2011年10月29日
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今こそナショナリズムを議論の出発点に

萱野稔人氏(津田塾大学国際関係学科准教授)
マル激トーク・オン・ディマンド 第550回

 大震災からの復興や原発事故を受けたエネルギー政策の転換、国内における経済格差や財政赤字の増加、年金等の将来不安と少子高齢化、そしてTPPや沖縄の基地問題等々、今、日本はかつてないほど重大な問題に直面している。これらの問題はすべて、「日本とは何か」、「われわれとは誰か」、そして「われわれはどういう社会を希求しているのか」といった前提が共有されないかぎり議論さえ成り立たないものだ。その意味でこれらはいずれも「ナショナルな問題」であり、ナショナリズムを前提としなければ、議論さえ成り立たない。しかし、こうした議論にナショナリズムを持ち込むことに対して、総じて日本ではリベラルな言論人を中心に抵抗が強く、結果的に有効な議論ができていないのではないかと、津田塾大学の萱野稔人准教授は指摘する。
 日本では、ナショナリズムという言葉自体に偏狭性や排他性といったネガティブな意味合いが含意される傾向があるため、多くの人がナショナリズムを悪いもの、あるいは危ないものと考える傾向があるようだが、それは間違っていると萱野氏は言う。
 もともとナショナリズムとは、社会人類学者アーネスト・ゲルナーの「一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」のような中立的な原理で、国内の政治や社会問題を議論する際の枠組みであり前提となるものだ。むしろ、ナショナリズムを否定したままでは、ナショナルな枠組みで物事を考えることができなくなるため、上記のような諸問題を解決することが困難になると萱野氏は言う。
 たとえば、ナショナリズムを忌避する傾向が強いリベラルな知識人の多くが、日本における経済格差の広がりを問題視し、その原因となっているグローバル化を批判する。しかし、日本国内の経済格差を広げる原因となったグローバル化は、グローバルなレベルではむしろ新興国と日本の賃金の平準化をもたらすもので、先進国の日本と新興国の所得格差を縮める効果がある。つまり、グローバル化による格差が問題になるのは、格差問題を日本国内のナショナルな視点に限定した場合であって、ナショナリズムの視点がなければ、そもそも格差問題を認識することすらできない。萱野氏がナショナリズム自体を否定しながらこれらの問題に対処することはできないと主張する所以はそこにある。
 確かにナショナリズムは排他性や差別性を持つ傾向があるが、これについても萱野氏は、そのような傾向はそもそもナショナリズムが正常に機能していない時に起きるものであり、ナショナリズムが本来持つ性格ではないと指摘する。ナショナリズムが正常に機能していれば、「国家(政治的単位)」とその行為主体である「われわれ国民」の関係は共有されやすいが、ナショナリズムが機能不全に陥り、それが共有されなくなると、排除する対象を置くことで「われわれ」を定義しようとする傾向が強くなるからだ。
 偏狭で排他的なナショナリズムは問題だが、ナショナリズムは本来、ナショナルな問題を考える上での議論のベースであり議論の枠組みを提供するものだ。そして、であるがゆえに、日本の諸問題の解決には、ナショナリズムが不可欠だと萱野氏は主張する。
 それでは現在の日本の諸問題にナショナリズムはどう答えてくれるのか。今こそナショナリズムの視点が必要と説く萱野氏と日本の諸問題をナショナリズムの視点から議論した。

  • ・エネルギー政策の転換には文明の視点が不可欠
 
萱野稔人かやの としひと
(津田塾大学国際関係学科准教授)
1970年愛知県生まれ。94年早稲田大学文学部卒業。2003年パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。哲学博士。東京大学大学院総合文化研究科21世紀COE「共生のための国際哲学交流センター」研究員、東京外国語大学非常勤講師を経て、07年より現職。著書に『国家とはなにか』、『暴力はいけないことだと誰もがいうけれど』、『ナショナリズムは悪なのか』など。 550_kayano

 

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