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マル激!メールマガジン 2014年6月4日号
(発行者:ビデオニュース・ドットコム https://www.videonews.com/ )
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マル激トーク・オン・ディマンド 第685回(2014年05月31日)
5金スペシャル
映画は歴史的悲劇をどう描いたのか
ゲスト:倉沢愛子氏(慶應義塾大学名誉教授)、吉田未穂氏(シネマアフリカ代表)
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 5週目の金曜日に特別企画を無料でお届けする恒例の5金スペシャル。今回の5金では世
界で起きた虐殺の悲劇を描いた映画を取り上げる。
 最初に取り上げたのは、いま話題のドキュメンタリー映画『アクト・オブ・キリング』。
この映画ではインドネシアで1965年に起きた「9.30事件」の虐殺当事者が登場する。
 「9.30事件」とは、クーデター未遂事件に端を発し、その後3年間にも及ぶ共産主義者
の大虐殺を指す。少なくても50万人、一説によると300万人もの共産主義者やその疑いをか
けられた市民が虐殺されたとされる。共産主義者は神を信じない輩として、イスラム教徒
が多数を占めるインドネシアではそれを殺害することが正当化されていた。
 映画『アクト・オブ・キリング』にはその虐殺を直接に行った民兵組織やならず者たち
自らが登場し、当時の虐殺の様子を誇らしげに証言する。ジョシュア・オッペンハイマー
監督が彼らに当時の様子を再現するような映画を製作してみてはどうかと提案し、実際に
撮影が進行していく様子をドキュメンタリーとしてカメラにおさめたのがこの作品だ。映
画の前半では自ら「1000人の共産主義者を殺した」と胸を張るアンワル・コンゴらに罪の
意識は微塵も見られない。しかし、映画で虐殺や拷問のシーンを撮影するうちに、彼らの
中にも被害者の視座が芽生えてくる。そして、撮影した映画のシーンを見直す場面では、
映画の前半では考えられなかったような驚くべき反応を彼らが見せるようになる。
 インドネシアの歴史や社会情勢に詳しい慶應大学名誉教授の倉沢愛子氏とともに、この
映画を通して見える悲劇の実相やインドネシア社会の現状などを議論した。
 続いて取り上げたのは1994年のルワンダ虐殺を描いた『100DAYS』(邦題:ルワンダ虐
殺の100日)。1994年4月6日にルワンダのハビャリマナ大統領が乗った飛行機が撃墜され
たのをきっかけに、ルワンダで多数派のフツ族が、少数派のツチ族と穏健派フツ族を手当
たり次第に鉈などで殺戮した虐殺事件では約100日間で80万とも、100万とも言われる市民
が市民の手によって殺害されたという。
 ルワンダ虐殺を扱った映画は『ルワンダの涙』、『ホテル・ルワンダ』、『四月の残像』
などが有名だが、シネマアフリカ代表でアフリカの映画事情などに詳しいゲストの吉田未
穂氏は、『100DAYS』こそが、こうしたルワンダ虐殺映画の原型となった作品だと言う。
映画では、国際社会がいかに無力だったか、頼りにしたキリスト教の教会、神父がいかに
犠牲者らを欺いていたかが描き出される。しかし、表現のトーンはあくまでも淡々として
いて、それがかえって欧米からみるとセンセーショナルな虐殺の悲劇が、ルワンダ人にと
っては当たり前の史実であるという認識の差、受け取り方の温度差を突きつけてくる。
 吉田氏は現在のルワンダ社会は20年前の悲劇を少しずつだが総括しつつあり、女性の社
会進出も目覚ましく、首都のキガリには高層タワービルやショッピングモールなども建ち
はじめているという。ただ、映画で虐殺者側の視点からあの悲劇を取り上げた作品も出始
めているとは言え、インドネシアのケースと同様に、当時の虐殺の当事者がルワンダ社会
の中枢に多く残っている今、虐殺のような歴史的な悲劇を総括することは容易ではない。
 今回の5金スペシャルでは、第1部で『アクト・オブ・キリング』を通してインドネシア
の「9.30事件」から現在までの実相を、そして第2部では『100DAYS』から見えてくるルワ
ンダ虐殺を取り上げて、それぞれのゲストともに神保哲生と宮台真司が議論した。

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今週の論点
『アクト・オブ・キリング』
・インドネシアの知られざる「9.30事件」
・虐殺の“英雄”に被害者を演じさせることで引き出した、感情の変化
『100DAYS』
・ルワンダ映画の源流にある、ルワンダ人による作品
・悲劇である“国連軍の撤退”が淡々と描かれているのはなぜか
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■インドネシアの知られざる「9.30事件」

神保: 今回は5金スペシャル、映画特集です。普段と比べてソフトで楽しい話をするこ
とが多い5金ですが、今回は「虐殺」という重いテーマを描いた2作品を取り上げます。
 前半は『アクト・オブ・キリング』。昨今の話題になる映画の中では、異色の作品では
ないでしょうか。

宮台: 虐殺を描いたドキュメンタリーは数多くありますが、この映画は少し違います。
いまだに社会そのものが狂っていることがあり得るという状況を映し出しています。後味
の悪さという意味では、これほどの作品はなかなかありません。

神保: この作品はさまざまな映画賞を総なめにしています。実際に虐殺を行い、今もそ
のことを誇らしげに語る人々が、当時の様子を再現した映画をつくる・・・というドキュ
メンタリーで、手法としても珍しく、残酷なシーンはないのですが十分に残酷さを感じま
す。
 ゲストをご紹介します。慶応義塾大学の名誉教授で、インドネシア研究がご専門の倉沢
愛子さんです。倉沢先生は『アクト・オブ・キリング』の背景をパンフレットの中で書か
れています。
 この映画は1965年にインドネシアで起きた虐殺をテーマにしています。カンボジアのポ
ル・ポト派による虐殺は有名ですが、インドネシアで、50万人とも、一説によると300万
人とも言われている虐殺があったことは、私たちの世代もあまり知りません。「9.30事件」
と呼ばれるものですが、宮台さんはこの事件を知っていましたか?

