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2015年09月05日公開

本庄保険金殺人事件に見る 自白偏重捜査の危険性

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第752回)

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ゲスト

弁護士・八木茂死刑囚再審弁護団
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1956年埼玉県生まれ。79年早稲田大学法学部卒業。82年弁護士登録。87年サザン・メソジスト大学ロースクール修了。法学修士。早稲田大学大学院法務研究科教授、日弁連・法廷技術に関するプロジェクトチーム座長など歴任。著書に『ケースブック刑事証拠法』、共著に『偽りの記憶・本庄保険金殺人事件の真相』など。

概要

 15年ほど前に年にマスコミを大きく騒がせた殺人事件の再審請求が2015年7月31日、東京高裁で却下された。

 この事件は「本庄保険金殺人事件」として知られる殺人事件で、埼玉県本庄市で金融業やスナックを経営する八木茂氏が、自身が経営するスナックのホステスと常連客3人を偽装結婚させた上で、多額の生命保険をかけ、うち2人を殺害、もう1人を殺害未遂をしたとされる事件。主犯とされた八木氏は2008年に最高裁判決で死刑が確定。ホステス3人も懲役12年から無期懲役の有罪が確定していた。

 事件が最初に報道された1999年当時、八木氏は自身が経営するスナックに報道関係者を招き入れ、料金を徴収した上で記者会見を開くなど、その特異な行動が面白おかしくマスコミに取り上げられ、ワイドショーや週刊誌を連日にぎわせた。また、その後、八木氏が3人の常連客に総額で14億円を超える高額な生命保険をかけていたことや、実際に保険金を受け取っていたことなどが明らかになり、メディア上で八木氏を犯人と決めつけるような報道が大勢を占めた。

 しかし、実際には八木氏の犯行を裏付ける物証がなく、いずれの被疑者も一貫して犯行を否認していたため、捜査の方は当初、難航していたが、3人のホステスの1人で共犯者とされた武まゆみ氏が、途中から当初の否認を全面的に覆し、犯行を自供し始めたため、それがきっかけとなり、八木氏および3人のホステスが殺人や殺人未遂などで起訴されいずれも有罪となったのだった。

 しかし、毒殺されたはずの被害者が遺書を書き残していたり、その死因が鑑定によって「溺死」とされているなど、この事件には不審な点が多い。また、別の被害者は風邪薬の大量服用で殺害されたことになっているが、風邪薬の大量服用では人は殺せないことを、風邪薬の製造元の製薬会社の社員が証言していた。しかし、こうした数々の疑問にもかかわらず八木氏の死刑が確定する決め手となったのが、武氏による自白証言だった。

 当初犯行を全面否認していた武氏は、途中から記憶が甦ったとして、トリカブトによる殺害を認めるなど、犯行の自供を始めた。しかし、八木氏の再審弁護団の高野隆弁護士は、武氏の証言は、長期にわたる勾留と昼夜を問わない連日の取り調べを通じて、武氏が検察が描くストーリーを植えつけられ、その「偽りの記憶」を信じ込むようになった結果だった可能性が高いと指摘する。武氏の記憶が変遷していく過程は、武氏自身が取り調べの過程を書き残していた日記帳「武ノート」にも、詳細に記されていると高野氏はいう。

 武ノートには、彼女がどのような取調べを受け、誰からどのような話を聞かされ、その時自分がどう感じたかなどが克明に記されている。それはまさに彼女の記憶が書き換えられていく過程を雄弁に物語っていると高野氏は言う。

 パソコン遠隔操作事件でも、当初、誤認逮捕された4人のうち2人が、実際にはやってもいない犯行を自供しているが、長期の勾留や強圧的な取り調べに耐えかねて、思わずやってもいない犯行を自供してしまうケースは決して少なくない。その多くが、取り調べ段階では勾留の苦しさから逃れたい一心で、不本意ながらやってもいない犯行を認めてしまったが、公判になって我に返り、自供を翻すというパターンを辿る。

 しかし、「武ノート」などを見ると、武氏の場合は、無理やり自供に追い詰められたというよりも、取り調べを担当した検事によって植え付けられたストーリーを心から信じている節があり、実際に武氏の記憶が作り変えられてしまった可能性が高いと高野氏は言う。

 認知心理学や犯罪心理学の分野では、人間の記憶が書き換えられることがあり得ることが明らかになっている。自分では確かな記憶だと思っているものが、実は後から与えられた情報や経験によって変質させられていて、事実とは大きく異なることがあり得るというのだ。

 日本の刑事司法は自白偏重主義と言われ、先進国では考えられないほど長期の勾留が認められ、その間に自白を勝ち取ることが、捜査当局の唯一最大の目標となっている。勾留によって追い詰められた結果、やってもいない犯行を自白をしてしまう危険性は以前から指摘されてきた。しかし、そもそも人間の記憶さえもが書き換えが可能なものだとすると、自白に依存した刑事捜査はより大きな危険性を孕んでいると言わねばならない。

 ましてや、日本では取り調べの可視化が一向に進まず、欧米では当たり前になっている弁護士の立ち合いも認められていない。密室の中でどのような取り調べが行われ、被疑者や被告の証言がどのような変遷を辿ったかは、捜査当局以外は知ることができないのだ。

 免田事件、帝銀事件、足利事件、布川事件等々、戦後の主要な冤罪事件のほとんどで、被疑者はやってもいない犯行を一度は自白している。いずれも虚偽の自白だったことになる。いまだに自白偏重主義を貫き、取り調べの可視化にも後ろ向きな日本の捜査当局は、過去の過ちから何を学んでいるのだろうか。

 今国会では集団的自衛権の行使を可能にする安保法案の裏で、刑事事件全体の3%未満しか可視化をしないにもかかわらず、それと引き換えに盗聴権限の強化や司法取引の導入といった大幅な捜査権限の拡大を謳った刑事訴訟法の改正案が審議されている。可視化がないまま司法取引などが導入されれば、さらに冤罪の温床となる恐れがある。

 国連の委員会で「中世」などと嘲笑を買いながらも、一向に改善が見られない後進的な日本の刑事司法制度の下で、武氏の「途中で変質した記憶」に基づく判決に対する再審は高裁段階では認められなかった。弁護団は8月5日、最高裁に特別抗告をしたので、今はその結果を待たねばならないが、見通しは決して明るいとは言えない。

 元々あやふやで、刷り込みや作り替えさえ可能な「記憶」に基づいた証言や自供に依存した刑事捜査の危険性を、本庄保険金殺人事件の弁護人の高野氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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