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■マル激トーク・オン・ディマンド
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■マル激トーク・オン・ディマンドDVD特別版 環境編 政治編 米大統領選編 民主党編 検察編 裁判員制度編 沖縄編

マル激トーク・オン・ディマンド 第45巻(第451〜460回収録)詳細
マル激トーク・オン・ディマンド(第451回)
放送日 2009年11月28日(PART1:50分/PART2:75分)
シリーズ・民主党政権の課題6 記者クラブ問題の本質

ゲスト:森暢平氏(成城大学文芸学部准教授)

 マル激ではこれまで折に触れてきた記者クラブ問題が、民主党政権の下で新たな次元に入ったようだ。
 大手新聞と通信社、テレビ局だけが記者会見に出席する特権を独占し、雑誌、外国報道機関、ネットメディア、フリーランスは徹底的に排除する、日本のマスメディアの閉鎖性や排他性、前時代性の象徴とも言うべき記者クラブの弊害は、今更指摘するまでもないだろう。
 記者会見への特権的・独占的アクセスのみならず、省庁施設内の記者室の無料使用に始まり、光熱費・電話代、アルバイト事務員に至るまで、ありとあらゆる便宜供与を受けることで発生するメディアと政治の癒着。特権を享受する者同士が結ぶ「村の掟」的取材協定や談合取材。発表ものを報じていれば事足りてしまうことからくる、調査報道能力の低下。そして、メディア産業への新規参入企業の排除等々。
 いずれも報道の自由を標榜する日本ではあってはならないものばかりだし、市民社会にとっては百害あって一利もないものばかりでもある。
 しかし、今や世界の笑いものと化しているこの制度を、日本はなぜ未だに解決できないのだろうか。ましてや、記者会見の開放を宣言してきた政党が政権の座についているというのに、である。
 今回のマル激は、元毎日新聞記者で、学究生活に入ってから記者クラブの歴史を研究してきた成城大学文芸学部の森暢平准教授を招き、明治期の帝国議会の出入り記者会や国木田独歩らによる外務省の記者倶楽部に端を発する記者クラブの歴史や背景などを詳しく検証した上で、その構造的な問題を明らかにしてみた。
 森准教授は任意団体であり親睦団体である記者クラブは本来はプライベートなものであるにもかかわらず、取材や記者会見というパブリックな機能まで持つようになったことが、現在の記者クラブ問題の解決を難しくしていると指摘する。要するに、記者クラブは自らが親睦団体であることを理由に、本来ならばオープンであるべき会見の場から非加盟のメディアを閉め出す一方で、プライベートな団体の懇談に過ぎないはずの閣僚や官僚との会合を「記者会見」と呼ぶことで、パブリックな機能を担わせてきたわけだ。その「プライベート」と「パブリック」の混同やご都合主義的使い分けが、今日の記者クラブ問題、引いては記者会見の開放問題の解決を困難にしているというのだ。
 森氏は、当事者意識も改革能力もない記者クラブは官僚組織と同じであり、すでに多くの人に守旧派と見なされているという。情報公開や説明責任が求められる時代において、記者クラブという自らの問題を報じないまま、自分たちを国民の代表と思い込むマスメディアへの信頼は失われつつある。早晩、そうした大文字のジャーナリズムは凋落し、大手メディアも中小メディアや市民メディアも等価なものとして受容されていくようになると森氏は言う。
 しかし、改革できない大手メディアが凋落していくのは大手メディアの勝手だが、それに伴い、これまでわれわれの先人達が長い年月をかけて培ってきたジャーナリズムのノウハウ、とりわけ権力をチェックするノウハウがメディアから消滅してしまう問題は、簡単に看過できないようにも思える。
 しかし、森氏はその問題に対しても、もはや権力監視の機能も、マスメディアの専売特許ではなく、ジャーナリストの他にも、弁護士やNPOなど幅広い市民社会の参加によって、権力は監視されていくことになるべきだと説く。つまり、森氏は、記者会見は「報道を生業とする者」のみならず、誰でも自由に参加できるものにすべきだと主張するのだ。
 シリーズでお届けしている「民主党政権の課題」の6回目となる今回は、マル激本編としては初となる記者クラブ問題を取り上げた。
マル激トーク・オン・ディマンド(第452回)
放送日 2009年12月05日(PART1:50分 PART2:39分)
「事業仕分け」から見えてきたこと

ゲスト:枝野幸男氏(衆議院議員)

