1960年静岡県生まれ。82年早稲田大学第一文学部卒業。89年早稲田大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程満期退学。博士(文学)。専門は日本古代史。国立歴史民俗博物館助教授、総合研究大学院大学文化科学研究科助教授、同教授、国立歴史民俗博物館研究部教授などを経て2025年より同館名誉教授。著書に『女帝の世紀』、『加耶/任那 古代朝鮮に倭の拠点はあったか』など。
7月17日、国会で皇室典範改正法が成立した。皇室典範の本則が本格的に改正されるのは、戦後初めてのことだ。
今回の改正は、皇族数の減少への対応として議論されてきた。皇族の数が減ったために、皇族一人ひとりの公務負担が重すぎるというのが、その理由だった。そのため、皇族の数を増やすために、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持できるようにすることと、戦後に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えることを可能にすることが、その柱となっていた。元々はそういう話のはずだった。
ところが、いざ法案が国会で審議される段階になって、政府から国会に上程された改正法には、養子となった旧宮家の男子に生まれた男系男子に将来の皇位継承資格を認める仕組みが盛り込まれていた。そのため、今回の改正は、皇族数の確保という実務的な課題への対応にとどまらず、皇位継承制度そのもののあり方に関わるものとなった。
改正案のその部分をめぐり、国会では「男系男子による皇位継承が一貫した日本の伝統だった」という考え方が、主に保守系の議員らによって声高に主張され、最終的に法案にもその考え方が採用された。その背景には、「皇統は神武天皇以来2600年、例外なく男系で受け継がれてきた」という特定の歴史認識があるようだ。
しかし、現在、皇族の中には未婚の女性が愛子内親王、佳子内親王を始め5人いる一方で、男性は悠仁親王1人しかいない。皇位の継承を男系男子にしか認めないということになると、現在は次世代の皇位継承者が1人しかいない状態で、皇統の継続性という意味では非常に不安定な状態になる。そこで、旧宮家から天皇の血を引く男系男子を養子に取ることを可能にするという、かなりアクロバティックな案が今回の法改正に盛り込まれた。
しかし、この「男系男子は2600年間日本が守り続けていた伝統」という前提は、歴史学的にはどこまで実証されているのだろうか。
日本古代史を専門とする国立歴史民俗博物館名誉教授の仁藤敦史氏は、「神武天皇以来2600年」という年代観そのものが、7世紀から8世紀にかけて『日本書紀』が編纂される過程で盛り込まれたものであり、歴史学が実証できる天皇の系譜は、それよりかなり後の時代からだと指摘する。また、日本の歴史には8人10代の女性天皇が存在しており、「男系男子」が皇位継承の唯一の原則として制度化されたのは、実は明治期の皇室典範制定以降のことだという。
もちろん、男系継承を重視する立場にも理由がある。保守派は、男系男子による継承こそが皇統の連続性を担保し、それこそが日本の皇室の独自性を支えてきたと主張する。そのため、仮に女性天皇は容認したとしても、女系天皇だけは認められないとの立場を取る人が一定数いることも事実だ。
しかし、そもそも、「万世一系」「男系男子」という考え方は、本当に日本の長い歴史を通じて変わることなく受け継がれてきたものなのか。
皇室典範によって現在の皇室制度の骨格が作られたのは明治期に入ってからだが、実は明治政府が皇室制度を整備する過程で、当時、内閣総理大臣と宮内大臣を兼ねていた伊藤博文の下では、男系が途絶えた場合に女性天皇や女系継承を認める案が検討されていたことが歴史的にも実証されている。しかし、それに対して伊藤の下で法制度の整備を進めていた参事院議官の井上毅らの強い提言を受けて、最終的に「男系男子」が皇室典範に明文化されることになったのだという。
では、井上はなぜそこまで男系男子にこだわったのか。その背景には、当時の明治政府を取り巻く状況が色濃く反映されていたと考えられている。
260年続いた徳川の治世が終わり、薩長を中心に形成された明治政府は、政府の正統性を高めるために天皇の権威を最大限に利用した。そうした中で後に内閣法制局長官の座に就く井上は1886年に伊藤に提出した「謹具意見」の中で、国家の最高権威である天皇だけは政治から切り離された絶対的な存在にすべきだと説き、皇統に疑義が生じないことや王朝交代の可能性を完全に排除するためには、男系男子を制度化することが必要だと進言した。つまり、「男系男子」は明治政府にとって、自らの正統性を高めるための手段として提案され、そして採用されたものだったと考えられているのだ。
今回の改正では、1947年に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎えることで皇族の数を増やすと同時に、皇位継承者の数を増やすことが想定されている。しかし、旧宮家の源流は室町時代に成立した伏見宮家にまで遡るもので、数百年前まで遡らなければ現在の皇室との共通祖先にたどり着かない。早い話が遠い遠い親戚でしかない。あえてそうした人々を皇族に迎え、その子孫に将来の皇位継承資格を認める一方で、現在の女性皇族の子どもには継承資格を認めないという制度設計に、今の日本でどれほどの正当性があるのだろうか。
皇室は日本国憲法の下では「国民の総意に基づく」象徴だとされている。その皇位継承制度を考えるとき、私たちは歴史的事実をどのように理解し、何を「伝統」と呼ぶべきなのか。皇室典範改正をめぐる議論を振り返りながら、「万世一系」「男系男子」という考え方はいつ、どのように形成され、どのような形で今日まで受け継がれてきたのか。21世紀に生きるわれわれはその歴史的経緯をどのように受け止め、どう制度に組み入れていくべきなのかなどについて、仁藤氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。