2021年12月4日(土) 年末恒例マル激ライブ開催!~講演録~

2年ぶりに年末恒例マル激ライブを今年は開催いたします。
なお、感染症対策のため、マスク着用をお願いします。

詳しくは以下バナーからご確認ください。


◆講演録◆

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・メタバースの時代に生き残るのは、中国のような権威主義か
・“大ボス”がおらず、ゆえに変わらない日本の構造
・宮台真司があらためて語る、加速主義と孤独死問題
・「リアル対ゲーム」から「いいゲーム/悪いゲーム」を識別する時代に
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■メタバースの時代に生き残るのは、中国のような権威主義か

神保: 大ホールがこんなにいっぱいになるとは思っておらず、うれしい限りです。宮台さん、マル激のライブは2年ぶりになってしまいました。本当は1000回記念に何かやろうと話していましたが、2020年の5月〜6月はコロナでホールも貸出されていない状態で、感染リスクというより、イベントをすることによる社会的なリスクが明らかに大きかった。テレビの収録も感染対策というより、社会からの批判対策が優先されていた頃ですね。

宮台: イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンの「尊厳ある生」という話を引きながら、僕は「命さえあればいい」という生き方を批判しました。渋谷で料理屋の2階を借り切って、ゼミ生とパーティをやったりしていましたね。大学の要請には反しているので、「もちろん来たくなければ来なくていい。来たら共犯だぞ」と。特別な理由がない限りは集まるな、ということでしたが、不要不急の集まりでみんなで楽しむ、というのは特別な理由でしょう。
 僕は今回、日本の行政、あるいは政治家の頭の悪さが露呈したという気がします。尊厳ある生と、むき出しの生。人間はただ生きてさえいればいい、という存在ではないなんて、当たり前のことではないですか。だから、不要不急の振る舞いをするんです。セックスをして感染するかもしれなくても、するというのはヨーロッパでいう自己決定の問題です。

神保: セックスはダメでも、経済活動がある程度は大目に見られるのは、経済が滞ると場合によっては人が死ぬから、不要不急ではないということ?

宮台: そこが何も考えていないご都合主義の典型なんです。マスメディアもそこに突っ込まなければいけないのに、くだらないコメントを垂れ流す、頭の悪いコメンテーターが勢揃いしている。

神保: うちの制作費はテレビ番組の100分の1ですが、中身は100倍でいきましょう。さて、宮台さんはこの2年間で、日本の何が変わったと思いますか?

宮台: おそらく日本人の自意識が変わったと思います。日本は劣等な国であり、日本人には劣等性が刻印されている。これは前から言ってきたことですが、それが自覚されたのではないかと。それ以前は、例えば本屋に「日本スゲー」系の本が並んでいましたが、それがいかに恥さらしなことなのか、という自覚くらいは進んだのかなと思います。その背後にあるのは、この「よーいドン」のコロナ対策の競争で、日本が圧倒的に負けたことです。ファクターX問題で、東アジアは全体として欧米の30分の1、ないし100分の1という感染率、死亡率のオーダーでしたが、その東アジアだけに限れば、人口あたりで日本は中国の40倍、台湾の100倍、韓国の3倍、人が死んでいる。圧倒的なコロナ敗戦であり、その理由はかつての太平洋戦争での敗戦と同じ、統治能力のなさです。沈みかけた船の中の座席争いを終始するがゆえに、まったく合理性のない戦略を連発しまくるということが繰り返されている。僕にとって学びだったのは、世界広しといえど日本だけは、憲法を変えても法律を変えても、人の性能が上がらない限りは同じことを永久に繰り返すという、法則がわかったことです。

神保: 感染者数だけを見ると欧米よりいいために、日本のコロナ対策の状況をきちんと見ていない人たちからは、「日本は失敗していない」という言説が出始めていますね。

宮台: いつの時代も頭が悪い人はいるもので、それはちょっと横に置いて、本当のことを伝えていくことが大事です。

神保: さて、前回ライブをやったときは、まだ安倍一強という状況でしたが、それから二つの政権が倒れました。何から何まで官邸に権限が集中した結果、もう簡単には揺るがないぞ、と思っていたわけです。しかし、安倍さんの辞任の理由は一応、体調不良ということでしたが、コロナがあり、簡単に倒れた。これをどう捉えますか。

