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総務省接待スキャンダルの根底にある、政府による放送免許の許認可という大問題

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第1040回)

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公開日 2021年03月13日

ゲスト

ジャーナリスト、メディア研究者

1940年静岡県生まれ。64年同志社大学経済学部卒業。70年朝日新聞社入社。本社学芸部、『朝日ジャーナル』編集部などを経て94年退職。国際日本文化研究センター客員助教授、ハワイ大学客員研究員、米国立シンクタンク「イースト・ウエスト・センター」客員フェロー、京都大学非常勤講師、京都女子大学教授、立命館大学客員教授などを経て現在に至る。現代メディア・フォーラム代表を兼務。著書に『日本型メディア・システムの崩壊―21世紀ジャーナリズムの進化論』、『いま、解読する戦後ジャーナリズム秘史』など。

著書

概要

 総務省の接待スキャンダルが底なしの様相を呈している。

 菅首相の長男が幹部を務める衛星放送事業者の東北新社による総務省の幹部クラスに対する大規模な接待攻勢はその後、接待の主体がNTTに、接待対象が野田聖子高市早苗両総務大臣経験者へと燎原の火のごとき広がりを見せるにいたり、いよいよ腐敗の深刻さを印象付けている。

 しかし、今回一連の接待の主体が放送事業者とNTTという日本最大の通信事業者だったことは、決して偶然ではない。なぜならば、総務省が管轄する放送と通信の2分野は、日本の数ある産業の中でももっとも既得権益企業による寡占状態が維持されている分野であり、利権としての性格が強いものだからだ。

 そもそもなぜ東北新社は総務省を接待しなければならなかったのか。なぜ昨今の報道では、総務省が放送事業者やNTTからそれだけの接待を受ける立場にあるのかという根本問題を問わずに、接待の倫理的な側面ばかりが強調されているのか。

 今回は放送、通信という総務省が持つ2つの巨大利権のうち、特に放送利権について取り上げる。

 日本の放送行政は異常だ。日本は先進国では異例中の異例とも言うべき、政府が放送事業者に直接放送免許を付与する権限を持つ。これは、地上波放送局のように報道部門を持つ放送事業者に対しても同じだ。政府から免許を頂戴する立場にある事業者に政府を監視したり権力の暴走をチェックする報道本来の機能を果たせるはずがないことから、アメリカにしてもイギリスにしてもフランスにしてもドイツにしても、そして韓国にしても、ほとんどの先進国が放送免許を付与する機能は政府から独立した機関が担っている。その大前提には、そもそも電波は政府や時の政権の私有物ではなく、国民の共有資産であるという大前提があることは言うまでもない。

 安倍政権下で高市総務大臣が、放送法4条に基づき放送局の放送を停波できると発言したことが物議を醸したことがあったが、そもそもこれは放送法の4条をどう解釈するか以前に、日本では放送する許可を政府が出しているという異常な前提があるからこそ成り立つ法解釈なのだ。

 今回東北新社が総務省に一斉に接待攻勢をかけた背景には、衛星放送事業者として最も多くのチャンネルを持つ同社が、自社の関連会社が運営し、菅首相とも政治的に強い接点があるとされる囲碁・将棋チャンネルが、基準を満たさないSD画質のままで110CS放送の認可を得るために特別な配慮を必要としていたり、衛星放送事業への新規参入を進めようとする総務省の方針にストップをかけるためのものだったと見られているが、いずれも総務省が免許の付与権を独占しているが故に発生する権限であり利権であることに変わりはない。放送事業者にとっては、自社の生殺与奪を握る放送免許の付与権を一手に握る総務省に逆らえるはずもないし、そこで競合他社が優遇されるようなことがあれば、競争上も圧倒的に不利になることは目に見えている。

 実は日本は戦後、GHQの要求に屈する形で、放送免許の付与権を持つ政府から独立した放送委員会を設立した時期があった。1950年に設立された電波監理委員会がそれだ。しかし、1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発行し日本が施政権を回復すると、何とその2週間後に吉田茂内閣は電波3法の改正案を国会に提出し、電波監理委員会の廃止を図っている。主権回復後の日本政府が何よりも最初に手を付けたのが、放送免許の付与権を政府に取り戻すことだったのだ。

 以来日本では政府が放送免許の付与権を一手に握り続け、放送業界は政府に対して常に弱い立場に置かれる一方で、政府は放送事業への新規参入を厳しく制限し続けてきた。放送と新聞が同一資本で結ばれる、いわゆるクロスオーナーシップに制限がない日本では、本来政府から何の規制も受けないはずの新聞社も、放送局の株主という立場故に政府に対して弱い立場に立たされる一方で、寡占市場の放送から莫大な利益を得ている。今回の接待スキャンダルを巡り、放送局が背後にある放送免許の問題に触れたくないのはやむを得ないとしても、新聞社までが日本の放送行政の異常さにだんまりを決め込んでいるのは、新聞社がテレビ局と系列化していること、すなわち新聞社が放送利権の受益者であることと決して無関係ではないだろう。もし無関係だとすれば、あまりにも無知に過ぎる。

 このような形で放送と通信が利権化し、政治権力や接待攻勢によって容易に行政が歪められる構造になっていることの最大の被害者は言うまでもなく国民だ。特定の大手既得権益企業による寡占が続き新規参入がないことで競争が阻害されるため、当然の帰結として通信料金は割高になり、放送内容は劣悪になる。いずれも国民にとっては大きな損失だ。

 通信分野でも寡占市場への参入を果たしているほんの一握りの既得権益企業は、スポンサーとして莫大な広告費を投入しているため、大手メディアはそう簡単に彼らの不利になるようには報道できないが、放送行政の腐敗、堕落による影響は、それ以上に日本では国民に認識されにくい。系列化により新聞社も一蓮托生の立場にあるために、その事実がメディアによって国民に知らされることがほとんどないからだ。国民の関心にそのような視点からの盛り上がりがなければ、政治もあえてそこに手を突っ込もうとしない。政治家や政党にとっても、特に国民からの強い要請があるわけでもないのに、影響力の強いメディアを敵に回して得することは何もないからだ。

 先の記者会見で、ビデオニュース・ドットコムから総務省接待と政府の放送免許の付与権との関係に対する認識を問われた菅首相は、日本が放送免許を政府から直接付与させている理由を、「責任の所在を明らかにするため」と説明した。やや意味不明な回答ではあるが、注意深く聞き返せば、要するに政府が放送免許を出している日本では、放送局の放送内容に政府が責任を負っていることを明言しているではないか。つまり、これは日本の放送局は憲法21条で保障されている言論の自由の枠内に存在するものではなく、自律的に放送内容を決める権限がないことを、内閣総理大臣がはっきりと述べた重大な発言だった。しかし、予想通りというべきか。翌日の新聞やテレビでその発言が取り上げられることはほぼ皆無だった。

 日本の民主主義、ひいては行政の機能不全が指摘されて久しい。しかし、そもそも民主主義の大前提にある言論や情報の自由な流れが、このような形で大元で制限されていて、民主主義が機能しないのは当然のことだ。

 今週はジャーナリストでメディア研究家の柴山哲也氏とともに、総務省接待スキャンダルの根底にある、日本の放送利権、とりわけ政府による放送免許の付与権の独占問題とその影響、電波オークション導入の是非などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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