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マル激!メールマガジン 2021年5月5日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド (第1047回)
5金スペシャル
コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体
ゲスト:斎藤幸平氏(大阪市立大学大学院経済学研究科准教授)
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 月の5回目の金曜日に特別企画をお送りする5金スペシャル。
 今年2回目の5金となる今回は、25万部の大ベストセラーとなっている『人新世の「資本論」』の著者で新進気鋭の経済・社会思想学者として今論壇の話題をさらっている大阪市立大学准教授の斎藤幸平氏をゲストに招き、資本主義の限界や成長が豊かさをもたらすという神話への疑問点などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司との特別対談を無料でお送りする。
 斎藤氏はマルクスが「資本論」の中で著した、人間が資本に振り回されるようになり主体と客体が逆転するという話は、まだまだ大きな経済成長が期待できる20世紀の資本主義の黄金期には流行らなかったが、21世紀に入り資本主義の限界が至るところで露呈し、地球環境問題も深刻化の一途を辿ることに加え、新型コロナウイルスによって資本主義の矛盾や限界がより顕著になったことで、世界中でこれまでの社会や経済のあり方について「これで本当にいいのか」と考える人が増えたと指摘。その結果、人新世(人間が地球の地質学的特徴まで変えてしまった時代)のあり方が根本から問われるようになったと言う。
 これまで人類は、いや少なくとも先進国では、あたかも無限の成長が可能であるかのように振る舞い、成長こそが豊かさを、豊かさこそが幸せを約束するものと信じて疑わずにやってきた。しかし、その実は成長のコストを外部化することで、その代償を一部の人に押しつけ、その恩恵を一握りの豊かな国だけが独占してきたに過ぎなかった。外部化するコストの矛先はかつては発展途上国の人々であり、また地球環境だった。そしてわれわれの底知れぬ欲望がグローバル化なるスキームまで生み出したことで、しわ寄せの押し付け先をいよいよ国内の弱者にまで求めるようになっていった。
 また、飽くなき成長を追求した結果、その先に真の豊さと幸せが待っていたかと言えば、それもまた必ずしもそうとはいい切れないのが現実だった。
 斎藤氏はバブル以降しか知らない世代は、そもそも成長によって豊かになろうという感覚がなく、グレタ・トゥーンベリさんに代表されるさらに若い「Z世代」になると、気候変動に対する恐怖すら覚えるようになってきている。そうした世代にとっては、上の世代が訴える「格差の是正」だの「SDGs」だといったスローガンは、結局のところ現在の経済・社会構造を根本から壊さないための弥縫策にしか見えず、彼らの感覚では「何言ってんの?」という疑問があるのだと言う。その世代にとっては、小手先の微調整などはもはや手遅れであり、コモン(社会的共通資本)をベースにそもそも成長を前提としない新しい社会・経済システムを根本から作り直さない限り、今世界が直面する問題は解決しないと感じる人が増えているのだという。
 『人新世の「資本論」』が思想書としては異例中の異例とも言うべき大ヒットとなった背景には、そうした世代の人々の「よく言ってくれた」との思いがあったという手応えを感じていると斎藤氏は言う。
 最後に斎藤氏は、『人新世の「資本論」』には今後日本で自分たちが作っていくべき社会像を描くところまでは踏み込んでいないことを指摘した上で、今後本書で紹介された「コモン」という考え方やその価値が広く理解されることで、多くの人が地域やコミュニティで何らかの動きを始めるきっかけになることに期待していると語る。
 われわれが人として子々孫々のために今すべきことは何なのか、そのためにどこから手を付けたらいいのかなどについて、「人新世」という地質学的な長いスパンで現在の社会のあり方に対する問題提起を行っている斎藤氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

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今週の論点
・『人新世の「資本論」』がベストセラーになった理由
・いま見直されるマルクスの思想
・若い世代が発信することの意味
・ローカルから始める社会変革:まずはそのための一歩を
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■『人新世の「資本論」』がベストセラーになった理由

神保: 本日は2021年4月17日金曜日で、通常回で配信する予定だったのですが、汚染水問題が急展開を迎えたためそちらを先に出し、とても価値のあるテーマとして5金の無料放送で取り上げることにしました。