宮台: いえ、知りませんでした。あらためて、どんな事件だったのでしょうか。

倉沢: 1965年9月30日の深夜に、スカルノ大統領の親衛隊の兵士たちが7人の将軍の自宅
を襲いました。そのうちの6人がその場で殺されたり、拉致されたりして、最終的に殺害
されています。その真相はいまだにわかりませんが、彼ら自身の声明によれば「将軍たち
がスカルノ大統領を倒そうと陰謀を画策していたので、それを未然に防ぐために行動した」
ということです。ところがすぐ翌日、陸軍の主要な部隊が巻き返しに出て、大統領親衛隊
とそれを支援する軍の勢力を粉砕。その中心にいたのが、その後大統領になり32年間独裁
政権を続けたスハルトでした。これが事件そのものです。
 その後直ちに、スハルトたちは「この事件の背後には共産党がいる」と発表しました。
それ自体に何も証拠はありません。そしてメディアを通じた宣伝で国民にそれを信じこま
せました。簡単に言えば、彼らの扇動に乗った民衆が虐殺に手を染めたのです。

神保: 虐殺に手を染めたのが、映画で中心的に描かれている「プレマン」たちですね。

倉沢: 日本語にすると、「ならず者、ヤクザ集団」といったところでしょうか。ただ、
殺害者の多くはごく一般の市民でした。イデオロギー的には反共のイスラム政党を支持す
る人々です。

神保: 特に指揮系統もなく、各々が勝手に自分の周囲で虐殺をしたということですか?

倉沢: 私なりに調べたところでは、やはり軍隊が背後にいて、武器と殺害者リストを渡
して、そそのかしていたようです。そうでなければ、単なる民衆の自発的な行為であそこ
まではいかないでしょう。

宮台: 94年のルワンダの虐殺に似ていますね。

倉沢: 同じ村の人々同士が殺し合う、という図式が似ています。

神保: 実際に当時のPKI(インドネシア共産党)はどのくらいの勢力だったのですか?

倉沢: アジアでは中国に次ぐ規模の共産党で、非常に大きい勢力でした。しかも合法政
党で、きちんと議会に議席を持ち、大臣職も担っていた。党員は300~350万人で、そのほ
かにも傘下に青年団や労働組合などさまざまなアソシエーションを持っていました。それ
を、党員でなくてもシンパの疑いがあるだけで、手当たり次第に殺していったのです。

神保: 当時少将だったスハルトが、共産党を敵視して迫害・駆除しようとした背景や、
狙いは何だったのでしょう?

倉沢: 少なくとも、共産党が勢力を伸ばすことを好まない勢力は当然いました。特に陸
軍はそうでした。また、このあたりがはっきりしないのですが、西側諸国、特にアメリカ
とイギリスは、冷戦のさなかですので、何とかして共産党勢力が一掃されることを常々願
っていた。彼らが直接手を下したとは思いませんが、背後でそのようなサインは送ってい
たでしょう。

神保: 1965年といえば、アメリカがいよいよベトナムに深入りし、北爆を開始した年で
した。一方、インドネシアでは当時の大統領であるスカルノが共産党勢力を支持勢力にし
ていたというのは事実ですか?

倉沢: 事実です。スカルノという人は何よりもまず民族主義者でした。インドネシアは
オランダから独立しましたが、当時のアジア・アフリカの旧植民地の国々は政治的には独
立したけれど、経済その他の実権は旧宗主国が握っていて、まだまだ本当の意味で自由で
はなかった。スカルノさんはそのような植民地主義への対決姿勢を強く持つ第三世界のリ
ーダーでした。ご存じのように、1955年にバンドンでアジア・アフリカ会議を主催してい
ます。欧米の資本を積極的に受け入れて経済開発をするという今のアジア諸国のやり方と
はまったく違い、「自力更生をしなければ欧米諸国の言うなりになってしまう」という考
え方でした。そのような闘争を進める上では共産党はよい仲間です。したがってスカルノ
は積極的に擁護するほどではありませんでしたが、共産党を容認していました。

宮台: インドネシアにとってのオランダ、ベトナムにとってのフランスのように、植民
地時代の宗主国が西側であることを背景に、旧宗主国による新植民地主義に対抗する勢力
や解放戦線を東側が支援しました。そのため解放勢力や自立勢力は、比較的共産党に対し
て寛容でした。これは冷戦時代のさまざまな国に存在したひとつのパターンで、若い人々
には背景として理解しておいてほしいことです。

神保: この事件がきっかけでスカルノは失脚したのですね?

倉沢: そうです。直接的には、スハルトは「共産党がこの事件の背後にいたのだから、
共産党を非合法化せよ」とスカルノ大統領に迫ります。しかし大統領は「証拠もないのに
そのようなことはできない」として拒み、共産党を弁護します。すると反共感情が最大化
していることを背景に、「共産党を擁護する大統領を許すな」という論調になり失脚させ
られたのです。

神保: しかしスカルノは建国の父、独立の父です。当時のインドネシアの人々はこのよ
うな事件をきっかけに、スカルノさんが失脚することをよしとしたのですか?

