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■マル激トーク・オン・ディマンド
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マル激トーク・オン・ディマンド 第27巻(第271〜280回収録)詳細
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収録日 2006年06月09日(1時間23分)
辻元清美流社民主義のすすめ
ゲスト 辻元清美氏(衆議院議員)

 3年半ぶりに国会に戻ってきた社民党の辻元清美氏は、今の国会の雰囲気を「つるつるしている」と表現する。抵抗勢力が一掃され、誰も言うべきことを言わなくなっているという意味だ。
 2002年に秘書給与の詐欺事件で議員辞職に追い込まれ、昨年9月の郵政民営化総選挙で返り咲いた辻元氏は、元来、歯に衣着せぬ言動で幅広い支持を得てきた。その辻元氏が、現在の国会を「物が言いにくくなっている」と評していることの意味は重い。先の総選挙での自民党の地滑り的勝利や、郵政民営化に対する反対した同党議員に対する容赦ない厳しい粛正に加え、国会の2割近くを占める小泉チルドレンの存在などによって、本来言論の府でなければならないはずの国会が、今や「物言えば唇寒しの府」と化してしまっているというのだ 。
 辻元氏が所属する衆議院の憲法調査委員会も、国民投票法案と呼びながらその実は改憲発議を行いやすくする条項を法案の中に忍ばせていたりする。にもかかわらず、そのことに異議を唱える議員もほとんどいない。メディアがその問題を指摘することもない。
 しかし、そのような政治状況の中にあっても、野党は結束して対立軸を示すことさえできず、最大野党の民主党はむしろより自民党との差を無くすことによって、政権に近づこうとしていると、野党の現状にも批判的だ。
 では、現在の政治情報をどのように打破すればいいのだろうか。辻元氏は今こそ社民主義の理念を再興する必要があると説く。国内外の新自由主義的な流れで広がる社会的格差やアメリカ一辺倒の外交政策などに抗うためには、ヨーロッパ型の社民主義的理念に基づいた政治を行う必要があると言うのだ。
 しかし、キリスト教や階級社会、そして成熟した市民社会の伝統に根ざしたヨーロッパ型の社民主義が、本当に日本で実現可能なのだろうか。そのような理念を日本に適用した場合にどのような問題が生じるだろうか。理念的な話よりも一つ一つ政策を積み上げていく先に答えがあるとの立場を取る「辻元流社民主義のすすめ」を議論した。
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収録日 2006年06月16日(PART1:1時間18分 PART2:45分)
毎日1000人が自殺に走る国がまともなはずがない

ゲスト 清水康之氏(NPO法人 『自殺対策支援センター・ ライフリンク』代表)

 年間自殺者が8年連続で3万人を越えた。現実にはその10倍とも言われる自殺未遂者がいるため、毎日1000人からの日本人が自殺に追い込まれていることになる。交通事故の年間の死者数が6000人台であることを考えると、これはとんでもない数字だ。
 しかし、「自殺」の持つ否定的なイメージや、「自殺はあくまで個人の選択」という過った認識が災いして、自殺に関する国民的な議論がなかなかわき起こらず、メ ディアもこの問題を必ずしも積極的に取り上げてこなかった。結果として、行政も手をこまねいたまま、ほとんど対策らしい対策は行われていない。年間30万人からの人間が自らの命を絶つところまで追い込まれている現実があるにもかかわらず、その実態調査すら行われたことがないのが実情だ。
 あまり脚光は浴びていないが、今週閉会した今国会で、ようやく自殺対策基本法が超党派の支持で議員立法により成立した。これにより、ようやく日本も自殺対策がスタートラインに立つことができる。
