学術会議の任命拒否問題で菅政権が掘った墓穴とは

東京都立大学法学部教授


日本学術会議を特殊法人化する日本学術会議法案が5月13日、衆院本会議で自民党、公明党、日本維新の会などの賛成多数で可決し、参院に送られた。
学術会議は法案が通れば学術会議の独立性が損なわれ学問の自由が脅かされるとして、歴代の議長が5月20日に記者会見を行い、法案の問題点を厳しく指摘した上で、法案への反対の意思をあらためて明確に示したが、参院では自民公明の与党が過半数を占めるため、法案の成立は確実な情勢だ。
法案の審議と並行して、学術会議絡みではもう一つ重要な動きがあった。
学術会議の会員の任命を巡り政府が従来の解釈を変更した際に、政府内でどのような議論が交わされたのかを示す文書の情報公開を求める裁判が提起され、衆院で法案が可決した3日後の5月16日に、その判決が東京地裁で言い渡された。判決は情報を開示せよというものだった。
そもそも今回の法改正は、政府が学術会議の会員の首相任命権をめぐり従来の解釈を変更したことに端を発していた。
日本の科学界の最高峰となる「ナショナルアカデミー」に位置づけられる日本学術会議は、先の戦争に科学が協力したことの深い反省の上に1949年に発足した国の機関で、会員には科学の分野で実績のある科学者たちが任命されてきたが、従来その会員は会議側が推薦した候補を内閣総理大臣がそのまま任命するのが慣例となっていた。
ところが2018年の安倍政権時に政府は突如としてその法解釈を変更し、内閣府の学術会議事務局は「首相は推薦通りに任命すべき義務があるとまではいえない」などとする文書をまとめていた。
現行法の下では学術会議は国の機関であり、会員の任命権は内閣総理大臣にあるが、それはあくまで形式的なものであり、基本的に会議側が推薦する会員を首相は追認してきた。科学者を評価するのは科学者に任せるのが適切という理由もあるが、何よりも科学が政治の影響を受けることがないようにすることにその大きな目的があった。1949年の会議発足時に当時の吉田茂首相が学術会議の独立性を明言しているし、1983年には中曽根康弘首相が国会答弁の中で、首相の会員任免権は形式的なものと説明していた。
今回の情報公開訴訟は、長らく形式的とされてきた首相の任命権が、2018年になって、首相には推薦された委員を拒否する実質的な権限があるという形に法律の解釈が変更された際に、政府内でどのような議論があり、どのような根拠で法律の解釈が変更になったのかを示す文書の公開を求めるというもの。立憲民主党の小西洋之参院議員が提訴した。
政府はそもそも首相の会員任命権をめぐる法解釈は変更されていないと主張し、そのため関連した文書はその結論に至るまでの途中経過を示すものに過ぎないため、そのような文書を出すことが公共の利益に資するものとはならないという立場から、文書の開示を拒否していた。
16日の判決によって文書の公開が命じられたが、国側が控訴する可能性もあり、いずれにしても現在審議されている法案が参院で可決される前に情報が出てくるかは微妙な情勢だ。
しかし、今回の裁判では情報公開審査会が非開示が妥当と国側に味方する判断を下していたにもかかわらず、東京地裁の篠田賢治裁判長があえて文書の開示を命じる判決を出したことは画期的と言える。判決の中で篠田裁判長は「法解釈が整理される経緯や理由は国民に十分に明らかにされる必要があり、公益性は極めて大きい」と述べている。
今回のディスクロージャーは、首相による学術会議の委員の任命権をめぐる法解釈がどのように変更されていったのか、また裁判でその文書の公開が命じられたことにはどのような意義があるか、政府が勝手に法律の解釈を変更しその経緯を説明しないことの危険性などについて、情報公開クリアリングハウス理事長の三木由希子氏とジャーナリストの神保哲生が議論した。