宮台: 汚染水問題にもかかわります。今回のテーマは「人新世」(アントロポセーン)で、これは地質年代として提案された理由がポイントであり、人間が作り出した物質が含まれている地層として特定されるような、新しい地学的な年代がすでに始まっていると。まさにその意味で言えば、トリチウムが地質に含まれることが、将来のアントロポセーンを特定するときのひとつの条件になるかもしれない。

神保: ゲストの名前はサイトに出ているのでもったいぶる必要もないのですが、『人新世の「資本論」』という本がとにかく売れています。なぜここまで関心が集まったのかということも含めて、お話を伺っていきたいと思います。
ゲストは大阪大学大学院経済学研究科准教授の斎藤幸平さんです。このご本、いまどれくらい売れているんですか?

斎藤: 一応、25万部ですね。

神保: 宮台さん、こういう難しい内容を含む本で25万部というのは、どう見たらいいでしょうか。

宮台: しかもマルクス主義関連の本だということを含めると、前代未聞の希有な事態が起こっているということです。

神保: 斎藤さんご自身は、この本は売れるぞという予感はあったんですか?

斎藤: 僕としては全力で書きましたが、宮台さんがおっしゃったようにマルクスで、しかも脱成長で、さらに環境系の本はあまり売れないと編集者の人からも言われていました。そういうことを考えると、本当に予想以上のリアクションをいただいています。

神保: ご自身で語っていただくのは照れくさいかもしれませんが、何がウケていると思いますか?

斎藤: やはり冒頭のSDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)は大衆のアヘンである、というところでしょうか。いまはどこを見てもSDGsという感じで、「SDGsだからエコバッグだ」と、雑誌の付録にカラフルなエコバッグがいくつもついていたりしますが、これはまったくエコではないだろうと。

神保: 要らないものは捨ててくださいということですね。

斎藤: そういうことに疑問を感じていた人たちが、「よく言ってくれた」と思ってくれているのかなと。またもうひとつ大きかったのは、コロナだと思います。コロナは私たちの生活のあり方について、根本的に「これでいいのか?」と思わせましたし、格差や環境の問題を考えさせました。まさに人新世の限界、資本主義の限界のようなものがあらわになっており、これがおそらく経済がイケイケのときに出版しても、「何を寝ぼけたことを言っているんだ」という反応になったと思います。このタイミングだからこそ、「SDGsでは足りないって、そうなの?」と思ってくださる方が増えているのではないかと思います。

宮台: いま斎藤さんのおっしゃったことで思い出すのはLOHAS(lifestyles of health and sustainability/健康で持続可能性を重視する生活様式)です。80年代入ってほどなく、イタリアのブラという小さな村からスローフード運動が始まりました。それは、ブランディングのためだとか、設けるためにオーガニックやトレーサブルというものを使うという話ではなく、「仲間のためにいいものを作りたい」とか、「その努力を知っているから高くても買う」という、人のつながりから出てくるような動機付けを大切にしよう、という運動だったんです。これがあっという間にヨーロッパに広がり、アメリカにも飛び火した結果、それに驚いたウォルマートが95年に言い出したのがLOHASという標語で、これがSDGsとよく似ています。つまり、「ちょっとリソースを取り換えればいまのシステムでもできます」と。
 いずれにしても、大規模定住社会そのものが持っている矛盾がここにきて僕たちを立ち行かなくさせているのではないか、制度を微調整するだけではダメだ、という感覚が広がっていたところにコロナがやってきて、問題をあらわにしてくれた。
この本が売れているのは、本当にいいことだと思います。

神保: ある問題が提示されても、結局、根っこから変われば困る人たちが権益を持っていて、自分たちの不都合のない範囲でさまざまな主張を取り込んだようなものを出すことによって、本質を変えない、ということが繰り返されてきました。アメリカ人の多くがLOHASでも十分に環境に優しいと思ったこともそうですし、環境メッセージが書いてあるTシャツ1枚に何トンという水が使われていることもそうですが、コロナによってこれまでの微調整のような話とは違うところがあるとしたら、どういうことになるでしょうか。

