2020年09月19日公開

合流立憲民主党と菅政権とメディアの関係

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概要

 今週は自民党の総裁選、合流立憲民主党の結党、そして菅内閣の発足と一週間の間に日本の政治に大きな動きが相次いで起きた。

 新・立憲民主党については、分裂前の民主党と何がどう違うのかが、よくわからない。枝野代表らは懸命に説明をしているのかもしれないが、ほとんど理解されていない。今後、繰り返しそれが問われるだろうし、その点をわれわれもしっかりとウォッチしていきたい。

 とは言え、小選挙区比例代表並立制という世界でも珍しい選挙制度(韓国、旧東欧諸国のほか、フィリピン、タイ、メキシコなどが類似した制度を採用しているが、先進国ではまったく採用されていない)の下では、よほど強い風でも吹かない限り一つの政党が単独過半数の議席を獲得することは難しい。そのため結果的に多少支持率に差があっても、常にすべての小選挙区に候補者を擁立できるだけの力を持った2つの大きな政党と、主に比例区のみで議席を得る複数の小政党が残ることになる。

 これはそもそも現行の選挙制度が、当初は中選挙区制から小選挙区制への移行が提唱されていながら、それが実際に導入される段階で中小政党の寄せ集めだった細川8党連立政権が政権の座にあったため、こんな摩訶不思議な制度になってしまったわけだが、結果的にそれが常に2大政党の一つが相棒となってくれる小政党を見つけて連立を組むことを前提とした制度になってしまった。

 自民党はいち早くこの制度に適応し、2000年には公明党との連立によって政権維持のための勝利の方程式を作り上げた。伝統的に創価学会とは敵対関係にあった新宗連の支持を受けてきた自民党と創価学会を母体とする公明党が連立を組むことなど、1990年代以前の政治を知る者にとっては、おおよそあり得ない組み合わせだった。政策的にも改憲を党是とする自民党と平和を党是とする公明党の連立は、今でこそ慣れてしまったが、当初は強い違和感があった。自民党はその少し前には55年体制下の仇敵の社会党と組んで自社さ政権なる政権まで樹立している。

 一方、リベラル勢力にとっては共産党との共闘が、常に火種となってきた。現行選挙制度の下では、保守勢力の自民が公明と組むのであれば、リベラル勢力は社民・共産と組むことができなければ、よほど強い風でも吹かない限り、現行制度の下では単独で過半数の議席を得ることはできない。しかし、旧来の民主党は左に手を伸ばすと、党内の保守勢力、とりわけ自民党や旧民社党から新生党、新進党などを経て合流してきた保守勢力が離反してしまうし、そこを包摂しようと思えば、選挙では相打ちを覚悟で共産党と戦わなければならないというジレンマを常に抱えていた。

 今回の合流では、図らずも原発ゼロが踏み絵となって、旧民社党勢力(=同盟系勢力)はほとんど合流新党には参加していないが、何と言っても150人からの議員を抱える大所帯である。果たしてそのジレンマは本当に解消されたのか。そもそも「保守本流」を標榜する枝野代表はその部分で腹を括ったのか。また実際に連立パートナーにまでなるかどうかはともかく、依然として「共産党アレルギー」なるものが根強いとされる日本において、共産党との共闘に対して国民の理解を得られるのかなどが、新立憲にとっては重要な鍵となるだろう。

 つまり、今回の合流劇では少なくとも選挙制度上は、党内の保守勢力を一掃してよりリベラル路線に純化できたことが重要なのではなく、その結果として社民党や共産党と組むことが可能になったのかどうかの一点に、新党結党の真価が問われていると見ていいのではないだろうか。

 一方、その間、菅政権は高い支持率を得て、上々の滑り出しとなったようだ。その閣僚人事については各方面で様々な報道が行われているようなのでそこに譲るが、ことメディア対応については、当たり前だが、主要メディアは一切、そこには触れていないものの、どうやら安倍政権の方針をそのまま踏襲するか、もしくはよりメディア統制を強化してくる方向性が政権発足当初から窺えた。

 元来、官僚は情報公開が嫌いだし、メディア対応も苦手だ。選挙で選ばれるわけではない官僚は元来、メディアに対応して有権者の理解を得る必要がないし、これは官僚教育に問題があるのかもしれないが、国民に対して説明責任を負っていると考えていないところも多分にある。(実は官僚も国民から税金をいただいて仕事をさせてもらっている公僕なのだが、日本ではそもそも「納税」という言葉に象徴されるように、税金は「納め」るのが当然のものであって、払っていただいているものとは考えられていないところがあるようだ。)

 情報公開についても、1999年に情報公開法なる法律が作られてしまったので、法律違反にならない範囲でやむなく対応はするが、そもそもそこに情報公開法の精神を守らなくてはならないという使命感や矜持のようなものは存在しないので、常に最低限の対応になるし、この際だからはっきり言ってしまえば、ばれない範囲であれば、いくらでも法律違反だって辞さない。それは公文書管理についても言えることだ。

