| マル激トーク・オン・ディマンド(第401回) |
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放送日 2008年12月06日(PART1:71分 PART2:23分)
後期高齢者医療制度は必要だ
ゲスト:土居丈朗氏(慶応義塾大学准教授)
自民党は2日、「姥捨て山」などと批判されていた後期高齢者医療制度の見直し案を、3月末までにまとめる方針を固めたようだ。
今年4月に始まった後期高齢者医療制度は、83年から実施されてきた老人保健制度(老健)に代わる新たな高齢者を対象とする医療保険制度で、75歳以上の高齢者の医療費の負担分担などを定めている。しかし、後期高齢者というネーミングの悪さや、保険料が年金から強制的に天引かれることの負担感、そして75歳以上の高齢者だけを切り離すことから、「姥捨て山」などの批判にさらされ、実施から半年も経たないうちに、舛添厚労相が見直しを表明するにいたっていた。
確かに、後期高齢者医療制度が、対象となる高齢者に対して一定の負担を求める制度であることは間違いない。しかし、日本が世界に誇る「国民皆保険制度」は、いまや存亡の危機に瀕している。一人あたり40歳代の5倍かかると言われる高齢者の医療費を賄うためには、現役世代と高齢者の負担割合を明確に定めると同時に、高齢者の医療費の不必要な高騰を防ぐ仕組みが不可欠だ。これまで日本の医療費は税収を大きく上回るペースで増えており、このままでは時間の問題で日本の皆保険制度は破綻することが目に見えている。そうした中にあって、人口が多い団塊の世代が75歳に達する前に、持続可能な医療保険制度を確立しておくことは、次世代に対する責任でもある。
財政学の専門家で、財政面から社会保障制度の問題点を指摘している慶応義塾大学経済学部の土居丈朗准教授は、後期高齢者医療制度について、改善の余地はあるとしながらも、その必要性を擁護する。その理由は明快だ。
まず、既存の老人保健制度が、問題がありすぎる制度だった。これまで75歳以上の高齢者の医療費は、老健制度のもと、患者負担(1割)と医療保険の各保険者からの拠出金と税金によって賄われてきたが、これは高齢者の医療費を事後的に配分する会計の仕組みにすぎず、運営の責任主体さえ存在しない、到底保険制度とは呼べないような代物だった。運営主体が存在しないため、いくら費用がかかろうが、抑制力が働かない。要するに、いくら費用がかかっても、それを単に他へ会計的につけ回していればいいという、いたって野放図な制度が老健だった。それが、高齢者の医療費急増の一因となっていたことは間違いない。
後期高齢者医療制度は、75歳以上の高齢者を対象にした独立した制度で、それを本人1、現役4、公費5で分担して支えていこうという制度だ。また、運営主体を県単位の広域にすることで、保険料の差を現行の5倍から約2倍にまで縮小している。後期高齢者医療制度は、これまで繰り返し指摘されてきた老健の問題点を、そっくり改善した仕組みであるといえる。
しかし、長年課題だった老健の欠陥を補うこの制度が今、事前説明の足りなさとプレゼンテーションの悪さ故に、制度の本義が理解されることのないまま、政治的な理由から、見直し論にさらされている。自民党の見直し案は、制度の本質は温存したまま、悪名高かった「後期高齢者」の呼称を「長寿」に変更したり、自己負担率を微調整したりする程度の弥縫策にとどまる模様だが、民主党はいったん制度を廃止し、問題の多い老健制度に戻すことを主張しているのだ。
もっとも、後期高齢者医療制度が存続しても、日本の社会保障制度が抱える本質的な問題が解決されるわけではない。企業の健保組合が老人加入率の高い国保の負担を肩代わりをしている構造は、後期高齢者医療制度導入後も変わっていないのだ。08年度推計では、勤労者が納めた健保保険料の約45%が高齢者医療への支援で消える。その影響で、約9割の健保組合が赤字に追い込まれており、今年に入ってからも健保組合の解散が相次いでいる。
高齢者医療の運営方法が決まった今、政治的な理由で不毛な見直し論に陥っている場合ではない。今こそ、負担のつけ回し構造という日本の社会保障制度が抱える本質的な問題を議論しなければならない。最終的には、日本では社会保障の責任をどこまでアメリカのような自己責任に委ねるべきなのか、どこまでを保険料で賄い、どこまでを公費で負担すべきなのかといった、国家像にも関わる社会保障のあり方の本質を問う議論が不可欠となるだろう。
急激な高齢化に直面する21世紀の日本には、どのような社会保障制度が適しているのか。適している以前に、どのような選択肢があるのか。後期高齢者医療制度の必要性と今後日本がめざすべき社会保障制度を、財政の専門家の土居氏とともに議論した。
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| マル激トーク・オン・ディマンド(第402回) |
