2015年2月7日
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小学校の授業での遺体写真の使用は行き過ぎか

ニュース・コメンタリ―

 名古屋市の小学校が授業で過激派組織「イスラム国」(ISIS)によって殺害された湯川遥菜さんの遺体の写真を使ったことが問題になっている。教育委員会は会見でこの行為を「不適切」だったとして謝罪し、授業を担当した20代の女性教諭に対しても「厳正に対処する」としている。マスメディア上でもこれを問題視する報道一色になっているようだ。
 表面的には若い教員が、軽率にも子どもに不適切な画像を見せてしまい、教育委員会を始め関係者が平謝りに謝っている状態のように見える。実際報道でも、その程度の扱いになっている。しかし、この授業のことをもう少し詳しく見ていくと、やや見え方が変わってくる。
 まず、この授業は小学校5年生の社会科の授業の一環として行われたもので、「情報を生かすわたしたち」をテーマに、「情報化が進むことによる利点と問題点」を児童に討論させるというものだった。日本では珍しいのかもしれないが、アメリカなどではよくある「メディア・リテラシー(メディアの読み解き方)」のクラスとよく似ている。
 女性教諭は東日本大震災後、見る人の心的苦痛を考えて、津波の写真や映像を見せない報道機関が増えているが、その一方で映像が流れて津波の恐ろしさや被害の激甚さが明らかになったことで、支援の輪が全国に広がったことなどを説明。どこまで真実を報道することがよいのかについて、クラスを「真実をそのまま報じるべき」と主張するチームと「フィルターをかけて報道すべき」と主張するチームに分かれてディベートさせていた。
 そこで題材として使われたものが、湯川さんの遺体の写真だった。報道機関が湯川遥菜さんの遺体の写真にぼかしをかけて報じていたことを説明した上で、「見たくない人は下を向いているように」と警告し、ぼかしがかからない湯川さんの遺体の写真を教室正面のモニター画面に表示した。そのことが後で保護者の耳に入り、問題となったのだった。
 確かに、マスメディアでさえそのまま報じることが憚られる残虐な写真であることは間違いない。発達段階の子供に見せることの是非については、いろいろな考えがあるだろう。また、保護者の中には、自分の子供にはそのような画像は見せたくないと考える人も多いかもしれない。
 しかし、その一方で、ぼかしを入れることの是非を論じるためには、ぼかしの下に何が隠れているかを知る必要がある。ぼかしの下には基本的に、子供が見れば何らかのショックを受けるような画像が隠されている。だからぼかす必要があると報道機関は判断しているのだ。
 今や子どもたちの多くが、自由にインターネットにアクセスしている。テレビでは見せてないような映像も、ネット上では簡単に見つかる。インターネットを自由に操るようになった子どもたちの方が、情報に疎い大人よりもずっと目が肥えている可能性もあるかもしれない。
 とは言え、ぼかしの下を見せると言ったとき、それがどうしても残虐な殺害遺体でなければならなかったかどうかについては、議論の余地があるだろう。しかし、同時に、少しでも気分を害するような映像にはめったやたらにモザイクやぼかしがかかるような過度の自主規制によって、子どもも大人も世界の紛争地帯で何が起きているかについて、ほとんど現実感覚を持つことが困難になっているのも事実だ。多少の不快感やショックを覚えるような映像でも、現実を直視しなければならないこともあろう。
 しかし、いずれにしても今回の一件を、女性教諭を処分するだけで終わらせてしまうのは、あまりに勿体なさすぎる。ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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