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■マル激トーク・オン・ディマンドDVD特別版 環境編 政治編 米大統領選編 民主党編 検察編 裁判員制度編

マル激トーク・オン・ディマンド 第30巻(第301〜310回収録)詳細
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収録日 2007年01月07日(PART1:1時間1分 PART2:1時間9分)
新年特別番組 2007年映画特集

2007年最初のマル激は、年始特別番組として、映画特集を送る。
2006年は「10年来の映画当たり年だった」と評する宮台氏だが2007年はどうか。
一方神保氏は、地球環境問題を扱うドキュメンタリー映画の活躍を歓迎しながらも、その反応には手放しでは喜べない様子。
硫黄島2部作「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」から「ダーウィンの悪夢」「不都合な真実」まで、話題の映画を一挙に取り上げた。
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収録日 2007年01月12日(PART1:1時間18分 PART2:34分)
誰のためのホワイトカラー・エグゼンプションなのか

ゲスト 島田陽一氏(早稲田大学教授)

 今月25日に召集される通常国会では、労働契約法案、労働基準法改正案、パート労働法改正案といった雇用関連法案の提出が予定されている。なかでも労働基準法の改正案に盛り込まれるホワイトカラー・エグゼンプションについては、推進したい経営側と反対する労働組合側の対立が表面化している。
 ホワイトカラー・エクゼンプションとは、管理職以外の労働者に対しても、労働時間ではなく成果に対する報酬を定め、企業と労働者の合意で自由に労働時間を決められるようにするというもので、管理職と同様に、残業に対する報酬の支払いが免除されることから、エクゼンプション(免除)という表現が使われている。
 経営側は、日本経済が国際競争力を維持していくためには、一定の年収以上の労働者に対しては成果主義の導入が不可欠であると主張する。しかし連合を中心とする労働側は、現在常態化しているサービス残業が制度化されることになると懸念する。
 労働法の専門家で、欧米での雇用実態にも詳しい早稲田大学の島田陽一教授は、そもそも「自律的裁量労働」が実施できていない現在の日本の企業風土に残業を正当化するホワイトカラー・エクゼンプション制度を持ち込めば、労働時間の増加と総賃金の削減が行われることになる危険性があると警鐘を鳴らす。
 もともとホワイトカラー・エクゼンプションはアメリカの制度だが、アメリカでは管理職に限らず労働者は広く自律的裁量が認められている場合が多い。上司から仕事を頼まれても、今別の仕事を抱えれて入れば、それを断ることができるような土壌があるというのだ。
 一方日本では、90年代の不況と急速な経済のグローバル化の中、「善意と信頼」を前提とする伝統的な日本型企業経営の基礎が崩れ、労働実態と現行の法制度との間に乖離が生まれている。このような状況の中でホワイトカラー・エグゼンプションが導入されても、長年日本の課題となっている「ホワイトカラーの生産性の向上」には寄与しない可能性が高い。
 企業側は「ホワイトカラー・エクゼンプションは企業の生き残りに不可欠」と主張する。しかし、ここで言う生き残りの対象は何なのか。日本の企業文化が大切にしてきた家族や地域共同体を含んでいるのか。単に経営者と資本にとって都合のいい「生き残り」になりはしないか。
 そもそもなぜ今ホワイトカラー・エクゼンプションなのか。アメリカとは企業風土のベースが異なる日本で、ルール主義に基づくアメリカの制度を導入すると、どのような弊害が起き得るのか。この制度の導入で得るものと失うものは何なのか。そして、今日本が導入しようとしているホワイトカラー・エクゼンプションは誰のためものなのか。島田氏と共に考えた。
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収録日 2007年01月19日(PART1:1時間2分 PART2:39分)
不都合な真実を不都合でなくするために
ゲスト 福山哲郎氏(参議院議員)