倉沢: 後になってみると、インドネシアではやはり親スカルノ感情が非常に根強いこと
がわかります。スハルト失脚後の今また、そのような勢力が復活しています。それを考え
ると、当時すべての国民が反スカルノになったとはとても思えない。ただ、スカルノを擁
護する立場を表明できないほど、緊迫した状況でした。それをすれば共産党シンパとして
殺されてしまいますから。

神保: 当時のインドネシアで、仮に300万人としても、国民が手当たり次第に殺された
状況だったということです。

倉沢: また、それよりもはるかに多くの人々が「政治犯」として逮捕されました。その
家族や遺族を含めると、被害者の数は膨大です。

神保: 「クーデターを未然に防いだ」という親衛隊と軍の武力衝突が「9.30事件」その
ものですが、後の虐殺までも含めてひとつの事件と考えるべきですね。

倉沢: 一般的にはそうです。68年に、共産系の人々が最後に立て籠もった砦が陥落しま
す。そのときまでは細々と抵抗が続いていました。

神保: 『アクト・オブ・キリング』は、ここまで倉沢さんに伺ったような、65年から68
年までの恐怖の時代を描いた映画です。この映画について率直な印象をお聞かせください。

倉沢: 「よくここまでできた」ということです。このような映画を現地で撮影できたこ
とに、時代が変わったという感激の気持ちを持ちました。スハルトが大統領だった98年ま
では、絶対にこのようなことはできなかったでしょう。虐殺について研究をすることも難
しかった。

宮台: ジョシュア・オッペンハイマー監督によると、現在の支配層の中に、当時の虐殺
の当事者が多くいるということもあり、「反戦映画的な作り方では無理だった」と。3年
間ドキュメンタリーを作っていろいろな障害に突き当たり、「ある日『当事者たちに虐殺
を演じさせればいい』と思いついた」ということです。その意味では98年にスハルトが失
脚してからも、さまざまな困難があったのでしょう。

■虐殺の“英雄”に被害者を演じさせることで引き出した、感情の変化

神保: この映画は「1000人の共産主義者を殺した」と言っている虐殺の当事者に、オッ
ペンハイマー監督が「それを再現するような映画を作りませんか?」と掛け合って作られ
たものです。したがって、この映画はそれとは別の実際の映画があるかのような、映画の
メイキングとして進みます。ところで「本当の映画」はあるんでしょうか?

宮台: 私が調べた限りでは、ありません。

倉沢: 形になってはいないでしょうね。本当にそういう風に映画を作るつもりはあった
のかもしれませんが、むしろメイキングとしてドキュメンタリーにする方が面白いという
ことになったのではないでしょうか。

神保: やはり、虐殺の当事者たちはあの事件を誇りに思っているのですか?

倉沢: 驚くべきことに、恥ずかしげもなく自慢しています。ちょうど兵士が「国のため
に敵を何人殺した」と自慢しているのと同じでしょう。それは罪に問われません。この事
件でも数年後、インドネシアの検事総長がわざわざ「この事件に関連して共産主義者を殺
した者は一切罪に問われない」とお触れを出しています。むしろ彼らは、共産主義から国
を救ったと言われ、彼ら自身もそれを信じています。

宮台: この映画のポイントは、虐殺を再現するシーンを演じさせた後、モニターで出演
者たちに確認させコメントを求めることです。

神保: 当事者たちは、誇らしい気持ちで映画に参加し、それが徐々に変わっていきます。

倉沢: そこが面白いですね。

神保: 当時、殺害者だった主人公のアンワル・コンゴの様子が一番変わったのは、取り
調べを受ける被害者を演じたときのように思いました。「こんなに辛かったのか」と彼が
言うと、オッペンハイマー監督は「いえいえ、これはただの映画ですから。実際の辛さは
こんなものではなかったでしょう」と言います。

宮台: 予告編にも、彼が「もう被害者の役は無理だ」と言うシーンがありましたね。

神保: 実際の映画で加害者と被害者を同じ人が演じていたら、おかしな構成ではありま
す。しかしいずれにしても、それを演じることで初めて殺される側の立場の気持ちを理解
していきます。
 アンワル・コンゴを始めとする加害者たちは、撮影クレーンに乗ってみたり、最初は面
白がっていたフシがありますね。アンワルはハリウッド映画などが好きなようです。

倉沢: 彼は事件の前は映画館周辺でダフ屋をやっていました。きっと映画が好きだった
のでしょう。

宮台: 非常に興味深いのは、それぞれの虐殺シーンを嬉々として演じ、モニターを見な
がら説明する際によく「これはハリウッド映画の〇〇の真似なんだ」などと言っているこ
とです。その意味では、ハリウッド映画が殺戮の技術を提供している。

神保: 倉沢先生は「よくここまでできた」とおっしゃいましたが、スハルトは98年、今
から16年前に失脚しています。にもかかわらず、インドネシアではいまだにあの時代とあ
の事件を総括することができないのですか?

倉沢: 政府レベルではできていません。革命が起きて倒れたわけではないので、まだま
だ政府・官僚組織の中にはスハルト派の人々が多く存在している。スカルノの娘のメガワ
ティが大統領になったときでさえ、父親の名誉回復も恨みを晴らすこともできませんでし
た。それほどまでに、今もスハルト派の勢力は大きいのです。スハルト派ではない一般の
人でも、「共産主義は悪」という教育を受けてきましたから拒絶感があります。

宮台: 1965年はアメリカによるベトナム北爆開始の年です。おそらくインドネシアの人
々は、スハルト将軍以下の「功績」によって、ベトナムのようにならずに済んだ、ベトナ
ムが支払ったコストを支払わずに済んだ、と思っているのでしょう。

神保: アメリカはベトナム戦争に深入りしたことからも反共の旗頭でしたが、日本は事
件当時とそれ以降、インドネシアに対してどのようなスタンスになったのでしょうか?

