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■マル激トーク・オン・ディマンドDVD特別版 環境編 政治編 米大統領選編

マル激トーク・オン・ディマンド 第36巻(第361〜370回収録)詳細
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放送日 2008年03月01日(PART1:62分 PART2:81分)
5金スペシャル この目を覆うばかりの制度劣化をいかに反転させるか


 5回目の金曜日がある月に恒例となった無料放送の5金スペシャル。今月は、ここのところ2人で語り合う機会が少なかった神保と宮台が、ゲスト抜きのマル激オリジナルスタイルで、最新の気になったニュースを思う存分語り合った。
 まずはいわゆる「ロス疑惑」の三浦和義氏のサイパン逮捕を取り上げた。邦人を保護する義務を負う高村外相は逮捕直後の会見で「違和感」を表明しながら、「しかし合法」として「逮捕は問題無し」との立場を取った。しかし、その高村氏が感じた「違和感」こそ、よく考えてみる必要があるのではないか。また、その違和感を誰も声を大にして言おうとしないこの空気の正体は、一体何なのだろうか。
 今回の米国の属地主義に基づく三浦氏逮捕は、確かに法的には問題はないのかもしれない。マスメディア上では、日本が属人主義と属地主義の両方の立場を取っているため、たまたま属地主義のアメリカと縄張りが重複してしまった異例のケースとして片付けられているようだ。中には「制度の穴」などといった表現を使っているところもあった。
 しかし、これを「制度の穴」で済ませてしまっていいのだろうか。一つの主権国家で逮捕、起訴され、一度は最高裁まで争った上で無罪が確定している人物が、同じ罪について別の国で再び裁かれることに、人権上の問題はないのだろうか。近代法の前提として学んだ「一事不再理」は一国の中だけの話なのか。また、日本政府はこの事態を放置していて、いいものなのだろうか。(もしこの相手がアメリカ以外の国だったら、日本の対応は違ったものになっていないだろうか?)
 そもそも今回のような異常事態を招いた原因の一端は、マスコミの過熱報道を背景とした、85年の日本の警察の逮捕に無理があったのではないか。週刊文春の「疑惑の銃弾」に端を発するマスコミの熱狂の中、ポピュリズムに抗しきれなくなった日本の警察は、本来はアメリカで訴追されるべき事件にまで手を伸ばした。逮捕・起訴をしたまではよかったが、直接日本の警察の捜査権が及ばない外国で集めた証拠がお粗末だったために、公判の過程で警察の主張は次々と覆され、結果的に無罪となってしまった。
 もともとこの事件は、共謀罪もありしかも陪審制度のアメリカでは、有罪になる可能性が高かった。当然アメリカ側も機会さえあればこの事件の立件を試みることは、最初から予想できたはずだ。
 それにしても、こうした人権上、法律上の疑問点に目をつぶり、相も変わらず三浦氏の一挙手一投足を追いかけ回すマスコミ報道の幼稚な報道ぶりには、呆れを通り越して悲愴感さえ漂う。日本のメディアがこの27年の間何一つ進歩していないことだけは間違いなさそうだ。  三浦報道の陰でメディアに黙殺された感がある沖縄密約事件報道に関わる国賠訴訟判決と、その報道ぶりも、とても看過できないようなお寒い内容だった。東京高裁は20日、元毎日新聞記者の西山太吉氏が名誉回復の求めた国家賠償訴訟で、西山氏の控訴を棄却する判決を下した。その中で裁判所は、高度に政治的との理由から密約の存否の判断から逃げたばかりか、事件から20年の時効が過ぎていることを理由に、西山氏の賠償請求権が喪失しているとの立場を取った。
 しかし、沖縄密約については、アメリカの外交文書が25年の免除期間を経て公開されたことで、密約の存在が事実上証明されている。仮に西山氏の情報入手方法に問題があったとしても、西山氏の沖縄密約報道が世紀のスクープであり、密約によって無数の法令違反を犯している当時の佐藤栄作首相、福田赳夫蔵相を始めとする当事者たちの犯した罪が、公務員法違反の西山氏よりも遙かに重いことは明らかではないのか。しかも、現自民党政権が密約はなかったことの根拠としてきた「吉野証言」は、証言者の吉野氏(元外務省米国局長)自身が既に証言を覆しているのだ。
 また20年の時効についても、情報公開制度が整備されていない日本で証拠が開示されないのをいいことに、歴代の日本政府は密約の存在を否定するという「嘘」をつき続けてきた。密約の存在が明らかになったのは、アメリカの外交文書が25年の非公開期間を経て公開されたからに他ならない。そのような状況下で、司法は、20年の時効を理由に密約の存否の判断から逃げることが、許されるだろうか。
 更に言うならば、仮に裁判で西山氏の名誉回復が実現できないまでも、なぜ新聞協会賞を与えるなどの形で、民間や市民社会が率先してこの明らかな不条理の是正を図ろうとしないのか。
 三浦逮捕への政府の対応とその報道ぶり、西山太吉事件への司法の対応とその報道ぶり、いずれからも、見えてくるものはもはや目を覆うばかりの制度劣化だけだ。極度に劣化した制度のもとで、敗北主義的心理が日本全体を覆っているこの現状をいかに反転させるのか、目眩さえしそうなその方策を、ナイーブかつ真剣に考えてみた。
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放送日 2008年03月08日(PART1:53分 PART2:54分)
格差が少子化を加速させる