宮台: 何事にも前提があり、官邸主導や安倍一強という現象が起こったとして、その現象を支えている前提を調べる必要があります。そうすると、これはもう20年近い、あるいは1992年からと考えれば30年の歴史がある。つまり、自民党の絶対得票率の低下とともに、無党派層をめぐる集票争いにシフトしていくなかで、今度はインターネット化が急速に進み、インターネット世論に配慮する必要が一方で生じてきた、ということがあります。それ以前に地域が空洞化し、見たいものしか見ない、という感受性でメディアに接触していくなかで、孤独だったり、鬱屈していたりする、分断された個人が感情的な埋め合わせのために報道の情報さえも使っていく、という大きな流れも実はあった。
 そういうなかで、議員さんたちは落ちればただの人だから、集票のために合理的な行動をしようとするわけです。そして安倍晋三は、ある種の自民党の新しい岩盤として、カッコつきですが「右翼層」を固めていった。人々の感情的能力の劣化が進む、段階的ではあれ非常に長い流れがあり、安倍一強という現象が出てきている。だから、安倍が悪いとか、菅が悪いと言っている人たちは本当に呑気で、そのレベルでおつむを回して安心できるんだったら人生楽だよな、と思います。

神保: 一般社会の感情がどんどん劣化している原因は、そもそも何なんですか。

宮台: もともと日本人に倫理がないことです。社会システム理論の立場では、倫理というのは「貫徹」への志向であり、その反対が「学習」への志向であって、つまり、自分にとって都合が悪ければこれまでの主張を変えていく。日本は少なくとも400年、500年というオーダーで、「貫徹」ということについての志向が非常に薄いんです。そういう人は一夜にして天皇主義者が民主主義者に変わるし、一夜にしてフェミニストになったり、LGBT主義者になったりする。それは一見、倫理と同じような作用を果たしていますが、若い人たちが「意識高い系」と言っているように、それは本当は倫理ではなく、ただのポジション取りです。
 さらに重要なのは、かつて世間は一枚岩だったけれど、地域や家族の空洞化が進んだこともあり、誰もが同じように生きているなんて、みんな思っておらず、むしろ得体の知れないやつらがうようよしていると思っている。だから、柳田國男がいう「世間」は機能しておらず、そうすると人々はアモルフになる、要するに形がなくなっていく。その象徴が、あの官邸官僚やそれを使っている政治家たちの浅ましくもさもしい姿であり、それに反吐が出ずに支持している国民の浅ましさやさもしさだということだと思います。
 ただ、25〜26年前にインターネットが急速に一般化して以降、この日本的劣等性と同じ機能を果たす出来事が、世界でも見られるようになってきた。やはり日本はいわゆる課題先進国であり、日本人の劣等性ゆえに、世界の流れが最も早く現れる場所だったんだなと。逆に日本のこのダメぶりを分析して、うまい処方箋を出せれば、実は世界にも通用することになるというのが僕の考えです。

神保: それは皮肉ではなく、本気で言っていますね。

宮台: そう。例えば、僕はデュルケミアンに近い社会学者ですが、人類学者であり、なおかつ無政府主義者でもあるデヴィッド・グレーバーも、ラディカルな自由主義者として知られるノーム・チョムスキーも、イデオロギー的な立場も政治的な履歴もすべて超えて、民主制を支えるために必要な感情の豊かさが失われていくことに対して、同じ処方箋を出しています。つまり、どこでも皆さんが同じ問題を見ている、ということは確かです。

神保: その処方箋とは?

宮台: わかりやすくいうと中国との戦いです。中国は権威主義で、しかも厳しい選抜と実績のシステムのなかでトップを選んでくる。だから、トップは歴代のトップのなかでの優劣が議論され、安倍や菅や岸田のオツムのレベルとは桁が違います。例えば、中国の古典については本当に暗唱するほど熟知していなければいけない。マルクスの文献よりも、むしろそちらからさまざまな教訓を引き出す力がある人間たちが上にいるわけです。そういう人間たちが「政治以外のことは全て自由だが、政治のことだけは俺たちに任せろ」というのが権威主義だとすると、ユヴァル・ノア・ハラリが言っているように、場合によっては、例えばコロナ対策などではものすごく高いパフォーマンスを示すことができる。あるいは、僕は最近、今後のメタバース問題について話していますが、インターネットによりみながユニバースを共有しなくなっていくということが起こったときにも、おそらく中国は権威主義によって適切な統治がなされ得ると思います。
 これに対して民主主義はそうではなく、人が劣化すると民主主義の決定はでたらめになる。とりわけ既得権益者が、自分たちが既得権益に固執した帰結はどうだということが分かっていても、ほうかむりして引き返すということが起きます。強者だけでなく、雇用不安に怯える労働者という弱者もまた、民主制を引き回し、中国が決定できるような妥当なコロナ対策や、原発対策、気候変動対策は少なくとも、日本ではかなり未来にわたっても決定を出すことができないということです。
 同様の問題が他の国でもどんどん生じるようになっており、それではどうするかというと、民主主義を回すサイズを小さくしろ、というのが処方箋になります。