宮台: トランプの当選やアベスカ問題もあり、あるいはマスコミもマスゴミになって、いま”有識者”を尊敬している人など絶対にいない。そのなかで人々は権威というものを感じなくなっており、このシステムに対してのオルタナティブを提示できるようなポジションが、そのシステムの中にないじゃないか、ということに多くの人が気づいたと思います。『鬼滅の刃』や『進撃の巨人』など、日本の高度な漫画を見ると、若い人たちの関心のあり方がまさにそういう方向に向かっていることが分かりますし、ステークホルダーとしてではなく、人間としてものを言い、人間として動けるやつがどれだけいるのか、という関心が高まっています。

斎藤: そうですね。福島の原発事故の後、やはり変わるかなと思いましたが、デモも早々におさまり、やはり萎んでしまった気がします。しかし今回のコロナで、誰が本当にエッセンシャルなことをしていて、誰がブルシットなことをして金を儲けているのか、あるいは誰が最初に仕事を切られて、家を失うような社会になってしまっているのか、ということがわかってきたと思います。あるいは、どれほどこの人新世のもとで私たちが自然を破壊してきたか、その代償がどれだけ外部化されて一部の人に押し付けられてきたか、ということから目を背けられなくなった。僕らのようなミレニアル世代、あるいはその下のZ世代においては、民主主義が機能して資本主義もよくて、環境公害問題も技術で解決できた、という時代を知らず、経済も成長しないし、環境もますます悪くなって、民主主義もガタガタになっているという世代であり、上の世代と価値観が違うのは当然であって、そこで「SDGsをやれば問題は解決しますよ」と言われても、「何言ってるの?」と疑問を持つ人がおそらく増えている。ワクチンを打って元に戻ったからみんなでパーティしよう、というふうに忘れてしまうのか、ゆっくりではあっても変わっていくことができるのか、という分岐点にいま差し掛かっているという気がします。

■いま見直されるマルクスの思想

神保:これまでは、例えば発展途上国などに外部化してツケを回していたところが、その先もなくなって、いよいよ根本から変えないとどうしようもない、という感覚になっていくのでしょうか?

宮台: その可能性もありますね。例えば気候変動の問題や年金問題のように、未来、子々孫々に押し付けるっていう時間軸上の外部化というものがありますが、若い人は「これ、全部先送りで、俺たちで何とかしろということ?」というふうに、多くが自覚していると思います。

斎藤: その意味でも、僕はだからこの「人新世」というのは、ツケを外部化する余地、つまりフロンティアがなくなったことを示すのに非常に適した概念だと感じています。空間的な外部化はもはやできなくなり、時間の先送りも気候変動という本日の話に戻ればやはりもうできない。ただそれでも、「技術で突破できる」という勢力は依然として根強い。僕は、宮台さんが人間がやや空っぽになってきていると言われる背景は、やはり技術だと思います。例えば、この本以上に流行している『スマホ脳』を読むと、いかにスマホを使い続けていると人間は考えなくなるかがわかる。そういう技術だからです。広告もそうで、私たちが無意識に晒されているなかで、欲望も世界の認識も歪められている。そういう技術ばかりものすごく発展しているわけです。そのなかで、「技術をどんどん発展させていけば気候変動の問題も同じように解決して、自然も操れるんだ」というような議論はいま、ますます加速しており、これまでは「環境か経済か」だったものが、「環境も経済も」になり、世界は脱炭素化に向けて動き続けてはいますが、それではうまくいかないのではないかという気がしています。

神保: 端的に言えば、成長は諦めるということですか?

斎藤: 「成長を諦める」とだけ言ってしまうと「みんなで貧しくなろう」という印象になってしまいますが、いまある富をより公正に再分配したり、働き方を変えて、家族との時間や趣味を生活の軸に据えていくとか、あるいはお金をもっと別の技術開発に使っていけば、成長しなくてももっと豊かになる可能性は残されています。しかしそれらはお金にならず、成長に結びつかないから、このシステムのもとではどうしても軽視されてしまうということです。

神保: 次のシステムを考えなければいけないと。資本主義はとにかく成長がないと成り立たない、という前提でいいでしょうか?

