オウム事件について、われわれが忘れてはならないこと

1956年東京都生まれ。79年中央大学法学部卒業。87年、東京弁護士会に弁護士登録。89~90年、イギリス留学。90年、未来市民法律事務所を立ち上げ所長に就任。92~2000年、中央大法学部講師(憲法担当)。1998~99年、東京弁護士会人権擁護委員会副委員長。95年より地下鉄サリン事件被害対策弁護団事務局長、2006年よりオウム真理教犯罪被害者支援機構副理事長。
この3月20日で世界を震撼させた地下鉄サリン事件から30年の月日が流れた。いち宗教団体の構成員らによって、ラッシュアワーで混雑する地下鉄の中でサリンという化学兵器に使われるほど極めて殺傷能力の高い猛毒が無差別に散布されるという、前代未聞のテロ事件だった。最終的に14人が亡くなり、6,000人以上が負傷した。その多くは今も後遺症に苦しんでいる。
この事件以降、オウム真理教による狂信的な犯罪行為が次々と明らかになり、最終的には教祖麻原彰晃(本名松本智津夫)以下、合わせて13人の幹部の死刑が確定し、いずれも2018年に執行されている。
この事件の全責任がオウム真理教にあることは論を俟たない。しかし、それから30年が経った今、あらためて確認しなければならないことは、果たしてわれわれは今、あの事件の教訓を活かせているのかということだ。この先も、宗教上の教義を盾に暴力的な教えを説く宗教団体がいつ現れないとも限らない。しかし、30年前にオウムの暴走を許したわれわれは、もし再び同じようなことを試みる団体が登場した時、その蛮行を止めることができると自信を持って言えるだろうか。
地下鉄サリン事件の犠牲者の遺族や被害者らを代表する地下鉄サリン事件被害対策弁護団の事務局長として30年間、遺族や被害者の支援にあたってきた弁護士の中村裕二氏は、地下鉄サリン事件は防げたはずの事件だったと指摘する。その上で、「4つの壁」がそれを阻んだと語る。
4つの壁とは「宗教団体の壁」、「管轄の壁」、「化学兵器の壁」、「組織の壁」だ。
地下鉄サリン事件の6年前の1989年11月、坂本堤弁護士と妻の都子さん、息子の龍彦さんの一家がオウム真理教により殺害された時、警察にはオウム真理教の犯行を疑うべき理由が十分過ぎるくらいにあった。しかし、オウムが宗教法人であることから、警察は明らかにオウムに対する捜査に後ろ向きだった。その後、坂本弁護士一家殺害の実行犯が警察に遺体の埋め場所まで知らせてきても、警察が本気で動くことはなかった。結果的に坂本弁護士一家が殺害されてから地下鉄サリン事件に至るまで6年間も野放しにされたオウム真理教の荒唐無稽な野望は、サリンなどの毒ガス兵器の開発はもとより、本気で国家の転覆を企てるまでに膨らんでいた。
確かに憲法20条には「信教の自由」が定められており、国家が軽々しく宗教に介入してはならない。しかし、実際に犯罪の嫌疑が十分にありながらオウム真理教を放置した警察の判断の背後にあったものは、果たして信教の自由の尊重という崇高な性格のものだったのだろうか。宗教団体に関わるととかく面倒くさいことになることを恐れた官僚機構の事なかれ主義的、かつ保身的な態度の為せるわざだったということはないのか。中村弁護士はオウムは法律に詳しく、また国政選挙に候補者を擁立していることもあり、単に面倒くさい団体として警察から敬遠された可能性が高いと語る。坂本弁護士一家の殺害の後で警察が然るべき捜査を行っていれば、地下鉄サリン事件は避けられた可能性が高いのだ。
また、オウムが東京のみならず、神奈川、宮崎や熊本、山梨、長野など日本のいたるところで問題を引き起こしていたことも、警察が動きたがらない理由になっていた。できれば宗教団体に対する面倒くさい捜査は避けたい警察の内部で、県警間の責任の擦り付け合いが起こっていたのではないか。それが「管轄の壁」だ。日本にはアメリカのFBIに当たる警察の全国組織がないため、事件が複数の警察本部の管轄に跨がった場合、時に縄張り争いが、時に責任の擦り付け合いが起き、捜査が進まなくなることがままあるが、オウムの場合も「管轄の壁」が邪魔をしていたと、中村氏は自身の経験則を元に指摘する。
他にも化学の知識が乏しいまま松本サリン事件を捜査した結果、明らかにサリンを作る能力のない被害者の1人を犯人と決めつけてしまい、結果的にオウムに対する捜査が後手に回ってしまうという「化学兵器の壁」もあった。
こうして見ていくと、地下鉄サリン事件は十分に避けられた事件だったことを痛感するところもあるが、後知恵では何とでも言えよう。しかし、いずれにしてもあれだけの大テロ事件を許してしまった以上、少なくともその時の教訓が今日、十分に活かされているかどうかについては、不断の検証と確認が必要だ。最近も大川原化工機事件のように、警察が科学の知識が不十分なまま逮捕に踏み切った結果、世紀の冤罪事件を引き起こしてしまう大失態が起きている。
また、オウム真理教の不法行為が長年野放しにされていた原因の一端として、もともと現在の日本の警察の体質が宗教団体に対する捜査に乗り気ではなかったことに加え、自民党が統一教会などの宗教団体と密接な関係にあったことが、政府が宗教団体に対して介入しにくい政治状況を作り出していたとの指摘も根強い。更に、オウムが勢力を拡大しながら暴走していった、坂本弁護士殺害から地下鉄サリン事件に至る期間、日本では政権交代が起き、宗教団体を後ろ盾とする公明党が政権参加するようになっていた。そのような政治状況が、政府の宗教団体への介入をより困難にしていなかったのかについては、再発防止の観点からも更なる検証が必要だろう。
繰り返しになるが、憲法で保障された信教の自由が最大限尊重されなければならないことは言うまでもない。しかし、宗教法人格を隠れ蓑にした犯罪行為は厳しく追及されなければならない。それを怠れば、信教の自由が危うくなるばかりか、警察に対する信頼も地に堕ちてしまう。当時の日本がなぜオウム真理教による地下鉄サリン事件を防ぐことができなかったのかを検証し、その教訓が今も活かされているかどうかを検証することこそが、事件の反省と犠牲者の供養につながるのではないか。
なぜわれわれはオウム真理教の暴走を止めることができなかったのか。その時に得られた教訓は今、活かされているのかなどについて、地下鉄サリン事件被害対策弁護団事務局長の中村裕二氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
(※記事に誤りがありましたので、訂正しました。ここにお詫び申し上げます。2025年3月23日10時)