神保: 結局、この規模のままでは中国には民主主義では太刀打ちできないと。

宮台: トンマが引き回すことによってぐちゃぐちゃになり、負けていくということです。

■“大ボス”がおらず、ゆえに変わらない日本の構造

神保: マル激を見ている方にとっては耳にタコだと思いますが、安倍政権でわれわれに直接関係したことといえば、メディア対策について、とにかくあらゆる面で熱心な政権だったことです。そのなかで、民主党政権以降の記者会見のオープン化というのはさすがにやめられず、しかし事前の質問提出に応じた、擦り寄ってくる報道機関にしか発言させなかった。それが、モリカケ問題があり、桜を見る会があり、加えてコロナがあって、批判に耐えられなくなり、質問を当て始めたんです。僕が安倍さんの会見で質問ができたのは最後の4ヶ月くらいですが、よく暴れまわったと思います。
 特に菅総理になってから、僕はいくつか重要な質問をしました。しかし、それはNHKには乗っておらず、フリーやネットメディアの質問に行く前に中継を打ち切り、番組が切り替わります。僕らの質問は事前に提出されていないので、官僚が作文を用意しておらず、おそらく総理自身の声が聞ける唯一のものなんです。そのなかで、僕が「なぜ病床が増えないのか」「PCR検査が増えないのか」ということをあの手この手で聞き、総理が国民皆保険の見直しについて触れたことがあった。これは大変なことで、次の日の新聞の一面に出ないとおかしいような話です。しかし、そのやりとりは完全に黙殺された。それは僕が聞いたからだという人もいて、つまり永田町では、記者にとっても、官僚にとっても、政治家にとっても、「あのやりとりは神保があの場で聞き、総理があの場で答えているだけだから、何の意味もないんだ」と。
 官邸主導だなんだと名前は変わっても、官僚と記者クラブを中心とするメディアが政府を握っているという中身はまったく変わらず、その権益は揺るがない。そのなかで、政治家はただ神輿に担がれているだけだということが明らかになったと思うのですが、宮台さんはどうお考えですか。

宮台: 短く言えば、国民は情報の非対称性、情報不足という状態に置かれ、そのなかで民主制の一端を委ねられているという状況です。この情報の非対称性というのは官僚と政治家の間にも存在しており、つまり官僚の方が多くの情報を持っている。政治家は情報は持たないが、人事権、予算権を持っており、そういうある種のバーターのなかで、バランスが成り立っているということは、政治家は実はきちんとした情報を知らないんです。例えば、コロナ対策を考える場合に、なぜ厚生労働省の医系技官がこれほど決定におけるイニシアチブをとれるのか、ということを考えるときに、このことは非常に重要です。
 そして、マスメディアが政権の汚いケツをなめ、言うなりのことを書くというのも、基本的に国民にとっては情報の非対称性がどんどん拡大されるということ。そのもとで、われわれは世論調査に応じろと言われている状況で、当然ながら、それは政権にとって、官僚にとって都合のいい結論しか出ない。それが、全体として沈みかけた船の座席争い以外のゲームを始められない根本的な理由です。このメカニズムは保育園児にも説明できるくらい簡単ですが、簡単だからこそ変えられない。日本は過去25年、経済指標も社会指標も、どこよりも悪いですが、今後もっと悪くなっていくということです。

神保: 日本を支配するのは、メディアと癒着関係にある官僚機構である、という実態が実は変わらない。そのなかで、民主党政権ができる直前に、若い方は知らないかもしれませんが、間もなく政権を取るだろう野党の党首の秘書が突然、逮捕されました。陸山会事件および西松建設事件です。
 さかのぼると、疑獄史に残るロッキード事件で、検察が大ヒーローになった。しかし、春名幹男さんの非常に粘り強い調査で何が明らかになったか。田中角栄がアメリカにとって危険人物であり、彼がもらった5億円よりもはるかに大きな金額が、ロッキード社から児玉誉士夫という右翼の大物、政界の裏大将のような人に渡っていたが、田中角栄を失脚させたい検察は、5億円の話で十分だったという話です。
 検察が政治に対して危険人物を挙げて、主導権を官僚が持っていく。メディアがそこにくっついてくるから、世の中は「よく巨悪を逮捕してくれた」と喜び、溜飲を下げる、ということをいまでも繰り返している。美濃加茂の問題もそうで、宮台さんがいう劣化というところから抜け出すシナリオが見えません。

宮台: それが簡単に見えてもらっては困ります。いま神保さんがおっしゃったことで重要なのは、日本には大ボスがいないということです。例えば検察のトップ、検事総長のような存在が、特定の理念やイデオロギーを持って、さまざまなシナリオを一手に描いているんだ、ということであれば、実はそのほうが僕らにとって都合がいい。つまり、そいつを殺してしまえばいいのだから。

