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マル激トーク・オン・ディマンド 第37巻(第371〜380回収録)詳細
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放送日 2008年05月10日(PART1:63分 PART2:31分)
著作権は誰のためにあるのか

ゲスト:福井健策氏(弁護士)

 5月8日、iPodなどの携帯音楽プレーヤーと、テレビ番組を録画するハードディスク内蔵型レコーダーの小売り価格に「著作権料」の一部を上乗せする補償金制度の導入方針を文化庁が提言した。これは既にMDやDVDにかけられている「私的録音録画補償金」を、iPodなどインターネットを通じてコンテンツをダウンロードする機器にまで広げようとするもので、導入されれば数百円程度の補償金が消費者価格に上乗せされることになる。ネット配信が、音楽やビデオ流通の主流になってきている現状を踏まえた措置とされるが、今後パソコンなどにもその対象が広がる可能性も示唆しており、今後利用者サイドからは強い反発が予想される。
 この例を見るまでもなく、デジタル技術の発達やインターネットの普及で、高品質の複製や不特定多数への配信やダウンロードが容易に可能になり、著作権をめぐる新たな問題が次々と持ち上がっている。しかし、ネット時代の著作権をめぐる新しいルール作りの方は、迷走を続けている。そしてその背景には、そもそも著作権が何の目的で誰のために存在するのかについての基本的な認識が共有されておらず、またそのような議論が一向に広まらない中で、利害当事者だけが自分たちの利益のぶつけ合いを繰り返していることにあると、国内外の音楽や映画などの著作権について詳しい弁護士の福井健策氏は指摘する。
 言うまでもなく著作権とは本来、クリエーター(創作者)が価値のある著作物を創作したことへの対価を確保するためのシステムで、それが認められることで、人々に文化的な価値のある創作を行うインセンティブを与えようというもの。何か著作物を作っても、簡単に人に盗作されてしまったり、金銭的な対価を得ることができなかったりすれば、苦労して意味のある著作物を残そうという人はいなくなる。しかし、それではその国にとっても人類全体にとってもマイナスとなることから、著作権という形で創作者の権利に一定の保護が設けられている。しかし、その一方で、保護を手厚くし過ぎると、せっかく意味のある著作物が作られても、それが広く普及したり、大勢の人がその文化的な価値を享受する妨げとなってしまい、著作権保護の本来の目的が損なわれてしまいかねない。
 どの程度まで創作者の権利を保護し、どの程度自由な流通を認めるべきかは、それぞれの社会でのコンセンサスで決まるものであり、「文化の多様性・豊かさや、それへの人々のアクセスを可能にする」という著作権の目的を踏まえた大きな視点での議論を進める必要があると、福井氏は語る。
 しかし、著作権をめぐる議論の現状は、著作権者や著作権管理団体、コンテンツ産業など著作権保護に立つ側と、放送局など各種メディア、インターネット産業関係者、利用者など利便性を促進したい側の、それぞれの利害当事者間の利害対立に終始している感が否めない。両者には深刻な利害対立が存在するため、感情的な議論になりやすく、それがルール作りを困難にしていると福井氏は語る。iPodへの課金問題も、私的複製がこれ以上拡大すれば、コンテンツ産業全体のビジネスモデルを破壊するという危惧から、著作権保護を推進したい業界側が導入を主張してきたが、これにはメーカー側やユーザー側は当然強く反発してきた。ユーザー側には複製を不可能にするDRMが普及している現状で、さらに補償金をとるのは二重課金に当るとの意見や、また、YouTubeやニコニコ動画など動画配信サービスへのアップロードは、仮に違法であっても著作権の侵害自体はコンテンツの宣伝効果によって十分相殺されているため、損害は発生していないとの利用者側の主張にも一定の妥当性はある。
 福井氏はまた、日本では新しいメディアとそこでの私的複製が、著作権についてどういう効果をもたらしているのかなど、実証的な研究がほとんど行われていないため、賛成反対の両陣営ともに、曖昧な議論を繰り返しているのが実情で、ルール作りを進めようにも、社会的なコンセンサスが得られにくい状況があると指摘し、調査研究の必要性を訴える。
 しかし、その一方で、著作権先進国と言われる米国や欧州の仕組みが、日本より優れているとも言い切れない面があると、福井氏は注意を喚起する。例えば、著作者人格権を認めていない米国では、著作権は単なる売買の対象となっており、著作者や出演者が望まない改作が、プロデューサーの一存で当然のように行われる。著作者人格権が含まれる日本の著作権法制では、改作には著作権者の許諾が必要で、それが二次利用や流通促進の妨げになっている面もあるが、その分著作者たちの創作意欲が高く保たれていると考えることもできる。
 今週は、iPodへの課金問題や、JASRACへの公取委の立ち入り検査、YouTubeが提起している著作権問題などの検証を通じて、ネット時代の著作権をめぐる諸問題についてじっくり議論した。
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放送日 2008年05月17日(PART1:54分 PART2:68分)
日本が再生可能エネルギーを推進すべきこれだけの理由

ゲスト:飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)

