高市政権の下で情報公開は進むのか
14年前の大惨事が嘘のように、原発の再稼働に向けた動きがあちらこちらで活発化している。
しかし、その一つ、茨城県東海村の日本原電東海第二原発では、再稼働の条件となる避難計画をめぐり、大きな疑問が浮上している。東海第二原発は事故の際の避難の対象となる30キロ圏内に水戸市などの大都市を抱えているため、なんと周辺住民約94万人を安全に避難させる計画を策定しなければならない。移動手段という意味でも、また受け入れ先の確保という意味でも現実的には不可能に近いと思われるこの条件をクリアしなければ、東海第二原発は再稼働ができないからだ。
同原発は水戸地裁から2021年に、住民避難計画の不備を理由に運転差し止めを命じられている。このことからも現在の避難計画はそれ自体にも大きな問題があることは明らかだが、より深刻な問題は、茨城県が策定した避難計画がどのような根拠に基づいて作られたものなのか、その策定プロセスの情報公開請求に対して、県がことごとく情報の開示を拒否していることだ。積算根拠や決定プロセスがわからないまま、最終的に「これが避難計画です」というもっともらしい資料を見せられても、市民はその妥当性を判断するのが難しい。
問題の核心は、県が避難先の収容人数を算定する際に用いた「1人あたり2平方メートル」という基準だ。県の避難計画では避難先となる体育館や公民館、学校などの建物が、その床面積全体をこの数値で機械的に割り、受け入れ可能人数として積み上げていた。しかし床面積の中には廊下やトイレ、玄関、倉庫など、実際には人が寝泊まりできないスペースも多く含まれており、現実の収容能力とは大きく乖離している可能性が高い。それでもなお、90万人超を「避難可能」とする数合わせの土台にされていた。ほとんどの情報公開請求が却下される中、出てきた僅かな文書からも、この重大な問題点が明らかになっているのだ。
こうした実態は、原発問題を追ってきた記者らによる情報公開請求で明らかになった。茨城県は当初、避難所調査の事務連絡や市町村からの回答について「文書不存在」と回答。ところが後に、担当職員の「手持ちファイル」から関連資料が見つかり、当初は「個人文書」と主張していたものが、審査会の判断で公文書と認定される事例も相次いだ。保存期間5年を理由に重要資料を廃棄したと説明する場面もあり、長期にわたる避難計画づくりとしては異例のずさんさが露呈した。
また、避難時に甲状腺被ばくを抑えるために配布される安定ヨウ素剤についても、配布方針案の一部は開示されたものの、具体的な施設名や保管場所は「盗難やいたずらの恐れ」「事務事業に支障」として不開示とされた。審査会は一部について開示を認めた一方で、施設名などは不開示を容認しており、「本来は住民にこそ知らされるべき情報ではないか」との批判が残る。
さらに課題を複雑にしているのが、原発政策と防災の所管が縦割りに分かれている構造だ。原発の安全審査は原子力規制委員会、運転期間延長などは経産省、避難計画は内閣府と、意思決定のラインが分断されている。原子炉は新規制基準に「適合」とされ再稼働への道が開かれる一方で、肝心の避難計画は市町村任せのまま整備が追いつかず、水戸市のように30キロ圏内の全住民が対象となる自治体では、いまも計画が完成していない。
能登半島地震を受け、全国の原発30キロ圏内自治体の多くが避難計画の見直しを迫られている。人口密集地に隣接する東海第二原発は、その象徴的なケースだ。行政が「大丈夫」として示すカラフルな避難先地図の裏に、過大な収容人数と不完全な情報公開がないか。住民の命を左右する計画で「セーフティーネットのない綱渡り」を続けてよいのかが、いま改めて問われている。
東海第二原発の避難計画の問題点とその情報公開の実態について、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子とジャーナリストの神保哲生が議論した。