていたのかが不明だったために、それ以上の議論には発展していなかった。
 ところが、朝日新聞による「命令違反」報道を受けて、政府は2014年9月11日にいわゆる吉田調書を含む「政府事故調査委員会ヒアリング記録」を正式に公開。その中で吉田昌郎福島第一原発所長(当時)が政府事故調に対し、「いちいちこういうような手順書間の移行の議論というのは私の頭の中では飛んでいた」と証言していたことが明らかになり、あらためて手順書の問題に焦点が当たるようになった。
 そして、実際に手順書の内容と事故直後に東京電力が取った対応を比較すると、東電の対応は手順書から大きく逸脱していたばかりか、「そもそも手順書の概念や個々の施策の目的や意味が理解できていなかった」(田辺氏)ことが明らかになったのだと言う。
 実際に事故に直面した吉田所長を始めとする福島第一原発のスタッフの混乱ぶりや恐怖は、われわれの想像を絶するものがあったにちがいない。そのような状況で「手順書」がどうのこうの言っている余裕はなかったという思いも十分理解できる。しかし、「だからこそ事故対応手順書が必要なのだ」と田辺氏は強調する。
 現在の事故時運転操作手順書はスリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故の教訓をもとに作られていると田辺氏は言う。2度と同じような失敗を繰り返さないために、高い月謝を払って人類が蓄積してきた原発事故対応のノウハウが凝縮されているのが3段階の事故時運転操作手順書なのだ。
 たとえ手順書通りに対応していても、もしかすると福島の惨事は避けられなかった可能性はある。しかし、少なくともあの福島の事故で、事故後の対応に過去の失敗の教訓が活かされていなかったという事実を、われわれは重く受け止める必要があるだろう。起きてしまった事故は元には戻せないが、少なくともわれわれにはその教訓を未来に活かす義務があるのではないか。
 田辺氏は、今回の事故ではこの手順書の問題がきちんと検証されていないために、新たな安全基準も不完全なものになっている可能性が高いと指摘する。
 どんなにしっかりとした手順書を作っても、その意味を十分に理解した上で、それが非常時でも実行できるような訓練が不可欠と語る田辺氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

迷走する介護保険をどうするか

(832回 放送日 2017年3月18日 PART1:56分 PART2:32分)
ゲスト:小島美里氏(NPO法人暮らしネット・えん代表理事)

 2000年に介護保険制度が導入されて、この4月で17年が経つ。
 当初、介護の社会化がうたわれ、家族の負担を軽減し社会全体で介護を担うための公的保険として大きな期待を集めた介護保険だったが、その後、何度も改正を繰り返すなど迷走を続け、そのたびに利用者も事業者も振り回されてきた。
 そして、今国会にも介護保険法の改正案が提出されている。
 埼玉県新座市で介護事業に取り組む小島美里さんは、既に介護の現場は低所得層のみならず中間層までもが、介護保険の利用ができない深刻な事態に陥っていると指摘する。利用者負担が引き上げられ重度にならないと利用ができないなど、介護保険導入時の「自宅で最期まで」という理念が失われているというのだ。
 背後には介護費用の増大という問題がある。公的介護サービスは利用者の自己負担分(当初1割)を除いた介護保険給付費のうち、5割を40歳以上が負担する介護保険料と残りの5割は国と都道府県・市町村の税金とで賄う仕組みになっている。利用者の増加に伴い、これまで、軽度者のサービスを抑制したり、収入が一定額を超える人の自己負担率を2割に引き上げたりするなど、介護保険給付費を抑えるための措置が取られてきたが、それでも当初3.6兆円規模でスタートした給付費が現在は10兆円を超え、団塊の世代が75歳を迎え後期高齢者となる2025年には20兆円にもなると言われている。
 安倍首相は、来年度の診療報酬/介護報酬の同時改定を、「非常に重要な分水嶺」と国会でも答弁し改革の必要を訴えるが、費用の伸びを抑えるための場当たり的な制度変更を繰り返しても、高齢者が安心できる介護制度となることは期待できない。
 高齢化が進む日本で、老後を安心して過ごすための決め手となるはずの介護保険はどのような変節を経て、今どうなっているのか。介護の現場をよく知る小島美里氏と、社会学者の宮台真司、ジャーナリストの迫田朋子が議論した。

朴槿恵大統領罷免に見る民主主義のもう一つの形

(第833回 放送日 2017年3月25日 PART1:43分 PART2:37分)
ゲスト:小此木政夫氏(慶応義塾大学法学部名誉教授)

 お隣韓国の政治が喧しい。
 朴槿恵(パク・クネ)大統領が友人の崔順実(チェ・スンシル)氏と通じて職権を乱用したとされる、所謂「民間人による国政壟断疑惑事件」はついに大統領の罷免と、検察による大統領への長時間の事情聴取へと至り、いつ逮捕状が出てもおかしくない切迫した状況を迎えている。
 日本人の感覚からすると、現職大統領が犯罪の疑いをかけられた上に罷免され逮捕にまで至るという事態は、国家の非常事態としか思えないところがあるが、実は韓国ではこれまでも 元大統領が逮捕・起訴され有罪判決を受けるケースは数多くあった。
 全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)、両元大統領はいずれも有罪判決を受けているし、日本ではよく知られる金大中(キム・デジュン)元大統領も親族がらみの資金疑惑で有罪判決を受けている。最近では盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領が、不正資金疑惑をかけられた親族が横領や贈賄容疑で逮捕された上に、本人が検察の事情聴取を受けた直後に岩崖から投身自殺するといった衝撃的な事件も起きている。
 これは韓国の政治はそこまで腐敗しているということを意味しているのか。
 朝鮮半島情勢に詳しい慶応大学の小此木政夫名誉教授(現代韓国朝鮮論)は、大統領が軒並み逮捕される状況を理解するためには、韓国の政治の背後にある特異な行動原理を知る必要があると説く。
 韓国の政治は政治主導者である大統領に忠誠を尽くす私的なネットワークである「制度圏」と、社会正義を実現するために市民、インテリ、学生らが運動を通じて政治に参加する「運動圏」の2つの行動原理で動いており、通常は両者のせめぎ合いの中で微妙なバランスを保っている。「制度圏」は歴代の政権では親族がその役割を果たしていたが、両親を暗殺され家族もいないパク・クネ大統領の場合、親の代から親しくしていたチェ・スンシル氏がそこに入り込んだ。そして、一民間人に過ぎないチェ氏に大統領が演説の原稿を事前に見せていたことが暴かれたことで「制度圏」に対する不信感に火がつき、「運動圏」の怒りが爆発したのだと小此木氏は語る。
 これは韓国の政治が特別に腐敗しているとか民主主義が未熟であるというよりも、単に韓国の政治のスタイルが日本や他の国々と異なっているのだと理解するべきだと、小此木氏は強調する。
 韓国の政治に参加民主主義の要素が非常に強いことは高く評価すべき面がある一方で、それがあまりにも強く働き過ぎると、政治が不安定化する原因にもなり得ることを、今回の朴槿恵の事件は示しているということのようだ。
 とはいえ、北朝鮮の度重なる核実験やミサイル発射などで、東アジア情勢は緊迫の度を高めている。そのような状況で、韓国に政治的空白が生じることは、東アジア全般の不安定要因となる。韓国では5月9日に大統領選挙が予定されているが、小此木氏は金日成の誕生日や北朝鮮人民軍の設立記念日にあたる「建軍節」を控えた4月の中旬から下旬に、北朝鮮が大きな軍事行動に出る危険性が高いと警鐘を鳴らす。今のところ、大陸間弾道弾(ICBM)の発射実験のような、アメリカに対する直接のメッセージとなる行動に打って出る可能性が高いと小此木氏は観測する。
 韓国に今何が起きているのか。現在の政変は韓国経済や東アジアの安全保障にどのような影響を与えるのか。日本はどう対応すべきなのか。朝鮮半島情勢の第一人者の小此木氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
パンドラの箱が開いたトランプのアメリカに行ってきた

(第834回 放送日 2017年4月1日 PART1:1時間18分 PART2:1時間)

 その月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。
 今回は3月上旬から中旬にかけてアメリカを取材してきたジャーナリスト神保哲生の取材映像などをもとに、アメリカ取材の中間報告とその意味するところを神保と社会学者の宮台真司が議論した。
 今回はトランプ政権を裏で操るスティーブ・バノンが自任するオルトライト運動の源流を訪ねて、長年アメリカで白人の立場から人種運動に携わってきた大御所の白人至上主義者や、サッチャー政権の政策立案に携わった伝統的保守主義者らのインタビューなどを通じて、今、アメリカで何が起きているかについて考えた。

ピンボケの家庭教育支援法で安倍政権は何がしたいのか

(第835回 放送日 2017年2017年4月8日 PART1:42分 PART2:41分)
ゲスト:広田照幸氏(日本大学文理学部教授・日本教育学会会長)

 今国会で森友学園問題追求の裏で着々と審議が進んでいる数々の法案の中に、重大な問題を抱えたものがあまりにも多いことを、ビデオニュース・ドットコムでは何度か指摘してきた。
 その一つが、自民党が今国会での成立を目指している「家庭教育支援法案」だ。
 これは保護者が子育ての意義への理解を深め喜びを実感できるように、自治体と地域住民などが連携して社会全体で支援することを謳ったもの。核家族化が進む昨今、国や地域ぐるみで家庭教育を支援することが緊要な課題だという問題意識の上に立ち、自民党を中心に議員立法で法案が作成され、現在は国会提出を待つばかりの状態にある。
 しかし、この法案が何とも噴飯ものなのだ。
 日本教育学会の会長を務める広田照幸・日本大学教授は、そもそも法案が前提としている「核家族化が進み、家庭内での親子関係が希薄になっている」などといった現象はまったく事実に反したもので、「思い込みで今の家庭や子供たちを決めつけて、そのうえで法律を改正しようというのが、現状認識で非常に大きな問題」だと指摘する。
 さらに、これまで各家庭の判断に任されてきた家庭での教育に政府が口を挟むことは、戦前の悪しき伝統の復活につながる恐れがあり、よほど慎重になる必要があるとも語る。
 要するに、そもそも前提が間違っている上に、本来は禁じ手である家庭内の問題に政府が手を突っ込む行為を可能にする法案が、今、堂々と審議されようとしているということだ。
 広田氏は家庭教育支援という意味では、貧困家庭や本当に子供の教育の助けを必要としている家庭の支援は評価するとしている。「支援」の大義名分に紛れて、家庭内の教育のあり方にまで政府が口を挟もうとしている本音が透けて見えるところが、この法案のどうにも気持ち悪いところだ。
 確かに、近年、核家族や共働き世帯の割合は増えている。しかし、これは戦後の高度成長期の一時期に専業主婦が増え、家庭内の役割分業が進んだ時代からの揺り戻しの面が強い。実際、大正時代は核家族の割合が5割を超える一方で、3世代以上の同居家族の割合は3割に過ぎなかったというデータもある。戦後になってからも、高度成長期前の日本女性の就労率は欧米諸国よりも高かったそうだ。
 また、家族の絆が希薄になっているというのも、単なる思い込みの面が強い。世論調査で「一番大切なもの」に家族をあげる人の割合は、近年むしろ右肩上がりで増えている。実際、日本が高度経済成長を経て豊かになる前は、両親は仕事や家事に追われ、家庭内で子供とじっくり話をする時間など、ほとんどなかった。データを見る限り、近年、家族の絆は今までにないほど密になっているというのが実情なのだ。
 広田氏によると、戦後は一貫して家庭教育には国や行政権力が立ち入ってはならないという考え方が維持されてきたが、2006年、第一次安倍政権下で改正された教育基本法の第10条2に、「国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない」との条文が加わったことで、家庭教育に政府が介入する根拠ができた。今回の家庭教育支援法の文言は、ほぼこの改正教育基本法10条の文言をそのまま踏襲している。
 しかし、そもそも前提とする現象が事実に基づかない単なる思い込みに過ぎないにもかかわらず、これまで禁じ手とされてきた家庭教育に、「支援」の名目で国や自治体が手を突っ込もうとする法律まで作る安倍政権は一体、何がしたいのだろうか。
 安倍政権の目指す教育の形とは何なのか、とは言え国が家庭教育に口出しをするとどういう影響が出るのかなどについて、広田氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本の豊かな食文化を守ってきた種子法を廃止してどうする

(第836回 放送日 2017年4月15日 PART1:44分 PART2:53分)
ゲスト:西川芳昭氏(龍谷大学経済学部教授)

 われわれが食べる食料のほとんどは、必ずといっていいほど、種から作られている。そして、それぞれの国が保有する種には、その国が育んできた食の文化や歴史が凝縮されている。その意味で種は各国の食の根幹を成すものといっても過言ではないだろう。
 ところが安倍政権は、これまで日本の種子市場、とりわけ米、小麦、大豆といった主要農産物の種子市場を法的に保護してきた「主要農作物種子法」を、今国会で廃止しようというのだ。
 戦後の食糧難のさなかにあった1952年に制定された主要農作物種子法は、その後の日本の食料の安定供給に重要な役割を担ってきた法律で、米、麦、大豆などの種を都道府県が管理し、地元の農家に安定的に提供することを義務づけている。この法律に基づいて、日本では国から各都道府県にそのための予算が配分され、地域の農業試験場などがそれぞれの地域の気候や地形、嗜好にあった独自のブランド米を開発し、その種子を地元の農家に安価で供給してきた。
 それは日本に豊かな食文化をもたらし、各都道府県によって種子の管理・供給が保証されているからこそ、地域の農家は安心して穀物の生産に従事することができた。
 ところが政府は種子法が民間の種子市場への参入を妨げているとして、種子法を廃止することで民間の参入を促し、農業の効率化を促進したいとしている。
 種子は農業や食料の根幹を成すものであるからこそ、もし民間の参入によって種子市場がより活性化し、ひいては日本の農業の競争力強化につながるのであれば、そのような施策は歓迎すべきものかもしれない。しかし、こと種子に関しては、保護を撤廃して市場を民間に開放すれば効率化が図れるというのは、種子市場の実情を知らない素人の机上の空論に過ぎないとの指摘が、多くの専門家からあがっている。
 そればかりか種子法を廃止することで、これまで日本人の主食である米や麦、大豆などの種子の安定供給を行ってきた都道府県がその役割を果たせなくなり、結果的に日本の豊かな食文化が失われるばかりか、日本の主要な農作物の生産が、世界規模で事業を転換する多国籍企業の支配下に置かれることにもなりかねないとの懸念まで出ているのだ。
 そもそも種子市場は1986年の種子法改正によって、すでに民間の参入が可能になっている。それでも、これまで民間企業が主要作物の種子市場に参入してこなかったのは、それほど大きな利益が望めないからだったに過ぎないと、龍谷大学経済学部教授で種子問題に詳しい西川芳昭教授は指摘する。
 国土が南北に細長く、地形も山間地や中山間地、平野部など多岐にわたる日本では、異なる気候の下で、あきたこまちやコシヒカリといったブランド米から地域固有の希少米まで、それぞれの地域の気候や嗜好に合った米や麦が開発され、地域で消費されてきた。種子法に基づいてそれを担ってきたのが各都道府県だった。コシヒカリなどの一部の例外を除き、一つひとつのブランド米の市場は決して大きくないため、民間企業にとっては利益が望める市場ではなかったことが、種子市場への民間の参入が進まなかった本当の理由であり、種子法が民間の参入を妨げていたという政府の主張は間違っていると西川氏は言う。
 では、今、種子法の廃止を急ぐ政府の真意は、どこにあるのだろうか。
 実は種子法の廃止法案と並び、今国会では、農業改革法案と称して合計で8つの法案が審議されているが、それらはいずれも「総合的なTPP関連政策大綱」の一環として首相官邸に設置された規制改革推進会議の後押しを受け、TPPありきの改革法案として議論がスタートしたものだ。
 アメリカでトランプ大統領がTPP離脱を表明したことで、TPPそのものは宙に浮いてしまったが、なぜか日本ではTPPの成立を前提として策定された法案や施策が、今も粛々と審議され推進されているという、何とも気持ちの悪い状態が続いているのだ。
 果たして日本はこのままTPPありきの規制改革を進めてしまって、本当に大丈夫なのだろうか。いや、そもそもTPPが消滅しているにもかかわらず、誰がTPPの要求を満たすための法律整備を推し進めているのだろうか。
 「政府は時代状況が変わったので法律を変える」というが、時代の状況が具体的にどのように変わったのかについての十分な議論もないまま、改革が推進されていることに違和感を覚えると西川氏は指摘する。そればかりか、種子法を廃止して外資系企業を入ってくることで、逆に行政が日本の食料安全保障を守る責任を放棄してしまうことにつながる危険性が懸念されているのだ。
 種子法廃止によって日本はどのようなリスクを抱えることになるのか。種子法の廃止によって、そもそも政府が喧伝するようなメリットは本当にあるのか。一体、誰が何のために種子法の廃止を進めようとしているのか。
 「タネは戦略物資であり、軍艦を持っているよりタネをもっている方が強いというくらい大事なもの」と語る種子の専門家の西川氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

誰が何のために共謀罪を作ろうとしているのか

(第837回 放送日 2017年4月22日 (PART1:53分 PART2:47分)
ゲスト:清水勉氏(弁護士)

 この法律を通せなければ、東京五輪・パラリンピックを開けなくなるかもしれない。安倍首相がそうまで言い切った以上、政府は何があっても今国会で共謀罪を成立させるつもりなのだろう。
 実際、共謀罪の審議が4月19日に始まり、政府は5月中旬の成立を目指すとしている。
 しかし、ここまで欺瞞に満ちた法案も珍しい。政府はこの法案をテロ準備罪などと呼ぶことで、あり得ないほどデタラメな法律を何とか正当化することに躍起のようだが、この法律にはそもそもテロを取り締まる条文など一つとして含まれていない。
 にもかかわらずメディアの中には、この法案を政府の要望に沿う形で「テロ準備罪」(読売、産経)だの「テロ等準備罪」(NHK)と呼んで憚らないところがあることも驚きだが、この法律は断じてテロ対策法などではない。いや、そもそもこの法律が必要であると政府が主張する根拠となっている国際組織犯罪防止条約(別名パレルモ条約)は、それ自体がマフィアのマネーロンダリングなどを取り締まるためのもので、テロを念頭に置いた条約ではない。
 では、この法律は何のための法律なのか。今回は珍しくマスメディアの中にも政府の意向に逆らってこの法案を「共謀罪」と呼び続けるところが出てきているが、当たり前のことだ。これは日本の法体系に共謀罪という新たな概念を導入することで、日本の刑事司法制度に根本的な変革をもたらす危険性を秘めた法律だからだ。
 犯罪には突発的に起きるものもあるが、その多くは計画的に行われる。計画的な犯罪の場合、実際に犯行が実施される前段階で、犯罪を計画したり準備する必要がある。近代司法の要諦である罪刑法定主義の下では、基本的には実際の犯罪行為が行われるまで個人を処罰できないが、殺人罪などの重大な犯罪については、計画や準備しただけで処罰が可能なものが例外的にいくつか定められている。ただし、それは殺人のほか、航空機強取等予備罪、私戦予備罪、通貨偽造準備罪など、国家を転覆させるような極めて重大犯罪に限られている。
 共謀とは、準備、計画の更に前段階で、犯罪を犯す意思を確認する行為を指す。これまでは国家を転覆させるような重大犯罪の場合でも、訴追するためには最低でも犯行の準備や計画が行われている必要があったが、共謀罪が導入されれば、それさえも必要としなくなる。しかも、今回は懲役4年以上の犯罪が全て対象となるため、詐欺や著作権法違反、森林法違反、廃棄物処理法違反などの一般的な犯罪を含む277の犯罪がその対象となる。例えば、著作権も対象となっているため、音楽ソフトを違法にコピーしたり、著作権をクリアできていない曲を演奏するライブイベントを構想したり相談するだけで、共謀罪違反で逮捕、訴追が可能になる。
 政府は対象が組織的犯罪集団であることや、具体的な犯行の準備に入っていなければ、訴追対象にはならないと説明している。しかし、法律には何が「組織的犯罪集団」や「準備行為」に当たるのかが明示されていないため、警察にその裁量が委ねられることになり、まったく歯止めはなっていない。
 共謀罪は過去に3度国会に上程されながら、ことごとく廃案になってきた。犯罪行為がないまま個人を罰することを可能にする法律は、個人の思想信条や内面に法が介入につながるものとして、市民社会の強い抵抗に遭ってきたからだ。
 今回の法案もその危険性はまったく除去されていない。しかし、情報問題や警察の捜査活動に詳しい清水勉弁護士は、今回の共謀罪には過去の共謀罪にはなかった新たな危険性が含まれていると指摘する。それは情報技術の急激な進歩に起因するものだ。
 今や誰もがスマホなどの情報端末を利用するようになり、巷には監視カメラなど個人の行動をモニターする機器が溢れている。映像から個人を識別する顔面認識カメラも、導入が間近だと言われている。
 共謀罪が導入され、犯行の事実がなくても逮捕、訴追が可能になれば、警察の裁量で誰もが捜査対象になり得る。集積されたビッグデータを使えば、捜査対象となった個人の行動を過去に遡って詳細に収集、把握することも可能だ。それはまるで全ての国民が24時間公安警察に見張られているような状態と言っても過言ではない。
 本人がどんなに気をつけていても、例えばある個人が所属するSNSグループ内で飲酒運転などちょっとした犯罪行為が議論されていれば、共謀と認定することが可能になる。そのSNSグループに参加しているその人も、「組織的犯罪集団」の一部と強弁することが可能になり、捜査の対象となり得る。早い話が警察のさじ加減次第で誰でも捜査対象となり得るのだ。そして、一度捜査対象となれば、情報は過去に遡って無限に収集されることになる。
 これでは政府に不都合な人間の弱みを握ることなど朝飯前だ。気にくわない他人を陥れることも容易になるだろう。
 21世紀最大の利権は「情報」だと言われて久しい。多くの情報を収集する権限こそが、権力の源泉となる。共謀罪が警察の情報収集権限を無尽蔵に拡大するものであることだけは間違いない。
 とは言え、東京オリンピックを控えた今、日本もテロ対策は万全を期する必要がある。まったくテロ対策を含まない共謀罪なるデタラメな法案の審議にエネルギーを費やす暇があるのなら、過去に日本で起きたテロ事件を念頭に置いた、日本独自のテロ対策を練るべきだと清水氏は言う。日本での大量殺人事件は秋葉原無差別殺傷事件や相模原「津久井やまゆり園」殺傷事件などを見ても、いずれも単独犯で、共謀罪ではまったく取り締まることができないものばかりだ。しかも、日本の治安は今、過去に例がないほどいい状態が保たれている。ことほど左様に、今回の共謀罪はまったく意味不明なのだ。
 テロ対策には全く役に立たない共謀罪を、誰が何のために作ろうとしているのか。政治はその刃が自分たちに向けられていることを認識できているのか。清水氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ビッグデータに支配されないために

(第838回 放送日2017年4月29日 PART1:1時間 PART2:45分)
ゲスト:宮下紘氏(中央大学総合政策学部准教授)

