マル激トーク・オン・ディマンド
なぜ秋葉原なのか、なぜ携帯掲示板なのか、なぜ無差別なのか
マル激トーク・オン・ディマンド 第376回(2008年06月14日)
なぜ秋葉原なのか、なぜ携帯掲示板なのか、なぜ無差別なのか
ゲスト:東浩紀氏(批評家・東京工業大学世界文明センター特任教授)
 今回は、緊急特番として、先週日曜に東京・秋葉原で起きた通り魔殺人事件の背景を、若者文化やネット事情に詳しい批評家の東浩紀氏をゲストに迎えて、議論した。
 6月8日午後0時30分ごろ、秋葉原電気街の交差点に、2トントラックが突進し、通行人3人をはねた。その後、運転していた男はトラックを降りると、ダガーナイフで歩行者天国の通行人を次々と刺し、警察官に取り押さえられるまでの間に、17人を負傷させ、その内7人が死亡した。この凄惨な事件を引き起こした25歳の派遣社員・加藤智大容疑者は、「誰でもよかった」と犯行の動機を警察の取り調べに対して語っているという。(関連番組再放送中です)
 今年に入ってから、土浦連続殺人事件や岡山線路突き落とし殺人事件など、若者が見ず知らずの人を殺傷する事件が相次いでいる。政治家や世の識者らは、動機が不可解なこれらの事件の原因を、若者が抱える『心の闇』に求め、ネットやゲームなど仮想現実の影響として、規制を加えようとしている。現に、町村信孝官房長官が、事件発生直後の記者会見でナイフの規制強化に言及しているほか、サーバーを管理する事業者にネット上の「犯行予告」の書き込みを事前に察知させ、警察への通報を義務づけようとする動きも出ている。
 しかし、そうした場当たり的な規制が、今回のような事件の再発防止に、僅かでも寄与するだろうか。今回の事件について東浩紀氏は、「おきるべくしておきた」と語り、この事件の背景には、若者の怒りと不満が爆発寸前まで蓄積している現状があるとの見方を示す。実際、加藤容疑者自身が、犯行直前まで続けていた携帯電話の掲示板への書き込みを見れば、彼が派遣社員としていつクビを切られるかもしれない身分に強い不安を覚え、社会に対してもやりどころのない不満を募らせていたことが、容易に推察できる。
 東氏は、実際にこのような事件が起きるはるか以前から、いわゆるロストジェネレーションと呼ばれる20〜30代の若者たちに、不満や怒りがたまっていることは目に見えて明らかだったと指摘する。だが、昨年、論壇誌で「希望は戦争」と語った赤木智弘氏が、社会からある種の驚きを持って迎えられたように、彼らの怒りのメッセージはマスコミに無視され、社会には届かず、政治にも反映されてこなかった。また、彼ら自身も、投票による行動やデモなどの政治行動が、彼らの状況を改善するとは到底期待できないと感じていた。政治的な表現の場を失った彼らが、怒りや不満を社会に訴える手段として、ネット掲示板があり、そしてその究極の形としてこのような凶行を選んだと考える方が、今回の事件はより正確に理解できるのではないか。それゆえに、東氏は今回の凶行を「テロ」と呼ぶべきだと言う。事実、ネット上では、加藤容疑者の犯行そのものは断罪しつつも、彼の置かれた境遇については、共感の声が多く寄せられているという。
 マスコミの報道などでは、加藤容疑者のゲームやアニメへの傾倒ぶりや携帯電話での書き込みを根拠に、オタクゆえに犯行現場を秋葉原に選んだとの分析が流布されているが、自身が真性のオタクを自認する東氏は、今や秋葉原は、繁栄する東京の人気観光スポットに成り下がっており、もはやオタクの聖地などという存在ではないと言う。秋葉原が犯行現場に選ばれた理由は、一般人も訪れる、現在の社会を反映し、注目される場であったことが大きいのであって、それを無理矢理ゲーム、アニメなどのオタク文化を結びつけることに、東氏は疑問を呈する。
 あくまでここまで開示された情報を元に判断するしかないが、加藤容疑者のゲームやネット、携帯とのつながりは、現代の若者としては何ら特別なものは窺えない、標準的なものだった。むしろ加藤容疑者の発言を追うと、彼には、携帯サイトに書き込む以外の外界とのコミュニケーションがほとんど存在しない、絶望的な孤独状態にあったことが推察される。東氏は、コミュニケーションが苦手で仮想現実に耽溺していると非難されるオタクたちの方が、むしろ安全であり、今回の事件では、そういう代替物すら持たない状況にある多くの若者を、いかに社会が包摂するかを考えるべきだと指摘する。
 今回は、凄惨な事件の背景と、若者をあそこまでの凶行に走らせるほどの絶望が何なのかを、東氏と議論した。

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東 浩紀あずま ひろき
(批評家・東京工業大学世界文明センター特任教授)
1971年東京都生まれ。92年東京大学教養学部教養学科卒業。99年東京大学総合文化研究科博士課程修了。学術博士。03年国際大学グローバル・コミュニケーション・センター主任研究員、同教授、同副所長を経て、06年より現職。著書に『郵便的不安たち♯』、共著に『波状言論S改 社会学・メタゲーム・自由』、『キャラクターズ』ほか。
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この記事へのコメント

続き書くのが面倒になった・・・けれど、
投げっぱなしにするのも不味いので簡単に要点だけ書いておく。

●←このブログ内の会話
■←非日常(宗教)的な感受性
▲←お笑い、ユーモア
★構造や実存の考察

どうして仕掛けをしたかと言うと、
書き込みを要素に分解されるので、あらかじめ要素に属性を貼り付けて置いた。

 例えば、「神聖」とか言ってるのは■であって、■以外は言ってない。
神聖という単語を引用した時点で■の属性に取り囲まれるのであり、
思考のレイヤーではなく、文化レイヤーに、気付かない内にズラされている。
 例えば「私・・・見る人〜(略)」は▲お笑いから引用してるので▲の文脈に戻す。
笑いの文脈からすれば、いくら技術や理論を習得してもお客さんを
笑かせなかったらダメです。「難癖つけてんの?」と喧嘩を振るなんて持っての他。
等々・・・と言った具合になります。

【1】〜【6】と顔文字トークも基本は同じです。
難易度としては、顔文字、●■▲★、【1】〜【6】の順でややこしい。

【1】〜【6】も順番ではなく性質を示している。
【1】支配できる範囲
【2】支配できない範囲での行為
【3】支配ができない事に気付けない
【4】支配できないのに行為をする人への傍観
【5】支配はできなくとも行為は可能なので続けてしまう
【6】軽視
【0】公理

【1】〜【6】を踏まえて、沈思黙考氏の返信を見てみましょう。
・・・・ほとんどが自分自身へと該当していますね、つまりループしているのです。
この状態が思考しているようで、実は構造の中に入り込んでしまった
状態なのです。こうなると構造から出ないと思考は続けられません。
そこで全く別の趣向へと思考を移すことでループから出るのです。

顔文字は非常に簡単にしてあります。すべてのセリフを(´・ω・`)に言わせて
いるので見たままです。「汚れた魂を救済」と言ってるのは(´・ω・`)ですね。
しかも、後述で(,,゚Д゚)、(・∀・)、( ゚∀゚)と会話しているので、
(´・ω・`)も演じていただけと言うことになります。すると「汚れた魂を救済できる
のは神だけなのです」は、どこからやって来たセリフで、誰へ向けて話されているのか
分からない空中を漂っているフレーズです。漂っているものを私は"示した"なので
返信しても、ノクノクへの返信ではなく空気への返信になってしまうのです。


次に応用して●■▲★を複合して絡めるみる。

 《●最初に私が「中心はあります。それは事件そのものです」と書いたときは、
事件そのものは物理的に起きた事象であることを認めました。認めた上で
事件を受けた反応が社会になくて、反応を期待した反応をしているのが奇妙だと
書いたのです。ところが付いたレスは「これって要素還元主義そのものでしょ?」と
なっている。沈思黙考氏の返信では「物理的に起きた事件」ではなく、
「事件を受けた反応や心の動き」に文意が変えられているのです。
(そもそも心の問題と、要素還元主義はこの場合関係ない)》
しかし、上述の反論は既に指摘したことであり、沈思黙考氏は同じことを繰り返し、
また要素に分解したり、あるいはスルーしてくる可能性がある。
 そこで、その一連のやり取りはブログ内でのやり取りとして●で囲ってしまいます。
そして囲った●の外部に、どのラベルでも良いので↑矢印を向けることで循環させます。
すると■へのレスは連鎖的に、●へと繋がり、再び沈思黙考氏へと戻り、戻った書き込みを
再び沈思黙考氏が要素に分解するので循環する、その繰り返しが見えやすくなるのです。
 その(■↑ただし、それを)の中には、「ブーメラン現象」以外にも、「謙虚であること」や、
「言語の展開で済ますのは浅はか」だと言うことも言及していますが、これらの書き込みは
一時的に消します。つまり〈要所要所の間違いはお構いなし〉という事!。もっと言ってしまえば
部分を間違えさせる事で、文脈を切り替え全体の意味づけを書き換えてしまうのです。
お構いなしどころか、人為的に間違えさせているのです。そうして活かすのは↑の矢印のみにします。
 ■に対して「無理があるのを自覚してる様で、警戒してますなあ(笑)。」と沈思黙考氏はレスしました。
すると、■は●へと移行して、要素に分解している行為への言及へと繋がります。そして
無理をしているのは沈思黙考氏の要素の分解であり、自分でその事を指摘している事になる・・・・。
と、指差し戻ってくるのです。このブーメランは二重にできているので言及すれば、必ず
自分へと戻ってくるのです。

 次に「神聖」「純粋」「真摯」について、これらの言葉は■でしか使っていません。
なので濫用されていると言う指摘は■には有効だが、●▲★には無効どころか事実誤認となる。
また■は宗教的な感覚なので「神聖」「純粋」「真摯」は使われる用語としては当たり前なのに、
修飾語と言ってしまうのも間違い。■は言語や文学を扱っていないのだから、修飾語という
指摘も厳密さを欠く。(ここでも文脈を交互に切り替えることで、要所の意味を変更します)
 さらに、●▲★の各々から個別の指摘をされる。●は「場所を弁えてない発言だ」と言い、
▲は「何を唐突に言い出しているんだろう。変な物でも食べのだろうか?」と不思議がられ、
★からは「使用されていない単語を引用するのは引用ではなく虚偽だ」と堅苦しく答える。


 対象aは文脈aから引き剥がされることで"引用される"。引用される際に対象aは対象aのままだが、
文脈b、文脈c…と言った具合に文脈は別々で使われる。では文脈aではない、
文脈b、文脈c…にある対象aとは何者なのか。一つの見方としては文脈bや文脈cは、
対象aのありえた可能性とも言える。ただしどれだけ幾重にも対象と文脈の数が増えようとも、
(それが無限であったとしても)、aとa、bとb…といった具合に対となった組み合わせは存在
している。例え、文脈aの中にあるのが、対象b.c.d.e…ばかりであっても、対象aが存在
していた事に違いはない。しかし、文脈aと対象aが必ずしも常に合致しているとは限らない。
もしかしたら文脈と対象は、合致しないまま終わるかもしれない。
 問題となるのは、文脈と対象が合致する場合と、文脈と対象が合致しない場合に置ける
差異であり、対象が文脈から離れたり一致したりすることには、どんな定義付けが可能なのかにある。
もしかしたら文脈aの中に、対象aがなかったり、他の対象が紛れ込んでいる事を解離的人格と
呼ぶのかもしれない。

沈思黙考氏はパッチワークをしており、その為に引用先のコンテクスト情報を無視して
自分の文脈の中に取り込んでいる。そこには〈沈思黙考の文脈〉があることになる。
しかし〈沈思黙考の文脈〉はあっても、文脈の中に〈沈思黙考の対象〉がないと
文脈だけしかなくなってしまい、内容のないコミュニケーションしか残らない。

〈沈思黙考の文脈の中 → 対象・●・■・▲・★・(,,゚Д゚)、(・∀・)、( ゚∀゚)、(´・ω・`)〉
「(;;゚x゚)あれ、〈沈思黙考の対象〉は?」


言及的にみるのなら●は、〈ブログ内でのやり取りとして沈思黙考氏と私とで
共有している文脈〉だと言える。にも拘わらず、沈思黙考氏は■や▲や★に
返信をしている。キチンと相手のほうも向いて論じていれば、●だけで完結するはずである。
宗教や、お笑いや、実存に話を持っていってしまう事で●の一貫性も喪失してしまい、
残ったのは1人で引用のパッチワークをしている〈沈思黙考の文脈〉だけになる。

A「実は統合が失っている状態を示すのには、もっと簡単な方法もある」
B「と、言うと?」
A「こうやって対話形式にしてしまう事です。すると、ほらね・・・。」
B「なるほど、ノクノクが消えちゃいますね。」
A「対話をやっている本人は独りよがりなのだけど、周囲からは指摘がしにくくなる」
B「ノクノクの中心が空白なっている?」
A「その通り、他者が不在になってしまうんだ。これだと返信も難しい。」
B「でも、こういう事すると見てる人は混乱しますよ。」
A「まーね。観客としては困ってしまう。だから区分けだけはしておいた方が見やすい。」
B「だから、AとBになってるんですね。」

A「ここでもう1人、Cが登場する」
C「Cです。CはこのAとBとCの書き込みを見た人のリアクションを先読みする役回りです。」
B「先読みってなんですか?」
C「えっと、例えばこれを読んだ人は"ノクノクはまた変な事を書いている"と思うのです。」
B「ふんふん、思うだろうね。」
C「でも、それは既に私が言ってしまってますよね?」
B「うん、言った。」
C「すると"ノクノクは変な事を書いている"と指摘したくても、それは先回りされています。」
B「ふーん・・・でも先読みするとどうなるの?」
A「つまり”変な書き込みをしている”と思うって事は、思考しているつもりで実は思考してない状態ってことだよ。」
C「何か指摘されても、それは分かっている事なのです。」
B「ふーむ・・・でも予想外の反応もあるかもしれませんよね?」
A「そういう事もあるにはある。でも予想外の反応もCが窓口になっているからノクノクを直撃することもない。」
C「でも、なんかこれはズルイ気もするでしょう?」
B「うん、する。だって相手の方向いてないんだもん。」
C「だから、使うのは程々にした方がいいの。今回は相手が要素と戯れていたから特別に解禁。」

C「もしかして、統合がバラバラになるのは他者を見て話さないことに原因があるのかな?」
B「あー、確かにいまの状態もそうですもんね。統合がバラけた替わりに他者を見てない。」
A「言及的になるとこの方法に関しては、まだよく分かってない。使ったこともないから。」

B「課題はやはり、AとBとCを統合することでしょうか?」
A「いや、ぼくは統合する必要はないと思うんだ。一致があればいい。」
B「一致って?」
A「そうだな・・・例えば初音ミクを知ってる?」
B「うん、知ってる」
A「それは一致した。じゃあ、猫鍋は?」
B「知ってるよ」
A「そっか・・・・じゃあロリコンは知ってるか?」
B「なに、それ?」
A「うん、一致しなかった。これが不一致だ。」
B「???」
A「Cはロリコン知っているか?」
C「・・・・・」
A「うん、知っているみたいだな」
B「なに、それ?」
A「とってもウマーなものだ。」
B「ウマァ・・・・」
A「と、まぁ、こうやって一致できれば十分だと思っている。初音ミクや猫鍋は一致がしやすいが、くぱぁだとかロリコンは一致しにいくのだ。」

C「そういえば、沈思黙考氏はどうします。」
B「あー、そういえば・・・・・・・どうしよう」
A「放っておけば? レッテル貼り、要素に分解、疎外論しかないみたいだし。他の手法や概念が出てくる気配ないもん。」
C「一方でノクノク的な評価はどうだろう。」
A「色々だしたつもりだけどな。構造、脱構築、修辞、対話、長文、俳句、萌え、属性、タグ、論理・・・・。」
B「大分やってるね。」
A「量が多すぎだとは思ってる。」
B「あと、なんだろ・・・・。再帰性はやった?」
A「あれはやってない。だって文字で書いても判別が出来ないんだもん。"私は敢えてやってますぅ〜"とか言っても、それ居直ってるだけでしょ。」
B「それもそっか。」

C「しかし、これだけ解説しても沈思黙考氏はまた要素に分解する気が・・・」
A「ぼくもそう思うんだよねーー、なんか理解する気が最初からないというか。テキストと向き合う根気はないよね」
B「でも、何か奥深いメッセージとか寓喩とか込められているのかも」
A「あるかな〜、だって読んでも何も見えてこないんだもん。色んな本から独自解釈的に引用してるだけにしか・・・・。」
B「・・・・うーん」
A「文章を細切れにすると思考力がなくなるのは、神話学者の陥った失敗だよね。」
B「神話学は知っているのかな?」
A「なんかね、構造主義とか言語学とか分かってないみたいなんだよ。」
B「ふーん」
A「それで手軽に作った論理を提示してやると、"俺が教えてやった事がやっと分かったようだな"」
C「なんだそれ?」
A「どうも論理を構築するのも出来ないみたいなのよ。やたらと論理だとか思考だとか騒ぐんだけど全然作れてない。」
C「それバカでしょ。」
A「やっぱバカなのかな。」
B「世代の問題なのかな。宮台先生くらいの世代って論理を構築するのが上手い人と、他人が作った論理に乗っかるだけの人がいる気が…」
A「頭で理解はしてるんだけど説明力はないんだよ。だから表現にならない。YESかNOを言うだけ。
C「って言うか、沈思黙考氏は何をやりたいんだろ?」
A「分からん。"ネットでは内容よりもコミュニケーションの方が優越する説"があるけど、それかな。」
B「でも、細かく分解するとどうして思考力が低下するんだろ」
A「詳しくは分からないけど、掲示板とかで全レスしてると物を考える力が低下してると感じない?」
B「あー、あるある。なんかレスしなくちゃって気持ちになって、内容とか薄くなってるの」
A「でしょ? それに気づいてからは全レスや相手の文章を区分けするのには警戒するようにしてるんだ。」

B「そろそろ終わりだけど、どうしよう」
A「"えんいー"は知っているかな?」
B「それは知っている人いないんじゃない」
A「やっぱ無理かな。一致すれば威力は高いんだけどな。」
B「漫才なら"いい加減にしろ"って言うよ、あと某ラジオだと指を鳴らす。」
C「A、B、Cの統合はしない?」
A「いいよ、バラバラで。」


おしまい。

ノクノク | 2008年12月05日 17:41

乗りかかった船・・・。

> ノクノク | 2008年08月31日 07:59
> 私のように魂の穢れた人が、どうして改心などができましょうか。
> この汚れた魂を救済できるのは神だけなのです。
間違いを間違いと認めるのに、神が必要だとは思えません。
間違いを認めるのは、社会人として当たり前。
貴殿のワン・パターンな言説のクダラナさを再提示してあげましょう(微笑)。

●要約
仲正昌樹著『〈宗教化〉する現代思想』
「自己正当化の理屈を与えてくれる疎外論は、便利なので、なかなか手放せない」

> 私のように魂の穢れた人
> この汚れた魂
"魂の穢れ"、"汚れた魂" って何なのか・・・説明できるのかね?
年齢は私よりずっと若いだろうに、
相変わらず疎外論的発想(⇒ 純粋な魂)の虜・・・。困ったもんです。

●結論
"魂の穢れ" とやらを訴える気取り屋に・・・
「汚れる前の魂の純粋さ」なんて前提自体が噴飯物だってーの。
"汚れなき純粋な魂" など何処にもないってことを、
いつまで経っても弁えられない・・・。どーしたもんかねー・・・。
同じ間違いを繰り返すことの恥ずかしさに気づいてもらいたいもんです。

自らを卑下することで、端的に、居直ってるみたいだけど、
煩悩から逃れられる者など何処にもいないって、当たり前のことじゃん。
間違いを認めるのって、そんなにツラく恥ずかしいことなのかね?
私にしてみれば、いつまでも同じ間違いを繰り返す方が、
はるかにミットモナイんですけど。
暖簾に腕押しを重々承知の上で申せば、嘆くべきなのは、
> 魂の穢れ
ではなく、誤った自己評価なんだよ。

昔読んだ数学の本で、「積分=分かった積もりになる」、
「微分=微かに分かる」、って茶化した面白い著者がいたけど、
ノクノク的「分かった積もり」の "懲りない君" には、
「微かに分かってるのかも怪しい」ことを指摘する次第。
繰り返す・・・。
http://www.jimbo.tv/videonews/000417.php
> 投稿者 ノクノク
> January 26, 2008
> ・・・〈自己言及〉という初歩を踏まえているのは、
> 大前提でしょう。ただ、直接的には使わないんです。
高すぎる自己評価(="汚れた魂")は、見るに耐えません・・・(笑)。

沈思黙考 | 2008年11月09日 02:20

4つに分類ができると思います。物語化、非虚構、信仰、利用です。

     信仰
     |
     |
物語化━━━━━非虚構
     |
     |
     利用

物語の利用とは、「被害者・加害者の事はさておき政治利用できるのならしてしまえ」と言う、よくある乱暴な主張です。物語の信仰とは、事件に対する信仰ではなく、自分が思い描いた物語に対する信心です。『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』に代表される人達は物語を信じている立場。そして物語を利用してやろうとしている立場。