ゲスト:山田昌弘氏(東京学芸大学教育学部教授)

 格差社会の現出は、日本をどう変えようとしているのか。
 4年前、山田昌弘氏が「希望格差社会」を出版した当時は、日本社会に「格差」が存在するかどうかが論争になるほど、格差問題への危機感は低かった。今や格差は自明のものとなったが、山田氏は早急に社会システムを構築しなおさないと、今よりもはるかに危機的状況が30年後には現れると警告する。それは、格差の影響が、最も大きく現れているのが、少子化問題だからだ。
 日本の出生率は、他の先進国同様に、1970年代からゆるやかに低下傾向にあった。80年代は、「少なく生んで大事に育てる」という子育てについての意識の変化や、「独身主義」、「DINKS」といったライフスタイルの多様化が理由にあげられたが、日本の少子化傾向は90年代以降も歯止めがかからない。危機感を抱いた政府が、エンゼルプランや少子化対策基本法などさまざまな対策をとってきてはいるが、2007年度の合計特殊出生率は、1.32と先進国でも最低のレベルになっている。
 山田氏は、90年代後半以降の少子化を加速させたのは「格差問題」であり、中でも「若年男性の収入の不安定化」が最大の原因と指摘する。90年代から日本的な年功序列賃金モデルが崩壊し、非正規雇用者が増大した。終身雇用制度が一般的だった時代では、将来の賃金増が見込めるために、低収入の若者も、結婚して、安心して子どもを産み育てることができた。しかし、現在の若い男性は、親の世代同様に結婚願望は強いが、不安定な雇用と上昇が見込めない賃金による将来への不安から、結婚・出産をためらう意識が強くなっている。
 こういった低収入の若者の存在は、親に寄生して生きることが許される「パラサイトシングル現象」のために、これまで表に出てこなかったと山田氏は語る。欧米では、若者は貧しくても自立せざるをえないが、日本の若者は生活水準を下げて自立するより
も、両親と同居して生活費を負担せずに生活水準を維持する傾向が強かった。そういった彼らが今や「結婚願望はあっても、結婚できない独身者層」として固定してしまっていると言うのだ。
 一方、「男女共同参画社会」がうたわれながら、人々の意識が変化していない点も、「少子化」が加速する背景にあると山田氏は言う。近年、男性側は「共働き志向」が強くなり、家事や育児への参加意識も高まっている反面、女性の「専業主婦願望」も顕著に伸びており、女性が夫となる男性に「安定的な高収入」を求める傾向は強くなっている。こういった男女の意識のミスマッチ
も、「非婚化」や「晩婚化」に拍車をかけているというのだ。
 このまま格差の拡大と少子化が進めば、日本の男性の3割は、独身のままで一生を終え、45%は子どもも持たないと推計されている。「子ども2人の夫婦」という家族モデルが、少数派になってしまうのだ。そして、急速な少子化と同時に進む高齢化によって増える社会保障負担が、更に格差を拡大させる可能性がある。
 今回は、神保哲生に代わり、ジャーナリストの斉藤貴男氏が司会に加わり、「希望格差社会」や「パラサイトシングル」の名付け親として知られる東京学芸大学教授の山田昌弘氏をゲストに迎えて、格差社会がもたらす影響、特に少子化を加速させる面について、語り合った。
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放送日 2008年03月16日(PART1:65分 PART2:64分)
公認会計士は、なぜ特捜検察と戦うのか

ゲスト:細野祐二氏(公認会計士)