 7月の洞爺湖サミットを前に、来月発表される「福田ビジョン」では、2050年までに温室効果ガスの60〜80%の削減という思い切った目標を日本として打ち出すことが報じられている。しかし、その実現可能性については大いに疑問が残る。なぜならば、エネルギー政策の抜本的な転換を抜きに、80%ものCO2を削減することは難しいと考えられているにもかかわらず、日本は世界の先進国の中でも、エネルギー政策の転換が大きく遅れを取り始めているからだ。
 現在、欧米では温室効果ガス削減の根本的な解決策として、再生可能エネルギーが注目され、各国ともその開発や普及に本格的に力を入れ始めている。中でもドイツの伸びが突出しており、2030年までにエネルギーの45%を再生可能エネルギーで賄う目標をたてているほどだ。地球温暖化問題には後ろ向きと批判されることの多い米国でさえ、2020年に15%という目標をたてているが、日本は2014年までに使用電力の何と1.63%を再生可能エネルギーで賄うことを義務化しているに過ぎない。明らかに桁が違うのだ。
 「世界から見れば、日本の数値目標はジョークにしか思えない」と再生可能エネルギーの普及に尽力してきた環境エネルギー政策研究所の飯田哲也氏は苦笑し、世界の趨勢から取り残されつつある日本の状況を嘆く。
 再生可能エネルギーとは、風力、太陽光、太陽熱、地熱、バイオマス、水力、波力など、何度も資源が再生するエネルギーのことを指す。石油や石炭などのように枯渇することもなく、地域的に偏在がないため、地政学上のリスクがない。化石由来燃料とは違い、温室効果ガスがほとんど出ないため、温暖化防止対策としても最も好ましいエネルギー源なのだ。
 日本のようにエネルギー資源をほぼ100%輸入に頼らざるを得ない資源小国にとって、再生可能エネルギーは21世紀の夢のエネルギー源と言っていいだろう。
 しかし、その日本が、既存の化石燃料や問題の多い原子力から再生可能エネルギーへの転換が図れずに、世界の趨勢から取り残されつつある。再生可能エネルギーの中で最も普及している風力発電で日本は、ここ数年の間に中国やインドにも抜かれて、現在、世界13位にまで落ちている。2004年まで発電量では世界一を誇っていた太陽光発電でも、累積導入量を2005年にドイツに抜かれて以来、差は開く一方だ。
 90年代にスウェーデンやデンマーク、ドイツが再生可能エネルギーを政策的に優遇することで普及を一気に増やしたのを横目
に、日本はもっぱら原子力偏重のエネルギー政策を進め、再生可能エネルギーを軽視してきた。軽視どころか、むしろ次々と補助金を打ち切るなどして、市場を縮小させるような政策をとってきたのが実情だ。
 飯田氏は、ドイツやスペインの成功例から、再生可能エネルギーを普及させるために何が必要かは十分わかっており、あとはそれを実行する政治的な意思があるかどうかだけが問われていると指摘する。しかし、新しいエネルギーの台頭は、既存のエネルギー産業、とりわけ電力会社の権益と真っ向から衝突するため、経済産業省も政治も、電力会社の政治力の前で、わかりきった施策を実行に移すことができないでいると言うのだ。
 再生可能エネルギー普及の遅れは、他の面にも悪影響を及ぼし始めている。かつて、世界の太陽光発電機器のシェアではシャープを筆頭に日本企業が上位を独占してきたが、ここにきてシャープはついにドイツのメーカーQセルにトップの地位を奪われてしまった。現在世界3位にある中国の太陽光発電専門メーカーのサンテックは、ナスダックに上場し、猛烈な勢いでそのシェアを伸ばしている。
 ドイツは、再生可能エネルギー関連産業を「21世紀の自動車産業」とまで位置づけ支援し、17万人の雇用創出をし、2兆5000億円の経済効果を発生させている。産業政策的にも、再生可能エネルギーの可能性に目をつぶり続けることはできない状況となっているが、この期に及んでも、日本は舵を取ろうとしないのはなぜか。
 今週は、イラク戦争、原油高と、これほどまでに化石燃料依存のリスクが顕在化し、欧米諸国や中国インドなどの新興国まで再生可能エネルギーを一気に伸ばす中、本来であれば真っ先にそれを推進していなければならないはずの資源小国日本は、なぜいまだに二の足を踏み続けているのか、またその結果がどのようなリスクを生んでいるのかなどを、日々この問題と格闘している飯田氏とともに考えた。
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放送日 2008年05月24日(PART1:53分 PART2:24分)
自動車産業が日本から消える日

ゲスト:土屋勉男氏(明治大学政治経済学部客員教授)