非虚構の利用とは、「本心はどうあれ使えるなら使ってしまえ」と言う、無茶苦茶な作法。非虚構の信仰とは、加害者や被害者など事件そのものに対する信仰。2chやラジオ番組などでは、ともあれ事件をネタにして利用する立場。そして事件や加害者・被害者を崇拝する立場。

━━━━━━━━━━
 ところが、この四象限は根本的な欠陥を抱えている。信仰と利用に分けたが、表面的にはその区別は付くはずがないのです。
 例えば、「加藤容疑者は神!」と言ったからといって本当に信じているか分からないし、もしかしたら本気で信じて書いたのかもしれない。例えば、「格差が問題だ」「家庭との不和が悪い」「教育の抱える失敗である」と言ったからとして、本当に物語で社会を説明しようとしてるのか、ただ利用するつもりなのか分からない。
 物語派も非虚構派も利用する側は「本心などどうでもいい」と「事件の事などどうでもいい」と割り切る点では同じである。ただし、物語はコミットしようとする気持ちがないまま利用することなど出来ない。非虚構で話題を肴にしている時点で一体化しているのであり、遊びであっても信心に似た作法となっている。

ノクノク | 2008年09月04日 22:15

( ´∀`)つ[キュレネ学派][エピキュロス学派]
『限界の思考 P433』

( ゚∀゚)アヒャ
(・∀・)ニヤニヤ
(,,゚Д゚)ゴルァ

仲正昌樹『ネット時代の反論術』
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/netjidai-no-hanron.html
>この本に関心を持った人は、ちょっと歪んでいる部類に入るのかもしれませんね(p.201)。
>(1)の「見せかけの論争」というのは、〈議論する相手の方を見ているのではなくて、周りにいる人、つまりギャラリーの方を見ているということです〉(p.53)。

反論を三分類している。
(1)見せかけの論争
(2)「相手」をちゃんと見て論争する
(3)「反論」という形を通じてとにかく相手を潰したい

(´;ω;`)ウッ… 沈思黙考さんごめんなさい。悪いのは全て私です。もう何を言っても許してはもらえないと思うけれど、それでも言わせてください。現実から目をそむき逃げ出した罪深き私はどうすればよいのでしょう。神に縋りつきジット待つ日々です。
 沈思黙考さんは、人々を改心させる為にこんなにも一生懸命になっていてくれたのですね。それなのに私は拒んでしまっている。お気持ちは察しいたします。ですが、私のように魂の穢れた人が、どうして改心などができましょうか。私は加藤容疑者を信じてしまったのです。この汚れた魂を救済できるのは神だけなのです。あなたの気持ちに答える事は残念ながらできません。ごめんなさい。


(・∀・)「カチッ、送信っと!」
(,,゚Д゚)「信じちゃう人がいるから、やめろって」
(・∀・)「ドクター中松の回みたいなもんですよ」

(´・ω・`)本当にごめんなさい
( ゚∀゚)アヒャ

ノクノク | 2008年08月31日 07:59

http://www.videonews.com/charged/on-demand/381390/001372.php
[予告編]
「楽しんでる人は少なからずいると思います。」と、自分でも言っている通り、沈思黙考さんの手法は思考レイヤーではなく、文化レイヤーのズラしですよ?

(´・ω・`)お家に帰るよ

ノクノク | 2008年08月29日 01:21

 【0】ついでだから、《ポスト虚構》の概念も解体しておきます(自分で作ったものなので)。ある人が、「米国や中東は一神教だが、日本は多神教の国だ」と言いました。どこまで考えた上での発言かは知らないのですが、これは深い所でも合っていると思います。一神教は一元論であり、一つの原理に回収して説明しようとします。
 多神教を多元論のメタファーとすれば、世界の原理は多様にある事となります。各々の原理で世界を説明することは可能であり、多くの原理が共存しているのです。虚構の時代の次がないとする見方も、原理の一つに過ぎません。もちろん、他の原理もあります。【1】〜【6】のものです。

 【1】厳格な父性は、無理難題を強いてきます。それは時として暴力にすらなり得ます。しかしある限定された領域においては、訓練として必要なので難題を与えます。例えば、泳げない子を泳げるように特訓したりです。しかしそれは限定された範囲があってこそ効果があるのです。
 【2】海があれば泳げないと不便になるので泳げるようにする。という道理があります。しかし海がなくなっている状況で、泳ぐスキルを習得させるのは無意味です。無理強いしても残るのは暴力だけ。意味はないのに形式だけの作法が続くのです。
 【3】限定された範囲から思考が出られない者は原理を他者に押し付けます。しかし、明らかに相手は別の文脈で語っているので話がかみ合わない。そこで何とか話を合わせる為に、自分の思い描く原理に合う言葉を相手の発言から切り取って、切り取った部分の意味を変更します。つまり他者にラベルを貼り付ける。
 【4】【2】が無駄に続くと、呆れた住人たちは関係を断っていきます。それでも【2】の概念が頭から抜けず、作法として続けたい人々は、限定された範囲を擬似的に作り出そうとします。強いては権力を欲する構造となり、カルト的な振る舞いとなります。
 【5】自分の使用する原理は打ち負かされることがないので、間違っているのは他者であると信じて疑わない。疑いはするものの、原理が使える以上は原理に縋りつく。
 【6】これは私的な意見になりますが、【5】が許されるのは近所のおじさんまでです。論理的な思考を嗜むものが一つの原理で満足するようではダメです。

 【0の2】前々回、私がいくつも違った種類の書き込みをした意図も、違う原理を身に付けておくことの大事さと、どの原理も内側からは解くことができなくなってしまう難点を示したのです。すなわち観念が伝わらなくなってしまう事への危惧でもありますが、元々、多様な原理が共存する日本なら当然だとも言えるわけで、時代や地域によって違った世界観やパラダイムがあるとも考えられます。
 【0の3】以下、【1】〜【6】を展開します。

 【1の2】すべては虚構だと声高に言っても、それに伴うほど多様な虚構を提供できなければ、虚無を信仰する一元論の原理主義に過ぎない。
 【1の3】子供の頃、ある普遍性を手にしたとき嬉しくなって、何にでも当てはめて見ることがあります。世界を語れる法則を発見したと思うのです。例えば唯物論とかね。でも暫くすると飽きる。
 【5の2】そして他にも普遍的な見方はないかと思って探すと、やっぱりあったんですね。面白いと思ったのはトポロジー、世界はすべてドーナッツという世界観。
 【6の2】・・・何ていうか、その段階かな。一つの普遍性だけを振り回せすのが許されるのは中学生までですよ。大人なら、最低でも3つくらいは普遍的な物の見方を習得しておきたいものです。
 【3の2】だから、「俺はきちんと本も読んでいて、知識も豊富だ。それに引き換え、こいつは知識も欠落していて自分がどういう状態か分析も出来ていない。強迫的になっているのだ。さらに強迫的になっている自分に気づいてもいない。だから俺が教えてやろう」と思い込んで抜け出せない。「訳ではない」と自分に言い聞かせ続ける。

 【3の3】そもそも、「アイロニカルに見えてオブセッシブ」なのであり、オブセッシブそのものならわざわざ言及する必要もなく、自分の思い込みを露呈しているに他ならない。
 【5の2】エリートの反逆の論理は、あくまで公共の不特定多数に向けられて発する場合は有効だが、特定の相手に使ってはならない論理の構図をしている。なぜなら「俺こそがエリートだ!」と主張するだけの、どんぐりの背比べにしかならないからだ。そうならない様に気をつけるべき、というのが主張であり、注意するのなら、合理的な話にもって行くべきだ。(この場合は、観念が統合されていない社会状況のメリット・デメリット。及び、他者性の欲求を満たすための方法論。)端的にいってしまえば、そのエリートの反逆は一種のリトマス試験紙でしょうね。使った人が負ける仕組みになっている様です。
 【5の3】沈思黙考さんは、読んでいる本にだいぶ偏りがある様と推測できる。社会学は個人相手に使うことはできないからだ。ネタと言うかアホです。個人を相手に使うのなら、引用する言葉は宗教や心理学を使うべきです。
 【2の2】強迫的だという指摘もそうです。社会学は概念として使うものであり、他者に使っては絶対にならない。なぜなら強迫観念にとらわれている人相手に使ったら暴力になるだからです。

 【1の4】さて、ここで私が初期の頃に言った「信じる」の重要性が出てきます。擬似的にでも何かを信じておかないと、自分の中にある原理が落ち着かなくなってしまい誰かにレッテルを貼るようになってしまうのです。だから私は殺傷事件を神聖なものとして、信仰しているわけです。敢えてではなく本気で信じています。

 【6の2】私は、権力に靡く人には敏感でありたいのです。虎の威を借る狐なのか知りませんが、少しでも怪しい発言は気が付きたい。
 【6の3】実のところ、そうやって引用を多用するやり方にも限界は多いのです。問題は限界に自覚していない事です。私は弱点も自覚しながら使っていると思っていたので、同意を求めるために「行き詰る」と書いたのです。信仰の前では多くの言葉は無力なのです。ところがふたを開けてみたらビックリ。無自覚に一つの方法論をしようしていた事がバレている。その後は方法そのものが暴走しっぱなし。
 【4の2】なにやら、たたき続けるのが基本方針とか言っているが、それがどんな構図で行われているのか、さっぱり自覚がないようである。
 【1の5】もちろん、今わたしが使用している手法にも限界があります。複雑になってしまうので、理解しようとする人は、めっきり減ってしまうのです。だから不人気になる。
 【5の4】私のも手法としては使い古されているので目新しさはないですよ。一応おさらいとしてやっているだけなので・・・。同じことの繰り返しにしかならないし・・・。
 【6の4】この手法は今回のゲストに関係しているので、解禁しているわけで普段はやらない。
 【4の3】データベース化されたものの中から引用しているに過ぎないのだから、計画的にせよ自然発生にせよ、後出しになるのは自明です。予測されうることしか起こらないからです。もし予期せぬこと、つまりまだデータベースにない事を書けたのなら、すごい事です。

 【0の2】こうして私は最初に6つの約束を作りました。以降はその約束の応用に過ぎません。ですが大体の場面では約束が使えてしまうので、人は原理から抜け出せなくなります。人間の思考パターンは、およそこんなものです。
 【1の6】宮台さんも含めて社会学者は、こんな風に読み違えてしまう人に対してどう思ってるんだろ?社会的責任を問いたいと思った。責任と言うより、どんな気持ちなのかが気になった。

ノクノク | 2008年08月27日 03:00

 そんなに気になるなら、直接、鈴木謙介氏や論座編集部に聞きに行けばいい。ラジオにも出演してるんだから番組にメールでも送りなさい。運がよければ回答がもらえるでしょ。
 どこかからか文を引っ張ってきて、盛大に誤読して、批判されると暇つぶしだと言いだして。チャーリーさんは後輩の友人が事件の被害者であり、ラジオ番組では受賞を祝うはずだったけど、そんな雰囲気ではなくなったので、仕方なく番組内容を変更している。(だけどマル激が急ぐ必要はなかったと、今でも思う。)
 そんな事件との接点がある人の社会的な分析を話題にしている最中に、紆余曲折あったにせよ「暇つぶし」だと言い捨てる人の神経とはどんなものなのか。私が主張した、「この際、亡くなった人のことはどうでもいい。私はこの類いの事件には、現代社会で見えなくなった人間の心理があるんだと信じている」と、どちらが非倫理的だと思いますか……。

****
 グリンゴさん、それは違うでしょう。その捉え方(概念)は私のものではありません。最初に考えたのは誰か知りませんが、(あるいは集合的無意識の産物。)ひとまずは、鈴木さんや宮台さんが主張しているものです。私は、少しばかりの主観を交えつつ、自分の言葉と解釈に置き換えて書いたに過ぎません。沈思黙考氏の誤読が場面的に酷すぎ、放っておけないので訂正したのであって、個人的な関心とは別問題です。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9610
http://xc523.eccart.jp/h575/item_detail/itemId,201/
 もしよろしければ読んで見てはいかがでしょう。内容はややこしいです。前に私が、「物質や生活が作り出す社会ではなく、社会の中の情報や精神を扱うのは、社会学的に限界ではないのか」と、疑義を呈した通り、扱う対象が社会の精神分析になっています。ちなみに『創』の方が読みやすいと思います。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=651
 例えば、宮台さんも表題を『孤独な勘違いの背景こそ問題』にしようとしていました。『承認が得られない社会が起こした、凶行という逃げ道』とか、なっていません。
 沈思黙考氏は、締めで"虚構"と強調していたので、キチンと読解しているのかと思いましたが、何度読み返しても文意は『虚構を信じてしまう人々』的になっておらず、『承認を得たいが為に強迫的になっている人々』と読める内容なのです。
 『創』や『論座』での要点は、「どうして借金の話題は上らずに、モテ非モテの話題ばかりなのか?」です。そこから「ネット社会では、共感が得られるテーマを無意識的に選んでいるんじゃないのか?」と見ているのです。人が情報を取捨していく時に、どんな心理が働いていて、それが集団になったとき、社会はどんな働き方をするのかと、伝えたかったのでしょう。

 もちろん、社会論的には「人は誰かから認められたいし愛されたい欲求がある。どれだけ強がっていても一人では生きられないのだ。」と、承認と他者性の問題にしても良いのです。それはそれで大事なテーマです。しかし他人の論文や記事を誤読してやる事ではない。もしも歪曲しているなら道徳的に問題がある。これでは鈴木謙介氏が「加藤容疑者が誰からも承認されなかった事こそが社会問題だ」と主張していると、さらなる誤解を招き兼ねません。

PS/ そもそも、あなたが相手の名前を気安く呼びすぎたから、相手が怒って報復を受けたのでしょう。それを被害者ぶられても困る。対談や文通で相手の名前で遊ぶのは侮辱する行為です。そんな事は普通しません。礼儀がなっていないからです。
 免疫不足だとか、効果だとか、俺は観察しているのだとか、俺もやられたからやっても良いとか、個人的な問題とか、そんなのを言い訳にしてはいけない。一つの罵詈雑言や大暴れを見過ごしていれば、「ここでは何やっても良いんだ」「悪口ばかり書いてやれ」と、どんどんエスカレートします。公共空間や言論を悪用してはダメ。善くなるように努めるのがコメント欄に書き込む際のマナーです。
 何を勘違いしているのか知りませんが、思い上がりは大概にしなさい。

ノクノク | 2008年08月26日 02:23

>今起こってるのは次の段階。《ポス
>ト虚構の時代》なんですよ。

>どの虚構も隠れ
>てしまったので、反復と存在しかな
>いのです。言語と、物理と、精神の
>間に障壁が発生している、それが今
>日の課題なのです。

>「50年前は《人間》という概念があ
>ったそうだよ。」になってしまう。

 そうですかー。ポスト虚構ですか。ノクノクさんは偉い人ですね。捉え方が大きいんですねー。勉強になります。

 現実も虚構というのは、人間社会が約束事(抽象概念)で成り立っていることからして、いつかは起こり得る結果、という理解でもよろしいでしょうか?

 インターネットの発展で主観と客観の区別がいっそう曖昧になり(例えばブログなどで、個人がwebメディアの一部を構成するので)、客観の価値(マスメディア優位という価値)が大幅に下がったことが言語機能(論壇文化人?)の低下に拍車をかけているようにも感じられます。

 これはデジタル化それ自体とは何の関係もなくて、有効なメディアが増えれば増えるほど生じるんでしょうね。

 例えば、義務教育において学校以外の多様な民間教育の割合が極端に増える。
⇒学校の先生の言葉は相対価値を落とす。
⇒学校は教習所みたいになってしまう。
⇒『50年前は担任の先生、クラスメートという概念があったんだって』・・。

 別の例では宗教を類推します。

 当社は教会だけが聖書を独占し、人々は教会でのみ聖書の情報(神との対面)にアクセスできない時代。
⇒印刷技術で誰でも聖書を手にして神と対面できる時代。
⇒団体によって作法がバラバラに異なっていく時代。
⇒信仰する対象たる神が社会の中で個別バラバラに異なっていく時代。
⇒最後に信仰しなくても(生きる原動力が無くても)取敢えず生きていける時代。

>事件がシンボルにすらなり得
>ない奇妙さを言ったわけで
>す。正直、不気味です。

 そう言われるとそんな気がしてきました。ただ、経団連主動の階層化の進展が、既存マスメディアの動きを鈍らせているということは無いでしょうか。

 

グリンゴ | 2008年08月21日 18:10

http://www.videonews.com/on-demand/381390/001372.php
 何が「どー思います?」だ。このスーパーエキセントリックな誤読はなんとも救いがたい。一体いつの時代の話をしてるんだ。
 あのね虚構の時代は、もう終わったの。今起こってるのは次の段階。《ポスト虚構の時代》なんですよ。名称がないのは、名称がないことが現代の複雑を表しているんです。ある人は《動物化》と称したり、またある人は《不可能性の時代》と称したりします。
 起こっているのは言論の空転です、そこに不満と疑念がある。脱構築は、政治の場で行うと延々と思考が先延ばしされ続けるので、実質的には保守化を意味します。ある時期から権力を作動させるための手段を我々?は喪失してしまった訳ですが、それが頂点に達していたのが90年代の《虚構》であり、その頂点を無理やりこじ開けようとしているのが、00年代の《ポスト虚構》です。鈴木健介さんも、その事に気づいています。変に断片化せず文脈を読めばわかる事です。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9610

 (人々は)何とかして権力や政治を機能させたいのだけど、もはや機能不全で〈言語〉は使い物にならない。仕方なく、物理的な世界に強制介入するために暴力を発生させる。すなわち、公共の言語空間がすべて虚構になっている状況で、無理やり物理と言語の相互作用を起こすための強攻策です。
 鈴木健介さんも、この強攻策の状況を問題視していて警鐘を鳴らしている訳です。「科学の言葉や、虚構の言葉ばかりに注目するあまり、内側から発せられる言葉をぞんざいに扱いすぎてはならない」と。そして「ぞんざいに扱うと、物理界からの強制的な介入を余儀なくされる」と。
 しかし鈴木謙介氏の問題提起はかなり厄介です。だって言葉が機能しない状況で、論客は言葉を使って、何をやれと言うのでしょうか? 武器が使えないで戦争するようなものです。

http://www.miyadai.com/index.php?itemid=357
 宮台さんも似たことを言っています。ただ私は宮台さんからは焦りみたいなものを感じる。鈴木謙介さんが、言語の機能不全による物理への強制介入を問題視していたのとは別に、宮台さんは言語の中の観念が消滅してしまうことへの不安がある。虚構の時代では前時代である《理想の時代》の残留が残っていますから、理想ばかり語り現実を見ない人々の目を覚まさせるために批判的なポーズをとりました。そして最終的には、理想はおろか現実さえも虚構だと結論付けました。
 そして、ポスト虚構の時代に突入すると、前時代である《虚構の時代》とは逆の事態になる。あらゆる事象が物凄い速度で虚構化していくので、わざわざ批判するまでもありません。それどころか批判している時点では既に遅いのです。これが番組中にも言われていた、「グローバル化で問題なのは速度だ」です。例えば「家族」を例にしてみます。虚構の時代では、再帰的に理想の家族像を体現しようとします。この時点では捻くれてはいるものの、まだ素朴さがあります。ポスト虚構になると観念が消えているので再帰的になろうにも、その虚構のイメージが喪失しているのです。仮に在ったとしても、伝わるまでに時間差がありますから観念が一致しない。ですから「お父さんがいて、お母さんがいて、子供がいるのが理想的な家族なんだ」と想い口に出したとしても受け止めた人によっては「この人は何を言ってるんだ?」と、まったく理解不能になるのです。つまり再帰性以前に「家族」の概念が消えているのです。384回で、押井守的な表現で宮台さんが語っていましたが、グローバル化の波が速すぎると「人間とは何か?」以前に、「50年前は《人間》という概念があったそうだよ。」になってしまう。そうならない為に、社会学者は頑張っているんでしょうね。それは90年代に相手にしたものよりも、さらに大きな相手になるかもしれません。
 『不可能性の時代』でも作品群が反復ばかりがモチーフになっている事を言及しています。

 そしてノクノクが言ったのは「構造にも、実存にもなってないよ。ただの物理作用と、人の純粋な感情が発生しただけだ。」です。事件がシンボルにすらなり得ない奇妙さを言ったわけです。正直、不気味です。事件を回収する言論が何もないから宙を彷徨っているんです。まるで誤配された郵便みたいに…。なのに、人々はそれを紙切れだとは思ってない。明らかに強力な事件だと思っている。だけど、どう解釈すれば良いのかわからずにいる。どの虚構も隠れてしまったので、反復と存在しかないのです。言語と、物理と、精神の間に障壁が発生している、それが今日の課題なのです。

>>クリンゴさん
 もしかしたら、そこには、グローバル化も影響しているかもしれません。平和ボケはどうだろう・・・・。日本人は元々、病的に平和が好きな民族なのだと思いますけど。

 改めて、宮台さんのブログを「再帰」で検索してみれば分かります。最近の言説は、再帰的になることへの推奨ではなく、再帰的になれなくなってしまった事態への困惑が見て取れます。正直、誰のほうを向いて書いているのかも分かりません。
 承認が欲しいとする解釈は素朴すぎます。読んでいる人が何を背景としているのかが分かってしまうからです。もしも他者性や承認が欲しいという、理想に転化が可能ならモダン的な解決策で十分です。今の段階では「承認が欲しい」と言っても、そんなのは共通前提でも虚構でもなく「誰それ?どこの世界の価値観なの?」と疑問を付き返されるでしょう。現に萌えやオタクで楽しむ人々は既に満たされているので、ピンと来ないかもしれません。

 ※それと、名前で遊ばれるのは気分が良いものではありません。イメージが固定されてしまうからです。ノックする。つまり呼び出すという意味でもなく、単純に韻で決めていたのです。

ノクノク | 2008年08月20日 21:25

ノクノクさん

 人間の未来について、「行きずりの男女がだまってセックスをしてだまって別れる」みたいな話があったけど、死(死体)も同様ということはないんですか?死んだら、人が集まってきちんと葬儀をしたり、故人を懐かしむということもなく、死体は「壊れたモノ」としてゴミ箱に捨てられてしまう。雇用という面では既にそれが生じていると思います。

 ところで現代ってネタばかりでベタの無い社会なんですか?当然ながら、むき出しの欲望ばかりのベタ社会と思っていたので、ノクノクさんの文脈がすんなり理解できません。ネタを演じるなどしていられるか、というのが沈思黙考氏なんじゃないの?