 公開の場で政府のムダ遣いを洗い出す「事業仕分け」が、11月27日終了した。インターネット中継へのアクセス数は270万回に達し、直接会場へ足を運ぶ傍聴人の数も1万人弱にのぼるなど、国民の関心も予想以上に高かったようだ。
 事業仕分けによって、これまで財務省主計局の密室の中で行われていた税金の使い道の査定が、白日の下にさらされたことの意味は大きい。
 しかし、その一方で、すべての事業の有用性を1時間あまりの議論で断定する手法に対しては、少なからず反発もあった。
 また、今回の事業仕分けが来年度予算の概算要求から選定された事業が評価の対象となったこともあり、仕分けでいくら削れるかという金額の部分にメディアの関心が過度に集まったことも否定できない。
 しかし、今回、統括役として事業仕分け作業を差配した枝野幸男衆議院議員は、事業仕分けの唯一の目的は、その事業に対して納税者の立場で納得できる説明がなされるかどうかを判断することであり、当初から金額を削減することが目標ではなかったと言い切る。事業仕分けで事業の妥当性を判断した結果、結果的に削減額が1兆6千億円(朝日新聞)になったに過ぎないのであって、金額の多寡自体にはそれほど意味はないというのだ。
 むしろ、枝野氏は、今回の事業仕分けの最大の収穫は、日本では予算編成においてこれまで「目的の重要性」しか議論されてこなかったことが、はっきりとしたことだと言う。事業内容を説明に来た省庁の担当者は、その事業の目的がいかに重要で意味のあることかについてはさまざまな方法で説明しようとするが、ほとんどのケースで、その説明は目的の正当化に終始し、その目的を達成する手段の正当性や合理性をきちんと説明できる人が、いなかったというのだ。
 事業仕分けでは、質問にうまく答えられない役人のプレゼンテーション能力の低さも指摘されたが、枝野氏は、問題はプレゼンテーション能力ではなく、そもそも予算を要求する省庁側は目的の重要性しか考えていないため、手段の合理性を問われても、考えたことがないことに答えようがなかったところにその原因があると指摘する。
 目的の重要性にしか目が行かなかったのは、要求省庁の役人に限ったことではない。概算要求を査定する財務省主計局、政治家、メディア、そして枝野氏自身も含めて、これまで予算の使い道に対して目的の重要性と手段の合理性を区別して考えるという発想が欠けていたために、野放図な予算編成を許してきたと枝野氏は語る。
 事業仕分けは、それを議論するプロセスを通じて、手段の正当性や合理性に対する問題意識を誰もが共有できるようになるところに、その本質的な意義があると枝野氏は言う。
 その意味で、今回の事業仕分けが一般に広く公開されたことの意味は大きい。これまで主計局という密室で行われてきた不透明な予算査定を公開の場に引っ張り出し、予算の有効性について議論する場に国民を引き込んでいくことで、初めて事業仕分けはその真価を発揮するというのだ。
 事業仕分けは、民主党が掲げる「市民参加型政治」への第一歩となるか。枝野氏とともに考えた。
マル激トーク・オン・ディマンド(第453回)
放送日 2009年12月12日(PART1:67分 PART2:27分)
09年、就職戦線異状あり

ゲスト:常見陽平氏(就職ジャーナリスト)

 リーマンショックに端を発する急激な景気の悪化で、企業の内定取り消しが相次いだ昨年秋以降、就職市場の冷え込みがメディアで報じられている。文部科学省と厚生労働省の調査によると、来春大学卒業予定者の10月1日時点での就職内定率は62.5%で、前年同期より7.4ポイント低下している。これは調査を始めた96年以来最大の下落率だという。実際、企業の新卒採用数も昨年より大幅に減っており、内定がとれず就職活動に苦戦する学生たちの姿から、氷河期の再来と見る向きもある。
 一方で、(株)リクルートの研究機関のリクルートワークス研究所が今年4月に発表した大卒求人倍率調査によると、2010年3月卒業予定の大学生の求人倍率は1.62倍で、前年の2.14倍から大幅に落ち込んだものの、氷河期といわれた1996年の1.08倍や2000年の0.99倍に比べれば、はるかに高いことがわかった。数字上はさほど悪くないにもかかわらず、なぜ就職戦線の厳しさばかりが目に付くのか。
 (株)バンダイで新卒採用を担当した経験を持つ就職ジャーナリストの常見陽平氏は、今起きているのは氷河期の再来ではなく、内定をいくつもとれる学生と一つもとれない学生との二極化であり、そうした内定格差を生み出している「就活格差」だと説明する。求人数はあるが、企業が欲しいと思う人材が極端に少ないため、一部の学生を企業が奪い合う状況になっているというのだ。
 内定格差が生じる原因の一つとして、常見氏は大企業や人気業種に学生の志望が集中することを挙げる。先の大卒者求人倍率に関しても、従業員数1000人以上の大企業では0.55倍となるのに対し、1000人未満の企業では3.63倍であり、常見氏曰く「知っている企業しか知らない」という学生の大企業志向・有名企業志向がそのまま数字に表れているという。
 また、学生自身の能力や資質の差が開いてきているうえに、企業の選考が以前より高度化・厳格化していることも、格差の要因となっている。行動力やコミュニケーション能力といった企業が求めるスキルを高いレベルで持つ学生は限られているため、そこだけに内定が集中してしまうというのだ。
 このことは裏を返せば、企業側に採用格差が生じていることを示している。いい人材を採りたくても、学生に人気のない企業は全く採れない。さらに求める人材像が似通っているために他の企業と競合し合い、最終的には採用力の差によって競り負けてしまうのだという。
 学生側と企業側のこうしたミスマッチを背景に成長してきたのが、就職情報会社などの就活ビジネスだ。数千企業の就活情報を提供するナビサイトや、大規模会場で開催される合同企業説明会などは、今や一大産業の様相を呈している。
 就活の早期化も止まらない。今では、大学3年の4月から就活が始まるのが一般的であり、大学生活の半分は就職活動に充てられるのが当たり前になっている。企業の採用の早期化に歯止めをかける目的で経団連が設けている倫理憲章も形骸化しており、97年に廃止された就職協定の復活を求める声も上がっているが、常見氏は学生の不安が就活の早期化を招いている現状においては意味がないだろうと指摘する。
 人材を供給する大学側の責任も大きい。少子化時代を迎え、生き残りをかけて学生獲得に奔走する大学としては、就職実績を重視せざるを得ないのは仕方ないが、それは単に学生や親のニーズに応えているだけであり、それでは社会で活躍できる人材を送り出すという公共的な役割は果たせていないと常見氏は語る。
 今週は学生の就職活動に詳しい常見氏とともに、現在の就活の実態を検証した上で、年功序列、終身雇用といった日本固有の雇用形態が壊れつつある中で、それでも新卒一括採用を続けることの是非などを議論した。
マル激トーク・オン・ディマンド(第454回)
放送日 2009年12月19日(PART1:83分 PART2:104分)
2009年総集編
2009-2010・政権交代の次に来るもの