 どうやらわれわれが望むと望まざるとにかかわらず、今やわれわれの個人情報は丸裸にされているらしい。
 アメリカの情報機関職員だったエドワード・スノーデンが、アメリカ政府が外国人のみならずアメリカ国民をも広範に監視対象に置いていたことを内部告発して世界に衝撃を与えたことは記憶に新しいが、今やそれは政府に限った話ではなくなりつつある。いやむしろ、民間のネット事業者などが政府に一般市民の個人情報を提供していたところに根本的な問題があると言った方が、より正確なのかもしれない。
 昨年の大統領選挙で大方の予想に反してドナルド・トランプが大本命のヒラリー・クリントンを破ったが、その大番狂わせの背後にはケンブリッジ・アナリティカというコンサルティング企業のビッグデータ分析の力があったと言われている。同じく昨年の英国のEU離脱の国民投票でも、ブレグジット派(EU離脱派)が同社のデータ分析を活用していたことが明らかになっている。宣伝文句を額面通りに受け止めるべきではないだろうが、同社によるとSNSなどから集めたビッグデータを彼らが独自に開発したアルゴリズムにかければ、どこにどのような情報をどのくらいの量撒けばどれだけの票を動かせるかが、かなりの精度で見通せるのだそうだ。
 民主主義の根幹を成す投票行動でさえビッグデータに支配されているのであれば、われわれの消費活動に影響を及ぼすことなど朝飯前であろうことは想像に難くない。プライバシーや個人情報と言えば個人を特定できる氏名や住所、誕生日などが真っ先に思い浮かぶが、どうやらビッグデータ時代のプライバシーはわれわれの想像を超えるほど広範な個人情報が含まれていると考えておいた方がよさそうだ。
 奇しくも来たる5月30日、日本では改正個人情報保護法が施行される。元々、現行の個人情報保護法は2003年に制定されたもので、ソーシャルメディアやビッグデータなどの存在を前提としていないものだった。そのため、スマホなどの通信端末はもとより、家電までがインターネットにつながるようになった今日の状況にはまったく対応できていないとの指摘が根強かった。
 今回の改正で個人情報の保護が、インターネット時代により適合したものにアップデートされることは歓迎すべきこと。しかし、どうやら時代は更にその先を行っているらしい。
 ビッグデータやプライバシー問題に詳しい中央大学総合政策学部の宮下紘准教授は、ビッグデータ時代の個人情報保護で最も問題となるのが、方々から集めた膨大なデータから個々人の自画像を勝手に作り出すプロファイリングと呼ばれる作業だと指摘する。本来われわれのインターネットの閲覧履歴や商品の購入履歴、クレジットカートやポイントカードを利用した消費履歴などのデータは、いずれも本人の同意がなければ転売や利用ができないことになっている。しかし、実はわれわれの多くがネットサービスやカードなどを利用する際、プライバシー・アグリーメントというものに同意している場合が多い。会員サイトへの登録を申し込む際に、長々とした文言が画面に表示され、最後に「同意する」にチェックをつけるあれだ。しかし、あれに同意した瞬間にわれわれは、自分たちに関する情報の転用や転売に同意してしまっている場合が多い。
 実際、プライバシーアグリーメントをすべて読む人はほとんどいないだろうが、事業者側からすればそこで「オプトアウト」と呼ばれる「離脱する権利」を提供してあり、われわれがそれを放棄した形になっている場合が多い。
 EUとアメリカではそれぞれ異なる立場から、ビッグデータ時代の個人情報の保護の在り方が整備されていると宮下氏は言う。ここで言う個人情報とは、単に氏名や生年月日だけではなく、今や収集が容易になったウェブサイトの閲覧履歴や消費履歴、SNSで「いいね」をクリックした投稿内容など広範にわたるものだが、プライバシーの保護に重点を置くEUでは個人情報の利用を認める明確な意思表示がない限り、事業者による個人情報の利用を禁ずる「オプトイン」方式が採用され、表現の自由やビジネス利用を推進する傾向がより強いアメリカでは、個人があえてノーの意思表示をしない限り情報の商業利用を可能とする「オプトアウト」方式が採用されているという。
 ところが「プライバシー」についての明確な定義が確立されていない日本では、事業者の自主規制・自主管理に委ねられているのが実情だ。
 広範な個人情報が容易に転用されてしまえば、例えば投票行動も消費行動も、われわれは自分で考えて自分で選択をしているつもりでも、実は自分自身に関する膨大な個人情報を蓄積している事業者の思いのままに操られてしまっている可能性が出てくる。アマゾンがいつも自分が欲しかったものをドンピシャで提案してくれると感じる人は、実は自分の過去の購入履歴や閲覧履歴のみならず、SNSの「いいね」履歴や「シェア」履歴、ウェブサイトの閲覧履歴やラインの投稿やメールに頻繁に登場する単語までモニターされ、ビッグデータとして蓄積されていると考えれば、納得がいく人も多いのではないか。
 この問いかけは、そもそも選択とは何なのか、自由意志とは何なのかにも関わってくる重大な問題を孕んでいる。われわれはここらで一度立ち止まって考えないと、取返しのつかない局面を迎えているようにも思える。いや、今、自分がそう考えているのも、何かによってそう仕向けられた結果なのだろうか。ビッグデータに心の中まで支配されないために今、われわれに何ができるかを、気鋭の政治学者宮下紘氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

理想の日本人像を追い求めて

( 第839回 放送日2017年5月6日 PART1:56分 PART2:55分)
ゲスト:辻田真佐憲氏(文筆家・近現代史研究者)

 5月3日の憲法記念日に安倍首相が2020年までの憲法改正の意向を明確に示したことで、今後、戦後初めて憲法改正が具体的な政治日程に上る可能性が出てきた。
 かねてより安倍首相は改憲論者として知られるが、その一方で何のためにどう憲法を変えたいのかについての発言は二転三転しており、やや改憲そのものが目的化しているようにも見える。
 憲法を不磨の大典よろしくアンタッチャブルな存在として祭り上げる必要はないが、とは言え国の根幹を成す最高法規を個人的な趣味で変えられても困る。首相を筆頭に、政府には憲法遵守義務がある以上、やむにやまれぬ事情がない限り軽々に憲法に手を付けるべきではないだろう。
 そこで問題になるのが、憲法のどの条文をどのように変えるのかもさることながら、そもそも何のために憲法を変えなければならないかという問いだ。つまり、「本来日本はこうあるべきだが、現行憲法ではそれができない。だから憲法を変える必要があるのだ」という、説得力のある主張が求められる。
 それはひいては、われわれ国民一人ひとりが、日本はどういう国であるべきだと考えているかに帰結する。われわれが理想とする日本を実現する上でどうしても憲法を変える必要があるのかどうか、という問いだ。
 奇しくも明治維新以来、同じような議論の対象となってきた省庁がある。それが文部省(現在の文科省)だ。
 文筆家で近現代史研究家の辻田真佐憲氏は、文部省にはその時々の統治権力が思い描く「理想の日本人像」が常に投影されてきたと語る。時の権力が、教育を通じてどのような日本人を育てたいと考えるかによって、文部省の役割は目まぐるしく変化してきたのだという。と同時に文部省には、その時代時代に日本が国家として直面する課題が常にのしかかっていた。
 明治維新直後の日本は、何よりも欧米列強に侵略されないことが喫緊の国家課題だったため、当初は欧米に太刀打ちするために、「自由で独立した個人」のような欧米の啓蒙主義的な日本人像が追求された。しかし、そのような悠長なことをやっていては列強の圧力を跳ね退けることはできないとの意見が主流になり、文部行政は一転、国家主義的な方向へと変質する。そうした中で1890年に教育勅語が発布される。
 その後、日本の文部行政は日清・日露戦争の勝利で「大国に相応しい勤勉な産業社会の構成員」が求められたかと思えば、昭和期に入ると国体主義の下での「天皇に無条件で奉仕する臣民」が、そして戦後の民主主義体制の下では「個人の尊厳を重んじ平和を希求する人間」が、高度成長期には「勤労の徳を身につけた自主独立の社会人」などが理想の日本人像として掲げられ、その時々の教育行政に反映されていった。いずれもその時代の国家的な課題と、時の統治権力が志向する国家像を調和させたものになっていたと言えるだろう。
 安倍首相は第一次政権時に教育再生会議を設置した上で、1947年以来、戦後の教育行政の基本的指針として機能してきた教育基本法を60年ぶりに改正するなど、教育行政には熱心に介入してきた。2006年に施行された現在の教育基本法は「真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間」の育成を目指すなどとしているが、これがどういう時代認識に基づき、どのような日本人像を理想としたものなのかがいま一つ見えてこないところが気になる。
 今、日本がどのような課題に直面し、その下でどのような国を志すのか、そしてそれを実現するためにどのような日本人像が求められているかなどの国民的な議論がないままに憲法や教育制度をいじることは、国家百年の大計に大きな禍根を残すことになりかねない。
 新進気鋭の近現代史研究者で、軍歌やプロバガンダにも詳しい辻田氏と、今日の日本が直面する課題とその下で求められる理想の日本人像について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

フランス大統領選で見えてきた民主政の本当の危機

(第840回 放送日 2017年5月13日 PART1:1時間2分 PART2:1時間)
ゲスト:吉田徹氏(北海道大学法学研究科教授)

 結論としては、民主政の危機は続いているということになろうか。
 5月7日に決選投票が行われたフランス大統領は、EU残留を主張するエマニュエル・マクロンが移民排斥やEU離脱など急進的な政策を訴える国民戦線のマリーヌ・ルペンをダブルスコアの大差で破り、39歳にしてフランス史上最も若い大統領に選ばれた。昨年のブレグジット、米大統領選と「サプライズ」な結果が続いていただけに世界が注目した選挙だったが、中道マクロンの勝利で反グローバリズム・ドミノは、とりあえず一息ついた形となった。
 しかし、現実はとても楽観視できる状態ではないと、フランス政治に詳しい政治学者の吉田徹・北海道大学教授は言う。そもそも第一回投票で1位のマクロンの得票が24.01%だったのに対し、2位のルペンは21.3%の票を得ている。決選投票では「ルペンの当選を阻止する」という共通目的のために他の候補の支持票の大半がマクロンに流れた結果、形の上ではマクロンの圧勝となったが、マクロン票の相当部分は必ずしもマクロンの政策を支持しているわけではない同床異夢な消極支持票と考えていい。しかも、ドゴール以来、第五共和政の下でフランスの政治を担ってきた共和派と社会党の候補者がともに決選投票に進むこともできなかった。伝統あるフランスの民主政が大きな曲がり角を迎えていることは間違いない。
 また、来月の11、18日の両日、フランスでは日本の国会にあたる国民議会の選挙が行われる(フランスは大統領選も議会選挙も2回投票制。1度目の投票の1、2位による決選投票が行われる)。既成政党の支持基盤を持たないマクロンも政治団体「前進!」を組織し独自候補の擁立を急ぐなど、議会選挙の準備を進めているが、如何せん急ごしらえの感は否めない。一方、「極右」と言われながらも父親の代から地道に不満層を吸収し、政治的地盤を固めてきた国民戦線は、経済的に取り残されているフランスの東部を中心に577議席中100~150議席を得る勢いだと吉田氏は言う。
 ルペンの急進的な移民排斥やEU離脱を含む反グローバリズムの主張が、アメリカのトランプ現象と同様に、グローバル化によって生活苦に陥っているフランスの没落中間層や失業者から強い支持を受けていることに、もはや疑いの余地はない。一方、マクロンはEUに残留しグローバル化を進めつつ、減税と小さな政府など新自由主義的な政策で経済の停滞を乗り越えようというスタンスだが、そもそも議会で多数派を形成できるかどうかが不透明な上、多分に現状維持の要素が強い政策にどこまで国民がついてくるかも予断を許さない状況だ。
 ファシズムの恐怖を身をもって経験してきたフランスは、アメリカのように過激な主張をする政治家が容易に権力を握れないような仕組みになっていると吉田氏は言う。今回ルペンを阻止する上で機能した2回投票制もその一つだ。しかし、その分、アメリカは大統領が簡単には暴走できないような様々なセーフティネットが用意されているのに対し、フランスはいざそうした勢力が権力を手中に収めると、それを容易には制御できない恐れがあると吉田氏は警鐘を鳴らす。
 今回の大統領選挙ではフランスの有権者は既存の二大政党を見放し、そのどちらにも属さないマクロンを選んだ。しかし、今回マクロンがダメなら、次はルペンに期待するしかないという気運が出てくることが、今後十分考えられると吉田氏は言う。フランスでも、そして他の国々でも、「反グローバリズム」という名のポピュリズムに裏打ちされたナショナリズムの高揚と民主政の行き詰まりは、もはや覆うことができないほど顕著になっている。そして、このトレンドがどこまで続き、最終的にどこに行き着くかは、誰にも予想がつかない。
 昨年のアメリカ大統領選挙と此度のフランス大統領選挙では、何が異なり、何が共通していたのか、今後、フランスを含め、民主政はどのように変化していくのか。他の先進国の政治が流動化する中で、なぜ日本だけが自民党一党による無風状況が続いているのかなどを、吉田氏とジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.82(821~830回収録)

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5金スペシャル
年末恒例マル激ライブ 「トランプ時代を生き抜くために」

(第821回 放送日 2016年12月31日 PART1:49分 PART2:52分)

 恒例となった年末のマル激ライブ。今年はいつもの新宿ライブハウスとは趣向を変えて、12月26日(月)に東京・永田町の憲政記念館ホールで開催され、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が2016年を振り返った。
 今年もさまざまなニュースがあったが、中でも6月のイギリスのEU離脱を問う国民投票で離脱派が勝利したことに続き、11月にはアメリカの大統領選挙で大方の予想を裏切って公職に就いた経験が皆無の不動産王ドナルド・トランプ氏が、大本命のヒラリー・クリントンを破ったことで、世界の歴史の流れが大きな転換期に差し掛かっていることが、あらためて再確認されたことが、2016年の大きなできごとだった。
 ブレグジットやトランプの当選は何を意味しているのか。歴史の流れが変わったと言われるが、それは何から何へと変わったことを意味しているのだろうか。
 グローバル化によって世界規模でカネやヒト、モノの自由な移動が加速すれば、先進国の国内にも格差が広がり、民主主義が不安定化することは、以前から指摘されてきたことだった。そして、2016年、その流れが明らかに新たな次元に突入したかに見える。
 ブレグジットやトランプ現象は、これまで先進国が金科玉条のごとく掲げてきた「自由」「平等」「民主主義」といった理念が、実は実態を伴わないきれい事に過ぎないことに、世界が気づいてしまったことから起きていると考えていいだろう。確かに先進国は第二次世界大戦後のある期間、とても物質的に豊かになった。そして、先進国が世界の資源を独占する限り経済は成長し、国家が個々人の豊かさを保障することが可能だった。
 そうした特殊な状況を維持するために、世界、とりわけ先進国は、自分たちの体制を正当化するための「美しい理念」を必要としていた。
 ところがグローバル化が進み、先進国が世界の資源を独占することが難しくなると、経済成長は止まり、先進国と言えども政府が個々人の豊かさを保障することが難しくなってしまった。どれだけ美しい理念を唱えても、国民を豊かにできない政府が国民から支持されることはない。
 そうした中にあって、今世界は、既存の秩序を破壊してでも強いリーダーシップを発揮し、何とか再び国民に豊かさをもたらしてくれそうな強いリーダーの出現を待望する流れと、古いシステムと決別し新たな社会システムを模索する流れが交錯しているように見える。前者の典型がロシアのプーチンやハンガリーのオルバーン、フィリピンのドゥテルテなどであり、どうやらトランプの選出でアメリカもその仲間入りを果たしてしまったようだ。そして後者の典型が米大統領選でクリントンと民主党候補の座を最後まで争ったバーニー・サンダースなどだ。
 今後世界が、どちらの流れに収斂していくことになるかはわからない。しかし、一つはっきりしていることは、国家に依存せずとも豊かさに生きる術を身につけるためには、個々人が国家とは異なる独自の共同体に埋め込まれ、そこで守られている状態を作ることが必須となることだ。
 とはいえ、一度壊れた共同体を再構築する作業は決して容易ではない。2017年が、より混沌の深みへと嵌まっていく一年となるか、新しいシステムの萌芽が見えてくる1年となるか。ポスト・トゥルース(ポスト真実)などと呼ばれるこの時代を生き抜くために、われわれは何をしなければならないのか。神保哲生と宮台真司が議論した。

座席争いからの離脱のすすめ

(822回 放送日 2017年01月07日 PART1:56分 PART2:55分)
ゲスト:内山節氏(哲学者)

 2017年の最初のマル激はゲストに哲学者の内山節氏をお招きし、ブレグジットやトランプ旋風に揺れた2016年を振り返るとともに、ますます生きにくくなってきたこの時代を如何に生き抜くかについて、神保哲生と宮台真司が議論した。
 高校を卒業後、独学で哲学を学びつつ、群馬の山村に移り住み、地域社会と関わりながら独自の世界観を開拓してきた内山氏は、まず国家が人々の幸福を保障できる時代がとうの昔に終わっていることを認識することが重要であると語る。
 先進国が、かつて植民していた途上国からただ同然で資源を調達できたことに加え、工業生産による利益を自分たちだけで独占できた時代は、先進国の政府が国民に対してある程度の豊かさを保障することが可能だった。しかし、そのような時代が長く続くはずがなかった。グローバル化の進展で、先進国から新興国へ、そして途上国へと富の移転が進むにつれ、先進国は軒並み、これ以上大きな経済成長が期待できない状況に陥っている。閉塞を打破するためのイノベーションが叫ばれて久しいが、そのような弥縫策で乗り切れるほど、この停滞は単純なものではない。昨今の先進国の経済停滞が構造的なものであることは明らかで、そうした中で無理に成長を実現しようとすれば、弱いセクターを次々と切り捨てていくしかない。当然、格差は広がり、共同体は空洞化し、社会は不安定化する。
 内山氏はむしろ、これまでの考え方を根本から変える必要性を強調する。国家に依存することに一定の合理性が認められた時代は、国家が提唱する価値基準を受け入れ、学歴や出世のために頑張って競争することにも意味はあったかもしれない。しかし、国家がわれわれを幸せにすることができないことが明らかになった今、この際つまらない座席争いからは離脱し、自らの足で立ち、自ら何かを作る作業に携わってみてはどうかと、内山氏は語る。それは単なる「物作り」とか「手に職を」といった類いのものだけではなく、例えば共同体を作るといった作業も含まれる。
 これまでの方法で国家が人々を幸せにできなくなった時、人々は2つの選択肢に頼るようになる。一つは、これまでのルールや価値観を曲げてでも、より強いリーダーシップを発揮できる指導者を待望することで、ロシアのプーチンやハンガリーのオルバーン、フィリピンのドゥテルテなどにその兆候は顕著だったが、ここにきて遂にアメリカまでトランプ大統領を誕生させるに至った。もう一つが、新たな枠組みを模索する動きだ。アメリカ大統領選でもサンダース候補を支持する若者の間にその萌芽が見えたが、実際は世界中で新たな社会のかたちを模索する動きが始まっていると内山氏は指摘する。
 その2つの動きのうち、今後、どちらが優勢になるかはわからない。しかし、これまでの民主的な政府にはもはや寄りかかれそうもないので、より強権的な指導者を待望するというのは、少々危ういように思えてならない。どうせやるのなら、新しい時代を切り開くムーブメントに自分なりの方法で参加してみてはどうだろうか。
 内山氏とともに考えた。

そして世界は中世に戻る

(第823回 放送日 2017年01月14日 PART1:45分 PART2:54分)
ゲスト:水野和夫氏(法政大学法学部教授)

 2016年はイギリスのブレグジットやアメリカ大統領選のトランプ勝利に世界が大いに揺れた1年だった。今年も世界の主要国で重要な国政選挙が相次ぐが、世界の歴史が大きな転換点を迎えていることは、もはや誰もが感じているところではないだろうか。
 しかし、それは世界が何から何に転換しているということなのだろうか。
 エコノミストで法政大学法学部教授の水野和夫氏は、金利の水準から判断して、今世界はイギリス・アメリカなどの「海の国」が世界を支配した近代から、かつてイタリアやスペインなどの「陸の国」が君臨した中世に戻りつつあると説く。
 16世紀にイギリスがアルマダでスペインの無敵艦隊を破り、地中海の制海権を獲得して以来、世界はパクス・ブリタニカ、そしてパクス・アメリカーナの時代が約500年続いた。この時代は「海の国」が世界を支配する中で、国際交易が盛んに行われ、世界経済が大きく成長した時代でもあった。経済成長と並行して世界の人口は増え続け、同時に金利も高い水準が維持されていた。
 しかし、その成長は米英を始めとする先進国が、途上国からただ同然で石油やその他の天然資源を獲得できることを前提としたものだった。しかし、経済成長の恩恵が世界の隅々まで及ぶようになると、途上国が資源ナショナリズムに覚醒し、これまでのような資源の搾取が次第に難しくなった結果、世界、とりわけこれまで繁栄を独占してきた先進国は、未曾有の低成長に喘いでいる。金利も中世以来という低金利が続いている。
 実は近代に先立つ中世の時代、世界は1000年近くもの間、経済はほとんどゼロ成長が続き、人口もほとんど増えなかった。むしろ、「海の国」が牽引した近代の500年の方が、世界史的には異例の時代だったと見ることができると、水野氏は言う。
 昨年のブレグジットやトランプ政権によるアメリカ第一主義は、近代を牽引してきたイギリスやアメリカには、もはや世界を率いていく余力も、そしてその気概もなくなっていることを示していると見ることができる。パクス・アメリカーナの終焉は「海の国」の支配から「陸の国」の支配への転換を意味し、それは同時に近代から中世への回帰を意味していると水野氏は語る。
 しかし、われわれ人類は、民主主義や自由と平等、基本的人権など、多くの貴重な価値規範を近代に確立している。経済が中世のような低金利・ゼロ成長の時代に回帰した時、われわれが近代とともに築いてきたそうした価値基準も崩れる宿命にあるのか。それともわれわれは、近代に確立した価値を維持しながら、低成長の中で新たな時代を切り開くことができるのか。
 ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、エコノミストの水野氏と考えた。

オバマの8年間に見るトランプ政権誕生の背景

(第824回 放送日 2017年01月21日 PART1:1時間5分 PART2:55分)
ゲスト:古矢旬氏(北海商科大学教授)

 トランプ政権が発足し、オバマの8年間が終わった。
 初のアフリカ系アメリカ人大統領として、多くの期待を背負って発足したオバマ政権は、積極的な財政出動によってリーマンショック後の金融危機を未然に防いだほか、2000万人の無保険者に新たに医療保険の加入を可能にしたオバマケアを実現するなど、好調な出だしを飾った。オバマ自身も「核なき世界」を提唱することでノーベル平和賞を受賞するなど、期待に違わぬ存在感を示した。
 しかし、発足当初こそ60%を超える高支持率を誇ったオバマ政権の支持率は、その後低迷を続け、支持率と不支持率がほぼ均衡する状態が続いた。結果的にそれが、オバマ政権下での議会選挙での民主党の敗北につながり、オバマ政権の選択肢を奪っていた。
 初の黒人大統領を選んだ時、既にアメリカ社会はオバマ一人の力ではどうにもならないほど、大きく分断されていた。オバマ政権の最大の功績ともいうべきオバマケアでさえ、反対派にとってはオバマ政権が許せない最大の理由になっていた。
 とかく理念主導と批判されることの多いオバマ政権だが、その実績は決して歴代の政権に見劣りするものではない。にもかかわらず、人種的マイノリティーで市民運動や人権を重んじたオバマ政権の後に、全く対称的なトランプ政権が誕生したのはなぜだったのか。
 アメリカ政治の専門家で希代のオバマウォッチャーでもある古矢旬氏とオバマ政権の8年を振り返るとともに、トランプ政権誕生に道を開くきっかけを作ったアメリカ社会の分断について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本でネット炎上が後を絶たない理由が見えてきた

(第825回 放送日 2017年01月28日 PART1:42分 PART2:42分)
ゲスト:山口真一氏(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター専任講師)

 今週のマル激のテーマはネット炎上。これまで何度か取り上げてきたテーマだが、その勢いは強まりこそすれ、弱まる気配を一向に見せていない。最近では毎日何らかのネタがどこかで炎上していると言っても過言ではなさそうだ。
 今回マル激ではネット炎上に参加している人たちの属性を調査した国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)専任講師の山口真一氏をゲストに招き、調査で明らかになったネット炎上に参加している人の性別、所得、家族構成、メディアとの関わり方、価値観などから何が見えてくるかを考えた。
 ネット炎上とは、ある人物や企業が発信した内容や行った行為について、ソーシャルメディアや掲示板などに批判的なコメントが殺到する現象のことを言う。その内容は、著名人による不倫疑惑から、様々な不正、汚職、スキャンダル、暴言、食品偽装等々、実に多岐に渡る。炎上したからこそ不正が明るみに出るような場合もあるが、多くの場合では特定の個人や企業の社会的地位を破壊したり、あまりにも多くの経済的損失を生む一方で、そもそも何が問題だったのかが議論できなくなるなど、行き過ぎた場合の弊害も大きい。
 今回の調査では多くの意外なことが明らかになった。その中でも、もっとも意外だったのは、実際に過去1年の間に炎上に参加した人はネットユーザーの0.5%に過ぎないことがわかったことだった。その瞬間は日本中が「〇×叩き」に参加しているかのように見えて、実際は炎上事案の参加者が、ネットユーザーの0.5%に過ぎなかったというのは正直驚くべきデータだった。ネットユーザーの99.5%は炎上に参加したことがないということだ。
 また、炎上に参加したことがある人のうち、多くが正義感から書き込みを行っていたこともわかった。誰かの反社会的行為や不正、暴言などを目の当たりにして、「許せない」との思いから批判的な書き込みを始めた人が、なんと炎上参加者全体の7割にものぼることがわかったという。
 山口氏の調査では、炎上に参加した人としない人を比較した時、炎上参加者には男性の方が女性より多く、若年層の方が年配者よりも多く、子供がいる人の方がいない人よりも多く、年収が高い人の方が低い人よりも多いなどの属性が浮き彫りになったという。
 さらに、炎上に参加する人はテレビの視聴時間は比較的短い一方で、ある程度の時間をかけて新聞を読み、ラジオの聴取時間も長い人が多いこともわかったという。
 要するに、比較的裕福で家庭生活も充実している上に、社会の出来事にある程度コミットしている人が、より炎上に参加する傾向があるということだが、これは何を意味しているのか。また、諸外国と比べても特に発生頻度が高いとされる日本のネット炎上と、われわれはどう向き合うべきなのか。山口氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

