枝野はなぜ立ったのか
立憲民主党代表
1964年栃木県生まれ。87年東北大学法学部卒業。91年弁護士登録。93年衆院初当選(日本新党・旧埼玉5区)。94年新党さきがけ入党、96年民主党結党に参画。党憲法調査会長、幹事長、内閣官房長官、経済産業相などを歴任。2017年立憲民主党を結党し代表に就任。当選9回(埼玉5区)。著書に『叩かれても言わねばならないこと。』、『枝野幸男学生に語る 希望の芽はある』など。
3年前の小池東京都知事による「希望の党騒動」をきっかけに、一旦は袂を分かった旧立憲民主党と旧国民民主党が先週ともに解党し、その大半が枝野幸男氏が率いる新しい立憲民主党として再結集した。その結果、150人からの国会議員を擁する大野党勢力が一夜にして登場することとなった。
「再結集」というと、一旦はバラバラになった旧民主党が「再び元の鞘に戻っただけだろ」と見る向きが多いのは無理からぬ事だろう。しかも、新しい政党は全所属議員による投票の結果、党名も立憲民主党のまま、新党の代表・幹事長も旧立憲民主党の枝野幸男代表と福山哲郎幹事長が引き続き務めることになったという。新党の主要メンバーには枝野・福山両氏のほか、菅直人、野田佳彦元首相を始め岡田克也元外相、玄葉光一郎元外相など旧民主党の代名詞とも呼ぶべき面々が顔を揃え、党自身が略称に「民主党」を使うことを申告しているとあっては、これを「元鞘」と見ない方が難しいというものだ。
しかし、枝野代表はこの「元鞘」説を明確に否定する。そしてその理由として、新民主党は新自由主義を明確に否定できたことをあげる。その精神は立憲・国民の合流交渉の際に両党の幹事長間で合意した党の綱領に明確に謳われている。党の綱領に「反新自由主義」の旗を立てた以上、新民主党の議員は現職も、これからこの旗の下に結集する人も、すべてのメンバーがこの理念は共有することになると枝野氏は言う。
振り返れば民主党の歴史は、内部対立の歴史だった。元々、1996年に赤松広隆氏ら社会党の右派を中心とするグループと自民党から離脱した武村正義氏が率いるさきがけが合流して結党された民主党は、その後自民党、民社党の流れをくむ民政党や旧自民党の小沢一郎氏らグループとの合併を繰り返しながら大きな塊に成長し、2009年には遂に念願だった政権交代を果たした。しかし、その内実は社会党、日本新党、自民党、民社党、みんなの党、維新など、場合によっては理念が180度違う出自を持った議員が非自民・反自民を唯一の旗印に集まった、まるでごった煮のような政党だった。当然、基本的な政治理念に内部で大きな相違があり、それが逆風に晒されるたびに党内対立や内部分裂、お家騒動を繰り返してきた。
2009年に政権交代を目前にして、当時の代表だった小沢一郎氏が検察に付け狙われた時も、一枚岩でこれに対処することできなかったし、菅直人政権時代の2010年の参院選では当時野党だった自民党が消費税増税というくせ玉を公約に掲げてきた時、党内の意見集約ができないまま選挙に突入し、あっという間に参院で虎の子の過半数を失ってしまった。政権から下野した後も、党名を民進党に変えてみたりした挙げ句、当時国民的な人気があった小池都知事に簡単に唆された前原代表が、事実上民主党を解党するというご乱心ぶりを発揮した結果、遂に分裂に至ってしまった。政権から滑り落ちた後、旧民主党勢力は選挙には6連敗し、8年近くも安倍政権の存続を許すこととなった。
しかし、人間万事塞翁が丙午。分裂騒動の際に、小池、前原チームが旧民主党の「リベラル勢力」を排除してくれたおかげで、枝野氏がその勢力を結集させて新たな政党「立憲民主党」を起ち上げることが可能になった。そして、その後、立憲民主党により多くの支持が集まったため、結果的に「希望の党騒動」が百花繚乱状態にあった民主党をリベラル勢力と非リベラル勢力に仕分けする機能を果たすことになった。
