トランプ関税は世界の貿易秩序を根底から変えるのか

アジア経済研究所所長、慶應義塾大学名誉教授


1981年東京都生まれ。2003年東京大学教養学部卒業。12年同大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門はアメリカ研究。早稲田大学助手、米ハーバード大学日米関係プログラム・アカデミックアソシエイト、関西外国語大学外国学部助教、高崎経済大学経済学部准教授などを経て25年より現職。著書に『Z世代のアメリカ』、『戦争違法化運動の時代』など。
アメリカのトランプ政権は4月9日、13時間前に発動した約60の国や地域を対象とする相互関税の導入を90日間停止すると表明した。ただし中国に対しては計145%の関税を課すとしている。日本に対する関税率はひとまず相互関税導入前の10%に下がるが、適用除外を求める日本は24%の相互関税を回避するためには、個別にアメリカと交渉しなければならなくなった。
トランプ関税に世界の金融市場は敏感に反応し、4月2日から7日の間だけでダウ平均は10.1%、日経平均も12.8%急落した。しかし、株式市場の暴落を他人事のように聞き流していたトランプを翻意させたのは、米国債の暴落リスクだった。国債が売られれば金利が上昇し、すべてのアメリカ国民の生活を脅かすことになりかねない。これに危機感を抱いた元投資銀行代表のベッセント財務長官から「大恐慌に陥るかもしれない」と説得され、トランプは渋々関税の導入の延期をのんだとされている。
同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授でアメリカの政治や文化に詳しい三牧聖子氏は、移民排斥や公務員の大量解雇はトランプ支持者からは強い支持を受けているが、こと関税だけは、トランプの支持者や伝統的な共和党員の間でも反発が起きていると指摘する。トランプは大統領選挙戦の中で、大統領になればインフレを止めると繰り返し約束しており、もしカマラ・ハリスが勝てば大恐慌になると主張していた。しかし今回のトランプ関税は少なくとも短期的にはアメリカの消費者物価を押し上げ、経済停滞を招く可能性が高い。関税率の算出根拠さえあいまいなまま、ここまで大規模な関税を課すことをトランプ支持者でさえ予想しておらず、今後さらに反発が広がることは必至だと三牧氏は語る。
他国からの輸入品に高い関税をかければ、多少はアメリカの製造業の保護につながるのかもしれない。東京大学経済学部教授で国際貿易論が専門の古澤泰治氏は、トランプ関税はアメリカの物価を押し上げ、消費者全体に対するメリットはないが、トランプの支持基盤でもあるラストベルトの製造業の復活には多少なりとも寄与するかもしれないと指摘する。
とはいえ、関税を引き上げれば物価は上がり、アメリカ全体にとってはマイナスの影響もある。それよりも、関税を引き上げれば各国が泣きついてくるので、各国と取引をし、非関税障壁を下げさせるための関税だという見方もある。
今回の相互関税の導入に際しては、無名の投資ファンドのストラテジストだったスティーブン・ミラン氏が2024年11月の大統領選直後に発表した「グローバル貿易システム再編のためのユーザーガイド」という論文が注目を集めている。そこではアメリカの製造業を復活させるための方策として関税の引き上げが推奨されていたからだ。その後、同氏が大統領経済諮問委員長に就任したため、トランプ政権がこの論文に沿った形で関税の引き上げを実施する可能性が取り沙汰されていた。
この論文では、アメリカの経済格差や産業空洞化の原因はもっぱらグローバル化にあるとしている。実際、アメリカは「ブレトンウッズ体制」と呼ばれる自身が主導した第2次大戦後の貿易秩序の最大の受益者でもあったが、同時に国際社会におけるアメリカ一国の圧倒的な優位性が崩れた今、アメリカにはその体制の守護神としての役割を担い続けるだけの力がなくなっているのも事実だろう。三牧氏はミラン論文に書かれているような、第二次世界大戦後に築かれてきた自由貿易体制はアメリカが搾取されるばかりの体制だという考え方が、トランプ政権の中心的な考え方になっているという。これを壊してアメリカにとってより「公正」な秩序を作り直すというのが、ミラン論文の論旨でもあり、またそれがトランプ政権の主張とも符合するところだ。
しかし、アメリカが国内に抱えるようになった矛盾の原因を、すべてグローバル化や対米貿易黒字を抱える国々の責任とするのは、論理のすり替えであり、それではアメリカの根源的な問題は解決しないのではないかと三牧氏は指摘する。まずアメリカは極度に拡大した経済格差を是正する必要があるのではないか。
トランプ政権のアメリカで今何が起きているのか。トランプ関税は世界秩序をどう変えるのか、日本にはどのような影響があるのかなどについて、同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授の三牧聖子氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
また、番組の後半では、トランプ関税の裏で進められている、反イスラエルデモの取り締まりが不十分とされた米大学への連邦政府補助金の削減問題や、アメリカによるイエメンのフーシ派への空爆に関する米政権幹部のチャットに誤ってジャーナリストを招待してしまったという前代未聞の機密漏洩事件についても取り上げた。