 恒例の年末マル激ライブ。今年も東京・新宿のライブハウス『ロフト・プラスワン』で、2009年のマル激的総括と来年の展望を神保哲生、宮台真司の2人が議論した。
 09年はなんと言っても憲政史上初といっても過言ではない本格的政権交代の年となったが、それほど大きな変化が感じられないでいる人も多いはずだ。それはなぜか。
 政権は代わったが、それを支える制度も変わっていないし、ましてやそれを支える市民社会のマインドも変わっていないのだから、社会が変わらないのは当たり前だ。
 しかし、大きな変革の兆しはいたるところに見える。事業仕分けは来年度以降の予算編成で大きな威力を発揮する可能性を秘めている。また、むしろ鳩山政権が批判される対象となっている普天間移設問題をめぐるドタバタも、見方によってはアメリカを怒らせることを厭わない政権が戦後初めて日本にできたと見ることもできる。
 とは言え、政権に就くやいなや民主党の弱点が浮き彫りになったこともまちがいない。サブ(政策の中身)には熱心だがロジ(方法論や手順)に弱い民主党の松下政経塾的な体質は、野心的なマニフェストとは裏腹に、それを実現するための具体論に欠けているものが多いことが次々と露わになった。
 また、首相の故人献金問題やその煽りを受けたとみられる記者会見の開放の遅れなど、鳩山政権が抱える懸案は決して少なくない。
 2009年はまた、日本の司法の劣化が大きくクローズアップされた1年でもあった。和歌山カレー事件の最高裁判決や小沢政治献金事件、福島県知事汚職事件、足利事件の再審決定など、不審な点が多い判決や司法の機能不全ぶりが次々と明るみに出た一方で、市民が裁判に参加する裁判員制度がスタートした。この先、日本の司法の長年の課題である取り調べの可視化を実現できるかどうかは、民主党政権の本物度を測る重要なバロメーターになると見ていいだろう。
 ライブマル激はいつも通り予定時間を大幅にオーバーして、終演した。
マル激トーク・オン・ディマンド(第455回)
放送日 2009年12月26日(PART1:35分 PART2:81分)
神保・宮台COP15現地報告:新しいゲームが始まった

ゲスト:福山哲郎氏(外務副大臣)、飯田哲也氏(環境エネルギー政策研究所所長)

