関東大震災から100年の節目に考える地震と原発と日本
元裁判官
1979年神奈川県生まれ。2011年東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は環境分析化学、放射化学。2008年より現職。著書に『みんなの放射線測定入門』、共著に『放射線を科学的に理解する』など。
東京電力福島第一原発事故から15年が経過したが、事故の影響は依然として被災地に暗い影を残している。東日本大震災に伴う地震と津波により福島第一原発がメルトダウンを起こし、大量の放射性物質が放出された結果、住民の帰還が認められていない「帰還困難区域」が今も広範囲に広がっているからだ。
その面積は約300平方キロメートル。東京23区の半分に匹敵する広さで、そこはまるで2011年3月11日の時点で時間が止まったかのようだ。
こうした地域で現在も放射線量の測定を続けている研究者がいる。東京大学大学院総合文化研究科環境分析化学研究室助教の小豆川勝見氏だ。小豆川氏は平均して月に2回、帰還困難区域に足を運び、現地の線量を測定して記録を残している。
もともと小豆川氏は、放射線を科学研究の有用なツールとして扱う研究者だった。東海村で研究に携わっていた当時、原子炉は「絶対に壊れない」と考えていたという。しかし福島第一原発事故を目の当たりにし、被災地の放射線量を測定し記録に残すことが研究者としての使命だと考えるようになった。事故から間もない2011年4月に調査を開始し、現在まで活動を続けている。
事故当初、大きな問題となった放射性ヨウ素は半減期が8日と短いため、現在はほとんど影響を考慮する必要がない。しかし大量に放出された放射性セシウム137は半減期が約30年のため、事故から15年が経過した現在でも大量の放射線を放出し続けている。
特に除染が行われていない帰還困難区域では、今も空間線量の高い場所が存在する。一方、復興拠点として指定された地域では除染が繰り返され、新しい土で覆われるなどの対策によって線量は低下している。ただし、そのすぐ近くでも手つかずの場所では、依然として基準値を大きく上回る線量が測定されるという。
さらに小豆川氏は、放射性セシウムが「移動する」という性質にも注意が必要だと指摘する。セシウムは土壌に吸着しやすいため、土ぼこりとともに風で運ばれたり、大雨の際に土砂とともに谷や川へ流れ込んだりする。泥がたまりやすい溝などで線量が高くなるのはそのためだ。
農産物については、産地の特定や検査体制が整備され、多くのデータが蓄積されてきた。一方、海や川を移動する魚類などについては、依然として分からないことも多いという。小豆川氏は、こうした点についても実際の測定データを基に説明する。
事故から15年という年月は、多くの人々の関心が薄れるには十分な時間かもしれない。当時は放射線に関する情報を積極的に集めていた人々も多かったが、現在では線量測定の結果が社会で共有される機会が減っているのではないかと、小豆川氏は懸念する。
「放射線は目に見えない。測定しなければ状況は分からない」と語る小豆川氏は、客観的なデータがあってこそ、復興のあり方を議論できると主張する。
放射線は自然界にも存在するものであり、必要以上に恐れるべきものではない。しかし事実を知り、理解を深めることは、今後の廃炉作業や原子力政策を考えるうえでも重要だと小豆川氏は語り、福島通いを今も続けている。
事故から15年を迎えた原発被災地の現状と今後の課題について、放射線測定機器の実演も交えながら、小豆川氏に社会学者の宮台真司とジャーナリストの迫田朋子が話を聞いた。