 日本で映画『不都合な真実』が封切られる前日の1月19日、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第四次報告書案の内容が報じられ、向こう100年で地球の平均気温が最大で6.3度上昇する見通しであることが明らかになった。これは第三次報告の5.8度を更に上回るもので、地球温暖化が更に加速の度合いを増していることを示唆している。
 同時に、第四次報告書案では、地球温暖化への懐疑論が否定されているという。世界の主要な科学者の集まりであるIPCCが、地球温暖化が人間の経済活動に由来するものであることはもはや疑いの余地はないと断定しているということだ。
 地球温暖化への対応が21世紀の世界の主要な課題であることがより鮮明になりつつある中、本来省エネでは世界一の優等生を自負していたはずの日本の対応が後手に回っている。気がつけば自動車のエネルギー効率でもEUに追い越され、太陽光、風力などの自然エネルギーの分野では、長らく環境後進国と揶揄されてきた中国の後塵を拝するまでに落ち込んでいる。
 民主党のネクストキャビネット環境副大臣を務め、現在日本の国会で最も熱心に地球環境問題に取り組んでいる議員の一人である福山哲郎氏は、昨年夏にアメリカ、イギリス、スウェーデンを訪問した際に、「世界は京都、そしてポスト京都を念頭に確実に動き始めている」ことを痛感したと言う。そして同時に、日本の対策の遅れに危機感を募らせる。イギリスをはじめとするEU諸国はもとより、京都議定書から離脱し一見温暖化問題に無関心なアメリカや、環境後進国と言われるインドや中国までもが、地球温暖化をめぐる次なる覇権争いのために着々と準備を進めているというのだ。
 例えば、アメリカのシンクタンクの中には、自国の政府の温暖化政策を尻目に、世界中の政府の温暖化政策のアドバイザーを務めているところがある。また、連邦レベルでは京都議定書から離脱していても、地方政府レベルでは議定書の基準を大きく上回る温暖化対策を取る都市や自治体が次々と登場している。来週のブッシュ大統領の一般教書で地球温暖化に対する政策転換の可能性が取り沙汰される中、昨日まで地球温暖化も問題児だったアメリカが、一転してこの問題で世界のリーダーシップを取り始める可能性すら出てきている。
 一方、スウェーデンの温暖化対策をみると、現在既に基準年(1990年)比でマイナスに転じているにもかかわらず、1990年以来のGDPは25%以上伸びている。温室効果ガスを8.1%も増やしながら、10%の経済成長しか達成できていない日本と実に好対照だ。スウェーデンによって環境政策と経済成長とは相容れないという説は完全に覆されているが、なぜスウェーデンにそれができて日本にはできないのか。教育基本法の議論の中でもたびたび登場したパトリオティズム(愛郷心)が、ここでもカギを握るとすれば、既にパトリを失った日本は、21世紀の人類の課題となりつつある地球温暖化問題でも、不利な立場に置かれることになるのだろうか。
 『不都合な真実』の日本公開を迎え、温暖化懐疑論を排したIPCCの第四次報告が報じられる中、なぜ日本では環境政策が進まないのか、その結果国際社会における日本の立場はどう変わっていくのか、日本が環境対策でより戦略的に振る舞うために何が必要になるのかなどを、福山氏と考えた。
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収録日 2007年01月26日(PART1:1時間15分 PART2:1時間7分)
死に体ブッシュとほとんど死に体安倍の接点
ゲスト 霍見芳浩氏(ニューヨーク市立大学教授):海渡雄一氏(弁護士)

 先週の一般教書演説でブッシュ大統領はイラク駐留米軍の増派への理解を求めたが、議場では民主党のみならず共和党の議員からもほとんど拍手はなかった。9・11直後は90%を誇った支持率も3割を割るまでに落ち込み、もはやブッシュ政権は完全に死に体状態にある。
 ニューヨーク市立大学の霍見教授は、ブッシュ政権がハリケーン・カトリーナに有効に対応できなかったことを契機として、政権を支えてきた富裕層、キリスト教原理主義者、石油利権屋の3つの柱が、ようやくブッシュ政権の実態に気づき始め、それが先の中間選挙の民主党圧勝につながったと言う。