裁判所がおかしな判決を連発する本当の理由

(第826回 放送日 2017年02月04日 PART1:1時間4分 PART2:1時間19分)
ゲスト:瀬木比呂志氏(元裁判官・明治大学法科大学院教授)

 これまでマル激では数多くの裁判を扱ってきた。以前から首を傾げたくなるような不可解な判決は少なからずあったが、ここに来て特におかしな判決が多くなっているようだ。今、裁判所に何が起きているのか。
 元エリート裁判官の瀬木比呂志氏は、裁判官の政治へのおもねりや自身の保身を優先する裁判官の基本的な習性は以前から大きくは変わっていないが、特に近年は裁判官の劣化が激しくなっているという。
 劣化が露骨に顕れるのが、日米安保や原発のような国策を巡る裁判だ。こうした裁判では裁判所はよほどのことが無い限り国側に有利な判決を出すのが常だが、最近はそれを正当化する判決文すらまともに書けなくなっている。先の辺野古の埋め立て承認を巡り国と沖縄県の間で争われた行政訴訟でも、裁判所は沖縄県側の主張には見向きもせずに一方的に国側勝訴の判決を書いているが、その論理はあまりにもお粗末だ。以前であれば国側に勝たせるために必死でその理屈を考えたものだが、今やその能力も気概も失われてしまったように見える。
 原発判決にしても、裁判官にとっては原発の稼働を止めたり、原発政策に転換を迫ることにつながる判決を書くことが禁忌とされていることは不変なので、ほとんどが最初に結論ありきの判決になるが、そこには未曾有の原発事故などなかったかのような文言が平然と並ぶ。稀に原発を止める判決を書いた勇気ある裁判官は、相変わらず左遷されたり冷遇されるなど、大勢に従わない裁判官に対する人事面での報復もいまだに健在だ。
 裁判所の劣化の根底には、現行制度の下では裁判所に対して外部からのチェックが一切入らない仕組みになっているという問題がある。そのため裁判官たちは自分たちだけで小さな村を形成し、その中の特異な掟に沿った判断しかできなくなっている。
 とは言え、裁判所は司法の中心にあり、司法は国の根幹を成す。司法の健全化なくして、国の民主主義は正常に機能しない。裁判所に何が起きているのか。裁判所を適切に機能するために何ができるのかなどを、元裁判官の瀬木氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が考えた。

トランプ政権を操るオルタナ右翼の正体

(第827回 放送日 2017年02月11日 PART1:1時間6分 PART2:1時間7分)
ゲスト:石川敬史氏(東京理科大学基礎工学部准教授)

 今週末は安倍首相が訪米し、トランプ大統領との間で首脳会談やゴルフなどを通じて、日米同盟の緊密さを再確認したことなどが大きなニュースとなっている。国防や安全保障を全面的にアメリカに依存してきた日本、とりわけその官僚機構にとっては、就任以来、既存の秩序を物ともせずに我が道を突き進むトランプ政権の暴れっぷりを目の当たりして、狼狽するのも無理からぬことだろう。トランプ政権の人権や既存の秩序を軽視する姿勢に対して、世界の主要国首脳の大半が苦言を呈する中、日本としてはなり振り構わずトランプの懐に飛び込む以外に選択肢はないと考えての深謀遠慮なのだろう。しかし、それにしても、何が起きようともとにかくアメリカに抱きつくしかないという現在の日本状況は、日本がアメリカ依存一辺倒で来たことのリスクを露呈させる結果ともなっている。日本既定の外交路線の妥当性を再検証するいい機会なのではないか。
 さて、そのトランプ政権だが、1月20日の発足以来、衝撃的な大統領令を連発し、既存のアメリカの政策・外交路線から一気に離脱する構えを見せている。そればかりか、これまでアメリカが国際社会で担ってきた役割についても、問答無用で放棄するつもりのようだ。選挙向けの大言壮語と思われていた数々の暴論に近い選挙公約も、どうやら本気だったことがここに来て鮮明になってきている。
 しかし、それにしてもトランプ政権は一体、どのような思想や理念、政治信条に基づいて、そこまで大胆な路線変更を行っているのだろうか。大統領自身は『Make America Great Again』や『America First』などのスローガンを繰り返すばかりで、その発言からは政治理念などは一向に見えてこない。
 現在、トランプ政権の理念的支柱の役割を果たしているのが、大統領の主席戦略官兼上級顧問を務めるスティーブ・バノンだ。そして、そのバノンはオルトライト(オルタナ右翼)と呼ばれる思想の持ち主であることを自認している。
 オルトライト自体は昨年あたりから突如として表舞台に出てきた保守・右翼思想のいち流派で、NPI(National Policy Institute=国家政策研究所)なるモンタナ州の正体不明のシンクタンクを主宰するリチャード・スペンサーという人物が、自らをそう名乗ったことが端緒となっている一派だ。果たして思想と呼べるだけの理論体系が整っているかどうかも定かではないが、問題はその主張する内容が、人種、ジェンダー、宗教を問わずあらゆる差別を推奨し、白人至上主義を自認してやまないという、どう見ても危険な思想であることだ。
 今のところ大統領自身がどこまでその思想に染まっているかは不明だが、トランプ自身はこれまでどちらかというと思想や政治信条とは縁遠い人生を生きてきたと考えられているだけに、ハーバード卒、ゴールドマンサックス出身で高い知的能力を有するといわれるバノンが主導するオルトライト思想に、政権が容易に操られてしまうことが懸念されている。いや、バノンがトランプの選挙運動の責任者を務めたトランプ政権誕生の立役者だったことを考えると、トランプ政権は少なくとも政策面では、発足前からオルトライトに牛耳られていたと考える方が自然だろう。
 実際、トランプは当選後の最初の人事でバノンの主席戦略官兼上級顧問への就任を発表しているし、政権発足直後には、政権の安全保障政策を企画、立案する最高意思決定機関の国家安全保障会議(NSC)の常任委員にバノンを昇格させると同時に、軍関係者を同会議から降格させるなど、バノンの重用ぶりを隠そうともしていない。
 オルトライトとはどのような思想なのか。それはアメリカ、そして世界をどこに導こうとしているのか。アメリカ思想史に詳しい石川敬史氏とともに、アメリカの建国以来の政治思想の流れを再確認した上で、今オルトライトなる思想が前面に出てきた背景を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が探った。

何があっても日本はアメリカについていくしかないのか

(第828回 放送日2017年02月18日 PART1:50分 PART2:41分)
ゲスト:松竹伸幸氏(自衛隊を活かす会事務局長)

 先週末の安倍首相の訪米は、トランプ大統領と安倍首相の間の親密ぶりを世界に見せつけることで、問題山積で国内的にも国際的にも孤立状態にあったトランプ大統領を、一時的とは言え窮状から救う結果となった。しかし、それは日米の同盟関係の強固さと同時に、異様にさえ見える日本のアメリカ一辺倒の外交姿勢を世界に強く印象づけた。
 中国や北朝鮮など東アジア周辺に安全保障上の不安を抱える現在の日本にとって、アメリカとの同盟関係の重要さは論を俟たない。しかし、それにしても今のアメリカはトランプ大統領の誕生によって、建国以来守ってきたこれまでの基本的な価値を根本から転換しかねない大きな変革期を迎えているようにも見える。今後アメリカがどうなっても日本はどこまでもアメリカに無条件でついていくことが、本当に日本の国益に適うのかどうかは、そろそろ真剣に議論を始めるべき時期に来ているのではないか。
 新刊「対米従属の謎」の著者で、防衛庁OBで国際地政学研究所理事長の柳澤協二氏や伊勢崎賢治東京外大教授、加藤朗桜美林大学教授らと立ち上げた「自衛隊を活かす会」の事務局長を務める松竹伸幸氏は、世界でも他に例をみない日本のアメリカへの過度の従属ぶりは、第二次世界大戦後のアメリカ進駐軍による日本統治の形態の特異性に端を発すると指摘する。
 日本と同様、戦争に負け、外国政府の統治下に置かれたドイツが、地政学的な理由や歴史的な経緯から常に戦勝4か国の共同統治だったのに対し、日本は専らアメリカ一国の支配下に置かれた。GHQによる日本の占領期間もドイツより長く、占領終了後はドイツがNATOの集団安全保障体制下に置かれたのに対し、日本はほぼ自動的にアメリカの対ソ戦略の中に組み込まれる形で日米安保体制へと移行していった。戦後70余年が経った今も、その流れは基本的には変わっていない。
 それにしても今なお日本が対米従属を続ける背景には、他の選択肢も考慮に入れた上で、対米従属が最も得策との判断に基づいているのだろうか。70年もの間アメリカ追従が大前提の体制下に置かれた結果、単なる思考停止に陥ってはいないか。今後、アメリカという国が大きく変質しても、日本はもっぱらそのアメリカについていくのが本当に得策なのか。プランB(他の選択肢)を用意しておかなくていいのか。
 トランプの誕生でアメリカが大きな変革期を迎え、アメリカ一辺倒できた日本もこれまでの安全保障政策を再考せざるを得なくなった今、改めてアメリカ追従の是非を考えた上で、何が日本の自立を阻んでいるのか、日本の外交・安全保障の基本的なスタンスはどうあるべきかなどを、松竹氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

アメ車が日本で売れないワケ

(第829回 放送日 2017年02月25日 PART1:45分 PART2:44分)
ゲスト:国沢光宏氏(モータージャーナリスト)

 「アメリカでは日本車が山ほど走っているのに、東京でシボレーを見たことがない」
 選挙戦当初から日本に対してこのような発言を繰り返してきたトランプ大統領が、1月23日の財界人との会合であらためて日本の自動車市場の閉鎖性をやり玉にあげたことで、日本では日米自動車摩擦の再燃が懸念される事態となっている。
 日本の政府や経済界は、日本は輸入自動車に関税をかけていないことなどを理由に、日本の自動車市場は完全に開放されており、アメ車が売れないのは日本側の問題ではないと主張している。
 しかし、日本の自動車市場は本当に開放されているのだろうか。だとするとなぜ日本でアメ車は売れないのだろうか。これはアメリカ側だけの問題なのか。
 モータージャーナリストの国沢光宏氏はアメリカ側にも問題は多いが、日本側にも問題はあると指摘する。
 特に国沢氏は、日本の大排気量の自動車に対する懲罰的な課税が非関税障壁となり、アメ車の普及の足枷になっていると語る。もともとこの制度は、日本の自動車産業がまだ十分に成熟していない時代に、国内の自動車産業を守り育成するために、アメリカ車の輸入を制限する目的で導入されたものだったが、その制度はパワフルな大排気量が魅力のアメ車の立場を不利にしていると国沢氏は指摘する。
 実際、日本の自動車は現地生産分も含めるとアメリカの自動車市場全体の37%を占める一方で、アメリカ車は日本市場のシェアは0.3%にも満たないという有様だ。しかも、アメリカの自動車市場は外国車が55%のシェアを持つのに対し、日本の輸入車のシェアは6%に過ぎない。「日本でアメ車は売れていないがドイツ車は売れているではないか」と指摘する向きもあるようだが、それもあくまで程度問題で、実際のところ日本の自動車市場における輸入車のシェアはアメリカのそれとは比べものにならないほど小さい。これだけを見ると、日本の自動車市場が無条件にオープンとは言いにくい根拠もあるようだ。
 確かに日本の自動車メーカーが米国の消費者の嗜好に合うようにデザインや性能を改良するなど、涙ぐましい営業努力を続けてきた一方で、アメリカの自動車メーカーは日本で本気で車を売ろうとしているようには見えないところも多分にある。
 しかし、その一方で、実際は上記の税制の他にも、アメ車を日本に持ってこようとすると、日本独自の安全基準や環境基準に適合させるために大きなコストがかかってしまうなど、様々な障壁が残っていることも事実だ。そうした制度を残したままでは痛くない腹を探られ、結果的に数値目標などの無理難題を押し付けられるのがオチだ。特にトランプ大統領との親密ぶりを隠さない安倍政権としては、トランプ政権からの求めはそう簡単にノーとはいえそうにない。
 アメ車が日本で売れないのはなぜか。日米間では車に対する考え方にどのような違いがあるのか。国沢氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

東日本大震災6年後もなお山積する課題

(第830回 放送日 2017年03月04日 PART1:37分 PART2:35分)
ゲスト:室崎益輝氏(神戸大学名誉教授)

 マル激では震災から6年目を迎える3月4日、11日に、2週続けて東日本大震災と福島第一原発事故をテーマに番組をお送りする。
 1回目は日本災害復興学会の初代会長を務めた室崎益輝・神戸大学名誉教授に、復興の現状課題を聞いた。
 マル激では東日本大震災からの復興の成否が、今の日本の民主主義国家としての実力のバロメーターになると指摘してきた。 そして震災から6年。政府は復興は順調に進んでいると主張するが、実際は多くの課題が残されたままだ。
 いまだに10万人近い被災者が、仮設住宅やみなし仮設住宅で暮らすことを余儀なくされている。大規模な堤防の建設や高台への移転などに遅れが生じているからだ。原発事故の影響で強制的に避難させられた人々の帰還も進んでいない。去年、避難指示が解除された市町村でも、帰還した人の割合は葛尾村で8.0%、南相馬市小高区が13.6%と、帰還が順調に進んでいるとは言い難い状況だ。
 阪神大震災の被災者でもあり、防災の専門家でもある室崎氏は、復興を考える際に大事な視点として、4つの「生」を指摘する。「生命」、「生活」、「生業」、「生態」の4つである。
 その観点から見た時に、復興は順調と言えるのだろうか。震災直後、一刻も早い復興を目指そうと、しきりとスピード感が強調されたが、逆にそれが復興の足をひっぱったかもしれないと室崎氏は話す。4つの「生」を実現するためには、移転や工事などを拙速に進めるだけでなく、どんな町作りを目指すべきかを行政と住民がじっくりと議論し、考える時間が必要だったのではないかというのだ。
 その土地で暮らし、生業を営み、自然の恩恵を受けながら暮らしてきた人たちが、元の生活に戻れた時、初めて復興は成就する。4つの「生」のどれかが欠けたままでは、真の復興とはならない。
 無論、最初から理想的状況はそう簡単には実現しないだろう。しかし、順調か失敗の二項対立ではなく、復興を息の長いプロセスと捉え、理想に近づけていくために今からでもできることは何かを考え、少しずつでも状況を改善していく姿勢が、真の復興には不可欠となる。
 これは東北だけの問題ではない。日本全体の問題であり、日本の民主主義の質が問われる問題でもある。月日が経つにつれ、われわれは被災地の惨状を見て見ぬふりをして、切り捨てるつもりなのだろうか。震災から6年、復興の現状と課題について、室崎氏とともに社会学者・宮台真司とジャーナリスト迫田朋子が議論した。

 

vol.81(811~820回収録)

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ロドリゴ・ドゥテルテとは何者なのか

(第811回 放送日 2016年10月22日 PART1:46分 PART2:52分)
ゲスト:日下渉氏(名古屋大学大学院国際開発研究科准教授)

 フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が、10月25日から、国賓として日本にやってくる。安倍首相との首脳会談に加え、天皇陛下との会見も予定されているという。
 日本に先立ち中国を訪問したドゥテルテは、中国の首脳らを前に唐突に、「フィリピンはアメリカと決別する」と宣言をするなど、突如として中国寄りの姿勢を鮮明に打ち出している。日本の安全保障にも影響を及ぼす事態だけに、首脳会談に臨む安倍首相の外交手腕の真価が問われる。
 しかし、それにしてもこのロドリゴ・ドゥテルテという政治家は一体何者なのか。
 今年6月の大統領就任から、僅か4か月の間に3500人もの麻薬犯罪の容疑者を裁判にかけることなく処刑したかと思えば、強姦やジャーナリストの殺害を容認する発言を繰り返す。かと思えば、フィリピンの人権状況に懸念を表明したアメリカのオバマ大統領を、「Go to hell(地獄へ堕ちろ)」だの「Son of a bitch(畜生野郎)」などとこき下ろし、予定されていた首脳会談をキャンセルされると、今度はアメリカを袖にして中国に付くと言い出す。とにかく、やりたい放題、言いたい放題なのだ。
 ところがそのドゥテルテのフィリピン国内の支持率が、なんと9割にも達するのだという。
 フィリピン研究が専門で名古屋大学大学院国際開発研究科准教授の日下渉氏は、この「ドゥテルテ現象」を、発展途上国にありがちな、必ずしも情報を十分に得ていない貧しい国民が、バラマキによって貧者・弱者の味方を自称するポピュリストに熱狂している一過性のものと考えるのは間違いだと指摘する。
 それはドゥテルテが、フィリピン国民に対して痛みの伴う政策の実施を公言する一方で、麻薬や汚職が蔓延して機能不全に陥っているフィリピン社会の「規律」の回復を標榜すると同時に、社会の基盤を成す「家父長の道徳と秩序」の再興を訴えているところにヒントがあると日下氏は言う。
 毎年7%前後の順調な経済成長を続けてきた結果、安定した中間層が形成されるようになり、フィリピンという国は途上国モデルから新興国モデルに変貌しつつある。しかし、麻薬や汚職に浸食された脆弱な社会インフラは、相変わらず途上国の時のままだ。フィリピン国民の多くが、目先のバラマキによって得られる快楽よりも、規律や社会の秩序が回復されることによる長期的な安定を優先し始めた。そのタイミングにその期待を担って登場したのが、ドゥテルテというキャラの立った稀有な魅力を持った政治家だった。
 暴言を繰り返すドゥテルテの下を熱狂的に支持するフィリピンに今、何が起きているのか。ドゥテルテ現象とアメリカのトランプ現象に共通点はあるのか。ドゥテルテ来日を前に、日下氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

亀井静香が政治生命を賭してまで死刑の廃止を訴え続ける理由

(第812回 放送日 2016年10月29日 PART1:51分 PART2:51分)
ゲスト:亀井静香氏(衆議院議員)

 先進国の中で死刑制度を維持している国は、もはや日本とアメリカくらいしか残っていないし、日本の死刑制度は国連や国際人権団体などからも、繰り返し批判を受けている。しかし、日本では死刑制度は依然として8割もの高い国民の支持を受けている。
 2016年10月7日、日本弁護士連合会が2020年までに死刑制度の廃止を目指す宣言を行った。しかし、宣言の採択に対して、日弁連の中からも反対意見があがり、期せずしてこの問題の難しさが浮き彫りになった。
 世論調査などを見る限り、国民は圧倒的に死刑制度を支持しているが、そうした中にあって、死刑制度の廃止に政治生命を賭けると公言して憚らないベテラン政治家がいる。他ならぬ亀井静香衆議院議員だ。
 国会内に設けられた超党派の死刑廃止を推進する議員連盟の会長を発足時より務めるなど、一貫して死刑の廃止を訴えてきた亀井氏は、死刑存置派が、凶悪犯罪の犠牲になった被害者や遺族の感情の回復の必要性を主張しているのに対し、人を殺す以外の方法で感情の回復を図る方法を探るべきだと語る。犯人を殺すことだけが、感情の回復を図る方法とは限らないのではないかというのが亀井氏の考えだ。
 また、亀井氏は警察官僚時代の自らの経験を元に、現在の刑事制度の下では冤罪が避けられないことも、死刑に反対する理由にあげる。長期間、外部から遮断された被疑者は「拘禁ノイローゼ」状態に陥り、取り調べ官に誘導されて虚偽の供述をしてしまう場合がある。しかし、後に冤罪の疑いが表面化しても、被疑者が処刑されてしまえば、もはや取り返しがつかないと亀井氏は言う。
 確かに、死刑については終身刑の導入の是非を含め、議論しなければならない論点は多いが、亀井氏の主張にじっくりと耳を傾けると、氏の主張が死刑にとどまらず、伝統的な真正の保守政治家のそれであることに気づかされる。
 国民新党代表として民主党政権で連立を組んでいた亀井氏は、連立を離脱してまで消費税増税に強く反対している。低所得層により重い負担を強いることになる消費増税には今も反対だ。地方へ富を再配分する公共事業とそれを支える国債の発行は支持する一方で、日本の農業を破壊するTPPや原発、外国人参政権、そして集団的自衛権の行使を可能にする憲法9条の改正には強く反対している。また、取り調べの全面可視化や、夫婦別姓、天皇の生前退位は絶対に認められないという立場を取る。
 政治学では政治的立場を分類する際に、経済軸と社会軸もしくは政治軸で4事象に分けて分類する場合が多いが、亀井氏は経済的にも社会的にも保守の立場を貫いているという点で、今日絶滅危惧種になりつつある真正の保守政治家と言えるだろう。
 逆の見方をすると、今日の保守政治家の多くは政治的・社会的には保守的立場をとっていても、経済的には市場原理を重視する新自由主義的な立場の政治家が多い。亀井氏はこの「新自由主義」を厳しく批判して止まない。
 被害者感情に理解を示しつつも死刑制度の廃止を強く訴える亀井氏に、自身の政治的信条や安倍政権に対する評価、野党連携の見通しなどを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

貧困問題の根っこにある老人の貧困という難題

(第813回 放送日 2016年11月05日 PART1:51分 PART2:50分)
ゲスト:藤田孝典氏(NPO法人ホットプラス代表理事)

 若者の貧困や子供の貧困が取り沙汰される時、決まって「悠々自適な年金生活を送る老人たちが、社会保障財源を食いつぶしている」ことにその原因の一端があると指摘されることが多い。
 しかし、現実には老人の貧困が、深刻の度合いを増しているという。
 今日本の65歳以上の人口は約3400万人。少なくともその2割に当たる約700万人が、生活保護水準以下の貧困状態にあるという。貧困老人の数は実際は1000万を超えるとの推計もある。
 生活保護基準は首都圏では1か月あたりの収入が概ね13万円以下を意味するが、国民年金からは満額でも6万5000円程度しか支給されないため、老後を国民年金のみに依存する独り暮らしの老人の多くが、この所得水準がクリアできていないのだという。
 昨年、著書「下流老人」を著わしたNPO法人ホットプラス代表理事の藤田孝典氏は「下流老人」に共通する条件として3つの「ない」が存在すると指摘する。それは「収入が少ない」「貯蓄がない」「つながりがない」の3つの「ない」だ。
 年金のみに依存している老人の多くは収入が少なく、貯蓄を削って生活するしかない。しかし、平均寿命が男女ともに80歳を超える今日、貯蓄はいずれ底を突くことは目に見えている。しかも貧困老人の多くは、家族や地域とのつながりを失って孤立している場合が多いという。
 埼玉県で困窮支援のNPOを運営する藤田氏の下にも、毎年500人を超える人々が貧困の相談に訪れるが、その約半数が高齢者だという。
 老人が貧困に陥る原因は様々だが、中には現役時代に大企業に勤務し、十分な蓄えと年金がありながら、自身の病気や子供の引きこもりなど、想定外の原因で貧困に陥るケースも少なくないという。その意味で、いつ誰が「下流老人」に陥ってもおかしくないのだと藤田氏は言う。
 また、高齢者の中には所得が生活保護以下の水準にありながら、生活保護だけは受けたくないという人が多いと藤田氏は言う。生活保護を受けている事実を親類に知られたくないことを理由にする人も多いが、生活保護を受けることを無条件で否定的に捉える傾向も、老人ほど強いのだという。そのため藤田氏のNPOを訪れる老人の多くは、既に健康を害していたり住むところも失うなど、もうどうにもならない状態になった人が多いのだと言う。
 「もう少し早い段階で来てくれれば、他に選択肢もあるのですが」という藤田氏は、相談に来た人をまず、藤田氏の団体が運営するシェルターに入れ、生活保護の申請を手伝うところから始めなければならない場合が多いと語る。
 これまで日本は社会保障の多くを、退職金や企業年金、社宅といった企業の福利厚生や、家族の相互扶助に依存してきた。そのセーフティネットが破れた今日、公的社会保障の弱さのツケが多くの高齢者に回ってきている。しかし、高齢者の貧困が手当てされなければ、高齢者から若年層への所得移転も実現しない。結果的に若者や子供の貧困も解決されないという意味で、老人の貧困はすべての貧困問題の根っこに横たわる問題となっている。
 既に貧困に喘ぐ高齢者に対しては、住宅や医療、介護などの付加的な社会保障が不可欠だ。しかし、社会保障を持続可能なものにするためには、高齢者が簡単に貧困に陥ることがないような制度設計が必要だ。それはちょうど、健康を維持するためのコストの方が、病気になった場合の医療コストよりも遥かに安あがりなのと同様に、貧困を放置すればするほど、社会の負担がより大きくなることが、さまざまな調査で明らかになっているからだ。
 藤田氏は「日本人の多くが、困っている人を見ても助ける必要性を感じなくなっている」ところに、貧困対策が進まない原因があるのではないかと指摘するが、実際、この問題は根深く、その解決も容易ではなさそうだ。
 自らが主宰するNPOで日夜、生活困窮者を支援する活動に従事している藤田氏に、深刻化する高齢者の貧困の実態と解決のための可能性を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が聞いた。

