TPPで日本の農業は安楽死する
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹
1958年三重県生まれ。82年東京大学農学部農業経済学科卒業。同年農林水産省入省。農業総合研究所研究交流科長などを経て、98年退職。同年九州大学農学部助教授、同大学大学院教授を経て06年より現職。農学博士。07〜10年農水省「食料・農業・農村政策審議会」委員を兼務。著書に『現代の食料・農業問題』など。
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加の是非が、政治の大きな争点となる中、今後の日本の農業のあり方をめぐる議論が、熱を帯びてきた。11月30日、菅首相が本部長を務める「食と農林漁業の再生推進本部」が初の会合を開いた。しかし、貿易自由化を機に農業改革を進めれば、日本の農業は世界と渡り合える競争産業に脱皮することができるという話は、本当に実現可能なものなのだろうか。
TPPとはアメリカ、オーストラリアなど9カ国間の関税の完全撤廃を主眼とする自由貿易協定だが、農業経済学が専門の鈴木宣弘東京大学大学院教授は、日本のTPPへの参加をめぐる議論は、やや性急にすぎるとの懸念を表明する。
そもそも日本のTPPへの参加推進論の背後には、日本はこれまで農業問題が障害となり、他国との経済連携協定(EPA)や自由貿易協定(FTA)が進まないことに対する苛立ちがあるという。そのため、この際、全品目の関税を100%撤廃するTPPへの参加を、半ばショック療法として推進してしまおうという側面があると、鈴木氏は指摘する。しかし、今日本が、いきなりTPPに参加することになれば、コメなど農業が壊滅的な打撃を受けることは避けられないと鈴木氏は言う。
とは言え、これまで日本では農業の合理化が、遅々として進まなかったことも事実だ。食料自給率は下がり続け、農業就業人口、農地面積は減少し、65歳以上が6割を占めるなど担い手の高齢化も進んでいる。日本の農業の衰退が放置され、いよいよ「ショック療法」が必要なところまで追い込まれてしまったのはなぜか。
鈴木氏は、政府や農協など政策・生産サイドが、消費者や国民に「農の価値」を伝えてこなかったことに、その原因の一端があるとの考えを示す。その努力が足りなかったため、農業を守るいかなる政策も「農家のエゴ」とみなされ、消費者にこれを自分たち自身の問題として、とらえてもらえなかったというのだ。
鈴木氏は、例えば、フードマイレージやバーチャル・ウォーター、窒素負荷など農業が果たしている役割を数値化して示すことで、農業が人々の命を守っていることを消費者や国民に理解をしてもらうことも可能になるし、その価値に見合った予算も堂々と得ることができると提案する。
また、農業政策についても、意欲ある農家の創意工夫を削ぐコメの生産調整(減反)政策を転換し、輸出も含め販路を拡大することで米価を維持するような新しい政策を、柔軟に実施していくことが必要だと話す。
また、日本の農業の合理化が進まない原因としてJA(農協)の存在が指摘されるが、鈴木氏は農協抜きでは地域は回っていかないと指摘する。そのため、いたずらに農協を批判するのではなく、担い手がいなくなった耕作放棄地の経営を農協に委ねるなど、農協にはこれまで長年かけて蓄積してきたノウハウを生かして「地域を守る」役目を果たさせるべきだと、鈴木氏はそうした農協の役割に、むしろ期待を寄せる。
TPPを機に再び沸き起こった農業改革の機運を受けて、われわれは今後農業をどのように変革していくべきなのか、ジャーナリストの武田徹と社会学者の宮台真司が、屈指の農業経済の専門家である鈴木氏と議論した。