2015年11月21日
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安倍政権の放送法の解釈は間違っている

ニュース・コメンタリー (2015年11月21日)

 BPO(放送倫理・番組向上機構)がNHK番組の「やらせ疑惑」をめぐり、高市早苗総務相による放送への介入を批判したことに対し、政権側が激しく反論を繰り広げている。

 高市総務相と安倍晋三首相は11月10日の衆議院予算委員会で、放送法は総務相が放送局に対して行政指導を行う権限があると解釈していることを明らかにした。

 「BPOというのは、法定の機関ではないわけでありますから、まさに法的に責任を持つ総務省が対応するのは当然であろうと思う。」安倍首相はこのように語り、放送法の4条は放送局への政府の指導を認めているとの認識を示した。

 また、自民党がNHKの幹部を呼びつけて事情を聞いたことについて、BPOが「政権党の圧力そのもの」と批判したことについても、安倍首相は「予算を承認する責任がある国会議員が事実を曲げているかどうかを議論するのは当然のこと」と語った。

 確かに放送法の4条は放送事業者に対して政治的な公平性や事実を曲げないことなどを求めている。

 しかし、放送法はその第1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること」を定めている。映画監督でBPOのメンバーを務める映画監督の是枝裕和氏が自身のブログで指摘するように、放送法を審議していた1950年の衆院電気通信委員会で当時の綱島毅電波監理庁長官が、この条文はそもそも放送事業者ではなく、政府に対して向けられたものであると答弁している。

 つまり、放送法の第1条は放送局を縛ることを意図としたものではなく、放送局に対して政治に介入されることなく、不偏不党や真実を貫く権利を保障している条文だったのだ。また、そこで言う不偏不党や真実といった条件は、放送局自らが「自律」的に担保すべきものであることも、同条文は明確に謳っている。

 それを前提に政治な公平性や事実を曲げないことを求めている第4条を読めば、これらの条件も放送局が自律的に担保すべき基準と考えるのが自然だ。同じ法律の第1条で政治の介入を禁止しておきながら、第4条で政治が介入してもいいと書かれていると解釈することには無理がある。

 そもそも日本国憲法21条は表現の自由や検閲の禁止を定めている。まず憲法21条が大前提として存在し、その下で放送法が第1条で権力の介入の禁止や放送局の自律的な不偏不党性や真実性の追求する権利を定めている。そして第4条で第1条で示した不偏不党性や真実性の具体的な要素として、政治な公平性や事実を曲げないことなどを挙げているということになる。

 しかし、安倍首相や高市総務相の国会答弁では、憲法21条と放送法の1条と4条があたかも同じ優先順位で並列に存在しているかのような認識が示されている。憲法21条と放送法1条の存在を無視して、全く独立した法律の条文として放送法4条を読むことによって、放送局には「政治な公平性」や「事実を曲げないこと」が求められているので、これに違反した場合は行政が介入できると強弁することが可能になると強弁しているに過ぎない。

 これは元々それほど難しい問題ではない。憲法21条で表現の自由や検閲の禁止が保障されている以上、放送法がそれを認めることはそもそもあり得ない。放送という媒体の希少性や特殊性を考慮に入れても、公平性や真実性の制約は放送局が自律的に課すものでなければならないことは明白だ。また、もし放送法が高市総務相や安倍首相の答弁したように解されるのが正しい法解釈だとすれば、単にそのような放送法は憲法違反ということになるだけだ。

 なぜ今日の日本では明白に憲法に抵触する、ありえないような法解釈がまかり通るのか。なぜ放送局はこのような法外な政府の解釈に反発しないのか。次々と表現の自由が切り崩されている現状について、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 その他、原発事故直後に国外に避難したことで契約を解除された元NHKフランス人キャスターに勝訴判決など。

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