2010年10月16日
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なぜ今、生物多様性なのか

マル激トーク・オン・ディマンド 第496回

 ひとたび超えてしまったら二度と元には戻らない、生物多様性の「転換点」(tipping point)が明日にも、迫っているかもしれない。
 生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が18日から、名古屋市で始まる。この会議は国連が主催する大規模な国際環境会議としては昨年12月のコペンハーゲンのCOP15以来のもので、日本で開かれる会議としては、京都議定書が採択された1997年のCOP3京都会議以来最大のものとなる。
 しかし、地球温暖化会議と比べて、今回の生物多様性会議はメディア報道も低調で、一般市民の関心も必ずしも高いとは言えない。その背景には、そもそも生物多様性とは何なのか、またなぜそれを世界の国々が一堂に会して話し合わなければならないほど重要なのかが、十分に理解されていない面がありそうだ。
 そこで今週のマル激は、「生物多様性とは何か」の著者で科学ジャーナリストの井田徹治氏とともに、生物多様性の意味と、その重要性について考えた。
 たとえば、森林を伐採して農地を開拓した場合、われわれは木材を売り、農地から作物を得ることで経済的な利益を得る。しかし、森林を破壊すると、単に自然が破壊されるだけでなく、その下で生息する微生物や動植物など様々な生物が失われ、それらが作り上げている生態系そのものが破壊される。そして、たとえ後に植林をしたとしても、一度壊れたこの生態系は二度と元には戻らない。
 われわれ人類はほんの20年ほど前まで、そこで破壊された生態系の本当の価値を理解することができていなかった。井田氏は、環境破壊が悪いと言われていても、それが不可逆的な生態系の破壊に及ぶことまで、われわれ人類の知識や理解が及んでいなかったため、対応が不十分だったと話す。つまり、いったん森林を破壊すると、再び植林をするだけでは、不十分である可能性が高いというのだ。また、同じく森林破壊を例に取るならば、木材の売却や跡地利用から得られる価値よりも、元の生態系から得られる「生態系サービス」の価値の方が遙かにに大きいことも、次第に分かってきたという。
 1992年にブラジルのリオで開催された国連地球サミットで、後に京都議定書につながる気候変動枠組み条約と共に生物多様性条約が採択され、「生物多様性」という概念が共有されるようになった。その結果、人類は目先の利益のために、実は大きな損害を自らに課していることが、次第に明らかになってきたと井田氏は言う。
 自然の恵みの経済的価値を客観的に評価する取り組みも始まっている。たとえば、08年のCOP9の議長国ドイツが中心となって世界中の研究や論文をまとめた「生態系と生物多様性の経済学(TEEB)」の中間報告などでは、マングローブ林の保護や植樹のためのコストは、堤防の維持費用の節約になっているとした。値段をつけることに反対をする意見もあるが、大切なことは、これまで生態系サービスの価値がきちんと評価されていなかったことであり、それが生態系の破壊が進んだ原因のひとつになったと井田氏は話す。
 今年5月、生物多様性条約事務局などがまとめた報告書は、現在地球の生物多様性は「転換点(tipping point)」にさしかかっていると警告している。tipping pointとは、生物多様性への影響がある段階を超えると、再び元に戻ることが不可能で、不可逆的、かつ急激な崩壊が始まる地点のことをいう。井田氏は、個別にはすでにそのような現象が起きている事例が現れているという。たとえば、暫減を続けてきたカナダのタラがある日突然いなくなり、92年に商業捕獲を一時停止した。当時は数年捕獲を控えれば元に戻るだろうと考えられていたが、一向に回復せず、03年に無期限の捕獲禁止となったままだ。このような現象が、生態系のさまざまな部分で起きていると見られ、それが世界的に広がる可能性が懸念されていると井田氏は話す。
 しかし、そうした問題に対して、今回のCOP10で実効性のある合意に漕ぎ着けることは容易ではないと井田氏は言う。それは、地球温暖化の議論と同様に、生態系を利用し破壊してきた先進国と、今になって生態系を守れと言われては、発展の機会を奪われてしまうと主張する途上国の間の対立が、生物多様性問題でも先鋭化しているからだ。
 特に、生物多様性問題の中の重大な課題となるABS(遺伝資源へのアクセスと利益配分)に関する国際ルール作りは、これも地球温暖化と同様に、もっとも遺伝資源の利用で利益をあげているアメリカが、そもそもこの条約を批准していない。
 一方、海によって外界と隔絶されている日本は、世界に34ある生物多様性の「ホットスポット」の一つだ。それは、日本には豊かで貴重な生態系がある一方で、その多くが危機に瀕していることを意味する。井田氏は、途上国は生物多様性の貴重さを自覚していないとよく言うが、日本人もそのことを知らないと指摘する。
 地球上では有史以来5回、生物多様性の大崩壊がおき、そのたびに地球上の生物はそれを乗り越えて繁栄をしてきた。そのおかげで今、われわれ人類は存在する。井田氏は、現在進行中の生物多様性の急激な崩壊は、既に地球にとっては6度目の大崩壊となっているという。そして、今回の大崩壊と過去5回のそれとの最大の違いは、過去のそれが隕石の落下などの不可避な自然現象が原因だったのに対し、今起きている大崩壊は人類が人為的に起こしているものであるという点だろう。そして、人為的に起こしているものだからこそ、われわれには選択肢がある。
 今われわれはどのような選択をすべきなのか、井田氏とともに議論した。

 
井田 徹治いだ てつじ
(共同通信科学部編集委員)
1959年東京都生まれ。83年東京大学文学部卒業。同年共同通信社入社。科学部記者を経て01年から04年まで、ワシントン支局特派員(科学担当)。08年より現職。著書に『ウナギ』、『生物多様性とは何か』など。  

 

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