2014年2月15日
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立憲主義を否定する首相が「憲法を解釈するのは私だ」

 立憲主義を否定する首相が「憲法を解釈するのは私だ」と言い出しても何の不思議もないことに、なぜ今まで誰も気づかなかったのだろうか。  今週は建国記念日の週だが、もしかすると日本の立憲主義が危機に陥った週として歴史に名を残すことになるかもしれない。冗談にもならないようなそんなできごとが、今週、国会で相次いだ。
 まず2月10日の衆院予算委員会で安倍首相は憲法について、7月3日の党首討論会の際に披瀝した持論を再び開陳している。  それはこんな内容だった。
 「憲法が権力を縛るためのものだったのは王権の時代。その考え方は古い。今われわれが改正しようとしている憲法は、国家権力を縛るためだけではなく、私たちの理想や国のありかた、未来について語るものにしていきたい。」
 要するに、憲法が国民の自由や権利を守る目的で、政府を縛る、いわゆる立憲主義の考え方は王権時代の時代遅れなものであって、憲法には時の政府が自分たちの理想や志向する未来像などを書き込むのが、新しい憲法の考え方だと言うのだ。
 安倍氏の独特の憲法論がどこから来たものかはともかく、問題は一国の総理がこのような憲法観を持った場合、どこに影響が出るかだ。  早速、同じく今週の国会でそれが顕在化した。
 安倍首相は2月12日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更について「最高責任者は(内閣法制局長官ではなく)私だ。」と述べ、憲法解釈は内閣法制局よりも自身の考えが優先されるとの見方を示した。
 言うまでもないが憲法解釈に関する政府見解には整合性が求められるため、歴代内閣は内閣法制局の議論の積み重ねを尊重してきた。この日の安倍首相の発言は首相の憲法解釈と内閣法制局の解釈が食い違った場合、首相の解釈が優先されるとの考え方を明確に宣言したものだった。
 しかし、考えてみれば、そもそも立憲主義を否定している首相なのだ。「憲法解釈権限、我にアリ」と言い出したとしても、それほど驚くには値しないと言えなくもない。  一国の首相が立憲主義を否定すると、その国にどんなことが起きるのか。日本は近代国家としての壮大にして危険な実験に突入してしまったようだ。
 国家の役割としては最も基本的なものとも言える立憲主義を理解していない人物を首相にいただくことの危険性と、それが必ずしも政権が転覆するような大問題にならない日本社会の現状について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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