 検察も裁判所も、一体どうなってしまったのだろうか。
 公認会計士の細野祐二氏は、顧問を務める害虫駆除会社「キャッツ」の粉飾決算に関与した容疑で、04年、東京地検特捜部に逮捕された。これに対し細野氏は、「適法な会計処理だった」と無実を訴え、検察の調書へのサインを拒否し続けた。その結果、細野氏の勾留は190日間に及んだ。
 細野氏が勾留されている間、同時に逮捕されたキャッツ社長以下会社関係者は一様に細野氏の共謀を証言したため、東京地裁は細野氏の粉飾への関与を認定し、懲役2年執行猶予4年の有罪判決を下した。
 しかし、一審判決後、ようやく釈放された細野氏が会社役員等に証言の内容を質して回ったところ、いずれも検察が用意したストーリーに沿った嘘の証言をさせられていたことを知る。検察は減刑などの恩恵をちらつかせて、嘘の証言をさせていたと言うの
だ。
 細野氏の控訴審では、既に細野氏以外の裁判は刑が確定していたため、関係者は一様に一審の証言を覆し、細野氏の関与を否定した。そのため一審で有罪の根拠となった証拠は、ことごとく否定されていた。一審で検察と取引をした会社幹部らが、細野氏に不利な証言をするために40回以上ものリハーサルを検察にやらされていた事実までが浮かび上がった。しかし、高裁は細野氏の控訴を棄却した。
 元検事で桐蔭横浜大学教授の郷原信郎氏は、一審では典型的な特捜捜査に基づく綿密なストーリーが構築され有罪を勝ち取ったが、そのストーリーが二審では否定されてしまったため、もし二審で高裁が無罪と言い渡すことになると、特捜捜査そのものが否定されたことになる。裁判所はそう考え、決断を見送ったのではないかと、不可解な高裁判決の理由を推察する。
 「高裁の一公判部にその決定は重すぎるかもしれない。そういうことは最高裁で決めてくれと考えても不思議はない」と郷原氏は言う。
 細野氏が逮捕された当時は、りそな銀行や足利銀行の不正会計処理が明らかになり、その処理を見逃した監査法人や公認会計士への風当たりが強くなっていた。社会の規範を示す使命を負った特捜検察としては、公認会計士の細野氏を逮捕することで一罰百戒を狙った可能性が高い。細野氏自身も、取調べの段階から、「何としても私をとりたい」という特捜検察の思惑を感じたと言う。
 どうも、検察も高裁も、真実や公正などはそっちのけで、それぞれ自分たちのお家の事情で動いているだけのように見えてならないのだ。
 そもそも、金融市場のグローバル化が急速に進む中、これまでの古典的な特捜の捜査手法で、市場の規律を本当に守っていけるのだろうか。この事件は、特捜スタイルの捜査と経済犯罪の相性の悪さを象徴する事件と見ることもできるのではないか。そして、細野氏がその犠牲者となっている可能性があるのではないか。
 今回は、ベストセラーとなっている著書「公認会計士vs特捜検察」の著者で現在キャッツ事件の被告として最高裁に上告中の細野氏から、事件の真相とここまでの検察との戦いについて内実まで踏み込んだ話を聞くとともに、経済ジャーナリストの町田徹を交え、市場の規律を守る手段としての特捜捜査のあり方などを議論した。
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放送日 2008年03月22日(PART1:54分 PART2:32分)
救急車たらい回しの裏で進行していた医療崩壊の実態

ゲスト:永田宏氏(鈴鹿医療科学大学医用工学部教授)

 妊婦や老人が救急病院をたらい回しされた挙げ句、死亡するようなニュースを、最近頻繁に耳にするようになった。救急車が到着して患者を乗せても、受け入れ先の病院が見つからないというのだ。中には、救急車が到着してから受け入れ病院が見つかるまでに4時間を要した末に患者が死亡したり、19回の照会の末に、県境を越えた病院まで搬送しなければならなかった事例もあった。
 このように、救急車の受け入れ先がない状態が起きている背景には、医師不足からくる日本の医療システムの崩壊ともよぶべき深刻な現状があると、近著『貧乏人は医者にかかるな! 医師不足が招く医療崩壊』の著者で鈴鹿医療科学大学教授の永田宏氏は指摘する。
 永田氏によると日本では、80年代以降、慢性的な医師不足が続いており、救命救急医や、産科医、小児科医など、勤務が過酷で、訴訟を起されやすい診療科から順に医師が立ち去り、経営が成り立たない病院が相次いでいるという。また、近年はあらゆる科で医師不足は深刻になっている。地方の病院では、90年代から必要な医師数が確保しにくい状況にあり、現在は、東京都内の病院でも、必要な医師の確保が難しくなり、診療科の閉鎖や業務の縮小が相次いで起きているのが実情だと言う。
 しかし、そもそもなぜ日本の医療はそのような状態に陥ってしまったのか。また、そのような危機的な事態が、なぜ放置されているのか。
 80年代、欧米、とりわけ米英では、戦後復興期以来の社民主義的な福祉国家建設が限界を迎え、レーガン・サッチャーに代表される新自由主義的な政策路線への変更が図られた影響で、医療費を抑制するために、医師数を減らす政策がとられた。日本でも、83年に厚生省が目標としていた「1000人あたり1.5人」という医師数を達成すると、米英の動きに追従し、医学部定員を削減し、医師数の抑制が計られた。
 一方、医療の高度化で医療業務は複雑になり、患者の権利意識の高まりで患者ひとり当たりの対応時間も増えた。同時に、医療訴訟などのリスク管理も増え、医師、特に病院の勤務医の負担は増える一方だった。00年代以降、業務が過酷な現場から逃げ出す医師たちが現れたことで、残った医師の負担が更に過重になり、また新たに逃げ出す医師が出るという悪循環に陥ったという。
 そのような状況が進行しているにもかかわらず、厚労省は2025年には医師が供給過剰になるという見通しに固執し、いわゆる「医師不足」は診療科や地域での偏在があるための現象という主張を現在も繰り返している。
 確かに、医師は毎年約3000〜4000人ずつ増えてはいるが、そもそも医師免許は一度取得すると終身でしかも更新の必要がない。その特性から推察して、医師免許を持っている医師のうちの相当数が、現在は高齢化し、現役の医療活動を行っていない可能性があると永田氏は語る。
 現在、人口1000人あたりの医師数は、単純に医師免許保有者数を元に計算しても、日本は2.0人とOECD30か国中27位にとどまっている。その上、その中である程度のレベルの医療行為が期待できる30歳から65歳までの医師のみに限定すれば、1000人あたり1.6〜1.5人程度の水準に留まり、韓国やトルコと並ぶ最下位レベルにあるだろうと永田氏は推察する。
 しかも、厚労省が医師抑制策を硬直的に維持してきた背景には、小泉政権下で進められた構造改革路線の元での社会保障費の抑制政策がある。現在の医療水準を維持するために必要な医療費の増額がないままで、単に医師を増やしただけでは、問題は解消しない。もはや、日本には、医師不足を回避したドイツやフランスのようなヨーロッパ型の医療制度を選択することは不可能であり、医療に市場経済を導入する米国型か、医療機関の利用に制限をかける英国型のどちらかを選ぶしかないと、永田氏は語る。
 また、この「医療崩壊」の要因の一つに、構造的な医師不足に追い打ちをかけるような、国民の間にはびこる医療万能信仰や、医療機関へのフリーアクセスが当然という感覚など、受診する患者側の意識も大きく寄与していると、永田氏は言う。そのため、メディア等を通じて現状をつぶさに情報公開し、国民の医療に対する意識の改革を行う必要があると、永田氏は主張する。
 今週は医療問題に詳しいジャーナリストの武田徹氏を司会に迎え、「医療崩壊」の著者で、虎ノ門病院泌尿器科部長の小松秀樹氏のコメントも交えながら、「医療崩壊」の現状、その背景と今後の対策について議論した。
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放送日 2008年03月29日(PART1:88分 PART2:99分)
08年大統領選挙でアメリカは何を選択しようとしているのか