 この法案の成立に議員とともに取り組んできたNPO『ライフリンク』の清水氏は、法案の成立そのものは手放しで喜ぶ一方で、自殺問題を単なる法律や行政措置によって解決できるものと安直に考えることに対しては慎重だ。実態調査が進むにつれ、金融機関の個人保証、連帯保証人制度や、生命保険の自殺免責条項が行使されていないことの影響などは明らかになってくるだろう。しかし、そうした制度的な問題と同時に、自殺の存在自体が今日の日本のあり方の鏡になっている面があるのではないかと清水氏は言う。仮に自殺にまで至らなかったとしても、何かとても「生きにくい」要素が、今の日本社会にあるのではないかと言うのだ。
 そのほんの一例として、家族が自殺すると、遺族は就職や結婚に影響するという懸念から、その事実を直向きに隠さなければならない風潮が今でも厳然と残っている。家族が自殺を選んだ原因をあれこれ考える以前に、残された遺族は家族の死を悼み喪に服することすら許されない状況に置かれているのが実情なのだ。
 また、自殺者の多くが、自分の悩みや抱えている問題を人に打ち明けることができていないという。日本では、特に男性の間に、自分の弱さを露わにすることを恥と考える社会的風潮が、そうした背景にあるとの指摘もある。自殺問題を自分たち自身の問題として考えていかなければならない所以だ。
 いずれにしても自殺問題は、これから日本が最優先で真剣に向き合っていかなければならない社会問題であることはまちがいない。清水氏とともに、自殺問題の現状と課題、今国会で成立した日本初の自殺関連立法の意義などについて考えた。
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収録日 2006年06月23日(PART:1時間27分 PART2:42分)
W杯のマル激的考察
ゲスト 田崎健太氏 (ノンフィクションライター)

 W杯で日本は一次リーグ敗退に終わったが、予選ラウンド第二戦のクロアチア戦は平均視聴率が50%を超すなど、サッカーファンのみならず日本国民全体のW杯への関心の高さをが如実に顕れた形となった。
 しかし、そもそもなぜ我々は俄かに国を挙げてW杯に夢中になっているのだろうか。サッカーそのものが持つ魅力や日本のチーム活躍への期待感も当然その背後にはあるだろう。でも、それにしても少し騒ぎすぎなのではないだろうか。
 この現象を説明する上で、貴重な情報がクロアチア戦後のジーコのインタビューの中にあった。インタビューの中でジーコは、テレビ側の要請で、現地で気温の高い午後3時での試合を2試合連続で強いられたことへの怒りを露にしたのだ。テレビ局がFIFA(国際サッカー連盟)に要請して、日本での放送時間により適した時間帯に試合時間を変更させたというわけだ。
 しかし、スポーツジャーナリストで「W杯ビジネス30年戦争」を書いた田崎健太氏は、そもそ大会を運営するFIFAはその経緯からして中立的な国際組織ではなく、巨大ビジネスとしての性格を多分に持っていることがW杯の大前提にあるという。FIFAに多額の放映権料を支払っているテレビの都合で試合時間が変更になるくらいのことは、FIFAやW杯の常識ではむしろ当たり前のことだというのだ。
 どうやらW杯への関心の高さの一端に、かなり徹底したメディアと電通によるパブリシティ戦略や仕掛けがあったことは否定できないようだ。
 今回のW杯ドイツ大会で、FIFAと組織委員会は直接収入だけで3000億円以上を売り上げているが、そのうち2000億円近くは放送権の収入によるものだ。巨額の放映権料を支払う日本のテレビ局を取りまとめている電通の力を持ってすれば、放送時間の変更などたやすいことだと田崎氏は指摘する。
 しかし他方で、田崎氏は、サッカーの商業主義化が進み、選手が年間を通じて過酷なスケジュールをこなす状態が続くため、多くのスター選手がベストなコンディションを維持することが難しくなっているとも言う。行き過ぎた商業主義がこのまま続けば、サッカーのスポーツとしての魅力も失われていく危険性も出てきているようだ。
 お祭り騒ぎの最中にあれこれ理屈をこねることの野暮ったさを認識しつつ、今週はあえてW杯について、マル激的な視点から考察を加えてみた。なぜわれわれはW杯にこうまで夢中になるのか。それは電通とメディアによって仕組まれたパブリシティにわれわれの多くが踊らされた結果に過ぎないのか。メディアはなぜ電通について報道を自主規制するのか。W杯の商業主義がこのまま進めば、どのような結果が待ち受けているのか。