倉沢: イデオロギーと経済権益の問題があります。まずアメリカは、インドネシアの石
油開発に昔から多額の投資をしてきました。アメリカは「ナショナリストのスカルノが油
田を国営化して、権益が奪われるのではないか」という不安を絶えず持っていましたから、
イデオロギーだけでなく経済権益の面でも、共産党だけでなく、スカルノも滅びてほしい
と強く願っていました。それに対して日本は、イデオロギーとしては反共でしたが、それ
とスカルノは分けて考え「共産党はNOだが、スカルノ政権はOK」という立場でした。事件
直後のアメリカの国務省のドキュメントを読むと「日本はまだスカルノの催眠術に掛かっ
ている」というようなことが書いてあります。

宮台: イランでは、モサッデク政権が石油のメジャー資本を国営化する事態が起きまし
た。その後、憤激したアメリカとイギリスはパフラヴィー傀儡政権を作っていますが、同
じことがインドネシアで起こることをアメリカは危惧したのでしょう。
 日本についても、今は忘れ去られていますが、1955年までの共産党は実は暴力革命路線、
改憲路線で、「9条こそ対米従属のシンボル」として民族自立を唱えていました。民族自
立を唱える勢力が旧宗主国や占領軍に対抗して共産主義の立場を取るというパターンは、
日本でも全く無縁とは言えません。

神保: 映画では、撮影が進むに従って虐殺の当事者から「これでは“共産主義者は残酷
だ”という宣伝が覆る」、「(われわれが)貫いてきた信念は、全部うそだったというこ
とになる」「俺たちは残虐だった」と懸念する声が上がりはじめます。中には「それが本
当の歴史なら隠すことはないでしょう」と言うものもいますが、「すべてを公表する必要
はない。神にも秘密はあるはずだ」などと返したりしています。前提として、共産党は残
酷だというレッテルがあったのでしょうか?

倉沢: 最初のクーデター未遂のときに、6人の将軍が殺されましたが、彼らの遺体は傷
だらけで、目玉はえぐられ、男性器は切り取られていたと言われていました。ずっと後に
なって、解剖に立ち会った医師が「あれは嘘だった」と明かしていますが、当時は全国的
に信じられていたのです。また、遺体の傍らで共産党員の女性たちが淫らに踊っていたと
され、「共産党は淫らで残酷だ」というイメージが、巧みに、本当に巧みに作り上げられ
ていました。

宮台: 共産主義者に対抗するという大義名分を持ったプレマンは当時、「残虐であれば
あるほど偉い」というある種のポジション争いのモードの中にいて、それにしたがって再
現シーンを撮っている。そして、ふと第三者の視点で「これを観た人はどう思うだろう?」
と気づくのです。

神保: これは映画を作るというプロジェクトの過程が生み出した感情の変化ということ
でしょうか。

倉沢: そう思いますし、「あのように感情が揺れていく人もいるんだ」と感銘を受けま
した。私も殺した側の人たちをずいぶんインタビューしましたが、ほとんどの人は自慢気
に語るばかり。しかし、考えてみれば悔いている人はインタビューに応じなかったのかも
しれませんし、殺した側がトラウマを抱え、精神障害になってしまうケースもあったと聞
いています。映画というツールがなくてもそうなる人々はいたということですが、ただそ
れは表には出てきません。
 この40数年間、多くの人に感情の揺れはあったのでしょう。しかし、常に政府の側から
「あなたたちは英雄だ」「正しいことをした」「悔いる必要はない」という立場が出され
続けているのです。

宮台: 人間の心には社会心理学で言う認知的整合化というメカニズムがあり、自分自身
をパニックに陥れるような認識を排除します。自分自身のセルフイメージを、自分にとっ
て善きもののイメージに合うように、そうでないものを封殺したり体験加工したりします。

神保: 映画にも出てきますが、殺された人々の遺族がいます。加害者たちが虐殺につい
て自慢気に語っている様を見れば、遺族が報復するような事態が起こるのではないかと思
ってしまいます。しかし彼らは「そんなことは絶対にできない」と言い切っていますね。

倉沢: 絶対にできません。遺族は、家族が共産主義者として殺されたことを必死に隠し
て生きている。報復でそれを知られようものなら、「共産主義者の子ども」として迫害を
受けてしまう。今も同じであるかはわかりませんが、事件から10~20年間はそういう状況
でした。犠牲者のほうが悪かったことになってしまっているのです。

■ルワンダ映画の源流にある、ルワンダ人による作品

神保: ここからはいわゆるジェノサイド、ルワンダの虐殺を描いた映画『100 DAYS』を
取り上げます。

宮台: ここまで取り上げてきた『アクト・オブ・キリング』の特徴は、なぜ人が殺戮を
し、なおかつ何十年も罪悪感を持たずにいられるのか、ということについてある種のメカ
ニズムを説明しています。それをある程度理解された上でルワンダの虐殺についての映画
を取り上げて議論すると、深いところまでいけるのではないかと思います。

神保: 後半のゲストをご紹介します。アフリカ映画といえばこの方、シネマアフリカ代
表の吉田未穂さんです。吉田さんには去年の6月の5金スペシャル『今アフリカ映画が熱い』
に出演していただきました。
 フツ族による80~100万人のツチ族の虐殺、いわゆる「ルワンダの虐殺」ですが、ちょ
うど今年で20年になります。

吉田: 今年は20周年という節目で、追悼の意を込めて、世界中でルワンダの虐殺につい
ての映画を上映する企画があります。

神保: 20年前の94年4月に大統領の乗った飛行機が撃墜され、その後フツ族によるツチ
族の大虐殺がありました。国連によるルワンダ支援団が、事態を収拾することができず、
虐殺のさなかに撤退してしまいます。5月になってようやく支援部隊の派遣が国連でも決
議されましたが、時すでに遅しでした。今日のテーマは、大虐殺のような歴史的悲劇を映
画がどう描いてきたか、ということです。ルワンダの虐殺を描いた映画には有名なもので
『ホテル・ルワンダ』『ルワンダの涙(”Shooting Dogs”)』『四月の残像』などがあり
ます。今回取り上げる『100 DAYS』は、これらの映画と比較してどのような位置づけにな
りますか?