神保: だから韓国ドラマは面白いですよね。倒すべき大ボスがいて。

宮台: そうなんです。しかし、太平洋戦争が始まってから、アメリカ人が日本を分析してすぐに問題になったことですが、日本はどこに大ボスがいるかわからない。天皇陛下はラスボスでも何でもなかったし、極東国際軍事裁判で、大ボスだと思う人間を捕まえてみても、「内心忸怩たる思いはあったが、空気には抗えなかった」と言う。これがまさに、三島由紀夫も注目していた日本と日本人の劣等性そのもので、路線を変えようにも、「大ボスをぶっ殺して正義のボスを立てる」というシナリオが使えないんです。

神保: 日本はなぜそうなっているのでしょうか。

宮台: 一般には、地政学的な問題だと理解するべきだと思います。それゆえに倫理がない。特に注目すべきは、日本には共同体存続規範がないことです。あるのは、空気に抗えないという共同体従属規範であり、最もリベラルだと思われていた、学園闘争を立ち上げた団塊の世代でさえ、それが窮屈でたまらない、という立場で、さまざまな音楽や映画も作られていた。そして何が地政学的な問題かといえば、それは日本がジェノサイド、大殺戮を経験していないということです。

神保: 悲劇の共有ができない。

宮台: 昔の日本は、9割くらいが森林で覆われていて、点在する小さな集積平野に縄文人が住んでいる、という状態だった。狩猟採集かつ定住という、非常に珍しい生活形式で、それゆえに狩場を争って殺し合う、ということをしなくて済んだんです。殺し合いのなかで悲劇を共有すれば、共同体存続規範は必ずできるのですが、それが縄文の時代になかったんです。その後、春秋戦国時代に弥生の人たちが渡来人として入ってきて、最初はやはりジェノサイドがありましたが、やがて婚姻によって混ざり合っていくことで、縄文的なものに飲み込まれていったことがわかっています。なので僕たちは、相変わらず悲劇を共有しておらず、したがって共同体存続規範を持っていない。
 現在に話を引き戻すと、田中角栄の日本列島改造、バイパス化により、70〜80年代に地域がボロボロに空洞化していきました。欧米であれば必ずそこで抵抗が起こり、スローフード運動、スローライフ運動などが広がってきましたが、日本ではそれに似たものが1ミリも起こらなかった。「これからはモータリゼーションの時代なんだ」「地元商店街ではなく、ロードサイドストアの時代なんだ」と、ただただ学習していたんです。この劣等性が、そうとう古いルーツに基づいているということを理解することが重要で、いい政治家が出てくれば、あるいは民主制に任せれば、一朝一夕でうまくいくなどということは絶対にあり得ない。
 僕が町づくりや学校についてよく言うのは、日本の場合、民主主義がすべてをダメにするんです。例えば、地域の人が子供たちのために年がら年中お祭りをやったり、人間関係の分厚さを壊さないような方向で商売をするのも、金儲けをしたい住民民主主義に争って初めて可能になる。学校民主主義も同じで、モンスターペアレンツ、クレイジークレイマーが特に集中していて、安全・安心・便利・快適というものを訴える。その結果、残念ですが子供たちからは最低限必要な生育環境が奪われてしまった。僕は共同身体性と言っていますが、わかりやすいところで、僕たちは昔、秘密基地ごっこをして仲良くなりましたよね。しかし、いまはもうない。

神保: もう秘密基地はないんですか?

宮台: 例えば、遊具をおかず、秘密基地ごっこをするための材料みたいなものを置くプレイパークというものはあり、遊び方は子どもたちの創造性に任せるという、非常にいいアイデアだと思います。しかし、今度はその効果を鵜呑みにするロボットのようなやつが出てきて、「公園に遊具があると、子どもたちの創意工夫が削がれるじゃないか」などと言い出す。問題はそこではなく、例えば僕らは、すべり台があれば逆さ上りをしていたし、ブランコがあれば立ち乗りと柵越えジャンプをしていた。いまはそれを規制しているのが問題なんです。

神保: ブランコは座っても漕げるといえば漕げますけど、そんなことをやっている子はいなかったですね。

宮台: 焚き火なんかもそうで、実は当時から条例では禁止されていましたが、焚火をしていて通報されることはありませんでした。

神保: いまは即通報されますね。

宮台: そう、僕たちにはゲノム的なベースがあり、実は焚き火を囲むと、引きこもりでもなんでも、思わずいろんなことをいろんなことをしゃべってしまう。そういうことも含め、少なくとも80年代半ばまでできていた遊びは、安心・安全・便利・快適を主張する新住民、土地にゆかりのないラウドマイノリティによって、80年代後半に一挙にできなくなりました。90年代後半になると、80年代に小学生だった子どもたちが成人、つまり性的アクティブになる年代になりますが、その頃からめちゃくちゃ劣化が始まっており、それをフィールドワークでずっと見てきた僕は、かなり早い段階で感情的劣化という概念を得ました。こんな感情的に劣化したやつらが、まともな家族、まともな地域、まともな社会を作れるはずがない、と。そう言い続けてもなかなか人々が振り向いてくれませんでしたが、安倍菅のおかげでみなさん振り向いてくれるようになりました。

