マル激トーク・オン・ディマンド
死ぬか殺すかまで若者を追いつめる労働現場の現実とは
マル激トーク・オン・ディマンド 第378回(2008年06月28日)
死ぬか殺すかまで若者を追いつめる労働現場の現実とは
ゲスト:雨宮処凛氏(作家)
 秋葉原連続殺人事件は、結果的に派遣社員の過酷な勤務状況に社会が注目するきっかけとなっているようだ。既に舛添要一厚生労働大臣は、「日雇い派遣の原則禁止」の方針を打ち出すなど、事件の衝撃性から政治もいつになく敏感に反応しているが、派遣社員やフリーターが抱える問題を取材し、彼らの待遇を改善するための運動に参加してきた作家の雨宮処凛氏は、派遣労働者の待遇が改善されることは歓迎する一方で、自分たちが長年訴えても通らなかった要求が、この事件のおかげで一気に通ってしまったことを複雑な感情で受け止めていると言う。
 今回の事件が起きる前から、派遣社員やフリーターなど非正規雇用で働く人々には、人とすら扱われないような、追いつめられた状況があったと、雨宮氏は言う。氏の元には、「通り魔になりたい」や「みんな殺してやる」というような物騒なメールが以前から寄せられおり、事件の発生を聞いた時、「ついにやったか」との感想を持ったと語る。
 派遣労働者の中でも、加藤容疑者のように地方の製造業で寮生活を送る人は、一度派遣として働きはじめたら、働き続けるか、ホームレスになるかのギリギリの状況に追い込まれやすいと雨宮氏は指摘する。
 実際、派遣労働者は時給制のため、特に賃金の低い地方では、長時間の残業をしてやっと生活ができるだけの報酬を得ることができるのが実情だ。この少ない収入の中から寮費や光熱費をひかれ、多くの場合、ギリギリ生活ができる程度の年収100万円台しか手元には残らない。また、派遣先の都合で突然解雇されることは当たり前で、1年に数カ所の職場を転々とすることもよくある。
 さらに過酷な条件を強いられているが、「日雇い派遣」で働く人たちだ。毎夜メールで派遣先を提示され、翌朝指定の場所に集まる。1日ごとに次々と職場を変わる上、翌日仕事にありつけるかがどうかがわからないため、翌日の予定すら立てられない。ケガをしたり、病気をしたら、日々の収入が途絶え、簡単にホームレス化してしまう例を雨宮氏はたくさん見てきたと語る。
 若者たちがこのような絶望的な雇用環境に追い込まれる背景には、派遣法の過度な規制緩和がある。1986年に人材派遣法が施行された当初は、非正規雇用の対象となる業種は非常に限られていた。ところが、99年の派遣法改正で、派遣できる業種が原則無制限になり、04年に製造業も解禁となると、多くの企業がコストダウンのために正社員を派遣社員に置き換えるようになった。労働市場の規制緩和の一方で、政府はセーフティネットの整備を怠ったため、今や多くの企業で、派遣社員は名前ですら呼んでもらえないような非人間的な扱いを受けるケースが後を絶たないという。
 雨宮氏たちが運動を通じて求めていることは、「せめて人間らしい働き方を」や「生活できる賃金を」というささやかなものだが、これまでそれすらも理解されなかったと雨宮氏は不満をあらわにする。
 今週は派遣労働をはじめとした若者たちの過酷な雇用状況の実情と、そのような状況がいかに彼らを追いつめているか、そしてそれを改善するためには何をしなければならないかを、過酷な非正規雇用の現場を数多く見てきた雨宮氏とともに議論した。

マル激トーク・オン・ディマンド 第281回(2006年8月18日)
働かない日本 働けない日本
ゲスト:鎌田慧氏(ルポライター)

マル激トーク・オン・ディマンド 第339回(2007年9月27日)
貧困は自己責任でいいのか
ゲスト:湯浅誠氏(NPO自立生活サポートセンター・もやい事務局長)

マル激トーク・オン・ディマンド 第376回(2008年6月14日)
なぜ秋葉原なのか、なぜ携帯掲示板なのか、なぜ無差別なのか
ゲスト:東浩紀氏(批評家・東京工業大学世界文明センター特任教授)

雨宮 処凛あまみや かりん
(作家)
1975年北海道生まれ。93年高校卒業後、上京。96年右翼団体超国家主義『民族の意志』同盟に入会。愛国パンクバンド『維新赤誠塾』などを結成し活動。99年脱会。00年自伝『生き地獄天国』を出版。著書には『生きさせろ! 難民化する若者たち』、『雨宮処凛の闘争ダイアリー』など。
この記事へのコメント

「派遣」も「孤独」も周辺要素に過ぎず、最大の理由は「児童虐待」だと思います。

とにかく、親の教育が異常としか言い様がない。

週刊現代によると、

>答えられないと殴打の「10秒ルール」

>「母が新聞紙の上にぶちまけた食事を兄は泣きながら食べた」

>「異性とのまじわりは厳しく禁じられていた」

>「アレ」(呼び方)

−−−−
――本誌先週号で実弟が綴った手記は大きな反響を呼んだ。今回、弟は、「アレは精神的な病などになる性格ではない」と語り、「母のさらなる “過剰な愛”」や「事件後の両親とのやりとり」などを赤裸々に明かした
−−−−
〈家族4人で食事を取っていたら途中で母が突然、アレ(加藤のこと)に激昂し、
廊下に新聞紙を敷き始め、その上にご飯や味噌汁などのその日の食事を全部ばらまいて、
「そこで食べなさい」と言い放ったんです。アレは泣きながら食べていました〉

サンデー毎日には、近所の主婦の証言として、
雪が1メートル以上積もった極寒の日に加藤が薄着のまま
数時間も外に立たされていたという話が出てくる。
「もういいんじゃない」と声をかけても、母親は取り合わなかったという。
親類が「もう少しおおらかに育てたらどうか」と忠告したこともあったというのだ。

その後、加藤家では家庭内暴力が始まる。
動機のひとつに「親への復讐」があったのは間違いない。
−−−−−

だとか、もうムチャクチャ。
光市の事件と似たようなもんでしょう。

「児童虐待」!

できれば、この事実を番組で補足して頂きたい!なぜか大手メディアでは報道されていない!光市の事件と同じく、だ。

ちなみに日本共産党などの左翼さん達は家庭への行政の介入について、民事不介入!とか言ったり、家庭を大事にするべき!とか保守的な道徳観をバラまいたりして、大反対しています。それで良いんですかね。

児童小説 | 2008年07月24日 14:51

秋葉革命テーマソング

↓これでも歌ってデモ&スト&暴動でも起してしてくださいなw | 2008年07月12日 06:18

ハァ 希望もねえ 資格もねえ
生活保障もほとんどねえ
定職ねえ つなぎ(作業着)がねえ
たまにくるのは突然解雇
朝起ぎで 作業場で
9時間ちょっとの日雇い労働
ボーナスねえ ある訳ねえ
俺らの現場は社員いねえ
俺らこんな派遣いやだー 俺らこんな派遣いやだー
秋葉に逝ぐだぁ〜
秋葉に逝っだなら クルマさ借りで
秋葉で他人轢くだい〜
アーソレ!アーヨイショ!!

ハァ 友達ねえ 彼女いねえ
ナンパ・合コンしたことねえ
キャバクラはあるけれど
ヤレる機会はほとんどねえ
信用ねえ クレカねえ
経済活動ほとんどねえ
学歴ねえ 教養ねえ
俺らの世代はゆとり世代
俺らこんな身分いやだ〜 俺らこんな身分いやだー
秋葉に逝ぐだぁ〜
秋葉に逝っだなら ナイフさぁ買うて
秋葉で他人刺すだい〜
アーソレ!アーヨイショ!!

加藤容疑者のユーモア | 2008年07月12日 05:54

最高裁、JR下関駅通り魔事件の上部康明の控訴棄却。
とうとう彼も確定死刑囚になりましたね。
あとどのくらいの命ですか?
それより、みなさん、こっちの事件は、どういう総括をするのかな?

若苦 | 2008年07月11日 19:52

名前欄に名前書かなきゃその名の通り無記名になるんですよ。世の中を渡っていくのも大変ですね。

無記名 | 2008年07月11日 07:58

<無記名という名前について>

無記名って名前がやたら多いが、同一人なんだろうか?
ときどき、何の話をしているのか分からなくなるので、別人なら違う名前にしたらどうか?
自問自答しているんなら、結論だけ言ってよ。

若苦 | 2008年07月10日 10:58

どこかの動画でありましたが
例えば貨幣には交換価値と価値の貯蔵、価値の増殖という混乱した機能が同時に与えられているのでしばしば破滅的な作用を及ぼす。といわれていました。
地域通貨は貨幣の機能を交換価値だけにして且つ減っていく貨幣、ということが言われていますが、いきなり貨幣の問題を解決するのは難しいとしても(世界中では第2次世界大戦前にゲゼル理論を実践した減価する貨幣がありましたが、日本ではそういうことは全くされなかったのですから)、
例えば非正規雇用の問題から見えることで、
「労働」について考えることが出来るのではないかと思います。それが企業的な労働と非営利的な労働ということだと思う。
協同組合が非営利とよく言われますが、生活協同組合自体は企業活動の一環だと思います。労働の質そのものを
問うたものではないし、社会自体を変える実践でもないと思う。
実際日本の生協運動というのはスローフードとも結びつかなかったし、安全な商品を購入するというよくわからないものに収斂されていただけだと思う。

無記名 | 2008年07月08日 01:28

>>やはり、出口のない海です

そんなことはないと思います。実は。
社会的包摂、ソーシャルインクルージョン、というような話、そして宮台氏の「儲ける企業」と「内需でまわす企業」「国家」と「社会」という、便宜上の分け方から、またイギリスの例などを出していることを考えれば、答えは「NPO中心の非営利セクターが社会活動の中心になる」ということです。