トランプ政権への期待とリスク

(第814回 放送日 2016年11月12日 PART1:1時間3分 PART2:56分)
ゲスト:西山隆行氏(成蹊大学法学部教授)

 大方の予想を裏切ってドナルド・トランプが2016年のアメリカ大統領選挙を制した。
 公職経験も軍歴も皆無の、まったくのワシントンのアウトサイダーであり政治の素人でもある大穴の候補が、これ以上ないというほどワシントンでの華々しい経歴を誇る大本命のヒラリー・クリントンを破っての、まさかの勝利だった。
 これまで暴言を繰り返してきた異色の候補の勝利には、ことごとく予想が外れたアメリカの専門家たちもさることながら、世界中が驚きをもって受け止めている。何かとてつもない大変化がアメリカを襲おうとしているとの指摘は後を絶たない。
 確かに、トランプ政権がアメリカをどう変えるかについては今のところまったくの未知数であり、リスク要因も多い。しかし、選挙の結果を見る限り、アメリカに大きな地殻変動が起きたというよりも、クリントンの明確な戦略ミスがトランプの当選を許したという側面が大きいと言わざるを得ない。今回の選挙ではオバマが勝利した前回の選挙と比べた時、実際に動いたのはほんの一部の、しかし鍵となる州の、ごく僅かな票に過ぎなかったからだ。
 クリントンが一般投票の総数ではトランプを上回る票を得ながら、選挙人の獲得数で大きく差をつけられた最大の原因は、これまで伝統的に民主党が押さえてきた人口の多い、よって選挙人の割り当ても比較的多い「ラストベルト」の諸州をことごとく落としたことに尽きる。現職で民主党のオバマが共和党のロムニーに勝利した2012年の大統領選の結果と比べても、それは明らかだ。今回、クリントンは伝統的な民主党の票田であり2008、2012年とオバマが押さえたウイスコンシン(選挙人10人)ミシガン(16人)、ペンシルバニア(20人)の3州をいずれも僅差で落としている。勝負に「たられば」は禁物と言われるが、この3州を普通に押さえていれば、仮にフロリダ(29人)とオハイオ(18人)を落としても、ヒラリーは楽に勝っていた。
 とは言え、クリントン陣営がなぜラストベルトの有権者の動向を見誤ったかについては、マイケル・ムーアが指摘するような「没落したアメリカ中間層の怒り」の激しさを過少評価していたことは明らかだ。かつて鉄鋼業や自動車産業が栄え、それが廃れた後、鉄が錆付いたことを意味するラスト(錆)ベルト(地帯)と名付けられた中西部の五大湖周辺地域では、かつて世界が羨む豊かさを享受する中間層を形成してきた労働者たちが、工場の海外移転と外国からの安い製品の流入とで、塗炭の苦しみを味わっているとムーアは指摘する。その怒りは、これまで彼らの苦境を放置してきたワシントンの既存の政治体制に向けられ、クリントンはその象徴のような存在になっていた。本来は伝統的な民主党支持者である彼らの不安や不満を汲み上げられなかったクリントン陣営の戦略ミスが、結局は命取りになった。
 一方、トランプはそんなクリントンの戦略ミスを尻目に、見事な選挙戦を戦い抜いた。すべてが戦略的な意図に基づくものではなかったかもしれないが、数々の暴言や下半身にまつわるスキャンダルなどメディアが泣いて喜びそうなネタをコンスタントに提供することで、メディアのエアタイム(放送時間=露出)を確保し、有権者の注目を自分だけに集中させつつ、党の予備選で左派のバーニー・サンダースの攻勢に晒されたクリントンが左に引っ張られることで、大きく空いた中間層に訴える政策をしっかりと用意するなど、一見粗野に見える言動や行動とは対照的とも言える緻密な選挙戦を展開した。
 前例の無い新しいタイプの大統領となるトランプが、既成の常識にとらわれない破壊力で、閉塞状態に陥ったワシントンの政治を根っこから変えてくれるかもしれないという期待がある一方で、すべてが未知数のトランプ政権にはリスクも大きい。過去に公職に就いた経験が皆無のトランプだ。誰が閣僚になるかによってトランプ政権の方向性は大きく左右されそうだが、全くのワシントンアウトサイダーであり政治のアウトサイダーでもあるトランプ政権では、今のところ誰が閣僚になるかさえ全く予想がつかない状態だ。
 また、仮にそれが注目を集めるための戦略だったとしても、選挙戦でトランプが煽ってきた差別や偏見は一旦火が点けばそう簡単には収まらない。今後、これがアメリカ社会にどのような影を落としていくことになるかについては、注意が必要だろう。
 しかし、数あるトランプリスクの中でも、トランプ政権下のアメリカでもっとも大きな影響を受ける可能性があるのは移民政策になるだろうと、アメリカの移民政策に詳しい西山隆行成蹊大学教授は指摘する。選挙戦でトランプは、移民によってアメリカの職が奪われているとして、メキシコ国境に万里の長城を建てると公言した。また、イスラム教信者の入国を禁止するとも公言している。そもそもトランプを支持したプアホワイトと呼ばれる白人の低所得層は、アメリカにおける白人の割合がヒスパニックやアジア系に押され少数派に転落することに危機感を抱いている人々だ。
 彼らの不安や不満に訴えることで当選を果たしたトランプ政権は移民政策に何らかの変更を加えないわけにはいかない。これは先進国が軒並み少子化と人口減少に見舞われる中で、移民を受け入れることで経済的な力を維持してきたアメリカという国の性格、ひいては国のあり方を根本から変える可能性があると西山氏は言う。
 トランプはなぜ勝てたのか。トランプ政権はどのような政権になるのか。トランプの下でアメリカは移民国家の旗を下ろすのか。西山氏とともに、大統領選挙の結果とトランプの公約を検証しつつ、今後のアメリカの方向性をジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

ドナルド・トランプという男

(第815回 放送日 2016年11月19日 PART1:1時間4分 PART2:40分)
ゲスト:佐藤伸行氏(追手門学院大学経済学部教授)

 世界の目がたった一人の男に注がれている。
 ドナルド・J・トランプ。この男は果たして希代の戦略家なのか、はたまた単なるナルシストの山師なのか。
 大方の予想に反してドナルド・トランプの勝利に終わった大統領選挙から一週間が過ぎ、目下、世界は選挙戦中にトランプが語った数々の暴論に満ちた政策を本気が実行するかどうかを見極めようと、彼の一挙手一投足を固唾をのんで見守っているようだ。
 トランプ政権下でメキシコ国境の壁の建設をはじめ、イスラム教徒の入国禁止などの移民政策の変更、同盟国に対する防衛負担の増額要求、保護主義の復活などの政策が実際に実行されれば、世界に大きな影響を与えることは必至だからだ。
 目下、世界はトランプ政権の閣僚人事に注目しているようだ。それがトランプ政権の政策を占う上で重大なヒントを与えてくれると思われるからだ。
 しかし、もう一つトランプ政権の行く末を占う上で重要な示唆を与える視点がある。それがドナルド・トランプという人間、そしてその一族の出自や彼自身の生い立ちなどを知ることだ。
 そこで今週のマル激では近著『ドナルド・トランプ 劇画化するアメリカと世界の悪夢』でトランプの出自を詳しく紹介した追手門学院大学経済学部の佐藤伸行教授に、トランプの人物像について聞いた。
 大統領候補としては移民に対する厳しいスタンスを見せたトランプだが、実は彼自身が父方では移民3世、母方では移民2世にあたる。父方は祖父がドイツの貧農の出で、ゴールドラッシュに沸く19世紀後半のアメリカにその他大勢のドイツ移民の一人としてニューヨークに移民してきた理髪師のフリードリッヒが、アメリカに於けるトランプ家の1代目に当たる。母方はスコットランドから移民してきたメアリーがトランプの実母だ。
 アメリカ到着後、ドイツ名のフリードリッヒをアメリカ風のフレデリックに変え、床屋で生計を立てていたトランプの祖父は、ゴールドラッシュの最中、ご多分に漏れず、一攫千金を夢見て西海岸に渡り、ホテル業で一代にして財を成す。そして、ゴールドラッシュが終わると、ニューヨークに引き上げてきたが、当時流行りのスペイン風邪のために49歳の若さで他界している。
 後を継いだトランプの父親のフレッドは、ニューヨークをベースに当時人口が急増していたクイーンズ地区に庶民のための低価格の住宅を供給する手堅い建設業を営み、一定の財を成した。しかし、トランプ自身は父親のような地道な事業を嫌い、大規模な開発プロジェクトや著名なホテルやビルの建設に邁進し成功を収める。とはいえ、その成功の陰には物心両面で父親からの強い援助があったという。
 地道な商売で財を成したトランプの父は、ドイツ系の伝統を踏襲し、トランプを厳しくしつけた。当初ニューヨーク市内の地元の中学に通っていたトランプが学校で問題を起こすと、父はニューヨークの郊外にある規律の厳しいことで知られる全寮制のミリタリー・アカデミーにトランプを送り込んでいる。今もトランプの言動やノリに時折顔を見せるやや暴力的な側面は、生徒を力や暴力で抑え込むミリタリー・アカデミー時代に培われたものではないかと、佐藤氏は指摘する。
 ミリタリー・アカデミーを卒業後、当初ニューヨークの地元のフォーダム大学に通ったトランプは、大学3年時にアイビーリーグの名門ペンシルベニア大学のウォートン校に編入する。ところが、トランプの大学時代のエピソードというものが、ほとんど出てこない。アメリカでも多くのジャーナリストが取材を試みたが、大学時代のトランプを知る人がほとんど見つからないというのだ。トランプ自身は大学時代は父親の仕事を手伝っていたので忙しかったと説明しているそうだ。
 不動産事業者としては、1973年のマンハッタンの鉄道操作場跡地の再開発プロジェクトの成功を皮切りに、1980年のグランドハイヤット・ホテルの改築、そして1983年に5番街に立てたトランプタワーなどでニューヨークの大型プロジェクトで次々と成功を収め、時の人に登りつめていく。しかし、不動産業以外で手を出した数多くのビジネスではことごとく失敗しているのも、ビジネスマンとしてのトランプの大きな特徴の一つだ。手を出しながら破産したり、数年のうちに撤退を余儀なくされたビジネスは、カジノやリゾート開発からトランプ・エアライン(航空)、トランプ大学、トランプ・ウオッカ(酒)、トランプ・ステーキ(食品)、トランプ・アイス(氷)、NJゼネラルズ(プロフットボール)と実に多岐に渡る。不動産で大儲けした分の相当部分を他のビジネスの失敗で擂っているという感じだ。それでも不動産事業成功の儲けは莫大なようで、フォーブス誌などによると、現在の保有資産は日本円にして数千億はくだらないだろうという。
 トランプの政治スタイルについて佐藤氏は、意識的に劇画の主人公を演じているのではないかと言う。常に鏡を見ながら仕事をするナルシストの顔を持つトランプが、意識的にレーガン元大統領を模倣していることはよく知られている。選挙スローガンのMake America Great Againもほぼ丸ごとレーガンのパクリだ。
 元俳優のレーガンも大統領選挙への出馬当初はメディアからことごとく馬鹿にされていた。しかし、いざ大統領になると強いリーダーシップを発揮し、歴史に残る名大統領になっている。
 果たしてトランプがレーガンのように大化けする可能性はあるのか。それとも、大統領就任後も誇大妄想のナルシストぶりを発揮し、アメリカのみならず世界を大混乱に陥れることになるのか。トランプの家系や生い立ちに詳しい佐藤氏と、トランプの人物像とトランプ政権の行方について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

何とかして自衛隊に銃を撃たせたい人たちがいるようだ

(第816回 放送日 2016年11月26日 PART1:59分 PART2:53分)
ゲスト:伊勢崎賢治氏(東京外国語大学大学院教授)

 自衛隊員たちは一体何のためにこれだけのリスクを負わされているのだろう。
 政府は11月15日、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊に新たに「駆け付け警護」任務を加えることを閣議決定し、20日には部隊の先発隊が、青森空港を出発した。
 内戦など政情が不安定な国での国連平和維持軍(PKF)に参加した日本の自衛隊が、派遣先の近くで国連職員やNGOのスタッフが武装勢力によって危険な状態に陥った時、必要となる武力を行使した上でこれを救出するための権限を与えるのが、いわゆる「駆け付け警護」と呼ばれるものだ。
 たまたま困った民間人の近くに武装した自衛隊がいるのだから、助けるのは当然だと政府は説明しているが、紛争国の実情に詳しい東京外語大の伊勢崎賢治教授は、それは現在の国連PKOの実態をあまりにも知らない人の議論だと指摘する。
 かつて国連PKOはその名の通り、内戦や政情不安に喘ぐ国々が平和を維持するための手助けをすることだった。しかし、現在の国連PKOは住民の保護が主な任務となっている。民族間対立に発展した1994年のルワンダ内戦で、国連から平和維持軍(PKF)が派遣されていたにもかかわらず、武力を行使する権限を与えられていなかったために何もできないまま、80万からの市民が虐殺されるという悲劇が起きた。国連PKFの部隊は自分たちが撤退すれば80万ものツチ族の市民が対立するフツ族の民兵らによって皆殺しにされることを知りながら、これを見殺しにして撤退した。その時のPKFには武力行使の権限が与えられていなかったため、撤退せざるを得なかったのだ。
 その「見殺し行為」がその後、国際社会から強い批判を浴び、以来、国連PKOは武力を行使してでも住民を保護することが優先的なミッションと位置づけられるようになったと伊勢崎氏は言う。少なくとも今のPKOが負っている任務は、紛争地域には行かないことなどを定めた日本政府のPKO参加5原則の時代とは、大きく様変わりし、住民保護のためであれば武力を行使して紛争の当事者となることも辞さないという立場を取るようになった。
 そもそも憲法上の制約から、国内的には軍隊とは認められていない自衛隊が国連PKOに参加すること自体に、もともと無理があったが、国連PKOのミッションが停戦や平和維持から住民保護にシフトした今、その矛盾はこれまでになく大きなものになっている。
 国際貢献は重要だが、法的に軍隊として認められていない以上、武力行使には厳しい制約が課されることになる。結果的に日本のPKOはできる限り安全で治安の良い地域に施設部隊を送り、道路や橋を建設したり井戸を掘ったりする兵站に専念するしかない。それがこれまでの日本の国連PKOの実態だった。
 その間、自衛隊自身も武器の使用に対して強い規律を守ってきたために、これまで日本の自衛隊は武力衝突に巻き込まれずに済んできた。巻き込まれるのが怖いのではなく、巻き込まれたときに自衛隊の隊員たちを守るための法的な枠組みが日本には用意されていないのだ。万が一武力衝突に巻き込まれた時、自衛隊が武力を使って相手を殲滅すれば、憲法に違反する行為が行われたことになり、法的にも深刻な問題が生じる。しかし、その一方で、武力の使用を躊躇することで自衛隊員が殺傷されるようなことになれば、たちまち日本国内では、「憲法の制約があったから自衛隊員は殺された。二度とこんな不幸なことが起きないよう、憲法の制約を取り除くべきだ」という議論が沸騰することになるだろう。
 結局、日本が合法的に国連PKOに参加するためには、憲法を改正して自衛隊を正規の軍隊として認定するか、国連PKF(国連平和維持軍)への参加はあきらめ、国連文民警察、国連軍事監視団など他の分野の国連PKOに参加するかの、いずれかしかない。
 しかし、歴代政権はその無理筋を、何とかして自衛隊が武力を行使しないで済む状態を死守し、自衛隊員にも犠牲が出ないような綱渡りを繰り返すことで、何とか日本のPKFへの参加を続けてきた。
 これに対して従前より伊勢崎氏は、「撃ちにくい銃」を持たされている日本の自衛隊は、何らかの武力衝突に巻き込まれた場合のリスクが大きすぎるとして、日本のPKO参加のあり方を批判してきた。
 しかし、今回「駆け付け警護」なる新たな任務を与えられたことで、「撃ちにくい銃」が、少なくともこれまでよりは「撃ちやすく」なることを伊勢崎氏は懸念していると言う。
 武装した相手に一発でも発砲すれば、当然相手も発砲してくるので、交戦状態になる。そのような事態になれば、自衛隊員に死傷者が出なかったとしても、これまでの「自衛隊は軍隊ではない」という前提が崩れることは必至だ。撃たなければ自衛隊員に死傷者が出る可能性が増し、撃てば憲法上の問題が生じる。
 伊勢崎氏は今回の「駆け付け警護」について、建前では「国際貢献」を謳いながら、本当の意図は自衛隊が元々抱えていた問題をより顕在化しやすくするという、隠れた目的があるのではないかと訝る。
 実際、防衛省は駆け付け警護の権限が付与されることで、現在南スーダンに派遣されている自衛隊の警備小隊が、国連PKFの指揮官から歩兵部隊同然に扱われることを恐れ、部隊の引き上げを検討していたことが、毎日新聞のスクープで明らかになっている。国際貢献の美名のもとで着々と進む、憲法改正へ向けた政治ゲームが生み出すリスクのすべてを抱え込むことになるのが自衛隊であることを、当事者となる防衛省は嫌というほど知っているのだ。
 国連PKOの現場を知る伊勢崎氏も、何かの事故が起きるのは時間の問題だと言う。伊勢崎氏自身は新憲法9条を提唱するなど、自身も憲法改正には前向きだが、とは言え、事故で世論が沸騰し、その勢いで憲法改正議論に突入するような、そんな憲法改正は嫌だと言う。
 新たに付与された駆け付け警護任務によって自衛隊が抱えることになるリスクと、自衛隊員の銃をより撃ちやすくしたい人たちの狙いなどを、伊勢崎氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

美濃加茂の逆転有罪判決と米大統領選再集計問題を掘り下げる

(第817回 放送日 2016年12月3日 PART1:1時間8分 PART2:52分
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部教授)

 今週はその週のニュースを深掘りするニュースマル激。
 今週のテーマは、(1)美濃加茂市長収賄事件の逆転有罪判決の疑問点とその影響、(2)保守派ほど天皇陛下の生前退位に反対する理由、(3)米大統領選挙・ウィスコンシン州の再集計が露わにする電子投票の問題点の3つのニュースを、憲法学者の木村草太氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が掘り下げた。
 美濃加茂市長収賄事件は、大方の予想に反して藤井浩人市長に逆転有罪の判決が下った。判決自体も多くの疑問が残るものだったが、より深刻なのがその影響だ。
 市民からの声を吸い上げ、それを実現すべく尽力した政治家が、後にその市民から「カネを渡した」と一方的に言われ、贈賄罪に問われたのがこの事件だった。実際、藤井氏は名古屋の会社社長から災害時に学校のプールに貯めた水を浄化して生活用水に利用することを可能にする浄水システムを紹介され、もともと震災対策に強い関心を持っていたことから、その導入のために尽力していた。後にその社長が別の詐欺事件で逮捕され、警察との取り調べの中で一方的に「藤井にカネを渡した」と証言したために、藤井氏は現職の市長のまま逮捕されていた。
 この裁判では、藤井氏が会社社長から現金を受け取っていたことを裏付ける物証は何も出ていないため、カネを渡したという会社社長の言い分と、もらっていないという藤井氏側の言い分のどちらがより信用できるかが、唯一の争点となった。
 これが有罪になるようでは、政治家は業者や市民からの提案を受け、その実現のために積極的に動くことが大変なリスクとなってしまう。その市民が後に「カネを渡した」と言い出した時、実際にカネを受け取っていないことを証明することは容易ではない。提案を実現するために尽力している以上、収賄罪を構成する「請託」と「受託及び政治権限の行使」があったことは容易に証明できてしまうからだ。
 また、今回の事件は贈賄側の会社社長と検察の間に、事実上の司法取引が行われていた疑いが持たれていた。4億円近い金融詐欺で逮捕された会社社長が実際には2000万円分しか起訴されず、その取り調べの中で突如として藤井氏への贈賄の話が出てきたことから、会社社長が検察から「藤井への贈賄を認めれば、金融詐欺の方は軽くしてやる」などと取引を持ち掛けられていた可能性を、弁護側は強く追及していた。実際、会社社長自身が、逮捕勾留中、拘置所で隣の房に勾留されていた別の事件の被疑者に、検察との取引内容を打ち明けていたことも、裁判の過程で明らかになっていた。
 検察にとってはケチな金融詐欺よりも現職の市長を巻き込んだ汚職事件の方が、事件としての価値は遥かに高い。検察幹部や担当検事にとって、より大きな手柄になるということだ。一方、詐欺事件で逮捕されている会社社長も、刑が減刑されるのであれば、その取引に乗らない手はない。
 当事者の証言のみで、そのような裏取引までが疑われた事件で、現職市長に逆転有罪判決が下ったことの影響は計り知れない。
 先の国会で刑事訴訟法が改正され、日本にも正式に司法取引が導入された。これにより、一つの事件の立証につながる証言をすれば、別の事件での求刑を軽減したり、不問に付すなどの取引を、検察は堂々と持ちかけられるようになった。
 それが実際にどのように運用されるかはまだ未知数だが、美濃加茂市長の事件は現在の日本における司法取引の危うさを再認識させるのに十分なものだった。
 次に、天皇陛下が生前退位の意向を示されたことを受けて、政府がその対応を検討している問題では、有識者会議が16人の専門家から相次いでヒアリングを行い、その結果が今週出揃った。様々な意見が出された中で、今回のマル激では、なぜ日頃から天皇への尊崇の念を強く表明している保守派の論客ほど、陛下ご自身の意向を無視するかのような意見を表明しているのかに注目した。
 実際、保守派の論客として知られる渡部昇一上智大学名誉教授、大原康男国学院大学名誉教授、八木秀次麗澤大学教授、ジャーナリストの櫻井よし子氏らはいずれも陛下の生前退位に反対するのみならず、陛下ご自身の意思での退位を認めるべきではないとの考えを示すなど、陛下の思いや人権を無視したかに見える発言を繰り返しているのはなぜか。
 最後は米大統領選挙の再集計問題。現在ウィスコンシン州で再集計が行われており、ミシガン州とペンシルベニア州でも再集計の請求が出されている。この3州は11月8日の本選ではいずれも僅差でトランプが勝利しており、その選挙人数を合計すると36となる。もし再集計の結果、3州全てでクリントンが逆転すれば、大統領選挙の結果がひっくり返る計算となる。
 今回の再集計は大統領候補の一人だった緑の党のジル・スタイン氏からの請求を受けたものだが、スタイン氏は再集計を請求した理由として、ミシガン大学のアレックス・ハルダーマン教授らのグループが、今回の選挙で電子投票に使われたコンピューターがハッキングなどによって操作されていた可能性があることを指摘したことを受けたものであることを明らかにしている。
 ウィスコンシン州の再集計の結果が、当初の投票結果と大きく異なるものになった場合、ハッキングの疑いが濃厚となり、他の州でも再集計を求める動きが出る可能性がある。その意味で、ウィスコンシン州の再集計は重大な影響を与える可能性がある。

今さらカジノなんてやめておけ

(第818回 放送日2016年12月10日 PART1:54分 PART2:41分
ゲスト:鳥畑与一氏(静岡大学人文社会科学部教授)

 日本ではお隣りの韓国の政治やアメリカのトランプ大統領の動向により多くの関心が集まっているようだが、その間も、日本の国会では重要な法案が次々と審議され、成立している。
 12月6日にはカジノの設置を謳うIR法案が衆院を通過し、14日の今国会会期末までに成立する見通しだ。
 しかし、このIR法案は実に多くの問題を抱えている。
 カジノを中核とするIR(統合型リゾート)の設置の推進を謳うこの法案では、日本にも大規模なカジノの導入が想定されている。賭博を禁止している刑法に、例外的な条件を設けようというものだ。
 そもそも今回の法案が想定している大規模なカジノが採算をとるためには、外国人観光客の誘致だけではとても追いつかない。かなりの数の日本人に、カジノでお金を落としてもらう必要がある。
 しかし、実は日本は既にギャンブル大国だ。公式の数値では日本には競馬、競輪などの公営ギャンブルしかないことになっているが、実際はパチンコという立派な20兆円ギャンブル産業を抱える。日本のギャンブルの市場規模は5兆円余りとなっているが、パチンコの売り上げ23兆円を加えると、日本は29兆円のギャンブル市場を抱える世界に冠たるギャンブル大国なのだ。
 その分、日本ではギャンブル依存症も非常に深刻だ。厚労省の調査では人口の4.8%、実に500万人以上がギャンブル依存症の状態にあるという。
 脳の機能にまで異常をきたすギャンブル依存症は立派な疾病だが、日本ではギャンブル依存症に対する理解が進んでいないため、依存症になっても実際に治療を受ける人は少ない。また、実際に患者を適切に診断できる医師の数も非常に限られている。
 500万人のギャンブル依存症を抱え、その対策もまともにできていない日本に、新たに大規模なカジノが導入されたらどうなるか。
 経済効果ももう少し慎重な精査が必要だし、依存症対策もまず新たにカジノを始める前に、既存の依存症患者の対策が先決ではないか。
 カジノ法案に批判的な鳥畑教授とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

