「年収の壁」と「働き控え」を克服するためのベストな方法とは
大和総研主任研究員
1985年神奈川県生まれ。2009年慶應義塾大学理工学部卒業。13年日本大学大学院文学研究科修士課程修了。14年より統合型学習塾「知窓学舎」講師を兼務。著書に『世界は贈与でできている』。
第11回のオイコノミアでは近著の「世界は贈与でできている」が話題の教育者であり哲学研究者でもある近内悠太氏をゲストに迎え、なぜ今贈与が求められているのかなどについて議論した。
近内氏によると、「贈与」とは見返りを求めずに与えることで、「交換」の対極にあるものだ。両者の違いは、贈与が与えられた人に「もらってしまった」という感覚を残すのに対し、互いに等価なものをやりとりする交換は、そこで関係性が終わってしまうことにある。贈与が人と人の関係性を生み出すところに、今、贈与を論じる意味があると近内氏は言う。近内氏は現代の資本主義は人々を物質的に満たすようになった一方で、その快適さが飽和状態に陥っているため、関係性を作り出すことで人びとに「生きた心地」を与える贈与が今、求められているのだという。
しかし、贈与は「呪い」にもなり得ると近内氏は言う。例えば親子関係において、幼少期の子どもは親に頼らなければ生きていけないが、何かその見返りを求められても子どもは何も与えられない。それが負い目になり、一種の呪いをかけられてしまうと近内氏は言う。贈与とは本来、受け取る側が与えられたことに気づくことで成り立つもので、その時、初めて与えた側は喜びを感じることができるが、与える側は最初からそれを期待してはいけないのだという。
近内氏は贈与を体現する典型的な存在としてサンタクロースを挙げる。サンタクロースは親から子どもに対するプレゼントをサンタクロースという抽象的な存在を通して行うことで子どもが負い目を感じずに済むようにする仕組みであるという。子どもは成長する過程でサンタクロースがいないことに気づきプレゼントは全て親からのものだと理解するが、それはあくまで後で得られる気づきであり、それが次の世代に対して贈与する動機となっていくと近内氏は言う。
日本では公共的な寄附の慣習が弱く、個人の寄附金額は米国の34兆5,948億円、英国の1兆4,878億円に対し日本は1兆2,126億円にとどまる。しかも、その大半はふるさと納税が占めている。近内氏は日本には「社会」や「公共」という感覚が薄く、自分の身内の延長にある「世間」しかないので、見知らぬ誰かのための寄附が難しいのではないかと語る。
近内氏は私たち自身が誰かからの贈与を受け取っていることに気づくことが大切で、そのためには勉強が必要だと言う。勉強を通じて与えられたものについての想像力を得ることが、それを他者に与えることにつながるからだ。近内氏と金融教育家の田内学が議論した。