5金スペシャルなぜ日本人は死刑が好きなのか
マル激トーク・オン・ディマンド 第374回(2008年05月31日)
5金スペシャル
なぜ日本人は死刑が好きなのか
 3ヶ月ぶりとなる無料放送の5金スペシャルは、現在公開中の死刑をテーマにした3本の映画を通じて、死刑と日本の現状を、神保、宮台のマル激クラシックスタイルで語り倒してみた。
 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。)
 しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。
 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。
 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。
 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。
 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。
 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。
 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。
 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。
 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視して、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。
 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。
(ビデオニュース・ドットコムでは金曜日が5回ある月はその月の5回目の「マル激トーク・オン・ディマンド」を5金スペシャルとして無料で公開しています。次回の5金は8月29日になります。)

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私が重大犯罪の被告を弁護しなければならない理由
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マル激トーク・オン・ディマンド 第239回(2005年10月21日)
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永田町コンフィデンシャル 第6回(2007年05月10日)
我々は、数合わせには絶対使われない
ゲスト:亀井静香氏(衆議院議員)

政策討論クロストーク 第1回(2007年1月31日)
存続か廃止か 死刑制度の是非を問う
存続派:板倉宏氏(刑法学者・日本大学法科大学院教授)
廃止派:保坂展人氏(社民党衆議院議員・死刑を廃止する議員連盟事務局長)

この記事へのコメント

接吻、飯田橋で見られます
http://www.ginreihall.com/schedule/index.html

ついでに | 2008年06月25日 19:24

再犯を、強盗→強盗以上と限定するのか、強盗→窃盗(万引き)を含むのかに関し、統計が恣意的であることについて、宮台先生は「もう皆さんご存知だと思ういます」とおっしゃいますが、私の通う法科大学院ではまったくこれを知っている者はほとんどいません。

むしろ、再犯を、強盗→窃盗、強盗→軽犯罪法、強盗→道路交通法違反など、とにかく「有罪」になれば再犯に当たると信じきっている者がいますし、そもそも再犯の意味を知っているだけでレベルの高い学生であると見えてしまうレベルです。

なので、もっとこのあたりの知識を普及させる必要があると思います。

またこぴ | 2008年06月20日 12:23

世界180カ国のうち死刑存置国と廃止国、停止国の紹介は、いろんなところで見てきましたし、本放送でも紹介されました。

でも、国連レベルではどうか、というところをいつも見落とされているような気がします。

つまり、フセイン大統領は死刑が執行されました。これって、世界の潮流に照らした場合に、どう見るべきなのか、次回の「死刑」にまつわる放送で詳しく論じていただきたいと思いました。

映画の「休暇」を見ましたが、非常に興味深かった。まだ都内でも見られます。

こぴ | 2008年06月19日 11:58

ちょっとOTかもですが、
秋葉原事件後に3名の死刑執行の発表。当然のことながら賛否両論のようですが、安田弁護士の「彼らは死刑を政治として行っている」の言葉を思い出しました。
また、もうひとつ私が感じたのは、官僚たちのなりふり構わなさです。政界再編や公務員制度改革などでじわじわ追い詰められた彼らが、もはや「怯え」からとしかいいようがないほどの、恐ろしいほどの、なりふり構わなさで生き残りをはかっているように見えます。
通常、一般の会社で人を切るときはなるべくある日突然切るようにします。さもないと、切られるかもと思った人は会社の機密を盗んで行ったり、やけになって会社にダメージを与えたりするからです。その代わり、突然切っても相応の金銭的支援や再就職のための支援などが行われてしかるべきです。
長期的にはたくさんの役人を切ることになるのでしょうけども、彼らが国にダメージを与えてから去るということがないようにしなければと感じました。

yos | 2008年06月18日 16:04

国民の7,8割が死刑存続に賛成で、法学部出身者の7,8割が死刑廃止に賛成だという。
要はその共同体の中の価値観を受け継ぐという話だろう。
次に死刑は犯罪抑止の効果がないという話はインチキだ。
なぜなら犯罪者の人権は守られ、拷問は禁止されているからだ。従って、死刑も出来るだけ拷問に繋がる手法は禁止されている。世の中には死の方が楽だと思われる手法はいくらでもあり、中国マフィアが鉄の結束を誇るのも単なる死刑よりも苦痛な罰則があるからだ。
最後に社会が収まる為には、その社会で等価交換が成り立っているかどうかが一番の眼目だと思う。
日本人の場合、死者も生者も命は等価と考えるから死刑は支持されるのだろう。
また、死に伴う苦痛も犯罪者に等価に与えられれば、不公平感は少なくなるだろう。
複数の殺しには複数倍の苦痛を。単純な話だ。

まぐ | 2008年06月17日 19:58

長らく見ていなかったが、まだやってるんですね。

それより、宮崎勤君の死刑が執行されたようですよ。

彼なんか、終身刑にしたって、無駄ですよね。

こういう輩を相手にしているんだと言うことが分かっているのかな?

空理空論もほどほどにね。
しょせん、君たちにはそんな悪いことできないんでしょうが。

名無し草 | 2008年06月17日 11:21

どう考えてもここで推進派がコメントするのは不利だよ。
結局、法的合理性と感情の問題を分離できない未熟者、
ひとことでいうとバカにしか見えないしね。
まぁ日本人としては平均的なレベルなのかも知れないけどね。

>たかが掲示板のスレであおられた程度でこれなんだから自分の家族が殺されたら平気で犯人の死刑を望むに決まってる。

とかってほとんど釣りにしか見えないんですけど。
もしかして推進派の知的水準の低さをアピールする戦術ですか。
もしかして本当は廃止論者ですか。
だとしたらあざといなぁ復讐者さん。

復讐さえもお上頼み | 2008年06月16日 22:13

何かコメントしようとしても、どうしても無責任な言葉になってしまってうまくいかないのですが、
やっぱりこれは自分が当事者では無いからなんだろうかと。
そして、当事者でないからこそ言えること、言うべきことってこともあるんだと思います。
(死刑について当事者である人間が日本に何%いるのかと)
もちろん、参政権を持ち社会に属しているという意味では、日本人は皆死刑制度と
関わっていますが、実際に行為として執行する人、執行される人、執行を望む人ではありえないんですね。
そのようなスタンスから考えると、
やはり非当事者として、報道を見聞きしたときの感情の捌け口が犯人の死刑になるというのは不健全だと思います。
私は基本的に死刑に反対はしておりませんが、現在の動向は、どうも一般人への見世物としての死刑判決が多いように感じており、非常に危ういと思います。

まいたけマン | 2008年06月16日 00:25

DTよ。勝利宣言もくそもない。

>絶対に死刑制度はあるべきではない

って言った舌の根も乾かないうちに

>お前なんか、冤罪で死刑にされろ。

って言ってる地点でお前に死刑廃止を語る資格はない。

たかが掲示板のスレであおられた程度でこれなんだから自分の家族が殺されたら平気で犯人の死刑を望むに決まってる。

理念だけでモノを言うな。この似非ヒューマニストが。

どんどん退場してよろしい。

復讐者 | 2008年06月15日 14:07

この期に及んでコメントするのは私も大人気ないとは思いますが・・・
佐藤優氏が言及している「愚行権」を受け入れませんか?
http://www.business-i.jp/news/sato-page/rasputin/200806110006o.nwc
少なくとも私ら廃止派から見ると社会的包摂性の第一歩が愚行権
を受け入れることだと思いますよ。

EN | 2008年06月15日 12:26

うまくTBできませんでしたの貼らせてもらいます
ーーーーーーーー

死刑支持の感情論に向き合うためには、諸外国において死刑制度の廃止に至るまでのプロセスの紹介が必要

第371回(2008年5月31日)のマル激は、「5金スペシャルなぜ日本人は死刑が好きなのか」でした。

かなり久しぶりにマル激を見ました。神保さんと宮台さんの議論を通して、死刑制度をめぐる全体像をあらためて認識することができ、たいへん有益だったと思います。また、番組の中で紹介された「休暇」についても、興味がわきました。時間があれば観てみたいと思います。

私も以前に、政策討論クロストークに関して、「死刑支持の「感情論」に向き合う必要」ということを書きましたが、今回のマル激を聞いてもほぼ同様の感想です。

しかしながら、もうちょっと踏み込んだ死刑制度に関する議論がほしかったと思います。

例えば、他の方もコメントで書いていたように、死刑制度を廃止した、あるいは、死刑を実質的に執行していない諸外国において、どのように被害者や遺族の感情的回復をはかっているのか、そういった制度やサポートのしくみを紹介してもらうと、より現実的な死刑制度廃止論が展開できるのではと思います。

少なくとも、すでに多くの先例があるわけですから、ただ「被害者や遺族の感情的回復をはかっていかなければならない」と言うだけでは、不十分でしょう。まさに、その手段・プロセスが課題になのですから。

また、死刑制度に関して、日本においては未だ、社会的合理性と感情の切り分けができていないということについても、宮台さんの分析もまあ面白くはありますが、抽象的な文化論という感が否めません。もっと、死刑制度について、各国の制度やメディア、公教育、宗教のあり方などを、きちんと比較分析した上で、議論を展開してもらうことを望みます。第372回の再生エネルギーの回ではありませんが、死刑制度廃止に至るプロセスも、「ナレッジ・トラスンファー」できる部分があるのではないでしょうか。

いずれにせよ、今回のマル激は、十分に面白かったのですが、それに満足せず、次回は専門家を交えて、他国の制度や状況を踏まえて、死刑制度に関する議論を深めていってくれることを望みます。

murriel | 2008年06月15日 10:28

復讐者

勝利宣言していい?
こんなに素直に引っかかるとは、思わなかったよ。

「司法がまともでなくとも、社会は動いて行かなくちゃならない。デタラメな司法でも、裁判はやるしかない。」と「まともな司法でないのに、死刑制度あるのはいけない」って両立する考え方って理解できてない?

司法が酷くて、困りものだが、世の中動いて以上、裁判は必要、だからこそ、死刑は廃止すべきであるって主張が理解できいないの?

お前は常識以前にまともな理論的思考が必要だよ。
あー、理論的思考が出来ないから、「常識」なんて言ってるのか
、ゴメンゴメン。

で、俺は死刑廃止を主張してるんだけど、刑法第6条(犯罪後の法律によって刑の変更があったときは、その軽いものによる。)によって、死刑が廃止されたら、死刑囚は無期懲役じゃないのかな〜

DT | 2008年06月15日 05:44

>「司法がまともでなくとも、社会は動いて行かなくちゃならない。デタラメな司法でも、裁判はやるしかない。」って言いたいのか。

わかってんじゃん。そう思わないの?

司法がまともじゃないから裁判はしないって言いたいの?

現状では立法、行政、裁判それぞれまともとは言いがたいんだから全部廃止かな?

無法地帯を望む無政府主義者ですか?

不完全でもなくすわけにはいかないでしょ?必要なものは必要なんだから。こんな出鱈目を言っているやつが人に完全無欠を求める資格があるの?

>でも、司法の制度が、捜査手続きの適正化や透明化していない以上、絶対に死刑制度はあるべきではない。

>その他の刑罰だって、まともな司法制度の下で行われるべきなのは、当然だが、死刑よりは遙かにましだろう。

上のコメントは麻原や宅間に関してもってことだよな。つまり今の死刑囚の判決はすべて無効だ、と言っているのか?

それなら現在ム所に入っている人間の判決はすべて無効といわなきゃならないと思うけど死刑だけじゃないよな?

命も取り返しがつかないように時間だって取り返しがつかない。とくに20〜30台を冤罪で棒に振った人間に取り返しがつくなどということはありえないもんな。

だったら無罪判決になった人間の裁判も過去に遡ってやり直しだな。

理念だけでモノを言うな。

お前に言いたいことはそれだけだ。

復讐者 | 2008年06月15日 02:46

なかなかネットをやる時間がなくて、久しぶりに見たのだが、まだまだ伸びているので、ちょっと驚いた。
時間もないので少しだけ、ゴニョゴニョする。

復讐者

「常識に根ざした死刑廃止論を!」

「常識」ってなんだよ。
自分好みの判断基準てことだろ。
付き合ってられないが、こんなに言われっぱなしは、頭に来る。

まともな司法でないのに、死刑制度ああるのはいけないって考え方にまともに反論なり、考えを言ってみろ。
「じゃ、なんにもできないね。ふーん。
DTはごちゃごちゃ言ってないでオウムの麻原の死刑判決は間違っている、宅間の死刑は間違っているとはっきり言えよ。司法はまともじゃないんだろ?

何これ、ぜんぜん意味不明。
安田弁護士の主張を信じるなら、「麻原の死刑判決」は、間違ってる。と言える。
「宅間の死刑」については、俺は知らないので、何も言えない。
個々の事件における捜査は適正だったか、裁判はまともか、それぞれの裁判ごとに判断すべきだろう。
でも、司法の制度が、捜査手続きの適正化や透明化していない以上、絶対に死刑制度はあるべきではない。

その他の刑罰だって、まともな司法制度の下で行われるべきなのは、当然だが、死刑よりは遙かにましだろう。

お前の俺の主張に対して言いたいことはないんだ。
「司法がまともでなくとも、社会は動いて行かなくちゃならない。デタラメな司法でも、裁判はやるしかない。」って言いたいのか。
もしそうなら、お前なんか、冤罪で死刑にされろ。

DT | 2008年06月15日 01:17

僕がこのスレを通して言いたかったことは

常識に根ざした死刑廃止論を!

ということです。

理論から演繹された死刑廃止論には反対。
常識から弁証された死刑廃止論には賛成(見たことないけど・・)。

誰かがんばってこの理論を打ち立ててほしい。んで死刑がない社会を作ってください。

ま、マル激に秋葉のやつもUPされたようだし・・見てみますかね。

復讐者 | 2008年06月14日 19:30

なかなかの名文だと思ったんだけど・・・(苦笑)
ちんぽこ思考って何なのかしら?

> 死刑が廃止されることにはなにも反対じゃないから。
> やらなくてすむならやらないに越したことはないからね。
> そういう社会がくればいいね、と。
> 復讐者 | 2008年06月14日 15:45

素晴らしい転向じゃないですか!!
うしろめたいことを誰もが抱えているという前提を
共有した二枚腰のやさしさに辿り着かれんことを祈ります。

沈思黙考 | 2008年06月14日 18:03

沈黙思考のコメントにはあきれる・・

あなたってあれでしょ?
>私的復讐は、個人的了見に属することだと、復讐者くんにコメントしたけど、
>殺人を国家に代行してもらう必要が、どーしてあるのだろう?
とか書いた人でしょ?

刑法の成り立ちすら否定するようなちんぽこ思考に付き合っている暇はないと思いあなたのコメントすら見てなかったよ。

>自分の考えとは異なる足場に立ってみること

ま、がんばってみますよ。

死刑が廃止されることにはなにも反対じゃないから。やらなくてすむならやらないに越したことはないからね。

そういう社会がくればいいね、と。

マル激さんには共産主義のようないつか来た道にはまらないように死刑廃止論を常識に根ざした形でハンドリングしてもらえるよう期待したいです。

復讐者 | 2008年06月14日 15:45

復讐者くん、一通りあなたのコメント読ませてもらったけど、
死刑存続を謳う割りには、
> 人は人!自分は自分!
> 復讐者 | 2008年06月10日 19:36
って、述べているように、独りよがりなだけで、他者を説得してる様には見えないね。
なんでコメントしてるの? 情動かな?
宮台真司先生の仰る "感情のフック" に相当する単語(=フェラチオ、生首)で、
精神的タフさを見せびらかしてるのかな?

