2017年12月23日
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教育無償化のあるべき姿を考える

神野直彦氏(東京大学名誉教授)
マル激トーク・オン・ディマンド 第872回(2017年12月23日)

 教育の無償化が、政策課題として大きくクローズアップされている。

 安倍政権は旧民主党が主張する教育無償化には一貫して反対の姿勢を示してきたが、先の衆院選前に突如としてこれを公約に掲げていた。

 それを受けて政府は12月8日、「人づくり革命」と「生産性革命」を主眼とする「新しい経済政策パッケージ」を閣議決定。2兆円をかけて幼児教育と高等教育の無償化に加え、待機児童の解消などにも取り組む方針を打ち出した。財源としては、2019年10月に予定される消費税の引き上げ分から1.7兆円を拠出し、残る3000億円は企業負担で賄うとしている。

 教育の無償化については、これを歓迎する意見がある一方で、実現の見通しや財源への懸念などが指摘されている。しかし、それ以前の問題として、教育を無償化することの意味や、その背景にある理念については、まだほとんど議論が交わされていない状態だ。

 現在、有償で提供されている幼児教育や高等教育が無償化されるということは、各人が私的に負担している教育が、税金によって公的に賄われる「社会の共同事業」となることを意味している。結局のところ国民が負担することに変わりはないが、私的負担から公的負担への変更にどんな意味があるのかを、この際、しっかりと議論しておく必要があるのではないか。

 財政学が専門で、「教育再生の条件」などの著書がある神野直彦・東京大学名誉教授は、ここに来て突然、安倍政権が教育無償化を言い出した理由は、これまで金融政策に重点をおいてきた経済政策を修正せざるをえなくなっているからではないかと指摘する。戦後二番目の好景気などと囃されながらも実質の給与は上がらず、社会の経済格差は広がる一方だ。また、失業率が下がっているが、低賃金の仕事では相変わらず人手不足が続いている。先進各国では産業構造が大きく変わり、すでに知識を基盤とする社会に移行しているのに、物づくりにこだわる日本はその流れに大きく出遅れている。

 日本の公財政教育支出の対GDP比は3.2%、OECD諸国のなかでも最下位にランクする。神野氏は、物づくりから人づくりへシフトするために、政府が教育支出を増やす方向に舵を切ったことについては一定の評価をするものの、現在の無償化案が本当の意味での人づくりを志向したものになっているかどうかについては、疑問を呈する。

 意欲はあっても経済的な理由で十分な教育が受けられない人への公的支援は必要だが、教育支出を増やすに当たっては、そもそも何のために教育があるのかを認識する必要がある。産業構造が変化するなかで知識社会を確立するためには、単に幼児教育や高等教育を無償化するだけでなく、「誰でもいつでもどこでもただ」で教育を受けられるような制度設計が必要ではないかと神野氏は語る。

 教育を社会の共同事業と考えるか、あるいは個人の損得の上に成り立つものと考えるのか。教育の無償化の大前提となる理念とは何かなどについて、神野直彦氏と、社会学者・宮台真司とジャーナリスト・迫田朋子が議論した。

 
神野 直彦(じんの なおひこ)
東京大学名誉教授・社会事業大学学長
1946年埼玉県生まれ。69年東京大学経済学部卒業。78年同大学大学院経済学研究科修士課程修了。81年同大学大学院経済学研究科博士課程単位取得満期退学。大阪市立大学助教授、東京大学教授を経て2009年退官。現在、東京大学名誉教授・社会事業大学学長。政府税制調査会会長代理、社会保障審議会年金部会長を兼務。著書に『分かち合いの経済学』、『人間国家への改革』など。

 

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