ゲスト:会田弘継氏(共同通信編集委員)

 米国の大統領選挙は、民主党の候補者選びが大接戦にもつれ込み、下手をすると夏の全国党大会まで候補者が決まらない可能性が現実味を帯びてきた。メディアもオバマ対クリントンの熾烈な戦いを連日報道し、選挙戦そのものに対する関心は日本でも高まってきているようだ。
 確かに、オバマかクリントンが候補となり、11月の本選挙で共和党のマケインに勝利すれば、アメリカ史上初のアフリカ系アメリカ人大統領、もしくは女性大統領が誕生することになり、その歴史的な意味は計り知れない。2度のワシントン勤務を含め、米国の政治を長年追い続けている共同通信社の会田弘継氏は、年齢も46歳と若く政治経験も浅いながら、「包摂」や「連帯」をスローガンに掲げるオバマが、抜群の知名度を誇るヒラリー・クリントンを圧倒している現状に、アメリカ政治の新しい潮流を感じ取ると言う。アメリカは今、自分たちが黒人大統領を選ぶことができる国であることを世界に見せることで、イラク戦争後の泥沼でずたずたに踏みにじられたアメリカの誇りを再び取り戻そうとしているかのようでもある。
 しかし、オバマ対クリントンの指名争いだけに目を奪われていては、08年大統領選挙の歴史的な意味合いは見えてこない。実際、オバマとクリントンでは主張する政策には、ほとんど大きな差異は無い。
 今回の大統領選挙は、人種やジェンダーの問題を横に置いても、アメリカ政治史における大きな転換点となる可能性が高いと、会田氏は言う。
 20世紀のアメリカでは、1933年のルーズベルト政権下でのニューディール連合以降、1980年のレーガン政権誕生までほぼ半世紀にわたり、アメリカの連邦政府はリベラル色の強い民主党が支配してきた。
 80年にレーガンが保守勢力の統合に成功し、50年ぶりに本格的な保守政権の樹立に成功したが、それを引き継いだブッシュ(父)は、内政、外交ともに真性保守の政治路線からはずれたと見なされ、1期のみで民主党のビル・クリントンに政権の座を明け渡す。クリントンは新しいタイプの民主党リーダーとして、競争原理を取り込みながらも社会的弱者層にも一定の配慮をするニューリベラルなどと囃されたが、結局過度なリベラル色が保守層から嫌気され、大統領就任2年後の中間選挙で上下両院とも民主党は過半数を失ってしまう。
 実は現在のブッシュ政権は、クリントン政権時代の遺産とも呼ぶべき共和党による議会の上下両院支配の上に、ホワイトハウスをも共和党が押さえた、共和党の全面支配下での本格政権だった。共和党がホワイトハウスと上下両院を同時に押さえるの
は、何と1952年のアイゼンハワー政権以来のことだった。
 再び本格的な保守政治を期待されたブッシュ誕生だったが、政権発足後間もなく9・11の同時テロによって政策面での選択肢を著しく制限されることになる。そして、ブッシュ政権は、ネオコン主導で前のめりに突っ込んでいったイラク戦争で大きくつまず
き、06年の中間選挙で共和党は上下両院ともに過半数を民主党に奪われてしまう。
 そうした中、08年の大統領選挙で民主党候補が勝利すれば、クリントン以来16年ぶりにホワイトハウスと上下両院を同時に民主党が押さえることになり、久々の本格的なリベラル政権が誕生することになる。しかし同時に、冷戦後のグローバル化された現在の世界では、旧来の保守対リベラルの構図そのものも変質していると会田氏は指摘する。
 今週はアメリカの政治思想史に詳しい会田氏とともに、米国大統領選の現状を分析するとともに、米国の政治思想史の流れ中での08年選挙の位置づけと意味合いを考えてみた。
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放送日 2008年04月05日(PART1:71分 PART2:99分)
中国がチベットを手放せない理由