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放送日 2008年12月13日(PART1:73分 PART2:44分)
WTOと日本の農業政策を再考する
ゲスト:山下一仁氏(経済産業研究所上席研究員)
スイスのレマン湖畔で、日本の農業や食料自給に大きな影響を与える重要な交渉が続いている。WTOのドーハ・ラウンドだ。ドーハ・ラウンドは、関税の大幅引き下げなどをめぐるぎりぎりの交渉がジュネーブのWTO本部で続いているが、早ければ13日にも開かれる見通しだった閣僚会合が、17日以降に延期され、現時点で見通しはたっていない。
しかし、いずれにしても対立点は絞られてきており、7年に及んだドーハ・ラウンド交渉は、関税の大幅引き下げなど、日本の主張が一顧だにされない、日本にとっては非常に厳しい内容となることが避けられない状況だ。
農水省でガット室長などの貿易交渉ポストを長年経験してきた山下一仁氏は、コメをはじめとする「重要品目」を関税引き下げの対象から外し、あくまで高い関税で国内市場を守ろうとする日本政府の交渉スタンスを批判する。「重要品目」は高い関税の維持を認めてもらう代わりに、最低輸入義務(ミニマム・アクセス)を受け入れなければならないが、それが結果として必要以上のコメの輸入を拡大させることになり、日本の食料自給率の更なる低下が避けられないとの理由からだ。
ドーハ・ラウンドが妥結すれば、日本はコメの関税を778%に維持することへの代償として、現在毎年77万トンの最低輸入義務(ミニマム・アクセス)が課せられているコメの輸入を、さらに増やさなければならない。水田の4割を減反して生産量を抑えておきながら輸入量が増えるという、矛盾した結果となるが、多数の高関税品目を持つ日本が関税の引き下げを行えば、そうでなくでも苦境にある日本の農家が大打撃を受けるというのが、政府やJAの主張だ。
しかし、山下氏は、折からの穀物価格高騰で国際市場でのコメの価格も上昇しており、日本は現在の関税を大幅に引き下げても、輸入米と十分競争していけると主張する。関税引き下げを免除してもらうことの引き替えにミニマムアクセスを受け入れるよりも、競争原理を受け入れた方が、結果的にコメの輸入量が増えないばかりか、将来的にはコメの輸出さえ可能になるというのが、山下氏の主張だ。
自由貿易の推進を目的に95年に発足したWTOでの決定は、強制力を持つため、加盟国の産業や経済を大きく左右する。農産物や鉱工業品の関税削減などの貿易ルールの合意をめざすドーハ・ラウンドは、今年7月にインドと米国が対立したために決裂したが、9月の金融危機後、自国の産業を守る保護主義への回帰が懸念され、再度合意に向けての調整が行われることとなった。
日本は工業製品の分野では、自由貿易の恩恵をもっとも受けてきた国の一つであり、WTOにおいても工業製品の分野では一貫して関税の撤廃を推進する立場をとっているが、農業については、コメ市場を守ろうとするあまり、頑なに高い関税を死守する政策に拘泥している。しかし、アメリカやEUが、農家への直接支払いによって国内農業を保護していく政策に転換する中、どうも関税で国内市場を保護する日本の政策は国際社会の中で正当性を失いつつあるようだ。
もとより工業製品と同じように農業を扱うことはできないが、日本の農業政策は、ともすれば日本の農業を守るというよりも、日本の農協(JA)、そしてそれが代表する兼業農家を守る政策にすり替わっているきらいがある。そして、それを支えているのが、農協、農水省、自民党農水族の「農水鉄のトライアングル」だと、山下氏は説明する。
現在の日本政府の農業政策は、本気で農業をやろうとする主業(専業)農家のためにも、消費者のためにもなっていないと、農水省の政策を批判し、省を辞職して間もない山下氏とともに、WTO農業交渉から見えてくる日本の農政の問題点を議論した。また、スーザン・ジョージ氏のインタビューなどを通じて、WTOが進めてきた自由貿易の問題点なども再考した。
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| マル激トーク・オン・ディマンド(第403回) |
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放送日 2008年12月20日(PART1:83分 PART2:47分)
見えたり、金融資本主義の正体
ゲスト:小幡績氏(慶應義塾大学大学院准教授)
世界中を巻き込みながら今なお進行中の金融危機は、元々米国のサブプライムローン問題に端を発するといわれている。信用力の低い(サブプライム)借り手に対して乱発された住宅ローンが証券化され、無数の金融商品に組み込まれた結果、ローンの焦げ付きが始まると、ちょうどミンチに混じった一片の腐った肉片のごとく、他のすべての肉を腐らせてしまった。こうしてサブプライム・ショックは全世界へと広がっていった。