神保: いつも言っている通り、安倍さん菅さんは日本中興の祖なわけですね。

宮台: 僕は感謝しています。

■宮台真司があらためて語る、加速主義と孤独死問題

神保: 悲劇の共有がない、という話ですが、近代において、日本は何と言っても戦争を経験しています。とてつもない悲劇で、しかも死者の9割は人災、要するに兵站がなくて死んだと。あれだけの悲劇を昭和の時代に経験していて、二度と戦争はしたくない、ということはDNAに書き込まれていますが、これが、例えば「民主主義が機能せず、軍部が暴走した結果あのようなことが起こった」という意味で、政治的な問題という文脈で普通に話す、ということはまずありません。「とにかく戦争はいかん」「原爆は許さない」ということは誰もが言いますが、なぜあんなことになったのか、ということを考えると、あれほどの悲劇はない。それが悲劇の共有にならず、ただ戦争は嫌だという対象として歴史に落とし込まれてしまったのはなぜでしょうか。

宮台: 一口で言えば、「ボスが悪かった」に近い。アメリカが作り上げた虚構でもありますが、極東国際軍事裁判の真の目的は、「A級戦犯が悪かったのであって、天皇と国民は悪くなかった」というふうに、まず天皇を免責し、天皇制を残して、「日本国民が今後、アメリカのいうことを聞いて民主主義者になってくれることを望む」と言ってもらうことだった。中国もそれに従ってくれたので、日中交回復ができたんです。

神保: 国際的にもそういう落としどころにしたと。しかし、われわれとしては考えなければいけないことが明らかにあるじゃないか、という話にならないということは、本当に劣等だと言われても反論できませんね。

宮台: その劣等性の中核は、いまの面についていうと語り継ぎができないことです。A級戦犯のほとんどが処刑されましたが、いい加減な処理、不思議なものが多く、むしろ語り継がなければいけない。なぜ岸信介などの公職復帰があったかと言えば、もちろん反共の狼煙を上げ、防共戦線を張るためです。

神保: 途中から事情が変わった。

宮台: 中華人民共和国の成立で大きく変わりました。いずれにしても、さまざまな事情でアメリカの日本に対する要求は変わってきていて、基本的になぜそれが起こったのかということについて語り継がなければ、僕の師匠の小室直樹に言わせると、日本は次に戦争したときに勝てないだろうと。どうして負けたのか、負けた後に何をされたのか、ということを完全に記憶して語り継いでいかなければ、次の戦争に勝てない。

神保: いまからそれを悲劇として共有するのは難しく、悲劇の共有無くして共同体を維持する意思をわれわれがいかに持つか、という課題をなんとかクリアしない限り、日本は真っ逆さまですね。加速主義者の宮台さんに、忘れる前に聞いておきたいのですが、あの維新の躍進は、加速主義的にはいいことですか?

宮台: 当然そうです。加速主義は加速しろという命題を出す。最初にこの方向性を出したのは、PayPalの創業者でありFacebookの巨大出資家だったピーター・ティールという人で、新反動主義といわれる立場です。トランプを支持する右的勢力の中核にいる、西海岸のインテリ集団ですが、その理屈が面白い。彼は「民主主義はくだらない」と言う。理由は二つあり、「人々はこれからどんどん劣化していくので民主的な決定はでたらめを出力する」ということと、「民主的な決定は都度都度、再配分を要求するが、俺たち金持ちはどうでもいい自堕落なやつに絶対金は払わない」ということです。要するに、民主制を前提にした制度による社会改革はもう諦めて、テクノロジーによる社会変革をしろと。具体的に言えば、ドラッグとゲーミフィケーション、いまならメタバースもあるから、再配分なんかしなくてもお前らは幸せになれると言う。生きていくために必要なものは、ベーシックインカムをあげるからと。このベーシックインカム+ゲーミフィケーション&ドラッグテクノロジーという方向性は、民主主義の否定であると同時に、新しい権威主義なんです。しかし中国のような権威主義とは違い、「頭がよくないお前らは、ドラッグとゲームをやっていろ。肝心なことは俺たちが考える」ということ。中国的なものとは別に、旧西側の新しいタイプの権威主義として新反動主義が出てきて、彼らがトランプを支持していたと言うことなんです。
 最近、Meta(旧Facebook社)が仮想ワークルーム「Horizon Workrooms」のβ版を実装して、僕もOculus Quest (オキュラス クエスト)というVRヘッドセットを買って使い始めていますが、あっという間に新反動主義社のビジョン通りの展開が始まりました。今日は詳しく掘り下げませんが、これは民主主義勢力にとって非常に危険で、おそらく今後、その危機感は共有されていくことになると思いますが、民主主義をもう一度、小さなユニットに編成し直さないと、とてもじゃないが新反動主義者に何の抗いも示すことができないでしょう。

