著作権は誰のためにあるのか
マル激トーク・オン・ディマンド 第371回(2008年05月10日)
著作権は誰のためにあるのか
ゲスト:福井健策氏(弁護士)
 5月8日、iPodなどの携帯音楽プレーヤーと、テレビ番組を録画するハードディスク内蔵型レコーダーの小売り価格に「著作権料」の一部を上乗せする補償金制度の導入方針を文化庁が提言した。これは既にMDやDVDにかけられている「私的録音録画補償金」を、iPodなどインターネットを通じてコンテンツをダウンロードする機器にまで広げようとするもので、導入されれば数百円程度の補償金が消費者価格に上乗せされることになる。ネット配信が、音楽やビデオ流通の主流になってきている現状を踏まえた措置とされるが、今後パソコンなどにもその対象が広がる可能性も示唆しており、今後利用者サイドからは強い反発が予想される。
 この例を見るまでもなく、デジタル技術の発達やインターネットの普及で、高品質の複製や不特定多数への配信やダウンロードが容易に可能になり、著作権をめぐる新たな問題が次々と持ち上がっている。しかし、ネット時代の著作権をめぐる新しいルール作りの方は、迷走を続けている。そしてその背景には、そもそも著作権が何の目的で誰のために存在するのかについての基本的な認識が共有されておらず、またそのような議論が一向に広まらない中で、利害当事者だけが自分たちの利益のぶつけ合いを繰り返していることにあると、国内外の音楽や映画などの著作権について詳しい弁護士の福井健策氏は指摘する。
 言うまでもなく著作権とは本来、クリエーター(創作者)が価値のある著作物を創作したことへの対価を確保するためのシステムで、それが認められることで、人々に文化的な価値のある創作を行うインセンティブを与えようというもの。何か著作物を作っても、簡単に人に盗作されてしまったり、金銭的な対価を得ることができなかったりすれば、苦労して意味のある著作物を残そうという人はいなくなる。しかし、それではその国にとっても人類全体にとってもマイナスとなることから、著作権という形で創作者の権利に一定の保護が設けられている。しかし、その一方で、保護を手厚くし過ぎると、せっかく意味のある著作物が作られても、それが広く普及したり、大勢の人がその文化的な価値を享受する妨げとなってしまい、著作権保護の本来の目的が損なわれてしまいかねない。
 どの程度まで創作者の権利を保護し、どの程度自由な流通を認めるべきかは、それぞれの社会でのコンセンサスで決まるものであり、「文化の多様性・豊かさや、それへの人々のアクセスを可能にする」という著作権の目的を踏まえた大きな視点での議論を進める必要があると、福井氏は語る。
 しかし、著作権をめぐる議論の現状は、著作権者や著作権管理団体、コンテンツ産業など著作権保護に立つ側と、放送局など各種メディア、インターネット産業関係者、利用者など利便性を促進したい側の、それぞれの利害当事者間の利害対立に終始している感が否めない。両者には深刻な利害対立が存在するため、感情的な議論になりやすく、それがルール作りを困難にしていると福井氏は語る。iPodへの課金問題も、私的複製がこれ以上拡大すれば、コンテンツ産業全体のビジネスモデルを破壊するという危惧から、著作権保護を推進したい業界側が導入を主張してきたが、これにはメーカー側やユーザー側は当然強く反発してきた。ユーザー側には複製を不可能にするDRMが普及している現状で、さらに補償金をとるのは二重課金に当るとの意見や、また、YouTubeやニコニコ動画など動画配信サービスへのアップロードは、仮に違法であっても著作権の侵害自体はコンテンツの宣伝効果によって十分相殺されているため、損害は発生していないとの利用者側の主張にも一定の妥当性はある。
 福井氏はまた、日本では新しいメディアとそこでの私的複製が、著作権についてどういう効果をもたらしているのかなど、実証的な研究がほとんど行われていないため、賛成反対の両陣営ともに、曖昧な議論を繰り返しているのが実情で、ルール作りを進めようにも、社会的なコンセンサスが得られにくい状況があると指摘し、調査研究の必要性を訴える。
 しかし、その一方で、著作権先進国と言われる米国や欧州の仕組みが、日本より優れているとも言い切れない面があると、福井氏は注意を喚起する。例えば、著作者人格権を認めていない米国では、著作権は単なる売買の対象となっており、著作者や出演者が望まない改作が、プロデューサーの一存で当然のように行われる。著作者人格権が含まれる日本の著作権法制では、改作には著作権者の許諾が必要で、それが二次利用や流通促進の妨げになっている面もあるが、その分著作者たちの創作意欲が高く保たれていると考えることもできる。
 今週は、iPodへの課金問題や、JASRACへの公取委の立ち入り検査、YouTubeが提起している著作権問題などの検証を通じて、ネット時代の著作権をめぐる諸問題についてじっくり議論した。
福井 健策ふくい けんさく
(弁護士)
1965年熊本県生まれ。91年東京大学法学部卒業。93年弁護士登録。97〜98年米国コロンビア大学大学院法学修士課程修了。99年ニューヨーク州弁護士資格取得。98〜99年シンガポール国立大学リサーチスカラー。2003年骨董通り法律事務所を設立。著書に「著作権とは何か―文化と創造のゆくえ」、「映画ゲームビジネスの著作権」など。
この記事へのコメント