 オリンピックを上回る一台スポーツビジネスとなったW杯の歴史と現状、そして未来を田崎氏とともに考えた。
 また、後半は、光市母子殺害事件最高裁の差し戻し判決や福井総裁の村上ファンドへの投資問題などを議論した。
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収録日 2006年06月30日(PART1:55分 PART2:1時間1分)
ブッシュ−小泉の蜜月関係で日米関係はどう変質したのか
ゲスト 霍見芳浩氏(ニューヨーク市立大学教授)

 訪米中の小泉首相に対して、ブッシュ大統領がエルビス・プレスリーの故郷を案内したり、これに対して小泉首相が共同記者会見でプレスリーの歌にかけて「アメリカのみなさん、これまで『やさしく愛して(Love Me Tender)』くれて、本当にありがとう」と発言したことについて、日本の大手マスコミは日米の親密さの表れとしてこぞって大きく報じている。
 しかし、長年アメリカ側から日米関係を見てきたニューヨーク市立大学の霍見芳浩教授は、小泉首相の訪米はアメリカでは殆ど注目されていないばかりか、死に体の大統領と任期切れ間近の首相の安っぽいパフォーマンスとして嘲笑的な見方が大勢を占めていると言う。
 実際、ブッシュ大統領の影響力は地に落ちている。今回の訪米を前に首相サイドは栄誉のある連邦議会での演説を希望し、ホワイトハウスも実現に努めたが、首相の靖国参拝が原因で実現しなかったと霍見氏は言う。靖国参拝を理由に、上院外交委員長らが首相の演説に反対をしたのが原因だったというのだ。
 また、霍見氏は、日本がアメリカ一辺倒から脱却できないのは、70年代には利害が「同心円状」にあった日米関係が、80年代の牛肉・オレンジ問題や構造協議、90年代の年次改革要望書に見られるような競争関係に転じたにもかかわらず、アメリカの変化に日本が対応できていないからだとも言う。
 ブッシュ−小泉の蜜月関係で、日米関係はどのように変質したのか。それは日本の国益に資することだったのか。日本はアメリカとどのように付き合うべきなのか。
  ハーバードビジネススクールでブッシュ氏を教えた経験を持つ霍見教授と共に考えた。
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収録日 2006年07月07日 (1時間26分)
それでも通信と放送は融合する
ゲスト 松原聡氏 (『通信・放送の在り方に関する懇談会』座長)

 通信と放送の融合が叫ばれて久しい。しかし、業界の抵抗や制度上の問題のために、実態としての融合は必ずしも進んでいない。ブロードバンド普及率で世界一を誇る日本でも、まだ消費者はインターネット時代の果実をフルに享受できていないのが実情だ。
 その問題に真正面から手を付けようとしたのが、竹中平蔵総務大臣の私的諮問機関『通信・放送の在り方に関する懇談会』だった。竹中氏より同懇談会の座長に指名された松原聡東洋大学教授は、光ファイバーが日本の隅々まで張り巡らされる2010年までに、通信と放送はいやがおうにも融合することになるが、現在の日本では、制度の面でも法整備の面でも、まだ融合の果実を市民社会に還元できるだけの体制が整っていないと言う。
 そうした問題意識の上に立ち、懇談会は今年1月から精力的に議論を進め、このたびNHKのチャンネル削減、伝送会社の子会社化などが骨太の方針には盛り込まれた。これは大きな成果だが、その一方で、もう一つの懸案事項だった、NTTの持ち株会社制の廃止や、放送局のソフトとハードの分離については、業界や業界の意向を受けた与党の抵抗が強く、今回は見送らざるを得なかったと松原氏は残念がる。
 確かに、日本中に光ファイバー網が整備され、それを通して電話も放送もインターネットも利用できるいわゆる「トリプルプレー」が実現すれば、通信面でもコンテンツ面でも、現在は考えられないような様々な新しいサービスの実現が可能になる。しかし、これはNTTやNHKに代表される通信・放送業界の既得権益の根幹に関わる問題ともなるため、抵抗圧力も自ずと強くなる。そうした抵抗の中で、果たしてどれだけ真の消費者利益を追求できるかが鍵となると、松原氏は言う。