神保: 僕がそこで気になるのは、その体制を主張する人はほぼ例外なく100%、自分は上側であるっていうことを前提にしていると思うんです。ベンジャミン・フランクリンがアメリカの議会で、戦争をするかしないか決めるようなとき、まず自分もしくは自分の息子が最初に行く、という前提でなければ賛成すべきではない、という趣旨の話をしました。新反動主義の話は、誰かがそういう方向に持っていこうとするならば、どう考えても「バカ」の方が人数が多いわけですから、騙す以外にコンセンサスを得るのは難しいでしょう。具体的にどういうプロセスを経て、そういう社会に変わっていくとイメージすればいのか。

宮台: まず、民主主義に任せていて、例えば気候変動枠組条約に関する有効な政治的決定ができるかと言えば、おそらくノーです。まずそういうところで、民主主義では手遅れだとわかる時期が来ると思います。それがひとつ重要なポイントで、もうひとつは、例えば日本を見てくださいよと。これほど社会指標と経済指標が悪い状況が続けば、われわれの購買力平価での豊かさはどんどん減っていき、事実上、他の国々が買えるものが買えず、エネルギーを少し使うだけで他の国より多くのお金を払わなければならないという状態になっていくのは確実です。なぜこういうことが起こったのか、ということを親が子どもに、先生が生徒に教えなければならないときが来るでしょう。
 次にメタバース問題が典型ですが、Metaは今後1年間で1万人、世界中の優秀な技術者を高額の給料で雇い入れると宣言しています。天才ITエンジニアは千人力の働きをするとよく言われますが、そういう人たちがメタバースならメタバースのアーキテクチャを決めていかなければ、人々を幸せにする合理的なアーキテクチャを作れない。従来のユニバースや、リアルワールドにおける制度設計、街づくりなどと違って、人々がより多くの可処分時間を充てるアーキテクチャを決めるデザイナーは、民主主義をベースにして選べるはずがないんです。
 民主主義の原理が働きようもないなかで、そのなかでは、誰が影響力を持つべきなのか、あるいは持つべきではないのか、という識別や差別もどんどん進行していくでしょう。
 これも時間があれば話そうと思っていたことですが、僕は感情的な能力による、人間の人間に対する差別は不可欠だと思っています。それは現に、感情的に豊かな人を恋人や友人に選ぼうとするとき、みなさんが実行している。これからも永続する営みであり、抗いの処方箋になり得るんです。
 そこにいく前に大事な話をしなければなりませんが、日本の幸福度はOECD加盟国では最低で、なぜ幸福度が低いのか、ということを考えていただきたい。結論だけ言うと、これは孤独死問題と相関していて、そのときに誰にも助けてもらえない、包摂してもらえないという予感は、非常に厳しいものです。いまは援交めいた「パパ活」なるものがものすごく広がっていますが、そこで女の子たちが証言していることが非常に興味深い。つまり、一流IT企業の社長やCEOだとか、あるいは大手企業の部長や取締りクラスなど、頭も良くて、心も豊かで、尊敬できるおじさんがいるんじゃないかと、そういう界隈に関わっていっても、ひとりも出会えないと。これは幸福度と関係することですが、自分は価値がある存在だと思えない人が多く、それがパパ活界隈に関わる非常に大きな動機なんです。しかし、その子たちのいわゆる買い手になっている、お金を払えるおじさんたちを見ても、潜在的に自分たちと同じ不安を感じる。自分はいま、勝っているし金も使えて、偉そうにできているが、頑張り続けなければ、いつ負け組になって人から後ろ指をさされたり、バカにされるかわからない、というふうに怯えていると。いざとなったら負けて、孤独死して野垂れ死ぬ、という感覚を持っている人が多いんでしょう。
 例えば、大学生など若い人たちのレベルで言えば、いまから3〜4年前だと、「自分が孤独死するかもしれないと思うか」とたずねて、だいたい10人に1人が「思う」と答えていましたが、いまはほぼ2人に1人です。自分が人間関係の包摂からあぶれているという感覚を持つ人がそれだけ多く、自分がもともと価値のない存在で、頑張って成功したときにだけ価値が出る、と思い込んでいる。日本ほど尊厳のレベルは低くないが、韓国の人も統計的にはよく似ています。

神保: 要するに、勉強して成績を上げて、いい大学からいい会社に入ると。

宮台: 「いい会社に入る」というのも昔のことで、いまは「成功」しなければならないと。起業して金を稼ぐとか。

神保: 家族関係が希薄化していたり、友人を作るのが難しくなっているんでしょうか。それとも、以前からそうで、社会に包摂するような受け皿があったのが、なくなってしまったのか。

宮台: 両方で、これは時代的な問題です。先ほど、僕らが子どもの頃にはどういう遊びができて、それができなくなって、成人した子たちがどれだけ性的に退却したのか、という話をしました。いまは男女関係なく夜遅くまでドッヂボールをしたり、なんとかごっこをしたり、ということもなくなった。公園は球技禁止だし、「お医者さんごっこ」などしようものなら、通報されて警察沙汰になる。

神保: うちの息子が路上でスケボーをやっていたら、やっぱり警察がきました。友達と遊ぼう、というときに、逆にいまは何ができるんですか?

