戦後80年の節目に目の前にある戦争のことを考える

国際政治学者、放送大学名誉教授


1963年沖縄県生まれ。86年早稲田大学教育学部卒業。同年より日本民間放送連盟職員。2006年より立教大学社会学部助教授、准教授などを経て16年より現職。23年より立教大学社会学部長。専門はメディア政策・法制度、放送ジャーナリズム論。著書に『安倍官邸とテレビ』、編著に『放送法を読みとく』など。
政治に弱いNHKの一人勝ちを許していて、本当に大丈夫なのだろうか。
この10月からNHKによる「NHK ONE」という新しいネットサービスが始まった。これはテレビのNHKで放送されている内容がそのままネットでも配信されるもので、10月1日に施行された改正放送法によって、ネット配信がNHKの「必須業務」に指定され、NHKがネット配信を通じてNHKを視聴する人からも受信料を徴収することが可能になったことを受けたものだ。NHK ONEでは放送の同時配信に加え、過去の番組をオンディマンドで視聴できる「見逃し配信」や記事の配信などのサービスも提供される。
受信料収入の伸び悩みに苦しんできたNHKは、かねてよりネット配信を通じた課金が悲願だった。今回ようやくその悲願を達成したことになるが、問題は受信料収入という巨大な安定財源を持つNHKという団体が、政治や行政に極端に弱い立場にあることだ。そのNHKが特に報道の分野で放送のみならずネット市場でも他社を席巻するようなことになれば、日本の報道市場は政府や政権与党に忖度した情報で溢れかえることになりかねない。
NHKの番組は2020年4月からインターネットで同時配信されているが、今回の法改正では放送を補完する「任意業務」にすぎなかったNHKのインターネット配信が、放送と同じ「必須業務」に格上げされ、ネット配信のみの視聴者からも受信料の徴収が可能になった。当面、既に受信料を払っている世帯は追加負担なくインターネット上のコンテンツを利用できるとしているほか、スマホやパソコンを持っているだけでは受信料は発生しないという方針のようだが、元々NHKの野望は斜陽産業化している放送事業への依存から脱皮し、ネットでも課金できるようになることだったため、そう遠くない将来、課金の範囲が広がる可能性は否定できない。
メディア法制度に詳しい立教大学社会学部教授の砂川浩慶氏は、今回のインターネット業務の必須業務化は政治と行政とNHKの妥協の産物でしかなく、NHK ONEがNHKにとって基幹ビジネスに育っていく可能性は非常に低いだろうと言う。本来NHKは放送との単なる同時配信だけではなくインターネット上で独自のサービスを提供し別料金を徴収することを目指していたが、菅政権を始めとする政治権力がこれを寄ってたかって潰してしまったと砂川氏はいう。その結果、NHK ONEが始まっても何か劇的にサービスが充実したわけでもない。また、NHK ONEにより受信料を新たに払うことになる人はほとんどいないだろうと砂川氏は語る。
とはいえ今回の法改正で、NHKのインターネット事業がNHKの必須業務として認められたことは確かだ。NHKのネット事業の拡大に対して日本新聞協会や民放連は、民業圧迫になる懸念を示しているが、年間6,000億円という圧倒的な受信料収入を持つNHKがフルにネットに参入してくれば、市場を席巻する可能性は排除できない。
では、なぜNHKが市場を席巻し他の事業者を駆逐することが問題なのか。それは、受信料という事実上の税金によって運営されているNHKが相手では、他の民間事業者との間に公正な競争が生まれないという問題もあるが、それにもまして問題なのは、そのような特権的な地位にあるがゆえにNHKは政府に対して極端に弱い立場にあることだ。
NHKは予算に国会の承認を必要とする上、組織のトップである経営委員会の委員の任命にも衆参両議院の同意が必要だ。これまでもNHKには政治介入を許したり、元総務省OBが天下っている日本郵政からのいいがかりのような抗議にも全面降伏した前歴がある。そのNHKがどんどん肥大化し、他の事業者を駆逐するようになれば、それは日本の言論、とりわけ政府や権力をチェックする言論が大きく後退することになる。
今、アメリカではトランプ政権が大手放送局や公共放送局に対する介入の度合いを強めている。そして、そのほぼすべてで放送局側が政権に全面降伏している。それは特にアメリカでは放送局が他のメディアビジネスの傘下に入り、親会社が政権や政権の影響下にあるFCC(連邦通信委員会)からの認可を必要とするようになっているからだ。また政府からの助成金に依存している公共放送の場合は、トランプ政権が助成金を引き上げた途端に経営が立ち行かなくなっている。
言論という事業は過度な商業主義に走ることで政府の認可を必要としたり、公共放送のように政府の補助金に依存していては、いざ政府が言論に対して牙を剥いてきた時、それと対峙することができず、結果的に自由な言論を守ることができないのだ。
アメリカで起きていることは単なる対岸の火事と思うことなかれ。現時点で次期総理になる可能性が一番高い高市早苗自民党総裁は、総務大臣当時、政権の放送局への介入は当然の権利であるとの見解を明らかにしている。アメリカで起きていることは大抵10年くらい後で日本でも起きていることを考えると、権力の言論への介入は決して他人事として見過ごしていい問題ではない。
NHKのネット業務をめぐる放送法改正により何がどう変わるのか。NHKが政治的に脆弱な現行の体制のまま肥大化することにどのような問題があるのかなどについて、立教大学社会学部教授の砂川浩慶氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。