トランプ政権を甘く見てはいけない

(第819回 放送日 2016年12月17日 PART1:1時間 PART2:59分)
ゲスト:春名幹男氏(早稲田大学大学院客員教授)

 アメリカではトランプ政権の閣僚候補がほぼ出揃い、1月の新政権発足を待つばかりとなった。
 ウィスコンシン州で行われていた投票の再集計の結果、トランプの勝利は変わらないことが確定した。また、ミシガン州とペンシルベニア州の再集計請求も、州の裁判所によって退けられた。
 オバマ政権がロシアによるハッキングを通じた選挙への介入を公表した後だけに、各州で投票の集計に使われたコンピューターシステムに対するフォレンジック(デジタル鑑識)作業が行われなかったことは残念なことではあったが、アメリカの現行法が集計システムへのハッキングを通じた選挙への介入を想定していないため、フォレンジックを行う法的な根拠が見いだせないという裁判所の苦渋の判断だった。
 いずれにしても、12月19日の選挙人投票で一波乱起きる可能性は残されているが、来年1月から日本が、不動産王ドナルド・トランプ率いるアメリカ政府を相手にしなければならないことは、ほぼ確実な情勢となった。
 トランプ政権については様々な観測が流れているが、一言でいえば「予測不可能」というのが、衆目の一致するところのようだ。確かにトランプ自身が行政経験や公職経験が皆無な上、閣僚にも国務長官に内定しているティラーソン・エクソンモービルCEOを筆頭に、政治的にはほとんど未知数のワシントンアウトサイダーが名を連ねる。しかも、その多くは、政権の政策に対して個人的な利害を抱える利害当事者ばかりだ。これで政権の方向性を予想しろというのが、無理な相談かもしれない。
 トランプは先の選挙戦で、数々の奇天烈とも荒唐無稽とも言われる法外な政策をぶちあげてきた。その多くはあまりにも非現実的なため、「実際に大統領になれば、もう少し普通になるだろう」とする祈りのような予想をする専門家は多い。
 しかし、トランプ政権を甘くみてはいけない。日本のメディアではトランプが選挙戦中、メキシコや中国やイスラム教徒を目の敵にした発言が、多く報道された。しかし、トランプは明らかに日本も対峙する対象として視野に入れている。トランプの出馬表明演説やその後のメディアとのインタビューの全文を見ると、トランプの世界観では中国やメキシコと並んで、日本も「アメリカの市場の食い荒らし、アメリカから雇用と富を奪う存在」であると見ていることに疑いの余地はない。日米安保の片務性や日本の防衛力の強化、ひいては日本の核武装容認にまで言及したのも、自分たちがいいようにしてやられている日本に対して、アメリカが一方的に防衛義務を負っているのはおかしいではないかという考え方が根底にある。
 トランプの日本観が2000年代以前の日米貿易摩擦時代の、やや時代遅れのものであることは確かだ。しかし、アメリカ第一主義を徹底し、戦後一貫してアメリカが担ってきた世界の警察官役を放棄し、経済的にもアメリカに雇用の取り戻すことを最優先課題に掲げて当選してきたトランプが、今後どのような要求を日本に仕掛けてくるかは全く未知数だ。
 今後、トランプ政権から飛び出してくるかもしれない予想外の要求は、これまで日本が採用してきた日米安保を基軸とする軽武装・経済優先の政策路線にも大きな転換を強いることになる可能性がある。そうなれば日本の民主主義の強靭さが改めて問われる局面も出てくるかもしれない。
 ロシアのクリミア併合や中国の南シナ海での埋め立て、そしてブレグジットにトランプ政権の誕生と、明らかに世界は新しい時代に突入している。アメリカと協力して第二次大戦後の秩序の維持を図っていきたいと考えていた日本も、肝心のアメリカに既存の秩序を否定する政権が誕生してしまった以上、それなりの覚悟が必要になるだろう。
 共同通信ワシントン支局長などを歴任し、長年日米関係を取材してきた春名氏と、トランプ政権の見通しと日本への影響について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本の根本問題から逃げ回る最高裁とこの国のかたち

(第820回 放送日 2016年12月24日 PART1:1時間30分 PART2:1時間37分)
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部教授)

 今回は首都大の木村草太氏をゲストに、前半は「ニュースマル激」を、後半は「映画マル激」の2部構成でお送りする。前半のニュースマル激では「『生前退位は特例法で』で本当にいいのか」、「沖縄の基地問題から逃げ続ける最高裁」、「元国立市長への個人賠償請求は妥当か」の3つをテーマに、そして後半の映画マル激では「君の名は。」「この世界の片隅に」「聲の形」の今話題の3つのアニメ作品を取り上げた。
 「『生前退位は特例法で』で本当にいいのか」は、高齢を理由に生前退位の意向を示した今上天皇のお気持ちに応える形で、政府の有識者会議が特例法方式で退位を可能にする提言をまとめる線で固まったことが報じられていることを受け、1)それで陛下の問題提起に応えていると言えるのか、2)皇位の継承は皇室典範で決めることを明確に定めている憲法2条に抵触する恐れはないのか、の2点を中心に議論した。
 特に今上天皇が自身の健康上の不安のみならず、象徴天皇としての役割を果たして行く上で現行制度には不備があることを間接的な表現で指摘しているにもかかわらず、有識者会議や政府がこれを今上天皇だけの個人的な問題として処理することで、本質的な問題から逃げようとしている点を問題視した。
 また憲法問題については、仮に特例法方式に憲法違反の疑いがあったとしても、天皇が違憲訴訟を提起することはできないため、それが最高裁で違憲と判断されることはない点を重視。憲法審査の対象にはなり得ないからこそ「万が一にも違憲の誹りを受けるようなことがあってはならない」との視点から、天皇制に関わる立法を行う際は憲法との整合性により厳しく拘る必要性を議論した。
 「沖縄の基地問題から逃げ続ける最高裁」では仲井真前沖縄知事が承認した埋め立て承認を翁長現知事が取り消した決定を巡り、政府が提訴していた問題で、最高裁が12月20日、取り消しを違法とする決定を下したことの根拠の妥当性を議論した。
 最高裁は翁長氏の承認取り消しの正当性を論じることは避け、「仲井真前知事の埋め立て承認が合理的であれば、それを取り消した翁長知事の決定は違法になる」との論理展開で、前知事の承認に瑕疵はなかったため、よって翁長氏の取り消しは違法との結論を捻り出している。しかし、この裁判は翁長氏の承認取り消しの合法・違法性を裁判であることを考えると、そのような間接的な論理展開には大いに違和感があると言わざるを得ない。
 なぜ最高裁はそのような変化球とも抜け道とも受け取られかねない論理展開を行ったのか。そこには翁長氏の承認取り消しを真正面から扱うと非常に不都合なことが起きるという事情があった。結局、最高裁はこの裁判では国を勝たせなければならないという大前提の下、どうすれば国を勝たせる判決が書けるかを逆算し、このような形で真の争点を迂回した論理構成を採用せざるを得なかったのだろう。最高裁には最初から米軍基地をめぐる問題で、沖縄を勝たせるつもりはなかったのだ。
 また、最高裁はこの裁判で沖縄県が主張していた憲法92条をめぐる論点も、恐らくは社会から注目されることを避ける目的で、その判断だけを判決の8日前の12月12日に別途、紙切れ一枚で公表していた。判決と同時に憲法判断を示せば、その論点もメディアに大きく報じられ、最高裁が重要な憲法判断から逃げたことが白日の下に晒されることになるからだ。実際、最高裁のこの決定を紙面を割いて報じたのは、地元沖縄のメディアだけだった。
 「元国立市長への個人賠償請求は妥当か」では、上原公子元国立市長個人が市長当時の行為をめぐり国立市から賠償請求を受けていた裁判で、12月13日、最高裁が上原氏側の上告を棄却し、上原氏に賠償の支払いを命じる高裁判決が確定したというもの。
 不動産デベロッパーの明和地所が、国立駅前の大学通り沿いに18階建(後に14階建に変更)の高層マンションの建築を計画していたことに対し、景観重視を訴える当時の上原市長が、これを阻止するために行った様々な妨害行為の中に違法なものがあったと判断され、国立市は2008年に明和地所に約3120万円の賠償金を支払っていた。
 この裁判は国立市の4人の市民が、この損害の弁済を上原氏個人に求めるよう国立市を提訴し、その裁判で勝訴したことを受けて、国立市が上原氏に損害額と同額の支払いを請求していたというもの。
 当時市長だった上原氏が、景観保護を理由にマンション建設を阻止するために行った数々の行為の中には、問題があるものがあったとは言え、それによって生じた事業者の損害を元市長個人が賠償しなければならなくなったことで、今後、自治体の長の政治活動に萎縮効果が生じることが懸念されている。
 確かに、上原氏が行った行為の中には、市長として知り得た高層マンションの建設計画を市民に漏らすことで反対運動を誘発したり、「水道を止める」と威嚇するなど、市長の権力を使った圧力とも受け取れる発言を行うなど、市長として行き過ぎの面があったことは否めない。しかし、それはあくまで市長が、国立の大学通りの景観維持という公益的な政治目的のために行ったことであり、市長自身が私服を肥やしたり政敵を潰すなど、誰が見ても不適切な目的のためではなかった。にもかからわず、利子を含めると4000万円を超える請求を市長個人にするというのは適切な判断と言えるだろうか。
 この判決で国立市が上原氏個人に対する求償権を認める根拠となった、国家賠償法が定めるところの市長の「重大な過失」とは何だったのか。首長はどのようなことをやれば個人で損害賠償の義務を負うことになり、どこまでならば「政治目的」や「公益的」として違法性が阻却されるのか。築地市場の豊洲への移転を独断で延期したことで、事業者に対して補償の責任を負うことになる東京都の小池都知事は大丈夫なのか。浜岡原発を止めた菅直人首相が、個人賠償を追及されることはないのか。今後、自治体首長の一つの行動指針となる可能性がある最高裁判決を検証した。
 その他、「君の名は。」「この世界の片隅に」「聲の形」で描かれていたものと、描かれていなかったものは何かなどを、木村氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.80(801~810回収録)

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ニュートリノの謎が解明されれば本当に宇宙の起源がわかるのですか

(第801回 放送日 2016年08月13日 PART1:51分 PART2:49分)
ゲスト:多田将氏(高エネルギー加速器研究機構准教授)

 物質の最小単位となる素粒子の謎が解ければ、宇宙の起源がわかる。そう言われて、一体どれだけの人がピンとくるだろうか。
 物質をとことん細かく砕き、これ以上ないところまで小さくした時にできる素粒子のニュートリノが、宇宙誕生の鍵を握っている。そして、そう信ずる最先端の物理学者たちが、世界中でニュートリノ研究に鎬を削っている。
 茨城県つくば市にある高エネルギー加速器研究機構などの国際研究チームが、8月6日、「ニュートリノ」の「粒子」と「反粒子」の変化に違いがある「CP対称性の破れ」の兆候を初めて捉えたと、米・シカゴで開かれていた国際学会で発表した。まだ、「兆候を捉えた」段階に過ぎないが、これが確認されれば、宇宙の起源の解明にもつながる人類史に残る大発見になるのだという。無論、ノーベル賞候補だ。
 われわれの目の前で人類史に残るほどの大発見が現在進行形で起きているかもしれないのに、そのすごさが理解できないのはちょっと悔しいし勿体なくもある。そこで今週のマル激では、正に今回の実験を行った高エネルギー加速器研究機構の准教授で「金髪の素粒子物理学者」の多田将氏に、典型的文系脳の神保哲生と宮台真司が「今さら聞けないニュートリノと宇宙の起源の関係」を聞いた。
 そもそもニュートリノというのは中性を意味するneutralとイタリア語で小さな粒子を意味するinoを組み合わせた言葉。物質は小さく刻んでいくと分子→原子となり、原子は原子核と電子から成ることは、かつてわれわれも高校の物理の授業で習った覚えがある。更にその原子核は陽子と中性子から成り、陽子と中性子はいずれもクォークと呼ばれる粒子からできている。現在の人類の英知と技術ではクォークが最も小さい物質の単位となっているため、これを素粒子と呼んでいる。ちなみにクォークのサイズは10の-18乗メートル程度だとされる。
 クォークには電荷の違いなどから6種類のクォークがあり、それぞれに名前がついている。また、素粒子にはクォークの他にレプトンと呼ばれる種類の素粒子が6種類あり、両者を合わせた12種類の物質が現時点で人類が解明できている物質の最小単位「素粒子」となる。この世に存在する全ての物質という物質が、この12種類の素粒子のいずれかからできているということだ。
 ところが、素粒子にはもう一組、この12種類の素粒子と全く対の関係にある「反粒子」あるいは「反物質」と呼ばれる一群が存在する。これは12種類の素粒子の全く正反対の性格を持つ素粒子で、ちょうど実物とそれが鏡に映った姿の関係にある。そして、対になる素粒子同士が合わさると両者は消滅する。
 この「反粒子」とか「反物質」と呼ばれるものが、素人にはなかなか曲者だ。しかし、宇宙の起源を考える時、この概念は不可欠となる。物理学的には、何もないところから何かができるとは考えられない。今、宇宙に様々な物質がある以上、それがどこから来たかを考える上で、反粒子の存在は無くてはならない。物理学では宇宙には最初に「物質」と「反物質」がほぼ同数存在していたが、何らかの理由で物質の量が反物質を上回る「対称性の破れ」が生じたために、物質が残り、それが現在に至っていると考える。
 そしてこの「物質」と「反物質」の「対称性の破れ」の兆しをとらえたのが、今回ニュースになった実験の成果だった。
 今回の実験では東海村にあるJ-PARC(大強度陽子加速器施設)から295キロ離れた岐阜県神岡町にあるスーパーカミオカンデに向かってニュートリノの「粒子」と「反粒子」を発射したところ、両者の変化に違いがあることが確認できたのだという。本来全く正反対でなければならないはずの粒子と反粒子が、異なる変化を見せたことで、「対称性の破れ」の兆しが見えたのだという。
 実際にこの実験に携わったゲストの 多田将氏は、今回の実験によってCP対称性の破れが90%程度証明されたと考えていいのではないかと言う。しかし、物理学的にこれが「確認された」と言えるようになるためには、99.9999%の精度の証明が必要になる。今回の実験はあくまでその第一歩を位置付けるべきものだという。
 今後、世界中でこの仮説を確認する実験が実施され、これが確認された時、人類は宇宙の起源の解明に手が届くことになるのだという。多田氏は2020年代の中頃には、それが証明される可能性があると言う。
 20世紀に目覚ましい発展を遂げた物理学は、今なおその発展を遂げている。特に実験装置が発達したことで、かつては仮説でしかなかった数々の学説が、実験によって裏付けられるようになってきている。しかし、物質を素粒子の次元まで解き明かし、更に宇宙の起源にまで迫ろうかというところまで来ている物理学は、その先に何を見ているのか。今日の最先端の物理学もそう遠くない将来、いたって原始的で牧歌的なレベルに過ぎないものだったと言われる時が来るのだろうか。
 盛夏の折、最先端の素粒子物理学が明らかにするこの世で最も小さな話と、宇宙の起源というこの世で最も大きな話、そして両者の関係について考えた。

五輪で盛り上がる今こそドーピング問題に目を向けよう

(第802回 放送日 2016年08月20日 PART1:49分 PART2:49分)
ゲスト:高橋正人氏(医師・十文字学園女子大学教授)

 柔道、体操、卓球、バドミントン、レスリング、そして陸上等々。リオ五輪での日本選手団の大活躍ぶりには目を見張るものがある。しかし、五輪への国民的関心が高まっている今こそ、スポーツを底辺から蝕むドーピングの問題と向き合い、これを根絶する手だてを真剣に考えるべき時だ。その意味で、日本人選手の活躍ぶりが大きく報じられる中で、ドーピング問題をめぐる報道が極端に少ないことが気になる。
 リオ五輪は大会前にロシアによる国ぐるみのドーピングの実態が露わになり、ロシア人選手の大半が五輪への参加資格を失うなど、ドーピング問題が暗い影を落とす中で開催された大会だった。逆の見方をすれば、リオはドーピングに対する世界の疑念や疑惑を一掃し、スポーツが本来のフェアな精神と信頼を取り戻す絶好の機会となるべき大会でもあった。
 しかし、実際にはここまで報道されているだけでも、既に8人の選手がドーピング検査で陽性反応を示し、失格になっている。その中にはカヌーの銅メダリスト(モルドバ)や重量挙げの銅メダリスト(キルギスタン)も含まれていて、いずれもメダルを剥奪されている。また競泳女子100メートルバタフライで4位だった中国の陳欣怡がドーピング違反で失格となったことで、同種目6位だった池江璃花子が5位に繰り上がるなど、日本人選手にも影響が出ている。
 加えて、今回の五輪に参加している選手の中には、過去にドーピング検査にひっかかり、出場停止などの処分を受けたことのある選手が大勢含まれている。今大会で男子競泳400メートル自由形で金メダルを獲得したマット・ホートン(オーストラリア)が、過去にドーピング歴がある中国の孫楊について「薬物使用の詐欺師」と批判したことが大きく報じられると、史上最多となる22個の金メダルを獲得したマイケル・フェルプス(アメリカ)がホートンへの支持を表明するなど、白熱した競技の陰でトップレベルの選手間にもドーピングを巡る軋轢が生じていた。
 フェルプスは「スポーツはクリーンであるべきだし、公平な舞台で行われるべき。ドーピング検査で二度も陽性を示した選手が、まだ五輪に出場できているということは非常に悲しいことだ。誰か何とかしてくれることを願っている」などと話している。他にも、多くの選手たちが、ドーピング歴のある選手と同じ土俵で競争することへの違和感や嫌悪感を表明するなど、リオ五輪ではあらゆる局面でドーピングが大きな争点となっていると言っていいだろう。
 実際、ドーピングの歴史は古く、19世紀の競泳大会などで興奮剤が使われていたことが知られている。しかし、近年まではドーピングと言えばカフェインやアンフェタミンなどの興奮剤や覚醒剤が主に使われていた程度だった。
 しかし、1950年代頃から本格的なドーピングの時代を迎える。単なる興奮剤だけではなく、筋肉や骨を強化する男性ホルモン製剤のテストステロンやタンパク同化ステロイドなどが使われ始めたのはこの頃からだった。男性と見紛うばかりにまで大きく発達した身体で女子水泳界を席捲した東ドイツが、国家ぐるみでドーピングを行っていたことはよく知られている。また、1988年のソウル五輪の陸上男子100メートル決勝で、別人のように筋骨隆々な身体に変身したベン・ジョンソン(カナダ)が、当時無敵を誇ったカール・ルイスを大差で破る大番狂わせを演じた後、筋肉増強剤のスタノゾロールを使用していたことが発覚し、メダルを剥奪されたことは記憶に新しい。
 その後、ドーピングの技術は更に進化を遂げ、ヒト成長ホルモンやB2刺激薬、抗エストロゲン作用剤、遺伝子組み替えエリスロポエチンなどが登場する。同時に、ドーピングが五輪競技のみならず、自転車や野球、サッカー、テニスにまで蔓延していった。新たなドーピング技術が登場すると、少し遅れてそれを検出する技術が開発され、逃げ遅れたアスリートが摘発される、まさにイタチごっこの連続だった。
 そして、今や時代は、予め保存しておいた自分の血液を競技の直前に再輸血する血液ドーピングや選手自身の遺伝子を組み換える遺伝子ドーピングへとシフトしつつあるという。これは、従来の検査方法では検出が困難なことから、選手の血液や尿のデータを継続的にモニターし、異常な変化があった時にそれを検知する「生体パスポート」制度の導入などが計画されているという。まだしばらくの間は、ドーピングを巡るイタチごっこは続きそうだ。
 ドーピングが重大な問題なのは、それが選手自身に深刻な副作用や健康被害を与える可能性があるのと同時に、スポーツが体現しているフェアネスや鍛錬といったスポーツの本質的な価値を根本から棄損してしまう可能性があるからだ。フェルプスの言葉を借りるまでもなく、すごい記録が出るたびに「ドーピングではないのか」などと疑いの目を向けられるようでは、厳しい練習を積み重ねてきた選手たちは堪らない。
 また、金メダルを取ることや世界記録を出すことから得られる経済的な報酬があまりにも莫大になっているため、そのリスクを十分承知していてもドーピングに手を出してしまう選手が後を絶たないという、スポーツの行き過ぎた商業主義の問題もある。
 泣いても笑っても4年後には東京五輪がやってくる。われわれはスポーツの価値の根幹を揺るがしていると言っても過言ではないドーピング問題に、どう向き合おうとしているのか。ドーピングを根絶することができるのか。ドーピング問題に詳しい医師の高橋正人氏とドーピングの現状とこれからを議論した。

子宮頸がんワクチン提訴に見る薬害の連鎖が止まらないわけ

(第803回 放送日 2016年08月27日 PART1:47分 PART2:43分)
ゲスト:花井十伍氏(全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人)

 薬害の連鎖が止まらない。スモン、サリドマイド、薬害エイズ、薬害肝炎・・・。そしてこのたび、子宮頸がんワクチンが、新たに薬害裁判の歴史に加わることとなった。
 2016年7月27日、子宮頸がんワクチンの接種を受けた15歳から22歳の63人の女性たちが、国と製薬会社を相手に訴訟を提起した。 問題となっている子宮頸がんワクチンは正式にはHPV(ヒトパピロマウィルス)ワクチンと呼ばれるもので、これまで10代の女性を中心に340万人がワクチンの接種を受けている。
 子宮頸がんは、厚生労働省のホームページによると、今、若い女性の間で増えていて、一年間で新たに約1万人が発症し、毎年約3000人が亡くなっているという。性交渉によって感染し、すでに感染している人には効果がないとされるため、性交渉を経験する前の10代の少女たちへの接種が、2010年頃から、公費の助成などによって積極的に実施されてきた。
 ところが、ワクチンの接種を受けた少女たちの中から、副反応と思われる症状を訴える人が出始めた。多くが手足や身体に痛みを訴え、失神、歩行障害、記憶障害などで学校に行けなくなったり、車椅子での生活を強いられるようになった。進学を断念した人たちも多い。
 ワクチンと副反応の因果関係については、正確なことはわかっていないことから、これが「薬害」だと決まったわけではない。しかし、自身が薬害エイズの被害者で、現在、薬害被害者団体の代表を務める花井十伍氏は、HPVワクチンをめぐるここまでの経緯は、日本が過去に経験してきたさまざまな薬害の構造と酷似している点を強調する。被害者が薬害を訴え出ても、科学的に証明されていないという理由から国にも製薬会社にも相手にされず、やむなく訴訟となり、随分と時間が経ってから、ようやく被害者たちが救済されるという、一連の薬害の構造のことだ。
 8月24日に行われた薬害根絶デーでは、厚生労働省の正面玄関脇にある「薬害根絶 誓いの碑」の前で、花井氏から塩崎厚生労働大臣に、薬害根絶についての要望書が手渡されたが、その中には今月、新たに薬被連(全国薬害被害者団体連絡協議会)に加わったHPVワクチン薬害訴訟全国原告団の名前も含まれていた。
 当初、薬被連はHPVワクチンの副反応被害の実態把握や被害者救済を政府に対して訴えることで、裁判に訴えることなく問題が解決されることを望んでいた。 薬害の被害者としての役割を担うことの重荷を自ら厭というほど経験してきた、花井氏を始めとする薬害の被害者たちには、10代の少女たちを裁判の当事者にはしたくないとの強い思いがあったからだと、花井氏は言う。
 副反応の被害が伝えられるなか、HPVワクチンの定期接種は2013年6月、「積極的接種勧奨」が一時的に中止になった。しかし、原因の究明も、被害者たちの救済も一向に進まなかった。医療機関からは副反応のはずがないと言われたり、「詐病」と言われてバッシングを受け、治療の対象として扱ってもらえない場合も多いことから、この度、裁判に踏み切らざるを得ないと判断するに至ったという。
 しかし、HPVワクチン被害は過去の薬害と酷似している面が多い一方で、その多くと異なる点がある。それは薬害の対象が、病気を直すためのいわゆる「薬」ではなく、病気を防ぐための「ワクチン」だったことだ。
 薬には、常に副作用のリスクが伴う。その薬に「有用性」があるかどうかは、薬の「有効性」と副作用の「危険性」のバランスで考えるべきものだ。既にある疾病を治療するためであれば、副作用もある程度は受け入れなければならない場合もあるだろう。
 しかし、予防接種は健康な人に接種するものであり、元々は伝染病などの蔓延を防ぐという社会防衛的な目的のために行われる。接種を受けさせることに社会としての有用性があることを前提に、稀に起こる副反応被害は社会で救済するというのが、予防接種の原則だった。しかし、HPVワクチンは個人防衛的な意味合いが強く、そもそも定期接種する必要があったのかについては疑問がある。
 HPVワクチンはグラクソ・スミスクラインとMSDの2社が製造販売する。いずれも世界的な製薬会社、いわゆるビッグファーマだ。このワクチンは今も全世界で使われており、WHO(世界保健機構)も使用を勧めている。副反応と言われる症状には、科学的根拠がないと指摘する医療関係者もいる。確かにまだ、究明されていない点は多い。しかし、副反応を訴え、実際に苦しむ少女たちが大勢いることもまちがいない。既に罹患した病気を治すための薬ではなく、将来、発症するかもしれない病気を予防するために行われる予防接種こそ、「危険性」が証明される前に「予防原則」が適用されるべきではないかと、花井氏は訴える。
 日本ではなぜ薬害が繰り返されてきたのか。その歴史の中で、今回のHPVワクチン問題は、どのような位置づけになるのか。薬害根絶のために何を考えなくてはならないのか。子宮頸がんワクチンの副反応被害に対する訴訟が起こされた今、薬害エイズの当事者で薬害の歴史や薬事行政に詳しいゲストの花井十伍氏とともに、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。