吉田: 決定版としては『四月の残像』をお勧めしていますが、ルワンダ虐殺を描いた映
画の源流にあるのは、ルワンダ虐殺を初めて映画化した『100 DAYS』です。この映画の中
にあるさまざまな要素が他の映画に取り入れられ、もっとうまくドラマ化されて、より華
々しくなったり、より悲劇性を強調されて描かれています。つまり「ネタ元」になってい
るということです。
 この映画のコンセプトは、「ルワンダ発のルワンダ虐殺映画」です。細かいことを言え
ば、監督はイギリス人のジャーナリスト、ニック・ヒューズ。ナイロビをベースにアフリ
カで活動しています。プロデューサーはルワンダ人のエリック・カベラです。彼は今に至
るルワンダ映画界を作ってきた人です。

神保: 宮台さんはこの映画をどう観ましたか?

宮台: この映画の特徴は、虐殺を最初に取り扱った映画だということもあって、いろい
ろな「オカズ」が入っています。恋愛ネタが入っていたり、強姦する教会の神父が描かれ
ていたりしている。その意味では劇映画的には、感情のフックが多くあります。もっとも
特徴的なのは、ツチ族の女性が、神父に孕まされた子どもを滝壺のたもとに捨てるシーン
です。近くで見ていた男の子がその子を助け上げるところで映画は終わる。映画全体のエ
ピソードの中で大きな位置を占めているとは言えませんが、ドラマツルギーの中では非常
に重要な位置を占めていて、観客はあそこで救われます。ある種の新しい生命、新しい融
和が仄めかされるという意味では、映画としてひとつのパッケージになっている。一方、
前半の『アクト・オブ・キリング』は、観客が嫌な気持ちで帰ります。また、その意味で
は吉田さんが決定版とおっしゃった『四月の残像』にも救いがない。

神保: 『100 DAYS』の監督はイギリス人で、プロデューサーはルワンダ人ということで
した。資本もルワンダ資本で作られているのですか?

吉田: ルワンダ資本です。ちなみに監督のニック・ヒューズという人は、国籍はイギリ
スですが、限りなくアフリカ人に近い人です。この映画を作る際の逸話で、「興行的に成
功するためには主人公を白人の女性にするべきだ」という話がありました。それを聞いた
ニックとプロデューサーのエリックは激怒し、当初の路線を通したそうです。また、出演
している人のほとんどがルワンダの一般の人であり、これは職業俳優がほとんどいない時
期に作られたからでしょう。ルワンダでロケをして、ルワンダの人々が参加して作られて
います。その意味で、98%くらいルワンダ発の映画と私は考えます。

神保: これまでに私が観た2作、『ホテル・ルワンダ』『ルワンダの涙』は、どちらか
というと「白人向け」というか、先進国の映画市場に向けた作品であるのかもしれません。
『100 DAYS』にルワンダ発ならではの視点の違いなどはありますか?

吉田: はい。『四月の残像』にも言えることですが、簡単に救いを描きません。宮台さ
んがおっしゃるように、最後に救いがあり、それは重要なシーンになっていますが、ルワ
ンダの人にとっては簡単に救いを描いた時点で、その映画は嘘になる。監督たちのプロダ
クションノートには「虐殺とは救いのないもの」とあります。ニックの言葉によれば、
「完璧な闇と完璧な悪の世界」です。彼は「欧米からプロの俳優を連れてきて、『存在し
ないヒーロー』を仕立てあげ、美談に収束していくような話だけは作りたくなかった」と
言う。それが彼らの見たありのままの世界で、今のままでは救いなどないという状況であ
ったのでしょう。「起きたことを一度、すべて洗い出して直視してみないとその先に進め
ない」という気持ちがあったのではないかと私は考えています。

宮台: ツチ族の側の恐ろしい被害体験をベースにして描くという意味では4作とも共通
しています。当たり前のことですが、虐殺者側のリアリティは極めて狂ったものとして描
かれざるをえない。しかし今後、ルワンダ虐殺を扱った映画がルワンダの人々から出て来
る場合は、殺す側のリアリティがどういうものであったのか、ということをもう少し掘り
下げるものが出て来る可能性があります。
 『四月の残像』はタイトルも素晴らしい。”Sometimes in April “は、四月になるたび
に虚しい気持ちに襲われるということです。反省や悲しみではなく、虚しいがらんどうな
気持ちです。それがどういうことなのかということが非常に重大です。
 虐殺の背後にどのような心理が働くのか、ということには、実はかなり学的な研究が進
んでいます。『アクト・オブ・キリング』もまさに学的なセオリー通りのことが起こって
いることを確認できる。それをわかっているのに、なぜ止めることができないのかという
ことがポイントです。その意味は、どこでも起こりうるということと、被害者と加害者が
固定的ではないということです。被害者だった側が、まったく同じメカニズムで後に加害
者になることもある。虐殺の深刻さや被害体験の恐ろしさを共感的に認識した後に、「繰
り返し起こることをなぜ止められないのか」ということに対して具体的な処方箋を考えて
いくべき段階なのだろうと考えます。

神保: 映画を観ても、あれほどの虐殺に至った経緯や理由は、必ずしもはっきりしませ
ん。この映画にその部分は描かれていますか?

