学術会議の任命拒否問題で菅政権が掘った墓穴とは

東京都立大学法学部教授


1952年東京都生まれ。75年京都大学理学部卒業。80年同大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。専門は人類学、生態環境生物学。ルワンダ共和国カリソケ研究センター客員研究員、日本モンキーセンター研究員、京都大学霊長類研究所助手、京都大学大学院理学研究科助教授、同教授などを経て14年より京都大学総長。21年より現職。17年~20年、日本学術会議会長。著書に『共感革命 社交する人類の進化と未来』、『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』など。
歴代会長が石破首相に撤回を求めていた日本学術会議の新法案が3月7日、閣議決定された。
新法は過去70年あまりにわたり日本の科学者の内外に対する代表機関としての役割を担ってきた日本学術会議という政府の特別機関を、国の下に置かれた特殊法人として位置付けるもので、首相に任命された外部の評価委員による評価の仕組みも明記される。新たな特殊法人の設立となるため、現行の日本学術会議法を改正するのではなく、新たな法律を制定するものとなる。
ことの発端は2020年9月末、菅政権下で表面化した任命拒否問題だった。学術会議は210人の会員の半数を3年ごとに交代する仕組みだが、当時の菅首相が会員や各学会から推薦を受けた105人の学者のうち6人の任命を拒否したのだ。
拒否された学者の中に安倍政権が推進した安保法制に異議を唱えていた学者が含まれていたため、政治・思想信条を理由とする拒否ではないかとの批判が沸き起こり、短命に終わった菅政権の命運に少なからず影響を与えたが、結局この問題は今も有耶無耶になったままだ。
京都大学の元総長で任命拒否当時、日本学術会議会長の職にあった山極壽一氏は、菅首相に面会を求めたが必要がないとの理由で断られたという。山極氏はその後の経過を見る限り、菅元首相が学術会議の役割や法的立場などを理解しないまま、周囲が首相に忖度した結果が任命拒否につながったのではないかと語る。
そもそも学術会議会員の任命は、学術会議法に基づき、現行の会員や各学会から推薦された「優れた研究又は業績がある」者を首相が形式的に任命する形が採られてきた。2020年の菅首相による突然の拒否がそれまでの法解釈と異なることは、過去のマル激で指摘した通りだ。
その後、唐突に出てきた案が、日本学術会議を特殊法人化するというものだった。
日本学術会議は1949年の設立以来、日本の科学者の代表機関として自律的で自主的な立場で活動してきた。学者の国会とも称され、さまざまな分野の意見の異なる科学者が集まって議論し、政府への提言や勧告、見解などをまとめてきた。これまでも学術会議の在り方については政府内でも何度も議論されてきており、2015年の有識者会議の報告では「現在の制度は、これを変える積極的理由は見出しにくい」とされていた。
これまでの法律を廃止して新たに日本学術会議を特殊法人としてスタートさせるという今回の法案は、そもそも立法の根拠がないと山極氏は主張する。法案の撤回を求める先月の歴代会長の声明でも「日本学術会議の活動を政府が管理し、その独立性が損なわれる危惧が大きい」と懸念を訴えている。
こうした動きの背景には、学問に対する考え方の違いがあるのではないかと山極氏は語る。
学問に携わる個々の研究者は自らの好奇心から研究を重ね、互いに切磋琢磨し、内外の研究者とディスカッションを重ね、専門性を深める。学問は効率性や利益を求めるものではなく、それを純粋に深く追求した結果、それが社会に役に立ったり、大きなイノベーションにつながったりする可能性が出てくるというものだ。
昨年暮れにまとめられ今回の法案の下地になったとされる有識者懇談会の報告書には「世界最高のナショナルアカデミーを目指して」というタイトルが付けられているが、山極氏は世界のアカデミーとは協働すべきであって競争するのが目的ではないと指摘する。
さらに山極氏は、2004年の国立大学法人化の動きと今回の学術会議の問題は通底していると語る。国立大学改革は選択と集中というかけ声のもとで、政府の意向がより強く反映できるような形で進められてきた。国立大学の予算が学術研究にあてられる「科研費」ではなく大学の運営に充てられる「補助金」としての配分が強化されてきた結果、学問自体が層の薄いものになってきていることが懸念されている。近視眼的な結果だけを求めたら学問は発展しないし、新しい発見も期待できない。
今回の学術会議新法の制定は日本の科学の発展にどのような影響を与えることになるのか。そもそも日本学術会議はどういう組織でどんな活動をしてきたのか。政府と学術会議は対立するのではなく、対話ができる存在としての役割を果たすべきだと主張する山極壽一氏と、社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が議論した。