永田町と霞が関に翻弄され続けた給付付き税額控除がようやく実現するのか
東京財団シニア政策オフィサー、法学博士
1991年慶應義塾大学経済学部卒業。2024年一橋大学大学院修士課程修了(経営)。モルガン・スタンレー証券事業会社セクター担当、JPモルガン証券クレジット調査部長、BNPパリバ証券グローバルマーケット統括本部副会長などを経て26年より現職。かんぽ生命保険エグゼクティブ・フェローを兼務。著書に『金利上昇は日本のチャンス』、『早わかりサブプライム不況』など。
日本銀行は6月16日、政策金利にあたる無担保コール翌日物金利の誘導目標を、それまでの0.75%程度から1.0%程度へと引き上げた。政策金利が1%台に戻るのは1995年以来、実に31年ぶりのことになる。日銀は同時に、今後も経済・物価・金融情勢に応じて政策金利を引き上げ、金融緩和の度合いを調整していく考えを示している。
いよいよ日本にも「金利のある世界」が戻ってきたようだ。
しかし、そうであるならば、われわれはまず、この30年近く続いた「金利のない世界」とは一体何だったのかを総括しなければならない。そして同時に、金利が復活するとは何を意味し、それが企業、家計、財政、そして日本という国の将来にどのような影響を及ぼすのかを考えておく必要がある。
金利とは、単に住宅ローンや預金の利息の問題ではない。金利はお金を借りる際のコストであると同時に、時間の値段であり、リスクの値段であり、通貨に対する信認を示す指標でもある。景気が過熱し、物価が上がりすぎれば、中央銀行は金利を上げて消費や投資を抑える。逆に景気が悪く、物価が下がるデフレ局面では、金利を下げて経済活動を刺激する。これが金融政策の基本的な考え方だ。
ところが日本は、バブル崩壊後の不良債権処理の遅れやデフレの長期化の中で、1990年代後半以降、政策金利をほとんどゼロ近辺に張り付かせる時代に入った。1999年にはゼロ金利政策が導入され、2016年にはマイナス金利付き量的・質的金融緩和に踏み込んだ。そのマイナス金利が解除されたのは2024年3月であり、そこから2年余りを経て、今回ようやく1%という水準に戻ってきたことになる。
今の30歳前後以下の世代は、物心がついてから「金利のある社会」をほとんど経験していない。企業経営者も、政治家も、われわれ生活者も、いつの間にか金利がないことを所与の条件として行動するようになっていた。国はいくら借金をしても当面は利払い負担が大きくならず、企業は低いコストで資金を調達でき、家計は預金に利息がつかないことを当然のものとして受け入れてきた。
しかし、金利がなかったことには、当然ながら副作用もあった。
本来、超低金利は、痛みを一時的に和らげている間に、次の成長に向けて産業構造を転換するための猶予期間だったはずである。ところが現実には、その猶予は十分には活かされなかった。低金利は、資金繰りに苦しむ企業を救う一方で、本来なら退出を迫られるはずの低生産性企業を延命させる効果も持った。借り換えさえできれば何とかなるという環境が続いた結果、企業の新陳代謝は進まず、労働市場の流動化も遅れ、成長産業への人材と資本の移動も十分には起きなかった。
つまり、金利の復活とは、単に銀行預金に少し利息がつくようになるという話ではない。長く日本経済を覆ってきたモルヒネが切れ始めるということでもある。
今回の利上げが、日本経済の力強い成長を背景にしたものであれば、それは通常の金融政策の正常化として歓迎できる。しかし、今回の日銀の説明を見る限り、背景にあるのはむしろ、中東情勢による原油価格上昇、円安、食料品価格の上昇、そしてインフレ期待の上振れである。日銀自身も、物価上昇が幅広い品目に波及し、基調的な物価上昇率が2%目標を上回るリスクに言及している。
つまり今回の利上げは、「景気が強すぎるから冷やす」というよりも、「物価と為替と信認の圧力に押されて、利上げせざるを得なくなった」という側面が強い。ここに、今回の局面の難しさがある。
しかも、通常であれば日本の金利が上がれば、円を買う動きが強まり、円高に向かってもおかしくない。ところが実際には、円安が止まっていない。6月末から7月初めにかけて円相場は1ドル162円台後半まで下落し、39年半ぶりの円安水準を記録した。
これは何を意味しているのか。
もちろん、日米の金利差はなお大きい。しかし、ゲストで経済アナリストの中空麻奈氏が指摘するように、より深刻なのは、円という通貨そのもの、ひいては日本の長期的な国力に対する市場の信認が揺らぎ始めていることではないか。金利が上がっても円が買われないということは、金利差だけでは説明しきれない日本売りの要素が入り始めている可能性がある。
奇しくも、日本の政策金利が最後に1%台にあった1995年は、日本の生産年齢人口がピークを迎えた年でもある。内閣府などの資料によれば、日本の15歳から64歳までの生産年齢人口は1995年をピークに減少に転じた。金利が低下していく過程と、働き手の数が減っていく過程は、ほぼ同じ時間軸で進んできたことになる。
人口が減り、働き手が減り、需要も供給力も細っていく。その中で、金利だけが復活する。これは、きわめて厳しい組み合わせである。
さらに、財政の問題もある。低金利は、日本の巨額の政府債務を支える最大の前提でもあった。財務省資料によれば、普通国債残高は2026年度末に1,145兆円に上る見込みとされている。金利が上がれば、当然、国債費、すなわち利払いと償還の負担は重くなる。巨大災害や有事に備えるためにも、財政に余力を持っておくことは国家の基本的な安全保障である。
にもかかわらず、政治の側では消費税減税や給付、あるいは大型投資の話ばかりが前面に出がちである。もちろん、成長投資そのものが悪いわけではない。高市政権は17の戦略分野に対し、2040年度までに官民合わせて累計370兆円超の投資を想定する成長戦略を打ち出しているが、問題は、その投資が本当に日本の稼ぐ力につながるのかということだ。
対象分野を広げれば広げるほど、政策は総花的になりやすい。AIも半導体も宇宙も量子もバイオも防衛も、すべて重要だというのはその通りだ。しかし、すべてが重要だという政策は、往々にして、どこにも十分な資源を集中できない政策になってしまう。
ここで問われているのは、単なる金融政策ではない。日本はこれからも右肩上がりの成長を目指すのか。それとも、人口減少を所与のものとして、より小さく、しかし持続可能な国の形を選ぶのか。強い日本を取り戻すために痛みを伴う構造改革を行うのか。それとも、石橋湛山的な小国主義の発想に立ち、限られた資源をどう分かち合うかを考えるのか。
どちらの道を選ぶにしても、金利のある世界では、ごまかしが利きにくくなる。
金利は、政治の先送りにも、企業の延命にも、家計の錯覚にも、いずれ価格をつける。借金にはコストがかかる。リスクには値段がつく。通貨への信認は無限ではない。その当たり前の現実が、約30年ぶりに日本社会の前に戻ってきたのである。
われわれは金利の復活を、日本経済を作り直す最後の警告として受け止めることができるのか。金利のある時代に戻るとは、単に金融政策が正常化することではない。それは、日本という国が、これ以上現実から目をそらすことを許されなくなるということである。金利の復活が意味すること、そして日本がこれからどのような国として生き残るべきなのかについて、かんぽ経済研究所主席研究員の中空麻奈氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。