 2007年、トヨタ自動車が、自動車生産台数でGMを抜いて初めて世界のトップとなった。トヨタの08年3月期の営業利益は、過去最高を記録し、世界各地に積極的に拠点作りを進めた成果が実ったとされているが、その一方で、09年3月期の営業利益は3割減という厳しい予想を発表している。他の日本のメーカーも09年3月期の営業利益について、軒並み3割減から、5割減という厳しい見通しを出している。
 決算発表の席で、渡辺捷昭トヨタ自動車社長は「昨年後半から今年に入って潮目が変わった」と語り、日本の自動車産業を取り巻く環境に大きな変化が起きていることを示唆した。今回は、その大きな変化とはなにか。そして、一見我が世の春を謳歌しているかに見える日本の自動車産業の深層で何が起きているのかを、自動車産業に詳しい明治大学政治経済学部客員教授の土屋勉男氏を招いて議論をした。
 世界を席巻してきた日本の自動車産業は現在、ふたつの大きな問題に直面していると土屋氏は語る。ひとつが、2013年のポスト京都議定書をにらんだ環境対策であり、もうひとつが、インドや中国など新興国のメーカーとの競争だと言う。土屋氏は、この2つは、これまで日本の自動車メーカーが直面してきたものとはまったく質の異なる戦いを強いられていると指摘する。
 今まで、日本の自動車産業は、危機にいち早く対処することで、ピンチをチャンスに変えてきた。70年代、80年代は、石油ショックや米国の排ガス規制にいち早く対応し、燃費のいい小型車を他国のメーカーに先んじて投入することに成功した。90年代の円高には、徹底的な合理化と現地生産を進めることで乗り切った。00年代の地球温暖化対策に対しては、いち早くハイブリッド車の実用化を実現し、圧倒的な優位を保った。しかし、これまでのような、優良な技術を開発し、対応を素早く行うだけでは、これからの市場の変化には対応できないと土屋氏は憂う。既に欧州のメーカーはクリーンディーゼル車普及のために連合を作り、そこにホンダも一部加わった状態で、さながら「トヨタ包囲網」が形成されている。
 また、今後の市場については、これから需要が拡大する中国やインド、ブラジルなど新興国に、日本メーカーも焦点を移さざるを得なくなっている。しかし、新興国の市場は、欧米の市場とはまったく異質であり、日本のメーカーの苦戦が見込まれる。インドのメーカー・タタが発表した「ナノ」は、25万円台という低価格で、インド国内の中流層をターゲットにしているが、このような低価格のエントリーカーが今後世界標準になる可能性は高い。そうなったとき、日本のメーカーの、高い技術に裏打ちされた伝統的な高付加価値戦略が通用するのか。また、日本の自動車メーカーが果たして、低付加価値戦略に転じることができるのか。土屋氏は疑問を投げかける。
 一方、国内の市場に目をやると、若者の車離れやガソリン価格の高騰などから、日本では今年に入って3ヶ月連続で自動車の保有台数が減少し、自動車市場の縮小がいよいよ現実のものとなっている。今や、日本の主要メーカーの多くは、海外での生産台数が国内生産を上回っており、利益の多くを海外で得ている自動車メーカーが日本に本拠地を置き続けるメリットは失われつつある。
 しかし、20世紀の日本の経済発展を支えた日本の自動車産業が直面する挑戦は、「ものづくり」という21世紀の日本の国作りの柱となる理念にも、大きく影響する。ものづくりを失った日本は、この先何を糧として国を興していくのかも、考えなければならないだろう。
 今回は、一見絶好調のように見える日本の自動車産業の裏で起きている未曾有の変化について、議論した。
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放送日 2008年05月31日(PART1:92分 PART2:73分)
5金スペシャル
なぜ日本人は死刑が好きなのか


 3ヶ月ぶりとなる無料放送の5金スペシャルは、現在公開中の死刑をテーマにした3本の映画を通じて、死刑と日本の現状を、神保、宮台のマル激クラシックスタイルで語り倒してみた。
 世界では多くの国が死刑を廃止する傾向にあり、今やOECD加盟国(先進国)で国として死刑を実施している国は日本だけになっている。(OECD加盟国のうち、制度として死刑が残る国は日本の他、米国と韓国があるが、米国は50州のうち36の州で死刑を実施しているものの、国としての死刑制度は存在しない。また制度としての死刑が残る韓国も、1998年以降その執行を停止しており、実質的な死刑廃止国に数えられている。EUは死刑廃止が加盟条件となっている。)
 しかし、日本だけは世界の趨勢に反して、死刑制度をむしろ強化する方向にある。昨年、日本では23人の死刑が確定した。確定死刑数が20件を越えるのは1961年以来の高い水準だ。また、執行された死刑数9件も、32年ぶりに高い水準だ。数年前から日本では死刑判決の数も執行数もともに急増しているが、それでも最近の世論調査では、8割が死刑制度を支持していることが明らかになっている。
 この日本の状況をどう見るか。発展途上国には死刑制度が残る国も多いことから、単に日本が先進国として遅れているということなのか。それとも宗教的、文化的に何か日本の特殊性があるのか。
 最近、死刑をテーマとする3つの映画が相次いで公開されている。
 死刑を執行する刑務官の葛藤がテーマの『休暇』(門井肇監督)、死刑囚とその死刑囚に自分を重ね合わせる女性の間の不思議な恋愛感情を描いた『接吻』(万田邦敏監督)と『ブレス』(キム・ギドク監督)だ。
 これらの映画はいずれも、死刑という制度の持つ特殊性や現実、矛盾などをフックに、その周辺で生きる人間の複雑な感情を描いたものだが、これまで日本では死刑という存在が一般社会からは隔離された言わば不可視な存在として扱われてきたことを考えると、ここに来て死刑が映画のテーマに取り上げられたことの意味は大きい。
 なぜならば、日本で死刑が広範に支持される背景に、そもそも死刑がどういうものであるかを、ほとんどの国民が知らないという事実があると思われるからだ。日本が絞首刑を実施していることさえ知らない人も多いし、絞首刑がどういうものなのか、その実体もほとんど語られることはない。言うまでもないが、死刑は主権者である私たち国民に代わって、国が代行している行政行為なのだ。
 また、現行の死刑制度のもとでは、本来は判決から半年以内に刑が執行されなければならないことが法律で定められている。しかし、実態は、確定死刑囚は平均で8年間、拘置所で刑の執行を待たされる。上記の3つの映画も、その、「いつ訪れるかもしれない、死を待つだけの長い待機期間」に生じるある種の特殊な精神状態をモチーフにしている。言うまでもないが、究極の刑罰である死刑判決を受けた受刑者には、罰としての刑期を務める義務は全く無い。
 死刑の実態が臭い物に蓋をするかのように覆い隠される一方で、犯罪報道における被害者や遺族の感情は、逆にメディアによって大きく取り上げられるようになっている。犯罪被害者の権利や感情的な救済も、長らく日本社会が見て見ぬふりをしてきた分野であることを考え合わせると、この問題に多くの人の目が向くようになったこと自体には大きな意味がありそうだが、どうもその情報の流れはバランスを欠いている感が否めない。
 そもそも死刑を始めとする国の刑事制度や司法制度は、単に当事者や関係者の感情的回復のみを目的とするものではない。死刑の実態に目を向けることなく、また死刑本来の意味やその目的を考察することなく、メディアが垂れ流す情緒的な情報に強く反応することで形成される、重罰化や死刑の強化を望む世論と、その世論に媚びる形で、これまでの判例や判決基準を無視し
て、ポピュリズムに与する司法行政の現状は、冷静に検証してみると、かなり危うい状態にあると言えそうだ。
 今週は死刑をテーマに据えた3本の映画を入り口に、死刑から見える日本の今を考えた。
(ビデオニュース・ドットコムでは金曜日が5回ある月はその月の5回目の「マル激トーク・オン・ディマンド」を5金スペシャルとして無料で公開しています。次回の5金は8月29日になります。)
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放送日2008年06月07日(PART1:78分)
抵抗勢力の本丸は政官財のステルス複合体にあり

