2015年06月13日公開

河野・村山会見にみる今、日本が世界から問われていること

ニュース・コメンタリー ニュース・コメンタリー

完全版視聴について

現在のページで完全版をご視聴いただけます
完全版視聴期間
(期限はありません)

ゲスト

津田塾大学学芸学部国際関係学科教授
その他の放送 (13件)

1970年愛知県生まれ。94年早稲田大学文学部卒業。2003年パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。津田塾大学准教授などを経て、13年より現職。哲学博士。著書に『成長なき時代のナショナリズム』、『哲学はなぜ役に立つのか?』など。

著書

概要

 なぜ戦後70年経っても、日本は謝まり続けなければならないのだろうか。

 村山富市元首相と河野洋平元官房長官が6月9日、日本記者クラブで会見し、安倍首相がこの夏に発表を予定している戦後70年の首相談話について、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐよう注文をつけた。

 村山、河野両氏とも、過去の植民地支配と侵略を認めた上で、反省とおわびを表明した村山談話を継承すべきだと語っている。

 戦後70年談話について安倍首相は歴代内閣の立場は継承するとしながらも、その中に明確な謝罪の言葉を含めるかどうかについては、これまでのところ言葉を濁している。また、戦後70年たっても、いまだに日本が謝り続けれなければならないことに疑問を持つ人が増えていることも事実だろう。

 確かに、本来であれば謝罪は一回でいいという考え方もある。過ちを犯した場合は謝罪をしなければならないが、その謝罪が受け入れられれば、その後で、何度も謝罪を繰り返す必要はないのではないかという考えにも一理ある。

 しかし、そこには一つ重要な前提がある。それは、その後も謝罪で表明している済まないという気持ちを、行動で示せているということだ、

 口で謝罪をするだけなら誰でもできる。しかし、過ちを認めて謝罪をした以上、その後は、その反省の上に則った行動を取り続けていなければならない。それができないと、何度でも過去の過ちを蒸し返されることになる。

 日本は謝罪はするが、反省の意思を見せるのが下手なのではないかとゲストの萱野稔人氏は言う。あるいは、謝罪と反省の識別が明確についていないのかもしれない。

 どんなに口で謝罪を繰り返しても、それが真の反省から生じた誠実なものであり、まだその反省が行動で示されていなければ、被害を受けた相手は納得しない。いきおい、それを政治的に利用する余地まで相手側に与えてしまうことになりかねない。

 河野、村山会見の映像を参照しつつ、安倍首相の戦後70年談話では何が問われているかについて、津田塾大学の萱野稔人氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

ディスカッション

コメントの閲覧、投稿は会員限定の機能です

月額1100円で過去全ての放送を視聴。
月額550円で最新放送のみ視聴。

毎週の最新放送の視聴、会員限定放送の視聴、コメントの閲覧と入力が可能になります。>入会について