グリンゴ | 2008年08月20日 01:17

追記です。

>どうしてもベタになれないほど私達
>日本人がしょぼくなってしまってい
>るということかと思います。(

上記の理由としては、根底に平和ボケとかグローバル経済があるのかと思います。

グリンゴ | 2008年08月16日 22:15

>どんなに考えても、どれだけ言葉を
>尽くしても、終わることが無いの
>は、人類は人が亡くなったときは、
>黙して花を添えるからです。人生が
>途絶えてしまったことや、命が消え
>てしまったことに対して、言い表す
>ことができない何かを感じ取るんで
>す。

>ここで言いたいのは、人間の心理
>は、実存と構造の相補から成り立っ
>ているのであり、互いに干渉しあ
>う。今回の事件では構造と呼べるよ
>うな形もなく、実存的な感じも受け
>ない。空白に吸い込まれてしまい、
>何も発生しなかった。現にどんなネ
>タを掲示しても、ベタになれない。

 ノクノクさんは難しいことを言われますね。私の解釈では、どうしてもベタになれないほど私達日本人がしょぼくなってしまっているということかと思います。(進化した結果では無いのだろうと。)

 要するに、本気で演じるということを馬鹿にしているうちに、演じる意欲(本能)や想像力を失ってしまったということかな。例えば、盆踊りに行っても踊らずにずっと見ているだけ、みたいな感じ・・・。

 あるいは、「人の死は、自分が死なないと元来分かり得ないものである」かですね。

 今回の秋葉事件に関して。容疑者の背景、心理に思いが至る方は恐らくいると思いますが、マル激を視聴するような人たちの中にはいそうもないと想像します。

 沈思黙考氏は普段から本ばかり読んでそうだなあ。そういう人がネタを演じるなんて、パーソナリティからして不得意そうです。一般論へと展開するのは不適当と考えます。

グリンゴ | 2008年08月16日 21:31

●いえ、違うと思うんですよね。ネタに乗ることが出来ないんだと思います。前々から、沈思黙考さんはどこまでネタなのか疑問だったのですが、どうも決め手にかけて結論が出せません。今でも自信はないのですが、「ネタを演じられない」を結論にしちゃって、いい気がします。別に試していたわけではないのですが、予想とは違ったかなと・・・。
 「なんでもベタに信じている人を批判したくなる」のはごもっとも。しかし、「なんでもネタだと批判する」のも、表裏が違うだけで本質は同じになってしまうんですね。
 「ネタをベタに信じ込む人々を批判する」をやっているのでしょう。しかし、その対立軸には「ネタを打ち出して、ベタにするだけの覚悟」があるんですよ。政治はネタを提案してなんぼの商売です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■おっしゃりたい事は察しできます。事件を信仰していいのか、と言いたいのでしょう。しかし、犠牲は神聖な力を発揮します。その中でも信じることは純粋な気持ちの現われだと思います。
 どんなに考えても、どれだけ言葉を尽くしても、終わることが無いのは、人類は人が亡くなったときは、黙して花を添えるからです。人生が途絶えてしまったことや、命が消えてしまったことに対して、言い表すことができない何かを感じ取るんです。
 議論に負けがないのではなく終焉が無いのです。その事に勘付いていた人はいると思います。となると、「あるべき参照点などない」ではなく、やり方を反転させて「参照点を創生する」にするのです。平坦な言葉でいうと《神》や《愛》です。そして強力な参照点を擬似的に作り出したら、次は〈信仰〉する。物質界や精神世界など存在せず、事件があったと思うのすら人間が作り出した観念に過ぎないという、極端な立場をとらない以上は、事件そのものや感じた心が存在することが参照点になってしまうのです。
 もっともベタに信じ込んでしまう可能性はありますが、しかしこれほど言論が融解した状態ならその心配はいらないでしょう。勝手に言論が動いている状態なので、動かそうとすれば流されているだけ。むしろ止まる事の方がズラシになります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●↑こうして内側から自家撞着の鍵をかけておく事で、構造を構築し、信じようとする精神は普遍的なものだとして、簡単には解除できなくしておきます。当事者は「敢えてやっている振る舞いだ」と内側から思っているので、解こうにもとけない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▲テレビで今『世界のナベアツ』という芸人がいます。芸の一つに「3の倍数と、3のつく数字でアホになります」というのがあります。そして数字を数えていきます。「いち、に、しゃん☆、し、ご、ろきゅ☆、なな、はち、きゅゅゅ〜……」
 ここで「私は3のつく倍数の時だけアホになっているだけだ。現に他の数字はまともに読んでいるではないか。」「最初に”3の倍数と、3のつく数字の時にアホになる”予告をした。だから本当にナベアツがアホなのではない。」「アホである自分とアホでない自分を制御できるのだ。」「笑いを作るのは大変な労力が必要であり、笑いとは高度な知的欲求の表れなのだ。」と、反論されてもバカげてますよね。そもそもこんな芸を作り出したり、こんな芸をやれる神経がアホなんですから、まともに反論してるのもアホらしい。
 で、この種類の反論はネタとしてやる分にはユニークですが、素で主張し始めたら困ります。「私は○○論を習得しているんだ!」とか言っても、そんな論は現場では役に立ちません。教養としては身に付けていた方が良いけど実際にやっちゃうのは微妙。

 この種の論理のややこしいのは「3のつく数字でアホ」と「芸そのものがアホ」との二重性があるため、本人にとって「3のつかない数字ではアホではない」と論理的なレベルでは通用してしまう所にあります。その状態から脱するためには「お笑い」という枠から出なければなりません。仮に脱しても「笑いとは高度な営み」と、言及しているので、再び取り込まれてしまいます。
 傍から見れば単純なフレームなのですが、本人は「だから、アホの状態とアホでない状態を制御する高度なテクニックであり凡人には真似ができない。知的な芸なんだ」で譲らない。循環していますから、既に行き詰っているのですが、視野が狭いと気がつかないのです。
 すなわち、思考的なレイヤーでのズラしは無効化してしまうので、文化的なズラし方をする必要があります。

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■とは言っても、私たちは犠牲を伴わないと変われないのでしょうか。これしか救いの道がなかったのでしょうか。もっと望まれるべき姿があったのだと思います。事件を信仰するのが答えだとしたら、極端な話、犯罪を崇拝する心理になりかねない。犯罪を肯定する社会はやはり異常です。異常だから犯罪として社会から排除しているのに、社会は犯罪も包摂すべきだと主張するのは、何でもありと言っているようなものです。それとも犯罪の線引きをしつつも容認する態度の事でしょうか。
 いずれにしても今回の事件では人が亡くなっていますので、取り返しがつきません。事件を前にして参照点が無いと言うのは酷いとしても、かといって気安く参照点にして良いものだとも思えない。
 犠牲があるからこそ信じるに値する、のだとしても人の命を誰が背負うというのでしょう。とても個人が背負いきれるほどのものでもありません。だから「先祖に申し訳がない」と言った、ある種、宗教的な言葉が出てくる。無理すれば、あなた自身の破滅を招きかねません。
 だからこそ信仰するに値するのです。今後はこの種の事件は増えてくるでしょう。事件の性質は違っていても、事件の捉え方は似たような構図で捉えようとするでしょう。
 万人が物語の拒否や否定を始めたら、拒絶こそが信仰の作法になってしまいます。そうなってしまえば言葉が失われているだけで、純粋な心が露呈する形となります。私たちは世界中で発生する、銃乱射などの事件を黙しながらメディアを通じて見続けます。ですが、メディアに乗ったり、例え語れなくても語ろうとする人間の行為を見る限り、心神は無関心になれない事が見て取れるではありませんか。

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▲アキバ革命テーマソングは一種のユーモアですね。どんな事件も時間が過ぎたり、無関係の人からすれば、対岸の火事。愉快で面白く感じるのが素直なリアクションなのでしょう。一見するとネタに見えますが、本質はベタ。乗りは笑えますが、置かれている状態は笑えません。

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●>>グリンゴさん | 2008年07月19日 20:20
 はい、ネットのコミュニケーションでは無理だと思います。アウラが無いからです。ここでの書き込みを読むよりは、金魚を買ってきて壊しちゃった方がよっぽど感化される物がありますよ。
 たぶん、沈思黙考さんは解説重視なのだと思う。だからパッチワークで引用的。対して私は文脈重視。要所要所が間違えていてもお構いなし。
 今回は別々のテーマで同じ本質を反復してみました。こうすれば、言葉を分解する事で意味性が除去されてしまいます。区切っても良いですが《意味》ないですよ。
 意味が集約するポイントがありますから、そこを突けば解体していきます。しかし、人工物の場合は、最初から突かれる事を想定しています。強力な威光の輝きに目が眩まないように、アンチの立場を取ったとしても、質の劣化したアンチにしかならないんです。そういう時は無理に抗うよりも、一旦は乗ったほうが外れやすい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★そして、構造的な中心の空白を語る時の疑問。では、その空白はどうやって埋められられていくのでしょうか。つまり構造主義的な構えを、批判や解除の方法として使用することがあります。「参照点などない」「脳中心主義を批判する」と言説です。
 しかし、もし本当に何も無かったら言葉も何も発生しないはずです。構造に気づく前の時点であった思い込みや素朴さは、どこから来たのでしょう。中心を掲示して、中心はない事を形式的な作法により示しますが、中心がない事を作法的に示し続けることで、作法自体がフォーマット化していきます。
 するといつかは、「中心の掲示」と、「中心の無さを作法的に示す事」を、両方扱うようになる。
 あるプログラムを入力しても、主体が認識できなければエラーです。脳や参照点がある種の構造に規定されていたとして、また同時に構造を意識したとして。中心が構造を作り出し、その後に構造に注目するから、中心が空白に見えるとも考えられる。
 痕跡の仕方は固有なものだと思います。「私」と「対象」とが一致した時点においては「参照点」と化すのです。《一貫した論理は記号の世界だけにしか現れない》。
 ですから構造と実存は本当に対立するのか……。実存といっても、実存が実存になりえる範囲には限りがあって、構造の形成も実存の範囲に納まってしまう。相補性の中にあるのなら、言っている事は同じとなってしまいます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●「>中心はあります。それは事件そのものです。」に対して、「>これって要素還元主義そのものでしょ?」は、文脈を切ることで成立してます。
 私はその後「事件すら起こってないのだとしたら漫画です。」と書いているわけで、言葉や観念にしてしまえば、それは漫画なんですよ。にも関わらず、平然と「>言葉にできるからという思い込みで、在りもしない要素を前提にしている」と言い切れるのは、まさに切っているからです。
 そこで行われているのは、在りもしない文脈を作り出すこと(無垢な人の、無垢な心)であり、悪しき思考に囚われている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■↑ただし、それを〈ブーメラン現象〉だとか、自己言及に回収しない。締めの部分で「在りもしない…(省略)…囚われている」があるけど、それを「当然の帰結」だとか言わない。
 真摯に「心」で受け止める。謙虚さが欠落すると、他者を低く見積もりますから、リスペクトを忘れない。起きてしまった事は変えられないし、事実は事実なのです。言語の展開で済ますのは浅はかです。自分の感受性は変えようがない事なのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★だから実存的になれ、という訳ではなく、事件を通じて思った事を素直に言うことを推奨している訳ではありません。ここで言いたいのは、人間の心理は、実存と構造の相補から成り立っているのであり、互いに干渉しあう。今回の事件では構造と呼べるような形もなく、実存的な感じも受けない。空白に吸い込まれてしまい、何も発生しなかった。現にどんなネタを掲示しても、ベタになれない。
 なので構造を形成してくれるはずの、下地が必要なのではないでしょうか。例えば、他者性とか、実物を見たりとか……。《神》を掲示した所で信じられませんし、否定をベースとした虚無性を信じるのもできませんよ。事件に対しても、無関係な者の心理としては、やっぱり『秋葉革命テーマソング』が一番近い心理になってしまう。自然な反応として笑いますよ……。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
▲結局のところ、どこまで言ってもネタですよね。だからベタになる努力をした方がいいと思うんですが……。なが〜い長文より、みじかい短文の方が、分かりやすい。
 私はてっきり沈思黙考さんはネタとして、やっていると思ったので遠慮なくツッコンだのですが、どうやらベタだったみたいです。正直、意外でした。そこまで分かっているなら、あと一歩だったのに。どうして、そこで止めちゃうのか…。
 そこでもう一歩踏み出し、「なぜ日本人は死刑を望むのだ。なぜ人の命を軽々しく扱うのだ。これが国家のあるべき姿だと言えるのか。許せない。私は死刑へと逃げる現代日本人の安易さを憎む!」とか、言えばいいのに。宮台さんはアメリカ追従する日本人の民度の卑しさに嘆いてました。もちろんネタとして! 同様にネタとして死刑制度を批判すればいい。「奇しくも町の名称は「光」である。これは我々日本人に与えられた希望の光ではないだろうか。人々が死刑を望むような狂気の時代に生まれてしまったのも何かの縁だろう。私はこの狂気に満ちた時代の中、死刑の残酷さを訴える決意をする。」とか、・・・・・・どうして出来ないかな。
 大丈夫ですよ。ベタに捉える人は生憎(とでも言うべきか)マル激視聴者にはいませんから。マル激に限らず、今の時代ベタに捉える人はいてくれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●おそらくこれらの手法は、ある時期までは「ネタをベタに信じていた人」に対して「それはベタではなくネタだ」と解除するために使われてきたのでしょう。しかし、それは一面的な使い方です。逆手に取れば「ネタが溢れてベタがなくなった時代」に対して「ネタをベタするのだ」と創出するためにも使えるの手法です。
 今の時代では求めらる答えが逆転していると思います。ベタをネタに解除するよりも、ネタをベタに創出する方が、はるかに難しい時代です。

ノクノク | 2008年08月13日 20:58

 あんたはベタがネタ化する(祈りがお祭りになる、小沢一郎の対米追従脱却が記者によって無視される)とかネタがベタ化する(形骸化した伝統の見直し、現代若手官僚による対米追従のベタ化)って言いたいんだろう?

 確かにそこまでは市井の方々は認識が無いだろうね。でもベタにあるべき姿は考えていないだろうな。それはあんたが世間知らずな部分もあると思うぞ。商工会議所なんか複雑だね。サラリーマンでもいるよ。お馬鹿なベタ野郎がね。

 しかし、これがまた日本では重要。日本人はベタでないと動かない人って多いからね。これだけは認めざるを得ない。(理性だけでは動かない)といって個々人の生活ではベタだけでは無い。
ややこしいよね。

gringo | 2008年07月30日 00:35

> 署名をローマ字に変更したのは何か意味があるの?
> グリンゴ | 2008年07月28日 21:46
ちょっとした遊びです。悪ノリモードの際は、
漢字もいいけど漢字以外でも行こうかな?って感じ。
今度は、ひらがなにしますね。

> じゃ、どのように市井の方々がベタなんだよ?
> グリンゴ | 2008年07月28日 21:46
> 要するに私ら一般人
> グリンゴ | 2008年07月28日 21:46
と仰る一市井人、グリンゴちゃんの失地回復に懸命な振る舞いが好例。
一体、何を失ったの? 何を??(大笑い!)

ちんしもっこう | 2008年07月28日 23:08

なかなか面白い展開になってきましたね。
品性が出てくるところが興味深い。

>こんなはずじゃなかったのに・・・>ってね(笑)。
>こんなはず? どんなはず? (大>笑い!)

もっと書け、いいぞ!(笑)

>> 私はあり得ないと思う
>と見栄を切ったグリンゴちゃ
>ん・・・あなたが自身が
> ベタにあるべき姿を考えている
>という見るも哀れな・・・
>書いてるほうが悲しくなる・・・
>疎外論にとり憑かれたあなたの哀れ
>な姿なんですよ。

「あり得ないと思う」に引っ掛かっているんだねー(笑)。
あなたの書いた

>市井の方々もその多くは、あるべき>姿をベタに思い描いてると思います>よ。

に対する事実認識の違いをあり得ないことと表現したんだよ。しっかり読まないとなー。

 税金の話があなたには分かり易いかな。市井の方々なんて「自分にとって都合のよい税制改革を望む」だけでしょ?。あるべき税制の姿なんて誰がベタに思い描く?あなた勘違いが多いよ。あるべき姿を思い描くやつなんて余程勉強している人だけだって。一般的にエリートと呼ばれるような人々(政治家、官僚、市民運動家、地域の名士等々)がネタとして掲げるんだけど、そのエリートの中にはベタになっちゃう人がいるんでしょ?マル激の放送で出てくる役所の対米追従信仰がその例じゃないの?
 自治会長程度の庶民の例を出すと、学校教育が掲げるスローガンや交通安全スローガンなどを”ベタでそうあるべき”などと思っている自治会長さんを私は知らないなあ・・・・(笑)。企業のスローガンともなれば、あれは逆説だって従業員は皆知っているんじゃないの?「生き生きと働きましょう」なんてスローガンを知っているけど、冗談かよと(笑)。

 要するに私ら一般人にとって疎外論だの物象化論などはどうでもいいの。そしてあなたの指摘や分析は外れている可能性が高いだろうね。分かった?
疎外論とか物象化論を持ち出しても仕方無いってこと。あるべき姿や無垢な原点なんてものは日常的には明らかに必要とされているけれど、それは決してベタではないということ。

 じゃ、どのように市井の方々がベタなんだよ?説明できるならしてみんさい(笑)

追記:
 署名をローマ字に変更したのは何か意味があるの?こっちの質問に応えるとこっちの枠組みに入っちゃうの?しょぼいエリートだね、実にまた(笑)?

グリンゴ | 2008年07月28日 21:46

> もういいです。
> グリンゴ | 2008年07月27日 02:09
敗北宣言?
> 大変結構(笑)。
> グリンゴ | 2008年07月27日 02:09

> 見るも哀れな・・・
> 書いてるほうが悲しくなる・・・
> tinnsimokkou | 2008年07月27日 00:01
ってのは、本音だよ。こんな程度の見栄っぱりが
> 経験を積んだ大人
> グリンゴ | 2008年07月26日 21:17
だなんて、ちゃんちゃら可笑しいからね・・・

> せめて「市井の方々もその多くは、
> あるべき姿をベタに思い描いてると思いますよ。」
> の理由をもちょっと詳しく語って頂きたいな。
あなたの顔を鏡に映してみれば、目の奥に映ってると思うよ・・・
こんなはずじゃなかったのに・・・ってね(笑)。
こんなはず? どんなはず? (大笑い!)
これじゃ不親切なのかしら?
私とのこれまでのやりとりをもう一度読み直して御覧なさい。
ちゃーんと書いてますから・・・

tinnsimokkou | 2008年07月27日 02:59

> ベタにあるべき姿を考えている
>という見るも哀れな・・・
>書いてるほうが悲しくなる・・・

 おいおい、まぜっかえしてどうするよ。無記名はよくないというレベルの話と同じだと思うぞ(笑)。いいよ、自分自身の話は書きたくない理由が別にあるんでしょう。追求しても仕方無いね。悲しんだり、怒ったり大変ですな(笑)。

 じゃあ、あるべき姿を主張しているのか、そうでないのか(成熟している?)はどうやって区別するの?。あなたの主観で決めるんだろう?(しかも経験に基づいて?)何か主張すると直ぐに疎外論でも持ち出すのかい?論戦したいだけの人では無いという訳だから、それなりの論を展開してくださいよ。私は私なりの考えを書いたのでもういいです。ご自分は議論には負けないように備えてらっしゃるということですな。大変結構(笑)。

でも限界が見えていますよね・・・。何でもありを標榜する割りには・・・ね。


>なるほど・・・ あなたに経>験の蓄積があっても、私には>無いと
>(笑)。

困りましたね。そう受け取るんですかね。気が小さいね(笑)。あなた自身に対して言っている訳では無いでしょう(笑)?

 他人が言うと説教。自分は議論に負けない。やっぱり遊戯を楽しんでいるんでしょ?こんなこと言うと、ベタにあるべき姿を訴えていることになるのかな(笑)?「遊戯はいけない!」ってか(笑)。

>コミュニケーションって、誤解を前提にしてるもんでし
>ょ?