ゲスト:中川秀直氏(自民党前幹事長)

自民党内で、増税をめぐる意見対立が鮮明になってきた。少子高齢化によって今後膨れあがる社会保障費の財源を消費税率の引き上げで賄い、財政再建を優先すべきと主張する増税・財政再建派と、増税に反対し、構造改革によって経済成長を図り、税収を延ばすことを主張する上げ潮派に、党内の意見が大きく集約されつつあるようだ。
 上げ潮派の中心が、安倍政権で幹事長を務め、小泉改革の正統的継承者を自認する中川秀直衆議院議員だ。中川氏は歳出の削減を徹底して行い、規制緩和などで経済成長率を高める「上げ潮政策」をとれば、「増税なしで財政再建は可能」と主張し、声高に増税反対を唱えている。また、5月末に上梓した新著『官僚国家の崩壊』では、有名なアイゼンハワー大統領の「軍産複合体」演説に準えた、エリート官僚を中心とする「ステルス複合体」が日本の改革を邪魔しているとして、更なる構造改革の推進を強烈に訴えている。
 その中川氏は日本が東大法学部を中心とするエリート官僚たちに巧妙に支配されており、政治が官僚をコントロールできていないことが、日本の改革が進まない最大の要因であると主張し、改革に反対するエリート官僚たちを厳しく批判する。選挙の洗礼を受ける政治家は、政策の失敗に対して責任を追及されるが、官僚たちは、匿名のまま、政策を作成し、それが失敗に終わって
も、結果責任をとることもない。政治家がいくら改革の旗を振ろうが、最大の既得権益者であるステルス複合体が改革を許すはずがない。彼らは官界を越えて、産業界、学界、マスコミまでを網羅した東大法学部人脈を通じて、相互に補完し合いながら、自分たちの力の保全を図っている。これが中川氏が日本の最大のガンになっていると断罪するステルス複合体の実態だ。
 しかし、今国会で成立した公務員制度改革法は、山県有朋以来続いてきた、官僚支配の転換点になり得るとして、この法案の成立と道州制の導入によって、明治以来の官僚を中心とする中央集権体制からの脱却を図ることの重要性を強調する。また、そのためには政治が政策立案を官僚に依存している現状を変える必要があると語り、議員の政策スタッフの拡充や霞ヶ関に対抗しうる民間のシンクタンクの必要性を訴える。
 「上げ潮政策」については、支出を削減し、規制を緩和し、新規参入を促す点では、新自由主義的な政策ではあるが、決して、市場原理主義政策ではないと、上げ潮批判に反論する。また、単に規制を緩和するのではなく、官から民へ権限を移譲する過程で、国民にパブリック(公共)の意識を育て、国民一人一人が主体的に社会と関われるようにするために、寄付税制を含めたNPO制度の拡充を図るべきだと主張する。
 今週は、「上げ潮」と「ステルス複合体打破」の2つの政策を掲げ、ポスト福田総裁レースに殴り込みをかけたと永田町でもっぱら取り沙汰される中川氏をゲストに迎え、日本がいかに現状を打破すべきか、そして中川氏自身は10年後、20年後にどのような国家像を描いているかなどを聞いた。
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放送日 2008年06月14日(PART1:65分 PART2:76分)
なぜ秋葉原なのか、なぜ携帯掲示板なのか、なぜ無差別なのか

ゲスト:ゲスト:東浩紀氏(批評家・東京工業大学世界文明センター特任教授)