死刑廃止を謳う側の誰が、
> 死刑はいまも見世物
> このような人間の心の闇
> 復讐者 | 2008年06月14日 00:45
という人間の側面を否定したって言うのかな? 死刑廃止側の誰も否定しないと思うよ。
年上好みの私だって、美しい人妻を見たら・・・止めておきます(笑)。

共産主義の顛末については、あなたの苦手なインテリ層が、
あなた以上に咀嚼しているんじゃないの? 例えば、小室直樹著『ソビエト帝国の崩壊』。
> 理性で感情や心の闇を抑えられる、といった浅はかな合理主義
> 復讐者 | 2008年06月14日 00:45
復讐者くんのこうした思考は、合理的なものでしょ?
二枚腰の合理主義を捨てるのは、勿体無いよね?

> 社会が正常に運営されるために社会は毒を欲します。
公安警察なる毒を以って毒を制す治安維持活動が無くなるなんて誰も思ってないよ。
社会秩序を維持していく上で、"毒" って確かに必要だけど、
死刑という毒が不可欠だとは、僕は思わないなあ。
何故かって?
> いままでの日本の社会がいかに被害者に冷淡だったか
> 死刑が犯罪抑止に効果がないのなら廃止したって
> 犯罪抑止に効果がないのは自明の理。
> 復讐者 | 2008年06月13日 03:47
死刑をあえて続けても、被害者の救済というよりも、
fotosintesi さんも述べているように、残された者の思い込みばかりで、虚しいからです。

> 僕らがこれからどうすればいいのか迷ったとき参照するものは
> その時代の価値観だけでなく
> 歴史の淘汰を経たものとしての常識しかないと考えている
> 歴史がある制度なんですから死刑制度が語りかけるものには重みを感じる
> 復讐者 | 2008年06月11日 00:52
> 相反する常識のバランスをとる方法もまた常識の中にあり、です。
> 復讐者 | 2008年06月10日 19:36
基本的には、思いつきや情動で動くタイプだろうに、
こんな不釣合いなセリフを吐くから、からかってしまいたくなります。
復讐者くんの思考って、ホントに、
> 歴史の淘汰を経たものとしての常識
> 復讐者 | 2008年06月10日 19:36
に則ったものなのかい? はっきり言って、そんな奴は、どこにもいねーよ!!
歴史的試練を経た柔軟な思考ってのは、誰にとっても努力目標でしかありません。
今生きている足場から逃れられる奴なんか、どこにもいないってことです。
復讐者くんの足場って、
> 彼らはどんな境遇におかれていようがやったことがあまりに酷すぎる。
> 私の常識は死刑しかない、と判断します。
> 復讐者 | 2008年06月09日 03:50
というもので、自分の足場に合った思考だけしか受け付けてこなかったんじゃないの?
精神的にタフってのは、"感情のフック" を操ることじゃなく、
自分の考えとは異なる足場に立ってみることじゃないのかな?

> おっしゃりたいことが全然わかりません。
> 復讐者 | 2008年06月09日 03:50
あなたのコメントの "全然" って部分に、
自分の足場からちっとも自由になれない姿が透けて見えるんだよね。

> 包括的で厚みのある社会に向かっていくために
> なぜ死刑が妨げになるのか説明して。
> 逆に死刑を廃止したらなぜ包括的で厚みのある社会になるの?
> もし死刑廃止国家は命にやさしい国家だから、
> なんていう単なる似非ヒューマニズムで言ってるんなら・・
> 復讐者 | 2008年06月11日 16:55
監視カメラに囲まれた社会って、少なからぬ人々が息苦しいと感じているはずです。
ATMとか、防犯上、必要な場所って確かにあると思いますが、
コンビニから外に向けたタイプのものとか、行き過ぎたものが多いように思います。
後ろめたいことがないなら・・・って、交通警察のネズミ取り的発想こそ、
> 浅はかな合理主義
> 復讐者 | 2008年06月14日 00:45
に他なりません。何故かって? こうした思考こそ、
> 共産主義の形をもって本当の闇と地獄をもたらした
> 復讐者 | 2008年06月14日 00:45
からです。

長々と述べて参りましたが、大好きだった須原一秀先生の著書
『〈現代の全体〉をとらえる一番大きくて簡単な枠組』からの引用で終ります。
「理想主義(=後ろめたいことなどどこにもない=共産主義)の結末の悲惨を経験し・・・
苛立ちを抑制する術を身に付けた振舞い」が求められているのは、
復讐者くん・・・あなたです。
「真理と正義に関する一貫した理論(=哲学)が成り立たないので、
あらゆる状況に通用する原理・原則はなく、状況にあわせて判断しなければならない」
個別的ゆえ、真理・正義が認められる私的領域・・・
  復讐者くんの独壇場。復讐が達せられんことを祈ります。
非真理・不正義に関して合意可能である公的領域・・・
  "命にやさしい国家" 歴史的試練を経た二枚腰のやさしさです。
二重基準が真っ当ってことで、結論です。
「犯罪と利己主義のはびこる自由主義的民主主義国家の方が、
 清潔な共同体的理想主義国家よりも、良いのだ」

沈思黙考 | 2008年06月14日 03:54

自分の大切な家族が殺されたら、相手を殺したいと思う。
ただ、その前提は、ここでは保留しておきたい。なぜなら私も、そしてほとんどの人も、自分や自分の大切な家族を殺された経験はないのだから、死刑問題を考えるとき、自分を被害者や遺族に置き換えて考えてみるという作業は実はかなり困難であやしい作業だからだ。
だから結果的に、私たちが本当に想定しているのは自分や自分の家族がひどい目に遭ったら、どうしたいかという日常的で直感的な感情に置き換えられたものじゃないだろうか。つまり何かをされたら復讐したい、自分が味わった苦しみと同じ苦しみを相手に味あわせたいという価値観で生きているか、できることならそういう人間とは二度と関わり合いを持ちたくない、復讐には興味がないという価値観を持って生きているか。それぞれの亜系もあろうが、私はどちらかといえば、後者の価値観を持って生きてきたし、これまでの人生もそうしてきた。くだらない奴にこれ以上のエネルギーを費やすよりも、別のもっと楽しいことにエネルギーを傾けたいと思っているから。なかには関係を修復したいと考える奇特な人だっているかもしれない。
もちろん、これは殺人に対する死刑の問題とは次元の違うはなしだ。しかし、当事者以外の我々第三者は、どうしたってこの問題を、具体的には、次元の違う問題としてしか考えたり、判断することはできない。だからそうした根本的な価値観をベースに死刑反対、死刑賛成それぞれいろんな理屈をあとからつけているだけで、本当は直感的な判断をしているだけなのだと思う。そうしたとき、日本人の多くの価値観が、関係遮断ベースや修復ベースではなく、復讐ベースなんだなあとある種の感慨を持ってしまう。
ところで、殺されなかった被害者の場合、被害者本人の応報感情よりも、被害者家族の応報感情の方が強いケースが多々あるような気がする。殺された人に尋ねるわけにはいかないけど、やはり当事者よりも家族の方がより応報感情に傾きやすい傾向がいろんな要因であるんじゃないだろうか。統計データがある訳じゃないけど。

fotosintesi | 2008年06月14日 03:33

もうそろそろお開きっぽい雰囲気も出てきたので最後に。

宮崎哲也氏が死刑はもともと「見世物」であったといい、現在死刑が廃止されているフランスにて

「処刑は午後4時にグレーヴ広場で行われた。まさに人の海といってよい大群衆が朝から待っていた。屋根の上にまで人々がいた貴族たちは金貨40ルイを支払ってまで二階と三階の部屋を駆りきった。」

「ダミアンが叫び声を上げているあいだ、女たちは金持ちの貴族にフェラチオをしていた」

様子を伝え、人々は明らかに死刑を楽しんだ様子を伝えています。

そして現代でも小説、ドラマでも題材になり、インターネットで香田さんの生首写真やフセインの処刑動画が全世界でとてつもない数がダウンロードされている様から死刑はいまも見世物にほかならず

「強烈な感情の高ぶりを味わいたい」
「残酷な光景が生み出す恐怖の身震いを感じたい」

と欲する人々から暗黙の支持を受けている、と述べています。

このような人間の心の闇を否定するのはたやすいかもしれませんが理性で感情や心の闇を抑えられる、といった浅はかな合理主義が共産主義の形をもって本当の闇と地獄をもたらしたことを忘れないようにしなければいけないと思います。

社会が正常に運営されるために社会は毒を欲します。人の心もそうです。

それを飲み込んだ上で生きていかなければならないのであってどうしても死刑廃止論は上記の事柄を無視した空論にしか思えませんというのが僕の意見です。

んでは。

復讐者 | 2008年06月14日 00:45

今回、このコメント欄で有意義な“思考ゲーム”を楽しめました。
結果、私もyosさんの項目立てにほぼ賛同しますが、「冤罪をなくす」
という部分は単純に「基本的人権の尊重」で事足りるのではないかと思います。

EN | 2008年06月13日 20:44

刑罰の目的、1)社会的意思の貫徹、2)感情的回復、3)抑止効果、のそれぞれにおいて、死刑で「なければならないというわけではない」ということはよく理解できました。
個人的には、「冤罪をなくす」の一点で、死刑制度は廃止してもいいと考えています。
しかし、たくさんの人が書かれているようですが、存置派と議論するときに「死刑でなければならないというわけではない」という程度で説得することは難しそうです。

*死刑の可視化
*死刑の害を実際的に被る-冤罪の死刑が実際に明らかになるとか、先進国籍の人が死刑判決を受けてその国から圧力を受けるとか
のいずれかで考えを変える人は確かに多くいそうです。

あとは、番組で仰っている通り、政治が引っ張るというシナリオにも期待したい。

yos | 2008年06月13日 17:49

こんなところで仲村トオル(弁護士役)の映像を見られるとは思わなかったw
マル激「芸能ニュース・ドットコム」の要素も多少あるのかww

久しぶりにワロタw | 2008年06月13日 04:54

若者の犯罪もほとんどないし、世界一の治安の良さを享受できる天国。ときどき凄惨極まりない凶悪事件も起こるけど、それはごく稀な例外中の例外。なんでこんなに平和で安全なのかなー?世界の珍種とさえいえる。問題があるとすれば、せいぜい自動車事故の多さとか自殺率の高さだろうか。死刑制度の議論もある程度は重要だろうけど、自分で自分を「死刑」してしまう人間の数の方が遙かに多いから、それを何とかする方がもっと重要な気もする。それにしても、死刑って、社会学でも法学でも哲学でもどの学問分野でも超マイナーじゃね?ww「あんなもの学問ですかね?」呼ばわりされそうだなwww キモいだけでしょwwwwwww

極楽 | 2008年06月13日 04:22

そもそも近代刑法で一番ないがしろにされていたのは誰だったか。被害者ではなかったでしょうか。

加害者が少年であったというだけで罪にも問われない。

加害者が精神障害であったら殺された人間は無罪であり、事件自体が「なかったこと」になってしまう。

加害者はシャバでゆうゆうと行き続け、遺族はその後の人生をずっと奪われ続けたままになっている。

いままでの日本の社会がいかに被害者に冷淡だったかみなさん忘れているのではないでしょうか。

国(検察)と被告人が争う刑事裁判の場では被害者は当事者としての立場を失った。

加害者側のみに立ってきた人の心の闇を無視する平板な合理主義者(死刑廃止論者に代表される)は世間から完全に信用を失った。

80%という数字は明らかにこういった人たちへの反動です。

包摂的な社会がなくなったからとかマスコミの情報操作だとかよりも80%っていう数字はこういう意味であると捉える。

さらに言えば麻原や宅間や加藤のような人間は死刑廃止にかかわりなく必ず10年に1回は出てくるものだ。

死刑が犯罪抑止に効果がないのなら廃止したって犯罪抑止に効果がないのは自明の理。

近代刑法の歪みを是正し、被害者の(当たり前、かつ最低限の)権利を取り戻す方が先である、と考える。

少年法も改正され世の中は厳罰化に走っているというけれど僕はバランスが取れてきたなあという風に見ている。悪いことしたらちゃんと相応に罰してくれるんだな、と。

こっちのが社会に「いい循環」が来る気がするんだけど。

復讐者 | 2008年06月13日 03:47

名無し草さん
そんな問題があるんですね。フランスでのイスラム問題など知りませんでした。
少し誤解を与えてしまったかもしれません。
僕はたかだか昨日今日死刑について関心を持ってそれについて調べただけの「田吾作」ですので、
言ってることが必ずしもバランスのとれたものではないと思います。
それだけに名無し草さんのようなご指摘はあってしかるべきだし、よろこぶべきでしょう。

まずフランスのことが詳しいわけではなく、死刑について参考になるから参照しただけです。
社会的包摂性があるないも、「フランスには社会的包摂性があるんだ!」と言いたいというより、
そういう論点があることを示したかったんですね。

今まで僕が持ってきてた論理は理念ですよね。
これはまず死刑廃止の合理的理由を知ってる人はいるんだろうかと思ったからです。(僕も知らなかった)
まずこれを理解しないことには議論は平行線のままですよね。
確かに信念を言ってるだけなんですが、まずそれが優先順位として一番足りないと思ったからです。

よってフランスや欧州各国でどんな問題が起こっているか、なぜアメリカは州によって死刑の有無があるのか。
日本という社会でどういう影響をもたらすものなのか。
考える土壌を得たうえでそれらの議論を経ていかなければならないだろうと。

ただそういう色々な問題を抱えているフランスも死刑を廃止している。
世論も死刑廃止前は廃止派3割だったのが今は5割強ある。
でも!やっぱりこんな弊害が起こってるんだぜ・・・。
・・・などなど色んな情報をもとに考えていかなければならないんだろうなと思います。

>しかし、これも前に言ったことですが、被害者にはなっても絶対に殺人者に
>ならないような人が、殺人者相手の処罰を考えたって、意味あるのですか?
>立派な人が考えているほど殺人者は決して良くならないですよ。
>改悛も禁煙と同じで、彼らは何度でもするのです。
それは男は女について考えたって意味がないというのと同じ意見ですか?
まず僕が言いたいのは改悛させるさせない以前に、「殺していい」とするのはかえって危険なんじゃないか、ということです。
改悛できるかできないかは、基本的にこちらが期待することじゃないかなと思います。
ただし「改悛を促す努力」はやめないようにしようよ、ということですね。

あと死刑廃止するなら同時に被害者のための賠償制度など、
感情的回復のための機能代替的な措置が必要でしょう。
こういったことや死刑廃止のデメリット部分について、きちんと議論がなされない状態でもし死刑廃止が決まったとしたら、それもまた危険なことだと思います。

チェルケン | 2008年06月13日 01:17

名無し草さん

私の言葉はあなたには届かないのかもしれないが、それでもやはり書いておきたい。

私は、この世界には「被害者にはなっても絶対に殺人者にならないような人」も、「生まれついての殺人鬼」もいないと思います。私は宅間や加藤の気持ちが(すべてではないにせよ)わかるような気がします。酒鬼薔薇の言葉に、驚くほど多くの小中学生たちが共鳴したことを覚えておいででしょうか。誰の心の中にも宅間や加藤や酒鬼薔薇がいるのです。