 だから、政府が積極的にメディア対応をしたり、情報公開をするためには、官僚を統率する大臣やその他の政治家がかなり強いイニシアチブをとり、その方針を厳しく官僚に命じない限り、政府の情報公開など進むはずがない。それをしなかった官僚を叱責したり、それこそ菅首相ではないが、そういう官僚を左遷するくらいの強い意志表示で臨まない限り、そんなものは絶対に進まない。

 今週、菅氏は2つの記者会見に臨んだ。一つは月曜に自民党の総裁に選出された直後の自民党本部における総裁会見、もう一つが水曜に国会で首班指名を受けた後の総理官邸における首相会見だ。

 いずれの会見もビデオニュース・ドットコム上でノーカット映像をご紹介しているが、自民党の総裁会見の方は自民党の記者クラブ「平河クラブ」のみを対象にした会見で、当然、質問も記者クラブ加盟社の記者からしか受けなかった。また、総理会見の方は安倍政権の時と同様に会見全体の時間を30分に限定し、最初の20分あまりを自身の声明文と内閣記者会の加盟社との質疑に割り振った上で、非加盟社については最後の5分あまりの間に数社に質問を認めるだけの、厳しく統制された会見だった。しかも非加盟社に当てる際も、司会者はいかにもその場でアドリブで当てているような素振りを見せながら、記者を実名で指名していたので、実際は当てる相手は事前に決まっていたのだろう。

 記者クラブに加盟していない会見参加者の中で、この人に当てれば厳しい質問が期待できると思われた記者は、誰一人として指名されなかった。安倍政権の最初の7年のように、政権側に忖度しない厳しい質問をする記者や、空気を読まない質問を浴びせてくる記者、事前に質問内容を提出しない記者にとっては、一切質問の機会を与えられない冬の時代が再び到来しないことを願うばかりである。(今回、ビデオニュースは抽選に外れて、会見そのものに参加できなかった。)

 ちなみに今回は安倍首相の会見で有名になったプロンプターは使われていなかったが、菅総理も質疑応答になってからも繰り返し目線を下げ、手元のメモを読んでいる様子だったので、全ての質問がそうだったかまでは確認できていないが、質疑部分についても事前に質問の取りまとめが行われ、回答のメモが用意されていたと思われる。これも安倍政権の手法をそのまま踏襲するものだ。

 安倍政権の総理会見では総理談話を読む場面ではプロンプターがあがっているが、質疑応答になるとリモート操作でプロンプターが下がるのに、実際は質疑内容が事前に取りまとめられていて、質問と回答が総理の目の前のメモに書かれており、総理がそれを読むだけという、非常に手の込んだ芝居が行われていたことは、たびたび指摘してきた通りだ。確かに質疑部分のやりとりまでプロンプターに出ていたらおかしいだろ、ということなのだろうが、どうせメモを棒読みするくらいなら、プロンプターを出したままでも良さそうなものではないか。ただ、そのことの問題点として、首相会見でわれわれが自分たちの総理大臣の言葉として受け止めているものが、実は単なる官邸官僚の作文でいいのかということは、きちんと指摘しておきたい。

 平河クラブや内閣記者会の質問は永田町や日本の既存メディアの政治部の基準ではあれが妥当な質問とされているのかもしれないが、これから内閣総理大臣として日本を背負い、世界に向けて日本を代表していく指導者に対する問いかけとしては、信じられないくらい緩くて甘い質問だった。あんなことをやっているから、日本の記者会見は外国人記者から歌舞伎シアターなどと酷評されるのだ。もっと質さなければならない質問があることが本当にわからないのか。それとも、そんなことは重々わかっているが、それを聞いたら永田町の住人ではいられなくなるということなのか。

 どっちにしても、菅政権の下で政府とメディアの関係が大きく変わることは期待できそうにない。今回、壊し役を任ぜられた河野太郎行革担当大臣には、日本にとって記者クラブこそが国益を損なう最大の既得権益であることにどこかで気づいて欲しいものだ。記者クラブそのものはメディア側が勝手に作っている「親睦団体」で、しかも法人格すら持たない「任意団体」なので、壊し屋太郎を持ってしても政府があれこれ手出しができる対象ではないが、実はそこに特権を与えているのはすべて政府なので、これは政府の問題でもある。政府が記者クラブに施設の占有権(庁舎内の記者室を家賃も払わずに独占的に利用する権利)や情報アクセス占有権(政府が行っている記者会見やレクに記者クラブ加盟者しか参加させない権利)などを与えさえしなければ、記者クラブなどただの社交クラブに過ぎなくなり、少なくとも利権としての価値は皆無になる。そして、他の業界で独占・寡占が解消された場合と同様に、記者クラブ加盟社による情報の寡占が解消すれば、政治や行政に関する情報流通量は全体として拡大し、国民の知る権利は大幅に増進するし、政府の情報公開コストも大幅に下げることが可能になる。それだけでも十分行革テーマになり得るのではないだろうか。

 しかしながら、おそらくこの視点を報じる既存メディアは一つもないだろう。まさにそのことが、これが日本にとってとても重要な論点であることの証左になっていると思うのだが、いかがだろうか。

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