内需で回る企業は、例えば農業は典型的にいえるかもしれませんが、営利性を極端までなくす方向で行くということです。今まで農協は日本の農政を支えてきたから非営利企業家といえば、そうではない。農協というのは郵政事業と同じでものすごい企業体なのです。寡占的な、巨大な企業なわけです。農政も、農民も、消費者もその農協という寡占企業体の中で動いていたといっていいでしょう。
ですが、結局農業は政治家の食い物になって衰退の一途をたどっている。大規模農業化していくとしても基本的な構造は変わらないでしょう。
その構造が宮台氏の言う「国家」と「社会」との関係、ということになる。

ですが、地域のNPOが休耕田を農業委員に審議してもらい土地を購入して安全な野菜を作って、売るとしたらどうなるでしょうか?
可能性というのはそこにあると思います。菜の花プロジェクトもそういうところにあります。NPOバンクもそういうところにあります。
グラミン銀行もそこにあります。グラミン銀行は、貧困家庭の財布の紐を握っている女性に自立支援を行うことで女性たちや貧困層(男性に貸しても戻ってこないが女性に貸せばきっちり管理して返すとのことでした)が自立することに大きな影響を持ったということです。

日本では市民、国家、社会、という関係に距離がありすぎるか、なさ過ぎると思います。

無記名 | 2008年07月08日 01:13

みんな、難しい言葉よう、使いますねえ。もうちょっと普通であったらあきませんかあ?「包摂」なんて「辞典」引っ張り出してしまいましたよ。番組に一点お願いします。英語つこうもええけど、必ず日本語で置き換えて下さいねえ。どんなに難しいこと言うても、簡単な言葉に置き換えらるはず。芯に通じた力がほしいです。

ポイ | 2008年07月07日 21:30

やはり、出口のない海です。
映画の出来はさておき、逃げ場のない印象はコメント数にも表れているように思います。
たしかに、グローバル化という現実の中では、時給千三百円でもマシなのでしょう。
私も泥のケーキを食べているわけではないですし、パソコンを使ってここにアクセス出来ているのですから。
だからといって、幸福でまったりな日常を終わり無く生きているとは思えません。
例えば、ハーケン・シャインに信用はありませんから、ウェブマネーでの視聴を廃止されると、またひとつある種の包摂から洩れてしまうのです。
その程度の包摂を保証するリソースがこの国にもう存在しないとは思いたくありませんが、社会的包摂性が存在しないのは事実なのでしょう。
おそらく過去にだって、社会的包摂性など無かったのではありませんか。
存在していたのは地域、村落、家族という共同体世間の包括で、それを社会的包摂性と呼ぶのは違う気がします。
フランスにはあるらしい包摂の有無より、江戸の遺伝子の回ではありませんが、winner take allではない引き分けの概念が必要なのではないかと思いました。
正社員と同じ仕事をこなし、残業もしているのにお伊勢参りもできません。
ですから、年収三百万の安定した仕事に就くのが夢になるのです。
そんな夢も諦めなければならないほどリソースは枯渇しているのですか。
私は、横浜に関係のある(間違いかもしれません)知的タレントほどの偏差値ではありませんでした。
そんな格差は確実に存在しています。
しかし、それ自体が悪いことだとは思いません。
階級、階層、レイヤーだかも否定しません。
せめて現状を知ってくれれば良いのです。
新聞を読めば社会人だと信じて疑わない人々は、秋葉原の事件後に出稿された派遣業者の全面広告の意味を理解しているのでしょうか。
高利貸しと脱法賭博遊具と人配屋スポット広告の合間に流れる知的タレントのコメントで何かを理解することができるのでしょうか。
派遣の問題がいつの間にか日雇い派遣の問題へと矮小化されていますが、さらに個人の問題へと変遷することのないよう祈ります。
痛みを訴えて、そんなはずはない、と否定されるのはしんどいことです。
金もコネもありませんので、痛みから抜け出すのは難しいでしょう。
だから、せめて、知ってくれればよいのです。
そののちに、ジ・アール・ミタライと同じことを語るのなら諦めましょう。
私は確定した絶望をもって賽の河原で石を積みます。
その石も景気後退で怪しくなってきました。
踏み台に乗って浮いている人たちも、そう遠くない未来には沈むでしょう。
精神論に傾いてボロ負けした国はいまだに何も変わっていないようです。

無記名 | 2008年07月05日 14:30

今、マル激に最も呼ぶべきなのは浅羽通明じゃないですかね?

鎌田さんの回、楽しく拝見させていただきました。

ライター | 2008年07月05日 03:39

どうも宮台氏をはじめ教育者たちは
「戦後民主主義の過度な競争主義が問題を複雑にしている」と言いたいようですが、問題設定の仕方として
「戦後は平等な社会だった」「それが過度で甘やかされすぎた」というのは
本当なのかはなはだ疑問の感じる。
鎌田動画から見えてくるのは現代の若年労働者がいかに悲惨な状況下に置かれているかであって、「平等で甘やかされすぎている」などと口汚く攻撃されている世代ほど過酷な環境であるという風に見える。
そして昔はそんなに平等主義だったのかといわれると、そんな雰囲気はとても感じない。
平等とか過保護とかどういうことをもってそんなことを言っているのか、
そういうことを主張する政治家に徹底的に話してもらいたいと思います。
そして宮台氏も日本のどこが過度な平等なのかはっきり例証してもらいたい。
宮台氏らの論理矛盾は明らかだと私は思う。一方で「戦後は過度な平等で甘やかされすぎた国民」などと、労働運動での連合の態度(いわゆる日本的経営主義。この人「労使」と「労資」の区別とか分かっていないような気がする)を批判するくせに、日本の社会的包摂性なんかを擁護する論陣を張ると、結局は「日本的経営は素晴らしい」というような例しか出てこない。
だから新しい保守主義、というものが説得力が出てきた、ということも理解しようとしない。

無記名 | 2008年07月04日 23:17

現在では、国内大手企業の多くが、外資によってかなりの株数を買われているという話です。
派遣先が原則自由となった規制緩和の背景には、より多くの配当を得たい外資側の思惑があったと言う人がいます。
企業によっては、株主から法外とも言える配当を要求されているところもあるようです。
本来、労働者へもっと配分されるべき利潤の多くが、外資をはじめとする株主に吸われています。
この状況を打開するには、労働者側が動いて、経営側が労働者への配分を増やさざるを得ないようにもっていかなければならないと思います。
そのためにも正規雇用を増やさなければなりません。
正規雇用されたければ直接雇用が先決で、直接雇用してもらうには、中間雇用業者(派遣業者)をボイコットして廃業させなければなりません。
派遣業者の募集に応じる者がいる以上、派遣業者は利ざやを取ってぬくぬくとしていられるし、安い労働力を得られる工場は、株主からの圧力も加わって、いつまでも物事を変えようとはしません。
派遣業者を全廃し、企業が直接雇用・正規雇用をしなければならないような状況に追い込まなければ、企業の経営陣や、さらに強い力を持つ株主に迫るだけの効果を出すことはできないと思います。

KT | 2008年07月04日 19:09

 私もngさんが疑義を呈されているように、日本に階級社会を、というのは馬鹿げた話にしか聞こえませんね。しかも、宮台氏はよくフランスの例を出されるように大陸ヨーロッパがお好きなようですから、念頭に置いているのも大陸ヨーロッパの固定化された階級社会なのでしょう。私はngさんが出された階層区分でいうと「プロフェッショナル階層」に属すると思いますが、仮に自分が「特権階層」にいたとしても、それで無条件に上流階級としての立ち居振る舞いを求められるのは勘弁願いたいところです。

 元々日本というのは素晴らしい行いをした人は尊敬するけれど、金をたくさん儲けたから、あるいは先天的に上流階級だからといって無条件に敬意を表すような文化はなかったように思います。それでいいのではないでしょうか。金持ちに品がなくたって構わないし、貧乏人が高貴で素晴らしい行いをし尊敬を集めても構わないはずです。
 私がこの点で近しいと感じているのは大陸ヨーロッパではなくイギリス、といって悪ければイングランドの社会です。以前もここで指摘した記憶がありますが、宮台氏はよくヨーロッパとひとくくりにされますが、歴史的にも実際にも、大陸ヨーロッパとイングランドは全く別の文化・社会を形成しています。

 問題は尊敬に値するような人間がほとんど日本からいなくなってしまったことでしょう。

B | 2008年07月04日 18:03

magiさん
私は比喩で言っているだけです。
エレベーター=社会
体重=富
体重が重い=富が沢山ある=高貴である
体重が軽い=貧乏である=卑しい
これって、馬鹿馬鹿しくないですか?
全ての価値を保有する富の多寡で量るなら別ですが。
みなさんの言っておられる「階級」とは、まだ社会制度になる前の共同幻想でしょう?
しかも、気の滅入る幻想です。
一方、貧富の差は拡大しつつある、これは確かに現実でしょう。
しかし、それと人間の貴賎はまた別問題です。
そういう誤った幻想を「社会的包摂」の名の下に宣伝する意図は何でしょう?
皆さんの立ち位置は、「特権階級」「プロフェッショナル階級」「貧困層階級」「おちこぼれ階級」のどれですか?
(小林由美さんの区分を勝手に借用させていただきました)
たぶん宮台さんらは自分らのことを「プロフェッショナル階級」と思っているのでしょう。
「上の階級のやることが気にいらなけりゃ、下の階級は連帯して暴動を起こせば良いんだ」と言いながら、同時に「けど、身の程を知れよな」と言うのは、いったい何ですか?
要するに「階級」を壊さない範囲ならガス抜きは認めようと言うだけのことでしょう?
そんなことを日本に持ち込みたいわけですかね?
こういう「プロフェッショナル階級」の人のご託宣を、ありがたくいただく人の神経が私にはよく分かりません。
magiさんは違うのでしょうが。

ng | 2008年07月04日 09:54

ng様

一つ前のコメントで勝手にお名前nogi様にしてすいまんせん。自分の名前が混ざってしましました。ブラインドタッチの手ぐせは恐ろしいですね。

さて、「分をわきまえて隅へ行け。けど、それなりに、楽しくやるんだぞ」というお話ですが、エレベーターの席次くらいなら、その頭取の「会社」のエレベーターであるなら、ある程度仕方がないと思います。理由は階級といった小難しいものではなく、狭い空間で譲り合いが必要な時、年配者を立てるという程度のマナーで対応可能です。しかし、企業外の公共空間で頭取がそういうことを求めるのであれば、その頭取が順番を守れないバカなんではないでしょうか。でも恐らく本当の階級社会になれば、頭取と一緒のエレベーターに乗って気を使わなければならないということ自体なくなってしまうと思います。