 今週は、そもそも通信と放送の融合とは何なのかに始まり、それによって消費者はどのようなメリットを得るのか、そしてその変革には誰がどのような理由で抵抗しているのか、新しい通信・放送環境の中で果たして報道の公共性は担保できるのかなど、「通信と放送の融合」をめぐる基本的な問題点を、2010年以降の日本の通信・放送市場のグランドデザインを作成した懇談会の座長を務める松原氏とともに考えた。
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収録日 2006年07月14日 (PART1:1時間16分 PART2:46分)
シリーズ『小泉政治の総決算』 その1:われわれは歴史を正しく語り継いでいるか
ゲスト 江川達也氏(漫画家)

 小泉政治とは何だったのかを問う「小泉政治の総決算」。シリーズ第一回目の今回は、靖国参拝問題で問われる歴史認識を取り上げた。
 ゲストは漫画家にして日露戦争物語などの歴史漫画を精力的に手がけている江川達也氏。
 江川氏は小泉政権の最大の功績は「北朝鮮に拉致の事実を認めさせたこと」と言い切る。その理由は「そのことで戦後日本の言論を支配してきた左(ひだり)が総崩れとなり、より正確で公正な歴史認識が可能になった。その一点をもってして小泉政治の功績を大とする」というものだ。
 江川氏は、現在もまだ執筆を続けている『日露戦争物語』の創作のために、アヘン戦争以降の史実を忠実に検証してみたところ、いかに戦後日本の歴史認識が欺瞞に満ちたものだったかがよくわかったと言う。日本人はアメリカや一部の「進歩的言論人」によって、一つのフィクションに過ぎない物語を、それがあたかも客観的史実であるかのように強要されてきたというのだ。そして、現在の靖国参拝をめぐる論争も所詮はそうしたフィクションのぶつかり合いに過ぎないと言って憚らない。
 江川氏の主張は概ねこうなる。戦前の日本が本当に目指していたものは、西郷隆盛などの流れを汲む大アジア主義だった。日本がアジア諸国と力を合わせて欧米列強の植民地化に対抗するというものだ。
 しかし、一部の軍部の暴走と欧米列強の巧みな外交戦術に乗せられた結果対中戦争が泥沼化し、その政策は次第に正統性を失っていった。そして戦争に負けた結果、日本が行ったことは単なる侵略戦争であり、その全てが間違っていたというフィクションを日本は受け入れざるを得なくなった。更にそのフィクションに積極的に乗っかることが得になる言論人が登場し、そのフィクションがあたかも史実となってしまった、と。
 しかし、仮にそれがフィクションであったとしても、日本はサンフランシスコ講和条約でその物語を受け入れ、連合国側と「手打ち」をしたことで、戦後の再スタートを切ることが可能になったこともまぎれもない事実だ。今更「あれはフィクションだ。真に受ける必要はない」という主張が、果たして国際的に通用するだろうか。また、今になって日本がそのようなことを言い出せば、国際的な不信を買うことは避けられないのではないだろうか。
 そうした疑問に対して、江川氏は歴史を語り継いでいくことの重要性を説く。問題の本質は総理が靖国に参拝することの是非ではなく、日本がやってきたことの過ちは過ちとして認める一方で、その根底にどのような思想があり、どのような思想に基づいて日本が戦前のような政策をとったかについて、正しい認識を持つと同時に、それをいろいろな形で語り継いでいくことが必要なのではないかと問いかけるのだ。
 果たして戦後日本でわれわれの多くが信じ込んできた歴史認識は、本当に歪められたものなのだろうか。そもそも歴史認識とはどのように作られるのか。歴史はどのように語り継いでいくべきものなのか。小泉首相の靖国参拝に端を発する歴史認識問題を、江川氏とともにいろいろな角度から考えてみた。
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収録日 2006年07月20日 (PART1:1時間8分 PART2:57分)
日銀がゼロ金利を解除した本当の理由とは
