トランプのカムバックはアメリカと世界をどう変えることになるか
上智大学総合グローバル学部教授
1965年静岡県生まれ。90年上智大学外国語学部卒業。同年中日新聞社入社。94年退職。97年ジョージタウン大学大学院政治学部修士課程修了。2007年メリーランド大学大学院政治学部博士課程修了。文教大学准教授などを経て14年より現職。著書に『アメリカ政治とメディア』、共著に『危機のアメリカ「選挙デモクラシー」』など。
アメリカの大統領選挙がいよいよ10日後に迫った。
今回の大統領選は当初から民主党のジョー・バイデン 候補が世論調査で現職のトランプ大統領に対し10ポイント前後リードを保ち、バイデン有利の下馬評の中で選挙戦が進んできた。しかも、選挙戦が佳境に入る10月に入ってトランプが新型コロナに感染するというアクシデントに見舞われるなどしたため、アメリカの既存メディア上ではトランプが絶体絶命な状態に追い込まれているとの報道が多く見られる。現職大統領が敗れれば、1992年のジョージ・ブッシュ(父)以来の28年ぶりのこととなる。
しかし、世論調査でどのような結果が出ていようとも、トランプ時代の大統領選挙は最後までどうなるかわからないとの思いを禁じ得ない。4年前の大統領選挙でも、選挙の2週間前までは各種の世論調査でヒラリー・クリントン候補がトランプに対して5ポイント以上の差をつけてリードしていた。その後、選挙の直前になってFBIがクリントン陣営のメール疑惑の捜査着手を発表するというまさかの展開があり、最終的に選挙ではダークホース中のダークホースだったトランプが大本命のクリントンに競り勝つという結果に終わった。
また、世論調査では表に出ない隠れトランプ支持者 というのが相当数いるとの指摘も根強い。
しかし、今回の選挙は新型コロナウイルス感染症が猛威を奮う中で行われる選挙となる。アメリカではすでに850万人が新型コロナに感染し、22万人以上が死亡している。世界人口の4%強を占めるにすぎないアメリカのコロナの死者数が、全世界の死者数の19.6%を占めている計算になる。もちろん感染者、死者ともにアメリカが世界で最も多い。昨日(2020年10月23日)一日のアメリカの感染者数が遂に8万人を超えたとの発表があった。同日の日本の感染者数は724人と、アメリカでは今日、日本の100倍の人が毎日コロナに感染しているのだ。
これは誰がどう見ても、アメリカのコロナ対策が大失敗していることの証左だといわざるを得ない。しかも、マスクも着けずに日常の政治活動を行ってきたトランプ大統領は、自分がコロナに感染したにもかかわらず、コロナから快復し選挙戦に復帰すると、マスクの必要性を否定し連日、大規模な支持者集会を開催するなど、コロナ対策の失敗などまったく意に介さないという体で選挙運動を続けている。
なぜこのような全米史上類を見ない最悪の感染爆発下で行われる選挙で、現職の大統領が惨敗しないのか。
トランプは「コロナなど大したことはない」「コロナは恐るるに足らず」といったメッセージを連呼した上で、「アメリカは中国ウイルスの浸食を受けている」などと発言し、支持者の一部に対してはコロナなど心配する必要はないというメッセージを送りつつ、コロナの現状を深刻に受け止めている支持者に対しては、あれは「中国が悪いのだ」と、全責任を中国に転嫁することで、少なくとも自身の鉄板の支持層にとって、コロナ対策の失敗が選挙の争点にならないようにするための巧みな選挙戦術を展開してきた。
とは言え、既に発生から7ヶ月で20万人以上がコロナで死亡しているという現実がある。アメリカのベトナム戦争の戦死者は5万人足らずだったが、ベトナムは常に大統領選挙で最大の争点となり続けた。特に今回は大統領選挙の帰趨のカギとなるウイスコンシン、ミシガンなど五大湖周辺のスイングステートで、コロナの感染爆発が今まさに最盛期を迎えている。
どれだけ世論調査で差が開こうが、どれだけコロナ感染症が蔓延しようが、アメリカの大統領選挙で現職の大統領の責任が問われることもなく、選挙戦が毎回こうまで接戦になるのは一体なぜなのか。
アメリカにおける民主党支持層と共和党支持層の断絶は非常に深刻な状態にあり、もはや両者の間には議論では到底埋められないほどの大きなギャップが生まれていることが各種の世論調査で明らかになっている。共和党の支持者はどれだけコロナが蔓延しようが、またファクトチェックの結果、トランプがどれだけデタラメなことを言っているかが明らかになろうが、民主党支持に転向することはほぼあり得ないようになっている。それは民主党についても同じ状況だ。