 もともとフロリダの「疑惑の再集計」で辛うじて大統領になったブッシュだったが、政権発足の年に起きた同時テロ以降はメディアも政権批判を控えたことから、ブッシュ政権の実態が浮き彫りにならないまま、アメリカはイラクの泥沼に足を踏み入れるところまで突っ走ってしまったのだという。しかし、カトリーナの惨状を目の当たりにしても、救援に送るべき州兵も堤防を築くべき陸軍工兵隊も、いずれもイラクに派遣されていて不在だったことで、ようやくアメリカ国民がイラク戦争の本当の意味に気づくようになったと言うのが実態だったと霍見氏は言う。
 アメリカでは早くも2008年の大統領選挙で民主党の政権奪還の可能性が取り沙汰され始めている。先のファーストレディ、ヒラリー・クリントン上院議員の出馬表明で、いよいよアメリカ史上初の女性大統領の可能性すら囁かれ始めているという。
 しかし、それにしてもなぜアメリカはここまでブッシュ政権の失政に気づかなかったのだろうか。なぜメディアはここまでブッシュ政治を支持したのか。そして、いかにアメリカはそこから抜け出すことができたのか。霍見氏に聞いた。
 霍見氏はまた、対イラク政策で世界各国がその死に体ブッシュ政権を見放す中、依然として忠犬ポチよろしく忠誠を尽くしているのが安倍政権だと言う。
 首相就任後まず、ワシントンではなく中国と韓国を訪問するなど、一見アメリカと距離を置いているかにも見える安倍政権だが、実際はブッシュ政権の手のひらの上で踊っているだけだと霍見氏は指摘する。
 「中韓訪問はむしろ日中関係の悪化によって日本の対中カードとしての価値が無くなってしまう可能性を懸念していたブッシュの意を受けたもの」(霍見氏)だし、6ヵ国協議も、二国間交渉に否定的なブッシュ政権の意向に沿った「カブキ芝居」(霍見氏)につきあっているだけ。安倍政権のウリである対北朝鮮強硬路線も、その実はアメリカの意向に沿った行動を取っているに過ぎないというのだ。北朝鮮への軍事制裁も辞さない立場を取るブッシュ政権にしてみれば、北朝鮮暴発の危機を本気で回避する気など毛頭ない。アメリカの頭越しに平壌宣言を出すなど、独自外交の姿勢を見せた小泉政権を恫喝して、日朝国交正常化への道を阻んだのもブッシュだった。それが霍見氏の見立てだ。
 後半はそうした状況の中で、弁護士の海渡雄一氏をゲストに迎え、ゲートキーパー法なる天下の悪法の成立を狙う安倍政権の真意を考えた。
 ゲートキーパー法はマネーロンダリング(犯罪収益の移転)の疑いがある時に、それを警察に報告する義務を金融機関や税理士など50の職種に課すもので、安倍政権は今国会での成立を目指している。しかし、50の職種の中に弁護士が含まれているため、日弁連を中心に反対運動が広がっている。弁護士が依頼者の違法行為を警察に報告する義務を課されてしまっては、守秘義務も何もあったものではない。しかも弁護士は疑いがあるだけで報告が義務づけられ、報告を怠れば弁護士資格を失う可能性もある上、警察に報告した事実を依頼者に漏らしてもいけないという条件までつく。
 この法案が報告を義務づけているのは、マネーロンダリングの疑いがある場合に限定されているかのような表記があるが、実際には対象は犯罪収益全般に及ぶ。つまり、違法な事業を行っているテナント(例えば著作権違反など)に部屋を貸しているアパートの大家や、極論すれば暴力団から出前の注文を受けた寿司屋まで、この法案では報告義務の対象となる。そして警察は報告があれば、その口座を凍結できるのだという。つまり大家や寿司屋の銀行口座をである。
 弁護士の海渡氏は、「この法案が通れば、市民は弁護士に何でも相談ができなくなってしまう。また一方で、この法案が密告を義務づけているために、密告社会化を生めてしまう天下の悪法だ」と斬って捨てる。実際、この法律ができれば、市民社会はもはや弁護士を全面的に味方と考えることができなくなる一方で、法案の提出者である警察庁は、全ての業界を自らの監督下に置くことが可能となる。弁護士が警察の監督下に置かれることになる法律。それがゲートキーパー法の実態だと海渡氏は怒りを露わにする。
 海外ではイギリスを除いて、同様の法案が一度は可決したものの、差し戻されたり、違憲訴訟に敗れて廃止になったりしているというが、遅ればせながら日本は今になってそんな法律を通そうとしているのだ。
 「警察が本気で通したがっている法律に、面と向かって反論することで生じるリスクを負いたい政治家がいない」ことが、このような悪法が国会を通過してしまう最大の理由との海渡氏は言うが、実際にこの法律は政治家自身にも累を及ぼす危険性のある極めて危険な法律にも見える。