どうしてあなたの言葉は、こんなにも不信と絶望に塗り込められているのか。世界を不信と絶望で塗り込めること。それは、まさに宅間が望んでいたことだと思うのです。

windmill | 2008年06月13日 00:41

> リスクの計算式だけでも教えてくれませんか?
> 出来たら、計算結果も。
> 名無し草 | 2008年06月12日 13:47

本気で訊いてるのかしら?
冤罪の可能性 > 0 以上です。
名無し草さんって、案外、素朴なのかな?
もっとコミュニケーション擦れした御仁なんだろうと思ってたんですが・・・

> 私的復讐権の行使にあたっては、裁判所の許可証が必要でしょう。
> 名無し草 | 2008年06月12日 13:47

どうも誤解されているようで・・・
素朴な方だと想定した上で、コメントしてみます。
私に言わせれば、国家のお墨付きをもらった仇討ちは、
公的活動であり、広義の死刑になるんですよ。
これまでのコメントに際して、私が想定していたのは、
殺人、仇討ちといったいわゆる、
人が人を殺すこと一切を認めないという国家権力の在り方なんですよ。
死刑制度に反対しておいて、お上公認の仇討ちを認めるなどと、
手間が増えるだけの制度に与するはずもない・・・と、
汲み取っていただきたかったんですがね。
私が想定していた私的復讐とは、事後、逮捕拘留されることを前提としたものです。
人が人を殺すことを認めない国家権力の下でも、
万難を排して、私的復讐に臨む方も必ずいます。
それを止めることは、取りあえず、難しいだろう。
その顛末は、国民全体で抱えていこうと述べていた訳です。

> いろいろ解釈の分かれるようなことを根拠に・・・
> 名無し草 | 2008年06月12日 23:29

余計なお世話を焼いてコメントしますが、あらゆる根拠、
すべからく単一の解釈などありえません。

> 立派な人が考えているほど殺人者は決して良くならないですよ。
> 改悛も禁煙と同じで、彼らは何度でもするのです。
> 名無し草 | 2008年06月12日 23:29

一面の真理を突いていると思います。
猿渡哲也のマンガ『あばれブン屋』なんてその手のお話が目白押しですよね。
いわゆる兇悪な殺人者を死刑に処すとして、
兇悪でない殺人者との境界を引くのか(∋ 名無し草さん?)、
引かないのかってことでしょ。
冤罪を考慮すると、私は引けない、と申しているのです。
引けない以上、死刑には反対ってことです。

冤罪を特別視する理由は、死に対する回復不可能性を考慮してのことです。
有期刑にしたところで、事実上、受刑者の人生を棒に振らせるという意味では、
同じことで、死を特別視するのはおかしいのかもしれません。
先頃読んだ須原一秀著『自死という生き方』に感化されたものでしょうか・・・
死を特別視することに多少の違和を覚えてもおります。
それでも、有期刑と死刑の回復不可能性の違いには、
あえて、境界を設けた・・・というのが私の顛末です。

沈思黙考 | 2008年06月13日 00:29

チェルケンさん
あなたのお話が首尾一貫していることは認めますが、フランスを理想化するのはやめてくださいよ。
そんなに立派な国で、どうして暴動が起きるのです?
失業率が今はどのくらいですか?
暴動の頃は若者に関して言えば、10〜20%の間でしょう。
これのどこに社会的包摂性が生きているというのです。
パリ・コミューンなどデタラメを持ち出さないでくださいね。
二度の暴動で、確か最初はイスラム系の移民の不満が爆発したもの、二度目は若者の就労問題での不満が爆発したものでしたよね。
この二度の暴動で、人口統計にも十分入っていないようなイスラム系の若者と一応正規の(変な言い方だが)フランス人の若者との間に、連帯がありましたか?
一緒に暴動しましたか?
チャドル問題とか予言者を揶揄する漫画で引き起こした表現の自由の問題とか、そういうのもみんな含めて、あなたがおっしゃっていることが成り立っているというのですか?
私は信じられませんね。
イスラム系の不法移民の子弟に話を聞かなければ、何とも言えません。
あなたのお話は、前提を一つ崩せば、全て崩れるというものでもないですが、いろいろ解釈の分かれるようなことを根拠にご自分の立派な信念を述べておられるだけじゃないですか?
しかし、これも前に言ったことですが、被害者にはなっても絶対に殺人者にならないような人が、殺人者相手の処罰を考えたって、意味あるのですか?
立派な人が考えているほど殺人者は決して良くならないですよ。
改悛も禁煙と同じで、彼らは何度でもするのです。

名無し草 | 2008年06月12日 23:29

>takumiさん
こんにちは!

>・死刑反対論者の方に
>宅間にたいして、たとえば更正員制度のようなものができた場合、
>彼を自宅に住まわせ、彼との生活・対話のなかで、
>悔い改めるように導くような行いを私(やあなた)はできるのだろうか?
>結局、知らないだれか(国家)がやってくれるから、
>死刑に反対できるのではないか?
確かに少なくとも僕はその状況は嫌だと思うでしょうね。
たとえば殺人死体の司法解剖をするべきだ、といっても絶対に自分ではやりたくないと言う。
自分のことは棚にあげてしまわないと、何も言えなくなってしまう。
だから「自分のことは棚においているけれど」と「自覚して」いることは重要かもしれません。
僕らにはそれぐらいしかできない。
その分当事者の意見は貴重だし、体験したことに真摯に耳を傾けなければならないとも思います。

ただそれで非当事者が何も言っちゃいけないわけじゃない。
死刑は法律だから、我々は意見を言う権利があります。
当事者じゃない、関係ないからと考えるのを放棄してしまうのがいいとは思えません。
それに、いつだって当事者になる可能性はある。
takumiさんが仰るように一人称で考えることは大切でしょうね。
結局色んな視点で考えて見なければ答えはでないし、答えられるべきではないのでしょうが、
まず自分の実際の立場や位置をしっかり認識することですね。

そういう意味で
>自分が手を汚さないから安心してどちらかを主張できるのであれば、
>そういう意味では両者はコインの裏表みたいなもので、似たもの同士かもしれませんね。
これもその通りでしょう。双方立場としては同じ土俵にいますからね。
別に敵同士ではないし、そう思うべきでもないと思いますよ。

>windmillさん
どうも!紹介が役立ったようで嬉しい限りです(^^)

チェルケン | 2008年06月12日 23:28

チェルケンさん

バダンテール演説読みました。

考えてみれば当たり前のことですが、これだけあらゆる論点がすでに尽くされているのですね。

自分の考えていたことが、こんなにも多くの人々によって、すでに同じように考えられていたのだ、と何だかとても安心しました。

一時的な反動はあるのかもしれませんが、間違いなくこの国とこの社会はこの方向へと進んでゆくに違いない、と感じました。

windmill | 2008年06月12日 23:17

>宅間にたいして、たとえば更正員制度のようなものができた場合、彼を自宅に住まわせ、彼との生活・対話のなかで、悔い改めるように導くような行いを私(やあなた)はできるのだろうか?

この設問はちょっと卑怯ですね。別に誰も凶悪犯を野に放て、といっているわけではありませんから。「宅間が収監されている刑務所の刑務官だったらどうか」という設問であれば、問題ないと答える人は多数いるでしょう。

匿名 | 2008年06月12日 22:33

繰り返しになりますが、死刑賛成・反対にしろ、非当事者であることを自覚するために、宅間守を例にあえて極端なこと書いてみます。

・死刑反対論者の方に
宅間にたいして、たとえば更正員制度のようなものができた場合、彼を自宅に住まわせ、彼との生活・対話のなかで、悔い改めるように導くような行いを私(やあなた)はできるのだろうか?
結局、知らないだれか(国家)がやってくれるから、死刑に反対できるのではないか?
 
・死刑賛成論者の方に
宅間にたいして、たとえば執行員制度のようなものができた場合、死刑執行時に吊られて痙攣している彼を押さえ続ける「ささえ役」を、私(やあなた)はできるのだろうか?
結局、知らないだれか(国家)がやってくれるから、死刑に賛成できるのではないか?

自分が手を汚さないから安心してどちらかを主張できるのであれば、そういう意味では両者はコインの裏表みたいなもので、似たもの同士かもしれませんね。
やはり、まずは非当事者であることの自覚と一人称で考える事が大事なのだとつくづく思います。これは制度論うんぬん以前の、基本的認識・態度の問題だと思いますが、私自身の思考はまだこのレベルです。
ただ、その認識の上に則った反対・賛成や制度論でないと、「死刑」という言葉が、漠然とイメージだけで独り歩きしてしまう気がするのです。

takumi | 2008年06月12日 21:39

名無し草さん
まともと言われてほっとしました(笑)

>しかし、人間で「汝の敵を愛せよ」と他の人間に要求できるのは聖職者だけと思います。
>そういう宗教的倫理観で法律を作っていたら、神聖政治になってしまいますよ。
あまり宗教の話にするべきではなかったかもしれません。ただ僕が言ったのはあくまで宗教的背景の話で、それすなわち宗教的倫理観で法律を作るにはあたらないと思います。
というか、「道徳」でしょうね。
日本にも道徳はあります。道徳のない国家はあるでしょうか。死刑をやめることで道徳は傷つきますか?
確かに過剰に「善」を押し付けるようなことになるのかもしれません。というかこれは必ずしも「善」だと言えることばかりではないかもしれない。被害者は「死刑にしろ」と言うかもしれません。
しかし被害者に加害者を殺すような権利を与えていいのか?または殺人者は合法的に殺していいとしてしまっていいのか?

死刑制度は刑法だけでなく社会全体の問題として捉えるべきです。
仮に死刑がなくなったとして、ここの動画で宮台氏が言う「循環」の視点で考えるとどうでしょうか。
フランスでは「自由、平等、友愛」が市民に生きており、社会的包摂性も生きているから死刑廃止も成り立った。
日本にはそれに代わるものがない。社会的包摂性はもはやない。若者が未来に抱く不安は更に広がっている。その中で死刑支持の世論が高まっていて、それで「循環」が成り立っているのだとしたら。
これは悪い「循環」だ。このままではよき「循環」が流れない。
ようするに死刑がこの社会の閉塞感を表現してしまっている。
ならば死刑をなくすことで、その閉塞感をやわらげる表現になるのではないか。
そうすると、死刑を廃止することで、よき「循環」を生む発端になることがあり得るんじゃないでしょうか。

さらに冤罪の問題、執行人のコスト、それから世界的な流れ・・・死刑があることのデメリットは死刑がないことのデメリットを超えているんじゃないかと、どうしても思うのです。

>しかし、これは前にも書きましたが、EUにしても、
>たちまちイスラム教徒が増えれば、また事情は違ってくると思いますよ。
その根拠は?なぜイスラム教徒が増えると事情が違ってくるのでしょう?
仮に(偏見というかステレオタイプだと思いますが)テロリストが増えるということを仰っているのであれば、
確かに世論は死刑復活の声が高まると思いますが、バダンテール(フランスの死刑廃止当時の法務大臣)は「テロリストを死刑にすれば殉教者となり聖戦を加速させることになる」と言っています。
これはなかなか的を射ているのではないでしょうか?

チェルケン | 2008年06月12日 21:13

チェルケンさん
あなたのご意見は一番まともです。
EU諸国の話も大体そうでしょう。
しかし、これは前にも書きましたが、EUにしても、たちまちイスラム教徒が増えれば、また事情は違ってくると思いますよ。
「社会が後退する」云々は、あなたがキリスト教徒かどうかは知りませんが、キリスト教徒の思い上がりでしょう。
仏教だって、お釈迦さんも彼の一族郎党は皆殺しにされたわけですが、「目には目を」なんて事は言わないですよ。
死刑存続派だって、復讐が立派な事だと思う人ばかりではないです。
しかし、人間で「汝の敵を愛せよ」と他の人間に要求できるのは聖職者だけと思います。
そういう宗教的倫理観で法律を作っていたら、神聖政治になってしまいますよ。
それこそ、「社会の後退」というのではないですか?

名無し草 | 2008年06月12日 19:24

>windmillさん
windmillさんの仰りたいことわかります。
ようするに悪い「循環」が起こっていると。

>ジャック・H さん
じゃあここで、もしくは御自分の周りで本質的な次元の死刑の話をしましょう。周りが加熱することによって彼らにも影響が起こることがありえます。

僕は、今回のマル激の話は意味のあることだったと思います。
ただ無知識な我々が観てすぐに納得できるような話になってないですよね。議論が先に行っている。飛ばしちゃってることがある。だから話がすりかえられてるように感じる。
「なぜ死刑がいけないのか」そこについて納得できるような話の内容がない。「なぜ日本人は死刑が好きなのか」は、まず「なぜ死刑がいけないのか」が理解できないからです。

さて、いろいろ調べた上で死刑廃止論の有益な情報を見つけました。
主に「死刑 フランス」と検索して見つけたものです。大分わかったような気になれました。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
『また先日の新聞の記事ですが、フランスで10歳の女の子が殺された事件で、以前から死刑廃止の気持ちを持っていた女の子の父親が、「まだ死刑に反対ですか?」という記者からの質問に、「もちろんそうです」と答えています。フランスは死刑を廃止していますが、事件が起きると死刑復活の動きが出る。その中での発言です。
 さらに、「なぜ死刑に反対なのか?」という記者からの質問に対して、「娘は優しい子でした。“死”という重すぎる犠牲をはらった結果が、さらにもう一つの“死”だとしたら娘のためにも受け入れがたい。以前なら死刑になっている若者(犯人)が仮釈放なしの30年という判決で生きていく。私はフランスが死刑を廃止したことに感謝したい」と答えていました。すばらしいと感じました。』
http://homepage2.nifty.com/shihai/index.html
白柳誠一さんのページから

『日本がすでに死刑廃止国であれば、彼(本村洋さん)は公正な裁きを求めつつも、最終的な埋め合わせが不可能であることを知り、新たな人生を歩んでいたものと思います。そのことは、亡くなった方自身も望んでおられたことではないでしょうか。本村さんは、ご家族を失っただけではなく、その後の幸せもまた失わざるを得なかった。その上、死刑存置論者たちは、本村さんを神格化するあまり、生身の人間としての彼が新たな人生を歩むことを妨害する結果になったかもしれません。』
ネット上での光市の事件を例に出した意見。

『犠牲者の親族や近親者が罪人の死を望むことは傷ついた人間の自然な反応であり、私はそれを理解いたしますし、それを考えもいたします。しかし、それは人間の自然な反応なのです。一方、司法のあらゆる歴史的進歩は、個人的報復を乗り越えることでありました。まず同等報復刑法を拒否するのでなければ、どうして個人的報復を乗り越えられるでありましょうか。
罪人が死ぬことこそが正義の要求するところであり、それなしには社会の中の不安と激情は鎮められないという死刑賛成派の主張は、死をもって死に対置する同等報復刑法にすぎない。しかし、歴史は個人的報復を否定してきた。』
http://kihachin.net/tips/badinter.html
フランスで死刑廃止を審議したときにおけるロベール・バダンテール法務大臣の演説。必読
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑

他にも冤罪、テロリストに対しては死刑は英雄を作ることになる、犯罪抑止力はない、執行人のコストなど実際的な問題が多々あるようです。そして事実世界的に死刑はなくなっていく傾向にある。

 名無し草さんと沈黙思考さんの議論に一言
「死には死を」を否定することが社会の前進を意味するのだとしたら、
「私的復讐権」を認めるというのは社会の後退を意味すると思います。
それはもしかしたらどこかで「報復戦争」を認めること(自国が絡んだ場合だけじゃなく)テロリズムを刺激することに繋がるのではないでしょうか?
だとしたら「国家として」これを認めることはできません。

>「目には目を」これが原点です。
> 私的復讐権があるなら別に国家権力など当てにしませんよ。
「目には目を」「私的復讐権(個人的報復)」EU諸国はこの考え方を超えることが出来たといえます。
キリスト教的な「悪に対しては善で報いよ、悪には善で勝て」という許しと愛の思想が生きているからでしょうか。
果たして無宗教の日本がそれと同等の価値観を得られるのか。
いずれにせよ、この原点から進歩し、これを否定しないといけないということだと思いました。

チェルケン | 2008年06月12日 15:24

沈思黙考さん
ハンドルネームどおり、沈思黙考でやってくださいよ。
冷静に。

>私が言いたいのは、冤罪の可能性と比較考量してみると、死刑制度はリスクが高い、

とおっしゃいますが、そのリスクの計算式だけでも教えてくれませんか?
出来たら、計算結果も。

>死刑を廃止したとして、それでも殺したいなら、個人的にやれば・・・ってことです。

当然でしょう。
ただし、私的復讐権が認められたとして、やはり「冤罪」の可能性はあるわけで、個人的には出来ないですね。
やっぱり、ことの性質上、私的復讐権の行使にあたっては、裁判所の許可証が必要でしょう。
権利者かどうかの確認とか、委任状とか、復讐の手段が適正かとか、許可内容の表示とか、許可以上の復讐をした場合の罰則とか、いろいろ細々した問題が考えられます。

名無し草 | 2008年06月12日 13:47

> 私的復讐権を国家が国民から剥奪しているがために、
> 死刑制度があるわけですよ。
> 私的復讐権があるなら別に国家権力など当てにしませんよ。
> 名無し草 | 2008年06月12日 10:30

こんな当たり前の講釈、なんで書いてるの?
仇討ちが御法度なことぐらい、子供でも知ってます。
個人的了見ってどういうことか、わかんないの?