http://thinkcopyright.org/
延長問題のサイトを読んでみました。

 文体を読む限り、政策ではなくて政治です。すなわち政策論争ではなく権力闘争。ってことは、喧嘩です。喧嘩なのだから奇麗な論理を理路整然と並べるだけでなく、時には理念的な答えを並べて相手を非難しても構わないと思う。
 そこで疑問が出てくる。対立があるのだとしたらどんな対立が根底にあるのか、原理的な背景を知りたい。よくあるのが、公共事業・市場経済を問わず「クリエイターを職業にする」と言うもの。だけど、その主張はイデオロギーに染まり過すぎていて、原理的ではない。「文化の多様性を保つ」のも同様にイデオロギーに過ぎない。もう一つよくあるのが「ネットで共有されているおかげで昔のアーカイブスが見れた」をポジティブなニュアンスを込めて言うもの。こちらも感情に基づく感想を述べているだけで、やはり原理的ではない。
 もしもイデオロギーなのだとしたら因数分解して、どんなイデオロギーなのかを各種整理整頓して見やすくする事が学者の仕事ではないだろうか。
 例えば、著作権の保護期間を70年どころか、500年や1000年にしてしまえば、社会からも「コピーレフトにせよ!」と圧力が加わり、保護期間それ自体が市場経済に委ねられるかもしれない(楽観視かもしれないけど)。
 例えば、国民が文化を共有できるような環境を整備するのは倫理的に善きことであり、アーカイブスを削除するのは反公共的・反倫理的な悪いことではないか。論拠が「違法だから」では弱すぎるし、法律それ自体が論拠になってしまうのは悪法の可能性が残る。

 私が考えたのは二つ。一つは有限性、もう一つは無限性です。
 無限性というのは、情報とは無料であり、著作性は永久のものだとする考え方。無限性を代表するものが図書館です。
 有限性とは、情報に資本を投下することで情報はより洗練することができると信じていて、著作性は有限のものだとする考え方。有限性を代表するのが出版社などの企業です。
 どちらの立場にも共通しているのは「より多くの人に閲覧してもらいたい」と言うこと。有料にした方が閲覧者が増えることもあるし、無料のほうが閲覧者が増えることもある。なので、閲覧者を増やすことの有料制と無料制の対立は、一概には決められず決着が付かない。

 著作権とはなにか、もっと深く考えてみる事ができると思います。例えば、貨幣経済を相対化して考える事ができます。経済は一般的に交換の原則で成り立っています。貨幣は交換をスムーズにしてくれます。そして貨幣を製造する機構が存在します。(昔は偽物も「駄賃」として使われていて、元の貨幣の数分の一の価値だったそうです。)貨幣は国家が独占していて、国家の内部で交換がスムーズに行われるように使われています。
 しかし、経済は交換だけで成り立ってはおらず、詐欺や窃盗もあるし贈与もある。家庭内に至っては貨幣を使わないことが普通です。情報も同じで貨幣で交換するとは限らないです。貨幣と交換して頒布することもあれば、交換せずに無償で頒布することもある。
 すなわち経済の原理とは交換ではなく、一方的な贈与、一方的な受容、一方的な略奪、一方的な搾取であること。しかし人類は一方的に行うのも行われるも忌避してきたので、人間の心理的にも相性がよい交換システムを好んで採用しました。だから一見すると交換が執り行われている様に見えても、本質は双方が一方的に他者に価値を与えているに過ぎない。交換とは見せかけの作法であること。その見せかけの交換システムを促進させる方法が貨幣経済です。
 だけど、必ずしも交換が行われない対象や領域がある。それが例えば、情報や家族などの身内です。交換が行われないので資本を注ぎ込むことが出来ません。そこで資本を注ぎ込めるように、市場を作ってしまおうと考える。本来は無限性であるはずの情報に、人為的に有限性を持たせることで枠を設けて、その枠の中に資本を投下して、情報の質を高め広く頒布が可能な状態にする。
 その一方で、図書館は交換が行われない領域として無限性を維持しているので、交換が行われない。資本の投下が行われないので質は高まらないが無償で公開頒布されている。図書館の中での著作性の期間は0年であり実質的には永久である。図書館の内部は経済の原理的な側面である、一方的な贈与、一方的な受容、一方的な略奪、一方的な搾取が残った領域ではあるが、経済の原理を残そうという公共的な理念や意志があるので、認定した領域においては一方向性が残ったままである。