間違いだらけの2020年東京五輪

(第804回 放送日 2016年09月03日 PART1:59分 PART2:52分)
ゲスト:小川勝氏(スポーツライター)

 リオ五輪が終わり、いよいよ4年後、東京にオリンピックがやってくる。
 52年前の東京五輪で日本は、先の大戦からの復興と国際社会への復帰を世界に印象づけた。2020年の五輪で日本はどのようなメッセージを発するつもりなのだろうか。
 実は安倍政権にとって2020年東京五輪の位置づけは明確に示されている。それが昨年11月に政府が閣議決定した「2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会の準備及び運営に関する施策の推進を図るための基本方針」(以下基本方針)だ。
 この文書には2020年東京五輪で政府が何を目指しているかが明確に書かれているのだが、五輪取材経験が豊富なスポーツライターの小川勝氏は、どうも政府は五輪をホストすることの意味を根本からはき違えているようだと指摘する。なぜならば、政府の基本方針には「海外に日本の力を見せる」「過去最高の金メダル数獲得を目指す」などホスト国の日本が享受すべきメリットばかりが強調されており、それは五輪の本義、つまりオリンピア精神の推進とはかけ離れたものになっているからだ。
 オリンピック憲章はその冒頭で精神と肉体のバランス、平和主義、差別の撤廃などを謳っている。それがオリンピズムとは何かを明文化したものだ。そうした考え方に賛同を示し、それを更に発展させることに一役買う覚悟のある都市だけが、五輪のホスト国になる資格を有する。
 確かに開催地として多額の経済的負担を引き受ける以上、何らかのリターンを期待したくなる気持ちもわからなくはない。しかし、小川氏は自らのメリットのために五輪をホストする国にはホスト国になる資格がないと一蹴する。
 小川氏によると、五輪の目的は以下の4つの「ない」によってあらわすことができるという。それは1) 開催国のためのものではない、2) 国同士の争いではない、3) 経済効果を求めてはならない、4)勝つことが目的ではない、の4つだ。
 五輪のホスト国は自らの利益は度外視した上で、オリンピック憲章に則ったオリンピズムの精神への支持を明確にし、持ち出しになることを前提に五輪を開催する。それがホスト国の務めだと小川氏は言う。
 これから4年間、政府が閣議決定に沿って五輪の準備を進めた場合、もしかすると日本は、これから公共事業によって建築される近代的な設備や都市インフラによって世界にその経済力や技術力の先進性を印象づけることができるかもしれない。そして、今後、メダルが期待できる選手や競技に大量の強化費をつぎ込むことによって、リオを上回るメダルを獲得し、世界から祝福されるかもしれない。それこそが政府が閣議決定した目標に他ならない。
 しかし、本当にそれでいいのだろうか。それが今我々が世界に発信したい「日本」なのだろうか。また、そもそも今の日本にそのような経済力が本当に残っているのだろうか。
 小川氏は日本が東京五輪で、過度な商業主義が横行する昨今の五輪にあって、いたずらにその規模を膨らませないことで費用をかけず、結果的に企業に大きく依存しない五輪を開催することができれば、それが東京大会以降の五輪のモデルケースになり、世界から称賛を浴びることになるだろうと指摘する。そして、日本にはそれを実現するだけの力があるはずだと小川氏は言う。
 メダル競争についても、五輪でメダルを取れるようなエリートアスリートの育成自体は否定しないが、その国におけるスポーツの発展の度合いはメダル獲得数によって測られるべきものではない。スポーツ大国とメダル大国は違う。どんなに多くのメダルを取ったとしても、国内でそのスポーツが普及し、国内リーグが整備され、競技人口が増え、そのスポーツを愛する人が増えていかなければ、結局は政府に後押しされたメダル大国止まりだ。
 確かに五輪は政治利用され続けてきた。また、ここまで膨れ上がった五輪が、スポンサーからの巨額のサポートや放送局からの放映権料無しには成り立たなくなっているのも事実だろう。しかし、そうした中にあってもオリンピックの精神はまだ生きていると小川氏は言う。
 例えば、五輪の会場には一切スポンサーのロゴは出せない。五輪では選手のユニフォームにも広告は載せられない。五輪のトップスポンサーが、ロゴを出すこともできない五輪に100億円もの大金を支払う理由は、そこに名を連ねることに他の手段では代えがたい特別な価値があると考えているからに他ならない。
 オリンピズムの精神は簒奪され捻じ曲げられ続けてきたが、その物語はまだ生きているのだ。2020年の東京大会はそれを生かす大会となるのか、それを殺す大会となるのかが問われている。
 リオ五輪が終わり日本が2020年の東京大会に向けて動き始める今、五輪ホスト国に相応しい基本的な姿勢と考え方とは何かを訴える小川氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

第三者「御用」委員会が後を絶たないのはなぜか

(第805回 放送日 2016年09月10日 PART1:1時間4分 PART2:49分)
ゲスト:久保利英明氏(弁護士・第三者委員会報告書格付け委員会委員長)

 どうもわれわれ日本人は、自らの失敗を顧みることがとても苦手なようだ。
 最近、第三者委員会という言葉をよく聞く。独立調査委員会や外部委員会などと呼ばれることもあるが、企業や組織に不祥事が起きた時、組織から独立した委員たちが事実関係を検証した上で、その責任の所在や原因を究明したり改善策を提言する委員会のことだ。
 ところがこの第三者委員会が、ほとんど機能していない。機能していないばかりか、第三者委員会の大半は御用委員会と化し、大甘の調査報告書を出してお茶を濁す程度で終わっている。その結果、企業では更なる信頼の失墜につながったり、公職者の場合、辞任に追い込まれたりするなど、かえって状況が悪くなるケースが続出しているが、それでも御用委員会は後を絶たない。
 企業では東芝の不正会計の調査委員会が、その代表例だ。朝日新聞の従軍慰安婦報道の調査委員会のように、あれこれ辛口なことは言いながら、結果的に何ら有効な提言をできず、企業の信頼回復に寄与できなかった委員会も多い。個人レベルでは不適切な公金の流用が疑われた舛添要一元都知事も、元特捜検事が行った大甘な調査の結果、辞任に追い込まれている。
 直近では東京五輪招致をめぐる不正な支出疑惑を調査したJOCの調査委員会が、ほとんどろくな調査もせずに「問題なし」の結論を出したことで、かえって疑惑が深まる結果を生んでいる。
 それでも、御用委員会は一向に後を絶たない。
 思い起こせば、日本は先の大戦すら総括できていないと指摘されて久しい。勝者が敗者を裁いただけの東京裁判では真相の究明などおぼつかないし、それを批判する声もよく聞くが、では独自に自らの歴史を検証し、失敗の原因や責任の所在を具体的に指摘したという話は、ほとんど聞こえてこない。小泉政権によるイラク戦争支持にしても然り、福島原発事故についても然りだ。
 福島原発事故では政府、国会、民間の3つの異なる調査委員会が組織され、それぞれ独自の調査を行っているが、未だに事故の原因が、もっぱら津波だったのか、地震もその一因だったのかといった基本的な疑問にさえ決着が付いていない。責任の所在も曖昧なため、あれだけの大事故を起こしておきながら、5年後にはほとんど事故前の状態に戻っているという有り様だ。
 企業の第三者委員会の報告書を評価する「格付け委員会」を主宰する弁護士の久保利英明氏は、第三者委員会の多くが御用委員会と化す理由について、日本では第三者委員会の委員に選ばれた弁護士や有識者たちが、調査の依頼主の方を向いているところに原因があると指摘する。第三者委員会を設置する本来の目的は、当事者だけでは厳しい調査や検証ができないため、外部から委員を招いている。ところが、いざ調査が始まると、第三者委員会もが内集団の一部になってしまうというのだ。
 ところが企業のステークホルダー(利害当事者)は経営陣や社員だけではない。顧客は言うに及ばず、株主、市場、地球環境、地域社会、消費者など、企業の影響は社会全体に及ぶ。第三者委員会がそのステークホルダー全体に対して説明責任を負っているという認識が、日本ではまだ希薄だと久保利氏は指摘する。
 特にその発想が社長にないところが、日本企業の弱点であり遅れているところだと、久保利氏は言う。
 しかし、その発想が欠けているのは企業ばかりではない。本来はステークホルダーのはずの社会の側も、必ずしもそこまで厳しい調査や検証を求めていないところがある。実際、第三者委員会によるいい加減な調査だけでお茶を濁したまま、経営陣が役職にとどまっている企業や、公職にとどまっている政治家は多い。社会の側にそれを容認する余地があるからこそ、御用委員会が後を絶たないのだ。
 しかし、こんなことを続けていると、社会が持たない。企業は市場から見放され、政治不信は高まるばかりだ。日本や所属組織という内集団の掟だけに縛られ、それを守っている限り、後は全てなあなあで済まされた時代は、とうの昔に終わっている。
 なぜわれわれは自らを顧みることが、こうまで苦手なのか。その最も身近な例であり、その試金石ともなる第三者委員会を機能させるために今、われわれは何をしなければならないのか。第三者委員会を機能させることが、日本社会を正しい方向に導くことにつながると語る久保利弁護士と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

象徴天皇制と天皇の人権が両立するための条件

(第806回 放送日 2016年09月17日 PART1:43分 PART2:45分)
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部教授)

 天皇陛下がご高齢や健康上の理由から象徴天皇としての責務を果たせなくなることに不安を抱いていることを、自らの言葉で語られるビデオが公表された。間接的、かつ非常に慎重な言い回しではあったが、皇太子に天皇の地位を譲る「生前退位」の意思表示だったことは明らかだ。
 世論調査などを見ると、国民の圧倒的多数は陛下の生前退位を認めるべきと考えている。しかも、大半の国民は一過的な対応ではなく、恒久的な制度にすべきだと考えていることも明らかになっている。国会の召集や外国来賓の接受に加え、被災地の慰問や戦災地の慰霊など、報道を通じて陛下の多忙さを知っている国民の多くは、齢80を過ぎた今上天皇の、そろそろ引退させて欲しいとの思いに、理解を示しているということだろう。
 しかし、天皇のあり方を規定する皇室典範という法律には、天皇が崩御した時に皇太子が天皇の地位を継ぐことが定められているだけで、生前退位に関する規定がない。だから、今上天皇の思いを実現するためには、皇室典範を改正する必要がある。
 ビデオメッセージの公表を受け、今月26日に召集される秋の臨時国会では、皇室典範の改正を含めた対応を議論することが予定されている。しかし、今のところ永田町界隈では、皇室典範の改正までは踏み込まず、特別措置法などで特例的に退位を認める一過性の対応で、切り抜けようという意見が、大勢を占めているようだ。
 皇室典範はその呼称こそ戦前のものを引き継いではいるが、民主憲法下にある戦後の日本では一つの法律に過ぎない。他の法律と同様、国会の多数決の議決によって改正ができる。圧倒的多数の国民が天皇の生前退位を支持しているのだから、単に皇室典範にその規定を書き込めばいいではないかという気もするが、事はそう簡単ではないらしい。
 そもそも天皇は憲法で政治権力の行使が禁じられているので、陛下の「お気持ち」の表明を受けて直ちに法改正に乗り出すこと自体が、天皇の政治権力の行使を認めることになる可能性があり、問題なのだという。
 しかも、一部の識者たちは、天皇の生前退位を認めること自体に強く反対している。いやしくも天皇という地位は、個人の意思でそこに就いたり就かなかったりするべきものではないと考えているからだ。だから、自らの意思による退位など、許されないのだという。そのような形で退位を認めてしまうと、将来、皇太子が即位を拒否するような事態も起きかねず、悪しき先例になることを懸念する人もいる。
 また、逆に天皇が退位した後、上皇や法王の地位に就いて院政を敷き、裏から天皇を操ることで隠然たる政治力を行使する可能性に道を開くことを心配する向きもある。
 いずれも直ちには考えにくい話ばかりのようにも聞こえるが、悠久の歴史を誇る天皇という制度に変更を加える以上、何百年、何千年の長いスパンでものを考えるべきだという主張もわからなくはない。
 ただ、不思議なのは、これまで天皇への尊崇の念を声高に説いてきた右派の人ほど、陛下自身の人権を無視するかのような発言を繰り返していることだ。天皇は恐れ多い存在であり、一個人の意思でその地位に就いたり辞めたりできるものではないということのようだが、それは見方を変えれば、この際、天皇という個人の意思などどうでもいいと言っているようにも聞こえるし、天皇には人権など存在しないと言っているようにも聞こえる。
 基本的な人権の尊重を謳う日本国憲法下で、国民統合の象徴とされる天皇に職業選択の自由や移動の自由、婚姻の自由といった基本的な人権が認められていないことに加え、高齢や健康を理由に退位する自由さえ認められていない今日の事態を、われわれはどう考えればいいのだろうか。
 現在の象徴天皇制が規定されてから約70年、日本人は象徴天皇制という名の下で、統合の象徴たる天皇の存在を享受してきた。しかし、その一方で、その制度が、天皇および天皇家という人々の犠牲の上に成り立っているという現実からは、目を背けてきた。そして、今上天皇がご高齢となり、健康にも不安を覚えるようになった今、われわれは否が応にもその問題に向き合わなければならなくなった。
 天皇の発言を受けて法改正をするのは、天皇が政治権力を行使したことになるため、憲法に抵触する恐れがあるとの指摘もあるようだが、そもそも天皇陛下ご自身が、自ら制度変更の必要性を訴え出なければならないほどに事態が切迫するまで、この問題を放置してきたのはわれわれ日本人自身に他ならない。今こそ、象徴天皇という制度と天皇の人権をいかに両立させるかについての議論を始め、合意形成を図るべきではないか。
 戦後のあり方そのものを問い直すことにもつながる象徴天皇制の現状と天皇の人権問題、そして民主憲法との整合性などを、憲法学者の木村草太氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

遂に核兵器保有国となった北朝鮮とどう向き合うか

(第807回 放送日 2016年09月24日 PART1:54分 PART2:52分
ゲスト:武貞秀士氏(拓殖大学海外事情研究所・国際協力学研究科特任教授)

 遂に北朝鮮が本格的な核兵器の保有国になってしまった。
 というよりも、公然と核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に対し、国際社会はみすみす核武装を許してしまったと言った方が、より正確かもしれない。われわれはどこで政策選択を誤ったのか。
 今年に入ってから北朝鮮は確認されているだけで、21発のミサイルを発射し、2回の核実験に成功している。8月3日にはノドン2発を日本のEEZ内に着弾し、8月24日にはSLBM(潜水艦発射ミサイル)も発射したほか、9月9日には5回目の核実験にも成功した。一般的には核実験を5回成功させれば、核兵器をミサイルに搭載できるレベルまで小型・軽量化が可能になっていると考えられている。
 早い話が、既に北朝鮮の核ミサイルは優に日本を射程内に収め、アメリカ本土にも届こうかというところまで来てしまったのだ。
 これが東アジアの安全保障の不安定要因となるばかりか、そのパワーバランスにも大きな影響を与えることは論を俟たない。日米を含む国際社会の対北朝鮮政策が、失敗だったことを認めないわけにはいかないだろう。
 そもそもなぜ日本を始めとする国際社会は北朝鮮の核武装をみすみす認めるようなことになったのか。元防衛研究所の教官で朝鮮半島情勢を長年ウォッチしてきた武貞秀士・拓殖大学特任教授は、北朝鮮はいずれ崩壊するに決まっているという国際社会側の決めつけが、北朝鮮に核武装の隙を与えたと強調する。
 確かに北朝鮮の国家体制は民主主義国のわれわれから見ると、いろいろと無理な点が目に付くことは確かだ。北朝鮮は度々食料不足に見舞われ、国民を満足に食べさせることもできていないという。かと思えば、政府の主要幹部が態度が悪いというだけで次々と処刑されたりしている。そんな国家がいつまでも持つわけがないと考えるのも無理はない。しかし、北朝鮮崩壊説に確たる根拠が示されているのを一度も見たことがないと、武貞氏は言う。
 北朝鮮という国や民族に対する蔑視や、国営放送局のニュース映像などから見えてくる全体主義の滑稽さなどによって、われわれは明らかに北朝鮮という国を過小評価していると、武貞氏は長年に渡り指摘してきた。しかし、専門家も政治家もその主張に耳を傾けようとはしなかった。そればかりか、北朝鮮という国を評価するかのような武貞氏の発言は、本気にされないばかりか、学会や論壇、メディア上などで、むしろ叩かれてきた。
 日本から見ると北朝鮮は世界から孤立しているように見えるが、実際は北朝鮮はヨーロッパやアフリカ、中東の国々と国交があり、貿易も行われている。アントニオ猪木氏らとこの9月に北朝鮮を訪れた武貞氏によると、ピョンヤンには多くのタクシーが走り、観光客の誘致に熱心で、実際観光地では外国観光客の姿が目立ったという。
 武貞氏は特に中国が北朝鮮の体制を崩壊させない強い意思を持っているほか、ロシアも経済協力に熱心だという。核実験やミサイルを発射するたびに制裁が議論される国連安保理の常任理事国2国が北朝鮮を支えているような状態では、制裁が効かないのも無理はない。
 また、確かに北朝鮮はまだ貧しく、食糧さえ不足しているが、独裁政権の下で国富を核・ミサイル開発に集中させれば、それが実現可能であることは、パキスタンやリビアなどが実証している。
 問題は、北朝鮮が核武装してしまった今、その状況に日本はどう対応すべきかだ。
 武貞氏は北朝鮮の核武装は、アメリカに対する交渉力を得ることが最大の目的で、核を持つことでアメリカに、北朝鮮は簡単に捻り潰せる相手ではないと認識してもらうためだという。しかし、北朝鮮の真意は、アメリカが朝鮮半島から手を引けば、北朝鮮主導で朝鮮半島の統一が可能になるというもので、それは日本にとっても受け入れがたい状況だ。
 朝鮮半島から地政学的にも至近距離にあり、北朝鮮との間に拉致問題を抱える日本は、この状況にどう対応すべきか。希代の朝鮮半島ウォッチャーの武貞氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

5金スペシャル
映画が映し出すメディアの変質

(第808回 放送日2016年10月01日 PART1:45分 PART2:56分

 月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお届けする5金スペシャル。今回は映画がメディアの変遷をどのように描いてきたか取り上げた。
 今回取り上げた映画は、最新作「ニュースの真相」のほか、「スポットライト 世紀のスクープ」、「グッドナイト&グッドラック」、「大統領の陰謀」、「ニュースの天才」、「マネーモンスター」、そして番外編として「プロミスト・ランド」と「ハドソン川の奇跡」の8作。
 かつては政治権力や大企業の腐敗と戦う「勧善懲悪」の主人公だったメディアが、最近ではメディア自身が悪事を働いたり、逆に権力に利用され腐敗の片棒を担がされたりするストーリーが多い。メディアが社会問題を解決するのではなく、むしろメディア自身が社会問題の一部として描かれるようになっている。
 確かに、グローバル化やインターネットの登場によって、既存のメディアの役割は大きく変わってきている。しかし、その一方で、新たに表舞台に躍り出たネットメディアは、これまで既存のメディアが果たしてきた権力の監視機能や共同体の意見を集約する機能は果たせていない。そうした状況の下で、政治の劣化や社会の分断は進む一方だ。
 映画に色濃く映し出されたメディアの変質から、われわれは何を読み取るべきか。このままメディアは伝統的な公共性を失ってしまうのか。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

2020年は東京が世界一のバリアフリー都市になるチャンスだ

(第809回 放送日 2016年10月08日 PART1:46分 PART2:28分
ゲスト:佐藤聡氏(障害者インターナショナル日本会議事務局長)

 1964年の東京オリンピックを機に政府は新幹線や首都高速などの交通インフラや国立競技場、代々木体育館などの公共施設の建設を進め、都内の公共インフラ整備が一気に進んだことはよく知られている。
 しかし、1964年に日本がやり残したことがある。そしてそれを実行するチャンスが、2020年に再び回ってくる。
 実は、1964年のに東京でアジア初のオリンピックと並行して、世界で二度目となるパラリンピックが開催されたが、1964年の段階で日本にはまだ、都市インフラのバリアフリー化を進めるだけの余裕はなかった。
 それから半世紀が過ぎた。その間、世界各国では都市インフラのバリアフリー化やユニバーサルデザイン化が進み、気が付けば日本はバリアフリー後進国になっていた。
 2006年に国連で採択された障害者権利条約では、「合理的配慮がないこと」を差別としており日本も2年前に同条約を批准、今年4月に施行された障害者差別解消法も当然その考えをとっている。しかし、今の日本の建物や公共交通機関のバリアフリー基準は、2006年の「(新)バリアフリー法」に基づくもので、とても遅れたものとなっている。
 例えば、東京の地下鉄ではまだエレベーターすら完備されていない駅が、多く残っている。ホームに転落防止柵が完備されていない駅も多く、視覚障害者が線路に転落する事故が後を絶たない。エレベーターが設置されている駅でも、車椅子利用者は一旦地上に出て横断歩道を渡り、反対側のエレベーターに乗り直さなければ、乗り換えさえできないところが多い。しかも、エレベーターが設置されている駅でも1基しかないところがほとんどで、それを高齢者やベビーカーの利用者などが共有しているため、いつも長時間待たされる覚悟をしなければならない。
 2020年のオリパラの会場となる日本武道館やその他の施設も、車椅子利用者にとってはさまざまなハードルがあり、まだまだ決して高齢者や障害者に優しい施設とは言えない状態にある。
 自身が車椅子ユーザーで障害者インターナショナル(DPI)日本会議の事務局長を務める佐藤聡氏は、アメリカを視察した際に衝撃を受ける経験をしたという。
 ニューヨークでヤンキースタジアムを訪れた時のことだ。日本でも野球場に車椅子用のスペースは用意されているが、数が少ない上、健常者とは別扱いになるため、友人と一緒に試合を観戦することができない。ところが、ヤンキースタジアムには球場を取り囲むように大きな車椅子用のスペースが確保されていた。そこで一緒に来た健常者と試合を観戦することができる。そして、何よりもヤンキースタジアムは、前の人が立ち上がっても車椅子利用者の視線が遮られないように設計されていた。これをサイトライン(視線)と呼ぶが、前列の観客が立ち上がって、いつも試合の決定的なシーンを見ることができず悔しい思いをしてきた野球好きの佐藤氏は、その徹底ぶりに感動すら覚えたという。
 実はこれはヤンキースタジアムに限ったことではない。アメリカでは野球場のような公共の施設は、ADA(Americans with Disabilities Act。 1990年に制定されたアメリカの障害者差別を禁止する法律)のガイドラインに準拠しなければならないことが、法律によって定められている。そこにはサイトラインの確保は言うに及ばず、エレベーターのサイズから通路や出入り口の間口のサイズ、トイレの仕様に至るまで、図入りで厳しい基準が定められている。これは法律による縛りなので、それを守っていない施設があれば、公共施設であろうが民間の施設であろうが、すぐに訴訟を起こされてしまう。このガイドラインはそういう形で強い強制力を持っている。
 アメリカのADAから遅れること26年、2016年にようやく障害者差別解消法が施行された日本にも、一応バリアフリー化のガイドラインは存在する。しかし、これはADAガイドラインとは比べようがないほど基準が緩く、しかも民間に対してはあくまで努力目標にとどまっているため、ほとんど徹底されていないのが実情だ。
 もう一つ佐藤氏がアメリカで感じたことがある。それは心のバリアフリー化だ。日本では障害者というととかく特別扱いされがちだが、アメリカでは障害者も健常者も「共に生きる」という考えが当たり前のように浸透しているのを感じたという。心のバリアフリーを達成するために佐藤氏は、インクルーシブ教育の重要性を強調する。
 何にしても、そんな日本の首都東京に4年後、2度目のオリンピック・パラリンピックがやってくる。2020年を目指してさまざまなインフラ整備が予定される中、バリアフリー化の予算も例年より大幅に増額されている。小池新都知事も所信表明演説で「高齢者や障害者に優しいユニバーサルデザインのまちづくりも推し進め」ると明言した。折しも今年4月に障害者差別解消法が施行されたこととも併せて、東京は今、世界一のバリアフリー都市に生まれ変わるための、千載一遇のチャンスを迎えていると言っていいだろう。
 佐藤氏は2年前から積極的にオリパラ組織委員会のガイドライン策定に働きかけを行ってきたところ、当事者が参加して意見を言うことで、だいぶ状況は変わってきたと感じているという。すったもんだの末に決まった新国立競技場も、ことバリアーフリー化については国際標準を達成できる見通しが立ってきているそうだ。
 なぜ日本のバリアフリーは遅れているのか。2020年オリパラを機に、日本は世界一のバリアーフリー都市に生まれ変わることができるのか。その前に立ちはだかるものは何か。障害者インターナショナル日本会議事務局長の佐藤聡氏と、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。

