1950年東京都生まれ。68年都立新宿高校卒。独学で哲学を学ぶ。70年代に群馬県上野村に移住。2001年NPO法人森づくりフォーラム理事。04年立教大学21世紀社会デザイン研究科教授、09年同退職。専門は存在論、労働論、自然哲学など。著書に『貨幣の思想史』、『怯えの時代』、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』など。
2017年の最初のマル激はゲストに哲学者の内山節氏をお招きし、ブレグジットやトランプ旋風に揺れた2016年を振り返るとともに、ますます生きにくくなってきたこの時代を如何に生き抜くかについて、神保哲生と宮台真司が議論した。
高校を卒業後、独学で哲学を学びつつ、群馬の山村に移り住み、地域社会と関わりながら独自の世界観を開拓してきた内山氏は、まず国家が人々の幸福を保障できる時代がとうの昔に終わっていることを認識することが重要であると語る。
先進国が、かつて植民していた途上国からただ同然で資源を調達できたことに加え、工業生産による利益を自分たちだけで独占できた時代は、先進国の政府が国民に対してある程度の豊かさを保障することが可能だった。しかし、そのような時代が長く続くはずがなかった。グローバル化の進展で、先進国から新興国へ、そして途上国へと富の移転が進むにつれ、先進国は軒並み、これ以上大きな経済成長が期待できない状況に陥っている。閉塞を打破するためのイノベーションが叫ばれて久しいが、そのような弥縫策で乗り切れるほど、この停滞は単純なものではない。昨今の先進国の経済停滞が構造的なものであることは明らかで、そうした中で無理に成長を実現しようとすれば、弱いセクターを次々と切り捨てていくしかない。当然、格差は広がり、共同体は空洞化し、社会は不安定化する。
内山氏はむしろ、これまでの考え方を根本から変える必要性を強調する。国家に依存することに一定の合理性が認められた時代は、国家が提唱する価値基準を受け入れ、学歴や出世のために頑張って競争することにも意味はあったかもしれない。しかし、国家がわれわれを幸せにすることができないことが明らかになった今、この際つまらない座席争いからは離脱し、自らの足で立ち、自ら何かを作る作業に携わってみてはどうかと、内山氏は語る。それは単なる「物作り」とか「手に職を」といった類いのものだけではなく、例えば共同体を作るといった作業も含まれる。
これまでの方法で国家が人々を幸せにできなくなった時、人々は2つの選択肢に頼るようになる。一つは、これまでのルールや価値観を曲げてでも、より強いリーダーシップを発揮できる指導者を待望することで、ロシアのプーチンやハンガリーのオルバーン、フィリピンのドゥテルテなどにその兆候は顕著だったが、ここにきて遂にアメリカまでトランプ大統領を誕生させるに至った。もう一つが、新たな枠組みを模索する動きだ。アメリカ大統領選でもサンダース候補を支持する若者の間にその萌芽が見えたが、実際は世界中で新たな社会のかたちを模索する動きが始まっていると内山氏は指摘する。
その2つの動きのうち、今後、どちらが優勢になるかはわからない。しかし、これまでの民主的な政府にはもはや寄りかかれそうもないので、より強権的な指導者を待望するというのは、少々危ういように思えてならない。どうせやるのなら、新しい時代を切り開くムーブメントに自分なりの方法で参加してみてはどうだろうか。
内山氏とともに考えた。