> わが身や家族等に降りかかる災厄を考慮しても尚、
> 個別具体的に人を殺したいのなら、
> ご自身で・・・という可能性はゼロじゃないってことです。
> 沈思黙考 | 2008年06月09日 03:28

って書いてるでしょ。
私が言いたいのは、冤罪の可能性と比較考量してみると、
死刑制度はリスクが高い、死刑を廃止したとして、
それでも殺したいなら、個人的にやれば・・・ってことです。

> 「死刑制度」というのは、
> 基本的には政治学とか法律学とかの観点から考察すべき問題と思います。
> 名無し草 | 2008年06月12日 10:30

なんて書いてるけど、政治学や法律学といった観点からの評価は、それはそれ・・・
マル激って、そんな番組なの? そう言えば、

http://www.videonews.com/on-demand/341350/001192.php#com
> 読者は神保氏の見解を基準としている。
> horowitz | 2008年01月26日 16:03

なーんて、妙な枠をはめたがる輩もいたけど、
私は、視聴者が自分の書きたいことを書けばいいのだ、と単純に思います。

http://www.jimbo.tv/videonews/000417.php#c1245
> コラ黙考よ!。出て来い!。
> なぜ引篭もっている?。変な具合にけつまづかされたのか?。
> beat & NSX  February 4, 2008

なんてセリフ・・・ 読み方次第で、とても愉快になるんじゃないの?
これが、一流企業(ハンドルネームから推測するに、多分、本田技研工業)で、
時代の先端を行く環境部門に務める30代、働き盛りのオトコのセリフなんだよ・・・
議論で勝てないから、壊れちゃったみたいだけどね。

人を批判するんだったら、自分もズラされることぐらい、覚悟の上です。
妙な枠をはめて、議論を制限するのは、止めた方がいいんじゃないの?
了見の狭さを告白してるようなもんです。
神保さん等、実名の方々とは違って、私等所詮、匿名なんですから・・・

沈思黙考 | 2008年06月12日 12:25

沈思黙考さん
>殺人を国家に代行してもらう必要が、どーしてあるのだろう?
とおっしゃいますが、あなたは国家権力と国民との権利義務関係についての認識がイマイチなんじゃないですか?
宮台さんが社会学者なので、ここでは何事につけても社会学的アプローチを楽しんでいますが、「死刑制度」というのは、基本的には政治学とか法律学とかの観点から考察すべき問題と思います。
詳しく論じるのは専門の学者にお任せしますが、殺人については、私的復讐権を国家が国民から剥奪しているがために、死刑制度があるわけですよ。
私的復讐権があるなら別に国家権力など当てにしませんよ。

名無し草 | 2008年06月12日 10:30

今回のマル激、浅い議論でがっかりしました。本質的次元に行きかけると、話をそらしてしまいます(おそらく無意識的なんでしょうけど)。これじゃ、単なるハッタリですよ。それが宮台氏の魅力であり、限界なのでしょうけど。

ジャック・H | 2008年06月12日 06:50

死刑存続と死刑廃止・・・
存続側のコメントの方が威勢がいいのは、
死刑執行がある種のお祭りだからだってことを、皆さん自覚した方がいい。
> 「目には目を」、これが原点です。名無し草 | 2008年06月11日 22:31
意気軒昂なこのフレーズに滑らかに繋がる行動は、
私的復讐であって、防衛のような公的活動ではない。
私的復讐は、個人的了見に属することだと、復讐者くんにコメントしたけど、
殺人を国家に代行してもらう必要が、どーしてあるのだろう?
「死には死を」でなきゃ収まりがつかないんだったら、
個別具体的に私的復讐を果たせば済むことじゃないの?
その顛末は、国民全体で抱えていけばいいと思うし、抱えていくべきだと思う。

裁判員制度も近づいているこの頃・・・
死刑執行後、冤罪だと判明した場合、どーしよう?
復讐者くんと名無し草くんは耐えられるのでしょう・・・
しかし、私は・・・どーだろうか? 私の近親者はどーだろうか?
国民全体で受け入れるべきリスクだとは、私には思えない。

沈思黙考 | 2008年06月12日 00:28

takumiさん、チェルケンさん。

お二人のコメントを拝見してから、しばらく考え込んでいました。

「宅間を死刑にしたのは間違いだというのか?」という疑問が呈されていました。私はやはり間違いだと思います。それは宅間に同情するからとか、更正の見込みがあるからとかいうことではありません。それは純粋に我々が生き残ってゆくために、それが必要だと思うのです。

宅間は別に理解不能なモンスターではありません。彼が一貫して発していたメッセージは「俺は孤独で、絶望し、この世界を憎んでいる」「だからお前らも、俺の孤独と絶望と憎しみを味わえ」「そして俺を憎み、俺を殺せ」でした。そして彼は見事に成功した。死刑になることで、彼の企ては完結したのです。

彼の孤独と絶望と憎しみはあまねく日本中に広がり、このコメント欄にも広がっています。私は私自身のコメントにも、そこに相手に対する醜い軽蔑や敵意を見て、慄然とせざるを得ません。「私の中の宅間」がうごめいているのです。

「次の宅間」は、社会にうずまくそのような軽蔑と敵意の中から、再び培養されてくるのではないでしょうか。「さあ、俺を憎んで、俺を殺せ。」と。

だから私はやはり、無条件に「殺さない」と宣言すべきだと思います。それが我々が生き残ってゆくための、考えられうる最良の策だと思うのです。

windmill | 2008年06月11日 23:49

今日の朝日新聞に「終身刑」は実務上問題が多いという元看守の人の意見が出ています。
「終身刑」は実体上、「無期懲役」と変わらないということと、何をしても「これ以上悪くならない」という状況に置かれることから、色々と不都合な事態が生じるわけです。
だから、以前にも書きましたが、「流刑」とセットでなければ、「終身刑」は無理だし、そういう「流刑地」の維持管理経費を考えると、「死刑」にした方がいいというわけです。
ま、私は「死刑」制度を存続した上でなら、そういう「流刑」とセットになった「終身刑」も有りかなとは思います。
特に幼女にイタズラして殺したりする異常性犯罪者などは絶海の孤島でエロゲーでもさせておけばいいんですよ。

名無し草 | 2008年06月11日 22:51

駆さんへ
他の人は知りませんが、私はそんな風には考えませんね。
よく旅行会社の宣伝で、「○○ホテルまたは同等のクラスのホテル」とか、ありますよね。
同等というのは、あくまでレベルとか等級が同じということです。
一般的に殺人と傷害とは同列には行かないでしょう。
加害者を許せる被害者は立派ですね。
そうなりたいものです。
私など、とうていなれそうもありませんが。
しかし、だからといって、無茶は言いませんよ。
国家が相応の罰を加害者に与えるべきだと思うだけで、それ以上でも、以下でもありません。
「目には目を」、これが原点です。

名無し草 | 2008年06月11日 22:31

働きたくないといったら終わりじゃないの?どうやって働かせるの?見せしめを殺してびびらせるのかな?

匿名 | 2008年06月11日 22:18

死刑についてこれほど議論が捲き起こるとは意外でした
双方の立場は水と油みたいです
そこで仲裁案を提案します

死刑を廃止して終身刑(強制労働つき)としてはどうだろう
単なる終身刑では一生税金で飯を食わせることになる

これでは懲罰というより一種の生活保障を国家が与えるようなものだ
社会の中で底辺に生きる人の生活はますます悲惨な状況に陥っている
それよりましな生活が懲罰に値するか疑問だ

そこで終身強制労働で自分の食いぶちくらい稼がせるのが当然ではないか
更に被害者の保障くらい稼ぎ出すのが当然ではないのか
当然従来の刑務所労働より厳しいやり方を工夫する必要がある

100%勇気 | 2008年06月11日 22:00

存置派の方々に死刑の適用範囲についてお伺いしたいのですが、
例えばピアノ演奏を生業・生き甲斐にしている人が通り魔に襲われ、二度と演奏の出来ない体にされてしまったとする。
この犯人に死刑を望まれますか?
取り返しのつかない事をした・何の罪もない他者の人生を奪った、という意味では殺人と同等だとも思うのです。
もし「いや、被害者が生きてさえいれば別の人生を見つけられるかもしれない。だから死刑は不等だ」とおっしゃるのであればそれは「殺人被害者の遺族も生きてさえいれば犯人を許し救われる時が来るかもしれない(故に死刑反対)」というのと同様の期待だと思うのですが、いかがでしょうか?

駆 | 2008年06月11日 20:56

ニコニコ動画より
文化放送「死刑執行」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm3602700

死刑執行の瞬間の音声

チェルケン | 2008年06月11日 19:38

>最低限まともな司法がなければいけない。それすらもないような社会に死刑制度は、あってはならない

これって死刑に限らないよね?今の司法が人を裁く資格なしって言ってるわけだ。

じゃ、なんにもできないね。ふーん。

DTはごちゃごちゃ言ってないでオウムの麻原の死刑判決は間違っている、宅間の死刑は間違っているとはっきり言えよ。司法はまともじゃないんだろ?

>包括的で厚みのある社会の向かっていくためにも、死刑はダメ

・・なんだこりゃ。

わけわからんパート2だな・・

包括的で厚みのある社会に向かっていくためになぜ死刑が妨げになるのか説明して。

逆に死刑を廃止したらなぜ包括的で厚みのある社会になるの?

もし死刑廃止国家は命にやさしい国家だから、なんていう単なる似非ヒューマニズムで言ってるんなら・・

もう退場してよろしい。(By宮台)

復讐者 | 2008年06月11日 16:55

DTさんへ
>包括的で厚みのある社会なら、極めて限定的で例外的なら死刑を認める。
そういう物言いが受け売りでインチキだというのです。
そんな社会などありっこないじゃないですか。
あるというのなら、例を挙げてみてくださいよ。
だから、司法がどうだろうと死刑制度は認めないと言っているだけです。
捕鯨と掛けて死刑と解く。
その心は、「残酷」です。
何が残酷かは価値観、社会観、宗教観などによって違うでしょう。
外国人犯罪者の実態は知りませんが、彼らの母国では少なくとも日本より殺人事件も多いところがほとんどではないですか?統計的にも。
>「死刑制度廃止」だけを目的に生きてる「彼ら」なんてのは、存在しないだろ。
そうですかね?
まあ、それが実現しようとしたとき生き甲斐を失うというのは、あまりに文学的な見方ですかね。

名無し草 | 2008年06月11日 14:50

DTさん
社会のあり方を考えてどうにかなるものでないという苦い教訓を学んだのが20世紀だったのではないですか?
それとも21世紀の革命は、もっとうまくやれるとでも、思っているのですか?
私も革命は好きですので、それなら、見直しますが。
しかし、そういう革命後の社会でも、やっぱり、不適応者による無差別大量殺傷事件というのは起きると思いますよ。
社会がどうたらこうたらは関係ないのです。
社会がよくなって、犯罪がなくなっても、死刑制度というのは必要なのです。

名無し草 | 2008年06月11日 14:17

名無し草 さん

たくさん言いたいことは、あるけど、全部を言っている事は出来ないので、かいつまんで言います。

「なにより、安易に死刑制度を廃止すれば、外国人犯罪者にやり放題の天国を与えることになるということを忘れてはならない。」
犯人引き渡し条約が2カ国しか結ばれていない、現在の事なら言いたいことは理解できますが、それでも間違っている。
現在の日本の刑務所にいる外国人の多くは、そのような感じはありませんよ。
就労目的で入国(不法入国だったりもするけど)し、日本語もあまり出来なく、職にあぶれて、困って犯罪をしたような社会的弱者がほとんど。裁判や刑務所は、頼れる人も少なく、不安で戸惑い困っているような人ばかりです。
センセーショナルな「日本の刑罰は軽い、犯罪のやり放題だ。」のような報道によって作られた偏見があるのでしょうね。
統計的には死刑が犯罪の抑止にはならないと言われいるしね。
私はその統計を信用しているが、信用できないと言われたら、死刑が犯罪の抑止になるともならないとも言えないわけで、外国人犯罪者にやり放題になるかどうか、わからないという結論になる。

「では、デタラメでない司法の下でなら死刑制度もOKなのか?ということだからだ。」

最低限まともな司法がなければいけない。それすらもないような社会に死刑制度は、あってはならない。
あくまでも、これは最低限条件であって、死刑を存続させるには、制度以外の社会的な条件が多く必要。
死刑制度の問題と言うよりも、日本社会のあり方の問題ですよ。
包括的で厚みのある社会が必要になる。
その為の一つのこととして、犯罪者にも温情のあるようにしないといけない。
デタラメに司法のもとでは、死刑はダメ。そして、包括的で厚みのある社会の向かっていくためにも、死刑はダメ。
包括的で厚みのある社会なら、極めて限定的で例外的なら死刑を認める。


捕鯨を例にしていますが全く関係ないことを例に出されても、困る。
捕鯨ががんばっているって、世界を説得できているのならともかく、説得も出来ずに、非難さえているのをがんばっていると言われても・・・。


? 廃止派が過半数を占めるよう地道に努力する
これをやればいいのですよ。

「しかし、彼らは死刑制度が廃止されてしまえば、復活運動でも起きない限り、実際のところは困るのだ。」
これ意味わかりませんね。
「死刑制度廃止」だけを目的に生きてる「彼ら」なんてのは、存在しないだろ。
死刑制度が廃止されたとしても、色々と考えることもやりたいこともたくさんある

DT | 2008年06月11日 13:49

【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式(http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610#1213114352)
これを読むと、「凶悪は死刑!」なんて言うことよりも、社会のあり方を考えるべきであると感じる。

DT | 2008年06月11日 13:14

死刑制度の存廃について、理論闘争をしても、感情論闘争をしても、廃止派が勝利するのは難しいだろう。
そこで、死刑制度廃止派のオプションは、限られてくる。
それは、多分、次の3つだろう。
? 国民の8割以上の存続派を無視して廃止してしまう
? 廃止派が過半数を占めるよう地道に努力する
? 精神の高貴さを示せる少数派のままでいる
妥当なやり方としては?だが、いつになることやら。
死刑制度を本気で廃止したいなら、?しかない。
それには、小泉さんがやったような、民意に抗してまで信念を貫くんだというパフォーマンスを誰がいつどこでするか?ということが問題だ。
ま、難しいだろうね。
たいていのインテリは?だろう。
しかし、彼らは死刑制度が廃止されてしまえば、復活運動でも起きない限り、実際のところは困るのだ。
その自己矛盾とどう折り合いをつけるか、難しいところだ。
一方、国民大衆は一度死刑制度が廃止されれば、それがどういう手続きを踏まれてやられたかにかかわらず、直ぐにそういう状態に馴れるだろう。
 

名無し草 | 2008年06月11日 10:38

バイアスがかかった抽象論は空しいよ。
それに、ゲストや神保、宮台らと同じ意見を言うなら、それはもう聞いたことなんでね、今更いいんだよ。
彼らと違う視点から意見を言っている人の投稿がユニークで面白い。

今のデタラメな司法の下では死刑は一刻も廃止すべきという司法敵視意見があるが、あくまでそれは運営や組織の問題であり、制度そのものの問題ではない。
では、デタラメでない司法の下でなら死刑制度もOKなのか?ということだからだ。

また、日本の死刑制度を論じるのに外国は関係ないと言ってもいられないでしょうという意見についても、捕鯨であれだけがんばっているのに、どうして死刑でがんばれないのか?と言いたい。

なにより、安易に死刑制度を廃止すれば、外国人犯罪者にやり放題の天国を与えることになるということを忘れてはならない。

名無し草 | 2008年06月11日 09:35

うん、だからマスコミの問題やら検察の問題やらはその通りだから。そういう意味で本番組の視点は素晴らしいと思いました。

死刑制度が悪いんじゃなくて運用する側が悪いんだよね?