ゲスト 岩田規久男氏(学習院大学教授)

 日銀がいわゆるゼロ金利状態に終止符を打ち、5年4ヶ月ぶりに金利を復活させた。
 実際は1998年から事実上ゼロ金利が続いていたため、ゼロ金利時代はほぼ8年続いたことになる。
 実際にこれだけ長期にゼロ金利が続いた国は、先進国では有史以来前例がない。大恐慌時代のアメリカでも、一旦は金利はゼロに近いところまで下がったが、3年ほどで上昇に転じている。この長きにわたるゼロ金利という時代を我々はどう考えればいいのか。
 岩田規久男教授は、まずそれだけバブルの後遺症が大きかったことを認識する必要があると言う。ゼロ金利は金融機関を救うための措置だとか、不良債権を抱えた死に体企業を延命させるための措置だなどとの批判があるが、もしそこまで金利が下がっていなければ、バブルの後遺症は更に厳しいものになり、日本経済は未だに立ち直れていない可能性が高いというのだ。
 しかし岩田教授は、現時点での利上げはまだ時期尚早だと主張する。日本経済がとりあえず何とかデフレを脱した状態にあるのは、米中の好況と円安による輸出の好調など、外的な要因に請うところが大きい。しかし、米経済の先行きに不安が出ている上、中東情勢の不安定化に端を発する原油高のリスクも顕在化している。しかも、ここで日本の金利が上がり始めれば、為替が今よりもより円高に振れる可能性が高まる。そうなれば、ここまで満身創痍だった日本経済を辛うじて引っ張ってきた輸出にも悪影響が出るかもしれない。本当に日本経済がまだ独り立ちできるかどうかについて、岩田教授ははなはだ心もとないと不安を隠さない。
 ではなぜそのような不透明な時期に日銀は利上げに踏み切ったのか。その動機を岩田教授は問題視する。インフレを抑えることをその最重要機能と考える日銀のメンタリティでは、ゼロ金利はまさに「異常」な状態ということになる。異常な状態は一刻も早く正常に戻す必要がある。その「異常」対「正常」の単純な論理の中で日銀は無理矢理利上げに踏み切っているのではないかと言うのだ。そしてメディアもまた、その日銀の論理をそのまま受け入れたかのような報道を繰り返しはいないだろうか。
 実は日銀の金融政策の意思決定を行う金融政策決定会合は、議事録こそ公開されているが、それぞれの発言の主の名前まではわからないようになっている。これだけ国民生活に重大な影響を与える決定を下している機関であるにもかかわらず、その透明性は低く十分説明責任を果たしているとも言えない。当然結果責任を問うことができない。
 岩田教授は、日銀に結果責任を負わせる仕組みを作ることが急務だと言う。そして、その手段の一つとして、インフレターゲットの導入を提唱しているが、インフレ抑制のDNAを持つ日銀は今のところ岩田教授らのこうした呼びかけに応える様子は見せていない。
 それにしても、ようやく終止符を打ったかに見えるゼロ金利時代とは何だったのか、日銀は通貨の番人としての責務を果たせているのか、小泉構造改革とゼロ金利との間にはどのような関係があったのか。ゼロ金利解除の意味を岩田教授とともに考えた。
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収録日 2006年07月30日 (1時間48分)
Winnyは悪くない
ゲスト 金子勇氏(Winny開発者)

 あるツールを発明した開発者が、そのツールが犯罪に使われることを知った上で、そのように使われることを意図していたとの理由から、幇助罪の罪に問われようとしている。これでは、銃が犯罪に使われることを知っていながら高性能の拳銃を開発した人も、殺人幇助に問われることになってしまう。
 著作権法違反幇助罪。それがウィニー開発者の金子勇氏が現在問われている罪である。
 匿名でファイルを共有できるソフトWinny(ウィニー)がインストールされたパソコンがウイルスに感染し、個人情報や機密情報が流出する事件が後を絶たない。3月には防衛庁や警察のパソコンから秘密扱いの情報が流出したのを受け、安倍官房長官がウィニーの使用自粛を呼び掛けるまでにいたっている。