しかし、マル激2回目の出演となる慶應義塾大学大学院の小幡績准教授は、サブプライム問題もまた、今世界が資本主義を回していくために不可欠となっているバブルを作りだし、それに大勢が便乗し、そしてそれが弾けるいつものパターンを踏襲しているに過ぎないと言う。
小幡氏によると、サブプライムローン問題は、「誰も損をしない仕組み」「証券化」など特殊な過程を経てはいるものの、最終的には金融資本が「自己増殖」しバブルを作り出しやがて崩壊するという、これまでのお決まりのバブルの過程をたどっているに過ぎないと指摘する。
それにしてもサブプライムローンは、関与した人は誰一人として損をしない、一見完璧な仕組みだった。アメリカでは戦後ほぼ一貫して住宅価格が上昇してきた上、移民や低所得者など、これまで住宅を持てなかった人々に住宅を持たせることで、住宅市場の需給関係が供給不足となり、更なる住宅価格の高騰が期待できた。更に、住宅ローン債権を小分けにして証券化することで、元々の住宅ローンの健全さとは無関係な全く別物の新たな金融商品が作られた。こうしてサブプライムローンは、当初の住宅ローンとはおよそ想像がつかないような形にその姿を変え、金融商品として市場で取引を繰り返されることになった。これこそが、「リスクがリスクで無くなる」(小幡氏)マジックだった。
しかし、そららすべての大前提にあった住宅価格が、06年にピークアウトし、それにつられて、すべてのバブルは崩壊した。誰もが得をするスキームは、一夜にして誰もが損をするスキームに変質してしまった。
小幡氏は、資本主義の必然的な帰結としての金融資本主義のあり方を根底から問い直すべき時がきていると言う。常に経済成長を求める資本主義は、実体経済の成長が頭打ちだと知ると、実体から乖離した金融資本の価値を増幅させることで、見せかけの経済成長を遂げてきた。
小幡氏はこのように自己増殖する現在の資本主義を、キャンサーキャピタリズム(癌化した資本主義)と酷評するが、資本主義が癌にかかっているとすれば、我々は次にどのような資本主義を経済モデルの拠り所とすればいいのだろうか。
未だに世界を震撼させ続ける金融危機とサブプライム問題を再考し、金融資本主義の正体と、今後何を目指すべきなのかを、小幡氏とともに考えた。
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| マル激トーク・オン・ディマンド(第404回) |
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放送日 2008年12月27日(PART1:59分 PART2:71分 PART3:42分)
2008年総集編 メディア崩壊元年を振り返って
2008年を締めくくるマル激は、東京・新宿のライブハウス『ロフト・プラスワン』で公開収録を行った。昨年に引き続きなぜか男性客が圧倒的に多いのが気になるところだが、満員の熱気の中、神保・宮台が今年一年を振り返った。
今年6月の秋葉原通り魔殺人事件では東浩紀氏とともに事件の背景でも突っ込んだ議論が交わされたが、メディア関連では、事件現場に居合わせた通行人が撮影した写真やビデオがインターネット上のみならず、マスメディア上にも大量に氾濫した現象をめぐり、議論した。
アメリカ史上初の黒人大統領を生んだアメリカ大統領選挙では、インターネットを選挙戦の主要なツールとして活用したオバマ氏が、資金面でも他候補を圧倒したことで、インターネットの影響力がマスメディアのそれを上回った史上最初の選挙としての意味を考えた。
2008年はインターネットの影響力が確実に大きくなる一方で、マスメディアの劣化が目に見えて進んだ一年でもあった。朝日新聞など各紙が「10月26日選挙」と一面トップで報じながら結局選挙は行われなかった「解散騒動」も、マスメディアの凋落ぶりを示す一つの事例となった。2008年はまた、金融危機に端を発する景気の急激な悪化で、テレビ局や新聞社などマスメディアの経営の地盤が、根底から揺らいだ一年でもあった。
しかし、既存メディアの劣化が急激に進む中、それに取って代わろうとする新たなメディアがなかなか登場してこない問題も、依然として続いている。再販、記者クラブなど既存メディアの既得権益が大きすぎるため、他のメディアが育つような環境が整備されないことが主たる原因だが、この日のマル激では、そのような状況でわれわれはどのメディアとどのように付き合い、またどの情報源を頼りにすべきかなども議論した。
メディアを切り口にした2008年の総括は3時間にも及んだ。
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| マル激トーク・オン・ディマンド(第405回) |
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放送日2009年01月07日(PART1:70分 PART2:47分)