 今国会では悪名高き共謀罪も依然としてまだ継続審議となっているが、これは日本がすでに警察の恐怖政治がまかり通る時代に突入しているということなのか。もしそうでないのなら、与党はなぜこのような法律を作ろうとするのか。もともとこの法案はOECDのマネーロンダリング防止のための勧告に基づいたものだが、このような監視社会化を推進する世界の趨勢は一体どこからくるものなのか。海渡氏とともに考えた。
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収録日 2007年02月02日 (PART1:1時間20分 PART2:1時間2分)
地域の「ハブ」としての公立校再生プランとは
ゲスト 藤原和博氏(東京都杉並区立和田中学校長)

 今春私立中学を受験する子供の数は過去最高の5万人を超え、「公立離れ」が加速していることが明らかになった。しかし、東京都では初の民間出身の公立中学校長として、数々の画期的な施策を打ち出す和田中学校の藤原和博氏は、地域社会の「ハブ」になることが可能な公立中学校にこそ大きな可能性があると主張する。
 実際藤原氏は2003年の校長就任以来、地域社会を巻き込みながら、公立中学としては例を見ないユニークな施策を次々と打ち出してきた。
 その一つ、「よのなか科」の授業では、地域や社会の一線で活躍する人々を大勢教室に招き、ハンバーガー店の経営シミュレーションをロールプレイすることで実際のビジネスを体験させたり、実際にホームレスを招き子供と大人が一緒になってホームレスと社会の関わり方のあるべき形についてのディベートを行ったりしている。
 他にも、毎週土曜日に希望者が大学生達と一緒に勉強する「土曜日寺子屋」(通称:どてら)や、地域の大人に図書室や校庭などの学校施設の管理を委託する「地域本部」の設置など、従来の公立中学のカリキュラム編成を越えた地域ぐるみの新たな試みが、藤原氏の就任以来和田中学校で実施されている。
 こうした試みは子供達の基礎学力の向上に加え、コミュニケーション能力や論理構成能力といった「生きる力」を養成すると、藤原氏はその意義を強調する。成熟した近代社会では、問題に対して常に一つの正解があるとは限らないため、これまで強調されてきた正解をすばやく導くための「情報処理能力」だけではこれからの世の中では通用しない。より多くの人が納得できるような「納得解」を捻出するための「情報編集力」が、これからは求められる。そうした能力の養成を意図したプログラムを実践していると藤原氏は言う。
 しかし、藤原氏の真意は教育分野にはとどまらない。和田中学校の試みは、公立中学が地域の大人を巻き込むことで、子供の教育効果と同時に、地域の大人達の参加を促し、子供と地域社会の大人の間の「ななめの関係」を生み出す。そこに失われた地域内の新たなコミュニケーションが生まれ、それが地域社会を再生させる重要な鍵になると藤原氏は説く。公立学校がそのような形で地域の「ハブ」となることで、21世紀の日本に求められる地域社会の再生を図ろうというのが、藤原氏の描くグランドビジョンだ。
 リクルートのエリートサラリーマンから校長に転じた藤原氏の和田中学での試みとは一体どのようなものなのか。これは全国に広がる可能性のあるものなのか。それが全国に広がれば、地域社会にどのような変化が出てくるのか。和田中校長の任期を一年余りを残した藤原氏と共に考えた。
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収録日 2007年02月09日 (PART1:1時間37分 PART2:1時間1分)
NHK裁判報道で見落としてはならないこと
ゲスト 山田健太氏(専修大学助教授)

 東京高裁は先月29日、NHKに対し、不当に番組内容を改編して精神的苦痛を与えたとして、女性国際戦犯法廷を主催した「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)への200万円の損害賠償を命じる判決を言い渡した。
 この裁判の結果についてはメディア各社がそれなりに大きく紙面や時間を割いて報じてはいるが、期待権や編集権に関わる諸問題が大きく取り上げられている割には、どうも歯切れが悪い点が一つ目につく。それは、結果的に裁判では明らかにならなかった、「政治介入の有無」と「そもそもなぜNHKは政治介入を許してしまうのか」という最も基本的な問題だ。そこをきちんと検証しなければ、この問題は単に「取材者は取材協力者にいたずらに期待を持たせるようなことを言ってはいけませんよ」という取材上のマナーを一つ規定したに過ぎないものに矮小化されてしまう恐れがある。