 では、著作権のグレーゾーンとは何かというと、「公共的に認定した領域でもなく、交換のシステムの中にも含まれていない、認知されている領域」のことである。無限性の原理にも有限性の原理にも属さないので曖昧であり、人間の心理とは相性が悪い。また経済の原理的な作法である一方向性が残っていて、かつ一方向性を公共的な意志が認定もしていないので、第三者が「それは略奪だ!」と騒ぐと、双方が容認している関係であっても不必要な対処が起こってしまう。例えばそれが、「動画共有サイトに違法なUPがあった」と著作者ではないにも拘わらず通告する行為である。
 かといって、交換とは手法の一種であり、原理ではないので限られた普遍性しかない。そのため情報と交換システムは相性が悪い。情報と交換システムとの相性の悪さの例にファイル共有や動画共有サイトがある。ネット上にはコンテンツがUPされていて、著作者にお金を払っていない人も閲覧ができる。その状態はお金を払う人と、コンテンツを享受する人が分離されていることになる。お金を払う人は一方的に払い、作品を閲覧する人は一方的に閲覧し、共有ソフトや動画サイトは一方的に頒布(贈与)する。それぞれが一方的に振舞っているだけでメカニズム的な仕組みがない。「公共的に認定した領域」でもない。
 他にも、立ち読みや、回し読みや、個人的なCDの貸し借りも、一方的な作法が行われている。(立ち読みに関しては、慣習的に小売店が好きに決められる様ではある。)
 例のように、情報においては交換のシステムがうまく機能しない。

 もしもカンパなどで課金できるようにしても、交換でないので対価ではなく評価になる。宗教的な色彩が強いので「信者」「アンチ」と言われているが、揶揄ではなく本質的にも購買する動機は宗教的な動機に近いものとなっている。現代版の免罪符のようなものである。
 企業はグレーゾーンを留保することもできる。放置して市場で成功すれば黙認し、不適切な使用なら禁止権を行使して退場してもらう。つまりグレーならば白にも黒にも恣意的に使うことができる。

 一方で問題となっているのは、情報に資本を投下することが難しくなっていることである。一方で問題となっているのは、公共的な情報空間を認定することの困難さにある。
 一方の倫理は「より良い作品を作りたい」であり、もう一方の倫理は「みんなで作品を享受したい」である。
 そして二つの原理が牽制しあうことで、牽制の中に公共性が生まれ文化振興がなされる。

 すなわち情報や著作性には複数のが原理であり、一元論に収束させることができない。複数の原理を多元論的に共存させることで公共空間は生かされる。どれか一つの原理を途絶えさせてしまうと、連鎖的に他の原理も途絶えてしまう。50年から70年に著作権の保護期間を延ばすと騒いでいる議論はまやかしです。根本的な闘争は、情報の質的な価値を巡る経済の有限性と無限性のせめぎ合いです。

ノクノク | 2008年12月05日 02:52

福井さんの話は明快だった。大学の講義などよりわかりやすく、面白かった。
機会があれば、より詳しい部分について、また福井さんに登場して欲しいと思った。
司会の武田さんについては、どうもまだ硬いというか、事前の進行予定を気にしすぎて話の文脈をおかしくしてしまっていたのではないかと感じた。

一言 | 2008年05月25日 13:11

 著作権についてはとても勉強になりました。また、著作権期間延長という論点について賛否両論の根拠を知ることもできました。著作権は「文化振興」の基礎となっていたのですね。
 でも、JASRAC関係の解説には物足りなさを感じました。
 今話題の録画・録音機器への課金がどのように権利者たちに分配されるか。そもそも、現在の音楽用CDや録画用DVDへの課金だって、実際に録音・録画された著作物が分からないのに適切に分配することは不可能なはずです。
 また、JASRACがどのような性格の団体なのか。文部科学省の天下り財団法人であるとも聞きます。うがった見方をすれば、新たな課金は天下り理事たちの給与財源確保のためとも見えます。
 そのテーマには別なゲストが必要かもしれませんね。続編を期待します。

シュウ | 2008年05月23日 23:08

世の創作物のうち利益を出しているほんのコンマ数%の著作物の保護のために、
創作物全体に著作権の網をかけている現況に問題があるということでしょうか?
議論の中で言われてた社会実験を経て、作品ごと関係者ごとアドホックな著作権の
かかり方を調整する方法を作り出していく必要があるのでしょう。
さしあたって私たちが出来る著作者人格権の氏名表示を徹底していく必要がある
ということは私も(著作権がある)図面を描いている立場上、おっしゃるとおり納得です。

EN | 2008年05月13日 11:05

著作権に関する話題って、法学に限らず、どの分野の学問でも、マイナーじゃね?傍流というかw
当事者間で適度に利害調整すればいいんじゃないですか。あまり重要な問題でもない気がするが。
そういえば、宮台さんレベルの貴重な時間と思考力を著作権程度のネタに浪費してもいいのかな?他にも重要な問題は山ほどあるでしょうにw

あ | 2008年05月12日 04:19

著作権のレッスンありがとうございました。
しかし、オリジナルとコピーの分別が意味を失った今日では、著作権は歴史的使命を終えたと思います。
先生も含めて、著作権で喰っている人たちが必死になって囲い込もうとしても、無駄な努力でしょう。
これから70年も先の時代に著作権が果たして生き残っているとは、とても思えませんね。
 

ええかげん | 2008年05月11日 21:08
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