ルサンチマンがあるがダイナミックな社会については、ルサンチマンによって、それを抱くものにとって良い社会になっていくのであればダイナミックですが、あまり変わらないのであれば、一人怨念を抱えて生きるだけになってしまうような気がします。

盗聴器しかけてスキャンダルを暴露したところで、鬱憤ははらせても、実際にマスコミ関係者から貰えるギャラは泡銭。自分の生活が変化するわけではありません。

私もng様のような気持ちになることもあるのでお気持ちはよくわかります。独立行政法人労働政策研究・研修機構のウェブサイトのご意見欄に恨みつらみを書き込んだこともあります。しかし私の経験上、世の中の恨みつらみを言っていると、普通に楽しい会話ができなくなり余計に孤立してしまいます。だから、「では私たちは、どうすればいいのか?」ということについて考えたいのです。

あと別に私は「階級支持者」というわけでもありません。ng様の意見にまじめにお答えしたら、そうなっただけです。実際のところは、宮台氏が言う「階級制」による社会の整理・再構築とは、どういうものだろうか?という視点で「賛成でも反対でもなく」ただ興味があるだけです。

magi | 2008年07月04日 08:20

鎌田慧さんの回のアップ、ありがとうございます。最後に二人がベタ褒めで緊張したって言っていたのが印象的でした。私も話しているとこが見れてよかったです。

やま | 2008年07月04日 05:26

仕事やりすぎて上司の監視が厳しい昨今です。なんとかして監視の目をかいくぐり完成度の高い仕事を成し遂げたいなー。

外資系 | 2008年07月04日 04:36

magiさん
病気のことを持ち出されると困ってしまいます。
ある程度、似たり寄ったりじゃないですか?
しかし、他人事のような議論ですか?
私は皆さんが「階級」と言う言葉を使われる以上、具体的な名前やランキングや何に着目したものなのか、そしてまた、下の階級の者は上の階級の者に何を感じなければいけないのか、等々知りたかっただけです。
あなたが日雇い派遣で、とあるビルのエレベーターでどこかの大銀行の頭取とたまたま一緒になったとします。
その時、「分をわきまえて隅へ行け。けど、それなりに、楽しくやるんだぞ」と自分に言い聞かせるわけですか。
そして、「みんなもそうしろよな」と。
私なら、その偉いさんに盗聴器を仕掛けてやりますね。
エレベーターの中では「階級」と言っても、せいぜい「体重」くらいのものじゃないですか。
「ノブレス・オブリージュ」なんて、勝手にさらせですよ。
「ルサンチマン」、いいじゃないですか?
変に物わかりのいい社会より、ホンネがぶつかり合う社会の方が、ダイナミックでいいですよ。好みの問題ですが。
また、金持ちは高貴でなければならない義務があるんですか?
全てをドルで量るというアメリカならわかりますが。

ng | 2008年07月03日 23:13

nogi様

今の終わりなき競争社会より階級社会の方がマシではないか?という心情的なコメントは下記に記しましたが、

>、違った「階級」の間では、「階級」間ランキングの他にどういう社会的承認があるとお考えなのでしょうか?

という問題については、武士道も廃れ、富裕層が中身のない「セレブ」に憧れ、ヨーロッパ的な貴族意識を持ち合わせない今の日本においては確かにおっしゃる通りかもしれません。

もっと階級社会とはどういうものか具体的に説明できるように勉強したいと思いました。

magi | 2008年07月03日 19:41

ng様へ

■階級について

やはり「階級」というと「社会のヒラエラルキー」を固定化し、差別を助長するするというイメージで受け取られるようで抵抗があるのはわかります。私も階級をひきあいにだされ、差別されるのは嫌ですし、また私自身、今現在うつ病を患い休職中の身で、自らの階級を言えば、中産階級から転がり落ちた低所得階級でしょう。ですから強者のおごりと取らないで聞いて頂きたいでい。


まず、「階級」について正式な社会学の定義ではなく私自身が今イメージしていることを述べたいと思います。階級を述べるにあたって、よく似た言葉に「階層」という言葉があります。両者を比べると「階層」は何となく社会の動きの中で、主に経済的理由で出来上がった「富裕層」「低所得層」といったものを表しのに対し、一方「階級」は、その社会全体の人が自らがどの「階層」に属するのか自覚し、その「階層」に見合ったライフスタイル、規範意識を持つことによって出来あがるように思います。

つまり、金持ちが、何となく金持ってるだけの状態の時は「富裕層」ですが、富裕層たるライフスタイル、規範意識を持てば「貴族階級」となるといったイメージを持っています。

「既得権益を貪り食って世のなか弱肉強食なんだから俺達が偉そうにしているのは当然」といった貴族階級規範では元も子もありませんが、能力がある方が、それに見合ったライフスタイルを選べる代わりに、他の方たちより重い社会的責務を果たさなければならないという意識を持つようになるのであれば、階級について考える際、一概に「階級=差別」という図式以外のものが見えてくるのではないでしょうか?

今の社会を見ていると、建前では平等と言いながらも、実際の経済格差がどんどん広がりつつあります。基本的に人々の能力に差がある以上、放っておけば格差があるのは致し方ありません。その格差社会に対する処方箋としてあげられるのは、一つは不平等を認めず、制度的再分配を行い共産主義的に均衡をもたらす方法。

もう一つはある程度の不平等を予め認め、その中で人々がそれぞれの能力に見合った環境世界で暮らし、ルサンチマンを溜めこみ、終わりなき競争に明けくれずにすむような社会を模索する方法だと思います。

もちろん生活できないほどの格差は制度によって、防止しなければなりませんが、しかし最低レベルを引き揚げ生存権を確保したところで、人々の不毛な競争は終わることがないでしょう。

地域共同体などがないまま、ひたすら個人レベルでバラバラに地位獲得競争に明け暮れる日々を強いられるのではたまったものではありません。

人の能力には各個人ごとに限界があるのですから、それぞれの能力に合わせて然るべき規範を示し、レベルを同じくする者同士が繋がり共に協力して安心できる方がマシな世の中だと感じます。

階級間に断絶が起き、権力者階級が横暴な行為に走るのを、チェックできない問題も予想されますが、その際は、他の階級が連帯していれば反対勢力として力を発揮し均衡を保てるのではないでしょうか?

というように、私の「階級社会」に対する具体的イメージはまだ曖昧なものですが、とにかく現在の不毛な競争ばかりさせられたうえ、勝者になってもまたいつ負けるかわからず、万人に対して疑心暗鬼な状態になり、そのことから勝者は弱者に手を施すこともなく、威張り散らして支配するという構図をなんとかして欲しいと思うのです。あまりご期待にそう答えになっていませんが如何でしょうか。

magi | 2008年07月03日 19:27

今の日本に「階級」があることを認めろというお話があったように思います。
しかし、その「階級」って、具体的な定義や基準はどういうものですか?
そして、そんなことをおっしゃる人自身は、どの「階級」に属しているとお考えなんでしょうか?
また、違った「階級」の間では、「階級」間ランキングの他にどういう社会的承認があるとお考えなのでしょうか?

ng | 2008年07月03日 11:01

はじめまして、magiと申します。「社会的包摂」「格差問題」「階級制度」について下記のように思います。

■社会的包摂について

 「地域共同体」「家制度」「企業共同体」が、ほぼ消滅した現在において、「社会的包摂」というキーワードを軸に、何らかのコミュニティを組織することを宮台氏が提言するのは、経済危機・格差問題がなくても「健全な社会」を成立させるにあたって必要不可欠であり特に異論はありません。

しかし、社会的包摂があったからといってワーキングプアの問題がなくなるとは思いません。加藤智大の事件のような暴発は防げるかもしれませんが、貧困層の問題解決の決め手とはならないと思います。社会的包摂が機能し連帯したところで、生きる意志を供給するのに十分な幸福感を感じることはないと思います。いくら周りから励まされても、具体的経済支援がなければ屁のツッパリにもなりません。

よって、社会機能の維持のために社会的包摂は必要ですが、それでは解決不能の貧困層の経済的問題に対しては、憲法25条「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という文言に基づき、文句を言う富裕層からかっぱらってでも、最低賃金、生活保護、派遣労働法など労働・社会保障制度を見直すべきだと思います。

またその際、重要になる「健康で文化的な最低限度の生活」の具体的レベルの規定ですが、ネットカフェ難民レベルの生活などは論外にして、制度を構築する実質的権力を持つ政治家・官僚が現場を見た上で、「もし万が一自分がこの立場になっても、これなら我慢できると思える程度」にするべきです。理想論かもしれませんが、社会保障制度構築者は、一度生活保護レベルの生活を、半年から1年間ほどシミュレーション的に自ら実施し決めて頂きたいものです。

また「社会的包摂」の提言は、もうされているかもしれませんが、視聴者の社会的階層はぞんませんが、このコメント欄に書き込んだりしている若年層より、この番組を見ていない現時点での社会の実質的ステークホルダー層にこそ口酸っぱく言って頂きたいと思います。

経済抜きに語れない現代社会において、日本経済の構築者である財界トップの方たちでも、身も蓋もない発言をされているんですから、毎日、自分の生活に追われる私たち大衆は、わかっていても実行できないのが現実です。