 この裁判では、予算や人事を国会に握られているNHKの上層部が、「説明」と称して、大挙して有力政治家に対して陳情を行っている実態が明らかになった。そもそも国会の場で公然と議論をすべきNHK予算の中身を、なぜ事前に密室の中で説明して回ることが問題にならないのかも解せないが、本来政治を監視しなければならない立場にある報道機関が、政治家に何かを「お願い」しなければならない立場にあるとすれば、それ自体が重大な問題だ。その過程でNHKがさまざまな政治的圧力に晒されることは誰の目にも明らかだからだ。今回の判決では具体的な圧力の存在までは証明されなかったとなっているが、それはそもそもこの裁判の中心的な争点ではなかったし、それが裁判では「具体的」には立証されなかったからといって、あたかも政治的圧力がなかったとするかのような一部の報道は論外である。
 今回名指しをされている安倍晋三氏や中川昭一氏は、今や現職の首相と与党の政調会長という日本の最高権力者の地位に就いている。その有力政治家らによって行使されたとされる影響力が、「具体的」なものだったのか、あるいは、NHK側が「具体的ではない」政治家側の意図を「忖度」して自主的に番組内容を改編したのかの違いは、この際ほとんど意味をもたない。要は、NHKの政治に対する構造的とも言える脆弱性故に、実質的な編集権を自ら放棄し、結果として視聴者の知る権利が損なわれたこと、そしておそらく同様のことが日常的に行われているにちがいないことこそが、ここでは最大の問題なのだ。
 メディアと政治の関係に詳しい山田健太氏は、今回の問題の本質は政治の言論介入が強まる中、「メディアが過度に防御的になっており、逆にそれが権力に対する脆弱性を高めていること」であると主張する。そうした上で、「NHKは単に普遍性や中立性を謳うだけでなく、BBCのように多様性を広げる方向へ外部からの力をもって変えていく必要がある」と、この裁判の結果が具体的な行動につながることの重要性を説く。
 また、この裁判が露わにしたもう一つの問題として、山田氏は他の主要メディアがこの裁判の本質から意図的に目をそらしたかのような報道をしている、いわばメディア業界全体の体質問題をあげる。再販、記者クラブ、税制面での優遇等々、数え上げたらきりが無いほど多くの特権を享受するメディアが、知らず知らずのうちに既得権益者として完全に政治に取り込まれているのではないかとの懸念は色濃く残る。
 山田氏はまた、「強者が弱者をいじめる」かのような形で繰り広げられる昨今の高額の名誉毀損裁判の実態にも懸念を表明する。此度のNHK裁判は市民団体が巨大メディアを訴え勝訴する異例のケースとなったが、損害賠償額に応じて訴訟費用が増額する日本の裁判制度の特徴故に、政治家や大企業ばかり次々とメディアを訴え、一般市民は泣き寝入りするしかないというお決まりのパターンは、権力のメディア介入をより容易にしてしまっている。雑誌の電話取材に応じたフリージャーナリストが、オリコンから5000万円の損害賠償訴訟を起こされたケースも、その一例と言えるだろう。
 ことほどさようにメディアをめぐる環境は厳しくもあり、また深刻でもある。しかし、メディアの荒廃が市民社会全体に多大な悪影響を及ぼしていることが否定できない以上、この問題を放置することはできない。そのためにはNHK裁判で明らかになった問題を一つ一つ検証し、それを解決に向けた行動へと結びつけていくことが重要となる。
 今週のマル激では、NHK裁判が明らかにしたNHK問題とは何なのか、メディアの構造問題とは何なのか、メディアと政治の関係は今どうなっているのかを、山田氏とともに考えた。
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収録日 2007年02月16日 (PART1:1時間1分 PART2:31分)
西部邁流、保守主義のすすめ
ゲスト 西部邁氏(評論家・秀明大学学頭)

 保守論壇を代表する評論家、西部邁氏をゲストに向かえ、小泉構造改革の評価から核保有論にいたるまで、西部流「保守主義者の本懐」を聞いた。
 西部氏は、戦後日本のアメリカ的な制度の導入を厳しく批判する。日本のアメリカ化は小泉政権の構造改革によって完成し、現在では自称保守主義者たちが、そのアメリカ的制度を擁護する立場を取る異常な事態が発生しているという。本来保守が最も警戒する急進主義的構造改革を保守主義者が擁護するという今日の日本の捻じれた現状を、西部氏は表がいつのまにか裏になっている「メビウスの輪」に例える。