 京都議定書の約束期間が終わる2013年以降の温室効果ガスの削減目標を決めるCOP15(気候変動枠組み条約第15回締約国会議)は、最後まで先進国と途上国の対立が解けず、最終的には非常に内容の乏しい政治合意を何とか捻り出すにとどまった。
 主要メディアは概ね、コペンハーゲン会議の結果をこのように報じているし、事実、合意そのものは、この会議を注視してきた世界の多くの人々を落胆させるに十分なものだったかもしれない。
 しかし、そうした反応とは裏腹に、日本政府交渉団の一員として会議に出席し、最終合意まで実際の交渉の最前線に立ってきた福山哲郎外務副大臣も、環境NGOの立場からCOPをウオッチしてきたNGO環境エネルギー政策研究所の飯田哲也所長も、ともに今回の会議の成果を非常に肯定的に評価している。
 確かに、世界の190を超える国がコペンハーゲンで一堂に会したCOP15では、既に影響が深刻化している地球温暖化と気候変動問題に対処するには、明らかに不十分な合意しか生むことができなかった。京都議定書を引き継ぐ法的拘束力を持った削減目標は一切決めることができなかったし、新たな議定書の策定期限さえ決まっていない。要するに、京都議定書の約束期間が終了する2013年以降、世界はこと温室効果ガスの削減については、事実上何の約束も無い状態に置かれたことになる。
 にもかかわらず、なぜあの会議にそれだけ大きな意味があったのか。
 福山氏は、コペンハーゲン合意によって、京都議定書の最大の欠点だった中国とアメリカを国際協調の枠組みの中に取り込めたことの意義は計り知れないほど大きいと繰り返し強調する。世界の国別の温室効果ガス排出量で一、二位を占める中国とアメリカは、二ヵ国で世界全体の排出量の4割を占める突出した排出量大国だが、にもかかわらず京都議定書はこの二ヵ国に何の削減義務も課していない。京都では途上国扱いだった中国は当初から議定書の対象から外れていたし、アメリカは議定書に署名はしたものの、上院の批准を得ることができず、ブッシュ政権の成立とともに、議定書そのものから離脱してしまった。
 「アメリカ、中国を含む形で合意に達するには、あれしかなかった。あの合意ですら、先進国が一枚岩となって中国との交渉に臨み、オバマ大統領の獅子奮迅の活躍で、ぎりぎりのところで何とか漕ぎ着けたもの。」10時間を超える各国首脳との徹夜の交渉を終えたばかりの福山氏は、やや興奮気味に語る。
 福山氏によると、オバマ大統領が自ら合意文書のテキストを持って各国首脳の間を走り回り、最後は先進国の総意として中国に合意案をつきつけたことで、当初はいかなる合意にも否定的だった中国も、最後は逃げられなくなったと言う。削減義務を負いたくない中国によって終止会議が振り回されたとされる多くのメディア報道とは一線を画す、交渉現場からの生の証言と言っていいだろう。
 逆に言うと、オバマ大統領は、京都議定書から離れているアメリカを新たな枠組みに含めることに議会の承認を得るためには、何としても中国を取り込んだ枠組みの合意が必要だったのだ。 また、先進国と途上国の対立がコペンハーゲン合意の妨げになったとの報道についても、福山氏は異論を呈する。多くの国際交渉と同様に、かつてのCOPの枠組みでは、まずG7と呼ばれる先進国の間にも、アメリカ、EU、日本の3つの勢力の間で少しでも自国に交渉を有利に進めようとする腹の探り合いがあり、更にその上に、先進国とG77と呼ばれる途上国連合の間で、大きな対立があるため、WTOなどの国際交渉は遅々として進まないというのが定番の説明だったし、現実もそれを概ね踏襲していた。
 しかし、今回コペンハーゲンでは、まず途上国の中でも新興国、とりわけ中国の存在があまりにも大きくなり、従来の勢力図が塗り替えられていた。既にアメリカを抜いて世界最大の排出国となっている中国は、G77の親分格として、これまでの地球温暖化への責任を先進国に求める立場を貫いていたが、同じG77の中でも、ほとんど温室効果ガスを排出していない最貧国やツバル、モルジブなど、温暖化の影響で国家存亡の危機にさらされている国などが、排出量の多い新興国も一定の責任を負うべきとの立場に転じたために、途上国陣営内にも断絶が生じていた。
 更に、中国の台頭が先進国(G7)を団結させる効果も生んだという。経済的にも政治的にも大きな力を持つようになった中国を合意の枠組みに取り込むためには、アメリカ、EU、日本の先進国の互いの利害を超えた協調が不可欠になっていたからだ。
 「今回でゲームのルールが変わったのだと思います。それに気づいていない人達は、まだ古いルールを前提として今回の会議を見ているために、正当な評価ができないのだと思う。」福山氏はこう語る。
 合意の内容に多くの不満はあるにせよ、中国、アメリカを含む枠組みを作るためには、あの合意内容以外はあり得なかったし、合意の内容をより踏み込んだものにするのであれば、世界は再び二大排出国の中国とアメリカが外れた枠組みで我慢するしかない。実際に交渉に携わった人達の口からは、ほぼ例外なく、その2つの究極の選択肢からよりベターな方を選ぶことができたとの自負が感じられた。
 NGOの立場から会議をウオッチしてきた飯田氏も、ルールの変更を痛感した一人だ。
 「新しいゲームが始まったのだと思う。古いルールでは国連が法的拘束力のある決定をしてくれれば、各国はそれを持ち帰って『国連が決めたのだから』と言って国内を説得して、国内の法整備をすればよかった。しかし、今回は各国の首脳が集まって合意したものが、実質的な拘束力を持つ。合意文書のテキストではなく、ここで話し合われたことをもとに、これから国際社会が監視の中で世界は1年間走っていくことになる。法的拘束力はないかもしれないが、鳩山さんも含めて、ここで首脳同士話し合った国は、絶対に離脱はできない。それに中国も、つまり途上国側も入っているのが大きい。」飯田氏は、この会議の意義をこう総括する。
 つまり、コペンハーゲンで新しく始まったゲームとは、G7主導で法的拘束力のある合意文書(テキスト)を作成し、その文書で各国を縛っていく従来の国連のコンセンサス(全会一致)方式が、もはや実効性を失い、新たに、世界が温室効果ガスの排出を削減していくことは必要との大枠の合意に基づいて首脳がコペンハーゲンに集い、地球の気温上昇を2度以内に抑えることなどを大枠で合意した上で、あとは各国がそれぞれの判断で国内対策をどれだけ実行できるかを競うゲームだと言うのだ。より大きく温暖化対策を進めたところが、次の会議ではより大きな発言権を持つことになることは言うまでもない。
 そうした見方を前提に日本に目をやると、コペンハーゲンでは過去の日本の首脳に比べると鳩山首相は一定の存在感を示すことができたと言えそうだ。先進国間の話し合いの際も、鳩山首相はオバマ、クリントン、ブラウン、サルコジ、メルケルらと机を囲んで膝詰めで丁々発止の議論に参加していたという。そして、福山氏も飯田氏も、それは鳩山首相が9月に25%削減を発表しているかに他ならないと、口を揃える。
 世界に先んじて野心的な削減目標を打ち出したことで、少なくとも今回の会議で日本は、新しいゲームに参加するパスポートを得た。しかし、実際その後温暖化対策の具体的な中身については、ほとんど議論さえ進んでいないのが実情だ。民主党は排出権取引、再生可能エネルギーの全種全量買い取り制度、炭素税の3つの制度の導入を公約しているが、これまでその面での整備はほとんどまったくといっていいほど進んでいないのが実情だ。交渉の過程で中国から、「日本は25%なんて言ってるが、本当にできるのか」とまで言われ始めているという。既に国際社会は、25%削減の裏付けとなる日本の国内対策がほとんど進んでいないことを、見抜いているのだ。
 2009年最後のマル激は、ビデオニュース開局10周年記念を兼ねて、COP15の会場から、神保・宮台両キャスターが見たCOP15の報告と、そこで2人が見た新しいゲームとはどのようなもので、そのゲームに日本が参加し、勝ち抜くために何が必要になるのかを、極寒のコペンハーゲンで福山氏、飯田氏とともに考えた。
マル激トーク・オン・ディマンド(第456回)
放送日 2010年01月06日(PART1:87分 PART2:73分)
新年映画特集 映画監督・是枝裕和がまだテレビにこだわる理由