(実際は私たちの知らないところでロビー活動されているのかもしれませんが)宮台氏も日本国民のほとんどが近代社会的な市民になり損ねた田吾作なのは、重々ご承知のは

ずなんですから、「社会的包摂」を形成するにあたって、「地球温暖化問題対策」のようにまずは「制度」を整備した上で、ロハス思想のように余裕のある「富裕層のノーブレス・オブリージュに対する意識」を焚きつけ、自然も大事だけど社会も大事ということを知らしめ、上から下に着実に浸透させていくという戦略をとって頂きたいものです。

■格差問題について

人の能力が同じ以上、格差が生じることは当然と考えます。格差が大変開いていても、底辺のレベルが上記で述べた、政治家・官僚自身がもし自分がこうなっても耐えられると思う程度であれば問題ないと思います。但し、生活ができても総体的貧困を抱えた一部の方たちが生活レベルの違いから「孤立」することがあってはなりません。その点については、孤立しない程度の経済力を与える再分配制度が必要だと思います。なぜなら「孤立」も「最低限度の精神的健康」を満たしていないからです。

■階級制度について

1憶総中流階級幻想があった日本において階級制度を自覚するのはつらい作業ですが、無駄なルサンチマンの応酬による荒廃が生じるくらいなら、あってもいいのかなと思います。しかし、問題はそんなに自分とは変わらないような人間との差異を「階級の違い」とわりきれるかが難しいところです。そこにこそドス黒いルサンチマンが渦巻くことになるでしょう。例えば、IT長者、セレブに階級の違いを感じても何とも思いませんが、派遣社員と会社員程度の頻繁に接触するレベルで線を引かれると、やはり受け入れるのは難しいと思います。

magi | 2008年07月03日 00:29

宮台の「社会的包摂性」は、立憲主義の前提がないと理解不能に陥りますね。

EN | 2008年07月02日 12:49

ニュースについて。
ニュース別枠方式はとてもよいと思う。
感じたことは、宮台さんの説明・理解はラフに過ぎるということ。
包摂性の問題で説明しようと思えばなんでも説明できる。
もう少し緻密に考えるべきではないか。
また、政治家や官僚、裁判官が馬鹿というより、個々人が自覚した問題意識に従って行動できなっている構造の存在の方に目を向けた方が、はるかに生産的である。

一言 | 2008年07月02日 01:22

鎌田氏分の再放送リクエストした方、ありがとうございました。たぶん意見が反映されてのアップだと思います。初めて実のあるコメントを見た感じです。これからも「クレクレタコラ」にならない程度にリクエストしていければよいですね。

はか | 2008年07月01日 19:40

放送すらまともに見てないのが明白な奴も多いのが、困ったものだけど、そんなのは論外だが、それにしても”にわか”が多すぎだ。

先行する議論をちゃんと知っておけ。
日本的学校化や尊厳のリソース不足を知った上で、それと連続する話として、社会的包摂を語るなり、批判しろ。

無記名 | 2008年07月01日 13:45

グローバル化ってのは、労働で言うなら、ワークシェアを世界中でやるってことだ。
それを日本国内だけ、みんな仲良くったって、無理な話。
社会学というのは、比較的規模の小さい人間集団を扱う学問で、グローバル化にはなじまない。
ようするに、もう宮台らの手に負える問題じゃないということだ。
もっと役に立つ方向に舵を切れよ。
いつまでもナンパ学者じゃねーというのもわかるけどさぁ。

名無し草 | 2008年07月01日 13:28

日本の超優秀な大学生って、トヨタとかキャノンに就職してる(したがってる)の?どちらかというとメカニックな趣味の人とか、なんとなく安定した大企業・有名企業を志望する人が逝きたがるだけでしょ?はたして、パイロット・医師・ビジネス系弁護士・商社・コンサル・証券・銀行・PCソフト・ファンド・行政職・研究職・おもなマスコミを蹴ってメーカーに逝く人って、どれくらいいるの???

そもそも | 2008年07月01日 12:00

米国には悪いけど、自動車工場がなければ(日本が自動車産業にそんなにしがみついてなければ)、いまごろ加藤さんは秋葉原で素晴らしい携帯やPCのソフトを開発してたんじゃないの?シリコンバレーのお株を奪う感じでw

無記名 | 2008年07月01日 11:46

米国には悪いけど、自動車工場がなければ(日本が自動車産業にそんなにしがみついてなければ)、いまごろ加藤さんは秋葉原で素晴らしい携帯やPCのソフトを開発してたんじゃないの?シリコンバレーのお株を奪う感じでw

無記名 | 2008年07月01日 11:45

◆日本国内の会社の話、社員・契約・バイトの話が多く、従業員も日本人が多いけど、外資系企業とか外国人が多くなった場合、日本はどうなるんですかね?
◆「日本に工場を置いてやるだけでもありがたく思え!」って言うけど、ありがた迷惑じゃないの?産業としてどうなんですかね?古くてダサいし自慢できる(世界に誇れる)ほどのものですかね?日本の技術って、人件費の安い外国人でも簡単にマネできるものかな?仕事をオフショア化しても現地に有能な日本人を派遣する羽目になるんじゃないの?日本に工場なくなってたとしても、べつに新しい産業できてたんじゃないの(自動車じゃなくてPCのソフトとか新しい金融技術とか)??「日本で経営できるだけでもありがたく思え!英語もろくにできないくせにw」って陰口叩かれないのかな(とくに年配の日本人経営者)???

そういえば | 2008年07月01日 11:37

下手な日本人(たとえば加藤容疑者)よりも、いまにも餓死しそうなアフリカ人たちの方が(一応)友人・知人・彼女・彼氏もいて、(ささやかながら)結婚もできて、(不健康で危険とはいえ)子供も産めて、(短い期間ではあるが)子育てを経験できて、(虚礼みたいなものだけど)親としてそれなりに敬われ、一生を終えることができるんだねw これ一体何なんだろうねww 笑いごとではすまされないけどさwww 

もう俺、呼び出されて厳重注意だよw | 2008年07月01日 11:04

同じ日本人といえども格差は仕方ないな。同じ人類といえども格差は仕方ないな。日本国内も地球の縮図と思えばいいんじゃないですか。日本人の何人かが餓死して、何人かがホームレスで、何人かがバイト生活で、何人かが契約社員で、ごく少数が正社員で、ごくわずかが立派な中流で、ほんの数人が貴族・特権階級でも仕方ないな。俺自身はどれでもいいし、覚悟もできてる。しいていえば、やや中流の方が楽しいかな?という程度でしょ。

あ | 2008年07月01日 10:48

問題は、就職氷河期世代(1994年からぎりぎり2006年までの学卒世代)のいわゆる社会的にネグレクトされている若者達を「社会的包摂」でも「政策的包摂」でもなんでもいいが、どう「ケア」すべきかと言うことだろう?
しかし、その方策が見つからない。
グローバル化した資本主義経済の下では、そういう社民的な人為的解決は無理なことだからだ。
資本主義的発展を断念すればできるだろう。
しかし、経団連はそんなことをするくらいなら、厄介者を切り捨てた方がいいと考えている。
「品がない」と言ったって、蛙の面にしょんべんだ。
しかし彼らだって、たとえば、トヨタならインドや中国の後発メーカーの格安ボロ車の挑戦を受けており、このままでは生き残れないのは目に見えている。
社会学者が経済に口出しできるような状況じゃないのだ。
とすれば、社会学者としては、「心のケア」しかないだろ?
それが、「社会的包摂性」の話なんだよ。
それは、結局のところ、共産趣味さんなど皆さんの見抜くところで、だから反発を買うんだよ。
既に社会的に包摂されている人間達がネグレクトされた人間に「社会的包摂性」を信じればあなたも救われますよと言ったって、宮台シンパ以外、誰が信じるものか。
いい加減にしろといいたい。

名無し草 | 2008年07月01日 09:58

政府が財政的に破綻しかけているので(理由は何でも良いが宮台氏はそう言っていたので仮にそうする)、その機能の一部を何かで代替するとする。前提により、政府は金や人を出せないから、ほかの誰かが金や人を出すしか現在の政府が果たしている機能を代替し得ない。では誰が出すのか?

その人(又は法人)がその人であるという理由において負うべきはその人に帰責性のある負債のみ、という原則を守るなら、現在政府が支えている、あるいは支えるべきであると国民が政府に要求しうる「包摂されるべき人々」を(拘束的な)責任を持って支える人は誰もいない、即ち救われる人と救われない人は救う側の自由な選択に委ねられる事になる。

逆に政府以外の誰かが責任を持って「包摂されるべき人々」を支えるべし、というのならそれは全体主義と一体何が違うのか。

社会的包摂という言葉に共同体による扶助以外も含めるとするなら、社会的包摂はまず何よりも政府によるべきものであって、(財政の危機だから(!))その責務を何らかの共同体が負うべきだなどという議論は、ダーティリベラルと全体主義の復権以外の何者でもない。

(要約)
最低生計費の扶助もしないで、何が社会的包摂か。そしてそれを政府以外の誰にさせるというのか?

