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2018年10月13日
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トミー・ジョン手術の多発を進化と倫理の視点から考える

山崎哲也氏(横浜南共済病院スポーツ整形外科部長)
マル激トーク・オン・ディマンド 第914回(2018年10月13日)

 今週のテーマは野球。しかし、野球というスポーツの話というよりも、どちらかというと人類の進化の話であり、ビジネス倫理の話になる。

 野球、とりわけその頂点にあるアメリカのMLB(メジャーリーグ・ベースボール)は目下、空前の繁栄を謳歌している。この瞬間もMLBでは、世界一を決めるワールドシリーズの前哨戦となるリーグ優勝決定戦で盛り上がっているが、MLBは今や年間興行収入が100億ドル(1兆円)を超え、1年あたりの契約金が30億円を超える選手がゾロゾロいる、巨大ビジネスだ。

 しかし、その繁栄の陰で、とんでもない医学的かつ倫理的な問題が生じている。それはMLBの投手の約3割が、キャリア中に最低一度はトミー・ジョン手術と呼ばれる肘の靱帯の移植手術を受けなければならない状態に追い込まれているということだ。MLBという巨大ビジネスが、一握りの恵まれたアスリートの肘の靱帯の犠牲の上に成り立っている状態、と言っても過言ではないかもしれない。

 MLBには現在、日本でいうところの「1軍選手」(40人ロースター+故障者リスト)の中に729人の投手がいるが、何とそのうち220人が一度はトミー・ジョン手術を受けている。手術後の回復が思わしくないために引退に追い込まれたり、MLBの選手登録を外され下部リーグや海外でのプレーを余儀なくされた投手も少なからずいるので、正確な数値を割り出すことは容易ではないが、単純計算でもMLBの投手の約30%はキャリア中に一度はその手術を受けている計算になる。中には2度、3度と手術を受けている選手もいる。

 この手術は正式には「肘内側側副靱帯再建術」と呼ばれ、最初の成功例となったスター選手の名前を冠して「トミー・ジョン手術」の愛称で呼ばれているが、その実は全身麻酔の上、断裂した肘の靱帯を取り除き、代わりに手首などから除去しても影響がないとされる腱を取ってきて、肘の骨にドリルで穴を開けて縫い付けるという、大がかりな外科手術だ。医療技術が進歩したおかげで、1年から1年半のリハビリに耐えれば、9割の人が元通りのピッチングができるようになるというが、それでも1割の選手は選手生命を失う危険な手術でもある。

 松坂大輔、ダルビッシュ有、藤川球児、和田毅ら、日本のプロ野球から鳴り物入りでアメリカに渡った、謂わば「日本野球界の宝」も、渡米後数年以内に肘の靱帯の断裂を起こし、この手術を受けている。田中将大と前田健太は今のところトミージョンは回避してプレーを続けているが、いずれも肘の靱帯に断裂が見つかっている。そして、10月1日には投手と打者の二刀流で日本中の話題をさらった大谷翔平も、そのリストに名を連ねることになってしまった。

 スピードガンで表示される「160キロの剛速球」は、今や野球の最大の魅力の一つとなっているが、人間がこのような速い球を投げるためには、肘にかなりの無理がかかる。肩関節を大きく外旋させ肘関節を強く手前に引いた上で、肘の関節が反発する力を利用して、腕を強く前方に振り抜くことによって、剛速球は生まれる。肘の関節が最も伸びきった状態を「コッキング後期」と呼ぶが、そこから前腕を前方に加速させる直前に強大な外反ストレスが、一球ごとに肘の内側側副靱帯に加わることになる。

 スポーツ整形が専門でNPB(日本プロ野球)球団横浜DeNAベイスターズのチームドクターを務める山崎哲也・横浜南共済病院整形外科部長は、そもそも人間の肘の靱帯はそれだけの衝撃に耐えられるようにはできていないため、このような運動を繰り返すたびに、肘の靱帯に小さな断裂が起きるのだという。その断裂が微細なもののうちは、一定期間休ませれば、切れた靱帯はある程度まで再生されるが、十分な休息を取らないと大きな断裂につながる。大きな断裂が起きると、靱帯はもはや自力では再生されない。そしてそれを繰り返せば、最後は肘の靱帯が完全に切断されて肘が固定されていない状態になってしまう。部分断裂の状態でも痛みや腫れが出る場合が多く、完全断裂まで症状が悪化されるまで放置されるのは希だ。特にアメリカでは選手生命などを考慮に入れた上で、部分断裂の段階で手術に踏み切る選手が多い。

