国境なき医師団の村元菜穂氏にガザの現状を聞く

国境なき医師団 ロジスティシャン
福岡県生まれ。74年大阪外国語大学外国語学部卒業。76年米コロンビア大学大学院修士課程修了。学習院大学非常勤講師、クウェート大学客員研究員などを経て2008年より放送大学教授。18年より同大学名誉教授。著書に『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』、『イランとアメリカ』など。
この8月、日本は戦後80年の節目を迎え、各地で記念式典や慰霊祭などが開催されている。メディアは実際に戦争を知る世代の高齢化が進み、戦争の記憶が希薄になりつつあることへの危機感を力説している。
しかし、戦争は決して過去のものではない。
今この瞬間も世界では60を超える地域で武力紛争が続いている。オスロ国際平和研究所によると、昨年はウクライナやアフガニスタン、シリアを含め36カ国で61件の紛争が発生したという。
数ある 21世紀の戦争の中でも、われわれが決して目を背けてはならないのが、今まさにガザで進行している人道危機だ。イスラエルとパレスチナの間の紛争は古くて新しい話だが、今年の3月2日にイスラエルがガザへの援助物資の搬入を禁止して以来、ガザ全体で食料や水が不足し、住民が飢餓状態に陥っている。
現在ガザで進行しているイスラエルによる軍事攻撃は、2023年10月7日に起きたハマスによる奇襲攻撃への報復として行われているものだ。イスラエルにも自衛権はあるとの主張はあるが、それにしてもガザの死者数はすでに6万人を超え、その後の完全封鎖によって、元々200万人といわれるガザの住民のすべてが極度の物資不足、とりわけ食料と水不足に追い込まれている。
国境なき医師団のロジスティクス担当として今年の7月まで病院の物資調達などに携わった村元菜穂氏によれば、ガザでは度重なる空爆によって水道管はすべて破壊され、燃料不足のために海水の淡水化装置も稼働できなくなっているため、住民は1日5リットルの水も確保できなくなっている。村元氏がガザで活動しているときも、「空爆やドローンの音を聞かない日はなかった」と言う。
WFP(世界食糧計画)などの国連機関が、食料危機の程度を5段階で示すIPC(総合的食料安全保障レベル分類)の指標に基づき分析したところ、ガザでは食料不足と栄養失調が急速に悪化し、5段階でもっとも深刻な「飢饉=フェーズ5」に陥る寸前の状況とされる。ガザに住む200万人以上のうち、飢饉に近い状況にある人は50万人にのぼるという。
しかも、ガザの飢餓状態はイスラエルが意図的に援助物資の搬入を制限したために起きている、いわば人災と呼ぶべきものだ。イスラエルは国連などによる約400カ所の食料配給を拒み、代わりにイスラエルと米国の支援を受ける「GHF(ガザ人道財団)」が5月末から4カ所で配給しているが、圧倒的に支援が不足する中、飢えた市民が配給所に殺到し、死者が出るなどの混乱が続いている。イスラエル軍が配給所に集まった市民に向けて発砲する事例も報告されている。
国際政治学者で放送大学名誉教授の高橋和夫氏は、今ガザで起きていることは、人為的な飢餓であり、決して許されるものではないと指摘する。
このような21世紀のジェノサイドとまで呼ばれる事態を、国際社会は指をくわえて見ているのだろうか。国際紛争を解決する場として第2次大戦後に戦勝国が設置した国連の安全保障理事会も、何度イスラエルに停戦を求める決議案が出されても、拒否権を持つアメリカの反対で、まったく本来の役割を果たすことができていない。
ガザの窮状をこれ以上放置できないと考えた国々の中に、パレスチナを国家として承認する国が相次いでいる。ここまでフランス、イギリス、カナダに続き、オーストラリアやニュージーランドも承認の意向を示している。いずれもアメリカの同盟国だ。高橋氏は、国家承認にどの程度の実効性があるかは疑問だが、精神的なインパクトは大きいと指摘する。
アメリカは伝統的に親イスラエルの国であり、ユダヤ人人口も多い上に、国内に抜群の政治力を持つユダヤロビーを抱え、しかも現在のトランプ政権を支える福音派が宗教上の理由からイスラエルを支持しているため、パレスチナを国家承認することは考えにくい。しかし、問題は日本だ。欧米諸国と比べ、元々中東で手を汚していない日本は、本来であればよりフリーハンドがあるはずだ。アメリカを除くG7のメンバーが次々とパレスチナ支持の意思表示をする中で、同盟国の中でもアメリカへの依存度がとびきり高い日本が、多少なりとも自主性を発揮できるのか、それとも今回も「アメリカのポチ」を地で行くことになるのか。
高橋氏は、日本がパレスチナ問題で独自の外交路線を打ち出すことは期待できないだろうと語る。その理由は、日本では一般市民のこの問題への関心が極めて限定的だからだ。イギリスやフランスでは100万人規模の抗議デモを受けて、政府も何らかの対応をせざるを得なかった。しかし、そのような状況にない日本が、ひとえに人道的な見地からアメリカを怒らせてまで独自外交を貫けるかは疑問だというのだ。
今も世界の各地で戦争は起きている。その一つ、もっとも深刻な人道危機が現在進行形で起きているガザは今どのような状況にあるのか。なぜ国際社会はジェノサイドとまで呼ばれる状況を止めることができないのか。誰よりも戦争や飢えの悲惨さを知るはずの日本で、われわれ一人一人にできることは何か、などについて、希代の中東専門家の高橋和夫氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。