共産趣味 | 2008年07月01日 07:53

「社会的包摂性」なんて、ないほうがいい、と考えている人間もいるのです。
「包摂」されたくないというか、群れたがらない人ですかね。
田舎から都会に出てきた人間は大なり小なりそういうところがあるのではないですか?
ところが、世の中には、ここのコメントを見ても分かるとおり、「社会的包摂性」を求めてやまない淋しい人達が多いのです。
彼らは、そりゃ、落ち込んだときでも「社会的包摂性」で救われるでしょう。
「社会的包摂性」の効用が通用するのは彼らについてだけで、そういう人達というのは、たいていは加藤智大のような事件は起こさないんですよ。
加藤智大が「社会的包摂性」に欠けた環境で育ったというお説は?です。
それは家庭も社会だというのなら別ですが。
とにかく、「社会的包摂性」論は破綻していますよ。
嘘かホントか検証のしようがないヨーロッパの話など持ち出さないでいただきたいですね。
「社会的包摂性」があってもなくても加藤智大のような事件は起きるでしょう。
「社会的包摂性」は関係ないのです。

名無し草 | 2008年07月01日 07:41

○紹介記事より
>自分たちが長年訴えても通らなかった要求が、この事件のおかげで一気に通ってしまったことを複雑な感情で受け止めていると言う。

 そのお気持ち、分かるような気がします。(私も含めて)日本人は一時期、貧しさと言うものに極めて鈍感でしたから。一時とはいえ、なまじ豊かさを経験しただけに他者の痛みから目を背けたがる心理があったのではないかと思います。結局は巡り巡って自分達の痛みになってようやく目を向けざるを得なくなった・・・

 では雨宮さん達の出番がこれでなくなったかといえば、そうではないと思います。確かにポピュリズムに駆られた政治家がワーキングプア層に目を向けるんでしょうが、飽くまで自分の票の為だけで終わる危険性もあります。ほとんどの立候補者が派遣労働とは縁の無い層だからです。そんな彼らだけでは貧困層の立場を理解するなど覚束ない話です。
 個人的には、雨宮さんの様な方の存在は今後、更に重要なものになると思います。

○無記名 | 2008年06月29日 16:46さん
>日本のように当事者意識が敵対的に扱われる土壌の中では社会的包摂性など育ちようがない。

 私はこのご指摘がとても重要ではないかと思いました。何故我が国では包摂性が失われ、欧州では今だ保たれているのか。その差を突き詰めるともっと先の展開が有る様な気がするのです。
 欧州の人達にしたってある日突然こうなった訳でもなく、日本人が江戸時代の安寧にドップリ浸かっていた頃に統治権力の暴虐に晒され、或いは大資本に搾取されもしていた訳で、ひょっとしたら人間と言うのは皆等しくそういう荊の道を通らないと包摂だの連帯だの理解できるようにならないのかもしれない、と言ったら言い過ぎでしょうか?

 もう一つ挙げるなら、もう亡くなられた方ですが、一橋の名誉教授だった阿部謹也氏の語った事もヒントになりそうな・・・
http://jfn.josuikai.net/josuikai/21f/main53-1.htm

○名無し草 | 2008年06月30日 23:16さん
>加藤智大はいかなる「社会的包摂性」からも排除されたあげく、社会に刃を向けたわけだ。
>それをどうやったら、「社会的包摂性」で救えると言うのか?

 彼の場合は事を起こしちゃったんだから手遅れですよね・・・今さら包摂も何もあったものじゃない。
 その前の段階だって、社会の包摂性から排除されたと言うよりは「包摂性の無い環境にいた」といった方が正確な気がするんですよ。弟の告白ってのを読む限りでは。家庭からして人間の育つ場所じゃないような表現がされてましたよね。

>裁判官がしっかりしてりゃ、問題は起きっこない。

 ぶっちゃけしっかりしてないって事ですよ。まともだったら取調べ過程がこうも不透明な場合、端から調書を信用しないですよ。立法府にもクレーム付けるでしょ。宮台さんもこの話題になると必ず「近代司法の態をなしてない」と仰ってますよ。

○内需で回す経済
 最近知ったブログなんですが
「代替案」
http://blog.goo.ne.jp/reforestation
がなかなか面白かったですね。何と第一次産業、それも斜陽甚だしい林業がキーになると主張されているのですが、著者がその筋の専門家だけあって論に説得力があります。
 また自由貿易体制への批判も歯に衣着せぬ鋭さで、思考の多面性を高めるのに押さえておいて損は無いかと思います。

デミトリー | 2008年07月01日 04:45

宮台氏の論理は図らずとも彼が右翼的な言動に帰着することを可能にする。
それが一昔前に流行した「日本株式会社論」なわけだ。宮台氏が主張している社会的包摂性は日本株式会社論の会社は運命共同体であるという主張に結びついていく。それをコテンパンに叩いたのが奥村宏だが、彼は日本株式会社なるものの構造的な側面を実証的に分析して日本株式会社論を徹底的に論破した。
宮台氏は連合や日本的経営論者を批判していると見せながら
「社会的包摂性」=「日本共同体」という新たな装いを持った日本株式会社論的な分析といえるかもしれない。
何しろ社員と会社は一つのものであるという幻想を共同体社会と結びつけて論理性を持たせたのが日本株式会社論だったが、今度は「日本社会」を
「共同体主義」であるという括りでまとめて実際の企業経営に適応させようという取り組みに他ならないと思う。

無記名 | 2008年07月01日 02:04

私は社会的包摂性がないほうがいいなどというものではありません。当然社会が緩やかな連帯を保っているほうがいいでしょう。
ですが、仮に、社会学者(私は社会学の限界を感じますが)である宮台氏が戦後日本の分析を行ったとしても、社会的包摂などという概念や、その実態が日本に適応できるのかどうかも疑問
だと思います。老人は、昔から敬われ、老後をどう過ごしてきたのでしょうか?昔の介護は夫の嫁が全て行ってきましたが(今でも多くがそうです)、それは社会的包摂ではなく、家社会による妻の役割であった、もしくは会社組織の肥大化における妻の役割と考えると果たしてそれが包摂のおかげだったのかどうか?それを含めての包摂というならば、それは非正規雇用者が賃金を上げろとか生きさせろと主張すること自体がナンセンスだということになります。
低賃金でも何とか生きていける社会、というものが、一見すると日本的包摂性となりかねないからです。

A | 2008年07月01日 01:50

「志布市事件」は、冤罪があったことは事実です。一方で、事件を報道したのが東京を中心としたマスコミです。

何故かと言えば、地元のマスコミ(新聞・TV)も実は、この事件を知っていた。知っていながら、報道できなかった。何故か?

報道できないので、東京の報道機関に助けを求めた。確かに、置かれている状況の判断は正しいかもしれない。

しかし、そもそも論で押さえれば、それが報道できない状況はいったい何故なんだろうか?

例え、一、地方都市であっても、全国に発するに、値があったのではないのでしょうか?もちろん、「大人の事情」は、分かるが、その「大人の事情」すら伝えられない地方社・局、また、地方からもらった棚ボタのニュースをあたかも、我のスクープのごとき伝える大半の、東京のマスコミ。あたかも、手柄をとったごときに伝える。

もちろん、「知る」意味では正しいが、何故、地方から伝えられないかを説明していない。

東京から現地入りした、あまり好きでない朝日新聞の記者が、「刑事くん」に尾行されたのも一部の良識あるフリージャーナリストの発言で知りましたが。何か

tk | 2008年07月01日 01:40

加藤智大はいかなる「社会的包摂性」からも排除されたあげく、社会に刃を向けたわけだ。
それをどうやったら、「社会的包摂性」で救えると言うのか?
アホなこと言わんといてほしいね。
最初の無記名Aさんのあげた例でいけば、加藤智大は普通学級の中での障害児として包摂してやれと言うことかな?
彼は常に学級のトップでいたいが、決して、障害児として包摂などしてもらいたくはないだろう。
自分がトップでいられないどんな学級(社会的包摂性を具現化したもの)も破壊してしまいたいだけだ。
多分、彼は誰にとっても一緒にいて楽しい奴ではなかったと思うね。
こういう人間を包摂するのは難しいよ。
「社会的包摂性」なんて言葉に酔うのはやめようよ。
ま、事件にどんな影を見るかは見る人次第だがね。

「推定無罪」の話も、私の認識がまだまだなのか、わからないね。
少なくとも死刑が執行される段階では、既に「推定無罪」ではなくなっているはずだが。
よく知らないけどさ、「推定無罪」って、裁判官に求められる法理じゃないの?
いくら何でも、確定した死刑判決を法務大臣が「推定無罪」だと言って覆すことはできないだろう?
普通に考えれば、「冤罪」は「推定無罪」の認識が乏しいところでは起きやすいように思うが、果たしてそうだろうか?
「推定無罪」がきちんと認識されていても、「冤罪」というのは起きるときはやっぱり起きると思うよ。
また、鹿児島の事件だって、警察や検察の「推定無罪」の認識が乏しくても、結果的には「無罪」なのだから、「誤審」も起きなかったわけだ。
それに、本当に全員が全員とも「無罪」なのか?
一部に「推定無罪」の法理が働いたとは言えないのか?
とにかく、「推定無罪」と「冤罪」には言うほど関係はないのではないか?
第一、警察や検察は「推定無罪」の法理など、それで自分たちが負けることもあるのだと言うことを知っておればいいのであって、裁判官がしっかりしてりゃ、問題は起きっこない。
だから、お前は認識がまだまだなんだよと言われるかもしれないが・・・

名無し草 | 2008年06月30日 23:16

個々の共同体を超えた利害への意識や、お金や利害を超えた規範への意識がなくなれば、「同じ国民」や「同じ人間」という意識は希薄になり、社会に存在するのは個々人や個々の共同体ごとの利害対立のみになります。その結果、社会の秩序は崩壊する…というのが、デュルケームという百年前に亡くなったフランスの社会学者の見解らしいけど、いまの日本社会はデュルケームが危惧したような社会秩序の崩壊へと向かっているのかも…という気もします。

昔の日本社会のエライ経営者たちの倫理観を支えていたのは、戦争という共通体験や、貧しさという共通体験かもしれなくて、彼らが日本社会のプラットフォームを意識的に支えようとしていたのかは分からないけど、少なくとも、いまの日本社会に「同じ国民」意識を支えるだけの共通体験がないというのはありそうです。この状況を変えるために必要なのは、昔の日本社会にとっての敗戦のような、国民的な悲劇かもしれないけど、そういう悲劇なくして「同じ国民」意識を人々が抱くことができないというのは、本当にせつないし、悲劇によって人々が不幸になることを考えれば、悲しいことです(今回のマル激や「貧困は自己責任でいいのか」の回を見る限り、すでに悲劇は起こっていそうですが)。

前々回のマル激に出演した批評家の東浩紀も考えていることだろうけど、個々の共同体を超えた連帯や、お金や利害を超えた規範をこの社会にもたらすために何が必要なのかは、これからの社会を生きる人々の多くが、特に社会的責任の大きい経営者や資本家こそが考えるべきことなのかもしれない…という気はしています。