 数ある動物の中で、肩の関節がここまで大きく回るのは人間だけだ。これは人間が進化の過程で獲得した特別な能力といっていい。それによって人間は槍や銛などの武器を使って獲物を狩ることが可能になり、そうして確保した大量のタンパク源のおかげで、他の動物よりも大きな脳を持つようになったとされる。そして、20世紀後半以降の栄養学やウエイトトレーニング理論の発達などによって、人間は遂に160キロの剛速球を投げるために必要な筋肉で全身を纏うことが可能になった。

 しかし、人間の肘は、円周9インチ、重さ5オンスの硬式野球のボールを160キロで投げる際に加わる衝撃に耐えられるようにはできていない。山崎氏によると、トレーニングによって肘の靱帯周辺の筋肉を鍛えることは可能だが、靱帯そのものを鍛えることはできないのだと言う。

 MLBの年間のトミー・ジョン手術の施術数は毎年上昇傾向にあり、そのカーブは投手の速球の平均速度の上昇カーブとほぼ比例している。このままでは、類い希な優れた身体能力を持って生まれ、野球選手としては最高峰のプロ投手に登り詰めた「選ばれし若者」の大半が、肘にトミー・ジョン手術の手術痕をつけているというような、異様な状況になりかねない。いや、既にそのような状態になりつつある。

 今月25日、日本ではプロ野球のドラフト会議が開かれる。その最大の目玉とされるのが金足農業の吉田輝星投手だが、日本の野球界はその「球界の宝」に、甲子園で13日間で881球の球を投げることを強いた。あえて「強いた」という表現を用いたのは、指導者から「まだいけるか」と言われて、「もうダメです」と言える選手がほとんどいないのは、特に子どもの場合、常識だと考えるからだ。吉田投手は一試合平均で約140球、県予選も含めるとこの夏の公式戦だけで何と1,517球もの球を投げている。特に8月17日の甲子園3回戦から8月21日の決勝戦までの6日間はほぼ連投で570球も投げているのだ。吉田投手の場合、幸いにも今のところ故障の話は出ていないようだが、彼は高校生だ。本人が何と言おうが、ある程度以上は投げられないルールを作るか、指導者が無理矢理やめさせる必要があったのではないか。

 トミー・ジョンの多発に衝撃を受けたアメリカでは、リトルリーグから大学まで、一人のピッチャーが1日に投げていい球数や、何球以上投げた場合は、最低何日は空けなければならないなど細かい投球制限がルール化されるようになっている。日本でもリトルリーグやシニアリーグにはその基準があるが、なぜか高校野球だけは投球制限の導入を頑なに拒んでいる。

 夏の風物詩となった甲子園に憧れて、多くの子どもたちが野球を始める。また、甲子園はメディアにとっても視聴率や売り上げを稼げるドル箱興行だ。確かに、準決勝で完投した剛速球のエースが翌日の決勝では投げられないようなことになれば、興行としての甲子園の盛り上がりに水を差すことになるかもしれない。しかし、高校生に投球数の制限を設けずに投げさせている今の状態は異常としかいいようがない。

 山崎氏は今後、トミー・ジョン手術が増え続けるような状態に陥るのを避けるためには、投球フォームの改善や怪我を防止するトレーニングの研究、投球数に応じて必要となる休息の期間、球種による肘の靱帯への負担の違いの解析等々、まだまだやるべきことはいろいろあるが、まずは練習段階から投球制限を設定し、それが遵守される体制を作る必要があるのではないかと語る。肘の疲労の蓄積が、靱帯の断裂の原因になっていることだけは間違いないからだ。

 アメリカではプロフットボールでも、引退後の選手が後遺症に苦しんだり若くして死亡したことなどを受けて、選手の脳震盪が大きな問題となり、新たなルールが導入されている。野球についても、一部のアスリートが文字通り「身を削りながら」支えている現在の状態を放置していいのだろうか。また、こうした構造的な問題に対して、野球界やスポーツ界、またそこから大きな恩恵を受けているメディアに自浄能力は期待できるのだろうか。山崎氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

 
山崎 哲也(やまざき てつや)
整形外科医・横浜南共済病院スポーツ整形外科部長
1961年新潟県生まれ。87年滋賀医科大学医学部医学科卒業。横須賀共済病院整形外科医長、横浜市立港湾病院整形外科副医長、横浜南共済病院整形外科医長などを経て2002年より現職。横浜DeNAベイスターズチームドクター、関東学院大学ラグビー部チームドクターなどを兼務。

 

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