2014年07月05日公開

安倍政権の暴挙を今のわれわれの実力を知る好機に

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概要

 今週はマル激本編で「戦後レジームからもっとも脱却できていないのは安倍総理、あなた自身です」をテーマに、ゲストに政治思想の専門家で「永続敗戦論」著書でもある白井聡文化学園大学助教を招いて、安倍政権が行った閣議決定による憲法解釈の変更の意味を議論した。
 そこでは今回の解釈改憲について、戦後レジームからの脱却を謳う安倍首相自身が、実は白井氏が「敗戦レジーム」と呼んでいる戦後レジームの権化のような存在であることが、今回の「アメリカのための解釈改憲」によってより鮮明になったと酷評した。
 白井氏の言う「敗戦レジーム」とは、総力戦に敗れ、それまでの国家体制が粉々になるはずだった日本は、対ソ連の冷戦シフトを優先するアメリカによって、天皇制を含む日本の旧国家体制が温存され、本来は支払わなければならなかったはずの敗戦の対価の多くを免罪されるかわりに、事実上アメリカの属国となることを余儀なくされた。それに伴いアメリカは、A級戦犯などほんの一部の例外を除き、日本を絶望の淵に追いやる戦争に導いた各界の指導者たちが、平然と戦後の日本の要職に復帰することを許してしまった。その旧レジームの担い手たちに対する唯一絶対の条件が、アメリカの意向に逆らわないということになるのは、当然のことだった。そして、今日の日本は政官財を問わず、「敗戦レジーム」を受け入れることで権力を手に入にした人たちの子や孫たちが実権を握っているため、アメリカに隷属しつつ、旧体制の利益を温存するような「敗戦レジームによる統治」が今も、そしてこれからも続いていくことが避けられない、というものだ。
 確かに戦後レジームからの脱却を叫び、日本の自立を標榜する保守の星であるはずの首相が、集団的自衛権などと言えば聞こえはいいが、要するに自国の憲法解釈を曲げてまでアメリカに尽くすべく奔走しているわけだ。その姿は左右どちらの陣営から見ても、十分絶望に値するかもしれない。しかし、われわれはむしろこれを奇貨とすべきではないだろうか。
 今回のことで、白井氏が「敗戦レジーム」と呼ぶ虚構の上に成り立ってきた日本の戦後民主主義が、実はこの程度のポテンシャルしか持っていないかったことを、安倍首相はわれわれに思い知らせてくれている。それは左右のイデオロギーを超えた、日本の社会と民主主義の未熟さの問題だ。
 日本は長らく待望された政権交代があっても、ほとんど何も変わらなかった。未熟だった民主党政権を批判するのは容易いが、結局のところ何かを変えるだけの能力と気概と覚悟が、日本人であるわれわれの側に備わっていなかったから何も変わらなかったに過ぎない。そして、何も変わらなかったばかりか、その後に出てきた安倍政権のやりたい放題を許す結果となった。
 そこから学ぶべきことは、次は誰に任せればいいんだという話の繰り返しでは、何も解決しないということだ。誰かよさげな人なり勢力なりを見つけてお任せして、自分は高みの見物を決め込み、何か問題があればヤジを飛ばすというような敗戦レジーム的な政治態度のままでは、何も解決しないばかりか、世の中がどんどん悪くなるのは当然だった。冷戦構造などの特殊な状況の下で、限られた一時的にそしてそれも偶然に、それでも日本がたまたまうまく回っていた時があったというだけのことだったのだ。逆に言えば、ここからが本番、ここからがわれわれの真価が問われるということになる。
 今日の本編では、それを解決する唯一の手段は、それぞれが手の届くところから意思決定への参加を始め、それを少しずつ下から積み上げていった結果、マクロなレベルでも影響を及ぼすようになる以外に解決策はないのではないかという話だった。しかし、それには時間がかかる。その間も日本は敗戦レジーム的な意思決定によって漂流を続けることになる。それで果たして間に合うかどうかはわからないが、間に合おうが間に合わなかろうが、社会が無くなるわけではない。間に合おうが間に合わなかろうが、やらなければならないことは、やらなければならないのだ。
 Nコメでは今回の本編で語り切れなかったテーマを編集後記としてジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司の対談形式でお送りする。

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