2018年03月31日公開

5金スペシャル映画特集

「真実の瞬間」への備えはできているか

マル激トーク・オン・ディマンド マル激トーク・オン・ディマンド (第886回)

完全版視聴について

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完全版視聴期間 2020年01月01日00時00分
(期限はありません)

概要

 マル激では恒例となった、その月の5回目の金曜日に特別企画を無料でお送りする5金スペシャル。今回は映画特集として「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」、「ザ・シークレットマン」、「15時17分、パリ行き」の3本の洋画を取り上げた。

 日本では今週公開された「ペンタゴン・ペーパーズ」は、言わずと知れた1970年代初頭の機密文書流出事件を、巨匠スピルバーグが描いた作品。舞台となるワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハム役をメリル・ストリープが、ベン・ブラッドリー編集主幹役をトム・ハンクスの2人の大御所が務めている。

 映画では、内部告発者からベトナム戦争が大義無き戦争であることを露わにする機密文書「ペンタゴン・ペーパー」を入手したワシントン・ポスト紙の社主や経営陣、編集幹部らが、国家機密漏洩の罪に問われ、場合によっては社を倒産に追い込む恐れがある中で、報道機関として国民の知る権利に応え、記事を掲載すべきかどうかの葛藤に激しく揺さぶられる様がビビッドに描かれている。

 この事件は結果的に、記事の掲載に踏み切ったワシントン・ポストは罪に問われることはなく、内部告発したダニエル・エルスバーグ博士も、政権側の失態によって刑事罰を逃れたハッピーエンドで終わっている。また、この文書の内容が報道され、歴代の政権の嘘が露わになったことで、ベトナム戦争に対する国民の反戦機運が一気に高まり、その後ほどなくアメリカはベトナムからの撤退を余儀なくされている。その引き金となったのが、このペンタゴン・ペーパーだった。

 実は流出したペンタゴン・ペーパーの中身が最初に報道された1971年6月、時を同じくして日本でも政府の機密が報道される事件が起きていた。毎日新聞の西山太吉記者による沖縄密約報道だ。これは沖縄返還に際し、米軍が撤退した跡地の原状回復費を実際は日本側が負担することで米政府と合意しておきながら、当時の佐藤栄作政権は国民や国会にはアメリカ側が負担していると嘘をついていたことをすっぱ抜いたものだった。国家機密の流出によって、時の最高権力者の嘘や政権ぐるみの陰謀を暴いたという意味では、この報道もペンタゴン・ペーパーに勝るとも劣らない大スクープだった。

 ところが日本では、西山氏に機密文書を渡した外務省の女性事務官と、それを元に記事を書いた西山氏が、国家公務員の守秘義務違反で逮捕されてしまった。しかも、西山記者に対する起訴状の中で検察は、西山氏が女性事務官と男女の関係にあったことを殊更に強調したために、その瞬間にこの事件は「政府が国民を騙した国家犯罪」から、ケチな下半身スキャンダルへと様変わりをしてしまった。

 事件のスキャンダラスな報道がワイドショーや週刊誌で連日報じられ、西山氏や毎日新聞に対する世論の風当たりが強まるにつれ、政府の嘘を批判する報道はメディアから姿を消していった。結果的にこの事件では西山氏と事務官の女性が有罪判決を受け、西山氏は毎日新聞からの退職に追い込まれているのに対し、国会や国民に嘘をついていた佐藤首相や福田赳夫外相らは何の罪にも問われていない。そればかりか、佐藤氏はその後ノーベル平和賞を受賞し、福田氏はちゃっかり首相の地位にまで登り詰めている。

 映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を見ると、日米でほぼ同時期に起きた機密文書の流出事件とメディアによる国家陰謀のすっぱ抜きが、なぜかくも異なる経過を辿ることになったのか、その理由を考えずにはいられない。

 映画「ザ・シークレットマン」はジャーナリスト出身で最近では「パークランド」「コンカッション」などの社会派映画で知られるピーター・ランデスマン監督による、ウォーターゲート事件の内幕を描いた作品。