ならば無記名でもよさそうなもんだね(笑)。

 せめて「市井の方々もその多くは、あるべき姿をベタに思い描いてると思いますよ。」の理由をもちょっと詳しく語って頂きたいな。非合理でも何でもいい。こういう理由でそう思うというとね。この点は見解が分かれる部分だからね。

 まあ、がんばって他人(ノクノクさん?)を説得してくださいよ。限界が見えていると思うけれど。

追記:

 あなた悩みを相談する人がいない人なんじゃない?

グリンゴ | 2008年07月27日 02:09

> 「市井の方々がベタにあるべき姿を考えている」ことは私はあり得ないと思う。
> この本にこんなことが書いてあるでは説得力とか迫力が無いんですよ、まるで。
> グリンゴ | 2008年07月26日 21:17
あなたの見解を支えているものって、何なんでしょうね?
つらつら読んで、浮かび上がってきたのは、社会経験の未熟な、
> 子ども向け
> グリンゴ | 2008年07月26日 21:17
とあなたが称する論説ではなく、
> 経験を積んだ大人
> グリンゴ | 2008年07月26日 21:17
と称するあなたの判断に対する確信なんでしょうねえ。
なるほど・・・ あなたに経験の蓄積があっても、私には無いと(笑)。
それが、私との少なからぬやり取りを通じた上での
あなたの揺るぎない判断ってことなんですね。
> あなたも例を上げてみてくださいよ。
> グリンゴ | 2008年07月26日 21:17
身近な具体例を挙げないと、判断材料にならないと・・・こういうことですね。
> 統率することの難しさの例として
> 「ブログの書き込みで他人を説得することの難しさ」を
> 述べているようでは未熟ですよ、甘いですよ
> グリンゴ | 2008年07月26日 21:17
身近で苦労した例え話でないと、説得力が無いってことですね。
ここで、当初の私のコメントが蘇ってきます・・・
> 何で私が、無記名ちゃんの枠組みに入んないといけないのかしら?
> 沈思黙考 | 2008年07月13日 01:10
今は、無記名、改め、グリンゴですね。

私が不思議なのは、
> この本にこんなことが書いてあるでは説得力とか迫力が無いんですよ、まるで。
と言い切るグリンゴの
> 経験を積んだ大人
としての判断です・・・ 敬愛する著者の文章を紹介するに際して、
そこに、私の経験の蓄積が込められていないなどと、
どうして決めつけるんでしょうかね?
他者の見解ではなく、自分の生の経験・・・
生きた声の方が重要だってのはねえ(ため息)・・・
問わず語りに何を告白してると思ってんのかしら?
> 私はあり得ないと思う
と見栄を切ったグリンゴちゃん・・・あなたが自身が
> ベタにあるべき姿を考えている
という見るも哀れな・・・
書いてるほうが悲しくなる・・・
疎外論にとり憑かれたあなたの哀れな姿なんですよ。
物象化論はあなたの手には負えないんですよ・・・残念ながらね。 
他人を説得する場合、自分の経験を持ち出さないとダメだなんて、
何をしょうもないことゴネてんのかね? いい加減、学習しなさい。

tinnsimokkou | 2008年07月27日 00:01

>統率することの難しさ・・・
>分かりますよ。
>当ブログで、あなたも含めて幾人か
>を説得することにさえ、
>右往左往(ってほどでもないけど
>(笑))してる私ですから。

>って、何を甘えてんのかね・・・

 統率することの難しさの例として「ブログの書き込みで他人を説得することの難しさ」を述べているようでは未熟ですよ、甘いですよと私があなたに申したんですよ。分かってますか?ほんとにあきれます。「そうですね、大変ですよね。私もブログの書き込みで苦労してます」なんて話聞かされたら、あなたならどう思いますか?それはご自分のご生業とは無関係の遊びでしょうと言いたくもなりませんか。

> 究極解など無いという諦観を持ちつつ私達人間は生きている
> グリンゴ | 2008年07月19日 19:56
>私はそう見ていないんですよ・・・>ノクノクが好例でしょ?
>市井の方々もその多くは、あるべき>姿をベタに思い描いてると思います>よ。

 ここが議論の分かれ目のようですね。ノクノクさんはある種の知的な人でいろんなことを若くして本をたくさん読んで勉強されていると思うんですよ。特殊な方で、一般的では無いと思う。
 何かにエントリーしたときに「無垢な原点」や「あるべき姿」が動機付けの役割を果たすことはあると思います。”医療を志す”でもいいし、逆に”物理が苦手だから生物に進む”でもいい。これは知的な人ほど思い悩む部分じゃないかと思うんですよね。

 しかし経験を積むうちに、無教養な人と雖もあなたの言うところの疎外論、物象論の意味を実感するようになる。といってあるべき姿を掲げない、無垢の原点を無視するというのは考えること(もっと言うと生きること?)を止めることに繋がってしまうので、あえてするということを現実に処しながら体得していくのだと考えます。

 あるべき姿、無垢な原点を考えるというのは、「物事をよく考えることそのもの」を指しているのであって、疎外論や物象論に対する反論ではないんだと思いますがね。

 「市井の方々がベタにあるべき姿を考えている」ことは私はあり得ないと思う。あるべき姿に惑わされずに、現実に処していると思いますよ。そして、生きることは「あえてすること」みたいな感触は多くの人が持っていると思う。

>日常の経験を踏まえた上で、>じっくり考え抜く作業が不可>欠なんだよ。

 例えば、あなたは何についてじっくり考えているんですか?あなたも例を上げてみてくださいよ。このあたりの話はあなたの体験とか周囲の人の境遇なんかに関する考察があるといいんですがね。この本にこんなことが書いてあるでは説得力とか迫力が無いんですよ、まるで。

追記:

 宮台氏は十代、二十代の世代がある種の理想を求めてオウムに走ったりする姿を見て、あえてすることの話を著作に書かれたんでしょう?つまり最初から子ども向けの本に、あなたが主張していることを書いたのであって、経験を積んだ大人が解さないような難しい話では無いように思いますが・・・。違いますか?

グリンゴ | 2008年07月26日 21:17

> 何も伝わってこない
> グリンゴ | 2008年07月26日 00:46
って、何を甘えてんのかね・・・
自分の引き出しが少ないから、相手を批判するに際して、
大袈裟にならざるを得ないんだろうけど、格好悪いぜ、グリンゴちゃん。
私のコメントを "遊び" と切り捨てるお前さんのコメントは、
良心の叫びとでもおっしゃりたいのかしら?

> 論戦したいだけの人
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13
> それは違うという人も中にはいると言う程度のことでしょう。
> グリンゴ | 2008年07月19日 19:56
> 何も伝わってこない
"だけ"、"程度の"、 "何も"、・・・
一部を採り上げて全体を否定したがるこの攻撃的な心根って、
beat & NSX にも感じたけど、
> 大手企業に雇用されて安穏と暮らすことができています
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13
と仰るわりには、ギスギスしてますなあ・・・
安穏と暮らしてるって、ホントなのかしら?
攻撃的であることを裏付ける見識があるのならまだしも、
煩悩の肥大を感じさせるだけで、大したことないし・・・

> 究極解など無いという諦観を持ちつつ私達人間は生きている
> グリンゴ | 2008年07月19日 19:56
私はそう見ていないんですよ・・・ノクノクが好例でしょ?
市井の方々もその多くは、あるべき姿をベタに思い描いてると思いますよ。

> 自分の言葉遣いの前提を書かなきゃ誰にも分からないだろう。
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13
コミュニケーションって、誤解を前提にしてるもんでしょ?
あなた・・・ホントは偶然を怖れる素朴な人なんだね。

> あるべき姿が無いなどと言い切れる程の大きなことを取り扱う機会はそれほど無い。
> グリンゴ | 2008年07月19日 19:56
機会の多寡について、いつ私が言及したっての?
こういうのを論点をずらすって言うんだよ。
> あなたの思い込みとは違って、
> 人々は経験によって認識しているよと私はあなたに言っていたんだよ・・・。
> グリンゴ | 2008年07月26日 00:46
"あるべき姿が無いなどと言い切れる程の大きなこと"・・・
"大きなこと" を "言い切る" には、
日常の経験を踏まえた上で、じっくり考え抜く作業が不可欠なんだよ。
何故って?
安穏と暮らすメタボな人生送ってるあなたのコメントに如実に現れてるじゃない・・・
> 多分。
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 10:14
> それはそうかもしれない。
> グリンゴ | 2008年07月23日 00:04
こうしたイクスキューズって、何で出てくると思う?

私に言わせれば、あなたは、大切な事・・・
自己言及を学習してないってことだな。
> アホだねー。
> グリンゴ | 2008年07月23日 00:04
って仰るお前さんは、ナンボのモンだってことだよ・・・

沈思黙考 | 2008年07月26日 09:24

>統率することの難しさ・・・
>分かりますよ。
>当ブログで、あなたも含めて幾人か
>を説得することにさえ、
>右往左往(ってほどでもないけど
>(笑))してる私ですから。

あなたのは単なる遊び(ネットへの書き込み)。何も伝わってこない。

>疎外論(あるべき姿あり)と>物象化論(無垢な原点なし)>をかじった方にはミエミエ
>だったんですよ。

 究極的な万人の満足を得る政策など無いことは学問をかじらなくたって経験によって多くの人が体得しているぞ、と私は言っているだけだよ。自明であるか無いかといえば自明と言ってもよかろうと思うと・・。
 物象化論で言うと、自分の商売を社会貢献という人などいないだろうよ。結果的にそうありたいという人がいるという程度の話であって、「人助けもしたいが、結果として儲からねばいけない」は一般に認識されていることだと思うが・・。松下幸之助氏だって似たようなこと言っていると思うぞ(笑)。

>疎外論(他人の発言に反応し>ているだけで主題に向き合っ>ていない

> 無記名 | 2008年06月21日 >| 2008年07月10日 00:13)を
>を是としてたんでしょ?

全く違う。

 個々人には日常的には多くの前提、制限があって、あるべき姿が無いなどと言い切れる程の大きなことを取り扱う機会はそれほど無い。あんたの日常もそう。
 あるべき姿を論じていないという程度のことのために(頭を使っていないということだよ)不幸に陥っていることが日常の殆ど。
 といって究極解など無いという諦観を持ちつつ私達人間は生きていると思う。


>私が言ってきたことと、どこ>が違うんでしょうかね?

 あなたが言いたがっていること(疎外論、物象化論)はあなたの思い込みとは違って、人々は経験によって認識しているよと私はあなたに言っていたんだよ・・・。分かった?だから私が言っている事があなたと一緒でもいいの。

>私の中では、宮台真司先生の>教え通り、
>再帰性を自覚している者=エ>リートなんですがね。

 アホだねー。そんな前提でもの言ったとして、誰が理解できる?エリートという言葉の語義は社会的地位の高い人間にあるだろう?(概ねそう理解されているはずだ。)少なくとも、自分の言葉遣いの前提を書かなきゃ誰にも分からないだろう。

 10年以上、サラリーマンやってれば、「あえてする」なんて珍しいことでも何でもないだろうよ。生きていくためにいろんなことを「あえてする」のが人生だと言っても過言では無いでしょうよ。

グリンゴ | 2008年07月26日 00:46

現場で苦労された経験が伝わってくる文章ですね。
統率することの難しさ・・・分かりますよ。
当ブログで、あなたも含めて幾人かを説得することにさえ、
右往左往(ってほどでもないけど(笑))してる私ですから。

> 君が誤解しているのはエリートでなければ
> 「あるべき姿を描くことができない」と思っていることだろう。
> それは普通の人の頭で十分に解明されていることだ。
> グリンゴ | 2008年07月24日 01:21
エリートって言葉に妙な引っかかりでもあるんですかね?
私の中では、宮台真司先生の教え通り、
再帰性を自覚している者=エリートなんですがね。
あえて、って気構えができてるから、
本スレッドにおけるあなたのように、
臨機応変に対処できる訳でね・・・
後半の文章(グリンゴ | 2008年07月24日 01:21)読む限り、
私に言わせれば、あなたもエリートですよ。

> 会社が潰れちゃ元も子も無いからね。
> 会社が生き延びて環境破壊が進むかも知れないって?
> それはそうだよな・・。
> 全体最適をもたらす現実解というものは所詮は
> 解釈がもたらす幻想のようなものと承知の上で、
> 常日ごろ、物事は実行に移されていると思うぞ。
> グリンゴ | 2008年07月24日 01:21
私が言ってきたことと、どこが違うんでしょうかね?
種明かしをしますが、私があなたやノクノクとの議論に負けないことは、
疎外論(あるべき姿あり)と物象化論(無垢な原点なし)を
かじった方にはミエミエだったんですよ。
あなた、ノクノク(「想像の中の他人の発言に反応しているだけで、
実在の他人と向き合っていない」ノクノク | 2008年07月16日 22:42)同様、
疎外論(他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない
 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13)を
を是としてたんでしょ?

> 沈思黙考氏は死刑制度に関する情報を紹介していますが、
> このスレッドは「秋葉無差別殺人事件」に関するものだから、
> ずれてますよね。
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月12日 19:41
> 各スレッドにはタイトルがあって、
> このスレッドで死刑制度の問題は展開していないという旨を言っている
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 10:14
あなたにある種の成熟さを感じるのは、
> どんどん死刑制度論を展開してよ。
> グリンゴ | 2008年07月13日 21:39
って、変わっちゃえるところです。
さすが、目端の利く社会人ですね。
実をいうと、あなたとのやりとりは、
東浩紀・笠井潔共著『動物化する世界の中で』のように、
東氏の問いかけに、ストレートには応答せず、
論点をずらしていた笠井氏の応答を想像していたんですが、
笠井氏ほど不誠実ではなかったですね。
ただ、あなたとのやりとりを通じて感じたのは、
あなたは、私以上に、社会を信じてないなってことです。
そんな御仁が、あるべき姿を信じるフリをするのも大変でしょう。
そういう意味で、物象化論・・・いいこと教えてあげたでしょ?

> できるだけ多くの人を納得させるには、あるべき姿を掲げて、
> できるだけそれに近づける努力をするしかあるまい。
> グリンゴ | 2008年07月24日 01:21
人は何かに仮託せずにはいれません(参照点なしではいられない)から、
あるべき姿から逃れることは、そもそもできないんですよ。
でも、あるべき姿など無い。
だから、あるべき姿=一時しのぎ(失敗は目に見えている)、
って自覚をもって、あえて取り組め、っていうのが
宮台真司先生の再帰性に関する教えです。
後で、素朴な人々(=非エリート="あえて" の通じないベタな人々)に、
石もて追われる覚悟を持ってね・・・
万人にとってのあるべき姿が有り得ない以上、
利益を享受できるのが、一部の者に限られてしまうのは当然。
社会統制って大変です・・・

> この種のこと(要するに政治)はエリートと雖も
> 挫折を伴うほどの難事だと思うが・・・。
> グリンゴ | 2008年07月24日 01:21
その通りですよ。
●副島隆彦著『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』より。
.劵紂璽ぁΕ蹈鵐
「いいか、民衆にとっての善は、どこから生まれると思っているのだ。
 善は、善の中からは生まれはしない。
 善は悪の中から生まれるのだ。私は、悪とつき合うことによって、
 民衆にとっての善をなすのだ」
「いいか、もし人々がレンガをほしがったら、
 誰かがそれをつくるためにドロの中を
 はいずり回らなければならないんだ。わかるか」
▲泪奪ス・ヴェーバー
1918年(ロシア革命の翌年)
オーストリア将校団に対する「社会主義とは何か」という講演中
「レーニン氏らの社会主義思想は、正しい。きわめて正しい。
 しかし、正しいがゆえに、現実的ではないのである。
 正しい人々が集まって正しいことを決議する。
 そして、社会を正しく運営しようとする。
 だが、それでは、 社会の中に不可避に存在する悪の部分、
 社会の汚らしい部分を一体、誰が処理するのか。
 どうしても解決してゆかねばならない闇の部分を
 自ら手を汚して解決する者がいなくなる。
 資本主義社会では、
 その不可避に人間が背負わなければならない悪の部分を、
 資本家が背負う。
 ゆえに、資本主義が正しく、社会主義は間違っているのである」

以下は、あなた以外の方へ向けた格好つけです。
敬愛する宮台真司先生のブログより
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=660
「辛ければ辛いほど、それは福音である。」
ここで「福音」ってどういう意味だと思います?
『ニッポン問題。』で宮台真司先生が紹介された
サイードの台詞のことを言ってるんですよ。
「故郷がある者はよい、どこでも故郷だと思える者はさらによい、
 どこも故郷だと思えない者が最高によい」
「福音=あるべき姿の不在を覚悟せよ」、
どこも故郷だと思えない者への覚醒を促してるってのが、私の解釈です。
故郷=無垢な原点=あるべき姿=共通前提 ってことです。
再帰性に自覚的でないと、あるべき姿の不在をしのいでは行けません。

女子高生が、あるべき姿(=無垢、清楚)から
かけ離れた振る舞い(=援助交際)を淡々とこなす様を、
かつて宮台真司先生は、讃えておられました。
彼女たちのその後の顛末(=メンヘラー、自傷行為)から、
宮台真司先生に批判が寄せられましたが、思ったとおり、
あえて撤回していただけだったんですね。
あるべき姿(=無垢、清楚)に根拠なんて、
何も無いんですから・・・
彼女たちを苦しめているものって、あるべき姿という全体主義・・・
あるべき姿なんて無いのに、故郷=「苦難に耐えた後に帰る場所、
あるいはどうにも苦難に耐えきれなくなって逃げ帰る場所」
がある者が成功することの方が往々にしてあるのが現実ですから。
でも、あるべき姿なんて、ホントはどこにもない。
「行きつく果ては、公共の通りで男と女が出会って、
 みんなの前で、公然と性行為を行って、かつ、
 なにげなく別れていくというシーンであろう。
 人類は、やがてその地点にまで不可避に到達していくであろう。
 全ての人間にとって自然な欲求であるものは、
 全て自然な行為としてやがて公然と受け容れられるであろう。
 これを阻止するだけの倫理も道徳も徐々に退潮しつつある。」
宮台真司先生の論説は、時代に先駆けすぎただけのことで、
副島隆彦先生が述べられたように、いずれ否応無く、
時代が追いついてくるんでしょうね。

沈思黙考 | 2008年07月24日 06:59

>目先の問題に右往左往して、じっく
>り考える余裕(頭?)がないから、
>気づかないだけのこと。


 目先の問題に右往左往はそのとおり。仮に君がそういう境遇に無いのならば君は大変恵まれた環境にあるね。確かにエリートなんだ(笑)。

 商品が今日いくつ売れるか。明日の分の仕入れは今日の何時までにできるか。私も含めて普通の人の生活はそのような事で埋め尽くされているといっても言いすぎでは無いだろうね。

>多かれ少なかれ、誰しも感じてるん
>じゃないの?
>ホントにこんなんでいいのかな?っ
>てさ。

 当然、思っているだろうし、「あるべき姿はこうだ」という認識に達している一般人だっていることと思う。

 君が誤解しているのはエリートでなければ「あるべき姿を描くことができない」と思っていることだろう。それは普通の人の頭で十分に解明されていることだ。(専門的な分野にしても、天才だけが注目される時代でもあるまい)

 重要なのは行動とか実行力の問題だろう。何をすべきかなんてのは日産の業務改革のように既にして分かっているもの。実行のために外人の経営者を連れてくるという決定をしたということが画期的。それが最適解だったかまでは分からない。でも、限られた条件において、それは正しかったとして良いのでは?(会社が潰れちゃ元も子も無いからね。会社が生き延びて環境破壊が進むかも知れないって?それはそうだよな・・。)

 全体最適をもたらす現実解というものは所詮は解釈がもたらす幻想のようなものと承知の上で、常日ごろ、物事は実行に移されていると思うぞ。

 例えば、たった何十人かの集団の親睦活動の幹事を経験してみたまえ。金を集めて、旅行や飲み会等を企画する(再配分する)ということだよ。所属構成員を全員満足させることは絶対にできない。それでもやらねばならないということ。できるだけ多くの人を納得させるには、あるべき姿を掲げて、できるだけそれに近づける努力をするしかあるまい。

 この種のこと(要するに政治)はエリートと雖も挫折を伴うほどの難事だと思うが・・・。

グリンゴ | 2008年07月24日 01:21

> エリートにもピンからキリまであるらしい。
> グリンゴ | 2008年07月23日 00:04
お前さんのエリート像って、どんなの?
エリートのピンって何なのか? 言ってみろ。

> 終わり無き日常の中では「無記名」と表現されたら困ってしまう訳で
> "あるべき姿"として瑣事を訴えることもあるんだろう?
> グリンゴ | 2008年07月23日 00:04
別に困らないよ。
どういう行動を取るかで、あなたの人間性が垣間見え、
私の対応が変わるだけのことでしょ。

> 個々人には日常的には多くの前提、制限があって、
> あるべき姿が無いなどと言い切れる範囲のことはそれほど無いだろう。
> グリンゴ | 2008年07月23日 00:04
目先の問題に右往左往して、じっくり考える余裕(頭?)がないから、
気づかないだけのこと。
多かれ少なかれ、誰しも感じてるんじゃないの?
ホントにこんなんでいいのかな?ってさ。

> 自分が賢いことを披見する場はマル激のブログくらいしかない。
> 困ったね・・・・
> グリンゴ | 2008年07月23日 00:04
私が好きで書き込んでるのに、何で困るの?
おかしな奴(笑)。
まあ何でもいいから引きずりおろしたいって
下衆な煩悩は健在ですね。

グリンゴのノイズ耐性とやらを見てやろう・・・
がんばってね。

沈思黙考 | 2008年07月23日 00:40

>私は、あなた以外の読み手も意識し
>て書き込んでる訳ですよ。
>日本人の哲学書としては、素晴らし
>い内容なんだけど、
>随分前の本だから知らない人も多い
>かと思ってね。
 
エリート?の割りにはしょぼいことしてますな(笑)。エリートにもピンからキリまであるらしい。

>あるべき姿がないのに、偶々具現化
>できたことを支えに、
>あると思い込むから、行き詰まるっ
>てことを縷々述べてきた訳です。
 
 あんたが言っている「あるべき姿がない」はある種の究極的な(哲学的な)話ってことだろ?それはそうかもしれない。あるべき姿はそれを解釈する人の立ち位置によって変わってしまうのは自明だからね。あんたは哲学的な話が大好きってだけじゃないの?