宮台: 「資本」というのは「元手」という意味で、普通はそれを使って終われば資本主義でもなんでもないのですが、元手を増やすために使う、つまり資本を増殖させるようになると、それがまさに資本主義ということになります。人が、あるいは人々が自分たちのために資本を増殖させている、というふうに考えるのは実は非常に難しくて、「資本が自分を増殖させるために人を使っている」というほうが自然です。マックス・ヴェーバーの枠組みですが、会社の寿命が多くの場合、人よりも長くて、日本においては定年退職した瞬間に共同体だと思っていた会社から放逐され、孤独死していくということが蔓延している状況では、やはり人間は資本、あるいはシステムによる使用人のような存在であって。ユヴァル・ノア・ハラリが言うように、視座を変えることが重要で、例えばわれわれが小麦を作っているのではなく、小麦が人間を使って自分たちの遺伝子を増殖させているというふうに見ると、僕たちが生きているシステムがどれだけおかしいかわかるだろうと。

神保: なるほど。斎藤さん、本を読めばわかることではありますが、いまのお話に経済やマルクスの思想がどういうふうに入ってくるでしょうか。

斎藤: いまのお話は、マルクスがいわゆる「物象化」という形で展開したものなんです。人間が結局、商品のあるいは貨幣の運動、要するに資本の運動に振り回されるようになっていく。そういう主体と客体の転倒のようなことを、マルクスはずっと扱っていました。しかし、こういう話はソ連が崩壊して流行らなくなってしまった。どこかで、「ソ連も失敗したし。資本主義でやっていくしかないのではないか」というコンセンサスができてしまいましたが、いまもう一度、資本主義の問題を考える流れが戻ってきていることを感じていて。資本主義も暴走して「ソ連の方がいい」と思う人が出てくると困るため、一応ブレーキをかけてきましたが、それが外れて好き勝手やるようになってしまい、26人の富裕層が、下から半分の38億人と同じ富を持っているという格差の世界になってしまった。ピケティも流行りましたが、そのなかで資本主義そのものを批判しなければいけない、という機運が高まってきました。しかし、それではマルクスを見直そう、という話にはなかなかならなかった。
 僕はそういう状況のなかでずっと勉強していて、そこでマルクスの未完の草稿やノートを読み直しました。すると、20世紀のマルクスの理解、ソ連に体現された、あるいは西側であれば社民主義として実現されたマルクス主義というのは、マルクスから離れてしまったものだということがわかった。いまは資本主義そのものもうまくいっていないし、格差も広がり、労働条件もめちゃくちゃになって、環境もやばい。そのなかで、マルクスは実は環境問題も考えたということがわかると、一党独裁のスターリン主義のようなものではない、資本主義のオルタナティブをマルクスを使って考えられるだろうと。

神保: いまマルクスが復権している、という状況なんですか?

宮台: 復権というよりも、捉え方が変わったということです。斎藤さんの本も含めてですが、単に「たくさん儲かるからきちんと再配分しましょう」という話ではなく、「もともと人間が何に埋め込まれていてこうなっているのか考える」ということに対する関心が基本的にはあって。だから、いまマルクスが蘇るとしても、かつてのように「労働運動をやりましょう」というような話とは違って、「僕たちの想像力のあり方を変えて、そこから動きを作っていきましょう」ということになる。要するに、資本主義によって僕たちの実存するものを支えているような共同性、コモンが圧倒的に失われ結果、実際にそのことだけでも人は不幸になっているんです。金があって、タワマンに住んでいても、バンバン孤独死する時代で、金があれば幸せだという話はもう成り立たない。そういう問題につながるようなマルクスの読み方を斎藤幸平さんが提案していらっしゃるのだから、それは本当に重要なことです。

■若い世代が発信することの意味

神保: 宮台さんはずっと加速主義でいくところまでいくしかない、という感じの立場でしたが、この本がこれだけ売れているということで、なにか変わってきているところはあるのでしょうか。

