2015年7月4日
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言論への圧力を跳ね返すためにはメディアは自らを律しなくてはならない

ニュースコメンタリー(2015年07月04日)

 安倍首相に近い自民党の若手議員たちが、作家の百田尚樹氏を招いた勉強会で、メディアへの圧力を公言したことの波紋が依然広がり続けているが、そうした中にあって一つ決定的に抜け落ちている議論がある。

 それは今回の発言を受けて、メディア側にも考えなければならないことがあるのではないかという点だ。より具体的には、今回の問題を、メディアも自らの身を正すいい機会と捉えるべきではないだろうか。

 今さら言うまでもないが、憲法21条に謳われている「表現の自由」とは、国民の言論が政府や統治権力からに縛られることがないことを保障したものだ。その意味で民間人である百田氏の発言は直ちにこれに抵触するものではない。しかし発言の場所が自民党本部における自民党国会議員との会合の場であったことや、会合の冒頭のメディア取材を認めるなど、そこでの発言が一定程度は社会に膾炙されることを前提とていたものと見られることなどから、全面的に擁護されるべきものではない。また、民間人とは言え、統治権力に影響力のある人間が与党議員に対してメディア規制やメディア介入を進言したと考えれば、その発言に問題があったことは否定できない。

 また、特に百田発言については話の内容に事実誤認が多かったことも批判の対象となっているため、問題の所在がやや混乱気味なところもあるかもしれない。その点では整理が必要だろう。

 いずれにしても、与党の議員が私的な勉強会とはいえメディアに圧力をかける意思を公言したことは重大だ。そのような考えをもった人物が国会議員をやっているということは由々しき事態であり、党からの厳重注意処分だけで済まされる問題ではない。このような議員は、仮にその議員自身が自ら言論への介入を行わなかったとしても、何らかの政治勢力によって言論が脅かされた時、体を張ってこれを守ろうとするとは到底考えられない。

 言論の自由は民主主義の一丁目一番地であり、憲法が保障する自由の中でも高位にくるものと解されている。なぜならば、他の権利が蹂躙された時、言論の自由が確保されていれば、その事実を主権者であるわれわれは知ることができる。知ることができれば自動的に問題が解決するわけではないが、知ることもできなえれば、問題は100%解決できない。だからこそ、仮に他の権利が剥奪されたとしても、言論の自由だけは何があっても守らなければならない、もっとも基本的な権利と考えられている。

 これを蔑ろにするような発言、そしてその認識は、国民の権利を守ることを付託されている政治家にとっては致命的なものであり、与党には猛省を促さなければならないし、自ら議員辞職などの形で身を処すことができないのであれば、ボールは次の選挙で有権者側のコートに投げ込まれたと受け止める必要がある。

 それらを指摘した上で、今回のメディア介入問題では、メディア側にも今一度、自らの身を振り返って考えなければならないことがある。

 そもそも統治権力が言論に介入するといのは、よほどの事だ。統治権力には警察権や司法権など、武力を後ろ盾にした強制力がある。それは合法的に国民を逮捕して刑務所に閉じ込めたり、場合によっては死刑に処すこともできる絶大な権限だ。無論、立法権もある。そして、他にも徴税権や許認可権など経済的な権力も多い。こうした権力を盾にして、言論を脅かしたり、そこに介入したり、抑え込んだりする行為を、憲法は厳に禁じている。

 今回問題となった発言の一つに、経団連を通じて企業に広告を引き上げさせるとした発言があったが、これは政府が許認可権などを通じて経団連に対して一定の影響力を持つことが前提にある。何の権力も持たない団体が経団連に広告を引き上げるよう申し入れても、相手にはされないだろう。しかし、政府・与党ともなれば、一般的な許認可権はもとより、派遣法の改正、軽減税率、TPP交渉等々、経団連企業に大きな影響を与える意思決定の権限を多数持っている。それを前提に経団連に広告を引き上げるよう申し入れ、言論機関の存立基盤を攻撃するような行為は、典型的な権力の濫用であり、言論への介入に他ならない。