 では西部氏の考える保守のあるべき姿とはどのようなものなのか。そもそもヨーロッパにおける保守主義とは、フランス革命が掲げた自由、平等、博愛の精神に対し、人間の浅知恵で先人たちが永々と築いてきた歴史や共同体を軽視するべきではないとするエドマンド・バークに代表されるイギリス型保守思想に端を発している。さらにヨーロッパには、古代ギリシア時代から、一筋縄ではいかない世の中の矛盾に苦悩しながら、理想と現実のバランスをとるための英知を蓄積してきた保守主義の歴史的系譜が存在するという。
 これに対し、アメリカではそもそも国の成り立ちが、ヨーロッパでは急進主義と位置づけられるような個人の自由や科学の合理性を重視することからスタートしているため、そのアメリカ的価値を守ろうとするアメリカの保守主義は、ヨーロッパのそれとは正反対の立場となる。また日本における保守は、能や歌舞伎、あるいは日の丸・君が代といったサブスタンス(実態)やそれに対する情念、情緒を重視する傾向にあり、それは保守というよりもむしろ右翼思想と呼ばれるべきものであると西部氏は説く。
 では、日本における保守の本懐とは何なのか。西部氏は、真の保守主義者は金や商品といった「富」ではなく、人々の絆や帰属する場所、環境といった「財」を、不信による依存ではなく、信頼による自立自尊を重視するという立場を取ると説く。また、保守だからといって必ずしも現状維持を主張するものではないとも言う。ただし、変革を受け入れるにしても、過去から時間を経て蓄積されてきた「良きもの」を捨てる急進的な革命ではなく、良きものを残しながらの漸進的な変化を求める立場を取る。そうした前提の上に立つと、まず日本は「美しい国」などと言い出す前に、今日の日本がいかに「醜い国」になっているかを認識するところから始めなければならないと西部氏は言う。
 冷戦の終結により、55年体制下で権勢を誇った革新左翼が弱体化した日本では、1億総保守化が指摘されるようになって久しい。しかし、現実には保守に対する誤謬が横行する今日、西部氏の保守論に新鮮さを覚える向きも多いのではないだろうか。日本の針路を考える上で貴重な視座を提供する保守主義の真髄とは何かを、西部氏に聞いた。
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収録日 2007年02月23日 (PART1:1時間10分 PART2:52分)
国民投票法案の中身を知っていますか
ゲスト 井口秀作氏(大東文化大学法科大学院助教授)

 安倍政権は憲法改正の手続き上不可欠となる国民投票の方法を定める、いわゆる「国民投票法案」を今国会で成立させる意向を明確に打ち出している。与党側はこの法案を、憲法に定められた手続きを規定するだけの「手続き法」と位置づけ、強行採決も辞さない構えを見せている。
 しかし、憲法学者で各国の国民投票制度に詳しい井口秀作氏は、法案にはいくつかの重大な問題点があり、これを単なる「手続法」と受け止めることには、慎重さが求められると指摘する。
 まず、国民投票の方法について、法案では「関連する事項ごとの投票」となっているが、これでは国民は複雑に意見が絡み合う問題でも二者択一の選択を迫られてしまう可能性が高いと言う。例えば、憲法9条を改正する場合に、自衛権のみを明文化する条文と、集団的自衛権の行使を認める条文が提示された場合、「関連する事項ごとの投票」では一括して賛否を問われることになる可能性が高いため、自衛権には賛成だが集団的自衛権には反対の人の意見は反映されないことになる。与党側は、条文ごとの投票では話が複雑になりすぎて国民がついてこれないと主張するが、だとすれば、そもそも国民投票を行う意味は何なのかという問題も出てきそうだ。
 また、現在の与党案では、改憲案が国会から発議された後、国民投票の前に国民に対する広報は国会内に設置された広報協議会が行うことになっているが、この協議会のメンバーは国会の議席配分に応じて構成される。国民投票では本来、賛成、反対の意見が平等に国民に提示される必要があるが、現行の与党案では広報段階で国会内の勢力が反映されてしまうため、国民投票が中立的な立場から行われなくなる危険性があると井口氏は指摘する。
 同時に、現行法案では各政党の改憲案に関する広報費用を政府が助成することになっているが、これではメディアが政府から多額の広告料を受け取る立場に置かれることになるため、中立的なメディア報道が担保されるかどうかについても懸念が残る。