だから男はみんなできそこないなんだ
ゲスト:福岡伸一氏(青山学院大学理工学部教授)
2009年最初のマル激は、「男はみんなできそこない」という、正月早々穏やかならざる話でスタートする。ゲストは『生物と無生物のあいだ』で昨年1月にマル激に登場してくれた分子生物学者の福岡伸一氏。
聖書ではアダムの肋骨の欠片からイブが作られたことになっているし、現代にいたっても、多くの国で男女の社会的な上下関係ではいつも男が上位にいる場合が多い。しかし、昨年『できそこないの男たち』を著した福岡氏は、生物学的にはどうみても女が人間の基本仕様であり、男は女を作り変えて(少しできを悪くして)できあがったものであることに、疑いの余地はないと言う。しかも、男は単に遺伝子を運ぶため、つまり女の使い走りをするために、便宜的に作られた動物だと言うのだ。
これは、生物全体に共通した事実だと福岡氏は言う。たとえばアリマキ(アブラムシ)は、普段はメスしか存在しないが、秋になり気温が下がってくると突如オスを産み、交尾をして、寒い冬を越えるために固い殻に守られた卵を産む。しかし、春が来てその卵から孵るのは、すべてメスだという。つまり明らかにオスは冬を越えるために交尾をする必要性から一時的に作られた「遺伝子の運び屋」でしかないということだ。
人間の場合もアリマキ同様、女が基本仕様となる。受精後、母胎の中で人間は皆、女としてその命をスタートさせる。しかし、受精後7週間目に、男になる運命の遺伝子を授かった胎児は、女になるはずだった体を無理やり男に作り替える作業が始まるという。
このときの無理な作り替えの痕跡が、男の体の方々に残っていると福岡氏は言う。また、平均寿命を見ても、がんの罹患率を見ても、男は女よりも弱い。
福岡氏は、男が社会を支配している理由は、社会は遺伝子を運ぶこと以外に存在意義のない男が自分探しの結果作り出した虚構だからではないかとの考えを示す。生物学的に、女性には「子どもを産む」という自明の存在意義がある一方で、男は女の使い走りであり、遺伝子の交換により多様性を生むことには貢献するが、自明の存在意義はない。その男が自らの存在意義を見いだすために作ったのがこの社会である以上、当然そこでは男が支配的な地位を握ろうとするというのが、福岡氏の分析だ。
性を決定するSRY遺伝子発見までのドラマや、生物学的に見た男系男子の皇統維持の持つ意味、科学の専門知識に踊らされないために必要な「科学リテラシー」についてなど、男がいかにできそこないであるかを入り口に、福岡氏と議論した。
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| マル激トーク・オン・ディマンド(第406回) |
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放送日 2009年01月17日(PART1:84分 PART2:50分)
ブッシュ政権の8年とは何だったのか
ゲスト:渡部恒雄氏(東京財団研究員)
1月20日、ブッシュ政権の8年の任期が終了し、オバマ新大統領が就任する。やり残したもの、手つかずだったもの、食い散らかしたものをすべて引っくるめ、ブッシュ政権の遺産が、そのままオバマ大統領の課題となる。そこで今週のマル激では、ブッシュ政権の8年間とは何だったのか、その変遷と歴史的な意味を、ワシントンのCSIS(戦略国際問題研究所)でブッシュ政権をつぶさにウォッチしてきた渡部恒雄氏とともに考えた。本企画をブッシュ政権への送辞としたい。
ブッシュ政権はなんとも不幸な出自を背負ってスタートした。現職の副大統領だったゴアと争った2000年11月の大統領選挙はまれに見る大接戦となり、AP通信などが一度はゴア当確を打ちながら、最終的には大票田のフロリダ州にその結果が委ねられることになった。そして、フロリダで票の再集計が繰り返された末、ブッシュ候補の弟が知事を務めるフロリダ州の選挙管理委員会は、ブッシュの勝利を宣言する。しかし、無効票の扱いなどをめぐり、大統領選挙は未曽有の訴訟沙汰となる。最終的には連邦最高裁がフロリダ州の決定を有効と判断し、ゴアが自ら身を引いたため、投票日から一月以上も遅れて、ようやくブッシュの当選が確定した。しかしそれは、アメリカ史上で3人目となる、一般投票の得票数で相手候補を下回った、しかも、弟が知事を務める州の党派性に多分に救われた、正統性で大きなハンデを負った大統領としての船出だった。
再集計だの裁判だので準備不足の政権が発足してから約8ヶ月後の2001年9月11日、ブッシュ政権にとって、そしてアメリカにとっても、その運命を変えるような大事件が起きる。9.11同時多発テロだ。