 今回は、緊急特番として、先週日曜に東京・秋葉原で起きた通り魔殺人事件の背景を、若者文化やネット事情に詳しい批評家の東浩紀氏をゲストに迎えて、議論した。
 6月8日午後0時30分ごろ、秋葉原電気街の交差点に、2トントラックが突進し、通行人3人をはねた。その後、運転していた男はトラックを降りると、ダガーナイフで歩行者天国の通行人を次々と刺し、警察官に取り押さえられるまでの間に、17人を負傷させ、その内7人が死亡した。この凄惨な事件を引き起こした25歳の派遣社員・加藤智大容疑者は、「誰でもよかった」と犯行の動機を警察の取り調べに対して語っているという。
 今年に入ってから、土浦連続殺人事件や岡山線路突き落とし殺人事件など、若者が見ず知らずの人を殺傷する事件が相次いでいる。政治家や世の識者らは、動機が不可解なこれらの事件の原因を、若者が抱える『心の闇』に求め、ネットやゲームなど仮想現実の影響として、規制を加えようとしている。現に、町村信孝官房長官が、事件発生直後の記者会見でナイフの規制強化に言及しているほか、サーバーを管理する事業者にネット上の「犯行予告」の書き込みを事前に察知させ、警察への通報を義務づけようとする動きも出ている。
 しかし、そうした場当たり的な規制が、今回のような事件の再発防止に、僅かでも寄与するだろうか。今回の事件について東浩紀氏は、「おきるべくしておきた」と語り、この事件の背景には、若者の怒りと不満が爆発寸前まで蓄積している現状があるとの見方を示す。実際、加藤容疑者自身が、犯行直前まで続けていた携帯電話の掲示板への書き込みを見れば、彼が派遣社員としていつクビを切られるかもしれない身分に強い不安を覚え、社会に対してもやりどころのない不満を募らせていたことが、容易に推察できる。
 東氏は、実際にこのような事件が起きるはるか以前から、いわゆるロストジェネレーションと呼ばれる20〜30代の若者たちに、不満や怒りがたまっていることは目に見えて明らかだったと指摘する。だが、昨年、論壇誌で「希望は戦争」と語った赤木智弘氏が、社会からある種の驚きを持って迎えられたように、彼らの怒りのメッセージはマスコミに無視され、社会には届かず、政治にも反映されてこなかった。また、彼ら自身も、投票による行動やデモなどの政治行動が、彼らの状況を改善するとは到底期待できないと感じていた。政治的な表現の場を失った彼らが、怒りや不満を社会に訴える手段として、ネット掲示板があり、そしてその究極の形としてこのような凶行を選んだと考える方が、今回の事件はより正確に理解できるのではないか。それゆえに、東氏は今回の凶行を「テロ」と呼ぶべきだと言う。事実、ネット上では、加藤容疑者の犯行そのものは断罪しつつも、彼の置かれた境遇については、共感の声が多く寄せられているという。
 マスコミの報道などでは、加藤容疑者のゲームやアニメへの傾倒ぶりや携帯電話での書き込みを根拠に、オタクゆえに犯行現場を秋葉原に選んだとの分析が流布されているが、自身が真性のオタクを自認する東氏は、今や秋葉原は、繁栄する東京の人気観光スポットに成り下がっており、もはやオタクの聖地などという存在ではないと言う。秋葉原が犯行現場に選ばれた理由は、一般人も訪れる、現在の社会を反映し、注目される場であったことが大きいのであって、それを無理矢理ゲーム、アニメなどのオタク文化を結びつけることに、東氏は疑問を呈する。
 あくまでここまで開示された情報を元に判断するしかないが、加藤容疑者のゲームやネット、携帯とのつながりは、現代の若者としては何ら特別なものは窺えない、標準的なものだった。むしろ加藤容疑者の発言を追うと、彼には、携帯サイトに書き込む以外の外界とのコミュニケーションがほとんど存在しない、絶望的な孤独状態にあったことが推察される。東氏は、コミュニケーションが苦手で仮想現実に耽溺していると非難されるオタクたちの方が、むしろ安全であり、今回の事件では、そういう代替物すら持たない状況にある多くの若者を、いかに社会が包摂するかを考えるべきだと指摘する。
 今回は、凄惨な事件の背景と、若者をあそこまでの凶行に走らせるほどの絶望が何なのかを、東氏と議論した。
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放送日 2008年06月21日(PART1:29分 PART2:48分)
日本の「ガラパゴス」携帯の持つ可能性と課題

ゲスト:谷脇康彦氏(総務省総合通信基盤局事業政策課長)