 しかしながら、終わり無き日常の中では「無記名」と表現されたら困ってしまう訳で"あるべき姿"として瑣事を訴えることもあるんだろう?それが現実だ。

 個々人には日常的には多くの前提、制限があって、あるべき姿が無いなどと言い切れる範囲のことはそれほど無いだろう。あんたの日常もそうだよ。難しい本を読んで理解する。しかし自分が賢いことを披見する場はマル激のブログくらいしかない。困ったね・・・・(笑)。

 排出権取引制度で国家の排出枠(CAP)を決めるなどといったことならば、確かにあるべき姿など不明確だろう。私も議論の現場を見て、こりゃだめだと何度か思った。

 でもそれは沈思黙考氏が悩むお題では無い。まあ気張らず、がんばってね。

グリンゴ | 2008年07月23日 00:04

> おいおい、何言ってんだが分からんぞ。
> グリンゴ | 2008年07月21日 23:59
理屈を諦めて、戦術変えたの? 

>「あるべき姿って元来、分からないもの(自明で無いもの)なんだから、
> 自明視できる分けない」って言うためだけに、
> たくさんキーボードを打ったってこと?
> グリンゴ | 2008年07月21日 23:59
そうですよ。
私は、あなた以外の読み手も意識して書き込んでる訳ですよ。
日本人の哲学書としては、素晴らしい内容なんだけど、
随分前の本だから知らない人も多いかと思ってね。
あなたをネタにして、本の紹介をしたかった訳です。

> あるべき姿は分かっていても、具現化するのは容易じゃない。
> グリンゴ | 2008年07月21日 23:59
分かってないね・・・ホントに
> 何言ってんだが分からん
> グリンゴ | 2008年07月21日 23:59
のでしょうかね・・・ まあ、仕方ありません。
あるべき姿がないのに、偶々具現化できたことを支えに、
あると思い込むから、行き詰まるってことを縷々述べてきた訳です。

沈思黙考 | 2008年07月22日 00:59

>概念語が表わす或る共通な本質的
>規定性が存在するという前提を立てれば、
>それは普遍性、超時空的不易性、
>経験的認識に対するプリオリテー
>トといった


 おいおい、何言ってんだが分からんぞ。学がある人は違うねえー。
 
 「あるべき姿って元来、分からないもの(自明で無いもの)なんだから、自明視できる分けない」って言うためだけに、たくさんキーボードを打ったってこと?

>日常、人々が感じている理不尽
>って、本来あるべき姿から
>かけ離れていることへの疎外
>感じゃないの?

 なるほど、確かに誤解を受けたかもしれない。別の例を上げると、商品開発をする上で、あるべき姿(コンセプト)を掲げる、あるいはかかげることの重要性はよく知られているでしょう。あるべき姿は分かっていても、具現化するのは容易じゃない。技術、コストあるいは政治等(社内外)の壁が立ちふさがる。これは方法論の話ですけどね。

 つまり、あるべき姿を日常的に描き続けるという商売もあるし、それは珍しいことではないのかと思うんですけどねえ・・・。

 話が噛み合ってないのかなあ。

 ところで沈思黙考さんはどんな業種なの?答えてくれないかなあ。興味あるんだよね。

グリンゴ | 2008年07月21日 23:59

私は、要素還元主義の限界を確信している者の一人だけど、
それは、要素還元主義の素晴らしい成果を前提にしてのことです。

> それは、要素還元主義の文体版でしょう。
> インターネットでは頻繁に目撃しますが、
> 説得力のあるものにお目にかかったことは一度もありません。
> ノクノク | 2008年07月16日 22:42
こんな大見得切るところが、若さなんだろうねえ・・・
在り得ない。

> 批判できる単位に区切っているので批判できて当然です。
> ノクノク | 2008年07月16日 22:42
これは、ただの同語反復。
単位の区切り方(=要素)に疑問があるなら、
その旨、具体的に説明してごらん。

> 中心はあります。それは事件そのものです。
> ノクノク | 2008年07月08日 21:31
> 大事なのは「心」です。
> ノクノク | 2008年07月16日 22:42
これって要素還元主義そのものでしょ?

言葉にできるからという思い込みで、
在りもしない要素(=心、事件そのもの=無垢な原点)を
前提にしているノクノクこそが、
> 要素還元主義
> ノクノク | 2008年07月16日 22:42
の悪しきドグマに囚われてるって、
指摘してきたつもりなんだけど、
馬の耳に念仏なのかしら・・・

> 難解な思考は、
> 素朴な言葉があってこそ活きると思うからです。
> ノクノク | 2008年07月16日 22:42
難解な思考を、素朴な言葉という要素に還元すること・・・
要素還元主義の有効性を訴えてるだけのことじゃないの?
こうしたグズグズが、ノクノク的純文学なのかしら・・・

> 日常の中で人々は認識している。
> それは違うという人も中にはいると言う程度のことでしょう。
> anything goesに対する不見識ではないと。
> グリンゴ | 2008年07月19日 19:56
"程度の" ってのが、あなたらしいね。
日常、人々が感じている理不尽って、
本来あるべき姿から
かけ離れていることへの疎外感じゃないの?
僕のあなたに対する一貫した批判は、
本来あるべき姿を自明視するのは、
可笑しいんじゃないの?ってこと。

廣松渉著『世界の共同主観的存在構造』から引用します。
「或る言葉(概念)で述定された意味、
つまり、その言葉の概念内容は、
経験的・帰納的に抽出されたものだと考えられている。
すなわち、概念内容は、
その言葉で呼ばれる一群の個物を比較校合し、
それらのもつ諸規定性のうち、偶有的なものを捨象し、
共通でしかも本質的な規定性を抽出するという仕方で、
帰納的に取り出されるものと考えられている。・・・
帰納するためには、比較校合すべき対象のグループが
あらかじめ与えられていなければならない。
換言すれば、どの範囲のものがその概念に「外延」として
所属するのかがあらかじめ判っていなければならない。
・・・しかるに、当の概念に関して、
或る個物が外延として所属するかいなか・・・の弁別は、
論理的にはまさしくその概念の「内包」に徴してしかおこなわれえない。
云いかえれば、外延が既知だということは内包が既知だということを前提する。
つまり、外延群を比較校合して帰納するに先立って、
帰納的に取り出さるべき当の内包を前もって知っているという先取と循環に陥る。」
「人びとは、語彙が厳密な概念語であるかのように想定し、
同一の語彙で呼ばれる外延群には ― よしんば
"俗衆にはそれが明晰に認識されていないにせよ" ―
何らかの本質必然的な共通規定がある筈だと信じ込む。
そして、ここにおいて、この本質必然的な共通規定性の総体(論理学上の「内包」)を
それ自体として純粋に取り出そうと試みるところから ideal な存在を要請し、
時によってはそれを実体化して「形而上学的実在」を立てることになる。
概念語が表わす或る共通な本質的規定性が存在するという前提を立てれば、
それは普遍性、超時空的不易性、経験的認識に対するプリオリテートといった
先にみたごとき irreal な、つまり realitas とは次元を異にする特別な存在性格を
もつものと推定されざるをえなくなる。
それは、しかし、論理的には整合的・必然的であっても、
まさしく前提そのものが誤っており、顚倒した臆断である。
われわれとしては、同一の語彙が述定的に表現する或る同一的なもの・・・は
そもそも存在しないと論決する。」

言葉への誤解から生じた無垢な原点など存在しない旨に事寄せて
それは違うというエリートの当然性を
廣松渉先生は教えてくれた訳。分かったかな?

沈思黙考 | 2008年07月21日 03:42

ノクノクさん

>私が言ったのは「想像の中の他人の
>発言に反応しているだけで、実在の
>他人と向き合っていない」です。

>他人や心と向き合う」を「主題と向
>き
>合う」と誤解すれば

なるほど、「主題と向き合う」レベルではまだ距離があり過ぎているんですね。「自分の身に置き換える」でも、ちょっと疑わしいかもしれません。

 とは言っても、実在の他人(秋葉事件の加藤容疑者や匿名コミュニケーションの相手?)やその人たちの心と向き合うためには、ネット上でのコミュニケーションではとても足りないような気がするけど・・・。

グリンゴ | 2008年07月19日 20:20

沈思黙考さん

>が、突き詰めて考えると、
>「進歩を妨げない唯一の原理は、
> anything goes(なんでもかまわ>ない)である」

それは別に強調しなくても心配ないでしょう。なんでも構わない(世の中何でもあり、anything goes)は世の理不尽なり幸運なりに顕在化していて日常の中で人々は認識している。

 沈思黙考さんの記述が唐突な展開であったり、自由な解釈を試みたても外れてたりするとなると、それは違うという人も中にはいると言う程度のことでしょう。anything goesに対する不見識ではないと。

グリンゴ | 2008年07月19日 19:56

 それは、要素還元主義の文体版でしょう。インターネットでは頻繁に目撃しますが、説得力のあるものにお目にかかったことは一度もありません。批判できる単位に区切っているので批判できて当然です。

 世の中移り変わって行きますから固定されていると思い込むのは危険だ、と戒めの意味でも考えたことがあります。しかし、変化ばかりを見ていると変化を望んでいる自分に気がつく。いつか変化と不変が逆転して変化しなくなる事だってありえる。グルグル回り続けているだけで結局は同じ位置に留まっている事になる。そんな時は立ち止まることです。止まっていれば周囲が変化していくので、相対的に変化している事になる。そう私は考えを改めました。
 大事なのは「心」です。事件を聞いてなにを感じてどう思ったのか。そして時には行動も変わってくる。せっかく、受賞していいムードだったのに台無しにされたラジオ番組もあるくらいですきからね(苦笑)。

 「他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない」というのは、もっともクリティカルな誤解です。私が言ったのは「想像の中の他人の発言に反応しているだけで、実在の他人と向き合っていない」です。案の定、このコメントをする前に体現していましたね。誤解ではあるけれど、正解するよりも、正解に近い誤解だと思います。
 何も考えるような事はないですよ。論理的には当然なのです。「他人や心と向き合う」を「主題と向き合う」と誤解すれば、「主題を決めているのは誰だ」となり、主体性へと返ってくる。すると自分の意見や立場を言わざるを得ない。私は既に書いていますので。もう言うことはありません。「この事件のおかげで救われた人がいるだろうと、信仰に近い感情を抱いている」が私の感情です。

 もっとも平坦な批判をするなら、犯罪者と被害者を見下すことで自分を保つ事はとても愚かです。でも意味はあすはずです。もしも、この事件があったおかげで何かを得れたのなら、加害者には死なないで欲しいと思います。
 ちなみに私のは、「合理と非合理」と似ていますが、「単純さと複雑さ」です。難解な思考は、素朴な言葉があってこそ活きると思うからです。

ノクノク | 2008年07月16日 22:42

いいね

ニート鈴木 | 2008年07月16日 02:18

> アフォリズムですか
> 名無し草 | 2008年07月13日 20:01
文字通りなら、書き込めるコメントって
「・・・」ぐらいなもんでね。
命名に失敗したかなあ?

グリンゴ | 2008年07月13日 21:39
グリンゴ | 2008年07月13日 21:51
冷静な応対・・・痛み入ります。
スレッドの趣旨云々は、
私からすれば、難癖でも何でもないんですよ。

> スレッドのタイトルが一応はそのスレッドにおける
> 書き込みに関する主題を限定している
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 00:50

仰ってることは、素朴な意味では理解できます。
が、突き詰めて考えると、
間違っている旨を縷々述べてきたつもりです。
ノクノクくんは、考えているところだと思いますが、
本スレッドにおける私の見解はおかしいでしょうか?

ファイヤアーベント著『方法への挑戦』が、
素朴だった私に刺激を与えてくれたのですが、
要約するとこんな感じです。
「今日の眼から合理的に見える科学理論の成立過程が、
 決して非合理なものを排除するわけではなく、
 むしろ、非合理なものから多くの助けを借りている。
 合理性と非合理性が、
 同じ権利で存在する社会の方が豊富な形で科学的に発展する。
 合理的=科学、非合理的=似非科学という図式を棄却せよ。」
「進歩を妨げない唯一の原理は、
 anything goes(なんでもかまわない)である」
「すべての概念がもつ変化を前提とした本質的曖昧さを強調したい
 (ファイヤアーベント著『哲学、女、唄、そして…』)」

何でもOK・・・ブログの責任者が許容する範囲で、
何でも書きたいことを再帰的に書けばいいのだと、
私は思っております。
素朴な(=偶然を嫌う)方は脇におくとして、
あくまでも、再帰的に偶然を求めてってことですがね。
代償は、こんなとこでしょうか・・・
「『方法への挑戦』に対する攻撃に対し・・・
 一年以上抑うつ症的になり、書いたことを後悔した
 (ファイヤアーベント著『哲学、女、唄、そして…』)」

> なぜ、「冤罪」かもしれないから死刑にしてはいけないのか?
> 名無し草 | 2008年07月13日 20:01
仰る通り。「冤罪」の可能性のみを根拠にしてしまうと、
他の法定刑の執行にも支障をきたし、
分業体制の存続・・・ひいては、
法の目的である社会秩序の維持が困難になるでしょうからね。

> 冤罪のリスクが無いと仮定した場合には死刑に賛成するの?
> グリンゴ | 2008年07月13日 21:51
実は、両義的なんです。
私や私の近親者が殺人者の場合、死刑でも構いません。
(ある意味清々しているような気もするぐらいです)
ただね、全く面識のない人が殺人者である場合、
他の法定刑の場合とは異なるある種の責任感を覚えるのです。
この殺人者の社会性の欠如に対する何がしかの責任をね・・・
死刑って、他の法定刑とは違って、
この社会から、当該人物を切り離す行為でしょ。
それって、責任回避になるんじゃないの?ってことなんです。

沈思黙考 | 2008年07月14日 00:52

沈思黙考さんは、冤罪のリスクが無いと仮定した場合には死刑に賛成するの?

冤罪リスク評価&対策法が非常に(曖昧な表現ですみません)高まったとすれば、ある線では死刑賛成に傾くということはないの?

 社会を信用してない人に対しては愚問(無意味な仮定)か・・・な?

グリンゴ | 2008年07月13日 21:51

名無し草さん

無記名 | 2008年06月21日です。ご意見ありがとうございます。グリンゴと記名しましょう。

沈思黙考さん

>あ・・・また、無記名にスレッドの
>趣旨がどうのと難癖つけられるのか
>しら?

いや、全然。一応は自然な展開になっているんじゃないの?どんどん死刑制度論を展開してよ。

グリンゴ | 2008年07月13日 21:39

沈思黙考さん

> 名前負けしてますよ。
> 名無し草 | 2008年07月13日 11:56
名無し草くん、それは相手次第ですよ。
水に落ちた犬と争うなら、自分も水に入らないとね。
−沈思黙考 | 2008年07月13日 12:32 −

アフォリズムですか。
あなたもなかなかの達人じゃのう。
ときどき、するどいこと言うから、好きなんですよ、沈思黙考さん。

私が死刑存続派?
そういうスタンスだったかしらね。
死刑制度廃止派のやさしい人がよく言うのが、「冤罪」の危険性ですが、その気持ちは分かるんです。
私はミステリ・ファンでもあるので、「冤罪」については、個人的には、フーダニット、ハウダニットという点で関心はありますね。
しかし、「冤罪」の危険性と死刑制度廃止とは、どうしても結びつかないのですよ。
なぜ、「冤罪」かもしれないから死刑にしてはいけないのか?
だって、死刑がなければ、「冤罪」を晴らそうとする意欲がわかないというか・・・
だから、どうしてもというのなら、個々の確定死刑囚について、こういう「冤罪」の可能性があるということを、言ってくれたら、その人については、鳩山君に「ちょっとサインは待って」とお願いしてもいいなと考えています。
非常に個人的な見解で、議論のための見解ではありませんが。
人間の尊厳を馬鹿にしてる?
そうかもしれません。


名無し草 | 2008年07月13日 20:01

> 名前負けしてますよ。
> 名無し草 | 2008年07月13日 11:56
名無し草くん、それは相手次第ですよ。
水に落ちた犬と争うなら、自分も水に入らないとね。

>> 無記名の連鎖が、本スレッドの趣旨に合致するとは思えません。
> わたしは区別がつくように表記しているよ。
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 10:14

何だこりゃ?って感じでしょ・・・
私は、理性的な知性とやらも煩悩の影響を逃れられないと
自認してる者です。そういう意味では、
一連の私の意見に拒否反応を示す無記名の感情は理解できるつもりです。

単純な話、徹底的に理性的な話だったら、
名無し草くんも敬遠したくなるんじゃないの?
無記名と僕の掛け合いを楽しんでる読み手の方も少なくないと考える次第。
・・・「火事と喧嘩は江戸の華」

そうそう、名無し草くんって、相変わらず、死刑存続派なの?
> 参考になるビデオ
> 沈思黙考 | 2008年07月10日 06:45
沈思黙考(笑)ってことなら、うれしいんだけど・・・
あ・・・また、無記名にスレッドの趣旨がどうのと難癖つけられるのかしら?

沈思黙考 | 2008年07月13日 12:32

沈思黙考さん

名前負けしてますよ。
冷静に。
素直に主題と向き合いましょうよ。
それが大人の態度です。


直近の無記名さん

何でも良いから、名前をつけなさいよ。
幾ら良いこと言っても、名前も書けないようじゃ、ダメです。
一つの名前で、一つのスタンス。
そうでないと、混乱しませんか?
私は頭がそれほど良くないので、自分がここでは誰だったのか、直ぐに分からなくなります。

名無し草 | 2008年07月13日 11:56

> 地球温暖化の話
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008>年07月13日 00:50
>って記述は、horowitz のコメント
>を読んでのことだと解釈したんです
>が、

地球温暖化は今話題の言葉と思ったので例えとして使ったまでですよ(笑)。解釈はご自由です。

>ちゃんと読んでくれてるみたいで、
>ホントうれしいです。
>そう・・・ボクの目には、horowitz
>と貴殿が重なって見えるのです。

すみませんが読んでません。

>無記名の連鎖が、本スレッドの趣旨
>に合致するとは思えません。

わたしは区別がつくように表記しているよ。

>妙な枠組みを恣意的に設定して代表
>者を名乗り

私はスレッドの主旨の代表者を名乗っていませんよね。各スレッドにはタイトルがあって、このスレッドで死刑制度の問題は展開していないという旨を言っているだけです。死刑制度のスレッドからこちらに持ち込んだ人が一部いたというだけなんじゃないのかなあ?
 
 あなたが恣意的な設定をしたがる人なんですよ。多分。

 無意味なコミュニケーションなのでもう止めましょうね。沈思黙考 | 2008年07月13日 02:35

深夜のコメント記入ご苦労さまです。

失礼。


無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 10:14

 さらに突っ込んでみよう!!

> 地球温暖化の話
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 00:50
って記述は、horowitz のコメントを読んでのことだと解釈したんですが、
ちゃんと読んでくれてるみたいで、ホントうれしいです。
そう・・・ボクの目には、horowitz と貴殿が重なって見えるのです。

そこで提案!
>「他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない」
> という主旨の良い提案
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月12日 19:41
を踏まえたコメントとやらを、とりあえず拝見させてくれませんか?