これでフロリダ再集計問題などは一気に吹っ飛び、そこからブッシュ政権は、誰もが予想だにしなかった未知の世界に足を踏み入れていくことになる。9.11が、ブッシュ政権の性格をがらりと変えてしまったと言っても過言ではないだろう。そして、それはまた、政権内部の政治力学も、パウエルらの良識派から、ラムズフェルド、チェイニーといったネオコン陣営へのシフトを加速させていくことにつながっていく。
アフガン侵攻とそれに続くテロリスト掃討作戦、国論を二分したイラク攻撃とイラク占領の泥沼化、イラク戦争の最大の根拠だった大量破壊兵器疑惑の撤回と、時として人権をも無視した徹底的なテロ対策等々、ブッシュ政権は、テロとの戦いに終始する中で、その一期目を終える。
2004年11月、ブッシュは僅差で再選を果たすが、イラク情勢は泥沼化。大量破壊兵器も見つからず、正当性を失った戦争の後始末に大勢の若い兵士たちが日々犠牲になるアメリカを、未曽有の激甚台風カトリーナが襲う。死者1500人超、50万都市のニューオーリンズをゴーストタウンにしたカトリーナは、内政よりも戦争を優先させ続けたブッシュ政権一期目の矛盾と欺瞞を一気に噴出させた。そこからブッシュ政権は、坂道を転がり落ちるように失速し始める。2006年の中間選挙で共和党は議会両院の過半数を一気に失い、ブッシュ政権はいよいよレームダック化していく。
そして2007年、ブッシュ政権で唯一うまく回っていたはずの経済までが、サブプライム・ショックで失速を始める。当初共和党の伝統的な市場万能主義的な立場から介入を躊躇していたブッシュ政権に、ベア・スターンズ、リーマン・ブラザーズなどの金融機関の破綻が追い打ちをかける。大恐慌以来とも言われる金融危機に直面したブッシュ政権は、これまでの主義主張をかなぐり捨て75兆円の公的資金投入による金融機関の救済に舵を切るが、危機はまったく収まる気配を見せない。そうした中、「チェンジ」を掲げる民主党のオバマが、共和党でブッシュ路線の継承を謳うマケイン候補を破って次期大統領に当選する。
ブッシュの8年間とは何だったのか。この8年間はアメリカ史の中で、どのような意味を持つのか。なぜブッシュ政権はこのような運命を辿ることになったのか。それは避けられないものだったのか。そして、それを踏まえた時、オバマに残された課題とは何なのか。
希代のアメリカ政治ウォッチャーの渡部氏と、じっくりと議論した。
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| マル激トーク・オン・ディマンド(第407回) |
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放送日 2009年01月24日(PART1:51分 PART2:50分)
無法地帯化する霞ヶ関
ゲスト:高橋洋一氏(東洋大学教授)
霞が関の官僚たちは一体何を考えているのだろう。
先々週の国会では、麻生首相は、既に発効している法律を実質的に書き換えるような政令を閣議決定したことを野党から厳しく追及され、答えに詰まる場面が、繰り返しテレビで放送された。安倍政権下での国家公務員法の改正で、省庁による官僚の再就職の斡旋、すなわち天下りが実質的に禁止され、経過措置として3年間は新設される再就職等監視委員会が承認した場合に限り、天下りが認められることになっていた。しかし、ねじれ国会でこの再就職等監視委員会の人事が進まないのをいいことに、麻生政権はその間首相に天下りを承認する権限を与える政令を作ってしまった。国会で成立した法律の本則に反する行為を、法律よりも下位にある政令で可能にしてしまうというのだ。これは明らかに法律違反であり、「霞ヶ関のクーデター」(仙谷由人衆議院議員)と批判されてもしかたがないほどの暴挙だった。
安倍政権で公務員制度改革を設計した東洋大学の高橋洋一教授は、これを官僚による露骨な天下り禁止法案の切り崩しと説明する。何とか天下りを続けたい官僚たちが、なりふり構わぬ既得権益の防衛に乗り出した結果だというのだ。
しかし、官僚の権謀術数を知り尽くしている高橋氏は、「このような露骨なやり方は考えられない」と、官僚が利権維持のために法律違反まで犯すようになったことを嘆く。同じく安倍内閣で行政改革担当大臣として公務員制度改革を断行した渡辺喜美衆議院議員も、この政令の撤回を麻生首相に求めたが受け入れられなかったために、自民党を離党している。
しかもこの政令には、一旦天下りした公務員OBの再就職を斡旋する、いわゆる「渡り」を容認する条項まで盛り込まれており、官僚たちは麻生政権が迷走を続ける間に、天下りを禁じた改正国家公務員法を完全に骨抜きにするばかりか、どさくさに紛れて、これまで法律で認められていなかった行為までも政令に押し込んでしまったようだ。
それにしても、なぜ官僚はここまで露骨に権益擁護に乗り出さなければならないのか。これまでも官僚は、官僚にしかわからないような独特な霞ヶ関用語を法案の条文や大臣談話に滑り込ませることで、政治家の決定を骨抜きにするなどして、政治を巧みにコントロールしてきた。しかし、今回の政令のような露骨な手法は、これまで例をみない。