 他にも、投票が有効になるための最低投票率が設定されていない点や、「国民投票法案」と呼んだり「手続法」と呼んでおきながら、実際は憲法審査会を設置することを定める国会法の改正をも含む「憲法改正のための法案パッケージ」的な色彩が濃い法改正である点についても、井口氏は注意を喚起する。そもそもこの法案を「国民投票法案」と呼ぶことに疑いを持つ必要があるというのが井口氏の主張だ。与党が今国会での成立の意志を明確にしているにもかかわらず、メディアが法案の問題点を積極的に指摘しようとしない点も気になる。
 5月3日の憲法記念日までの法案成立が取りざたされる中、憲法調査特別委員会の中山太郎委員長(自民党)と同委員会の委員を務める辻元清美議員(社民党)の主張に耳を傾けながら、「いわゆる国民投票法案」とその背後にある推進派の真意について井口氏とともに考えた。
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収録日 2007年03月02日 (PART1:1時間20分 PART2:48分)
骨抜きにされる小泉改革
ゲスト 草野厚氏(慶應義塾大学教授)

 日本では時計の針が逆に回ってるようだ。小泉政権の下で断行された数々の「改革」が、安倍政権発足後、首相の指導力の無さと支持率低下の中、次々と覆されている。しかも、それを覆しているのが、かつて首相と戦った自民党内の「抵抗勢力」ではなく、自らの保身に走る官僚たちだというのだ。
 小泉改革の中身を全面的に「善し」とするかどうかはともかく、痛みを甘受して邁進したはずの構造改革が骨抜きになれば、小泉改革が多くの人にとって「痛み損」に終わる可能性すら出てきている。
 小泉−竹中チームの肝いりで進められた政府系金融機関の統廃合が、2月27日に閣議決定され、今国会で成立する見込みだ。この法案は8つの政府系金融機関を、あるものは民営化し、あるものは廃止し、残りを統合させ、最終的に政府が保有する金融機関を一つだけに減らすことを主眼とするもの。現在38人が中央官庁から役員として天下りしている8つの政府系金融機関が、1つに減ることは、官僚の既得権益にもろに影響するため、各省庁とも巻き返しに躍起になっていることは想像に難くない。
 しかし、政府系金融機関の代表格とも言うべき国際協力銀行(JBIC)の解体プロセスをつぶさにウオッチしてきた慶應大学の草野厚教授は、財務省の巻き返しによって、JBICの統廃合を無力化するような動きが公然と行われており、安倍政権はそれを押さえ込むだけの指導力が発揮できていないと指摘する。
 その総裁ともなれば海外では国賓扱いを受け、歴代の財務(大蔵)次官の天下り先として最高位に位置づけられてきたJBICもまた、ODA部門をJICA(国際協力機構)と統合した上で、国民生活金融公庫などとともに、新設される日本政策金融公庫の一部となることが決まっている。しかし、財務省はその統廃合を無力化するために、JBICを子会社として独立させる条項を法案の中に潜り込ませようとしていた。幸い自民党内の「良識派」によってこの動きは押さえ込まれたが、安倍内閣はそのことの意味も、またそのような動きが水面下で行われていたことにすら、気がついていなかった可能性が高いというのだ。
 小泉政権下では、首相の強い決意と竹中平蔵氏の行動力で、抵抗勢力の反対を跳ね除け、日本の政治、経済、社会の中に巣くう数々の既得権益にメスが入った。しかし、「改革」の骨格は決まっても、それを実行に移すための法案の詳細設計は官僚の手に委ねられることになる。官僚たちは、こと自分たちの利害に直結する問題では、法案の文言を微妙に操作したり、法律に様々な専門用語を潜り込ませることで、自らの既得権益の喪失を最小化するための高度なノウハウを持っている。それをマスコミや識者がかなり本気でウオッチしていないと、いかなる改革でも最後は骨抜きになってしまうと、草野氏は危機感を訴える。
 一方、JBICの円借款部門は、国際協力機構(JICA)に統合されることが決まっている。草野氏はODA(政府開発援助)の実施機関が一元化されることになること自体は歓迎するが、その反面、現在の日本のODA政策がさまざまな問題を抱えていることも忘れてはならないと指摘する。特に、97年以降日本の対外援助額は減少を続け、かつては世界一を誇った日本のODAも現在は実質世界第5位にまで落ち込んでいるが、これがGNP世界第二位の経済大国に相応しいODAと言えるのか。