 日本でもいよいよiPhoneが発売される。昨年6月から米国で先行発売され、すでに100万台を売り上げる人気を博しているiPhoneだが、規格の違いから、日本では発売されていなかった。このほど7月11日にソフトバンクから発売されることが正式に決まったが、これはiPhoneが現在日本で普及している3Gという携帯電話の規格を採用したことで初めて可能になったものだ。日本の携帯市場は、昨年末で契約数1億台を突破するほど世界有数の市場だが、世界の趨勢とは異なる規格を使っている上、機能面でも独自の進化を遂げており、「ガラパゴス」と揶揄されるほど、世界でもかなり特異な市場となっている。
 日本の「ガラパゴス」状態の証左と名指しされるのが、端末メーカーのシェアだ。ノキア、モトローラ、サムスン電子など世界市場で上位に入る端末メーカーの携帯が、なぜか日本ではほとんど普及していない一方、日本では幅をきかせている日本の端末メーカーが、国外ではまったくシェアをとれていない。日本では25%のシェア占めるシャープや、パナソニック、富士通などの国産メーカーは世界市場では、合わせても10%以下のシェアを占めるに過ぎない。
 また、機能面でも日本の携帯電話はかなり特殊だ。世界の多くの国々で携帯電話は単なる通話ツールとして普及しているのに対し、日本ではメールやデータ通信に使用される比重がかなり大きい。それが多機能高性能の端末を次々と生み出し、データ通信に適した第3世代の規格が世界に先駆けて普及した背景でもあるが、それが逆に日本の携帯料金の高さの原因となってい
る。
 実際、日本の携帯電話料金は他国と比べてとても割高だ。もともと通話料金が高い上に、高価な高性能端末を安く販売する代わりに、毎月の通話料金でこれを回収することを可能にする販売奨励金分が上乗せされているからだ。日本では極端な場合端末は無料で購入できるが、これはキャリアから販売店に販売奨励金が支払われているためだ。この奨励金のために、販売店は本来の端末原価より安い価格で販売でき、キャリアは月々の通話料でそれを回収する仕組みになっている。販売奨励金のおかげで実際は高価な高性能端末が売りやすくなっている反面、ユーザーは高い通話料金を払わされることになる。同じ端末を長く使う人ほど、また通話の多い人ほど、損をする仕組みでもあり、不公正との指摘も根強い。
 こうした日本独自の「携帯文化」が、海外のメーカーが日本でシェアを伸ばせない原因であると同時に、日本のメーカーが日本で培った技術を世界で活かせない理由にもなっている。しかし、総務省でモバイルビジネスの振興の旗振り役を努めてきた谷脇康彦氏は、日本のこの特殊な携帯文化こそ、これから日本にとっては大きなチャンスになると語る。高速でネットにアクセスできる3G携帯がこれほど普及している国は他にはなく、海外の企業は日本で成功することが、明日の世界の携帯電話ビジネスの成功を約束すると見て、日本進出の機会をうかがっていると指摘する。見方によっては、日本が世界から取り残されているのではな
く、世界の一歩先をいっているというのが、谷脇氏の見立てだ。
 しかし、日本がその技術的な優位性を確たるものにするためには、一層の規制緩和と競争が不可欠であると谷脇氏は指摘す
る。谷脇氏も参加する総務省の研究会「モバイルビジネス研究会」(通称モバ研)は、販売報奨金の見直しや各キャリアがユーザーの囲い込みのために行っているSIMロックの解除、MVNO(ネットワークを持たないサービス業者)の新規参入の促進などの提言を行っている。
 日本の携帯電話市場は、キャリアの力が圧倒的に強く、キャリアを中心とした垂直統合型の関係の中に、端末メーカーや代理店、コンテンツ・アプリケーション業者などが極めて閉鎖的な関係を築いている。また、コンテンツ面でも日本ではキャリアによる囲い込みが当たり前のように行われ、キャリアに認定されない限りは、公式サイトからはたどり着けなくなっている。通常のサイトが「勝手サイト」などと呼ばれていることも見ても、キャリア主導であることは明らかだ。谷脇氏は、規制緩和によって、このキャリア主導の体制を、よりユーザー主導の体制に変えていくことが日本の携帯市場が世界に通用するための条件となると説く。
 課金や認証システムをキャリアから切り離せば、MVNOの参入は進み、新しいビジネスが登場する可能性も高い。現に、公式サイトを上回る水準で、勝手サイトは伸びており、利用者側には新たなコンテンツやサービスを求めるニーズは高まっている。谷脇氏は、いずれは携帯電話市場も、インターネットの有線接続サービスのように、利用者が端末からネット接続サービス、コンテンツに至るまで自由に選択でき、参入が容易な水平分業型ビジネスを目指していくべきであり、将来は有線も、携帯の垣根を越えて、大きなネットワーク上であらゆる端末がつながった状態が作り出されていくだろうと、携帯電話の未来図を描く。
 今回は、iPhoneの日本上陸の意味と、日本の携帯電話市場が世界の流れとどのように乖離しているのか、またそれは私たち消費者にとっては何を意味するのか、そして、未来の携帯電話はどのように進化していくのかなどを、総務省の携帯電話行政のキーマンと議論をした。
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放送日 2008年06月28日(PART1:62分 PART2:29分)
死ぬか殺すかまで若者を追いつめる労働現場の現実とは

ゲスト:雨宮処凛氏(作家)