追記、
 私に言わせれば、固定ハンドルネームでの参加が、本スレッドの趣旨。
本スレッドが、固定ハンドルネームを採用しているのは、
過去の履歴を参照し合えるよう、また、2chにありがちな、
一過性のコメントを排したいとの趣旨だと解釈する次第です。
無記名の連鎖が、本スレッドの趣旨に合致するとは思えません。
スレッドの趣旨をあれこれ制限したがる貴殿も、
気になってるところなのかもしれません。
 さて、そこで提案。
せめて、無記名その1、とか、Mr.無記名、とか、
無記名太郎 ぐらいに分かりやすくするおつもりは、ありやなしや?
その意味では、
ノクノクくんの方が礼に適っていると私は考えております。

沈思黙考 | 2008年07月13日 02:35

> 落ち着いた方がいいですよ。
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 00:50
そう見えました? 見えるかもしれませんね・・・
誤りに気づいた場合には、
できる限り訂正していこうというのが私のスタイルです。

> 秋葉無差別殺人事件を巡る展開
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 00:50
ってのに、万人が一致をみる境界がありうるのか?って主張してる訳。
何で私が、無記名ちゃんの枠組みに入んないといけないのかしら?ってことです。

> >  "主題" とは何か? を巡る展開としては当然の帰結。
> そりゃ読み違いだ(笑)。そんな展開はこのスレッドには無い。
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 00:50
何でお前さんが、スレッドの趣旨を代表できるっての? 説明するのはお前だよ。

沈思黙考 | 2008年07月13日 01:10

>間違ってないよ。
>無記名ちゃんの "主題" と私
>の "主題" が噛み合ってない>だけで、

 スレッドのタイトルが一応はそのスレッドにおける書き込みに関する主題を限定しているんじゃないかと言っているつもりですよ。ここで地球温暖化の話をしても仕方ないでしょう。

>"主題" とは何か? を巡る展
>開としては当然の帰結。

そりゃ読み違いだ(笑)。そんな展開はこのスレッドには無い。このスレッドでは秋葉無差別殺人事件を巡る展開でしょ?どのように当然なのか説明していただきたいものですよ(笑)。

>何度もスミマセン・・・

>正しくは、池田信夫先生で
>す。大変失礼いたしまし
>た・・・

>名前を書き込み忘れまし
>た・・・

落ち着いた方がいいですよ。ほんとに。なんでこの程度のことでうろたえるんですか。不思議です。


無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月13日 00:50

何度もスミマセン・・・
> 池田信生先生
> 無記名 | 2008年07月12日 22:57
正しくは、池田信夫先生です。大変失礼いたしました・・・

沈思黙考 | 2008年07月12日 23:26

名前を書き込み忘れました・・・

> 無記名 | 2008年07月12日 22:57

http://www.videonews.com/charged/on-demand/371380/001318.php
> 無記名 | 2008年06月09日 04:11

上記二つのコメントは、私です。

沈思黙考 | 2008年07月12日 23:05

人を批判するってことの反作用について・・・
私のコメント読んでくれた無記名ちゃんのノイズ耐性を試してみようかしらん?
他人のノイズ耐性を詮議する者のノイズ耐性や、これ如何に・・・

> 間違っちゃったんでしょうね
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月12日 19:41
間違ってないよ。
無記名ちゃんの "主題" と私の "主題" が噛み合ってないだけで、
"主題" とは何か? を巡る展開としては当然の帰結。

>「他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない」ちゅう指摘は、
> なるほどやな。ズキューンときたワ。
> 名無し草 | 2008年07月10日 14:29

に鼓舞されて、

>「他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない」
> という主旨の良い提案・・・
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月12日 19:41

なんて意を強くしてるみたいだけど、
ノクノクの "主題" と無記名の "主題" の一致を誰が決められるのかしらねえ?
大体、他人の発言に汚されていない無垢な "主題" って、一体どこにあるのかしらねえ?
そもそも、日本語だけで決めてもよろしいのでしょうかねえ?
まとめると、「他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない」という
"他人の発言に反応している" 無記名ちゃんとは何なのでしょうかねえ? ってことです。

無記名ちゃんのコメント読んでると、往時の beat & NSX や horowitz を思い出します。
妙な枠組みを恣意的に設定して代表者を名乗り、
その枠組みに入ってないと文句を言うところなど、そっくり。
人文的(=自分をズラす)教養に欠けたオトコ達だったけど、
無記名ちゃんも、その口かしら?

そうそう、ノイズ耐性って何なのか説明してみろ!(池田信生先生風(笑))
 ← 逃げ道あるよ・・・
>主題とは違いますね
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月12日 19:41

無記名 | 2008年07月12日 22:57

ノクノクさんへ

 何だか大変ですね。「他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない」という主旨の良い提案がノクノクさんからされたというのに、この沈思黙考氏は面白い。ノクノクさんに対して余計過敏に反応している様子。過去の書き込みまでよく調べているみたいですね(笑)・・。

それに

>私が匿名であることの理由の一
>つ・・・社会を信じていない。

などと書き込んでいます。秋葉殺人事件のスレッドへの書き込みにしては興味深いですね。「社会を信じていない」とわざわざ書くのかと思うと・・・。ノクノクさんへの過剰な反応とあわせて考えると、正直言って異常を感じます。

 沈思黙考氏は随分と宮台さんの論を愛好しているという印象を私は受けたのですが、ノイズ耐性は人一倍弱そうです。ノクノクさんはこの沈思黙考氏の反応をどのように受け止めていますか?大変興味があります(すみません。主題とは違いますね)。

追伸:

 直近のコメント(沈思黙考 | 2008年07月10日 06:45 )で沈思黙考氏は死刑制度に関する情報を紹介していますが、このスレッドは「秋葉無差別殺人事件」に関するものだから、ずれてますよね。加藤容疑者の裁判だってまだ始まっていないんじゃないのかな?

 多分、早朝の忙しい時間(沈思黙考 | 2008年07月10日 06:45)に書き込んだので間違っちゃったんでしょうね

無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月12日 19:41

秋葉革命テーマソング

↓これでも歌って抗議のデモ&ストしてくださいなw | 2008年07月12日 06:14

ハァ 希望もねえ 資格もねえ
生活保障もほとんどねえ
定職ねえ つなぎ(作業着)がねえ
たまにくるのは突然解雇
朝起ぎで 作業場で
9時間ちょっとの日雇い労働
ボーナスねえ ある訳ねえ
俺らの現場は社員いねえ
俺らこんな派遣いやだー 俺らこんな派遣いやだー
秋葉に逝ぐだぁ〜
秋葉に逝っだなら クルマさ借りで
秋葉で他人轢くだい〜
アーソレ!アーヨイショ!!

ハァ 友達ねえ 彼女いねえ
ナンパ・合コンしたことねえ
キャバクラはあるけれど
ヤレる機会はほとんどねえ
信用ねえ クレカねえ
経済活動ほとんどねえ
学歴ねえ 教養ねえ
俺らの世代はゆとり世代
俺らこんな身分いやだ〜 俺らこんな身分いやだー
秋葉に逝ぐだぁ〜
秋葉に逝っだなら ナイフさぁ買うて
秋葉で他人刺すだい〜
アーソレ!アーヨイショ!!

加藤容疑者のユーモア | 2008年07月12日 06:00

まだやっとるんか!
しつこいなあ。
罵倒も手加減してやらんと、ヒスるやないか。
ま、それにしても、「他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない」ちゅう指摘は、なるほどやな。
ズキューンときたワ。
学のある人は、使う言葉がちゃうなあ。
ただ、もうちょっと、短ぁに言うたらええのに。
今度から、そうしぃな。
論文やないんやさかいにな。

名無し草 | 2008年07月10日 14:29

批判するに際しては、訳あって、手加減してコメントしてるんですが、
私への批判から推し量ってみるに、批判はしたいけど、
批判されたくはない "安全地帯(自分は安全でいたい)ちゃん" ばかりのようで・・・

私をズラしたがるノクノクくんの退屈しのぎに応えてみましょう・・・
(ノクノク的純文学って、独りよがりが目に沁みて、
 読む気力を奮い立たせるのが大変です)
ノクノクくんを、ズラすのは造作もないんですよ。ホント懲りもせずに頑張るねえ。
http://www.jimbo.tv/videonews/000375.php
> May 15, 2007  投稿者 沈思黙考
http://www.jimbo.tv/videonews/000417.php#comments
> January 20, 2008  投稿者 沈思黙考

マスコミ的オーソドックスな物言いに興醒めしている手合いには、
マスコミとは一線を画す見解を断定口調で語ると、
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13
程度のオツム(> 引き合いに出させてしまって失礼 ノクノク | 2008年07月08日 21:31)には、染み込むみたいですね。
> 論戦したいだけの人
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13
"だけ" って記述が、作為のポイントだね。
とかく梯子をはずしたがるこうした反応を見るにつけ、丸山真男ならずとも、
知的エリート嫌いをつくづく感じる次第。
無記名ちゃんはコメント欄に何を求めてるのかしらん? 曲がりなりにも
> 大手企業に雇用されて安穏と暮らす
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13
身の上・・・その他大勢とは一線を画す目新しい見解を、
どこぞで吹聴すべく求めてるってとこかしら?

●ノクノクくん的裸の王様講座 "自己言及"
http://www.jimbo.tv/videonews/000375.php
> 一貫した論理は記号の世界だけにしか現れない
> May 14, 2007 投稿者 ノクノク
http://www.jimbo.tv/videonews/000417.php#comments
> そもそも、ここに来てる人は〈自己言及〉という初歩を踏まえているのは、
> 大前提でしょう。ただ、直接的には使わないんです。
> January 26, 2008 投稿者 ノクノク

> 〈自己言及〉という初歩を踏まえている
と称する者が、
> 一貫した論理は記号の世界だけにしか現れない
などとほざく世の中・・・嗚呼!!
自己言及という不完全性が記号の世界にないなどとほざく一過性のコメントが、
カーニヴァル(無秩序)だっての。
http://www.videonews.com/on-demand/371380/001324.php#com
> 自己言及的な性質を持つ近代的な自我
> ノクノク | 2008年07月08日 21:31
なんて、痛々しいコメントを読まされる私の苦衷を察してもらいたいもんです。

●ノクノクくんへのお勉強講座・・・
http://www.videonews.com/on-demand/371380/001324.php#com
> 言いたいことは、
> 人間とは心理的に悲劇や悲惨な事件を望む習性があるのではないかって事です。
> ノクノク | 2008年06月17日 22:23
宮台真司著『透明な存在の不透明な悪意』
「人間の、あるいは世界のダークサイドの総量は一定だと。あるいは、悪の総量は一定だと言ってもいいかもしれません。だから社会からそれが消えれば、暗部はすべて個人のなかに蓄積され、個人の暗部が深くなるんじゃないか。それをどれだけルーズに、全体的に分散させていくかではないかと思う。形にこだわって、ここもきれい、あそこもきれいと暗部を排除していけば、悪はそこにいられず、特定の見えない場所に集中します」
「これ以上、人目にさらされるとストレスがかかってしまうという閾値というか。それは必ずあります。結局、社会あるいは世界から暗部は消せない。だから、どういう場所で、どういうふうに暗部を抱え、馴致するかだと考えてほしい」
http://www.videonews.com/on-demand/371380/001324.php#com
> 参照点が不在
> ノクノク | 2008年07月08日 21:31
なのは、単なる情報不足。私が匿名であることの理由の一つ・・・社会を信じていない。
反面、匿名のみっともなさを忸怩たる思いでかみ締めております。

http://www.videonews.com/on-demand/371380/001324.php#com
> 事件自体は0番目の参照点
> ノクノク | 2008年07月08日 21:31
http://www.jimbo.tv/videonews/000417.php#comments
> 社会学や哲学を、逃げの口実にしてはいけません。
> 真摯に向き合う時は、題材に向き合い、相手を説得しましょう。
> January 26, 2008 投稿者 ノクノク
http://www.videonews.com/on-demand/371380/001324.php#com
> 他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていない
> 無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13
0番目の参照点とか題材とか主題とか・・・そんなものなど、単なる仮構に過ぎず、
端的に言って何処にも無いってそろそろ学習した方がいいよ(廣松渉先生の物象化論)。

http://www.videonews.com/on-demand/371380/001324.php#com
> 参照点が不在の状況
> ノクノク | 2008年07月08日 21:31
なんて、無垢な原点を大前提にしているようじゃあ、ノクノクくん自身が
http://www.videonews.com/on-demand/371380/001324.php#com
> 完全に行き詰ります
> ノクノク | 2008年07月08日 21:31
何故って? 自我(無垢な原点)を疑わないノクノクくんの立論は、
ノクノクくんの嫌いな鈴木謙介氏の立論(『〈反転〉するグローバリゼーション』)と同じだからです。今日の箴言・・・「間抜けを黙らせるエサはない(ウラタロス)」


 参考になるビデオを紹介しておきます。
http://jp.youtube.com/watch?v=KJd3EiNYlIU
宮台真司の死刑論
 「死刑を存続させるというのは、抑止ということについての問題よりも、
 むしろ感情の問題」
 「人を殺すことによって感情の回復をするということを許容すると死刑存続」
 「抑止の話は統計上意味がありません」
fotosintesiさんのサイトより
http://jp.youtube.com/watch?v=K7w9I2_iMc8
宮台真司 どうして加害者の人権ばかり保護するのか?
 統治権力の方が犯罪者よりも恐ろしい ⇒ 推定無罪
http://jp.youtube.com/watch?v=GLy33uwWjbQ&feature=related
宮台真司 どうして厳罰化世論が高まるのか?1
 近代司法の閉鎖性を支えていたのは権威
  情報の蓄積 → 権威の相対化(低下)
  → 批判にさらされたくない司法(教育)官僚の自己防衛
  → 司法(教育)を開く(=国民自身に自己言及させる) → 裁判員制度

沈思黙考 | 2008年07月10日 06:45

ノクノクさん

 他人の発言に反応しているだけで主題に向き合っていないというご指摘と解しました。でも人の死は必ずしも美しいとは思っていないので反応してしまいました。
 事件に対する直接の感想について。私はこの事件についてはとても有効な発言はできません。大手企業に雇用されて安穏と暮らすことができていますから。加藤容疑者(及び同様の境遇の人たち)が恐らく選挙で反対票を投じるという発想すらできないということを受け止めます。
 でも人の死は情けない場合が多いと本当に思いますよ、ほんとに・・。本人も他人も受け止めざるを得ないということでしょう。私は経験上、美化することはできない(ノクノクさんの文章を誤読しているでしょうか?)。
 そして故人を悲しむ葬儀が終われば、自分の死までは「終わりなき日常」を生きていく・・・。仕方無い。
 不満を持つ人間がエネルギーをどこでもよいから試行錯誤しながらぶつけていかねば何も変わらないでしょう。

>すると人は「誰かが○○を言>っている状況」を想像の中に>作り上げてしまうのです。こ>うなってくると(引き合いに>出させてしまって失礼)、沈>思黙考さんの手法は完全に行>き詰ります。参照点があって>こそ使える方法だからです。

なるほどいいこと言いますね。論戦したいだけの人だということですか?

無記名 | 2008年06月21日 | 2008年07月10日 00:13

東浩紀的存在論的郵便的論理的合理的理知的思弁的体系的抽象的文化的芸術的貴族主義的理念的客観的本質的普遍的論旨明快頭脳明晰理路整然流暢高尚卓越理論的散文的分析的審美的批判的構造的知性技巧婉曲的平衡感覚聡明教授風言論絶妙正確精密的確要領規則厳守常識的社交的用意周到平穏冷静沈着上品自由闊達象徴的美辞麗句支配的技巧的優雅華麗余裕超然的洗練適応能力自己制御調和的民主的上流志向形式的実質的緻密定型的絢爛清潔専門的独創的天才的欧米外資系国際的異国風都会的西欧的北欧的仏蘭西的巴里的英国的倫敦的古代希臘風学術的哲学的科学的数理的幾何学的確率統計的微積分的物理的古典的音楽的詩的美的絵画的文学的社会学的法律的精神医学的金融工学的脱構築的財務主計的外交的最高裁判事的貿易商人風批評空間的表象文化論的西園寺公望的三浦雅士的浅田彰的柄谷行人的岩井克人的小林康夫的蓮実重彦的宮台真司的小室直樹的丸山真男的通説的芦部憲法的我妻民法的団藤刑法的塩野行政法的新堂民訴法的前田商法的旧制一校日比谷的筑駒的灘開成麻布風丸激的共同討議風電脳番組神保哲生司会

秋葉的無差別的瞬殺的自動車携帯刃物使用事件 | 2008年07月09日 06:29

存在論的郵便的論理的合理的理知的思弁的体系的抽象的文化的芸術的貴族主義的理念的客観的本質的普遍的論旨明快頭脳明晰理路整然流暢高尚卓越理論的散文的分析的審美的批判的構造的知性技巧婉曲的平衡感覚聡明教授風言論絶妙正確精密的確要領規則厳守常識的社交的用意周到平穏冷静沈着上品自由闊達象徴的美辞麗句支配的技巧的優雅華麗余裕超然的洗練適応能力自己制御調和的民主的上流志向形式的実質的緻密定型的絢爛清潔専門的独創的天才的欧米外資系国際的異国風都会的西欧的北欧的仏蘭西的巴里的英国的倫敦的古代希臘風学術的哲学的科学的数理的幾何学的確率統計的微積分的物理的古典的音楽的詩的美的絵画的文学的社会学的法律的精神医学的金融工学的脱構築的財務主計的外交的最高裁判事的貿易商人風批評空間的表象文化論的西園寺公望的三浦雅士的浅田彰的柄谷行人的岩井克人的小林康夫的蓮実重彦的宮台真司的小室直樹的丸山真男的通説的芦部憲法的我妻民法的団藤刑法的塩野行政法的新堂民訴法的前田商法的旧制一校日比谷的筑駒的灘開成麻布風丸激的共同討議風電脳番組神保哲生司会

秋葉的無差別的瞬殺的自動車携帯刃物使用事件 | 2008年07月09日 06:26

>>無記名 | 2008年06月21日さん

 違うと思います。書き込みの内容ではなく書き込み方の作法に異議を唱えたい。せっかく哲学者がゲストの回なのでそちらの方面の話でも。

 要するに、今回の事件での解説では素朴論がどこにもないんですよ。「誰々がこういった」「こういう風に言われてるけど」とは言いますが、しかし、みんながそうやって周囲の目を気にしてしまった結果、誰も何も言っていなかった事態になっています。
 東的な考えの一つに郵便配達があります。ある意見や考えが引用されていく際に誤配されてしまい、それが誤解となって届いてしまうのです。引用することや情報が伝わる事を考える哲学とも言えます。
 人は何かを参照点として語りたがる思考のクセがあります。それは自己言及的な性質を持つ近代的な自我の中では自然の事でもあります。そして今回の事件でも、その思考法をやろうとするのですが、しかしその方法がこの事件においては失敗している。先ほど言ったように、誰も何も言っていない、参照点が不在の状況だからです。すると人は「誰かが○○を言っている状況」を想像の中に作り上げてしまうのです。こうなってくると(引き合いに出させてしまって失礼)、沈思黙考さんの手法は完全に行き詰ります。参照点があってこそ使える方法だからです。

 まったく参照点がないわけではありません。事件そのものが参照点にはなります。事件自体は0番目の参照点です。そして事件の感想が1番目の地点。それに対する考察や異論などが2番目の地点です。
 無記名06月21日さんの作法も、それに該当している可能性があります。無記名06月21日さんは「人の死など、どれも情けないものなんだ。今回の事件で亡くなった人は情けなさが大きいだけで、大小の差しかない。通り魔に殺される死に方はすごく情けないと思う。」と、本当に自分の意見としてでてきたのでしょうか? 私の書いた「死は美しきものであり、だからこそ倫理により禁じるべき」の、カウンターとして言った"のだとしたら"、もはや事件を直接感じているのではありません。中心の周辺から発せられるであろう言説を期待して、場合によっては想像で作り出して事件を語る。すると語っているのは2番目の地点です。ところが繰り返すように1番目の事件の直接の感想が、不在となっている。これって、メディアの存在そのものです。
 中心はあります。それは事件そのものです。実は事件すら起こってないのだとしたら漫画です。注目すべきは中心の周辺です。周辺が空白地帯になっているのです。そして外周は活気がある。私はこの状況が異様だと感じました。そこで中心に近い言葉に、「美しい」があると思ったんです。だから書いてみた。

 やっぱ、無理があるんですよ。社会的包摂や自分らしさを要求しておきながら、でも犯罪行為は自分らしさじゃないなんて、おかしい。犯罪履歴だって、その人の一部です。報道で隠す隠さない以前の問題に、普通に人と会話していれば「○○才の頃なにしてた?」と自然に出てきます。
 〈犯罪者であるその人〉も認められなければ、社会的包摂は逆機能に転じて社会的排除になる。オタクになれない、脱社会、文学では救われない・・・。そこには徹底して犯罪を社会の一部として認めない姿勢が見受けられます。

 じゃあ、なんだと言いますと、要するに彼は救われたんですよ。犯罪という抜け道あったんです。論客は感謝してもいいくらいだ。自分考えを体現してくれたのだから! なのに人々は彼を見捨てようとしている。
 これじゃあ、あんまりだ。何のために彼が大暴れをしして、秋葉原の通行人を殺したのか、さっぱり分からない。しかも政治的に使える部分だけ使う? なんですかそれは。それこそ派遣労働などで散々批判してきた使い捨てと変わらないでしょう。どう考えても彼は英雄ですよ。彼は人生を棒に振ったんだから。まだ若いのに。やり直しも可能な範囲だったでしょう。それを全部捨てちゃった。そこで代わりに何か得たものがあるはず。私はこの都合の良い所だけ利用しようとする根性が非常に気に入らない。大体、日本では「人命は地球より重い」でテロリストを逃がしちゃう、テロに甘くて同情的な風土があるんだからテロに屈することの何が悪いのか不明です。
 死んだ人のことはこの際どうでもいいです。罪を欲した人間の最期を真摯に見つめるべきだ。強調しますが、死んだ人のことは、そんなことは、果てしなくどうでもいい。

