トランプ関税は世界の貿易秩序を根底から変えるのか

アジア経済研究所所長、慶應義塾大学名誉教授


1982年山梨県生まれ。2005年立命館大学国際関係学部卒業。12年筑波大学大学院人文社会科学研究科修了。博士(国際政治経済学)。専門はデンマーク、グリーンランドの現代政治。日本学術振興会特別研究員、デンマーク・オールボー大学北極研究プラットフォーム客員研究員などを経て21年より現職。24年度よりデンマーク国際問題研究所客員研究員を兼務。著書に『自己決定権をめぐる政治学』、編著に『グリーンランド 人文社会科学から照らす極北の島』など。
極北の島グリーンランドに世界の注目が集まっている。アメリカのトランプ大統領がグリーンランドを手に入れたいと繰り返し発言したことで、期せずして国際政治の表舞台に引きずり出された格好となっているのだ。
グリーンランドはカナダとヨーロッパの間に位置するが、実際はカナダの北端とは30キロしか離れていないため、ヨーロッパよりもアメリカ大陸に近接している世界最大の島だ。日本の6倍の広さの国土を持ちながら、その8割は氷に覆われているため、人口は西海岸沿いに僅か約5万7,000人が住むだけだ。因みに外務省によると、今、グリーンランドに日本人は5人しかいないという。1721年から250年以上にわたりデンマークの統治下にあったが、1979年にグリーンランド自治政府が発足し、主権国家としてはデンマークの一角をなしながらも、一定の自治権を得ている。
実はグリーンランドを手に入れようとした米大統領はトランプが初めてではない。1868年にロシアからアラスカを購入した第17代大統領のアンドリュー・ジョンソンは、グリーンランドの買い取りにも意欲を燃やしていたことが知られている。また、第2次大戦後の1946年にはトルーマン大統領が、1億ドルでグリーンランドを購入したい意向を表明したが、当時の宗主国デンマークから拒否されている。
なぜアメリカはほとんど人が住めないこの島にそうまでこだわるのか。
その理由は地球儀を北極の真上から俯瞰すれば、容易にわかるはずだ。グリーンランドは北極を隔てて、ロシアとアメリカ大陸のちょうど真ん中に位置する。モスクワとワシントンのほぼ中間地点にあたるグリーンランド北西部の町カーナークには、米軍のピトゥフィク宇宙軍基地があり、アメリカにとっては対ロシアのミサイル防衛の要所となっている。
また、地球温暖化によって北極海の氷の溶解が進んだため、中国がヨーロッパに出る上で北極海航路の重要性が増していることも、中国との覇権争いに神経を尖らせるアメリカがグリーンランドにこだわる理由となっている。
更に、グリーンランドの氷の下にはレアアース、ウラン、鉄鉱石など多種多様な鉱物資源が眠っていることがわかっている。最近、アメリカがウクライナに対し軍事支援と引き換えにレアメタルの採掘権を要求したことが話題になったが、食料やエネルギーは自給できるアメリカにとって、ハイテク機器などに欠かせないレアメタル資源の確保は、世界の覇権を維持する上で必須の条件となっている。
元々グリーンランドは自ら喜んでデンマークの傘下に組み込まれているわけではなかった。3月の議会選挙でも、デンマークからの独立を主張する勢力が一定の支持を集めている。また、元来グリーンランドの人々にとってアメリカに対するイメージは必ずしも悪いものではなかったという。しかし、トランプが大統領に就任する前から、余りにも強引なグリーンランド接収論を繰り返したために、それがかえってグリーンランドの島民たちの反発を招いていると、北海学園大学法学部准教授で日本にいる数少ないグリーンランド専門家の高橋美野梨氏は指摘する。トランプは3月4日の施政方針演説でもグリーンランドについて「いずれにしてもわれわれは貰うつもりだ」などと、力ずくでもグリーンランドを接収する意向をちらつかせていた。
最近の世論調査では、グリーンランドの住民の85%が、アメリカに吸収されることには反対の意思を示しているという。また皮肉なことに、トランプの強引なグリーンランド接収論が、元々微妙な愛憎関係にあったグリーンランドと旧宗主国のデンマークの距離を縮める効果を生んでいると、高橋氏は言う。
現実的には近い将来アメリカがグリーンランドを購入、ないしは接収することは考えにくい。アメリカの核の傘に依存するデンマークにとって、アメリカにとって戦略的価値が大きいグリーンランドを保有していることが、対米交渉上も強いカードになるため、そう簡単にグリーンランドを手放すことは考えにくい。また、そもそもグリーンランドの人々がアメリカの一部になることに強い抵抗を示している以上、その意思を無視した購入や接収は考えにくい。
しかし、昨今の報復関税を見ても、またウクライナへの軍事支援の停止を見ても、元々常識では考えられない施策を次々と打ち出しているトランプ政権のことだ。グリーンランドについても、次にどんな手を打ってくるかは予想が付かないところがある。
トランプはなぜグリーンランドにこだわるのか。そもそもグリーンランドはなぜデンマークの自治領なのか、グリーンランドがアメリカの一部になるようなことは本当にあり得るのかなどについて、北海学園大学法学部准教授の高橋美野梨氏と、ジャーナリストの神保哲生、国学院大学観光まちづくり学部教授の吉見俊哉が議論した。