ゲスト:ラクパ・ツォコ氏(ダライ・ラマ法王日本代表部事務所・代表)
ゲスト:平野聡氏(東京大学大学院准教授)

 3月10日にラサではじまったチベット人のデモや中国政府への抗議活動は、瞬く間にチベット自治区から、隣接する青海省や甘粛省、四川省へ拡大した。中国政府は、暴徒化したチベット人により商店や政府関連施設が破壊され、犠牲者が出たと発表し、騒乱の背景には、ダライ・ラマ14世の扇動があったとの主張を繰り返している。しかし、その一方で、亡命チベット政府や人権団体は、中国政府が武力でデモの鎮圧を図り、死者の数も百人を越えていると発表している。
 しかし、騒乱発生直後から、チベットへの通信網は遮断され、外国メディアの立ち入りは禁止された上、自治区内にいた外国人たちは強制的に退去させられていたため、チベットで何が起きているかについて、正確な情報の入手は難しい状況が続いてい
る。
 それにしても国際的な批判をよそに、中国の一貫して頑なな対チベット強硬姿勢には、違和感を覚える人も多いはずだ。
 そこで今週のマル激は、番組を前半と後半に分け、中国の強硬政策の背景を、チベット亡命政府の当局者と中国ーチベット関係に詳しい識者にそれぞれ聞いた。
 まず前半は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所代表のラクパ・ツォコ氏を招き、チベットで起きていることの現実と、そうした状況に対するチベット人たちの思いを語ってもらった。
 ダライ・ラマの立場は一貫して非暴力主義であり、一連の騒乱には、まったくダライ・ラマが関与していないと断言するラクパ氏は、そもそもこのデモの発端は、チベット市内の寺院で、中国政府に対する平和的な抗議を行っていた数人の僧侶たちへ警察官が暴力を振るったことだったと言う。それを目撃したチベット人たちが激昂し、デモに拡大していったと言うのだ。以前からこの程度の抗議活動はチベット人の居住地域では頻繁に発生しており、それがいつ爆発的に拡大してもおかしくはないほど、チベット人は中国政府により抑圧されてきたとラクパ氏はチベット人の不満を代弁する。
 ラクパ氏はまた、1959年ダライ・ラマ14世がインドに亡命して以来、中国政府は、鉄道や道路のインフラを整え、チベット自治区を豊かにしたと自負しているが、経済的な恩恵を受けているのは移住してくる漢民族だけであり、チベット人との間には歴然とした格差が存在していると言う。それがまた、チベット人たちの不満につながっているのだ。
 天然資源が豊富なチベットは中国にとって戦略的にも重要な土地であるため、中国は決してチベットの独立を許さないだろうと語るラクパ氏に、チベットの現状と見通し、そして日本政府に期待する役割などを聞いた。
 後半は、アジア政治外交史が専門で中国とチベット事情に詳しい東京大学大学院准教授の平野聡氏から、現在のチベット問題の背景にある歴史的なチベットと中国の関係を清代にまで遡って解説してもらった。
 平野氏は、チベットは中国にとって、列強侵略の中で唯一の残った神聖不可侵の領土であり、絶対手放すことはできないと語
る。その背景には、列強の侵略を防ぐためには、近代化を進めるしかないという清朝以来の恐怖心があり、清朝は「単一民族」として言語を統一して富国強兵に成功した戦前の日本をモデルとしていたことが、現在のチベットの同化政策につながっていると説く。
 しかし、平野氏はまた、同時に、これまでのような経済発展と同化政策を進める方法では、チベット人は決して中国の支配を受け入れることはないだろうとも語る。しかし、その一方で、中国としては、チベットだけに高度な自治を認めることは、ウイグルやモンゴルなど他の少数民族の離反を招きかねず、容認できるものではない。中国に強力な指導者が存在しない現状の政権では、劇的な政策転換は困難な状況にあるというのが平野氏の分析だ。
 今回は、二人のゲストとともに、チベットでなにが起きているのかについて、時代を清代まで遡ることでその背景を探り、中国にとって、また日本にとってのチベット問題とは何かを考えた。
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放送日 2008年04月13日(PART1:75分 PART2:46分)
言論の自由を宝の持ち腐れにしないために

ゲスト:鈴木邦男氏(一水会顧問・作家)/森達也氏(ドキュメンタリー作家)