ゲスト:是枝裕和氏(映画監督・テレビディレクター)

 2010年最初のマル激は、新年特別企画として、ゲストに映画監督の是枝裕和氏を招いて映画特集をお送りする。
 今回取り上げた作品は、現在公開中の新作映画から『戦場でワルツを』『誰がため』『カティンの森』『キャピタリズム〜マネーは踊る〜』の4本と、是枝氏の最新作『空気人形』。
 新作4本のうち『キャピタリズム』以外は、いずれも戦争をモチーフにした作品だ。アニメーションとドキュメンタリーの融合という斬新な手法で戦争体験を描いた『戦場でワルツを』、第二次世界大戦中に起こった実話をベースに映画化した『誰がため』と『カティンの森』の3作品を通して、映画で戦争を描くことの意味やその手法について議論した。
 マイケル・ムーアの最新作『キャピタリズム』では、ムーア自身がプロパガンダ映画の作り手としての地位を確たるものにすればするほど、その一方で、ドキュメンタリー作家に不可欠な社会との距離を喪失していく現状を、われわれはどう受け止めるべきかを考えた。
 一方、是枝氏の新作『空気人形』では、この映画を通じて何を描きたかったかを、是枝氏自身が語った。
 番組の後半は、特にテレビ草創期の1960年代に、TBSのディレクターとして斬新なドキュメンタリー作品を次々と世に送り出したテレビマンユニオンの創設者萩元晴彦・村木良彦両氏から、直接薫陶を受けたという是枝氏とともに、その精神を完全に喪失したかに見えるテレビの現状と可能性を論じた。
マル激トーク・オン・ディマンド(第457回)
放送日 2010年01月16日(PART1:55分 PART2:38分)
消えゆくマスメディアとその後にくるもの

ゲスト:佐々木俊尚氏(ジャーナリスト)