逆に適正に死刑制度が運用できるようにマスコミと検察の中立性を確保できれは死刑は存続していいってことでしょ?

廃止派の安田弁護士が言ってた通り死刑を宣告された殺人鬼が死刑の執行が意味無いんじゃと思えるほどに人が変わったと。

で、宮台氏が言っている通り、死刑を宣告されたから死刑の執行が意味無いんじゃと思えるほどに人が変わったってことだよね。

死刑制度に凶悪犯を改心させる効果はあるじゃない。安田弁護士も認めてる通り(笑)

終身刑じゃこうはならないよ。死に直面してようやく人って変わるから。

それが死刑制度が語りかける重みと矛盾だと言ってるんです。

>現在の日本の死刑制度が、そんなに歴史のある制度とは、知らなかった。
>戦後作られたものだとばかり思っていたよ。

んなわきゃないだろ。有史以前あるよ。

平安時代の300年間くらい死刑が廃止されていた歴史があることも知らないの?

アムネスティに言ってやれ。こっちは死刑廃止に関しては大先輩だと。

復讐者 | 2008年06月11日 03:10

少し前のコメントで死刑支持論者の方が、何もメディアにのせられて死刑を支持しているのではないと、神保さんを批判しておられましたが、ご自分が事件の関係者でもない限り、その事件についての情報は全てメディアを通じて得ているのではないですか。

そのメディアが特に日本の場合、犯罪報道については明らかに中立性を欠いている以上、やはり死刑に対する考え方にも、日本のメディアの特性(というか問題)が反映されていると考えるのが妥当ではないでしょうか。

例えば光市の事件についても、明らかに番組内で指摘されていたような加害者に関する情報は、全くと言っていいほど一般の報道では提供されていませんでした。

死刑を概念として支持すると仰っていますが、実際には具体的な犯罪や具体的な加害者をイメージせずに、死刑に対する考えを述べるのは難しいのではないでしょうか。

お恥ずかしながら、私自身は光市の事件について、少年について番組内で語られていたような事実関係を、殆ど何も知りませんでした。

もちろん、だからといって加害者が無実になるわけではありませんが、安田弁護士の意味不明な説明も、そうした情報を持っていれば、もう少し中立的な立場から聞くことができたかもしれません。

やはりメディアの問題は大きいのではないかと思います。もちろん中にはメディアに全く影響されることなく死刑を支持されている方もいるかもしれません。しかし、日本人の8割が死刑を支持しているという現実の裏には、日本のメディアの警察寄りの報道が関係していると、どうしても思えてしまいます。

hills | 2008年06月11日 02:07

じゃあ、その結果がわかる何十年後まで、とりあえず死刑は続けるべきなの?それとも結果がわかるまではやめておくべきなの?

素朴な疑問 | 2008年06月11日 01:54

軽々しく死刑を続行してしまった国に何が起こるのか何十年スパン見ていくのはさぞかし愉快でしょうねwwwwwwwwww

常識派 | 2008年06月11日 01:38

現在の日本の死刑制度が、そんなに歴史のある制度とは、知らなかった。
戦後作られたものだとばかり思っていたよ。

死刑制度と言えでも、社会の中にあり、その他のものとの関係の中で運営されてきた。
かつての日本を支えていたものをほとんど失ってしまった。その現在の日本の中の死刑制度とは、かつて歴史的に伝えられてきた死刑制度と同じものか。
かつて表に出てくることのなかった被害者や被害者遺族が出てきて、多くを語るようにまり、社会全体が厳罰化を求めている。このような変化の中で、死刑も以前と違う物になっているだろう。

もっとも、そんことよりも、言いたいことはある。

現在の日本の警察検察の取り調べの杜撰さ、刑事事件の弁護人達の大変さ、裁判官のデタラメさを、無視して、死刑を望む人達がいる。
自白と客観的証拠が矛盾するとき、自白を信用する裁判官、罪を認めなければ釈放しない「人質司法」。重大な刑事事件の弁護を引き受ける弁護士が少なく特定の人に集中し、弁護を引き受けることだけで批判される。
こんなまとも運営されていない司法制度で、死刑なんて言っていいのかよ。

そして、犯人引き渡し条約のことや国際社会における日本の立場を考えるなら、死刑制度はない方がいい。
死刑制度を残すなら、それの意義を他国に納得・説明できるようにしないといけないだろう。

DT | 2008年06月11日 01:35

僕は常識を疑う姿勢は忘れてません。むしろ疑いっぱなしです。

それでも僕らがこれからどうすればいいのか迷ったとき参照するものはその時代の価値観だけでなく歴史の淘汰を経たものとしての常識しかないと考えているからです。

死刑廃止論は僕から見たらまだ歴史の試練を経ていないイデオロギーにしか見えない。

死刑にまとわりつく矛盾ややりきれなさは何も現代に限ったことじゃないと思うんです。昔の人も同じように悩みながらそれでも知恵としてこの制度を伝えてもらったんです。

とくに歴史がある制度なんですから死刑制度が語りかけるものには重みを感じる。

軽々しく死刑を廃止してしまった国に何が起こるのか何十年スパンでもうちょっと見てからでも遅くないんじゃないんでしょうかね。

復讐者 | 2008年06月11日 00:52

復讐者さん、ひとつだけ申し上げたい。

なぜそれほどご自身の常識を無謬のものとして信頼するのですか?

歴史を少し振り返るだけで、
いえ自分自身の経験を思い返すだけでもよい、
常識と呼ばれるものがしばしば、恐ろしく滑稽だということを、もう私たちは知っているはずなのではないでしょうか。

匿名 | 2008年06月10日 23:25

私自身は、死刑制度の存続に関して「できれば無くした方が良い」といった考えですが、まだ保留といった感じです。番組で物足りなかった点として、他の方が仰るように他の先進国が死刑をやめていくロジックを、もっと細かく知りたかったというのはあります。

また、今回の議論で「当事者の感情的回復は必要だが、非当事者の感情的回復は不要」という点に同意するかどうかが、そもそも一番のポイントになるのではないかと思っています。
当然、当事者と非当事者の怒りや悲しみの質はまるで違うはずなので、私自身は同意できます。たとえば、もし、私の子供が理不尽で残虐な殺され方をしたら、私は犯人を殺しにいくかもしれません。そしてナイフで犯人の喉をかき切るかもしれない。
だが、親しい人間が同じ目にあった場合、私は彼に「俺も一緒にやってやる」と言ってナイフを握れるのか?あるは彼を羽交い絞めにして「頼むからやめてくれ」と引き止めるのか?
精一杯想像するしかありませんが、私の今の感覚では、おそらく後者だと思います。損得というよりも、残された当事者に対する義務のような感覚かもしれません。
たぶん、これが当事者と非当事者の違いではないでしょうか?

死刑執行が覆い隠されているから仕方がないかもしれませんが、「自分がやるんじゃないから、死刑はいいじゃないか」というのは逃げのように感じます。
むしろ、非当事者である自分が、代わりに犯人を自分の手で殺せるのかどうか、その覚悟があるのかどうか、を徹底的に想像することが必要な気がします。私は当事者とならない限りできそうもない・・・そういった感覚が、保留としながらも「死刑は無くした方が良い」と感じる立脚点になっているような気がします。

takumi | 2008年06月10日 21:16

チェルケンと申します。
昨日映画「休暇」も見てきました。少し言いたいことがあるので言わせてください。
ちなみに僕は死刑存置!とも死刑廃止!とも諸手を挙げて言えないのですが。

まずよく「被害者遺族の応報感情、感情的回復」のための死刑、という言い方をするけれど、これは事を矮小化してしまう気がします。
被害者遺族は自分の復讐心を満たしたいから死刑を望むのか。そうじゃなく、それもあると思うけどまず殺されてしまった家族自身が納得できるように死刑を望んでいるんじゃないか。
犯人に殺された人が、「犯人がこの世にいるのは許せない、自分と同じように死ぬべきだ、それが自業自得だ」と思うから、死刑なんだ。もちろん死者にそんなこと聞けないだろうが、家族なんだから死者がそういうふうに言うのはわかる、もしくは言うかもしれない、それが被害者遺族の感情だと思います。
殺された家族の気持ちを報いたい、ちゃんと成仏させてあげたい。「応報感情」とか言うとそういう想いが言葉の中から抜け落ちてしまう気がします。「遺族の応報感情、感情的回復」ではなくまず「被害者自身の尊厳回復」が先ではないか。
もちろんそんなことは前提にして「応報感情、感情的回復」と言ってるんだとは思いますが、あまりそこの扱いが軽くなると本質的な議論はできないと思います。具体的に「応報感情、感情的回復」とは何を指しているのか、という言葉が死刑廃止派に足りない気がするのです。

これは日本の「死者」にまつわる文化、お盆やお墓や四十九日・・・などにも関わってきそうです。
日本だけ先進国で死刑を無くせないとしたら、そういう文化に含まれる特異性故に、かもしれません。


さて(長くなりますが)「休暇」という映画を見て思ったのは
「死刑囚もつらい。死刑囚も生きていたい。死刑囚も死にたくない。死刑のときは、こんなに悲しく、残酷だ。死刑囚も人間としての様々な側面を持っていて、僕たちと変わらない存在で、変わらない生命を持っている。生命は、重い」

しかしだからこそ、「そんな生命を『奪って』しまった罪は、重い。」と。
被害者は「何の罪もなかった」のに、殺された。死刑囚が殺されるのは「その罪ゆえ」です。当たり前のことですが。


windmillさん
>「こんな人殺しには生かす価値がない」と死刑に処する。
>「価値のないやつは殺してよい」のバリエーションです。

価値がないから死刑なわけじゃないですよね?
価値がその死刑囚にあるないじゃなく、「価値有る人の命」を奪ってしまったから死刑なんですよね。
奪った価値に対して、自分の価値を捧げて償う。だから(死刑囚に)価値がないんじゃなくて価値があるから死刑なんだと。「絶対的な人間の価値」と言ってもいいですが。
世間的な能力、障害があるないの「相対的価値」は関係ないのでは?

チェルケン | 2008年06月10日 19:54

>何の能力もなく、人の世話になり、面倒をかけ、さらには人に危害を加え、殺したとしても、つまり何の「価値」がなくともそれでもなお例外なく「殺すな」ということ。私は、社会と国家がそのように宣言すべきだと思っています。

・・な、なんじゃそりゃ?

話にならねぇ・・

復讐者 | 2008年06月10日 19:52

背景にいろんなことがあって犯罪が起きるのは当たり前。だけど無職だの虐待だのを受けてもなお強く生きている人を知っている。

みんないろいろな問題を抱えて生きてる中で一人だけ不幸な面をしちゃいかんよ。

僕の価値判断基準は常識です。

だから「凶悪犯は、死刑になるのは、常識」。

同時に罪を憎んで人を憎まずって言葉も知ってますよ。

相反する常識のバランスをとる方法もまた常識の中にあり、です。

法律は道徳の最低限という言葉があるとおり常識から離れたところに司法はあり得ません。

神保氏は死刑存置論者=マスコミに踊らされている馬鹿、という一方的なレッテル張りはやめて下さい。こっちは常識で判断してるだけです。

先進国で死刑を廃止してないのは日本だけってのも福田首相がサマータイムを導入してないのは日本が異例とか言ってるのと同じレベルの話です。

人は人!自分は自分!