 秋葉原連続殺人事件は、結果的に派遣社員の過酷な勤務状況に社会が注目するきっかけとなっているようだ。既に舛添要一厚生労働大臣は、「日雇い派遣の原則禁止」の方針を打ち出すなど、事件の衝撃性から政治もいつになく敏感に反応している
が、派遣社員やフリーターが抱える問題を取材し、彼らの待遇を改善するための運動に参加してきた作家の雨宮処凛氏は、派遣労働者の待遇が改善されることは歓迎する一方で、自分たちが長年訴えても通らなかった要求が、この事件のおかげで一気に通ってしまったことを複雑な感情で受け止めていると言う。
 今回の事件が起きる前から、派遣社員やフリーターなど非正規雇用で働く人々には、人とすら扱われないような、追いつめられた状況があったと、雨宮氏は言う。氏の元には、「通り魔になりたい」や「みんな殺してやる」というような物騒なメールが以前から寄せられおり、事件の発生を聞いた時、「ついにやったか」との感想を持ったと語る。
 派遣労働者の中でも、加藤容疑者のように地方の製造業で寮生活を送る人は、一度派遣として働きはじめたら、働き続ける
か、ホームレスになるかのギリギリの状況に追い込まれやすいと雨宮氏は指摘する。
 実際、派遣労働者は時給制のため、特に賃金の低い地方では、長時間の残業をしてやっと生活ができるだけの報酬を得ることができるのが実情だ。この少ない収入の中から寮費や光熱費をひかれ、多くの場合、ギリギリ生活ができる程度の年収100万円台しか手元には残らない。また、派遣先の都合で突然解雇されることは当たり前で、1年に数カ所の職場を転々とすることもよくある。
 さらに過酷な条件を強いられているが、「日雇い派遣」で働く人たちだ。毎夜メールで派遣先を提示され、翌朝指定の場所に集まる。1日ごとに次々と職場を変わる上、翌日仕事にありつけるかがどうかがわからないため、翌日の予定すら立てられない。ケガをしたり、病気をしたら、日々の収入が途絶え、簡単にホームレス化してしまう例を雨宮氏はたくさん見てきたと語る。
 若者たちがこのような絶望的な雇用環境に追い込まれる背景には、派遣法の過度な規制緩和がある。1986年に人材派遣法が施行された当初は、非正規雇用の対象となる業種は非常に限られていた。ところが、99年の派遣法改正で、派遣できる業種が原則無制限になり、04年に製造業も解禁となると、多くの企業がコストダウンのために正社員を派遣社員に置き換えるようになった。労働市場の規制緩和の一方で、政府はセーフティネットの整備を怠ったため、今や多くの企業で、派遣社員は名前ですら呼んでもらえないような非人間的な扱いを受けるケースが後を絶たないという。
 雨宮氏たちが運動を通じて求めていることは、「せめて人間らしい働き方を」や「生活できる賃金を」というささやかなものだが、これまでそれすらも理解されなかったと雨宮氏は不満をあらわにする。
 今週は派遣労働をはじめとした若者たちの過酷な雇用状況の実情と、そのような状況がいかに彼らを追いつめているか、そしてそれを改善するためには何をしなければならないかを、過酷な非正規雇用の現場を数多く見てきた雨宮氏とともに議論した。
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放送日 2008年07月05日(PART1:50分 PART2:102分)
炭素税はCO2排出削減の決め手となるか

ゲスト:足立冶郎氏(NGO「環境・持続社会」研究センター事務局長)

 洞爺湖サミットに向けて発表された「福田ビジョン」で、日本政府は2050年までに温室効果ガスの60〜80%削減、排出量取引の試験的導入など、いくつかの踏み込んだ方針を打ち出している。しかし、その中に環境税の文言が含まれていたことはあまり注目されていない。実際には「低炭素化促進の観点から税制全般を横断的に見直す」との遠まわしな表現にとどまってはいる
が、首相の口から「環境税」という言葉が語られたことの意義は非常に大きいと、炭素税研究会のコーディネーターとして環境税(欧米では炭素税と呼ばれることが多い)導入を提言してきた足立氏は前向きに評価する。
 すでにノルウェーやオランダ、デンマーク、ドイツ、イギリス、スイスなどのほか、アメリカやカナダの一部の州などで導入され、CO2の排出削減に効果を上げている炭素税は、製品のCO2排出量に応じて一定比率の税がかけられるため、生産や販売、輸
送、使用の際に排出されるCO2の量が多い製品ほど税額が大きくなり、消費者にとっては割高となる。また、企業も排出量削減に努力をすれば税負担が軽減される上、自社製品の市場での競争力も高まる。つまり、炭素税は一旦導入すれば、市民も企業も経済合理的に行動するだけで、社会全体としてCO2の排出量を削減することが可能となる制度といっていいだろう。
 足立氏は、排出量取引が、産業界など大口の排出を抑制する効果が高いのに比べて、炭素税は、個人を含めたあらゆる排出源に対して横断的な効果が期待でき、この2つが同時に実施されることで、さらに効果が高まるという。
 一般に炭素税と聞くと、単に税負担が増えることを想像し、敬遠する向きが多いようだが、足立氏は、炭素税の導入イコール増税にする必要はないと説く。欧州で炭素税の導入に成功した国々の多くは、炭素税の導入と同時に既存の税を減税し、税収中立を実現している場合が多い。つまり、納税者全体にとっての税負担は導入前と変わらないが、CO2排出が多い人や企業にとっては増税となり、少ない人や企業にとっては減税となるという。そうすることで、企業活動やライフスタイルの変更を促すことが、炭素税の目的でもある。
 このように、一見いいことづくめの炭素税ではあるが、実際には品目ごとのCO2排出量の計算が難しいため、石油や石炭、ガス、電力などエネルギー品目に排出量に応じた課税を行い、その使用量に応じて税負担が増減する形式になっている。そのた
め、特定の産業、とりわけ重厚長大産業の負担が突出して多くなる傾向がある。また、一般消費者レベルでは、低所得層の負担が相対的に重くなる逆進性も指摘される。すでに制度を導入している国でも、国内産業の国際競争力を維持するために、特定の業界の税率を下げたり、低所得層を免除するなど、苦労の形跡も見てとれる。
 しかし、そのようなレベルよりもかなり初歩的な次元で、日本における炭素税導入の道のりがかなり遠いことを、足立氏も認め
る。京都議定書調印後にドイツやイタリアなどが相次いで炭素税導入を決めた流れを受けて、日本でも04年頃から環境省を中心に環境税の導入が検討されたこともあったが、産業界の強い反対によって頓挫してしまった。
 日本では、エネルギーに関連した税が、経産省、国土交通省など複数の官庁にまたがって管轄されているため、それを統合した形になる環境税の導入には、縦割り行政の抵抗がもろにかかってくる。また、税収中立を実現するため必要となる既存税の減税には、財務省が頑として首を縦に振らない。いざ増税となれば、財務省は歓迎するが、今度は選挙を恐れる政治がそれを許さない。しかも、重厚長大産業主導の財界は、そもそも炭素税の議論をすることすら嫌っている。
 こうなると政治のリーダーシップに期待するほかなさそうだが、国民のほとんどが環境税イコール増税と認識している中、新税の導入に世論の支持を得るのも、容易ではなさそうだ。いみじくも今週から始まった自民党税調では、消費税増税の是非とその時期をめぐり紛糾している。
 サミット前に、「排出量取引」、「再生可能エネルギー」と続けてきた環境シリーズの最終回として、今週は炭素税の意義と実現可能性について、NGOの立場から、炭素税の実現を訴えてきた足立氏とともに考えた。
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放送日 2008年07月12日(PART1:101分 PART2:96分 PART3:87分)
メディア問題徹底討論
Part1・2 NHK裁判とマスゴミ問題
Part3 テレビニュースは本当に終わりませんか