ヴィト | 2008年06月30日 21:33

私が職場でよく顔を合わせるパートのおばさんは、秋葉原の事件後、冗談半分で「あんた、あんなことしたらダメよ」と私に注意してくれました。

私は雨宮氏と同じ世代でアルバイター男ですが、私の周りにいるパートタイマーの主婦の人たちは、子育てが終わって家にいてもヒマなので「刺激がほしくて」時給800円程度のパートをしてたりします。
こういうパートタイム労働者と派遣労働者をひとくくりにして「共闘」など考えるのは難しそうです。彼女達は非正規雇用と正規雇用との平等化なんかより既に老後の生活ことを考えていますから。

彼女達はよく「最近の若者(30代くらいの)はお金のことしか考えていない。貯金のことばっかり」など若者の道徳的劣化に不満を述べることが多いです。ここでは同じプラットフォームにいる、というか「同じ国民」という繋がりがどんどん薄くなっているようです。
これはあまりよいことではないと思います。(仕方がないことですが)

だったら若者たちだけで頑張るしかない、ということで、現在は、雨宮氏らの活動のように傍目から見たら「世代間対立」とか「オジサン経営者と若者労働者との対立」を煽るようなイメージでやっていくしかない、というところが、残念無念というか、私にはせつない気持ちが致しました。

昔の日本のエライ経営者、小林一三とか土光敏夫とか、松下幸之助とか、今の日本の分断状況見たらどんなこと考えるだろうか、と思いました。

朝日平吾 | 2008年06月30日 17:04

↑の関連番組 貧困は自己責任でいいのか をみると格差が悪い、ということではなく貧困層が生じるのが悪いと宮台先生ははっきりおっしゃってますね 下の議論の障害者の問題もこの点で共通するところがあるでしょうか。

この回、女性司会者のせいか宮台先生の顔が面白すぎます。。

coo | 2008年06月30日 05:04

学生の時にバイトしたけど、あれはキツイかった。生き地獄の労働現場に比べれば、大学受験も卒論も司法試験も米国留学(博士号取得)も語学習得も会社の仕事もノーベル&フィールズ賞級の研究も娯楽・息抜き・遊びの一種。あと、実質的な仕事内容よりも、周囲の人間の性格や能力や方針に対応する方が大変だったりする。

そういえば | 2008年06月30日 04:43

関連番組として自動車絶望工場を書かれた、鎌田慧の回のマル激が見たいです。

やま | 2008年06月30日 04:23

時給いくら、っていう表現は、うそだし、みんな割り引いて考えてるよな?俺もはじめから信用してなくて首都圏だと実質500円程度だろ?月収5万円以上あると大金を手にしてちょっと不安だし、15万円もあると使い道に困るし、ボーナスとかで月に30万円以上もらっても数字が増えるだけだし、いたずらにカネが蓄積されていくだけだなー。所詮、アジアの貧困国・前近代国・田吾作・途上国・土着民だからどうでもいいんだけど。

あと | 2008年06月30日 04:18

無理な仕事が多いよ。100mを5秒で走るなんて当たり前(オリンピック出場選手は9秒ジャストでも富と名声が保障されてるんですか?結構なことです)。すべてを正確に予測し株取引で年収50億円稼ぐ程度など朝飯前。ホワイトカラーの「過労」死だの、財務官僚キャリア組の「激務」などこれに比べれば屁のカッパ。「こんな神業できるぐらいだったら自分で事業興して(経済的に)相当いい生活してるだろうに」というようなキツイ仕事内容は全部、下っ端にやらせてるし、私も他人のことは言えない(血も涙もなく平気でこき使ってる)。

そういえば | 2008年06月30日 03:54

俺の個人的な印象だけど、年齢に合わせた月給ぐらいでちょうどいいな。20才で20万円、25才で25万円、30才で30万円、35才で35万円、40才で40万円、50才で50万円、55才で55万円、60才で60万円、それ以上は.....俺まだ若いから想像もつかないけどw

??? | 2008年06月30日 03:36

>>dodoさんへ
私は最初無記名で書いたものです。Aとしておきましょう。
ソーシャルインクルージョン(社会的包摂性)というものは例えばこうです。
障害児を教育する時今までは特別学級を作って障害児を特別教育していた。
ですが、今後は全ての障害児を普通学級で見るようにする。これがインクルージョンの具体的な実践になります。
国家が特別に障害児の教育を行うのはおかしい、ある意味で隔離された教育だ。地域社会で全ての子供たちが育てられ不通の生活が保障されることが重要だ。その通りです。誰も否定しない。
ではそれをするためにはきちんと障害について理解している先生が担任と副担任とでつていないといけません。それをきちんと整備してください。
それを主張するのが、これが「国家にクレクレ」とせびっている、ってことになるでしょうか?
社会的包摂というのはそういうことを意味しているのだと本来は思われます。社会的包摂性の根底にあるのは当事者としての権利意識であって、そこから国家と社会との関係も明らかになるはずですが、国家と社会の関係性を論じているにもかかわらずそういう視点は論じない。もしくは、そういう議論は雨宮氏にしてもないのです。問題はあったし、それを告発してきもしたでしょうが、それをまとめて、それこそ日本社会の中で連帯の輪を作るところまではまだいっていないわけです。
その前に宮台氏が言うような「包摂性」というような議論を延々しているのが今の現状です。

A | 2008年06月30日 03:31

いまの日本社会で社会的包摂性を実感を持って感じるためには、番組で紹介されていた「素人の乱」のような活動に参加したり、あるいはそれらの活動を支援するようなかたちで活動に関わることが必要になるのかもしれないですね。

昔の日本社会には地域での人々の繋がりや、会社共同体での人々の繋がりがあって、これらの繋がりには煩わしい側面もあっただろうけど、同時に、困ったときにはお互いが助け合ったり、長い付き合いを通じてのお互いへの信頼、あるいはお互いに知恵を分け合うということなどがあったように思います。

いまの日本社会では地域の繋がりも、会社共同体での繋がりも希薄になっていて、これが人々を孤独にし、人々の国家への依存と、若者が自分たちの窮状を自ら放置してしまうような、本来なら連帯から発するべき国家への要求を妨げてしまっているのかもしれないです。また、すでに会社共同体内での繋がりを得ている経営者などは、その繋がり以外に信頼できるものがなく、それが、自らの信じる繋がりの堅持と、その繋がりに関わっていない人々への差別や排除、使い捨てなどを招いているのかもしれません。

地域や会社共同体での人々の繋がりも大切だけど、さらにその外側、社会全体への信頼がないことには、個々の地域や会社共同体を超えた連帯というのはあり得ず、それがあり得なければ、社会は弱肉強食のジャングルのようになってしまう…かもなあという気もしています。

ヴィト | 2008年06月30日 02:31

日雇い派遣で食っていた経験のある人間として一点お伝えしたいと思います。

それは、知恵を与えてくれる人がなかなかいないということです。

比較的新しい業界で知恵と経験を持った人が少なく、個々のスタッフ間のつながりも希薄なため、いろいろ教えあう連携が生まれにくいのかもしれませんが。。。

たとえばG社について言えば、力仕事だけでなく、飲食や販売サポート、イベント系などいろいろあります。
それらの体力的負担はマチマチですが、どの業務なら何ができれば良いといったことは見えづらいんですね。
それを派遣会社が教えてくれればいいんですが、全ては教えてくれません。

手配業者である派遣会社からすれば、穴を空けるようなことはする訳にはいきませんし、何でもかんでも教えられないというのはある意味仕方ないことなのかもしれません。
まして、1日300円で空腹を満たす方法なんて教えてくれませんから。

そこで、どうすれば現在の環境を脱却できるのか教えてくれる組織があれば、とてもありがたいんですよね。
少なくともそれがわかるだけで希望が出てきますから。

第三の道ではありませんが、生活保護を付与するのではなく、知恵を与え、生活力をつけるためのトレーニングを付与するという方が間違いなく身になりますし、精神的にも遥かに楽になれるように思います。

本人のポテンシャルを見極めた上でのトレーニングやアドバイスまでできれば理想なんでしょうけどね。

water | 2008年06月30日 02:20

>544

もちろん分かってます。
ただ、他にも見づらいと思ってる人がいるかもしれない(というか多分いると思う)ので、問題提起として書かせてもらいました。

「見づれーから、本文も、コメント欄も読まない」なんて人がそれなりにいたら、運営も、皆さんも不本意でしょう。
わざわざみんなで我慢する必要も無い問題ですし、書かせてもらいました。

このサイトの表示幅にしてもそうだけど、今時ここまで絞る必要があるのかと思います。今時珍しいでしょ、こんなの。
AromaNetという会社がサイトのデザインしているようですが、もっと見やすいデザインにならないものでしょうか、運営さん。

初かきこ | 2008年06月30日 01:54

気になることがあります。
ヤンキー先生こと義家氏のラジオの悩み相談を聞くと、夢至上主義の一本でやっていて、怖さを感じました。今の中高生はどんなメディア情報にアクセスすればいいのでしょうか。丸激みてる中高生はどれほどいるのでしょうか。早めにある程度の免疫をつける必要があると思うのですが。


みつ | 2008年06月30日 00:36

>初かきこさん

文字サイズの調整はブラウザを変更したら可能です(FireFoxなど)。
ご参考まで。

544 | 2008年06月30日 00:28

番組と関係ないんだけど、コメント欄も含め、サイト全体が、文字が小さくて読みづらい。

もっと大きくしてくれませんか?