復讐者 | 2008年06月10日 19:36

windmillさん
何故ですか?
生きる価値がないと自分で思う人は、そっと一人で死ねばいいんじゃないですか?
「俺たちは天使じゃない」という映画がありましたが、「俺たちはテメエ専属の看護婦じゃねぇー」ですよ。
そっとさよなら出来ない人をどうするか?が問題で、最悪最低の方法で死刑という最高刑があるんです。
誰もそんなこと好きこのんでしたくありませんよ。
しかし、それをするのが、国家権力の責務です。
国が死刑という責務を果たさないなら、国民に仇討ち権を与えよと言っている人がいませんでしたっけ?
社会が変わった者に冷たいのは今に始まったことじゃないでしょう。
そういう社会の80%の人が排除したいと言っているのに、心優しいあなたが反対してもしかたがないでしょう。
みんな冷たいのですよ。
実際、誰が宅間守や加藤智大と仲良くしたいですか?
あなたが若くて美しく”ノーマル”な女性だとして、彼らと寝てあげられますか?
彼らには切実なのですよ。
せめて、静かにお引き取りくださいですよ。
当たり前じゃないですか。

名無し草 | 2008年06月10日 15:09

何かね、斟酌すべき「情状」があるからとか、更正の可能性があるからとか、だから死刑はかわいそうだとか、言ってるんじゃないんですよ。

毎年三万人が「自分には生きる価値がない」からと自分を殺し、一部は「自分をこのように無価値にしたこいつらには生かす価値がない」と人を殺す。そして社会が「こんな人殺しには生かす価値がない」と死刑に処する。

これはみんな地続きで、そのうち精神障害者や知的障害者まで「社会で面倒を見る野蛮でない方法はないかということについて、私は絶望しています」なんてことが言われだしてしまうんです。「価値のないやつは殺してよい」のバリエーションです。

何の能力もなく、人の世話になり、面倒をかけ、さらには人に危害を加え、殺したとしても、つまり何の「価値」がなくともそれでもなお例外なく「殺すな」ということ。私は、社会と国家がそのように宣言すべきだと思っています。

windmill | 2008年06月10日 12:44

死刑制度は国家権力と国民との相互の権利義務関係という観点から捉えなければ本当の意味は分からない。
そういう議論は学者が詳しいのだろうが、一素人には、秋葉原の事件と宅間守の事件には類似性があるように思える。
加藤智大容疑者の社会的背景を検証しても、社会が悪いと同情は出来るだろうが、起こした結果は、それによって刑罰が相殺できる程度を超えているのではないか?
加藤智大容疑者が行った無差別大量殺傷という行為のターゲットは、福田政権がどうたらこうたら言う今の日本社会でなく、彼や我々自身が現に組み込まれている身の回りの社会というか、世間なのだ。
政権が変わっていい政治がなされるようになったら、加藤智大や宅間守みたいな人間は出てこなくなるかといえば、そんなことはないだろう。
死刑という極めて個人的な事情に左右されることを、死刑制度という制度論から考えるのは抽象的になりすぎる。
抽象の仕方にバイアスがかかっていては、どうとでもなってしまうからね。
死刑制度というのは、死刑執行をするかしないかはともかく、罪刑法定主義のてまえ、最高刑のオプションとして残しておくべきことだ。
そういうオプションを外してしまうためには、その前提として国家権力と国民との権利義務関係が変わってきていなければならない。
ヨーロッパでは国家権力の相対的地位低下と共に、そのあたりの考え方が変わってきているのだろう。
しかし、これもイスラム教信者の流入がもっと多くなれば、価値観の対立が激化し、また変わってくることも予想される。
残酷だからとか、冤罪があるからとか、そんなことは権力につきもののことであり、そういう権力の庇護を受けている以上、はなから死刑制度廃止の理由にならない。
また、犯人を死刑にしても被害者が生き返るわけでないというのなら、犯人が改悛しても被害者は生き返らないわけで、こういうことも理由にならない。
間接自殺願望者を幇助することはないということも、その願望が本物かどうかは疑いがある。
宅間守だって執着していた2番目の妻とヨリを戻せたらああいう事件を起こすところまでは行かなかったかもしれない。
ホントに間接自殺したかったら、警官に現場処刑されていたと思うね。
死刑があるから無差別大量殺人をしたのではなく、自分を認めて受け入れてくれない社会に仕返しをするためにやったのだ。
狙われているのが何か?そして、それを象徴するものは誰か?ということを理解しなければ・・・
鈍感だよ。
長いね。ごめん。

名無し草 | 2008年06月10日 10:39

秋葉原で起きた無差別殺人について。

この事件の背景を考えずに、「これだけ殺したから死刑だね」的な単純な考え方は、おかしいと感じていた。

土浦の通り魔事件の模倣との可能もあり、報道のあるべき姿を考えなければいけない気がする。

加藤容疑者は「世の中が嫌になった。生活に疲れた」と言っていると報道されているが、彼は派遣社員としてトヨタグループの自動車メーカー「関東自動車工業」で働いている。
真偽は不明だが、ネットでは、「今月末で関東自動車派遣を全員切る」という話がある 。

このような情報を見ると、事件の背景のイメージが浮かんでこないだろうか。
判例から考えれば、彼は死刑になるだろうが、「凶悪犯は死刑」と単純に言っていいとは、思えない。
背景をしっかりと見ないといけないだろう。

DT | 2008年06月10日 09:08

「死刑制度」というのは、それ自体が単独で存在するわけではありません。
それに関わる色々なことがあります。
どのような社会が好ましいかを考え、世界の中にある日本にとって、どうすべきまで、含めて考えるべき。(死刑以外の事にも言えるのですが。)

死刑を考えると、直ぐに考えるべき事が出てくる。
それ以外の刑罰のと違いなどを考え、警察検察の捜査・取り調べを考え、弁護について考え、裁判について考えなければいけない。
直接直ぐに関係することではないが、日本の文化や生活などの状況を考えることは必要であり、現状だけでなく、どのような日本が望ましいかも考えなければならない。
さらに、日本と取り囲む国際社会も考えなければならない。
私は、未熟で、これらすべてのことを自力で、十分な時間を使って考えることはできないが、それでもいくつかのことを考えている。

時間の都合で、今の自分の考えを展開できないのですが、「凶悪犯は、死刑になるのは、常識」「死刑は人道に反する」的な単純な考えでなく、もっと広く考えて欲しいともうわけです。

DT | 2008年06月10日 08:44

最近は拡大自殺と言う言葉も聞かれるようになってきましたね。自分一人で死ぬのは嫌だから社会を挑発するかのような重大事件を引き起こしてあえて死刑を望むと言う・・・おぞましい話です。
死刑制度の継続云々は別にしても、そういうタイプの人間を死刑にして、それで何がどうなると言うのでしょうか?盛大にマスコミが報じ、視聴者は激昂し、お望み通りの死刑に処されればむしろ本望って事では?かえって事件が増える恐れだってあるってものです。
仮に死刑制度をこのまま残すにしても、犯人の動機しだいではあえて死刑を選択肢から外す必要も有るかもしれません。生きたまま死ぬより辛い目にあわせるのが刑罰として相応しい気がするのです。
なぜなら、その種の人間にとっては真実の自己像こそが最大の恐怖の源であるのですから。

それから刑罰の検討もいいけど、犯罪の原因となりうる所得水準の低下を何とかしないと今後にっちもさっちもいかなくなるんじゃないかと思うんですよ。人間て多少の不満があっても食っていけるうちはそう簡単に爆発しないものですから。
でないとそのうち外山恒一と赤木智弘が組んで革命ですよ!(笑)
アホが単発で事件起こしてるだけでもこの騒ぎだと言うのに、あの二人が起ったらどうなるやらですよ(爆笑)

・・・いや、笑い事じゃないですね。かつてこの国は著しい経済発展と今より高所得層に厳しい累進課税のお陰で格差も何とかガマンして来れましたが、こうアカラサマに階層格差拡大に走られると体制転覆の危機も高まろうと言うもの。不満の矛先が身の回りに向いてるうちは大した事じゃないのですが、マジモンの扇動者が現れるとどうなるか・・・
そんなしょーもないことになるよりは、金持ちから毟れるだけ毟ってベーシックインカムでも何でもやった方がマシって気がします。

デミトリー | 2008年06月10日 04:02

裁いてはいけない。裁かれないためだ。 あなた方が裁くその裁きで,あなた方が裁かれることになるからだ。そして,あなた方が量るそのはかりで,あなた方に量られるだろう。 なぜあなたは,兄弟の目の中にあるちりは見えるのに,自分の目の中にある丸太のことを考えないのか。 また,どうして兄弟に『あなたの目からそのちりを取らせてくれ』と言えるのか。見よ,自分の目の中には丸太があるのだ。まず自分の目から丸太を取り出しなさい。そうすればあなたは,はっきりと見えて,兄弟の目からちりを取り出すことができるだろう。

受難 | 2008年06月10日 03:14

死刑は反対です。
一つは簡単すぎるから。
死刑になって、反省できるほどの心の成長が見られないまま死という簡単な旅に送るより、成長して自分が本当に何をしたのか悟って苦しんでもらえたほうが、残されたものとして気が休まります。
同じ、人間だったんだって安心感が得られます。
死刑は西洋医学の延長です。
できもの、かわったものを切り捨てていく。
気持ちに余裕をもって、多様性を受け入れ、違いを認める社会であることのほうが、実りが多いように思います。
追いつめるがわと、追いつめられる側がすり替わった犯罪が多いように思います。

まるげきさん、犯罪精神学の専門家の方の意見が聞いてみたいです。

kayo | 2008年06月10日 02:33

死刑存続派の人は
windmillさんの意見に反論して!
「間接自殺」に反論して!

存続派 | 2008年06月09日 23:16

終身刑と無期懲役刑とは呼び名が違うだけで、共に仮釈放を前提としており、実質的には同じ。
だから、死刑廃止論者の言うことは、ただ残酷な死刑をやめたいだけ。
しかし、そういうあなたが手を下すわけでなし、そういう職業の人が仕事として執行するだけなのに。
ENさんのように死刑存続を望む人間と犯人に同種のものを感じた人は鋭い。
確かにその通りだろう。
つまりは、存続論者の方が犯人の気持ちをよくわかっているということだ。
死刑廃止論者は本質的に穏やかで優しい心の持ち主でどんな悪人でも根っこから悪いんじゃないと信じている。
女性に多いが、そういう優しさを目にするたび、悪人の私など我が賤しき心を恥じ入るばかりだ。
しかし、善人が考える社会システムなんてとてもでないがうまく機能するとは思えない。
だって、善人は無差別大量殺傷なんてしないもの。
被害者にはなってもね。

名無し草 | 2008年06月09日 21:01

宅間は控訴せず、さっさと死刑になることを望んだし、今度の犯人も同じようなものでしょう。

無理心中や自爆テロと同じで、死刑にしたって自殺を助けてやっただけのことです。「死刑」「死刑」と叫べば叫ぶほど、抑止力どころか志願者が集まるだけ。

「生かす価値のない人間がいて」「それは殺してよい」と確信しているという点において、彼らと死刑推進派は不気味なほど一致しています。そういう同じ土俵で報復を繰り返しても何の意味もない。

それが私の「素朴な実感」です。

windmill | 2008年06月09日 18:26

もともと廃止派は存置派に問題の卑小化を感じ、議論が難しいと感じている。
廃止派は、この容疑者の供述に垣間見える社会への異常な甘えと過剰な責任
転嫁を問題にしたいと思っている。
彼(容疑者)を裁くことなど警察、検察、裁判所が勝ってにやればいい。
世論と存置派の思考に彼(容疑者)の思考と同じものを感じ、悪循環に陥りそう
なのを止めたいと思っているのが廃止派であると私は思っている。

EN | 2008年06月09日 18:02

死刑制度を論ずるとき、個別の事件を引いても、議論は前進しない。

問題の本質は、むしろ「死刑」が存在するがゆえに避けられない「死刑 or その他の刑」という司法の判断(線引き)にどこまで合理性を見いだすかということなのだから。

> 7〜8人も関係ない人を無差別殺人すればもう死刑だろ?

それはそうかもしれない。

では、例えば、「5人ならどう?」「2人だったら?」「1人だったら?」という議論が起こったとき、あなたはそのときの司法の判断基準に納得して従えるかという問題じゃないのかな。

それで納得できる人は幸せだねって話しだよ。

namakura | 2008年06月09日 17:08

流動性の高まった社会では具体的な犯罪件数よりも、体感的に増えているという感覚のほうが強い意味を持ってしまうということでしょうか。  そしてどんどん不安は増大し監視カメラ化や死刑賛成などの世論が高まっていくと。

確かに隣に住んでる人が、誰かも、何するかもわからないような、今の社会では仕方ないことのように思いますが、ほんとにこれでいいのかとも強く思います。実際、秋葉原で起こった、殺傷事件もこのことと無関係でないと思います。

だからもう一度ある種の全体性を社会に取り戻し、不可視から来る人々の不安を軽減しよういう話ですが、それはオウム真理教のようなものを生み出す危険性もあるので、その危険が生まれにくいもので運用する。 
非常に困難であるが素晴らしい!!と
思います。

しかし僕は、シンジ君の選択に心打たれたので、手放しで賛成もできないなーとも思います。どっちがいいのかはまだわかりません。

syogoki | 2008年06月09日 16:42

具体的な凶悪事件が起きると声を失い沈黙する。
生々しさが薄れた頃、死刑判決が出ると、「この国の司法はおかしい」と騒ぎ出す。
それが死刑廃止論者の弱点ですね。
もっと、秋葉原の無差別大量殺人事件を念頭に死刑制度を議論したらどうですか?
死刑廃止論者の人で、復讐者さんの素朴な疑問に正面からきちんと答えられる人はいないのですか?

名無し草 | 2008年06月09日 11:16

DTさんへ
「累犯障害者」は読みました。
賢いネーミングをした著者は、幸せにも自身が刑務所に入って初めて見聞きした事なのでしょうが、不幸を一つや二つ抱える人間なら誰でも知っている事ですよ。
それが物言わぬ草の根大衆というものです。
思春期以後の知的障害者や精神障害者を社会で面倒を見る野蛮でない方法はないかということについて、私は絶望しています。
それはともかく、普段自分らは司法に庇護されているくせに、いざ何かちょっとした罰則(例えば、交通違反)を喰らったら、不満たらたら悪口雑言の限りを尽くす人がいますよね、あなたがそうだとは言いませんが。
彼らは、自分より知的レベルが低い(ようにみえる)警官に調書を取られるという屈辱に耐えられないヤワな甘ちゃんなんですよ。

名無し草 | 2008年06月09日 06:31

復讐者さん、
ハンドルネームからして怨念を抱えておられるように思いますが、
その怒りを生涯持続できますか?
もっと他の生産的な活動に振り向けろとは申しませんが、
怒りを持続することって、結構大変なんじゃないでしょうか?
閑話休題。
どうして死刑じゃないといけないの?
あなたのような方が私刑に乗り出すことを、とりあえず誰も止められない・・・
それが尊とき "自由" を畏怖するところでもある、と申しているのです。

匿名 | 2008年06月09日 04:11

沈思黙考さん

>私の解釈は簡単です

すいません。おっしゃりたいことが全然わかりません。

私の解釈はもっと簡単です。

もうすこし常識的に考えて判断をくだせばいいんではないかと思います。

彼らはどんな境遇におかれていようがやったことがあまりに酷すぎる。

私の常識は死刑しかない、と判断します。

7〜8人も関係ない人を無差別殺人すればもう死刑だろ?という常識的判断がなぜ間違っているのか知りたい。


本番組について言えば・・

刑務官に負担を強いているのは確かですがそれは技術的な問題でいくらでも合理的に解決がつくのでは。

マスコミが裁判官に影響を与えて衆愚に流れ、死刑を連発するのはたしかにまずいがそれはマスコミが悪いんであってマスコミが悪いから死刑廃止ってのは順番が逆だ。

死刑をもっと上手く運用する方法を考えるべきで選択肢として排除すべきではない。

復讐者 | 2008年06月09日 03:50

復讐者さん、
私の解釈は簡単です。刑法犯は構図的にはマンガ。誰の目にも分かりやすい。
経済犯は頭脳派。理解するだけの手間を惜しむ必要があるだけ、人口に膾炙しにくい。
一見分かりずらい経済犯の罰の軽さと引き比べれば、
バランスに欠けているってことです。
もう一点。基本的にわが国は "自由" を標榜しております。
「社会の存続それ自体と本質的に矛盾する価値・・・このうえない孤独の中でのみ、
意味を持つ究極的な真理がある(永井均)」
わが身や家族等に降りかかる災厄を考慮しても尚、
個別具体的に人を殺したいのなら、
ご自身で・・・という可能性はゼロじゃないってことです。

先日自死された須原一秀氏の言葉「犯罪と利己主義のはびこる自由主義的民主主義国家」の尊さをかみ締める次第。

沈思黙考 | 2008年06月09日 03:28

 DTさんの主張に賛成。
コメントされている方々の想定は、刑法犯の事例に固執している様に感じますが、
"社会的強者" が実行犯である経済犯罪の方が、
被害の規模は圧倒的だと考える私の様な方も多いんじゃないでしょうか?
事程左様に "凶悪犯" といっても人それぞれ・・・
DTさん同様、いわゆる "凶悪犯" というものが、存在しないとはとても言えませんが、
現今の厳罰化(⇒ 刑務所の民営化)の流れで損をするのは、
いわゆる "社会的弱者(多数派)" ではないでしょうか?
いつも時代も変わることなく "社会的弱者" が犠牲になることで、
社会が回るという側面があることは否めませんが、
やり直しが可能だと思える社会の方が、
子を持つ親としてはいいと思うのです(甘いと言われても結構ですよ・・・)。