ゲスト(Part1・2):日隅一雄氏(弁護士・NHK裁判原告代理人)
ゲスト(Part3):金平茂紀氏(TBSアメリカ総局長)


 マル激トーク・オン・ディマンドでは、マスメディアの構造的な問題について、これまで何度となく議論をしてきた。(マル激の著作化第一弾となった『漂流するメディア政治』は2002年に出版されている。)その理由は、日本が現在直面する多くの問題の底流、あるいはその一端に、メディアの構造問題が関わっていることは、否定しようのない事実だと考えているからだ。また、メディアが問題そのものの一翼を担っていない場合でも、メディアが本来の機能を果たせていないために、特定の問題が手つかずのままに放置されたり、明らかに間違った方向に世論が誘導され、それが結果的に誤った処方箋を生む要因となっているケースも、非常に多いと考えている。もとより完璧なメディアなど期待すべくもないことは言うまでもないが、メディアが構造問題、とりわけ自身の利権を守らんがために抱え込んでいる構造的な問題ゆえに、メディア本来の機能を果たせていないとすれば、メディアの構造問題は日本問題の主要な位置を占めると言わねばならないだろう。
 更に付言すれば、そのメディア問題をテーマとして取り上げることも、ビデオニュース・ドットコムのようなメディア利権の枠外に立つ新興のメディアにとっては重要な責務だと考えている。なぜならば、今回の番組の中で繰り返し指摘されているように、日本のメディア構造問題の深層の一端は、メディアの集中排除原則が機能不全に陥っているがために、メディア業界が相互批判機能を持つことができず、結果としてメディアが抱えるさまざまな構造問題が、メディア側からほとんど全くといっていいほど、外には知らされない構造ができあがってしまったことにあると考えているからだ。主要メディアがお互いに口をつぐめば、社会はそのような問題の存在を認識すること自体が、非常に困難になってしまう。
 さて、今週のマル激では、これまで折に触れて取り上げてきたメディア問題を、一気に総ざらいしてみようという番組を企画し
た。
 まず、前半は、先月最高裁判決を受けたNHKの番組改編問題(女性戦犯法廷裁判)裁判で、原告となった戦犯法廷を主宰したNGO側の代理人であり、数々のメディア訴訟に関わってきている日隅一雄弁護士をスタジオに招き、氏の近著『マスコミはなぜマスゴミと呼ばれるのか』の内容を引き合いに出しながら、メディアの現状とその背景を徹底討論した。
 日隅氏によると、日本のメディアは1960年代に当時の田中角栄郵政大臣によって、全国紙、地方紙を含む新聞各社が、テレビという免許事業を利権として握らされた段階で、根こそぎ権力に取り込まれる構造ができあがってしまったと言う。そして、田中大臣がそのテレビを新聞と系列化させた上に、テレビの全国ネットを系列化させたことで、日本には多様な言論を担保するだけのメディアが生まれないようになってしまったと言うのだ。
 また、いったん利権まみれになったメディアは、新聞の再販制度や特殊指定などの数々の法的な保護や特権をも利権として抱え込み、本来は権力をチェックする目的で組織された記者クラブまでもが、権力に取り入り、新規参入を排除するための利権ツールになってしまったと語る。
 もともと日本のテレビは、他の先進国の多くが採用している独立行政委員会のような中立的な第三者機関ではなく、総務省という政府機関の直接監理を受けている、世界でも珍しいほど政治の介入を受けやすい脆弱な立場にある。そのため、特に政権交代がほとんど無い日本にあって、テレビが政治のオモチャになることは避けられない必然だった。そのテレビという政治のオモチャを新聞が抱え込んだことで、日本のメディアは権力に対して総崩れ状態となった。日隅氏は「政権交代のない日本」ではなく「だから日本では政権交代がないと見る方が妥当ではないか」と言う。
 前半は日隅氏とともに、日本のメディアが遂に「マスゴミ」とまで酷評されるに至った原因を徹底検証した上で、それを象徴する出来事と見ることができる、NHKの番組改編問題を取り上げた。
 一方、後半は、長年テレビ報道の第一線で活躍し、このたびTBS報道局長からアメリカ総局長への転身が決まった金平茂紀氏に、そこまで酷評されるにいたったマスコミの内部で今なにが起きているのかを、問うた。
 
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