初かきこ | 2008年06月30日 00:18

社会的包摂性がどのようなものか、
それがない社会を生きてきた若者(私も含め)が、包摂を実感をもって理解することが
できるのだろうか・・・無理ですよね。さて。

無記名 | 2008年06月29日 23:48

一応フォローしておきます。
自分がしたかったのも、おそらく一番最初の無記名さんがおっしゃったのも、社会的包摂性か権利か、という話じゃないんですよね。

社会的包摂性が低下すると国家や行政を直接呼び出す人が増える。それは正しいんだろうと思うし、それはまずかろうと思う。だけどそればっかり強調されちゃうと、本当に必要があって国家や行政を呼び出す人たちまでが、そういう目で見られることになってしまう。
それもまたいかんだろうと思うわけです。その人たちは、ダイレクトな意味で社会的に包摂されることによっては救われない、より本質的な社会的弱者だったりするわけですし。
ただ、その人たちが国家・行政に権利主張をしたときに「認めてやろうよ」という話になるかどうかは、やっぱり社会的包摂性による部分が小さくない。ダイレクトに包摂されればいいという話ではないんだけれど、間接的に効いてくることになる。

ほんと、単純じゃなくって、自分でもうまく言葉にできません。だからこそ一度、障害学関連の学者さんでも呼んで番組をやってくれればいいな、と思っています。

dodo | 2008年06月29日 21:58

とりあえずは行政からのお金でフォローするしかないかもしれません。あと国家による制度を整備するにしろ、自発的な文化を期待するにしろ、そういう社会のイメージが理解が広がらなければ動かないのでそれも含めて日本ではどうしましょうか、ということだと思いました。

fs | 2008年06月29日 19:25

国家に対する権利主張か、国家にはたよらない社会的包摂性かという議論になっているようですが、短期的には権利主張しつつ、長期的には社会の包摂性を目指すという両面作戦ということだべ?バタバタ人が死んでいるのに、それを無視して、じゃあ、今から病院建てましょうというのもおかしいけれど、未来永劫病院が必要ないというのもおかしい。手当てしつつ病院建てるしかないということじゃねーのかよ。

無記名 | 2008年06月29日 19:12

共産趣味さん
失業者、障害者、披介護者、破産人、ニートが血族主義で社会的に包摂されているようにみえて、実際はその血族、および周りのものががすべての負担を背負い込んでいるだけだという事でしょうか?

宮台さんがおっしゃっているのは、「日本にはかつて地域共同体があったがそれが企業共同体に変わり、いまやそれも失われてしまった。
沖縄には血族主義がある、欧米には宗教、階級意識があり、NPOが機能している。さて、日本でどのような社会的包摂が可能か?」という事で、なんか論点が違うと思います。

社会的包摂性などと言う前に制度をまともに運用しろというのは、生活保護制度もまともに運用できない日本の「政府」なるものに夢を見すぎではないでしょうか?

yosさん
私は単純に、国の力が弱まっていく中で、政治ではなく社会にできる事が社会的包摂性だと受け取っています。

k | 2008年06月29日 18:31

宮台氏は「階級社会を認めなさい」というわけです。ところが大多数の非正規労働者は「階級社会は嫌だ」と考えるわけです。日本の階級社会は制度が何もないから過酷な社会なわけです。
日本では雇用保険も民営化しようとしている、つまりなくそうというわけです。雇用保険は、自主的な退職なら3ヶ月しかもらえないし、金額は働いていた給料の5割から6割。その間に就職できなければ日雇い派遣に行かざるを得ない。資格を取るための補助はもう打ち切られようとしている。あっても
3割くらいが雇用保険を払った人だけ使える。派遣社員で雇用保険に入っていない人は使えません。
で、どうやって社会的包摂を言うのかな?この人。明らかに労働者の権利がないと言うほうが妥当だと思いますが。
だいたい生活保護だって半分は医療費が払えないからで、年金額月3万3千円とか言う老人が介護とか医療の必要性があるから生活保護受けているのだって、そういう人は全部日本の年金制度がないからそうなっているのであって
社会的包摂性がないとかそんなものじゃないはずですけど。

無記名 | 2008年06月29日 17:52

ちょっと私が気になるのは、ここでの議論でも、番組内でも、社会的包摂性と共同体主義がごっちゃになってしまっているような感じがします。
私の理解では、社会的包摂性があるなしというのは、階級あるなしとか、移民しやすいしにくいとか、民度が高い低いとかと同じで、社会をはかる尺度のひとつで、包摂制がある方がいいというのは、ほぼ合意されるんだろうと思います。包摂制を上げるためにコミュニティが(狭義、広義共に)有効らしいというのも合意されるだろうと思います。ただ、包摂性を上げるのはコミュニティだけではないはずです。
ぜひ、番組内でもういちど「社会的包摂性の定義」をクリアにしてください。

yos | 2008年06月29日 17:00

社会的包摂というのは、制度を作るのではなくて、自助努力を基本にやっていけということです。宮台氏はそこを具体的に言わない。だからいやらしい。社会的包摂という言葉を具体的に制度論として言及するならば雨宮氏が例に出した商店街での運動などもありますが、日本では全部自分たちでしなくてはいけないわけです。
イギリスでは介護などでNPOが主体となっているが、それは行政のバックアップが全面的にあるから、そして市民の運動があるから出来ることであって、日本では行政の支援も一切ない、金は出せませんというのが日本の行政のスタンスで、民間委託のときだけ都合よくNPOで、などという。しかも
NPOが入ろうにも民間営利企業が市場を独占的、寡占的に支配しているから非営利でNPOが事業を行うというのは相当にリスクがあるし、たいていは続かない。
そういうことを宮台氏はわかって、社会的包摂性などということを主張しているのでしょうか?
社会的包摂性に存在するのは当事者意識であり、それは権利の問題でもあります。日本のように当事者意識が敵対的に扱われる土壌の中では社会的包摂性など育ちようがない。
結局権力側に都合のいいように解釈されて流布されるわけです。
日本に本当に社会的包摂性を求めるなら大企業を解体したらどうですか?
法人という組織が肥大化した日本の中で社会的包摂を語ることは基本的にナンセンスだと思う。
だからきちんと日本で権力批判を展開しない限り社会的包摂性などという概念は根付き得ない
もちろん社会的企業とかNPOとか地域社会論みたいなものを議論することには賛成している。

無記名 | 2008年06月29日 16:46

最初の無記名さんの、
>社会的包摂があれば事件はおきなかったのか、そして加藤容疑者はどう裁かれるべきか、そして問題はどこにあるか明らかだと思われます。
社会的包摂などで問題は解決しない。
なんで派遣会社の労働者はそんなに我慢しなければならないのか教えて欲しい。
宮台氏の本音は「格差はしょうがない」ということでしょう。

からのながれが少し気になりました。
派遣の境遇のひどさについての問題意識は番組の人たちにもあるとおもいます。
それについて制度上枠をはめるということを考えることはそれはすべきですが、なぜこうなっているかについて、
・企業は収益をあげて株価を上げるべし、あらゆるコストを切り詰める知恵をだすことになるのが当然
・消費者は安くて質のよいものをかう消費行動があり、しかも多くの選択肢から比較することが以前よりできるのでこれもサービス企業のコストカットを促し、社会全体がそういう方向に向いてしまうこと
・労働者の待遇にコストをかける動機が働きにくく、もし待遇にコストをかけるなら少人数にしかかけられず、待遇にコストをかけなければ雇用ができないならもっと安い外国の労働力を調達、ということになって、どちらにしろよい条件で働ける環境が実現されにくい
・同じ仕事をしているのに正社員と派遣に格差や現場で差別のようなこともあるのを制度で変えようとする場合、企業や消費者がそこにコストをはらうということの理解がされなければ、現状の正社員の待遇をみんなで少し落とすということにしかならないかも知れず、それは現在正社員となっている日本中の会社員が反対しそうなこと

などがあり、派遣の人の権利を厚くする制度を作ればよい、という簡単なことではない、というところから始まっていると思います。
おっしゃっている
>加藤事件は非正規社員ということを含めた議論ならば非正規社員の当事者の権利という重大な問題を含んでいます。
についてもそういう点からの考察の番組になっていると思います。

fs | 2008年06月29日 15:50

舛添厚労相が今度の事件を受けて日雇い派遣を禁止を検討というのも皮肉というか、やはり実力行使が一番効くのかよと思っちゃうよね。鶴見済の本で、隣の学校の拡声器がうるさいので散々抗議したが、まったく聞き入れてもらえず、最後にビール瓶をプールに叩きつけたら、急に拡声器の使用をやめたという話を思い出した。

パッキャオ | 2008年06月29日 14:52

共産趣味さん

私は、縛られた故郷の生活が嫌で、東京で就職しましたから、共産趣味さんの言いたいことはよく理解できます。

私は、今すぐの現実を考えれば、共産趣味さん同じで、生活保護をしっかりやれよという考えにはなります。

しかし、宮台さんも、以前沖縄でのライ病患者の扱い例にして問題にしていましたから、共産趣味さんの意見も、予測の範囲内の意見で、それを克服した形での社会的包括を求めているのでしょう。

緊急的には生活保護による救済が必要だと思いますが、番組中に言われてるように恒常的には政府の財政が厳しいので、社会的包括が必要という事だと思います。


共産趣味さんのような問題意識を克服した包括的な社会を作るのは、非常に難しいですね。
あるべき社会像を考えて、それに向かっていく努力を放棄した人は結構いますが、簡単にできるわけないのは、当然で、個人の出来うる範囲でやればいいじゃないでしょうかね。

DT | 2008年06月29日 14:42

社会的包摂性。

社会がそこからはじき出されそうな人を包摂すると言っても、現実においてその弱者の足場になるのは大抵の場合さらなる弱者であって、それは一見包摂されているように見えて、悲惨さが塀の中に入って見えにくくなっているだけだ。

働けなくなり一日中酒ばかり飲んでいる父親に搾取されている誰か。障害者の世話で一生を終える誰か。親の介護に尊厳を踏みつぶされる誰か。破産した遠縁の親戚にたかられる誰か。ニートに家庭内暴力で支配される誰か。

そして共同体に排除されないように個を殺し隣の人の顔色をうかがい無数の贈り物を贈り贈られ無数の挨拶をし、され、笑顔にならない笑顔を互いに作り、そのくせテーブルの下ではババの押し付け合いをやっている「あの」社会的包摂性。

今日的なワーキングプアの問題は、もちろん派遣労働法に第一義的な問題点があろうが、生活保護の制度がその趣旨通りに機能していれば救われたはずであり、そして生活保護制度をまともに運用しないうちから社会的包摂性などと言い出すのは、近代的価値の転倒であると同時に、共同体なるものに夢を見すぎであると言わざるを得ない。

共産趣味 | 2008年06月29日 12:01

すみません、変な日本語でした。
今回に限らず、です。

まいたけマン | 2008年06月29日 11:43

今回の件に拘らずですが、みなさん、ハンドルネームをいれたほうがよいのではないでしょうか。
そうでなければ、今のコメント欄のように、誰が誰に対して意見しているのか分からない状態になってしまいます。
また、「通りすがり」「名無し」なども、かぶることが多く、コメント欄においての混乱が起こる
原因になりますので、避けたほうがよいでしょう。
ここも公的な場ですから、自分のしたコメントに対して責任を持つという意思表示として、ハンドルネームをしっかりつけるべきだと思います。

まいたけマン | 2008年06月29日 11:39

正確な収録日時が把握できません。

当エントリには6月28日と書かれていますが、動画タイトルでは6月27日になってます。前回の番組のエントリには6月21日、動画タイトルでは6月13日です。

これまではエントリと動画タイトルの日付が一部例外を除き同一だったためエントリ日付=収録日時と理解していたのですが、そうではないのでしょうか。もしくは単なるミスでしょうか。

番組の前半後半で収録日時が異なる場合は動画タイトルで両方の日付を記載するかどうかは別として、できればエントリにおいて両方の日付を記載して下さると助かります。過去にはそうした例もあったようですが今回前回はそうでもなくなっているみたいです(?)