宮台: 今回の本がこれだけ売れていることについては、斎藤さんが87年生まれとお若い、ということが重要なファクターだと思います。年齢がいっている左系の人が書いたら、さまざまなしがらみがあり、何かのステークホルダーとして話しているのだろう、というふうにやはり思えてしまう。そう思われないためのひとつの条件として、若いということが非常に重要であって。例えば、自己啓発系、エンパワーメント系の本がたくさんありますが、「人を幸せにするためでなく、儲かるからやっている」というのが誰の目にも明らかです。そういう識別ができているから、この本が売れているのだと思いますし、それはいい兆しです。

神保: 斎藤さんは、この本で提示しているような選択肢を取る上で、何がその障害になると考えていますか?

斎藤: それはやはり、例えばいま石油産業で儲けている人たちなど、ステークホルダーの人たちは抵抗すると思います。また、この本を読んで言いたいことはわかるが、自分がいま享受している便利さ、豊かさを捨てると、不便になるのではないか、貧しくなるのではないかという恐怖心は当然出てくるでしょう。しかしそれは、私たちがこのシステムのなかで「成長こそが豊かさをもたらす」というふうに刷り込まれて生きてきたからであって、資本家の側にいける人はどんどん減っているし、過酷になっていく競争をどこまで続けていきたいのかと。先に伸ばせば伸ばすほど自然環境も悪化していく。確かに毒を抜くプロセスは非常に辛いもので、5年かかるか10年かかるかわかりませんが、それを社会みんなで乗り越えれば、例えば労働時間が週25時間になり、プレッシャーもなく、コモンが増えて生活が安定して、という社会が作れるかもしれない。僕はもっとそのビジョンを具体化して、今後それがいかに魅力的かということを展開していかなければならないと考えています。社会にその想像力がない、という状況を乗り越えさえすれば、いけるのではないかと。

宮台: 絵空事ではなく、現実的でしかしいまとはまったく違うものをイメージできるようになることが重要です。そのためにはある程度、強い動機づけが必要で、そのひとつが「このままではまったくだめで、子々孫々に幸せになってもらうことはできない」ということです。僕は20年間、言っていることはほとんど変わっていませんが、やはり理解者は増えたと思うし、問題がどこにあるのか、見定めつつある人が増えていると思います。それはコロナ禍もあるし、日本のすべての経済指標がデタラメなもので、昨年12月には韓国に平均賃金を抜かれている、ということをようやく新聞も書くようになってきたということがあります。覆い隠せなくなったというか、見て見ぬ振りができなくなってきているなかで、やりやすくはなっています。
 僕が言っているのは、「日本は先がない」ではなく、韓国にも、世界にも先はないんです。日本で起こっていることはどのみち他の国でも起こるから、どうして起こるのかという必然性を理解してもらうことが、いまの僕の活動の重点であって。小室直樹先生がおっしゃっていたように、社会がダメになると人が輝く。それはもう僕の座右の銘になっていますが、その通りになってきていると思います。

神保: 日本の大きな問題として、なんだかんだ言っても年功序列のようなものがあり、意思決定は結局、上がするということがあります。実は下の方でエネルギーが盛り上がってきていても、組織としての決定は旧態依然たるどうしようもないものになり、中の人と話をすると、下手なことを言うとラインから外されるから黙っていたり、あるいは主張して実際に外されている人が大勢いる。社会全体で見て、そういう世代的なものはあると感じますか?

斎藤: ものすごく感じます。いわゆるミレニアル世代とZ世代は世界的に見ても圧倒的に左傾化していて、行き過ぎた資本主義そのものを抜本的に変えていこう、環境問題/気候変動問題にも取り組んでいこう、ということを明言してくれる人に投票するようになっています。というのも、日本で言う麻生太郎さんのような、自民党のおじいちゃんたちに牛耳らせていても、彼らは日本が経済的に沈没しそうでも逃げ切れる。若い世代はそのツケを払わされるということに非常に怒っているし、2050年、60年、70年まで生きていく世代は、気候変動への対策についても覚悟を持っています。この先100年、あるいは人新世の場合によっては何万年単位に及んでくるような問題を、必然的に自分の問題として捉えざるを得ない。そうすると、自分の国とそのなかでの立場だけを考えておけばいいという世代とはまったく違う価値観も出てくるでしょうし、そこには新しいインターナショナリズムというか、国境を越えたような運動を作っていくような希望も逆にあるのかなという気がします。