また、仮に民主党が政権の座についても、霞ヶ関をコントロールできなければ、有効な施策を打つことはできない。若い議員が多く、官僚の手練手管を熟知していない民主党に、官僚支配を打ち破ることができるのか。高橋氏は民主党が政権についた時、今回の政令作成に関わった官僚たちを厳しく処分できるかどうかが、最初の試金石になるとの考えを示す。
官僚たちは単に公共心を失ってしまったのか。あるいは、世論の突き上げで少しずつ特権を失い、いよいよここまでやらなければ、自分たちの権益を守れなくなってきているということなのか。今、霞ヶ関で何が起きているのかを、官僚の世界を裏の裏まで知り尽くした高橋氏に聞いた。
(途中、渡辺喜美衆議院議員の電話出演あり)
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| マル激トーク・オン・ディマンド(第408回) |
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放送日 2009年01月31日(PART1:88分 PART2:22分)
それでも裁判員制度は必要だ
ゲスト:河合幹雄氏(桐蔭横浜大学教授)
賛成、反対の双方のゲストをそれぞれ招き、2回シリーズでお送りしている裁判員制度の再検証企画。裁判員制度に反対する新潟大学大学院教授の西野喜一氏を招いての第1回目(第398回・08年11月15日放送)に続き、2回目となる今回は、裁判員制度の導入を支持する法社会学者の河合幹雄氏を招いて、なぜ氏がさまざまな問題点が指摘される裁判員制度の導入を支持しているのかを中心に議論した。
河合氏は、刑事司法という狭い範囲ではなく、日本の民主主義全体のメリットを考えたときに、裁判員制度は必要との考えを示す。氏は、現在の日本の最大の問題は、市民一人一人が社会を支えているという自覚に欠けていることであるとの考えを示した上で、裁判員制度の導入によって、市民が否が応でも社会参加を強いられれば、それはひいては日本の民主主義の成長に寄与するだろうという考え方を示す。
指摘されている裁判員制度の様々な問題点について河合氏は、かなりの部分が運用次第のため、それほど懸念には値しないとの考えを示す。例えば、裁判員制度を導入すると、情緒に流された判決が出やすくなるため、これまでの判例を無視した重罰化の流れが進むのではないかとの懸念については、日本人の気質として、普段はいい加減そうに見える人でも、裁判員に選ばれれば非常に真面目に取り組むので心配はないだろうと言う。そのため、とんでもない判決が出るよりも、むしろ旧来の制度よりも無罪が多くなる「弊害」を懸念すべきだと言う。
また、透明性を欠いた公判前整理手続や、厳しい守秘義務については、裁判員制度の対象となる殺人事件などは年間で約3000件あるが、被告人が犯行を否認し事実が争われる事件は少ないことを指摘した上で、事実が争われない裁判では、公判前整理手続は重要とならないとの見方を示す。また、裁判員に課せられた厳しい守秘義務についても、詳細が決められていないため、これも運用次第では問題になり得るが、それほど懸念には値しないとの立場を取る。しかし、もしも本当に問題があれば、裁判員は守秘義務を破ってでも民主主義のために声をあげるべきと河合氏は語る。
河合氏は、裁判員の感情に影響を与える可能性のある被害者の裁判への参加制度には問題があるとの考えを示す。総論で導入に賛成の河合氏から見ても、各論レベルでは裁判員制度にはまだかなり改善の余地は残されているようだ。また、運用次第でやってみなければわからないという部分がかなり多いことも見えてきた。
それでも裁判員制度は必要との立場を取る河合氏に、制度導入の経緯も含め、ここまで明らかになった裁判員制度の問題点をぶつけた。
(今週は5金にあたりますが、1月は第一週目の放送をお休みしたため、通常の放送を行います。)
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| マル激トーク・オン・ディマンド(第409回) |
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放送日 2009年02月07日(PART1:61分 PART2:30分)
世界の魚を食い尽くす日本人の胃袋
ゲスト:井田徹治氏(共同通信科学部編集委員)
日本政府は1月30日、マグロ漁の国際的な漁獲規制が強化されたことを受け、国内のマグロはえ縄漁船の数を1〜2割減らす方針を明らかにした。乱獲によるマグロの資源枯渇という事態を受け、昨年11月の大西洋まぐろ類保存国際委員会(ICCAT)、12月の中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)と、相次いでマグロの漁獲量の削減が国際的に決まっていた。
