日本の再エネはなぜ増えないのか
環境エネルギー政策研究所所長
1959年山口県生まれ。83年京都大学工学部卒業。同年神戸製鋼所入社。電力中央研究所勤務を経て96年東京大学大学院先端科学技術センター博士課程単位取得退学。2000年NPO法人環境エネルギー政策研究所を設立し現職。著書に『エネルギー進化論』、『北欧のエネルギーデモクラシー』、共著に『メガ・リスク時代の日本再生戦略』、『原発社会からの離脱』など。
世界の現状を聞けば聞くほど、日本の置かれた状況が危機的なことがわかるはずだ。
自民党の総裁選で当初本命視されていた河野太郎氏が、政策討論会などの場で他の3候補から総攻撃を受ける場面が幾度となく見られた。他の候補にしてみれば、一般国民の間で人気が高い河野氏の勢いを止めなければならないという選挙戦術上の判断もあったかもしれないが、それ以上に河野氏の主張する政策の中に今の自民党としてはどうしても看過できないものがあり、それをきっぱりと否定していくことには選挙戦術を越えた重要な意味があった。
それは他でもない、河野氏が明確に打ち出していた脱原発=再生可能エネルギー推進の立場だった。他候補たちは「より現実的な対応が必要」だの「安定供給」だのと様々な理由をあげて河野氏を攻撃していたが、何のことはない、今の自民党では原発廃止論や化石燃料から再生可能エネルギー(再エネ)へのシフトを主張すること自体が基本的に御法度なのだ。
河野氏自身も派閥の親分や党長老への遠慮からか、総裁選ではそれまでの露骨な脱原発論はやや抑え気味だったようだが、それでも再エネへの転換の推進だけはきっぱりと明確に主張していた。しかしそれは、自民党政権下で様々な恩恵を享受している日本の古色蒼然たる重厚長大産業や、それが日本のためになると信じてのことかどうかは定かではないが、そうした産業を守ることを至上命題としている経済産業省にとっては、とても許容できる主張ではなかった。
菅政権は有効なコロナ対策を打ち出せずに支持率が低迷した上に、新たな総裁任期を迎えるにあたり、1年前に突如辞任した安倍首相から居抜きで引き継いだ傀儡政権を自前の政権に脱皮させようとした野心が党の主流派、とりわけ合わせて党所属の四割の議員を抱える細田・麻生両派を牛耳る2A(安倍晋三、麻生太郎両元首相)の逆鱗に触れ、あえなく退陣に追い込まれた。あまりこれといって実績を残す時間もなかった菅政権ではあったが、2050年までのカーボンニュートラル達成を前提に、2030年の再生可能エネルギーの電源構成目標を4割近くまで引き上げた第6次のエネルギー基本計画の原案を示したことだけは、その大きな功績と言っていいだろう。
2011年の原発事故以降、日本がこれから原発をどうするこうすると百家争鳴の議論を繰り返し、その間密かに石炭火力発電所の増設を続ける中、世界では既に再エネへのシフトが揺るぎないものとなっていた。特に太陽光発電は目覚ましい技術革新により、その発電コストは今や原子力はおろか既存の火力発電よりも下がっている。欧米先進国では全電力消費に占める再エネの割合が軒並み5割を超え、ノルウェーやデンマークにいたってはそのシェアは既に8割を超えている。ドイツやイギリスでも4割を超えているが、日本は依然としてアメリカと並び先進国では最低水準の2割前後だ。しかも日本は、明らかな政策ミスにより、これからの再エネ市場の中心を占めることが確実視されている太陽光発電市場の形成に失敗してしまったため、このままでは今後も他の先進国と同じようなペースで太陽光のシェアを伸ばせない可能性が高い。
日本は2011年の原発事故の後、世界よりも10年以上遅れてFIT(電力固定価格買い取り制度)を導入した。出遅れたことの対価は大きいが、後発のメリットとしてせめて先発国の失敗から学ぶことで、回り道をせずに済むはずだった。ところが日本はまるで悪い見本を真似るかのように、先発国が犯した失敗をことごとく繰り返したと、再生エネルギー分野の第一人者で環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏は言う。
それは買い取り価格を実際に発電を始める時点ではなく、国が計画を認定した時点の価格で10年間保障する制度にしてしまったため、とりあえず先に認定だけ受けておく事業者が続出してしまい、実際に何年も後になって発電を始めても、認定時の高い価格での買い取りが保証され、そのコストを一般国民が電気料金への上乗せという形で負担しなければならないという、とんでもなく歪んだ制度になってしまった。しかも、そのような制度の欠陥を見越した事業者が初期段階で一斉に発電事業に参入したため、電力に余剰が生じたり系統が乱れるなどを理由に電力会社が接続を拒否するための口実を与えてしまった。そして、失敗するたびに制度変更を繰り返したために、つぎはぎだらけの歪んだ複雑な制度だけが残ってしまった。
飯田氏によると、制度設計を進めた経産省は担当者が2年ごとにくるくる変わり、その度に事情がよくわかっていない新しい担当者が入ってきたが、彼らは飯田氏のような20年、30年単位で再エネと付き合い世界の事情にも通じている在野の専門家の意見に耳を貸そうとはしなかったと言う。脱炭素化の柱となる太陽光発電の分野で健全な市場の形成に失敗したことのツケは大きい。
飯田氏は産業面でも日本の先行きに大きな不安を覚えるという。ここに来て世界ではEV(電気自動車)化が一気に加速しており、それに呼応して化石燃料車が急激にシェアを落としている。ノルウェーにいたっては何と2022年末に化石燃料車の販売がゼロになるという。2022年というのは来年のことだ。ドイツでも既にEV車のシェアは2割を、イギリスや中国でも1割を越えている。日本ではEV車シェアが45%などという意味不明な数値が独り歩きをしているが、これはプリウスなどのハイブリッド車を含めた数値であり、世界でハイブリッド車をEV車と認定している国はない。ハイブリッド車はガソリン車だ。実際の日本のEV車のシェアはEV(電気自動車)、PHV(プラグインハイブリッド車)、FCV(燃料電池車)を合わせても2%に満たない。日本ではEV化に乗り遅れたトヨタの影響力が強いため、今いかに日本の自動車産業が危うい状態にあるかについての認識が拡がっていないが、飯田氏は向こう10年間で、それこそ20世紀初頭に馬車が自動車に、21世紀初頭にはガラケーがスマホにあっという間に置き換わったように、世界は猛烈なスピードでEV化にシフトすることが必至だと指摘する。
さて、日本では岸田政権が発足したが、政務秘書官として岸田官邸を仕切るのは経産省OBで経産次官まで務めた島田隆氏だ。さらに官邸には、同じく経産省の出身で安倍政権で首席補佐官を務め、その後も原発産業を代弁している今井尚哉氏も参与として参画している。党の幹事長に就いた甘利明氏は、2002年に原発を柱に据えたエネルギー政策基本法の成立に奔走し、原発利権の代弁者として知られる。こうした人事を見る限り、また岸田氏のこれまでの発言を聞く限り、残念ながら岸田政権が現在の日本が世界の脱炭素化の潮流から取り残されている現状への危機感は感じられない。
結局は他の課題と同様に、政権の責任と権限を明確にすること、情報公開や公文書管理を徹底すること、縦割りと縄張り優先の官僚人事制度をあらためることなどが、日本がこの分野で合理的な政策に転換するための条件であり唯一の処方箋だと語る飯田氏と、世界の脱炭素化の潮流と、それとは正反対の方向に向かっているかに見える日本のエネルギー政策の現状、そしてその処方箋などについて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。