 神保さんが指摘された光市の被告人の境遇に関して、私は初耳でした。
ドラエモンの話ばかり聞かされていた身としては、ため息の出る思いです。

沈思黙考 | 2008年06月09日 02:47

死刑廃止の観念論は分かったがオウムの麻原や宅間や昨日秋葉原で何人も殺したやつに死刑を科すのがなぜ間違っているのかどうしても理解できん。

神保なり宮台なり安田なりだれでもいいから教えてほしい。

常識から考えてどうしてもわからん。

復讐者 | 2008年06月09日 02:46

この回を見て、久々に「最良の刑事政策は最良の社会政策である。」という刑事政策の教科書の冒頭にある言葉を思い浮かべました。ロクな社会政策がなされていない現在、社会に渦巻く不満を、結果として死刑判決の連発でなだめているという具合に見えます。
また、刑事司法制度の中で、行刑の段階の情報があまり一般に知られていないのではないか、と思います。例えば「人を殺しても10年で出てこれる」なんて言われてますが、まあ、ウソに近い話です。死刑の場合に顕著ですが、行刑段階の情報開示(以前の山本氏の話など、統計ばかりではない、現場の実態など)は、刑罰制度の議論を行う場合には必須の前提だと思います。マル激にはこのあたりについても積極的に取り組んでもらいたいと思います(既成メディアでは更生を果たす受刑者達の涙・涙の物語でしか取り上げないので)。

けろよん | 2008年06月09日 02:27

名無し草さん

脱社会化した人を社会から隔離する方法として、死刑がいいということですね。

それなら、せめて警察検察の取り調べ・捜査が適正な手続きでかつ透明な状況で、やってもらわないといけないし、ほんとに時間をかけて「想像もつかないどうしようもない人間」かどうか裁判しないといけない。


獄吏の苦労を気にしているようですが、表面的に言っているだけで、現実の刑務所の問題とか全く関心がないのが、ありありとわかりますよ。

296回放送の『「服役囚の4分の1が知的障害者」が意味するもの』にも関わってくるが、死刑を望む声などに後押しされ、刑罰の厳罰化がすすんでいますが、その結果として、社会的弱者の犯罪も厳罰化され、刑務所は社会的弱者ばかりになっている。それによって刑務所の運営が難しくなっていることも知らないでしょう。

「相互に信頼のない社会ほど、厳罰化を志向し、刑務所を社会的弱者であふれさせているのである。」
(『犯罪不安社会 誰もが「不審者」?』光文社新書 浜井 浩一,芹沢 一也著 P222)
これを考えると、やはり包括的で厚みのある社会に向かわなければ、いけないだろうし、そのような社会は、簡単に「凶悪犯には死刑を」とは言わないでしょう。

DT | 2008年06月09日 01:39

絶対に人を殺しそうもない人間が死刑廃止を唱えて、それで死刑制度が廃止されてもされなくても彼らにとっては同じこと。
どうせ彼らには殺人なんて、あくまで観念的なことでしかないのだから。
しかし、抑制力の欠如した犯罪者タイプの人間にとっては、死刑制度が現実にあるよりはない方がいいに決まっているわけ。
そして、こういう二種類の人間ばかりなら、多数決をとれば、死刑制度は廃止されるだろう。
ところが、80%以上の人が頑固にも死刑制度の存続を望んでいるということは、もっと別種の物言わぬ草の根大衆がいるということだろう。
彼らは、多分、犯罪者タイプの人間を絶対に信用していない。
そして、死刑廃止論者の観念論をせせら笑うかのような異常な殺人事件が今日も起きている。
死刑というのは、死刑廃止論者には想像もつかないどうしようもない人間を社会から排除するための最後の手段なのだ。
もちろん、終身刑でも目的は達せられるだろうが、終身刑囚の世話をする獄吏はやはり悩むだろう。
そして、そのことまでは考えもしないのだ。
いい気なものじゃないかね? 

名無し草 | 2008年06月08日 23:20

appletonさん、ご指摘ありがとうございます。
示されたご意見には、ほぼ全面的に同意しています。
その上で、もう少し説明させてください。

まず、データが示されているということは重要です。しかし、統計その他のデータがどれほど恣意的なものかは嫌になるほど見てきたものと思います。苦しみの残る点ですが、私個人は確認する状況にありません。

そして、どのような死刑制度を継続する論理があるのか、ということについては、率直に申し上げて、これはつくるものだと思います。死刑廃止の論理もやはり同様です。因果関係を完全に説明することは不可能なためです。
私は死刑存続に賛成していません。ですからそれについて考えるのもおかしいのですが(飛ばしてくださっても問題ありません)、”死刑という行為ですべての人間を包摂する仕組み”というイメージかとも想像します。
アムネスティという名が示すとおり、西洋の論理としては”許し”という広まった志向があるのではないでしょうか。許しの前段階には当然許さない状態があります。これは冷酷に見えます。日本にはそれがより少なく、対価を払う限りにおいて常に平等が企図されるのです。
繰り返しますが、以上は想像に過ぎません。

思いやりという表現をなさいましたね。人を殺した人のことも合わせて思いやれるほど豊かになっただろう、ということではないでしょうか。そのような自覚に至れるよう導きたいのでは?

残念ですけれど、僕の認識は現在このくらいです。

一視聴者 | 2008年06月08日 19:11

平等な社会制度を作るのに、「感情」という曖昧で計りようもないものを認めることはできないと思います。被害者の感情を回復しなければならないというけれど、その定義もなければ、客観的な尺度もなければ、回復するための明確な方法もないのです。
であるならば、徹底して感情的な要素を排除して、事実に基づいた司法制度にしていくのはあたりまえの話だと思います。感情は社会を不平等にするものだと言ったら何か間違っているでしょうか。死刑制度を推進するにしてもそのことはきっちりと踏まえるべきだと思います。

社会を包摂する遺産はかつては天皇制だったと言っていましたが、残されたもう一つの遺産として仏教があると思います。現在や過去のいろいろなマイナスイメージもありますが、「無常」や「無我」が表す真理は現代の社会問題を解く鍵だと思います。社会の包摂性は「無我」ということではないでしょうか。この世のすべては、常に流れ変化していて、その中にいる私も変化の流れの一部であり、そして変わらぬ「私」というものもないことに気づく。
「私」とは、大河の一滴とか体の中の細胞の一つようなものという例えのように、社会という流れに包摂された存在であり、その認識は、過剰に個人の権利を要求するに風潮に対して役立つと思います。死刑推進派の方々の中にもチベット支援の方もいると思いますが、仏教がどういう世界観を持っているのか考えてみるのもいかがでしょうか。ダライラマは中国政府に応報感情を出さないでいますね。

スイチ | 2008年06月08日 00:52

宮台さんは胃が悪いですね。
食べすぎかな?

匿名 | 2008年06月08日 00:34

現在、被害者や遺族等の直接的な関係者以外が、感情的回復のために死刑の存置を望むのは、おかしい。
被害者や遺族等は、ケアをやられるようなことがほとんどなく、死刑を求めても心が癒されるわけもないが、それでも、死刑を求めるしかないような心の苦しみがある以上、死刑を求めるなとは、到底言えない。

しかし、直接関係のない者が、死刑を求めるのは、どう考えてもおかしい。
現状の警察・検察の取り調べが不公正、不透明であり、裁判は弁護側よりも検察側に圧倒的
に有利であるので、このような裁判は、正統性に疑問がある。そのようま状況で死刑は、やってはいけないことだ。

もし、死刑を制度として残すのなら、警察・検察の取り調べを公正にし、透明にして、かつ裁判をじっくりとやる(現在はスピードアップを求められているが、それの逆でより丁寧に慎重にする)事により、手を尽くしてじっくりと裁判をやったが、それでも死刑という判決になってしまった、という形でなければ、いけないだろう。


さらに、世界が死刑廃止の流れにあるのに、死刑を残すのは、問題があるだろう。
「犯人引渡し条約」は、現在日本はアメリカと韓国としか締結されていない。死刑を廃した国としては、「死刑」が残っている野蛮な国とは、この条約を結ぶことは、あり得ないでしょう。
外国人が犯罪を犯して、自国に逃亡してしも、相手の国が引き渡してくれないのでは、死刑以前の問題になる。死刑が残った結果として、外国人犯罪者は自国に逃亡すれば、罪に問われないなんてのは、馬鹿げている。

少し視点が変わるが、今回の番組中で言われていた、包摂的な社会をどう評価するかという問題もある。
包括的な社会がいいものとして、取り戻すことに同意するなら、死刑は廃止、または極めて例外的な刑として残すかしないといけないだろう。
包括的な社会とは、暖かいコミュニケションのある相互扶助的な社会理解している。
「凶悪犯は死刑!」と簡単に言うような社会では、包括的な社会に向かっていけない。

DT | 2008年06月07日 20:42

まいたけマンさまの見解から
それは日本では「死刑・暴力・攻撃」がバタイユの“聖なるもの”になりつつある
ということかしら?
であるなら、もっと死刑は可視化される必要ありそうですね。アムネスティから
先祖帰りといわれようとも、公開死刑するもよし、CATVの死刑実況chもよし。
同時に、ハイビジョンやブルーレイなど映像技術に長ける日本ならば、日本の
“聖なるもの”になる可能性のあるものの積極的な可視化も必要ですね。
CATVにお祭りch、日本の四季ch、etc・・・・その上でやっぱり「死刑」が日本の
“聖なるもの”であるならばそれはそれで仕方がないですよ。私はお断りだが。
映像による“聖なるもの”探しが私の処方箋としての提案ですが、日本では、
ニコ動に上がったT V番組を基にファンの交流が広がりつつあったところを、
著作権を盾に削除だけして安堵しているTV局には出来ぬ相談であることは
判ってはおりますが。

EN | 2008年06月07日 14:08

ここでのコメントに攻撃的な言葉が多く使われていること自体に、
何か大きな意味がありそうですね。
なんで攻撃的になんだろう。ならざるを得ないんだろう。
自分は一つの大きな要素として、宗教性の欠如があるんじゃないかと思う。
ヨブ記などが示すように、宗教の重要な要素として、自分の偶然的存在をいかに
世界に位置づけるかということがあると思う。
理不尽にもこの世に生まれ、理不尽にも死ななくてはならない
(これは親のせいではない)。
このこととどう折り合いをつけるかという問題、宗教以外の何者でもないと思う。
なんだか、理不尽・不条理に対する耐性のなさが目に余るように感じる。
もちろん、レイプされて拷問された挙句体を切り刻まれて殺されて、ただしょうがないと嘆いていても「しょうがない」のだけど。

まいたけマン | 2008年06月07日 08:00

一視聴者さんの意見は理解できますが、死刑に犯罪抑止効果が無いことがデータから明らかになっているのであれば、それでも敢えて殺す意味は何なのでしょうか。

宮台さんの言うように応報感情は一要素であるとは思いますが、死刑にならないと応報感情が満たされないというのは、やや無理があるように思います。加害者が死刑になっても、殺された人は戻りません。死刑になれば納得するのではなく、死刑があれば死刑にならないと納得できないのではないでしょうか。

死刑を継続する論理に、応報感情を満たす目的以外に、どのようなものがあるのかを、ご教示いただけるととても助かります。

私が被害者の家族であれば、私もきっと加害者を殺してやりたいと思うでしょうが、だからこそ逆にその「殺したい」気持ちを止めてくれるシステムが必要になるのではないかと思います。

宮台さんの言うように、死刑は制度なので、直接の当事者のニーズを満たすことを優先してしまっては、まずいように思います。

appleton | 2008年06月06日 20:48

素直に想像しますと、日本はこのように治安がよく、他の国家はそれほどではない、という状況があるのならば、”むしろだからこそ”殺す必要があるという考え方に行くことは自然です。何故そうならないのか?結論ありきではありませんか。神保さんの立場はあまりにも固定されています。その立場は日本において上手くまわる思想でしょうか。

誤解のないよう述べておきます。現在個人的には、死刑制度廃止に傾いており、
客観的に見て神保さんのファンでしょう。

一視聴者 | 2008年06月06日 18:22

・人が一人この世から消えるの
・人が内職や工場でモノを作るのと

どっちが社会にとっていいと思うんだ?


友達のイタリア人が言ってました。
カトリックだからね。

u_law | 2008年06月05日 23:16

moko666氏の“市民社会の承認”に至る市民の側の
・国家、マスコミ(含VN)情報の第三者的視線
・同じ市民である犯罪者への再帰的視線
が、必要であると神保・宮台は論じていると思いました。
つまり、“癒し”保守ではなく“本格”保守への転換が必要であると。
まあ、宮台氏が再三おっしゃっていることではあるけど。
最高裁の国籍法の対応を見ると、市民社会が変われば、国家はいとも簡単に
変わるということを示しているように思う。

EN | 2008年06月05日 10:47

しばらく前から <司法がどうもおかしい>と思っていた私、後半33分からの神保さんの疑問そして宮台さんの同意は 目から鱗でした。(早口すぎて理解するには繰返し再生する必要がありましたが・・・)
キーワードは“市民社会の承認”なんですね、全ては民度に帰結する。
さて民度を向上させる為の方策は・・・どこに求めたらいいのでしょう?やはり政治?投票に行くしかないのでしょうね。
早く新たなスパイラルがおこることを祈りつつ。
 

moko666 | 2008年06月05日 00:43

「理屈じゃねえんだ」っていう人たちは、よっぽど自信あるんだな。

俺は自信ない。俺はどうしようもない人間だから、もしどっかで歯車が狂ったら、めぐりめぐって何やっちゃうかわかんない。

「理屈じゃねえんだ。こんなやつ殺したっていいんだ。」って思いこんでさ。

そんときゃ殺されても仕方ないかもしれないけど、やっぱどうしようもない人間だから、切腹なんかできずに救いを乞うんだろう。

windmill | 2008年06月04日 12:45

死刑廃止論者は死刑廃止の根拠に冤罪の危険性を言うけれど、冤罪って、犯罪数そのものが減ってきている中で、どのくらいあるんですか?
特に死刑判決が下された事件で。
数の問題でないなら、制度に伴う受忍すべきリスクというものではないですか?
ところで、人間には霊魂が1%で肉体が99%という話はおかしかったです。
それが事実なら、「目には目を」というのもある意味、合理的ですね。
「盗んだのはこの手が悪い。だから、この手を切り落とせ!」ですか。
変なこと考えて犯行に及んだ人間は、もう二度と変なことを考えられないようにする刑罰を執行されるのか!
いろいろ、バリエーションが楽しめそうですね。(笑)
死刑廃止論者も安易な終身刑ばっかり言わないで、もっと想像力豊かな刑罰を考えましょうよ。
「脳死」刑とか。

みもふたもないみたび | 2008年06月04日 09:48

神保さんの仰るように、死刑存置なんていう概念が確かに言い訳がましいです。
日本人なんだから日本人らしく、
「切腹制度」じゃダメなんですかね。

死刑判決を受けるような酌量の余地もない殺人犯は、
清く死んで、初めてその魂は浄化されるんです。
それでいいじゃないですか、日本人なんだから。
潜在意識下にそういう古風な清濁判断が日本人として残っているから、
読売の調査のような結果があるのですよ。
自分で腹を切るのは無理なんだから、絞首刑なんでしょう。
本当はこれも自分でボタンを押して床板が外れるのが良いと思います。