巷では、こうしたニュースを受けて、いずれ日本人が大好きなマグロが食べられなくなる日が近づいているかのような不安を煽る言説が、メディアを中心に流布されている。確かに、マグロのみならず、世界の漁業資源は急速に枯渇に向かっているし、これまでのように好きな魚がふんだんに手に入らなくなる可能性も、日に日に高まっているのは事実だ。しかし、メディアが報じていないもう一つの重大な問題がある。それは、われわれ日本人こそが、世界の漁業資源を食い尽くしている張本人であるという紛れもない事実だ。
今、マグロの中で最も枯渇が懸念されているのは高級魚のクロマグロとミナミマグロだが、現在世界に流通するクロマグロの何と8割、ミナミマグロにいたってはそのほぼ10割を日本が消費している。メバチマグロやビンナガマグロ、キハダマグロなどを含めたマグロ全体でも、世界人口の60分の1に過ぎない1億2千万人の日本が、世界の年間漁獲量の3割を消費しているのが実情だ。
これはマグロに限ったことではない。日本は全世界で消費されるウナギの7割、たこの3分の2、いかの3分の1を消費するいずれも世界最大の消費国だ。魚全般で見ても、03年の世界の一人当たりの水産物消費量が年間約16kgであるのに対し、日本人は毎年一人当たり約65kgもの魚を消費している。消費量の総量では日本の10倍以上の人口を抱え、急速に豊かになる中国に世界一の座を譲ってはいるが、国民一人当たりでは、モルジブやアイスランドなど消費量が極端に少ない国を除けば、日本は文句無しに世界一のシーフード消費大国なのだ。マグロの漁獲制限に見られるような世界的な潮流は、早い話が、日本人の胃袋が人類共有の資源である魚を食い尽くしてしまうのを、黙って見ているわけにはいかないとの問題意識から生じていると言っても、決して過言ではないのだ。
もちろんそのような基本的な情報がメディアに流れないのも重大な問題だが、多くの日本人は自分たちこそが、世界中の漁業資源を食い尽くしている張本人であることを知らずに、日々スーパーマーケットや回転寿司で魚の消費を続けていることになる。
地球環境の視点から漁業問題を長年取材してきた共同通信科学部編集委員の井田徹治氏は、基本的には商業ベースの乱獲に問題があることを指摘すると同時に、かつて庶民にとって貴重品だったトロやウナギ、エビといった高級食材が、今やスーパーや回転寿司で安値で売られるようになっていることに対して、何の疑問も感じずにそれを受け入れ、欲しいままにそれを享受してきたわれわれ日本人の消費者としての感覚にも問題があると語る。
言うまでもなく漁業資源は、貴重な地球の天然資源だ。持続性を超えて消費をすれば、時間の問題で資源は枯渇する。もともと魚は、そのような商業ベースの大量生産・大量消費に耐えうる資源ではなかったのだ。しかし、魚を獲ってくれば高く売れる状態が続いたため、乱獲にも、そして大量消費にも歯止めがかかることはついぞなかった。そして、いよいよ外部から強制的に制限を受けるところまで事態が悪化してしまったというのが、今日のマグロ規制の意味するところなのだ。
今日、資源枯渇と漁業規制に挟まれて、魚が獲れなくなった日本は、大量の魚類を海外から輸入するようになっている。既に魚類の自給率も5割台まで落ち込んでいる。しかも、輸入クロマグロでは半分以上が、畜養と呼ばれる、海外で養殖されたマグロが占めるようになっている。しかし、産卵前の稚魚や幼魚を大量に捕獲して育てる畜養は、環境負荷も高いことに加え、安全性にも疑問符が付けられている。
現状では、外的な規制が次第に厳しくなるのを座して待つか、もしくは消費者の自覚に期待するかのいずれかしかないが、情報が十分に公開されていない中では、消費者が賢明な選択をするのも難しい。そうした中にあって、井田氏は消費者の助けとなる好ましい動きも出てきているとして、海のエコラベルとも呼ぶべきMSC(海洋管理協議会)の認証マークを紹介する。これは、資源の枯渇を招くような捕獲方法を用いたり、環境に大きな負荷をかけていないことを証明する国際的な証明書で、日本でも徐々にではあるが、普及が始まっているという。
今週は井田氏とともに、マグロ規制が示している日本人の異常とも言える現在の魚の消費のあり方と、それが招いた世界の漁業資源の現状、そして、そうした状況とわれわれは今後どうつきあっていけばいいのかなどを、考え直してみた。
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放送日 2009年02月14日(PART1:53分 PART2:36分)
雇用問題の本丸は正社員の既得権益にあり
ゲスト:城繁幸氏(Joe’s Labo代表)