吉田: あまり描かれていません。私が『四月の残像』を第一に推すのは、そちらの方が
包括的に描かれているからです。この『100DAYS』はルワンダの人々に近すぎるあまり、
私たち観ている側のそのような疑問には答えてくれません。

神保: 事情を知らない外国人のことはあまり考えられていないということですね。ただ、
よく見るとツチ族の人が裕福に描かれていたり、恨む理由のヒントにはなっているかもし
れません。そのような側面はありますか?

吉田: あるでしょうね。ツチの人の中には出世している人も多いと思われます。ルワン
ダの人々にとっては、なぜ憎むのか、殺されるのか、ということがあまりにも当たり前過
ぎるので、映画の中に盛り込まれていないように思います。

宮台: 貧富の差などは虐殺の口実、動機付けとして必ず動員されます。しかしやはりメ
インは、植民地統治時代にベルギーがツチ族を使ってフツ族を支配し、解放され独立して
以降はフツ族が政権を取っていたところに、ルワンダ・ブルンジ両国の大統領が乗ってい
た飛行機が撃墜され「10年ぶりにツチ族がリベンジするのではないか」という、歴史的経
緯があります。歴史的経緯のルーツは「もともと違う民族であった」というようなところ
にあるのではなく、植民地宗主国が意図的に作った分断の線です。それを前提にした支配
と憎しみ、恐怖の構図がリベンジに対するリアリティとなり、「やらなければやられる」
という理屈になる。この理屈が重要なところは、友敵図式ではなく「われわれ対鬼畜」で
あるところです。フツ族はツチ族を「ゴキブリ」「ネズミ」と呼び、感情移入の必要性の
まったくない、悪の権化のような存在にしました。そこから先は「悪を退治した数が多い
者ほど偉い」ということになります。

神保: ルワンダの、特に虐殺を扱った映画は、アフリカ映画全体の中でどのような位置
づけなのでしょうか。ルワンダの大虐殺はかなり特記すべき事例だとは思いますが、他に
もダルフールなどがあります。やはりルワンダというとこのテーマになりますか?

吉田: 例えばプロデューサーのエリック・カベラ氏は、虐殺当時、CNNやBBC、NHKなど
を現場に連れて行くコーディネーターの仕事をしていました。多くの話を紹介しても、実
際に放送されるのは1~2分です。そこからこぼれていく自分たちの物語を伝えたいという
ことが映画を作り始めた動機です。したがってルワンダにとって、虐殺が映画を作る大き
な原動力なのです。アフリカ全体で観ると、ルワンダはとても小さな国ですし、映画に関
して新興国です。ただ、今めざましく伸びてはいます。
 去年はナイジェリア映画という側面で、楽しい映画をご紹介しました。経済成長中のナ
イジェリアの、現在のモダンな姿を日本人が知らないとすればそれもアフリカへの誤解で
すし、ルワンダへの誤解もアフリカへの誤解です。ジェノサイドの現象と、そこにまつわ
る悲劇的な涙の側面のみが語られ、バックグラウンドにあるものが語らない。そのように
誤解があるという意味では、ナイジェリアもルワンダも同じです。

■悲劇である“国連軍の撤退”が淡々と描かれているのはなぜか

神保: 先ほど宮台さんがおっしゃった「なぜ防げなかったのか」ということに関して、
ほとんどの映画で出てくるモチーフがあります。『100DAYS』でも描かれていますが、つ
まり安保理のマンデート(委託権限)がなかったために、目の前で虐殺が行わているのに
何もできなかった国連軍の無力さです。やはり「国連・国際社会が自分たちを見捨てた」
という意識は、ルワンダ国内でも根強いですか?

吉田: 非常に根強いです。国民的トラウマのようになっています。
 ただ、他の映画では国連軍の撤退を最大の見せ場にしていますが、『100DAYS』ではテ
ンションが低く、淡々と描いています。この映画はB級映画の香りが残っており、演出技
術の問題という側面もありますが、実際、ルワンダの人々にとって、国連軍の撤退はそれ
ほどドラマチックなものではないのです。
 クロード大佐が無線で惨状を伝え、「われわれが明日撤退すれば、教会のツチはすぐに
全滅です。即刻撤退するのは困難です」と語るシーンがあり、私たちは「こういう良識的
な白人もいたんだ」と安心します。しかし、実はこのシーンにも皮肉が込められていて、
彼の右側に映るパソコンの画面には、カードゲームの「ソリティア」が立ち上がっている。
これは意図的なもので、「そのときには僕たちに同情するかもしれないが、それが終わっ
たらまたゲームに戻る程度の同情で、結局は粛々と撤退してくのだ」というのが、『100
DAYS』を作った人々の見方です。

宮台: たしかに他人事の淡々さがあります。これは批評的で、私たちがあの映画を観て
涙するときにも多くの場合、他人事的に涙をするのです。映画館を出た後、一緒に観た人
と食事をし、ひとしきりそれについて話し合うでしょうが、どこかで話題を変えます。そ
れがあの「ソリティア」です。実際そうなってしまうと、涙したはずなのに教訓は残らな
い。そのことを批評的に描いている。
 先日参加したアフリカ映画上映会のときにも申し上げましたが、胸を痛めて帰るだけで
終わることは、おそらく製作者たちの本位ではないので、そこで止まらないでほしいので
す。喜怒哀楽という感情は私たちの限られたキャパシティの中で起こり、個人的にもっと
大きな出来事があれば、ところてん式に押し出され、忘れてしまう。その意味で言うと、
映画から得られる感情の働きは重要ですが、それを次のフェーズに移して反省を深めない
と、同じことを繰り返すということです。