 どうも、言論がおかしい。ちょっとした脅しや訴訟で口をつぐんでしまい、必要以上に自主規制をしているうちに、気がつけば、言いたいことが言えない空気が醸成されているのではないか。
 映画『靖国』の上映中止、プリンスホテルによる日教組集会への使用拒否、ジャーナリストに対する相次ぐ高額訴訟、立川の反戦ビラ配りに対する有罪判決等々、立て続けに起きる言論をめぐる異常な事態は何を意味しているのか。
 映画『靖国』の上映中止は、週刊新潮に掲載された「反日映画に国の助成金750万円」の記事を読んだ国会議員が試写を求めたことで、映画館が上映を中止し始めた。そして、1台の右翼街宣車が映画館に乗りつけて抗議したところ、次々と上映中止を申し出る映画館が増え、とうとう4月12日予定の封切自体が中止されるに至った。
 新右翼一水会の設立者でもある鈴木邦男氏は、『靖国』は単なる反日映画ではないと語り、右翼としては確かに抗議したいシーンもあるが、「とにかく公開して、見た上で抗議をするべきだった」と語る。また、右翼が街宣車を使うのは、日本に右翼側からの問題提起を議論する場が無いためだと説明する。オープンな議論ができていれば、公開中止のような事態は避けられたかもしれない。
 一方、この問題について映画配給会社から相談を受けていたと明かすドキュメンタリー作家の森達也氏は、靖国神社というデリケートな素材を扱った映画だけに、配給側にはある程度の覚悟ができていたはずなのに、この程度の右翼の抗議だけで、白旗を上げてしまったことに驚きを隠せないと語る。
 また、メディア界や表現者が「言論の自由を守れ」と抗議の声を上げても、世間の反応がいたって鈍い現状について森氏は、戦後言論の自由を支えていた社会の劣化が進んだ結果、言論への攻撃に対して社会がとても脆くなっており、それは10年前に森氏がオウム真理教を内側から描いた『A』を公開した段階で、既に顕著になっていたと指摘する。そのような“空気”の中で、上映中止を決めた映画館の選択だけを責められないというのが、森氏の立場だ。
 しかし、言論を押さえたい側の手法が、非常に高度化していることも見逃せない。街宣車による脅しのような伝統的な手法に加え、助成金の正当性を問うて試写を要求してみたり、愛国や反日をネタに世論に訴えたり、高額訴訟で表現者自身の萎縮の動きを封じたかと思えば、出版社や所属団体を訴えることで、言論機関を萎縮させ表現者から表現の場を奪うような手法に訴えるな
ど、明らかに言論を押さえる方法も洗練されてきている。
 そうした状況の下で、それに真っ向から立ち向かわなければならないはずの表現者や言論機関、メディアがいとも簡単に自主規制をしているうちに、気がつけば日本の「言論の自由」は危機的な状況に陥っているのではないだろうか。
 また、志ある言論機関が戦う意思を見せても、必ずしも市場の支持が得られないという現実もある。その手の硬派な企画では、売り上げや視聴率アップは望めないため、メディアにとっても言論のために戦う動機付けは、急速に減退しているのが実情のようだ。
 しかし、表現の自由が、民主政治の最も基本的な要件であることに、疑いの余地はない。私たちの先人たちが身を挺して守ってきたその至宝を、このような漠たる「空気」の中で、どぶに捨ててしまっていいはずがない。
 言論をめぐるこの現状をどう考え、この状況にどう対応すべきかを、近著『心が支配される日』でも言論問題に切り込んでいるジャーナリスト斎藤貴男の司会のもと、映画監督の森達也氏と新右翼の開祖鈴木邦男氏に、戦後の言論の自由が、宝の持ち腐れとならないために考えるべきことを、徹底的に議論してもらった。
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放送日 2008年04月19日(PART1:83分 PART2:47分)
これでいいのか、日本の排出量取引

ゲスト:諸富徹氏(京都大学大学院経済学研究科准教授)

 今年から京都議定書の第1次約束期間がスタートし、条約を批准した各国は温室効果ガスの削減を本格化しなければならな
い。京都議定書が締結されたCOP3京都会議で決められた京都メカニズムと呼ばれる温室効果ガスの削減方法のひとつが、排出量取引だ。
 排出量取引は、各事業所に排出できる温室効果ガスの量を割り当て(キャップ)、その枠を超えて排出した事業所が、枠に余裕のある事業所との間で排出する権利を売買する(トレード)ことを可能にする制度だ。日本では、政府がハンガリーから排出枠を購入する他、日本の商社や金融機関も国際的な排出量取引をすでに行っているが、日本国内の排出量取引は、財界の反対が根強いために、まだ制度すら立ち上がっていない。しかし、地球温暖化を主要テーマとする洞爺湖サミットが近づくにつれ、排出量取引の導入が論議の的になってきている。
 EUは、世界に先駆けて05年にヨーロッパ域内排出量取引制度をスタートさせ、排出量取引の実績を着々と積んでいる。また、連邦レベルでは京都議定書から離脱しているアメリカも、州レベルでは、東部の10州が「RGGI」と呼ばれる排出量取引市場を立ち上げた他、ブッシュ政権は「2025年までに排出量増加を食い止める」と宣言するなど、ようやく重い腰を上げ始めている。ま
た、今年秋の大統領選の結果次第では、アメリカの地球温暖化政策が劇的に変わる可能性が高い。
 排出量取引の専門家で、経済産業省にもその導入の重要性を訴えてきた京都大学の諸富徹准教授は、「このままでは、日本は、世界から取り残されてしまう」と危機感をあらわにする。
 日本では、洞爺湖サミットを直近に控え、経済産業省の「地球温暖化対応のための経済的手法研究会」や首相直轄の「地球温暖化に関する懇談会」などが、ようやく「排出量取引」を議題として取り上げ始めた段階だ。しかし、省エネ対策が進んでいる日本では、経産省や経済界に京都議定書自体を不平等条約と考えている傾向が強く、事業所ごとの枠の割り当て(キャップ)という形で、強制的にCO2の排出量削減を迫る排出量取引制度には、まだまだ財界の反対が根強い。
 しかし、EUが排出量市場の立ち上げによって着々と脱炭素化した産業構造の構築を進め、アメリカも舵を切るのは時間の問題と見られる中、世界規模の脱炭素化社会への流れは止めようがない。今、日本がなんらかの対策をとらない限り、21世紀の国際社会の中で日本が様々な面で不利な立場になることは避けられないのではないかと、諸富氏は懸念する。
 どうせ脱炭素化が避けられないのであれば、多少の痛みを伴ったとしても、自ら進んで制度を導入し、少しでも有利な状態を作るか、あるいはぎりぎりまで抵抗して、最後は世界の趨勢や市場の圧力に屈する形で不利な制度を飲ませられるか。どちらが本当に国益に適った判断かは、今こそ大いに議論する必要があるだろう。
 今週のマル激は、EUを中心に広がり始めた世界の排出量取引の現状と課題を明らかにした上で、日本の取るべき選択を考えた。
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放送日 2008年04月26日(PART1:61分 PART2:33分)
世界が嗤う日本のM&A