 そして私は、彼らの凶行のおかげで救われている人々もいると信じています。ヒドイ扱いですが「ああは、なるまい」そう思うことで耐えている人もいるのではないでしょうか。そんな感情が僅かにでもあるのならば感謝すべきだ。「ありがとう」と言うべきだ。そしてそれを伝えるべきです。滅茶苦茶であり、人の道を踏み外してはいるけれど、そこには生き方とか価値があるはずです。論や画を使うのならば探っていかなくてはならない。今、人々がやっている事は逃避に過ぎません。

 加藤容疑者の両親の謝罪の記事がネットでも見ることが出来ます。顔にモザイクがかかっています。泣き崩れています。「もしかしたら自分が加藤氏みたいになっていたかも・・・」と、一片でも思うのなら、その両親の写真を見たときに「助けたい」と感じるかもしれません。それで良いんじゃないですか?
 崇めるつもりも、同情する気もないと、臆面もなく抜かすような、どこぞやの愚劣な奴らは敵です。正面から敵意をぶつけ返してやればいい。素直に、感謝して、拝めばいいんです。

ノクノク | 2008年07月08日 21:31

TBがうまくいきませんので、貼り付けさせてもらいます。

ーーーーーーーーーーーーー

なぜ加藤容疑者は「オタク」として「包摂」されなかったのか

第376回(2008年6月14日)のマル激は、東浩紀氏をゲストに「なぜ秋葉原なのか、なぜ携帯掲示板なのか、なぜ無差別なのか」でした。

秋葉原無差別殺傷事件を受け、その時代背景や「オタク」との関係性、メディアの報道のあり方等、三者三様の視点からの議論が展開され、それなりに興味深かったと思います。

この事件が、社会に対する強い不満と憤りを表明したいわば「テロ」であったこと、社会的に底辺層であっても、それなりに「幸せ」に生きることができる社会を構築することが必要であること、等々、宮台氏や東氏の認識自体に、特に異論はありません。

ただし、強いて言えば、そもそも秋葉原無差別殺傷事件を「社会問題」として「問題化」するという前提自体に対して、疑問がないわけでもありません。

いつの時代にも、加藤容疑者のように社会的にネグレクトされた者による、社会に対する怨嗟を動機とした通り魔的殺傷事件は起きているわけで、果たして今回の事件が、「ついに起きたか」と言えるほどに、今日の社会状況を反映したものだったかというと、若干の疑問を感じます。掲示板による実況中継等々、手段は今日的なものであっても、こういう犯罪自体は「よくある」ことではないのか。本当に、こういう犯罪が増えているのか。これらの点について、十分な検討がなされていなかったように思われます。

まあ、世間を震撼させるような大事件が起こると、人はそこに何かの意味や解釈を求めずにはいられないわけで、「パターン化した反応を繰り返すマスコミや政治家を批判する者も、ある意味、その例外ではないのでしょう。

また、宮台氏と東氏の議論を聞いていて、私が始終感じたのは、「なぜ加藤容疑者は、オタクとして救われなかったのか」ということでしたが、残念ながら、この点については、番組の最後の方でちらりと疑問が提起されているにすぎませんでした。

「真のオタクのほうがよっぽど安全」「仲間うちでのまったりとコミュニケーションできる居場所があることが幸せ」「生身の女の子より、ゲームの女の子のほうがリアル」といった二人の意見を聞くにつけ、非モテ系であることに強いコンプレックスを感じ、数度の挫折を経て、社会的孤絶感をつのらせていった加藤容疑者が、なぜ「オタク」として「包摂」されなかったのか、――この点こそが、宮台氏と東氏にもっと議論してもらうべきテーマだったと、後々ながら、感じました。

お二人が加藤容疑者を、オタクではないととらえているのか、あるいは「二流の」オタクととらえているのかわかりませんが、その理由を「選んだ掲示板が悪かった」で片付けてしまうには、あまりにも哀しいと思われます。加藤容疑者と「オタク」との接点あるいはその可能性についての認識を閉ざしたままでは、結局、最後の最後まで、加藤容疑者は「オタク」からも排除された存在だったことになるのではないでしょか。

murriel | 2008年06月29日 11:28

共産趣味さん、いい提案ですね。
加藤容疑者が派遣されていた関東自動車で正社員として働いている父を持つ人がはてなに残したものによれば、関東自動車はトヨタが50%出資する会社でトヨタ車の生産ラインそのものを請け負うトヨタそのものの会社のようなもので、派遣は6月末ですべて解雇の予定だったと、最終的に正社員以外すべて解雇予定で、理由は国内需要減。これって、丸激第373回「自動車産業が日本から消える日」が進行しつつあるってことだ。派遣すべて解雇して、派遣の問題はなきものになる…それが今回の事件で促進されるとしたら、被害者も浮かばれない。

無記名 | 2008年06月22日 00:21

派遣を使っている側の取材をしてほしい。今回の事件の加害者と被害者は単純に殺した側と殺された側だけではないはずだ。
加藤が殺すべき相手は誰だったのか、あるいは本当に加藤や東氏が思うように無差別しかなかったのか、それを調べることが加藤のテロを表現として扱う上で、報道が果たすべき役割一つのはずだ。

あと、物を生産する現場がいかにあるべきかについては、経営学的な蓄積も多いはずなので、そちらからのアプローチも出来れば面白い。

いっそのこと、○劇でグローバル時代の新しい工場生産ドクトリンを提言してほしい
それが古いのか新しいのか、派遣を救うのか絶望させるのかは知らないけれども、救う方向である事を期待するし、それが出来なければ、結局この件については誰かへの批判と全員の停滞しか残らないだろう

共産趣味 | 2008年06月21日 22:46

>人の死や、惨状は美しいものです。間違いなく美しい。断言できる。だからこそ倫理により禁じなければなりませ
ん。

ノクノクさんの文脈では実は他人の死も楽しいのではないですか?美しいなんて、自分の死についての願望では。

 大部分の人間の死なんて情けないものでは。餅つっかえたり、不摂生や性格が原因の悪習慣による病気だったり。

>つまらなくて苦痛で気分が最>悪だっ>たから、お祭りした>んです。きっと人を大勢殺し>て血を沢山流して気持ちよか>ったと思いますよ。もし地獄>に堕ちても、彼なら楽しく過>ごせることでしょう。

彼は満足しているに違いないです。

 で、社会学の分析なんて初めっからあてにしてませんて。

無記名 | 2008年06月21日 01:50

P--さん
もらい泣きしてしまいました。
久しぶりに。
あなた、自分のこと小説に書きなさいよ。
才能ありますって。
 

名無し草 | 2008年06月20日 21:47

 では、私はテロを支持しているのかと言うことになりますが、ハッキリ言いましょう。120%支持しています。煽りどころか大賛成。是非やってもらいたい。「そんな事を言っていいのか?」という非難にも似た疑問が今までのメディア状況なら通用したでしょう。しかし、問題ないんですよ。こうやって、事件を煽って、誰から事件を起こして、そして大衆が視聴して、不安がったり、脅えたり、笑ったり・・・と、色んなリアクションが返ってくる。でも、煽った人は、なんら危険には晒されない。強いて言うのなら倫理的な問題くらいでしょうか。
 人の死や、惨状は美しいものです。間違いなく美しい。断言できる。だからこそ倫理により禁じなければなりません。しかし、倫理的に禁じる理由なんて、今の時代あるんでしょうか。むしろ退屈なら最期くらい盛大に散ったほうが、清清しいじゃないですか。そう思いません? もっとも今回の事件は倫理的な理由がなかったら、あまり美しくもなかった気がします。悲劇さが足りてません。

 携帯サイトの書き込みも、ネットのニュース記事で私も少し読みましたが、これは明らかにギャラリーの目を意識してます。だから、マル激的な単純な分析は絶対に当てはまらない。25歳にもなって自我に目覚めていないとかあり得ない。ちょっと、マル激の分析は加害者と言うより若者を愚弄していますね。何よりも根本的に不適切なのは、書き込みの分析、しかも個人が書いたものの分析は、社会学からの逸脱行為です。文芸評論や、神話学や、心理学や、犯罪学ならまだしも、社会学で分析するなんて、そもそも出来るわけがない。もはや分析ではない。ただ感じた事をくっちゃべっているだけ。喋っている内容に共感した人には分析に写るのです。
 私も、ネット内での勝ち負けが、割と色濃く出てきてしまって逃げ場がなくなり息苦しくなった、と言うのもあると思います。ほんの少し前までは《リア充(ネットではなくリアルの生活が充実している)》や《ネトゲ廃人(一日中ネットゲームばかりをやっていて廃人状態)》などと呼ばれる人々がいて、蔑まれる対象でしたが、今では、ネットでの評価がそのまんまリアルでの評価であり、ネット勝てばリアルで勝っているのと同じです。

 怒りよりも、もっと本能的なもの。快楽殺人の一種かな〜と思いました。きっと気持ちよくなかったんですよ。つまらなくて苦痛で気分が最悪だったから、お祭りしたんです。きっと人を大勢殺して血を沢山流して気持ちよかったと思いますよ。もし地獄に堕ちても、彼なら楽しく過ごせることでしょう。
 ダンボールを車に見立てて通行人にドンドンぶつかり、玩具のナイフで人を刺していったら面白いでしょうね。そんな動画があれば、私は間違いなく爆笑するでしょう。「不謹慎だ!!」なんて怒ったりはしないと思う。絶対に笑いますよ。確信に近いものがある。
 『阪神大震災は笑えた!』のコピペがありますけど、あれを読んで怒りが湧くか、笑いが込み上げてくるか、ですよ。あなたも笑ったでしょ? だったら、今回の事件だってお笑いの一種なのです。マスコミに隠されて見えなくなった、人間心理の深層がここにあるのですよ。

ノクノク | 2008年06月20日 20:06

今日、凡ミスをやらかしてクビを宣告された。駐車場に停めた車の中であれやこれやと考えた。家に帰る気にはなれなかった。どういった形にせよ今日中に決着を付けねば、試練?最後通告?という問いが頭の中をグルグル回っていた。

背もたれを倒すとビルの屋上が目に入った。不思議なものだ、心持ちによってはただの屋上が飛び込み台に見えたりもする。

十分か、二十分か、しばらく眺めていた。私には強靭な精神力はない、他人より秀でた能力もない。この世にしがみついている理由がない。この先生きていても他人様に迷惑をかけてしまうだけだろう。

自分の最後くらい自分できっちりしなければと思った。その時気付いた。何も無いと思っていたが、まだ私の生き死については私の手の中に有ることを。

極刑を望む者たちがいる。生きようと思えば生きられる日本であっても生きることをやめる者は多い。自ら死ぬことすらやめてしまう者の心を思うと涙が流れた。

携帯が鳴る。首が繋がった。声を殺して歯を食いしばって泣いた。私はまだ生きたいようだ。

P-- | 2008年06月19日 15:56

加藤クンは身代わりになってくれた気がするなー。
俺の代わりに殺して俺の代わりに捕まって俺の代わりに社会をイラッとさせて俺の代わりに死刑になってくれたんだ。
僕は腐ったまま生き続けるだろうけど
ありがとうカトウクン

アマルティア | 2008年06月18日 21:25

僕が最近痛感してる問題に「ゲタ問題」ってのがあります。

長文になりますが、暇な人読んでください。

僕は1977年生まれで97年に20歳で就職したんだけど、

当時、流行っていた「マルチメディア」という言葉に
偶然にも惹かれてIT業界に入ったもので、
ITのゲタを履いた人間の一人です。

働き始めた当時は、(今から思うと)まさに
バーリトゥードな草刈場が広がってる最中だったので
弱小企業でも仕事に困ることはなかったし
なんか自由だったし、頑張れば成果に結びついた。

市場が盛り上がってる最中だったので
トライ&エラーする機会もたくさんあった。

もちろん絶えずプレッシャーにさらされ、
連日徹夜みたいな時間を乗り越えなきゃいけないんだけど

この加藤容疑者や、赤木智弘さんが味わった類の
葛藤とか絶望とかによる時間の浪費(←とあえて言う)
からは回避できたので、仕事に集中できた。

「成せば成る」とかそういう言葉を思い出して
「昔の人は深いこと言うなぁ」とか素朴に思えたりもした。

で、10年もやってりゃそれなりになるわけで。

独立して食えてるし、社会的承認の不足とかないし、
経済的な満足感も得られてるんです。

僕が思うに、時代毎にはその時代に生きる
若者にとっての新しい草刈場(=ゲタ)が必要で、

乱暴に言えば、戦争もゲタ、戦後の焼け野原もゲタ、
バブルもゲタだったと思う。

ちなみに、ゲタを履いても負ける人達は
必ず一定数たわけだけど、

この新世紀の始まりに、僕が履いたPC・ケータイの
WEBビジネスを営むサーバースペースというゲタ(=草刈場)も
格付けが済んじゃった感がある。

新しい草刈場は均衡とイノベーションを繰り返した果てに
最後はゼロサムゲームになっちゃうわけで

これからは一定数の負けとかじゃなく、
多くの人がエントリーすらできず、大多数が負けて
ごく限られた少数のみが勝つ時代になっちゃった。

で、次のゲタが見えない。

これが<ロスジェネ>的な若者の怒りの源泉だと思う。

だから早急なゲタの用意を望むし、
余力のある限りその用意に寄与したいし
新しいゲタへのアンテナを敏感に保ちたいし、
もしそれの萌芽を感じようものなら
僕は真っ先に乗るつもりです。

waka | 2008年06月18日 02:32

出口のない海という感想です。
コロンビア・トーダイ氏らの議論はカトー・ボウの不満や絶望をより確実で確定的なものにしてしまうだけのような気がしました。
特に、私のようなミンナカラ・スカレテイタ・ゲーダイに知り合いのいないハーケン・シャインは、ゼネラリストで年収一千万の課長がヤバイというあたりで絶望してしまうでしょう。
鎌田氏にならって、時給千三百円の仕事に潜入取材かフィールドワーク(と言うのか?)で働いてみたとしても、意外と良い仕事でした、とすら言いかねない何かを感じてしまいました(ハイパーメリトクラシーをお持ちの方々ですし)。
その何かを上手に、金を生むように表現できれば、私も苦労しなくてよかったのですが、それを言うと、後ろから自己責任の声が飛んでくるのです。
つまるところ、私のような人間?はハッチを閉めて沈んでいくしか、道が残されていないのです。
硫化水素を使わずに死ねば、ベタ記事にもならない訳で、それも寂しい。
だとすると、カトー・ボウはたまたま魚雷を発射できた運の良い人だったという気すらしてきます。
魚雷を官邸や経団連に向けなかったのは、カトー・ボウの言うように途中で失敗するのが一番しょぼいからで、秋葉原に特別な意味があったとは思えません。
東京で行った事のある場所であり、歩行者天国をしていることも知っていた、というだけではないでしょうか。
特に地方の者からすると、東京で話題の場所を思い浮かべて秋葉原を外す人はあまりいないように思います。
議論のなかでも触れられていましたが、アキバとかケータイとかに過剰に関連を求めるのが間違いだというのは、おそらくその通りでしょう。
彼女のいないことではなく、いないことを人間的な欠陥であるかのように言う世間に絶望していた、と私は思います。
タレント・デ・ベンゴシが嫌なら辞めろと言い、たるんでいるから自衛隊で研修が必要だ、と語って喝采を博すのです。
少なくとも、私は、そんな世間に希望を見つけることはできません。
苦しい状況でも頑張っている人たちは、全員が、百メートルを十秒足らずで走れるようになると言うのです。
私はしんどいと思いますが、それは、ほんとうのしんどさを知らないからだと非難されるのです。
出口を見つけている人が出口のハッチを上から踏みつけているのです。
もちろん、それが被害者だと言うつもりはありませんが。

無記名 | 2008年06月18日 00:22

 私も後半40分からのマスコミ論が正直よく分からないです。いわゆる《マスコミ》と言うのが何を想定しているのかピントが合いません。今の20代30代はテレビを見ないらしいじゃないですか。だからなのか、分析も速報性も既に期待してないんじゃないですか? 誰・何を想定して《マスコミ》を論じているのか、本当に分からないんですよ。何かの拍子に視聴する程度で目的的に見ることはありません。だからマル激で論じてるマスコミ論が本当に正しいのかも分からないのです。 つまり、今マスメディアとは存在するのでしょうか。テレビは、ただデカイだけのニッチであり文字通りマスなだけ、帝国的な力がない。話を聞いていても感覚で分かるんです、「ああ、この人はテレビ見ている人だな」ってね。数年前にあったマスコミのイメージだけで論じている可能性はありませんか。

 その鈍感さが「テロを肯定しているわけではない」という意味不明な発言につながって来るのです。逆なら分かりますよ、「テロを否定しているわけではない」ならね。「痛ましい」だとか「許すべきではない」とか完全にズレている。もっともマル激がやろうとしているのはテロの肯定でも否定でもなく、あくまで分析なのだからどちらでもいいですが…。と言いたいところですが、しかし軸足をどこに置いているのかが、無意識に影響を与えていれば、もはや真っ当な分析ができる状態なのか、とても疑問がある。私はできないと思うのです。

 要するにテロと言うのは面白いんですよ。現代が生んだ最高のショーでありサーカスです。もちろんそれを直接言ってしまうと社会的にもマスコミ的にも非難されるでしょうから言わないほうが無難ですが、しかし実際のところは完全に遊戯です。テレビは拡声器であり「テロ」を行う上ではとても重要なツールになっている。私は前にイラクの首切り動画をパロディーにした、中高生の動画を見たときに大爆笑したと書きました。でも、マル激では触れられていないんですね。言いたいことは、人間とは心理的に悲劇や悲惨な事件を望む習性があるのではないかって事です。実際、番組の出演者だってニヤニヤ笑ってばかり。感受性としては笑うのが自然なのではないか?人の不幸は蜜の味ではないか? にも拘らず、頭ごなしに殺傷事件を「痛ましい」とラベルを貼ることで済ましているのだとしたら、分析する事は不可能でしょう。ある種の感情がバイアスとして働いていることになるからです。

 この種のテロは、学校や大通りがターゲットになりやすい傾向にあり、「誰でもよかった」とは言うけど「どこでもよかった」とは言わない。もし労働環境に不満あるなら、企業、職場を狙っても言いはずなのに、だけどターゲットになるのは学校や大通り。社会に対する怒りを爆発させるのだとしたら、なんで学校や大通りなのか説明が付いてないんですよ。
 テロをする側は組織的な力は持っていないけれど、メディアという強力な媒体があるのでインパクトは大きいです。加害者自身がメディアを意識しているのだとしたら、簡単にメディアを語ることは出来ません。自己言及的にならざるを得ない。メディア自身がメディアを語るなんて、どうやってやればいいのか分かりません。

 「幸福」についても「幸福ではない」という単純なものではないと思います。幸福は人それぞれ違っているので一概に言えない、という話ではなく幸福になるために条件が必要なんです。ある状態になってしまうと幸福になる資格そのものが剥奪されます。古典的な言葉でいうと「呪われた状態」です。代表的なのが「罪」です。例えば、今回の事件の加害者が「改心して幸せな生活を送れたらいいね」なんて価値観は、とても許容されないでしょう。こんな人が幸福になるなんて、それこそ許せない話です。酷い目に遭わした奴がのうのうと幸せに生活するのは不愉快でしょう、「恨み」も幸福を忌避してしまう感情です。ロスト・ジェネレーションにしても年下に使われたり教わるのは気分が良くないと思います。普通、成長とは歓びであるはずなのに、タイミングを逃したり、不公平な条件で後輩がどんどん先に行けば、もう幸せなんてゴミなんですよ。不幸になった方がマシです。まるで鏡のように、近づけば近づくほど遠ざかってしまう状態が「呪い」です。つまり、呪いは幸福論を粉砕してしまう。

 「テロに屈することになる!」と声を荒げるのも、果てしなく疑問です。屈して何が悪い。あのですね、イラクやアメリカの時とは事情が違うのですよ。当事者は政治側もテロ側もどちらのも日本人です。だったらテロを否定する理由がどこにあると言うのですか? むしろ讃えるべきでしょう。血塗られた英雄として奉ってもよいでしょう。当事者もそれを望んでいることでしょう。誰かがやると分かっていたのなら尚更です。
 前に萱野氏がゲストの際に、フランスでの暴動も二種類あって、一つは労働者であり今回の番組中にも宮台氏が言及していた、デモ・ストです。しかし、もう一つどうしようもなくなった層については、今回の番組中でも言及しませんでしたね。つまり、これがマル激のスタンスであり射程の限界なのです。萱野氏が言っていた「呪われたアイデンティティー」については、完全に無視することになりました。それはそうでしょう、今のマル激が「テロは特攻隊なんだ、賛美するだけの価値はある。」なんて言えるはずがないです。しかし、平然と「もちろん、テロを肯定していない」には呆れるしかない。なんですか「もちろん」ってのは? 冷や水ぶっ掛けて目を覚ましてきたらどうです。

 「若者の怒り論」として、ロスト・ジェネレーションと言いますが、加藤容疑者は当時25歳で該当しないんですよ。仮に該当したとしてもギリギリです。それよりも、就職氷河期世代とゆとり世代に挟まれた第二名無し世代と言った方がしっくりくる。『神戸連続自動殺傷事件』の少年Aとも近い年齢ですね。ちなみに一番目の名無し世代は、団塊の世代と新人類に挟まれた世代で、ちょうど宮台さんの世代です。色々と世代名を考案してはいるんだけど、どれも失敗してます。

 総じて感情論が多くて、分析になっていたとは思えません。この場合の感情論とは、自らの感情に自覚して、感情を客観的な位置に置くことです。それが出来ていなかった気がする。

ノクノク | 2008年06月17日 22:23

今回のゲストの話はほとんどうなずける。
宮台のうんざりするフランス賛美が一蹴されていたのが小気味よかった。
それより、今回投稿者がちょっと異質だな。
キモイというか。
みんな、ロスジェネかどうか、ショウ・ザ・フラッグ!

