日本の政治はどこまで堕ちるのか
民主党幹事長
1953年三重県生まれ。76年東京大学法学部卒業。同年旧通産省入省。90年衆院初当選(自民党)。93年自民党離党。新進党、民政党を経て、98年民主党に合流。党政調会長、幹事長、代表などを歴任。鳩山内閣、第1次菅内閣で外相、10年9月より現職。当選7回(三重3区)。
政権交代から1年3カ月。小沢一郎元代表の衆院政治倫理審査会(政倫審)出席をめぐる党内の対立が連日報じられる中、民主党への国民の期待は、日を増すごとに下がり続けている感が否めない。
恐らく国民の疑問は次の一点に凝縮されるにちがいない。
「民主党はどうなってしまったのか。」
そこで、2010年最後のゲストに、鳩山内閣・第1次菅内閣で外務大臣を務め、今は党幹事長として与党を束ねる立場にある岡田克也幹事長を迎え、岡田氏が小沢元代表の政倫審への招致にこだわる理由や、民主党政権が必ずしも国民の期待に応えられていない理由など、まさに「民主党はどうなってしまったのか」の問いを、そのままぶつけてみた。
まず岡田氏は、「大きな期待を背負ってスタートした民主党政権が、政治とカネの問題でつまずいたのは痛恨事」だったと、小沢氏や鳩山元首相の政治資金問題が政権運営に大きな影響を及ぼしたことを率直に認めた。そして、小沢氏にも法的な責任とは別に政治的な説明責任があるとして、政倫審には小沢氏本人が自主的に出席して説明をすべきとの考えを改めて強調した。
しかし、民主党政権が何も成果を出していないとの批判に対しては、民主党政権に混乱や経験不足があったことは認めたうえで、高校授業料の無償化、農家戸別所得補償、事務次官会議の廃止、記者会見の開放、沖縄密約の解明など、自民党政権ではなし得なかった数々の成果をあげていると、岡田氏は反論する。特に、記者会見のオープン化や沖縄密約の解明については、岡田氏自身が主導した施策として、その成果に自信のほどを見せた。
しかし、仮に民主党政権がそのような成果をあげているとしても、それが広く国民に理解され、評価されないのはなぜか。その問いに対して岡田氏は、民主党が「考え方の転換」をしようとしていることが国民に伝わっていなかったと、説明不足があったことを率直に認める。
例えば、子ども手当は義務教育と同じように「子育ては社会全体で行う」という考えに基づいた施策であったにもかかわらず、それが十分に理解されていなかったために、バラマキ批判に晒され、結果的に所得制限などに議論の焦点がずれてしまったと、岡田氏は残念がる。そして、説明不足の原因の一端が、政府与党の一元化にこだわるあまり、党からの発信が止まっていたことにあるとして、党の発信機能の回復を急ぐ意向を明らかにした。
一方、菅政権が厳しい批判に晒された尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での対応については、前外相として、また現幹事長として、「現政権を批判する気はまったくない」と前置きをした上で、中国があそこまで激しい対抗措置を取ってくることを、日本政府は予想していなかったのではないかとの認識を示した。
民主党政権の浮沈を握るキーマンの一人であり、ポスト菅の最右翼とも目される岡田氏に、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が、民主党のこれまでとこれからを問うた。