ゲスト:牧野洋氏(経済ジャーナリスト)

 日本では企業経営者も株主も、M&Aがお嫌いなようだ。今や上場会社の10%がポイズンビルなど何らかの買収防衛策を導入しているという。また、株主も、企業価値をあげてくれる可能性が高い外資企業やファンドを、「ハゲタカ」呼ばわりして忌避する風潮が根強い。
 企業を安く買いたたき、リストラなど容赦ない経営合理化を要求した上で、高く市場で売り抜けるタイプのM&Aが、日本の伝統的な共同体的企業文化とそりがあわず、忌避されるのは分からなくはない。
 しかし、その一方で、買収によって、これまで日本企業の経営陣がさぼってきた経営努力が、株主圧力という形で進むことに
は、企業の競争力強化という意味で一定の意義があることも間違いない。また、日本の企業が海外では積極的に企業買収を行っておきながら、国内では買収に対して過度に防衛的となっている実態は、日本の市場の不透明さや不公正さの反映をみられることが避けられない。
 確かに近年、外資系の企業やファンドが日本企業の株式を取得して、経営陣に経営の合理化や役員の交代などの圧力をかけるケースが目立ってきてはいるが、とはいえ日本国内のM&Aは世界の実情とは大きな開きがある。
 2005年の日本の対外直接投資は457億ドルで、蘭、仏、英に次いで世界で第4位を誇っているが、海外からの投資対象としては、日本はわずか27億ドルと世界の50位にとどまっている。また、2007年に実施されたM&Aの金額ベースで見ても、日本は世界の2.8%を占めるに過ぎない。こうしたテータをみても、世界のGDPの8〜9%を占める世界第二位の経済大国としては、世界のM&Aの流れに大きく乗り遅れてることは否定できない。
 対外投資と対内投資に20倍もの格差が生じている原因は、日本の市場や企業にそれだけ魅力が無いからに他ならないが、その背景には企業経営に対する日本の経営者の非常識な感覚が大いに関係していると、世界のM&A事情に詳しい牧野洋氏は指摘する。
 牧野氏は、外資系ファンドの多くは、株主として資本主義社会では当たり前の要求をしているに過ぎず、むしろ、日本が、世界の常識とはまったく違った日本独自のルールで企業の経営が行われており、それを株主も、社会も支持してしまっているのが日本の現状だと言う。
 例えば、日本でM&Aが行われる時は、買収金額や企業価値は二の次で、まず企業名や本社所在地などの面子が問題になるなど、株主の利益は完全に蚊帳の外に置かれている。しかし、それに対して、株主から抗議が起きることは稀で、むしろ、多くの株主が自らの利益を損なうような経営選択を支持するほどだと言う。
 また、日本全体で、「儲けを嫌う」ような価値観が支持される風潮があり、裁判所がスティールパートナーズを「濫用的買収者」と認定し、マスコミが外資系ファンドを「ハゲタカ」と呼ぶようなことが、平然と行われている。
 こんな世界の常識からかけ離れた経営を行い、社会がそれを支持する状態が続くようでは、日本は世界の投資家から見放さ
れ、孤立する一方だと、牧野氏は大いに懸念をする。
 また、ここに来てM&Aを巡り別の次元の問題が持ち上がっている。外資が日本空港ビルデングやJパワー(電源開発)の株を大量取得したことが明らかになると、政府が安全保障を理由に外資規制に動くというようなことが相次いで起きている。実際に安全保障上の脅威があるのであれば政府が対応しなければならないことは言うまでもないが、ならばなぜそのような企業を上場させたのか。資金調達など上場の旨味だけは享受しておきながら、安全保障を理由に買収のリスクは負わないというようなことが、国際的に通用するだろうか。件のスティールパートナーズも、ブルドックソースの買収防衛策への異議が裁判所に認められず、TOBを諦めざるを得なかった。こうした事例は単に日本の経営者や株主の行動原理が非常識なわけではなく、日本の政府や法制度までが、国際的に異質なものであると受け取られる可能性が高い。
 しかし、その一方で、アングロサクソン的な原理主義的市場原理や株主至上主義を全面的に受け入れ、遅ればせながら日本もM&Aレースに全面参加することが、果たして日本にとって本当に正しい選択なのかどうかについても、今一度考察してみる必要がありそうだ。
 近著「不思議の国のM&A」の著者と、M&Aを通して見えてくる世界の常識と日本の非常識について、議論した。
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放送日 2008年05月03日(PART1:74分 PART2:46分)
思いやり予算、そろそろやめませんか