神保: 国連の肩を持つつもりはありませんが、国際政治の世界では、あそこまで悪化し
てしまった状況の中で仮に残ったとしても、どちらかの市民に銃を向けるのは非常に難し
いことです。むしろ、そうなる前に紛争予防的な措置が取られなかったことを研究する方
が今は主流で、「あそこで残るべきだった」という話はあまり語られていない。軍同士で
あればまだしも、民兵組織に対して武装した国連部隊が介入することはやはり難しい、と
いう評価のようです。虐殺から20年経ちますが、その間ルワンダでは、これ以外のテーマ
の映画は出てきていますか?

吉田: おもしろかったのは、この映画のプロデューサーのカベラ氏と、ツチとフツがな
ぜこれほど憎しみ合うようになったかを検証した『Home Land』というドキュメンタリー
を作ったジャクリン・カリムンダ監督に、「次にどんな映画を作りたいか?」と尋ねると、
一様に「コメディを作りたい」と言ったのが印象的でした。
 実際、カリムンダ監督はその後、コートジボワールに行って「『Sex And The City in
Africa』というコメディ映画を作った」と喜んで報告してくれました(笑)。カベラは、
サッカーのワールドカップに行きたいルワンダの子どもたちが、南アフリカまでの5000キ
ロをヒッチハイクと徒歩で旅する『アフリカ・ユナイテッド』というロードムービーを作
っています。

神保: ではルワンダでは、その後も映画がどんどん出てきているんですね。

吉田: はい。『100 DAYS』は、あちこちの国際映画祭で評価されました。ただ、世界の
あちこちで上映して回ったプロデューサーが、ふと振り返って「肝心のルワンダの人々は、
映画館もないので観ることができない」という問題意識を持ち、そこで映画館と映画学校
を作るべく動きました。その努力が実り、いろいろな映画が作られるようになりました。

神保: 吉田さんはルワンダの専門家というわけではありませんが、ご存じでしたら教え
てください。20年前のこの悲劇を経て、現在のルワンダ社会はどのような情勢ですか?

吉田: 経済発展は著しく、首都キガリでは高層ビルが建っています。それが全国に広が
っているかというと、それはまた別の話ですが、ナイロビにはあってキガリにはなかった
大手のスーパーやショッピングモールなどが、キガリにもできはじめました。

神保: それでは、ルワンダの人々はこの事件をどう捉えているのでしょうか?

吉田: 2007年に日本でこの映画を特集したときに、ルワンダで上映した時の話を聞きま
した。すると、上映後も会場は皆無言で、何の感想も言わず静かに家に帰っていったそう
です。虐殺という出来事があまりにも熱く、あまりにも近いために、まだ受け止められな
い――映画で見る準備はまだできていない時期だったのではないでしょうか。今でもその
側面はあるでしょう。私は映画についてしか語れませんが、今ではジェノサイドものの映
画もたくさん出てきています。宮台さんがおっしゃるように、加害者の側の視点から虐殺
を描いた映画が作られるようになるといいと私も感じていました。今ではさまざまな視点
から描いた映画が作られており、映像にして向き合う強さを取り戻していると言えるかも
しれません。

神保: 前半で取り上げたインドネシアの虐殺についても言えることですが、そのような
歴史的な悲劇を、映画として捉えることは、社会の修復機能に対してどのような役割を果
たすでしょう?

宮台: もちろんメモリーとして、語り継ぎの機能を果たすことは間違いありません。た
だ、そこにはあまり期待できない部分があり、例えばドイツでも敗戦後40数年経つとリビ
ジョニズム(歴史修正主義)が出てきて、「まだ反省しなければいけないのか」という議
論が強くなります。それは日本でも同じです。
 アメリカでもベトナム戦争後、戦争の後遺症というモチーフを10年近く続けてきていま
したが、それもなくなりました。ルワンダのジェノサイドもののような映画の重要な機能
だと思うのは、「ここに描かれているのは非常事態や、非常時における稀有な事態という
よりも、私たちの社会の中に日常的あることだ」と知ることでしょう。
 例えば「鬼畜米英」というような他者への理解の仕方は、日本でもヘイトスピーカーの
中に現に存在します。あるいは傍観者に留まったり、いじめる側に加担するときに「そう
しなければ自分がいじめられる」という理屈を用いることは、いじめの問題で常に目にす
るもの。また、『アクト・オブ・キリング』のあるシーンで、車の上から副大臣がマイク
で「殺れ! 殺れ! 殺っちまえ!」と叫びます。そのようなエンパワーは、私たちがス
ポーツ競技の応援で目にするものです。したがって、何か私たちにとってまったく縁遠い
要素が稀有に組み合わさったがゆえに虐殺が起こったわけではないことが、映画を観ると
わかります。その点、虐殺映画で、虐殺する側が狂った鬼や悪魔のように描かれてしまう
と、それはそれで「自分たちは加害者側になりうる」というリアリティがなくなってしま
う。虐殺を反省する映画も一筋縄ではいきません。

神保: 同じ質問を吉田さんにも伺います。歴史的な悲劇を映画化することの社会的な意
味や意義はどのようなものだと思われますか?