経済危機の波がいよいよ日本にも押し寄せ、大手、中小を問わず企業ではリストラの嵐が吹き荒れている。特に非正規労働者への影響が大きく、業界団体の試算では今年3月末までに失業する製造業の非正規労働者の数は40万人にのぼるとさえ言われる。過去の不況時にも、企業は新規採用の抑制や早期退職制度などで人件費の抑制を図ってきたが、2004年以降派遣法の規制緩和によって非正規労働者が急増したため、企業が不況対策として非正規雇用の削減を真っ先に行うようになった。その結果、派遣社員や期間工などが真っ先に不況の犠牲者になり、今やそれが社会問題化している。
巷では派遣法の緩和を問題視する向きが強く、少なくとも製造業派遣は禁止すべしとの声が高まっている。しかし、企業人事の専門家で『若者はなぜ3年で辞めるのか』の著者でもある城繁幸氏は、雇用問題の本質は正社員の既得権益化にあり、派遣の規制強化では何ら問題の解決にはならないと主張する。
実際、日本企業の正社員は非常に手厚く保護されており、非正規労働者との格差はあまりに大きい。しかもほとんどの企業が、正社員の雇用条件には手を付けることができていない。こと正社員に関する限り、日本では高度成長期の残滓とも呼ぶべき年功序列や終身雇用の亡霊が、まだ生きているのだ。そのため、例えば海外では営業成績次第では当たり前に行われている降格や減給はまず不可能で、不祥事でも起こさない限り賃下げもできないし、制度上は可能になっているはずの解雇も、実質的にはほとんど不可能になっている。
このように正社員の権益だけが過度に保護される一方で、非正規は賃金も半分以下で雇われ、しかも使い捨てにされている。昨今の不況下で非正規労働者が大量に放り出されている背景には、業績不振に陥った企業が人件費を削減しようと思っても、正社員の雇用や賃金にはほとんど手を付けられないという現実があるからだと、城氏は指摘する。正社員と非正規労働者の格差が固定される上、いつ切られてもおかしくない非正規労働者は単純作業しか教えてもらえないため、何年働いてもキャリアを積むことができないという悪循環まで起きている。
実際にこのような手厚い既得権益の保護は、正社員、とりわけ若い正社員にとっても、決して幸せな結果をもたらしていない。30代後半〜40代以降の中高年正社員の賃金がいたずらに高いため、現在の20代〜30代前半の正社員の賃金は低く抑えられ、彼らの賃金が20年後に現在の40代の正社員の水準まであがっていく可能性はほとんど無い。しかも、若い正社員たちは、合理化による人員の削減や非熟練非正規労働者を大勢抱えた現場にあって、彼ら自身も苛酷な労働を強いられている場合が多い。つまり、正社員の既得権益とは、より正確に言うと、中高年正社員の既得権益のことであり、それを守るために、若い正社員や非正規労働者たちが、苛酷な目に遭っているというのだ。
城氏は、日本企業が競争力を持つためには、正社員の既得権益にメスを入れ、年功序列・終身雇用といった「昭和型」の雇用体系と決別し、日本独自の成果主義を導入する必要があると主張する。しかし、正社員の既得権益化を問題にすることは、日本では半ばタブーになっている。労働組合が正社員の権利を守ることを優先しているため、組合をバックに持つ民主党や社民党などの野党は、派遣や非正規雇用問題は声高に主張するが、正社員の既得権益についてはほとんど語ろうとしない。また、メディアも、大手メディア自身が最も優遇された正社員と苛酷な条件で酷使される非正規労働者を抱えるところがほとんどで、この問題を取り上げられる立場にはいないと、城氏は語る。そんな理由から、正社員はいまや日本の最もディープな聖域になりつつある。
正社員と非正規労働者の格差を解消するためには、現在の正社員の既得権益化した待遇を見直すことが不可欠となる。非正規の待遇を正社員並に引き上げることは現実的ではないし、それをやれば日本の企業のほとんどが国際競争力を完全に失うことになる。賃金差是正のためには年功序列を壊し、成果主義を導入した上で、複数のキャリアパスを用意することが必要だと城氏は語る。つまり、キャリアアップしてどんどん上に上がりたい人にはそういうキャリアパスを、賃金はそれほど伸びなくてもいいので、仕事はほどほどにして、趣味や自分の時間を大切にしたい人にはそういうキャリアパスがあっていいはずだと言うのだ。
しかし、日本において企業が、長年、共同体としての役割を果たしてきたことも事実だ。年功序列・終身雇用のもとで、企業が単なる株主のための利潤追求団体以上の役割を果たしてきた企業のシステムを明日からいきなり崩して成果主義に移行した場合、どのような影響が出るのだろうか。成果主義の導入によって急激に所得が減る人に対しては、暫定的に国が所得の減額分の一部を補填するくらいの思い切った措置が必要になると城氏は説くが、そもそもそれは可能なのだろうか。
今週は城氏とともに、派遣切りの裏に潜む正社員の既得権益の実態と、未だに「昭和型」から脱却できない日本的雇用の問題点、そしてそれを改善するための方策などを議論した。その上で、日本の文化に適した成果主義とはどのようなものなのかを考えてみた。
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