2015年11月28日
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TPPで日本の農業は安楽死する

山下一仁氏(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
マル激トーク・オン・ディマンド 第764回(2015年11月28日)

 TPPに反対する人たちの多くは、関税が引き下げられることによって日本の農業が壊滅的な打撃を受けることを懸念しているという。

 しかし、元農水省の交渉担当官で農業貿易に詳しい山下一仁氏は、それはまったく杞憂で、TPPそのものは日本の農業にほとんど影響を与えないと言い切る。それはTPP交渉を担当した甘利明経済財政相をはじめとする日本政府の交渉官がうまく交渉を進めた結果と見ることもできるが、同時に山下氏はそのことで、日本の農業は絶好の改革の機会を逃してしまったと残念がる。

 TPPは日本の農業にとって、世界と競争できる農業に脱皮するための千載一遇のチャンスだった。しかし、おそらくアメリカを含むTPPの交渉参加国は日本の複雑な農業保護の仕組みを十分に理解できていなかった可能性があると山下氏は言う。そのため、TPPの合意文書の文言を見る限り、一見関税の引き下げなどに同意しているように見えるが、実質的には日本の農業の保護体質、しかも零細な兼業農家を保護することで競争力を落としている体質は、そのまま温存されることになった。また、コメに代表されるように、実際に市場を開放した部分については、様々な形で政府や政府系の機関が税金を投入して市場に介入し、現在の市場価格を維持する仕組みも温存された。

 その結果、これからも日本の農業人口も農地面積も減り続け、このままでは日本の農業は安楽死の道を歩むことになるというのが、山下氏の指摘するところだ。

 実は山下氏は元々TPP賛成派だった。TPPによって日本の農業を幾重にも保護している複雑な障壁が取り払われれば、日本の農業が世界で戦う農業に脱皮できる可能性が広がる。また、これまで政治的な理由から変革が困難だった日本の農業の構造的な問題が一掃されれば、米価をはじめとする食料価格も下がり、消費者も大きな恩恵を享受することができる。TPPという外圧によって長年日本の農業の成長を妨げてきた国内問題の解決が図られることに、山下氏は多少なりとも期待を抱いていたという。

 結局、自民党政権は来年に参院選を控え、JAを始めとする農業票離れが怖かったのだ。しかも、さらにたちの悪いことに、TPP自体は日本の農業にはほとんど影響を与えないにもかかわらず、自民党政権はTPP対策と称して、様々な予算措置を講じる構えを見せている。1990年代のガット・ウルグアイラウンドでも、同じことが起きた。実際にウルグアイラウンドの交渉官だった山下氏は、自民党は日本に全く影響の出ない合意を勝ち取ったことを知りながら、総額で6兆円を超えるウルグアイラウンド対策費なる予算を計上し、それを選挙用のばら撒きに使った。本来の建前だった農業の基盤整備では予算が消化しきれず、その多くが事実上の公共事業に転用されたという。

 TPPで僅かに市場開放が進んだ部分については税金を投入することで非効率な零細兼業農家が守られる。そして、現在の農産物の高い市場価格は維持される。その上にその「対策費」と称して、多額の税金が使われる。これでは市民は3重苦を負わされるだけだ。しかも、そのために日本の農家は衰退の一途を辿ることになり、究極的には国民の食料安全保障も脅かされることになるというのだから、4重苦と言っていい。

 こうした問題への山下氏の処方箋は明快だ。まずは関税や障壁を取り払い、世界で戦える農業を目指す。それでもどうしても競争できず、影響を受ける分野に対しては、農業の特殊性に配慮し、政府の直接支払いによる所得補償を行う。競争力のある分野を伸ばしつつ、農業という食料安全保障にもかかわる産業の特殊性に鑑みて、守るべき部分は守ることによって、全体として農産物の価格は下がり、消費者も恩恵を受ける。

 この対策が政治的に難しい理由はただ一つ、選挙だ。選挙を抱えた政治家は、少数を対象とする農業対策ではなく、不特定多数の農業票を集めやすいバラマキに傾き易い。もちろんその時は、対策の効果などは度外視される。農水省の役人は族議員に嫌われてしまえば役人としての将来がないため、政治には従順にならざるを得ない。マスコミも何に遠慮しているのか定かではないが、日本の国家100年の計にもかかわる重大なこの問題を、厳しく追及する姿勢は見えない。そのため、踏んだり蹴ったりの扱いを受けている一般市民にはなかなかそのことが知らされない。

 TPPで日本の農業はどう変わるのか、あるいは変わらないのか。日本の農業が抱える構造的な問題を解決するためにどうすればいいのかなどを、ゲストの山下一仁氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

 
山下一仁やました かずひと
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹

1955年岡山県生まれ。77年東京大学法学部卒業。同年農林省(現農林水産省)入省。ガット室長、地域振興課長、農林振興局次長などを経て2008年退官。経済産業研究所上席研究員を経て10年より現職。農学博士。著書に『日本農業は世界に勝てる』、『農協解体』など。 764_yamashita
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