吉田: ルワンダ限定の話になってしまいますが、制作者たちに話を聞くと、彼らは映画
を再建への歩みのひとつの手段として考えています。「なぜあれだけ多くの人々が、事情
があったとはいえ虐殺に走ってしまったか。権威主義的な社会の中で上から命令が降りて
きたときに、自分で判断する能力が自分たちには欠けていたのだろう」と彼ら自身が語っ
ています。つまり、今後そうならないように、映画を通じて事態全体を俯瞰できるように
するという意義です。実際に彼らは、バンに機材を積み、村々を回っています。映画館が
ないので、日が落ちてから村の広場で映画を上映して回っているのです。ルワンダで映画
は、実際の社会での重要な素材として使われています。

神保: それぞれが考えることではありますが、日本人のわれわれはこれらの映画から何
を受け止めるべきだと思われますか?

吉田: ひとつ思うのは、ハリウッド製の映画ばかり観ていると、アメリカやヨーロッパ
の視点で物事を見てしまうことです。ルワンダ映画に限らず、『100 DAYS』のような映画
を観ることが、今まで自分が知らなかった世界観を知るきっかけになると強く思います。

宮台: ハリウッド映画だけではなく、映画はお金がかかります。出資者も観客もお金を
払っています。特に観客が、お金を払った分だけのゲインを得て家路につくかが問題です。
 例えば60年代の日本では、反戦映画や今であれば左翼的と言われるような弱者が虐げら
れるような映画が、ヤクザ映画ですら多かった。この場合、必ずしもハッピーエンドでな
くても観客は満足しました。どういう感情を観客に引き起こせば、観客が満足して帰るか、
ということは時代によって変わります。したがって、よい映画を残そうと考えたら、ある
種の観客教育も欠かせません。観客が売れ行きを決めてしまうからといって、観客のニー
ズに合わせていれば、必ず映画は劣化してしまう。そうではなく、よい映画に必要な観客
の数が少ないのであれば、よい観客を作っていかなければなりません。私も勧善懲悪は好
きですが、一方で私の世代は、それが嘘であることを子どもの頃からメディアに刷り込ま
れました。それを善だと思い込みたい人たちの視座というものがあり、別の視座から見れ
ばまったく別の道理が立つのです。

神保: そういう感性を早めに身に付けたほうがいい、ということですね。吉田さん、
『100DAYS』は現在、日本の劇場では観ることができませんね。

吉田: 残念ながら日本では上映されていません。ただ、小規模な上映会や学校の授業な
ど、さまざまなところで多くの方が観てくれることを願っています。宮台さんが冒頭にお
っしゃったとおり、いろいろな「オカズ」が盛り込まれている映画であり、国連の役割、
アフリカにおける民族の役割、植民地時代という背景など、さまざまな方向に話を広げら
れる作品ですから。

神保: 観たい人は、吉田さんのシネマアフリカに問い合わせれば日本語字幕付きのもの
を借りることができます。

吉田: はい。ホームページから問い合わせていただければ貸し出しています。

神保: この映画に限らず、アフリカ映画に関心のある方はぜひホームページをご覧くだ
さい。宮台さん、最後に何かありますか?

宮台: 若い人たちには、暗い映画を観ると損した気分になる、という人が多い。試写会
などで「映画は楽しくなるために観るんじゃないのか」と文句を言う人もいます。そうい
う人は、テレビを観ればいいでしょう。楽しむための映画もありますが、それはテレビと
重なる役割です。映画を観に行くということには、私たちの普段の日常のフレームを超え
て、普段考えないことを考える、という要素があります。それは必ずしも楽しい行為では
ありません。普段考えないのは考えたくないからで、それはたいてい暗いことです。簡単
に言えば、それを考えるために観に行け、ということです。

吉田: いつも言っているのですが、10本映画があったらそのうち2本くらいはアフリカ
の映画が観られる状況を作りたいと考えています。先ほど宮台さんのお話で感銘を受けた
のは「観客を育てなければいけない」ということです。その努力をしないで文句ばかり言
っていてはいけないなと思いました。

〇〇出演者プロフィール〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇

倉沢 愛子(くらさわ・あいこ)
慶應義塾大学名誉教授。1946年大阪府生まれ。70年東京大学教養学部卒業。72年同大大学
院社会学研究科修士課程修了。78年コーネル大学大学院修士課程修了。79年東京大学大学
院社会学研究科博士課程単位取得退学。在インドネシア日本大使館付専門調査員、名古屋
大学大学院教授などを経て97年慶應義塾大学経済学部教授。2012年定年退任。同年より現
職。著書に『9・30 世界を震撼させた日』、『戦後日本=インドネシア関係史』、『資源
の戦争「大東亜共栄圏」の人流・物流』など。

吉田 未穂(よしだ・みほ)
シネマアフリカ代表。1974年東京生まれ。98年東京都立大学人文学部卒業。2001年同大学
大学院地理学専攻課程修了。専門学校講師などを経て、06年シネマアフリカ設立、代表に
就任。

宮台 真司(みやだい・しんじ)
首都大学東京教授/社会学者。東京大学大学院博士課程修了。東京都立大学助教授、首都
大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論(博士論文は『権力の予期理論』)。
著書に『民主主義が一度もなかった国・日本』、『日本の難点』、『14歳からの社会学』、
『制服少女たちの選択』など。

神保 哲生(じんぼう・てつお)
ビデオニュース・ドットコム代表/ビデオジャーナリスト。コロンビア大学ジャーナリズ
ム大学院修了。AP通信記者を経て93年に独立。99年11月、『ビデオニュース・ドットコ
ム』を設立。著書に『民主党が約束する99の政策で日本はどう変わるか?』、『ビデオジ
ャーナリズム─カメラを持って世界に飛び出そう』、『ツバル-温暖化に沈む国』、『地
雷リポート』など。専門は地球環境問題と国際政治。

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