 しかし、ウィニーを開発した金子勇氏は、そもそもウィニーは「広く情報を共有するためのツールに過ぎず、情報漏えいはウィニーを入れたパソコンがウィルスに感染したから起きるのであって、ソフトウェアそのものが悪という考え方は間違っている」と指摘する。
 また、検察側の「警察の摘発を免れるために匿名性を高めたソフトを開発し、著作権侵害をまん延させる意図があった」との主張についても、「技術者として、効率のいいファイル共有ソフトというテーマに興味があっただけ。使ってもらうためというより、むしろ議論をわきおこすためにウィニーを作った」と述べ、「思想犯」扱いされることに強く反論する。
 しかし、IT技術の進歩に伴い、従来の著作権法の枠組みでは、ネット上で原著作者の権利を守れなくなっているのは確かだ。ウィニーの特徴でもあるサーバーを介さずにパソコン同士がピア・ツー・ピアで情報のやり取りをするようになれば、従来の中央集権的な情報管理も難しくなるだろう。にもかかわらず、インターネット上のコンテンツの保護や管理について新しい社会的な合意が得られる前に、金子氏のような技術開発者が有罪判決を受ければ「ネットワーク関連だけでなく技術者全体への足かせとなる。極論すれば、ネットなんか無ければいいという結論になってしまう」(金子氏)恐れがある。
 インターネット上の公共性とは何か。著作権保護の今後はどうあるべきか。P2P(ピア・ツー・ピア)はネットをどう変えるのか。金子氏と共に考えた。
マル激トーク・オン・ディマンド(第279回) >>電子書店パピレスで映像版を購入>>OnGenで音声版を購入
収録日 2006年08月04日 (PART1:57分 PART2:1時間16分)
シリーズ『小泉政治の総決算』その2:小泉政治とは何だったのか
ゲスト 御厨貴氏(東京大学教授)

 小泉政治の意味を検証するシリーズ企画の第2弾は、東大の御厨貴教授を招いて「そもそも小泉政治とは何だったのか」を徹底的に議論した。
 御厨氏によると小泉政治とは、「説得しない、調整しない、妥協しない」の「3つのない」から成り立っているという。派閥の領袖でないことに加えて、主要閣僚も党三 役も経験していない小泉氏は、今までの基準から考えると、総理としての経験が不足している。そのため、もしその小泉氏が周囲の声に耳を傾けていれば、よってたかってもみくちゃにされ、ほとんど何の行動も起こすことができなかったにちがいないと 御厨氏は言うのだ。
 しかし小泉氏は、人の話を聞かずに独断専行路線を走った上に、これもまた従来の政権とは正反対に、最大派閥の田中派の意向を無視し、むしろそれと徹底的に対決することで、その推進力を得ることに成功した。御厨氏はこれを、場当たり的な行動を厭わない性格と、それがうまくいった時に即座にそれを取り入れる独特の嗅覚に起因するものと分析する。その結果、従来の自民党の政策決定過程を無視し、手続き面において透明性を確保したことが、世論の支持を集めた大きな要因のひとつとなった。  そして、何といっても小泉政治の最大の特徴は、「小泉劇場」と呼ばれる常に一般受けを意識しなら、世論の後ろ盾で物事を消化していく手法だった。御厨氏はこれを功罪相半ばすると見る。今まで政治に関心のなかった世代や層を政治に引き込んだことの意味は大きいが、あまりに政治が大衆迎合型になったことの弊害も無視できないからだ。
 また、この手法に慣れてしまった国民は、仮に安倍政権ができた時に、その政治手法には飽き足らない思いを抱く可能性が高い。世論は、敵をみつけてそれと対決する小泉劇場を支持したが、安倍政権ではそもそもその敵がいなくなっていると、御厨氏は言うのだ。
 小泉政権の前と後で何が変わったのか、自民党は本質的に変質したのか、劇場型政治の功罪とは何か。安倍政権で何がどう変わるのか。御厨氏とともに小泉政治の功罪を考えた。
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収録日 2006年08月11日(PART1:1時間27分 PART2:1時間30分)
靖国を「問題」にしているのは誰なのか
ゲスト 三土修平氏 (東京理科大教授)

 小泉首相のおかげで、靖国神社のあり方、ひいては戦没者の追悼のあり方をめぐる議論が、これまでになく活発になっている。