トランプが負けてもトランプ現象は終わらない

(第810回 放送日 2016年10月15日 PART1:50分 PART2:53分)
ゲスト:渡辺靖氏(慶應義塾大学環境情報学部教授)

 オクトーバー・サプライズ。
 アメリカの大統領選挙は投票日直前の10月に、予想外の展開を見せることが多い。ここで候補者の過去のスキャンダルが浮上したり、ちょっとした失言などがあると、11月上旬の投票日までに失地を挽回する時間がないため、結果的にそれが命取りになるからだ。
 予備選挙から一貫して今年のアメリカ大統領選挙の根幹を揺るがしてきた「トランプ旋風」が、ここに来て大きな節目を迎えている。どうやら2016年の大統領選のオクトーバー・サプライズは1本の猥褻ビデオだったということになりそうだ。
 猥褻ビデオと言っても、何か衝撃的な映像が映っていたわけではない。その中身は共和党の大統領候補ドナルド・トランプが、テレビ番組のロケバスの中で女を口説き損ねた武勇伝や自分の女癖についてスタッフと軽口を叩いている音声が収録されているだけのビデオだ。
 しかし、このビデオが今回は決定打となった。これまで数々の暴言や差別発言を繰り返し、女性に対しても典型的な性差別的態度を隠さずに来たトランプだったが、ここまでの発言は計算があってのことだろうと思っている人も多かった。あえて暴言を吐くことで、メディアに話題を提供しつつ不満層に訴えるトランプの戦略を、評価する声すらあった。
 ところが、10年前に録画されたという1本のプライベートなビデオによって、トランプの一連の暴言がどうやら彼の本音だったらしいことが、白日の下に晒されることとなった。少なくとも、これまで恐る恐るトランプを支持してきた消極的な共和党のトランプ支持者の多くは、そう受け取ったようだ。
 9月に長年所得税を払っていなかった疑いが取り沙汰されて以来、翳りを見せていたトランプの支持率は、ビデオが公表されてから更に落下し、クリントンとの差が10%を超える世論調査も出てきた。投票日まで一か月を切ったこの段階での10%の差は、よほどのことがない限り決定的に見える。
 しかも、ビデオが公表されて以降、自分がトランプからセクハラを受けたとか、無理やりキスされた、体に触られたといった告発をする女性たちが、雨後の筍のように方々で出てきている。
 そうしたことを念頭に置くと、もはや大統領選挙自体は決したかに見える。
 本来であればそれは、アメリカの歴史上初の女性大統領の誕生を意味し、もう少し盛り上がりを見せてもいいはずだが、そうした雰囲気はほとんど感じられない。
 まず、民主党のヒラリー・クリントン候補も実に多くの問題を抱えているからだ。今回は敵失で漁夫の利を得た形になるクリントンだが、メール問題や健康問題など、通常の大統領選挙では十二分に致命的になり得る問題がいくつも浮上していた。党内の予備選でも身内の後押しで辛うじてバーニー・サンダース候補を下したことを含め、もう少しまともな対立候補が出ていれば、どうなっていたかもわからない薄氷を踏む選挙戦だった。
 しかも、クリントン対トランプの選挙戦が、表層的なスキャンダルネタでお互いを罵り合うネガティブ・キャンペーンに終始したため、クリントンの政策が十分有権者に浸透したとは言えない状態だ。それがクリントンの大統領就任後のリーダーシップにどう影響するかについても不安は多い。
 そして何よりも、トランプ現象が終わりそうにないことだ。今回の猥褻ビデオで共和党の重鎮から批判されたトランプは、むしろ態度を硬化させ、今までは党に配慮して大人しくしてきたが、これからは自分のやり方で選挙戦を戦うと宣言している。実際に、ビデオ問題が発覚して以降、トランプは「自分が大統領になったらクリントンを刑務所に送ってやる」とか、メディアが報じている自分のスキャンダルは全てデマで陰謀だなどと、持ち前の陰謀論を全開させるなど、何でもありモードに入っているように見える。
 アメリカウォッチャーで慶應大学教授の渡辺靖氏は、ビデオ問題が浮上して以降、トランプは自分の支持層を拡げるのを諦める一方で、コアな支持者を固める戦略に出ていると指摘する。それはトランプが大統領選挙後も、トランプ現象を率いていく覚悟を決めたことを意味している。
 実際トランプは選挙後、自らの選対チームを中心とするに、新しい保守系のメディアビジネスを立ち上げる構想が取り沙汰されている。クリントン政権にとっては選挙が終わった後も、トランプが率いる一大勢力が最大のリスクファクターになる可能性が否定できない。
 渡辺氏はトランプの影響力がどの程度温存されるかは、選挙戦でトランプがどの程度の支持を集められるかにかかっていると言う。確かに選挙で惨敗すれば、トランプの勢いにも一時的にブレーキがかかるかもしれない。しかし、一説には何があってもトランプを支える支持者が全米で1400万人はいるという。今回の大統領選挙でトランプの下に結集した、現状に不満を抱える保守的な一大勢力は、今後、アメリカの政治地図を根幹から塗り替える存在になっていく可能性は否定できない。
 トランプ現象のその後と、選挙後のアメリカ政治の見通しについて、渡辺氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

 

vol.79(791~800回収録)

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ビジネスに乗っ取られた五輪が破壊するスポーツの醍醐味

(第791回 放送日 2016年06月04日 PART1:1時間29分 PART2:55分)
ゲスト:今福龍太氏(東京外国語大学大学院教授・文化人類学者)

 東京オリンピックの招致に少なくとも2億円の裏金がコンサルティング料の名目で使われていたことが、英・ガーディアン紙のスクープで明らかになった。ところが、当時の招致委員会の理事長だった竹田恒和現JOC会長は国会で、「極めて一般的なこと」と、裏金に対する批判を一蹴した。
 招致に億単位の裏金が飛び交うのが当たり前という五輪というのは、一体どういう世界なのだろうか。
 2020年の東京オリンピックをめぐっては、新国立競技場の建設問題や大会のロゴ盗用疑惑、杜撰な大会運営費の見積りなど、次から次へと問題が露わになっている。明らかに杜撰なガバナンスとずるずるの銭勘定が当たり前のように横行している。そして、極め付けは裏金疑惑まで噴出する始末だ。ガーディアンの報道によるとフランスの検察が贈収賄の疑いで捜査に着手したという。
 IOC(国際オリンピック委員会)では、過去にも大会の招致をめぐり過剰な接待や裏金による不正が行われてきたことが批判を受けてきた。何億、何十億という裏金を使い、場合によっては贈収賄など法律に触れる危険を犯してでも招致する価値があるほど、五輪は一部の人たちにとっては旨味のあるビジネスになっているようだ。
 東京外国語大学大学院教授で、文化人類学者の今福龍太氏は、オリンピックが商業主義に乗っ取られる原因の一つとして、オリンピックという存在やその仕組みが、もはや21世紀の社会構造に合わなくなってきていると指摘する。
 20世紀、国家の代表が国際舞台で競い、世界中に興奮をもたらすことで国威発揚にフルに利用されたオリンピックは、冷戦や大国間のイデオロギー対立が消滅した今日、過剰なまでの商業化によって、巨大な利権が動く一大ビジネスの舞台となっている。
 電通などを媒介してメディアと一体化することで、今日のスポーツは一旦、五輪に採用されれば巨万の富を生むメジャースポーツとなるが、五輪から外れるとたちまちマイナースポーツ化してしまう。メディア側の都合で多くのスポーツのルールがテレビ中継に適したフォーマットに変更させられてきた。
 しかし、過剰な商業化の最大の弊害は、それがスポーツ本来の身体的な神秘性や競技の持つカオティック(無秩序)な一面を排除する方向に向かっていることだろうと、今福氏は言う。類稀なる身体能力を持ったアスリートたちが、瞬間的に見せる超人的な美技に、人は人類が文明の進化の過程で失ってしまった肉体性や野生を見る。それが本来のスポーツの醍醐味だった。ところが、商業化が進むと、超人的な要素はビジネスが最も忌避する偶発性に依存しているが故に、スポーツから排除される方向にあると今福氏は言う。
 試合時間はテレビの放映時間内に収まる必要があり、個々の超人的なプレーよりも国旗を背負ったナショナルチームの勝利が何よりも優先される。単なる勝敗よりも美技や超人的な肉体性が見たいダイ・ハードなファンは存在するが、大衆の動員が不可欠となるビッグビジネスでは、そのような少数派マニアの要求に応えている暇はない。そうした理由からバレーボールはラリーポイント制に変更され、サッカーはユニフォームの下にGPS装置などが入ったデジタルブラジャーを纏った選手たちが、コンピューター解析によるビッグデータで管理されるようになってしまった。それはより確実なビジネスチャンスを提供する一方で、スポーツの死を意味すると今福氏は言う。
 商業化を突き進むことで真の醍醐味を切り捨ててきたスポーツの行き着く先には何が待ち受けているのか。それでもなおわれわれは、スポーツに熱狂し続けることができるのか。商業化抜きでもスポーツは持続可能なものなのか。東京オリンピックの招致活動をめぐる一連の不祥事が、われわれに突きつけたスポーツの裏の顔について、広告代理店やメディアの影響などを参照しながら、ゲストの今福龍太氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

米大統領選で右も左も大混乱なわけ

(第792回 放送日 2016年06月11日 PART1:56分 PART2:51分)
ゲスト:会田弘継氏(青山学院大学教授・ジャーナリスト)

 アメリカ大統領選はヒラリー・クリントンが民主党の候補者に指名されることが確実となり、11月の本戦で共和党候補のドナルド・トランプと大統領の座をかけて争うことが事実上決まった。
 それにしてもアメリカの政治は前代未聞の異常事態に陥っている。共和党では政治経験など皆無の不動産王が、暴言を繰り返しながら、名だたる党のエスタブリッシュメント候補を完膚なきまでに打ち破ってしまった。もう一方の民主党も、知名度も経歴も非の打ち所の無いと思われた大本命が、民主社会主義者を自任し、昨日まで民主党員でもなかった老政治家に、ぎりぎりのところまで追い込まれた。これまでアメリカの政治を担ってきた二大政党が同時に、崩壊の縁に立たされているといっても過言ではない。
 アメリカに何が起きているのか。
 アメリカの思想史を長年ウォッチしてきたジャーナリストで青山学院大学教授の会田弘継氏は、トランプやサンダース躍進の背景にアメリカ社会に鬱積した不満や不安の存在を指摘する。グローバル化が進む中でアメリカの豊かさの代名詞だった「分厚い中間層」が崩壊し、その多くは、低所得層へと没落した。彼らの多くは既存の政治勢力に強い絶望感を抱いている。中でもプアホワイトと呼ばれる白人の低所得層は怒りの矛先を移民や少数民族に仕向けるトランプの支持に回り、多額の学費ローンを抱え、満足な仕事に就くことができない若者はウォールストリートや富裕層批判を強めるサンダースの下に参集した。そうした政治的変動が、今回の大統領選挙の予備選で既成政党に対する反発と反体制派候補への支持という形で顕著になったのだという。
 元々アメリカでは伝統的に共和党は保守陣営をまとめ上げ、民主党がリベラル層を束ねることで、長年にわたり二大政党制を維持してきた。しかし、アメリカではもはや保守派が社会を保守できず、リベラル派は再分配を通じた公平の実現が困難になっている。そしてそれは、決してアメリカに限ったことではない。
 アメリカの大統領選挙の異常事態は、保守とリベラルという従来の政治的な棲み分けが、世界的に困難になっていることの反映と見ることができる。安定的な経済成長が期待できることを前提に、分厚い中間層に支えられた政治環境の下で、保守とリベラルの間でチェック・アンド・バランスを繰り返してきた民主主義体制そのものが、成り立たなくなっているのだ。
 アメリカの大統領選で表面化した政治的な混乱は何を意味しているのか。保守とリベラルという伝統的な仕分けが成り立たなくなった世界で、何が新たな対立軸となり得るのか。大統領選におけるトランプ、サンダース躍進から見えてくる世界の新たな政治的潮流の正体を、ゲストの会田弘継氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

18歳選挙権で試される日本の成熟度

(第793回 放送日 2016年06月18日 PART1:58分 PART2:46分)
ゲスト:斎藤環氏(精神科医・筑波大学医学医療系教授)

 精神科医の斎藤環氏は、選挙年齢の18歳への引き下げに反対している。大勢の引きこもりの若者を診てきた経験から、日本社会に若者の成熟や自立を支える準備ができていないと考えているからだ。
 6月19日に改正公職選挙法が施行され、選挙権を与えられる年齢が18歳に引き下げられる。7月10日に投票が見込まれている参議院議員選挙は、18歳選挙権が実施される初の国政選挙となり、自民党は、若者票を当て込んで比例区の候補者に元アイドルグループのメンバーを擁立する一方、民進党は給付型奨学金制度の創設を謳うなど、与野党とも若者に対するアピールに余念がない。今回の引き下げで、全有権者の約2%に相当する約240万人の若者が新たに選挙権を手にすることになる。
 世の大人たちは、選挙年齢の引き下げによって若者の政治への参加意識が高まり、責任感も増すのではないかと、おおむね肯定的のようだ。また、欧米諸国で18歳から投票権を与えていることも、今回の制度改正を支持する理由になっている。
 しかし、若者の自立や成熟を支援する制度を強化することなく、単に選挙年齢を下げれば自動的に若者の自立や政治参加が進むと考えるのは、「根拠がない」と斎藤氏は言う。
 選挙年齢を下げれば、次は成人年齢を18歳に引き下げようという議論になることは必至だ。それは現行制度の下では子供として保護の対象となっている18歳、19歳の若者を大人として扱い、年金や社会保障費や刑事罰で大人と同等の義務や責任を負わせることを意味する。
 そもそも今回の18歳への選挙年齢の引き下げは、憲法改正のための国民投票の対象年齢を18歳としたことに合わせるためだった。国民投票年齢を18歳とした背景には、憲法改正を目指す自民党が、若年層が憲法改正に前向きであることを意識したためであると考えられている。
 選挙年齢がそのような「不純な動機」で引き下げられる一方で、若者の引きこもりは深刻の度合いを増していると斎藤氏は言う。多くの若者が、携帯電話やSNSによって繋がる友人関係から外れまいと、必死にキャラを演じながら、過剰なプレッシャーに耐えている。そのプレッシャーに耐えられなかったり、そこから外れてしまった若者の多くが、不登校や引きこもりなどの手段によって自己防衛に走る。その数は正確にはわからないが、人口の5%~10%に及ぶとの推計もあると、斎藤氏は言う。
 このような引きこもりの問題も解決できない日本が、選挙年齢を引き下げて18歳の若者を成人として扱い、一人前の責任を求めるようになれば、今以上に多くの若者が社会から隔絶されてしまう恐れがある。今日本が優先的に考えなければならないことは、若者の責任を増やすことではなく、若者の自立を支援する体制を強化することではないかと斎藤氏は語る。
 選挙年齢の引き下げは妥当なのか。18歳に選挙権を与え、これを大人として扱うだけの体制が日本の社会にできているのか。成人年齢の引き下げ論議や、社会的弱者としての若者対策の現状などを参照しながら、ゲストの斎藤環氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

日本会議は日本をどうしたいのか

(第794回 放送日 2016年06月25日 PART1:1時間08分 PART2:50分)
ゲスト:鈴木邦男氏(一水会元会長・作家)

 来たる参院選の争点は本当にアベノミクスだけでいいのか。
 安倍首相は過去の選挙と同様に、この選挙をアベノミクス選挙と位置づけ、しきりとその継続を訴えているが、その一方で、依然として憲法改正に対する強い意欲を表明することも忘れていない。憲法改正は党の選挙公約にこそ入っていないが、首相自身が一連の党首討論会などで、「自民党は立党以来、憲法改正を掲げている。そう考えている人が集まっているのが自民党だから、(改正を目指すのは)当たり前だ」と、実際、憲法改正が安倍政権の究極の目標であることを明かしている。
 1955年に自由党と旧民主党が合併して成立した自民党が、旧民主党が掲げる自主憲法の制定を党是に頂いていることは事実だ。しかし、少なくともここまで明確に憲法改正を政治目標として掲げて政権を維持できた政権は、安倍政権以前には存在しなかった。
 実際、各紙の世論調査によると、6月22日に公示された参議院選挙で、与党自民党・公明党を中心とする改憲勢力が、憲法改正に必要な参院の3分の2を押さえる勢いだという。第二次安倍政権が成立して3年。アベノミクスに目を奪われている間に、日本では右派の長年の野望だった憲法改正が、いよいよ手の届くところまで来ていると言っていいだろう。
 これは憲法改正に限ったことではないが、安倍政権発足以来、自民党の右傾化が顕著になっている。特に第二次安倍政権は選挙のたびに有権者にアベノミクスの是非を問いながら、選挙に勝利すると、秘密保護法、安保法など、歴代の政権が実現できなかった重大な法案を相次いで成立させている。ちなみに道徳教育を義務付け、愛国精神を重んじることを謳った教育基本法の改正も、第一次安倍政権の下で実現したものだった。
 そうした安倍政権の右傾化路線の背後に、日本会議というロビー団体の影響力が働いていることが、次第に明らかになってきている。現に、第三次安倍改造内閣19人の閣僚のうち、日本会議国会議員懇談会のメンバーが12人いたことは既に知られている。もちろん安倍首相もそのメンバーだ。また、日本会議と関係の深い神道政治連盟国会議員懇談会にいたっては、馳浩文科相と島尻安伊子沖縄北方担当相、公明党の石井啓一国交相を除く17人がメンバーとも報じられている。
 日本会議は、その前身の日本を守る国民会議と日本を守る会が統合して、1997年に設立された、いわゆる草の根保守の運動団体だ。関係する組織には神社本庁や明治神宮、靖国神社といった宗教関係の団体が多く、宗教右派に位置付けられる存在だが、関係団体の動員力や資金力をてこに、長年にわたって政治への働きかけを行ってきている。宗教団体を中心に保守勢力を束ねているが、その中核を担う事務総局は、かつて宗教法人生長の家で政治活動に関わっていたメンバーが取り仕切っているとされる。
 では、日本会議は日本をどうしたいのか。彼らの目的は、皇室中心の日本、新憲法制定、そして伝統的家族観の実現や国防の充実、誤った歴史観の修正など、いずれも保守的であり復古主義的なものが多い。
 そして、その性格は近年の自民党の右傾化路線とほぼ丸々重なっている。特に今回の参院選では、憲法改正を実現する1000万人ネットワークなる運動を展開していて、神社本庁などの組織力と動員力を背景に、ここまで改憲に賛同する署名を700万以上も集めたなどとも報じられるなど、ここに来て日本会議の国政への影響力が、顕著に目立つようになってきている。
 政治団体一水会の元顧問で、かつて生長の家で現在の日本会議のメンバーらと活動を共にした経験を持つゲストの鈴木邦男氏は、日本会議の中心メンバーには有能な人物が多く、過去の経験から大衆運動のノウハウを心得ていると指摘する。それが日本会議の勢力の拡大につながっていると鈴木氏は言う。
 しかし、日本会議の主張は歴史修正主義的な色彩が強く、近代民主主義の理念や前提と矛盾するものも多い。選択的夫婦別姓には強く反対し、国家や天皇を中心とする国体のためには個人の自由や権利を制限することも厭わない。その内容の過激さ故に、現在の日本会議の中心メンバーの多くが所属していた生長の家でさえ、「彼らを説得できなかった責任を感じる」との声明を出し、彼らの国政への影響力が大きくなることに懸念を表明しているほどだ。
 日本会議とは何者なのか。そこまで国政に影響力を持つようになった日本会議は、一体日本をどうしたいのか。安倍政権の下で着々と進む右傾化の背後にある日本会議という団体の実態と、彼らがそれだけ影響力を持つに至った歴史的な経緯や背景などを、日本会議の内情や日本の宗教右派の歴史に詳しい鈴木邦男氏と、日本会議を取材してきたジャーナリストの青木理、社会学者の宮台真司が議論した。

イギリスのEU離脱で世界はこう変わる

(第795回 放送日 2016年7月2日 PART1:52分 PART2:46分)
ゲスト:遠藤乾氏(北海道大学大学院教授)

 イギリスの国民投票によるEU離脱は、世界の民主主義の在り方を根底から変えるかもしれない。
 イギリスは6月23日に行われた国民投票で、EU(欧州連合)からの離脱を選んだ。予想外の事態に、直後から市場はパニックに陥り、世界経済への長期的な影響は計り知れないとの指摘が根強い。
 世界5位の経済規模を持つイギリスが、長い歴史を経てようやく統合を果たしたEU市場から離脱することの市場への影響や経済的な損失は当然大きい。また、それがEUの将来に暗雲を投げかけていることも確かだろう。
 しかし、もしかすると今回のイギリスのEU離脱、とりわけ国民投票という直接民主主義による意思決定は、これから世界の民主主義が根底から変質していく上での大きな分水嶺として、歴史に刻まれることになるかもしれない。
 人、モノ、カネが国境を越えて自由に交錯するグローバル化が進み、世界中で貧富の差が拡がる中、これまで民主主義と一体になって進んできた資本主義の原則を優先する政治に不満を持つ人の数が増えている。グローバル化は総体としては世界をより豊かにしたが、その過程で中間層を没落させ、われわれの社会を一握りの富裕層と巨大な貧困層に分断した。そのプロセスは今も続いている。
 そのような状況の下で国民投票のような直接民主主義的な意見集約を行えば、数に勝る貧困層の意見が優勢になるのは時間の問題だった。そして、それがグローバル化によって現出した現状に対する強烈な拒絶反応になることも。
 EUやイギリスの政治史に詳しく、今回の国民投票を現地で調査してきた国際政治学者の遠藤乾・北海道大学大学院教授は、EUに主権を握られていることに対するイギリス国民の不満が予想した以上に強かったと指摘する。今回の国民投票結果の背後には移民に対する不満があることは広く指摘されているが、これは現在のイギリス政府が好き好んで積極的に移民を受け入れているのではない。EUに加盟している以上、域内の人の移動の自由を保障しなければならないというEU縛りがあるのだ。国民の多くが不満を持つ移民受け入れ政策に対して、イギリス政府は事実上、自国の政策を選択する主権を有していない。EU本部が置かれたベルギーのブリュッセルで決められた政策に縛られ、その影響を受けることを理不尽に感じるイギリス国民が多いのは当然のことだった。
 元々EUは発足当初から、加盟国の主権を部分的に制限してでも、統一した市場を維持することが、アメリカや他の地域に対してヨーロッパ諸国が優位に立つことを可能にし、結果的にそれが各国の利益に繋がるという前提があった。しかし、その後、旧東欧諸国の多くがEUに加わり、今やその数は28カ国にまで拡大している。加盟国間の格差は広がり、イギリスの場合もポーランドやリトアニアなどの旧共産圏の国から大量の移民が流れ込むようになった。ピューリサーチによる世論調査でも、旧東欧圏の新たに加盟した貧困国ではEUに対して好意的な意見が多い一方で、イギリスやフランスなどその負担を背負う側の国では、EUへの支持が年々低下していた。
 アメリカでは、メキシコ移民に対する不満をぶちまけることで白人労働者層の支持を集めた不動産王のドナルド・トランプが、共和党の大統領候補になることが確定しているが、その支持層は今回のイギリスの国民投票でEU離脱を選んだ層と多くの点で共通している。イギリスの国民投票の結果についてトランプはすかさず、「イギリス国民は政府を取り戻した」と、これを讃える声明を出している。
 今回のイギリスの選択は、近代国家を支えてきた民主主義と国家主権、そして資本主義のトリアーデ(3つの組み合わせ)が、同時に成立しなくなっていることを示しているのではないか。イギリスでは資本主義的な利益を度外視してでも、主権を取り戻すことが重要と考える人が過半数を超えた。今後、格差が拡がりつつある日本でも、イギリスやアメリカで起きている現象とは無縁ではいられないだろう。日本でその矛盾がどういう形で顕在化するかについては、今後注視していく必要がある。
 イギリスのEU離脱という選択がわれわれに突きつける課題について、イギリスの国内事情やEUの歴史などを参照しながら、ゲストの遠藤乾氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