 しかし、その一方で、メディアの側にも問題は多い。日本のメディア企業、とりわけマスメディアと呼ばれる新聞とテレビの2大メディアは、記者クラブ(特権的な情報へのアクセスと官公庁庁舎内の記者クラブ室の無償供与)、無制限なクロスオーナーシップ(新聞社が事実上無制限に放送局に資本参加できる)、再販価格維持制度(新聞社が価格競争を免除され、大きな利益を得やすくする制度)の3大特権のほか、電波利権(地上波の優先的、かつ格安の電波利用料での割り当て)などの特権が目白押しだ。そしてその特権の多くは、政府がこれを認めることで初めて成り立っているものばかりなのだ。

 つまり日本で統治権力がメディアに圧力をかけるためには、警察権や司法権などの伝統的な「暴力装置」を発動したり、立法措置で言論を制限したりするまでもなく、数々の特権を政府のさじ加減で少しだけ絞るような素振りを見せれば、それがメディアにとっては十分に圧力になり得てしまう状況があるということだ。

 安倍政権はメディアコントロールに非常に熱心な政権と言われている。そのような政権に太刀打ちするためには、メディアの側も普段から身を律し、簡単に権力の介入を受けないような強靱な体制を作っておく必要がある。特権に甘んじ、その上に胡座をかいているいるような体たらくでは、いざという時に権力とガチンコの喧嘩などできるはずがないのだ。

 現在のメディア特権の多くは、戦後、焼け野原から起ち上がった日本の経済が安定する前の段階で、強靱なメディアを育てるためにこれに一定の保護を与えることが健全な民主主義の発展に資するものとの判断から導入されたものが多い。しかし、今やこれらのメディアは数々の特権を享受しながら大きく成長し、いずれも巨大メディアコングロマリット(複合企業体)となっている。日本は世界で最も発行部数の多い2大新聞を抱えながら、未だにこれを再版制度の下で読者が本来の価格に上乗せをした金額を支払うことで、保護し続けているのだ。しかし、そうして得られた利益が他の産業と比べても法外に高い社員の給料水準や不動産事業やスポーツ、文化事業といった他の分野の事業、そして全国の系列放送局の出資に回り、そこに新聞社のOBたちが軒並み天下りをしている。こんな生温いことをやっていながら、メディアコントロールに躍起となっている政治権力と対峙するということの方が、もともと無理筋なのだ。

 今回、自民党の勉強会で百田氏は、議員からの経団連を通じが広告引き上げの発言を受けて、「それはできないが、メディアの特権は何とかして欲しい」と、むしろ政治家の側にメディアの特権のあり方を再考するよう訴える発言をしている。その背後のある動機も含め、それが好ましい発言だったとは思えないが、より大きな問題はほとんどマスメディアがこの発言を報じなかったことだ。

 安倍首相は7月3日の衆議院安保特別委で、メディア発言について質された際に、「本当に萎縮しているのであれば報道機関にとって恥ずかしいこと」「権力の問題点に立ち向かっていく姿勢が報道する側に求められている」と言い放った。これはメディアに圧力をかけている張本人が言うべき発言ではないが、しかしながら正論でもある。

 百田氏のメディア特権の話や首相のこの発言のくだりが、いずれも大きく報道されていないことは決して偶然ではない。メディアは「臑に傷」を持っていることを、自ら自覚しているのだ。

 権力から容易に介入されないためにも、メディアは普段から自らの身を律しておく必要がある。そして市民の側に立った報道を貫き、万が一、統治権力が警察権や司法権、立法権などを振りかざして言論に牙を剥いてきた時、市民と連帯してこれに立ち向かえるような、そんなメディアを志さなければならない。

 一連のメディア介入問題を、「今、メディア側が考えるべきことは何か」という視点から、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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