そのような背景から、大統領選挙は伝統的なレッドステート(共和党支持の州)は何があっても共和党の候補を支持するし、伝統的なブルーステート(民主党支持の州)も、何があっても民主党の候補を必ず支持するようになっている。結果的に大統領選挙は多く見積もっても8州、より厳密に見ると5州ほどのパープルステート(赤を青に混ぜると紫になる。他に英語ではスイングステートやバトルグラウンドステート と呼ばれる。日本のメディア上では一般的に激戦州と呼ばれているようだ)がどちらに傾くかによって、選挙の帰趨が決まるという状態が既に20年以上も続いている。この6つのパープルステートのうちウイスコンシン(選挙人数10)、ミシガン(同16)、オハイオ(同18)など、その大半は中西部の五大湖周辺に集中している。この3州に大票田のペンシルべニア(同20)とフロリダ(同29)を加えた5州の動静次第で、毎回大統領選の勝者が決まっているといっても過言ではない。それは今回の選挙も例外ではない。つまり、大統領選挙というのは事実上、この5つの州で過半数の支持を得るための選挙になっているということだ。
10月23日に行われた最後の大統領候補者討論会で、トランプがバイデンに対し、シェール層から石油や天然ガスを採掘する際に利用する「フラッキング」を禁止するのかについて繰り返し厳しく追求したのは、フラッキングがパープルステートの中で2番目の大票田になっているペンシルべニアの一部の地域で大きな関心事となっているからに他ならない。その他、多くの政策上の争点も、一見全米の関心事のように見えて、実は何よりもまずパープルステートの有権者の利害を念頭に置いたものの場合が多い。
それを前提に考えると、全米の有権者を対象にした世論調査の結果など、もはやほとんど意味がないことがわかるだろう。アメリカ地図では左右の両端となる、東海岸北東部の10あまりの州と西海岸の4つのブルーステート(民主党の支持基盤州)が赤くなることはまずあり得ないし、その両者の間に存在する面積的にはアメリカの4分の3を占めるレッドステート(共和党の支持基盤州)が青くなることもまずあり得ない。つまり、アメリカの分断が進んだ結果、それらの州では2つの勢力のうちどちらが優勢かが最初から決まっていて、その力関係が逆転することはまずあり得ないのだ。だから結果的に選挙を行う意味があるのは、分断された2つの勢力の力が拮抗しているパープルステートだけになってしまっているということだ。
このような分断の結果、アメリカでは明らかにおかしなことがいくつか起きている。まず、2000年以降大統領になったブッシュ、オバマ、トランプの3人の大統領のうち、2人の大統領が対立候補よりも少ない得票数で大統領に当選するという、米国政治史上未だかつてなかった珍事が起きてしまった。それもそのはずである。パープルステートを除いた他の州で一般投票で誰が何票獲得しようが、それは選挙戦の帰趨にはまったく関係してこ ないのだ。2016年の選挙でもパープルステートを除いた残りの40あまりの州でクリントンの一般投票の得票数は300万票あまりトランプを上回っていたが、パープルステート、とりわけウイスコンシン、ミシガン、ペンシルべニア3州でのトランプの得票数がクリントンを約7万票上回ったため、トランプはウイスコンシン、ミシガン、ペンシルべニアを3つとも押さえ、選挙人の獲得数で逆転勝ちを収めた。最終的なトランプの得票数は290万票以上クリントンよりも少なかったが、その3州とフロリダ、オハイオを押さえたトランプの選挙人獲得数で306対232でクリントンを大きく引き離すこととなった。
もう一つの副作用は、大統領選挙後もアメリカ政府の政策がその6州の利害に大きく振り回されることだ。如何せんその6州で不人気になれば、大統領選挙には勝てないし、現職の大統領は再選が覚束なくなる。その一方で、恒常的にブルーの州やレッドの州で多少不人気になることをやっても、その州の色が変わることはまずあり得ない、つまりその州の選挙人を失う恐れは事実上皆無なのだ。
民主主義制度の下では、選挙制度に明らかに不備があっても、その選挙で勝ち抜いてきた勢力が権力を掌握するため、選挙制度を変えようという動機が起きにくい。しかし、この20年で2度までも一般投票の得票数で共和党を上回りながら大統領選挙に敗北する苦い経験をした民主党が、今回もしかするとホワイトハウスと上院と下院の全てで勝利する、いわゆるブルーウエーブが起きる可能性も取り沙汰されている。もしそれが本当に実現すれば、その時、民主党政権と民主党議会は長年アメリカ政治の課題だった選挙制度、とりわけ選挙人投票制度 に手を着ける可能性は十分にあると考えられているが、果たして今回、選挙の神様はどちらに微笑むのだろうか。
進むアメリカ社会の分断と、明らかに時代遅れとなっている選挙人制度という2つの視点から、10日後に迫った大統領選挙直前の状況とその見通し、また選挙結果が紛糾し、法廷闘争に持ち込まれる可能性と、その際の最高裁の保守とリベラル間のパワーバランスとの関係などについて、上智大の前嶋氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。