これまでの民主党には市場原理主義色の強い、本来であれば自民党から出ていてもおかしくない議員が多くいたことにくわえ、これは社会党の影響かもしれないが、とにかく「改革政党」を名乗ることが必然であると考える議員が多かった。しかし、ここで言う「改革」とは、少なからず小泉改革に代表される新自由主義的な改革の色彩を強く浴びていたと枝野氏は言う。それでは自民党との間の改革競争になってしまい、有権者はあえて政権交代のリスクを取ろうとは考えない。
分裂騒動を経て立憲の旗の下にリベラル勢力(ただし枝野氏はこの勢力を「保守本流」と呼ぶ。その意味は番組内で詳細に議論しているのでそこに譲る。)を結集することが可能になったために、新しい立憲民主党では「市場原理」や、ともすれば改革の名の下には民主主義の否定さえ辞さない「改革至上主義」との明確な決別を党の綱領で謳うことができるようになったのだという。
新立憲民主党の綱領によると、新党の理念の要諦は、党名の「立憲民主党」が表すように日本国憲法の基本理念の尊重を大原則とした上で、政府の透明性を確保することで市民参加を促し、公正な再分配を行った上で、個人の包摂と多様性を推進していくことにあるとなっている。
枝野氏は、特に市民の政治参加を好まない、権威主義的な色彩の強い自民党が、より新自由主義的な市場重視型の政党に変貌しつつある中で、新立憲民主党は市場原理至上主義を明確に否定し、公正や再分配を通じて経済成長を達成していくことを目指すとしている点にあると語る。また、自民党の総裁選でも石破茂氏などから「一極集中の是正」という言葉で問題提起されていたが、自民党が依然として中央集権型の統治体系、経済体系を維持し、むしろこれをより強化していこうとしているのに対し、立憲民主党はエネルギー政策を含め、分散型社会の実現を目指すとしている。
こうした理念は現時点ではあくまで綱領レベルであり、いざそれを具体的な政策論に落とし込んだ時に、どのような内容になるのかや、どのような困難にぶつかるのかなどは、まだ未知数の部分が大きい。また、仮に理念は立派でも、そもそも民主党にそれを実現するだけの政治力や実行力があるのか、国民がそれを信じてもらえるのか、という疑問は依然残る。
こうした疑問に対して枝野氏は、かつての民主党は反対にあったり困難にぶつかったりすると、すぐに方針を変えるところがあり、それが民主党が信用されなくなってしまった大きな要因の一つだとの認識を示した上で、簡単なことではないが、この理念に基づいて、政策を愚直に続けていくことが、結局は有権者の信用を取り戻す最良にして唯一の方法であり、回り道のように見えてそれが政権交代への最短の近道だと考えていると語った。
現時点では自民党と立憲民主党の間には支持率に大きな開きがあるが、それでもいざ選挙をやれば、立憲、国民、社民、共産が選挙協力をして統一候補を立てた場合、60以上の小選挙区で結果がひっくり返るというのが、現在の日本が採用している選挙制度の特徴でもある。それは自民党も重々承知の上で、菅政権発足直後のご祝儀で高支持率のあるうちに、そして野党側の選挙態勢が整う前に、解散を打ってくる可能性は十分にある。
政権から転落してから約8年、辛酸をなめ続けてきた民主党の再生が本物かどうか、われわれがこれからしっかりと見極めなければならない。しかし、いずれにしても民主党にとってこれが最後のチャンスになるということだけは間違いないだろう。
150人からの国会議員を擁する大野党を率いることとなった枝野氏に、新立憲民主党の考え方、覚悟のほど、今後の課題と抱負などをジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司がズバリ聞いた。