2016年4月9日
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部分可視化では正義が貫徹されたことにならない

ニュース・コメンタリー (2016年4月9日)

 栃木県で2005年に起きた女児殺害事件の判決は「無期懲役」だった。この事件は被告の犯行を直接裏付ける証拠がなく、捜査段階での被告の自白が唯一といってもいい証拠だった。ところが公判段階で被告が否認に転じため、自白調書の信用性が裁判の最大の焦点だった。

 検察は取り調べを録音・録画した映像を法廷で流し、被告が殺害時の状況や動機を具体的に話したことを裁判員にアピールした。法廷で流された映像を見る限り、被告は自らの意思で供述しているようだったという。また、供述の中には犯人しか知り得ない情報も含まれていたという。

 この日の判決では自白の任意性と真実性がともに認定された。

 正義が貫徹されることは社会にとって重要なことだ。そしてそれは司法に対する強い信頼を前提とする。しかし、取り調べの映像がこのような形で部分的に使われることは、決して司法の信頼にはつながらない。むしろ、部分可視化は冤罪のリスクを増大させることになり、司法に対する信頼が揺らぐばかりか、社会の不安定化の要因にもなりかねない。

 現在の取り調べの可視化は、取り調べのすべてが映像として記録されていない。しかも、どの「部分」を記録するかについては、検察側の裁量に委ねられている。

 元々取り調べの可視化を求める動きは、度重なる冤罪事件や検察による証拠の改ざんなど、検察の取り調べが公正に行われていないことへの不信感の高まりから出てきたものだった。

 ところが、いざ録音・録画が導入される段階になって、取り調べの録音・録画は部分的なものに限定された上、どの部分を録音・録画するかは検察の裁量に委ねられることになった。

 この事件でも検察は、被告人が自らの意思で犯行を認め、犯行の手口や動機を具体的に供述するシーンを録音・録画して法廷で再生した。

 「百聞は一見にしかず」の諺もあるように、映像には説得力がある。映像を見た人は、その絵面を信じ込みやすい。

 しかし、映像の中では自らの意思で話しているように見えても、その前にどのようなやり取りがあったのかがわからなければ、その映像をそのまま信用することは危険だ。事前に恫喝が行われていたり、何らかの取引が持ちかけられている可能性もある。録音・録画が行われる前の段階で何が行われていたとしても、いざ録音・録画をする段階で被告人が納得していれば、自らの意思で供述しているような態度をとることは十分にあり得る。

 また、映像の中で犯人しか知り得ない情報を供述してたことが、自白の信頼性の根拠とされている点も危うい。パソコン遠隔操作事件で、誤認逮捕された都内在住の明大生は、犯行に使われた犯人のハンドルネームという、犯人しか知り得ない情報を供述していたが、実は犯人ではなかった。取り調べの段階で犯人しか知り得ない情報を捜査官から教わった上で、それをあたかも自らの意思で話しているかのように供述していたのだ。

 部分可視化では、どのような映像が記録されていようが、検察側から事前に犯人しか知り得ない情報を教えられていた可能性が排除できない。

 強制や脅迫による自白を証拠とすることができないことは、憲法38条で定められている、国民の基本的な権利に関わる問題だ。

 今国会に提出されている刑事訴訟法の改正案には、取り調べの可視化が謳われているが、同法案では裁判員裁判の対象事件と特捜部による独自捜査事件しか可視化の対象とはなっていない。それを合わせても全事件の3%にも満たない。この法案が通っても97%の事件は可視化されないことになる。

 刑事司法は国家の根幹に関わる問題だ。だからこそ、どんな事件においてでも裁判所が判決を下した時、社会が「正義か貫徹された」と信じることができるような刑事司法制度を作らなければならない。

 最高裁が示した間接証拠による犯罪立証の条件と部分可視化の問題点を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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