 あれこれといろいろな可能性を考えてみても、どうやらマスメディアはもうどうにもなりそうもない。
 新聞は発行部数と広告収入の落ち込み、テレビは視聴率の低下と番組の画一化、低俗化に拍車がかかり、雑誌は廃刊が相次ぐ。しかも、マスメディアの報じている内容が、ほとんど社会のニーズを満たせなくなっているという感覚は少なからず広がっているようだ。
 成熟した社会にはもはやマス自体が存在しないのだから、いつまでもマスメディアが存在できるはずがないという説明もあるが、それにしても昨年あたりからのマスメディアの衰退ぶりを見るにつけ、いよいよそれが現実のものとなってきたとの感は否めない。
 「2011年 新聞・テレビ消滅」の著者でジャーナリストの佐々木俊尚氏は、マスメディアの崩壊はもはや避けられないと断言する。そして、それは既にマスメディアを支えてきた社会や技術の構造そのものが変わってしまったからに他ならないと言う。
 確かに今日のマスメディア衰退の直接的な原因は、広告収入の落ち込みにある。景気の低迷やインターネットの台頭も、メディアの経営状態には少なからず影響を及ぼしているだろう。しかし、佐々木氏は、新しい技術の到来でこれまで垂直統合によって高い収益を得ていた従来のビジネスモデルが完全に破綻した以上、仮に景気が持ち直したとしても、マスメディアの衰退に歯止めがかかることはないだろうと言うのだ。
 佐々木氏の解説はこうだ。これまで番組や記事などの(コンテンツ)とそれを載せる器(コンテナ)としてのチャンネルや新聞の紙面、そしてそれを運ぶための電波や宅配網などの伝送路(コンベヤ)の全てを押さえていたマスメディアが、新しいメディア構造の中でコンテナ部分をヤフーやグーグルといった新興ネット企業に奪われた段階で、勝負はついた。コンテナを押さえられれば、これまでマスメディアの力を支えていた「希少な伝送路を押さえていることの優位性」が全く意味のないものになってしまうからだ。佐々木氏は「これからのメディアはコンテナを制する者がメディアを制する時代」と解説する。つまり、マスメディアの真の敗因は、従来のメディアの力の源泉とされたコンテンツと伝送路の2つに固執し、コンテナという新しい主戦場に戦線を移動させることができなかった点だと佐々木氏は言うのだ。
 それでもマスメディアにはこれからもコンテンツ制作者(CP)としての一定の価値は残るかもしれない。しかし、いちCPに過ぎない企業が現在のような高コスト構造や大きな図体を維持し続けることが不可能であることは明らかだ。仮に生き残ることができたとしても、そこで生き残ったメディアはもはやマスメディアたり得ない。その意味で、佐々木氏はマスメディアの終焉を断言しているわけだ。
 しかし、マスメディアが消滅した時、マスメディアがこれまで果たしてきた「世論の形成」と「権力の監視」という2つの機能はどうなるのだろうか。この点についても佐々木氏は楽観視しているという。これまでマスメディアが担ってきた世論形成の機能はネットでも十分に担えるし、それを支える新しいサービスも続々と登場している。一方の権力監視についてはそのニーズがあれば、必ずそれを供給する者が現れるのが市場原理だと佐々木氏は言う。
 実際に新しいメディアの息吹はいたるところに見られる。例えば、これまで政治報道は自民党、官僚、マスメディアが三位一体となって世論形成を行ってきたが、今や鳩山首相自らがツイッターを使って有権者と直接やりとりする時代に入っている。マスメディア以外のメディアにも記者会見を開放した省庁では、記者会見のインターネット中継はもとより、フリーのジャーナリストが記者会見をツイッターで中継し、一般の市民がこれにコメントを返して議論が沸騰するようなことまで始まっている。他のあらゆる業界と同様、メディアの世界でも中抜きが始まっているのだ。政治と世論がダイレクトにつながれば、マスメディアがその存在価値を失っていくのは当然のことだった。
 むしろ、佐々木氏が懸念するのは、今のマスメディアが劣化したまま生きながらえてしまう可能性だという。業績不振が続き、赤字状況がしばらく続いたとしても、長年の独占経営によってかなりの内部留保を貯め込んでいるマスメディアは、それを償却していけば、そうは簡単につぶれない。そうなった場合、既得権益の中で守られたオールドメディアが、大きな図体で市場を占拠し続け、それが新しいメディアの登場を妨げることにもなりかねない。
 いずれにしても、2010年はメディアが大きく変わる1年になる予感がする。2011年にはマスメディアが消滅すると断言する佐々木氏と、2010年のメディアの動きと、マスメディアのその後にくるものを議論した。
マル激トーク・オン・ディマンド(第458回)
放送日 2010年01月23日(PART1:35分 PART2:56分)
検察の捜査について、これだけは言っておきたい

ゲスト:堀江貴文氏(株式会社ライブドア元代表取締役CEO)