 ワシントンのウォーターゲートビル内にある民主党全国委員会本部に、盗聴器を仕掛けるために不法侵入した5人組が逮捕されたことに端を発するウォーターゲート事件が、最終的にアメリカ史上初の大統領の辞任にまで繋がった背景に、ワシントン・ポストの報道があったことはつとに有名だが、その報道の情報源だった人物が、この映画の主人公で当時FBIの副長官だったマーク・フェルトだった。

 ワシントン・ポストのウッドワード、バーンスタインの2人の記者は、情報源となった「ディープ・スロート」の名前は、その人物が死亡するまで明かさないと約束していると主張し、公表を控えていたが、フェルト自身が亡くなる3年前の2005年に、自分が情報源だったことを名乗り出ていた。

 この映画ではFBIに生涯の忠誠を誓う典型的な組織人のフェルトが、フーバー長官の死後、FBIをニクソン政権の介入から守るために戦う中で、最後の手段としてワシントン・ポストに捜査情報を流した様が克明に描かれている。結果的にフェルトの意図した通りニクソンは失脚に追い込まれ、FBIはニクソン政権の介入を防ぐことに成功したわけたが、これを政治と官僚の権力闘争において、官僚が官僚として知り得た特権的な情報を使って政権の追い落としに成功した事例だったと考えると、フェルトの行動を手放しに讃えていいかどうかについても一考が必要になるだろう。

 恐らくこれは現在の日本の政治状況にも通じる問題だ。官僚は常に組織防衛を最優先するがゆえに、官僚にとっては予算の獲得と人事が常に最大の関心事となる。マックス・ウェーバーも指摘するように、官僚がそのように動く生き物であることは、最初から分かっていることだ。しかし問題は、官僚がそのように動くことによって、結果的にシステムが国民の利益に繋がるようなアーキテクチャー(制度設計)ができているかにある。

 フェルトは個人的には、必ずしも正義感や公共心からではなく、FBIという組織を守りたい一心から捜査情報をワシントン・ポストにリークしたが、その行為によって結果的に大統領の犯罪をあぶり出すなど正義が貫徹され、国民の多くが、最高権力による犯罪に対する備えが不十分だったことを理解するなど、多くの公共的な利益を生み出している。しかし、もしも制度設計がしっかりしていなければ、それぞれの官僚が利己的な組織防衛に動くことが、国民全体に大きな災禍をもたらす可能性もある。

 今回の3本目は「15時17分、パリ行き」。マル激の5金映画特集で何度も取り上げてきたクリント・イーストウッド監督による最新作だ。

 これは実際に起きた事件の当事者の3人が主役を務めるという珍しいキャスティングの映画だが、社会の中で必ずしも勝ち組とは呼べない素朴な人生を生きてきた3人の若者が、無邪気にヨーロッパ旅行を楽しむ中で、たまたま乗車した列車が無差別テロの標的にされるという実話に基づいている。ちょっとナイーブな普通の若者がたまたま遭遇した「真実の瞬間」にどのような行動を取ったかを描くために、その若者たちのその日に至る人生の歩みが、生い立ちから延々と描かれている。

 何をやってもうまくいかなかった主人公のスペンサーが、テロリストに銃口を向けられた瞬間にとった咄嗟の行動が、実はそれまでの人生が回り道をした部分も含めすべて、その瞬間のためにあったと思わずにはいられない、そんな映画だ。「運命」と置き換えてもいいのかもしれない。

 それは「ペンタゴン・ペーパーズ」でワシントン・ポストの社主キャサリン・グラハムが、機密情報の記事を掲載するかどうかのギリギリの決断を迫られた瞬間や、「ザ・シークレットマン」でFBI副長官のマーク・フェルトが、ニクソンからウォーターゲート事件の捜査の打ち切りを命じられた「真実の瞬間」、彼らが何を考えどう行動したかと通じるものがあるように思えてならない。

 この3本の映画を見て感じたことや考えたことを、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

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