神保: 斎藤さんの本を読んで希望を持つ。自分もこれから意識を変えてやっていこう、と考えたときに、現実にはまだずいぶん開きがあり、連帯していくのが難しい状況があると思います。コモンがあり、そこに積極的に入っていくということはわかるが、普通の人にとってそういうものがどれくらいあるのか。

宮台: 非常に重要な問題設定だと思います。どうして若い人が保守化しているのかというと、色んな人が分析しているように、日本の場合は保身化なんです。それは、いま自分が生きてきているやり方を放棄したとき、あるいは放棄せざるを得ないようなプラットフォームの変更があったときに、自分には何をしていいのかわからない。何をするべきなのか想像もつかないという人が、学生たちの世代まではすごく多い。それはまさに、コモンがないからです。要するに、不安だから保身化し、保守化しているのだから、僕らや斎藤さんのような人たちが、彼らが不安にならないような活動をして、手当をすればいい。

■ローカルから始める社会変革:まずはそのための一歩を

宮台: とにかく正しいことを言っていればなんとかなる、ということではないんです。人間、不安だったらすがれるものにすがるのは仕方がないでしょう。その意味で、既得権にすがっている人間たちのなかにも、そういう人が実はたくさんいるんです。つまり、ステークホルダーであることをやめても、別のコモンのステークホルダーになれるというふうに思っていれば、そうはならないわけだから。そのくらい追い込まれて孤独になっている人が特に日本には非常に増えているし、正しいことを示すだけでなく、正しい方向に動けるようなリソースを作り出していかなければ、と思います。

斎藤: まさにマルクスが『資本論』を書いていた時代には、ギルドやツンフトという、かつての職業組合のようなものが徹底的に解体され、さらに農村共同体も解体されて土地を失った人々が都市にあぶれていました。そこでマルクスは、むしろ旧来の排他的な共同性からいったん解放された人々がもう一度立ち上がれるような、ポジティブな契機も見出したんです。それは当時で言えば労働運動だったわけですが、労働者たちがもう一度アソシエーションをやろうとした。最近ではBLMのようなものもあると考えると、日本も原点に戻り、地域や場所場所での共通の課題を見つけて、問題に取り組んでいけばいいのではと。自分でイチから始めるのが難しいという人が多数派だと思いますが、各地域にはさまざまな問題に取り組んでいる団体がけっこうありますから。

神保: なかなかとっつきにくく感じるかもしれませんが。

斎藤: そうですね。ただ、そこぐらいは一歩頑張って、まず超えてみることで見えてくる世界がありますから。そのアソシエーションに加わって嫌だったら、また別のアソシエーションもたくさんある。そこから始めてほしい、という気持ちはありますね。

神保: アソシエーション、あるいはコモンというか、言葉は難しいですが、いずれにしてもそのエンジンになる中間層がスカスカになっていることも問題だと思います。アメリカを見ても、市場原理主義的なメガチャーチと、高齢者しかいない小さな教会という対比が生まれていて、グローバル化の影響が社会の隅々にまで出ている。とにかく、中間層が空洞化していることは事実で、それを復活させるのと、新たなコモンを作るのはどちらが先になるのか、という感じもします。

斎藤: どちらもやっていかなければなりません。僕のビジョンは、国家によるコモンによって社会を変えていく、というもので、確かに中間層の余裕のようなものがないなかで、コモンに向けた運動はなかなか発展してこないと思います。ただ、他方で僕が注目しているバルセロナの例を見ると、リーマンショックのあとにスペイン全体の若者の失業率が50%になるような状況まで追い込まれたなかで、逆に立ち上がることができた。コロナもそうで、こういう危機的な状況が起きると、それ自体は不幸なことですが、他方で「いまのままではいけないんだ」と気づく人たちが出てくる。しかもコロナは世界全体の問題ですから、いかに自分の国がダメなのか、ということが客観的にわかってしまう。そういう意味で、10年という単位で見れば変わってくると思いますし、始められるところから始めていくしかない、という感じかなと。