 「検察の暴走だ」、「小沢も説明責任を果たしていない」などとやりあっている間に、民主党小沢幹事長の土地購入をめぐる資金疑惑が、ついに検察による政権与党幹事長の事情聴取にまで至った。ご多分に漏れずマスメディアでは当初から検察寄りの報道が目につくが、今週に入りどこからともなく「検察は本気らしい」との観測が流れ始めると、物言えば唇寂しの空気が日本全体を覆い始めている感すらする。
 ところがそうした中にあって意気軒昂、舌鋒鋭く検察批判を繰り返す男がいる。自身も検察との徹底抗戦を掲げ、法廷闘争を続けているホリエモンこと元ライブドアCEOの堀江貴文氏だ。
 堀江氏は自分自身が検察の手によって不当に犯罪者に仕立て上げられたとの立場から、検察とメディアがタッグを組んで事件を作り上げていく(堀江氏)手法の怖さと危うさを繰り返し訴える。
 また、現在問題にされている捜査の可視化や弁護士の立ち会いなどは必要だが、それだけでは不十分だと堀江氏は指摘し、自身の経験では、検察の力の源泉は任意捜査にあると言う。堀江氏によると、ライブドア事件を立件するために、検察は周囲に広く捜査の手を広げ、堀江氏に不利な供述をした人は罪に問わなかったり、罪を軽減するなど、事実上の司法取引が行われている。それが検察の最大の武器だと堀江氏は言う。事件に巻き込まれる恐怖から、本人が言ってもいないことを聞いたとか、やってもいないことを見たと証言する人が出てくるからだ。
 それにしても、なぜ小沢氏や堀江氏は検察のターゲットとなったのか。堀江氏はその答えとして、自分と小沢氏の間のある共通点をあげる。それは、両者とも自分たちを「嫌いな人間が一定数存在する」こと。小沢氏も堀江氏も既存の秩序の破壊者であり、一定の数の人々の強烈な反発を買うタイプであることは確かかも知れない。検察としては善人面した人よりもそういうタイプを立件した方が、はるかに一罰百戒効果があるというのだ。
 今回の事件で検察が執拗に小沢氏を狙う理由について堀江氏は、はっきりと「民主党が進めようとしている司法制度改革を何としても阻止したいから」と言い切る。それは堀江氏の経験では、民主党の司法制度改革が実現してしまうと、自身に対して行われたような捜査や立件は難しくなるからだ。
 94日間に及ぶ勾留や激しいバッシングを経て至った今日の心情も含め、堀江氏と「小沢対検察」に見る検察問題を議論した。
マル激トーク・オン・ディマンド(第459回)
放送日 2010年01月30日(PART1:66分 PART2:69分)
なぜ普天間問題がこじれるのか

ゲスト:鈴木宗男氏(衆議院外務委員長)

 名護市長選で辺野古への移設受け入れに反対する新人の稲嶺進氏が当選したことで、普天間基地移設問題は更に混迷の度合いを深めている。鳩山首相は5月までに結論を出すとしているが、今のところいろいろな地名が乱れ飛ぶばかりで、具体的な展望は一向に開けてこないかにみえる。
 橋本内閣で沖縄開発庁長官を務め、長年沖縄と深い関わりを持ってきた鈴木宗男衆議院外務委員長は、普天間問題がこじれる理由として、小泉内閣以降の歴代政権が、沖縄の人々の基地に対する複雑な思いが理解できていないことを真っ先にあげる。沖縄の歴史や事情も知らないでたまたまポストについた政治家が、ハコモノ的なバラマキで沖縄の人々の心を切り裂いてきたと鈴木氏。普天間をめぐる鳩山政権の迷走ぶりの元凶も「沖縄の人々の心が理解できていない」ことにあると鈴木氏は言い切る。
 沖縄では基地に対する複雑な思いがある。温暖な気候と豊かな自然を持つ沖縄は本来は基地など無くても十分にやっていける。その意味ではもちろん基地なんて無いに越したことはない。しかし、沖縄にとってもし基地の受け入れがどうしても避けられないことなのであれば、その負担や影響を最小限に抑えるとともに、少しでも沖縄の地域振興に役立つ見返りを得ようと考える。あたかも沖縄は、利権が欲しくてあれこれごねているかのように見られる素地が、ここに出てくる。
 沖縄では、基地に出て行ってもらえる現実的な可能性が見えてくれば、基地反対が優勢になる。しかし、どうせ受け入れなければならないとなった瞬間に、強制的に土地を接収されるくらいなら基地地主になって地代を徴収した方がましだし、どの道基地の負担を受け入れなければならないのなら、少しでも多くの経済振興策を求めようという話になる。これは当然だ。沖縄の中に2つの異なる利害が共存するというよりも、沖縄の人一人ひとりの中にそれが共存すると言ってもいいかもしれない。鳩山政権で沖縄問題を扱っている政治家たちには、それが十分に理解できていないのではないかと、鈴木氏は言うのだ。
 もともと日米間で2006年に合意された現行の辺野古崎移設案にしても、当初は環境への負荷を最小化する目的で海上浮揚型のメガフロート案や杭式桟橋案などが模索されてきた。しかし、それでは高い技術を持つ大手ゼネコンばかりが潤い、地元の土木建設業界に恩恵が落ちてこないとの理由から、最終的にはより環境負荷の高い現行の埋め立て式V字滑走路案になったという経緯がある。V字で2本の滑走路にした方が、埋め立て面積が大きくなるからだ。ことほど左様に沖縄の基地問題は、複雑でデリケートな側面を持っている。単に辺野古の代わりの場所を見つければいいという話ではないのだ。
 その意味で鈴木氏は、名護市長選挙の結果を「斟酌しない」とした平野官房長官の発言には怒りを隠さない。鳩山政権がまずすべきことは「沖縄の声を聞くこと」(鈴木氏)なのに、それとは正反対の方向を向いた発言だと言うのだ。また鳩山内閣の他の閣僚も、普天間移設の経緯や事情も踏まえずに、移設先に関して好き勝手な発言を繰り返していると、同じ与党の議員でありながら、鳩山政権の対応には容赦の無い苦言を呈す。
 しかし、その鈴木氏でも、普天間問題への具体的な解決策を問われると言葉に詰まる。まず沖縄の声を聞いた上で、最後は沖縄に「貢献をお願いする」以外に解決方法はないだろうというのだ。
 普天間移設問題をめぐる歴史的な経緯をふり返り、その解決に向けて今政治が何をしなければならないのかを、鈴木氏とともに議論した。
 また、同じく鈴木氏とは、検察の小沢氏の政治資金規正法違反捜査に関連して、鈴木氏が政府に提出した検察の捜査に関する数々の質問趣意書の内容とその回答についても議論した。
(今週は5金にあたりますが、1月は第一週目の放送をお休みさせていただいたため、通常の編成で放送します。)
マル激トーク・オン・ディマンド(第460回)
放送日 2010年02月06日(PART1:64分 PART2:45分)
日本経済の復活のための処方箋