この参院選で問われなければならないこと

(第796回 放送日 2016年7月9日 PART1:57分 PART2:53分)
ゲスト:中北浩爾氏(一橋大学大学院社会学研究科教授)

 日本は明日、3度目のアベノミクス選挙を迎える。
 2012年の安倍政権成立から3年半の間に、2度の国政選挙が行われているが、安倍首相はそのいずれもアベノミクスを問う選挙と位置付けてきた。今回も安倍首相は「アベノミクスのエンジンを2段3段と吹かしていかなければならない」と言い放っている。
 しかし、過去2度の選挙では一旦選挙が終わると、安倍政権はアベノミクス選挙の勝利で得た数を使って、秘密保護法や安保法制といった選挙公約とは異なる政治課題の実現にその力を集中させ、それを数の論理で強硬に成立させてきた。
 そしてまた、3度目のアベノミクス選挙である。
 憲法改正がどうだの、大型補正予算がどうだのと色々と取り沙汰はされているが、選挙後に何が出てくるかを予想しても、鬼に笑われるだけだろう。しかし、政権への信任投票を行う以上、信任するにせよ、不信任票を投ずるにせよ、少なくともこの3年間に安倍政権が行ってきた政策の中身をきちんと精査し、その評価を下した上で、一票を投じる必要がある。
 そこで今週のマル激では、恒例となった選挙直前の「マル激的選挙の争点」を考えてみたい。
 今週のゲストで政治学者の中北浩爾・一橋大学大学院教授は、今回の参院選で安倍政権は、巧みな争点隠しを行っていると指摘する。経済政策や社会保障など国民の関心が高い分野で、野党の主張に重なるような政策を掲げることで、対立の構造を見え難くしているというのだ。与野党の対立が鮮明にならない限り、与党有利、現職有利は揺るがないからだ。
 確かに選挙戦に入ってからの自民党は、所得の再分配やワークライフ・バランスなどこれまで民進党が主張していた論点を、しきりと口にするようになっている。それが実態を伴うものかどうかは定かではないが、少なくとも選挙の争点隠しには功を奏していると言っていいだろう。
 しかし、争点隠しには野党も協力していると言わざるを得ない。そもそも安倍首相はこの選挙で「消費税増税延期の信を問う」としてきた。ところがこの選挙では、野党を含む全政党が消費税増税の延期には賛成している。これでは有権者から争点が見えなくなるのも無理はないというものだ。
 では安倍政権が隠したい、この選挙の真の争点とは何か。中北氏はずばり憲法改正だと言う。今回の選挙では与党に改憲に前向きな改憲勢力を合わせて、憲法改正案の発議に必要な参議院の3分の2の議席を獲得できるかどうかが、大きなポイントになると見られている。改憲勢力は既に衆議院では3分の2の議席を確保しているため、この選挙で改憲勢力が合わせて78議席以上を確保すれば、恐らく戦後初めて憲法改正案の発議が可能となる。
 「この千載一遇のチャンスを安倍首相がみすみす見逃すとは考えにくい」と中北氏は指摘する。経済状況もかなり悪化してきており、アベノミクスの神通力がいつまで持つかは不透明な状況だ。このチャンスを逃せば、次の選挙でも改憲勢力が3分の2を維持できる保証は全くない。
 今のところ公明党が憲法9条の改正には慎重な姿勢を見せているため、仮に改憲の発議があったとしても、憲法9条を変更するかどうかは不透明な状況だが、党是に自主憲法制定を掲げる安倍自民党には、とにかく憲法を変えたいという強い野望を持つ議員が少なからずいる。9条にこだわらなければ、意外とすんなり憲法改正の発議が行われるのではないかというのが、中北氏の見立てだ。
 他にも安倍政権が隠そうとしている争点は多い。安倍政権が実施した法律や制度の中でも、特に今回の選挙は安保法制が強行採決されてから最初の国政選挙となる。また、安保法制と並んで、日本は外交、安全保障面でいくつかの大きな政策転換をしている。特に、アメリカと足並みを揃えるために、中東において多くの犠牲を払ってきた。
 東京外国語大学の伊勢崎賢治教授は、安倍政権下で日本は「多くの敵を作ってしまった。中国との関係を考えて一層アメリカ寄りになったが、マイナスばかりだ」と、安倍政権の安保、外交政策については厳しい評価を下す。
 一方、安倍政権はこの選挙をアベノミクスという経済政策を問う選挙と位置づけているにもかかわらず、社会保障や雇用の実態は悪化の一途を辿っている。東京大学の大沢真理教授は、どれだけアベノミクスのエンジンを吹かしても、労働者の実質賃金が下がり、非正規雇用が増え、貧困率が上昇している実態を覆い隠すことはできないと指摘する。
 慶応義塾大学の土井丈朗教授は、アベノミクスのエンジンを吹かし続けることによって、財政赤字が膨れ上がることへの懸念を表明する。金融緩和の効果が弱まる中、安倍政権は年内に10兆円規模の大型補正を計画しているとされている。消費増税を延期した上に、大型の補正予算を組めば、政府が目標にしている2020年までのプライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化は更に遠のくという。
 このように、一見争点が見えないように見えて、一皮めくれば、この選挙でわれわれは日本の行く末に大きな影響を与えかねない重大な選択を下そうとしている。選挙後に「こんなはずじゃなかった」と思わないで済むようにするためにも、ここはひとつ有権者一人ひとりが、自分が今、何を選択しようとしているのかをよく考えたい。
 かつてアメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンは「十分に情報を得た市民は民主主義の基盤である」と語っている。明日の参院選でわれわれは何を選択しようとしているのかについて、各分野の識者へのインタビューを交えながら、ゲストの中北浩爾氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

参院選でわれわれが選んだもの

(第797回 放送日 2016年7月16日 PART1:56分 PART2:45分
ゲスト:小林良彰氏(慶応義塾大学法学部教授)

  この選挙で日本の有権者が選んだものは、ただの「現状維持」だったのか。
 参議院選挙は与党勝利で幕を閉じた。自民党は6議席を上積みし、追加公認などを加えると参院で121人の単独過半数を得ることとなった。自民党が参議院で単独過半数を得るのは、消費税導入直後の1989年に宇野政権下の参院選で過半数割れして以来、27年ぶりのこととなる。公明党も5議席上乗せし、おおさか維新の会などのいわゆる改憲勢力としては戦後初めて、衆参両院で憲法改正の発議に必要な全議席の3分の2を超える結果となった。
 一方の野党陣営は、一人区での統一候補擁立が功を奏し、全体としては善戦したが、最大野党の民進党が前回選挙から14議席減らして、更に勢力を縮小させたことで、与野党の力の差は更に拡がる結果となった。
 与党、とりわけ自民党の勝因について、2000人を超える有権者を独自に世論調査した政治学者の小林良彰・慶應義塾大学教授によると、圧倒的に多くの有権者が景気対策や年金、社会保障問題などの経済問題を優先課題にあげていたという。
 野党が与党の攻撃材料として強く前面に押し出してきた安保法制や憲法改正の問題は、関心がないわけではないが、日々の生活の苦しさや将来不安の方が有権者にとっては遥かに優先課題だったことがうかがえる。
 その点、経済政策については、自民党は野党の訴える政策を巧みに取り入れ、経済政策で差別化を図ろうとする野党の戦略を無力化することに成功した。結果的に有権者からは、優先課題の経済政策で自民党と野党の政策の区別がつきにくくなり、「ならばよりリスクの小さい与党に」という結果になったと見られると小林氏は言う。
 自民党がメディア報道にもあれこれ注文を付けたり、選挙期間中に党首討論や記者会見を避けたことも、争点隠しの成功に貢献したとみられる。
 しかし、中身のある政策論議まで行き着かなかった最大の責任は野党、とりわけ民進党にあると小林氏は指摘する。各党ともあれこれ公約や政策を打ち出してはいるが、有権者の関心とはずれていた。また、選挙公約にいい言葉が並んでいても、財源の裏付けがないものが多いなど、有権者が現実に期待できる政策を提案できていた政党は皆無だった。それでは「アベノミクス」という強力なキーワードに対抗することはできない。
 民進党の岡田代表は記者会見で、今回、議席は減らしたものの、3年前の参院選よりも民進党に対する支持が回復してきたとして、これを党勢回復のきっかけにしたいと、やや楽観的な抱負を語っていた。しかし、民進党の比例区の当選者はほぼ労働組合関係者に独占されているほか、比例区の得票数で自民党が大幅に得票を伸ばす一方で、民進党はその半分程度にとどまるなど、依然として民進党に対する不信感が根強いことも浮き彫りになった。
 小林氏は民主党の政策を見ても、自民党と大きな差異が見つけられないところに敗因があったと指摘する。安倍政権が民進党の政策を真似したなどと文句を言っているが、それは民進党の政策が自民党と大差がないものだったことの証左でもあった。与党がとても真似できないような強いアピールを持った政策を打ち出せなければ、本当の意味での野党への支持は回復しないだろう。
 結果的にこの選挙によって自民党は参院でも単独過半数を獲得し、改憲勢力も両院の3分の2を超えた。選挙後の記者会見で安倍首相はアベノミクスの継続が信任を得たとして、今後アベノミクスを加速させていくことを宣言し、手始めに年内にも実施される予定の大型の経済対策の検討に入ったという。政府内では10兆円規模の補正予算が取りざたされているという。ここ当分の間、日本は金融緩和の継続と公共事業の拡大を両輪として、経済を回していくことになりそうだ。
 また、安倍首相は憲法改正についても、憲法審査会での議論を前進させていくことに強い意欲を見せている。どうも安倍首相は、選挙で勝った以上、安倍政権の政策が全面的に国民の信任を得たと受け止めているようにも見える。
 しかし、小林氏は選挙の勝利が白紙委任を意味するわけではないと、警鐘を鳴らす。安倍首相がそれを見誤れば、リスク回避目的で今のところ自民党に集まっている消極的な支持が、一気に雲散霧消する可能性もある。また、同じく有権者側も白紙委任状を渡したわけではないことを認識し、引き続き辛抱強く政治を監視していく姿勢が求められる。
 与党が圧勝し、野党陣営でも組織選挙が目立った参院選だったが、新しい政治参加の形が見えてきた選挙でもあった。上智大学の三浦まり教授によると、この選挙ではこれまで政治に積極的に参加してこなかった市民層の多くが、独自に政治との回路を開拓していたと指摘する。利益団体だけでなく、こうした一般市民層の政治参加が進み、とりわけ野党がその勢力との合流に成功すれば、政治に健全な競争が生まれ、政治に緊張感が戻ることが期待されるところだ。
 今回の参院選でわれわれが選択したものは何だったのか。与党に勝利をもたらした有権者の投票行動は、われわれのどのような政治的意思を反映したのか。また、野党には何が欠けていたのか。今回の選挙における有権者の行動分析や各党の政策と選挙結果などを参照しながら、ゲストの小林良彰氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

病院がなくなったら市民が健康になった夕張から学ぶべきこと

(第798回 放送日2016年7月23日 PART1:45分 PART2:39分
ゲスト:森田洋之氏(内科医・南日本ヘルスリサーチラボ代表)

  医療の行き過ぎが、財政負担の増大を招くばかりか、かえって市民の健康にマイナスになっている可能性があるという。
 財政が破綻した夕張市では各種の公共サービスの大幅縮小を強いられてきたが、医療も決して例外ではなかった。171床あった市立病院は廃止され、19床の診療所と40床の介護老人保健施設に再編された。救急車の応答時間も破綻前の2倍近くかかるようになっていた。当初、これは医療崩壊が避けられないもの考えられていた。
 ところが、医療崩壊に直面した夕張市は、逆に市民の福祉を向上させることに成功した。医療を失った結果、市民がかえって健康になったというのだ。
 財政破綻後の夕張市立診療所の所長を務め、地域医療を担ってきた内科医の森田洋之氏は、医療サービスを縮小せざるを得なくなった夕張では、かえって医療や健康に対する市民の意識が変わり、結果的に心疾患や肺炎で亡くなる人の割合が減ったと指摘する。また、病院が減ったために、医師が患者宅を往診する在宅医療に比重が移ったことで、高齢者一人当たりの診察費が抑制され、病院ではなく自宅で亡くなる人の割合が大幅に増えたという。
 医療サービスの縮小は、当然、市民に不便を強いているはずだ。病床数は減り、救急車の応答時間も1時間を超えた。しかし、森田氏は、医療体制の縮小や削減が原因で、夕張市民の死亡率や死者数が増えたということはないと話す。むしろ、高齢者にとっては、病院ではなく、自宅や特別養護老人ホームなど、終の棲家で天寿を全うし、最期の時を迎えることができるようになったことが、重要な意味を持つと森田氏は指摘する。
 日本では、1951年には8割以上の人が自宅で最期を迎えていたが、現在は75.6%の人が病院で亡くなるようになった。多くの人が自宅など終の棲家で最期を迎えたいと考えているが、実際は家族が最後まで面倒を見ることは難しいのが実情だ。しかし、夕張では医療崩壊によって終末医療を病院に任せられなくなった結果、在宅で療養する患者を隣近所が協力して面倒を見るようになり、地域の繋がりが強まる効果も生んだ。結果的に自宅で死を迎えられる人が増えたと、森田氏は言う。
 森田氏はまた、医療が高度化すると、過剰な医療サービスが提供されるようになり、不必要に医療費が膨れ上がる傾向があると指摘する。人口10万人に対する病床数が日本で最も少ない神奈川県の一人当たりの入院医療費が8万6,046円であるのに対し、病床数が2479床と日本で最多の高知県では、一人当たりの入院医療費が19万70円にものぼっている。
 下手に医療体制が充実すると、市民の医療への依存意識が強くなり、個々の健康に対する意識はかえって希薄になる。とりあえず病院に行けばいいだろうと考える住民が増えるため、医療費がいたずらに膨れ上がる。ところが、夕張のように簡単に病院に行けなくなると、市民が健康を意識し、予防医療を実践せざるを得なくなる。
 夕張では財政破綻という最悪の理由から、市民は否が応にも医療サービスの大幅な低下を受け入れざるを得なかった。しかし、その結果、市民の健康に対する意識が上がり、かえって市民が元気になるという、予期せぬ効果が生まれた。
 現在、急ピッチで高齢化が進む日本では、医療費も年々増加の一途を辿り、国の財政を逼迫させている。しかし、夕張市の経験は、医療費を増やせば自動的に市民の福祉や健康が増すとは限らないことを物語っている。
 財政が逼迫し、医療サービスを縮小せざるを得ないという宿命を抱える日本は、夕張市の実例に何を学ぶべきか。ゲストの森田洋之氏とともに、マル激初登場、ジャーナリストの迫田朋子と社会学者の宮台真司が議論した。

【5金スペシャル】マル激放送800回記念トークライブ 「何でもあり」への抗いのすすめ

(第799回 放送日 2016年7月30日 PART1:55分 PART2:53分)

 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。マル激は2001年2月16日の第1回放送以来、間もなく第800回の放送を迎えるにあたり、7月24日に東京・渋谷のロフト9でトークイベントを開催した。今回の5金は、このイベントの模様をお送りする。
 マル激がスタートした2001年2月、日本は自民党の森喜朗政権。首相の度重なる問題発言や失政で内閣の支持率が一桁台に落ちる中、記念すべき第1回放送でマル激は、青少年社会環境対策基本法を通じた政府による表現規制と記者クラブに代表されるメディアの構造問題を中心に議論をしている。
 第1回放送の2001年2月16日から米・同時テロがあった2001年9月11日までの間、マル激は27回の番組を放送しているが、そこでは、手を変え品を変え繰り出される政府による表現規制の企てや、記者クラブに代表されるメディアの構造問題、小泉政権の発足による政治保守から経済保守への権力の移行、靖国参拝問題と歴史修正主義、狂牛病に代表される地球環境と食の安全問題などが議論されていた。その多くは、依然として今も解決されていない。
 ところが2001年9月の同時テロによって、世界の流れが大きく変わった。それがマル激の番組のラインナップからもはっきりと見て取れる。
 同時テロとその後に始まったアメリカによる「テロとの戦い」の名のもとに行われた報復戦争によって、それまでマル激が扱おうとしていた世界や日本が抱えていた問題の多くが、一旦は優先順位が下げられ、水面下に潜ってしまい、テロや安全といった目先の問題への対応が優先されることになった。同時に日本は、憲法上の制約と対テロ戦争における自衛隊の担うべき役割についての終わりなき論争に明け暮れることになる。
 第800回放送を迎えるにあたり、改めて今日の日本や世界を俯瞰した時、マル激が2001年の第1回放送から2001年9月の第27回放送までの間に議論したテーマが、何一つとして解決していないことには驚きを禁じ得ない。同時テロはそれまで日本や世界が抱えていた問題に一旦蓋をしてしまった。そして、今、それから15年が過ぎ、テロがややもすると常態化するようになった今、改めて世界を再点検してみると、そもそもテロを生む遠因にもなっていた世界の諸問題が、実は何一つとして解決できていなかったことが明らかになる。
 問題は問題として直視し、解決していくしかない。しかし、15年にわたるテロとの戦いによって疲弊した世界の市民社会は、もはや15年前の状況とは大きく異なっている。その間、格差は拡大し、中間層は解体され、メディアの堕落は進行するなど、社会全体が大きく劣化してしまった。市民社会は問題に対峙するための多くのツールを失っている。15年前のようにナイーブに一つ一つの問題に真正面から取り組むだけでは、おおよそ問題の解決は望めそうにない。
 実際、市民社会は何度となく問題を解決すべく努力はしてきた。しかし、そのたびに徒労感だけが残った。努力すればするほど、問題の解決が容易でないことをより痛感させられる経験を経て、市民社会全体がやや諦めの境地に入っていることも否めない。
 しかし、ここで「何でもあり」のモードに身を委ねてしまえば、世界は堕ちるところまで堕ちることになる。
 15年前われわれはまだ、理想的な世界の実現を夢見ていた。いくつか問題はあるが、努力をすれば問題は解決できるし、そうすれば世界は理想的とまでは言わないまでも、素晴らしいものにできると考えていた。
 その考え方自体が間違っていたわけではない。しかし、世界は理想とは程遠い状態にあり、それは実は15年前も同じだった。社会が内包している様々な問題が可視化されていなかっただけだった。
 同時テロ以降の15年間で、社会はメッキが剥がれ、元々内包されていながらそれまで可視化されていなかった問題が一気に噴き出した。
 もはや、「あの素晴らしい世界をもう一度」などというスローガンは通用しそうにない。いつかは争いも貧困もない完璧な世界が実現するなどという幻想は早く捨てた方がいいのかもしれない。しかし、そんな「クソのような世界」が、これまで何とか回っていたのは、市民一人ひとりの不断の努力の賜物だった。「クソのような」と「クソ」には大きな違いがある。その努力をやめた時、世界は本当に「クソ」になってしまう。
 20世紀の人類の発展を支えた民主主義と資本主義、そしてそこから派生した様々な思想や法制度、社会制度などのセーフティネットやツールが、今大きな岐路に差し掛かっていることはまちがいない。これまでのような20世紀の幻想を前提とする発想では到底解決できない困難な選択が、われわれを待ち受けている。しかし、それはわれわれのこれまでの理想が間違っていたのではなく、いよいよその真価が問われる局面を迎えているということではないか。
 今回、800回という節目を迎えるにあたり、東京・渋谷のLOFT9 Shibuyaの新規開店に合わせて行われたトークライブでは、15年前の第1回の放送から、何が変わり何が変わっていないのかを検証した上で、なぜ今、われわれの当初の問題意識の再確認が重要な意味を持つのかを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

人権問題としての象徴天皇制を考えるべき時にきている

(第800回 放送日 2016年8月6日 PART1:49分 PART2:22分)
ゲスト:御厨貴氏(青山学院大学特任教授)

 天皇陛下の生前退位のご意向が7月13日に報じられて以来、天皇制のあり方をめぐる議論が盛んに交わされている。
 来週月曜(8月8日)には、陛下ご自身がビデオを通じて「お気持ち」を表明することが発表されているが、マル激ではそれに先立って、この問題で日本人一人ひとりが考えなければならない論点は何かについて、政治学者で天皇制についても造詣が深い御厨貴氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
 そもそも今上天皇が非公式ながら生前退位の意向を示したことについて御厨氏は、象徴天皇制のあるべき姿を生涯考え続けてきた今上陛下の深謀遠慮があってのことだろうと語る。御厨氏によると、現在の象徴天皇像はもっぱら今上天皇が作り上げてきたもので、その集大成ともいうべき問題が生前退位問題だった。
 言うまでもなく現行憲法の下での「象徴天皇制」は、大きな矛盾を孕んでいる。それは天皇という地位に「世襲」「男系男子」「万世一系」など戦前から続く一定の神性(カリスマ)を求めながら、あくまで天皇は一切の政治的権限を持たない象徴に過ぎず、政府が決めたことに唯々諾々と従いながら「ご公務」と呼ばれる国事行為を執り行うだけの存在に押し込んできたからだった。カリスマ性は利用したいが、権利は与えないということだ。そして、戦後70年間、日本人はその矛盾と向き合うことのないまま、天皇のカリスマを災害時の被災地訪問や歴史的な祭典などで最大限に利用してきた。
 しかし、それは天皇や皇族の方々に、職業選択の自由も無く、世襲で強制的に天皇という地位に就かされた上に、その地位から離脱する自由もなく、死ぬまで公務を全うし続けなければならないという、あまりにも理不尽で犠牲の多い地位に甘んじていただくことを意味していた。天皇家の人々は結婚ですら政府の承認を必要としていて、自分だけの意思で決めることができない。
 そもそもこの矛盾は第二次大戦後に日本に進駐してきたGHQが、半ば意図的に残したものと考えられている。大戦後、当時のアメリカ国内には、天皇の戦争責任を問う声が強かったが、GHQは戦後の日本の統治を効率的に行い、同時に日本の共産化を防ぐための防波堤として、むしろ天皇の権威を利用することを考えた。しかし、天皇の権威を維持するためには、戦前から続く天皇の神性が残存していることが不可欠だった。そこでGHQは憲法の中で天皇の世襲を維持するなどして、天皇という地位を事実上憲法の枠外に置き、戦前から続くカリスマ性を維持する一方で、再び日本が天皇の権威の下で軍事大国化することがないように、天皇を一切の政治権限を有さない「象徴」という地位に押し込んだ。そうすることで、天皇の権威だけは利用できるが、それが暴走するリスクは抑え込むことができると考えた。
 慶応大学の笠原英彦教授は著書「象徴天皇制と皇位継承」の中で、GHQでマッカーサー元帥の副官だったボナー・フェラーズ准将の「15年、20年先に日本に天皇制があろうがあるまいが、また天皇個人としてどうなっておられようが、関心は持たない」という言葉を紹介しながら、GHQが当面の自分たちの利益だけを考えて現在の象徴天皇制なる制度を作ったことは明らかだと説明している。
 結果的に、日本における象徴天皇とは、カリスマを維持するために世襲や男系男子などの戦前からの風習には縛られつつ、自分たちの身の振り方を含む一切の発言権を封じられた存在となり、70年間、それが続くことになった。
 2000年代の初頭に皇太子並びに秋篠宮に男の子供が生まれなかったため、皇統を継承する男子がいなくなる、所謂「お世継ぎ問題」が浮上した。小泉政権下で有識者会議が開かれ、女性天皇を認めるなど皇室典範の改正が議論されたが、実際の法改正に至る前に秋篠宮に男の子が生まれたため、結局その時は何の改正も行われないままに終わっていた。
 今回の生前退位問題は、本来であればとうの昔に考えておかなければならなかったにもかかわらず70年間放置されてきた「天皇及び天皇家の人権問題」が、改めて浮上したものと考えるべきだろう。
 基本的人権や法の前の平等、男女同権を保障している日本国憲法は、第一章から八章までを天皇についての条文に割き、その中で、明らかに他の憲法の原則とことごとく矛盾したことを定めている。われわれも本音部分ではGHQと同じで、天皇にはカリスマを持った存在でいてくれなければ困るが、同時にそのカリスマを根拠に政治権力を発揮されるのは困ると考えていたのではないか。しかし、その結果として、天皇に基本的人権を認めず、表面的には敬うような態度をとりながら、実際には差別をしているとの誹りは免れない。
 御厨氏は理論、行政、政治の3つの観点からこの問題に対する議論を始めるべき時が来ていると指摘する。ただし、その議論は、小泉政権下の有識者会議のような、天皇制の専門家たちによるものに限定すべきではないと言う。なぜなら、天皇がどうあるべきかは、専門家が決めることではなく、日本人一人ひとりが何を望んでいるかによるべきだと考えるからだ。
 日本国憲法は第一条で天皇を日本国と日本国民統合の象徴とした上で、それが日本国民の総意の上に成り立つことを明記している。現在のような制度が本当に日本国民が天皇に望んでいることなのかを、今こそわれわれは議論すべきではないか。