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2023年03月18日公開

日本の裁判官はなぜ無罪判決を書けないのか

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第1145回)

完全版視聴について

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完全版視聴期間 2023年06月18日23時59分
(終了しました)

ゲスト

1937年神奈川県生まれ。61年東京大学法学部卒業。63年判事補任官。東京地裁判事補、名古屋地裁判事、最高裁調査官、東京高裁判事部総括などを歴任。2000年退官。霞ヶ関公証役場公証人、法政大学法科大学院教授を経て12年より現職。著書に『刑事裁判のいのち』、『「無罪」を見抜く-裁判官・木谷明の生き方』など。

著書

概要

 今週の月曜日(3月13日)、57年前に逮捕され43年前に死刑が確定していた袴田巌氏の再審決定が下された。まだ高検が最高裁に特別抗告を行う可能性は残っているが、再審そして無罪は確定的と見ていいだろう。確定死刑囚の再審無罪となると島田事件(1989年に再審無罪が確定)以来戦後5件目となる。

 袴田氏は1966年に静岡県清水市で発生した強盗殺人放火事件の犯人とされ、1966年から2014年までの48年間、東京拘置所に収監されていた。そのうち1980年に死刑が確定して以降の34年間は確定死刑囚としてもっぱら刑の執行を待つ身だった。再審開始、そして再審無罪がほぼ確定的になったとはいえ、1966年に30歳で逮捕された袴田さんにとって失われた時は取り戻せない。起きてはならないことが、また起きたのだ。

 この事件では他の冤罪事件と同様に、もっぱら被疑者の自白に頼った犯罪立証が行われた。捜査段階では真夏の苛酷な環境の下、来る日も来る日も10時間を超える取り調べが行われ、当初否認していた袴田氏は勾留19日目に自白に転じている。

 ところが、取り調べ段階で一度は自白した袴田氏が公判段階で否認に転じたため、慌てた捜査当局は袴田氏が働いていた味噌製造工場の味噌樽の中に血染めの洋服を隠し、事件から1年以上が経ってから袴田氏が犯行時に着ていた服が見つかったとして追加で証拠提出してきた。しかし、逆に今回、東京高裁はその洋服は捜査員が捏造した証拠である疑いが濃いとして、再審を決定していた。その事実関係が再審公判で認定されれば、有罪をでっち上げるために捏造した証拠が逆に墓穴を掘る形となったわけだが、それにしても決定的とされた証拠が捏造だったことが認められるまでにあまりにも時間がかかりすぎた。

 それにしてもだ、事件直後に逮捕された袴田氏に対して、警察検察は来る日も来る日も長時間の厳しい取り調べを行い、袴田氏はまともにトイレにも行かせてもらえなかったという。日本の刑事裁判でそのような拷問同然の環境下に3週間も置かれた末の自白に基づいて有罪が確定してしまうのは、裁判所がそれを有効な証拠として認めているからだ。逆に欧米諸国の刑事事件で被疑者の起訴前勾留期間が最長でも2~3日と短いのは、それ以上勾留した後で得られた自白は被疑者側から「拷問があった」と主張され、裁判所もそれを認めるため証拠として使えないからに他ならない。袴田氏の裁判で末席の裁判官を務めた熊本典道氏(故人)は晩年、袴田さんは無罪であるとの心証を得ていたが他の裁判官の意見に抗えずに有罪判決に迎合してしまったことを悔やみ、謝罪している。

 裁判官時代に日本の裁判官としては異例中の異例とも言うべき30件以上の無罪判決を出したことで知られる木谷明弁護士は、日本の裁判官が無罪判決を出したがらない理由として、まず第一に無罪判決を書くのが大変だからだと証言する。裁判というのは検察の犯罪立証に対して「合理的な疑いを差し挟む余地」があれば無罪とするのが近代裁判の要諦だ。そのため裁判官が無罪判決を出すためには、検察の犯罪立証のどこに「合理的な疑いを差し挟む余地」があるかを明確に書かなければならない。その論拠が甘ければ、仮に一審で無罪となっても、検察に控訴され、二審では確実に逆転有罪となってしまう。有罪判決は容易だが無罪判決は裁判官の能力が試されるのだという。

 誰しも楽をしたいと考えるのが人情だ。裁判官にとっては検察の言い分をそのまま受け入れ有罪としてしまった方が、仕事が遙かに楽になるというのが、多くの裁判官の本音なのではないかと木谷氏は言う。

 また、木谷氏は検察の権限が強すぎることも、裁判官が検察の主張に引きずられやすいと同時に、冤罪を生む温床となっていると指摘する。

 日本では2021年には、裁判が確定した21万3,315人のうち、無罪判決を受けたのは94人のみで、割合にして0.04%だ。つまり1万件につき4件しか無罪にはならないのが日本の刑事裁判なのだ。確かに99.9%以上の有罪率というのは異常としかいいようがないが、実はこの数字には隠されたマジックがある。

 確かに日本では起訴されたら99.9%の可能性で有罪となるが、実は警察から送検されてきた事件のうち3分の2(64.2%)は検察によって不起訴起訴猶予処分にされ、実際は裁判にはなっていない。つまり、検察は警察から送られてきた事件のうちほぼ確実に有罪にできる全体の3分の1ほどの事件だけを起訴し、それがほぼ100%に近い確率で有罪となっているということなのだ。このように公訴権を独占していることも検察の権限が強すぎる一つの要素となっている。

 しかし、このことが逆に検察にとっては大きなプレッシャーともなり得る。なぜならば、検察は事件を厳選し有罪にできる事件しか起訴していないのだから、いざ起訴した事件は必ず有罪にしなければならないことになる。しかし、人間なので必ずミスは起きる。最初の見立てが間違っていたことに後で気づくこともあるだろう。しかし、一度起訴してしまった以上、何が何でも有罪にしなければならない。刑事事件、とりわけ社会から注目される刑事事件で起訴をしておきながら無罪になどなってしまえば検察の信用はまる潰れだ。担当検事やその上司の経歴にも大きな傷を付けることになる。そうした中で冤罪が起きる。酷いケースでは自白の強要が行われ、時として証拠の捏造まで起きていたことが、近年明らかになっている。

 検察が圧倒的に優位な司法制度と、本来であればその司法をチェックするはずのメディアが、逆にその制度の走狗となって世論を誘導する中、仮に検察立証に疑いがあったとしても、裁判官にとって無罪判決を書くことには計り知れない勇気と能力と責任感、そして使命感が求められる。そもそも裁判官が有罪判決は気楽に書けるが、無罪判決を書くには覚悟が必要な制度自体が倒錯した制度と言わなければならないが、それ自体が日本の司法制度の異常さと歪みを象徴していると言っていいだろう。

 伝説の無罪裁判官として法曹界の尊敬を一手に集める木谷明氏と、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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