誰のための何のためのイラン攻撃なのか
明治大学政治経済学部教授
上智大学総合グローバル学部教授
1961年東京都生まれ。85年東京外国語大学外国語学部ペルシア語学科卒業。88年同大学大学院修士課程修了。専門はイランを中心とする中東地域の国際関係とエネルギー安全保障。外務省在イラン日本大使館専門調査員、中東経済研究所主任研究員、外務省国際情報局専門分析員、国連アフガニスタン特別ミッション政務官、日本エネルギー経済研究所中東研究センター長などを経て2017年より現職。
「イランを石器時代に逆戻りさせてやる」
トランプ大統領が開戦直後に語った楽観的な見通しは、見事に裏切られ、それが壮大な誤算だったことが日に日に明らかになっている。イランの核開発を止めることが第一義的な目的だったはずのイラン攻撃は、いつの間にかホルムズ海峡の取り合いになり、今後戦況がどう変化したとしても、アメリカの立場は開戦前よりも大きく後退することが必至だ。そして、その間、日本を含めた世界経済はとてつもない損害を被っている。
2月28日のアメリカとイスラエルによるイラン攻撃から間もなく半年が経とうとしている。6月17日にはイランとアメリカが停戦に向けた覚書に署名し、事態は収束するかに思われた。しかし、合意直後から双方が停戦違反をし、イスラエルも停戦合意を無視した行動を続けたために、結局、イラン戦争は元の木阿弥になってしまった。はっきり言ってアメリカにとっては泥沼の様相だ。あれだけの凄まじい爆撃を受けても、イランは体制転覆どころか継戦能力を維持しており、むしろ一刻も早く抜けたいアメリカが戦争に引きずり込まれている状態だ。
イラン・中東情勢の第一人者で慶應義塾大学大学院教授の田中浩一郎氏は、イランの継戦能力がここまで持続している最大の理由は、アメリカ側の誤算にあると指摘する。破壊したと思っていた施設が実は破壊できていなかったことに加え、そもそもイランのミサイル発射能力の全体量、つまり分母の見積もりを大きく読み誤っていた。さらに、指導部を殺害した2月28日の攻撃で止めずに空爆を続けたことで、当初期待されていた体制転換を望む国内勢力が動けなくなり、結果的に体制を延命させることにつながっているという。
ハメネイ亡き後のイランでは、軍部が統治の実権を握り、三代目最高指導者となった次男モジタバ師は軍の上に立つのではなく、むしろ軍に取り込まれ、その名前だけが統治の正統性のために使われている状態だと田中氏は見る。そのイランが今、最優先しているのは国民生活の回復ではなく、再攻撃をさせない体制の構築だ。そして、ヒズボラなどを使った従来の前進防衛戦略が機能しなくなった今、イランが「棚ぼた」のように手に入れた切り札がホルムズ海峡の封鎖だった。
一方のアメリカは、パトリオットやTHAADなど高価な迎撃ミサイルの在庫を大量に消費し、米シンクタンク・戦略国際問題研究所(CSIS)の推計では補充に4〜5年を要する弾薬枯渇状態に陥っている。軍事的にホルムズ海峡を解放するにはイラン全土の占領が必要だが、それは現実的に不可能だと田中氏は言う。
しかもこの戦争の根底には、レジームチェンジを達成するまでやめたくないイスラエルが、アメリカが足抜けできない環境を作り続けているという構造がある。イスラエルにとって、イランの現体制は自国の安全保障に対する根本的な脅威であり、神話に根拠を持つ大イスラエル主義まで持ち出せば、イスラエルが安心できる条件を突き詰めた先に終わりはない。トランプ政権は、こうした思惑に引きずり込まれ、自国の国益を損ないながらも身動きが取れない状態に陥っているのだ。
戦争の長期化は、世界経済の急所である中東の海上交通路に深刻な打撃を与えている。イランは現在、自国の要求を押し通すためにホルムズ海峡を通行不能な状態に置き、アメリカに対して圧力をかけている。8月8日、イランは「ホルムズ海峡解放のための6条件」を提示し、イランに対する脅迫や侮辱の停止や、米軍による海上封鎖の解除およびイラン周辺からの撤退、戦闘による被害の全額賠償、制裁および資産凍結の解除などを求めている。
ホルムズ海峡の危機に加えて、イランが支援するイエメンの反政府武装組織フーシ派が紅海のバブ・エル・マンデブ海峡を封鎖する動きを見せている。これにより、中東の原油輸送ルートは事実上の「二重封鎖」状態に陥りつつあり、世界的なエネルギー供給網への懸念が急激に高まっている。
出口の見えない戦争は、中東地域の地政図をも塗り替えつつある。イスラエルのカタール空爆を機に生まれたサウジアラビア・パキスタンの防衛協定はトルコを加えた「メッカ共同防衛協定」へと発展し、アメリカの域内影響力の低下と表裏一体で、新たなパワーバランスが形成されつつある。田中氏は、アメリカが折れない限り膠着状態は続き、ホルムズ海峡が2月28日以前の状態に戻ることは当面ない、場合によってはトランプ政権期内の正常化すらないかもしれないと予測する。
現在、アメリカに残された選択肢は極めて少ない。イランの強硬な6条件を全面的に呑んで譲歩するか、あるいは数十万人規模の地上部隊を投入してイランを占領し、力ずくで海峡を解放するかのいずれかである。しかし、後者は莫大な人的・経済的コストを伴うため現実的ではなく、前者はアメリカの威信を決定的に傷つけることになる。
11月のアメリカ中間選挙に向けて政治的な駆け引きが激化する中、両国が妥協を見出す糸口は未だ見えていない。トランプ政権が自身の戦略的誤算とイスラエルの路線に縛られ続ける限り、このイラン戦争は長期化を免れないだろうというのが、田中氏の見立てだ。下手をすると現在のような膠着状態が、この先何年も続く可能性があると言うのだ。
石油・天然ガスの9割をホルムズ海峡経由に依存する日本にとって、これは決して対岸の火事ではない。既に日本経済は大きな打撃を受けており、早晩石油備蓄も底をつく。
そして今回のイラン紛争が露呈させたのは、合理的計算を欠いた指導者を民主的に選出してしまうという、民主主義そのものが抱える構造的な脆弱性でもあった。
8月15日、日本は81回目の終戦の日を迎える。先の大戦の後、不戦の誓いを立てたはずの日本は、今、憲法9条の改正も着々と準備が進む。高市首相の下、日本は武器輸出を再開させ、非核三原則すら絶対的なものではないとの考え方を見せるようになっている。
なぜこれだけ爆撃を受けてもイランの現体制は持ち堪えられるのか、軍事的に圧倒しているはずのアメリカはなぜイラン戦争から抜けられなくなっているのか、そして日本は今のこの状況とどう向き合っていけばよいかなどについて、イランを中心とする中東地域の国際関係を専門とする田中氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。