宮台: 『フォートナイト』。一番下の息子がいま8歳で、あんなに外遊びを教えて、虫も自由自在に獲れるようになったのに、いまはほとんどの可処分時間を使っています。少し前は、知的なゲームだと思ってやっていた『マインクラフト』でしたが、『フォートナイト』に負けましたね。対人ゲームなので、いつも「止まれ」「下がれ」と叫んでいます。

■「リアル対ゲーム」から「いいゲーム/悪いゲーム」を識別する時代に

神保: PC遠隔操作事件の片山祐輔くんは、グループでの対戦ゲームで人生最高の友達を得たと言っていて、刑務所にいくとき、弁護士さんに、ほのかに思いを寄せていた相手へのメッセージを託したんです。ただ、その相手は女の子の名前ではあったけれど、実際の性別はわからないと。どちらでもいいのでしょう。

宮台: 非常に重要な問題をサラッと言われました。まず、昔の外遊びに相当するものを外に求めることはいま、非常に難しくなってる。そこで『フォートナイト』のように、バーチャルも含めた身体性や共通感覚、共同身体性など、そうしたものを考えていかなければならなくなっているのは間違いありません。そして、そのバーチャルを、あるいはメタバース的なものを僕たちの生活に実装するというときに、いま実は戦いが起こっているんです。
 ポケモンGOで有名なNiantic社のCEOは、Facebookのメタバースは悪夢である、としています。それはつまりユニバース、リアルワールドへの関心をなくすからだと。だから、Nianticが実装するメタバースはバーチャル・リアリティではなく、あくまでオーギュメンテッド・リアリティ(AR /拡張現実)にこだわり、リアルワールドでの人々のつながりをつくるためのものなんだと。
 このように、昔みたいに「リアル対ゲーム」という構図で、ゲームはよくないと言うことはできず、いいゲームと悪いゲーム、いいテックと悪いテック、いいオンラインと悪いオンラインを識別しなければならない時代に入ったというのが、僕の理解です。
 女優の本田翼が、オンラインゲームで交際相手を見つけた、ということがずいぶん話題になりましたが、そのときに彼女が非常に重要なことを言いました。つまり、マッチングアプリよりも、オンラインゲームの方が相手を見極められる、という趣旨のことです。困ったとき、非常事態にパニックになるのか落ち着いているのか、何かヘマをしたときにどやすのか丁寧に教えるのか。ゲームなら、自分に対してだけでなく、いろんなプレイヤーに対する振る舞い方を通じて、それがわかると。これがマッチングアプリなら、検索してスワイプして決めるから、完全に属性主義になるでしょう。そうではなく、この人の佇まいや振る舞い方はいいな、こういう人になりたいなと、ゲームを通じて思える。これからメタバースになっていくとそれが非常に重要だし、Facebookは1年前から、シューティングバトルフィールドを提供するのではなく、パーティールームを提供するようになりました。そこでの振る舞いでも、人格がわかると。

神保: 面白いけれど、それは本当に正しいのか。実際にゲームをやっていて、自分のゲーム上の行動パターンと、実際の人生の王道パターンに近似性はありますか?ゲームではものすごく冒険するのに、リアルでは慎重派ということもあるでしょう。

宮台: そうですね。ただ、僕はYouTubeで見た動画に感動したことがあって、フォートナイトのようなゲームで、50代のおじちゃんと、8歳の小学生がコンビを組んで戦っているのだけど、おじさんが子どもに丁寧に教えて、どんどん強くなっていくんですよ。

神保: それは別のところにいる2人ですか?

宮台: まったく別のところにいるんだけど、友愛に満ち満ちていて。本当に見ていて感動するんですよ。昔だったら、近所のおじさんが子どもに何かを教えるのは当たり前のことだったけれど、いまはないでしょう。リアルにはなくなったものが、ゲームの上ではあるんだということが感動的でした。
 いずれにしても思うのは、本田翼がゲームと対比させたマッチングアプリで出会っている人間が、いまの恋愛・性愛アクティブ層の半分なんです。そして、マッチングアプリは属性で選ぶでしょう。

神保: 属性って、みんな本当のことを書いているんですか?