宮台: 日本は限界集落化が進んでいますが、例えば隠岐諸島の海士町のように、外から人が入ってコミュニケーションデザインをすることで復興というか、オルタナティブなレストレーションができた例があります。2000人のうち100人しか参加しなかったところに、200人が参加するようになれば大成功で、それだけで政治的な雰囲気はまったく変わると。過半数の人が変わらなければ社会は変わらないと思われがちですが、多くの人はなんとなく生きているだけだから、そんなことはないんです。

神保: 最後に一つ、人間の生活、教育や環境、介護やゴミなどもそうですが、ほぼすべてローカルで決まっていますが、地方選挙の投票率は30%台で、議会では議事録でお笑いのネタができるくらい空疎な議論が行われていたりもします。それぞれの状況をしっかり伝えるローカルメディアも、一県一紙の決まりで簡単に作れる状況ではないし、エネルギーも中央の寡占で、東電を救うために汚染水を流すという話にまでなっている。この状況でローカルから手を付けることを考えると、手始めに何をすればいいのかと。

斎藤: むしろチャンスだと思える部分もあり、お笑いのような議会が行われているというのは、そこが穴場というか、実際に少しの運動で当選できるし、変えていくことができる。なんやかんや立憲民主が地方を押さえられないのが弱さだということを考えるなら、いまの日本社会を変えたいと思っている人は、実は地方議会に可能性がある。バルセロナやアムステルダムの変化もそうやって始まっていきましたし、これだけぼろぼろな状態になっている地方議会を乗っ取っていく、ということの可能性はだいぶあるのではと。

神保: 斎藤さん、そろそろお時間ということで、言い足りなかったことがあれば。

斎藤: 一通りいろんなお話できて良かったと思います。この本では、日本で私たちがどういう社会を作っていくかという具体的な提案にまではもちろん行っていませんが、コモンという概念を気候危機の時代にどうやって少しでも増やしていくか、コモン的な観点から捉え直してこうできるのではないか、という形で、多くの人たちが少し動き始めるようなきっかけになれば、この本を書いた価値があると考えています。一緒に社会を変えていきたいですね。

宮台: 斎藤さんの本を読んで、自由とは何か、ということについてみんなよく考えてほしいと思います。自由だと思わされているが、そこに生じる契約は自分たちに利益のあるようなものではなく、この本にも書かれているように、それにより奴隷よりもひどい生活になっている、ということが実はあり得るんです。

斎藤: グレタ・トゥーンベリが一応ひとりで始めた抗議活動が、いまや世界で何百万人といううねりになり、日本の若者にもそういう活動をする人たちが出てきています。コロナで資本主義はダメだと気がつき、社会を変えられるんだという経験をした人々がどんどんポジティブな形で動き出していけるような時代になるか、このままワクチンを打って忘れて、パーティを続けて二酸化炭素が減るどころか増えるような時代に入ってしまうか、未来の大分岐点はこの10年なのではないかと思います。

〇〇出演者プロフィール〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

斎藤 幸平(さいとう・こうへい)
大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。1987年東京都生まれ。2009年米ウェズリアン大学政治学部卒業。12年独ベルリン自由大学哲学科修士課程修了。15年独フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。ベルリン・ブランデンブルク科学アカデミー客員研究員、カリフォルニア大学サンタバーバラ校客員研究員などを経て、17年より現職。専門は経済思想・社会思想。著書に『人新世の「資本論」』など。

宮台 真司(みやだい・しんじ)
東京都立大学教授/社会学者。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論(博士論文は『権力の予期理論』)。著書に『民主主義が一度もなかった国・日本』、『日本の難点』、『14歳からの社会学』、『制服少女たちの選択』など。

神保 哲生(じんぼう・てつお)
ビデオジャーナリスト。ビデオニュース・ドットコム代表。1961年東京生まれ。15歳で渡米。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信など米国報道機関の記者を経て独立。99年、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立。主なテーマは地球環境、国際政治、メディア倫理など。

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