 また、ODAの対象も資源開発を中心とした近視眼的な国益追求の道具のように言われて久しいが、これもまた、日本のODA外交の本来の趣旨に沿ったものなのかどうか、再考が必要だと草野氏は言う。
 JBICの解体過程を検証してきた草野氏と共に、JBICに見られる小泉改革無力化の動きと、その背後にあるエリート官僚たちの行動規範、それをより好ましい方向へと向けていくための施策などを考えた。
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収録日 2007年03月09日(PART1:1時間10分 PART2:45分)
オスロ・プロセスと日本の選択
ゲスト 長有紀枝氏(NPO法人「ジャパン・プラットフォーム」代表理事)

 クラスター爆弾は親爆弾の中から無数の子爆弾が飛び出し、一発でサッカー場3面分を攻撃することが可能な新しいタイプの爆弾だ。しかし、元々無差別攻撃を前提としている上に、不発率が高く、紛争終結後の民間人への被害が重大な人道上の問題となって浮上している。クラスター爆弾が「第二の対人地雷」といわれる所以だ。
 このクラスター爆弾の全面禁止を目指した国際会議が、2月22日、23日にノルウェーの首都オスロで開かれ、49ヶ国が08年中の条約制定を目指す「オスロ宣言」に署名をした。しかし、会議に最大規模の代表団を送っていた日本は、クラスター爆弾の軍事的有効性などを理由に宣言への参加を留保している。会議に参加しながら宣言に加わらなかった国は参加49ヶ国のうち、日本とポーランド、ルーマニアの3カ国だけだった。
 NGOで長年難民救済活動を続けてきた長氏は、今回の日本政府のオスロでの選択について、「日本らしい生真面目さの現れ」と、これに一定の理解をしつつも、日本政府の戦略性の欠如を指摘する。まだ宣言に乗れないのであれば、アメリカや中国のように最初から会議に参加しなければいいはずだが、人道的に好ましいことを目指す会議である以上、一応参加はしておく。しかし、いざ宣言の採択の段階になると、二の足を踏むことになる。クラスター爆弾の有効性と人道的な立場をどう均衡させるかについて、日本国内でも政府内でも、まだ合意が形成されているわけではないからだ。
 しかし、それにしても日本は、対人地雷を全面禁止した97年のオタワプロセスでも、条約制定の直前まで、地雷の有用性と人道的立場との折り合いを付けることができず、平和国家としてのイニシアチブを発揮することができなかた。今度のオスロプロセスでも、アメリカ、ロシア、中国などの軍事大国が軒並み禁止条約に後ろ向きな姿勢を見せる中、ノルウェー、カナダ、デンマーク、ベルギー、メキシコなどの「中堅国」が主導となって、条約の制定作業を進めている。日本もクラスター爆弾を保有してはいるが、日本の防衛上クラスター爆弾がそれほど致命的に不可欠なものとは思えない。なぜ平和憲法を持ち、平和国家として国際的な尊敬を希求するはずの日本が、これらの場で指導的な役割を果たすことができないのだろうか。
 長氏はその理由として、「政治家の指導力の無さと、それを支える市民ひとりひとりの気概の欠如」をあげる。もともと外務省や防衛省の官僚機構には、政治判断を下す能力も無ければ権限もない。人道的見地や国際秩序形成の中で指導力を発揮するという理由で軍事的には一定の有用性を持つ兵器を廃棄するという選択などが、官僚にできるはずもないし、逆に官僚がそのような選択を勝手にやり始めたら危険だと言うのだ。
 一方、今回のオスロ会議でも、オタワ会議同様、NGOの活躍が際だった。長氏はオタワプロセスの成功で21世紀はNGOの世紀になるのではとまで言われたものの、2001年の同時テロで、世界が政治的、軍事的志向を強め、一時的にNGOの役割は弱まったと言う。しかし、その後もNGOは地道な活動を続け、9・11後の一時的な萎縮状態も今はようやく収束しつつあるとの見方を示す。21世紀が本当に国境を越えたNGOの世紀になるかどうか、NGOにとっての正念場はこれからだが、NGOセクターでも日本は必ずしも世界の主要な地位を占めることができていない。長氏はここでも、政治意思の欠如と市民の関心の低さを理由にあげるが、ではなぜ日本だけが政治も市民も意識が低いのだろうか。
 人道支援NGOのコミュニティに長年身を置いてきた長氏とともに、オスロプロセスにおける日本の選択とその背後にある日本の市民社会にとっての課題について考えた。
 
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