ゲスト:池尾和人氏(慶應義塾大学経済学部教授)

 リーマンショックに端を発する世界同時不況から約1年5ヶ月。日本経済はGDP実質成長率が3四半期連続でプラスとなるなど回復基調の兆しが見られるものの、景気回復の実感は薄く、雇用情勢も失業率5.1%、有効求人倍率0.46倍と依然として厳しい状況が続いている。さらには円高や消費低迷でデフレの進行が止まらず、二番底を懸念する声も根強い。折しも5日、米国株式市場の急落を受けて日経平均株価が1万円を割りそうになるなど、景気動向については予断を許さない状況だ。日本経済はいつになったらこの不況を打破できるのか。
 経済学者で金融論が専門の池尾和人慶應義塾大学教授は、不況には一時的な景気悪化でその経済が本来持っている実力よりも下ぶれしている場合と、そうではなく実力そのものが低下している場合があり、現在の日本の経済不況は明らかに後者だと言い切る。
 2002年以降の日本経済は米国の過剰消費に輸出産業が引っ張られ、実力以上に好調な景気を維持してきたが、リーマンショックを契機に一気に失速した。その後、緩やかに回復してきてはいるが、現在の停滞状況は日本経済の本来の実力を反映しているに過ぎないというのが池尾氏の見立てだ。今後の見通しについても、「質素で退屈で憂鬱な」低成長時代が続くと池尾氏は言う。
 かつてジャパン・アズ・ナンバーワンとまで言われた日本経済は、なぜそこまで力を失ってしまったのか。池尾氏はその問いに対して、一言で言えば日本の経済の仕組みが硬直化し、内外の環境の変化に対応できていないからだと見る。 
 90年前後に起こった冷戦の終結は、ロシアや東欧の自由主義経済への参入や中国の開放政策の成功、インドやその他の新興国の台頭をもたらし、市場経済の規模が一気に拡大した。その結果、グローバル資本主義が成立し、そこに参加する人数もそれまでの10億人から40億人へと一挙に膨れ上がった。当然、グローバル市場における日本経済のウェイトは相対的に低下することになる。  また、世界の工場として躍進を遂げた中国をはじめ、韓国や台湾などの近隣諸国が産業化に成功し、外でつくった製品を輸入した方が安いという経済合理性から、日本の国内向け製造業も大打撃を受ける。
 こうしたドラスティックな環境変化に日本は対応できず、産業構造の転換を図ることをしてこなかったと池尾氏は説明する。加えて、追いつき追い越せというキャッチアップ型の成長時代が終わったにもかかわらず、先進国型の経済成長に不可欠な、独自の技術開発やイノベーションを生み出すための教育や社会の仕組みづくりにも手を付けてこなかった。
 内外の激的な変化に対して何ら手を打たずにいれば、日本経済が弱体化するのも当然だ。そればかりか、日本経済の実力自体が落ちていることを直視せず、不況の原因を一時的な景気悪化と見て、財政出動というカンフル剤の投入を繰り返してきたのがこの20年間だったと池尾氏は言う。すでに長期債務残高は国と地方を併せて816兆円、対GDP比で160%以上にまで膨れ上がり、これ以上の財政出動の余力はない。しかも、そのツケは将来世代に回されるという世代間不公平が生じている。
 今や重篤な病にかかってしまったかのような日本経済だが、果たして打開策はあるのか。池尾氏は、日本経済が抱える最大の問題点は需要構造と供給構造のミスマッチにあると指摘する。しかし需給ギャップというと、その原因は需要側にあると短絡的に考え、慢性的な需要不足に対して慢性的な財政出動を行ってきたのが、これまでの経済政策だった。現在の需給ギャップはむしろ供給サイドに問題があるというのが池尾氏の見方だ。つまり、売れるモノやサービスを提供できるように、人やリソースを配分するという供給構造の大転換が必要だという。そして、その際に生じる痛みを手当することに経済政策の主眼を置くべきだと池尾氏は主張する。
 医療、健康、介護、教育、環境といった分野における生産性を向上させることが日本の経済成長にとっての最優先課題になると説く池尾氏とともに、日本経済の現状と復活のための処方箋を議論した。(本日のマル激本編は経済ジャーナリストの町田徹と宮台真司の司会で、ニュースコメンタリーは神保哲生と宮台真司の司会でお送りします。)
 
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