児童小説 | 2008年06月29日 10:52

宮台先生のいう「社会的包摂性」について一時、私も疑問を持ちました。「権力擁護の立場ではないか?」とまた、「国家権力の失敗を補完し、包摂する」=包摂ではないか?とうけとれたのです。

しかしこの番組からその意図が良くわかりました。「社会的包摂性」が重要だと言うことは、グローバル化によってもたらされた社会の危機的・破壊的状況を問題視し、市民に気付かせ、国家権力に反旗を翻し、連帯や共生を取り戻す闘いを挑むという非常にアクティビティーの高い社会学者としての思想で、価値あるものと受け止めることができました。

願わくば「社会的包摂性」や「社会の厚み」に「共生」を加えていただきたいのです。今回その言葉が先生の口からちょっと聞かれましたが、「共生」は生物の生命活動の根源であり(福岡伸一氏の番組でもありました)私たち市民に一番分かりやすい語りかけだからです。

少なくともこの言葉で私の誤解が一挙に解けたことだけは強調しておきたいと思います。

100%勇気 | 2008年06月29日 10:33

討論番組では司会者が重要だなぁというのがよくわかる回でした。
斎藤さんの話す内容は素晴らしいのですが「その場を回す」事に関しては「妙な間」や「ゲスト放置」等の不具合が多々見受けられました。

※司会はなるべく司会に徹した方がいいと思います。

tack | 2008年06月29日 09:35

>>無記名さんの考えだと、宮台さんがよく言われるように権利というものを持ち出してすぐに国家を呼び出す事になってしまうと思います

権利とうものをもう一度考えたほうがいいのでは?宮台氏の議論というのは意図的にかいつも議論を混同して話していて、それが意図的だから尚更聞いていておかしいと思う。
社会的包摂なんかいうならば老人ホームを建設する時地域の住民が反対運動を起こしていた日本って言う国が、
何をもって包摂を語るのか、現場に即して話をしてもらいたいけど。
坊さんに檀家が金払わないのに地域社会のシンボルは寺社だといって地域福祉の責任を押し付けたりね。
で、行き着く議論が「モンスター親」とかそういう議論。宮台氏のいう包摂って自己責任論の入り口に過ぎなくて
だから彼はイギリスの実態も分からないのに社会的包摂なんていう言葉を言っているわけですな。
>>というのはおそらく、青い芝の会の話ですよね

もう30年くらい前の話ですがその通り。構造は同じだと私は考えます。
社会的包摂性なんて言葉で言うのもおかしな話だ。
彼の言う議論なら障害者を養護していた母親は当時からいてその母親がたまたま犯罪を犯したってことになる。そんな議論おかしいじゃないの?そんなこともわからないなんて。
加藤何某が犯したのは犯罪だろ。じゃあ加藤とか言う男は必ず犯罪犯すように成長してたってのか?そんな暴論ないよ。しかもそれが議論の大部分だって?
おかしいんじゃないのこの人

無記名 | 2008年06月29日 05:34

> 障害者を見ていた母親が苦痛の末に子供を殺害し、それに対して社会的に減刑する運動
というのはおそらく、青い芝の会の話ですよね? 『母よ!殺すな』ってやつ。

自分も、障害学についてマル激で取り上げてほしいと、以前リクエストしたことがありました。社会学者(でたぶん宮台さんとは大学の先輩後輩)の立岩真也さんあたりを呼んでやってくれと。

社会的包摂。自治と補完の原則。それはわかるんだけれども、包摂は、それがどんなに素晴らしいやり方であっても、ある種の人々にとっては「包摂されなければ生存できない」というような暴力的なものになってしまいます。そういう人たちにとってはやはり、包摂よりも権利、なんですよね。
これは、「何かと言うと国家を呼び出す」のとは分けて考えられるべきものです。自治と補完で言うならば、補完の側の話。
しかしここで、むやみやたらに国家が呼び出されなくなるためにも、社会的包摂ありきなのかな、とも思うんです。宮台さんが「まず右翼から」と言うのも理解できるなぁ、とか。

障害学について一度取り上げてもらえると、この辺すっきりしてくるんじゃないかなって、いつも思いながら番組を見ています。

dodo | 2008年06月29日 05:18

宮台の格差容認論のポイントは、格差ごとの連帯を重視しているところでしょうね。そして社会的包摂性というのも、人々の連帯のことだと思う。現在の日本社会には格差によって人々が孤独になってしまうという状況がありそうで、これが、格差による孤独感と、それに伴う不平等感を煽っているような気がしています。

ヴィト | 2008年06月29日 04:59

要するに団塊ジュニア・ロスジェネ世代が本来、正当な財産として相続権のあった戦後日本の富が、倫理の欠如した財界と結託した大陸の無法強盗民族に盗まれたという話なんだよ。だから加藤某は秋葉原ではなく池袋北口に行くべきだったんだよ。そうすれば加藤某は日本のチベット・新疆化を防ぐ捨石になったとして、真の愛国テロリストになれたんだよ。とにかく秋葉原の犠牲者に日本人しか居ないことがあまりにも悲しすぎる!

通りすがり | 2008年06月29日 04:35

「社会的包摂」は体験したことのない人にとっては曖昧なコンセプトに過ぎない、という事かもしれませんね。

宮台さんは社会学的な見地から問題を分析しているのであって、必ずしも自分の意見を言っているとは限らないと思いますが。

白雲 | 2008年06月29日 04:25

無記名さんの考えだと、宮台さんがよく言われるように権利というものを持ち出してすぐに国家を呼び出す事になってしまうと思います。宮台さんが言われるのは国家の前の社会の包摂性であり、そこでまず解決策を見つけられるだろうといった信頼、善意、自発性ベースの思考だと思います。

セビジッタ | 2008年06月29日 02:34

マクロな視点とミクロな視点だということではないでしょうか。マクロな視点だと社会的包摂性ということはやはり無視できないでしょう。宮台氏は「緊急避難的」という言葉を使っておられれますが、観る側でも二つの視点を分けたほうがいいのではないかと思います。ミクロな視点だけならば、一方で経団連的な国際化社会で負けてもいいのか?という脅迫は肯定せざるをえませんよね?また、マクロな視点がないゆえに、日本的労働組合が非正規雇用者を無視するどころか迫害してしまうような動きをしてしまったことも指摘されています。

無記名 | 2008年06月29日 01:26

加藤事件は非正規社員ということを含めた議論ならば非正規社員の当事者の権利という重大な問題を含んでいます。加藤容疑者は権利がなかった。それが日本社会の非正規問題の根幹です。それを社会的包摂などという曖昧な回答を用意することは許されません。そして権利がなかった加藤容疑者が起こした事件を社会がどういう風に捉えるのかは、残念ながらネグレクトするというのが今の日本社会ですが、非正規雇用の当事者たちが権利というものが何なのか考えるべき時に来ていると思いますし、社会が考えることができないという事態をなんとしてもなくさなければならないと思われます。
それは非正規労働者の権利の問題であって、生きにくいとかそんなことは一切関係ない。
障害者である息子を殺した母親は障害者の権利が守られていたら殺したでしょうか?そしてそれを地域が「包摂していたら」犯罪が起こらなかったか?
社会的包摂なるものでお茶を濁して当事者の権利を剥奪してきたのが日本社会の現実であり、今更社会的包摂なるものを持ち出す異常さが信じられません。
この国は権利意識というものに対する議論を余りにも軽んじてきた気がします。
よく「権利権利と主張ばかりする」などという政治家がいますが、果たして何かが起こるたびに反応を見ているとこの国はまるで奴隷国家のように感じます。

無記名 | 2008年06月29日 01:09

無記名さん
一つ一つについてのあなたの見解をプリーズ。でないとよくわからない。

宮台さんがしょうがないと言っていて、あなたがしょうがなくないと思う格差というのは何についての事?

ぶんぶん | 2008年06月29日 00:45

ずっと前障害者を見ていた母親が苦痛の末に子供を殺害し、それに対して社会的に減刑する運動がありました。
宮台氏はこの問題についてどう答えを出すのでしょう?
宮台さんは「社会的包摂がないから問題がおきた」と言っているようですが、そうでしょうか?
社会的包摂があれば事件はおきなかったのか、そして加藤容疑者はどう裁かれるべきか、そして問題はどこにあるか明らかだと思われます。
社会的包摂などで問題は解決しない。
なんで派遣会社の労働者はそんなに我慢しなければならないのか教えて欲しい。
宮台氏の本音は「格差はしょうがない」ということでしょう。

無記名 | 2008年06月28日 23:35
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