もちろん死ぬ間際に自分が「冤罪」かどうかは最後まで尋ねるべきです。死刑執行後も冤罪の疑いを調べるような機関は必要でしょうし、そしてもし冤罪なら死者の無念を晴らすべくキチンとした歴史に残る名誉回復が必要でしょう。

ただ拘置所の中の死刑囚を、人間らしい営みや生活も与えず(韓国のその映画でもそうなのでしょうが)例え改悛しても社会にとって何の役にも立たないのに、その肉体のみを少々長らえて一体、何の意味があるのでしょうか。

被害者感情の回復だとか、犯罪抑止力だとかしゃらくさいです。
オトシマエ文化を劣等だとインテリが言うのなら、ご勝手にどうぞ。

ハラキリ | 2008年06月03日 22:26

神保さんが光市の事件の加害者の父親について言っている所があるけど、僕がたまたま見たTV番組では、それに加えて今は再婚している、こんな事件起こされて迷惑というような事を言っている、とあった。僕としてはなんてひどい野郎だ!という感情よりも、再婚なんてできちゃうんだなあという思いの方が先立った。親の世代に対するそれと似てたから。僕(20代)からすると団塊の世代の人たちは、公平なルールで戦った末に敗れるという選択肢なんてない、という風に見えて、言い方は悪いけどゴキブリみたいなやつらだな、と。
いつからかなんとなく思っていたことがあって、もし社会において世代間に渡り暴力が連鎖することがあり得るとする立場をとると、現在の日本におけるそのとりあえずの源泉は、(太平洋)戦中、戦後の狂った(もしくは覚醒しちゃった)人たちに求めるのが妥当だろうな、と。
最近の若者が凶悪になったとかいうのは根拠がない話で統計を見るとむしろ逆だよ、なんて言われるとうれしくなっちゃうんだけど、実際に治安が悪くなってるとか若者が恐ろしいと感じてる人の感覚を無視しちゃったら、地球温暖化についての自称懐疑論者たちと同じなわけで、局地的に見るとその兆候は明らか、みたいなことがあるかもしれない。勿論、凶悪事件の数が(例えば20歳未満についてのみ見ると?)減少傾向にあるとすれば歓迎すべきことだけど、その分自殺が増えてチャラ、だとしたら問題が整理されたことですらないわけで。つまり怨念の総量を減らさないと・・・
とか考えました。山本譲司さんが出演した時の、累犯障害者についての具体的な話なんかを見返せば、こんなの馬鹿らしくなるとは思いますが・・・

舞記名 | 2008年06月03日 18:53

○タチバナさん
>死刑を廃止するなら、死刑に変わる国民感情を納得させるような刑罰が必要

すみません、その国民感情とやらはどうやって認識されたものですか?国民投票でもやったんですか?
そもそもそんな曖昧なものじゃなくって、被害者感情を慮ってのものじゃなかったんですか?
それから被害者自身が死刑に反対だったのに刑が執行された事があったけど、これって被害者感情を逆撫でしてないですか?
こないだ判決が出た光市殺人事件にしたって、被害者の方は感情としては加害者の死を望んでたけど制度としての死刑って物を単純に肯定するような事は言ってなかったようですけど。
そうであるなら外野である我々がそんな簡単に死刑死刑って、山上たつひこの漫画じゃないんだから連呼するのもどうかと思いますよ。

それに国民一般の「感情」を沈めるための死刑って、ぶっちゃけ見世物じゃないですか。人の死を見て溜飲を下げるなんて、それが重犯罪者のものであったとしても私は御免こうむりたいです。これも一国民としての偽らざる「感情」ですが、ご配慮いただけるのでしょうか?

○思いつきさん
日本における死刑制度は戦前から存在するのに対し、犯罪件数は戦後ドンドン減っているわけですから単純に死刑制度の存在と結び付けては考えられないと思います。
逆にここ10年ほど年間自殺者数が3万人を超える年が続いてるのが気がかりです。

○みもふたもないさん
宅間守なんて自分から死刑を望んでた訳で、そんな野郎を公費を使って殺してやる事はむしろ犯罪者の思う壺だったような気がしますね。彼のようなヘタレ犯罪者に対しては、むしろ生かしたまま犯した罪の重さを自覚させる手段をとった方がよっぽど堪えたろうと。つまり、死ぬよりつらい目にあわせるわけです。
彼にしたってそれが分かってるから、そこから逃げるために死刑を望んだんでしょうし。
そういう意味ではどうして誰も言わないの?さんのご意見には半分賛成と言ったところでしょうか。

デミトリー | 2008年06月03日 18:19

死刑を廃止、停止している国々が、どのようなプロセスを経てそこにいたったのかという点について、もう少し深く掘り下げていただきたかったです。

視聴者A | 2008年06月03日 12:22

死刑制度には反対です。死刑ごときでは罪が軽いと思うから。

とはいえ、どうしても死刑を続けよういうのなら、人が殺したくてたまらない人に、刑の執行をお願いすればいいんじゃないの? 殺人罪もへるし現在の刑務官の苦悩も減るよ。

どうして誰も言わないの? | 2008年06月02日 23:54

死刑囚の改悛なんて、ドストエフスキーの「白痴」を読むまでもなく、信じられない。
彼らはね、そのときは心から改悛していても、すぐ気が変わるんだよ。
また、死刑制度があるのは民度が低い国だ、恥ずかしいと言わんばかりだが、いつも日本は民度が低いと嘆いていたんじゃなかったかな?
それなら、逆に民度が低いのに背伸びして死刑を廃止することはないのとちゃうか?
終身刑は流刑をセットにしないと財政的に保たないよ。
死刑判決を出したくないあまり終身刑判決をするようになれば、それも問題だ。
宅間守など終身刑にして、改悛すれば、じゃあ釈放するの?
そんな、ロボトミーか、玉抜きでもしないと無理だろ?
回りかねる理屈をこね回すのはヤメロよ。

みもふたもないふたたび | 2008年06月02日 23:25

「完全な終身刑」の倫理的難しさ、更生の根拠となる「社会復帰」を否定された人間を「死刑よりマシ」と死ぬまで生かせるのか?自殺の自由を認めるのか?
死刑制度のジレンマは、たとえ廃止してもまた、重大なジレンマを抱えることになることを覚悟すべきだと思います。

再放送うれしいです | 2008年06月02日 22:40

下の私のコメントで1つ訂正します。

文頭の「詭弁に近い」はわたしの建てた論について、再犯率の低さ、と、日本における死刑支持率の高さ、についてではありません。

紛らわしい文章で、すいません。

思いつき | 2008年06月02日 20:41

詭弁に近い理屈なんですが、死刑議論の時に廃止論の方がよく主張されるの物に、以下の2つの物があります。

「日本は他国に比べ、再犯率が低い事実があり、他の国がそこに注目している」
もうひとつが
「先進国の中で、死刑の支持率が高いのは日本くらい」

これを聞きながら、ふと思ったのですが、死刑推進派の人間がこれに注目して
「他国と異なり、この死刑への支持率の高さ、この意識が間接的あるいは直接的に再犯率の低さにつながっている可能性がある」
と論を展開すること、こんな展開も今後あり得るのかな、なんて思ってしまったのですが、どうでしょうか?

思いつき | 2008年06月02日 20:38

 加藤紘一議員が会長の議連が、「仮釈放のない終身刑」を創設する法案を提出するとのニュースがありました。

 これいいんじゃないでしょうかね。今まで死刑判決されていたような事案のかなりの部分が、「仮釈放のない終身刑」に吸収されんじゃないかな?

 無期懲役とは比較にならない残酷な刑で、被害者親族の方の感情にも今よりはかなり配慮できるだろうし(もちろん何をしても十分ではないけど)、受刑者にとっては再審の道も残っている。

 死刑に対して大上段から存否を論じるより、今のマズイ状況に対する現実的な対策を打った後の方が、事実に基づいた客観的で生産的な議論ができる可能性が高いのでは?
 

たろう | 2008年06月02日 20:17

悪循環がまわっているのはよく感じます。
社会が悪いから人生がうまくいかず、人生がうまくいかないから社会に攻撃的になる。ぐるんぐるん回ってます。目が回りそうです。

社会が自分に何をしてくれるかではなくて
自分が社会に何をできるかを考えろ。というのがケネディの言葉にあるようですが。

多くの人がこんなように思考できるときに、やっと「死刑」についてもいろいろな問題についても、もう少し落ち着いた議論ができるのではないでしょうか。

ああ〜そんときまで生き残ってたいな(><)

トミー | 2008年06月02日 19:12

私は「みもふたもない」さんの言もわかりますが、やはりそれでも死刑に代わる刑が必要だと思います。理由はうまく言えませんが、やはり死は人為的にもたらすべきではないと思うからで、理屈ではなく感覚です。

しかし、問題なのは死刑の賛否ではなく、死刑廃止論者の不遜極まりない物言いではないかと思います。「あ」さんの書き方も煽りに近いものがあるとかんじます。

司会の神保さんの態度も「死刑は野蛮」という前提で議論を進めており、なによりタイトルからすでに死刑に対して否定的なニュアンスを出しすぎています。
死刑を廃止するなら、死刑に変わる国民感情を納得させるような刑罰が必要なのに、「先進国で死刑があるのは日本だけ(存置論者は野蛮人)」などとしたり顔で指摘するのは逆効果ではないですか?

死刑反対の私ですら、メディアやネットで語られる死刑反対論者の言葉には独善性と傲慢さを感じて嫌な気分になるのですから、存置派の人と議論などできる状況ではないと思います。

タチバナ | 2008年06月02日 16:49

受け売りでない意見というのは難しいですね。天からでも受信しない限り。

ミンチにされかかった、ならミンチにしかけた人は殺人未遂罪の犯罪者ですね。残念ながら死刑にはなりませんけど、適切に証明できれば適切に捕まって、情状酌量でもない限り塀の中でしょう。このプロセス自体にはいろいろ意見がありますが、死刑云々とは関係のない話です。

あ | 2008年06月02日 14:09

ま、テメェがミンチにされかけてから言ってくれよな。
他人の悪口言わずに、自分の意見を言えよ。
受け売りでなく。

みもふたもない | 2008年06月02日 12:36

まあ実際のところ、↓の「みもふたもない」さんのようなところで思考停止してる人が多いんでしょうねぇ。嘆かわしいことですけど。

あ | 2008年06月02日 12:25

バラバラ殺人をする人がいますよね。
殺してミンチにしてトイレに流すような殺人者を前にどんな議論ができるというのですか?
アホなこといわんといてくださいよ。
つまり、感情的回復の二分論的議論はためにする議論でしかなく、意味ないのです。
そもそも、噛みつく癖のある犬は殺すしかないのですよ。
こういう場合、犬を処刑するのに判決文が必要として、その理屈は、そりゃ、論理的ではないでしょう。
それがどうした?と言うことですね。

みもふたもない | 2008年06月02日 11:57

司法制度について。

法科大学院制度が今非常に大きな問題です。

ぜひマル激でも取り上げて欲しいです。

宮台さん、神保さん、是非興味をもって下さい。


参考

法科大学院の底上げ検討、必須科目の拡充を軸に
http://school7.2ch.net/test/read.cgi/shihou/1212281800/

■ | 2008年06月02日 01:50

死刑存廃は結局理屈じゃないのが難しいところ。そもそも“死刑制度自体に合理性がない”なんていう議論は死刑存置派にとってはなんの説得力も持たない。
以前、団藤重光氏の『死刑廃止論』を知り合いの死刑存置論者数人に読んでもらったけど『ひどい本。意味不明。独善的、説得力なし』と散々の評価だった。

所詮水と油なんだなと感じた次第。

erskin | 2008年06月02日 00:08

安田弁護士の回(再放送)に引き続き、やっぱり考えさせられました。
あのときは安田弁護士の『死刑を認めると、この国の人権や生命は、最悪の場合は奪われてしまう程度のものであることを認めることになる』という言葉に触発されて、私見を書かせていただきました。この言葉のせいで、私にとっては喉に刺さった小骨のように、未だにスッキリしていません。

被害者感情の救済を考えるとき、私の頭には一つのモチーフが浮かんでしまいます。既に映画や舞台で使われていたら恥ずかしいのですが、それは、武器屋のシーンです。(以下、思考実験です)

死刑にならなずに塀の中に収監されている人間を、自らの手で襲撃してやるぜ、と考えてしまった主人公がいたとします。
 ※これはフィクションです。よい子も、そうでない子もゼッタイにマネしちゃダメですよ

で、塀を破壊するための××とか、止めを刺すための××フとか×××ガンを買いに、知る人ぞ知る武器屋に行きます(そんな店があったとしましょうよ、この日本に)。

中には怪しげな店主がいます。そいつは?特殊部隊に所属していて、公式・非公式を問わず様々な作戦に従事していたことのある伝説の男、かもしれないし、?脱サラして思わず武器屋はじめちゃったオヤジ、かもしれません。

そんなことは気にも留めず、襲撃に必要な武器・弾薬を一通り揃えて会計を済ませ、店を出ようとしたとき、店主が一言
『一体それを、何に使うんだい?』
って聞いてくるかもしれません。で、理由を話すかどうかは、そいつ次第。

または、何にも話してないのに
『お若いの、早まりなさんな』
って来るパターンかもしれません。(上記で理由を話したら、このパターンになるでしょうなー。)

何で分ったんだ?と思いつつ、主人公は『あんたにオレの何が分るんだ』って詰め寄るでしょう。その後に、店主が何を語りかけるのか・・・。

詰まる所、この武器屋オヤジのポジションが、被害者感情の救済に関係するのかなーって、思ったわけです。
(ごめんなさい、これがオチなんです)

謎店主の経歴が?だろうが?だろうが、主人公を思い止まらせることが出来れば、スゲーってことになります(敢えて、脱サラ店主に説得されてみたい気もする)。

また、自分が店主としてカウンターの向こうにいた場合、復讐を企てる確信犯を説得させるのに、一体どんな言葉を掛けてやれるのかなー、とも思います(『今度の土日、温泉行くから店、頼むね』『マジっすか、店長!超・ブルーなんですけど・・・』)。

店主の発言が会計の前と後では意味が変わるかも知れません。
(会計の前なら、手元に武器が届かないかもしれない。『そんなヤツに、ウチの武器は売れねー。』『じゃあ、どんなヤツなら売れるんだよ!』)
(手元に武器が届いてから、考え始める主人公もいるかもしれないなー)

また、行く先々の武器屋で購入を断られちゃったら、襲撃計画を見直さざるを得ない、かもしれないです。(『申し訳ありません。当店の規則によりまして・・・』『は?ここ5軒目なんですけど?どーゆーこと??』)

そんなことを考えさせられ(?)ました。

しらふ(前)大統領『頭がさー、映画モードなのよさー』 | 2008年06月01日 17:18

22:35ころに「アメリカでは国全体としては死刑を維持しているという話があるが、それは違う(=国としては廃止している)」という発言がありましたが、

州の裁判所ではなく連邦裁判所に起訴された場合には、死刑が下る可能性はあるのではなかったでしたっけ?
米国のTVドラマ「NUMB3RS」を解説した翻訳書にそんな記述があったような。

教えて、詳しい人!

strongaxe | 2008年06月01日 15:22
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