 ここまでの伝統的な靖国論争では、政教分離問題やA級戦犯の合祀の問題などを発火点に、最終的には先の戦争をどう捉えるかに帰結することが多い。先の戦争を不当な侵略戦争だったと捉える人は、首相の靖国参拝を戦前回帰への兆候とみて警戒し、その戦争には問題はあったとしても一定の大義もあったはずだと考える人は、靖国を大切にしなければならないと考える。だいたいそんな図式だ。
 しかし、靖国問題を独自の視点から検証した『靖国問題の原点』の著者で、自身の祖父が靖国神社が一宗教法人として生き残る道を選択した時の内務大臣だったという因縁も持つ三土修平東京理科大教授は、その論理立てが的はずれであることは、GHQの占領のもとで靖国神社がなぜ今日のような法的立場に置かれるに至ったかを歴史的に検証すれば自ずとはっきりすると主張する。
 三土氏によると、1945年末から46年初頭にかけて行われた神道指令と宗教法人令改正の際、GHQは靖国神社に宗教性を捨てて無宗教の公的追悼機関として存続する道と、宗教法人として宗教性を維持する代わりに、あくまで一宗教法人としての地位を甘受し、公共性は放棄する道のいずれかを選ぶように迫った。これは靖国神社に限ったことではなく、他のあらゆる宗教組織が同様の選択を求められたものだが、その実は単にポツダム宣言にも含まれていた政教分離原則の実施を求めたに過ぎないものだったと三土氏は言う。謀略史観に登場しがちな「日本を弱体化させるためのGHQの策略」となどという高等な戦術ではなく、「GHQはむしろ靖国神社が戦没者を追悼する無宗教の公的機関になることを望んでいたが、同時に宗教というものの性格を尊重する立場から靖国自身の意思を優先させた結果だった」(三土氏)というのだ。
 靖国をどうすべきかについては日本側の意見も割れたが、最終的には一宗教法人として存続させ、政府とのつながりや公的な立場は放棄する道を選んだ。GHQとしては、「あとは政教分離の原則さえ遵守させておけば戦前の国家神道へ回帰する心配は排除できたものと安直に考えていた」(三土氏)という。しかし、その後も靖国で戦没者の合祀などが続き、靖国がとても「民間の一宗教法人」とは呼べないような役割を演じていることをGHQ側が知った時は、既に時代状況が変化しており、「今更靖国を潰せだのと言えるような状況ではなくなっていた」(三土氏)。
 つまり、現在の靖国神社をめぐる対立と矛盾の原点は、GHQの占領下でGHQが靖国問題は解決できたと早合点したことにあり、担当者たちは早晩それが過ちであることに気づいたものの、もはや手遅れだったというのが真相だと、三土氏は言うのだ。
 しかし、三土氏はまた日本側の選択も、決して戦略的なものではなかったと指摘する。靖国を一宗教法人として存続させる道を選びながら、信教の自由の原則の傘の下に隠れて、実質的には戦前と同様の公共的な役割も演じ続けることを目論んでいるかのような説もあるが、実際は靖国自身も生き残りに精一杯で、面従腹背などという高等戦術を採る余裕はなかった可能性が大きいと言うのだ。A級戦犯の合祀も、遊就館に見られる戦前回帰的な歴史観も、民間の一宗教法人に過ぎないという立場であれば、それほど重大な問題ではないはずだ。
 もし仮に三土氏が指摘するように、GHQも靖国神社自身も、ともにこの問題に対する当事者性を持ち合わせていないとするとすると、靖国問題とは一体何なのだろうか。誰が靖国を「問題」にしてしまっているのだろうか。その答えは、日本人一人一人の「公」と「私」の区別の曖昧さが、一宗教法人という「私」であるはずの靖国神社に、一定の公共性を持たせてしまっているというのが、三土氏の見立てだ。靖国側も多少そうした状況に悪のりしているきらいはあるが、むしろ我々日本人が、靖国神社に宗教法人でありながら公共性も持ち合わせた「両棲動物的」(三土氏)な役割を押しつけているという面があることは否めないのかもしれない。
 仮にそのような形で靖国問題をわれわれ自身の問題と位置づけた時、われわれは首相の靖国参拝をどう考えればいいのか。靖国問題に解決策はあるのか。三土氏とともに、靖国問題の本質とは何かを考えた。
 
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