ゲスト:田岡俊次氏(軍事ジャーナリスト)

 去る4月、国会が年金や日銀総裁の人選、ガソリンの暫定税率論議でにぎわう中、参議院で歴史的なできごとが起きていた。野党主導の参院が、憲政史上初めて、外国との条約を否決したのだ。
 4月25日、いわゆる思いやり予算として知られる在日米軍駐留経費の日本負担分を定めた新特別協定案を3年間延長する案
が、参議院で否決された。日米協定は条約とみなされるため、憲法61条で外国との条約には衆院の優位が定められていることから、協定そのものは難なく延長されたが、民主党の支持率が自民党を上回り、政権交代が現実味を増す中、野党が思いやり予算を否決したことの意味は大きい。
 思いやり予算は、元々日米地位協定で日本側に負担義務の無いはずの米軍駐留費用の一部を日本が負担することになった際に、法的根拠を問われた当時の金丸信防衛庁長官が、苦し紛れに「知り合いがお金に困っているとき、思いやりの気持ちを持つのは自然でしょう」とはぐらかした結果、「思いやり予算」と呼ばれるようになったというものだ。
 日米地位協定では米軍が基地に使用する土地や施設の提供及びその補償費用以外は、全て米政府が負担することが明記されている。しかし、1970年代に入り、ドルショック以降の急激な円高やベトナム戦争の泥沼で経済的に疲弊した米国側から、基地で働く日本人職員の手当の杜撰さが批判されるようになった。基地従業員の労働組合との板挟みになった日本政府が1978
年、年間62億円の日本人従業員の労務費の手当部分を負担することになったのが、事の始まりだった。
 しかし、それが「蟻の一穴」(田岡氏)となり、その金額はその後ウナギ登りに増えていく。この4月の新協定延長を受けて、今年度日本側が負担する思いやり予算は2083億円にのぼる。その範囲は、当初の日本人従業員の手当部分を遙かに超え、今や全従業員の給与と手当の全額の他、光熱費や住居、娯楽施設の整備費などが全て含まれている。今国会でも、なぜ日本国民の税金で、米軍人や軍属のためのネイリストやゴルフ場のキャディーの給与まで払う必要性があるのかが、野党議員から追求されている。
 軍事ジャーナリストの田岡俊次氏は、「思いやり」という法的な根拠もない理由で、支払う義務がないものを払い始めたことが、そもそも間違いの始まりだったと指摘する。そうでなくとも日本人にとっては不公正きわまりないと批判されることの多い日米地位協定にさえ負担義務が課せられていないコストまで、「思いやり」などいう意味不明の理由で負担をしてしまったために、その後米側から増額要求を突きつけられたときに、日本政府はそれを拒絶する根拠を失ってしまった。法的根拠などなくとも気前よく費用負担をしてくれる日本に対する米側の要求がエスカレートしないはずがない。
 田岡氏によると、在日米軍の駐留に関する日本の負担分は、実際には思いやり予算よりも遙かに多く、政府が無償で提供している基地の地代なども含めると、既に年間6000億円を越えているという。ドイツや韓国などにも米軍は駐留しているが、日本の負担額は桁違いに大きい。
 田岡氏はまた、思いやり予算が漫然と支払われてきた背景にある、「在日米軍は日本を守ってくれているのだから」という認識に、大きな事実誤認があると指摘する。在日米軍の戦力をつぶさにみれば、日本を防衛する目的にかなった装備や編成にはなっていないことは一目瞭然であり、むしろ実態としては、在日米軍を自衛隊が守るような状態になっていることがわかる。97年の日米防衛協力のための指針でも、日本の本土防衛の「プライマリー・リスポンシビリティー」(一義的責任)は自衛隊にあることが明記されているように、日本が在日米軍の駐留を必要としているとの認識は、「冷戦体制下でできあがったある種の思考停止状態」に他ならないと、田岡氏は嘆く。
 また、台頭する中国や暴発の危険をはらんだ北朝鮮の脅威に対応するためには在日米軍が必要との主張に対しても、実態を見れば、朝鮮半島から徐々に米軍は引き上げており、米国が、中国や北朝鮮、ロシアなどをもはや重大な脅威とはみなしていない事は明らかだ。むしろ、日本が気前よく思いやり予算などを払ってくれるので、米国は経費削減目的で軍隊を日本に駐留をさせているのが実態なのだと、田岡氏は怒る。
 しかし、今回野党が思いやり予算を否決したことで、もし野党が政権の座についたときに、思いやり予算問題、ひいては在日米軍問題にどう対応するかも、大きな争点になる可能性が出てきた。思いやり予算問題への対応が、日本が日米同盟のあり方に対する思考停止から抜け出すための、一つのきっかけとなるかもれない。
 今回は、思いやり予算の経緯と中身を検証し、そこから透けて見える現在の日米同盟が抱える矛盾や今後の日本の戦略を、日本屈指の防衛専門家の田岡氏と、じっくり議論した。
 
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