1947年岩手県生まれ。69年立命館大学文学部卒業。同年、学校法人立命館入職。72年より日本共産党北地区委員会職員を経て、88年京都市議会初当選。93年衆院初当選(衆院・旧京都1区)。97年より共産党国会対策委員長。現在は選挙対策委員長、党常任幹部会委員を兼任。衆院10期(比例近畿ブロック)。
第13回目のポリティコでは、6月に次回の選挙に出馬せず引退を発表している日本共産党の穀田恵二衆院議員に、これからの日本共産党が果たすべき役割について聞いた。
1993年初当選の穀田氏は、安倍晋三元首相や岸田首相、民主党の前原誠司元代表や立憲民主党の枝野幸男元代表らと同期にあたる。その穀田氏は1997年から26年間、共産党の国対委員長を務めてきた。
国対委員長としての四半世紀を振り返る中で穀田氏は、共産党が長年野党国対から排除されてきた歴史に触れた上で、2015年に安倍政権の安保法制への反対を契機に、共産党が野党共闘に参加したことの意味は大きいと語る。
しかし、一時は共産党との共闘に舵を切ったかに見えた立憲民主党が今、再び共産党と距離を置き始めていることについて穀田氏は、共産党と組むことを対抗勢力から激しく攻撃された立憲が怯んでしまったことが原因だったとの見方を示す。また、穀田氏は野党共闘には明確な旗印が必要だが、2015年の反安保法制以降はそれが見つけられなかったことも問題だったと語った。
2022年に100周年を迎えた共産党は、『日本共産党の百年』という冊子を発表したが、穀田氏によると、そこでは過去の失敗を振り返り反省点や弱点が赤裸々に語られているという。しかし、共産党のイメージを大きく傷つけてしまった松竹氏らの除名問題について穀田氏は、処分はあくまでも党則に従ったまでで当然のことだったというが、それがどのように国民の目に映るのかという視点が欠けていたことは否めないだろう。
維新、国民民主などが自民党に擦り寄る姿勢を見せ、野党の足並みが乱れている今、共産党の今後の役割について、今期限りで政界引退を表明している穀田氏に角谷浩一と神保哲生が聞いた。