宮台: 優良なところはすべてチェックが厳しいので、それなりに本当のことが書かれています。そうすると属性で選ばれ、例えば男は「俺は頭が良さそうで収入があるから選ばれているんだ」と思うし、女は「内緒だけど整形してちょっと可愛いから選ばれているな」と思ったりする。そして、そういうふうに思っている限りは、お互い疑心暗鬼になる。なぜなら、実際にマッチングしてもアプリの使用をやめるユーザーはあまりいなくて、つまりもっと収入が多い人はいないか、もっと可愛い人はいないか、と探してしまう。自分がそうなんだから、相手もそうだろうと思うし、信じられるわけがない。いまは「彼氏彼女」というのも「告られてイエスと言っただけの関係」であって、僕らが考える恋人と全然違うんですよ。

神保: 一応、告られてイエス、という儀式は今もあるんですね。

宮台: それはあるのだけれど、これはお互い拘束してもいい、という相互契約なんです。実際にはそんな相互契約に従えるはずがないから、すぐに「裏切ったな」というクソコミュニケーションが始まる。一緒にいたいからいる、という関係ではない。僕には信じられない感覚ですが、いまはそういうやつばっかりです。

神保: そういう状況でいくら制度などの大きい問題を声高に論じても、制度が整えば自動的に家族や仲間ができる、ということはあり得ませんね。既得権益を崩さなければいけない、というと大きなことに聞こえますが、個々人のレベルでも、結局は何かにしがみついて、新しい一歩を踏み出せない、新しい仲間ができない、という門外なのかもしれない。それは、自分自身にも少し思い当たるところがあります。宮台さん、最後に2022年を展望して、どのあたりが課題になるか、あらためて一言もらえれば。

宮台: 僕はやはり、日本にまともな野党がないということを知るべきだと思います。そして、正社員という制度、日本以外の先進国にはない「解雇してはいけない」という規制をとにかくすぐにやめた方がいい。だから労働市場が流動的にならず、産業構造改革ができず、既得権益が変更できず、エネルギーシフトも進まない。生産性の高い産業が生き残り、他が淘汰されて、ということが日本では起こっていないのは、正社員がいるから。具体的に言えば、正社員が労働組合を作り、経営幹部と一体となって、既得権益を支えるからです。夫婦別姓問題をどうするか、安保法制をどうするかなど、そこで対立しているように見えながら、本当のポイントはいかに正社員の雇用を守り、彼らを豊かにするための非正規化を進め、あるいは法人減税を消費税で補うことにある。こういう図式になっていると言うことを、そろそろ理解した方がいいと思います。夫婦別姓問題を唱えていたら反権力の野党だ、というふうに思考停止してはいけない。例えば維新が、「正社員という制度を廃止して、2年間所得補償と教育・訓練をしましょう」「先進国標準の図式にしましょう」というふうに言ったら、僕は信用していいと思う。おそらく、れいわ新選組以外にそれを言えそうな政党がなく、日本の野党は本当に野党なのか、ということをウォッチしていってほしいんです。

神保: 日本では農村共同体が崩壊したあと、とりあえずそれに代わるものとして特に農家の次男坊以下が都心に出てきて、会社共同体というものに包摂された時代が長かった。しかし会社共同体が崩壊した大きな理由のひとつに、明らかに正社員と非正規という階層ができ、みなで一緒に飲みに行くようなこともほぼできなくなったということがあったと。解雇規制の撤廃については、アメリカはもう市場原理に任せて、開き直ったほど解雇の自由度が高いのですが、ヨーロッパは宮台さんがいわれたように、補償や再教育等々の条件をきちんと整えている。どちらの形にするのか、きちんと制度設計をしなければいけませんね。

宮台: ただそのアメリカでも、最低賃金が日本の倍ですからね。

神保: というところですね。2022年は、まだ危険性もワクチンの効果もわからないオミクロン株で大騒ぎ、というところからスタートしそうです。

宮台: 重要なのは、親しい人間関係がみんななさすぎると言うことです。それだけがあれば、多少のことは不安ではない。アガンベンが言ったことですが、自分は弔ってもらえる存在なんだと思っていれば、死ぬのもそんなに怖くないでしょう。

神保: コロナがかえって、友達や家族と会わなくて済む、という言い訳を与えてしまったところもあって。

宮台: そうですね。これは昔、リチャード・ローティが言っていたことですが、もし本当に友達や恋人を作ろうと思ったら、カテゴリにこだわらないことです。極端な話、男か女かもこだわらず、年齢にも、もちろんお金にも、人種にもこだわらない。何でもいい、と思うことが大事で、カテゴリにこだわっていることが見えた段階で、足元が透けてしまう。

神保: とは言え、自分から知らない人に急に声をかけたら変な人だと思われるリスクが非常に大きいので、私からお願いとして、本日せっかく観覧にきていただいたのですから、できれば両隣の人に一声だけかけて、エルボータッチくらいはして帰っていただけるとうれしいなと思います。