名無し草 | 2008年06月17日 21:39

教育教育って仰るが、そんなことはできない。
それは大人側がただ見せるしかない。
むしろ今は逆のことをしている。
信頼と希望を奪っている。
押しつけて押さえつけて破裂するまで。
奪っているものを返してくれるだけで良いように思える。

中学のときにディベートの授業がありました。
馬鹿らしかったし、何より意味不明でした。
それを教えているのは誰で、なぜ教えていると思いますか?
その方向性が多くの日本社会でどう扱われると思いますか?

これは宮台さんに対しての批判にもなります。
本来の地点から離れた、パフォーマンスが過ぎるように思われる。
見ているといつもダウナになります。

ただし、もちろんそれ以上に得るところがあると信じて、
ここにいる訳です。

加藤&酒鬼薔薇と同年代、ロスジェネ最後尾・・・かな | 2008年06月17日 20:10

枝葉末節な部分に噛み付いてしまうが、トリアージは医療関係者ならあの程度の処置はできて当たり前が常識。別に目新しいことではない。まあいいですわ。
東浩紀さんの分析にはとても参考になりました。

kinmui | 2008年06月17日 15:14

若者たちを無暗に絶望させない教育が必要という宮台先生の意見に強く賛同します。

現代日本に必要なのは、いわば社会的な「強迫神経症」を緩和するための「認知療法」を導入することなのでしょう。

いやな気分よ さようなら | 2008年06月17日 11:26

不謹慎で悪いけど、殺したい人と死にたい人の数がうまくそろわないものか?たとえば、加藤容疑者が硫化水素を自殺願望者に向って「適切に」ばらまいてれば、被害は最小限に食い止められたのになー。

もう俺、厳重注意されるよw | 2008年06月17日 04:21

不満・怒り・むしゃくしゃした感情に満たされたとき、タイミングよく恰好のターゲット(不満分子)が現れてくれると嬉しいなw 不謹慎な言い方だけど、団塊Jrで不満・怒りなどをかかえてる人は秋葉逝き確実というか、不満分子がお互いにやりあってくれると助かるw 今回の事件でもあれだけの群衆がいたんだから、加藤容疑者に対抗できる不満勢力が一定数いたとしてもおかしくないのにな(実際は加藤容疑者にやられる一方だったけど)w 

そういえば | 2008年06月17日 00:43

正当防衛にかこつけて(秋葉原でもよかったけど)暴漢や迷惑な荒くれ者や不良を叩きのめすのもいいねw 欲求不満の解消というか八つ当たりねw たとえば電車内で時々そういうチャンスがあるんじゃないだろうか?w 酔っ払いとか変なオヤジとかいるもんねw

そういえば | 2008年06月17日 00:20

タガーなんとかナイフの保持ですか。俺的にはナイフもいいけど、物凄い切れ味の日本刀もいいなw 正当防衛手段にもなるし、ケンカしたり八つ当たりするときに使えるねw ちょっと高価なのが問題だけどww

武器 | 2008年06月17日 00:09

私も携帯持ってるけどほとんど使わない。また、自宅に置いてるから全然「携帯」ではなく、緊急時の非常ボタンと同じw ほとんど使わない「非常ボタン」のためにしぶしぶ月に数千円も払うムダw これに比べて、ほかの日本人は相当な携帯ヘビーユーザーだね。また、効果的かつ実用的な使い方してるし、気分も満足なんだろうな。今回の事件でもみんな携帯をもってたからある程度の威力を発揮しましたね。でも、俺的にはちょっと不満だな。デジカメ(俺も持ってるけど)でも十分足りるだろ?w 外国と比べても日本人は携帯いじりすぎじゃないの?w これ一体なんなんだろうねwww

私は完全にPC派 | 2008年06月16日 23:50

東氏、宮台先生、共に頭が良すぎるせいか考え方が複雑怪奇だ。曲がりくねった考え方にはついていけない。

お二人とも「グローバル化の影響で社会の厚みがなくなってきている」と主張する。このため若者世代は怒りのもって行き所を失っている。非正規雇用が彼らを「不安」どころか「不満」の増殖につなげている----ここまでは理解できるし賛成だ!

しかしどうだろう?「一方でグローバル化は避けられない」「ネオリベは誤解されている」「どうしようもないグローバル化やネオリベ化に抵抗しようがない、怒りの向けどころがない現実」「これに対処するには薄っぺらなサブカルチャーやネット社会へ逃げ込むことがバッファーとなる(つまり社会に厚みを回復させる)」----まてよ!社会の厚みがこれで増すのだろうか?お二人ともこの矛盾に満ちた議論をどう説明されるのだろうか?

前段はリベラルな話だが、後段は体制支持の議論だとしか理解できない。もし「そんな単純な理解の仕方はおかしい」と言われるなら、頭の悪い私たちが理解できる言葉で説明してもらいたい。私と同じ程度の頭の悪い大衆は相手にしないとでもおっしゃるのなら話は別だ。物事はもう少し単純明快に説明すべきではないか?

神保氏もこのあたりに不満を持ちながら反論されなかったのは遠慮だろうか?

HY | 2008年06月16日 16:17

 議論の深さに物足りなさを感じました。
 東さんの、犯人の社会への不満についての意見は同感です。
 犯人は過度に社会的な人、おそらく趣味でも恋愛でも本当に好きなことを見出せない人なのでしょう。たとえば、音楽でも写真でもいいのですが、ものすごい収集家がいて、だけど本当にその人はそれが好きなんだろうか、そういう人はいます。
 最近はわかりませんが、私が小学校のころには先生の言うことを聞かずに教室中走り回ったりして困らせた子がいて、ですがそういう子は大人になって自分の好きなことを見つけます。
 勝ち組、負け組みという議論がありましたが、それは社会的なことの上に成り立つ概念です。社会性を意識しない人にとっては勝ちも負けもないわけです。
 グローバリゼーションの中、勝ち組でも負け組でも必要なのはシステム外の、脱社会的な、本人的な部分です。今はわかりませんが一昔前のアメリカの教育はそれを意識していました。
 金八は嫌いなのですが、ひとつだけ視聴に値する話があります。第2シリーズの最初の話です。金八が直接の受け持ちではなかった卒業生を施設に訪ねるのです。その生徒は受験システム以外に自分を見出せず不適合を起こし施設に入ったのです。
 そうした精神的脆弱性について、教育、特に学校教育で対処できるのか私にはわかりません。また藤原氏他意欲的な教育者の試みがその対処を内包しているのかもわかりません。

ma | 2008年06月16日 15:17

 この犯人が掲示板に遺したおびただしい稚拙な呪詛をみるにつけ、あまりの情けなさに呆れを通り越して悲しくなります。こんな人間にマトモな「怒り」を向けられる人間(あるいは、この文章を単純な犯人擁護と受け取ってしまう人間)ってのも相当にどうかしてると思う今日この頃。そんなひとは歎異抄でも読んでちょっとは落ち着いたらいいと思う。
 死刑制度には反対の私ですが、この犯人を死刑に処すのはむしろ彼にとって「温情的措置」に当たるんではないのかな、とも思えてしまいます。素朴な感情で。

 雇用や教育なんかの社会インフラの整備は政治で何とかなるかもしれないけど、「女にもてない」って不満の救済は、こればっかりはどうしたもんか。宮台先生は、この部分の手当ても教育に掛かっている、と仰るんですよね。
 うーん、なんか、ひたすらに気が遠くなるなぁ……。

ためいき | 2008年06月16日 15:05

負け組み&勝ち組みと言う言葉は必要なのだろうか?

noob | 2008年06月16日 11:40

今回の番組は非常におもしろかった。
題材や内容についてはともかく、構造的にとてもバランスが取れていたと思います。
前半は東さん宮台さんがお互いの言説を尊重しながらの討論がいいテンポで進み、たまに白熱して論旨がずれると神保さんが議論を誘導するというこの番組が本来あるべき姿だったのではないでしょうか。
また後半は神保さんのジャーナリストとしての信念のようなものも聞くことができ非常にお得な回でした。
なによりも、それぞれのしゃべりの長さがちょうどいい長さで、しかも噛み合っていたので最初から最後まで、こちらもテンション高く視聴することができました。

KT | 2008年06月16日 03:48

東さんの話してる内容はいいけど、論文や書き言葉に比べて、しゃべり方はそんなにうまくないね(発音がきれいとは言い難い)w レポートや論文を書かせたら模範的な文章で、センター入試や2次試験国語の現代文にも使えそうな気がするけどww
で、宮台さんの話術は極端に上手いけど、文章はダメね(読みづらい)w
これ、なんなんだろうねwww
話し言葉と書き言葉の両方とも、程よく上手いのは浅田彰さんなんだけどねw

瑣末なことだから気にしないでねw | 2008年06月16日 03:33

> ひと突きどころか、メッタ突きされるだけだろう。
> 名無し草 | 2008年06月15日 18:26
かもしれないけど、だから何だっての?
メッタ突きされて死んだとて、本分に殉じて満足してるかもしれないじゃん。
何で名無し草ごときの思い込みに、他者の人生が総括できるってのかね?

> 自分はできもしないくせに・・・
> 名無し草 | 2008年06月15日 18:26
自分ができなくたって、共感できることって、山のようにあるよ。
何で多くの人々が、プロスポーツに熱狂してるのか見れば一目瞭然でしょ?

名無し草くんは、期間工くんを見習って、理屈に走らない方がいい。
> どんどん吊るしてけばいいんですよ。
> 期間工 | 2008年06月15日 08:18
> 期間工2 | 2008年06月15日 21:28

コメントでキャンキャン吼えてスッキリした "お祭り" の後は、
終わりなき日常が始まるんだから・・・
難しいかもしれないけど、思いやれる仲間が見つかることを祈っております。

沈思黙考 | 2008年06月16日 00:12

名無し草さん

そうですそうです。

「こういう犯罪を起こす度に、
どんどん吊るしてけばいいんですよ。
議論の必要なし。」

ですよね。

期間工2 | 2008年06月15日 21:28

今さらデギンズだなんだとか言ったって騙されんよ。

無記名 | 2008年06月15日 19:50

戦場を移して、一言。

加藤智大というのは、昔の言葉で言えば、「まだ反抗期が終わってない」人間だな。
狂ってるってほどでもないし、説明がつくということは、案外「まとも」ということか。
それにしても、自分はできもしないくせに、彼に簡単に共感するアホがたくさんいるらしいね。
彼にとってはテメエも敵だってことがわかっているのだろうか?
秋葉原の路上で彼の前に立って、「あなたがそんなことをしても、私はあなたの死刑に反対します」と言ってみろ。
ひと突きどころか、メッタ突きされるだけだろう。

名無し草 | 2008年06月15日 18:26

場所が場所なら社会全体から蔑まれてきたモテない男達の代弁になったろうに、何で秋葉原ですかね・・・。
もっとアベックが集まるデートスポットでやれば良かったのに。
派遣は大した問題じゃないでしょう。派遣でも結婚できる社会であれば。

無記名 | 2008年06月15日 17:21

一度医学的な関連からもこの手の事件を読み解いてもらえたらと思います。

gout | 2008年06月15日 14:47

やっぱり女にモテないのが
デカいんじゃね?

無記名 | 2008年06月15日 13:58

この勢いで橋爪大三郎vs宮台真司で国家戦略を論ぜよ!!

医学生 | 2008年06月15日 12:51

折角の休みに丸激をみて、コメントなんかしてる人よりもゲームだとかマンガだとかに耽溺している人の方が安全であるのだと思います。

テレビのコメンテーターの人々にも同じことが言えるのかもしれません。

番組でも名前がでた「宮崎哲弥」さんですが、たくさん番組に出られるようになってからどんどん普通のコメンテーターになってしまわれたような気がして残念です。

問題が解決されなれなくてもマスメディアで背景や気持ちをうまくすくいとって発言してくれる人がもう少し増えればこういった自暴自棄犯罪は減るのかもしれません。

被害者側の遺族の感情を和らげるには加害者を吊るし上げるのはもしかしたら有効かもしれませんが、それはあくまで遺族への手当であって、被害者への最大の償いはこういった犯罪が起きた背景をしっかり分析して問題があるところは解決することだと思います。

無動機だとか言われたりもしてるらしいですが、
加害者の絶望はわかります。
わからないなら無動機とか言わずにわからないって言えばいいのに・・・。

ああ〜ま、真面目にコメントしてしまいました。ああ〜恥ずかし><

トミー | 2008年06月15日 12:30

おもしろいね。

あ | 2008年06月15日 12:04

「どんな仕事もすぐに辞めてしまうような奴」がこういう犯罪を起こす度に、
どんどん吊るしてけばいいんですよ。
議論の必要なし。
どうせ「個人の問題」なんだから。

期間工 | 2008年06月15日 08:18

ここに至ってもまだ「個人の問題」とか言っちゃう人がいるあたり、
日本人の思考停止は深刻なんだなぁと思いました。

そうですそうです。
加藤某という異常者を吊るしちゃえば、本件はすべて解決ですよ。

期間工 | 2008年06月15日 08:13

俺みたいな庶民は、まったりとマル激を視聴して人生を楽しめばいいかもな。酒のつまみにもちょうどいい。あと、BGMとか「睡眠薬」にも最適だよ、マル激はw

そういえば | 2008年06月15日 06:25

おなじみの論調・情報・知識水準なせいもあり、ほとんどお笑い娯楽番組のように楽しめた今回のマル激w
東さんの(強制的な)お見合いの話にもワロタwww

w | 2008年06月15日 06:12

RATMみたいな熱い音楽が日本人が出して流行ればいいのになと思う
難しいのかな・・・

酔っぱらい | 2008年06月15日 06:04

後半40数分ごろから始まる神保さんのマスメディアに対する期待感は過度な気がしますが。。。
しょせん電波法で守られてきているマスメディアにジャーナリズムを求めてもしょうがないのではないでしょうか?
映像にこだわってきた神保さんがプロの映像と素人の映像の差にこだわるのはわかりますが、「メディア」と「マスメディア」は別物だし、いわんや「マスメディア」と「ジャーナリズム」を一緒くたに論じて、「マスメディア」に「ジャーナリズム」を期待する必要はないように思います。
かつての業界に対する郷愁でしょうか?
マスメディアが速報性と扇情性にたよって映像を垂れ流すならそれはそれで「マス」に対する存在意義はあるんだろうし、放っとけば良いかと。
むしろ、ビデオニュースのようなかたちで、事後の分析・論評に力を入れたジャーナリズムが多様に発展するのであれば、既存のマスメディアなんて第一報を知らせてくれるだけで必要十分な存在になると思います。
ネットであれ、電波であれ、紙であれ、媒体も関係ないと思います。

抜かった... | 2008年06月15日 05:46

高度成長期のように一億総生産、一億層中流って時代ならともかく、いまやトヨタの生産性と市民の幸せってのは大して関係ないでしょうね〜。
別に年収の高さがそのまま市民の幸せではないですから。
むしろ、トヨタの中堅正社員の奥様方が、うちの主人の年収は1000万なのに、隣は1050万だってことに不満もって愚痴ってるのを見ると、端からみてるとよほど不幸な気もする。まぁ、彼女らにとっては切実な問題なんだろうけど。
そういった意味で、グローバル企業の生産性が落ちようが、社会の中に市民が幸せだと思える環境(宮台先生に言わせれば社会的包摂性?)があれば、不幸でもないですよ。
どうせグローバル企業なんて、非正規雇用の雇用コストが上がれば海外に出て行くだけなんだし、勝手に出て行けば、って感じでは。
むしろ、毎年海外旅行したりブランドバック買ったりしなくても、それなりに幸せに生活できる社会にしていくほうが良いんじゃね?

団塊Jr. | 2008年06月15日 05:09

この事件が起こったちょうどそのとき、ある意味現代日本の象徴的存在でもある某有名番組(某超人気知事も常連だった)でこんなものが放送されていたようです。


テレビ番組出演後記
http://blog.livedoor.jp/asaodai/archives/51405442.html


なんだか凄まじいタイミングですね。

ピンク胡椒 | 2008年06月15日 05:06

高度成長期のように一億総生産、一億層中流って時代ならともかく、いまやトヨタの生産性と市民の幸せってのは大して関係ないでしょうね〜。
別に年収の高さがそのまま市民の幸せではないですから。
むしろ、トヨタの中堅正社員の奥様方が、うちの主人の年収は1000万なのに、隣は1050万だってことに不満もって愚痴ってるのを見ると、端からみてるとよほど不幸な気もする。まぁ、彼女らにとっては切実な問題なんだろうけど。
そういった意味で、グローバル企業の生産性が落ちようが、社会の中に市民が幸せだと思える環境(宮台先生に言わせれば社会的包摂性?)があれば、不幸でもないですよ。
どうせグローバル企業なんて、非正規雇用の雇用コストが上がれば海外に出て行くだけなんだし、勝手に出て行けば、って感じでは。
むしろ、毎年海外旅行したりブランドバック買ったりしなくても、それなりに幸せに生活できる社会にしていくほうが良いんじゃね?

団塊Jr. | 2008年06月15日 05:06

やっぱり皆が悲劇を共有すればいい
社会なんですね
大震災(一週間遅ければ)や核爆弾が落ちれば・・・・
頭真っ白、リセットです

りき | 2008年06月15日 04:51

20〜30代が徒党を組み、何か適当に起業集団やアソシエでも形成し、他の世代を排除するくらいの意地の悪さがあってもいいのにな。米国でいえばグーグルだろうか(創業者は真正ロスジェネw)。

あ | 2008年06月15日 04:09

東さんがゲストのときはタイトルにも特徴があって面白いw まず目についたのは「なぜ〜なのか」という疑問形(しかも3連発)ww なんか、論理的形式的なタイトルで「建築への意思」も感じられるwww

www | 2008年06月15日 03:51

なんか、「加藤は現在の派遣労働などの日本の雇用制度の被害者」みたいなのが当たり前の論調になっているが、クエスチョンだ。
加藤は、職を転々としていて、1年やそこらで何度も辞めていた。中では、正社員になったこともあったという(それが、自分から辞めたのかクビになったのかは分からないが)。
ということは、これは社会制度の問題というよりは加藤個人の問題ではないか。
このような、どんな仕事もすぐに辞めてしまうような奴も救うような雇用制度にしろ、ということなのか。
加藤は、負け組の底辺、みたいに言ってるが、本当の底辺はこんな物ではないような気がする。
彼は、負け組の中でもそこそこぐらいだと言っていいだろう。
雇用制度の問題は、それとは別にあるとは思うが、東、宮台両氏の、「彼は、日本の雇用制度の被害者」というような論調に、安易さと違和感を覚える。

kawauso | 2008年06月15日 03:33

マル激は自由度が高くていいね。

ひろゆき | 2008年06月15日 00:23

AGさんへ

暴論だとは思いませんよ。工場で非正規工として勤めた経験がありますが、フル回転している設備に合わせ(もしくは1人で組み立てを完結させるセル方式で厳しいノルマが課され)、時間のロスがまったく許されない環境で仕事をすることの辛さはすごいものがあります。そのような非人間的な仕事は普通、正規工はやりません。簡単に取り替えられる非正規工だからこそ、やらせられるのです。
トヨタのような日本のグローバル企業は、技術力、販売力なども含めた広義での生産性(国際競争力)は高い。非正規工を機械扱いしてまで、工場の生産性を極限化する必要があるのだろうか。ほどほどでよいと思う(同じ企業の工場でも海外工場はそれほど苛烈ではないのではないか)。
もし今まで通り、非正規工にも極限のパフォーマンスを求めるのであれば、それなりの“対価”を支払うべきだろう。それで各企業の利益率(内部留保増加ペース)が多少目減りしたとしても、若い層で救われる人が多いので、日本全体ではプラスになるのはないだろうか。
と言いつつも、個人的には、このまま突き進んで、日本に本当の階級社会が出現するのも一興かとも思う。移行期においては、今回の事件のような混乱が多少起こるにせよ。

不覚 | 2008年06月14日 23:45

神保さんの許容性の高さは体育会系だからかなぁ。
冷静に、コミュニケーションってレベルの問題ではないのかもしれませんね。人間うぜーー!

あさきち | 2008年06月14日 22:48

トヨタの生産性と各市民がどれだけ幸せに過ごせるかは、何の因果関係があるのか、全くわかりませんでした。定性的議論と前置きしながら話をしているとはいえ、あまりの暴論だと思います。日本のグローバル企業が生産性向上努力を止めれば、皆で負け組になって、さらに酷い事件が起こる可能性が高まる可能性の方が怖いです。

AG | 2008年06月14日 20:55
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